『プロローグ』

  三月、卒業の季節。

  少し早めの桜が咲き、学校の出入り口に桜が舞う。厚手の長袖の制服が少し暑いと思いながらも、冬の寒さが消えてきて、うれしく思うところもある。

  しかしながら、卒業式だ。

  お日柄もよく、卒業日和としてこれ以上はないだろうという天気をしている。温かく、のどかで、なんとなく、スズメやらも喜んでいるように見える。

  しかしながら、卒業式である。

  授業もほとんどが終わりを迎え、学年末の試験に向けて、自習の授業もそこそこある。もはや学校に行く必要があるのか疑いたくもなるものだが、家にいてもどうせ勉強するはずもないので、なんだかんだ都合がよかったりする。

  しかしながら、卒業式である。

  毎日そこそこな量の教科書やらノートやらを背負って登下校するため、なんだかんだ結構疲れるのだが、この季節になってくると鞄の中身も次第に減っていく。今日にいたっては、筆記具とスケッチブックしか持ってきていない。今日と昨日は、日程が特殊なこともあり、ほとんど荷物を持ってくることなく登下校できて、気持ち楽である。なんなら手ぶらの者もいる。

  しかしながら、卒業式である。

  そろそろしつこいと思われそうだが、再度言っておく。今日は卒業式なのである。

  部活動をやっていないため、特に上級生とのかかわりがあるわけでもなく、どこの誰なのか知らない人のために、約二時間、椅子に座らせられる。

  と言っても、さすがに元生徒会長や、近所に住んでる男、よく遅刻ギリギリでダッシュしてる女など、見たことある程度の人ならそこそこいる。

  だが、根本的に知らない人だ。誰だお前らは。お前らから見ても、俺が誰なのか分かったものじゃないだろう。

  そんな風に、知らない人が知らない人を送り出す卒業式という儀式が、たった今行われている。

  正直休んでもよかったのだが、今のところ途切れることなく続いている皆勤賞を逃したくなかった。対して頭がいいわけでもなく、かといってスポーツ万能というわけでもない。ただ、水泳の授業だけはそれなりに一目置かれるぐらいの強みしかない自分。

  三年皆勤賞くらいは取っておきたいと思い、この、なんも面白くない名前をただ読み上げる儀式に参加しているのだ。

  知らない顔が少しづつ、この学校の所属資格が剥奪されているのをぼーっと眺める。高校受験という戦場を乗り切った勇敢な戦士たちの雄姿に、あくびと眠気が止まらない。今ようやく一クラス目の授与が終わるところである。

  一学年三クラスで、一クラス当たり三十人~三十二人で編成されているこの学校。あと二クラス分も呼ばれるのかと思うと、何もしていないのに疲れが出てくる。

  しかしながら、おそらく、来年は自分が呼ばれるのは全体でも後半であることを考えると、後輩たちに申し訳ないと思わなくもない。

  名前、陸奥一重(むつかずしげ)。二年二組、出席番号は三十一番。六月二日生まれ、身長は百六十二センチ、体重は六十二キロ、1クラス目から合わせると、名前を呼ばれるのは六十二番目。ニサンがロクでロク二ジュウニ。身長と体重まで六十二で統一された今、世界で誰より六十二な男である。

  そんな六十二がトレンドなこの男、たった今、六十二番目の卒業生を見送るところであった。

  静かで厳かな音楽が流れる中、ベルトコンベアーのように流れていく卒業生。なんとなく、六十二を眺めて、知らない誰かを送り出して終わる、はずだった。

  しかしその六十二番目の生徒は、一見普通ではなかった。

  「長谷部 燐」

  教師が名を呼び、それに答える女子生徒の声。壇上に登る彼女のことを、皆が見ていた。

  静かで厳かな音楽に混ざって、長谷部という少女が登壇し、証書を受け取って自分の席に戻るまで。その一連が終わるその時まで、さざ波のようなざわめきが起こった。

  切れ長の目に、長い黒髪をまとめて。

  長谷部燐という少女に、皆が釘付けになった。

  その皆の中には当然、一重も含まれていた。

  しかして、こんな風に、長谷部燐という少女の起こしたさざ波もあって、退屈だけではなくなった卒業式は、終わりを迎えた。

  否。この卒業式の日は、もう少しだけ続くのだった。