私を怒っているダミアンを呆然と見つめながら、私は何処かしら違和感を感じていた。ダミアンは一体誰に向かって怒っているのかしら。私を見ている様でいて、まるで別の事を考えている様に感じるのはどうしてかしら。
するとダービー伯爵が私をとりなす様にダミアンに口を挟んだ。
「…ヴォクシー閣下、一体どうしたって言うんですか。クレアは人馬一体で、見事な乗馬を見せてくれたでしょう?特段危なっかしい様子は無かったじゃないですか。」
するとダミアンは我に返った様に、顔を顰めて呟いた。
「…そうは言っても、あんな勢いで馬を飛ばしたら、何かの弾みで転げ落ちないとも限らないだろう…!」
すると、ダービー伯爵はハッとした様にダミアンを見つめると、さっきまでの勢いを隠して私に苦笑して言った。
「確かにレディには馬を押さえ込む腕力は無いですからね。ヴォクシー閣下の心配も致し方ないですな。クレア嬢、良い乗馬を見せて頂きました。…さて、私は連れを置いて来てしまったので、先に失礼させて頂きますね。」
そう言うと、そそくさと馬の手綱を握ると、速足で立ち去ってしまった。私はダービー伯爵が私を生贄に、機嫌の悪いダミアンと二人きりにした事に唖然としながら、ムッツリと私が馬から降りるのを手伝ってくれたダミアンを窺い見た。
けれどもいきなりどやしつけられて、イライラが募った私の減らず口は止まらなかった。
「ダービー伯爵は、機嫌の悪いダミアン様を私に押し付けて逃げてしまったわ。私はこれからこってり絞られるのかしら。」
すると、まだ顔を顰めたダミアンは私から顔を背けて広い野原を見下ろして呟いた。
「…君は何も知らない様だな。私の姉は16の時に落馬してこの世を去った。ダービー伯爵はその事を思い出したんだろう。姉のフェリスカはデビュー直前で、弟の私から見ても一番の美しさで、溺愛する両親の宝物だったよ。
君みたいな無茶をして落馬した訳ではないが、それでもフェリスカの死をきっかけに侯爵家に起こった出来事は、私の人生を変えてしまった。今でも思う時がある。もしフェリスカが生きていたら、何もかもが違ったのではないかとね。」
私はいつもと違って心の内を語るダミアンを、珍しいものを見る気持ちで眺めていた。一方でダミアンもまた、身内の死によって酷く傷ついたのだと、妙な親近感を感じた。
私はダミアンの素手に、手袋を脱いだ自分の指先を絡めると、横に並んで遠くまで見晴らせる気持ちの良い光景に癒されながら誰に話すともなく呟いた。
「…私もお母様が風邪を拗らせてあっという間に亡くなった時は、なんて神様は残酷なのだろうと思いましたわ。でもダミアン様のご存知の通り、我が家は没落寸前でしたでしょう?悲しみに暮れている暇など無くて…。
私よりお父様が寝込む様な悲嘆の具合でしたし、幼い弟も居て、このままお父様まで居なくなってしまうのではないかと、恐ろしさに眠れませんでした。
結局それが良かったのかもしれません。私は目の前の現実を突きつけられて、先に立って進むしか無かったのですもの。お母様を失った悲しみや苦しみを味わう暇もなく、日々の暮らしの中で少しずつ受け入れるしか無かったのですわ。
…悲嘆に暮れていたら、きっと立ち上がるのに随分時間が必要だったに違いありません。悲しみに暮れていられるのは、ある意味とても贅沢な事なんですわ。
でもダミアン様の様に考える事もありますわ。お母様が生きてらっしゃったら、何か変わっていたのかしらって。…そればかりは選ぶことの出来ないもう一つの人生ですわね。」
体温を分け合う指先が、この世界に私とダミアンしかいない様な感覚にさせていた。不意に手を握られて、私はダミアンを見上げた。
ダミアンは何を考えているのか分からない表情をして私を見下ろしていたけれど、ふと苦笑して言った。
「我々はさしずめ、もう一つのあったかもしれない人生に焦がれる仲間だな。だが現実は今ここにある。それがより良いものかどうかは一体誰が教えてくれる?」
私はクスクス笑いながら、ダミアンの手を引っ張って、転がり落ちるのも恐れずになだらかな斜面を駆け降りた。こんな子供じみた事は、大人になってすると格別の楽しさだった。
「現実も悪くはないですわ。こうして子供の様に駆け降りる事など、昨日は想像もしなかったですもの。そうじゃありませんか?ダミアン様。」
撫で付けた黒髪が少しばらけて、いつもの隙のないダミアンが素顔を見せた気がして、私は深い海色の瞳を覗き込んだ。けれどもダミアンはすっかりいつも通り、自分の気持ちを心の奥へしまい込んでしまってる。早くに侯爵になったせいで、そうせざるを得なかったのかしら。
ダミアンが私の手を引っ張るので、少し足元が斜面だったせいもあって、私はボスンとダミアンの腕の中に転がり落ちた。文句を言おうと顔を上げると、ダミアンは私をそっと抱き寄せて、暗い眼差しの奥に何か言いたげな煌めきを乗せて、私に囁いた。
「…君は普通じゃないな。うっかり私が色々話してしまうくらいには。少し胸の奥が軽くなったかもしれない。少しだけだが。」
私は目の前の[[rb:厳 > いかめ]]しい男が、案外人間味がある事に気がついてクスクス笑った。
「では、私は契約の名のもとに、ダミアン様の秘密の小箱になりますわ。その小箱には何を話しても秘密が漏れる事はありません。ダミアン様がお望みでしたら、ね?」
私たちが乗馬の社交場に戻って来ると、すっかりひと気が無くなっていた。数人の貴族がダミアンと馬上から挨拶を送り合うと、ダミアンは私に尋ねた。
「すっかり時間が経っていた様だ。全く感覚が無かった。…一度城に戻って着替えないといけないが、少し何処かで休憩するか?」
まるで男相手に対する物言いに少し呆れたものの、それだけ私に対して遠慮がないのだと、面白い気持ちで肩をすくめて返事をした。
「さすがにこう馬臭くては、寄れる所も限られますでしょ?…ではそちらで何か飲み物を頂きたいわ。」
私が指差したのは、社交場の側に集まっている王都の庶民の食事処だった。私の様な貧乏貴族は、店によるけれど利用する事もある。きっと侯爵であるダミアンにはそんな経験はないだろう。
するとダミアンは馬を馬丁に任せると、私を下ろして手を引いて歩き出した。
「腹を空かせた君は、酷く煩いからな。」
まさかダミアンがその手の店を利用するとは思わず、私は手を引っ張って言った。
「…私が買ってきましょうか?」
すると眉を上げたダミアンが、口元を少し緩めて言った。
「私にも羽目を外した若い頃があったのだよ、クレア。君はまだ現役らしいが。」
そう言って私を店の外の椅子に座らせると、スタスタと中へ入って行き、恐縮した店員に何かを頼んで戻ってきた。私の隣に腰掛けると、店を利用している庶民が遠巻きにジロジロと見つめる中、平然と葉巻を[[rb:燻 > クユ]]らせた。
あまりにも場違い感が酷くて、私はクスッと笑ってダミアンに尋ねた。
「ダミアン様が何を頼んで下さったか楽しみですわ。」
丁度店の者が、緊張した様子でトレーに何かを載せて持って来るところだった。テーブルに並べられた品物を見て、私は笑いを堪えた。こんがりと焼けた肉や野菜が皿に大盛りになっている。
「君が好きそうな物を選んでみたが、合っているだろう?それに多分軽い酒の方が、水より腹は壊れないはずだ。」
一体私をどんな人間だと思っているのかしら。少なくともお肉は大好きだけど。
私は泡の弾ける果実酒を手にしてダミアンと乾杯すると、ゴクゴクと飲んだ。口の中で軽く弾ける泡が、乾いた喉を潤した。二人で一気に飲むと、顔を見合わせた。まるで共犯者の様なその感覚は、先ほどのより良い人生の続きの様だった。