24/28 侯爵夫人

  目の前に座る侯爵夫人は、まるで年齢を感じさせない貴婦人だった。ダミアンに口元が似ているような気がするものの、歳の離れた姉だと言われたら頷いてしまいそうなくらい、儚げだった。

  それは一方で守られるべき貴婦人という様相を見せていて、母親らしいそれはほとんど感じられなかった。私はあまり見つめないようにしながら、緊張の中持ち上げた茶器の美しさに感嘆さえした。

  「…貴女にお会いしたかったわ。結婚など嫌っている様な侯爵から婚約したと報告を受けた時に、一体どんな方なのか全く想像もつかつかなかったのですもの。

  でも貴女に視線を送る侯爵を見ていて、ハッとしましたわ。あの子は、いえ、侯爵は随分変わられたと。…そうね、貴女といる時の侯爵が本来の姿なのかもしれないわね。

  私は、…長い間母親らしい姿を見せてやることも出来ずに、振り返ってみれば、まだ子供だったあの子の事など顧みもしなかったのですよ。後悔しても、時間は取り戻せません。」

  そう寂しそうに、でもはっきり言った侯爵夫人はゆっくりと茶器のを口元に運んだ。本当に似ている。どこか自分の中で線引きをして、過去の自分を許さずに、今の自分にも多くを許さないところも。

  侯爵夫人が楽しみを求めずに引きこもりがちなのも、きっとダミアンや亡き侯爵への罪悪感からの自分への罰なのかもしれないわ。

  私は複雑に拗れたこの侯爵家の人々の感情に、ため息しか出なかった。けれど、ダミアンは少しづつ変わり始めた。過去に向き合って、目の前の線の細そうな侯爵夫人を許せない気持ちがあると自分で認めたのだから。

  「私、最初にダミアン様とお会いした時、なんて嫌な男だと腹を立てましたの。私の家は没落寸前で社交界とは縁遠くて、ダミアン様のこともまるで存じ上げなかったのです。

  だからズバズバと言われて、悔しいやら、泣けて来るやらで恨めしい気持ちにさえなりました。でもダミアン様の言った言葉は現実そのものだったんです。

  私は腹を立てながらもダミアン様に実際問題助けていただいたんです。もう少し言い方があったとは思いますけれど、普段ダミアン様の置かれている貴族達の注目を集める状況を知れば、それも致し方ない事なのだと気がつきました。」

  そこまで話すと、侯爵夫人は驚いた表情で私を見つめていた。私の口が悪くて驚いたのかしら。しかし次の瞬間、侯爵夫人はクスクスと小さく笑った。

  「侯爵がそこまで言われるなんて。一体あの子が貴女に何を言ったか気になりますけど、きっと知らない方が良いのでしょうね。知ってしまったら、眠れなくなりそうだわ。」

  私は微笑むと、部屋のテラスから繋がる広い庭園に目をやった。表庭は力強い男性的なシンメトリーなものではあったものの、敷地が広いので奥にも遊びのある庭園がある様だった。

  「王都の侯爵家には素敵な中庭がありますわね。私が閉ざされた中庭に入りたいと文句を言うと、ダミアン様は鍵を開けてくれたんです。名前は失われたと言ってましたが、天使の庭の様だと言うと、それで間違っていないと仰って。

  数日後に、私が乗馬でダミアンを振り切ろうとした時に酷く叱られてしまって、亡きお姉様の事を教えてくれました。私も母を二年前に亡くしたばかりでしたから、私達は同じ痛みを知っていたんですわ。

  私はあの庭に立つと、心が温かくなって深呼吸出来るんです。あそこには沢山の愛と優しい思い出が詰まっている様に感じます。不幸なことが突然起きれば、人間は我を失ってしまいます。そして、その事に耐えられる強さは個人個人でまるで違うのですわ。」

  侯爵夫人は何を考えているのか分からない眼差しで私を見つめると、釣られる様に美しく広がる庭園を見つめた。物音ひとつしないこの部屋とは違って、開けた窓扉からは鳥の鳴き声や、風の騒めきが部屋にながれこんで来た。

  「…そうね、私はあまりにも自分一人の悲しみに入り込んでしまったわ。今考えるとどうしてそこまで心を閉じてしまったのか自分でもよくわからないの。

  けれどもあの時はそうするしか私は自分を保つ事が出来なかったの。」

  そう言って庭の方から視線を私に移した侯爵夫人は、痛みの浮かぶ様な微笑みを私に見せた。

  「私は公爵家の次女として生まれたの。三人娘の長女のお姉様は、お母様に似てとても気性の激しい人で、お母様も後継の息子が産めなかったせいか、私たちにとても厳しく当たっていたわ。

  それに後継としての姉は、期待に応えるべくいつもピリピリしてたわ。気が弱い私は何かと二人から口うるさくされて、私はその息苦しさで、息が止まってしまうのかもしれないと思った事が何度もあったわ。

  …私は結婚であの二人から逃げ出そうとしたの。ひと回りも上の侯爵は私を見初めてくれたのでしょうけど、正直誰でも良かった。政略結婚なんて珍しくもなかったのだから、私たちは都合の良い結婚相手、それだけだったのかも知れないわ。」

  私は侯爵夫人の話を聞きながら、きっとダミアンさえ聞いたことのないこの話を聞いてしまっても良いのだろうかと動揺を隠せなかった。

  それが顔に出ていたんだろう。侯爵夫人は微笑むと、頷いて言った。

  「一方的に聞かされても困るかも知れないでしょうけど、貴女にはあの子を支えて欲しいの。だから私のしてしまった深い過ちを知って欲しいわ。

  忙しいヴォクシー侯爵との結婚は、まるでおままごとの延長の様だったわ。私は16歳だったこともあって、侯爵夫人になると言う覚悟などまるで無かったの。それに最初に気づいたのは侯爵だったわ。

  美しい鳥を捕まえたと思ったら、まだ翼も生え揃っていない飛べない鳥だった事に、侯爵は随分がっかりしたでしょうね。

  私は微笑みを貼り付けて夜会で侯爵とダンスをすれば自分の役割は済むと思っていたのに、お姉様の様にウィットに富んだ会話もできず、侯爵の為になる様な振る舞いができないと自覚してしまった。

  そうなれば予想がつくでしょう?私は夜会がどんどん怖くなってしまったわ。その時にはお母様とお姉様の恐ろしい罵りが耳の中で響く様で、私はドキドキして夜会へ出る度に緊張が酷くなったの。」

  私は16歳の自信の無い貴族令嬢が、迷いながら夜会の隅で項垂れる様子が手に取る様に見える気がしていた。地位が高い事は良いことばかりでは無い。注目されて、それに相応しい対応を求められるはずだ。

  公爵家で過不足ない振る舞いは身につけていたダミアンのお母様は、若過ぎることと、身内の厳しい視線に囚われてしまっていたんだろう。

  私は16歳の繊細な美しい淑女だっただろうダミアンのお母様の側に居てあげたかったと思った。それくらい線の細い方の様に思えた。

  すると侯爵夫人は椅子から立ち上がって、テラスの方へ歩き出した。そして扉の前に立つと、私の方を振り向いて光に透けるような微笑みを浮かべて言った。

  「この城の特別なお庭に案内するわ。ご一緒しましょう。」