《僕は子供》  迷子

  暖かさに包まれて、僕は思わず口元を緩めた。ああ、何て極楽なんだろう。最近酷く忙しくてヘトヘトだったから、こんなにゆったりとしてるのは久しぶりな気がする。…なぜ忙しかったんだろう。忙しい?なぜ?

  頭の中は霞がかかった様にハッキリしない。妙なざわつきを胸に感じた僕は現実逃避ばかりしてられないと渋々起きることにした。でも気力はあるのに、目が開かない。何で?

  もしかして僕、目が開かない病気や怪我をしたんだろうか。不安が一気に押し寄せてきて、僕は思わず呻いていた。でも側に子猫でもいるのだろうか。可愛らしい囁きの様な音しか聞こえなかった。

  不意にグイッと引き上げられた気がして、僕は空中に浮かんでいた。正確には誰かに抱っこされているみたいだ。

  「‥どうした?目が覚めたかの?ふむ、どうも目が開かない様だ。しかし、目が開かないほどに赤ん坊なのに親とはぐれたのか?こんな爪も無く、柔らかな皮膚で一体どうやって生き延びるつもりだったのか…。きっと親は何らかの理由ではぐれたか死んでしまったのかもしれない…。さぁ、目を開けてごらん?」

  そうしわがれた声が耳元で響いた。う、うるさ…!優しいトーンなのに声が大きいせいで耳が死ぬ。僕は話しかけてきた声の持ち主を、顰めっ面で薄目を開けて見た。

  誰…。僕は妙に大きく感じるご老人に、いや、仙人かもしれない。仙人もどきの何者かに抱っこされていた。僕を抱っこするなんてどんだけ大きな老人なんだと笑えてくる。しかし、僕の口から響く笑い声は、なぜか赤ん坊の様なそれで。

  僕は恐る恐る自分の手を目の前に差し出した。まじまじと見てやった。ああ、何だこれ。ムチムチしためちゃくちゃちびっ子の手じゃないか。にぎにぎしてみると確かに僕の指令通りに動くから、やはり僕の手に間違いないんだろう。

  僕が独りでまじまじと観察していると、耳元で割れる様な笑い声が響いた。だから、うるさっ!僕が睨む様に声の持ち主をもう一度見上げると、僕を見つめる瞳が深い渓谷にある複雑な色味を帯びた岩石色だと気がついた。

  その瞳は時々に揺らいで色味を変えて、何時間でも見つめていられそうだった。…実に興味深い。さすが仙人だ。

  「お前は昨日私が薬草を採りに行った草地に、素っ裸で転がっていたんじゃ。お前の周囲を四方ひと山分探索して見たが、お前につながるものは何も見つからなかった。私が見つけなければどうなっていたか…。お前は運が良いの。」

  そう難しい表情で僕を見下ろしながら、硬い指先で僕の頬をなぞった。少しひんやりしたその指先はカサついて硬く節張っていて、この仙人老人が相当な年寄りである気がした。

  僕はこの指先に突かれて皮膚に穴でも開いたら大変だと、パッと仙人老人の指を掴んでこれ以上撫でられない様にした。

  「フォホホ、何とも可愛い奴じゃ。しかしどうしたものか。一体お前は何を食べるのかのう。それに何か着せる物が必要じゃ。…それにお前の種族は何なのかまるで分からない。困ったものじゃ。」

  そう言うと、もう一度さっき眠っていたであろうベッドの様な場所に降ろしてくれた。僕はまだ眠かったけれど、この状況がまるで分からないまま眠れる訳がなかった。包まれていた布の中から這い出ると、僕は素っ裸のまま伸ばした手足をマジマジと見つめた。

  「なにこえ。ぼく、なんえ、こんらに、ちびにゃの?」

  僕の耳に聞こえてくる声は舌たらずの幼児のそれだ。僕は思わず口を手で覆って目を見張った。視線を感じて恐る恐る見上げると、見上げる様な大男の老人仙人が驚きの表情で僕を見下ろしていた。

  「なんだ、赤ん坊かと思ったが喋れるのかの?しかしますます何の種族か分からなくなったぞ?獣人とすれば人型になるには幼な過ぎる。それとも特殊な獣人なのかの…。しかしこんな赤ん坊の様な人型など見た事がないし、聞いたこともないが。」

  僕の頭の中に老人仙人の言葉がグルグルと物凄い勢いで巡った。今獣人とか聞こえたけれど、夢にしては生々しい。ああ、でも夢なら納得だ。大体僕が幼児とかあり得ない。

  そう自分を納得させようと現実逃避に傾きながらも、僕はじわじわとこれが夢なんかではないと感じ始めていた。手に触れる全ての実体のリアリティ、そして僕自身がどう見ても幼児である事。かといって、本来の僕がどうであったのかなどまるで思い出せなかった。まじでお手上げだ。

  そんな僕の葛藤など知らずに、老人仙人は僕に何処からか持ってきた大判のスカーフの様なものを手早く巻き付けると、満足げに頷いた。僕サイズの下着など無いだろうからノーパンなのは見逃してやるけど、僕はターザンじゃない。

  「とりあえず今はこれで何とか…。素っ裸よりは良いだろう。何、下に降りたいのかの?」

  僕の必死のアピールにより、僕は飛び降りると怪我をしそうなベッドから無事床に降りることに成功した。板張りの床は思いの外美しい模様に組み込まれていて、滑らかだった。パッと見質素な印象を受けたこの部屋は、まじまじと見ると中々気が利いていた。

  僕はよちよちと歩きながら、どうもこの身体は僕の思い通りにならない事に気がついた。もっと速く歩きたいのに、叶わない。

  「なんらきゃ、いやぁ。」

  口も上手く回らないし、本当どうかしてる。ぶつぶつ言いながら部屋を探り歩くのにも疲れて、床にお尻をつけて足を投げ出すと、しわがれた声が響いた。

  「フォホホ、まったくお前は何者かの。探検は終わったか?腹は空いてないかの?一体お前は何を食べるのやら。さぁ食事でも食べる事にしようかの?」

  そう言って僕を抱き上げようと手を伸ばす仙人老人に、思わず両手を伸ばしたのはお腹が空いてるのに気づいたからだ。決して疲れて甘えたくなったからじゃない!