開かれる未来

  月の光が差す窓を見つめる、一人の女性。

  彼女は布団に入りながら部屋に明かりも付けず、ただただ外を見つめ続けている。

  すると…。

  「…ただいま。

  今、帰ったよ。

  ルーナ」

  家に一人の男性が入ってきた。

  彼の名はジャック。

  この女性・ルーナの恋人である。

  「おかえり、ジャック…。

  ゲホッ、ゲホッゴホッ!!!」

  ジャックの顔を見て一瞬明るくなるルーナだったが、すぐに激しい咳に襲われた。

  「ルーナ!

  起き上がらなくて良いよ!

  ほら、横になって安静に…」

  「ありがとう…。

  それで、どうだった…?」

  ルーナの問いかけに、ジャックは答える。

  「うん……。

  やっぱりね、無かったよ。

  君の病を…治す方法……」

  ジャックは罪悪感に溢れた悲壮な顔になって俯いた。

  二人はつい11ヶ月程前までは、ただ幸せに暮らしていた。

  お互い、そろそろ婚約を申し込んでも良い頃だと思っていた程だった。

  しかしそんな幸せな日常の中、突如ルーナを難病が襲った。

  かかれば最後、1年以内に確実に死に至る。

  病床に臥せてしまったルーナを何とか救うため、時々ルーナの容体を確認しに帰って来ながらもジャックはこの11ヶ月間世界中を駆け回って、何か彼女を救う方法は無いかと探し回った。

  「…うん、わかってた。

  だって私の病気、治った人誰もいないんでしょ?」

  「…で、でも」

  ジャックの話を遮って、ルーナは言う。

  「もう…良いの。

  ありもしない方法を探して、これ以上ジャックが疲弊していく姿なんて見たくない。

  それよりもさ、私の隣にいて?

  私にとってはそれだけで、気持ちがすっごく落ち着くから……」

  「違うんだ!!!」

  「っ…!?」

  突然大声を発したジャックに、ルーナは驚く。

  「あ、ごめん…夜中なのに。

  それより、聞いてほしいんだ。

  その…、実はあるんだよ。

  君の病気を『無くす』、たった一つの方法が」

  「えっ!?」

  ルーナは驚いた。

  「ただ…、それをすれば。

  君は…、二度と後戻り出来なくなる……」

  ルーナは息を呑んだ。

  「どんな事なの、その方法って…?」

  ジャックは荷物袋から、小さな黒い球体を取り出した。

  「これは…、『禁忌の秘薬』っていうんだ。

  ある年老いた賢者から、事情を話して譲ってもらった」

  「それを飲めば、治るの…?」

  「ああ…。

  いや、厳密に言えば治るんじゃなくて、病気が"消える"」

  「消えるって、どういうこと…?」

  ルーナがそう言うと、不意にジャックの話が止まる。

  そして、彼の手が激しく震え始めた。

  「ジャック…?」

  「ダメだ…!

  やっぱり、あんな副作用があるモノ絶対ルーナに飲ませられない!!!」

  「どうしてっ…!?」

  ルーナも声を上げた。

  「ちょっ、そんなに騒いだら体に負担が…!」

  「…教えてジャック、それがどんな副作用でも良い。

  私は、一秒でも長く生きたいの!

  だって、だって…!

  ジャックと、最後の瞬間までずっと一緒に居たいんだもん!!!」

  ルーナの目には大粒の涙が溜まる。

  その表情には、『病気を治して1秒でも長くジャックと一緒に居たい』というルーナの強い渇望が込められていた。

  「ルーナ……」

  彼女のその言葉と表情に感化されたジャックは、中断した秘薬の話を再開する。

  「…この、秘薬はな。

  本来、医療用じゃない。

  この薬そのものにはそういう効果は一切無いんだ。

  でもこれを飲めば、結果的にルーナの病気は完全に消える事になる」

  「…その薬、飲むと具体的にどうなるの?」

  少し間を置いて、ジャックは秘薬の秘密を打ち明けた。

  「この薬は…。

  はるか古代、人間が"ドラゴン"に生まれ変わるために使われていたんだ」

  「ど、ドラゴン…???」

  「うん、ルーナもドラゴンの伝説は聞いた事あるだろ?

  遠い遠い昔に生きていたという、凶暴な魔物…。

  今だって森や砂漠、世界中に魔物はたくさんいるけれど、ドラゴンは今の時代に生きているやつらとはわけが違う。

  強靭な肉体、膨大な魔力、凶暴な本能…。

  やつらは古代の支配者だった。

  古代ではそんなドラゴンに心酔し、自らもドラゴンになろうとした危ない奴らがいたんだ。

  この秘薬が、それに使われたものなんだよ…」

  ルーナにも、大体事情が飲みこめてきた。

  「これを飲んだ人は、ヒトとしての肉体が全て再構成されてドラゴンに生まれ変わる。

  人間の頃にどんな怪我をしていようが、病を患っていようが、お構い無しに完璧なドラゴンになれるんだ」

  「そっか、だからそれを飲めば、今の私の肉体が再構成されて病気が治るんだね…。

  でも……」

  流石の彼女でも、秘薬を飲んだ先に待つ運命に言葉を失う。

  「そう…。

  これを飲んだら、もう二度と人間には戻れない。

  人の言葉も話せない。

  口から出るのは獣の声だけ。

  一生化け物のままだ」

  「……」

  「例え君の病気を治すためとはいえ…。

  俺には、ルーナを化け物にすることなんて出来ない!!

  でも…、これ以外に方法が無い。

  このままじゃルーナは死ぬ…。

  俺は…、俺はどうすりゃ良いんだよっ……!!!!!!」

  ジャックは拳を力いっぱい握って、残酷な運命に怒りながら叫ぶ。

  この究極の2択に苦悩するジャックの横で、ルーナは静かに、目を瞑りながら何か考えていた。

  そして、永遠にも似た数分間が経過した時、彼女は口を開いた。

  「…行こうよ、ジャック」

  「え?」

  「人里離れた、誰もいない山奥へ」

  「…は???

  それは、一体どういう……」

  「だからね…、私がドラゴンになっても良い様に、誰の迷惑にもならない山奥へ行こうって事!!!」

  ルーナは笑顔で言った。

  「ルーナ…、君は自分が何を言ってるのかわかってるのか!?!?!?」

  ジャックは怒りや悲しみが絡まり合った複雑な声色でルーナに言う。

  「ドラゴンなんて、今の世に1匹もいないんだぞ!

  きっと世界中のハンターに一生狙われ続けることになる!!!

  それに…、そもそもの話君が異形の怪物になるなんて耐えられない!!!

  頼むルーナ、考え直してくれ!

  俺が…何とか他の方法を探すから!!!」

  懇願する様にルーナを説得するジャック。

  しかし、ルーナの笑顔は崩れない。

  「さっきも言ったけど、私はずっと、永遠にジャックと一緒にいたいの!

  そのためだったら、どんな姿になっても構わないわ!!!

  …それとも、ジャックは私がドラゴンになったらもう愛してくれないの?

  私が私じゃない姿になったら、もう私への愛情は綺麗さっぱり消えちゃう???」

  「そ、それは…!」

  ルーナの言葉に、ジャックは口ごもる。

  本音を言えば、やはり愛する人が魔物に、それも巨大な体と圧倒的な力をを持つ古代の支配者になってしまう等決して嬉しい事ではない。

  しかし、ルーナが異形の怪物になったからと言って愛情が消えるかと問われればそれは…絶対に違う。

  「大丈夫だよ、ジャック!

  たとえドラゴンになっても、私はジャックのこと愛し続けるから!!!

  約束する!!!」

  ルーナの笑みはさらに明るいものになる。

  「……」

  ジャックの頭の中は今にもショートしそうだった。

  本当の幸せは何なのか、恋人として彼女のために選ぶべきはどの選択なのか。

  しばらく顔をうつむけていたジャックはやがて、答えを下す。

  「…早くしないと、夜が明けちゃうな。

  急いで支度しよう」

  ジャックの答えに、ルーナは改めて安堵したような穏やかな笑みを浮かべた。

  「ありがとう、ジャック……!」

  二人が住んでいた村から3、4つ程山を越えた所にある森。

  この周辺には人は一切住んでおらず、古代の巨大な魔物と比べれば小柄な今の時代を生きる魔物達がはびこっている。

  「はあ…、はあ……。

  ルーナ、体は大丈夫か?

  辛い所があったらすぐに言ってくれ」

  「大丈夫だよ、おかげさまでね」

  病気持ちのルーナにとって長距離の移動は辛かったが、

  『ほら、乗って!』

  と途中でジャックが背負ってくれたおかげで、何とか到着できた。

  「この辺で良いんじゃないかな?

  下して、ジャック」

  ルーナはジャックの背から降りて、大地を踏みしめた。

  「外に出るの、ほとんど1年ぶり!

  気持ち良いなぁ~!」

  深呼吸するルーナ。

  「…なあ、ルーナ。

  最後になるけど、本当に良いのか……?

  この選択は、もう後戻りできない。

  どんなに後悔してもやり直せない。

  それを踏まえた上で…秘薬を飲むんだね?」

  するとルーナはぷくーっとしかめっ面になって言う。

  「もお~、流石にしつこいよ!

  自分で決めた事だもん、もうこの思いは変わらないよ!!!」

  その堂々とした態度には、力強さすら感じられた。

  「そうか…。

  わかった、もう止めない。

  君の想いを尊重する。

  …ねぇ、ルーナ。

  最後に一つだけ、お願いしたい」

  「なぁに?」

  「俺と…、キスしてくれ。

  人間として、最後の……!!!」

  ジャックからの提案に、ルーナは顔を赤くしながら愛する彼氏の傍に近づいた。

  「良いよ…、私もしようと思ってた!」

  顔を至近距離まで近づける二人。

  「ルーナ…、ごめんな、ほんとに……。

  不甲斐ない彼氏だよ、俺は」

  「謝らないで。

  元をただせば、こんな病気になっちゃった私のせいだよ。

  ジャックは充分尽くしてくれた、こんな私なんかのために。

  それだけでもう…私は最高に幸せだったよ?」

  「違う!

  君は何にも悪くない…!

  何にもっ……!!!

  …俺は。

  ルーナと出会ってからの日々を後悔した事なんて一度も無かったよ。

  君に出会えて、良かったっ……!

  グスッ……」

  ルーナへの想いが溢れ出し、つい涙がこぼれてしまう。

  「泣かないで、ジャック…。

  ほらっ、せっかくの甘いキスが台無しだよ!!!

  準備は良い?」

  「あぁ…!!!」

  二人は、何分間も熱い口づけを交わした。

  それはルーナの人間としての、最後の愛の契り。

  二人は黙って、キスを続けながらお互いの目を見つめ合う。

  まるで、今まで伝えられなかった思いをキスを通して全てさらけ出している様に…。

  終止笑顔のルーナとは対照的に、ジャックは作り笑いしながらも瞳からはずっと涙が溢れ続けていた…。

  「ジャック、これで未練は無い?」

  ルーナは爽やかに笑う。

  「そ、それはこっちのセリフだ!」

  ジャックがそう言うと、ルーナはちょっと恥ずかしそうに言う。

  「私は別に、未練なんて無いよ。

  だって、秘薬を飲めばこれからずっと一緒にジャックと暮らせるもん。

  むしろ今までの病気生活と比べたら幸せなくらいかな!!!」

  こんなに明るい目をしたルーナを見るのは久しぶりだ。

  しかし、それは一種の空元気も含んでいる事をジャックを見抜いていた。

  「…強がらなくて、良いんだぞ?」

  「強がってませ~ん!」

  「嘘だ~!絶対強がってる!」

  「嘘じゃないも~んっ!!!」

  そんなくだらない会話を数分間続け…、ついに、二人にとって運命の瞬間が訪れた。

  「…」

  ルーナの手には、禁忌の秘薬。

  この瞬間は流石にルーナも真剣な面構えになる。

  「じゃ、飲むね」

  「……あぁ」

  もう間もなく一生聞けなくなるルーナの綺麗な声に、ジャックはしみじみと聞き入る。

  「ジャック。

  いつもいつも私のためにたくさん頑張ってくれて、ありがとう!」

  「あぁっ……!!!」

  「これからも、ずっと一緒にいようね?」

  「……もちろんだ」

  「私の見た目が怖くなっても、どれだけ醜くても、他の女に乗り換えないでよ!?」

  「当たり前だろっ…バカッ……!!!

  君がどんな怪物になったって、必ず抱きしめてやる……!!!!!!」

  ジャックの顔は涙でグチャグチャだった。

  「…そっか。

  じゃ、安心してドラゴンになるね!

  ふーっ…、はぁー……」

  息をつく。

  訪れる静寂。

  二人とも、人生最高潮の緊張を迎えていた。

  「さよなら、ジャック!

  そしてこれからも末永くよろしくねっ!!!

  あむっ!!!」

  ついに、ルーナは秘薬を口に入れ、飲みこんだ!

  「ごくり…。

  はぁ…、はぁっ…!」

  しばらくは何も起こらない。

  ジャックが静かに見つめる中、

  「うっ…、ぐっ……」

  ついに反応が現れ始めた!

  「ルーナ…?」

  ルーナの全身が震え始める。

  まるでこれから起こることの前触れの様に。

  そして、ついに本格的な変化が始まった。

  「ぐあああああああああっっっっっっ!!!!!!」

  ルーナの体が膨らみ始める。

  胴体が太く、首が上へ上へと伸びた。

  それに伴って、着ていた服は次々と破れ落ちて行く。

  痛みに耐えるために胸を押さえていた手の甲に何かが生成される。

  鱗だ。

  黒い、漆黒の鱗が手を全て覆ったと思えば、次の瞬間には全身に広がって行った。

  両腕を黒く染めると服が破れて露わになっていた胴体が覆われ、脚にも侵食が始まる。

  お腹の辺りには、色が異なり灰色になっている鱗が蛇腹状に付いた。

  腕の向きが、ゴキゴキと上を向き始め、筋肉がついて一回りも二回りも太くなると、両手の小指がポロっと取れて腐り落ち、4本の指から鋭く硬い丈夫な黄色い爪が長く長く伸びていく。

  脚も同様に丸太のような太さになると、指が4本になり、黄色い爪が伸びた。

  尾てい骨の辺りが盛り上がると、ビリッと鱗で覆われた表皮を突き破って、太く長いドラゴンの尾が伸びる。

  尻尾の上部には胴体と同じ黒い鱗が付いており、下部にはお腹の蛇腹から灰色の鱗が繋がって、先っぽまでしっかりと鱗に包まれた。

  「あがッ、あガァァぁァァァ……。

  ア…、コエ、デナイ……!

  ノド、シマルゥ…!

  グゥッ……!!!」

  ルーナはすっかりドラゴンのものになった手で喉を抑える。

  声が段々濁り始めていたのだ。

  歯が全て抜け、代わりに鋭利な獣のキバに生え変わって行く。

  そしてついにルーナの美しい顔が鱗に覆われ、マズルの部分がどんどん前へ突き出し始めていた。

  「グッ…、グガァ……!!!」

  その影響で口が閉じれなくなり、さっき生え変わったキバが常時見える様になる。

  鼻も穴だけを残して消滅した。

  「ルーナ、ルーナ…!

  クソッ、俺は見ている事しか出来ないなんて……」

  ジャックは、あまりに痛々しいルーナの変身を心を痛めながら見ていた。

  苦痛の声が漏れている様子は明らかに激痛が走っている事を表しており、ジャックはルーナに秘薬を飲ませて彼女を苦しめている事実に若干の後悔の念を抱き始める。

  すると…。

  「っ、ルーナの髪が…!」

  頭の上から、ハラハラと何かが降って来る。

  ルーナの美しい金髪だ。

  鱗が頭を覆った影響で、長く美しかった彼女の髪は全て抜け落ちてしまった。

  「グアアアアアアッッッ!!!!!!」

  毛が一本も生えていない鱗だらけの頭部から、二本の禍々しい立派な角が肌を突き破って出て来る。

  そしてルーナの美しい二重の大きな瞳が、見る者を凍りつかせる鋭く細長い物へ変形した。

  黒目だった場所は赤く、白目が漆黒に染まり、いかにも禍々しい。

  もはやその顔に、ルーナの面影は一切無い。

  「アガァ、ジ……ジ…ャ…ッ…ク……!!!」

  「!!!」

  ジャックは、ルーナが人間としての最後の声を発しようとしているのに気が付いた!

  もうほとんど獣の唸り声の様に低くなっていたが、ギリギリ聞き取ることが出来た。

  「ルーナぁ!!!」

  「スキ……!

  ダイ……ズギッ……!!!!!!

  グォォォォォォオオオオオオッッッ……!!!!!!!!!」

  「ルーナァァァァァァッ!!!!!!」

  ルーナが最後に発した言葉は、ジャックへの愛の叫びだった…。

  「グルルッ…!!!

  グアァ……!!!」

  声帯の変異が完了し、もうルーナは二度と人間の言葉を発せなくなった。

  喉から何を言おうとしても、出てくるのは低い低い鳴き声だけだ。

  彼女の天使のような美しい声は、もう金輪際聞く事は出来ない。

  「アガァッ!?」

  ルーナは長い首を下に向け、背中を空に向ける。

  最後の変異…、翼が生成されるのだ。

  ゴキィッ…、バキバキバキッ!!!

  「グォォォ、オアァッ…!!!」

  これまでも苦痛にあえいでいたルーナだが、どうやら翼の生成が一番痛いらしく、

  「グガッ…、グギャァァァァァァァァァッッッ!!!!!!

  アガアアアァァァァァァァァァァァァッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!」

  ルーナは世にも恐ろしい唸り声でこれまでで一番の苦痛の反応を示していた。

  「ルーナ…!」

  ジャックはルーナの苦しみに気付き、変化途中のルーナに近づいた。

  もう体格はジャックの3倍ほどに巨大化している。

  ジャックは、自分の手のひらの何十周りにも大きくなったルーナの手の指を両手で優しく握った。

  「グァ……!?」

  苦しみながらも、ルーナもそれに気が付く。

  「大丈夫だ…!

  俺が付いてる!!!

  頑張れ、ルーナ!!!」

  ベリィッッッ!!!!!!!!!

  「アギャァァァァァァァァァァァァッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!」

  背中の膨らみはついに破裂し、それだけで今のルーナの巨体を全て包み隠せそうな程立派な黒い翼が生える。

  ついに、変異は終わった。

  ルーナは、1匹の巨大な黒いドラゴンに生まれ変わってしまった…!

  「ハァ…、ハァ……!

  グオオ……!?」

  変身を終えたルーナは、不思議そうな視線で自分の肉体を見つめている。

  「ルーナ…?

  ルーナ、なんだよな?」

  ジャックは、恐る恐るドラゴンとして生まれ変わったルーナに声をかけてみる。

  「グ…、グァッグ……!」

  ルーナはそれに応えるように、低い獣の唸り声で必死に言葉を発した。

  ドラゴンと化したルーナにとって、これが限界ではあった。

  しかし、それでもジャックにはそれが自分の名前を呼んだのだとわかる。

  「もしかして、今俺の名前言ったのか…?」

  「グアゥ…!」

  ルーナは首を縦に振る。

  「あぁ…、ちゃんとルーナだ。

  このドラゴンは、間違いなくルーナだ…!

  ルーナぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!!!!!」

  ジャックは、長い首を動かして地面の方に降ろしてきたルーナの大きな顔に抱き着いた。

  もう、ルーナは顔だけでジャックの背丈の半分くらいの大きさになっていたのだ。

  「グァッグ…!!!

  グアァ…、ギャァァァ……!!!」

  ルーナも歓喜の声を発した。

  自分の口に抱き着くジャックを、愛おしそうに、それでいて巨体で吹っ飛ばさないように繊細に、頬で擦り付ける。

  「あはっ…、良かったぁ。

  もしも変身を終えたルーナの自我が無くて、意識まで完全にドラゴンになっていたらと心配で心配で……」

  「グゥ~ッ…!」

  『そんな事ないよ、私は私のまま!』と言いたげな様子で、顔をゆっくりと左右に動かすルーナ。

  「それにしても、おっきくなったなぁ…。

  ごめんな、さっき『どんな怪物になったって抱きしめてやる』って言ったけど、俺の身長じゃこんな風に顔に抱き着くのが精一杯だよ」

  「ギャウ!

  グルル…!!!

  グオォッ!!!」

  『ううん、充分抱きしめてもらってるよ…!

  ありがとう!』

  という思いを鳴き声で伝えるルーナ。

  たとえ獣の低い唸り声であろうとも、完璧な言葉でなくとも、愛する彼女が何を伝えているのかジャックにはしっかりと理解できた。

  「そうだな…!

  これからはもう、病気も何も気にせずいつでもこうやって君と一緒に抱き合う事が出来る。

  それだけでもう、これ以上の幸せは無いよ」

  「ガゥオオ~!」

  長い首を起用に動かし、ルーナは静かに顔を縦に動かす。

  自分も幸せだと伝えているのだ。

  「グァッグ…、グオオ……!」

  「あぁ…。

  一緒に生きていこう、二人で……!!!」

  こうして、二人の新たなる生活が幕を開けた。

  約1年後…。

  「…よしっ、今日の収穫はこんなもんだな。

  大量だぞ~、きっとルーナも喜んでくれるはず!」

  深い深い山奥、通常なら人間が住んでいるはずのない山奥に、大きな畑が広がっている。

  ジャックは畑で採れた大量の野菜を籠に入れてホクホクとご満悦だ。

  すると…。

  「ブフーッ…!」

  近くの木陰から、一体の大きなオークが棍棒を片手にこちらを睨みつけている。

  次の瞬間、ジャックの一瞬の隙を突いてオークは跳び上がり上から棍棒を振り下ろしてきた!

  「なっ…、オーク!?

  まずいっ…!?」

  咄嗟の攻撃故反応が遅れてしまい、回避動作に移れなかったジャック。

  絶体絶命か…と思われたその時。

  「グァオゥッッッ!!!!!!」

  おどろおどろしい雄叫びと共に空より舞い降りし黒き影が、瞬く間に足の爪でオークの胸を貫いた!

  「ブギャァァァァァァァァァッ!!!」

  絶叫と共にうなだれてこと切れるオーク。

  足をオークから抜くと、そのままオークの死体の後ろに着地して翼を閉じる黒い影。

  「はぁ、はぁっ…。

  あ…ありがとうルーナ…助かったよ……!!!」

  そう、黒い影とはドラゴンに化(な)ったルーナである。

  「ガルぁっ!」

  ルーナは世にも恐ろしい形相で口角を上げ、人懐っこい声で応えた。

  「あはっ…、そうだね。

  今日の夜はこのオークの肉で美味しい鍋を作ろうか!」

  ドラゴン化したルーナと共に山奥に移り住んだジャックは、洞窟にて彼女と身を潜めながら近隣に畑を作って自給自足の生活を送っていた。

  誰にも知られてはいけない、誰も頼れない生活には苦難も多かったが、ルーナと力を合わせて毎日懸命に生きている。

  その生活は、彼女が病に侵されていた"あの頃"とは比べ物にならない程幸福だった。

  「…そうだルーナ。

  今回は3日間も帰らなかったけどどこに行ってたの?」

  実はここ一ヶ月程、ルーナは時々ジャックの元を離れてどこかに飛び去って行っていた。

  こんな巨体が空を飛んでいては多くの人達に見られてしまうのでは…と思われるが、ドラゴンになったルーナは魔法のようなもので自身の体を一時的に透明に出来るようになっており、空を飛ぶ時は透明になっていた。

  先程のオークがルーナの接近に直前まで気が付かず貫かれたのもこの能力のためだ。

  すると、ルーナは手の爪を器用に動かして地面に簡単な字を書き始める。

  変化したばかりの頃は大きな体の動かし方に慣れず大雑把な動きしか出来なかったが、訓練の末繊細な動きも出来るようになった今では筆談も可能だった。

  もちろん難しい言葉や長文は書く難易度が高いため現時点では簡単な事しか書けないが、それでもルーナと再び言葉でコミュニケーションが取れる事がジャックには嬉しかった。

  『ほかのやま、とおくにあるところ』

  「他の山…?

  そう言えばこの間は砂漠、その前は海に行ってたって…」

  ジャックは不思議だった。

  いくら透明化の魔法が使えるとは言え、何故わざわざこの森を出るという危険を冒してまで最近ルーナが世界中を飛び回っているのか。

  「…ルーナ。

  君がどんな理由で世界中色んな所に行っているのかわからないけれど、俺は君が心配だよ。

  確かに今の君は強い、きっとこの世界で最も強大な存在と言っても過言じゃない。

  でも、万が一君の姿が誰かに見つかったらきっと世界中のハンターに命をつけ狙われてしまう…。

  やっとルーナが病気に怯えず穏やかに暮らせるようになったのに、もしそうなったら俺…俺っ……!!!」

  最悪の可能性が頭によぎって涙目になるジャックに、ルーナは

  「ギャッ…、ギャオゥ!?

  グァッグ…グオォ……!!!」

  と慌てた様子でオロオロしている。

  どうやら、自分のせいでジャックに想像以上に心配をかけている事がショックだったらしい。

  すぐさま爪を地面に刺し、新しい文章を書き記す。

  『ちがうの、じゃっく。

  わたし、ながくいきてるまもの、あいにいってる。

  うみ、さばく、やま、いろんなところ、せんねんいきてるまものいる』

  「千年生きてる魔物…だって?」

  何と、ルーナの世界中巡る移動の理由はこの世界に隠れ住んでいる長寿の魔物に会いに行く事だったようだ。

  人間の言葉を話せないルーナだが、相手が知能の高い魔物の場合、魔物同士なら話を交わせるようだ。

  『わたし、じゅみょうのばすほうほう、しりたい。

  だから、ながくいきてるまものにはなしきく。

  ながくいきてるまもの、わたしたちにんげんのしらないこと、いっぱいしってる』

  「じゅ、寿命って…一体どういう……」

  『じゃっく、あなたのじゅみょう、のばしたい』

  「ッ…!」

  そう、それはジャックも薄々察していながらも目を背けていた悲しき事実。

  ルーナはドラゴンとして生まれ変わった際に、その寿命も人間としてのものではなく、ドラゴンとしての長き生を歩んでいく事が運命づけられていた。

  それは即ち、ジャックが死んだ後もルーナは何百年、もしかすれば何千年も一人で生きていかなければならない可能性がある。

  ジャックはこのままでは寿命差でルーナと死に別れた後ルーナが永遠にも似た孤独に襲われる事実を察しながらも、それを表に出さない様に必死に抑えていた。

  『わたし、じゃっくなしでいきていく、むり。

  じゃっくもながいきしてほしい。

  だから、じゃっくもわたしとおなじじゅみょうにしたい。

  まだぐたいてきなほうほう、みつかってない。

  けど、わたし、あきらめない。

  じゃっく、あきらめずひやくさがしてくれた。

  こんどはわたしのばん。

  わたしがじゃっくのじゅみょう、のばす。

  ぜったい』

  「ガゥ…!!!」

  真っすぐな瞳で、ルーナはジャックを力強く見つめる。

  それは『絶対にジャックを先には逝かせない』という決意に満ちた眼差しだった。

  「ルーナ…!」

  ルーナの真意を知ったジャックは、力強くルーナの巨大な顔に抱き着く。

  「ありがとうルーナ…。

  俺もあとたった80年程度で君と離れ離れになるなんて絶対嫌だよ。

  二人の愛を奏でる時間は百年あったって足りやしない。

  でも、一人で背負い込むんじゃなくて俺にも協力出来る事があったらドンドン言ってくれ。

  きっと俺とルーナの二人なら…どんな障壁だって乗り越えられる……!!!」

  「グァッグ…グアォッ……!!!」

  お互いに愛が高まり合い、熱い視線で見つめ合う二人。

  そしてジャックは一度ルーナから少し顔を離すと、前に飛び出たルーナの大きな上唇に向かって自分の唇を重ね合わせた!

  「グォッ…!?」

  突然のキスに唸り声で驚くルーナ。

  しかしすぐに自分も積極的にジャックの方へ唇を押し付けていく。

  人間の小さな口とドラゴンの牙を剥き出しにした大きな口のキスは、何とも噛み合っておらず不格好だったが、それでもこの二人にとって最上級の幸福であった。

  やがて、長くも短いキスの味を噛み締め合った二人はそっと唇を離す。

  「…さっ、洞窟へ帰ろうか。

  そのオークの大きさなら鍋だけじゃなく他の料理にも使えそうな位肉が余りそうだな。

  そうだ、ポークソテーを作ろう!

  まだルーナが病気になる前の頃、よく俺が作ったポークソテー喜んでくれてたよね。

  オークの肉も豚肉みたいなものだし、きっと作れるよ!

  今夜はごちそうだな~!」

  「グアォウ~っ!

  ガルッ!

  グルル~っ!!!」

  楽しそうに笑い合う、人間一人とドラゴン一匹。

  たとえ姿形が変わろうと、邪悪で恐ろしい巨大な魔物になろうと、言葉が交わせなくなろうと、二人の愛情は永遠に変わらないのである。