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白羽の矢

  [chapter:序の段]

  師走半ばの、朝早くのことでございました。ぴんと張り詰めたように冷たい大気の中、ゆうべ積もった雪をさくさくと踏みしめ、犬獣人の仔が足早に歩いてまいります。

  年の頃は十二、三でしょうか。本来は雪のように真っ白、かつ柔らかであろう毛並みは全体的に薄汚れ、ごわついて見えます。身に纏っているのは継ぎ当てだらけの刺し子の着物一枚きり。その襟を両手でしっかりと首元に引き寄せておりますが、着物の丈が足りないせいでそうすると裾から膝小僧が覗いてしまう上、足袋は元より股引すら身に着けておりませんので、如何に冬毛に生え変わり済みとは言え、細い肩をいっそう小さく縮めております。鼻面がまだ伸び切っていないあどけない顔をうつむかせ、少しでも寒さから身を守ろうとする風に三角形の耳を寝かせて、巻き尾を股の間に丸めておりました。目に沁みるような冷気に瞬きを繰り返すたび、白いまつげが震えます。

  〈しらとりさま〉のお社の前を通り過ぎて尚も雪道を突き進むと、ようやく目指す小屋が見えてまいりました。既に唇同士が湿気で張り付き、舌どころか喉までかじかんで、すぐには声を出せそうにもありません。

  ――そこで少年は片手で口元や喉をさすって温めながら小屋の前に立つと、何とか回復してきた段階で木戸を控え目に叩き、か細い声をかけました。

  「しょ……[[rb:小吉 > しょうきち]]、さん」

  「……応」

  返ってきた低い声を「入れ」と言う意味だと解釈すると、少年はなるべく細く開いた戸の隙間から身体を滑り込ませました。すぐさま戸を後ろ手に閉め切ると、尋ね人が折悪しく留守中でなかったことへの安堵感と屋内の暖かさに、これまで詰めていた息をほっと吐き出します。

  赤々と火が燃え盛る囲炉裏の前では、名前に反して大男の熊獣人がどっかりと胡坐を掻き、こちらに横顔を見せておりました。職人らしく紺無地の腹掛けと股引姿で、足袋も紺色の物を履いております。額には一般的な豆絞りや[[rb:算盤 > そろばん]]玉ではなく、矢羽根柄の手ぬぐいを巻いておりました。

  小吉はこの界隈では、たった一人の指物師です。今もちょうど[[rb:鑿 > のみ]]を片手に、依頼を受けた欄間の細工をしているところでございました。戸も窓も[[rb:閉 > た]]て切っているせいで薄暗い屋内にて背を丸め、火明かりを頼りに己の手元に顔を近付けております。その目がじろりと、少年の方に向けられました。

  「朝早くからごめんなさい。実は……障子の立て付けが悪くなっている所が、いくつかあって。旦那様が、小吉さんをご指名で」

  「……応」

  作業の手を休めずに、小吉は短く答えます。つまらない仕事だと思って、機嫌を損ねたわけではございません。見てくれ通りの職人かたぎと申しますか、元来が寡黙で気難しいたちなのです。

  四十も超えて未だ独り身で弟子も取らず、通いの者すら雇わずにこんな村外れで一人暮らし。作業に没頭していると飲まず食わずのまま、三日も徹夜するのは当たり前。

  ――そのせいで周囲からは完全に変わり者扱いされておりますが、とっつきにくい第一印象に反し、本来は大工や表具師や屋根[[rb:葺 > ふ]]きに頼むべき仕事内容でも二つ返事で請け負ってくれます。何より滅法腕が立つので、村では重宝されておりました。

  「ありがとうございます。何も急いで今日中に……と言うわけじゃないので、どうかお手が空いた時にでも。

  ――それじゃあ、よろしくお願いしますね」

  「……シロ」

  ぺこりと頭を下げ、早々においとましようとする相手を小吉は呼び留めました。「シロ」と呼ばれた少年はそちらを振り返ると、何か忘れていただろうかと小首を傾げます。

  ――小吉はそこで初めて作業を中断すると、無意識的に足踏みをしているシロの両足や、寸足らずの着物から覗いている膝小僧を横目でじっと見つめ、

  「……少しくれぇ、火に当たってったらどうだ」

  「ありがとうございます。でも、すぐに戻って別の御用を済ませないと――」

  「……だったら、こいつを」

  小吉は腹掛けのどんぶり(注:物入れ)をごそごそ探ると、小さな紙の包みを取り出しました。熊の分厚く大きな手のひらにそれを乗せると、ぶっきらぼうにシロへと差し出してまいります。

  「……『金平糖』とか言うらしい。舶来の砂糖菓子を、町の商人がてめぇらなりに再現してみたもんなんだと」

  シロはそちらに歩み寄って、かじかんだ両手で恐る恐るそれを受け取ります。うっかり中身をこぼしてしまわないよう包みを開くと、[[rb:樅 > もみ]]の木の実に似た形ですがずっと小さな白い粒が沢山入っておりました。

  ――小吉はむっつりとした表情のまま目を逸らすと、

  「……ンな寒ぃと、汁粉や[[rb:蒸 > ふ]]かし芋の方がありがてぇだろうが」

  「そんな。いつもありがとうございます」

  先述の通り小吉は本来指物師ですが、宮大工だった亡父の技術を傍で観て学んでおります。それで時々は町の方からも社殿の修繕等に際してお呼びがかかるのですが、毎回こうして珍しい菓子や何かをシロのために買って帰ってきてくれるのです。

  「……でも、本当によろしいんですか? こんな貴重そうな品を――」

  「いいから」

  「分かりました。一粒一粒、大切に頂戴しますね」

  シロは元通り包みを閉じると、それを両手で握って胸に押し当て、改めて頭を下げました。小吉はそっぽを向いたまま、欄間に彫刻を施す作業を再開します。厳めしい顔立ちや「へ」の字に引き結んだ唇の輪郭が火明かりで陰影を強調され、それこそ彫刻さながらにくっきりと、シロの目に男らしく映ります。その繊細な仕事ぶりや、鑿が削り落とした小さな薄い木片が囲炉裏に舞い落ち、ぱっと一瞬燃え上がったかと思うと雪よりも儚く消え去る光景にシロはしばし見とれておりました。

  相手の集中力を削がないよう静かに小屋の外に出ると、短時間とは言え暖房の利いた場所にいた分、余計に寒さがこたえました。日は少しずつ高くなりつつあるのに一向に融ける気配のない雪を踏みしめ来た道を足早に戻り、坂の上にあるお屋敷へと帰り着きます。この村で代々[[rb:名主 > なぬし]]を務めるお家柄だけあって、商家のそれと見紛うほど立派な瓦屋根でございます。

  「せいっ! やあっ!」

  通用口から裏庭に入ると、前庭の方から威勢のいい掛け声が聞こえてまいりました。板塀との間の狭い通路を抜けてシロがそちらに行ってみると、そこでは彼と同年輩で背格好も似通った……そして同じ白い毛並みをした犬獣人の少年が、木刀を振り回しておりました。

  ――けれども着物はシロより遥かに上等で、毛並みも手入れが行き届いております。まだ鼻面が伸び切っていないあどけない顔立ちをしているのは同じでも、表情と言い物腰と言い柔和で内気そうなシロとは対照的に、こちらは如何にも勝ち気で活発そうでした。

  シロは庭木の陰になって一段と冷える辺りに畏まると、膝小僧に雪が触れるのも構わずに片膝をついてこうべを垂れ、

  「ただいま戻りました。坊ちゃま」

  「ん? ああ、そうか。使いに出されていたのだったな。朝早くからご苦労なことだ」

  もう一人の少年は木刀を振る手を休めると、その切っ先を地面に突き刺し、シロの方を振り返りました。そうしてシロの見すぼらしい格好や、寒さに震えている姿を眺めると何だか気の毒そうな顔になります。この少年こそが当家の跡継ぎである[[rb:小平太 > こへいた]]でございました。

  「ご鍛錬のお邪魔をしてしまい、申し訳ございません」

  「いや、今朝は特に冷えるものでな。こうして木刀を振り回しておれば身体も温まるかと思うたのだ。お前も一緒にやってみるか?」

  代々名主を務める家柄とは言え身分的にはあくまで農民に過ぎないのに、小平太はまるで武家の若様のような尊大な言葉遣いを致します。こうして剣術の真似事をしているのも然り、旦那様からの影響を大いに受けているのでございます。

  何でも今より二、三百年は昔、〈しらとりさま〉がまだ“いくさの神”として信仰を集めておりました時分に、当地に陣を張ったさる武将の御落胤こそがこの家の始祖なのだとか。小平太自身が旦那様のその言葉を信じ、同様に己の血筋を誇りに思っているか否かは分かりませんが、近頃では本格的に町の剣術道場に通いたいと申しては奥様を大いに困らせております。

  ――とは言え尊大なのは言葉遣いだけで、小平太はむしろシロたち下男に対しては寛大な主人でございました。恵まれた環境で甘やかされて育ったせいで多少我儘な部分はあっても、彼らに対して癇癪を起こしたり理不尽な要求をしたりは致しません。とりわけシロに対しては主従の差こそあれこの家で一緒に育ってきた間柄だからか、他人の目さえなければまるで幼馴染の友人や実の兄弟同士のように気安く口を利くほどでした。

  「そうだ。坊ちゃま、これ――」

  シロは懐から例の『金平糖』を取り出すと、小吉から受けた説明を繰り返しました。それだけ貴重な品ならばまずは坊ちゃまに召し上がっていただくべきだと考えたからですが――小平太は途端に顔をしかめると、「要らん」と撥ね付けました。

  「おれは、あの男は、好かん」

  「……? でも、折角ですから一粒だけでも――」

  「好かんと言うたら好かんのだ!」

  小平太が木刀を地面から引き抜き、そちら側の腕で邪険に振り払うような仕草をすると、その切っ先がシロの手から金平糖の包みをはたき落としました。それ自体は純然たる事故だったらしく、小平太ははっと我に返ります。その弾みで包みが開いて中身がばらばらと地面に散らばったのを見て、如何にも気まずそうな顔を致しましたが――そのまま何も言わず、シロにくるりと背を向けると縁側からお屋敷に上がっていってしまいました。

  一方のシロは思わぬ激しい反応に驚き、坊ちゃまの背中を呆然と見送っておりました。しかし地面に散らばった金平糖を眺めると途端に小吉に対する申し訳なさがこみ上げてきて、その場にしゃがみ込むと一粒一粒、拾い集めます。

  いつだったか、小吉から玩具を貰って帰った時。それを見咎めた旦那様に取り上げられ、その場でばらばらに壊されてしまったことをシロは思い出しました。そう、確か「[[rb:護謨 > ごむ]]」なる珍しい素材を紐に用いたぱちんこです。その時もシロは小平太と一緒に遊ぶつもりだったのですが、そんな風に二人が親しく交わることを旦那様はお気に召さないようでした。「下男の分際で」ときつくお叱りを賜ったことを覚えております。

  それ以来、小吉は菓子のように「形に残らないもの」をシロに贈るようになったのですが――あの時シロのために怒ってくれ、旦那様に平手打ちされた小平太も、成長するに従ってやはり旦那様の方が正しかったと思うようになったのでしょうか。小吉のことが気に入らないと言うのは口実で、本当はシロと同じ菓子を分け合うのが汚らわしく感じたからだったのでしょうか。自分は所詮一介の下男に過ぎないのだから仕方のないことだと思っても、シロはとても淋しくなりました。

  「……」

  軽く息を吹き付けて汚れを落としてから、シロは金平糖の一粒をそっと口に含みました。舌と上顎の裏の間で挟みながらゆっくりと転がすと、甘さより先に、氷の欠片のように冷たく鋭い感触を覚えました。……

  [newpage]

  [chapter:次の段]

  「矢だ! 〈しらとりさま〉の矢が、屋根に……!!!!」

  異変に最初に気付いたのは、一番年嵩の下男でございました。彼に命じられ、シロが小吉を連れて戻ってきた時には既にお屋敷の周りはてんやわんやの大騒ぎ。小柄なシロではどんなに背伸びをして顔をあお向かせても[[rb:甍 > いらか]]越しに真っ白な矢羽根らしき物を拝めるだけだったのでございますが、集まった村人たちは早くもそれに向かって手を合わせたり地面にひれ伏したり、何やら経文を唱えたりしております。

  そんな人波を掻き分けると、小吉は植木屋から借りてきた長梯子を苦労して正面の門から通し、なるべく目標に近い軒へと立てかけました。シロがはらはらしながら見守る中、小吉はその巨体に反して身軽な動作で梯子を登ってゆき、屋根へと乗り移ります。瓦を割ってしまわないよう慎重に腹這いになり、甍の向こうに手を伸ばしてしばらくごそごそしておりましたが――やがて身を起こし、こちらを振り返った小吉の手には確かに〈白羽の矢〉が握られておりました。

  「小吉さん! そんな、何かの間違いじゃ――」

  悲痛な声を上げるシロに対し、無事梯子を伝って戻ってきた小吉は黙って首を横に振ってみせます。それまで怖い顔をして屋根の上を睨んでいた羽織姿の旦那様が、小吉の手からその矢をひったくって自ら検めました。

  矢柄は見たこともない金属で出来ており、真っ白な矢羽根も鳥から抜き取ったと言うよりはむしろ人工物を思わせる手触り。何より[[rb:鏃 > やじり]]と言うものが存在せず、先端が真ん丸く加工されております。如何なる弓の名手とて、こんな矢を瓦屋根に垂直に突き立てることなど不可能に違いありません。

  「ずっと、恐れていたことが……」

  旦那様はその矢を両手で握りしめると、思わず低い声で呻きました。猛禽に襲われでもした白い鳥の骸がたまたまそこに落ちて、甍越しに矢羽根のように見えているだけかも……と微かな希望に縋っていたシロも、力なくうなだれて耳と尻尾を垂らしてしまいました。

  ――が、誰よりも事の成り行きを案じているであろう人物の存在を思い出し、その姿を探します。

  「……」

  小平太が縁側の柱に半ば隠れるようにして、庭先の様子を窺っておりました。陰になっているものの、その顔色は見るからに青ざめ、早くも手足を震わせているのが分かります。

  ふとシロと目が合うと、小平太は一瞬泣き出しそうな表情を致しましたが――すぐにぐっと唇を引き結ぶと、踵を返してお屋敷の中に入っていってしまいました。それに気付いた奥様が、小平太の名を呼びながら急いで後を追います。

  旦那様はと申しますと、両手に矢を握りしめたまま、相変わらず怖い顔でそんな妻子の姿を黙って見つめておりましたが――やがて二人の足音や声が遠ざかると、決然として面を上げ、村人たちに向かって大声で宣言いたしました。

  「此度の〈人身御供〉には――我が一仔、小平太を捧げる。皆、そのつもりで準備を進めるように」

  〈しらとりさま〉と仰いますのは、当地の[[rb:産土 > うぶすな]]神でございます。この村と小吉宅とを結ぶちょうど中間にお社が建っておりますが、本殿の扉は厳重に閉ざされ、御神体を拝見することは叶いません。御神名の通り背中に“白い翼”が生えていると言うこと以外お姿に関しては何一つ分かりませんが、そこから抜き取った羽根を弓に[[rb:番 > つが]]えて射放つと、ひとりでに矢に変じて狙った的に[[rb:中 > あた]]るのだと言い伝えられております。

  ――故に、嘗ては“いくさの神”として信奉され、戦勝祈願のため奉納された刀や鎗、弓に鎧兜等が今でも本殿に残っているそうです。

  しかし、こうして天下に泰平が訪れて以降は打って変わって“厄除けの神”として祭られるようになりました。その御利益自体はあらたかなものの……元が荒々しい気性の神様だけあってか、その対価に必ず〈人身御供〉を要求するのでございます。

  凶事が起こってしまった後、あるいはまさに起ころうとしている時……〈しらとりさま〉はどこかの家の屋根に、〈白羽の矢〉を射ち込みます。それは、その家の長男を〈人身御供〉として捧げよと言うお達し。さすれば犠牲は最小限で済むであろう、と。

  十三年前、この村は流行り病に襲われました。シロはまだ生まれて間もなかったので全く覚えていないのですが、その時に身寄りを全て亡くし、名主様のお屋敷に引き取られたのでございます。

  本当は病人が出はじめた段階で既に、〈しらとりさま〉は某家の屋根に矢を射ち込んでいらっしゃいました。しかしそこの両親が可愛い一人息子を差し出すことを渋っているうちに爆発的に感染者が、そして死者の数が増え、同じくまだ乳飲み子だった小平太も全身発疹に覆われて生死の境をさまよったのだ……とシロは以前、一番年嵩の下男から教わりました。

  そうこうする間に両親までもが流行り病に[[rb:罹 > かか]]ってしまったことを知り、当の息子は自ら進んで〈人身御供〉になりました。儀式が無事完了した途端両親は回復したものの、「我が仔可愛さに無用な犠牲を出した」として他の村人たちから恨みを買い――結局、失意のままこの村を去ったそうです。

  だからこそ旦那様も、折角生き延びてここまで成長してくれた己の跡継ぎを指名されたからと言って、小平太だけを特別扱いするつもりはないのでしょう。それ自体は名主として、模範的な態度なのかも知れませんが……。

  「〈しらとりさま〉、〈しらとりさま〉。どうか、小平太坊ちゃまを連れて行かないでくださいませ。お願いします。坊ちゃまがいなくなられたら、旦那様も奥様も、生きるお望みを失くしておしまいになります。〈しらとりさま〉、〈しらとりさま〉……」

  〈白羽の矢〉が立ってから一週間、〈人身御供〉として選ばれた者は本殿に籠もって精進潔斎する習わしでございます。その間は一歩も外に出てはならないのは無論、家族と別れを惜しむことさえ許されません。従って一介の下男にしか過ぎないシロなど境内にすら入れてもらえず、こうして石段の下から伏し拝むのが精一杯なのでございました。

  小平太とは結局、あれから一度も口を利けずじまいです。責任感が強くて気丈な坊ちゃまのことですから決して弱音も恨み事も吐かないでしょうが、本当は不安で辛くて淋しくて仕方ないだろうと心中をお察しすると、シロは自分の方が思わず涙ぐんでしまいました。

  ――いつまでもお傍にお仕えしようと思っていたのに、まさかこんなことになってしまうなんて。ぽたぽたと垂れ落ちた熱い涙が、真下の雪を穿ちました。

  「……風邪、引くぞ」

  シロが涙に濡れた顔を上げると、いつの間にかすぐ傍に小吉が立っておりました。さすがに熊の毛皮を以てしてもこの寒さはこたえるのか、得意先の屋号入りの長半纏を羽織っております。相変わらずの仏頂面で言葉遣いもぶっきらぼうでございますが、心配そうな目でこちらを見下ろし、片手を差し出してまいります。シロがそれに掴まってよろよろと立ち上がると、小吉はその大きく分厚い手からは想像もつかない優しい仕草で、雪や土や枯草をぽんぽんと払い落としてくれました。

  ――しかしシロが足に何も履いておらず、[[rb:草鞋 > わらじ]]の類いも周りに見当たらないことに気付くと怪訝そうに、

  「……来る途中、根雪にでも取られたのか?」

  「裸は無理ですから、せめて裸足でお参りを、と……」

  「……」

  シロとしてはそうすることで、少しでも〈しらとりさま〉に誠意を示そうと考えたのです。しかしこの寒さや雪の深さでは無謀も良い所で、現に耳の内側まで真っ青になってしまっております。

  ――小吉は黙って長半纏を脱ぐと、それをシロの細い肩に着せてくれました。身長差の関係でその裾はシロのくるぶしまで達し、ほぼ全身を暖かく覆います。その上で小吉はシロを促して背中に負うと、己の小屋がある方角へと歩き出しました。

  「……茶、飲んでく時間くれぇはあんだろ」

  「はい……」

  か細い声で答えつつ、シロは小吉の広く逞しい背中にぴったりと身を寄せ、太い首に両腕を回します。〈白羽の矢〉が立ってからと言うもの奥様はすっかり臥せってしまわれるし旦那様は気が立っていらっしゃるしで、下男の中でも一番下っ端のシロなど、今ではむしろ[[rb:邪魔者 > ・・・]]のように扱われてしまっているのです。

  別に自分など、暇を出されてしまったって構わない。それで坊ちゃまが助かるなら。どのみち、十三年前に拾われた命なのだから。今まで養っていただいたご恩を何一つ返せないまま、坊ちゃまと離れ離れになってしまう方がよほど辛い……。

  ――自分のうなじを熱い涙が濡らすのを感じたのか、小吉がまるで赤ん坊をあやすように、シロの身体を揺すぶってまいります。そうして長半纏と小吉自身の温もりや体臭に包まれるうち、シロは少しずつ気分が落ち着いてくるのを感じました。

  小屋に入ると、小吉は囲炉裏の火を火箸で掻き立てました。炭を追加し、[[rb:熾 > おこ]]るまでの間シロを上がり框に座らせて、湯で絞った手ぬぐいで顔や手の汚れを改めて丁寧に拭き取ってくれます。霜焼けになりかけている両足はとりわけ念入りに。その仕草は実に甲斐甲斐しく、仕事中の小吉しか知らない村人はきっと目を疑うことでございましょう。

  ――それが終わると小吉は囲炉裏の前にどっかりと胡坐を掻き、黙ってシロを手招き致します。シロがその傍に遠慮がちに正座すると、小吉は彼を逞しい両腕で抱え上げ、膝の上に乗せました。紺無地の腹掛けや股引越しに、触れ合った箇所からじんわりと体温が伝わってまいります。

  「……可哀想に。かじかんじまって」

  小吉が大きな身体で背後からすっぽりと、シロを包み込んでまいります。寒さでまだ少し強張っているシロの指や腕、それに膝小僧を肉球で献身的に撫でさすっていた小吉の右手が、ごく自然な動きでシロの着物の裾を割りました。

  ――名主である旦那様は農民ながら羽織の着用も許されておりますが、下男でも一番下っ端かつ子供のシロは、着物の下は素っ裸。それなりに値の張る木綿製の褌など、与えられる筈もないのでございます。

  「……ココも。こんなに――」

  「あ……」

  男児の場合は俗に“唐辛子”と称される物を小吉がつまみ、寒さや小平太を喪う恐怖ですっかり縮こまっているソレをくにくにと揉んでまいります。思わず小さな声を上げ身をのけ反らせたシロの尻が、大きくて熱くて弾力を帯びた物をぐにっと圧迫いたしました。それが刺激になった風に、ソレはずきずきと脈打ちながら瞬く間に膨れ上がってシロの尻を力強く押し返してまいります。小吉は左手でシロの下顎を掴み、頭を斜め後ろにねじ向けさせると首を伸ばして接吻をしてまいりました。

  ――小吉はシロの矮躯を抱え直すと、股引の巨大な膨らみをぐいぐいと押し付けながら舌を絡めてまいります。それにぎこちなく応じつつ、シロは初めて小吉に抱かれた日の出来事を思い返すのでした。……

  [newpage]

  [chapter:参の段]

  それは去年の、ちょうど今時分だったでしょうか。今日と同じく、寒さに震えていたシロを見るに見かねた風に小吉は小屋に招き入れ、同じように膝に乗せて、かじかんだ箇所を献身的に撫でさすってくれました。

  確かに顔が怖くて身体は大きいし言動もぶっきらぼうですが、何かと気にかけてくれる小吉のことをシロは前々から慕っておりました。何より生まれて間もなく二親を亡くし、旦那様や奥様はもちろん年上の下男たちにだって一度もそんな風に優しく抱きしめてもらった覚えなどないシロにとって、小吉の分厚い胸板や逞しい腕の感触、そして毛皮からかすかに漂ってくる削り立ての木の香りは何とも気分が落ち着くもので……身体だけでなく心までぽかぽかとしてまいりました。

  『……可哀想に、こんなに縮こまっちまって。すぐに大きくしてやっからな……』

  ですので、その手がやがて股間に伸びてきても無知なりに羞恥心を覚えこそすれ、決して「嫌」だとは感じませんでした。小吉は鋭い爪やごつごつした肉球による刺激も適宜織り交ぜつつ、欄間に彫刻を施す時さながらの繊細な指遣いでシロの未熟な陽根を巧みに愛撫してまいります。ソレが石のように硬く張り詰める頃には、シロは耳の端から尻尾の先まで身体が内側からかっかと火照って、汗ばんでくるほどでございました。

  『しょうきち、さん……』

  『……』

  喘ぐように、どこか舌足らずにシロは相手の名を呼びます。小吉はそんなシロの耳を甘噛みしたり、もう片手で乳首をつまんだりしはじめました。先っぽの皮が窄まった所を太い親指の肉球でほぐすように愛撫されると、シロは痛みとも快感ともつかぬ感覚に身を強張らせ、怯えるように小吉の身体に自分の背中を押し付けます。

  ――その拍子に、何か熱くて嵩張って、ずきずきと脈打っている代物がお互いの間に挟まりました。ソレを尻で圧迫されたことで小吉もまた一瞬身を強張らせましたが、離れようとするどころか一段としっかりシロを抱き寄せ、自分からその巨大な膨らみをぐいぐいと押し付けたりこすり付けたりしてまいります。

  『フーッ、フーッ……』

  『小吉さん。あ――やっ、んっ、うぅ。しょうきち、さんっ……!!!!』

  物も言わず、獣のような息遣いでこちらの股間をまさぐっては何か得体の知れない物を押し当ててくる小吉が全くの別人に思えてきて、シロは戸惑いの中にどこか恐怖を感じはじめましたが――それも束の間、何かが身体の芯で弾けるような感覚とともに頭が真っ白になってしまいました。小吉の指の間で自分の陽根がぴちぴちと、まるで浜に打ち上げられた小魚のように跳ねているのが分かります。それがようやく鎮まった途端に手足から力が抜けてゆく感じがして、シロは耳も尻尾も力なく垂らし、小吉にぐったりともたれかかりました。

  『……何でぇ。「まだ」だったのか』

  愛撫の手を一旦休めた小吉が、自らの指やシロの陽根をしげしげと眺めながら呟きます。それらには何の汚れも付着しておりません。一体何のことだか分からず、小吉のいつもの仏頂面をぼんやりと見上げながら息を整えるシロでしたが、下敷きにしている例の巨大な膨らみは今尚ずきずきと力強く脈打っております。

  ――小吉は額の手ぬぐいを解いて畳み直すと、シロの首筋や脇の下に宛がって汗を押さえてやりながら、

  『……旦那様や、坊ちゃんには内緒だぞ』

  と目も合わせずに申しました。シロは黙って頷き返しました。これもきっと小吉にとっては菓子と同じ、「形に残らない」贈り物なのだろう、と。……

  それ以来、シロは小吉と「まぐわう」ようになりました。と申しましても、大した頻度ではございません。お互い何かと忙しい身ですし、村外れとは言えそれなりに人の行き来もございますので、せいぜい二、三週に一度が関の山。人目を忍ぶのはもちろん、残り香に気を遣う必要もございました。

  しかし小吉はその限られた機会を最大限に活用して、着実にシロへと“肉の悦び”を教え込んでまいりました。翌年の正月が明ける頃には、シロは小吉の口の中で「めでたく」精の[[rb:路 > みち]]を通じさせましたし――祈年祭の後にはあべこべに、小吉から尺八のやり方を教わりました。

  それまで股引越しに盗み見たり、褌の上からまさぐったりした経験しかなかった小吉の魔羅は、完全に怒張するとシロにはちょっと信じられないくらいの太さや長さになりましたが――たとえ顎が外れそうになっても思わずえずいてしまっても、シロは大好きな小吉が悦んでくれるならと一所懸命唇と舌を遣いました。強烈な獣臭を放つ粘っこい子種を頑張って飲み干し、半萎えになった魔羅は無論ふぐりの裏に掻いた汗まで綺麗に舐め清めると、小吉は再び硬くなりました。小吉のこんな姿や泣き所や、気を遣る時に漏らす呻き声を知っているのは自分だけだと考えると、シロは秘かに得意な気持ちにさえなるのでした。

  「あ。はぁ。小吉さん……」

  「……シロ」

  今、シロは小吉の膝の上で向かい合わせになって抱き合い、舌を絡ませております。はだけた着物は辛うじて両肩に引っ掛かっていると言った[[rb:塩梅 > あんばい]]で、完全に直立したシロの陽根が垣間見えております。小吉がシロの菊の座に節くれ立った指を抜き差しするたび、くちゅ、ぬちゃっ……と言う淫靡な水音が微かに聞こえてまいりました。

  「……あれからまた、一回り大きな奴をこさえてみたんだ。

  ――試してみる、か?」

  接吻を中断した小吉からの問いに、シロは恥じらいつつもこくりと頷き返します。小吉の体格相応の太魔羅はシロには大きすぎ今のままではとても入りそうにないので、指物師としての技術を活かした木の張り型で、少しずつ慣らしていっている最中なのでございます。

  小吉は口腔内にたっぷり溜まったお互いの唾液で[[rb:布海苔 > ふのり]]をふやかすと、張り型とシロの菊の座両方に満遍なくまぶし付けます。それからシロを膝立ちにさせて切っ先を宛がうと、小吉自身の持ち物にこそ劣るものの十分太くて長いその張り型は、然程の困難もなくずぶずぶとシロの体内に沈み込んでまいりました。

  「あっ!? は、入ってくるぅ。小吉さんの、おっきぃの、がぁ……!」

  「フーッ、フーッ……」

  相手に媚びを売るためのわざとらしい演技などではなく、本当に小吉自身に貫かれているような気分になってシロがそう口走ると同時に、陽根の先っぽからとろりと上澄みを漏らしました。この年にして所謂[[rb:心太 > ところてん]]に達してしまったシロの痴態に小吉は鼻息を荒げ、もう片手の指先でその上澄みを掬い取ると口に含みます。彼の首っ玉に齧り付き、早くも腰砕けになってしまっているシロの下半身を支えると、張り型をゆっくり抜き差ししはじめました。

  「あ。やんっ。小吉、さん。いい。はぁ。あ。んぅ……!」

  「フーッ、フーッ……!」

  小吉は首筋からシロの右手を外させると、それを己の股座へと導きました。わざわざ探るまでもなく巨大な膨らみに手が触れると、自分の指では回り切らない太さのその怒張を、シロは股引越しに握って上下にしごきはじめます。小吉の魔羅が更に一回り大きく膨張して、紺無地の股引の表面に我慢汁を滲み出させてはシロの指先を粘つかせました。下にきっちり締め込んでいる六尺褌も含めれば計三、四枚重ねになっている筈でございますから、よほど興奮しているに違いありません。

  「……」

  しかし小吉はそれでも我を忘れることはなく、張り型を抜き差ししてシロに快感を与えつつも、決して二度目の絶頂には導かぬよう巧みに加減しております。更には予備の三尺手ぬぐいをくるくると結ぶと、多少身動きした程度では張り型が抜け落ちないようシロの下半身に固定いたしました。

  “おあずけ”を食らわされて切なげに身をよじるシロでしたが、相手が求めているものをすぐに察して膝から降りると、小吉の股座にまだ丸っこい鼻面をうずめます。犬獣人の鋭敏な嗅覚を以てすれば、股引及び褌の前袋内で長時間蒸らされたソコのにおいは一歩間違えれば[[rb:悪臭 > ・・]]になりかねないものでしたが――それはシロにとって、大好きな小吉のにおい。包まれていると安心できると同時に、“肉の悦び”を教え込まれた今となっては如何なる惚れ薬よりも即効性のある香りでございました。

  「すー、はー。すーっ、はーっ。小吉さん。好き。好きぃ……!」

  巻き尾をちぎれんばかりに振り立てながら、シロはほとんど[[rb:譫言 > うわごと]]のようにそう言い募っては股引の巨大な膨らみに頬擦りし、黒い鼻を押し付けて胸一杯にソコのにおいを吸い込みます。菊の座がひとりでに収縮と弛緩を繰り返し、それにつれて張り型もまたひとりでに前後しはじめて、ふやけた布海苔とシロ自身の腸液が混じり合った汁を内腿に伝わせました。

  上から嗅ぐだけでは物足りなくなったシロは、股引の紐をほどいて太腿の半ばまでズリ下ろさせると、我慢汁でべちょべちょの六尺の前袋に鼻面をうずめます。ソコをべろんべろんと舐め上げるうちに洗い晒しの木綿布がどんどん小吉の怒張に張り付いて透けてきて、その輪郭はもちろん色合いまでもが浮かび上がってまいります。

  ――小吉がよしよしと両耳ごと頭を撫でてきてくれるとシロは感極まって、とうとう床板に精を漏らしてしまったのでございました。……

  [newpage]

  [chapter:肆の段]

  「小吉さん」

  「……ん」

  「これ……」

  いつものように小吉を口で満足させ、水浴びの代わりに湯で絞った手ぬぐいでお互いの身体を清め合っていたさなか。小吉の二の腕や胸の地肌に紫色の染みのような斑点がぽつぽつと浮かんでいる事実に、シロは初めて気が付きました。何かの染料が飛び散ってこびり付いているのかと思いましたが、どんなにこすっても取れません。

  「……ああ、そいつか。流行り病に罹った証拠だ」

  「それって十三年前、〈しらとりさま〉が鎮めてくださったって言う?」

  「……応。俺は割合症状の軽い方だったんだが、それでも未だに所々、発疹の痕が残ってやがんのよ。

  ――心配しねぇでも再発も、[[rb:伝染 > うつ]]りもしねぇよ」

  小吉はそっぽを向いて、ぶっきらぼうに付け足します。機嫌を損ねたわけではなく、他ならぬその時にシロが身寄りを全て亡くした事実を念頭に置き、果たしてこの話題を続けてよいものか気を遣ってくれているのかも知れません。

  身寄りを亡くした者は何も自分一人ではないのだから、特に気にしてはいないと小吉に伝える目的が一つ。そして純粋に興味を持ったと言う理由がもう一つで、シロは他の部位を拭き清めながら、

  「確か小平太坊ちゃまはかなりの重症で、生死の境をさまよわれたんですよね? そんな痕がおありだなんて、僕、ちっとも……」

  「……そりゃまぁ、回復力は個人差が大きいだろうが――普段は毛に隠れて見えねぇってだけで、多かれ少なかれ残ってやがる筈だぜ」

  現にシロ自身、今の今まで小吉のこの痕に気付かなかったのですからそれも道理でございます。しかも如何に年が近いとは言え、シロは小平太と同じ湯船に浸かったり、ましてや裸体を間近に眺めたりした経験などこれまで一度もないのですから。

  「……俺ぁともかく、嫁入り前の娘っ仔なんぞは泣きを見た奴も多いだろうからな。あんま触れてやんなよ」

  「はい」

  しかも〈人身御供〉を差し出すのが遅れた結果被害が拡大し、それだけ病やその痕に苦しみ悩む村人が増えてしまったわけでございますから、当時をよく知る大人たちの間ではこの話題は禁忌扱いなのかも知れません。シロとしても別に他人のあら捜しをしたかったわけではございませんので、すぐに忘れることに決めたのですが――〈しらとりさま〉や小平太の名が挙がったことで思い切って、

  「十三年前……〈人身御供〉に選ばれた方は、どうなったんです……?」

  「……さぁな。翌朝、俺たちが様子を確かめに行った時にはもうどこにも見当たらなかった。毛の一本、血の一滴すら残さずに消え失せて――未だに、骨も見つかんねぇ」

  「でも、どうして小平太坊ちゃまを? 十三年前に一度救っておきながら……」

  「……こうして[[rb:次の機会 > ・・・・]]に捧げさせるためにこそ、かもな」

  「そんな……!」

  何とかして小平太をこの残酷な定めから救えないか、シロが考えあぐねていること。こうして小吉の誘いに応じたのも、二人きりでその相談をする目的を兼ねていたこと。それらの事実は小吉には全てお見通しのようでしたが、こればかりは如何にシロの頼みでも、もはや打つ手はないと言いたげにかぶりを振ってみせます。

  ――耳と尻尾を垂らし、悄然としてしまったシロの矮躯を小吉は優しく抱き寄せると、己の顎の下に相手の頭を挟み込んで、まるで赤子でもあやすように揺すぶってまいります。両目を閉じ、その愛情深い仕草に黙って身を任せていると段々気分が落ち着いてくるのが分かりましたが、シロはぽつりと、

  「もし、選ばれたのが僕だったら。小吉さんは――どうして、ました……?」

  「……逃げたさ。おめぇを連れて、どこまでも、な」

  シロを抱きしめている小吉の頑健な四肢に、ぐっと力が籠もりました。小吉ならきっとそう言ってくれるだろうと内心期待してはいたものの、実際に口にしてもらえるとシロは無性に嬉しくなって、目尻に涙を滲ませながら相手の分厚い胸板に頬を寄せます。小吉はそんなシロの顎を上げ、接吻を施してまいります。その股座では疲れを知らぬ魔羅が再び鎌首をもたげ、シロの下腹を力強く突き上げてきておりました。

  しかし、今も本殿に独りぼっちで、運命の時を待っているのであろう小平太に想いを馳せると――自分だけこんな風に恋人と逢瀬をしている事実に対して、シロは遅まきながらに罪悪感を覚えるのでありました。……

  [newpage]

  [chapter:伍の段]

  最後に一目、小平太坊ちゃまにお会いしたい。お顔を拝見するのが叶わないならせめて扉越しにでも、これまで大変お世話になったお礼を申し上げたい。いくらそうやって懇願しても、シロはやはり境内にすら入れてもらえませんでした。それでも諦め切れずに石段の下を右往左往していたシロの耳に、何やら釘を打ち付けるような音が聞こえてまいります。

  近くで拝んでいた老人に尋ねてみたところ、十三年前もその前も同様に本殿の扉に板を打ち付け、厳重に封鎖したと言う話です。そんな状態から〈人身御供〉が跡形もなく消え失せたため、それまで懐疑的だった者たちも〈しらとりさま〉の実在を信じざるを得なくなったのだ、と……。

  するとそこに、金槌を握った旦那様がふらふらと石段を降りてまいりました。どうやら名主としての責任を果たすため、手ずから板を打ち付けて小平太を閉じ込めてきたようですが、両耳をぺたりと斜め後ろに寝かせ、目に一杯涙を溜めております。

  ――しかしシロの姿を見咎めると表情を引き締め、こちらをきっと睨み付けて、

  「子供が面白半分で見物に来るような所ではないぞ、この罰当たりめが!」

  「も、申し訳ございません旦那様。ただ、せめて遠くからでもと――」

  「〈しらとりさま〉のお怒りに触れたくなくば、今宵は一歩も屋敷の外に出るでないぞ! 貴様の如き下男の一人や二人どうなろうと儂の知ったことではないが、小平太の尊い犠牲を無駄にするつもりか!!!!」

  いつになく激しい口調かつ、小吉宅まで届きそうな大声で叱責してくる旦那様に対し、シロはその場に這いつくばって懸命に許しを乞うことしか出来ません。さも苛立たしげにそちらへと砂利を蹴り上げると、旦那様は下唇を噛みしめ、両目から涙をこぼしながらまたふらふらと、お屋敷の方へと歩み去ってお行きになりました。途中でその右手から金槌が滑り落ち、鈍い音を立ててもまるで気が付かない様子で。老人はそんな旦那様の背中を気の毒そうに見送ると、再びその場から本殿の方角を拝みはじめます。

  ――シロはもう、〈しらとりさま〉に祈ることはやめました。小吉も巻き添えにしてはいけないと思いました。斯くなる上は自分独りの力で坊ちゃまをお救いする他ないと……ようやく、覚悟を決めました。

  いよいよ当日。日暮れとともに境内にはいくつもの篝火が焚かれ、近隣の村はもちろん町からも儀式のことを聞き付けた熱心な信徒たちが石段の下に詰め寄せて一心不乱に祈りを捧げており、一種異様な雰囲気を醸し出しております。

  ――それでいて、鳥居をくぐろうとする者は誰一人としておりません。それどころか、面を上げてそちらを直視することすら憚っている様子でございます。〈しらとりさま〉の御機嫌を少しでも[[rb:害 > そこな]]うようなことを仕出かしたらたちまち儀式は失敗に終わり、十三年前と同じ轍を踏むに違いない……と畏れ切っているのです。

  だからこそ、シロが境内の裏手の藪からぴょこんと顔を出し、左右を窺っても……篝火の合間に生じた濃い影を拾いながらそろそろと本殿の方に進んでも、誰一人として見咎める者はおりませんでした。シロは本殿の板壁にぴったり背をくっ付け、胸に片手を置いて深呼吸をすると、旦那様が落として行かれた金槌の釘を抜く側を用いて、古びた板を慎重に剥がしはじめました。

  篝火がぱちぱち弾け、石段の下からは信徒たちの唱える文言が地鳴りのように轟いてくる中、板が軋んだり罅割れたりする音がシロの耳には異様に大きく響きました。小吉の仕事道具をこっそり拝借しようかとも考えましたが、几帳面な小吉はきっとすぐに紛失に気付くし、最悪自分の共犯者として疑われてしまうだろうからと思い直したのです。

  ――ようやく小さな隙間が開くと、シロはそこから中を覗き込みました。蝋燭の明かり一つ見当たらない真っ暗闇でございましたが、不審な物音には既に気付いていたらしく、向こう側から恐る恐るこちらを窺ってきた人物とすぐに目が合います。泣き腫らしてこそいないものの、すっかり憔悴して充血してしまっているその片目が、驚きに見開かれました。

  「シロ!? お前、何で――」

  「しーっ」

  思わず声を上げてしまった小平太に対し、シロはそう言いながら唇の代わりに、目の前に人差し指を立ててみせます。作業を再開し、何とか頭を突っ込めるくらいの大きさまで穴を拡げると、シロは改めて小平太の姿を眺めました。

  精進潔斎の最終段階として、小平太は前日の夜から断食を強いられ、水さえ与えられていない筈です。しかしあんなに勝ち気で活発だった小平太がすっかりやつれて見えるのはきっと、それだけが原因ではないでしょう。〈人身御供〉に、あるいは[[rb:死出の旅 > ・・・・]]にふさわしい白装束に既に着替えさせられております。

  ――まるでシロがそこにいることが未だに信じられないように、続いて下男に対して少しでも威厳を取り繕おうとするように小平太は両手で顔をごしごし洗うと、

  「こ……こんな所で、一体何をやっておるのだ。お屋敷でじっとしていろと、父上からきつく申し渡された筈であろう。それなのに――」

  「時間がございません。これに着替えてください」

  子供一人なら何とか通り抜けられる大きさまで穴を拡げると、シロは早速自分の粗末な着物を脱ぎはじめました。小平太は怪訝な顔をしておりましたが、元々が聡いたちですのでじきに相手の意図を察し、

  「まさか……おれの身代わりになるつもりか!? この愚か者め! 確かにおれたちは年が近くて、見た目も割合似通っておる。しかもこの暗さなら、村の者たちの目は欺けるやも知れぬが――〈しらとりさま〉が。他ならぬ〈しらとりさま〉が、[[rb:的 > ・]]を見紛えよう筈もない。結局おれの方が連れて行かれた挙句にお前まで罰が当たってしもうては、何の意味もなかろうが……!」

  「……ありがとうございます、小平太坊ちゃま」

  躍起になってこちらを思い留まらせようとしてくる小平太に、シロはにっこりと微笑み返しました。表面上は尊大で横柄な態度を取ってみせていても、小平太はいつもシロに対して好意的に接してくれておりました。旦那様も然り。あんな風に叱り飛ばしたのは、本当はシロのためを想ってだったとちゃんと理解できております。

  ――だからこそ、小平太に生きていてほしいとシロは思いました。自分には小吉との想い出があります。前々から慕っていた相手にあんな風に求められて、色んなことを教えてもらって、贈り物まで貰って、沢山気持ち良くしてもらえて……シロはこの一年間、とても幸せでした。けれども小平太はまだきっと、[[rb:恋 > ・]]を知らないでしょうから。「どこまでも連れて逃げてやる」と言ってくれるような人などいない、でしょうから……。

  「裏手の藪に、風呂敷包みを隠してあります。もう村には戻れないでしょうから、それを持ってお逃げください。遠くまで。

  ――どうかお達者で、坊ちゃま……」

  「……駄目だ。おれにはそんなことできない、シロ。〈しらとりさま〉が、そんな不敬は許さない……」

  折角洗ったばかりの顔をくしゃくしゃにして、小平太は涙を流します。シロは今生の別れに相手をぎゅっと抱きしめると、指で涙をぬぐって差し上げました。

  ――本当に、他人の空似とは信じられないくらいお互い似ている、と思いました。たとえ主従の間柄ではなく血を分けた兄弟だったとしても、自分は必ず同じことをしただろうと思いました。

  「さ……早く」

  結局のところ命が惜しかったからではなく、シロの揺るぎない決意に促された風にして、小平太は白装束を解きはじめました。ここに籠もって以降はろくに湯も使えていない筈ですが、その毛並みは未だに雪のような白さや柔らかさを保っております。その地肌に、流行り病に罹った痕が紫の斑点になってあちこち残っているとはとうてい信じられないほど……。

  シロは小吉の胸や二の腕の、発疹の痕をまぶたの裏に描きました。唯一の心残りは、小吉にお別れを言えなかったこと。学のないシロには書置きを残すことすら叶わなかったのですが……きっと、それで良かったのだと考えました。そんな真似をしたらどうしても未練が生じて、決心が鈍ってしまったに違いありません。それに小吉はああ見えて鋭い男ですから、恐らくはシロの計画を察知して、何としてでも阻止しようと――

  がたん、と言う物音にシロも小平太も身を強張らせ、三角形の耳をぴんと立てました。まだ刻限には早い筈ですが、もしや〈しらとりさま〉がお出ましになったのかと思うと二人の身体は恐ろしさのあまり小刻みに震えはじめ、息を殺すとどちらからともなく身を寄せ合います。

  しかし今の物音は天井からでも厳重に封鎖された扉からでもなく、どこかの隅から聞こえてきたようでございます。シロが改めて本殿の内部を見回すと、ようやくこの暗闇に順応した目に、御神体らしき大弓や過去の奉納物と思しき刀や鎗、そして漆塗りの鎧櫃が映りました。

  再びがたん! と言う物音が聞こえたと同時に、その鎧櫃の蓋がひとりでに持ち上がりました。思わず悲鳴を上げそうになったシロの口を小平太が塞ぎ、シロに縋り付くと言うよりはむしろ自分がシロを得体の知れない存在から守ろうとするかの如くに、しっかりと抱きしめてまいります。

  “白い翼”があるからにはきっと上空から音もなく舞い降り、屋根をすり抜けてお越しにでもなるものとそれまで漠然と想像していた二人は、度肝を抜かれてしまっておりましたが……やがて蓋をもっと高く持ち上げ、鎧櫃の中からのっそりと身を起こしたその人影は――

  「小吉、さん……?」

  [newpage]

  [chapter:陸の段]

  今しがた考えていた通り、シロが小平太の身代わりになろうとしている事実を察知し、それを阻止に来たのでしょうか。それともたまたまシロの姿を見かけ、こっそり追ってきたのでしょうか?

  ――いいえ、どちらにしても鎧櫃の中から出て来るわけがございません。シロはこの予想外の展開に目をぱちくりさせ、よもや小吉こそが〈しらとりさま〉の化身だったのでは……などと埒もない考えを起こしてしまう始末でございました。

  「……」

  しかし、当の小吉はシロ以上に驚いているようでございました。鎧櫃の中から身を起こし、こちらを少し振り返った格好のまま彫像の如く硬直してしまっております。その頭の高さから察するに、鎧櫃は底が抜ける仕組みで、小吉はそこから続く隠し通路の一段か二段下を踏みしめている様子でございました。

  ――シロは小吉の亡き父親が、[[rb:宮大工 > ・・・]]であった事実を思い出しました。きっとこの社殿の修繕等にも係わっていた筈です。生前に隠し通路の存在を聞かされており、そこを通って小平太を秘かに助け出しに来てくれたのでしょうか?

  「小吉さ――」

  〈しらとりさま〉に対する信仰心と、シロの願いを叶えてやりたいと言う気持ち。その二つの間で板挟みになった末、後者を選んでくれたのだと思うとシロの胸は安堵と小吉への感謝の念、そして愛情で一杯になり、顔を輝かせながらそちらに駆け寄ろうとします。

  しかしそんなシロの肘を捕まえると、小平太は彼を先程以上に強く抱き寄せました。あまりはしゃぐと人に気付かれてしまうかも知れないので慌てて制止してくれたのかと、シロは反省いたしましたが――小平太はいつになく厳しい顔つきで、小吉を睨み付けております。

  「……その、懐に隠し持っておる物は、何だ」

  「……」

  小吉は小平太にじっと視線を注いだまま、ゆっくりと背筋を伸ばすとともに、身体ごとこちらに向き直りました。腹掛けのどんぶりに右手を突っ込み、逆手に握って取り出してみせた鑿の刃先が暗がりの中で、一瞬銀色に光ります。商売道具なのですから常に携帯していても何の不思議ではない……ものの、シロのように壁板を剥がすならともかく、最初から隠し通路を使うつもりであったなら必要ない品の筈です。

  ――それを見た小平太はシロの身体を抱きしめたまま、慎重に小吉との間合いを見計らいます。

  「……やはり、な。おれが気付いていなかったとでも? お前がここ最近、おれのことを物騒な目で見ていたことに。明らかに[[rb:殺意 > ・・]]が籠もっていたことに。

  ――だが、なぜだ? おれにはまるで、身に覚えがない」

  「……シロ。小平太連れて、こっち来い」

  「駄目だ!」

  小平太からの問いには答えずいつも通りのぶっきらぼうな調子で命じてくる小吉に、こちらを一段と強く抱きしめてくる小平太。果たしてどちらに従うべきか分からず混乱してしまうシロでしたが、その中でもたった一つ、確かな違和感を覚えました。それは小吉が名主の跡取り息子を今、[[rb:呼び捨て > ・・・・]]にしたと言うこと……。

  「なぜお前がおれのことを、然様に憎んでおるのか知らぬが……後半刻も経てば〈しらとりさま〉に連れて行かれる定めの相手を、何ゆえわざわざ殺しに来るのだ? 儀式を失敗させたいのか。それとも、まさか――あの〈白羽の矢〉は最初から、[[rb:お前の仕業 > ・・・・・]]だったのか……?」

  シロはあの、運命の日の出来事を思い返します。どんなに背伸びをして顔をあお向かせても、小柄なシロの目には甍の向こう側に真っ白な矢羽根らしき物が覗いているのが辛うじて見えるだけでございました。きっと第一発見者である一番年嵩の下男にも、彼の叫びを聞いて出て来た旦那様や奥様にも、お屋敷の周りに詰め寄せた村人たちにも矢の全体像は見えなかったことでしょう。しかし十三年前の記憶を色濃く留め、いつまた新たな〈人身御供〉を要求されるか分からないと畏れていた大人たちは皆、直ちに〈しらとりさま〉のお告げだと断定したのでございます。

  ――でも、もしあの時甍の向こう側に存在していたのが、例えば白い羽根に重りを付けただけの物であったとすれば? いつぞや小吉が土産にくれた護謨式のぱちんこで、それを屋根まで飛ばしたのだとすれば。そして翌朝、身軽で屋根葺きの心得もある己自身がそれを回収するよう頼まれることを見越した上で、隠し持っていた偽の〈白羽の矢〉を懐から取り出し、さも今そこから引き抜いたかの如くに見せかけたのだとすれば……? 確かにあの矢柄はシロが見たこともない金属で出来ておりましたが、小吉ならば町でその手の新素材も仕入れてこられるでしょうし、単に昔の矢を再利用しただけとも考えられます。鏃らしきものが見当たらなかったのも道理、最初から瓦屋根に突き立ってなどいなかったのでございますから。

  「でっ、でも……どうして……?」

  どうしてそんな手の込んだことをしてまで、小吉が小平太を葬り去ろうとするのか。単に〈しらとりさま〉の仕業に見せかけることで、罪を逃れようとしているだけとは思えません。

  ――現場によりにもよってシロが居合わせた挙句、小平太が予想以上に頭が回り肝も据わっている子供だったせいで、完全に予定が狂ってしまったのでしょう。小吉は鑿を握った拳でとんとんと額を叩きながら思案を巡らせている様子でございましたが、斯くなる上は洗いざらい喋ってやることに決めたのか、

  「……おめぇが、邪魔だからだよ」

  と小平太に向かって言い放ちました。それはシロが慣れ親しんだぶっきらぼうな口調とは似て非なる、吐き捨てるような物言いで――シロは思わず、全身の毛が逆立つのを感じました。

  「……別に構やしねぇだろ。おめぇは[[rb:端 > ハナ]]っからこん時のために、旦那様に[[rb:拾われた > ・・・・]]んだから、よ……」

  「えっ……?」

  シロのみならず小平太も、瞬時には理解に苦しみました。小吉が完全に正気を失い、シロと小平太の見分けがつかなくなっているのかと疑ったくらいでございます。

  ――しかし小吉は目にぎらぎらと狂気じみた光を浮かべつつも、これまでずっと抱え込んできた秘密をようやく当事者たちに向かって吐き出せる機会を得てどこか喜んでいる風に、

  「十三年前。旦那様と奥様は実の息子と、流行り病で身寄りを全て亡くした仔をすり替えたのさ。二人ともまだ生まれて間もなかったし、同じ犬獣人で白い毛並み。しかも実の息子の方は相当重症だったから、多少人相が変わっちまってたところで誰も不審に思いやしねぇ。現にこの俺だって、まるで疑いもしなかったよ。

  ――おめぇの肌のそこら中に、[[rb:紫の斑点 > ・・・・]]を見つけちまうまでは、な」

  シロの方に顔を向けると、小吉はどこか皮肉っぽく口元を歪めてみせます。対する小平太はと申しますと、シロが小吉に懐いており、また小吉の側もシロを可愛がっていること自体は把握していてもまさかそんな深い仲にまで進展しているとは思いも寄らなかったらしく、当初はむしろそちらの事実に衝撃を受けた顔をしておりましたが――遅ればせながらに小吉の言葉の意味を理解すると、その顔を青ざめさせました。

  「……『ほとんど見当たらねぇ』なら納得が行く。生まれたばっかだったから、成長するに従って自然と薄れて消えてったんだろうってな。だが症状が遥かに軽くて、発疹もほとんど見当たらなかった筈の餓鬼に――シロにンな痕があんのは理屈に合わねぇだろうが!」

  押し殺されてはいいもののドスの利いた声色で、小吉は小平太に向かって鑿の切っ先を突き付けてまいります。

  万が一自分たちの家に〈白羽の矢〉が立ち、尚かつ二人目の男児に恵まれなかった場合に備え、旦那様と奥様が本当のシロを『小平太』として……そして本当の小平太を『シロ』として育てたこと。村人たちの、そして〈しらとりさま〉の目を欺くために『小平太』を溺愛する一方、敢えて『シロ』に粗末な着物しか与えずにこき使ってきたことを――シロはようやく理解できました。旦那様があれほど厳しく、当日は屋敷から一歩も外に出ないようにと言い付けてきたわけも。

  「……『小平太』が実際に〈人身御供〉に選ばれちまった場合は無論のこと、晴れて元服の日を迎えたとしても――旦那様は時期を見計らって、素知らぬ顔で『シロ』を養子に迎えるつもりだったんだろうよ。元々よく似てたし仲も良いし、今後は兄弟同士として支え合ってくれれば……なぁんて人情[[rb:噺 > ばなし]]めかしてな」

  けれども、とシロは思いました。小平太が〈人身御供〉に選ばれて以来、奥様が臥せってしまわれたのは。そしてこの場所に手ずから小平太を閉じ込めてきた帰り、旦那様が涙を流していらっしゃったのは、決して演技などではなかった筈だと。替え玉とは言え、十三年もの間我が仔として育ててきた相手なのです。血を絶やさぬよう“保険”をかけておいたのは事実にせよ、〈白羽の矢〉が自分たちの家に立たないことを切に願っていたに違いありません……。

  「だからって、なぜお前が? 父上に何か恨みがあるのなら、あるいは我が仔可愛さに〈しらとりさま〉の目を欺こうとしたこと自体に憤っているのなら、おれではなく本物の小平太を――『シロ』を狙う筈。否、そもそも〈白羽の矢〉を偽装するような不敬を働くわけがない……」

  己が実は旦那様と奥様の子供ではなかったこと、そして真の跡取り息子を守るための影武者に過ぎなかった事実に衝撃を受けつつも、小平太は気丈にシロを庇い続けます。それは小吉を問い詰めると言うよりも自問するような口調でしたが、

  「……おめぇが生きてっ限り、『シロ』は日陰[[rb:者 > もん]]だ。たとえ養子として迎えたトコで、旦那様も奥様も実の親子の名乗りをするこたぁ許されねぇ。おめぇも他の下男どもも、相手こそが真の跡取りだとも知らず軽んじ続ける。

  ――ンなの、『シロ』が不憫だろうが。惚れた相手にゃあ、もっといい暮らしをさせてやりてぇだろうが……!」

  「しょうきち、さん……?」

  シロは恋人の顔を見つめます。その厳つい顔立ちは歪み、目尻に光る物が見えます。鑿の切っ先が震えましたが、小吉はそれを握り直すと手の甲で涙をぬぐい、

  「……ひょっとすると、十三年前の〈白羽の矢〉も偽[[rb:物 > もん]]で……そこの隠し通路の存在を知ってた野郎が、あの状況を利用して、前々から懸想してた〈人身御供〉を連れて逃げやがったのかもな。今となっちゃあ真相は闇ん中だが――俺なんぞと駆け落ちするよか。名主の家を継いだ方が、おめぇはきっと幸せになれる……」

  仮に〈人身御供〉に選ばれたのがシロであったなら、彼を連れてどこまでも逃げていたと小吉は答えてくれました。それは嘘偽りのない、本心であったに違いありません。そう、それが本物の、一介の下男に過ぎないシロであれば……。

  ――小吉は泣き笑いのような表情でこちらをじっと見つめてくると、

  「……おめぇだってそう思うだろ、『シロ』? 今の暮らしに不満だから――こんまま生きてたって何の夢も希望もねぇと思ったからこそ、『小平太』の身代わりになろうとしたんだろ? 俺みてぇな稚児趣味の醜男に、少しばかりの菓子と引き換えに慰み物にされ続けるよか、いっそ〈しらとりさま〉に食い殺された方が幸せだと思ったんだろうが!!!!」

  小吉は声を張り上げ、鎧櫃の角に鑿を深々と突き立てます。まぐわいの最中にも見せたことのなかった小吉のそんな荒々しい、感情を剥き出しにした姿に思わず身を竦ませたのも束の間、シロの両目からはぽろぽろと、涙がこぼれ落ちてまいりました。

  愛する人の、本性を知ってしまったからではございません。いつも相手に甘えてばかりで、自分がどんなに幸せだったか、満たされていたかをちゃんと言葉にして伝えていなかったせいで、この孤独な大男を狂わせてしまったのだと思い知ったからです。両想いだと信じていたのはこちらだけで、小吉の側はずっと「自分が怖くて逆らえないだけだ」と……「自分など愛してもらえる筈がない」と思い込んでいたのだ、と。

  ――小吉は木片を飛び散らせながら鑿を引き抜くと、血走った目を小平太に向け、

  「……試しに、大声で助けでも呼んでみるか? たとえ石段の下まで届いたとしても、どうせみんな〈しらとりさま〉に食われてる真っ最中だと思って、ますますその場に畏まっちまうだけだろうよ。

  ――分かったら、観念してこっち来な。その『シロ』が、おめぇのために惜しげもなく命を捨てようとした姿を見たろ。その健気さを少しは見習ったらどうだ? 『小平太』よぉ……」

  鑿の切っ先を再びこちらに向け、小吉はじりじりと迫ってまいります。シロはと申しますと自責の念のあまりもはや自力では立っていられない有様でございましたが、そんな相手の身体をしっかりと抱きかかえながら、小平太は後ずさります。その背中がとうとう、外側から釘付けされた扉に行き当たりました。

  「〈しらとりさま〉。〈しらとりさま〉……」

  「……往生際が悪ぃぜ。〈人身御供〉として、生きたまま食い殺される覚悟は出来てたんだろ? 俺ならもっと優しく、一撃であの世に――」

  [newpage]

  [chapter:切の段]

  次の瞬間、小吉の額に真ん丸い大穴が開きました。そこに巻かれていた手ぬぐいはおろか鼻面の付け根や両目の一部まで一撃の下に削り取られ、向こう側が覗いて見えます。

  シロや小平太はもちろん小吉自身も一体何が起こったのか分からない様子で、尚も数歩こちらにふらふらと歩み寄ってまいりましたが――数拍遅れで傷口から夥しい血が溢れ出るとともに、どうとうつ伏せに斃れ伏します。そこから広がった血溜まりが、二人のつま先を熱く濡らしました。

  「あ。あ……!」

  小平太の腕を振りほどくとシロはその場にうずくまり、自らの白い毛皮が血に染まるのも構わずに、恋人の肩を揺すぶったり抱き起こしたりして何とか介抱しようと致します。しかし小吉の頭に穿たれた穴はシロ自身の腕が簡単に通ってしまうほどの大きさで、とうに事切れているのは火を見るよりも明らかでございました。

  一方の小平太は壁際に呆然と立ち尽くしたまま、小吉の骸を挟んで向こう側に立っている存在を見上げておりました。大男の小吉よりも更に背が高く、言い伝え通り一対の“白い翼”で己自身の下半身を覆っております。あたかも羽根の一枚一枚が内側から高貴な輝きを放っているかの如く、その周囲だけ[[rb:眩 > まばゆ]]いほどに白い光が差しておりました。

  ――しかし小平太が本当に驚いたのは、畏れ多くも拝見したそのお顔です。猛禽か、さもなくば水鳥のそれかと漠然と思い描いていたその目鼻立ちは……所謂唐獅子にも似た肉食獣の物で、[[rb:褐色 > かちいろ]]の立派な鬣を蓄えていらっしゃいました。左手には弦のない大弓をお構えになり、たった今目に見えない矢を射放したかの如くに、右手を虚空に添えていらっしゃいます。翼で隠れていないその上半身は筋骨隆々として、[[rb:金色 > こんじき]]の毛皮に覆われておりました。

  「しらとり、さま……?」

  その有翼の獅子獣人は弓を翼の中に仕舞い込むと、鬣と同じ褐色の瞳で小平太を一瞥なさいました。途端に崇敬の念に駆られた小平太はすぐさまその場に平伏し、床板に額をこすり付けます。

  「小吉さん。しょうきち、さぁん……!」

  対するシロは〈しらとりさま〉の出現に驚いている心の余裕すらない風に、小吉の骸に縋り付いております。〈しらとりさま〉の仕業に見せかけて小平太を葬り去ろうとした廉で“天罰”を下されたのだと……当然の報いなのだと頭では理解できていても、どうしても諦め切れないのでございます。涙と小吉の血にまみれた顔で〈しらとりさま〉を振り仰ぐと、

  「お願いします。小吉さんを助けてください。僕が本当の小平太なら、僕を代わりに、〈人身御供〉として――」

  「……元より、そのつもりよ」

  シロの襟首を引っ掴むと、〈しらとりさま〉は愛する者を目の前で喪って震えている仔犬の矮躯を片腕で抱きかかえました。小平太と衣装を交換しようとして帯を解いたまま、結び直す暇もなかったその着物に片手を差し入れると、獅子の鉤爪を具えた指先で早速シロの菊の座をほじくってまいります。

  「や゛っ、あ……!?」

  「この不信心者にじっくり“開発”されてまいっただけあって、柔らかくほぐれて汁気を帯びた良い穴よの。これならば我の得物も、労せずして咥え込めるであろうて」

  「し、〈しらとりさま〉……?」

  こわごわと面を上げる小平太に対し、〈しらとりさま〉は獅子の獰猛な面構えに好色そうな笑みを浮かべると、

  「今申したばかりであろう。此度は元よりこの『シロ』を――まことの小平太を〈人身御供〉として捧げさせるつもりであったのよ。十分熟れて食い頃になった故、完全に操を散らされてしまう前に……と思うての」

  自分が両者の入れ替わりに気付いていなかったとでも思うのか? と言いたげに〈しらとりさま〉は小吉の骸を見下ろします。自分は最初からあの家の屋根に〈白羽の矢〉を立てるつもりだったが、おかげで手間が省けたと言わんばかりに。

  「『小平太』、いやさ、まことのシロよ。汝は入れ替わりの事実をつゆ知らず、〈人身御供〉として我に命を捧げる決意を固めた。この『シロ』に逃げるよう[[rb:唆 > そそのか]]されても最後まで迷っておった。

  ――その信仰心の篤さに免じて、此度は祈りを聞き届け……斯くして、姿も現してやった。今後とも励むがよいぞ」

  傲岸不遜に申し渡してくる〈しらとりさま〉に対し、小平太は再びこうべを垂れます。その両目から床板に、涙の雫が滴りました。

  ――それすなわち、「替え玉を画策した者どもは赦さない」と言うこと。きっと今頃旦那様も奥様も小吉と同様に、額に大穴を穿たれて事切れていることでしょう。その“天罰”を目の当たりにした村人たちは、今まで以上に〈しらとりさま〉を畏れ敬うに違いありません……。

  「嫌だ、放して! 小吉さんの傍にいる。もう、死んでも離れない……!」

  「『小平太』の身代わりになって、我に連れ去られる覚悟をしてまいったのであろう? 願ったり叶ったりではないか。

  ――何、案ずる必要はない。我がたっぷり可愛がって、斯かる不信心者のことなどじきに忘れさせてやるほどに、の……?」

  「小吉さん! 小平太、坊ちゃまぁあああ……!!!!」

  次に小平太が面を上げた時には〈しらとりさま〉のお姿も、シロの姿も既にそこにはなく――ただ真っ白な羽根が一枚ひらひらと、小吉の骸の背に舞い落ちてきたばかりでございました。……

  ~完~

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