都会の喧騒が遠ざかり、車窓の景色が次第に緑に染まっていく。私は疲れた体を電車の座席に預け目を閉じる。今日も激務の一日だった…。
私はバスに乗り換えさらに奥へと進む。窓の外は既に闇に包まれ街灯もまばらだ。ようやく我が家が見えてきたとき、ほっと安堵の息をつく。
「今日も疲れた~…早く寝て、明日に備えないと」
疲労で過ぎにでも休みたいがまずはお風呂に入る。湯船に浸かると、温かな水が体を包み込む。ゆっくりと目を閉じ、深呼吸。仕事のストレスが少しずつ溶けていくのを感じる。
「スッキリした~」
私はパジャマに着替え寝室へ向かう。ベッドの上には私の自信作が待っている。白と青のバランスが美しい、手作りの大きなドラゴンのぬいぐるみ。背中は柔らかな毛皮のような触感で腹側はぷにぷにとした感触でとても愛おしい存在だ。
ぬいぐるみを抱きしめると柔らかな感触が心を和ませる。ふわふわした毛並みが頬をくすぐり抱き着いた心地もよくその存在だけで心が落ち着く。まるで魔法のように日中のストレスが溶けていくようだ。
「それじゃあ、寝よう…」
枕に頭を乗せぬいぐるみを胸に抱き、目を閉じるといつもの夢の世界へと誘われる。現実世界との夢の境界が曖昧になっていく。
「…………。」
いつの日からか夢は同じものを見るようになっていた…。私は大きな翼を持つ存在に変わる。背中から生えた巨大な翼は、純白で天使の羽のように神々しさも感じるものであり、手足は鱗に覆われいる。
青空を自由に飛び回り、雲に触れ、風を切る。地上の狭さから解放され純粋な喜びに満たされる。空から見る景色は街並みが玩具のように小さく見え自由を謳歌しているよう…。
現実では叶わない自由を夢の中で味わう。束縛のない世界で誰かの顔色を伺う必要もない。ただ、風と一体になって翼を大きく広げ空を舞う…。
そんな夢をなぜか毎回見せてくれるのだった…。
日々の仕事は、少しずつ忙しさを増していった。締め切りに追われる日々が続き、上司からの指摘も増えていた。
皆も心の余裕がないのかコミュニケーションも以前ほどスムーズではなくなってきた。チームワークを大切にする職場なのになぜか少し距離を感じるようになり私の心にも負担が掛かってきた…。
また、プライベートでも心をリフレッシュする時間が取りにくくなっていきており、長年の友人も繁忙期で忙しく息抜きになっていたおしゃべりの機会をお互いに逃してしまっていた…。
『ごめん、今日は遅くまで仕事が終わらさそう…』というメッセージを見た時、共感と少し寂しい気持ちになった。
「最近なんだかつらいよ……」
仕事から帰宅した私は玄関で靴を脱ぐのも億劫になりそのままベッドに倒れこむ。服も着替えず鞄も投げ出したまま。柔らかなベッドが疲れ切った体を受け止めてくれる。天井を見つめながら前向きに考えようとするが気持ちが晴れない。
涙がにじみ出てくる。最初は目の端がうるうるとするだけだったが、やがて頬を伝い枕を濡らしていく。
「もう、どうしたらいいの…」
呟きながらいつものようにドラゴンのぬいぐるみに手を伸ばす。その柔らかな感触が少しでも心を癒してくれることを願ってぬいぐるみを抱きしめながら涙をこらえようとする。
しかし、指先に何か違和感を覚えた。背中に何かがある。硬い感触。体を起こし目を凝らしてぬいぐるみをよく見るとそこには確かに、チャックが付いていた。
「え?こんなの付けた覚えないのに…」
心を込めて縫い上げた自作のぬいぐるみだからどんな細部まで知り尽くしているはず。このチャックは絶対に見覚えがない…。不思議に思いながらおそるおそるチャックに手をかける。
指先が震えてしまう…。
何か予想外のことが起こりそうな予感がしたが、今の私には日常から逃れたいという気持ちの方が強かった。
ゆっくりとチャックを開けるとそこには理解ができない光景を見てしまった。虹色に輝く何かがぬいぐるみの中からにあふれている…。絶え間なく変化する無数の色彩でありながら、薄暗い部屋を明るく照らすわけでもない。理屈の通らない幻想的な輝きがそこには存在した。
「なによこれ……いったい何が起こってるの……でも…」
恐怖と好奇心が入り混じる中、不思議と安心感も湧いてくる。まるで、この得体の知れない何かが私を受け入れてくれているかのような感覚があった。
思わず、その虹色の中に手を伸ばす。指先が触れた瞬間ずぶずぶと吸い込まれていく。驚いて手を引こうとするがすでにもう遅く、腕から肘へと徐々に飲み込まれていき体が、まるでゼリーの中に入っていくかのようにスムーズに虹色の中へと溶けていく…。
頭の中では警告のアラームが鳴り響いているはずが日常から非日常へ逃れられるかもしれない…。そんな期待をしてしまい恐怖心を上回っていった。
「あはは……焦らなきゃいけないのにね……」
自暴自棄な気持ちと、不思議な安心感。相反する感情が交錯する中、私の体は徐々にぬいぐるみの中へと吸い込まれていき、頭が飲み込まれる手前まで来たとき一瞬だけ躊躇いが生まれる。
もう後戻りはできない。そして、本当のところ後戻りしたくもない気持ちも本当だった。意識が遠のいて心地よくなる眠気とともに私の意識は静かに溶けていった…。
気がつくと私は不思議な空間に浮かんでいた。周囲は真っ白で何もないが不思議と居心地が悪くはなく心地よい。そよ風が肌をなでるような感覚もありそれが私の心を落ち着かせていた…。
「いったここはどこ?」
声に出して問いかけても答えは返ってこなくその声が空間に溶けていく。目の前にはクリスタルでできているような透明な大きななにか何か。
よく見るとそれは足爪や角、翼など竜の特徴がある姿をしていた。しかし普通の竜の形状でもなく胸があり手も鋭い爪がありながらも5本あり人間の女性的な特徴も併せ持つ不思議な形状だった…。
「綺麗……」
角や爪もすべてが透き通っているのに、驚くほど精巧に見える。羽は天使のようで空間の白の光を通して美しく輝いている。ただその姿には生気がなく魂の抜けた器のようだった。
思わず手を伸ばす…。指先が触れた瞬間、パチッという音とともに電気が走ったような感覚が全身を駆け抜けた。それと同時に不思議な高揚感が沸き上がる。
しかし、その安堵感もつかの間。突然、私の腕が大きく広げられその位置で固定された。体が動かない戸惑いと軽い恐怖を感じるが抗うことができなかった。
「いきなり体が動かなくなるし、何が起こるの!?」
私の方が引き寄せられて徐々に透明な竜人の姿が近づいてくる。距離が縮まるにつれ心臓の鼓動が早くなる。
そして、ついに体が触れ合った。
「んんっ……あっ、ああっ!!!」
その瞬間、全身に刺すような絶頂の感覚が走る。それと同時に、自分の下半身何かが溢れ出し抜け出ていくような感覚に襲われる。
「なに…これっ!!一人でスルときより何倍もっ!…………くぅぅッ!!!」
はじめは困惑と快感何が起きているのか理解できなかったが徐々に体の変化が自然に理解してしまった…。これは、ヒトとしての私の要素が溢れ出す快感の液体とともに抜け出ていっている…。記憶や感情、思考、すべてが透明な竜の中に吐き出されては吸収されていく。
「ダメっ!!!……これ以上はオかしくなルっ!!」
深く沈み込んでいくたびに快感は加速していきヒトが剥がれていく感覚を受け入れたくない気持ちとそれと変わりたいという受け入れたい思いが混ざり合い思考が混乱してしまう。
ついに体のすべてが沈み込む……。
「んっ!!……ひぁぁァァァアァ!!!!!」
そして同時にこの世の元とは思えない絶頂を味わい私自身の体が爆ぜる。体の輪郭がぼやけ透明な竜と一体化して、余韻を感じながらただその流れに身を任せ白く染まっていく…。
一方、現実の空間では不思議な変化が起きていた。
ベッドの上にあった大きな竜のぬいぐるみが徐々に変化を始める。ふわふわだった毛並みがより生き生きとしたものに変わっていく。色彩が豊かになり手足の先の鱗が実体化していく。
爪は、柔らかな布から本物の爪のような硬質なものへと変化。背中から生えていた小さな羽は天使のような大きな翼へと成長していき、わずかな風で羽根一枚一枚が揺れるかのように繊細に動くものとなった。
胴体も変化していきぬいぐるみ特有の丸みを帯びた形から、女性的な胸や曲線も現れ竜と人間の特徴が絶妙に融合した姿になっていく。
そこにいたのはもはやぬいぐるみではなく、人間の女性の特徴と竜の特徴が融合した神秘的な存在美しい竜人の姿となっていた。
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目を覚ますと現実の世界に戻っていた。私は何かが違うと感じてしまう…。視点がいつもよりも高く、部屋も狭く感じてしまうい、体にいつもの感覚とは別な何かが付与されている感覚を感じた。
恐る恐る鏡を見ると、そこには信じられない光景が広がっていた。鏡に映っているのは、私ではなく、美しい竜人の姿。輝くような鱗、しなやかな体つき、そして背中には…
「羽根!?尻尾!?」
驚きのあまり、思わず声を上げる。驚きと戸惑いで体がうまくコントロールできない。大きな白い羽根が広がり近くの本棚を倒しまい本が床に散らばる。慌てて振り返ると長い尻尾が壁にぶつかり、壁紙に傷をつけてしまった。
「あわわ……どうしよう!?」
パニックになりかけるが、深呼吸をして落ち着こうとする。
改めて自分の姿を見直す。天使のような美しい羽根はわずかな月光を受けて白さが際立っている。体のラインは引き締まり、筋肉質なイメージがありながら女性らしい曲線も残っている。鱗は宝石のように青く輝き、白い背中側の毛皮もふわふわなもので体全体でみると青と白を基調として綺麗にまとまっている。
「これって…ぬいぐるみの中の…」
先ほどの白い空間の透明な竜人の姿を思い出す。今の私は人間の時には感じられなかった力強さと優雅さがあり、今の姿に見とれてしまう。
しばらくは新しい体の動きを楽しんでいた。無理のない範囲で羽根を広げたり、尻尾を振ったりしていたが次第に現実味が帰ってくる。
「この姿は好きだけど、これじゃあ普通の生活はできないよ…」
冷静になって考え始める。考えれば考えるほど答えが見つからず焦りと不安が胸に広がる。
困り果てて窓の外に目をやると雲も少ない月光が綺麗な夜だった。月明かりに照らされた町並みと山が幻想的に輝いている。その光景を見ていると、突然思いが湧き上がった。
「私……飛べるんじゃない?」
先ほどの元に戻る悩みなど忘れてしまいこの姿なら空を自由に飛べるのではないかと思う。人間の時には決してできなかったことで縛られることのない何回も夢で見てきた憧れの空…。
ベランダの窓を開け夜風が部屋に流れ込み羽根をそよがせる。深呼吸をしてから決意を固め全力で羽ばたく。最初は不安定だったがすぐにこの体が覚えているのかコツをつかんで体が宙に浮き一気に夜空へと飛び立つ。
「やればできるじゃない私!」
上手く飛べた自分を褒めつつ高度が上げていく…。今まで体験したことにない高度で一瞬の恐怖が走るがそれもすぐに消え去り言葉では表現できないほどの高揚感を感じられる。
上昇するにつれて新たな変化の予兆のように体の内側から不思議な力が満ちてくるのを感じ、羽根を大きく広げ風に乗り、力強く羽ばたきさらに高く舞い上がる。
「もっと速く…もっと自由に!」
雲の中に突入し、風を切る感覚がより鮮明になる。内側からグツグツと何かが沸き立つような力が溜まっていき、体が熱を帯び始める。その熱は次第に強くなって体に変化が起き始めた。
首が伸びていき尻尾も長くなっていく人間らしさが残った形状は失われていき、背中のふわふわとした毛皮どんどんボリュームを増しながら体も大きくなっていく…。
「クゥオオオオオォォォォン!!!!!」
雲から突き出した私は背中にはさらに巨大になった純白の羽根を広げ、月をバックに大きく甲高い咆哮を上げた。
体の大きさは家一軒ほどにまで成長していたがその巨体にも関わらず空中で優雅に舞う…。そして、目の前の景色は月明かりに照らされた果てしない雲海が広がっていた。
「夢でみた光景が見れるなんて…」
感動で胸が一杯になる…。人間の姿に戻る方法はまだ分からないし明日からの生活がどうなるかも不明だ。この瞬間だけはそんな心配は忘れ去ることができた…。
自由を満喫した後、私は徐々に地上へと降下し始めた。高度を下げるにつれ懐かしくも見慣れた光景が目に入ってくる。生まれ育った故郷の山々が月明かりに照らされて静かに佇んでいる。
「懐かしいなぁ……いったん自宅に戻る前に、ここに降りようかな」
懐かしさと親近感に導かれるように私は山頂へと向かい巨大な龍の姿でゆっくりと着地する。感慨深さと共に、不思議な安堵感が広がる。
そう思った瞬間、突然体から力が抜けていくのを感じた。
驚いて体勢を立て直そうとするが、もはや力が入らない。前のめりに倒れこんでしまう。
「だめ…意識が…」
視界がぼやけ意識が遠のいていく…。しかし意識がすぐに戻ってくると同時に異変に気づいた。体が小さくなっていて、周りは真っ暗になっている。
「え!?ここは…どこ?」
パニックになりそうになるが深呼吸をして落ち着こうとする。そして、上方にかすかな光を見つけた。
本能的にその光に向かって進もうとするが柔らかく密度の高い何かに体が阻まれている。必死にそれをかき分けて、上へ上へと這い上がっていく…。
「もう少し…もう少しで…」
ようやく、光の中に両手が届き体を引きずり出し顔が外気に触れる。自分が這い出てきたのは先ほどまで自分だった巨大な竜の背中に空いた穴からだった。
言葉を失いながら自分の体を確認する。人間の姿に戻っている服も汗に濡れているが特に汚れているわけではなかった。
竜の抜け殻から完全に出たことを確認した瞬間不思議な現象が起こり始める。竜の姿が、まるでリバーシブルのぬいぐるみのように内側に向かって縮んでいきすべてが穴に吸い込まれていく。そして最後にいつもの大きなドラゴンのぬいぐるみとなった。
「………」
しばらくは唇はわずかに開いたまま言葉を発することもできずに立ち尽くしかなかった…。冷静さを取り戻しドラゴンのぬいぐるみを拾い上げる。
「アナタが夢をかなえてくれたんだね……ありがとう…」
ぬいぐるみを大切に担ぎ山を下り始める。体は疲れているはずなのに不思議と軽やかで心の中には言葉にできないような充実感が広がっていたのであった…。
結局終電もなく、そもそも竜になってかなり離れた場所まで来ていたので自宅までは帰るすべはなかった…。この状況を一人で抱え込むのは難しいと感じ、思い切っていつも悩みを相談している友人の家に向かうことにした。
夜遅くにもかかわらず、友人は驚きながらも温かく迎え入れてくれた。
その夜二人で語り合った。私の経験、そして友人自身の悩みも。お互いの心の内を吐露し合うことで、不思議と心が軽くなっていく。
『新しい趣味を始めてみたら?気分転換になるかもしれないわよ』
友人のアドバイスは、その後の私の人生を大きく変えることになった。
数年後…、私はハンググライダーの上で大空を滑空していた。風を感じ、上昇気流を捉えながら、ゆっくりと旋回し高度を上げていく。いまではバリオメーターの上昇気流をとらえる音も心地いい…。
地上を見下ろすと、小さな点のように見える人々が日常を過ごしているのが見える。私はすっかり空を飛ぶことに魅了されてしまった。
ふと、親友のことを思い出す。そろそろお礼として送ったぬいぐるみが届いているはずだ。
黒いドラゴンのぬいぐるみで『私はかっこいいドラゴンが好き!!』と言っていたので、特別に私が作ったものだ。
「気に入ってくれるといいな……それで私と同じようになっちゃったりして……」
休日を丸一日使い家に帰る。充実感で体と心もが軽くご機嫌で風呂に浸かりながら今日のフライトを振り返る。そして、ベッドに横たわりドラゴンのぬいぐるみを抱きしめ柔らかな感触に思わず笑みがこぼれる。
「それじゃ、始めますか…」
おもむろにぬいぐるみのチャックに手をかける。ゆっくりと下ろしていく。
中に見える虹色の光が心を躍らせる。何回も変身しているのですでに迷いはなく笑顔でその光の中に入り不思議な空間の透明な竜に取り込まれていく…。
「っ!…コレも病みつきになっちゃうっ!!……ああっ!イっ…!!………クゥオオオオォォォ!!!!!
ワタシ自身が吹き出し大いなる存在に取り込まれる快感を全身で感じ咆哮を上げる。
そして、再び竜人の姿に変わり翼をはためかせ本日二度目のフライトが始まった……。