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トン、トン、トン、と規則正しい音で目を開ける。
長いこと目を閉じていたらしい。両目の焦点はなかなか合わず、繰り返す音と共に、灰色のぼんやりした視界が上下している。
誰かいるんですか?
そう聞きたかったがなぜか口は動かない。仕方なく代わりに動かした鼻が、身近な人の存在を教えてくれた。
……先生?
急速に合う焦点。視界いっぱいの灰色は先生が着ているジャージで、僕は背中とお尻を抱えられながら、その身体に思いっきり抱き着いていたらしい。
寝てても良かったのに。
顔を離すと、そう言って笑いかける翠の両目と目が合う。
現在僕が住んでいるシェアハウス一番の古株のウサギ獣人、愛称「先生」。別に学校の先生をやっているわけではなく、彼の優れた技術を指しての言葉だと言うのは別の同居人から聞いた話だ。
年中着ているジャージとふわふわの垂れ耳。そしてそれ以上に柔和で人当たりの良い笑顔は、初めての共同生活に緊張しきっていた僕の心も解きほぐしてくれたことを覚えている。
その目をじっと見ていると、段々ぼやけていた記憶が鮮明になってきた。
そうだ――。
僕はいつも通り仕事をして、帰宅して。
「おかえりなさいみゃーさん。ミルク飲んだらお風呂入ろっか」
いつも通り先生の腕の中で夕飯を済ませて、いつも通りお風呂に入れてもらったんだ。
「お着替え取ってくるね」
入浴後、そう言って消えた先生を待つ間。
自分の正面に置かれた鏡が、生まれたままの姿を映し出していた。
しっかり乾かしてもらった黒髪はつやつやのふわふわ。
全身の毛も、先生が丁寧に洗ってくれたおかげで真っ白だ。
尻尾の先だけは黒いけど、これは汚れではなく生まれつき。
先生に洗ってもらっている最中。石鹸のついた手が尻尾を滑っていく感覚がくすぐったくて、力が抜けて……。シャワーの水流に紛らせるように出してしまったのは我ながら不覚だった。
そんな僕の変化は先生にもしっかり伝わっていた。
「ここも、しっかり洗わないとね」
全てを出し切って、ほぉ……と一息ついた隙を突くように、泡まみれの指で「摘ままれた」そこ。
種族的にも遺伝的にも小柄なのは仕方ないとして。……その、色々と未熟なのは[[rb:同族 > フェレット]]の皆がそうだと信じたい。
自分の一部だからといって、あまり見つめるのも恥ずかしくなったので目を逸らす。
でも、と思う。
少し前までコンプレックスでしか無かったこの体も、悪くないと思えてきた自分がいる。
「お待たせみゃーさん。バンザーイしてー」
戻ってきた先生によって、掛け声と共にすっぽり被せられたロンパースも。
それを汚さないよう首に巻かれたクマさんのよだれかけも。
今日は新しいやつだよ、と当てられたふかふかの下着も。
この体だからこそ似合う気がするのだ。
何よりこうして先生に抱っこしてもらえるのは小柄な僕の特権だ。
トン、トン、トン。ずっと繰り返し鳴っているこの音も、何の音か思い出した。
先生が階段を登る音だ。
お風呂は一階、そして僕の部屋は二階にある。
落っこちたら危ないでしょ?
僕の移動が先生の腕の中になってから、この動作だって日常の一部だ。
やがて長いような、それともあっという間だったような……時間の感覚が不確かなまま階段を登る音は消え、同時に全身で感じていた上下運動も止んだ。
「さ、ついたよー」
先生は僕をゆっくり仰向けに下ろすと、自分もすぐ横に座り込んだ。
ここはどこだろう。
頭の下からは普段使っている枕の感触。そして体の下に広がるシーツは確かに僕の部屋の柄だけど、とてもとても大きい。その大きさたるや左右を見ても果てがなく、見渡す限り、どこまでもシーツの水色が広がっている。
上を見てもそこにあるのは白い天井ではなく、一面のクリーム色に雲がふわふわ浮いていた。
僕のベッドなのに僕の部屋じゃない。
そんな空間でずっとニコニコと笑顔で居る先生とは対照的に、僕は不安で寂しくなってしまった。
じわりと目頭が熱くなる。それを見た先生は翠の瞳を見せながら、「大丈夫だよ」と僕の頭に手を置いた。
僕よりずっと大きな温かい手。
「大丈夫。大丈夫」
掌が髪を往復するごとに、胸の内が不思議な温かさに満たされていく。
それはやがて胸から喉を登ってきて、つい口を開いて「ほっ⋯」と一息ついた。
拍子にコロンと顔の横に落ちたもの。気が付かなかったけど、僕はおしゃぶりを咥えていたらしい。
知った途端に口が寂しくなったので、拾おうとしたけど両腕はなぜか頭の横から動かなかった。
口も上手く動かないから先生へ目で訴える。
先生は分かってるよ、と言う様に顔の傍へ手を伸ばすが、摘まんでくれたのはおしゃぶりではなく、僕の右手。
でも僕にはそれが何を意味するのか分かっていた。
添えられた先生の手に導かれるように僕の手が、親指が、口に収まった。
ちゅっ。
美味しい。大好きなハチミツみたいに甘い味が口いっぱいに広がって、しかもちゅっちゅと音を立てると一層甘さが染み出てくる。
僕は両目を閉じてその味を、幸せを堪能した。
「今日はいつもより泣き虫さんで、あまえんぼさんだね。⋯⋯お友達がいないからかな?」
先生の手からポンッと煙と紙吹雪が上がり、中からソックスが一対出てきた。足先の部分にはクマのワッペンがついている。
一枚ずつを両手に持って、僕の目の前でふりふりする先生。
僕の両目がクマさんに釘付けになるよう、しっかり目の前で振って。そして僕の心が期待で満ちるのを待ってから。
「さ、あんよ上げてー」
先生は僕の片足ずつへ、ゆっくりゆっくり時間をかけて履かせてくれた。
靴下は見た目以上にたっぷり綿が詰まっていて、ふわふわのもこもこ。とてもこれを履いたままでは歩けそうにない。
それでいて適度に締め付けてくれるので、まるでクマさんが「君は歩かなくても大丈夫」ってギュッと抱きしめてくれているみたい。
「こっちは大丈夫かな?」
足元へ回った先生はそう言って、お股のボタンをぽちんぽちんと外す。それに合わせて、下腹部に感じていた圧迫感も一緒になってベッドへ落ちていった。
顔を上げられないから僕からは見えないけど、どうなっているかはその音と感触、そして先生の表情で理解した。
いっぱい出てるよ。
そう言いたげな笑みに、ただただ顔を赤くしながら僕は思う。
でもこれは仕方ないじゃないですか、と。
先生が傍らの包みをゆっくり開いていく。花と音符が散りばめられたピンク色の柄。僕の前を包んでくれるであろう場所には「女の子用」の文字。そして何より、濡れる前からなお分厚い吸収帯。今履いている靴下にも負けないぐらいモコモコのそれに包まれてしまうと、ちょっとやそっと濡れたぐらいじゃ分からないのだから。
抗議の声は出せず、代わりに指を吸う回数が増える。
先生は大丈夫、全部分かってるよ、と言いながら、再び僕の髪へその手を置いた。
「じゃあ交換するけど……その前に」
ぐしゅり、と湿った音がする。それと同時におむつに何かが乗った感触。
何だろう、という思いは一瞬。乗ったそれはゆっくりと動いて僕のおむつを撫でつける。
先生の手だ。
僕の頭を撫でてるのと同じ、先生の手。
それが何を意味するかは考えるまでもなかった。
なでなでなでなで。
頭とお股を一緒に撫でられて、脱力しきった耳に水流の音が聞こえてくる。
心地よさと解放感から来る震えに身を任せて目を閉じた僕はもう一度、ちゅっと音を立てて指を吸った。
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「な⋯⋯なんて夢ですか⋯⋯」
朝。
目を覚ましたみゃーもりは、控えめに言っても悪夢と言ってよい内容を思い出して、真っ赤になりながら頭を抱えた。
叫ばなかっただけ理性が働いていると言えるだろう。なにせその内容が、「同居人の手によって全身を洗われ、幼児服に身を包み、失禁する夢」だったのだから。
「そんなこと、あるわけないでしょうに……」
眼鏡を掛けて鮮明になったパジャマの裾を見て、溜息と共に呟きを零す。そこには呆れと、ほんの少しの安堵が含まれていた。
かけ布団を足まで捲ると、自身を包んでいるのは当然いつもの水色のパジャマ。もちろん靴下にクマさんはいないし、股の部分にボタンもない。
唯一同じだとすれば、パジャマの下から圧迫感で存在を主張している下着ぐらいだろう。
ウエストゴムを前へ引っ張ると見えてくるのはピンク色の柄。女の子用、まえ、と書かれ、花柄と音符が散りばめられた紙おむつ。
中央を走るお知らせサインは、もちろん上まで変色しきっている。
『じ、実はファンの方から届いちゃってぇ⋯⋯みゃーさん、使います⋯⋯?』
おむつの柄同様にピンクを基調としたパッケージを抱えた先生が、たはは……と笑いながら部屋に押しかけてきた昨晩を思い出しながらみゃーもりは思う。
先生がくれたコレを使ったからだろうか。あんな夢を見てしまったのは、と。
「いや、そもそもなんで僕も受け取ったんですか⋯⋯?」
常用のおむつが残り少ないことへの不安から?
先生の好意を無碍にしたくなかったから?
それとも――僕自身が使ってみたかったから――
「~~~っ!? なんで! 受け取ったん!! ですか!!!」
あらぬ方向へ行きかけた思考を振り払うように、掛け布団に手足を絡ませながら右へ左へ転がるフェレット。
とても年齢相応とは思えないその行動に、カーテンの隙間から差し込む光の中に埃が舞う。
小柄な体躯相応の体力の無さで早々に力尽きたみゃーもりは、汗ばむ額をぬぐいながら気づいた。
右手の親指が、汗に触れる前から濡れている。加えて、ちょうど第一関節付近に綺麗な噛み跡があることを。
……ひょっとして僕、寝ながら……。
そんなわけない、と否定したいのに眼前に親指があるこの状況に、もどかしさを感じている自分がいる。
否定したくて背けた顔と無意識に動く指。結果、唇の端に引っかけるように指は口内へ差し込まれた。
ちゅっ。
指と舌が奏でるその音は、一人の部屋に思いのほか大きく響いた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「変です。今日の僕は⋯⋯」
自身の奇行を一言で片づけ、みゃーもりは廊下へ出る。
汚れてしまった手を洗うついでに用足しを兼ねてトイレへ向かう算段だ。その両足が開き気味なのに加えて、ズボンを押し上げるように臀部がボリューミーなこの姿は、シェアハウスに住む人々が見れば一瞥即解の事実を示している。
先に腰の重りを処分しない理由について言及するのであれば、先述の理由は前後する。そう、彼は用足しするついでに手を洗いたいのだ。
まったく。まったくまったく! これだけ重いんですから朝は空であって下さいよまったく!
膀胱への叱責と共によちよち歩きでトイレを目指す。焦りに突き動かされるように忙しなく動く両足はしかし、トイレへ続く階段前でピタリと止まった。
「あ、おはようございますみゃーさん」
今日初めて聞くはずなのに、何度も何度も聞いた声。
その声だけで心が跳ね上がったのを自覚しながら、動揺が口からにじまないよう、努めて平静を装いながら。
「おはようございます先生」
軽く会釈しながら通り過ぎようとして――目を上げたのが間違いだった、とみゃーもりは悟った。
一礼と共に、下を向いたまま顔を上げずに通り過ぎるのが正解だったのだ。
上げかけた顔の先。無意識に見てしまったのは、ジャージから覗くウサギの手。
自身とは違う大きな手。夢の中で、いろんなところを優しく「よしよし」してくれた魔法の手。
「あっ⋯⋯」
視界が一瞬真っ白に染まり、下着の中を温かさが満たす。
体外へ流れ出る水の音が、皮膚を伝って耳に届いている。
瞬時に吸いきれなかった液体が肌を伝う不快感で我に返ったみゃーもりは――今度は驚きで固まることとなった。
「せっ、せんせ!?」
気がつけば、背を屈めたウサギが心配そうな表情でのぞき込んでいる。
「みゃーさん、顔赤いけど大丈夫? 調子悪い?」
前髪をかき上げて、自分の掌を額にピタっと当てた。
全ては夢の出来事のはずなのに。
夢ではない、現実のその手は夢以上に甘く、彼の自由を容易く奪い取った。
すっかり利かなくなった足腰で、ペタンとおんなのこ座りになってしまうみゃーもり。
「みゃ、みゃーさん!? どうしたの、だ、大丈夫!?」
軽々とその体を抱き上げるウサギ。体調不良を疑われている彼の行き先はきっと自室のベッドだろう。
ウサギの手が、みゃーもりの背中とお尻を支える。奇しくも夢の始まりと同じ姿勢になるも、あの時とは違うモノもある。
グジュッと多量の湿り気を含んだ音に加え、その柔らかな感触は、ウサギの表情を苦笑いに変えるには十分過ぎて。
「みゃーさん……」
恥じらいからその顔を直視できなくなったみゃーもりは胸元のジャージへ思いっきり顔を埋め。
ちゅっ。
もう一度、親指を鳴らしたのだった。
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