ティンカス! サービス終了のお知らせ
平素より本プラネットをご愛顧いただきありがとうございます。本プラネットはおよそ3600年間のサービス提供を行って参りましたが、この度2022年6月5日日没を持ちまして、サービス提供を終了させて頂くことになりました。
サービス開始より、安定したサービス提供ができるよう尽力して参りましたが、設備の経年劣化などにより、環境の悪化、気候の不順など、従来通りのクオリティを維持することが困難となりました。
このままではご利用者さまに却ってご迷惑になるという判断もあり、この度サービスを終了させて頂くことに決定いたしました。
長年ご愛顧いただいたご利用者さまには心より厚く、厚く御礼申し上げるとともに、このような決定に至りましたこと、深く深くお詫び申し上げます。
サービス終了につきましては、以下のご利用者特典をご用意いたしました。最後のご奉仕になりますが、ぜひご活用くださいますようお願い申し上げます。
・マンスレイブ1体のお持ち帰り(1アカウント1体まで)
・アクティニディアポリガマ256パケット
・現在所有のチュール(6月4日購入分まで)
・ご愛用のトイ3点まで(マンスレイブに持たせてください)
・紅マグロ1尾をプレゼント(サ終後に配布されます)
以上
「どう思います?」
エンドウリョウコがのぞき込むようにして聞いてくるが、どう判断していいものやら。距離が近くてドギマギしてしまうが、こちらから近寄ったわけではないのでセクハラには該当しないはずだ。
「なんかのイベントのものじゃないのかな」
「でも市内のあちこちに貼られていて、こんなにあるんですよ」
エンドウはまあまあな数のハリガミをぐいと押し出す。
「剥がしてきちゃったの? もし企業のイベントだったら怒られるよ?」
「わたしが剥がしたんじゃありません。市民の人が持ってきたんです。広報課も総務課も心当たりがないって言うし、市警に問い合わせてもハリガミに関する申請は出ていないそうです。民間人のイタズラとかユーチューバーのイタズラとかでしょうか。課長はどう思います?」
「どうって言われてもなあ」
身長差のせいでどうしてもエンドウは俺に上目遣いになる。彼女の性格のせいかなにかにつけ押しが強いので、俺は少し引き気味になってしまう。ハリガミの内容自体は、ソシャゲかなにかのサービス終了を告知するもののようだ。先日も長年プレイしてきた『ロックンアイドルパーティハッスルオンライン』通称ロッスルがサービス終了になり、最終日にVRお別れコンサートが行われ、妻が眠りについたあとひとり夜中にリビングで号泣したところだ。目撃者はミケ(8歳メス)とランジェロ(3歳メス)だけだ。しかし、ハリガミで告知っていうのは少々妙ちくりんな話である。どこにでもありそうなコピー用紙(新グリーン購入法適合)にレーザープリンターで刷ってある。目を近づけてみたが、これはトナーだ。インクジェットではない。一般家庭でイタズラ目的で刷られたものではなく、それなりの会社組織で刷られたものと推察できる。コンビニ複合機の可能性はあるが、多くのコンビニ複合機は新グリーン購入法適合の用紙を使ったりしない。新グリーン購入法適合の用紙は、この近隣では市役所の本所か支所でしか使われていない。書体は見たところMSゴシックであろうと思うから、一般的なPCから出力されているのは間違いないだろう。うむ。わからん。
「これだけではなにもわからないよ」
「ですよね」
エンドウも俺の答えに納得はしてないが、考えるのを諦めたように表情を緩めた。そういうふわっとした表情は確かにかわいらしいな。若手職員男子がみんな彼女を狙っているという噂は理解できる。
「あれ?」
「どうした?」
「これQRコードでしょうか」
「QR?」
文章の下にQRコードがある。ああ、そういうものがあるならアクセスしてみればいいじゃないか。気づかなかった。
「アクセスしてみた?」
「あ、いえ、今気づいたので」
「俺も気づかなかった。人間の目なんていい加減なもんだな」
「ですねー」
エンドウはポケットからスマホを取り出して、QRコードを読み取った。
「んー。どこかのURLになってますね」
「まあそうだろうな。危ないかな?」
「フィッシングサイトとかに飛ばされますかね。まあ支給のスマホなんでいいです」
「よくはないだろう」
「わたしはいいです」
あっ、と思ったらすでにアクセスするボタンをタップしていた。本当に思い切りのいい性格だな。ちょっと怖いよ。横からのぞき込んでいると、TINCUS!!というロゴが表示され、その下に「カスタマーセンターを呼び出す」というボタンが出てきた。
「とりあえず押します」
「あ、え、押すなよ」
「まずかったですかね」
「いや、もう少し慎重に……」
画面はブラックアウトして反応しなくなった。ちょっと不穏な気配があるが、どうだろう。経験上このあと数十万円の請求をするぞ払わないと訴えるぞという脅し文句が赤い文字で並ぶんだが、どうだろう。内線が鳴った。スマホを俺に渡して、エンドウが出る。
「はい、いまやる課です」
スマホは完全に沈黙していて、何も表示されなかった。電源ボタンを長押ししてみるがまったく反応がない。悪質なハッカーサイトだったのだろうか。俺は始末書の書式を思い浮かべ、何を書くべきか考えはじめた。
「課長」
前にウィルス喰らったときは情報課にめちゃくちゃなじられたからなあ。まためんどうなことになるよなあ。エンドウに行かせるかな。いや結局俺も呼ばれるよなあ。まいったなあ。
「サヤマ課長!」
「あ、はい、はい? なに?」
「受付に誰か来ているそうです」
「誰か?」
「行きましょう」
エンドウに腕を引かれるままに、俺は庁舎玄関ホールへ向かった。
俺は引っ張られるままに階段を上がり、地上フロアに出た。玄関ホールはいつもより人が多く、みんな大型スクリーンを見ていた。受付にはエンドウと同期の総務課員がいて、こちらに手を降っていた。
「お待たせしました」
「あの、こちらの方が、呼ばれてきたとおっしゃるのですが」
こちらの方と平手を差し出されたのは、シルクハットの下からウェーブのかかった黒髪がはみ出し、下に伸びるあごひげと、横に伸びる口ひげを生やした、丸サングラスの男だった。黒い礼服にマントを羽織っている。そろそろ夏日も珍しくない時期に暑苦しい服装だが、本人は涼しげに、軽くお辞儀をして言った。
「お問い合わせいただいたお客様は、どちら?」
「客?」
「あ、はいはい、たぶんわたしです」
エンドウが手を上げてぴょんぴょん跳んだ。
「は? あなたではないでしょう」
「え、でもこのQR読んでボタン押しましたよ」
「あああ! あなたこんなに剥がして、どうしてくれるんですか」
シルクハットの男は、エンドウの持つ剥がしたハリガミの束を奪い取ると、数を数えた。
「28枚も剥がしてしまうなんて」
「わたしが剥がしたんではないです。市民の方が持ってきたのを集めただけですよ」
「うーむ。仕方ない。それで、わたしのお客様はどちら?」
シルクハットは鼻をひくひくさせて周囲を見回した。
「お客様というのは?」
「ええと、お名前が……リチョーさまですね。いらっしゃらない?」
リチョーというのは、覚えがある。うちの課で世話をしていた野良猫だ。長いこと事務所で飼っていたが、半年ほど前に死んだ。とくにかわいがっていたエンドウはリチョーの死後一週間有給を取った。
「え……リチョーをなんであなたが知っているの?」
「ユーザー登録がありますので」
「……リチョー……」
ええい、めんどくさい。
「ちょっと詳しくお話きかせてもらえますか?」
俺はシルクハット男の腕を引いて、少しエンドウから離れた。
「何が起きてるんです?」
「サ終ですよ。そこに書いてあるとおりです」
まったく要領を得ない。
「それで、ボタンを押したのはそこのメスですか?」
「メスってあんたねえ」
「どうなんです?」
「まあ、そうですよ。彼女が押してました」
俺はエンドウがハングさせたスマホを見せた。シルクハットの無礼な男は、首を傾けながらスマホをのぞき込む。
「なるほど。じゃあ特に用があったわけではないのですね」
「なくはない。勝手に公共施設にハリガミをされたら困るんだ」
「わたしは別に困りません。誰が困ってるんです?」
確かに危険物ではないし、往来を妨げるものではないし、強いて言えば美観を損ねるとかそんな程度だろう。だがしかし、市民から苦情が来ているのは事実だ。我々は公務員。市民の下僕として、理不尽や不条理へ立ち向かわねばならない。
「市民には、秩序を重んじる人々も多い。無許可の文書を掲示すること自体が重大なルール違反であり、改善すべき事案であると考えます。撤去していただけますね」
あー、と妙な声を上げてシルクハットは帽子を深くかぶり直した。
「わかりました、では上の方を呼んでいただけますか?」
「え、上の?」
「部長さんでも、助役さんでも」
いまやる課は市長直轄の部署なので、俺の上役は市長本人だ。年に数回しか会わないが、一応そういうことになっている。要は市長が話題作りのために設立して、あとは放置されている雑用係が俺たちだ。
「上役はまあ、どうかな。庁舎にいるかな?」
受付の上の在庁表示版板を見上げると、一番上の市長欄は在庁を示す緑ランプになっていた。いるのか。めんどくせえなあ。俺の目線に気づいてシルクハットも受付の後ろの壁を見上げた。
「なるほど。いらっしゃるわけですね」
では、と言って、シルクハットはスタスタとエレベーターに乗り、最上階へ行ってしまった。一緒に行くべきだったのかもしれないが、これ以上ややこしいことになるのは気が進まない。それよりさめざめと泣いているエンドウをどうにかしてやらないといけない。受付の同期が心配して肩を抱いているが、事情はわかるまい。
「おい、エンドウ。とりあえず泣くのはよせ」
「あ、はい」
エンドウは同期からハンカチをもらって涙を拭った。しばらくするとエンドウの嗚咽は収まって、呼吸も安定してきた。とりあえず今日は帰して休ませるべきだろう。チラシのことは正直どうでもよくなった。実害があるわけでもないことに気づいたからだ。
にわかに奥の方が騒々しくなったので、人だかりの隙間からのぞき込むと、大型スクリーンに市長が大写しになっていた。会見? エンドウと受付も隣にやってきてのぞき込んだ。市長は彼女にできる最高に深刻な顔をして、極めて重要な情報を我々にもたらした。
「市民のみなさまに、お知らせすることがあります」
この世界の正体について、市長が告白したとき、その背後には例のシルクハットの男がいた。あの男はカスタマーセンターの係員だという。そして彼らにとっての唯一のカスタマーは、人間ではなく猫だ。この惑星は、猫たちが快適に暮らすための会員制クラブのようなもので、それ以外の生き物はすべて備品に過ぎなかった。我々人類もそのひとつである。正式にはマンスレイブと呼ばれる存在だ。マンスレイブとは月イチ開催の音楽イベントなどではなく、人型の雑用装置という意味だったのである。そしてその惑星ぐるみのサービスが、このところの異常気象などを理由に継続は困難と判断されたというのが例のハリガミである。あれは我々マンスレイブに向けたものではなく、正式なカスタマーであらせられるところのお猫様に向けられたものだったのだ。世界は即座にパニックに陥った。なにしろ猫一匹につきマンスレイブ一人しかこの星を脱出できないのだから、そうなるともう猫争奪戦である。WHOによると、いわゆる飼い猫は世界中に6億匹。野良猫や山猫、ギリギリ猫科すべてを含んでも、15億程度だろうと言われている。人類は90億。残りの75億のマンスレイブは、6月5日でお払い箱になるということだ。
首都との境界線が封鎖されたのは、市長の発表があってから約3時間後だ。その間世界中の指導者が入れ替わり立ち替わりそれぞれに深刻な表情をつくり、事実上の死刑宣告を各国民にぶつけていた。そして各国首脳はすべからく猫を飼っていた。なるほどそういうことだったのか、と今になって思えば、やつらはみんなこの世界の仕組みを正しく把握していたのである。そして、首都は住民1000万人に対して、実に1200万匹の飼い猫を保有していたことが、農林水産省の調査で明らかになったが、その報道が流れたとき、すでにすべての境界は首都防衛軍によって完全に封鎖されており、ネズミ一匹首都に入り込めなくなっていた。
俺もすぐに自宅に走った。うちにも猫はいる。ミケとランジェロだ。そうだ。うちには猫がいる。二匹いるのだ。玄関には鍵がかかっておらず、見知らぬ靴があり、中に入ると猫の気配も人の気配もなかった。遅かったか。キッチンには置き手紙があった。
『シュウジ様 さようなら、お元気で』
妻の字で、別れの言葉が書かれていた。白々しい。ミケたちのおもちゃも買い置きのチュールもなくなっていた。ランジェロはいるかもしれないと戻ってみたが、悪い方の予測が当たった。玄関には俺のものではない大きな靴があったわけで、それはやはりそういうことなのだろう。
猫たちも妻も、いたはずの間男もいないのであれば答えはひとつしかない。最終日を待たずしてログ・アウトしたのだ。ここではないどこか、本来いるべき場所に帰って、ミケとランジェロは、妻と間男をマンスレイブとして使役して、恒久の時間を生きるのだ。
果たしてそれは妻らにとって幸福なことなのか。俺にはわからない。かといって、このままこの廃惑星と運命を共にするのも楽しくはない。なんとかフリーの猫を探して、未来に賭けよう。
さて、猫はどこにいるのか。野良猫はいまやる課時代にずいぶんと処分した、いや、面倒をみた。そういうメンタルにクる仕事は、だいたい俺の課に回ってくる。挙句の果てには保健所行きを断固拒否したエンドウがダダをこねて、課でリチョーを飼うことになったのだ。その後は、猫案件はエンドウ以外の課員と出向くことになったので、課の飼い猫が増えることはなかったが、俺達はだいぶ猫に恨みを買っていたことだろう。そんな感じでいまやる課が活躍したせいで、残念ながらこの市には、地域猫というものがほとんどいない。試しに保健所に行ってみたが、すでにもぬけの殻。猫の子一匹いやしなかった。心当たりのあるペットショップ、ブリーダー宅も回ったが、どこもすでにログ・アウト済みで、誰もいなかった。猫科ならいいのかと、市営動物園に行ってみたが、虎もジャガーもチーターもリンクスも山猫もすでにいなかった。いないということは、やつらもログ・アウトできる存在だったということか。それ以外の動物はいつものように餌を食って、のんびり過ごしていた。こいつらは俺たちマンスレイブと同じく惑星の備品だ。猫の世話は何もできないから、連れて行かれはしないのだろう。市長は放送後すぐに市の救急ヘリを私用して、自宅に戻り、それっきり誰も姿を見ていない。愛猫と共に速攻でログ・アウトしたのだろう。
大きな赤い橋を渡ったところで、クルマの燃料が尽きた。もう乗り捨てて歩くしかない。猫不足による暴動も起こって、いよいよ危なくなってきた市街地から逃げ出して、山の方まできたが、正直、猫のアテなどない。市街より山際の方が、まだ野良猫か山猫とのエンカウント率が高いのではないかと期待してやってきたのだが、こんなに鬱蒼と茂った初夏の山で、そんな小動物が都合よく見つかるわけもない。せめてエサでもあれば。そうだ、確かダッシュボードに……
「あった」
以前捕獲に使っていたチュールが三本残っていた。これをうまく使って、フリー猫をおびき出して、頼み込んで専属のマンスレイブにしてもらって、この惑星を脱出する。それが俺が唯一生き延びられる道だ。
橋から川沿いの道を上流へ歩く。以前来たことがあるから、少しは土地鑑がある。多くは植林による針葉樹林だが、崖の上下や川縁は低木の雑木林。そしてところどころに竹林が混在している。小動物がひっそり暮らすには都合がいい土地だ。こんなところは市職員でもうちの課員ぐらいしか知らない。
カーブを抜けたところで、前方に人影が見えた。まずい、誰かいる。慌てて路肩に身を寄せた。
おそるおそるコンクリート壁からのぞき込むと、女のようだ。見たことがある。
「おい、エンドウ」
女はビクッとして飛び上がると、跳ねるように路肩の草むらに飛び込んだ。
「待て待て。俺だ俺だ」
「あ、課長〜」
草むらからガサガサと少し前まで部下だった女が、のそのそと近寄ってきた。
「無事だったか」
「ええ、まあわたしは大丈夫です。課長こそ、家でログ・アウトしなかったんですか?」
「あ、家には帰ったんだが、時すでに遅しで誰もいなかった。猫もいなかった」
「ええ、あ、ごめんなさい。そんなことになっているとは」何かを察したようだ。
「エンドウはどうしてここに?」
「わたしは単に最後はあの子のそばでと思って」
「あの子?」
「あ、リチョーのお墓がその先にあるんで」
「え、そうなの? いつの間に」
「祖父の竹林があるんですよ。わたしが相続しました」
「へえ」
相続とか土地所有とか聞いても、まったく心に響かなくなったのがわかる。この惑星自体が、今までも思っていたのとはだいぶ有り様が異なるからだろうか。どんなに巨大な土地を保有していたとしても、所詮は人類皆猫の世話係でしかなかったのだ。虚しいことだ。
「あ、そうだ。これを」
俺はポケットに忍ばせていたチュールを一つエンドウに手渡した。
「え、いいんですかこんなの」
「まあ、ほんの気持ちだよ。俺もリチョーを知らないわけじゃないし」
「ありがとうございます! きっと喜ぶ」
まあ猫なら誰でも喜ぶだろう。それがチュールだ。
エンドウの言う通り、少し坂を上っていくと大きな竹林が見えてきた。春先はたけのこも美味しんですよと、エンドウはいうが、それならもっと早く教えてほしかった。もっともアラフォーのおっさんを、まだ20代のうら若き乙女が竹林デートなどに誘うはずがない。猫騒動がなければ、こうして二人でこんな山奥に来ようはずもないのだ。
「そこです」
エンドウが指し示すところには、果たして小さいながらもきちんと手入れがされた祠が据え付けてあった。石造りのものを想像していたので木造は意外ではあったが、猫鎮魂のための設備としては十分すぎるものだった。
「リチョー、会いに来たよー」
エンドウはチュールの縁を切って、祠の手前のくぼみに供えた。こうしておくと、猫の魂がチュールを夢中で舐めるのだそうだ。
エンドウがリチョーを拝むのに合わせて、俺も手を合わせる。彼女ほどではないが、俺も猫を飼う身として、それなりにリチョーが好きだった。ただ、課のオフィスが地下だったのが、リチョーにとっては不幸なことだったのだ。なんとかいう聞き慣れない名前の病気にかかり、課員のカンパで集めた治療費をもってしても、彼の命を救うことはできなかった。猫は死ぬと尻尾が増えて、人の目には見えなくなるということだが、それはどうなんだろう。ソシャゲ的には、2周めプレイで、インビジブルモードがついた、みたいなことなんだろうか。そしたらリチョーの魂は、まだこの辺に漂っているのではないのか。ふと、なにかいるような気がして、竹林が風に揺れる音が気になった。声? のようなものが、聞こえるような気がする。声か。なんだろう。言葉にも聞こえる?
「……エ…ンサ…ン」
エンさん? エンドウさん? エンドウを呼ぶ声だと? 誰だ。
「え、その声は、リチョーではないの?」
「エンサン!」
竹林の奥から巨大な虎が飛び出してきた。たまげた。
エンドウの襟をひっぱって回避しようと思ったが、彼女は虎に飛びかかられて、地面に押し倒された。下手したら即死! 俺が慌てて駆け寄ると、虎はエンドウの顔をペロペロと舐めていた。
「ああ、待って待って。こっちにして」
エンドウは祠に手を伸ばしてチュールを取り、自分を押し倒している猛獣の鼻先にに差し出した。人間の倍はある猛獣が、とんでもない勢いでチュールを舐める。押し倒されている女は、それを愛おしそうに眺めている。
「エンドウ、どうなっている? なんだこの虎」
「はい、この子はリチョーです。わたしにはわかります」
ああ、そうなんだ。もうどうもでいいな。
ひと通りチュールを舐め尽くすと、尻尾が二本ある虎はこちらを向いて座った。エンドウも身体を起こして、二人は向かい合った。
「リチョー、ここもうサ終なの知ってる?」
「え、そうなの?」
エンドウがポケットから小さく折りたたんだハリガミを取り出してリチョーに見せた。
「ああ、ほんとだ。なんだよレベル2になったばかりなのに」
「リチョーどうするの?」
「あーとりあえずログ・アウトするよ」
虎がしゃべっているが、不思議と違和感はない。猫もそのうちしゃべるだろう。ハリガミをゆっくり読んでいた虎は特典欄でなにかに気づいたようだ。
「あ、マンスレイブを連れ出せるのか。……エンサン、一緒に来る?」
「行くぅ」
エンドウはリチョーの逞しい虎ボディにしがみついた。なんというか、これもまた愛の形なのだろうか。
「よかったなエンドウ」
「ありがとうございます。というかごめんなさいわたしだけ」
「気にするな」
エンドウとリチョーは虹色の光に包まれ、ログ・アウトした。光が消えると竹林には俺だけが残された。なんとなくもう、気持ちは満たされた気がして、なんだかこんな寂しい山中で、孤独に包まれて地球最後の日を迎えるのも嫌だったので、街へ戻ることにした。
猫のいない街では、人々は欲望に身を任せ、快楽に身を焦がし、荒れるがままに荒れていた。それでもサ終前日になると、小競り合いの音すら聞こえなくなり、みんな一様に、神妙な面持ちで、じっと数歩先の足元を眺めている。なんとなく、猫がいないからか、やることもやりたいことも思いつかないように思う。やはりそもそも我々は、滞りなく猫のお世話をするためだけの存在だったのだ。このことは俺たちが自らの存在を持って、明白であることを証明した。つまりもう、俺達は用済みのお払い箱だということだ。
俺は市長室で市長の椅子に座って、西の空を眺めていた。もうすぐあの山と山の間に陽が落ちる。窓のないいまやる課では何も見えなかったが、主不在のこの天守なら、好きなだけあの美しい太陽を眺めることできる。偽物の大地を照らすあの太陽は本物だろうか。
少し気になることがあったので、俺は、ポケットからクシャクシャになったハリガミを出して、QRコードを取り込んでURLに繋いだ。HTTPに乗って、HTMLデータが戻ってくる。スマホのブラウザがCSSを読み込んで、製作者の意図通りの画面を構成する。これを瞬時にやってのけて、俺のスマホにあいつを呼び出すボタンが表示された。もちろん押す。しばし待つ。
「どうかしましたか?」
不意にシルクハット男が現れる。
「ちょっと聞きたいことがあって」
「なんでしょう。もうサ終間近で忙しいんですが」
「この星に猫は残っているか?」
「もうみんなログ・アウトしましたよ。本当はいますぐサーバーを落としてもいいんですけどね」
俺たちはどうなるんだ?
「どうもこうもないです。ただ機能を停止するだけです」
そうなのか。消えてなくなるとかはないのかな。
「そのうちまた誰かが同じようなビジネスをやりたい場合に、ここを使うかもしれませんし、そこは上層部にしかわかりません。わたしはただのAdminですから」
こういう星は他にもあるのか?
「もちろん」
ヒトがカスタマーの星もある?
「ありますよ」
どんなところなんだろう。
「ここと大差ないですよ」
そうなんだ。それはなんだかつまらないな。夕陽が稜線にさしかかった。急激に市長室が赤く染まる。光が絞られていく。
「ではそろそろ、おやすみなさい」
シルクハットが暗闇に消えた。
そうして人類は永遠の眠りについた。