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ライフ・ウィズ・ライフ

  [chapter:1]

  「いいなぁ、わんこ……」

  今日も今日とて、風呂上がりの俺はY〇uTubeでわんこ動画を視聴していた。個人のホームビデオに始まってニュースの特集、真面目な学術団体の監修に基づき様々な犬種を紹介する番組、躾や健康チェックの方法をトレーナーや獣医が実践してみせるもの、ドッグカフェのPR、果ては予防接種会場の光景まで。

  物心ついた頃から筋金入りの犬派で、初対面のわんこともすぐ打ち解けられるタチだと自負している俺だけど、実際に飼育した経験は0。家族と暮らしていたアパートはペット禁止だったし、何より両親はどちらかと言うと猫派。こうしていざ独り暮らしを始めてからも当初は生活サイクルの大幅な変化にてんてこまいでとてもそれどころじゃなかったし、ようやくそれに順応できてからも、自分が「1つの命を預かる」のだと考えるとなかなか踏ん切りがつけられなかった。恋人もいなければ趣味と呼べるほどの趣味もない淋しさを、ペットを溺愛することで埋め合わせようとしている自覚は一応あるから、それは何だか当のわんこに悪いような気もしたし。

  ――それでこんな風に未練がましく、よその仔たちの動画を浴びるように連続視聴してわんこ成分を補っているのだが、やはり「うちの仔」の温もりを求める気持ちは日に日に膨らんでくるばかり。どうせならペットショップで血統書付きの仔を買うより保護犬を引き取った方が、少しでも社会に貢献できるかと考えたのだが……。

  「うーん、やっぱ単身者は難しいか……」

  お役所やNPOの公式HPを片っ端から覗いてみるも、案の定色々と条件が指定されている。それはまぁ、そうだよな。俺はまだ20代後半だけど事故や病気で急死したり、もうわんこの面倒を見られるような状態じゃなくなったりする可能性は十分あるわけだし。むしろ審査が厳しそうで安心した。ようやく新しい家族が見つかった! と喜び勇んでいるわんこが、劣悪な環境に投げ込まれた末に孤独にその生涯を終える……だなんて想像するのも嫌だ。

  「そりゃまぁ、元の飼い主にだって『やむにやまれぬ事情』って奴があったのかも知らないけど。こんな可愛い仔たちを……」

  掲載されている写真を1枚1枚眺めているうちにどんどん気分が沈んでゆき、軽い気持ちでHPを覗いた自分自身に腹が立ってくる俺。一旦そのタブを閉じると、Y〇uTubeに戻る。ページを下にスクロールしてゆくと、ジャーマンシェパードが映っているサムネイルが目に飛び込んできた。どうやら警察犬が式典そっちのけで、ハンドラーに腹を見せて甘えている場面の切り抜きのようだ。

  「可愛いよなぁ、シェパード。世間ではなぜか強面扱いされてるけど、気を許した相手に対してはデレッデレな感じが」

  そこから何となく地元警察の公式HPに飛んでみると、ずっと下の方に小さく『退役警察犬の引き取り手募集』の文字列が見えた。説明によると、これまでは警察関係者やその親類縁者が引き取るケースが大半を占めていたものの、動物福祉の観点から民間からも広く希望者を募り、『マッチング』をおこなう取り組みをちょうど本年度から始めたと言う。

  「ま、どんなに人懐っこいわんこでも希望者がいい人でも[[rb:相性 > ・・]]ってのがあるだろうし。これまでずっと人間のために働いてきてくれたんだから、それくらいしてもらって当然だよな」

  等と偉そうな口を叩きつつ、先を読み進める俺。1次審査はWEB、2次が書類並びに、実際にわんこやハンドラーを交えての面接。マッチング成立時は面接当日含めて1週間、“トライアル”として実際に共同生活を送ってもらう。その間の食費や医療費、トリミング代等は全額警察側が負担。最終日に再び面接を実施した上で、改めて担当者が是非を判断する……。

  「予想以上に本格的……って言うか、就活や試用期間みたいだな。さすがはケーサツ……」

  変なところで感心しつつ、晴れて新たな飼い主として認められた場合に毎月支給されると言う補助金の額に目を丸くしてしまう俺。随分と太っ腹……と言うか、俺自身の食費の数倍はある。まぁ大型犬ならそれくらい余裕で平らげるだろうが、完全ボランティアだとばかり思っていた俺には意外だった。

  ――第一、こんなことしたら補助金目当ての不逞の輩が殺到して、却ってわんこのためにならないのでは? しかも初の試みだからか、単に他に引退すべき時期に差し掛かった警察犬がいなかったからか分からないけど、今回対象となるわんこは1匹だけで、ただでさえ競争率が高そうなのに……。

  「名前は『ライフ号』。オスのジャーマンシェパードか。

  ――てことは、英語の“Life”じゃなくてドイツ語の“Reif”の方かな?」

  後者なら『霜』と言う意味である。生憎本人(本犬?)の画像は見当たらないが、ジャーマンシェパードは毛並みの個体差が大きいから、会った時のお楽しみと言うことにしておこう。ひょっとすると白変種かも。

  プロフィールを眺めていた俺は、ふと気になる項目を発見した。『年齢:人間換算で約40』? それならまだ警察犬としてはバリバリ現役な気もするが、怪我の後遺症や持病のせいで早期退役を余儀なくされたのだろうか……と心配して読み進めると、ちゃんとそれに関する補足説明も載っていた。

  ――従来は警察官と同じく(人間換算で)60才を定年として扱ってきたが、そろそろ嗅覚等に衰えが兆す時期。何より彼ら直轄警察犬は候補生として正式に訓練を始めてこの方、ずっと仕事一筋で生きてきた。従って、まだ元気が有り余っているうちに新しい家族を見つけ、広い世界で幸せな“第2の人生”を送ってほしいと一同は願っている……。

  「ええ話や……」

  つい関西弁になって涙ぐんでしまう俺だったが、〆切の日時を確認するとその涙も引っ込んでしまう。明日の午後5時!?

  WEB上の1次審査自体は24時間受付中。一晩じっくり考えるべきかとも思ったけど、このままでは仕事に身が入りそうもないので、俺は徹夜で募集フォームを記入した。家族構成、家庭環境、飼育歴に年収に生活サイクル……いずれもありのままを答える。どうせ警察が調べればすぐ分かるだろうし。

  それが終わると、これまた就活の時に受けたのと似た感じの適性検査。設問は結構な数があったが、こちらも変に考え込まず直感的に回答してゆく。自由欄でも、特にシェパードのようなわんこが大好きな旨を精一杯アピールしておいた。

  「よし。送信、っと……」

  ようやく1次審査を終える頃には俺はもうくたくたで、「結果は合格者のみに通知」云々の画面に遷移するなりブラウザを閉じ、そのままPCをシャットダウンして布団へと潜り込んだ。我ながら無謀な試みだったと思うが、案の定門前払いされてしまっても、警察相手の方がまだ諦めがつく感じがする。

  (それは要するに、俺よりきっと幸せにしてくれそうな飼い主が見つかった、ってことなわけだし。

  ――でも、せめて面接までは漕ぎ着けたいよなぁ。わんこも緊張してるだろうから、あんまりモフったりはできないだろうけど。……)

  俺はまぶたの重みに任せて目を閉じた。まだ見ぬライフ号の姿を、その裏に思い描きながら。……

  [newpage]

  [chapter:2]

  「お初にお目にかかります、ライフ号と申します。本日はどうぞよろしくお願い申し上げます!」

  「えっ……あっ……はい。初めまして、[[rb:蓬生 > ほうじょう]][[rb:廉 > れん]]です。こちらこそ、このたびはよろしく……」

  弾かれたように起立すると、こちらに向き直って最敬礼してくるジャーマンシェパード。胸に飾られた沢山の勲章がその拍子にてんでばらばらに揺れ動き、ぶつかり合っては音を立てた。

  対する俺はすっかり出鼻を挫かれたと言うか、ノブを握り、ドアの陰から恐る恐る顔を覗かせた状態で完全にフリーズしてしまっていたのだが……その音で我に返ると、急いでドアの隙間をくぐり抜けて後ろ手に静かに閉めた。未だに最敬礼の姿勢をビシリと保っている相手に釣られて自分も深々と頭を下げ、戸惑いつつも名乗り返す。すると真ん中の面接官が、席に着くよう促してきた。

  長机のこちら側に据えられていたパイプ椅子に失礼し、姿勢を正す俺。それを見届けた面接官と、向かって右側に腰掛けていたハンドラーさんが順番に自己紹介をしてくる。どちらも40代半ばと言った年格好で、黒いビジネススーツを折り目正しく着用しているせいで、一見すると警察官と言うより本当に企業の採用担当者のようだ。こんな時だけ外面を取り繕ってみせても仕方ないとは承知しつつ、念のため前日に散髪に行って綺麗にヒゲも剃って、クローゼットの奥から一張羅を引っ張り出してきてよかった……と秘かに安堵する。

  (それにしても……)

  向かって左側の席に座り直したライフ号を、俺は改めて観察する。シェパードらしくマズルの長い、精悍な顔立ち。毛並みは鼻先から額、それに耳まで真っ黒なタイプのようだ。耳の内側や、人間の頬ヒゲに当たる箇所だけ茶色くなっている。身に纏っているのは正装と思しき紺色の制服だったが、仕立てのおかげで肩幅の広さが更に強調されていた。

  唇を凛々しく引き結び、三角形の両耳をピンと立てているのは元々生真面目な性格なのは無論、この「本年度初の試み」に多大なる責任感を以て臨んでいるからだろう。その証拠に毛深い両手で自らの膝頭をしっかりと握りしめ、背もたれの隙間から垂れているふさふさとした尻尾を少し反らせているのが分かる。

  焦げ茶色の澄んだ双眸を、己の新しい“飼い主”になるかも知れない相手を見定めるように真摯にこちらに注いできている。制服のデザインや胸の勲章も相俟ってむしろベテランの軍人さんみたいに見え、如何にも堅物っぽい雰囲気を醸し出していたが、白いカッターシャツの襟元からモサッとハミ出している黒と茶色のまだらの胸毛(と言うか喉毛?)が幾分かその印象を和らげていた。

  「……あの。プロフィールには、『年齢:人間換算で約40』と……」

  「はい。従来は我々と同じく60才を定年としてきたのですが――」

  「正式に退役するのはもう少し先の話で、場合によっては緊急出動等を要請するかも知れません。御覧の通りライフ号は数々の勲章を授与されたとびきり優秀な警察犬でして、本音を申し上げれば、我々としてもまだまだ彼の能力に頼りたく思っておりまして……。何せ我々にとっても本年度が初の試みですので、色々と手探りの部分や不手際もあるかと存じますが、何卒ご理解とご協力を――」

  恐る恐る話を切り出す俺に対し、公式HP通りの説明を繰り返すハンドラーさん。それが終わると今度は面接官が補足を入れてきたが、実のところ、俺が本当に知りたいのはそんなことじゃなかった。

  ――そもそもの話、どうしてこの世界に[[rb:獣人がいる > ・・・・・]]の? しかも何でそれが当たり前のように警察に勤務して、おまけに「号」呼びで完璧わんこ扱いされてんの?? ひょっとして俺、犬派をこじらせすぎて普通のわんこがイケオジに見えてる??? マスクや特殊メイクにはとても見えないけど、まさか壮大なドッキリとかじゃないよね????

  「こちらが血統書です」

  手渡されたコピーを見ると、確かに『ライフ号 ♂』の文字と生年月日が。家系図を遡ってゆくと両親も祖父母も割と近親ギリギリの血族結婚を繰り返している……のはまぁ今はさて措くとして、面接官曰く、代々優秀な警察犬や麻薬探知犬・盲導犬等を輩出している名門中の名門らしい。「だから何ゆえわんこ扱い!?」と大声で叫びながらそのコピーを力任せに引き裂いてやりたい気持ちだったがぐっと我慢し、志望動機や履歴書に載っている事柄等に関する質問に素直に返答してゆく俺。

  職業は翻訳者。完全フリーランスではなく、業界では中堅どころの某出版社の契約社員として仕事を斡旋してもらっている。主に割り振られてくるのは企業製品のマニュアルの英訳と独訳。その関係上、未発表の製品情報について知り得る機会も存在するので、それをうっかり漏洩したり我知らず悪用したりすることがないよう細心の注意を払っている……。

  ――そのうちこちら側の質問タイムも設けられたので、よほど「そもそもどうしてこの世界に獣人が~」と真正面から問いただしてやろうかと思ったのだが、

  「ライフ号……さんの、お名前の由来は? 霜月生まれだから、ではないようですが」

  「生まれつき、うなじから背中にかけて毛皮に白いものが混じっておりまして。ちょうど霜が降りたように見えるからと、名付け親が」

  「ご趣味は……」

  「筋トレと読書と……後は、オペラを聴くことでしょうか」

  なんてお見合いじみたやり取りだけで、結局終了してしまった。3人が声を潜めて話し合っている様子を(こりゃ落ちたな)と眺めていた俺だったが、やがて面接官がこちらに向き直って居住まいを正すと、

  「それでは早速、本日付でトライアルを開始していただきます」

  「は????」

  「審査の流れに関しては公式HPのみならず、1次審査の合格通知に於いても改めてご案内申し上げていた筈ですが……?」

  「それは……はい、もちろん把握しております。私なりに色々と準備も整えてまいりました。ですが、まさか獣人――もとい、こんなにお身体が大きな方だったとは」

  「ではご辞退を?」

  「い、いいえ」

  「良かったな、ライフ号。さぁ荷物を」

  「畏まりました!」

  ハンドラーさんたちにビシリと敬礼して部屋を出て行ったかと思うと、ガラガラと大型のスーツケースを引いて戻ってくるライフ号。「ではライフ号、謹んで行ってまいります!」と2人に礼儀正しく挨拶し、俺に向き直って微笑を見せる。

  「蓬生さん……とお呼びしても問題ないでしょうか? この会場までは徒歩でお越しになったそうですが」

  「あ……はい。歩きだと若干遠いんですけど、もし2次審査に合格したなら、お互い慣れるためにのんびり散歩しながら帰るつもりで……」

  実は大型犬用の首輪やリード、更には『ライフ号』の名前が入った迷子札もちゃんと用意して鞄の中に入れてきたのだが、獣人の登場に動揺しすぎて自己PRに利用するどころではなかった。相手は結構な大荷物だからタクシーを呼ぶべきかと思ったが、ライフ号は嬉しそうに、

  「ならば、そう致しましょう。どうぞお気遣いなく、体力には自信がございますので!」

  俺の鞄を預かり、自分のスーツケースに乗せて一緒に運びはじめる。こうして立ち上がった姿を間近で見ると相手の身長は優に2メートルを超えていて、制服の二の腕も太腿も逞しい筋肉でパンパンに張り詰めている。中肉中背の俺と並ぶと、まるで大人と子供みたいな身長差&体格差だ。

  「えっと……ここで着替えてかなくて大丈夫? 勲章はもちろんだけど制服だって、汚したり失くしたりしたら大事だろうし……」

  「これは失礼いたしました、つい気が逸ってしまい……。『行ってまいります』を言ったばかりですぐ引き返すのは何だか気恥ずかしくもありますが、期間中はこちらで預かっておいていただくことに致しましょう」

  そう言ってはにかむと、更衣室に向かうライフ号。トライアルはとっくに始まっているわけだから、ひょっとするとこう言った配慮をするか否かもその一環だったのかも知れない。

  ――けれども如何にも堅物っぽいライフ号が、俺と同じく不安と期待が相半ばする気持ちで、そして俺以上にこの日を心待ちにしていてくれたのだとすれば……。

  (1週間、かぁ……)

  [newpage]

  [chapter:3]

  グレーのダメージデニムにでかでかとアルファベットがプリントされたフード付きのパーカー……と言う存外ラフな出で立ちで、ライフ号は戻ってきた。足もピカピカの革靴からスニーカーに履き替えている。道すがら尋ねてみると、ハンドラーさんたちが見繕ってくれた物を素直に着用しているらしい。

  「今少しフォーマルな服装の方がお好みとあらば、直ちに――」

  「ううん、よく似合ってるよ。

  ――そのフード、耳を出せる設計になってるんだね」

  俺が指摘すると、ライフ号はスーツケースを引き引き、空いている方の手でフードを広げて構造がもっとよく分かるようにしてくれた。けれども俺はどちらかと言うと、こんな風に獣人用の衣類がこの世界に存在している事実の方に驚いていたのだった。デニムにもちゃんと尻尾を出す用の穴が開いているし、スニーカーだって最初から犬獣人の足に合わせて設計されているようだ。1週間分の着替えは詰めてきたらしいが、万が一下着等を買い足す必要に駆られた場合、果たして自宅近辺にその種の衣類を取り扱っている店があるのかどうか考え込んでしまう。

  「帰り道、スーパーに寄っていい? ペットフード、もとい食料は実際ハンドラーさんたちに――じゃなくて本人に好みを訊いた上で選ぼうと思ってたからさ。まだ何も用意してないんだ。オヤツとかも」

  「オヤツ!?!?!?」

  魔法の呪文を聞き付けたわんこそっくりに両耳をピンと立て、こちらを見下ろすと目を輝かせるライフ号。けれどもすぐ威厳を取り繕う風に真面目腐った顔をすると、自然と左右に揺れはじめていた尻尾を片手で押さえ、

  「畏まりました、お供つかまつります。私は外でお荷物の番をしつつ、いい仔にして待っておりますので――」

  「そこはできれば、一緒に来てほしいかな。俺独りだと、何買えばいいか分かんないし……」

  そうこうするうちに警察署の敷地から離れて、大通りに入る。土曜日の昼下がりと言うことで結構幅広い年齢層の人々が行き交っていたけれど、その中の誰1人として、身の丈2メートルを超えるマッチョなシェパード獣人に対して多少物珍しげな視線を向けこそすれ、取り立てて驚きもしない。絶対大騒ぎになる筈だと身構えていた俺は拍子抜けを通り越して、徐々に恐怖を感じはじめる。

  ――えっ何で? 20代後半にもなってこの世界に獣人が実在することを知らなかった俺の方がおかしいの?? まさか会場に行く途中でトラックに撥ねられて、パラレルワールドに意識だけ転移した??? それともやっぱ俺に幻覚が見えてるだけ????

  とにもかくにもスーパーに到着すると、ライフ号は迷わず肉の売り場を目指した。牛の骨付き肉や鶏のササミが主食だったそうだが、なるほど、多額の補助金が出るのも納得の量だ。ひとまず今夜と明朝の分だけ買い、明日デパ地下にある量り売りコーナーにでも行ってまとめて仕入れることに2人で相談して決める。

  「申し訳ございません、蓬生さん。私はその辺りずっと人任せだったもので、気が回らず……」

  「いいって。わんこの好みによっては、いっそジビエ肉でもネット注文しようかと思ってたくらいだし。

  ――それと、さ」

  見るからに悄然として耳を伏せてしまった相手の顔を見上げると、

  「やっぱ『さん』付けじゃなくて、呼び捨てにしてくれない? 上の名前でも、下の名前でもいいからさ」

  「ですが、私の新たな飼い主になってくださるかも知れない方に対してそのような。本来ならば『殿』や『様』付けでも足りないくらいで……」

  「俺はそんな、群れのリーダー! わんわん王国の支配者! みたいな柄じゃないし。わんこに絶対的忠誠を誓わせるつもりなんて更々ないよ。

  ――そりゃもちろん忠実でいてくれるのは嬉しいけど、欲しいのは従者じゃなくて家族の一員って言うか。俺と一つ屋根の下にいることで、安心して日々を送ってくれるのが一番って言うか?」

  「……」

  と言うか、そもそもわんこじゃないし……と心の中だけで続ける俺。シェパード獣人は虚を突かれたような顔をしたかと思うと、そのまま黙りこくってしまう。本人の気性はもちろん、長年にわたる『警察犬』としての経験からいまいち理解しかねている――のではなく、何か思うところがあるようだ。俺の主張で気分を害したわけではなく、それがきっかけで、過去の想い出が不意に甦ってきたみたいな……。

  「俺の方は、今後は『さん』は外して『号』も抜いて、ただ『ライフ』って呼ばせてもらおうと思ってるんだけど。嫌じゃない?」

  「それはもちろん、お好きに呼んでくださって構いません。何なら全く別の名前でも――」

  さすがにそれは名付け親に悪いし、本人も混乱させてしまいそうだったのでボツに。対するライフは悩んだ末、ひとまず俺のことは「くん」付けで呼ぶことにしたらしい。まぁこう言うのは本来無理強いする類いのものでもないので、今はそれでよしとする。

  ついでにオヤツのプロセスチーズや抜け毛を掃除する用の粘着ローラー等も買って帰宅した頃には、早くも夕方になってしまっていた。ライフは朝夕の二食が基本だったそうだが、何もそんなところまでわんこ扱いしなくても。大半はライフが代わりに持ってくれたが、それでも結構なボリュームになってしまったレジ袋を一旦下ろして、鍵を探る俺。ちょうどそこにこのアパートの管理人が姿を見せた。ペットの室内飼い自体はOKだと先日契約内容を再確認したばかりだし、その時に退役警察犬とのマッチング云々の話もしたけれど、さすがに先方も獣人は想定していなかっただろう。

  ――ハラハラしながら黙って頭を下げ、更に半分ヤケクソになってライフのことを紹介すると、老齢の管理人は何か普通に相手とおしゃべりしていた。「単身者用ですので、あなたには些か窮屈かも知れませんが……」って、言及すべきはソコじゃないだろ! と内心激しくツッコミつつも扉を開けると、ライフを招き入れる俺。大型のスーツケースを置くと、靴脱ぎがほぼ占領されてしまった。

  「それでは、お邪魔いたします」

  脱いだスニーカーをきっちり揃えて置き直すと、ライフは部屋に上がった。何の変哲もないワンルームだが、種族柄かそれとも職業柄か鼻先を上げ、フンフンと辺りを嗅いでいる。事前に徹底的に掃除しておいたし、ここ最近忙しくてそう言うコトをする気分にもならなかったから別に変なにおいは残っていない……筈だ。

  「見ての通りキッチンはこっち、トイレはあっちね」

  「着替え等は、どこに置かせていただけばよろしいでしょうか」

  「ああ、クローゼットならそっちだから、空いてるスペースに適当に」

  「畏まりました」

  床を傷付けないよう配慮してくれたのか、大型のスーツケースを軽々と片手で持ち上げるとそこまで移動し、手際よく荷ほどきを始めるライフ。改めて思うけど、何か並大抵の人間より物腰が紳士的じゃない?

  ――まぁ人間なんて野蛮な生き物とわんこ(?)を比べること自体先方に失礼かと考え直し、俺は明朝の分の肉を冷蔵庫に詰め込む。本気で共同生活を送るなら業務用冷蔵庫が必要……否、引っ越しを考えるべきかも知れない。相手が本物のわんこならまだしも、こんなプライバシーもへったくれもないワンルームじゃ俺だって居心地悪く感じる時もあるだろうし。

  「おっと、俺も着替えなきゃ」

  獣人の登場に驚くあまり、これが自分の一張羅である事実を今まで完全に失念していた。ライフが場所を譲ってくれたので、ジャケットを脱いでハンガーに吊るすと軽くブラシをかけはじめる。幸い汚れや皺は目立たないとは言え、最終面接にも着て行くつもりだから明日クリーニング屋に持って行こう。

  ――ふと手元に熱っぽい視線を感じ、ライフの方を振り返る俺。相手は慌てて目を逸らしたけれど、それは「敵意がないこと」を示すわんこなりのジェスチャーと言うよりも……。

  「自分もブラッシング、してほしいの?」

  「あっ、いいえ! バスルームさえお貸し願えれば自分でできます。そんなことで蓬生さ――くんのお手を煩わせたり、お部屋を散らかしたりするわけには参りませんし……」

  「お気に入りのブラシでも持参してるなら、後で喜んでやるけど。と言うか是非やらせて」

  「……」

  またぞろ左右に揺れはじめた尻尾を片手で押さえると、巨体をモジモジさせはじめるライフ。顔が真っ黒だから分かりにくいが、待ち遠しいだけじゃなくて何だか照れているようだ。

  ――続いてスラックスを脱ぎ、ネクタイもほどいてそれぞれ同じくブラシをかけはじめる俺。その間、ライフはこちらに背を向けてしゃがみ込み荷ほどきを再開していたが、両耳だけは背後の気配を探るようにアンテナよろしく左右別々に動いている。

  (やっぱ、内心まだ緊張……と言うか俺のことを警戒してるんだろうな。職業柄かも知れないけど……)

  初対面のわんこともすぐに打ち解けられると言う自負がガラガラと崩れ去ると同時に、微妙に傷付いてしまう俺。いや、わんこじゃないけどさ。俺が犬派だからついつい先方の言動をリアルわんこと結び付けちゃうだけで、れっきとした“人”の筈なんだけどさ。

  時季は初冬。如何に室内とは言え下半身パンツと靴下だけだとさすがに冷えてきたので、俺はブラッシングを早々に切り上げるとカッターシャツも脱いで、部屋着のスウェット上下に着替えた。更に肩にフリースを羽織る。

  ――対するライフは毛皮のおかげか特に寒がっている様子はなかったものの、

  「暖房、入れなくて大丈夫?」

  「大丈夫です、ありがとうございます」

  「なら何か、温かい飲み物でも淹れよっか。コーヒーと紅茶どっちがいい?」

  しかし俺に遠慮しているのかそれとも種族的な理由なのか、ライフはただの水道水、それも冷たい物を所望した。俺は座布団に正座すると、彼の体格には小さすぎるテーブルの前にお行儀よくお座りしているライフに軽く頭を下げ、

  「それじゃ、改めてこれから1週間……よろしくお願いします」

  「こちらこそ、どうかよろしくお願い申し上げます」

  挨拶を済ませると、冷水入りのグラスと玄米茶入りのマグカップで乾杯する俺たち。大きな両手でグラスを持ち、舌の先を使ってちびちび飲んでいる相手に、

  「お肉っていつもどんな風にして食べるの? レアステーキなんかじゃなくて、文字通り血の滴る生肉を何も付けずに……的な?」

  「はい、大抵は。火を通した物も嫌いではないのですが、何ぶん猫舌で、香辛料の類いも苦手なものでして……」

  「そっか。しゃぶしゃぶ辺りなら俺もご相伴できるかなーと思ったんだけど」

  「申し訳ございません。支度は自分で致しますので、蓬生くんはどうかご自分のお好きな物を――」

  「いや、まぁ家事の分担自体には賛成だけどそれくらいやるよ。今晩下処理のやり方とか切り方とか、実演しながら教えてほしいな」

  グラスを置き、しょんぼりと耳を垂らしてしまうライフに微笑みかける俺。犬派としてはつい手を伸ばして頭をわしゃわしゃ撫でたり顎周りをマッサージしたりしたくなってしまうが、さすがにアラフォーの立派な男性に対してそれは失礼と言うものだろう。

  生肉を扱うわけだからまな板や包丁も専用の物を別途用意した方がいいだろうか。今晩は差し当たりラップでも敷いた上で……云々と考えながら玄米茶を飲み終わると、シンクの前に立つ俺。茶渋がこびり付く前にと思ってマグカップを始めたがふと気が付いて、

  「そう言やこの洗剤とか、トイレの消臭剤とか平気? 俺自身あんまり得意じゃなくてなるべくマイルドな奴を選んでるつもりなんだけど、それでも犬獣人の鼻にはキツすぎたりしない?」

  「いいえ、問題ございません。何から何までご配慮いただき……」

  ひたすら恐縮するライフの正面に戻ると、俺はお行儀悪くスウェットで手の水滴を拭き拭き、

  「初日から注文だらけで悪いんだけど……そんな畏まって、ですます調になんかならなくていいよ。多分俺の方が一回り以上年下なわけだし」

  「ですが――」

  「ほら、また」

  何だか戸惑っているような表情で、両膝を握りしめてモジモジとするライフ。まだほとんど減っていないグラスの中身を――その水面に映る彼自身の顔をじっと見つめながら頭を散々悩ませている様子だったけど、

  「……だが、私の新たな飼い主になってくれるかも知れない相手に対して――」

  「そうそう、そう言う感じで」

  本当はその「飼い主」って部分に関しても注文をつけたいところだったけど、今の段階でそこまで要求するのは酷と言うものだろう。直轄警察犬の候補生として正式に訓練を始めた頃から、否ひょっとするとその前からずっと、人間のことをそんな風に敬うよう厳しく躾けられてきたんだろうし。

  (まさかそう言う用途のために生み出された人工生命体? いやいや、そんな……)

  これがもし本当のわんこなら夕食後、夜の散歩にでも連れ出そうと考えていたのだが。今は俺の代わりに率先して洗い物をしてくれているし、ですます調をやめるだけで結構なストレスになっているみたいだし……何より俺自身獣人の存在に頭がまだ混乱していたので、今夜は早めに湯を使って就寝することに決めた。

  ライフの体格にはバスタブが窮屈すぎるかと思って心配したが、本人曰く、風呂に全身浸かるのは何となく苦手らしい。どちらかと言うと水道代の節約のためだけど、俺も大抵さっとシャワー浴びるだけで済ませるからそれはむしろありがたい。

  「ブラッシングはシャワー浴びる前の方がいい? それとも浴びた後、ドライヤーで乾かしながら梳く感じの方が気持ちいいのかな」

  「蓬生くんの、都合の好いタイミングで……」

  「どっちにしてもその後俺もシャワー浴びるから、抜け毛の心配はご無用。

  ――じゃ、今夜は浴びる前にしてみよっか」

  お気に入りのブラシを荷物から取り出すと、神妙な面持ちで両手に乗せて差し出してくるライフ。俺がそれを受け取ると、フード付きのパーカーを脱いだ。その下に着込んでいた同じく派手な柄のTシャツを静電気をパチパチ言わせながら脱ぐと、上半身裸になる。

  ――着やせするタイプ……と言うよりも単純に服に押さえ付けられていた毛並みが一挙にブワッと広がったせいで、ただでさえ肩幅が広くて筋骨逞しい巨体が更に一回り大きく膨らんだように見える。きっと毛皮の下にはボディビルダーと見紛うような、体脂肪率が一桁しかなさそうな肉体が隠れているのだろう。

  「その……他の箇所は、自分でできるから。今回はひとまず、背中だけで……」

  「了解」

  何の躊躇いもなく下まで脱ぎ出したらどうしようと内心ハラハラしていた俺は、むしろ安心して頷き返した。風呂用の椅子に腰かけた相手の背後に回ると、確かにうなじから肩甲骨の間にかけて、黒地に霜が降りたような白い毛が混じっている。

  ――俺が腕まくりをし、太い首にそっとブラシをあてがうとライフはブルリと身震いをした。

  「力が強すぎたり、逆に弱すぎたりしたら言ってね」

  ど真ん中にライフの巨体が居座っているおかげで余計に狭苦しく感じるバスルーム内に、ブラシが相手の毛皮をくしけずる音と、お互いの息遣いだけが微かに響く。ライフは黙って俺に万事任せてくれていたが、そのふさふさとした尻尾は心持ち反り、鏡に映る口元は真一文字に引き結ばれていた。耳が盛んに左右別々に動いているから、やはりまだ緊張しているのだろう。

  そんな相手に何とかしてリラックスしてもらおうと、ブラシを上から下へと繰り返し、徐々に範囲を広げながらゆっくりと動かす俺。次第に緊張もほぐれてきたのか、広く逞しい背中から力が抜け、耳や尻尾も垂れてきたのが分かる。鏡に映る表情もやがて恍惚と目を細めたものへと変化し、呼吸も段々と深みを増して今にも眠りに落ちてしまいそうだったが――不意に我に返ったのか、ライフはパチリと目を開けると「ありがとう。もう十分だ」と俺を振り返って言ってきた。個人的にはまだ物足りなかったけど、ちょうどブラシにも抜け毛が詰まってきた頃合いだったので掃除してから相手に返す。

  「一通り終わるまで、待っていてくれるだろうか。その後は君が先にシャワーを使ってくれていい」

  「了解。その間に、早速ハンドラーさんたちに経過報告をしておくね」

  別に義務付けられてはいないけど、事前に連絡先を交換した以上こうしてトライアル中にマメに報告してくるかどうかも審査基準の1つかも知れない。何より彼らがライフのことを本当に(但しあくまでわんことして)大切に想っているのなら、初対面の人間と上手くやれているかどうか心配で仕方ないだろう。

  相手の様子や本日の出来事をなるべく簡潔に、けれども俺自身の感想も交えつつ記述すると、誤字脱字がないか念入りに再確認する。その間、脱衣所(と呼べるほど広くはないけど要はバスルームの前の空間)から聞こえてくる衣擦れの音にはもちろん耳を傾けていたけど、ようやくメッセージを送信し終えてふとスマホの画面から目を上げた俺は、思わずそちらを凝視してしまった。

  ――そこでは、こちらに背を向けたライフがちょうど中腰になって、スポーティーなロングボクサー(※尻尾穴付き)を太腿の半ばまでズリ下ろし……嵩張った代物をボロンとまろび出させたところだったのだ。

  (……)

  スラックスやデニムの膨らみ加減から察してはいたけれど、これはまた随分とご立派なモノをお持ちで。元が2メートルを優に超える長身だし、こんなに筋肉バッキバキなんだから体格相応って奴なんだろうけど、ちょっと男としての自信を喪失してしまうレベルのナニだ。構造的にはやっぱりわんこに近いのか、今は細かな薄茶色の毛が生えた鞘にすっぽり納まっているみたいだけど、それでも俺のフル勃起時より遥かにデカい。タマの方も同じく薄茶色の毛に覆われて、引き締まった臀部の陰に見え隠れ……どころかそれ自体の重みでふてぶてしく垂れ下がっており、まるで巾着袋でもブラ提げているようだ。

  そんな俺の無遠慮な視線を感じ取ったのか、ライフは横目でこちらを見つめ返すと巨体を縮め、尻尾を股の間に丸めてソコを隠しながらそそくさとバスルーム内に戻っていった。静かに引き戸を閉めると、中からブラシの音が響きはじめる。

  あんなにデカい図体しといて小学生みたいで可愛い――もとい、男同士なんだからそんな気にする必要もないのに。それとも案外獣人の方が人前で裸になるのを恥ずかしがったりするんだろうか……云々と益体もないことを考えながら、俺はついでに夕食時の画像等も先方に送信する。待たせている俺のためにブラッシングを早々に切り上げたのか、今度はシャワーの音が聞こえてきた。

  「温度、42℃設定だけど大丈夫?」

  「あっ……ああ! 問題ない」

  俺が声を少し大きくして呼びかけると、引き戸の向こう側から少し籠もった声が返ってくる。やっぱり心配していたのか先方からはすぐに返信が届いたので、それに更に返信しているうちにライフはバスルームから出て来た。腰にはしっかりタオルを巻き付けてある。中である程度拭いてきたようだが、何せ元の毛量が多いせいでまだ全体的に湿っているのが分かった。

  ――俺はスマホを充電器に繋ぐと、

  「乾かすの手伝うよ」

  「いっ……いや。自分でやれるから、どうか君もシャワーを――」

  「生憎、ドライヤーその1台しかなくって。どうせ途中で借りたりまた返したりする破目になるなら協力した方が……ね?」

  なるべく新しいバスタオルを戸棚から出してくると、相手に頭からばさりとかぶせる俺。脳天からゴシゴシ拭きながらドライヤーをかけていると、ライフはその音にほとんど掻き消されてしまいそうな小さな声で、

  「……こんなに、至れり尽くせりでいいのだろうか」

  「白状すると、初日から張り切ってポイント稼ごうとしてる部分は確かにあるけど――小さい頃からの夢だったんだよね。クソデカわんこをブラッシングしたり、身体を洗った後に乾かしたり……夜は、同じ布団で寝たりするの」

  まさかそれが獣人相手に実現するとは思いも寄らなかったけど……と心の中で続けながら動かしていた俺の両手が、ふと停まった。ブラッシング時には気付かなかったが、毛が濡れたことで覗いたライフの地肌にはところどころ、[[rb:古傷 > ・・]]が存在したのだ。(まさか躾や訓練と称した虐待の痕……!?)と頭が真っ白になる俺だったけど、制服の胸に飾られていた無数の勲章を思い出し、

  「警察犬として、どんな任務に従事してたの?」

  「……? 遺留品や行方不明者を捜索したり、被疑者を追跡したり……」

  「時には、自ら犯人を取り押さえたり――誰かを身を挺して庇ったり?」

  「……。ああ」

  なぜ俺が突然そんな話題を振ってきたのか怪訝そうにしていたライフだったけど、すぐにその理由に思い至ったようだった。こちらを振り返るとバスタオルの陰から微笑んで、

  「名誉の負傷だ。毎回迅速かつ適切な治療を施してもらえたおかげで、後遺症の類いはない。それが原因で早期退役を余儀なくされたわけではないから安心してくれ」

  「でもそう言うのって、年を取ってから突然出て来ることもあるって……」

  「必要とあらば直近の健康診断書を取り寄せるが……。その種のリスクを抱えている犬を引き取るのは、やはり不安……だろうか?」

  「そんなんじゃないよ」

  大体わんこじゃないし。たとえ本当のわんこでも、何らかの病気を患っていたからって“返品”だの“交換”だのを要求する輩は最初から生き物を飼う資格なんてないと個人的には思うし。俺が言いたいのはそんなことじゃ……ないし。

  ――やがて俺が無言のまま背中側を乾かし終えると、後は自分でできるとライフは申し出てきた。遠慮や羞恥心からと言うより、初日でいきなり俺の気分を害してしまったのではと案じている様子だ。俺が服を脱ぎはじめると、ライフは紳士的にそれとなく背中を向け、

  「洗濯物は、別々にした方が……」

  「抜け毛やにおいの心配? そこまで徹底する必要ないと思うけど……とりあえず今夜は一緒でいいや。もう入れちゃったし」

  普段はどちらかと言うと烏の行水の俺だけど、今回はドライヤーの音が聞こえなくなるまで念入りに身体を洗っていた。それは相手に気を遣ってと言うよりもむしろ、俺自身の頭と心を整理する時間を稼ぐため。

  ――この世界に獣人が実在すること、それはいい。不可解なことは多々あるけど、厳然たる現実として受け容れた。完璧にわんこ扱いされているのはともかく、面接官やハンドラーさんの反応を見る限りとても大切にされてはいる……んだと思う。でもやっぱり、人間に都合よく[[rb:利用 > ・・]]されているだけの感じがして……。

  バスルームを出てパジャマ代わりのスウェット上下に着替えると、俺はベッドにもう1枚毛布を持って行った。当然ながらまさか獣人が来るとは思っていなかったので、枕は1つ。こちらはパジャマに着替えたライフは「私は床で……」と恐縮したが、狭いとは言え2人で横になれない広さではない。

  ――俺が先に入ってできるだけ壁際に寄り、空いているスペースをぽんぽん叩いて招くと、ライフはおっかなびっくり巨体を滑り込ませていた。その体重でスプリングがギッ……と軋る。ライフはなるべく俺の邪魔にならないよう手足を縮めてくれたが、それでもほとんど抱き合うような格好になってしまった。

  「ごめんね。俺のワガママに付き合わせちゃって」

  「私の方こそすまない。図体ばかり大きいせいで……」

  照明を消して掛け布団を口元まで引き寄せると、ライフの体臭が鼻腔をくすぐってくる。犬派の俺にとってはむしろ懐かしいような、心休まるにおいだ。徐々に暗闇に目が慣れてくると、ライフが真正面は避けつつもこちらを向き、チラチラと俺の表情を窺ってきているのが分かる。単にまだ緊張しているからと言うだけではなく、どこか物問いたげなまなざしだ。

  「……本当は、嫌じゃなかった? いくら代々優秀な警察犬や麻薬探知犬や盲導犬を輩出してる家系だからって、現にその才能を受け継いで生まれてきたからって――精々『その中のどれか』くらいしか選択の余地を与えられなかったんでしょ。普通のわんこ、もとい獣人として家族と平和に暮らしたくなかった……?」

  「……そうだな。私も最初はただ、褒められて沢山撫でてもらえたりオヤツを貰えたりするのが嬉しくて訓練に励み、任務に臨んでいたように思う」

  ライフは往時を懐かしむように目を細めると、

  「だが、直轄警察犬に任命された翌年の夏。追い詰められて捨て鉢になった被疑者に、脇腹を切り付けられたんだ。と言っても大した負傷ではなかったんだが、それがきっかけで、何と表現すればいいのか――そう、“使命感”のようなものに目覚めた。誰かに感謝されたり勲章を授与されたりしたからじゃなく、他ならぬ私自身が、当時のハンドラーや同じく捜査に当たっていた警察官たちや、一般市民を護れたことを誇らしく感じたんだ」

  「……」

  「納得して……もらえただろうか」

  「うん。ごめんね、変なこと訊いて」

  「いいんだ」

  精悍な顔立ちに微笑を浮かべ、俺に優しいまなざしを注いでくるライフ。俺が片手を伸ばして相手のうなじから背中にかけてをそろそろと指で梳きはじめると、心地良さげに耳を寝かせた。掛け布団の中で尻尾がパタパタ音を立てている。

  「……おやすみ、ライフ」

  「ああ。おやすみ、蓬生くん」

  [newpage]

  [chapter:4]

  毛布とは明らかに異なる質感の長い毛が目元や鼻先や頬をくすぐってくる感触に、俺はむにゃむにゃ言いながら目を覚ました。普段はベッドに潜ってもあれこれと埒もない考えに耽ってしまうせいで寝付きの悪い方なのだが、これだけ心身ともに満足度の高い睡眠は幼少期以来かも知れない。「充電」と言う表現を最初に用いた人物は天才だと思う。

  やっぱわんこに添い寝してもらうのは最高……とまだ寝ぼけ眼のまま頬擦りし、毛皮に顔をうずめて深呼吸すると、その奥で逞しい筋肉がガッチガチに緊張するのを感じた。我に返ってまぶたを開けると、いつの間にかライフの懐に潜り込んで密着するような体勢になってしまっている。しかも寝ている間に俺が頬擦りしまくっていたせいか相手のパジャマの前がはだけて、分厚い胸板や見事に割れた腹筋が露わに――

  「えっ? あっ、ごっ、ごめん! つい――」

  「い……いや。おはよう、蓬生くん……」

  ガバリとその場に起き上がって謝罪する俺に対し、ライフもまた上体を起こしながらパジャマの前を掻き合わせ、掛け布団を臍の辺りまで引き寄せる。どうやら彼の側はずっと前に目を覚ましていたものの、俺に抱き付かれているせいで起きるに起きられなかったらしい。

  毎度毎度「いやわんこじゃないけど」と内心セルフツッコミを入れていた癖に、いくら暖かくてフワフワして気持ちいいからって相手のことを抱き枕同然にしてしまっていた自らの不明を恥じる俺。寝汗に加えて冷や汗が全身にドッと溢れ出て来る。折角だから一足先に目を覚まして無防備な寝顔を拝見し、自分用&ハンドラーさんに送る用に画像を保存しときたかった――じゃなくて、いくら男同士でもさすがにこれはあらぬ誤解を招きかねない。ほら、あの冷静沈着って感じのライフが見るからにドギマギして、目を泳がせちゃってるし!

  如何にも俺は物心ついてから犬派一筋だけど、そう言う意味じゃ――と慌てて弁解しようとした俺の目が、ふと掛け布団の上に落ちた。まるで股間を隠すようにしてライフが引き寄せているその一部に、何やら不自然な隆起が見える。……ああ、なるほど。獣人だって朝勃ちするんだね。まだまだ働き盛りなわけだし、生理現象なんだからこればかりは仕方ない。

  「えっと……先にシャワー使いたいなら、どうぞ」

  「あ、ああ……」

  俺がまだ半分寝ぼけているフリをして背伸びや大あくびをしている隙に、ライフはコソコソとバスルームに向かった。パジャマのズボンが大きく盛り上がっているのが一瞬見えたけど、そりゃ溜まるものは溜まるだろうから、普段は一体どうやって“処理”しているのかちょっと気になってしまう。カノジョ――は、きっといないんだろうな。もしそんなお相手が存在するなら、そちらのお宅に引き取ってもらうのが筋ってものだし。

  デリケートな話題なので正直かなり迷ったものの、朝食の席で思い切って水を向けてみると、「実は以前見合いをしたことが……」と恥じらいつつも打ち明けてくれた。要は名家の御曹司みたいなものなんだから当然か。お相手も同じく血統書付きのご令嬢だったけれど、何ぶん初めての経験でライフはガッチガチに緊張。それが一因かは不明だが残念ながら(?)先方のお気には召さなかったようで再び会う約束はせず、見合い自体結局その1度きりになってしまったらしい。

  「ライフの側はどうだったの?」

  「えっ? ああ、いや……恥ずかしい話だが、お互いの相性を見極めるどころではなかったと言うのが正直な感想だ。すっかり自信を喪失してしまったが、よくあることだと当時のハンドラーは慰めてくれた。

  ――だがやはり、如何に父祖から受け継いだ血統を後世に遺すためとは言え、種付けだけして後は知らぬ存ぜぬ、と言うのは……」

  「あ、“見合い”ってそっちの意味ね……」

  やっぱ完璧わんこ扱いじゃないかどうなってんだこの国は!? とか、自信喪失って要するに緊張のしすぎや罪悪感のせいで勃たなくて、オスとしての自分の能力に対してって意味じゃ……とか色々と言いたいことはあったが、予想以上にデリケートな話題すぎて口ごもってしまう俺。

  ――ライフは生肉をつつきつつ、そんな俺の表情を窺うと、

  「……その時の経験も手伝って、今回のマッチングも実は不安で仕方なかったんだ。またお相手の不興を買うようなことを仕出かして、丁重にお断りされるのでは。その結果、もうどこにも行き場がなくなってしまうのではないか、と……」

  どうやらゆうべやさっきの出来事をまだ気に病んでいるらしい。「朝勃ちしてたってことはオスとしての能力に何の問題もない証拠じゃ?」と答えたかったけど、飼い主からの叱責を恐れているわんこそっくりのしょぼくれた表情を見るとまさかそんな無神経な発言もできず、

  「むしろ、俺の方が嫌われてないか心配なんだけど」

  「まさか! その、あんな風に誰かとぴったりくっ付いて眠るのは久しぶりで――とても、暖かかった……」

  フォークを片手に、巨体をモジモジとさせるライフ。「心が休まった」とは言わない辺り、ただでさえ緊張していた相手に余計に気を遣わせてしまったかと俺は反省する。多分一晩中頬擦りとかされて、安眠するどころじゃなかっただろうし。

  ――ライフは肉の塊をほとんど噛まずにゴクンと飲み込むと、

  「そっ……それで、本日の予定は? 出勤時間が迫っているなら、後片付けは私がやっておくから――」

  「あ、そう言やそんなに詳しく話してなかったっけ。フリーランスじゃなくて一応契約社員なのは言った通りだけど、基本、仕事は在宅でするんだよ。もちろん本社の方に出勤することもあるけど、今じゃ打ち合わせだって大抵オンラインで済ませちゃうんだ」

  だからこそこんな独身男でも書類審査が通ったのだろうと、トーストをもう一口齧る俺。あんまりのんびりしているものだから、遅刻しないか心配してくれていたと思しきライフは顔に納得の色を浮かべたが、

  「……だがその間、こんな大男が室内をウロウロしていたら気が散って仕方ないだろう。邪魔にならないよう、ジョギングにでも行っているから――」

  「いや、そんなガーッと集中してやるんじゃなくて休み休み進めるタイプだし。休憩がてら近くまで一緒に散歩に出かけたり、コンビニ行ったりしたいなーと思ってたんだけど……逆に、そっちの方が神経遣う?」

  「そんな! 飼い主と少しでも長く共に過ごせて、嬉しくないわけが、ない……」

  しゃちほこ張って姿勢を正すも、ひとりでに揺れはじめた尻尾を片手で押さえるライフ。やはりジャーマンシェパードだけあって、厳つい見た目に反して甘えん坊なのだろう。いやわんこじゃないし、「飼い主」扱いは正直やめてほしいけど。

  ――朝晩2食を試すため、1枚余分に焼いたトーストをコーヒーで流し込む俺。ライフは無理に合わせてくれなくていいと恐縮したが、昼食のためだけに作業を中断せざるを得ないことを前々から不便に感じていたのだ。

  「できれば午前中に済ませときたい案件が1本あるから……それに目途が付き次第、買い物行かない? もう1個の枕とか、もうちょっと大きな掛け布団とか」

  「私は別に、今のままでも……」

  「手狭なのはしょうがないけど、ライフが少しでも快適に過ごせるようにしなくちゃね。

  ――大丈夫、これでも割と貯金あるから」

  趣味らしい趣味がなく、酒も煙草もやらなければギャンブル癖もない。ついでに言えば恋人もいないから単純に使い道がないのだ……と考えたところで自分が如何につまらない人間か再認識したが、そのおかげでこうしてトライアルまで漕ぎ着けられたかも知れないので良しとする。

  ――PCを立ち上げてメールチェックをした後、俺はいつも通りサブスクで音楽を聴きながら作業を進めようとして、

  「そう言や、オペラ聴くのが趣味なんだっけ? 何かオススメある?」

  「あ……ああ」

  ライフが差し出してきたスマホをスピーカーにセットし、リストの先頭にあった曲を再生する。クラシックに疎い俺には生憎聞き覚えのない曲だったけど、グリーグの『ペール・ギュント』、その中でも最も有名な『ソルヴェイグの歌』だと教えてくれた。

  「物語の筋書や、歌詞の意味は分からない。だがなぜか、聴くと心が落ち着くんだ」

  生憎ノルウェー語は専門外だ。今どきネットで検索すればすぐ日本語への対訳が見つかるだろうとは思ったけど、まずは予備知識なしで聴くことにする。既に8割がた仕上がっている原稿を開くと、

  「多分無自覚にブツブツ言いながら仕事してると思うけど……気に障ったらごめんね」

  そこら辺にある本や雑誌は好きに読んでくれていいから、と言い添えて作業を始める俺。仕事の関係で辞書や辞典が多い一方、小説の類いは少なめだ。生憎新聞は取っていないしテレビも置いていないが、ライフが見たいなら検討の余地アリかも知れない。

  背中や手元にライフの視線を感じたが、思っていたほど気にならなかった。むしろ辛抱強く待ってくれている相手のために少しでも早く片付けないと……と自然に仕事に身が入る。

  ――逆にライフの側が気を遣ってくれたのか、そろそろと席を立って棚から適当に本を選び出し、また元の場所に戻って静かにページをめくりはじめる音と気配が伝わってきた。それでもやはりこちらのことが気になるのか、時折紙面から目を上げては様子を窺ってくるのが分かる。

  (うーん……。やっぱ完全に退役させるんじゃなくて、[[rb:嘱託 > ・・]]って形で警察犬のお仕事続けてもらった方がライフのためにもいい気がする。本人はやり甲斐感じてるみたいだし、体力だって持て余してそうだし。教官として再就職するのはナシなのかな? それとも“第2の人生”を送るなら、全く畑違いの勤め口の方がいいのかな……)

  そんな風に悩みつつも、普段なら途中で小休憩がてらストレッチしたり飲み物でも淹れに行ったりする筈が、俺は一息に翻訳作業を終えた。もう一度だけ見直してから、完成した原稿を出版社のクラウドにアップする。俺はふーっと一息つくと、

  「お待たせ。んじゃ行こっか」

  「! 分かった」

  「散歩」と言う魔法の呪文を聞き付けたわんこよろしくピンと耳を立て、背筋を伸ばすライフ。読みさしの古語辞典を閉じ、テーブルの隅に置く。

  ――俺は上着を羽織ると、鍵や財布をポケットに突っ込みながら、

  「そうだ。もしライフが興味あるなら、今度本社を見学してみない? まぁみんなひたすらPCの画面とにらめっこしたり、あーだこーだ議論したりしてるだけだから大して面白くないとは思うけど」

  「あ……ああ。是非……」

  「それと、この辺りに住んでる同僚や友達っている? 不都合でなければお会いして、色々お話伺ってみたいなー、なんて」

  何せ俺にとっては生まれて初めて出会った獣人がライフだから、他にも存在するのなら是非会ってみたい。無事最終審査に合格してライフとの同居を許されたら、自然と彼らとも交際することになるわけだし……と考えたのだが、ライフは申し訳なさそうに、

  「……すまない。私はその、歴代のトレーナーやハンドラーたちとしかロクに口を利いたことがなくて……。非番の日も自主練に励んだり独りでオペラを聴いたりしてばかりいたから、友と呼べる相手は無論、そう気軽に会いに行けるような同僚もいないんだ」

  アラフォーにもなってそれはヤバくない? と一瞬思いはしたものの斯く言う俺だって交友関係の狭さで言えば似たり寄ったりだし、ライフの場合は特殊な環境で生まれ育ってそのまま就職したわけだから致し方ない部分もあるのだろう。そんな風に「パートナー以外に見向きもしない」のが優秀な警察犬の条件の1つだったかも知れないし。

  ――それを差し引いてもやっぱり扱いが酷すぎだろ、然るべきトコに訴え出てやる! と内心息巻きつつも俺はなるべく平静を装いながら、

  「そっか、了解。

  ――ごめんね、昨日からずっと、ああだこうだ干渉しっぱなしで。この1週間を悔いのないものにしようと思ってはしゃいでると言うか……焦っちゃってるみたい。気乗りしないなら、遠慮なくそう言ってくれていいんだよ」

  「私の方こそすまない。これまではどんな現場に出動しても冷静沈着だと評価されていたし、自分でもそう振舞うことが可能だと信じていたのだが……。その、やはりこの全く新しい環境や、会って間もない相手に対して尻込みしてしまっているようで……」

  耳をぺたんと垂らし、ヒゲと尻尾をしおれさせるライフ。俺はそんな大男を見上げ、元気付けるように微笑むと、

  「……買い物は、また今度にする?」

  「いや……行きたい。君と、一緒に……」

  本当はもっとあちこち案内して回りたかったけどまだ預かり中の案件が何本か残っているし、何よりライフに必要以上のストレスがかからないか心配だったので、予定通り肉と寝具を買っただけで帰宅した。再びPCに向かって休み休み作業を続ける俺に、ライフが気を利かせて紅茶を淹れてくれる。当のライフは猫舌だと自分で言っていた通り、フーフー冷ましながら飲んでいるのが可愛かった。それ以外にも洗濯物を取り入れて几帳面に畳んだり簡単に掃除をしたり……と甲斐甲斐しく、けれども決して俺の邪魔にはならないよう配慮しながら立ち働いてくれている。こんなハイスペ男子がお気に召さないとか、嘗ての見合い相手は目が節穴にも程があるぞ。

  ゆうべと同じくライフは生肉、俺自身はお1人様用の手抜き料理で食事を済ませ、お風呂の時間に。犬獣人はわんこと同じく、あまり連続して水を浴びると却って皮膚に悪いと言う話だったので、今夜は俺だけシャワーを使う。

  ――途中、シャンプーが残り少なくなっているのに気付いてすっぽんぽんのまま&ポタポタ水を滴らせながら詰め替え用の袋を取りに出て行くと、手持ち無沙汰そうに雑誌をめくっていたライフがクッションから文字通り飛び上がり、「きゅん!?」とかこれまで聞いたことがないような変な声を出した。

  「あ……ごめん、つい。自分ん家だからって無作法だったね」

  「いっ……いや! 声をかけてくれれば、俺が代わりに取りに行ったのに……」

  雑誌の陰で、思いっ切り首を反対方向にねじ向けている。種族こそ違うとは言え男同士なんだから、そんなに照れなくても……とゆうべに引き続いて苦笑しつつ、如何にもウブで堅物な感じは可愛いと思う。

  ――いや、本当に種族が違うのか? チューバッカと見紛うような多毛症の人だってこの世には実在するわけだし。先祖返りか何かで、見た目が極めて獣人に近くなった人間なんじゃ……?

  俺がタオルを腰に巻いた状態でドライヤーを使ったり、床に落ちた水滴を拭いたりしている間もライフは強いてこちらから目を背け、雑誌を読み耽っているフリをしていた。フリだと分かるのは目はともかくその耳が、こちらに向けてピコピコ蠢いていたからだ。

  新しいスウェットの上下に着替えると、洗濯槽を覗き込む俺。自分独りなら2~3日に1回くらいの頻度で十分だったが、トライアル中は毎日回すべきだろう。ライフが心配していた抜け毛やにおいに関しては特に問題なかったので、今夜もまとめて回すことにする。

  ――たとえシャワーを浴びない日でも最低限下着は替えるだろうと思い、相手に声をかける俺。するとライフはなぜかあからさまに挙動不審になり、

  「えっ!? あの、その……」

  「恥ずかしいなら後ろ向いてるよ」

  「う、うむ……」

  PCの前に座り、就寝前に最後のメールチェックをする俺。通知はオンに設定しているが、たまに迷惑メールのフォルダに紛れ込んでいることがあるのだ。普段ならこう言う空き時間にはわんこ動画を見漁るところだが、ライフが傍にいる以上しばらくお世話になることはないだろう。いや、口を酸っぱくして言っている通り断じてわんこじゃないんだけどさ。

  やがてライフが無事(?)着替え終わったので、洗濯機の前に戻る俺。なぜかライフもその場で愚図愚図していたが、俺なりの水量やすすぎ時間・回数の目安を知っておくためだろうと判断し、彼の前で実演してみせる。「これくらいの量なら水を1段階減らしても」云々とボタンを操作するうち、俺はボールジェル型の洗剤を先に入れておくのを忘れたことに気が付いた。専用の容器から1個取り出し、洗濯機の蓋を開けて中に腕を差し入れた途端――ライフが血相を変え、腕を掴んで制止してきた。

  「どうしたの急に? 痛いよ」

  「す……すまん! そんな奥にまで腕を突っ込んだら、その、危ないかと思って……」

  「洗濯物を入れる『前』に投入してくださいって注意書きがあるからさ。後に入れた場合と実際どれくらい効果に差があるのかは分かんないけど」

  ライフはすぐに手を離してくれたがさすがの握力、未だに痺れが残っている感じがする。(機械に指を挟むとでも思ったんだろうか。心配性だなぁ……)と苦笑しつつ洗濯物を掻き分けて底を探り、真ん中辺りにジェルボールを置く。その間もライフはハラハラした面持ちで俺を見守っていたが、いざ蓋を閉めようとしたところ、つい先程ライフが脱いだ=一番上に位置している筈のロングボクサーが見当たらなかった。さっき洗濯物を掻き分けた拍子に下の方に紛れ込んだのだろうと、俺は深く考えずにそのまま蓋を閉め、スタートボタンを押す。洗面所で手を洗っていると、鏡にライフのしょぼくれた顔が映り込んだ。

  「……本当にすまない。あんな、手荒な真似をして。君のことを傷付ける気は――」

  「いいよ、そんな気にしなくて。警察犬としての職業病みたいなものでしょ。

  ――それより、寝る前に一緒に洋画でも観ない? 世間で話題になってた作品がサブスクに追加されてさ」

  「あ……ああ。喜んで」

  「この近所の映画館じゃ、なぜか吹替版しか上映してなくて。やっぱ翻訳者の端くれとしては字幕版の方を観て、向こうならではの表現や、それを一体どんな風に字幕に落とし込んでるのかを少しでも勉強しときたいんだよね。

  ――警察物のサスペンスだから、ひょっとするとライフが観るとツッコミ所満載かも知れないけど」

  PCの画面を2人並んで覗き込んでいると、ライフが遠慮がちに身を寄せてきた。身長差がありすぎて、ライフはかなり首を縮めて背中を丸めている。いっそプロジェクターやスクリーンも買うべきだろうか。何ならオーディオ機器も揃えればライフもオペラを楽しめて一石二鳥……云々と勝手に将来設計をしていると、映画の本筋を追うよりそちらの方が楽しくなってしまった。ライフはライフで違う考え事をして気もそぞろだったみたいだったけど、割合楽しんでくれたようだ。

  新品の寝具を広げ、2人並んでベッドに入る。ふかふかの枕に横顔を沈めたライフが、片目でじっと俺を見つめてきた。

  「俺の日常生活、大体こんな感じなんだけど。ライフは絶対、暇を持て余しちゃうよね」

  「……そんなことはない。朝からずっと一緒にいられて、嬉し、かった……」

  「俺も何か、元気を貰える気がして楽しかったよ。

  ――でも、折角こうして“家族”が増えるかも知れないんだから。何か新しいことに挑戦してみたい気もする」

  「……例えば?」

  「うーん、我ながら運動不足なのは自覚してるから……。2人でジムに通ってみるとか。何ならわんこと一緒に参加できる系のヨガとか。

  ――いやまぁ、わんこじゃないけどさ」

  「……」

  「ごめん、やっぱりちょっとはしゃぎすぎ?」

  「……そうじゃない。これまでも色んな方々に親切にしてもらったが、こんな気持ちは初めてだから――言葉が、上手く……」

  「無理しなくていいんだよ」

  相手のがっしりとした毛深い片手に、そっと自分の手を重ねる俺。ライフはビクッとして腕を引っ込めようとしたけれど、すぐに為されるがままになった。人間よりも高い体温が俺の手に伝わって、全身にまで広がってくる。親指を相手の手のひらに潜り込ませて肉球をそっとなぞると、ライフは筋骨逞しい巨体を震わせた。

  「ごめん、くすぐったかった?」

  「い……いや。もっと、してほしい……」

  ライフの鼻息が新品の枕に熱く噴き付け、そのカバーを凹ませたりまた膨らませたりしている様子がぼんやりと暗闇の中に見える。その日は、俺たちは手を繋いだまま眠った。少なくとも俺の側は――夢も見ないで、ぐっすり眠った。

  [newpage]

  [chapter:5]

  約束通り出版社に連れて行ったり、俺の学生時代からの友人とお茶したり、一緒に近場のジムを見学したり。あまり予定を盛り沢山にしすぎないよう留意しつつ、俺はそれから3日間、仕事の合間を縫ってライフをあちらこちらへ連れ歩いた。例によって誰1人として獣人の存在自体に驚く相手はいなかったけど、その頃にはもう俺自身感覚が麻痺してしまっていた。

  ライフはどこに出しても恥ずかしくない立派な紳士だったけど、そんな相手がまるで要人の警護でもしているみたいに俺にぴったり、凛々しく付き従ってくれるのは何だかこそばゆい。現に5日目の昼なんて外出先で闇バイト中の若者を発見し、見事犯行を未然に阻止すると言うお手柄まで立てていた。

  ――その一方、自宅で2人きりになった途端挙動不審になるのはやはり未だに緊張して、俺の不興を買わないように……と神経質になってしまっているからだろうか? 斯く言う俺は、今はあくまでトライアル中に過ぎないと言う事実をともすれば忘れ、ライフとの2人暮らしがこれからも当たり前のように続いてゆくものと思ってしまいがちだけど……。肝心のライフの側はその実もうウンザリしていて、さっさと最終日を迎えておさらばしたく思っていたり、しないかな……。

  「……可愛い」

  そして6日目の朝。今日こそ相手より早起きして寝顔を撮影してやる! と意気込んでいた俺は、まだ薄暗いうちにぱっちりと目を開いた。音や気配に敏感なライフを起こさないよう、そろそろと手を伸ばしてスマホを探る。ライフは自分の枕に横顔をうずめて、規則正しい寝息を立てていた。精悍な顔立ちなのは変わらないけど、こうして目を閉じて舌先を仕舞い忘れている姿は犬派の俺にはこよなく愛おしい。こちらのことを信頼して、安心し切ってくれているのかと考えると尚更だ。

  ――無事撮影には成功したものの、フラッシュとシャッター音に反応したのか、ライフが僅かに身じろぎした。折角心地よく眠っていたところを妨害してしまい、俺の心にはたちまち罪悪感が湧き上がったものの、

  「……パパ。ママ……?」

  ライフの口から漏れ聞こえたのは、意外な単語。夢の中で呟いた寝言かと思いきや、ライフは枕から頭を上げ、どこか頼りなげな表情で寝ぼけ眼を開く。

  ――やがて完全に意識が覚醒すると同時に俺とばっちり目が合うと、ライフは如何にもバツが悪そうな顔をした。慌ててそれを取り繕うように微笑を作り、

  「お……おはよう、蓬生くん」

  「おはよう。ごめん、起こしちゃって。無断で寝顔撮っちゃった。嫌ならすぐ消すから」

  そう言いながら、画像を本人に見せる俺。しかしライフが気にしているのはそちらではなく、自分が不覚にも漏らしてしまった呟きの方らしい。

  きっと実の両親のことじゃないな、と俺は推理する。あの血統書を見たり“見合い”の話を聞いたりした限り、彼ら一族は優秀な個体同士を(たとえ近親スレスレでも)掛け合わせて更に優秀な子供を……と言うことを意図的に、それもむしろ周りの人間の方が主導して長年繰り返してきたようだ。それ自体の是非を問うつもりはないが、ライフ自身が言及していた通りオスの側は種付けするだけして、その後は一切子育て等には係わらない様子。少なくともライフの生物学上の父親はそうだったからこそ、あんな言葉が出て来た筈だ。

  ――と、なると……。

  「パピーウォーカーさんのこと?」

  「……!?」

  「そんな風に呼んでたんだね」

  「いや、その……!」

  ライフは2日目の朝に言っていた。『あんな風に誰かとぴったりくっ付いて眠るのは久しぶりで』と。それは裏を返せば、ずっと以前はそんな風にして眠るのが当たり前だったと言うこと。正式に直轄警察犬の訓練生となって以降はそんな懐かしい、心温まる記憶も自然と薄れ――否、[[rb:敢えて > ・・・]]封印してきたものの、こうして俺と共同生活を送るようになったのがきっかけで甦ったに違いない。

  俺の推理は随分と飛躍したものだったかも知れないけど、それが的中していることはライフの反応が何よりの証だった。これまたデリケートな話題なので俺は少し迷った末、

  「会いたい?」

  「……」

  「お名前さえ分かればこのご時世、いくらでも探しようはあると思うし。何ならハンドラーさんたちに直接問い合わせてみるって手もあるけど」

  「だっ、だが……」

  「別に会うのを禁じられてる、ってわけじゃないんでしょ。もちろん無理強いはしないけど……ライフ、俺といる間でも時々、何か上の空になってる時があったからさ。それが理由の1つだったんじゃないかと思って、お節介ながら」

  「ち……違う。それは本当に関係ないんだ、蓬生くん。お2人の元を離れたのは、もう30年近く昔のことで……。声やにおいや温もりをはっきり思い出したのも、今が初めてなんだ」

  彼らが恋しいこと自体は否定せずに弁解するライフ。本当に俺との添い寝がきっかけになったのなら自分にも責任の一端がある気がしたので、

  「明日はもう最終日で、昼前にはここを発つ準備をしなきゃいけない。2人一緒に会いに行けるのは、今日が最後のチャンスかも」

  「……」

  ライフは逡巡の末、先方の氏名や当時の住所を教えてくれた。県境を跨ぐものの、十分日帰りできる距離だ。どこかに引っ越しているかも、最悪お2人とももう亡くなってしまっているかも……と考えつつも、俺はすぐさまハンドラーさんに連絡を取った。彼らにとってはどうやら完全に想定外のケースで、各方面に確認を取るのに手間取ったらしく随分と待たされてしまったが、最終的に面会の許可を貰えた上に、先方の現況を教わった。今でもご夫婦揃って健在で、同じ家でパピーウォーカーのボランティアを続けていると言う。

  ――早速遠出の支度を始める俺たち。しかしあらかじめ電話でアポイントメントを取っておくことは、ライフ自身が難色を示した。

  「……育った家を、遠くから一目見るだけでいいんだ。お2人が今もお元気にしていると分かっただけで、私には十分だし……」

  動物病院に行くのを嫌がるわんこよろしく歩みの鈍い相手の手を引き、最寄り駅に向かう俺。本当は自分のことなどもう忘れていないか、たとえ覚えていたとしても迷惑がられないか心配しているのだろう。背中を丸め、耳とヒゲと尻尾を情けなく垂らしている。

  ――それでも力ずくで俺の手を振りほどいたり逃げ出したりしないのは心の底で再会を望んでいるからだろうと判断し、俺はずんずん進んで行く。電車を乗り継ぎ、目的地まで。

  30年近く経てば景観なんてがらりと変わっている筈だったけど、最寄り駅に降り立つなり、ライフは明確に1つの方角へと鼻を向けた。地図アプリを片手に適宜標識や店の看板を見上げる俺を尻目に、ふらふらと、まるで磁石に吸い寄せられるみたいにして曲がりくねった道を行く。

  柳さんご夫妻のお宅は瓦屋根の日本家屋に生垣を巡らした、如何にも地元の名士! と言った感じの佇まいだった。ここまで俺を道案内してきたも同然の癖に、十字路を挟んで斜め前のカーブミラーとポストの陰でぴたりと足を停めてしまうライフ。この期に及んで腰が引けてしまったのかと思いきや、相手に倣って耳をそばだててみると、生垣の向こう側から子供のはしゃぐ声が聞こえてくる。お孫さんでも遊びに来ているのかと、ライフの背中に半ばよじ登るようにしてそちらを窺った俺の目に――黒のラブラドールレトリバーの頭が、垣間見えた。獣人の子供がバスケットボールを抱え、満面の笑みで庭を駆け回っている姿が。更に目を凝らすと白髪の老婦人が1人、縁側に腰掛けてそんな相手の姿を優しく見守っているのが分かる。

  「……」

  これで俺の人生2人目――じゃなくて、やはり、悪いことをしてしまった。ライフはと言えば案の定、両目を潤ませている。

  ご夫妻が今でもパピーウォーカーのボランティアを続けていると聞かされた時点で、きっとライフ自身はこの展開を予測できていたのだろう。実の両親同然に慕っていた相手が、今は他の犬獣人と幸せそうに暮らしている現場を目撃なんてしたらショックを受けて当たり前。それなのに俺が、出しゃばったりして……。

  「良かった……」

  ぽつりと呟くライフ。

  「あの仔にとって、最高の環境だ。それは、私が保証する……」

  「――――――チビ?」

  その時不意に、背後から声がかかった。俺はもちろんライフも生垣の向こう側に集中しすぎていて全く気付かず、驚いて同時に振り返ると、そこに佇んでいたのは片手に買い物袋を提げ、もう片手で杖を突いたハンチング帽姿の男性。70前後と言った年格好だが、帽子から覗くもみあげもラウンドヒゲもまだ半分黒い。

  ――老眼鏡の奥で目をしばたたかせるともう1度、

  「お前、チビすけだろう?」

  「……!!!!」

  次の瞬間、ライフは俺の存在はもちろん30年の月日も忘れ去ったかのように、その男性に[[rb:ひし > ・・]]と抱き付いていた。その猛烈な勢いに男性は思わず身をのけ反らせたものの、たちまち相好を崩し、袋も杖も手放すと両腕を付け根まで使うようにしてライフの広く逞しい背中や太い腰周りを撫でさする。

  「おお、よしよし。あのチビすけが、こんなに立派になって。よく帰ってきてくれたなぁ。分かるか、父ちゃんだぞ」

  「うう……あっ、あ……!!!!」

  対するライフは感極まって、残像が見える勢いで尻尾をブンブン振りながら、自分よりずっと小柄な相手をうっかり路面に押し倒したり鯖折りにしたりしてしまわないよう注意するのがやっとと言った有様。喉が詰まって言葉も出て来ないらしく、両耳を完全に真後ろに寝かせながらキュンキュンと仔犬じみた鳴き声を上げている。

  ――恐らく『ライフ号』と言うのは柳さんたちと別れて直轄警察犬になるための訓練を本格的に始めた時点で、新たに与えられた名前なのだろう。だからこそ俺に対しても好きに呼んでくれと……『何なら全く別の名前でも』などと言っていたのだ。

  柳さんが辛抱強く撫でさするうちライフの全身の震えはようやく治まってきたが、それでも彼にしっかりとしがみ付いて離れようとしない。柳さんも思いがけない再会に感無量と言った表情でそんな“我が仔”を抱き返してやっていたが、2人とも、ふと俺の存在を思い出したようだった。こちらを振り返った目は2人とも涙に濡れており、ライフなど黒い毛並みがいっそう黒くなってしまっている。

  ――改めて柳さんに自己紹介する俺。しばらく親子水入らずにさせてあげようと思ったけどライフともどもお宅まで案内され、奥さんと、例のラブラドールの少年にも紹介される。

  「つまり、お前にとってはずっと年上の兄ちゃんみたいなもんだぞ」

  そう教わったラブくん(仮)は養父の陰から筋骨逞しいジャーマンシェパードを畏怖と好奇心が相半ばする視線で見上げていたが、やがて首を傾げると、

  「にぃに……?」

  と舌足らずに呼びかけてきた。相変わらず言葉を発するどころではなく、棒立ちになっていたライフは意表を突かれたように目をパチクリさせたものの、やがて何度も頷き返すと地面に片膝をつき、“弟”の小さな身体を優しく、しかし力強く抱き寄せる。

  ――その後、俺たちはそこの縁側や居間で長々と話をして、夕飯までお相伴に[[rb:与 > あずか]]ってしまった。何だか折角の家族団欒の場に1人だけ部外者が紛れ込んでしまっている感じがして俺は申し訳なかったけど、ようやく平常心を取り戻したライフが積もる話をしているのを横から聞いて、時々口を挟むだけでも楽しかった。

  柳さんは当時県警の刑事課に所属して第一線で活躍していたが、捜査中片脚に重傷を負ったのが原因で内勤に回らざるを得なかったと言うこと。酷く気落ちしていた彼のことを心配し、心身双方のリハビリにならないかと言う期待を込めて、前々から関心を寄せていたパピーウォーカーの役目を奥さんが引き受けたこと。ライフこと『チビ』は甘えん坊で、この家にやってきた当初はごく短時間でもお2人の姿が見えなくなると分離不安に陥ってキュンキュン泣きべそを掻いていたこと。オペラ鑑賞は本来奥さんの方の趣味で、当初はそんなチビを寝かし付けるために流していたのだが、いつしかチビ自身の趣味にもなったこと。……

  「『ソルヴェイグの歌』は子守歌。自分を捨て、放浪の旅に出た恋人の帰りを待ち続け――ようやくその願いが叶った時、既に年老いてしまった娘が歌った……」

  その間、ラブくんはライフの周りをうろちょろしたり、俺の顔を見上げては尻尾を振ってみせたり……と愛嬌を振り撒いていた。当時の写真も見せてもらったが、耳がまだ片方折れ、マズルも伸び切っていないあどけない顔立ちに真剣そのものと言った表情を浮かべながらしゃぼん玉遊びやお菓子作りに取り組んでいるその姿は如何にもライフらしい。「今夜は是非泊まっていってくれ」と勧められたものの、俺もライフも何も用意をしていないし明日の最終面接に間に合わなくなるといけないので、断腸の想いで次の機会を期することに。

  ――連絡先を交換すると、とっぷり日が暮れてしまった外に出る。最後にライフは柳さんご夫妻とラブくん1人1人にハグをし、“弟”に対しては頭を撫でてやってから、育った家を名残惜しげに後にした。こちらに手を振っている3人のシルエットが、暗闇の中にずっと見えていた。……

  自宅に帰り着いた頃にはもう11時過ぎ。俺はメールチェックだけ済ませるとシャワーを浴び、早々にベッドに潜り込んだ。明日に備えて、あらかじめ〆切に余裕を持たせておいて助かった。

  ――それでもやはり眼が冴えてしまって、なかなか寝付けそうにない。やがて念入りにブラッシングとシャワーを終えたライフがベッドに入ってきて、そっと枕に頭を乗せた。

  「……蓬生くん」

  「何?」

  「ありがとう」

  そう言ってライフは珍しく自分から手を伸ばし、俺の手に重ねてきた。俺が黙って微笑み返すと、どこか切なげな瞳でじっと見つめてくる。

  「あっと言う間だったね。1週間」

  「……ああ」

  「総括をするにはまだ早いかも知れないけど――毎日、すごく楽しかったよ。こちらこそありがとう」

  「……」

  「……叶うことなら、柳さんご夫妻やラブくんと、あのお宅で暮らしたい?」

  このままずっと、トライアルが終わらなければいいのに。ただの子供じみた漠然とした憧れなんかじゃなくて、こうして現実に共同生活を経験した今、ライフとお別れしなければならないかと思うと胸が張り裂けるのを通り越して全身の肉を骨から剥がされるような気分になったけど――それでも、最優先すべきはライフ自身の幸せだ。もしライフがそれを望むなら明日、俺の方からハンドラーさんたちに直談判するつもりだった。

  ライフはしばらく黙っていたが、

  「……いいや。いつでも会いに来てくれと仰ってくれたし。連絡先も交換したし。私はもう、立派に成人した男だから」

  「そう言う理屈じゃなくて、ライフ自身の今の気持ちを――」

  「私が今、一番傍にいたいのは――君だ」

  ライフの手に力が籠もり、真っ黒な顔を近付けてくる。その焦げ茶色の瞳に浮かんでいる真剣な光が、確かな“熱”を帯びるのが分かった。

  ――まさかそんな答えが返ってくるとは予期しておらず、呆気に取られている俺の鼻先と、自分の黒い鼻先をちょん……と触れ合わせてくるライフ。そこにいつもの湿り気はなく、乾いて罅割れたような感触が伝わってくる。

  「……好きだ。廉くん」

  俺のことを初めて下の名前で呼ぶと、ライフは舌先でペロッと口元を舐めてきた。わんこなら飼い主にこれくらいの愛情表現はしてきて当然、いやでもお互いわんこでも飼い主でもないし……云々と混乱している俺をライフは至近距離からじっと眺めていたけれど、驚いているだけで少なくとも嫌がってはいないことが伝わったのか、今度は唇に長いマズルの先をそっと押し付けてきた。俺の手を握る力をほんの少し強めると、いつか俺自身がやったみたいに、手のひらに親指を潜り込ませてくる。

  「すまない。いやしくも公僕の一員として不適切な行為だった。せめて最終審査の結果が出るまでは待つべきだったと、分かってはいるんだ。だが、これが2人一緒に過ごせる最後の夜かも知れないと考えると、思わず――」

  「……マッチングって“見合い”の意味だったの? 単に見た目が好みだったから――住居も家族構成も飼育歴もいいトコなしの、この俺を選んだの?」

  「違う。そんな風に受け取られても仕方ないとは思うが……彼らは純粋に、私の新たな飼い主を探そうとしてくれているだけだ。私もまさか、自分がこんな気持ちになるとは思ってもみなかった。

  ――不快な想いをさせてすまない。君は全くの善意から募集に応じて、私が少しでも快適に過ごせるようにと手を尽くし……柳さんたちにまで、引き合わせてくれたと言うのに。今すぐ、出て行く、から……」

  俺の手をそっと離すと、むくりと上体を起こすライフ。暗がりの中でも、柳さんと再会した時以上にその筋骨逞しい巨体をブルブルと震わせ、この世の終わりみたいな顔をしているのが分かる。こんな有様のわんこを寒い夜道に放り出しては犬派の名が廃る……じゃなくて冗談抜きで衝動的に身投げでもしかねない感じだったので、俺は相手の骨太な手首を握って引き留めた。

  ――だけのつもりが、不安定な体勢だったせいかそれともよほど動揺していたからか、半分掛け布団をかぶったままのライフの巨体がぐらりと傾き、こちらに倒れ込んでくる。お互い驚き、口早に謝り合いながら急いで離れようとしたものの……そうして身じろぎした拍子に、俺の脇腹に何やら熱くて硬いけれども弾力を帯びていて、嵩張った代物が触れた。

  「うあっ!? あっ、すっ、すまん……!」

  人前での冷静沈着ぶりが嘘みたいに、しどろもどろになるライフ。俺が掛け布団をめくってみると、相手のパジャマのズボンは股間が大きく膨らんで、今にも前開きのボタンを引きちぎってひとりでに中から飛び出してきそうなほどビクン! ビクン! と脈打っていた。

  ――ライフは慌てて前屈みになると、両手でソコを覆い隠そうとする。その姿に、俺は2日目の朝の出来事を思い出す。今にして思えばあれは単なる朝勃ちではなく、まだ夢の中だった俺に頬擦りされまくった結果うっかり男盛りの肉体が反応してしまったからだったのだろう。

  「脱いで」

  「……?」

  「パジャマ。ズボンだけでいいから、ズリ下ろして、見せてみて」

  「……」

  精悍な顔立ちを羞恥に染めるライフだったが、やはり気性的に“飼い主の命令”に逆らうと言う選択肢は最初から持っていなかったようだ。震える両手でウエストを掴むと、「ええい、ままよ!」とばかりに引き下ろす。こっそり枕元の電灯に手を伸ばしていた俺は、それと同時にスイッチを入れる。眩しさにお互い目を細めたのも束の間、ライフの濃紺のロングボクサーに夥しい我慢汁が失禁の痕さながらに、内腿辺りにまで広がっている光景が露わになった。

  「っ……!」

  「隠しちゃ駄目」

  俺の視線を意識すると余計に興奮してしまうのか、体格相応の巨根がビクン! ビクン! と暴れるたびに薄手の生地が今にも破れんばかりに引き伸ばされ、先っぽが位置している辺りに更なる我慢汁が湧き出してきては電灯の光をてらてらと反射させる。いつぞやは脱衣中にチラッと見えただけだったけど、既にほぼ完全に勃起して、いつ暴発してしまってもおかしくない状態のようだ。

  ――俺は2日目の夜、ジェルボール型の洗剤を後から入れようとした時の出来事を思い出した。ライフが咄嗟に俺の腕を掴んで制止したのは、そして本来一番上の方に位置している筈の彼のロングボクサーが見当たらなかったのは……恐らくはその少し前、俺の裸体を目撃したことで不覚にも勃起して、今みたいにべちょべちょに濡らしてしまっていたからだったのだろう。俺が蓋を開けたり洗濯物を掻き回したりした際に、その事実が露見しないか戦々恐々としていたに違いない。3日目以降に不審な挙動が増えたのも、きっと……。

  「……実は俺、犬獣人の目には超絶イケメンに見えてたりする? それともイケわんこに? 初対面のわんこともすぐ打ち解けられるタチって自負はあるし、現にラブくんにだって懐いてもらえたけどさぁ」

  「そ……その。顔と言うより全体的な雰囲気が、私にとっては何と言うか、親しみの持てるもので。2次審査の時から好印象は抱いていたのだが――」

  まさか異種族の、しかも同じオス相手に勃起してしまうとは自分でも想像していなかった……と言いたげに口籠もるライフ。メスの犬獣人との“見合い”では上手く行かなかったらしいから元々そう言う性的指向だったのかも知れないが、少なくとも俺との共同生活を始めるまで全くの無自覚だったようだ。

  「同僚の警察犬や歴代のハンドラーたちに対してはもちろん、パパ――もとい柳さんに対してさえ、1度もこんな風になったことはないんだ。こんな時の対処法は何1つ教わっていなくて……君に嫌われたくなくて。だが、最後に告白せずにはいられなくて……」

  膝立ちの体勢のまま、声を震わせるライフ。両耳もヒゲも尻尾も力なく萎れているが、そんな本体の心情に反比例するかの如くに彼の分身はロングボクサー内で暴れ続け、とうとう吸収し切れなくなったらしい我慢汁が先っぽから糸を引き、シーツへと垂れ落ちた。

  ――己のそんなとんでもない“粗相”を目の当たりにしたライフは見るも気の毒なくらい悄然としてしまったが、

  「えっと……それで、どう言う風にしたいの?」

  「……?」

  「ほら、さっき俺にキスしてきたじゃん。あの次は?」

  「わ……分からない。ただ、いつかのように君を胸に抱きしめて――君からも、背中を撫でたりしてもらえれば、と……」

  「……こんな感じ?」

  自分も膝立ちになってにじり寄ると、うなじから肩甲骨の間にかけて霜が降ったようになっている箇所をパジャマ越しに指で梳いてやる俺。ライフが筋骨逞しい巨体を震わせ、ゾクゾクと背中の毛を逆立てるのが分かる。夢見心地にあお向けられた鼻先から「クゥン……」と仔犬じみた声が漏れるとともに、乾く間もなく新鮮な我慢汁がタラタラと溢れてきた。

  ――我に返ったライフが震える声で、

  「れ、廉くん……」

  「そっちの気も知らず、長いこと蛇の生殺しみたいにしちゃってた俺の側にも、責任の一端はあると思うしさ。手伝うよ」

  ライフが毛深い両手を恐る恐る伸ばし、俺を抱き寄せてくる。べちょ濡れの股間が触れる寸前で一旦お互いの身体を固定すると、首を伸ばして再びキスをしてきた。何度かマズルの先だけを触れ合わせてから、俺の口元をペロペロ舐め回してくる。

  ――ライフは俺に合わせて背中を丸めてくれたけど、それでも身長差の関係でうなじには手を届かせにくくなったので、俺は代わりに相手のパジャマのボタンを外しはじめた。隙間から片手を差し入れて分厚い胸板を毛皮越しに撫でさすると、強健な心臓がドキドキと激しく鼓動を打っているのが伝わってくる。

  「はあっ、はあっ……!」

  「恥ずかしいの?」

  「優秀な警察犬として、頼りになるところを見せたいと思っているのに……。君の前ではこんな、情けない姿ばかり……」

  「普通に頼りにしてるし、別に夜中、2人きりでいる時くらいダラけててもいいと思うけど」

  俺の顔にかかるライフの吐息も鼻息も熱く弾んでいる。鉄板でも仕込んでいるんじゃないかと疑うほどカッチカチな腹筋や脇腹を撫で回しつつ、もう片手を握り合わせる。手のひらをこれまた筋肉質な臀部の方へと滑らせると、それまでしなだれていた尻尾がちぎれんばかりに左右に揺れはじめるのが分かった。

  ――それでもライフは俺の口元を舐めたり手を握る力を強めたりするだけで、ベッドに押し倒すどころか甘噛みさえしてこようとはしない。紳士的と言うより、結局失敗に終わった“見合い”を除けば正真正銘これが初体験で、しかも同性の異種族が相手となると本能に任せることもできないのだろう。

  「どこが感じるとか、どんな風にしてほしいとかある?」

  「わ……分からない。本当に分からないんだ。君の温もりを感じ、君のにおいに包まれているだけで幸せで――でも、それだけでは物足りないと言う感覚もあって。切なくて、気が変になりそうで……」

  己自身の頭と心を整理するように訥々と語るライフを促して、再びベッドに並んで横になる俺。相手の首を引き寄せて自分からもその毛深い頬にキスしてやると、ライフは目を細めてか細い鳴き声を漏らした。シーツや掛け布団が抜け毛だらけになるのもお構いなしでわしゃわしゃと、ブラッシングの時より強めにあちこちの毛皮をモフってやると頑健な四肢を縮め、俺に抱き付くと言うよりむしろヘソ天するみたいな格好になる。見事に割れた腹筋をヘソの周りに円を描くようにしてくすぐってやると、とうとう恍惚として口が半開きになり、涎まみれの長い舌が端から垂れ落ちてきた。

  そんなライフの上半身にもたれかかると首筋に顔をうずめ、犬吸いよろしく深呼吸する俺。片手を相手のヘソより更に下方に伸ばすと――ロングボクサーをボリュームたっぷりに膨らませている陰嚢を、優しく揺すぶってみる。

  「ヒャインッ!? あ゛っ、駄目だ廉くん、そんな、所……! ううっ、あっ――ひっ、い゛っ、ぐぅ……!?!?!? はうっ、あっ、あ゛……!!!!」

  反射的に飛び起きようとはしたものの力任せに撥ねのけるのは憚られたのか、代わりに俺の身体を両腕でしっかりと抱きしめると、巨体を硬直させるライフ。俺が首筋から半分顔を起こして相手の下半身に目をやると、体格相応の巨根がボクサー内で更に一回り大きく膨張した次の瞬間、夥しい白濁液をブチ撒けるのが見えた。いくら薄手でも布地がフィルターの役目を果たしている以上勢いは弱まって然るべきなのに、ライフ自身の腕に衝突したしぶきが俺の頬にまで跳ね返ってくる。

  ――さすがの俺も仰天したものの、尚も陰嚢をユサユサ揺すぶり続けるとライフは重い下半身を面白いようにビクン! ビクン! と跳ねさせては濃厚な子種を吐き出し続ける。2日目の朝から計算しても既にトータルで5日はずっと生殺しの状態だったわけだが、それにしてもすごい量と勢いだ。

  「あうっ。あうっ、アォオオン……!!!!」

  当のライフは前後不覚と言った態で頭を大きくのけ反らせ、俺をひしと抱きしめたまま大量射精の快感を貪っている。おかげでライフ本人よりその上半身に乗っかっていた俺の方が子種まみれになってしまった。

  ――斯くなる上は最後まで責任を果たすつもりで、陰嚢をただ揺さぶるのではなくペチペチと叩きはじめる俺。如何にボクサー越しとは言え勃起それ自体に触れては刺激が強すぎるだろうし、俺自身がオナる時もたまにやるから……とこんな手段を選んだのだが、思いの外ライフには気に入ったようだ。ひょっとすると「飼い主から叱責されている」感じがして嬉しい(?)からかも知れないが。

  「フーッ、フーッ! あ。んん。くぅ……」

  ようやくライフの四肢から力が抜けベッドにぐったりと大の字になった頃には、あまりにも濃密なオスのにおいに俺の頭はクラクラしてきていた。何か拭く物を取ってこなければ、いやその前に汚れた衣服を脱いでシーツごと丸めた方が……とライフの胸板に揺られながら思案する俺。やはりバスルームに場所を移すべきだったかと後悔していると、さすがの体力と言うべきか、早くも呼吸を整え終えたライフが首をもたげた。

  ――ベッドの上の惨状を目の当たりにして急速に頭が冷えたのか、蚊の鳴くような声で、

  「す……すまん! こんな、とんでもない粗相を……!」

  「いいよ、後半は完全に俺の責任だし。

  ――随分溜まってたみたいだけど、普段はどう処理してんの? ケモ×ヒト物の薄い本……は、管理が厳しくて持ち込めないだろうし。妄想100%?」

  「……?」

  てっきり俺と同じでここ最近忙しくてそんな気分にならなかった&今回のトライアルのために控えていただけかと思いきや、耳をぺたんと伏せたまま戸惑った顔をするライフ。獣人の生態に関してはさっぱり分からないけど、まさか今のが正真正銘の[[rb:精通 > ・・]]だった? この年で????

  「……やっぱ、明日の最終面接の席で制度自体の見直しを迫って――」

  その単語が出た途端、「もはや合わせる顔がない」と言いたげにうなだれてしまうライフ。どうやら今回の“粗相”が決定打となって俺は引き取りを断固拒否、その上で面接官たちに直接苦情を申し立てる。そしてそれが原因で民間からも広く希望者を募ると言う今回の試み自体が潰えてしまうに違いない……とでも早合点しているらしいが、

  「あーいや、そう言う意味じゃなくて。完璧わんこ扱いされて、最低限の性教育も受けられずに育ったせいでのちのち困る破目になるお仲間を減らしたいって言うか――とにかく、全然怒ってないから。嫌いになったりするわけがないから」

  「だが……さぞかし、私に失望して……」

  「しないってば」

  スウェットが子種で汚れるのも構わずにじり寄ると、うなだれっぱなしの相手の頬を両手で支え、そこだけ茶色くなった毛をくすぐってやる俺。上目遣いでこちらの顔色を窺っていたライフが、左右の耳を別々の高さに、ほんの少しだけ上げた。

  「とりあえず2人とも徹底的にシャワー浴びて、お前はもっかいブラッシングしてぐっすり寝よ。な? 最終面接に遅刻した挙句、髪の毛や毛皮がザーメンでカピカピになってたらそれこそ大問題だって」

  「……」

  「いつまでもそんな風に卑屈になっていじけてる方が、俺、嫌いになっちゃうよ」

  「……ああ」

  お互いすっぽんぽんになって頭から湯をかけ合っている間にライフは多少元気を取り戻したが、股間はむしろ元気すぎるくらいだったので応急処置として冷水を浴びせた。それでも萎えるどころかますます張り切ってきたので本人も困っている様子だったけど、とりあえず替えのボクサーを穿かせ、汚れたベッドの代わりに床に毛布を敷いて一緒に寝そべる。周りの家具や調度品を押しのけて何とかスペースを確保したものの、どうしてもぴったり寄り添う形にならざるを得ない。

  「すまん……」

  「全くもう」

  そう不平を言いつつも、相手の毛皮に顔をうずめる俺。綺麗に洗って乾かすのに結構な時間がかかってしまい、もうクタクタだったのだ。ライフは色んな意味で「身の置き所がない」と言う感じで四肢を縮めて尻尾も股の間に挟み込んでいたけれど、やがておっかなびっくり俺の身体を抱きしめてくる。

  ――その拍子に未だにギンギンに勃起している巨根が触れたけど、ライフは反射的に腰を引いた。それに関して何か言及するのも億劫なほど睡魔に襲われていた俺は、

  「寝坊しそうだったら起こしてね」

  と言い置くと、返事も待たずにしっかりとまぶたを閉ざし――そのまま、眠りに落ちたのだった。……

  [newpage]

  [chapter:6]

  そして、最終面接当日。県警の少し手前までタクシーで乗り付けた俺は、ライフがトランクから例の巨大なスーツケースを下ろしている間、愛用の目薬を[[rb:点 > さ]]していた。何度か瞬きしてからサイドミラーを覗き込むも、やはり一目で分かるほど充血してしまっている。

  「ありがとうございました」

  トランクをばたんと閉める音に、そちらを振り返る俺。例によって獣人の存在自体には驚きもしない運転手さんに礼を言って見送ってから、俺はライフへと向き直った。

  あらかじめ用意してあったらしい黒スーツに身を包んでいて余計に男ぶりが上がった気もするが、自宅を発つ時からずっと情けなく耳もヒゲも尻尾も垂らしたままだ。対する俺はクリーニングから返ってきた一張羅に、違うネクタイを締めただけ。今朝改めて2人ともシャワーを浴びたのだが、まだ全身にザーメンの残り香がこびり付いている感じがする。

  ――俺は大きく伸びをすると、

  「さて、と。心の準備はいい?」

  早速目的地に向かおうとする俺の手首を、ガシッと掴んで引き留めるライフ。散歩から帰るのを頑として拒んでいるわんこも斯くやと言った有様で、両足を歩道に踏ん張り、筋骨逞しい巨体を小刻みに震わせている。

  「何? この期に及んで尻込みしてるの?」

  「結果次第では、もう廉くんといられなくなるかと思うと――」

  「それはもう、どうしようもないじゃん。最終的な判断を下すのはあちらさんなわけだし」

  俺の返答がよほど冷淡に……あるいは「完全に嫌われた」風に響いたのだろうか。俺の手首を掴んでいるライフのがっしりとした毛深い手が、今にもバラバラに崩れ落ちてしまうんじゃないかと疑うくらいに震え出す。ゆうべと同じ、まるでこの世の終わりみたいな顔をする相手に、

  「でも、いつでも会えるでしょ?」

  「……?」

  「たとえ別のご家庭に引き取られることに決まったって、やっぱ従来通り60才まで働いてもらう方針になったって……また一緒に出掛けたり、たまには俺ん家に泊まりに来たりすればいいだけの話じゃん。まさか海外までは渡らないだろうし?

  ――万が一、俺が制度に文句つけまくったせいで“行方不明”にさせられたって、余裕で探し出してくれるでしょ? とびきり優秀な警察犬なんだから、さ」

  「……」

  そんな当たり前のことにも思い至らなかったのか、最初は虚を突かれたような、続いて己を恥じるような表情になるライフ。俺の手首を離すと、改めて両手でその手を包み込み、早くも青痣になりかけている箇所を撫でさすってくる。

  ――それから俺の正面に回り込むと、長身を屈めて顎を俺の頭に乗せてきた。

  「……こうして2人っきりの時はさ。俺も、『チビ』って呼んでいい?」

  「……ああ」

  最後にもう1度ハグをしてから、俺たちは改めて県警の敷地に、並んで足を踏み入れた。ライフは背筋をピンと伸ばして両耳を立て、尻尾にも力を込めて、ガラガラとスーツケースを引いてゆく。あたかもこれから警察犬としての任務に臨もうとするかのような真剣なまなざしで、口元も凛々しく引き締めていたけれど――その反対側の手では、俺の手をしっかりと握っている。今まさに己が踏み出そうとしている未知の広い世界に対して、まだ少し不安そうに……けれども、俺のことを心から信頼してくれている風に。待合室で並んで座っている間も、ずっと。

  やがて、担当者が俺たちの名前を呼ぶ時がやってきた。俺が先導する形で扉をノックすると、中から聞き覚えのある声が「お入りください」と答えてくる。

  俺はライフ、もといチビを振り返ると目配せを交わし――「失礼します」と軽く頭を下げながら、ノブを、回した。

  〈おしまい〉

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