ひびしんしん~肉食と草食のルームシェア~

  <簡単な登場人物紹介>

  ・シカ(本名:[[rb: 市科> イチシナ]] [[rb: 祇友> ギユ]])

  シカ獣人。大学3年の春に、肉食エリアの大学に編入する際、ほぼ初対面のトラにルームシェアを提案した。草食獣でも食べられる培養肉の研究をしている。

  感情豊かで、好奇心旺盛。行動力があり、日々トラを振り回している。

  細身だがトラより頭半分くらい背が高い。

  ・トラ(本名:[[rb: 蒼永> アオト]] [[rb: 楽緒> ラオ]])

  トラ獣人。シカのルームシェア相手。人間という生物が生きていた過去の時代の食文化の研究をしている。

  基本的に不愛想だが、表情筋が鈍いだけで感情が無いわけではない。笑うと可愛い。シカに振り回されているが、本人は振り回されているとあまり思っていない。

  がっしりしているがシカより頭半分くらい背が低い。

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  [chapter:食べる話<トラ視点>]

  シカとの同居を始めて数ヶ月。いきなり肉食である俺に対して同居を頼んできた草食のこいつを、最初はよく分からない変人だと思ってたけど、最近はなんとなくどういう奴か分かってきた。

  「ねぇトラ、僕のこと食べてみてくれない?」

  「は?」

  ……前言撤回。やっぱりこいつは意味不明だ。

  夕食後にテーブルでまったりとテレビを観ている最中に、唐突で突拍子もないお願いをされた俺は、意味が分からずシカを睨む。いつも無愛想で仏頂面な俺の顔が、いつにも増して機嫌悪そうに歪んでいるが、シカはそんな事は気にしないと言わんばかりに話を続けた。

  「ほら、何事も経験かなって。少し齧ってみるだけでいいからさ」

  「そんな経験いらないだろ」

  「もしかして肉嫌い?」

  「培養肉で充分だ」

  「培養肉は好き?」

  「まぁな」

  「へへ……」

  なんだよその薄笑い。

  「じゃあ僕がトラを食べちゃおっかな」

  「は?」

  じゃあ、の意味が分からないし、そこから俺を食べる流れも分からない。

  2回目の「は?」を発した俺の困惑をよそに、シカはそそくさと俺の背後に回ると、俺の首筋にガブ、と噛みついた。

  「!!」

  「うわ、かったいね……」

  シカはすぐに口を離すと、純粋に驚いたような声を出した。

  本気で噛んだわけじゃないんだろう。特に痛みもなく、俺の首筋には噛まれたという感覚だけが残る。

  「うーん、そうなると、僕が食べてもらうにはもっと柔らかくなる必要があるか……」

  いやだからなんでそうなるんだよ。

  普段は明るくていい奴なんだが、たまに思考がブッ飛ぶよなコイツ。でもまぁ、喰うんじゃなくて噛むくらいなら、付き合ってやってもいいか。このままだとしつこそうだし。

  俺はそう思うと、俺を噛んで席に戻ったシカの背後に回る。

  「トラ?」

  「これで満足か?」

  ガブ

  シカにされたのと同じように、首筋を噛む。ただ歯は立ててないし、銜えたって表現のほうが適切かもしれない。

  ただ、シカが俺を噛んで硬いって言ってたからどんなもんかと思ったら案外柔らかくて、少し驚く。これは草食と肉食の顎の力の差なのか、肉質の差なのか、それとも両方か。

  そして、そんな軽い行為で、シカは素っ頓狂な声を上げて身体をビクンと震わせた。

  「ぴゃっ!?」

  「……」

  「び、びっくりしたぁ」

  それはこっちのセリフだ。まさかそんな声を出されるとは思わなかった。

  「食べられるってこういう感じなんだ……」

  「食べてねえよ」

  ビシ、と角の間にチョップをくらわせてやる。いたっ、なんて悲鳴が聞こえるが、これは俺にお前を噛ませた自業自得だと思ってくれ。

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  [chapter:買い物の話<シカ視点>]

  「あ、うそ」

  「どうした?」

  「コショウがからっぽ……」

  冷蔵庫を見て、がっくりと項垂れる。今日はポトフを作ろうと思っていたのに。コンソメだけじゃ流石に薄味すぎるよね。

  「ちょっと買ってくるね!」

  「もう暗いだろ、俺が行く」

  僕がエプロンを外している間に、トラはすでに玄関に行って靴を履いていた。うーん行動力。

  今日は僕が久しぶりの食事当番だからトラに買いに行かせるのは申し訳ない、とか言って引き止めることも出来るんだけど……行ってくれるというのなら、トラの優しさに甘えて、特に引き止めることもせずに見送る。

  最近、トラが優しい。

  昔が優しくなかったというわけじゃないけど、この間、肉食に捕食されかけたときから、気を使わせてしまっている感じがする。結果的に大したことなかったし、怪我だってもうすっかり治ったのに。折れた角だって、春になれば生えてくるし。

  「肉食かぁ……」

  トラがいない部屋で、ぽつり呟く。

  僕が肉食だったら、なんて考えたことが無いわけじゃない。

  でも、僕が肉食だったらきっと、こうしてトラとルームシェアすることは無かっただろうし、それは嫌だから、やっぱり僕は草食でよかったと思う。

  ただ、それはそれとして、やっぱり気を使わせてしまっているのは気にくわない。となれば……

  「よし!」

  気合を入れなおした直後、扉が開く音とトラの声が玄関から聞こえる。

  「買ってきたぞ。これでいいよな」

  「うん、ありがと!」

  「ところで、何作ってるんだ?」

  「今日はね、ハンバーグ!」

  それを聞いたトラの目が、驚きで開かれる。ふふふ、僕だって肉を食ベようと思えば食べられるんだからね。

  「肉料理を作るのは珍しいな。なにかあったのか?」

  「たまにはいいでしょ。というかトラだって、家じゃ肉料理作らないじゃん」

  「そりゃ、シカが居るからな」

  「気にしなくていいのに」

  「肉料理は昼に学食で食ってるからいいんだよ」

  「カツ定食とか?」

  「まぁな」

  学食のカツ定食、一度食べてみて、体質が合わずにお腹壊しちゃったんだよな。草食なんだから無理して食べるなって言われたけど、美味しいって言われたら、食べてみたいじゃん。

  「いつか、僕もカツ定食を美味しく食べたいからね!肉慣れしないと!」

  「なんだそれ」

  呆れたようにため息をつかれてしまう。

  でも僕は、「美味しい」って気持ちを、トラと共有したいと思ってるから。

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  [chapter:名前の話<トラ視点>]

  「昔の人の文化では、一緒に暮らしている人たちは苗字を同じに変える風習があったらしい」

  同じ史学科のやつから聞いた話。なんとなくの話題提供で漏らした話に、こんなに食いつかれるとは思わなかった。

  「そうなの!?」

  「あぁ、そうらしい」

  「じゃあさ、たくさん暮らしてたらみんな同じ名前ってこと!?」

  「さぁ?そこまでは」

  「そっかぁ。じゃあ、僕も[[rb: 蒼永> アオト]][[rb: 祇友> ギユ]]になるのかな。それとも、トラが[[rb: 市科> イチシナ]][[rb: 楽緒> ラオ]]になる?」

  ワクワクと語り掛けてくるシカ。ぶっちゃけどっちでもいいだろと思わなくもないが、楽しげに話すシカの話に乗って、からかってみる。

  「シカが蒼永になったら、お前のことシカって呼べなくなるな」

  「それは困る!」

  「でも、俺が市科になっても、シカは俺のことトラって呼べなくなるな」

  「それも困る!!」

  「俺のことトラって呼ぶの、シカくらいだぞ」

  「そうなの?」

  急にきょとん顔になったシカに、呆れため息をひとつ返して、出会ったときのことを思い出す。

  『[[rb: 蒼永楽緒> アオトラオ]]、アオトラオ、アオトラオ……じゃあ『トラ』で!!!』

  何て呼べばいいかと尋ねたのに対して、好きに呼べばいいと返した俺に向けて、ババーン!って効果音が付きそうなほど勢い良く、指を突きつけながらそう宣言したシカ。

  なんでそうなった。今思い出しても不思議だ。市科をシカと誤読した俺とはわけが違う。

  それでも、シカにだけ呼ばれる特別な呼び方っていうのは、案外悪くない。

  「まぁでも、もしトラが[[rb: 市科> イチシナ]]になっても、僕はトラのことをトラって呼ぶと思うな」

  シカはそう言って笑う。

  呼び方の変化は、関係の変化だと習ったことがある。俺の苗字が変わっても、関係性は変わらないってことなんだろう。

  そう思うと、少しホッとする自分と、少しモヤっとする自分がいることに気付く。モヤっと?なんでだ?

  「試しに、俺のこと[[rb: 楽緒> ラオ]]って呼んでみ」

  「へ?」

  「いいからほら」

  「ら、[[rb: 楽緒> ラオ]]……」

  困惑しながら、俺の名前を呼ぶシカ。

  なんというか、これじゃない感が凄い。言わせたにもかかわらず微妙な表情を浮かべ、コメントに困っていると、シカが口を開く。

  「なんというか、コレジャナイ感が凄いね……」

  まったく同じ感想をシカからも貰った。

  「だな。やっぱり俺はトラだな。」

  「トラって呼ぶのが僕だけなら、僕だけのトラだね!」

  それを言ったらお前も、俺だけのシカだな。

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  [chapter:おかえりの話<シカ視点>]

  「ただいまー」

  ガチャリとドアを開けて、家へと入る。そしてリビングの扉を開けるけれど、いつもと違って返事は聞こえてこない。

  普段であれば、リビングでくつろいでいるトラが「おかえり」と出迎えてくれるんだけど。

  「そっか、そういえば今日、付き合いがあって遅くなるって言ってたっけ」

  誰に言うでもなく、そう声に出してしまう。ただ当然、そんな言葉に対して返ってくる言葉は無い。

  僕とトラの生活を比べると、僕のほうが家を出るのが早くて、帰ってくるのが遅いことが多い。つまり、僕が家にいるときって、だいたいトラも家にいるんだよね。

  「なんかちょっと、寂しいな……」

  音のしないがらんとしたリビングを見て、そう思う。肉食の存在が恋しいなんていったら、草食の友達に驚かれちゃうかな。

  せっかくだから、いつもトラがやってるみたいに、僕もリビングでトラの帰りを待ってみようか。そう決めると、鞄を部屋に置いて、ミルクティーを入れて、テレビをつける。

  「ん~…………」

  つまらない!!!

  テレビの内容がつまらないんじゃなくて、テレビを見てるときにその内容を共有する相手が居ないのがつまらない。「ねぇ、これって……」って話しかけようとしてトラが居ないことを思い出すって行動を3回くらいやって、学習能力の無さにげんなりしてしまう。

  僕はどうやら、僕が思っている以上にトラ依存らしい。

  そして、グダっと机の上に上体を倒したところで、ガチャリと鍵の回る音が聞こえた。

  「……なにしてんだ?」

  僕のことを見下ろしたトラが、訝しげに尋ねてくる。そんなトラに対して僕は顔だけ向けると、言葉を返す。

  「トラが居ない悲しみに打ちひしがれてた」

  「なんだそれ」

  呆れたように笑ったトラが、鞄を下ろして向かいの席に座る。そしてつけっぱなしのテレビを見始めたその姿に、安心感を覚えている自分に気付く。

  あぁ、やっぱり僕は、肉食とか草食とか関係なく、トラとの生活が好きなんだなぁ。

  「トラ、おかえり」

  「ん、ただいま」