獣人世界からの侵略

  世界の終わりとは、何の前触れも無く訪れるものである。

  たった1秒前まで当たり前の日常が広がっていた景色が、一瞬にして地獄絵図に変わっていくのだ。

  これから覗いてみるこの世界もまた、災厄が運命づけられている哀れな世界。

  しかし人々は、当然そんな事は知らずいつも通りの日々が流れている。

  ここにも世界が終わるとはつゆ知らず、当たり前の毎日を生きている少女が二人…。

  ある朝、人通りの多い通学路。

  交差点の曲がり角で偶然鉢合わせる二人の女子高生がいた。

  一人目は常盤仁菜(ときわ にな)。

  サラサラのストレートヘアを伸ばした大人しそうな小柄な少女である。

  「…おはよう、萌華ちゃん」

  声にならない程小さな声で挨拶する仁菜。

  すると、相手は一瞬彼女を睨み付けるような目線を仁菜に向け、しかしすぐに覇気の無い目に戻った。

  「仁菜っ…。

  ......おはよ」

  もう一人の少女、水野萌華(みずの もえか)である。

  気弱そうな仁菜とは対照的に、ショートボブに切り揃えられた髪と女子の中では比較的高い身長から快活な印象を受ける。

  …が、今の萌華の表情は外見とは裏腹にとても元気そうには見えない。

  二人の顔は明らかに浮かない状態で、お互い相手の顔色を伺って何とも気まずい雰囲気だ。

  実はこの二人、本来なら誰よりも仲の良い大親友だった。

  小学3年生の時に同じクラスになったのをきっかけに仲良くなり、それ以来ずっと一緒だ。

  大人しい仁菜とハツラツな萌華は正反対な性格だが、不思議と馬が合い、お互いがお互いを大切に想い合う関係だった。

  …しかし、高校2年生になってしばらくしたある日、事件が起こる。

  きっかけは、萌華に好きな男子ができた事だった。

  相手は3年生の男子・鳥居幸助(とりい こうすけ)。

  萌華と同じ陸上部の先輩であり、整ったルックスと県大会常連の抜群の運動神経を持つ。

  1年生の頃から彼に惹かれていたが、以前の大会で結果が出ずに落ち込んでいた萌華を励ましてくれた事から完全に自分の恋心を自覚したのだという。

  告白する勇気が出ず悶々としていた萌華を、仁菜は応援した。

  『萌華ちゃんならきっと大丈夫だよ…。

  私、応援してるから!』

  『仁菜…ありがとう……!!!

  やれるだけ頑張ってみる!』

  しかし。

  『常盤仁菜さん…だったよね?

  良かったら俺と付き合わない???』

  『……え?』

  萌華の告白決行日前日、突如として幸助は仁菜に告白。

  何でも、仁菜が萌華とよく喋っている姿を見て一目惚れしたのだとか。

  『せん、ぱい?

  なん……で……』

  そして、その光景を運悪く萌華は遠くから見かけてしまったのだ。

  しばらく放心していた後、ハッと我に返った仁菜は即座に『ご、ごめんなさい!』と謝ってその場から逃げ出した。

  遠くで萌華が見ていた事に気が付いていたから。

  『待って…萌華ちゃん!

  違うの…私そんなつもりじゃっ……!?!?!?』

  仁菜は必死に萌華の後を追った。

  しかし、萌華は止まらない。

  『グスッ……ひぐっ……』

  グチャグチャになった感情で顔中涙で濡らしながら、逃げるように家に帰って行った。

  それから、萌華は三日間学校を休んだ。

  さらに土日を挟んでの月曜日の朝…。

  交差点にて、実に五日ぶりの二人の再会であったのだ。

  (どうしよう…私、萌華ちゃんにひどい事しちゃった。

  謝りたいけど、きっとそれだけじゃ許してくれないよね……。

  このまま萌華ちゃんと一生仲直りできないのかなぁ……?)

  仁菜は幸助に告白されたあの日から、ずうっと自分を責め続けていた。

  本来であればこの件に彼女が責任を感じる必要等ないはずだが、内向的な性分が彼女を徹底した自己嫌悪に陥らせていたのだ。

  一方で、萌華はと言うと未だ整理しきれていない感情が頭の中で複雑怪奇に渦巻いていた。

  (わかってる…仁菜は何も悪くない。

  仁菜がどんな子か、あたしが一番よくわかってる…。

  それなのに、この抑えようのないドロドロした想いは何?

  先輩はあたしが先に好きだったのに…何もしてない・先輩と接点もない仁菜がいきなり横から先輩の目線を奪うなんてひどいよ。

  ズルいよ……。

  他の知らない誰かだったらいくらでも一方的に嫉妬できたのに。

  なんで、どうしてよりによって仁菜が先輩に告白されちゃったの……!!!)

  仁菜を責めたくない思い、しかしどうしても彼女への妬みが止められない、そんな感情が、いつも元気だったはずの萌華から笑顔を奪っていたのだ。

  朝日が爽やかなはずの通学路に漂う、どんよりとした空気。

  仁菜と萌華は歩きながらお互いの顔をチラチラと覗くも、決して口を開かず、ギクシャクした時間だけが過ぎ去っていく。

  (萌華ちゃん…いつもみたいに萌華ちゃんと楽しく喋りながら登校するあの頃に戻りたいよ……)

  (仁菜…あたしがこのまま謝れなかったら、もう前みたいに二人で笑いながら話す事も無いんだよね……)

  本当はお互いに仲直りしたいのに、それがどうしてもできなかった。

  …そんな時だった。

  "世界の終わり"が始まったのは。

  「うっ…ぅぅぅぅぅぅ……」

  突然、二人の目の前に右腕を抑えながらフラフラと歩いてくる一人の派手そうなギャルの女性が現れた。

  見た所、大学生のようだが…その右腕を覆う服の袖からは明らかに赤い染みが、血が流れていた!

  「えっ…だ、大丈夫ですか!?」

  思わず、心配になって駆け寄ってしまう仁菜。

  萌華も駆け寄ろうとしたが、仁菜との重い空気を思い出し一歩引いて見守る。

  女性はその場に尻もちを着くと、明らかにパニックに陥った様子でこう告げた。

  「ばっ……化け物だぁ……。

  あっちに…いっぱい化け物がいて…それでアタシ、あいつらに嚙みつかれて……!!!」

  左手で大通りの方を指さしながら、女性は全身を激しく振るわせて恐怖している。

  仁菜には女性が何を言っているのか理解できなかった。

  しかし、右腕の傷を見る限り普通じゃない事が起こっているのは間違いないだろう。

  たとえば、通り魔が次々と人を刺しているとか…。

  「とっ…とにかく救急車呼ばないと!

  もっ…、萌華ちゃん!

  お願い!救急車を!!!」

  この緊急事態に、ギクシャクしている場合ではない。

  そう感じた仁菜は、意を決して萌華に話しかけた。

  「っ…!?

  わ…わかった!!!」

  一瞬戸惑った萌華だが、すぐに仁菜の思いを汲んで鞄からスマホを取り出そうとする。

  しかし。

  「あ…あぁぁぁっ……。

  ダメ、変わっちゃう…。

  アタシ、も…あいつらみたい、にっ……!?」

  女性がうわ言のようにそう呟いた次の瞬間、女性の体に変化が生じた。

  全身の筋肉が物凄い勢いで膨張すると、着ていたオシャレな服が一瞬で破け去り、どんどん巨大化していくのだ。

  「……へ?」

  「なに…これ……」

  あり得ないものを目にし、硬直する仁菜と萌華。

  素っ裸になったのもつかの間、すぐさま女性の全身を突然生えてきた黄色い獣毛が覆い尽くしていく。

  同時に、柔らかく放漫だった女性の乳房が空気の抜ける風船のようにしぼんでいくと、かわりにガッシリとした胸板になり、腹筋は六つに割れる。

  手のひらに肉球のようなものが生成されると、両手両足の爪が鋭く尖り、お尻から尻尾が生えてきた…。

  「いや……。

  アタシがアタシじゃなくなる……。

  だれか、とめて…。

  だれ、か……ァァァァァァあああああああああッ!?!?!?」

  いつの間にか男のような低い声になっていた女性が絶叫すると、それを合図に首から上にも変化が生じる。

  まずは口と鼻だけが前に飛び出して、マズルを形成。

  鼻が黒く染まると、丸く形状を変え、その周囲に白い毛が何本か生え揃う。

  口の中の歯という歯が全て抜け落ち、代わりに獲物を嚙み砕く立派な牙が生えた。

  白目が黄色く染まり、見たものを凍り付かせる野生の眼光に。

  そして綺麗に染めていたプラチナブロンドの髪は全て抜け落ちると頭部全体が黄色い獣毛に包まれ、両耳が頭の上に移動して、顔の側面から茶色い立派な鬣が生えてくる……。

  「う、嘘っ…これって……」

  「ライオン……!?」

  そう、それは正に人型のライオンとも言うべき姿…それも鬣を持つ雄のライオンである。

  女性は、わずか数分間の間に一瞬で雄のライオン人間になってしまった。

  目の前で起こったあまりに恐ろしい怪現象に、ギスギスしていた事も忘れてお互いに身を寄せ合う仁菜と萌華。

  ライオンになった女性はしばらくは変化による負担なのか荒い息を吐くだけだったが、やがてその鋭い目をギロリと二人の方へ向けた。

  「ハ…ハハハハハ……。

  なんだかよぉ…さっきから無性に腹が減って腹が減って…頭おかしくなりそうだ、ぜ。

  さっき…オレの事助けてくれるって言ってたよなァ……。

  だったらよ…オレの御馳走として食べられてくれたって、構わねぇよ、なァ???」

  先ほどまでのギャルらしさは微塵も感じられず、口から涎をボタボタ垂らしながら、食べ物に飢えたケダモノのような口調で話すライオン人間…。

  その言葉を聞いた瞬間、全身に悪寒が走った萌華が叫んだ。

  「逃げるよッ!!!仁菜ぁ!!!!!!」

  「えっ…萌華ちゃん!?」

  咄嗟に仁菜の腕を掴んで、萌華はその場から走り去った!

  二人とも鞄をその場に置いて行ってしまったが、そんな事を気にしている余裕はなかった。

  「待てっ!

  食わせろぉ!!!」

  ライオン人間になった元女性は当然追ってくる。

  しかし、陸上部で鍛えた萌華の足のおかげでギリギリ追いつかれないスピードを維持している。

  元女性のライオン人間は、まだ変化したばかりの肉体を上手く使いこなせないようだ。

  しばらくすると、スタミナが尽きてきたのか

  「チッ…。

  …あっちの方が、捕まえやすそうだ、な」

  「ひぃっ…!?

  な、何だよオメェ!?」

  そう言ってライオン人間は、近くで驚いて腰を抜かしていたヤンキーの男性へとターゲットを変え、二人を追うのをやめた。

  「ごめんなさい…!」

  萌華は身代わりになってしまった人に申し訳なさを抱きつつも、とにかく仁菜と一緒に逃げる事を最優先に走り続けた。

  「ぁ…あわわ……」

  仁菜は、さっきから何が何だかわけがわからず放心状態になっていた…。

  一体、この世界に何が起こっているのか。

  仁菜たちには知る由もないが…実はこの瞬間、仁菜たちの住んでいる世界はある異世界からの侵略を受けていたのだ。

  その異世界とは、「獣人たちの世界」。

  先程の女性が変身したライオン人間のような、動物の特徴を持った人間が住んでいる世界である。

  しかし、この世界では既に土地が飽和しており、自分達の縄張りを巡って激しい争いが起こっていた。

  そこで、これ以上無駄に獣人たちの血が流れる事を止めるためにも、こちらの世界の支配者たちは「新しい土地を手に入れるために別の世界を侵略する」事を決意。

  ただ、その侵略先の世界に住む人々を無惨に殺す事ははばかられた支配者たちは、殺すよりも効率的で平和な打開策を考える。

  それが、「侵略先の世界の住民も、自分達と同じ『獣人』に変えてしまおう」というもの。

  身も心も強制的に自分達と同じ種族に変えてしまえば、争う事なくその世界を手に入れられるだろう。

  獣人世界の支配者たちは、早速何らかの魔法的な術を用いて侵略を開始した。

  いきなり仁菜の世界の全ての人々を獣人に変える事は出来なかったが、ランダムに選ばれた一定の人々をその魔法的な術で強制的に獣人に変身させる。

  この魔法で変化させられた獣人には、『体液を摂取させるとその摂取した者も獣人に変化させる』という特性が備わっている。

  最初に獣人にされた人々が周囲の人に噛み付くなり、唾液などを飲ませるなりすれば、パンデミックの要領で人々は次々と獣人に変わっていく。

  (ちなみに、体液を摂取して変化する動物の種類は完全にランダムである。

  例えば先程二人を襲ったライオン獣人の唾液を摂取したからと言って、その人もライオン獣人になるわけでない。)

  獣人世界の支配者たちは、事が済むまでただ待つだけで良い。

  仁菜たちの住む世界の人々が全員獣人になったタイミングで支配者が赴けば、それで侵略は完了だ。

  この恐ろしい計画が実行されたのが、正に今日、この瞬間だったのである。

  仁菜たちの住む街にも最初に選出されて変化させられた獣人がいて、その獣人を発端として人々は次々と獣人に変えられていった。

  仁菜と萌華を襲ったあのライオン獣人も、他の獣人に襲われて右腕を噛み付かれた事で唾液が体内に入り、あっという間に獣人化してしまったのである。

  そして、女性が雄のライオン獣人になったように、どういうわけか我々の世界の人間は獣人に変化する際に必ず元の性別とは反対の性別に性転換してしまうようだ。

  男性は雌の獣人に、女性は雄の獣人に、身も心も一瞬で染め上げられてしまう。

  どうやら人間の肉体を獣人の肉体に再構築する過程で、人間としての特徴を反転させる処理を行う事で性別も反転してしまうようだが…獣人世界の支配者たちにとっては性別などどうでも良い事だ。

  こうして、仁菜たちの住む世界にとっての「世界の終わり」が始まってしまったのである。

  萌華に手を引かれながら、仁菜は道行く人々の身に起こる世にも恐ろしい光景を数多く目の当たりにした。

  たとえば、この近所に住んでいる仲睦まじい兄妹がいた。

  両親が多忙なのか、まだ11歳ながら「自分がしっかりしないと」と9歳の妹をしっかりと支えようとする兄の姿はとても健気で、妹もそんな兄を慕い「お兄ちゃん、だいすき~!」と笑顔を浮かべる姿に、仁菜もよく癒されていた。

  しかし…。

  「アァ…生まれ変わったような清々しい気分だぜ。

  いいか、『お兄ちゃん』よぉ。

  もう俺様はか弱い雌じゃねぇ、これからは俺様こそが兄者だッ!!!」

  「お兄様…素敵です!

  ワタクシ、一生お兄様に着いていきますわ~っ♡♡♡」

  あの小柄でかわいらしかった妹は、一切の面影を感じさせない筋肉達磨のような巨体を持つ雄の猪獣人に変わり果てていた。

  一方の兄はというと、かつてはドッジボールで元気に外で遊んでいたスポーツ少年らしさは見る影もなく、柔らかく豊満な巨乳、そして巨大なお尻を持つ雌の兎獣人になっている。

  既に二人とも心の底まで獣人になってしまっているらしく、妹は豪快で親分のような性格に、兄は以前の頼もしさ等感じられないお嬢様のような性格に変貌している。

  また、近所でも有名なおしどり夫婦も見かけた。

  スリムな体型で筋肉は無いが、とても心優しい夫。

  少しぽっちゃりとした体型で、いつも朗らかな笑顔で周囲を癒すおっとりとした妻。

  「…好きだ、愛してる」

  「まぁっ…!

  私こそ、愛してるわ…あなた…!!!」

  人目もはばからずによくイチャついているこの夫婦のお熱い様子は、この近所に住んでいれば見慣れた光景だった。

  だが、そんな仲睦まじい夫婦も…。

  「…このメス狐が。

  この高貴な吾輩の前に汚らしいケツを向けおって!!!

  恥を知れ!!!!!!」

  バシッ!!!

  「あぁぁぁ~んっ♡♡♡♡♡♡

  申し訳ございませぇんご主人様ぁ。

  もっと、もっとこのわたくしめを叩いてくださいまし~ッ♡♡♡」

  妻はガタイの良い雄の白熊獣人に、夫はナイスバディな体型の雌の狐獣人に変貌し、狐獣人は白熊獣人からの執拗なケツ叩きに快感を得ているようだ。

  白熊獣人の方は元夫への愛はすっかり冷めてしまったように冷たい目付きをしているが、狐獣人は尻を真っ赤にしながら変わり果てた元妻を愛し続けている。

  …これはこれで別の意味でおアツい関係な気もするが、それでも仁菜の見知った二人とはあまりにも別人のようだ。

  他にも、母と息子の親子連れであったであろう二人。

  「うぅっ…。

  ボク、どうなっちゃったの…?

  わかんない、なにもわかんないよぉ…うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

  「あらまぁ、どうしちゃったのママ。

  こんなに泣き喚いちゃって…。

  ヨシヨシ、大丈夫よぉ。

  私が傍に着いてるんだから♡」

  母親は雄の小柄なアヒル獣人になっており、とても元は一人の子供を持つ母だったとは思えない程の無垢な声色でわんわん泣き喚いていた。

  反対に、息子は胸だけが異常に肥大化した雌の白鳥獣人になって、元母親に母性を振り撒いている。

  また、幼稚園の近くを通りかかった際の光景もあまりに酷かった。

  「ほほぅ…これがワシじゃと言うのか!

  ワシはもはや無知で阿呆な小童ではなくなった…今なら何でも出来そうじゃわい!!!」

  「なんつーかぁ、頭ん中ちょースッキリ!みたいな?

  とにかくあーし、今日からギャルとして生きていくってことでよろ~☆」

  元は女の子であっただろう園児は風格のある仙人のような雄の犬獣人になっており、隣にいた元は男の子だったであろう園児はキャピキャピした態度のギャルのような雌の猫獣人になっている。

  彼らだけでなく敷地内には大量に獣人が集まっており、どの獣人も元は幼稚園児だったとは思えない外観だ。

  一方、元は先生であったと思われる者も。

  「こら~っ!!!

  テメェら、好き勝手してんじゃねーぞ!!!

  いくらおっきくなったからって、お前らは園児なんだならな!!!

  先生は!!!オレだぞ!!!!!!」

  しかし、元先生は幼稚園にいる獣人の中で最も小柄な雄の鼠獣人になっており、騒ぎ立てる周りの園児達を大きな声で諫めようとしているが誰も聞く耳を持たない。

  それどころか、大人の獣人になった園児達に玩具にされており、

  「皆の者、見よ!

  この小さく惨めな小童、もしや我らの先生ではあるまいか?」

  「え~?

  ヤバーい、かわいぃーっ♡♡♡

  怒るとあんなに怖かったのに、もう全然怖くないぢゃん笑」

  そう言って、猫獣人は鼠獣人を赤ちゃんのように抱っこし、犬獣人と一緒に元先生を何度も撫でつける。

  「やめろーっ!

  オレはお前らの玩具じゃないぞ!!!

  離せっ!

  オレを子供扱いするなーっ!!!!!!」

  小学校低学年の男子位の身長しかない鼠獣人は、声変わりもしていない少年ボイスで必死に抵抗するが元園児達は微塵も言うことを聞かない。

  「てかさー、せんせー前にあーしがイタズラした時めっちゃ怒ってきたよね。

  あれめっっっちゃムカついたんだわ。

  せっかくあーしがせんせーよりおっきくなんだんだし、あの時の仕返ししても良いよね~???」

  そう言って、猫獣人は鼠獣人の脇をくすぐり始めた。

  「あっひゃひゃひゃひゃ!!!

  やめろっ、くすぐった…ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?!?!?

  おねがっ…ひゃひゃひゃ…やめっ…ひひひひひひっ……!!!!!!」

  「ほう、これは愉快じゃ…!

  あとでワシにもやらせておくれ。

  皆も近うよれ、先生の愉快な姿を見られるぞぉ!!!」

  もはや先生と生徒という関係は完全に逆転し、鼠獣人は元園児達になされるがままであった…。

  既に変わり果てた者だけではない。

  正に今、獣人に変異していっている人々も数多く見られる。

  「いやだっ…。

  こんなの私じゃないっ……!!!

  頭の中が真っ白になってく…。

  なにも考えられない……。

  わたっ……お、オデ……???

  オデ、カバ…なんだど?」

  クールで知的そうな外見のOLが、全身脂肪に包まれたマヌケ面の雄のカバ獣人になって行ったり、

  「はぁっ…なんだよこの重い体!

  全然…走れねぇよっ……。

  ひぃ、ふぅ、ふぅ。

  俺…一生こんな速さでしか歩けないのぉ?

  嫌よぉ、そんなのぉ……。

  アタシはぁ……サッカー部のエースなのにぃ……」

  県大会で優秀な成績を残したサッカー部エースの男子生徒が、ノロノロとスローな歩き方しか出来ない雌の亀獣人になって行ったり…。

  「ハァァァッ…。

  フーッ、フーッ……。

  もぅ、我慢デきなィっ……!!!」

  「いやだっ…!!!

  やめてくr、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!?!?!?!?!?!?」

  あるいは、先程二人を襲ったライオン獣人のように肉食獣の獣人が空腹に負けて人間を食い散らかすというあまりにグロテスクな光景も見受けられ、仁菜は吐きそうになった。

  それでも、萌華が引っ張ってくれる手を必死に掴んで仁菜は走り続けた。

  [newpage]

  「はぁっ……うぅっ…。

  ここまで来れば…ひとまずは大丈夫のはず……」

  やがて、どこまでも走り続けた二人は人気の無い森林まで辿り着いた。

  長時間、全身全霊を賭けて死に物狂いで走り続けた事もあって息は絶え絶えになっている。

  普段運動していない仁菜にとっては特に厳しかったようで、

  「ヒュッ…ゲホッゲホッ……。

  うぅぅぅ……」

  と、肩で息をする状態だ。

  「…何なの、あれ。

  この街に何が起こってるの!?」

  スマホの入った鞄はライオン獣人に襲われた時に置いて行ってしまった以上、二人には今世界で何が起こっているのか知る術が無かった。

  …無論、仮に持っていたとしてもこんな状況ではまともに通信が繋がるとは思えなかったが。

  「わかんない…。

  でも、あの化け物に襲われた人も化け物になってた。

  化け物にならなくても、あいつらに食べられちゃって…ウプッ!?」

  先程の凄惨な光景を思い出し、仁菜は再び口の中に吐瀉物が戻る。

  「あの様子じゃ…学校の皆ももう無事じゃないかもしれない。

  …あたしと、仁菜の家族もひょっとしたら」

  「やめて!!!

  そんなの…考えたくないよっ……!!!!!!

  うぅっ……」

  仁菜は両耳を塞ぎ、目を閉じて涙を流す。

  いきなりこんな訳のわからない事態に巻き込まれてしまい、ましてや大切な両親までもあんな醜い怪物になってしまった可能性など考えたくも無いだろう。

  当然の反応だ。

  「仁菜…」

  萌華は憔悴する仁菜を励まそうとあれこれ言葉を考えるが、ついさっきまで幸助の件でドロドロとした嫉妬の感情を抱えていたため気まずくて上手くまとまらない。

  それでも、何とか仁菜を励ましたくて。

  「っ…、萌華ちゃん?」

  萌華は後ろからそっと仁菜を抱き締める。

  「…大丈夫。

  きっと大丈夫だよ、仁菜」

  そう言い切ると、萌華は自分の発した言葉にハッとなる。

  (これ…あの時仁菜があたしにかけてくれた言葉と一緒だ……)

  萌華の言葉は、かつて幸助に告白する勇気が出ず悩んでいた時に仁菜がかけた『萌華ちゃんならきっと大丈夫だよ』という励ましと同じであった。

  萌華とてこの絶望的な状況から本当に何とかなるとはとても思っていない。

  しかし、それでも仁菜の気持ちを少しでも安心させたかった。

  大切な親友が苦しんでいる姿は見るのが辛かったから。

  (そっか…。

  あの時の仁菜も、同じだったんだ。

  あたしが告白するか否かでずっと悩んで、苦しんで…。

  そんなあたしの苦しんでる姿を気遣って言ってくれたんだ。

  確かに仁菜に背中を押された時、すっごく気持ちが楽になった。

  だから『告白しよう』って決意を固められたんだよね。

  それなのに…そんな風にあたしを大切に想って気を遣ってくれた仁菜を一方的に妬んでたなんて……。

  あたしって、最低だ)

  こんな極限状況でありながらも、萌華は改めて自身の感情を見つめ直し、深く反省する。

  一方の仁菜は、少しだけ歩み寄ってくれた萌華の行動に

  (萌華ちゃんの肌…あったかい。

  これから先どうなるか不安しかないのに、今だけは全部忘れて安心できる気がする)

  と温かい気持ちになる一方で、

  (…でも、だからこそこんなに優しい萌華ちゃんをあそこまで怒らせちゃった自分が憎い。

  あの時、鳥居先輩に告白されても狼狽えずにすぐにお断りしていれば。

  ……ほんの僅かでも、萌華ちゃんじゃなくて私に告白が来た事に優越感を覚えなければ。

  萌華ちゃんとこんなギクシャクした関係にならなかったのに……!!!)

  と自己嫌悪を募らせる。

  仁菜は幸助に告白された際に、困惑の感情が9割だったが、1割だけ『ロクに交流も無いイケメンから一目惚れされた』という事実に喜びを覚えてしまったのだ。

  幸助からの告白が、仁菜にとって人生で初めて誰かから告白された経験だった事も大きいだろう。

  そこに嬉しさを感じてしまう事は、何も不自然ではない。

  しかし、実際に仁菜が自分で思っているように『告白された事で萌華に優越感を覚えていた』のかと言えば、そうではないだろう。

  仁菜の内向的な性格が過去の自分をドンドン悪い方向へ解釈して行き、実際の感情とは異なる事実を頭に浮かべてしまっているのが真相だった。

  しばらくの間、萌華が仁菜を抱きしめる体勢のまま二人は沈黙を続ける。

  お互いに頭の中で自己嫌悪を続け、相手に謝罪したい思いでいっぱいだった。

  そしてついに、どちらが先に言うでもなく自然と抱擁を解除し、お互いに面と向かって口を開いた。

  「仁菜っ…!」

  「萌華ちゃんっ…!」

  「あらァ~ん???

  こんな所に気配がするかと思ったら、見覚えのあるお二人さんがいるじゃなーい!!!」

  突如、二人の世界をぶち壊す、甘ったるい声色。

  二人が声の方向を見ると、そこには真っ白い毛並みに安産型の体型でムチムチボディの雌の鶏獣人が立っていた。

  男…いや、雄を魅了する脂肪のついた肉体は妖艶な雰囲気を醸し出しており、間延びした喋り方と合わせてまるでマダムのような佇まいである。

  「ひっ…!?」

  ついに獣人たちに見つかってしまい、恐怖で足がすくむ仁菜。

  一方、萌華は仁菜を庇う位置に立って、勇敢にふるまう。

  「それ以上近寄らないで!!!

  誰なのっ…!

  あたし達を知ってるのか…?」

  「あらあら、ひょっとしてアテクシの事を忘れちゃったァ???

  んまぁ確かにィ、この体になって随分体型も変わっちゃったものねぇ~ン。

  良いわぁ、特別に教えてア・ゲ・ル♡

  …、『そう落ち込まなくても大丈夫だよ、水野さん。

  人間、調子の良い時もあればそうでない時もある。

  今回の大会はたまたま調子が悪かっただけさ、水野さんなら次は絶対ベストタイム出せるって!!!

  期待してるぜ!!!』」

  「ッ……!?!?!?」

  突如、先ほどまでの甘ったるい喋り方ではなくハキハキとした男性のような口調で喋る鶏獣人。

  その言葉を聞いた瞬間、萌華の全身から血の気が引いて顔が青くなった。

  「…萌華、ちゃん?」

  萌華を心配して仁菜が声をかけると、萌華は鶏獣人の正体を口にする。

  「せん……ぱい……???」

  「えっ…!?」

  「今の言葉…前にあたしが陸上の大会で伸び悩んでた時に先輩が言ってくれたのとまったく同じなの……!

  そんな、嘘よ。

  こんなムチムチの鶏が…あのかっこよかった先輩なのっ……!?!?!?」

  そう、鶏獣人の言い放った台詞は、萌華が幸助への恋心を自覚するきっかけとなった励ましの言葉である。

  二人の前に佇む色気ムンムンのエロティックな雌の鶏獣人は、イケメンでスポーツマンだった鳥居幸助の成れの果てだったのだ。

  「オホホホホ…正解よ水野さん!

  アテクシ、今朝もいつものように校庭で自主練していたら、校舎から出てきたたくさんの獣人たちに一瞬で襲われちゃってねェ~ん?

  気づいたら、こんな魅惑のボディに大変身♡

  こんなムチムチの肉付きになったら、もう短距離走で県ベストは目指せないけど…そんな事もうどうでもいいわァ~ッ!!!!!!

  アテクシ、今はアテクシと番になってくれる雄の獣人が欲しくて欲しくてたまらないのぉん♪

  そこら中のいたるところに雄はいっぱいいるけれど…、残念ながらどれも既に番持ちか、アテクシの好みとは合致しない雄ばかりでしたわ。

  無理やり他の雌から雄を奪うのも考えたけどォ…そういう雄は大体番の雌の事をすっごく愛してるから全然なびいてくれないのよん♪

  そ・こ・で!!!

  アテクシが以前から目をかけていた…常盤仁菜、貴女よ!

  あなたを今からこのアテクシの手で雄獣人にしてしまえば、アテクシ好みの雄になってくれるかもしれない!

  もちろんどんな獣人になるかはやってみないとわからないけどォん…、やってみる価値はあるわよねェ?

  ちなみに、今のアテクシの好みはむさ苦しいゴリマッチョな雄よん♡♡♡」

  元幸助の鶏獣人の狙いは仁菜であった。

  「ひっ……やぁっ……」

  鶏獣人にターゲットされ、仁菜は恐怖で後ずさる。

  「そんな…やめてください先輩!!!

  先輩は、あたしの憧れだったんです!

  たとえあたしには振り向いてくれなくても…あなたの言葉のおかげで立ち直れた事は感謝してもしきれません!

  それなのに、自分の番が欲しいからって仁菜を無理やり獣人にしようとするなんて…。

  そんなの先輩らしくありません!

  あたしの知ってる、優しくて誇り高い先輩に戻ってくださいッ……!!!!!!」

  萌華は仁菜を背後に庇いながらも、見るに堪えない下品なマダム獣人に堕ちてしまった幸助の姿に激しくショックを受けて糾弾する。

  しかし、そんな萌華の必死の説得を受けての鶏獣人の言葉に、萌華はさらに絶望の淵に叩き落される事に…。

  「誇り高い…ねェ?

  確かに人間の時のアテクシは外面だけは良く振舞ってたけど、ぶっちゃけ内心ではかわいい女の子と肉体的な関係が持ちたかっただけで陸上はその手段位にしか思ってなかったわん♪

  大会で良い結果を残せば自動的に女の子がキャーキャー寄ってくるから、あとは良い感じの言葉をかければもうイチコロだったわねェ。

  色んな女の子をとっかえひっかえしたけど…偶然見かけた常盤仁菜の顔が当時のアテクシのドストライクで、衝撃を受けたのを覚えているわん。

  だからどうしても彼女に近づきたくて、何か接点を探した結果見つかったのが……水野さん、あなただったのよ!」

  「……へ?」

  「陸上部の後輩で常盤仁菜とも親しいあなたに取り入れば、アテクシにも常盤仁菜とお近づきになれるチャンスが得られるでしょう?

  だからアテクシにとって微塵も好みじゃなかったあなたにも優しく接して、今か今かと告白するチャンスを伺っていたってワケ!

  …結局、常盤仁菜にはソッコー振られてしまったからあなたに優しくしたのも無駄になっちゃったけど。

  それでも今こうして、アテクシを再び常盤仁菜と再会させてくれた事だけは褒めてあげてもいいわよォ~んっ♪♪♪」

  その場に膝からドサッと崩れ落ちる萌華。

  (そん…な……。

  先輩があたしに優しくしてくれたのは、仁菜を狙っていたから?

  あんなに大好きだった先輩の本性は、異性をたぶらかして遊びたいだけの軟派野郎だったって事なの……?

  こんなのって、こんなのって無いよっ……!!!)

  「っ……グスッ……」

  萌華の中で抱いていた幸助への幻想がぶち壊されて行き、とめどなく涙が零れ落ちる。

  「萌華ちゃん……そんな……」

  仁菜も幸助本人の口から聞かされた事の経緯に大きく衝撃を受け、良いように利用されてしまっていた萌華の心情を察する。

  「…さっ!

  わかったらそこをおどきなさい?

  これから常盤仁菜の口にアテクシ特製の唾液をた~っぷりねじ込ませて、すぐにでも雄の獣人に変えてあげるからねェ~ん♡♡♡」

  「ひぃっ…!?

  こ、来ないでよぉ!!!」

  一歩、また一歩と鶏獣人は仁菜に近づいていき、仁菜も一歩一歩後ずさりして下がっていく。

  ショックを受けて放心状態の萌華は固まったままだ。

  しばらく鶏獣人と仁菜の一歩毎の前進・後退が続いたが、やがて仁菜の後ろに巨大な大樹が立ちはだかりこれ以上後ろに逃げられなくなる。

  「あっ…!?」

  「オホホホホ…もう逃げられないわねェ~ん???

  さっ、年貢の納め時よ。

  常盤仁菜…アテクシ好みの雄になりなさぁい!!!!!!」

  鶏獣人が仁菜の顔の至近距離まで近づき、黄色いくちばしから強引に舌をねじ込もうとした…その時だった。

  ドゴォッ!!!

  突如、鈍い音がその場に響き、鶏獣人の頭に激痛が走る。

  「っっっ…たァい!!!

  何!?

  何なの今のはァん!?」

  「仁菜に…近づくな!!!!!!

  この化け物め!!!!!!」

  それは、萌華が鶏獣人の頭に近くにあった岩を勢いよくぶつけた打撃音であった。

  「も、萌華ちゃんっ…!」

  「こんの…アマがァァァっ!!!

  人間の雌の分際でこのアテクシに楯突こうとでも言うのかしらァ!?」

  「うるさいっ!!!!!!

  それ以上口を開くな…このクズ野郎!!!!!!!!!」

  鶏獣人は萌華を取り押さえようとするが、ムチムチの体型のせいで人間だった頃のように思うようには動けず、反対に俊敏な萌華は華麗に鶏獣人の後ろに回り込み…。

  「はあああぁぁぁっ!!!」

  もう一度、勢いよく鶏獣人のトサカ近くの頭を思いっきり岩でぶん殴る。

  「グべッ…!?」

  流石の獣人でもこれには耐えられず、鶏獣人はその場に倒れこんでしまう。

  しかし萌華は、すかさず鶏獣人の頭に二度、三度と何度も岩をぶつけ続けた。

  「仁菜にッ…!

  仁菜に二度と近づくなぁ!

  お前みたいなクズ!

  仁菜に相応しくないっ!!!!!!

  仁菜はっ……。

  あたしが守るっ!!!!!!!!!」

  何度も何度も同じ個所を殴り続けたことで、鶏獣人の頭からは激しい出血が伴う。

  それでも気にせず萌華は殴り続け、ついに鶏獣人は意識を失ってしまった。

  「……これ、死んじゃったの?」

  一連の攻防をただ見ているしかできなかった仁菜は恐る恐る問いかける。

  「いや…多分まだ息はあると思う。

  人智を超えた化け物だし、またすぐに傷を治して目を覚ますかもしれない。

  急いでここを離れよう、仁菜…!!!」

  「うん……!!!」

  返り血のついた岩をその場に捨て、萌華は仁菜の手を取った。

  森の中のさらに深い場所を目指し、二人は歩き続ける。

  そんな中、萌華はついに、今まで言葉にできなかった気持ちを口に出した。

  「…仁菜、ごめんね。

  あたしのせいで、あんなクソ野郎に目を付けられちゃったね…。

  先輩に優しくされて、勝手に勘違いして惚れて…。

  挙句の果てに仁菜が先輩に告白された事が許せなくて、あたしは嫉妬の炎を燃やし続けたの。

  本当は仁菜は何も悪くないってわかってるのに、それでも妬む気持ちを抑えきれなくて…。

  あたしって、本当に最悪な人間だったと思う。

  許して、なんて簡単に言える罪じゃないけど…それでもあたし、これからも仁菜とずっと一緒にいたい。

  もう、あんな風に仁菜に嫉妬するような自分は嫌なの!

  …やっと気が付けた。

  あたしにとってはね…。

  仁菜が一番…大切だよっ……!!!!!!」

  ついに心の底から素直になれた萌華。

  仁菜も、

  「私の方こそ…ごめんなさい、萌華ちゃん!

  私、あの人に告白された時にちょっとだけ嬉しかったの!

  告白なんてされたの人生で初めてで、しかもその相手がイケメンで…萌華ちゃんが好きな人だったから猶更。

  萌華ちゃんじゃなくて私に告白が来た事に、ほんのわずかに優越感を感じちゃった…

  私はほんとに最低で…萌華ちゃんを裏切ったの……。

  萌華ちゃんの事…私も大好きなのにぃっ……!!!!!!」

  と、抱えていたモヤモヤを全て打ち明ける。

  「もう、何言ってるの…優しい仁菜がそんな事思うはずない。

  きっと自己嫌悪で勝手に自分を追い込んじゃっただけだよ。

  仁菜がどんな子なのか、あたしが一番よく知ってるんだから。

  だから大丈夫、自分を責めないで……」

  「萌華ちゃんこそ…。

  萌華ちゃんの立場から見たら、私の事を妬んじゃっても当然だよ。

  それに、あんなに好きだった先輩に実は利用されてたなんて…あまりにもひどい……。

  なのに萌華ちゃんは、先輩が萌華ちゃんを利用するきっかけになってしまった私の事を好きでい続けてくれるなんて、本当に優しいね。

  さっきも命がけで私を守ってくれて…すっごく頼もしかった。

  ありがとう、萌華ちゃんっ……!!!」

  どちらが先でもなく、ほとんど同時のタイミングで二人は抱きしめ合った。

  お互いに抱いていた心の中の氷がスーッと溶けていき、温かい春を迎える。

  二人の間にはもう何のわだかまりもない。

  ようやく、いつも通りの親友同士に戻れたのだ。

  「萌華ちゃんっ…!

  これからもずーっと、一緒にいようね!!!」

  「仁菜っ…!

  当たり前よ、あたし達二人…ずっと一緒……!!!」

  二人は獣人パンデミックによる極限状態である事も忘れ、いつまででもお互いの熱を感じ続けるのであった。

  …だが、幸せな時間はそう長くは続かない。

  ついに、恐れていた事態が二人に襲い掛かる……。

  [newpage]

  しばらく進んでいると、二人は森を抜けて隣町へたどり着いてしまった。

  「…どうしよう、萌華ちゃん。

  きっとこっちの町にも獣人がいっぱい……」

  「…いや、周りをよく見てみて。

  どの家もガランとして…獣人の気配は全然感じられないよ」

  萌華の言う通り、二人の視界に広がる家々はどこも閑散としており、その様子はまるでゴーストタウンのようであった。

  パンデミック発生から数時間しか経っていないはずだが、どうやらこの町の住民は既に皆獣人になってしまい、『まだ獣人になっていない人間』を求めて総出で別の町へ向かっていったようだ。

  「どちらにせよ、これからずっとあの森の中で暮らすわけにも行かないと思う。

  食料の問題もあるし…ひょっとしたらあたし達以外にも生き残りの人間がいるかも。

  獣人がいないのなら好都合だよ。

  まずは出来る限りの食料を確保して、可能なら生存者も探していくのが良いんじゃないかな」

  「確かにそうだね…。

  怖いけど、頑張って入ってみようか…!」

  意を決して二人はゴーストタウンと化した隣町へ足を踏み入れた。

  萌華の予測通り、町内では物音ひとつ響かない。

  本当に獣人が一切いないようだ。

  万が一に備えて、物音を立てないように慎重に市街地を歩く二人。

  すると、仁菜が何かを発見する。

  「あっ…見て萌華ちゃん!

  コンビニがあるよ!」

  「やった…!

  あそこなら、きっとまだ食べられるモノがたくさんあるよ!

  行こう、仁菜!!!」

  「うん!」

  ついに発見した食料源に、二人はテンションを抑えられない。

  思えば、朝食を食べて以降はずっと獣人から逃げ惑い、長時間体力を擦り減らし続けたのだ。

  興奮も無理はない。

  だが……。

  ミシッ…メリメリ……。

  (…ん?

  何だろう、頭に変な感覚が……)

  とうとう、萌華の身に"それ"は起こった。

  「……ぇっ。

  もえ、か、ちゃん……???

  何、その…頭のやつ……」

  "それ"に気が付いてしまい顔面蒼白になった仁菜は、震える指で恐る恐る仁菜の顔に指を差す。

  「え、何の事…?」

  そう言いながらも、仁菜が指差した両耳の上の辺りの位置に両手を持っていくと…。

  そこには、白く硬い立派な"角"が生えてきていたのだ。

  「……は?」

  萌華はわけがわからず、何度も何度もその角を触った。

  しかし、何度触っても手に伝わるのは固くてしっかりとした"動物の角"の感触であり、横に向かって伸びているが端っこの方は90度曲がって遥か空の上の方を指し示している。

  自分の身に何が起こっているのか、萌華は全てを察してしまった。

  「なん…で……

  だって…あたし獣人の唾液なんて一回も触ってないのに……!?」

  そこまで言って、ふと、脳裏に先ほど鶏獣人と戦った時に記憶がフラッシュバックする。

  鶏獣人の頭を岩で何度も殴っていた時に、彼女の頭からは大量の血液が噴き出し、萌華の顔にもいくつか付着してしまっていたのだ。

  萌華と仁菜は獣人化の条件を詳しく把握しておらず、鶏獣人の『唾液で獣人にする』という言葉から唾液にだけ気を付けていれば良いと思い込んでいた。

  しかし、実際の獣人化の条件は唾液でも血液でも何でも『獣人の体液を体内に取り込んだ時』であり、鶏獣人を岩で殴った際の返り血が僅かに、萌華の口の中に入ってしまっていたのである……!

  「…やだ。

  やだやだやだやだやだやだっ!!!!!!

  せっかくここまで生き延びたのに!

  仁菜と一緒に…ずっと一緒にいようって約束したのn、ッ!?」

  取り込んだ血液が少量だったため発症まで時間がかかっていたが、角の生成と共にとうとう本格的に萌華の変異が始まろうとしていた。

  ピクッ、ピクッと微かに痙攣する萌華の筋肉。

  痙攣は徐々に激しくなっていき、ついに膨張を始めた。

  バキバキバキバキバキッ!!!!!!

  萌華の陸上で程よく筋肉のついていた両腕、両脚が一瞬にして丸太のように肥大化する。

  しかもただ太くなっただけではない。

  明らかにつき過ぎなレベルで筋肉が活性化し、おまけに巨大化した腕と脚には一瞬にして黒い獣毛が生え始める。

  履いていた靴下やスカートは既に破け散った。

  「いやあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?!?!?」

  両手も腕に合わせて巨大化し、一瞬で黒い毛に覆われる。

  爪は黒く染まるとガチガチに硬質化し、蹄に変化した。

  両足も同様に大きく黒くなると、まだ変化の生じていない腰部分も脚に合わせるように大きくなっていく。

  お尻が風船のように膨らむと、その少し上からは黒い尻尾が勢いよく飛び出してきて、その先っぽ部分を覆い隠すよう特段長い黒い毛が何本も生えた。

  腕と腰から下だけが巨大で胴体だけは無事だったが、とうとう胴体にも変化が生じる。

  こちらも腕と脚に劣らない勢いで萌華の胴体が急激に肥大化して黒い毛が覆っていき、わずかに残っていた萌華の制服や下着は全てビリビリにはじけ飛んだ。

  人並みには付いていたはずの乳房はどんどん萎んでいき、代わりに厚い胸板に。

  そして日々の筋トレで少し浮かび上がる位だった腹筋は何倍も堀りが深くなり、完全なシックスパックへと変化した。

  「そんな……萌華ちゃあんっ……!!!!!!」

  目の前でどんどん巨大な黒い雄獣人に変化していく萌華の姿に、仁菜は絶望した。

  萌華が正気を失って自分に襲い掛かる前に早くここから逃げなくては、そう思っても脚が動かない。

  (だって…これからも萌華ちゃんと一緒にいようって…約束したのに……。

  それに萌華ちゃんが獣人になっちゃったのはきっと、さっき鳥居先輩から私を守ろうとしたからだよね…?

  だったら萌華ちゃんの変異が始まったのは…私のせいだ……)

  再び、仁菜の脳内に自罰的な思考が占拠していく。

  萌華との約束、そして責任感のせいで、仁菜はビクビクと体を震わせながらもこの凄惨な光景から目を背けられなかった…。

  「ハァッ…あぁぁぁっ……。

  あ、熱いッ…!

  全身が燃えるように熱いぃ……。

  いやだ、こんなのあたしじゃないっ……!

  頼む、止まれっ!

  止まってくr、ァ"……」

  萌華は頭を抱えながら変異に伴う苦痛に必死に耐え続けていたが、変異はついに最終段階に入る。

  そう、先んじて生えた角以外の首から上の変異が始まってしまったのである。

  まずは元の細さを保っていた首が筋肉達磨のような胴体に合わせてメリッ!と太くなる。

  それに伴い、喉仏が形成されて萌華の高い声も一気に低くなった。

  「ガ、ぁががッ…!?

  ぐビっ、が……!!!

  あ"だじ…あ"だ…おれ……???」

  もう、今の萌華の声は誰が聞いても男の声にしか聞こえないだろう。

  そして黒い毛の浸食が顔にも及ぶと、萌華のショートボブの髪があっという間に全て抜け落ち、代わりに短い獣毛がすぐに頭全体を覆い尽くす。

  鼻と口が前に伸びてマズルになると、鼻が黒く硬質化して鼻の穴も大きくなる。

  口の中の舌は先端が尖って長くなり、ピンク色がスーッと抜けて黒ずんだ色に変色した。

  パッチリとしていた目が黒ずんだ細目になり、左右の角の下にある耳が横に細長く伸びた所で、萌華の変化は終了した。

  萌華は、頭に立派な角を持ち、全身を黒い獣毛に覆われた3m程の筋骨隆々の雄の水牛獣人になってしまったのだ……。

  「フーッ…!

  フーッ……!!!」

  変化を終え、疲労が溜まっているのか萌華は何度も深い息を吐いた。

  そんな変わり果てた萌華を、仁菜は一歩退いた位置から恐る恐る見つめている。

  「……萌華、ちゃん?」

  勇気を振り絞り、仁菜は水牛獣人になった萌華に声をかけてみた。

  ひょっとしたら…ひょっとしたら何らかの奇跡が起きて、萌華は体こそ獣人になってしまったものの正気を保ち続けている可能性が無いとは言い切れない。

  たとえ種族は変わってしまったとしても、これからも萌華と一緒に過ごせる望みに賭けたかったのだ。

  「萌華ちゃん…なんだよね?

  姿かたちが変わっても、あなたは私の知ってる萌華ちゃんのままだよね!?」

  だが、しかし。

  「っ……たははっ……!

  あぁ、そうだな。

  "オレ"と仁菜はいつまででも一緒だもんなぁ???」

  現実は、非情である。

  「きゃっ!?」

  のそっとその巨体を起こした萌華は、そのまま仁菜に上から飛び掛かってのしかかった。

  「仁菜ぁ…。

  オレは約束したんだ、これからもずっと仁菜と一緒だって…。

  だったら約束通り、仁菜もオレと同じ"獣人"にならなくちゃだよなぁ~???」

  「そっ…そんなぁぁぁっ……!!!」

  あの快活な萌華の面影が一切残っていない邪悪な笑みを見て、仁菜の希望は完全に打ち砕かれる。

  逃げたくても、両手を力強く萌華に押さえつけられていて逃げられない。

  一方、表面上はすっかり心まで雄の獣人に染まってしまったように見える萌華だが、

  (ダメぇぇぇっ!!!

  やめてよあたし!!!!!!

  仁菜を離してッ…!!!

  あぁっ…なんで体が言う事を聞かないの……)

  実は心の片隅には、まだ獣人としての本能に染まり切っていない萌華の心の残滓が残っていた。

  それでも、精神の99%を雄獣人としての心に支配されているため、萌華の心にできる事は何も無い。

  これから誰よりも守りたかったはずの仁菜を自分の手で獣人に変える様を、特等席で見せつけ続けられるだけだった。

  「やめてよ萌華ちゃあんッ!!!

  やめて!

  お願い!!!

  お願いだからやめてぇぇぇぇぇぇェェェェェェっ!!!!!!!!!」

  涙ながらに全身を動かして抵抗する仁菜。

  萌華はそんな彼女の様子にお構いなく、

  「んじゃっ、とっととやっちまうか。

  …行くぜ???」

  と、黒く長い舌を強引に仁菜の口の中に突っ込んだ!

  「もがッ!?」

  それは、言うなればディープキスの体勢とも言えるが…仁菜の意思を無視した強引で無慈悲な行為であり、仁菜はずっと涙を流しながら手足をじたばたさせ続ける。

  一方、萌華の精神に残った心の残滓は…。

  (……あれっ?

  これ…案外悪くない……。

  むしろ気持ちいいかも……)

  さっきまであれ程仁菜を獣人にしようとする自分を止めていたにも関わらず、ひとたび舌を突っ込んだ途端計り知れない多幸感に襲われた。

  (こんな事…ダメなのにっ……。

  これ以上舌を突っ込み続けたら…あたしの唾液が仁菜の体内に入って……。

  あぁっ…でもすっごく気持ち良い……。

  仁菜が…仁菜があたしのモノになったような、幸せな気分……。

  ……もしかしてあたし、ずっと前から仁菜とこうしたかったのかなぁ。

  仁菜…。

  にな……。

  あたしは…おれは……)

  こんな状況になって初めて自覚する、仁菜への恋心。

  萌華は嫌がる仁菜の事はお構いなし、何度も何度も舌を突っ込み続ける。

  そして十分に仁菜の口内に唾液をねじ込み終わった頃には、

  (仁菜…。

  好きだ、仁菜ぁ…。

  これからもずっと…"オレ"と一緒にいてくれっ……!!!)

  既に萌華の心の残滓も雄獣人の精神に染まり、萌華は身も心も完全に水牛獣人へと成り下がったのだった…。

  「ぷはぁっ!!!」

  勢いよく仁菜の口から下を引っ張り出す水牛獣人。

  「…ぁ、っ」

  仁菜は絶望感から抜け殻のように全身無気力になっており、水牛獣人がどいた後も少しもその場から起き上がらなかった。

  しかし、仁菜の体にも既に"それ"の兆候が起こり始めていた。

  ピクッ。

  ピクピクッ…!

  仁菜の全身が痙攣を始める。

  さっきの萌華の時と同じだ。

  ただし、少量の血を取り込んだ萌華の時と違い、仁菜の体内に取り込まれた水牛獣人の唾液はとんでもない量である。

  仁菜の変異は、すぐに始まってしまった。

  「あっ…あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!?」

  「良いぞ、仁菜。

  お前もオレと同じように"変われ"ッ…!!!」

  バキッ…ボキボキボキッ!!!!!!

  萌華と同じように、仁菜も全身の筋肉が激しく膨張を始める。

  しかしながら、まずは腕と脚から変異が始まった萌華と異なり、仁菜は腰や胴体も一緒に肥大化していく。

  何重にも太く、大きく。

  腕も脚もすぐに丸太の太さを超え、さらにガッシリと硬くなった。

  合わせて胴体もググッ…と引っ張られるように大きくなり、制服は一瞬にして全て弾け飛ぶ。

  ブラで押さえつけていた隠れ巨乳が露わになるが、すぐに萎んでいき、代わりに萌華以上に頑丈でカチカチの胸板が完成する。

  腹筋も六つに割れ、お尻にも筋肉がついた。

  すると、お尻の上から長く太ましい尻尾が勢いよく飛び出し、そのまま尻尾の先端から緑色の鱗が生え始めたではないか。

  「なるほど…、仁菜は爬虫類の獣人か。

  これは完成形が楽しみだな」

  鱗を見て分析する水牛獣人。

  その見立て通り、緑色の鱗は一瞬で胴体の背中側を覆い、そのまま腕や脚にも浸食していく。

  大きくなった手足が緑色の鱗に覆われると、指と指と間に水かきが形成され、爪は黒く鋭いものへ変化。

  一方で胸やお腹等の前面側には白い鱗が生えてきて、そのまま股をくぐり尻尾の下半分まで覆い尽くした。

  「うぐぅっ…あっついぃ……!!!

  頭がガンガンする…ぐるじいッ……。

  だずげで萌"華"ぢゃ"ん"……!!!!!!

  わ"だじぃ……じに"だぐな"い"よ"ォ"……!!!!!!!!!」

  まだ顔の変化が生じていないが、既に喉仏が生成されている影響で仁菜の声はかわいらしいソプラノボイスから野太い男声へと変異している。

  そんな仁菜に、水牛獣人は優しく寄り添って言った。

  「それは違うぞ、仁菜…。

  仁菜はこれから死ぬんじゃない、新しく"生まれ変わる"んだ…!!!

  その苦しみを耐えた先に待ってるのは、オレとお前の幸せな毎日だけだぜ?

  だから頑張れ、仁菜…。

  オレが応援しているぞッ!!!」

  朧気になっていく意識の中、水牛獣人の発した言葉に仁菜は思う。

  (……確かに、そうかもしれない。

  私はこれから獣人になっちゃうけれど、そうすれば萌華ちゃんとこれからもずっと一緒にいられるんだよね。

  出来れば、人間の女の子として二人で生き続けたかったけれど…。

  萌華ちゃんと一緒なら、それは悪くないのかも……!)

  そして、仁菜の変化は首から上へ。

  仁菜のサラサラに手入れされていたロングヘアがバラバラと抜け落ち、丸坊主になった頭部全体を緑色の鱗が覆い尽くす。

  鼻と口が萌華の時以上に極端に前方に伸びると、鼻の穴が上を向き、口の中の歯が全て抜け落ちて代わりに鋭くデコボコした荒々しい牙が生える。

  耳が小さくなり、目の後ろ側に移動すると、タレ目気味だった仁菜の瞳がギョロッとした四白眼になり、黒目部分が縦に長くなって白目が黄色く染まった。

  こうして、仁菜の変化は終わった。

  その姿は、まごう事無きワニの特徴を示しており、小柄で大人しかった仁菜は水牛獣人を超える約4mのゴリマッチョな雄のワニ獣人に成り果ててしまった……。

  「…変異は終わったようだな。

  なるほど、ワニの獣人か。

  どうだ?仁菜。

  生まれ変わった気分はよ」

  仁菜に手を差し伸べながら、水牛獣人は問う。

  その手を取って巨体を恐る恐る起こし、立ち上がって仁菜は答えた。

  「あァ……。

  こりゃあ、さいっっっこうの気分だぜぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!

  これが萌華ちゃんも感じた雄獣人としての感覚なんだな!?

  全身から有り余るパワーが溢れ出してきて、全能感に満ちてやがるゥ…。

  ありがとな、萌華ちゃん。

  俺を雄獣人にしてくれて…!!!」

  「へへっ、当然だろ?

  なんたってオレ達、これからも"ずっと一緒"なんだからな!!!」

  そう言って、水牛獣人は仁菜を抱きしめる。

  仁菜も水牛獣人を強く抱きしめ返すと、そのまま二人の唇を重ね合わせて濃厚なキスを始めたではないか。

  (……嘘。

  私、雄の獣人になった萌華ちゃんと自分からキスしてる…。

  さっきは萌華ちゃんから無理やりだったけど、今はこっちから求めてるんだ……)

  一方、仁菜の精神の中にも先ほどの萌華のように仁菜の心の残滓が微かに残っていた。

  ガチムチな雄獣人二人がキスしている姿は中々にインパクトがあり、しかもそれをしているのが獣人としての自分自身の意思とあって、仁菜は頭の中で大きな衝撃を受ける。

  ワニと水牛では口の構造が違うため、中々不格好なキスなのも一役買っていた。

  しかし、次第に仁菜の心の中でも

  (…けど、私が萌華ちゃんとキスしてると思うと案外悪くないのかな?)

  と、水牛獣人とのキスがまんざらでもなくなってきているようだ。

  「ぷはァっ…。

  それにしてもよォ、これからどうするんだ?

  俺達、確かあのコンビニに食料を求めてここに来たんだよな」

  「ここでオレ達が獣人になったのは想定外だったが、どちらにせよ腹が減ってるのは変わりねぇ。

  せっかく目の前にコンビニがあるんだから、なんか食いに行こうぜ?」

  改めて食料確保の目的を共有した二人。

  そのまま3mと4mの巨体二人でコンビニに向かってのっしのっしと歩き始めた。

  特に、小柄で運動もあまりしていなかった仁菜はいきなり4mの筋骨隆々なゴリマッチョになってしまった事で上手く体のバランスが取れず、

  「よっ…とっとォ!?」

  と、派手に横に転んでしまう。

  太く長い尻尾もバランスが取れない要因だった。

  「大丈夫かァ?

  お前は人間の頃から運動音痴だったもんなぁ」

  「うるせっ。

  今じゃ俺の方が萌華ちゃんより背高くてムキムキなんだぜ?

  今は慣れてねェけど、すぐに追い抜いてやっから」

  (あぁ…私何言ってるんだろ。

  これじゃまるで男子の運動部みたい……)

  仁菜の残滓は、自分が男子のような軽口を水牛獣人と交わしているのが不思議な感覚だった。

  歩行に苦戦しながらもコンビニ到着したマッチョ二人。

  しかし…。

  「…小せぇな」

  水牛獣人は3m、仁菜は4mになってしまったため、人間の頃のように出入り口からは入れそうになかった。

  「オレはかがめば入れっけど…仁菜はそうも行かなさそうだな。

  第一、オレも仁菜も筋肉が横にも太すぎて出入り口を通れねェ」

  二人とも筋肉が肥大化しすぎて、縦だけでなく横方向にも太くなっている。

  これでは店内をまともに歩くのは不可能だろう。

  すると、仁菜の獣人としての精神は思い立ったように提案する。

  「おォそうだ!

  だったらいっそ壁ごと派手にぶっ壊して、屋根も取って、上から自由に入れるようにすりゃ良いじゃねーか!!!」

  (えっ!?)

  残滓の仁菜は自分のあまりに荒唐無稽な提案に驚く。

  「なるほど、そりゃ名案だな!

  じゃあ早速、まずはオレから……おらァッ!!!」

  ドゴォォォンッ!!!

  水牛獣人はその太い腕で勢いよく拳を叩きこみ、コンビニ前面の入り口を完全に破壊してしまった…。

  (ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?)

  ただ一人、人間としての尺度で物事を捉えている仁菜の残滓は恐怖でおののく。

  「おぉ~…こりゃ中々気持ちが良いぜ!

  仁菜もやってみろよ!」

  (えっ、私もやるの!?)

  引き気味な残滓とは裏腹に、獣人としての仁菜はノリノリで拳を構える。

  「おうよ!

  じゃあ俺は…屋根ごと一気にぶっ壊しちまうかァ?」

  (そんな…ダメだよ私!

  もしかしたら後で生存者の人が戻ってくるかもしれないのに!

  それを壊すなんて…)

  きっと長年多くの人々に愛され、利用されてきたであろうコンビニ店舗。

  それを破壊しようとする獣人としての自分に、仁菜の残滓は一生懸命反抗する。

  しかし、獣人としての自分に少しも影響を残すことはできず…。

  「ぅオラァァァッ!!!!!!」

  勢いよく、思いっきり上部の屋根側をぶん殴る仁菜。

  すると…。

  ドオオオォォォォォォォォォンッッッッッッ!!!!!!

  パラパラパラ…。

  水牛獣人の時とは比べ物にならない轟音が鳴り響き、その後は瓦礫が落ちる音が鳴る。

  仁菜が目を開くと、そこにはコンビニの屋根が跡形もなく消し飛んで店内が剥き出しになっている光景が広がっていた…。

  (…うそ、でしょ?)

  「仁菜…お前マジかよ!?」

  水牛獣人も、まさか仁菜の筋力がここまでだとは思っていなかったようで目を輝かせて感激している。

  「おっほォ~…!

  こりゃすげぇぜ!

  まさか、俺にここまでの力が備わってるなんてよォ!!!」

  (そんな…。

  私が、これをやったの?

  こんな恐ろしい力…もしも他の誰かや、特に人間の生存者に向けて振るったら……!?)

  仁菜は、変異した自分の肉体が秘める破壊力が恐ろしくなった。

  ひょっとしたら、この先自分はこの行き過ぎた力を欲望のままに振るって誰かを傷つけてしまうのではないかと。

  「まっ、何はともあれこれで店内に入れるな!

  早速食えそうなもん適当に漁ろうぜ、仁菜!!!」

  「おうっ!

  さァ~て、肉食うぞ肉ぅ~♪」

  仁菜はレジ前のホットサンドやおつまみの肉を、水牛獣人はサラダなどの野菜を中心に好き勝手漁って食い始める。

  巨体になった二人にとっては微々たる量ではあったが、それでも久方ぶりに食べる食料は美味だった。

  一方、仁菜の残滓はというと、さっき自分がこの建物の屋根を跡形もなく粉々に破壊した時の感触を思い出し…。

  (…あれを、本当に私がやったんだ)

  何か、これまでに感じたことのないゾクゾクとした感覚を味わっていた。

  [newpage]

  「ふぅ…これであらかた食ったわけだが。

  わかっちゃいたが全ッ然足らねェ!!!!!!

  人間の頃ならこれで十分足りていたんだがな」

  店内の野菜製品を食い尽くした水牛獣人は、不満げな表情でそう言った。

  「俺も同感だな…。

  美味いのは美味いんだが、まだ腹一分目にもなってねェ。

  …そうだ萌華ちゃん!

  この町にはきっと、他にもスーパーとか飲食店があるはずだぜ?

  何なら一般家庭にも、冷蔵庫とかに食いもんがあってもおかしくない……」

  (えっ…。

  それってまさか……)

  今から獣人としての自分が何を言おうとしているのか、残滓の仁菜は察してしまう。

  「邪魔な建てもんは全部ぶっ壊してよォ~、好き放題食いもんをいただいちまおうぜ!!!」

  (あァ、やっぱり……)

  「そりゃあ良い!

  じゃあよ、オレと仁菜でどっちが多くの建物を壊せるのか競争しようぜ!?

  その方が楽しそうだろ???」

  (このコンビニに飽き足らず全部壊す気なの…!?

  流石にやりすぎだよ……!!!

  しかもゲーム感覚で、この町に住んでいた色んな人たちの大切な思い出が詰まった家々を壊すなんて……本当にあれが萌華ちゃんなのぉ……???)

  仁菜の残滓はこれから自分達がしようとしている事の悪趣味さに引き、そしてかつて萌華だったものの成れの果てがその悪趣味なゲームの提案者である事に深い絶望感を味わった。

  「それじゃ、制限時間は30分間な。

  レディ…ゴーッ!!!!!!」

  その声と共に仁菜は猛ダッシュし、目につく建物を次々と両腕で破壊していく。

  (いやあああァァァァァァっ…!

  やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ~!!!)

  生活感溢れるリビングも、大切な人を祭った仏壇も、仲睦まじい家族写真も。

  それらを全て無慈悲に殴り、足で踏みつぶして、楽しく様々な家を壊しながら冷蔵庫の中の食材を口の中に突っ込んでいく。

  とても知性ある生物の行動とは思えない、ケダモノの蛮行だった。

  気が付けば、自分が通ってきた足跡がクッキリわかるように家々が一直線に跡形もない瓦礫になっている。

  仁菜を含め、世界中の獣人がこんな調子で周囲のモノを壊していけば、あっという間に世界は更地になってしまうだろう。

  「ダハハハハァッ!!!

  人間どもの暮らした痕跡が残ってる家をぶっ壊すのがこんなに楽しいなんて思わなかったぜ!

  もっともっとぶっ壊して…どんどん食いもんを食ってやらァ!!!」

  (ひどい…。

  こんなのひどすぎるよ、私……)

  肉体では高笑いしながらも、仁菜は心の中では涙を流している……。

  …いや、本当にそうなのだろうか?

  仁菜の残滓は気が付いていなかった。

  涙を流す残滓の自分の口元が…微かに微笑んでいる事に。

  (あァっ…ダメだよこんなの。

  こんな…幸せそうな一家の写真をぶっ壊すなんて!

  それに、この写真には優しそうなお爺ちゃんとお婆ちゃん…。

  これも地面に叩きつけて、踵で念入りに踏みつぶすなんて!

  冷蔵庫の中には…さっきの写真に写ってた子供が好きそうな分厚いステーキ肉……。

  これを生のまま一気に口に入れて…脂身が口中に広がった感覚で気持ちよくなってるよぉ……♡♡♡)

  …そう、仁菜の残滓は少しずつ、ワニ獣人としての破壊衝動に快感を得始めている。

  「おっ、こっちには公園があるなァ。

  食いもんは無さそうだけど…せっかくだしぶっ壊しとくか!!!」

  広い公園を見つけ、ノッシノッシと巨大なワニ足を近づけていく仁菜。

  仁菜の目の前に広がる巨大な遊具。

  パンデミックが起こる前はたくさんの子供たちがこの遊具でワイワイ遊んでいたのだろう。

  (きっとたくさんの子供たちがこの遊具で遊んだんだろうな…。

  随分年季が入ってそうだから、ひょっとしたらお父さんお母さん世代の人たちも子供の頃に遊んだ伝統ある公園なのかも……。

  それを……)

  それを、仁菜は容赦なくぶん殴り、鋭い牙で噛みついてひしゃげさせ、二度と修復できないレベルにぶっ壊した。

  「アッヒャヒャヒャヒャヒャ~ッ!!!!!!」

  (あぁぁぁァァァァァァ~っ……♪

  こんな事、こんなひどい事、絶対にダメぇっ……♡♡♡)

  他にも、如何にも伝統のありそうな和菓子屋さんも…。

  小学校の校舎も…。

  目につくもの、何もかも全て。

  グシャァッ……!!!

  (私ってぇ……最ッ低♡♡♡)

  もう、仁菜の残滓に破壊衝動による快楽に抗う意思は残ってはいなかった。

  30分の時が経ち、二人は町を一周して元いたコンビニの位置まで戻ってきた。

  「はぁ~っ…。

  なんだかんだでスーパーの在庫とかで腹も膨れたぜ。

  仁菜はどうだ???」

  水牛獣人のお腹は結構膨らんでおり、相当な量の野菜を食べたものと思われる。

  一方、仁菜はと言うと…。

  「腹ァ?

  んまぁそうだな、ボチボチってとこだ。

  それより、勝負だよ勝負!

  萌華ちゃんは何棟壊した?

  五十か?

  それとも百!?

  俺とどっちが多い!?!?!?」

  仁菜はすっかり食料よりも建物破壊勝負に夢中になっており、水牛獣人が何棟壊したのかが気になって仕方がないらしい。

  しかし水牛獣人は仁菜程の破壊衝動は持っておらず、今回は食料を食べる事が最優先だったため壊した数としてはそこまでではない。

  「いや……。

  多分、オレが言わなくても勝負は分かり切ってるよ。

  仁菜の通ってきた道のあの惨状を見ればな……」

  水牛獣人は少し引き気味に、仁菜が破壊して回った更地だらけの通り道に指を差す。

  「おっ、マジか?

  じゃあこの勝負は俺の勝ちだな!!!

  ひゃっほう!!!!!!」

  無邪気に飛び跳ねて喜ぶ仁菜。

  「んじゃァ、俺が勝ったご褒美に一個、何でも言う事を聞いてもらうぜ」

  「はぁっ!?

  オレそんな約束してねェんだけど!!!」

  突然約束にない条件を持ちかけられ動揺する水牛獣人。

  「別に大した事じゃねェって!

  さっき、俺を獣人にした時に舌を突っ込んでディープキスしてくれただろ?

  あれ…今度は俺が萌華ちゃんにやってみたくってよ……♡

  その……ダメか?」

  わざとらしく、巨体に似合わぬ少し上目遣いで聞いてくる仁菜。

  そのかわいらしい姿に、水牛獣人はメロメロになってしまう。

  「ったく~…わァったよ!

  オレだって仁菜とキスするの好きだし!

  さっ、どうぞご自由にっ……」

  水牛獣人は両手を大きく広げ、キス待ち状態に。

  仁菜は彼よりも大きくなってしまった巨体で水牛獣人の前に立つと、腰をかがめて彼の胴体を力強く抱き締め、そのまま勢いよくワニ顎を水牛獣人の口に突っ込んだ!!!

  ぶちゅぅぅぅぅぅぅっ……!

  「んんっ…!?」

  先ほどのあざとい仕草のおねだりが嘘のように、物凄い勢いで白い舌を水牛獣人の口に突っ込む仁菜。

  (す、すげぇ……!

  これが仁菜のディープキスっ…。

  オレのやつが比べ物にならない位強引で、力強くて…なんて惚れ惚れする舌使いなんだ♡

  これじゃあまるで、オレが仁菜に捕食されてるような気分だぜ…。

  オレはあの時…仁菜を守るって誓ったのに…。

  今じゃ仁菜の方がオレより一回り大きいし、力だって負けちまった……。

  …でも、本来はオレが草食動物で仁菜が肉食動物だもんな。

  これからはオレが守られる側で、仁菜が頼もしい兄貴分か…。

  それも……案外悪くねェな♡♡♡)

  仁菜からのワイルドな攻めに、水牛獣人はウットリとなされるがままになる。

  そこにもはや、かつて『仁菜を守る』と誓った勇敢な少女の面影は無い。

  一方、仁菜の方は…。

  (…あァ。

  すっごく気持ちいい……。

  私の思うままに、萌華ちゃんを好き勝手かわいがることができる…。

  ……好きなように何かを壊して、好きな時にメシを食べて。

  そして好きなように萌華ちゃんと愛し合う事ができるなんて。

  こんなの…。

  こんなのぉ……。

  さいっっっっっっっっっっっこうすぎるだろォ♡♡♡♡♡♡)

  破壊の快感、そして萌華への恋心。

  それらが全て満たされている今この瞬間に、人生最高潮の幸福を味わっていた。

  (あァァァッ…!

  萌華ちゃん♡

  萌華ちゃァんっ♡

  好きだッ♡♡♡

  愛してるっ♡♡♡

  わたし…いや……おれッ……!!!

  俺はァ…今この瞬間のために生まれてきたんだァ♡♡♡♡♡♡♡♡♡)

  その瞬間、心の中にわずかに残っていた仁菜の残滓もまた、完全に雄獣人としての思考と同調し合い、溶け合って一つになる。

  常盤仁菜という少女の精神は、今この時を持ってただの雄のワニ獣人のモノへ変化し切ったのであった……。

  「ぷはァッ……!」

  長時間に及ぶディープキスを終え、ワニ獣人は水牛獣人の口から自分の舌を引っこ抜く。

  お互いの口に唾液の線がツーッとつながっており、それが何とも色っぽい。

  「ありがとな、萌華ちゃん…!

  俺になすがままにされる萌華ちゃんの姿、超かわいかったぜ???」

  そう言われて、水牛獣人の顔がポッと赤くなる。

  「っ…、まァ仁菜にそう思ってもらえたんなら良いけどよぉ。

  それより仁菜…オレ思ったんだが、そろそろオレ達も今の身体に合った"いかつい名前"に改名するべきじゃないか???

  なんかこう…雄の水牛になったのに仁菜からいつまでも『萌華ちゃん』ってかわいらしく呼ばれるのがちょっとばかり恥ずかしくなってきたぜ」

  少し照れ臭そうに頬をポリポリ掻く水牛獣人。

  確かに、二人とも身も心もすっかり雄獣人になったのにお互い『萌華ちゃん』『仁菜』と呼び合う光景は中々シュールであった。

  「なるほどなァ…。

  俺としては萌華ちゃんは萌華ちゃんで良いと思うんだが、お前が気にしてるんだったら仕方ねェ。

  ンじゃあ、萌華ちゃんは水牛だし『バッファル』ってのはどうだ???」

  「バッファル……良いなそれ!

  力強さを感じるぜ……。

  オレの名はバッファル、水牛獣人のバッファルだ!!!!!!」

  誇らしげに両腕を構え、黒い筋肉を見せつけるようにポージングを決める水牛獣人ことバッファル。

  名前を変えた事で、また一つ『水野萌華』という少女がこの世に存在した形跡が無くなってしまった。

  「それじゃあ素敵な名前を付けてもらったお礼に、オレも仁菜に新しい名前をプレゼントしなくちゃだな!

  うーん…そうだな。

  ワニ…クロコダイル……『クロコダス』ッ……!

  クロコダスってのはどうよ!?!?!?」

  「クロコダスか…良い響きだなァ!?

  よぉし、俺は今日からワニ獣人…クロコダスだッ!!!!!!」

  こちらも両腕を腰の前で曲げ、咆哮するようなポージングで声高に新しい名前を宣誓するワニ獣人ことクロコダス。

  もう、『常盤仁菜』というか弱い少女の名前で呼ばれる事は無くなるのだ。

  「ハハハハハッ!!!

  新しい名前ってのは清々しい気分になって良いもんだなァ、バッファル"ちゃん"!!!」

  わざとらしく"ちゃん"付けするクロコダスに、バッファルは首を横にブンブン振って抗議する。

  「おォい、"ちゃん"はよしてくれよクロコダス~!

  これじゃ何のために改名したのかわかんねェだろ!?」

  「ダハハッ、冗談だぜバッファル!

  ……ところで、気づいてるか?

  さっきから俺達の後ろに……"人間"がウロチョロしてる事によォ!?!?!?」

  わざとらしく大きな声で叫ぶクロコダス。

  ガタッ!?

  その声に驚いて、二人の後ろにある建物の残骸から物音が聞こえる。

  「へぇ…どれどれ?

  ちょっと見てみるか」

  バッファルが物音のしたところに近づき瓦礫をどかしてみると、そこには青年と女性、そして幼い少女の三人がガタガタと全身を震わせながら怯えていた。

  「ひぃっ…!?」

  「そんな…見つかってしまうなんて!」

  「パパ…ママ…怖いよぉっ」

  恐らく、元々この町に住んでいた住民一家だろう。

  何とか命からがら家族三人で逃げ出し、獣人パンデミックがひと段落して町がもぬけの殻になったタイミングを見計らって戻ってきたのだろうが…運悪くクロコダスとバッファルという二体の雄獣人と鉢合わせてしまった。

  もう少し早く戻って来ていれば、まだ人間だった時の仁菜と萌華に会えていただろうに…もっとも会えていたとしてもすぐに萌華が獣人化していただろうが。

  「見ろよクロコダス!

  人間だぜ!!!

  こんなにビクビクおどおどして…よっぽど恐ろしい目に遭ったんだろうなァ。

  わかるぜ、その気持ち。

  オレ達もついさっきまでこいつらみたいにただただ身を震わせながら生きてたんだからよ。

  けど…残念だったな。

  もうオレもクロコダスも、すっかり心の底まで獣人になっちまった。

  こうなっちまった以上、オレ達がお前らを逃がす義理はもうどこにも無いよなァ…???」

  ニタァ~…と邪悪な笑みを浮かべるバッファル。

  「ぁ…ぼ、僕はどうなっても構いません!

  けど、家族だけは…妻と娘だけは見逃してください!!!」

  「そんな…あなた!」

  「パパぁ…!?」

  夫は勇気を振り絞り、自分の身を犠牲に家族二人を逃がそうと交渉を持ちかけてきた。

  「…だとよ、クロコダス。

  こいつぁ感動的だなァ?

  どうする???

  こいつら…クロコダスが"食っちまう"か??????」

  バッファルのその言葉に、クロコダスは思考した。

  (…確かに、俺は肉食動物だ。

  あの時のライオン野郎みたいに、こいつら人間も俺なら食料として食える。

  それも悪くねェ……だが)

  クロコダスは目線を家族連れから、バッファルの方へ移す。

  (……バッファルは草食動物だ。

  こいつらを食う事は出来ない。

  きっとこの世界にはまだ獣人化してない軟弱な人間共がうじゃうじゃいるはずだが……。

  俺一人だけそいつらを貪り食っても、バッファルの腹は膨れねェ。

  それじゃああまりに不公平だし、何より…俺だけ腹ァ満たしてもちっとも楽しくねぇだろ。

  俺は…バッファルとずっと一緒にいて、あいつと一緒に楽しい事がしたい。

  デケぇ建物をぶっ壊すのはあいつと一緒に楽しめるが、人間を食う事はそれが出来ない。

  だったら……それは俺の"やりたい事"じゃあないんだろうな)

  クロコダスの最優先事項は、『バッファルと一緒に好き勝手楽しく生きていく』事。

  だから、自分一人だけお腹を満たせる人食いは、彼にとって魅力的には思えなかった。

  決して人間に情があるわけではないのであるが、結果的に人間を食べる事はクロコダスにとって選ばない選択肢であった。

  「…いや、俺は食わねェ」

  「何ッ…!?

  良いのかクロコダス、だって貴重な生きた血肉だぜ!?」

  "食べない"という言葉に、三人家族は一瞬ホッと胸をなでおろす仕草を取る。

  しかし、現実は甘くない。

  「良いんだよ、第一今は腹膨れてるしな。

  代わりに……俺とバッファルで、どっちが先に人間を完全に獣人化させられるか勝負しねぇか???

  ちょうどここに三人の人間がいるわけだしよォ、まずはお互いに一人ずつ獣人化させて、それで決着が着かなかったら最後に残った人間を二人がかりで獣人化させるサドンデスだ!

  どうだ?

  面白そうだろ??????」

  あまりに非人道的なゲームの提案に、みるみる青ざめていく三人の人間。

  「おォ…そりゃあ良い!!!

  じゃあよ、さっきはお前が勝手に付け足したルールだったけど、今回は明確に『勝った方が負けた方に一個だけ何でも言う事聞かせられる』って賞品つけようぜ!!!

  オレ、今度こそ負けねェから!」

  「ヘヘッ…決まりだな。

  じゃあまずは俺の番だぜ。

  さっき勇ましく手を挙げてくれた通りに、最初は父親から獣人化させてやるぜェ?」

  そう言って、震えながら家族を庇って立つ父親に手を伸ばすクロコダス。

  「よせ…やめろ獣人!

  やめてくれぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!」

  30分後。

  「あっはァ~ん♡

  もう家族とかどうでも良い♪

  私にはこの美しい毛並みさえあればぁ……。

  いつまででもモフってられるわ♪」

  「…テメェ舐めた口聞いとんちゃうぞワレぇ!!!

  性別変わろうが種族変わろうがテメェとウチは家族ちゃうんかい!?

  それでも離婚するってんならウチと娘の慰謝料ガポガポ払えるんかいな!!!!!!

  もし裁判するってんなら親の年金まで絞り取ったるからなァ!?!?!?」

  最初にクロコダスに選ばれた夫と、次にバッファルに選ばれた妻は二人の唾液によりものの見事に獣人化し、夫は家族の事なんてどうでもよく自分の美しい毛並みにしか興味が無いナルシストの雌の狼獣人に、妻は関西弁でキレっぽく、やたらと守銭奴な雄の豹獣人に成り果てていた。

  「ッくぁ~!!!

  さっきのは惜しかったなァ!

  あと2秒早くあの雌人間を完全に獣人化できてたらオレの勝ちだったのに!!!」

  「けど、バッファルも中々やるじゃねェか。

  勝負はサドンデスに持ち込みだな?」

  もはや人間をゲームの駒としか認識していない非道な雄獣人二人。

  「あぁぁぁ…。

  パパ…ママ……!!!

  どうしてぇ…!?」

  ただ一人残された娘は、変わり果てた両親の姿に絶望し、ただただ涙する。

  かつては相思相愛で仲睦まじい夫婦だったのに、今の獣人になった二人はずっと口論を繰り返している。

  そんな娘の前に、不気味なほどニッコリとした笑顔で立つクロコダスとバッファル。

  「さぁて…お嬢ちゃん。

  これから俺とコイツ二人がかりで、君を立派な獣人に生まれ変わらせてやるからな♡」

  「これ、オレとこいつの勝負が掛かってる大事な一戦だからさぁ。

  出来れば嬢ちゃんには、ハッキリと決着がついたタイミングで獣人化して欲しいんだぜ。

  んじゃ、そういう事で」

  「始めるとするかァ…!」

  じり、じりと寄ってくるゴリマッチョな獣人たち。

  「やだっ…!

  やめてぇ……!!!!!!」

  力なく抵抗する娘だが、当然何の効果も無く。

  10分後…。

  「ウホぉッ…!!!

  ドラミング、気持ち良い!

  もっと鳴らしたいゾ……!!!!!!」

  そこには娘の面影は1ミリも残っていない雄のゴリラ獣人がウホウホとドラミングを繰り返しており、勝負はクロコダスの勝利で終わった。

  変わり果てた元人間の家族三人を他所に、クロコダスは再びバッファルに口付けを迫り熱いキスを交わしていた……。

  [newpage]

  そして、時は流れあっという間に1年が経過した。

  地球上のあらゆる地域を獣人が支配し、様々な場所が廃墟のようになっている。

  また、獣人用の住宅地も作られていき、それらは身長差の大きい様々な種族の獣人に合わせた家であるため大きさが家ごとに全く違っていた。

  総じて、人間が住んでいた頃の面影は残っていない、異世界のような光景が広がっていたのだ。

  既に地球人口の8割が獣人になった一方、まだ僅かに世界のどこかにひそひそと隠れ住んでいる人間たちも存在し、『獣人たちの世界』が掲げていた異世界の侵略という目的はまだ達成できていない。

  獣人たちの世界の支配者もこちら側の世界には足を運んでおらず、彼らがこの世界に来るのはもう少し先の話になるだろう。

  生き残った人間たちは、当初こそ武装して獣人たちと戦おうとする気概のある者もいたが、重火器をもってしても強靭な肉体や驚異的な再生能力を持つ獣人たちには無意味であり、彼らはすぐに獣人にされるか肉食獣人に捕食された。

  今となっては生存者たちは皆獣人と戦う事を諦め、獣人たちに見つからないようにコソコソ世界中を移り住んでいるらしい。

  …とはいえ、この調子では数年以内に人間は全てこの世界から消失するのは明らかだった。

  「あァ~っ!

  最近は中々刺激的な事が無くて暇だよなぁ、クロコダスぅ」

  獣人街と獣人街の間、かつて人間たちの住宅街があったものの全て更地となり今は微かな残骸が残っているだけの地域。

  そこに、水牛獣人・バッファルとワニ獣人・クロコダスは肩を並べて歩いていた。

  過酷な日々を過ごした応酬か、二人とも1年前と比べてさらに筋肉のデカさに磨きがかかっている。

  「確かになぁ。

  近頃じゃ人間は中々見かけねェし、骨のある獣人も現れない。

  ちょっとイキってる輩がいても、俺とバッファルが殴り込んだらすぐに片付いちまう」

  二人は様々な地域を放浪しながら、人間を見つけては獣人に変え、あるいは弱い獣人を支配するいけ好かない獣人がいればそれらを成敗して回っていた。

  別に二人に正義の心があるわけではなく、暇潰しに強い獣人と手合わせがしたいだけなのだが、力の強くない獣人を蹂躙するような悪辣な輩をぶちのめすと多くの獣人に感謝されて、褒美に食料などを貰えるので悪くない仕事だった。

  また、クロコダスは引き続き人間を捕食せず獣人化を選んでいたのだが、これが結果的に『肉食獣人に捕食される人間』をその前に獣人に変えて命を救う事に繋がっており、クロコダスに感謝している獣人は数多く存在した。

  肉食獣人は肉を主食とする一方で草食獣人は決して食らわない。

  これは、『獣人たちの世界』でも徹底されている倫理観であり、肉食獣人は獣人でない通常の動物の肉を食べている。

  だが人間に対してはこの倫理観が働かず、餓えた肉食獣人は我慢できずに人間に襲い掛かってしまうケースが多いのだ。

  しかし、そうなる前に人間を獣人にしてしまえば、彼らはたとえ草食獣人になってももう肉食獣人に食べられる心配は一切無くなる。

  相変わらずクロコダス自身に人間への情は無く、単にバッファルと一緒に『どちらが先に獣人化させられるかゲーム』がやりたいだけなのだが、何故だか『命を救えている』という結果にクロコダスは悪い気はしなかった。

  彼の心の中に微量に残った『常盤仁菜』としての良心なのかもしれないが、それはクロコダス自身にもわからなかった。

  「…そろそろオレ達も、日本列島を飛び出して海外に行ってみるのもありなのかねェ」

  「確かにな。

  海を越えた先にはきっと、まだまだすげぇ奴らや獣人化してない生存者がいっぱいいそうでならねェ。

  ……けどよ」

  クロコダスは、改まってバッファルと向き合ってその大きな口を開いた。

  「俺は…今みたいにこうしてバッファルと一緒に過ごしてるだけで、何よりも幸せだ。

  特別な事なんて起きなくたって別に構わねぇ、これからもただ…お前と一緒にいたいよ」

  真っすぐな瞳で、直球に愛を伝えるクロコダス。

  バッファルは愛する彼の言葉に感涙し、

  「くっ…クロコダスぅぅぅ……!!!

  オレもだよォ!!!

  オレも…ただこうしてクロコダスと一緒にいるだけで最高に幸せだぁぁぁっ!!!!!!」

  と、クロコダスに思いっきり抱き着いて彼の大きな口に黒く長い舌を入れる。

  「「あむっ…んんっ……♡」」

  クロコダスもそれに応じて、お互いの愛を確かめ合う幸せなディープキスを行った。

  そして唇を離し、じぃっとお互いの目を見つめ合って、こう言った。

  「…ねぇ、クロコダス」

  「何だ?」

  「……"あたし"、今最高に幸せ」

  「っ…!?

  …うん、"私"も。

  『一緒にいる』約束、守ってくれてありがとう……♡」

  ……それは、『萌華』と『仁菜』の言葉だったのか否か。

  真相は誰にもわからない。

  ただ、一つ言えるのは『二人は最高の幸福の真っただ中にいる』という事実だけである。

  「…なんか、照れるな。

  今更オレ達が女口調で喋るの」

  「だなっ…。

  俺達、一年前まで花の女子高生だったのになァ……」

  「「プッ…、ガハハハハハハッ!!!!!!」」