【俺の愛しいエゴイスト】あのこどこのこ きみはぼくのこ【01/26青春エゴイズム 11】
※以下サンプルです。本文から断片的に抜粋しております。
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1.糸師冴という青年について
兎の獣人である糸師冴は、現在、サッカーの世界で天性の才を遺憾なく発揮し、プロフットボーラーとして活躍している。兎獣人の特性でもあるバネのある脚力と、鋭い分析力を生かしたプレーは、最高のMFとして名高い。そして、今や世界の至宝と呼ばれるようにまでなった。
そんな順風満帆な人生を歩んでいるように見える彼は、実は中々の波乱万丈な経歴を持つ。
まず、彼の両親は実の肉親ではない。唯一の肉親は、同じくサッカー選手として活躍している弟の凛のみで、彼ら兄弟は孤児院の出身だった。すでに二人の物心がついた時には孤児院にいたことから、実の両親は二人が幼い頃にはすでに蒸発していた。冴と凛の両親がどういった末路を辿っているのかはわからない。ただ、これだけ二人が有名になっても名乗りを上げない、もしくは誰からも情報のタレコミが無いということは、既に亡くなっているのだろう。
しかし、冴も凛も幼少期に自分たちを捨てた実の両親がどんな人物なのかなど、どうでもよいと思っていた。
もう一つは、兄弟が人身売買組織の被害者であることだ。
この事件は、人身売買の首謀者と獣人を専門とする孤児院が組織ぐるみで大規模に行っていたこと、かつ、それらの売買先が財政界の大物達という噂もあり、メディアにも大々的に取り上げられ、世間を賑わせることになる。
そしてこの事件が、獣人への差別による影響が残っていた、権利や保護制度の改革を大幅に進めるきっかけになったこと、内容のセンセーショナルさも相まって、広く注目を浴びることとなる。そのため、多くのルポルタージュや関連書籍の発行、そして事件を題材にした映像・小説といったエンタメ作品が生まれ、十年以上経った現在でも事件について考察する熱狂的なフリーク達が存在するのであった。
論考を重ねる一部のフリーク達のなかで、疑問として必ず上がる議題がある。それは、誘拐された糸師冴と糸師凛の二名のみ、保護当初に虐待された痕跡がなく、栄養様態が偏っていたとはいえ、身体も精神状態も健康そのものだったことだ。
保護した人々によって明かされる、人身売買の被害にあった獣人の子供たちの事件当時の状況は、思わず吐き気を催すような内容ばかりだった。しかし、全ての獣人の子供たちが目も当てられないような状況に陥っていたかというと、必ずしもそうではない。とはいえ、その中でも冴と凛の平穏に暮らしていたとしか思えない状況は異様であった。
しかし、保護された当初から現在に至るまで、冴も凛も当時のことを語りたがらなかった。表向きは、保護した当時の二人が特に幼かったこともあり、調査官も医師の判断のもと無理に聞き取りを進めなかった、ということにしている。しかし、その実の裏では、まるで何かを庇うように、二人が固くなに話そうとしなかったこと、何よりも早々に捜査が打ち切られたことから、真相は謎のままなのであった。
糸師冴という獣人は過去を顧みない男である。プロスポーツ選手として高見を目指すために見据えるべきは、未来へ前進するのみとわかっているからだ。だから、彼は過去の思い出になるようなモノに執着しない。写真だったり、幼少期に大切にしていたボールだったり。それは前進する際、時にノイズとなり障害となる。
しかし、そんな彼が唯一大切にしているモノがある。茶色のシミがつき、経年劣化から端はボロボロとなっているが、特に変哲もないスーパーで売っているような一冊のノートである。
普段は自宅の鍵付きのデスクにしまい、大事な試合の前になると必ず読み返すそのノートは、現在の養父母に引き取られた数年後、十三の年齢に差し掛かる頃に自宅の郵便ポストに投函されていたものだ。
冴は汚らしい、得たいのしれないそれに最初は警戒したが、タイトルの筆跡を確認すると、養父母に見つかる前にそっと机の引き出しにしまった。それは弟の凛にも見せていない。
冴は当時のことを思い出す。あの時、ポストから郵便物を回収する役目が自分でよかったと。
冴は明日の試合に向け、すっかり草臥れたノートを慣れた手つきで捲る。そして、ピンク色の鼻をヒクリと小さく動かし、兄貴兄貴と五月蠅い、弟と揃いのロビンズエッグブルーの瞳を揺らす。
「おい、めし。お前はどこにいるんだ」
冴は、ファンからチャームポイントと囁かれる大きなたれ耳をふわりと震わせたのち、キューと鳴き声を漏らした。
2.ある男の手記、あるいは独白
二〇××年三月×日 くもり
うさぎの獣人の男の子が捨てられていた。しかもゴミ袋に入れられて。その男の子は全身に殴られた跡のようなものがあり、どうみても虐待されていたとしか思えない様子だった。
このアパートの住人ではないことは確かだ。壁の薄い木造のボロアパートは、子どもの声や怒鳴り声がしようものなら、住んでいればすぐに気づく。ここに住んで早十年以上経つけれど、親子が生活しているらしき音や声は聞こえた試しがない。
僕はゴミ袋に手をかけたまま固まっていると、中の獣人の男の子が「キュウ……」と小さく鳴き声をあげた。まだ生きてる。よく観察すると、胸がかすかに上下をしている。この子を保護したら、明らかに面倒なことになることは確実だ。けれど、ここで放っておくことのほうが後味が悪い。とりあえず、僕は獣人の男の子を抱えて部屋に戻った。
傷病者の適切な抱え方なんてわからないから、アパートの鉄骨の階段を上がる間も気が気ではない。しかもぐにゃりと、変な方向に頭や手足や耳が垂れるし。
人間なんかよりも遥かに柔軟な体に僕は手を焼きながら、普段は乱暴に歩む廊下を柄にもなく足音を立てないようにそっと進む。なんとか玄関までたどり着き、とりあえず畳に寝かす。そして朝に畳んだばかりの布団を敷くと、息も絶え絶えな幼子を寝かした。
獣人の看病なんてしたことがないから、とりあえずネットで調べる。病院に連れていく方が早いことはわかっているけど、この状態の獣人の幼児を連れて行ったところで、僕が怪しまれて通報されるのがオチだ。でも、何となく、この子は助かるだろうと直感的に思ったのだ。そう思ったわりには、助かったその後どうするかなんて、全く何も考えていなかったけれど。とにかく、この男の子を助けないとという一心だったことは覚えている。
獣人って何を飲むんだろう。僕はとりあえず、風邪をひいた時の定番飲料でいいかと、いつ買ったのか覚えていない某青い波線がトレードマークのイオン飲料の粉末を取りだす。
固まっている粉末を水で溶かし、コップからお皿に少しだけ注ぐと、獣人の男の子の鼻先に近づけてやる。ぐったりとしているけれど、匂いに反応したのかひくりと薄汚れた鼻が動いている。すこしだけ身じろいだと思うと、男の子は無意識ながらチロと舌を伸ばした。
僕はほっと一息つき、何となくこのまま飲むのはきついだろうと、ガーゼを取り出し、ドリンクを浸した。そして獣人の子どもの口に含ませてやると、ちゅうちゅうと吸い付くのがわかった。
僕はドリンクにガーゼを浸し、子どもに含ませる動作を何度かしてやる。すると、暫くして落ち着いてきたのか、浅く早かった呼吸は穏やかで長いものに変わる。そしてぷぅ、ぷぅ、と鼻息のような音が聞こえてきた。どうやら寝入ったらしい。
僕はこれで一安心だと、凝り固まった背筋を伸ばし、そのまま彼の隣に横たわった。とりあえず、今後のことは明日考えよう。ああ、お風呂、入らないとな。明日でもいいか。今はとにかく眠い。疲れた。
二〇××年七月×日 快晴
暑い。なんだこの暑さは。クーラーはつけているけれど、それでも体内にマグマを宿しているような暑さは拭えず、僕はアイスを買いに近くのコンビニへと出かけた。
車で行こうとも思ったが、行き先までの距離を考えると、熱射で茹だった車内が冷房で冷える間もない。
僕は外気温と車内の地獄窯を天秤にかけ、徒歩で向かうことにした。もちろん、さえちゃんはお留守番だ。夏毛に生え変わったといえど、人間の僕よりも遥かに暑く感じるだろう彼を外に連れて行くことは、この短い距離でも流石に避けたい。
さえちゃんはというと、扇風機の前で、保冷剤をタオルで包んだものを体に巻きつけ、ぴすぴす鼻を鳴らしながら昼寝をしている。僕は可哀想だけど、さえちゃんを軽く揺すって起こし、喉が乾く前に水分補給をすること、冷蔵庫で涼んでいいからねと言いつけ、ストローがついている彼専用の水筒に冷たい麦茶を補充し、僕は自宅を後にした。
さえちゃんは無理やり起こされたことで不機嫌になり、ブッと短く鳴き、僕の腕に意趣返しと言わんばかりに噛みついてきた。しかし、暑さで体力が落ちているのか、直ぐに扇風機の前で寝そべるのだった。
僕は頭に保冷剤を巻いたタオルを乗せ、その上に帽子を被り、首や脇に冷却シートを貼った姿でコンビニに向かう。
凶器のような日差しが無情にも降り注ぐなか、僕は今がこの暑さなら八月はどうなってしまうのかと、普段は一ミリも考えない地球温暖化に対して憂いを抱く。
また海に行こうと思っていたけど、これじゃあ無理だ。この間さえちゃんを海に連れて行ったら、それはもう嬉しそうにプープーと高音で鳴きながら砂浜を走り回っていたから、もう一度連れて行きたかったのだけど。頬を紅潮させ、垂れ耳を震わせながら、浮か海の音に耳を澄ませていた様子は忘れられない。
コンビニに到着すると、全身に冷たい空気が降り注ぐ。カタコトの店員の呂律が回っていない「いらっしゃいませ」を背に、僕はアイスコーナーに向かう。ソーダバーやカップに入ったイチゴのかき氷、メロンの形をしたカップに入っているシャーベットアイスなど、手当たり次第カゴに放る。レジに向かい、店員に袋をくださいと告げ、レジスターに表示される数字を確認しながら財布を取り出す。ベリベリとマジックテープを剥がす音をあたりに響かせながら、僕はレジスターに現金を投入し、お会計を済ませた。
携帯の時間を確認する。まだ十五分しか経っていないけれど、早く戻らなければと、気が急く。自宅は冷房が効いているとはいえ、さえちゃんが心配だ。
僕は暑さと脂肪で重い体を引きずりながら、ひりつくアスファルトを、ホームセンターで買った激安のクロックスもどきで踏みしめながら、さえちゃんの待つ家路へと急いだ。
ふぅふぅと息を切らしながら、錆びかけて滑りの悪いシリンダーに鍵を通し回す。ただいまと、息も絶え絶えに僕は玄関に体を滑り込ませ、上がり框に腰かけると、熱でヘドロと化した体は自然と廊下に倒れ込んだ。暑い、死ぬ、とフローリングの冷たさを全身で享受していると、ペチペチと床を鳴らす音が響く。さえちゃんかな、と僕は皮脂が混ざった汗まみれの汚い顔を、物音の方向に向ける。
体を動かそうとしたその時、「おい、めし」と、さえちゃんにしては余りにも流暢な言葉が耳に届く。僕は「え?」と戸惑っていると、再び苛立った声と、床をダンッ!と踏み締める音が室内にこだまする。
「めし!あちぃ、なんとかしろ」
「さえちゃん?」
僕は体を起こし、ふんぞり返る彼の目線に合わせるようにしゃがむ。そんな僕に冴ちゃんは呆れたように睨むと、足元で転がしていたサッカーボールのおもちゃを僕の脛にぶつけた。
地味に痛い。痛いと小さく声をあげる僕に、彼は鼻をふんと鳴らした。さえちゃんは「めしはあいかわらずボンクラだな」と、跳ね返ったサッカーボールを器用に足で操りながら、夏の空に透かした、ビードロみたいな透き通った瞳で僕を睨み続ける。
「え、さえちゃん、いつからそんなにはっきり喋れたの?」と僕は恐る恐るさえちゃんの肩に手を置き、尋ねた。
「なにを言っているんだ?めし。おれとずっとしゃべってただろ。とうとうあつさでおかしくなったか」
〇××年九月×日 雨のちくもり
夏の終わりにかけて雨が続いたせいか、まだ猛暑を引きずる季節ではあるが、肌寒い日々が続く。過ごしやすい日々が続くことはありがたい。
そういえば、最近は夜になるとアパートの庭で激しい物音がする。大家さんや佐藤さんにも訪ねたところ、同じく物音を聞いていたらしく、どうやら使われていない倉庫にたぬきかハクビシンが住み着いているのでは?とのことだった。佐藤さん曰く、獣の糞尿の匂いがするそうだ。
僕は大家さんから頼まれたこともあり、夜中に倉庫に向かう。近づけば倉庫の中のものをなぎ倒す音が響く。動物がパニックを起こしているに違いない。
僕は恐る恐る倉庫の引き戸に手をかける。そして建付けの悪い扉を引いていき、僕は刺激しないように、引いた扉の隙間から中を覗く。
その瞬間、一際大きくガタン!と音が響く。僕は思い切り扉を全開にすると、むわりと立ち込める糞尿の匂いに顔をしかめる。倉庫内に懐中電灯を当てると、隅に体と尻尾を股の内側に縮こませ、黒い毛におおわれた全身を震わせながらキューキュー!キーッキーッと威嚇音を発する何かがいた。それは、見覚えのあるロビンズエッグブルーよりも碧みの強い瞳を潤ませ、こちらを見上げていた。
それは、さえちゃんとそっくりな顔をした、黒い垂れ耳のうさぎの幼い獣人だった。まだ手足やお腹、背中にかけて黒い毛で覆われているから、さえちゃんよりも幼いだろうことが伺える。
よく目を凝らせば、毛は風雨に晒されたモップのようにごわついており、毛並みの状態は良くない。何よりも、何も身に着けていない体は血色が悪く痩せており、恐怖からか小便を漏らしている。内股に巻き付く尻尾は糞尿で汚くなり、毛が絡まり固まっているし、倉庫内に視線を走らせれば、形の悪い糞があちらこちらに転がっている。そして、糞尿とともに、倉庫の床には何やら体の一部が喰われた虫の死骸や、ごみ置き場から漁ったのであろう生ごみの屑が散らばっている。おそらく、この獣人の子が食べていたものだろう。
僕は彼が経験してきた境遇の惨さに言葉を失う。とにかく助けなくては。
捕獲しようと手を伸ばすと、指先に痛みが走る。その先に視線をやれば、黒いうさぎの獣人の幼子が噛みついていた。瞳孔を爛々と光らせながら、必死に生きようと懸命に噛り付き抵抗する彼を急いで抱き込む。
腕の中で、大暴れし、伸びた爪でひっかく彼をどうにか大人しくさせ、腕に力を込めれば、キュッ!と大きな鳴き声をあげてぐったりと身を預けた。
どのくらいこの倉庫にいたのだろうか。それとも、どこかで酷い目に遭って逃げ出してきたのだろうか。さえちゃんを保護した時よりも小さな身体を落とさないように抱え、部屋へと戻る。一応、さえちゃんとは隔離をしておかなくては。
※サンプルはここまです。