うめぼし(JMoF2026投稿作品)

  「うめぼしって、どうしてしょっぱいの?」

  子供のころ、顔全体に大袈裟にシワを作りながらそんなことを祖父に訊ねると、祖父はこんな話を聞かせてくれた。

  むかしあるところに男がいた。ある日、男が海の近くを散歩していると不思議な生き物に出会った。姿形は人間のようだが人間ではない。肌は浅黒い鱗に覆われていて、顔は鬼のよう。目は緑色で、頬から鯉のような髭を生やしており、首元はふさふさとした毛並みに覆われている。

  おどろおどろしい見た目だったが、ひもじそうにしていたので男が事情を尋ねると、悪事のために竜宮を追い出されたという。行くあてもないからどうか助けて欲しいと懇願するその生き物に同情し、男は自分の屋敷に住まわせることにした。

  そして何ヶ月かが経った。男はとある美女に一目惚れをする。だが、彼女と結婚するには宝玉を一万個支払わねければならなかった。男は絶望し、病に倒れる。不思議な生き物は懸命に看病するけれども、男はみるみる痩せ衰えていく。遂に死を覚悟した男は、お前と会えたのは前世の縁でとても感謝している。だが、私の命もここまでだと別れの言葉を告げると、生き物は血のように赤い涙を流した——

  「そいつが、このうめぼしなんだべさ」

  祖父はキッパリと言ったものだ。

  大人になってから、うめぼし入りのおにぎりや梅茶漬けを食べるたび、祖父の話が記憶に浮かぶようになった。子どものころの記憶がどんどん薄れるのに反して、祖父のこの話だけは、ますます鮮やかに思い出された。この頃は梅酒を飲んでも思い出すようになった。

  祖父の話が、ラフカディオ・ハーンの『鮫人の恩返し』という怪談にそっくりだということを知ったのはつい最近のことだ。竜宮を追われた鮫人なる者が男と出会い、血の涙を流すまでの経緯は祖父の語った話そのままだ。しかし妙なことがある。

  その怪談と祖父の語った話はところどころ違う。特に謎の生き物の容姿について、ハーンの文章では「墨のように黒い体、鬼のような顔、エメラルドのように緑色の瞳、龍のような髭」とある一方、祖父の話だと「肌は浅黒い鱗に覆われていて、顔は鬼のよう。目は緑色で、頬から鯉のような髭を生やしており、首元はふさふさとした毛並みに覆われている」なのだ。

  これはどういうことなのだろう? 鮫のような人間であれ、人間のような鮫であれ、毛並みなんてものはないはずだ。龍の髭のことを毛並みに喩えたというのも無理がある気がした。では、祖父は何のためにハーンの原典にない描写をわざわざ付け加えたのだろう。

  冗談めかしてハーンの怪談話をアレンジしたのだろうか。けれど、祖父がそんな創作をしたとは思えなかった。記憶に残る祖父は決して安直な嘘を吐く人ではなかった。中国大陸で終戦を迎え、戦後しばらく国鉄の駅員として働いた後に独立して大工になった。実直で素直な人だというのが家族含めての認識だった。

  だから、こんなことを想像せずにはいられないのだ。「人間のようだが人間ではない」生き物に、祖父は本当に出会ったのではないか? だが確かめたくとも、祖父は震災と原発事故の起きるずっと前に亡くなっていた。もっと早く『鮫人の恩返し』の存在に気がついていれば。

  そんなことを考えながら、寒風の下、故郷であるF県I市の某海岸を歩いていた。冬の海岸に人気はなく、打ち付けるような波の音だけが辺りに響く。浜辺特有の塩辛い香りが、またしても祖父のことを思い出させる。

  この海岸でも、震災の月命日である11日に併せて長年行方不明者の捜索が行われていた。その際にちょっとした騒ぎが持ち上がっていたのを、つい最近知った。当時のF民報の記事によれば、I市の海岸の至るところにうめぼしが大量に不法投棄されていたという。I市内では同様の不法投棄が相次いでおり、何者かによる迷惑行為と見て、警察は詳しい事情を調べている——とあったが、それ以来続報はなかった。

  そんなニュースがあったのはコロナ禍より前のことで、家族や知人にも謎めいたうめぼしのことを覚えている人はなかった。震災の翌年に上京して以来、地元のことから目を逸らして生きてきた自分が今になって浅ましい。

  小石に蹴躓いたと思って見下ろす。すると、そこに真っ赤なうめぼしが転がっているのに気づいた。拾い上げると、大粒でシワシワとしていたうめぼしだ。

  砂を払い落とし、そのうめぼしを口に含んでいた。そうしなければいけないような気がした。うめぼしは、涙のようにしょっぱかった。

  「すみません、そこの人」

  誰かの声に驚いて辺りを見渡すと波打ち際に黒い影が横たわっていた。近寄るとそれは人間のようで人間でなく、その肌は浅黒い鱗に覆われていて、顔は鬼のよう。目は緑色で、頬から鯉のような髭を生やしており、首元はふさふさとした毛並みに覆われていて……