「よし、そろそろ荘園に行こうかな」

  ロクハラの近くの公園で休憩を取っていた声聞士は、いつものように通行手形に手を当て、霊力を込めた。周りに青い光が立ち込める。……そろそろだ。声聞士は大体転送されるタイミングをわかっていた。目を瞑り、その時が来るのを待つ。しかし……。

  「わわっ!」

  何かが突撃してくると同時に、声聞士は一瞬意識を失った。

  「……わーっ、いてててて……」

  声聞士は尻餅をつく形で、荘園の入り口に転送されていた。尻が痛い。立ち上がろうとすると、何かあたたかく、柔らかい感触がした。触れているとどことなく安心する。これは…………。

  「わんっ!」

  「え!?」

  冷たい土の感覚を背に受けながら、慌てて起き上がる。膝の間には、可愛らしい柴犬がいたのだ。ふさふさで、立派な毛並みをしている。誰かの飼い犬だろうか、などと声聞士は思った。それにしても……。

  「しまったなぁ……」

  まさか子犬を転送してしまうとは。通行手形による転送時、手を繋ぐなど、物理的な接触がある相手も一緒に転送することができる。犬がぶつかってきたことで、「接触」が起こりえたのだろう。

  「困ったなぁ……」

  声聞士はため息をつきながら、子犬を見つめた。くりくりとした可愛い目は、まるで、「ごしゅじん!」とか、「あそぼ!」と訴えているようである。こう可愛く迫られると、断れない。声聞士は子犬を抱きかかえると、荘園へと足を踏み入れた。

  廊下を歩いていると、[[rb:厨 > くりや]]から鼻歌が聞こえてきた。気になって覗いてみると、武蔵が料理をしていた。そして、鼻にほのかにそばのいい匂いが漂ってきた。それにつられたのか、声聞士の腹が鳴ってしまう。

  「誰だ?」

  武蔵は料理の手を止めて、こちらを向いてきた。最初はしかめっ面だったが、相手が声聞士だとわかると、表情を緩めてくれた。

  「おう、大将じゃねえか」

  「あはは、バレちゃったか」

  「その仔犬はどうしたんでい?」

  武蔵は料理の手を止めると、子犬を指さしてきた。

  「えっとね、ここに来るときに、転送されちゃったんだ」

  「そうなのか……。仔犬も災難だな」

  「だよね……。ところでさ、そのそばおいしそうだね」

  そばに話題を振ると、武蔵は上機嫌に応えた。

  「おう! 店で売ってた奴だけどよ、なかなかいい奴だぜ。そうだ、大将も一緒に食べようぜ!」

  「いいの?」

  「おう、一応三玉茹でてたんだ。[[rb:御座所 > ござしょ]]で待っててくれ、オレが持ってくるからよ」

  「わかった」

  武蔵が再び調理に戻ると、声聞士は厨を後にした。

  「お待たせ、大将」

  「おっ、来たか!」

  武蔵はざるそばと二つの[[rb:猪口 > ちょこ]]を載せたお盆を持っていた。武蔵はちゃぶ台にきれいに並べてくれた。

  「ありがとう!」

  「礼には及ばないぜ。さ、食べようぜ大将!」

  「うん、いただきます」

  「いただきます!」

  箸でそばをつかむと、[[rb:汁 > つゆ]]に半分ぐらいつけて、勢いよくすする。すずっ、ずるずる。口の中に甘い汁の味と、そばの喉ごしが沁み渡る。

  「おいしい!」

  「だろ?」

  武蔵もそばをすする。マズルがあるのに、上手にすするなと感心した。

  「そうだ、こいつにもやってやれよ」

  「え? でも犬ってそば食べて大丈夫なの?」

  「おう、大丈夫だ。特に害になるもんは含まれてねぇよ」

  「じゃあ」

  声聞士はそばを一本掴むと、子犬の口にそばを寄せた。すると、子犬はぱくぱくとそばを食べだした。

  「へへっ、食いつきがいいな」

  武蔵もそばを掴むと、食べさせた。声聞士はその様子をぼんやりと見ながら、ふと思い出したことを呟いた。

  「そういえば、武蔵国には犬がたくさんいたんだよね」

  「おう、そうだぜ。江戸にはそりゃあたくさんの犬がいてよ、伊勢屋、稲荷に、犬の……、おっと、食いもん食ってるときにする話じゃねぇな」

  「え? なんなの」

  「そりゃあ、あれだよ……、ええい、言わせんじゃねえぜこんにゃろう!」

  「いてっ!」

  軽くどつかれる声聞士。なんなんだろう。疑問を抑えつつ、そばを食べ続けた。

  「ふぅ、ごちそうさま! おいしかったね!」

  「そうだな! …………この仔犬、どうすんだ?」

  「うーん、とりあえず、荘園で預かろうかな。で、警察に連絡して、飼い主を探そうと思う」

  「それがいいと思うぜ」

  「武蔵、悪いけど面倒を見てくれるかな」

  「おうともよ。たんと可愛がってやるぜ」

  武蔵は子犬の顎の下を撫でた。くすぐったそうにして、舌を出している。相性はよさそうだ、と声聞士は思った。

  「じゃあ、僕は仕事を始めようかな」

  「おう。じゃあオレはこいつと遊んでくるからな!」

  「わかった」

  こうして、しばらくの間、武蔵が子犬の面倒を見ることになった。

  数日後、声聞士は、ロクハラの近所のスーパーに立ち寄っていた。今日はロクハラの商業フロアに売っていないものを買いに来た。少し迷ったが、無事にものにありつくことができた。袋片手に、スーパーから出ようとすると、ふとある掲示に目に留まる。

  『犬を探しています。先日、家を飛び出して以来行方不明です。お心当たりのある人は――』

  写真と共に、犬の特徴が書かれていた。写真の中に、見覚えのある模様があった。

  「これって……」

  声聞士はスマホを取り出すと、すぐに連絡を取った。

  「もしもし――」

  荘園に着くと、武蔵の所へと急いだ。廊下をはしたなく走る。あまりにも速かったのか、通りがかった大和が、「こらこら、主。そんなに急いで走ってはいかんぞ」と咎められた。

  「ごめん、ところで武蔵知らない?」

  「む? 武藏なら、中庭で犬っころと遊んでおったぞ」

  「ありがとう!」

  大和に軽くお辞儀をすると、また駆け出していった。

  中庭にいた武蔵は犬と一緒に遊んでいる最中だった。木の枝を投げて、それを持ってこさせる原始的な遊びだった。声聞士の声に気づくと、「どうしたんでい?」と駆け寄って来る。声聞士ははぁはぁと息を切らしながら答えた。

  「飼い主がね、見つかったんだ!」

  「そ、そうなのか!?」

  「うん、スーパーで張り紙を見つけてね、電話したら、『間違いないです』って言われてね」

  「……」

  「? 武蔵、どうしたの」

  武蔵は木の枝を片手に持ったまま、固まっていた。

  「いやぁ……、恥ずかしい話だけどよ、情が沸いちまってなぁ」

  人懐っこい武蔵なら、あり得る話だった。だが、約束は約束だ。

  「でも、返さないと。飼い主も待ってるだろうし」

  「そらぁ、わかってるぜ。でもよぉ」

  「……僕らにできることは、あの犬が幸せに過ごせるように祈ることさ」

  武蔵はむずがゆそうな顔をしていたが、急に「へへっ」と笑ったかと思うと、上を向いて呟く。

  「なんだか親父みたいな気分だぜ」

  「どういうこと? 大和みたいなこと言っちゃって」

  武蔵の妙な言葉に、声聞士は反応した。

  「柄でもねぇけどよ、オレは柴犬の『父』じゃねえかなって思ってるんだ。オレはたくさんの犬生を見てきたんだ。『父』のようにな」

  「なるほどね…………」

  声聞士は頷くと、武蔵の手を握る。

  「その考え、好きだよ」

  「そっか。へへへ」

  武蔵は軽く笑うと、鼻をこすった。それにしても、父か。確かに、歴史や想いを背負った地魂男児達は、皆、父のようなものだろう。すとん、と納得がいく言葉だった。

  「大将、オレも一緒に行っていいよな」

  声聞士は、一瞬ぽかんとしたが、すぐに「もちろん」と答える。

  「じゃ、行こう!」

  声聞士と武蔵は廊下を駆けていく。

  「あっ、おい、オレを置いていくなよ!」

  「わんっ!」

  子犬は武蔵の腕の中で、嬉しそうに鳴いた。