私が肉になるまで ―牛獣人JKの精肉パック―

  ■ Part. 1: 人間社会の違和感

  教室の窓から差し込む午後の陽光が、玲奈の机に斜めに落ちている。数学の教科書に向けられた彼女の視線は、実は何も捉えていなかった。まだらに白と黒が混じった手の甲を、玲奈はぼんやりと眺める。

  「玲奈ー、今日の放課後、カラオケ行かない?」

  「ごめん…今日は帰りが遅くなりそうなんだ」

  「そっか、残念。また今度ね」

  明日香の声に、玲奈はゆっくりと顔を上げた。小柄な体に似合わないほどの芯の強さを感じさせる、ショートカットの女子だ。玲奈の周りで、唯一自然に話しかけてくれる存在。玲奈の声は小さく、教室の騒がしさにかき消されそうになる。腰まで伸びた黒髪が、彼女の表情を隠すように垂れていた。牛獣人特有の、目立つ角とたれ耳で大きめの耳が、その髪の間から覗いている。

  明日香は純朴な微笑みを残して、自分の席へと戻っていく。制服の着こなしも真面目で、眼鏡の奥の瞳は優しい。玲奈は彼女の背中を見送りながら、ほっと息をついた。声をかけてくれることは嬉しいけれど、カラオケなんて行けるわけがない。みんなと同じ空間に閉じ込められたら、余計に自分の「違い」が際立つだけだ。

  「あー、またあの牛に話しかけてるし」

  「ねえねえ、あいつってさ、牛乳出るのかな?」

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  教室の後方から聞こえてきた囁き声に、玲奈の耳がピクリと動く。美咲だ。長めの茶髪を持ち、いつも最新のファッションを取り入れたナチュラルメイクが特徴の、クラスで一番人気のある女子。彼女の周りには、いつも取り巻きの女子たちがいる。

  クスクスと笑い声が広がる。玲奈は顔を伏せ、胸の前で制服のリボンを無意識に握りしめた。他の生徒より明らかに大きな胸が、今にも弾けそうに制服を押し上げている。昔から、これがからかいの的だった。

  ちらりと窓の外を見ると、校庭を歩く男子が数人、彼女の方を指さして笑っている。玲奈はすぐに視線を逸らした。

  (もう慣れたはずなのに)

  日本の学校には、クラスに一人か二人、獣人の子どもがいるのが普通だった。法律上は人間と同じ権利を持つ「市民」として認められている。だが、現実はそう単純ではない。「総人口の5%」という数字が、すべてを物語っていた。

  十年前の憲法改正で獣人にも人権が与えられ、一般社会での共存が始まった。だが、人々の心の中にある境界線は、そう簡単には消えない。特に玲奈のように見た目の特徴が強い獣人は、日常のあらゆる場面で「違い」を突きつけられる。

  「玲奈さん、次の問題、解いてみてくれますか」

  教壇から数学教師の声がする。玲奈はゆっくりと立ち上がり、黒板へと向かう。背中に刺さる視線を感じながら、彼女は懸命に問題と向き合った。答えを書き終え、席に戻る途中、美咲の机の横を通りかかる。

  「モー(笑)」

  クラスの中で誰かが小さな声で囁いた言葉に、玲奈の足が一瞬止まる。だが、何も言い返さず、ただ自分の席へと戻った。顔を上げれば、また誰かの嘲笑に出会うだけだから。

  放課後、玲奈は急いで帰路についた。同じ方向に帰る人と一緒になるのを避けるため、いつも少し遅く学校を出る。それでも急ぎ足で歩くのは、なるべく人目につかないためだ。

  自宅のアパートに着くと、玄関には父からのメモが貼られていた。

  『今日も遅くなる。冷蔵庫に夕食あり。おやすみ』

  玲奈は寂しさと安心を同時に感じた。父は優しいが、獣人の娘を育てる大変さで、いつも疲れ切っている。がっしりとした体格の彼は、髭を剃り忘れることも多いが、玲奈の前では常に身なりを整えようとする。そんな父の姿に、玲奈は切なさを覚えた。

  リビングの棚に飾られた写真を見つめる。父と、そして…もういない母の姿。母は玲奈と同じ牛獣人だった。白っぽい灰色の髪と、優しい眼差し。父が「お母さんはな、お前によく似ていたんだ」と言うとき、どこか遠い目をするのが、玲奈には不思議だった。

  「どうして母さんはいなくなったんだろう」

  玲奈は自分の体を鏡で見つめた。黒と白のまだら模様の肌。短くカールした尻尾。人間の女の子より大きな胸。…この体が、学校での孤独の原因だとわかっていた。夜、勉強をしようとして机に向かうも、集中できない。SNSを開けば、またクラスメイトたちの楽しそうな写真が並んでいる。その輪の中に、自分の居場所はない。

  鏡に映る自分の姿を見つめながら、玲奈は深いため息をついた。

  ■ Part. 2: 牧場見学

  「みなさん、整列してください。これから牧場内を見学します」

  クラス全員が校外学習で訪れた牧場で、ガイドを務める女性社員の声が響く。沙耶と名乗った彼女は、身長が高く細身で、常に清潔感のある作業服を着ていた。一つに束ねた髪と眼鏡が、知的な印象を与えている。

  「ここでは主に乳牛の飼育と、牛乳の生産を行っています。乳牛は一日に約30リットルの牛乳を生産します」

  沙耶の淡々とした説明に、クラスメイトたちは半分退屈そうな表情で聞き入っている。一方、玲奈は緊張した面持ちで、少し後ろに下がるようにして立っていた。

  「次に搾乳棟を見学します。本来は衛生上の理由から見学できない場所ですが、今日は特別に許可をいただいています」

  生徒たちが列を作って移動する中、玲奈は遅れをとらないように足早に歩く。そのとき、美咲がわざとぶつかってきた。

  「あ、ごめーん。あれ? でもなんで牛さんが柵のこっちがわにいるの?(笑)」

  「…大丈夫」

  茶髪を揺らしながら、美咲は意地悪そうに笑った。スマホを常に手に持ち、何かと写真を撮っている彼女の目つきは鋭く、口調は軽薄だ。周りの女子たちがクスクスと笑う。玲奈は小さく呟き、前を向いて歩き続けた。突然、搾乳棟から聞こえてくる機械音に、玲奈の耳がピクリと動く。

  搾乳棟に入ると、そこには何頭もの牛が並び、搾乳機に繋がれていた。規則正しいリズムで動く機械。おとなしく立っている牛たち。静かな空間に、ただ搾乳機の「シュポン、シュポン」という音だけが響いている。

  「これが最新の搾乳システムです。牛にとってもストレスが少なく、効率的に搾乳できます」

  (なんだろう、この感覚…)

  沙耶の説明を聞きながら、玲奈はなぜか心が落ち着くのを感じた。機械的な動きと、牛たちの静かな佇まい。整然と並ぶ牛舎と、清潔に保たれた床。すべてが「あるべき場所にある」という安心感を与えてくれる。

  「ここで搾乳体験をしてみたい方はいますか?」

  「明日香ちゃん、やってみるの?」

  沙耶の問いかけに、数人の手が上がる。明日香もその一人だった。

  玲奈が小声で尋ねると、明日香は少し恥ずかしそうに頷いた。

  「うん、なんか面白そうだなって。玲奈ちゃんはやらないの?」

  「え、私…?」

  その問いに答える前に、沙耶が明日香を含む数名を前に呼び出した。

  「こちらの個体は特に大人しいので、初心者の方でも安心です。まず、手を消毒して…」

  〈モォー〉

  (な、なに、この気持ち……♥)

  明日香が指示に従って手袋をはめ、牛の乳房に手を伸ばす。最初は恐る恐るだったが、沙耶のガイドで徐々に手つきが慣れてくる。

  搾乳された牛が気持ちよさそうに鳴いた瞬間、玲奈の体に電流が走った。自分の胸に、何か込み上げてくるような感覚。無意識のうちに、玲奈は自分の胸に手を当てていた。玲奈の口からは思わず言葉がこぼれた。

  「モー♥」

  一瞬、搾乳棟が静まり返る。玲奈は自分がなんて言ったかを理解し、顔が真っ赤になった。周りからクスクスという笑い声が聞こえ始める。

  「おい、聞いた?今、玲奈が『モー』だって」

  「やっぱり牛は牛だね〜」

  「まじ牛じゃん」

  美咲の声が、火に油を注ぐ。クラスメイトたちの笑い声に、玲奈は顔を伏せた。そのとき、沙耶が玲奈の前に立ち、少し面白そうな表情で言った。

  「あなたも搾乳されてみる?牛さん」

  その言葉に、クラス全体が大爆笑。玲奈は恥ずかしさのあまり、その場から逃げ出したかった。けれど、不思議なことに、沙耶の「牛さん」という言葉に、なぜか胸の奥が熱くなる感覚があった。

  「もういいよ…」

  明日香が気を遣って話題を変えようとしたが、すでに遅かった。クラスメイトたちは玲奈を中心に、さらに冗談を言い合っている。

  「ねえねえ、牛人って搾乳機つけたらマジで出るの?」

  「やばくない?そういう実験とかあるのかな」

  「あるわけないじゃん、それ人権侵害だし」

  一方で美咲は、スマホのカメラを玲奈に向けていた。

  「玲奈〜、もう一回『モー』って言ってよ〜」

  玲奈は無言で首を振り、できるだけ存在感を消そうとした。しかし、沙耶の言葉は、彼女の心に奇妙な残響を残していた。

  (搾乳されてみる…?)

  その後の見学で、玲奈はずっと考え込んでいた。飼料置き場、牛舎、パッキング工場…どの施設も、玲奈にとっては不思議と落ち着く空間だった。特に牛舎では、柵に繋がれた牛たちがのんびりと草を食む姿を見て、玲奈は言葉にできない親近感を覚えた。

  飼料を食べる牛の傍らに立ったとき、玲奈は思わず手を伸ばして牛の頭を撫でた。牛は嫌がるどころか、彼女の手に頭を寄せてきた。

  「この子、あなたに懐いてますね」

  振り返ると、沙耶が立っていた。冷静な表情の下に、観察するような目が光っている。

  「えっと…そうですか?」

  「ええ。獣人の方には、本能的に親近感を持つようです」

  沙耶の言葉に、玲奈は複雑な気持ちになった。嫌味を言われているのか、それとも単なる事実なのか。けれど沙耶の表情には、先ほどのような揶揄の色はない。

  「…もしかして、さっきは気分を悪くされました?」

  「いえ…その…大丈夫です」

  玲奈は首を振った。沙耶はわずかに微笑み、「そう」と言うだけで立ち去った。

  見学を終え、バスで学校に戻る道中、玲奈はずっと窓の外を眺めていた。頭の中では、牧場で見た光景が繰り返し再生されている。規則正しく並ぶ牛舎。搾乳機のリズミカルな動き。柵に繋がれた牛たちの平和な佇まい。

  (あの場所は…なんだか居心地が良かった)

  その夜、玲奈は奇妙な夢を見た。自分が牛舎にいて、首輪を付けられている。搾乳機が彼女の胸に取り付けられ、ゆっくりと動き始める。恐怖ではなく、むしろ安堵感に包まれていく。そして沙耶が彼女の前に立ち、優しく頭を撫でながら言う。

  「良い子ね、牛さん」

  玲奈は目を覚まし、自分が布団の中で震えていることに気づいた。汗ばんだ手で胸に触れると、そこには言葉にできない感覚が広がっていた。

  (私は…どうしちゃったんだろう)

  「私は人間だ…」と心の中で繰り返す玲奈。けれど、それはどこか遠くなっていく言葉のようだった。

  ■ Part. 3: 母の過去

  「ただいま」

  「おかえり。今日は早く帰ってこれたから、晩ご飯作ってるよ」

  玲奈は静かに玄関のドアを開けた。珍しく父の靴が並んでいる。キッチンからは、夕食を作る音が聞こえてきた。

  エプロン姿の父が振り返る。無精髭が目立つがっしりとした体格の男性だが、その眼差しは優しい。玲奈は少し気まずそうに視線を落とした。

  「今日、社会科見学で牧場に行ったんだ」

  「へえ、どうだった?」

  鍋をかき混ぜる父の手が、一瞬止まる。平静を装った声音。けれど玲奈には、父の緊張が伝わってきた。リビングのテーブルに荷物を置きながら、玲奈は言葉を選ぶ。

  「なんだか…居心地が良かった。あのね、牛たちが搾乳機につながれてるのを見たんだけど…」

  父は黙ったまま料理を続ける。玲奈は窓の外を見つめながら、今日の出来事を心の中で反芻していた。自分が「モー」と言ってしまったことは、さすがに言えなかった。

  「…私、自分が牛として生きる方が合ってるのかもしれないって、思ったんだ」

  「…冗談だよな?」

  フライパンが床に落ちる音が響いた。振り返ると、父が呆然と立ち尽くしている。父の声は震えていた。玲奈は自分の言葉が与えた衝撃の大きさに気づき、慌てて取り繕おうとする。

  「え、いや、その…ただの感想で」

  「お前はそんなこと言うな!お前は人間なんだ!」

  だが父は厨房から出てきて、玲奈の両肩をしっかりと掴んだ。その目には、恐怖と怒りと悲しみが入り混じっている。突然の剣幕に、玲奈は身を縮めた。父はそれに気づき、力を緩めると、深いため息をついた。

  「…話があるんだ。お前のお母さんのこと、今日話すよ」

  テーブルに向かい合って座った父娘。父は長い沈黙の後、重い口を開いた。

  玲奈の心臓が高鳴る。母についての話は、これまでほとんどなかった。ただ「お母さんはもういない」と言われ続けてきただけだ。

  「真奈は…お母さんは、お前が生まれてから三年後、突然姿を消した。あの日、いつもと変わらない朝だった。『夕飯よろしくね』って言って、真奈は買い物に出かけた。でも…帰ってこなかった」

  茶碗を握る父の手に力が入る。

  「一週間後、郵便受けに『人権放棄申請受理通知』が届いた」

  「人権…放棄?」

  「獣人には『人権放棄』という選択肢がある。法律上の人間としての権利を放棄して、『動物』として扱われることを選ぶんだ」

  玲奈は息を飲んだ。学校では習わなかった話だ。

  「その通知に書かれていた牧場へ行ってみた。そこで…お前のお母さんを見つけた。搾乳機に繋がれて、柵の中にいた。でも…幸せそうだった。『子どもができたのに、なぜ人権放棄したんだ』と問いただすと…」

  父は目を閉じ、当時の記憶を辿るように続けた。

  「『今まで人生にずっと違和感があった。やはり私は牛で、こうやって柵に繋がれている方がしっくりくる』って言うんだ」

  玲奈は自分の胸の奥にあった「しっくり感」を思い出し、震えた。

  「お父さんは毎週のように真奈に会いに行った。説得しようとしたけど、お母さんは牛としての生活に満足していた。そして半年後…」

  父の目から一筋の涙が流れる。

  「精肉されて出荷されたって言われた。もう…いなかったんだ。だからお前には…絶対に同じ道を歩んでほしくないんだ」

  玲奈は言葉を失った。目の前が真っ暗になるような衝撃。父は立ち上がり、今度は優しく玲奈の頬に触れた。

  「お前は人間として生きていくんだ!」

  思わず声を荒げた父は、自分の感情の激しさに我に返り、苦しそうに微笑んだ。

  「…ごめん。ただ、お前まで、消えてしまうのが怖いんだ」

  それから夜遅くまで、父は亡き母のことを語った。お母さんの笑顔、二人が出会った日のこと、玲奈が生まれた時の喜び。そして、突然の別れ。言葉の端々に、父の愛と痛みが滲んでいた。

  その晩、玲奈は眠れなかった。

  (母さんも…同じ感覚を持っていたんだ)

  天井を見つめながら、玲奈は自分の中にある「違和感」と「しっくり感」の正体を、初めて理解し始めていた。

  次の朝、玲奈は意を決して、インターネットで近所の牧場のアルバイト情報を探した。

  ---

  「えっと…バイト、募集してますか?」

  「あら、見学に来てくれた子ね。アルバイト?そうね、人手は欲しいわ」

  玲奈は緊張した面持ちで、牧場の事務所に立っていた。対応したのは、社会科見学でガイドをしてくれた沙耶だった。沙耶は眼鏡の奥から玲奈を観察するように見つめた。

  「週に何日くらい入れる?」

  「放課後と、週末です」

  面接はあっさり終わり、玲奈は翌日から働き始めることになった。父には「お小遣い稼ぎ」と嘘をついた。初日、玲奈は飼料の準備や牛舎の清掃を任された。黙々と作業をする中で、牛たちの近くにいることの安らぎを感じていた。

  「これ、配っておいて」

  「え、美咲さん…?」

  突然、腕に飼料の入った桶を押しつけられた。振り返ると、美咲が立っていた。社会科見学の日、彼女も同じ牧場でアルバイトをしていると知った。美咲は玲奈を一瞥すると、「私はもっと大事な仕事があるから」と言い残して立ち去った。

  玲奈は黙って飼料を配り始めた。美咲の冷たい態度は学校と変わらなかったが、ここでは気にならなかった。むしろ、牛たちが餌を食べる音を聞きながら、玲奈は奇妙な満足感を覚えていた。

  三日目の夕方、仕事を終えた玲奈が更衣室で制服に着替えていると、沙耶がやってきた。

  「玲奈さん、今日の仕事ぶりは良かったわ」

  「ありがとうございます」

  「あなた、なぜここでバイトを始めたの?」

  照れくさそうに答える玲奈に、沙耶は静かに尋ねた。玲奈は言葉に詰まった。本当の理由を言えるはずもなく、床を見つめる。

  「もしかして…社会科見学の日、あなたが感じたことと関係ある?」

  鋭い指摘に、玲奈の体が強張る。玲奈は顔を上げ、沙耶を見た。その目には、批判ではなく、純粋な関心が浮かんでいる。

  「私…」

  玲奈は声を震わせながら、初めて誰かに打ち明けた。

  「私、牛として扱われてみたいんです」

  言葉にした瞬間、恥ずかしさと解放感が一気に押し寄せてきた。沙耶は静かに頷いた。

  「それなら…手伝えるかもしれないわ」

  その日から、バイト終わりの「特別な時間」が始まった。誰もいなくなった牧場の一角で、沙耶は玲奈に首輪を付け、搾乳機をセットした。

  「これでいいのかしら?」

  沙耶の冷静な声に、玲奈は頷くことしかできなかった。首の鎖が「カチャン」と鳴り、固定される。人間としての自由を奪われた感覚に、玲奈の心臓は高鳴った。

  「大人しくしてね、牛さん」

  沙耶の言葉に、玲奈の体は熱くなる。搾乳機が起動し、胸に吸い付く感覚。最初は痛みと恥ずかしさで涙が出そうになったが、次第に不思議な解放感が全身を包み込んでいった。

  鎖に繋がれ、飼料を食べ、搾乳される。これが「しっくり感」の正体だった。

  「明日も来る?」

  終わった後、沙耶がさりげなく尋ねる。玲奈は恥ずかしさと期待が入り混じった表情で頷いた。

  ---

  教室の窓から見える空は、いつもより青く感じる。玲奈は授業そっちのけで、放課後に待っている「牛の時間」のことを考えていた。

  「玲奈さん、この問題の答えは?」

  「え、あの…」

  教師の声に我に返り、慌てて立ち上がる。周りからクスクスと笑い声が聞こえる。美咲が友達に耳打ちしているのが見える。

  「いつも上の空だな、玲奈は」

  そのとき、明日香が小さな声で答えを教えてくれた。玲奈は感謝の眼差しを送り、なんとか切り抜けた。

  体育の時間。更衣室で制服を脱ぐとき、玲奈は自分の胸に付けられた搾乳機の痕を隠そうと必死だった。鏡に映る自分の姿。大きな胸、まだらの肌、短い尻尾。

  (私は人間なんだろうか?それとも…)

  「玲奈、なんか最近変わったね」

  昼休み、玲奈はいつものように一人で弁当を食べていた。教室の隅の席で、窓の外を眺めながら。不意に声をかけられ、玲奈は驚いて振り返った。明日香が立っている。

  「え?どう…変わった?」

  「なんだろう…前より、落ち着いてるというか。でも、授業中はボーッとしてること多いし」

  玲奈は言葉に詰まった。自分が「牧場」と「学校」という二つの世界を行き来していることを、どう説明すればいいのか。

  「あ、別に悪い意味じゃないよ!ただ…」

  明日香は言葉を選ぶように続けた。

  「玲奈が最近、ちょっと遠くに行っちゃったような気がして」

  「大丈夫だよ。ただ…最近、自分に合った場所を見つけたのかも」

  その言葉は、玲奈の胸に刺さった。確かに自分は、この教室にいながら、心はすでに牧場にあるのだから。玲奈の言葉に、明日香は安心したように微笑んだ。

  「そっか。それならいいんだ」

  放課後のチャイムが鳴ると同時に、玲奈の体は自動的に動き出す。鞄を片付け、誰よりも早く教室を出る。急いで駅へ向かい、バスに乗り換え、牧場へ。

  いつも通り飼料の準備をし、牛舎を掃除し、給水器を確認する。美咲とすれ違っても、もう気にならない。むしろ、玲奈の意識は常に「その後」の時間に向かっていた。

  「お疲れ様、今日も頑張ったわね」

  沙耶の言葉に、玲奈は嬉しそうに頷く。二人だけになった牛舎の奥で、玲奈は制服を脱ぎ、用意された作業着に着替える。そして首輪を付けてもらい、鎖で柵に繋がれる。

  「今日は少し違うことをしてみましょうか」

  沙耶の言葉に、玲奈は期待と不安が入り混じった表情を浮かべた。搾乳機の代わりに、沙耶が直接玲奈の胸を絞り始める。機械とは違う、人の手の感触。そして、小さな桶に牛乳が滴り落ちていく音。

  「ほら、出てるわよ。玲奈ちゃん、あなたは本当に優秀な牛ね」

  「モー…」

  沙耶の言葉に、玲奈は喜びと羞恥で全身が熱くなった。自分が「牛」として評価されることが、こんなにも満たされる感覚だなんて。小さく鳴く玲奈に、沙耶は満足そうに微笑んだ。

  「そう、そのまま。あなたの本能に従って」

  搾乳が終わると、沙耶は玲奈の頭を撫でた。

  「玲奈ちゃん、あなたは人間として生きるより、牛として生きる方が向いているかもしれないわね」

  (私は、どっちなんだろう?)

  その言葉は、玲奈の心に深く沈んでいった。家に帰る電車の中、玲奈は窓に映る自分の顔を見つめていた。表情は穏やかで、どこか満ち足りている。

  制服を着た自分は学生。されど心は、すでに牧場の柵の中にいた。その晩、玲奈はノートに書いた。

  『私は今、二つの世界を生きている。日中は「玲奈」という人間の女子高生。夕方からは「玲奈」という名前のない牛。どちらが本当の私なのだろう?』

  ■ Part. 4: SNSへの暴露

  玲奈は柵に頭を寄せ、飼料を口に運ぶ。体を前傾させ、両手を使わずに直接口で食べる姿は、完全に牛そのものだった。首に繋がれた鎖が、動きを制限している。

  〈カシャッ〉

  聞き覚えのある音に、玲奈は顔を上げた。美咲がスマホを構えて立っている。

  「え? 今の、写真に撮ったの?」

  「いいじゃん、記念に。てか、こんなことして楽しい?マジで理解できないんだけど」

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  玲奈は顔を赤らめて抗議するが、美咲は意地悪く笑った。茶髪を指で弄びながら、美咲はすでに画面を操作している。玲奈は胸が締め付けられる思いだった。

  「消して…お願い」

  「あっ、もう送っちゃった。ごめーん」

  「誰に…送ったの?」

  「みんなに決まってるじゃん。『クラスの牛女子、ついに本性表す #マジモー女』ってキャプションつけたよ」

  謝罪の言葉とは裏腹に、美咲の表情に後悔の色はない。玲奈は震える手で首輪に触れた。これまで心の奥に隠していた自分の秘密が、一瞬で暴かれた恐怖。玲奈の世界が崩れ落ちる音がした。

  ---

  翌日、学校の廊下は異様な雰囲気に包まれていた。玲奈が通りかかると、会話が止み、視線が集まる。そして彼女が過ぎ去ると、すぐに囁き声が再開する。

  「マジであれ、玲奈なの?」

  「引くわー」

  「やっぱ獣人って違うんだね」

  教室に入ると、美咲のグループが集まって何かを見て笑っている。玲奈の姿に気づくと、彼女たちは露骨に画面を隠した。机に向かう途中、足が何かに引っかかり、玲奈は転びそうになる。誰かが足を出したのだ。クラス中の笑い声。

  「モー気をつけてよ」

  からかいの声に、教室がさらに沸く。玲奈は自分の席に着くと、顔を伏せた。授業中、先生の声も耳に入らない。スマホが震える。SNSの通知。見なくても何が書かれているか想像できた。

  給食の時間。誰も玲奈の近くに来ない。トレーを持って席に向かう途中、「牛乳」と書かれた紙が背中に貼られているのに気づかないふりをした。

  (もうここには…居場所がない)

  放課後、玲奈は誰よりも早く教室を出た。この日もバイトがある。むしろ、牧場こそが今の彼女の避難所だった。牧場では沙耶が待っていた。いつもより玲奈の表情が暗いことに気づいたのか、作業の指示を出した後、沙耶は玲奈を事務所に呼んだ。

  「どうしたの?何かあった?」

  「美咲さんが…写真を撮って、アップロードしたんです」

  「そう…大変だったわね」

  沙耶の声は冷静だが、その瞳には関心が浮かんでいる。玲奈は迷った末、スマホを取り出し、SNSの画面を見せた。沙耶は無表情で画面を見つめ、コメント欄を流し読みする。

  玲奈は言葉に詰まった。どうすればいいのか。学校には行けない。家に帰れば父に心配をかける。残るのは…

  「沙耶さん…お願いがあります。一晩だけ…ここに泊めてもらえませんか?」

  玲奈は震える声で続けた。沙耶の表情が微かに変わる。

  「ここ?牧場に?」

  「はい…柵の中で、牛として…」

  「それは危険よ。夜は獣害対策で見回りもあるし、美咲も夜勤で来るわ」

  「でも…今は学校にも家にも居場所がなくて…」

  玲奈の目に涙が浮かぶ。沙耶は長い沈黙の後、ため息をついた。

  「わかったわ。でも一晩だけよ。そして誰にも見つからないように、奥の使われていない牛舎を使いましょう」

  「ありがとうございます!」

  「それと、明日の朝一番に解放するからね。約束して」

  玲奈の顔に希望の光が戻る。父には「友達の家に泊まる」とメッセージを送った。嘘をつくことに胸が痛んだが、今の彼女には、本当の居場所が必要だった。

  ---

  夜、牧場は静まり返っていた。外灯の光だけが、建物の影を長く伸ばしている。沙耶は約束通り、牛舎の奥に玲奈を連れていった。

  「ここなら端っこだし、誰にも見つからないわ」

  沙耶は首輪と鎖を用意し、玲奈の首に巻いた。

  〈カチャン〉

  「飼料と水はここに置いておくわ。朝六時に迎えに来るから、それまで大人しくしていて」

  「沙耶さん…本当にありがとう」

  鎖が固定される音が、玲奈の胸を高鳴らせる。玲奈は柔らかい藁の上に腰を下ろし、頷いた。

  「いい子にしてるのよ、牛さん」

  沙耶は微かに微笑み、玲奈の頭を優しく撫でた。その言葉に玲奈の体は熱くなる。沙耶が去った後、牛舎は静寂に包まれた。月明かりが隙間から漏れ、玲奈の顔を照らす。

  玲奈は鎖の長さが許す範囲で、藁の上に横になった。首輪の感触、鎖の重み、藁の匂い。すべてが彼女を落ち着かせる。

  (ここなら、私は私のままでいられる)

  学校でのからかい、家での嘘、すべてが遠くに感じられた。柵の中の自分は、ただの「牛」。名前も、過去も、未来もない存在。奇妙な安心感に包まれ、玲奈はゆっくりと目を閉じた。

  ---

  「はぁ、なんでこんな時間に急に…。30キロの精肉緊急オーダーだって…冗談じゃないわ」

  美咲は事務所の電話を置きながら、ため息をついた。夜勤の仕事は基本的に巡回と書類整理だけのはずだったのに、突然の電話。美咲は牧場の在庫リストを確認する。成牛だと大きすぎるし、子牛だと小さすぎる。ちょうど良いサイズの個体がいない。

  「困ったな…」

  懐中電灯を手に、美咲は牧場内を見回ることにした。もしかしたら記録に載っていない個体がいるかもしれない。夜の牧場は昼間とは違う雰囲気に包まれていた。牛たちは寝静まり、ただ規則正しい呼吸だけが聞こえる。美咲はライトを照らしながら、牛舎を一つずつ確認していく。

  牛舎の一番奥のロットかすかな物音がした。美咲は懐中電灯を向ける。藁の上で横になる人影。首輪を付け、鎖で繋がれている。よく見ると…玲奈だった。

  「玲奈…?」

  美咲は驚いて立ち尽くした。SNSに写真をアップした相手が、実際に牧場で寝ているなんて。しかも首輪をつけて。美咲の脳裏に一つの考えが浮かぶ。玲奈が「人権放棄」を選んだのではないか。

  (だからあんな写真を撮られても気にしなかったのか…もう人間じゃないんだもの)

  美咲は事務所に戻り、人権放棄の申請書類をチェックした。最近の申請はない。だが彼女は「きっと手続き中なのだろう」と思い込んだ。

  「ちょうどいいじゃない」

  美咲は笑みを浮かべた。30キロの精肉。玲奈のサイズなら、ぴったりだ。そして何より、もう「人間」ではないのだから。懐中電灯と電撃棒を手に、美咲は再び奥の牛舎へと向かった。

  ---

  玲奈は穏やかな夢を見ていた。牧場の広い草原で、自由に草を食み、のんびりと日向ぼっこをする夢。首輪はあるけれど、鎖はない。時々、沙耶が頭を撫でに来てくれる。

  〈バチッ!〉

  「よく寝てたわね、玲奈」

  突然の痛みに、玲奈は飛び起きた。全身が痺れ、頭がぼんやりする。目の前に立っているのは…美咲だった。懐中電灯の光が玲奈の目を刺す。美咲の手には電撃棒。玲奈は恐怖で体が震えた。

  「み、美咲ちゃん…?何してるの?」

  「あなたを起こしてるの。お仕事の時間よ」

  美咲は事務的な口調で言い、玲奈の首輪を外すと、別の金具を取り付けた。

  「え、何…これ…」

  「精肉処理ライン用のフックよ。ちょうど30キロのオーダーが入ってたの。あなたにぴったりじゃない」

  玲奈は言葉の意味を理解するのに数秒かかった。そして恐怖が全身を駆け巡った。

  「違う!私は人間よ!人権放棄なんてしてない!」

  玲奈は必死に叫ぶが、美咲は聞く耳を持たない。彼女は玲奈を引っ張りながら、工場棟へと向かって歩き始める。

  「沙耶さんに頼まれただけなの!一晩だけ牛として過ごさせてもらうって!」

  「へー、そう」

  美咲の声には関心がない。彼女にとって、玲奈はもはや「処理すべき個体」でしかなかった。

  「お願い、信じて!私は学校に行ってるし、父もいるし…!」

  「うるさいわね」

  美咲は立ち止まり、玲奈を見下ろした。そう言うと、美咲はポケットからペンチを取り出した。

  「ちょっと…何するの…やめて!」

  「牛は黙って肉になりなさい」

  〈バチンッ!〉

  「いだあ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁ!! は、はにをするほ!?」

  玲奈の叫び声も虚しく、美咲は冷酷にペンチで玲奈の舌を掴み、引っ張り出した。そして肉裁ちバサミで一気に断ち切った。激しい痛みが走り、玲奈はその場に崩れ落ちた。痛みが玲奈の全身を貫いた。断ち切られた舌からは血が溢れ、玲奈は言葉を失った。彼女にできるのは、ただ泣くことだけ。美咲は無表情で、精肉処理場の入り口にあるパネルに情報を入力していく。

  「個体番号…E-X24。種別:牛獣人・雌。重量:約60kg、歩留まり率50%で30kgの精肉か」

  (どうして…こんなことに…)

  玲奈は血を流しながら、震えて立っていた。抵抗する力も、助けを求める声も失われ、ただ涙だけが頬を伝う。美咲は入力を終えると、玲奈を見た。その目には何の感情もない。

  「さあ、入るわよ」

  精肉処理場の扉が開き、冷たい空気が流れ出してきた。中からは機械音と水音が聞こえる。玲奈は恐怖で足がすくみ、動けなかった。美咲はため息をつき、再び電撃棒を取り出した。

  「手間かけさせないでよ」

  再び電気が玲奈の体を貫き、彼女の意識が遠のく。次の瞬間、玲奈は無理やり引きずられ、精肉処理場の中へと連れ込まれた。

  ■ Part. 5: 精肉処理

  冷たい金属のドアが開き、白い蛍光灯の光が玲奈の目を刺した。美咲は彼女の首輪を引っ張り、精肉エリアへと引きずり込む。玲奈の裸足が冷たいタイルの上を滑る。血の混じった涙で視界は曇り、断ち切られた舌の痛みが全身を貫いている。

  (これが…精肉場…)

  壁には様々な刃物が整然と並び、床から天井まで金属で覆われた空間。どこもかしこも白く清潔で、消毒薬の匂いが鼻を突く。人間の手は一切介入せず、すべてが機械によって処理される工程を想定した設計。美咲は中央にある金属製のレールに玲奈の首輪を固定した。「カチャン」という音と共に、逃げ場が完全に失われる。

  「いいこと?このボタンを押すと全自動処理が始まるわ。あなたは最初から最後まで、この工程に従うだけ」

  美咲は大きな赤いボタンの前に立ち、玲奈を見下ろす。その目には何の感情もない。

  「や、やめてぇ! 私は人間だよ!こんなの…おかしいよ!」

  「抵抗するの止めてって。あなたもう人間じゃないんでしょ?」

  美咲は肩をすくめた。赤いボタンが押される。

  機械音が鳴り響き、レールが動き始めた。玲奈の体は自動的に次の工程へと運ばれていく。美咲の姿は、ドアの向こうに消えた。

  ---

  最初の工程は洗浄処理。天井から複数のノズルが降りてきて、玲奈の体を囲む。突然、温かい泡が全身に吹きかけられた。

  「ひっ…!」

  玲奈は驚いて身を縮めるが、鎖に繋がれた体は逃げられない。泡が全身を包み込み、続いて回転するブラシが現れる。

  「あっ♥あっ♥ ん、んんっ♥ そんなところまで……♥♥♥」

  それらは機械的に動き、彼女の体の隅々まで洗い始めた。くすぐったさと恥ずかしさで玲奈は体をよじる。回転するブラシが肌を撫で、泡が服の上からでも敏感な部分に侵入していく感覚。自分の意思とは関係なく、機械によって「清潔」にされていく屈辱。

  「ひゃぁぁぁぁん♥♥♥ やめ…て…くすぐ…ったい…♥♥」

  舌のない口からは、不明瞭な言葉しか出ない。だが機械は彼女の言葉など聞かない。淡々と、プログラムされた通りに動き続ける。ブラシが胸や腿、お腹の辺りを撫でると、玲奈は思わず笑い声を上げる。恐怖の中にも、くすぐったさで体が反応してしまう矛盾。そして最後に、強力な水流が全身を洗い流した。

  「はぁ…はぁ…♥」

  水滴を滴らせた体で、玲奈はぜいぜいと息をする。次の工程へとレールが動き始める。

  ---

  肉質検査の部屋に入ると、複数のスキャナーとセンサーが玲奈を取り囲んだ。

  「検査を開始します」

  冷たい機械音声が響く。光るセンサーを取り付けたアームが、玲奈の体に近づいてくる。最初のアームが彼女の腕に触れ、機械的に揉み始める。冷たく無機質な感触。

  「上腕部:脂肪率15%、筋肉量適度、サシは少なめ」

  「胸部:脂肪率65%、柔軟性高、最上級品質」

  機械の分析が画面に表示される。玲奈は恐怖で身を縮めるが、次々と別のアームが彼女の体の各部位に触れていく。

  アームが彼女の胸を揉みしだき、データを収集する。玲奈は屈辱で顔を赤らめた。人間としてではなく、ただの「肉」として評価される感覚。

  「太もも:筋肉と脂肪のバランス良好、最適な霜降り状態」

  「お尻:脂肪率42%、柔軟かつ締まり良好」

  アームは大腿部を優しく押し、弾力を測定する。玲奈は目を閉じ、涙を流した。全身の検査が終わると、モニターにはまるで解体図のように、玲奈の体が部位ごとに色分けされて表示される。「タン」「カルビ」「ロース」「モモ」など、人間の肉体に牛肉の部位名が当てはめられている。

  次に、ペンを持ったアームが近づいてきた。玲奈が震える間も、機械は容赦なく彼女の肌に印をつけていく。胸に「上カルビ」、太ももに「モモ」、お尻に「ランプ」など、切断線を示す印が、まだらの肌に黒く浮かび上がる。

  「やめて…私は肉じゃない…」

  玲奈の抵抗も虚しく、マーキングは続く。額には「個体番号:E-X24」と書かれ、首には切断線が引かれた。もはや彼女は「玲奈」ではなく、処理すべき「個体」に過ぎない。マーキングが終わると、再びレールが動き出す。

  ---

  精肉処理室は、他の部屋よりもさらに白く、清潔だった。四方の壁には様々な刃物を持ったアームが並び、中央には分解用のプラットフォームがある。

  玲奈の心臓が激しく鼓動する。レールは玲奈をそのプラットフォームの上に固定した。金属の拘束具が手首と足首をしっかりと捕らえる。

  「これより精肉処理を開始します。対象:個体E-X24、牛獣人・雌」

  「いや…いやぁぁぁ!!」

  機械音声とともに、最初のアームが近づいてくる。その先端には鋭い電動ノコギリ。玲奈の悲鳴も虚しく、アームは彼女の右腕のマーキングラインに沿ってノコギリを当てた。

  〈ギュイィィィン!〉

  「ひぎゃああぁぁぁぁ!!! い、痛い!痛いよぉ! 誰か…誰か助けて!」

  耐え難い痛みが全身を走る。骨を削る振動が体の芯まで響き、玲奈は喉が枯れるほど叫んだ。血が飛び散り、切断された右腕がベルトコンベアに落ちていく。

  次は左腕。同じくマーキングに沿って、容赦なく切断される。玲奈の意識は痛みで朦朧とするが、完全には失われない。それが最も残酷な点だった。

  「パパ…ごめん…ごめんなさい…」

  涙と血で視界が歪む中、玲奈は父を思い出していた。次々と切断されていく体の部位。太もも、ふくらはぎ、足首。痛みがあまりに強すぎて、玲奈の悲鳴は次第に弱まっていく。ただ、意識だけはぼんやりと残っていた。

  胸部の処理に入ると、特殊なアームが現れ、慎重に切り取っていく。

  「胸部:特上カルビ、最高級品質」

  機械の淡々とした分析が、彼女の屈辱をさらに深める。自分の体の一部が「商品」として評価されている現実。残るは頭部のみ。首のラインに、最後のノコギリが当てられる。

  (これで終わるんだ…)

  最後の切断が始まる直前、玲奈は不思議な静けさを感じた。痛みも恐怖も超えた、ある種の諦め。そして、母を思い出す。

  (母さんも…こうだったのかな)

  首を切断するノコギリの音が、すべてを暗闇に沈めた。

  ---

  美咲は精肉処理室の隣、パッキングエリアで作業を続けていた。ベルトコンベアからは次々と洗浄され、きれいに切り分けられた肉片が流れてくる。

  「個体E-X24、処理完了」

  機械音声が響く中、美咲はゴム手袋をはめ、トレイと包装フィルムを用意した。

  「ふぅ、けっこう大変だったな」

  ベルトコンベアの上には、様々な部位に分かれた玲奈の肉が整然と並んでいた。美咲はそれらを手に取り、トレイに載せていく。

  「これがタン…これがカルビ…」

  淡々と作業を続ける美咲。彼女の表情には、感情の欠片も見えない。むしろ、職務を全うする充実感すら漂っていた。タンをトレイに載せ、ピンクのシートを敷き、透明フィルムで包む。機械でシールを貼り、ラベルを印刷。「国産黒毛和獣人肉・タン・100g・1,280円」。賞味期限は三日後。

  次々とパックが完成していく。胸肉、モモ肉、ヒレ、サーロイン…すべてが清潔に、美しく包装された。もはや、それが数十分前まで「玲奈」という名の少女だったとは想像もつかない。

  最後に残ったのは、処理の副産物。骨、内臓、そして髪の毛が混じった頭部。美咲はそれらを特殊な処理機に入れ、肉骨粉に加工した。

  「これで完了っと」

  美咲は手を洗い、完成した精肉パックを冷蔵庫に並べた。壁の時計は午前3時を指している。

  「急ぎのオーダーも間に合ったし、よかった」

  彼女はスマホを取り出し、SNSをチェックする。玲奈の写真に対する新たなコメントが届いていた。「どうしたんだろう、今日学校来なかったよね?」「マジ引くわー」

  美咲は小さく笑い、スマホをポケットに戻した。

  「もう来ないでしょうね」

  彼女は冷蔵庫の扉を閉め、最後のチェックを済ませた。明日の出荷に向けて、すべての準備は整った。

  「E-X24、出荷準備完了」

  「確認:牛獣人精肉・30kg・特急オーダー・明朝出荷」

  美咲が入力すると、システムは淡々と応答した。美咲は「確認」ボタンを押し、夜勤の仕事を終えた。彼女の心に、罪悪感の欠片すらなかった。

  精肉パックの中のかつて「玲奈」だった肉片には「個体番号:E-X24」というラベルのみ。彼女の名前は、もはどこにも残されていなかった。

  ■ Part. 6: 全てが終わった後に

  朝日が牧場に差し込む。沙耶は約束通り、早朝6時に牛舎の奥へとやってきた。

  「玲奈ちゃん、起きて。もう朝よ」

  返事はない。沙耶は懐中電灯を照らしながら牛舎に入った。柵の中は空っぽだ。藁の上には鎖だけが残され、玲奈の姿はどこにもない。

  「あれ、玲奈ちゃん?」

  沙耶の声が牛舎に響く。彼女は周囲を見回し、事務所へと急いだ。夜勤表をチェックすると、美咲の名前があった。

  「美咲さん、玲奈ちゃんを見なかった?」

  「ああ、玲奈? 精肉して出荷しましたよ」

  沙耶が電話をかけると、眠そうな美咲の声が返ってくる。沙耶の顔から血の気が引いた。

  「…何ですって?」

  「昨夜、30キロの急ぎオーダーが入って。ちょうど牧場にいたから処理したんです。彼女は人権放棄したんじゃないですか?柵に繋がれていたし」

  美咲の声には、何の悔いもない。沙耶は言葉を失った。自分が玲奈を柵に繋いだこと、一晩だけの約束だったこと、そして…それが取り返しのつかない結果になったこと。

  「どこ…どこに彼女は…?」

  「もう出荷準備は終わってますよ。今朝のトラックで市内のスーパーに配送されます」

  沙耶は震える手で電話を切った。急いで処理場へと向かう。扉を開けると、清潔に片付けられた白い部屋。処理機械は静かに待機している。床には薄い血の跡が、丁寧に拭き取られていた。

  「玲奈ちゃん…」

  沙耶は壁に寄りかかり、頭を抱えた。彼女の好奇心が、一人の少女の命を奪ったのだ。冷蔵庫を開けると、整然と並べられた精肉パック。透明なプラスチックの向こうに、ピンク色の肉。ラベルには「黒毛和獣人肉」と小さく印刷されている。

  その隣には、肉骨粉の袋。沙耶はそれを手に取り、中を覗き込んだ。骨粉の中に、黒い髪の毛が混ざっている。玲奈の美しい髪だ。

  「…ごめん」

  沙耶の呟きは、誰にも届かない。

  ---

  「玲奈がまた休みか…」

  教室で、明日香は玲奈の空席を見つめていた。昨日からの欠席。SNSには例の写真が出回り、クラスメイトたちは陰で囁いている。

  「あの写真、本当に玲奈だったのかな」

  「まさか本当に牛になりたかったとか?」

  「獣人ってやっぱり違うんだよ」

  美咲は満足そうに笑みを浮かべながら、スマホをいじっている。「昨日は疲れたー」と友達に言いながら、あくびをする姿。明日香は心配そうに玲奈の連絡先を確認するが、メッセージは既読にならず、電話にも出ない。

  「玲奈、どうしたんだろう…」

  放課後、明日香は玲奈の自宅へと向かった。アパートの一室。チャイムを鳴らすと、しばらくして疲れた表情の中年男性が出てきた。玲奈の父だ。

  「あの、玲奈さんのお父さんですか?私、クラスメイトの明日香と申します。玲奈が学校に来ていなくて、心配で…」

  「玲奈は…昨日、友達の家に泊まると言ったきり、帰ってこないんだ」

  男性は困惑した表情で明日香を見つめた。父親の声には不安が滲んでいる。

  「警察には連絡したんですか?」

  「したよ。でも、獣人の失踪はあまり真剣に扱ってもらえなくてね…。もし何か知っていたら、教えてほしい」

  父親の目には深い悲しみが浮かんでいた。明日香は首を振った。

  「すみません、私も何も…」

  「玲奈に…何かあったのかな?学校で何か?」

  別れ際、父親は明日香に尋ねた。明日香は言葉に詰まった。あのSNSの写真のこと、玲奈がいじめられていたこと。しかし彼女はただ、「わかりません」と答えるしかなかった。

  父親の疲れた背中を見送りながら、明日香は胸を締め付けられる思いだった。

  ---

  夕方、明日香はスーパーに立ち寄った。晩御飯の材料を買うためだ。肉売り場を通りかかると、特売コーナーに「特選黒毛和獣人・数量限定」の表示があった。

  「黒毛和獣人肉? へぇ、こんなのあるんだ」

  [uploadedimage:21704484]

  明日香は初めて見る商品に興味を持った。トレイには綺麗に並べられた肉片。タン、カルビ、モモ肉…どれも鮮やかなピンク色で、普通の牛肉より少し明るい色合い。値段も手頃で、明日香は迷わずタンとカルビを籠に入れた。

  ---

  沙耶は事務所で深刻な表情でパソコンに向かっていた。画面には「人権放棄申請書」のフォーマットが表示されている。

  「こんなことをするなんて…」

  彼女は躊躇しながらも、フォームに入力を始めた。

  氏名:春日 玲奈

  年齢:17歳

  種族:牛獣人

  申請理由:本人の強い希望により

  偽造書類の日付は、玲奈が消えた前日に設定された。これで、彼女の「処理」は法的に問題のないものとなる。

  「これで…牧場は守られる」

  沙耶の声に、苦い後悔が滲む。美咲が事務所に入ってきた。いつもと変わらない表情で、沙耶に向かって言う。

  「おはようございます。昨日の精肉、無事出荷されましたよ」

  「玲奈は人権放棄していなかったわ」

  沙耶は美咲をじっと見つめた。美咲は一瞬動きを止めたが、すぐに肩をすくめた。

  「そうなんですか?でも、もう遅いですよね」

  「あなた、人を殺したのよ」

  「殺してません。処理しただけです。それに…」

  その冷淡な反応に、沙耶は怒りを覚えた。美咲は窓の外を見ながら続けた。

  「あいつ、自分から牛になりたがってたじゃないですか。SNSの写真、見ました? 結局、獣人は動物なんです」

  「…あなたにはわからないでしょうね」

  沙耶は反論できなかった。確かに自分も、玲奈の願望に付き合い、実験のように彼女を「牛」として扱ってきた。

  沙耶はため息をつき、偽造した申請書を印刷した。

  「もう終わったことです。次の仕事に行きましょう」

  美咲は何も感じていないかのように、事務所を出ていった。

  ---

  明日香の家では、夕食の準備が進んでいた。

  「黒毛和獣人肉って、初めて食べるな」

  明日香は好奇心を持って、買ってきた肉を焼き始めた。タンは薄くスライスされ、カルビは適度な脂が乗っている。普通の牛肉とほとんど変わらない見た目だが、焼くと独特の甘い香りが漂う。

  「いただきます」

  最初に口にしたのはタン。柔らかく、舌の上で溶けるような食感。

  「美味しい…」

  次にカルビ。ジューシーで、普通の牛肉より甘みがある。明日香は満足げに食事を続けた。

  「玲奈に教えてあげようかな。こんな美味しい肉があるって」

  ---

  深夜、美咲は自分の部屋でSNSを眺めていた。玲奈の写真に対するコメントは増え続け、クラスメイトたちの間で話題になっている。

  「玲奈ってマジで人権放棄したの?」

  「学校に来なくなったってマジ?」

  「怖すぎ…獣人ってやっぱ人間じゃないんだな」

  美咲はそれらを無表情で読み進める。彼女は写真を拡大した。飼料を食べる玲奈の姿。あの時、彼女の目に浮かんでいた恍惚感。

  「結局、獣人は動物なんだよね」

  美咲は満足げに笑みを浮かべ、スマホを閉じた。

  ---

  数日後、玲奈の父親は警察から連絡を受けた。

  「春日さん、お嬢さんの人権放棄申請書が見つかりました。法的には…もう彼女を捜索する必要はありません」

  「そんな…玲奈が…」

  警察官が差し出した書類には、確かに玲奈のサインがあった。偽造されたものだとは、誰にもわからない。父親は言葉を失った。真奈と同じ道を、玲奈も選んだのか。

  父親の目から涙があふれる。警察官は形式的な言葉をかけるだけで、それ以上の捜索は行われないことを告げた。

  家に戻った父親は、玲奈の部屋に入り、彼女の持ち物に囲まれて座り込んだ。机の上には学校の教科書、壁には好きなバンドのポスター。普通の女子高生の部屋。

  「なぜだ…なぜお前まで…」

  父親の問いかけに、答えはない。ただ静寂だけが部屋に満ちていた。玲奈のノートを開くと、最後のページに書かれた言葉が目に入った。

  『私は今、二つの世界を生きている。日中は「玲奈」という人間の女子高生。夕方からは「玲奈」という名前のない牛。どちらが本当の私なのだろう?』

  「玲奈…なんで……」

  父親は震える手でノートを胸に抱きしめた。その問いかけは、もう届かない。玲奈は既に精肉され、無数の食卓に散らばっていた。彼女の存在は、ただの「栄養素」となり、消費されてしまった。

  ---

  一ヶ月後、学校では玲奈の席は新しい転校生のものになっていた。彼女の不在を気にする声も次第に消え、日常は何事もなかったかのように続いていく。

  美咲は相変わらず人気者で、SNSには次々と新しい投稿を上げている。玲奈の写真は、過去の投稿の中に埋もれていった。

  牧場では、沙耶が通常業務に戻っていた。玲奈のことは誰も口にしない。彼女の存在は、まるで最初からなかったかのように消えてしまった。

  明日香は時々、スーパーで黒毛和獣人肉を買うようになった。「美味しいから」という単純な理由で。

  玲奈は、誰にも語られることなく、ただ静かに消えてしまった。

  【おわり】