「今日からお前は自由だ。どこへでも行っていいぞ。」
今日、領主様から言い渡されたのはいつもの罵声や気持ち悪いやらしい声ではなく、そんな言葉だった。
彼は亜人だ。といっても何世代前かが獣人だっただけでもう彼には頭の耳の形質と、少し人間より体が強くて頑丈になったくらいの違いしか残っていない。
亜人は人間から差別されてきた歴史があり、今も残念ながらこの国ではその観念が根強く残っている。
亜人は亜人同士で集落を形成し細々と暮らしているのだが、そこに賊が押し入って強盗、殺人、人身売買などが行われるケースも珍しくはなかった。
この少年も、一年前住んでいた村を襲われ、家族とは離ればなれになりこの領主の元へと買われた身であった。
領主は小悪党という言葉がよく似合う小太りの男性であり、奴隷を多く買ってはその身の奉仕や屋敷の掃除や激しい肉体労働をさせていた。
少年もこの領主の元で一年間、時には暴行を受け、性的なこともされたが、いつか家族のもとへ帰ることを夢見てこの仕打ちに堪え忍んできた。
しかし、今朝領主に呼び出されて言い渡された言葉は実に呆気なく少年の自由を許すものだった。
少年もあまりの唐突さに狼狽える。
「どうした?自由になるのだぞ?それともず~っとワシの所にいたいか…?」
にやぁとした笑みに、今までの仕打ちを思い出して背筋からぞくっとした寒気が走る。少年は必死に首を振って、自由になることを受け入れた。
「しかし、自由になったからといって亜人がワシの町をうろつくのは許されん。裏の森から近くの集落まで歩いていくとよい。」
裏の森。少年は肉体労働で木を切りに何回も行ったことはあったが、いつも屋敷の近くのみで森の端までは行ったことがない。屋敷の使用人達が森が相当広いことや魔物が彷徨いている、という噂話をしているのを聞いてしまったことがあった。
しかし、少年の自由への渇望、そして家族に会いたいという気持ちは抑えられず、その条件でも自由を選んだ。
ペコッと礼をして早速屋敷を出ていこうとすると、領主が引き留める。
「待て待て、少しまじないをしてやろう。」
領主が手をあげると奥から魔術師が姿を表した。そして、少年の背中に手を当てるとポウッと鈍く光った。
「安全祈願程度だが。ワシの好意に感謝せよ。」
少年はまた深々と頭を下げると、今度こそ屋敷を出ていった。
「自由だ………!ほんとに自由なんだ………!!」
西の門を抜けると、森の中に入り、深呼吸する。あの領主の元へ帰らなくていいと言うだけで体が軽い。いくら森が広いと言えども亜人の体力があればどこまでも歩いていける気がした。
「まずは森を抜けて、亜人の集落を見つけよう…!もしかしたらそこに家族がいるかも…!」
希望に満ちた声で森の奥へと歩き出していった。
数時間歩くと、草木が鬱蒼としてきた。人の手が入っていない森の中は少年の体格では歩きにくく体力も奪われる。
それでも歩みを止めなかったのは家族に会いたいという気持ちが原動力になっているからであろう。
しかし、いくら歩き続けても変わり映えしない木と草だらけの風景が続く。
「はぁ……、どこまで続くんだろ…この森……。」
今自分がどこら辺にいるのかも分からない。方向が合っているのかも分からない。少しずつ、それでいて着々と不安が少年の心を蝕んできていた。
そんなとき、ガサッと少年の側方で音がして、反射的にその方向を向いた。
『こんなところにこんなガキが一人でどうしたんだぁ?』
少年の目の前に現れたのは、ギロリとした目が特徴的な狼の魔物だった。少年の数倍はある体格で、体表は夜空のような暗い青の毛皮に覆われている。
「こ、こんに、ちは……。ぼ、僕、森を抜けて亜人の集落に行くところで…。」
恐怖で少し上ずった声でとりあえず挨拶をする。無視をして逃げたらそれこそ逆上されて酷いことをされそうだからだ。
『それは大変だなぁ…。亜人の集落まで結構距離があるぞぉ?』
「えっ、あ、亜人の集落の場所を知ってるんですか!?」
魔物の返答から、あるかどうかすら分からなかった集落の存在がほのめかされる。それは少年にとって朗報であり、希望の光であった。
『ん?あぁ、結構遠いがなぁ…たまにそこに狩りに行くんだぁ。』
「借りに……?どのくらいかかりますかね?」
『ん~、ここから半日はかかるなぁ。』
半日。少年にとっては決して近い距離ではなかったが、歩き続ければ集落があると確定したことは大きかった。
「ありがとうございますっ!じゃ、じゃあ、これで……。」
そうと決まれば、早く集落に向かいたい。それに恐ろしいこの魔物から早くはなれたい気持ちもあった。
『ちょっと待ちなぁ。』
ワントーン低い声が一歩歩き出した少年の背中に届く。
『俺も用事があってここへ来たんだぁ。』
「な、何でしょう……?」
魔物が背後に迫り、ポンと少年肩に手を置く。
『俺、腹減って食いもんを探してたんだぁ。そしたら、美味そうな匂いがしてきたもんでなぁ。』
「そ、そ、そ、そうなんですか。み、みつかるとイ、イ、デスネ。」
嫌な予感がしてすぐに立ち去ろうとすると、ぎゅっとお腹を両手で掴むようにして魔物が少年を抱きしめた。
『俺、お前くらいの子どもの肉大好物なんだぁ。』
「ぼ、僕を食べても美味しくなっ………。」
くるっと人形を扱うように、少年を半回転させると向かい合う。少年はギラギラと自分のことを見ている魔物と目があってしまう。
魔物は服の裾から爪をいれると、ビリィ…と鋭利に容易く裁断してしまった。ズボンも同様にしてあっという間に裁断し、少年は何も纏わぬ格好にさせられる。
少年は慌てて恥ずかしい部分を手で隠す。
『そんなこと言ったって。お前、すごい美味そうだぜぇ?久々のご馳走だぁ。』
魔物はすんすんと鼻をならすと、服がなくなり濃くなった香りを嗅ぐ。すると、食欲が刺激されたのかボタボタと止めどなく涎が垂れ始めた。
『美味そうな匂いだぁ、じゃ、さっそく。』
「い、いやだっ!食べないでっ!!助けて!!」
バタバタと両手の中で暴れる少年をにんまりと見つめると、あーん、と大きな口を開ける。少年の目にはぬらぬらと唾液で鈍く光る舌がうねうねと獲物を待ちわびているのが見えた。そして、奥には暗く奈落にも見える喉があり、生臭い風が吹いてくる。
「………やだ。やめて、お願い!」
魔物は耳を貸さず、両手を口の所へ持ってくると、ハンバーガーを食べるかのように大きく頭から頬張った。
(やっぱ、人間は美味ぇなぁ……。)
そのままの体勢で、舌を動かし少年の味を楽しむ。
「くそっ、喰わ、れて、たまるか……!!」
少年は魔物の口を抑えて、自らの体を外へと抜こうとするが、当然魔物の力には敵わない。
時折、牙に力が入ると腰の辺りに浅く刺さり、血がツゥーと流れる。それも舌でなめとると、満足そうに唸り、上を向き始めた。
手を放し、完全に上を向くともう少年の姿は口の端から僅かに足が見えているのみ。バタバタと空を蹴る足は一回ゴクッと音がすると、外からは見えなくなった。
口内でももう腰から上は喉に落ちて姿は見えない。喉の筋肉で肺が圧迫されて息が出来ないのか、より一層足の動きが激しくなる。
もう一度ゴクッと飲み下すと、スルンッと少年の体は喉へと吸い込まれていき、外界からは完全に見えなくなる。
膨らみとしてのみ確認出来るようになったその存在は徐々に食道を下っていき、姿を消した。
僅かに膨らんだように見えるお腹を魔物は満足そうに擦ると、ゲフッと一息はいた。
『ごちそーさんっ。いやぁ、ラッキーだったぜ。こんなうめーもん食えるとなぁ。…っげぷ。』
すりすりと中で暴れる少年を感じながら近くの木にもたれ掛かる。
『へへっ、元気だなぁ。慌てなくてもじっくり溶かしてやるよ。』
そして、だんだんとその抵抗が弱まっていくのを感じながら目を閉じていった。
「……うぇ、何だこの臭い……。くそっ、出せっ!!出して!!やだ、やだよぉ!」
胃袋へと落ちた少年は蒸し暑く息苦しい空間で必死に周りを蹴ったり叩いたりして抵抗する。しかし、この行為はただ貴重な酸素を消費して、胃液の分泌を促す行為でしかないことは少年の知るところではない。
「…嘘…こんなところであいつのうんちになるの……?お母さん、お父さん……、あ、い、たかった……。」
少年は眠るように気絶していき、その後、胃壁が優しく包み込むように食物に対して胃液を塗り込んでいった。
『…………………………!!!?』
魔物はお腹に違和感を感じると目を覚ました。太陽の位置から察するに先程から数時間は経っている。
お腹を見ると、一本、光の線がある方角に向かってピンっと伸びている。
お腹から出ているのかと思って触ると、お腹の表層では自由に動くことからその中、胃袋から出ているものだと勘づく。
『さっきのガキの仕業か?』
もう何にも感じない胃袋の辺りを強めにまさぐると少し小さくなった塊があるのが感じ取れる。この様子だとさすがに死んでいる。何か中から出来るような状態ではない。
前もって仕掛けていたのならば、あんなに食われるときに慌てたりしないだろう。第一、あの少年は確実に魔物に栄養にされてしまっているのだから作戦という線も考えにくい。
あれこれ考えていると、強い力でグンッと線が引かれる。足を踏ん張っても引きずられる。線を切ろうとしても、全く切れない。
そのままさらに強い力で引かれると、その線の方向へと体ごと引き寄せられていった。
『何だぁ!!?どうなってやがる?!?くそっ!!』
時にバキバキと木に体が当たりながら、なお体は引っ張られていく。そして、森が開けるとあの屋敷へと到着して力は弱まっていった。
どてっと倒れる魔物を数人の魔術師が取り囲む。何やら詠唱を始め、一斉に魔物へと魔法を放つ。
『なんだぁ?お前らっ、この、俺にこんなことしやがって……殺してや、る………………。』
魔物は魔法を食らうとパタッと倒れ、寝息をたて始めた。身に浴びた魔法は昏睡魔法。ひとたび食らえば何をされてもしばらく起きることはない。
「やった!今日の釣りは成功だ!見たか?ワシのリールさばき。」
「はい、お見事です。領主様。」
「あの小僧はなかなか良い餌だったなぁ。良いのが釣れたぞっ。」
釣竿というには大きすぎる構造物の操縦席にはあの領主とその執事がいた。その《釣竿》の先端からはあの光の線が伸びていて、魔物の胃袋に繋がっている。
「ったく、悪趣味だよな。あの領主も。」
「しっ、聞こえますよっ!」
「大丈夫だよっ、領主様は今釣れた獲物に夢中だから。」
《釣竿》に近い屋敷の西門。暇そうにしている二人の門番が、釣りの様子を見て雑談をしていた。
「今日は何か釣れたみたいだなぁ。あっちのほうが賑やかだ。」
「……釣り??すみません、俺、配属されたばっかりでよく分からないんですけど。」
「あぁ、お前は始めてか。あの領主様の趣味っていうのがたいそうイカしててな。特注の魔道なんたら釣竿?っていうので魔物を釣るんだよ。」
「魔物を!?どうやって。」
「餌に魔術的な刻印をして森を彷徨かせるんだよ。すると、その餌の匂いに惹かれた魔物がやってきて食べるだろ?魔物の胃で餌が溶けると、刻印が発動してあの《釣竿》と胃袋との間に強い魔法糸が出来るんだよ。あとは普通の釣りと同じさ。」
「餌って……あの、もしかして。」
「あぁ、察しの通り人間だよ。」
「………まさか、今朝出ていったあの礼儀正しい亜人の子ですか!?」
「……………おそらくな。領主様は飽きた奴隷を自由にするとかなんとか言って森に放って釣りを楽しんでんだよ。イカれてるだろ?」
「……許せない。そんなことしていいと思ってるんですか!?」
「じゃあ、お前が領主様に直談判してみるか?やめてください~って。お前、そしたら今度はお前が釣竿の餌になる番だぞ?」
「……………ぅ、ううぅ…………。」
「おい、門番一人こっちにこい。人手がいる。」
「あ~あ、今日は俺らの番か。」
「な、何ですか?」
「お前、捕獲した魔物はどうなると思う?」
「??分かんないです。」
「剥製にして領主のコレクションにするんだよ。」
「うぇぇ…………。」
「その手伝い。ってことだろ。ほら、内蔵とか取り出すから。」
「えっ、俺、嫌ですよっ。そんなの!」
「俺だってやだよ。俺のときはさ~、ヘビみたいな魔物で広げるの大変だったんだよなぁ。ほれ、先輩命令だ~。行ってこ~い。」
「そんなぁ~…………。」
「早く一人来い!!」
「ほら、急かされてるぜ?」
「………ぐっ、分かりましたよぉ………。」
「胃の中身とか見ない方がいいぜ?多分トラウマになるから。てか絶対なる…。」
「中身……?えっ、それって………!!」
「はいはい、さっさと行ってこい。」
「うぅ…………。」
先輩門番に急かされるままにとぼとぼと呼ばれた方へと走っていった。
後日また一つ、領主の部屋には大きな魔物の剥製が増えていたという。