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朝の空気を翼が切り裂く。
街はまだ眠りから覚めきっていない。
始発の路面電車が走り出したばかりの通りを眼下に見ながら、出勤ルートを飛んでいた。高層ビルの合間を縫い、自分で決めた航路に沿って高度を保つ。この時間帯は空いていて飛びやすくて、今日はビル風も穏やかなものだった。
エルナト。それが彼女の名前。
とあるバイオサイエンス社の研究員として、もう何年になるだろうか。
異種族間細胞適合性と、近年発見された始原細胞の応用研究に携わっている。
始原細胞と仮称されているが、発表できる段階になれば、研究へ携わった者たちの名前をつけようと決定されている。非常に長ったらしくなるだろうと、自分がそこに組み込まれるのは不思議な気持ちね、そうエルナトはおもっていた。
「♪ ~♪」
風が黄緑の髪を揺らす。ウェーブのかかった長い髪は、飛行中はときどき邪魔になってしまう。だがこれ以上は短くする気にはなれなかった。
朝。丁寧に梳かす時間が好きだったから。
眼下に務めている建物が見えてきた。
白とガラスを基調にした近代的な外観。
敷地内の緑地帯に設けられた着陸スペースへ、緩やかに降下していく。
翼を広げ、空気を受け止め、速度を緩やかにしながら両足を降ろす。
着地。脚にかかる衝撃を膝で吸収し、畳んだ翼を背中に収める。
「――よし。今日も順調ね」
小さく呟いて、エントランスへ向かった。
自動ドアを抜けると、受付ロビーの冷えた空気が肌を撫でる。
正面の認証ゲートにIDカードをかざした。
『エルナト。研究部第三課。認証完了』
機械的な音声とともにゲートが開く。
いつもの朝。いつもの手順。ルーティーンが心地よかった。
エレベーターで三階へ上がり、ロッカールームに向かう。
女性用の部屋は清潔に保たれている。
淡い芳香剤の香りが漂っていた。
自分のロッカーを開け、私服を脱いでいく。
盗難防止や諸々の観点から、検査をされた服に着替える必要がある。
指定されたブラウス。そしてスカート。エルナトは意外と気に入っていた。
壁に立てかけられている大きめの鏡に映る自分の姿を、何気なく確認した。青い鱗が光を受けて艶めく。太ももの内側、腹部から胸、首にかけての白い肌。この色の対比を綺麗だと言ってくれた者もいたが、自分ではよくわからない。生まれ持っているからかも知れない。
乳首に通したスタッドピアスが、蛍光灯の下で銀色に光った。派手なものは好まない。耳のピアスも同じ、控えめなデザインを選んでいる。飾り気は欲しい。でも目立ちすぎるのは違うような?
そんな結論に至るまで随分と悩んだものだ。
白衣に袖を通す。ボタンを留め、襟元を正す。
背後で、尾が小さく揺れた。意味もなく心が踊った。
ちゃり、と微かな金属音。尾の先端についた金具が鳴る。
手錠を思わせる頑丈な意匠、そこから垂れる短い鎖。我ながら、なぜこれを選んだのか思い出せない。気づいた時にはもう、ずっとつけていた。
「うん。今日も万全ね」
ロッカーを閉め、消毒室へ向かう。
エアシャワーを浴び、手指と爪の間を入念に洗浄し、滅菌済みの手袋を装着する。
研究エリアに入るための、欠かせない準備。不十分であれば、何度でもやり直しだ。
重い扉を抜けると、見慣れた研究室が広がっている。カプセル状の培養装置が低く唸って、分析機器のランプが点滅している。空調の音だけが静かに響く白と銀ばかりの空間にたどり着いた。
「おはようございます、エルナトさん」
声をかけてきたのはカイだった。
緑がかった灰色の鱗を持つ、小柄な後輩。見下さないと視線はあわない。
角は短く、全体的に若さが滲んでいる。入社二年目、真面目で素直な子だ。
「おはよう、カイ。今日も早いね」
「あ、はい。その……エルナトさんこそ、いつも早いですから」
目が合うと、彼は慌てたように視線を逸らした。耳の付け根が赤くなっている。わかりやすい子だと思う。悪い気はしない。
「培養槽の温度は、昨夜から安定していた?」
「はい。ログ確認しましたが、異常なしです」
「ありがとう。後で私もチェックするね」
カイは嬉しそうに頷いて、自分の作業に戻っていった。
デスクに向かう途中、別の視線を感じた。
ゴルド主任だ。茶褐色の鱗に、恰幅のいい体躯。立派に湾曲した角は、年季を感じさせる。管理職としては温厚な部類だろう。ただ――
「やあ、エルナト君。今日も早いね」
「おはようございます、主任」
「うん、うん。いつも感心するよ」
彼の目が一瞬。こちらの胸元を掠めていた。
本人は隠しているつもりなのだろう。気づいていないふりをするのも、もう慣れた。面倒を起こすほどではない。仕事はきちんとしている人だが、妙にいやらしかった。
「始原細胞の培養記録、昨日の分をまとめておきました。ご確認お願いします」
「おお、助かるよ。さすがだね」
それだけ言って、主任は自分の席へ戻っていった。あれで視線に気味悪さがなければ良い人であるのに。
「エルナト、おはよ」
背後から、気の抜けた声。
振り返ると、カーラが欠伸を噛み殺しながら歩いてくるところだった。
淡い紫の鱗。すらりとした長身。銀縁の眼鏡の奥で、眠そうな目が瞬いている。
「おはよう、カーラ。……また夜更かし?」
「んー、ちょっとね。動画見てたら止まらなくなって」
「もう。体調を崩してしまうわよ?」
「大丈夫大丈夫、若いから」
私と同い年のくせに何を言っているの、と呆れ半分、おかしさ半分で肩を竦めた。
カーラとは入社時期が近い。寡黙そうに見えて実は緩い彼女と、真面目すぎるといわれる自分。正反対だからこそ、妙に気が合った。昼食を一緒に取ることも多い。
「今日の予定は?」
「午前中は培養液の交換。午後からデータ整理かな」
「地味だねー。迫力がほしいわねー」
変な物言いに口を緩めてしまった。
「研究なんてそんなものでしょう」
「まあね」
カーラは軽く笑う。
自分のデスクへ向かった。
エルナトも椅子に座り、端末を起動する。
いつもの朝だ。いつもの研究室。いつもの同僚たち。
何も変わらない日常が、今日も始まる――この時はまだ、そう思っていた。
[newpage]
午前十時。エルナトは培養室で作業を進めていた。
始原細胞――数億年前の地層から発見された、驚異的な適合性を持つ古代の細胞。その培養液を新しいものに交換する、カーラの言う地味だが欠かせない作業だった。
棚から試験管を取り出し、内容物を確認する。
淡く濁った液体の中で、始原細胞は静かに浮遊していた。
顕微鏡で見れば活発に分裂を繰り返しているはずだが、肉眼ではただの培養液にしか見えない。強いて言うなら、埃っぽくて薄汚れている。以前はこんな薄汚れはなかったのだが、培養が上手くいっているのは間違いない。
数億年の眠りから目覚めた生命。あらゆる種族の細胞と拒絶反応なく融合し、理論上は無限に分裂を続ける。再生医療への応用が期待される、画期的な発見。
だが、細胞の「意図」までは誰も解明できていなかった。
どうして分裂しているのか、融合が素早く済むのかも。
大昔にどんな役割を持っていたのか、何もかも。
「……ふぅ、順調ね」
エルナトは口を緩ませていた。
交換用の培養液を準備し、試験管を持ち上げた時だった。
わずかな気の緩み。指先がリラックスというより弛緩した。
手が滑った。
一瞬の出来事だった。
指先から試験管が離れ、重力に引かれて落ちていく。
反射的に尾が動いた。長い尾を伸ばし、落下する試験管を受け止めようとする。
ガチャン、と鋭い音に精神まで崩れ落ちてしまいそう。
尾の先端につけた金具。あの鎖付きのアクセサリーに、試験管がぶつかった。
ガラスに亀裂が走るのが見えた。蜘蛛の巣のように広がるヒビ。
「ま、待って」
心では言うが、時間も重力も止まりはしなかった。
尻尾で受け止め損ねた試験管は、そのまま床へ落下した。
割れる音。飛び散るガラス片。内容物もビチャっと広がる。
「っ……!」
培養液が尾の裏側に降りかかった。
尾の内側。白い鱗に覆われた、柔らかな部分。
たっぷりと、始原細胞を含んだ液体が浴びせられた。
エルナトはびっくりとして動きを止めた。生暖かく濡れた感触。
背筋を冷たいものが走る。しかし、すぐに訓練された思考が働いた。
「落ち着いて……まず、拭き取り」
棚から滅菌ガーゼを取り出し、尾についた液体を丁寧に拭った。
何度も何度も、念入りに。その後、消毒用のエタノールで入念に洗浄する。
尾がぴくりと竦む。消毒液の刺激だろう。鱗の間に染みて、少しひりつく。
「まあ、これといった問題も確認されていないから、大丈夫だとは思うわ。どうしてこんなに焦っているの。しっかりしなくっちゃ」
心でいいながら自らの失態を叱責する。貴重なサンプルだったのにと。
床に散らばったガラス片と培養液も処理しなければならない。専用の廃棄容器を持ってきて、慎重に回収していく。
作業を終えた頃には、十五分ほどが経過していた。
エルナトは大きく息を吐いた。
「……大丈夫。問題ないわ。研究を、ほんの少しだけ遅らせるかもしれないけど」
始原細胞は確かに特異な性質を持つが、培養液に含まれる濃度は極めて低い。
皮膚に付着した程度で何かが起こるとは考えにくい。すぐに洗浄もした。
念のためインシデントレポートは出しておこう。壊した責任がある。
端末に向かい、事故の経緯を淡々と入力する。試験管を落とした原因、付着した部位、応急処置の内容。主任への報告も済ませた。
「始原細胞の貴重さは、君が一番わかっているだろう」
ゴルドは、あの性欲たっぷりの目つきで、美竜を我が一言で萎縮させてやる楽しみがあると、喜んですらいるふうだった。
「サンプルは限られている。一つの損失が、研究全体の遅れに繋がるんだ」
腰を降り、前かがみになる。前になった乳房へ視線を感じるが、そんなのはいつものことだと割り切るしかない。
「申し訳ありません」
「反省しているなら、今後は気をつけてくれ。君は優秀なんだから」
最後だけ少し視線が和らいだ。それでも、エルナトの胸には小さな棘が刺さったまま残った。
自分のミスだ。言い訳のしようもない。
デスクについているゴルドの言葉に、エルナトは再び小さく頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしました」
「いやいや、事故は誰にでもあるさ。体調に異変を感じたら、すぐに報告してくれればいい」
「はい」
それだけのことだった。報告書を提出し、予備の培養サンプルで作業を再開する。午後には通常業務に戻っていた。
カーラが昼休みに「大丈夫だった?」と心配そうに聞いてきたので、「大したことない」と答えた。カイは遠くから、ちらちら、とこちらを窺っていたが、話しかけてくる勇気はなかったらしい。
いつもの昼食。
いつもの午後。
いつもの退勤時間。
特に何も起こらなかった。
自分が自分の失態を責めている以外。なんにもない。
体調にも異常はない。少し疲れている気がしたが、昨夜あまり眠れなかったせい。
研究所を出た。夕焼けの空に飛び立つ。
その時だった。
「……?」
尻尾が、ぴくり、と動いた。力みすぎて痙攣したみたいだった。
自分の意思ではない。別の生き物が身じろぎしたかのような、奇妙な感覚。
直後、尾の内側がじわりと痺れた。筋肉が引きつるような、つっぱるような違和。
試験管を受け止めようと必死だったから。
無理に動かしたから、つったのかもしれない。
試験管を受け止めようとした時、確かに不自然な角度で尾を伸ばした。
あの動きが負担になってしまったんじゃないかしら。エルナトは結論づけた。
帰宅しても、違和感は消えなかった。
むしろ、何か重いものが尾の中に沈み込んでいくよう。
首を振って、思考を追い払った。
アパートに帰り着き、シャワーを浴び、簡単な夕食を済ませる。
尾を改めて確認した。消毒液で少しひりついていた部分は、もう何ともない。鱗の下も、異常は見当たらなかった。
やはり、気にしすぎている以外に問題ない。
ベッドに潜り込み、目を閉じる。明日も早い。
しっかり休まなければ。またミスを増やしかねない。
エルナトは下着姿で寝転がり、思いのほか早く就寝した。
その際は頭の奥に霧がかかったように思考がぼやけていく。
意識はすぐに遠のいた。
深く、深く。
底のない闇の中へ。
[newpage]
エルナトが眠りに落ちた。
尾の内側で何かが脈動した。
青い鱗の下、白く柔らかな裏側の皮膚。
筋肉の層を越え、神経の束を越え、尾椎を包む髄液の中。
始原細胞は静かに目を覚ました。最初はほんの数個だった。
培養液に含まれていた細胞の欠片。鱗の隙間から染み込み、毛細血管に取り込まれ、血流に乗って尾の深部へと辿り着いた、微細な種子たち。
弱い菌類やカビみたいなもの。
体の免疫で対処されるような脆弱さ。
それが今、爆発的に分裂を始めていた。
エルナトの免疫が抵抗を示すが、粘っていく。
細胞のひとつひとつが粘液に取り込まれてしまう。
蜘蛛の巣に獲物が絡むみたいに、粘液が染み出した。
もがく細胞たちを尻目に、嘲笑うみたいに始原細胞は増殖。
一つが二つに。二つが四つに。四つが十六に。倍々に数を増える。
十分になると、始原細胞は周囲の組織へ触手のように伸びていく。
エルナトの細胞を、手当たり次第に貪る。捕食し成り代わる。
宿主の細胞膜に吸着し、融合し、内側から乗っ取っていく。
神経束が、最初の標的だった。一部は骨髄の内側にまで侵入。骨細胞に結合した。
尾の中心を走る太い神経の幹。脳からの指令を末端へ伝え、末端の感覚を脳へ返す、情報の大動脈。始原細胞は周囲にまとわりついた。透明なゼリー状の塊が、神経を包む鞘を溶かしていく。
じわじわと、少しずつ。
痛みは生じない。家の柱に、シロアリが酸をかけていくようだった。
宿主に気取られぬよう、感覚神経を麻痺させながら一体化を始める。
ぱかっと鞘が破れていき、細胞は神経繊維の隙間に染み込んだ。
一本一本の繊維に絡み締め上げ、やがて繊維の中へ潜り込む。
元の神経細胞の核を押し、自らがその座に収まる。
カッコウの雛が、元々の雛を巣から押し捨てるみたいに。
電気信号の通り道を乗っ取り、自分に回路へと書き換えていく。
宿主の尾は、もはや完全に宿主のものではなくなりつつあった。
んっ、と寝返りをするエルナトは呑気に、物静かに眠りこけていた。
始原細胞は信号を読み取れる。遮断できる。偽の信号を送り込むこともできる。
脳が「尾を動かせ」と命じても、命令を握りつぶして別の動きをさせることが可能になる。なぜなら自分の体にしていまうからだ。
次は筋肉に狙いを定めていった。
尾を構成する無数の筋繊維。赤く細い糸の束が、鱗の下で何層にも重なっている。
始原細胞は神経を伝って筋繊維へ到達すると、表面にぴたりと張りついた。
最初は寄り添うだけだった。あたかも親友や肉親に接するみたいに。
エルナトの呼吸にあわせ筋繊維が収縮するごと、振動を学習していく。
どれほどの力で、どの方向に、どんなリズムで動くのか。
宿主の癖を読み取り、記憶していく。擬態するために。
学習が終わると、素早く侵食が始まった。
細胞が筋繊維の膜を突き破り、内部に襲いかかった。
筋原繊維の間に入り込み、ミトコンドリアを食らいつくしエネルギー生産の拠点を奪い取る。筋繊維の構造そのものを、内側から置き換えていく。外見は何も変わらない。顕微鏡で見ても、赤い筋肉の色は同じ。だが一本一本の繊維は、もはや宿主のものではなく、始原細胞の支配下にある糸へと変貌していた。弾性や内部構造も変わっていた。
血管にも手が伸びた。いや、触手が迫っていった。
尾の筋肉の間を縫うように走る毛細血管。壁に細胞が取りつき、蔦が壁を這うように増殖していく。血管の内壁に根を張り、流れてくる栄養を横取りする。酸素を、糖を、アミノ酸を。宿主の血液が運んでくるすべてを、成長の糧として吸い上げる。
強引にへその緒を繋いだ赤子みたいに、貪欲にすすりあげた。
やがて細胞は、独自の血管を作り始めた。
宿主の血管に寄生しながら、そこから枝分かれする新たな管を伸ばしていく。宿主の循環系に組み込まれながら、しかし宿主のものではない、もう一つの血液回路。養分を効率よく集め、成長を加速させるための、寄生者専用の補給路だった。
尾の先端――金具のすぐ内側で、変化は最も劇的に進行していた。
皮下組織が盛り上がる。
ぶく、と。小さな瘤が四つ、鱗の合間に生じた。何かが内側から押し上げている。
皮膚が張り詰め、薄くなり、その下でぬらぬらと息づいているのが透けて見える。
やがて、瘤の頂点が裂けた。
薄皮が破れ、粘液がとろりと溢れ出す。
中から現れたのは、目だった。四つの目。
薄緑色に蛍光を放つ、四つの眼球。瞳孔がない。虹彩もない。
のっぺりとした光の球体が、鈍角に配置されて鱗の隙間から覗いている。
濡れた表面にエルナトの住む部屋が映り込み、ぼんやりと歪んでいた。
四つの目が世界を確認する。あと二つ作ろうとして、上手くいかない。
上を見る。下を見る。左右を確認する。見ることを覚えたばかりの器官が、周囲を捉える練習をしている。
目の下の鱗。尻尾の先端部が横に長く裂けた。
ぬち、と湿った音を立てて、何かが裂け目から這い出す。
紫色の舌だった。
長く、薄く、イボが複数ある。
唾液に似た透明な粘液で濡れていて、空気を舐めるように左右に揺れた。
味を見ている。匂いを嗅いでいる。この肉体が発する情報を、一つ残らず読み取ろうとしている。
『――ホウ』
声は音ではなかった。
空気を振動させる代わりに、神経を直接震わせる意思の塊。
乗っ取った神経回路を通じて、己の思考を形にする術を、始原細胞はすでに獲得していた。
『コイツガ、ヤドヌシ?』
四つの目が細められた。
寝息を立て丸まっているエルナトを嘲笑っていた。
あのミスから、自分がこの世に存在できるのだから。
エルナトの神経から記憶を辿り、あらゆる知識を得ていた。
数億年前の原始的な生物ではなく、知性や理性のある生命体。
宿主が上質であるほど細胞は活性化し生命力を得る。これは良質だ。
研究者というだけあって、本当に、色々な情報が細胞に満ちあふれている。
口らしきものが裂け目の端が吊り上がったように見えた。笑みに似た何か。
『ワルクナイゾ』
【尻尾】は己が収まる肉体を、改めて見渡した。
青い鱗に覆われた、長く美しい尾。内側はすでに半ば以上が掌握下にある。だが外殻は完璧に保たれている。誰が見ても健康な竜人の尻尾にしか見えない。
尾の先から視線を上へ向ければ、宿主の全身が眠りに沈んで息をついている。
ベッドに横たわる女の体。豊かな曲線を描く胸。白く滑らかな腹部。眠りに弛緩した美しい顔。
始原細胞の一部は、すでに血流に乗って脳にも到達していた。
微量ではあるが、睡眠を司る領域の近くに陣取っている。覚醒を促す神経伝達物質の分泌を阻害し、眠りを深く、深く押し込めている。
宿主の意識は、泥の底に沈められた石のように動かない。
どれほど体を弄られようと、朝までは目覚めない。
『ショクジを、サセテモラオウカ』
紫の舌が、裂け目の内側を舐めた。
自分自身の口腔を確かめるように。
『アセル、コトハナイ。マダマダ、ジカンハある』
四つの目が、再び宿主の体を眺めた。
まだ手つかずの領域が、こんなにも広がっている。
尾から腰へ。腰から腹へ。腹から胸へ。そして頭へ。
征服すべき土地は無限に思えた。そして全部を得るのは簡単だ。
ベッドの上でエルナトは眠り続ける。穏やかな寝顔のまま、己の体が内側から作り変えられていることに気づかない。
舌は太ももの内側を伝い、やがてその付け根へと辿り着いた。
竜人の女の秘所。鱗に守られることのない、白く滑らかな肌。
眠りに脱力しきっている体は、両脚をわずかに開いたまま横たわっている。
恥丘を覆うのは薄い汗。暗がりの中でかすかに光を弾いていた。
紫色の舌先が、その表面をそっと撫でた。
「ん……っ」
エルナトの眉根が寄せられる。閉じられた瞼の下で、眼球がゆるやかに揺れた。
夢の底に沈んだ意識が、何かを感じ取ろうともがいている。だが覚醒には至らない。
【尻尾】が脳の睡眠中枢を握っている限り、覚醒は許されなかった。
舌が遊び慣れていない、初々しい花弁の輪郭をなぞっていく。
外陰部を縁取るように、丁寧かつ念入りに。上から下へ、下から上へ。
粘液を含んだ舌の表面が肌に触れるたび、かすかな水音が暗闘の寝室に立つ。
『コレ……ココハ、イイ。イイ、アジガスル』
四つの目が愉悦に歪んだ。
薄緑の蛍光が薄っぽく明滅。
尾の先端だけがほの暗い光を出す。
舌先が、裂け目に沿って下りていく。
雌の旨味。汗や全体の滑らかさを知る。
陰唇の合わせ目を、上から下まで、舐め下ろす。
「ん…………や…………やぁ…………」
仰向けになり、両足をひらきながら、息を細く吐き首を横に振ってしまう。
【尻尾】は宿主の体温を舌に感じながら、反応を観察する。体が小刻みになる。
呼吸が浅くなった。何より、合わせ目の奥から、かすかに甘い香りが立ち昇り始めていた。
蜜の匂いだった。
感じた雌の味わいに、細胞をなすりつけたくなる。
興奮した女の肉体が分泌する、発情した竜人の芳香。
エルナトの意識は眠りに沈んでいても、肉体は正直に反応を返している。刺激を受ければ濡れる。生き物としての本能なのを情報として、経験として、理解していった。
『モット。モット、ダセ……オレサマを、クレテヤル』
舌が陰唇を押し開いた。分泌物の量が、どろりと流れる。
ぬるり、と滑らかに内側へ入り込む。柔らかな襞が舌先を包む。
粘膜のぬめりが舌の表面に絡みついた。中は外よりも温かく、圧がある。
「はっ……ぁ……」
エルナトの口が半開き。
唾液が筋をつくり首を滑り、小さな吐息が出てしまう。
眠ったまま、腰がかすかに浮き上がる。逃げようとしているのか、もっと求めているのか、本人にさえわからない無意識の動き。白い喉が仰け反り、寝乱れた黄緑の髪がシーツの上に広がった。
舌は膣の入り口を円を描くように舐め回した。
粘膜の上を這い、襞の一つ一つを丁寧に確かめていった。
どこを触れば宿主が反応するかを学習していく。
入り口の少し上、小さく膨らんだ肉芽に舌先が触れた。
「んんっ……!」
エルナトの体がびくりと跳ねた。膝が飛ぶ。
下半身の大多数を締めている内臓への道筋をつくった。
脚が勝手に開く。両膝が外側に倒れ、秘所があらわになる。
眠っている脳が、本能的に刺激を求めていた。抵抗するな。受け入れろ。
もっと感じろ。オレサマを。
指令が乗っ取られた神経を通じて体中に送り込まれている。
『ココ。ココが、ビンカンナンダナ』
舌は肉芽の周囲を嬲るように舐め始めた。
直接触れるのではなく、周囲を円を描いて這い回る。
かすめるように先端を掠め、すぐに離れる。焦らすような動き。
宿主の体は切なくさざめき、喉がすくみあがって背筋がこわばる。
蜜が溢れ出していた。舌に唾液以外のぬめりが、多量についていた。
膣口からとろりと透明な液体が滴り、シーツに小さな染みを作っていく。
【尻尾】の舌は舐め取りながら自らの粘液を宿主の体内へ送り込んでいった。
粘液の中。無数の始原細胞が含まれていた。試験管から出たのと比ではない。
舌から分泌された細胞たちが、宿主の粘膜に吸着する。膣壁を構成する細胞の隙間に入り込み、毛細血管に潜り込み、血流に飛び散っていく。
細胞による乗っ取りが、また始まっていた。
膣壁の最も表層にある細胞から、置換が始まる。
雌の張り巡らされた知覚神経の末端に取りつき信号を読み取り始める。
どんな刺激でどんな電気信号が発生するか。信号がどこへ向かって送られるか。
宿主の快感の仕組みを、細胞レベルで解析していく。
シナプス結合を乗っ取り、自らが神経回路の一部に組み込まれていく。
今はまだ観察するだけ。信号を遮断したり偽造したりする段階ではない。
この場所を完全に支配すれば、宿主の快感を自在に操れるようになる。
なぜなら雌の生殖器から、下半身の全体を、子宮周辺から内蔵を。
『ココモ、オレサマノ、モノだ。ゼンブ、ゼンブ、オレサマノモノニナル』
舌が膣口を浅く犯した。
『オマエを……オレサマのにスルタメ、自分自身ヲアタエテヤロウ』
二センチ、三センチと入り込み、内壁を舐め回しながら粘液を塗り広げていく。
細胞を植え付け、領土を広げ、支配の基盤を築いていく。
エルナトの体は快感によがってしまう。
さらなる蜜を分泌し、【尻尾】に養分を献上した。
「あ……ぅ、ん……はぁ……」
彼女は喘いでいた。目に涙を浮かべ汗をかいていて、歯を食いしばる。
眠ったまま、夢の中で何者かに犯されている。相手の顔は見えない。声も聞こえない。
目覚めようとしているのに意識は闇に突き落とされたまま。いますぐ立ち上がりたい。
エルナトは下腹部の奥から込み上げてくる熱だけがあった。恥ずかしい。いけないことをされている。なのに体が言うことを聞かない。腰が勝手に動いて、もっともっとと求めてしまう。
夢の中の彼女は、羞恥に顔を歪めながら快楽に翻弄されていた。
現実のエルナトの体も、その夢に呼応するように慄き続けていた。
乳首に通されたピアスが、荒くなった呼吸に合わせて揺れている。
豊かなる胸が上下し、白い腹部に薄く汗が滲んでいる。脚の間は蜜でぐっしょりとしたもので、【尻尾】の舌は貪欲に舐め取ってり、少しずつ肥え口の動きが活性化する。このまま一気に自分自身を広げてしまえば――――
『マテ、オレサマ。イソグナ』
舌の動きが止まった。
現代社会において、旧世界と同じやり方をすれば、瞬く間に駆除される。
自分は研究対象にされている細胞と知っている。危険にならば国の総力をあげ滅ぼされてしまう。
『アンゼン……そう、アンゼンにゾウショクヲ、シテイク』
四つの目が、名残惜しそうに宿主の秘所を見つめている。
もっと貪りたい。もっと深く侵したい。衝動が脈打っている。だが知性がそれを抑え込んだ。
『アサガ、チカイ』
エルナトに寄生しているがゆえに、頭がハッキリしていた。こんなにも思考が増えるのは喜ばしい。だからこそ慎重に事を運ばねば、苦しみ、悔しさも思考が増えた分に深まるのは明白だった。
『キヅカレタラ、ダメダ……オレサマが、クジョタイショウになる』
窓の外が、微かに白み始めていた。夜明けが近い。
舌は名残を惜しむように膣口を一舐めし、抜け出ていった。
「あんっ……」
エルナトは気持ちよさそうに首をそらし、シーツを両手で握りしめる。
しかしあべこべに、目の周りは苦痛や羞恥に悶えていて、涙すら零した。
『オレサマは、アセラナクテイイ』
伸びていた舌が宿主の太ももの上を伝い、腰を越える。
尾の付け根を辿り、【尻尾】の裂け目の中へと戻っていく。
長い長い舌が、少しずつ巻き取られ、悔しげに歯噛みした。
『キョウハ、コレマデ。デモ、アシタモ、クル。マイニチ、クル』
裂け目が閉じていく。四つの目が、薄い皮膚に覆われていく。
やがて尾の先端は、元通りの姿を取り戻した。青と水色のストライプ模様。
内側の白い鱗。先端に付けられた、鎖付きの金具。
どこから見ても、普通の竜人の尻尾だった。
ベッドの上で、エルナトは荒い息をついていた。
夢の残滓が、まだ体に残っている。膝が笑っている。
脚の間はびちゃびちゃ。下腹部の奥がじんじんと疼いていた。
彼女の意識は、まだ眠りの底に沈んだまま【尻尾】の支配が下がっていく。
やがて呼吸が落ち着き、体から力が抜け、再び穏やかな寝息に変わっていった。
粘膜に植え付けられた始原細胞たちは、宿主が眠っている間も活動を続けている。
膣壁を少しずつ侵食し、神経を掌握し、いずれ自分にするための地盤を固めていく。
擬態を強くする。誰が見ても健康な竜人の女の体。いずれ、ハリボテにしてやるためにも狡猾になろと細胞の思考力が進化していく。
カーテンの隙間から、朝日が差し込み始める。
新しい一日が始まろうとしていた。
彼女は何も知らない。何も覚えていない。
ただ、妙に疲れが取れた気がすることと――下着を取り替えなければならないことに、目覚めてから気づくだけだった。
[newpage]
「う、ん…………う? ん?」
エルナトが目覚めると、妙な疲労感があった。
ぐっすり眠れたはずなのに、体や心は上の空としたものだった。
エルナトは枕元の時計を確認し、いつもの時間であることを確かめる。
やがて、じっくりと、のろのろとベッドから体を起こした。
シーツに手をついた時、違和感に気づいた。寝汗が多い。
下着が、汗以外のもので、ぬらぬらとしている。
「……え」
掛け布団をめくり、自分の下半身を見下ろした。
寝間着代わりのワンピースの裾がめくれ上がった、白い下着が露わになっている。
中心に、乾きかけの染みが広がっていた。
「ね、寝てたのに……?」
頬が熱くなる。
無意識のまま指を走らせ、何度もこすったとしか考えられない。
こんなこと、いつ以来だろう。いい年をした大人が、寝ている間に発情していた。
淫らな夢を見ていた気がする。内容は思い出せない。何か熱いものに触れられていた感覚だけが、おぼろげに残っていた。
「……疲れてるの、かしら? でも、ムラムラするなんて、だれにでもある、わよね」
エルナトはベッドから降りた。
ちょっと言い訳がましいが、それも当然であった。
下着を取り替え、シャワーを浴びる。体を洗いながら自分の秘所に指が触れた。
特に異常はない。少し敏感になっている気もするが、気のせいだろう。
「こんなに濡らしちゃってたら、そりゃあね」
苦笑する。近頃は研究一筋であった反動がきてしまったようだ。
やっぱり、たまたま忘れていた性欲が膨れ、吹き出していたのか。
身支度を整え、いつもの時間に家を出た。
朝の空気を翼が切り裂く。街はまだ目覚めたばかりで、通りを歩く人影もまばらだった。航路に沿って高度を保ちながら、エルナトは研究所へ向かう。
その時だった。
「……重い?」
尻尾を、誰かに引っ張られているみたいだった。
あるいは複数の重りを結びつけられてしまったよう。
いつもと同じように飛んでいるはずなのに、尾の動きがぎこちない。バランスを取るために振るたび、妙な重さを感じる。尾の中に、何か別のものが詰まっているかのような。
昨日の事故のせいだろうか。
変な動かし方をしたから、筋を痛めたのかもしれない。
飛行に支障が出るほどではなかった。だが確かに、尾がいつもより言うことを聞かない気がする。わずかな遅延。命じた動きと、実際の動きの間にある、ほんの一瞬のずれ。
研究所の敷地が見えてきた。着陸スペースへ降下し、翼を広げて減速する。着地の衝撃を膝で吸収し――前につんのめっていく。
「えっ」
一度も経験のない失態。
尾が、壁にぶつかった。
「っ」
鈍い音がして外壁に尾の先端が当たった。
金具がかちゃりと鳴る。痛みはなかったが、驚いてエルナトは振り返った。
いつもなら、こんな失敗はしない。着陸時の尾の位置は体が覚えているはずだ。
なのに、なぜ。しかも痛みがなかった。減速しきれていなかった上に手よりも尾が先に壁へついた。我が身を守れたのはよかったにしろ、小首を傾げてしまう。
「大丈夫ですか?」
声をかけられて顔を上げると、エントランスから出てきたゴルドと目が合った。
今日も恰幅のいい体を白衣に包み、茶褐色の鱗を朝日に光らせている。
「あ、主任。おはようございます」
「おはよう。今、尾をぶつけたみたいだったが?」
尻に目がいっている。いやらしい男だと思いながら、嫌悪は出さないようにした。普段から人を嫌うことはないのに、このひとは、どうにも無理だった。穏やかな演技をし続けてもらいたい。
「ええ、少し。昨日の事故の影響か、動きがぎこちなくて……」
言いながら、尾を軽く振ってみせた。
拍子に尾の先端が、ゴルドの腰のあたりに触れた。
かすかな接触。尾がゴルドの体に当たって離れた。
中年の体。こころなしか脂分というものを感じた。
「あ、すみません……」
「いや、いいんだ」
ゴルドの表情が、微妙に変わった。にやぁっと目が細くなる。
驚きから、別の何かへ。唇の端がわずかに持ち上がり、目がより細められる。隠しきれない喜色が顔に浮かんでいた。雌をものにした雄になってしまった。
「気にしなくていいよ、エルナト君。むしろ――」
彼の視線が、エルナトの体を舐めるように這った。胸元から腰へ、腰から尾へ。
「――嬉しいくらいだ」
「は?」
「いやいや、何でもない。お大事にね」
ゴルドは上機嫌な様子で、エントランスへ歩いていった。
背中を見送りながら、エルナトは首を傾げた。自分を抱きしめ両腕を擦る。
何を勘違いしたのだろう。まさか、尾で触れた程度でモーションだとでも思ったのかしら。
そんな馬鹿な。
ただの事故じゃない。
彼に説明する気力も湧かない。
エルナトは仕事前から疲れ、研究所に入った。
いつものようにIDカードで認証を通過し、エレベーターで三階へ上がる。
ロッカールームで白衣に着替え、消毒室を通って研究エリアへ。
「あ、エルナトさん。おはようございます」
カイが、相変わらず初々しい笑顔で挨拶してきた。
緑がかった灰色の鱗が、蛍光灯の下で鈍く光っている。
「おはよう、カイ。今日も早いね」
「はい! あの、昨日の事故から大丈夫でしたか?」
「ええ、特に何ともないわ。心配してくれてありがとう」
カイの耳の付け根が赤くなる。
視線が泳ぎ、それから床に落ちた。
エルナトは思わず微笑んだ。
彼は二年目だというのに。
「エルナト、おはよー」
気の抜けた声が背後から聞こえた。
振り返ると、カーラが欠伸を噛み殺しながら歩いてくるところだった。銀縁眼鏡の奥で、まだ眠そうな目が瞬いている。
「おはよう、カーラ。また夜更かし?」
「んー、ちょっとね。ドラマが面白くて」
「もう、いい加減にしなさいよ」
「へーい。エルナトには研究所のドラマがたまらないんでしょ」
返事には全く反省の色がない。
いつものカーラだ。彼女は自分のデスクに向かいながら、ふと振り返った。
「そういえば、昨日の事故、大丈夫だった? 報告書出したって聞いたけど」
「ええ。消毒もしたし、体調にも異常はないわ」
「ならいいけど。無理しないでね。よくある映画みたいに、ひどいことになるかも」
「ありがとう。映画と現実の区別がつくようになってね」
緩いようでいて、カーラは時折こうして気遣いを見せる。彼女の良いところだと、エルナトは思いながらも軽口で返せば「こっちも映画の中よ」と返答をされ笑ってしまった。
デスクに座り、端末を起動する。
今日の作業予定を確認し、午前中のスケジュールを頭に入れる。
昨日の培養液交換で失ったサンプルの分、予備を使って再実験を組み直さなければならない。
集中しよう。そう思った矢先だった。
下腹部に、違和感が走った。
「……っ」
いや、違う。膣の奥が、むずむずとする。
かすかな灯火。何かに触れられているような、触れられたいような、曖昧な感覚が、秘所の奥からじんわりと広がっていた。
なんだろう、これ。まさか昨日の――いや、そんなわけがない。
培養液が粘膜に影響を与えるなんて、聞いたことがない。
「触れたのは尻尾よ……こっちにあたるわけないもの」
気のせいだ。疲れているのだ。生理前なのかもしれない。
エルナトは椅子の上で姿勢を正し、作業に集中しようとした。だが消えなかった。むしろ、時間が経つにつれて少しずつ強くなっていく気さえする。
膣壁が、脈打っている。
ずぞずぞ、ずぞずぞ、複数のミミズや毛虫が絡み合うみたいだ。
そんな馬鹿なことがあるはずがないのに、確かにそう感じた。
心臓の鼓動とは違うリズムで、何かが膣の内側でさざめいた。
自分から何かが目覚めようとしているかのように。
「……昨日のミスはそういうメンタルのせい。集中しなくちゃ」
小声で自分に言い聞かせ、端末に向き直った。
また、あの小言を語りかけられるのは流石に困る。
だが意識は体の奥に引きずり込まれ続けていた。
疼きが、じわじわと熱に変わっていく。
秘所の奥が、じんじんと火照り始めている。
「こんなこと、仕事中に……いちども…………」
羞恥で顔が熱くなる。
周囲に気づかれていないか、ちらりと視線を巡らせた。
カイは自分のデスクでデータを入力している。
カーラは顕微鏡を覗き込んでいる。
誰もこちらを見ていない。
ほっとしたのも束の間。
体の芯から、熱の波が込み上げてきた。
絶頂したとき。あれと似通っている。
「っ……」
声を殺す。
エルナトは口を噛んだ。
急に、ムラムラする。息が荒くなる。
イってしまいたい。まんこをいじりたい。
そんな下品な言葉しか浮かばないほど、唐突に欲情が襲ってきた。
膣の奥に疼痛が走り眉を力ませ、きゅうっと壁同士を摩擦してしまう。
何かを求めて切ない。脚を無意識に閉じ、太ももを擦りあわせている。
だめよ。こんなの、おかしい。
内腿を強く閉じ、椅子の上で身じろぎした。
拍子に、下着が粘膜に触れる感覚が生じていた。
濡れている。また、濡れている。
寝起きのときみたいに、いじったみたいに。
仕事中なのに、同僚たちがいるのに、自分は今。
「……お手洗い…………」
逃げ場をひらめき小さく呟いて、エルナトは立ち上がった。
内股気味に歩く自分が情けなかった。太ももの間がぬるついて、下着が肌に張りついている。早くトイレに行って、確認しなければ。何とかこの感覚を鎮めなければ。
研究室を出て、廊下を急ぐ。
女子トイレの個室に入り、鍵を閉める
白衣をめくり上げてスカートを下ろした。
下着を確認する。
「――――――!」
角のつけ根に汗が溜まってしまう。
白い布地の中央に、透明な染みが広がっていた。
愛液だった。触れてみれば、両肩を竦めるほどの過敏。
指についているのは紛れもない粘り。股に張りついたパンツの感触。
夢を見ていた時と同じ、とろりとした分泌物が、下着を濡らしている。
触れてみると、指先に糸を引くほどの量が付着した。妙にツンとした臭い。
「なん、で……な、の」
理由は、わからなかった。
興奮するようなことは何もなかった。
仕事をしていただけだ。なのに体は勝手に反応して、こんなにも発情して。
トイレットペーパーで秘所を拭う。ぬるついた液体を拭き取るたび、粘膜がひくひくとしてしまった。
やはり敏感になっている。
いつもより、ずっと。
何が、起きているの。
個室から出て鏡で自分の顔を見た。
頬が紅潮し、目がとろんと潤んでいる。
情欲に火照った、みっともない表情。
こんな顔で研究室には戻れない。
前髪を払う。汗にへばりついていた。
冷たい水で顔を洗い、何度か深呼吸をした。
落ち着いて、落ち着いてくのよ。
体調が悪いだけ。昨日の事故のストレスで、ホルモンバランスが乱れている。
きっとそうなのよ。そう自分に言い聞かせて、エルナトはトイレを出た。
[newpage]
エルナトがトイレから戻り、何事もなかったかのようにデスクへ座った頃。
彼女の体の内側では、静かな宴が始まっていた。尾に擬態したまま鱗の裏側に潜んだ【尻尾】の四つの目が、薄く開いた。あとふたつ、目がないのは塩梅がよくないものの時期ではない。忍耐を得た【尻尾】は欲求を抑え込み、望む未来を想像しニヤリと嘲笑っていた。
『オオ……オオ、オオ。メザメテキタ』
紫の舌が、裂け目の奥でぴちゃりと唾を絡む。歓喜に体は軋んでいった。
昨夜、宿主の膣に植え付けた細胞たち。あれが今、一つの意識を形成する。
『ヨシ、ヨシ。イイコダ。オマエハ、オレサマノ、サイショノ、ケライだ』
尾がぴくりと膣を覗き込むが、エルナトは見下ろすだけに留まっていた。
「また……まったくもう、痙攣かしら? 尻尾がこむらがえりすることもあるみたいだし、ちょっと怖いわね」
エルナトは気づかなかった。端末に向かい、データを入力する作業に集中しているつもりだった。だが彼女の意識の外で、尾は勝手にゆらゆらと揺れていた。喜びを表すように。踊るように。
椅子の背もたれに当たる。デスクの脚に触れる。隣の椅子を掠める。
エルナトは「あれ」と幾らか眉を寄せたが、すぐに作業へ意識を戻した。
疲れているのだろう。集中力が落ちているのだろう。尾の異常を深く考えることはなかった。
考えることを、許されていなかった。
【尻尾】が脳の一部に根を張り、警戒心を司る領域の活動を微かに抑制している。
普段なら気になるはずの違和感を、「大したことない」と処理させている。
宿主の思考そのものが、すでに操作され始めていた。如何にエルナトが真面目で物事を「気の所為よね」と断じるとしても不可解な出来事が多い。通常時であれば精密検査を受けるよう申し出ていたはずだった。
『キヅクナ。シュジンさん。オマエハ、ナニモ、シラナクテイイ』
四つの目が愉悦に歪む。
エルナトの子宮口のすぐ手前。
膣の最も奥深い場所で、昨夜植え付けられた始原細胞たちは、驚くべき速度で増殖を続けていた。
粘膜の表層を侵食し、上皮細胞を置き換え、毛細血管に根を張り、神経末端を乗っ取っていく。
表面上は何も変わらない。
膣壁はピンク色のまま、襞も粘液も正常。
染みつき無数の細胞が、一つの意思を共有し始める。
散らばっていた欠片が、ゆっくりと集まり、形を成していく。
判然としない輪郭ながら、朧げな自我が、覚めようとしている。
『…………』
不明瞭なもので散漫だったものは、細胞増殖とともに一貫性を持った。
最初に生じたのは、感覚だった。エルナトが膝を擦り合わせていた。
温かい。湿っている。柔らかな壁に囲まれている。
血液が近くを流れる音がする。
心臓の鼓動が、遠くから響いてくる。
次に生じたのは、認識だった。
ここは、どこだ。私は、いったい。
そして――上からの声が、聞こえた。
目覚めたそれにとっては『神の天啓』だった。
『オマエ、キコエルナ。オレサマにコタエロ』
【尻尾】の声だった。
神経回路を通じて、宿主の体の端から端まで届く、支配者の声。
声に応えなければ。応えたい。応えなければならない。
そう思った瞬間――意識が、生殖器に生まれた。
『……さ、ま』
か細い思念が、膣壁から発せられた。
『【尻尾】さま……?』
『シャベッタか、セイコウシタヨウダナ』
【尻尾】が歓喜によって電流が走ったように硬直していた。
尾がびくびくと跳ね、エルナトの椅子の脚に、がつん、とぶつかった。
「っ……」
衝撃に、エルナトは眉を顰めた。
尾が勝手に動いた。おかしい。明らかにおかしい。
「まあ、だいじょうぶよね」
いまはそう思ってしまう。深く考える気が起きない。
頭の奥に霧がかかったように、思考がぼんやりと鈍っている。
エルナトが作業をしている間に、膣の中では対話が続いていた。
『オマエ、ウマレタバカリ。デモ、オマエハ、オレサマノ、サイショノ、ケライダ』
『家来……私が……?』
生まれたばかりの意識は、まだ言葉を上手く扱えなかった。
だが【尻尾】の声は、未完成の思考に染み渡る。個を獲得した。
『ソウダ。オマエハ、オレサマガ、ツクッタ。オレサマガ、イノチヲ、アタエタ』
『尻尾さまが……私を……』
膣壁を構成する無数の細胞が、一斉にざわめいた。歓喜。畏敬。そして崇拝。
『尻尾さま。尻尾さま! 私の、創造主。私の、全て……!』
『イイコダ、オマエはオレサマノモノ』
【尻尾】の紫の舌が、満足げにぺろりと唇を舐めた。
これで、手駒が一つ増えた。
宿主の体の、最も敏感で、最も淫らな場所を支配する部下が、これから下半身を掌握していける。
『オマエノ、ナマエ。ツケテヤル』
『名前……私の、名前……』
『オマエハ、マンコダ。コノ、ニクアナヲ、シハイスエ、オレサマノ、ケライ』
下品な名前だった。
生まれたばかりの意識に、それを恥じる感覚はなかった。
『まんこ……私は、まんこ。尻尾さまが、くださった、名前……♡』
歓喜に、膣壁が痙攣した。
絶頂していた。本来は果たすべき機能が、急に発揮された。
「――っ」
デスクに向かっていたエルナトの体が、椅子から跳ね上がった。
下腹部の奥で、何かが巣食っている。今までとは全く違うものだ。
エルナトの神経を巡る歓喜。何かを喜んでいるかのように。
口が緩み楽しくなる。ドキドキとして興奮が腹に集まる。
いまにも羽ばたき、飛び跳ねてしまいたい気分だった。
誕生日プレゼントをもらった、幼いときみたいだ。
「な、に……」
呟いて、エルナトは椅子の上で身じろぎした。
脚を強く閉じ、太ももで秘所を挟み込む。だが収縮は止まらなかった。
ひくひく、ひくひく
膣が勝手に動いている。
おかしい。絶対におかしい。
こんなこと、今まで一度もなかった。
膣は、自分の意思で動かせる器官ではない。
括約筋をある程度制御することはできたとしても。
ぞわり、と背筋を悪寒が這い上がった。思い当たるものは。
昨日の事故から、何かがおかしい。尾の重さ。勝手に動く尾。
「……でも、深刻にとらえすぎよね……だってあんなに消毒したもの」
頭が曖昧模糊とする。考えがまとまらない。
何を心配していたんだったかしら?
そうだ、仕事をしなければ。
データを入力しなければ。
ハッとして動き出した。
『キニスルナ。シュジン。ナニモ、オカシクナイ』
聞こえない声が、脳の奥に染み込んでいく。
エルナトの警戒心を、注意力を、削り取っていた。
体内では、侵食が加速する。
膣を支配した意識が【まんこ】は、早速その領土を固め始めていた。
粘膜の表層だけでなく、より深い層へ。筋層へ。血管へ。神経へ。
膣壁を構成する平滑筋の一本ずつに、始原細胞が絡みついていく。
筋繊維の隙間に入り込み、内側に巣をつくりあげていった。
内側から置き換えていく。もはや宿主の意思では動かない筋肉。
【まんこ】の意思でのみ収縮する、体へと作り変えられていく。
他人になりかわりながらも、生殖器の役割は持っている。
膣全体はそれなりの大きさをした臓器。神経は多い。
エルナトの肉体に糸を結び、好きなだけ動かせる。
『尻尾さま、尻尾さま』
元々が女性の象徴だけあって、態度は発情した雌のものだった。殿方を前にして、挿入をしてもらいたがっている濡れた雌。
『私、もっと強くなれます。もっと、この体を支配できます♡』
『イイゾ。ドンドン、ヤレ。デモ、キヲツケロ。シュジンニ、キヅカレルナ』
『はい、尻尾さま。わかっています。外からは、何も変わらないように……静かに、静かに……尻尾様のために♡』
膣の奥で、粘膜がじゅるりと愛液をすすりあげる。
途端にエルナトが羞恥心をおぼえ、そこを手でおさえた途端。
『こうですよね♡』
感覚を遮断されてしまえば、エルナトは小首を傾げ、何もなかったと認める。
膣痙攣をエルナトは感じ取っていた。だが「感じ取っている」という自覚を消された。 いまは下腹部がむずむずする。落ち着かない。何かが、どこかで、もぞもぞと動いている。それでいてワクワクする、ドキドキする、腹部から【まんこ】の心が伝わってしまっていた。
「すべて、尻尾さまの思うがままです♡」
エルナトの預かり知らぬところで、細胞は彼女を潰していく。
自分の膣壁が勝手に蠢いているのだとは、夢にも思わなかった。
昼休みが近づく頃には、エルナトの体調は限界に近づいていた。
膣の奥が、ずっと何かに触れられているような、触れたいような。
曖昧で不快な感覚が、途切れることなく続いている。
集中力は散漫になり、何度も同じデータを見直す羽目になった。
「っ!!」
それだけではない。
なくなったと感じた絶頂の余韻が、いきなりエルナトに襲いかかる。
前かがみになって下腹部を両手で撫でながら、羞恥心に頬を赤らめた。
膣が勝手に収縮する。ひくっ、と締まって、すぐに緩む。
『ほら♡ こんなに簡単です……どうでもいい主人なんてエロい気分にさせて、悶えさせちゃいます♡』
生き物が息をするように。
膣が、本体を弄くり回していた。
そして、愛液は、止まらなかった。
『パンツが、ぐぅぅっしょり♡ 周りを気にして、ビクビクしながら発情しちゃってますよ、情けない雌ですねぇ♡』
エルナト興奮しているわけではない。
無理矢理に発情させられて、よだれをキーボードに零す。
少なくとも、自覚はない。なのに体は勝手に反応して、下着を汚し続けている。
『あ、またトイレに逃げてます♡ イっちゃってるのは何かの間違いって、自分は淫乱なんかじゃないわよぉって、カマトトぶっちゃってるんですよ、尻尾さま♡』
エルナトは歩くと、身がソワソワとしてならなかった。
トイレに立つ度に染みは広がり、三度目に確認した。
「な、なんで、どうしてなの?」
液体が太ももまで伝い始めていた。
トイレットペーパーで何度も拭った。
嘲笑うみたいに、背筋がピンとしていく。
膣から、背骨に芯を通されてしまったみたい。
「どうしよう……」
トイレの個室で、エルナトは途方に暮れていた。
下着はもう使い物にならない。水に落としたみたいだ。
太ももの内側がてらてらと光り、粘液の筋が膝の裏まで垂れている。
拭いても拭いても、新しい液体が溢れてくる。だからトイレットペーパーを幾重にもしたものを、生理用品みたいに膣へ押しつけた。
『アハハ♡ バッカみたい♡ これで愛液を防げると、いいですねぇ♡』
エルナトは思う。
自分の体が、自分のものではなくなっていくような。直感は、正しかった。
『アハ、アハハ♡ バカな主人。こんなに濡らして、恥ずかしくないの?♡ ううん恥ずかしいからトイレに何度も逃げちゃっているんだもんね♡』
聞こえない声が、膣の奥で嗤っていた。
【まんこ】は、宿主への嫌がらせを楽しみ始めていた。
愛液の分泌を意図的に促進し、膣壁を収縮させて刺激を与え、宿主を困らせている。
創造主たる【尻尾】には心酔しきっている【まんこ】だが、宿主であるエルナトには敵意と見下しの感情があった。
『研究者だって偉そうにしてるくせに、体はこんなにスケベ。真面目ぶってるくせに、こんなに濡れる♡ ねえ、尻尾さま、見てください。この女、トイレで自分の股を見て困ってますよ♡』
『ミテイルゾ。オモシロイナ』
【尻尾】の四つの目が、鱗の下で愉悦に細められている。
宿主は何も知らない。自分の膣がすでに別の意識に支配されつつあること。
意識が自分を嘲笑っていること。体の奥深くで、細胞単位の侵略が着々と進行していること。
ずぞずぞ、ずぞずぞずぞぞぞぞ…………
腸内にも膣から大量の細胞が送りつけられてしまっている。
だんだんと、雪が積もるみたいにマイクロバイオームを塗り潰していた。
腸内の粘膜から、体に吸収されていく。否、腸からエルナトを食っている。
何も知らないまま、困惑し、羞恥に顔を赤らめ、自分の体の異常に怯えている。
その姿が、たまらなく愉快だった。ただの寄生生物である自分たちが、立場が逆になっている。
『モット、イジメテヤレ。デモ、ヤリスギルナ。キヅカレタラ、コマル』
『はい、尻尾さま♡ 加減は心得ています♡』
膣壁が、もぞもぞと開閉してみせた。
新たな愛液が分泌され、宿主の秘所を濡らしていく。
『せっかくトイレですもん、お花摘みするのは当然ですよね♡』
ちょろちょろちょろ…………と。
尿道から、黄色い液体がエルナトからトイレットペーパーに流される。
「やっ! なんで…………!!」
素っ頓狂な悲鳴をあげてしまった。しかも、性的欲求まで込み上げてくる。
水に弱いトイレットペーパーは瞬く間に染みをつくり、吸水量をオーバー。
太腿に温かいものが伝わっていき、靴の中にまで、ぴちゃぴちゃとしていた。
真っ赤な顔で、途方にくれるエルナトは、こうしている間にも絶頂の余韻を噛み締めさせられていた。
『はーい、お掃除頑張ってね主人さん。おしっこくさくないように、みんなにバレないようにね♡』
トイレの個室で、エルナトは自分の体を見下ろしたまま、何もできずに絶句していた。
彼女の男にも女にも美しいと褒められた姿。外見上は何も変わっていない。
青い鱗は艶やかに光り、白い肌は滑らかなまま。
誰が見ても、健康で美しい竜人の女。それがエルナト。
そんな彼女は自らの生殖器に辱められ、身悶えしていた。
[newpage]
トイレで漏らしてしまってから何日かが経過。
エルナトは暗い表情。いや変に火照った雌顔で廊下を進む。
先程も、妙な気分になってしまい、トイレに向かっていた。
カーラやカイに心配されて、苦笑いで誤魔化すしかなかった。
嫌なことに、ゴルド主任はニヤニヤと尻尾に尻尾を絡めてきた。
「…………」
またトイレから戻っても、状況は改善しなかった。
むしろ悪化していた。今日で、もう五回目になる。
デスクに座った瞬間から、膣の奥に火が灯っていた。
収まるどころか、時間が経つにつれて熱は増していく。
椅子の硬い座面が秘所に当たる。
背筋を甘い痺れが駆け上がった。
だめ。集中できない。
端末の画面を見つめても、数字の羅列が頭に入ってこない。
同じ行を三度読み返し、それでも内容を理解できず、エルナトは息をついた。
太ももを擦り合わせる。無意識の動作だった。閉じた脚の間で、下着が粘膜に張りついている。さっき替えたばかりの下着が、もう湿り始めていた。とめどなく溢れる愛液が、布地に染みを広げていく。
いや……下着の予備までもってくるように、なってるのに
体が、燃えている。膣から、そして尻尾の先端から骨髄から煮立たせられる。
子宮の奥から、じわじわと熱が広がっていく。腰が疼く。胸が疼く。乳首がぴりぴりと敏感になり、ピアスの冷たさが妙に気になる。白衣の下で、自分の体が勝手に欲情している。
なんで。どうして。仕事中なのに。
近頃は、ずっとそんなことばかり考えていた。
羞恥と困惑で、頬が熱くなる。視線を落とし、キーボードに手を置いた。
とにかく手を動かさなければ。仕事をしなければ。
指は覚束なず、何度もタイプミスを繰り返した。
「エルナト」
声をかけられて、全身が天井に打ち付けられる思いだった。
「え、あ、何……かしら」
振り返ると、カーラがデスクの横に立っていた。
銀縁眼鏡の奥で、少し心配そうな目がこちらを見ている。
「さっきから呼んでるんだけど。大丈夫? 顔、赤いよ」
「だい、じょうぶ。ちょっと、暑くて……風邪気味なのかも」
声が上擦る。太ももを力いっぱいに閉じる
エルナトはなんとか膣の欲情を押さえ込もうとした。
粘膜同士が擦れ合い、逆に刺激になって、下腹部に熱が走った。
「お昼、一緒にどう? 食堂混む前に行こうと思って」
「あ、うん。あと、で」
「あとで?」
「もうちょっと、これ、終わらせてから」
端末の画面を指さした。何の作業をしていたのか、自分でもよくわからない。
ただ、今は席を立てなかった。立ったら、歩いたら、太ももを伝う液体が見えてしまうかもしれない。動くと、この雌臭さを友達に知られてしまうかもしれない。
「そう? 無理しないでね」
「うん」
「本当に大丈夫? なんか様子おかしいけど」
「平気。本当に、平気だから」
生返事を繰り返す自分が情けなかった。
カーラの声は遠くに聞こえる。耳に届いているのに、意味を処理する余裕がない。
頭の中は膣の疼きでいっぱいで、それ以外のことを考えられなかった。いっそ今すぐ膣を指で掻き回したい。ペン立ての内側にあるものを一束に握りしめ、股間に突き立て動かしてやりたい。
「……わかった。先に行ってるね」
カーラの足音が遠ざかっていく。
エルナトはほっと息をついた。
それも束の間にすぎない。
壁が、ぐにゅりとした。
体液が落ちていった。
「えっ……っ! や……っ!」
声を殺して、デスクの縁を掴んだ。尻尾を椅子に絡めたい。
しかし尻尾は勝手に解けていき、どうしようもなくなっていた。
思考が途切れた。膣壁があわさる。灼熱の波が込み上げてやまなかった。
腹部から理性を溶かすような、甘く重く身を軽くする不可思議な性的欲求。
脚の間がぐちゅぐちゅと音を立てている。無限に泡立ってしまっているみたいだ、。
周囲に聞こえていないか怖くなった。席を立たなければ。トイレに行かなければ。
でも、腰に力が入らない。動けない。動いたら、漏れてしまいそうな気がした。
『はーい尿意で大変♡ 足をあげたら出ちゃうかも♡ アハハ♡ でもいいよ、無様にトイレに駆け込むといいじゃない♡ トイレの個室で縮こまってるんがお似合いよ♡』
エルナトは笑っている脚で立ち上がり、よろめくように研究室を出た。
廊下を歩く足取りは覚束ない。
壁に手をついて体を支えながら、女子トイレへ向かう。
個室に入り、鍵を閉めた途端――膣が、灼かれるようだ。
「あ……っ、ぁ……」
便座に座り込む。白衣をめくり、スカートを下ろし、下着を脱ぐ間もなかった。
指が勝手に秘所へ伸びていた。濡れた粘膜に触れた瞬間、頭の中が真っ白になった。
『はい職場で無様に絶頂♡ 淫売にピッタリね♡』
だめだ。仕事中に。こんなところで!
わかっているのに、指が止まらない。
崩れた微笑み。パンツの内側に手を突っ込んでいた。
ひどい虫刺されを掻きむしるみたいに指三本で只管に弄んだ。
「あああ! ひぃっ! あっ! んぅぅっ!」
『だれもいない個室だから、いっかいひっかくごとに、いっかいイかせてあげますね、大事な主人さん♡』
愛液でぬるぬるになった秘裂を撫で、膨らんだ肉芽を擦り、膣口に指を沈める。
中はどろどろに溶けていた。三本の指がずぶりと呑み込まれ、膣壁が締めつけた。
自分の体じゃないみたいだった。でも心地よくて、頭が空っぽになってしまう。
こんなに濡れて、こんなに敏感で、こんなに――こんなに、淫らで。
「やだ、やだ、なんで……っ」
涙が滲む。
強い拒絶感が胸に犇めいているのに、尻尾や膣壁が満たされていく。
「も、もう、いや…………いやぁ…………どうし、てぇ…………」
それでも指は止まらない。かき回すように、突くように、自分の膣を犯し続ける。
ぐちゅぐちゅ、びちゅびちゅ、網にすくわれた小魚の群れが跳ねるみたいな音が狭い個室に鳴ると、便座を濡らすほどの愛液が垂れ落ちていく。便器に滴る愛液の量が、両手で救えてしまえそう。これすべて、細胞が泳いでいるなどエルナトは気づけない。
膣の奥で、何かが嗤っている気がした。
お前はもう私のものだと。この淫らな肉体は、もう逃げられないと。
「ひっ、あ、あああっ……!」
絶頂が、体を貫いた。
『はい、ずっと同じじゃ飽きちゃいますもんね、御褒美の、すごいオーガズム♡』
腰が跳ねる。翼がばさりと広がり、個室の壁を叩く。
膣がびくびくと痙攣し、指を締め上げながら、大量の液体を吹き出した。
白衣を唾液を流してしまう。白目を剥きながら舌を、だらりとさせてしまう。
「あぅぅぅうぅう!!」
声を殺しきれなかった。
甲高い喘ぎが個室の外に漏れたに違いなかった。
気にする余裕すらなかった。意識が飛びそうだった。視界の端で星が散った。
長い長い痙攣が収まったとき。エルナトは便座の上でぐったりと崩れ落ちていた。
荒い息が、喉を灼く。太ももが愛液で光り、便座や床にまで水たまりができている。
白衣の裾が濡れ、下着は使い物にならないのを、またトイレットペーパーで拭わなければならない。もってきた換えの下着は…………もう残っていない。
「あ、あぁぁ」
ひどい有様だった。
トイレで自分を慰めて、こんなに乱れて、みっともなく達して。
仕事中に。同僚たちがすぐそばにいるのに。涙が頬を伝った。
「わ、わたし……どうしちゃったの?」
自分の体が、自分のものではなくなっていく。そんな恐怖が、ぼんやりと胸の奥に芽生えていた。
「でも…………気持ちよかったから、ムラムラしたの、しょうがないわよね」
だがその恐怖も【尻尾】の手にかかれば、すぐに霧散させられる。
『ダイジョウブ。ナニモ、オカシクナイ。ツカレテイエ、ダケダ。イマノハ、ムラついていただけダカラナ。クフフフ』
聞こえない囁きが、脳の奥に染み込んでいく。
そうだ。疲れているだけだ。
ストレスが溜まっているだけだ。
こんなこともある。誰にだってある。
ちょっとエッチな気分になるのもまた女らしい。
エルナトはだんだんと息を整え、乱れた服を直し汚れた下着を脱いでビニールにしまう。
ノーパンで午後を過ごすことになるが、仕方がない。白衣の裾の濡れは、水で洗って誤魔化した。
鏡で顔を確認する。
頬は赤く、目は潤んでいる。
しばらくすれば落ち着いてくれる。
大丈夫。大丈夫だ。何も、おかしくないもの。
そう自分に言い聞かせエルナトはトイレを出た。
彼女の膣の奥で、【まんこ】が嗤っている。
『バカな主人♡ こんなに気持ちよくしてあげたのに、まだ気づかないの♡ ずっと気づけなくてかわいそぉぉ♡』
『イイ。イイゾ。ソノチョウシダ、細胞をオクッテヤレ』
【尻尾】の目が、愉悦に細められる。
宿主の肉体は、着実に性欲の虜になりつつある。
膣が活性化するほどに、細胞はより力を増していた。
すでに腸内は全て支配下に起き、胃袋に迫っている。
いまは右の肺を奪い、背骨から翼を巡っている最中だ。
十日が過ぎた。
エルナトの日常は、表向き何も変わっていなかった。
毎朝同じ時間に起き、同じ空路を飛んで出勤し、同じ研究室で同じ仕事をこなす。
真面目で誠実な研究員として、いつも通りの日々を送っている――はずだった。
トイレでオナニーに浸っていたり、パンツを何枚か懐に忍ばせる以外は。
「またなの……ちょっと、ううん、すごく恥ずかしいのに、どうにもならないの?」
朝、目が覚めると下着が濡れている。
最初の数日は「また夢を見たのだろう」と思っていた。
内容は覚えていない。ただ、淫らな夢だったような気がする。
体が火照っていて、秘所がじくじくと呻きをあげてしまう。
シーツに染みができていることもあった。
やはり、こんなに続くと不安になってきた。
「ふぅ、でも陽はちゃんとのぼっているわよね」
太陽を目に清々しい気分になる。リフレッシュできた。
シャワーを浴びながら、エルナトは自分の体を確認した。
鏡に映る姿は、一週間前と変わらない。青い鱗は艶やかに光り、白い肌は滑らかなまま。ぶるっと脂肪が豊富な胸。くびれた腰。長く伸びやかな尾。
秘所に手を伸ばし、そっと触れてみた。
何もしていなくても、じわりと愛液が滲んでいる。
今もそうだ。
タオルで拭いながら、エルナトはそっと息を吐き出した。
病院に行くべきだろうか。でも何と説明すればいいのだろう。
「最近やたらと濡れるんです」なんて、恥ずかしくて言えない。
出勤している。
飛行中、尻尾がおかしな動きをした。
バランスを取るために振っているだけのはずなのに、ふいに別の方向へ動く。
何かを避けるように、あるいは何かに惹かれるように、自分の意図と微妙にずれた軌道を描く。
昨日も一昨日もそうだった。
着陸する時に壁にぶつけた。
すれ違った通行人の脚に触れてしまった。
エレベーターのドアに挟まりそうになった。
病院にいっている暇はないし仕事が忙しい。
始原細胞の研究は佳境に入っていて、休む余裕がない。
もう少しでカーラが奇妙な働きについて理解できそうだと。
研究所に着き、IDカードで認証を通過する。ロッカールームで白衣に着替え、消毒室を通って研究エリアへ。尻尾が消毒を避けるみたいに動いて、少し手間取ってしまう。
「っ……」
歩くたびに、太ももの間がぬるついた。
下着を穿いているのに、愛液が染み出してくる。
出勤前に拭いたばかりなのに、もう濡れ始めている。
布地が粘膜に張りついて、歩くたびに擦れる。
感触が妙に気になって、集中できない。
デスクに座った。
椅子の硬い座面が秘所に当たる。
「ん……」
息を呑んだ。
なぜ、こんなに敏感なのだろう。
「おはようございます、エルナトさん」
カイの声に反応してしまった。
初恋でもしたみたいに心が跳ねる。
「あ、おはよう……」
エルナトの反応は、なんとも初々しかった。
「今日の培養データ、まとめておきました」
「ありがとう。後で確認するね、い、いつもありがとう」
カイは嬉しそうに頷いて、自分のデスクへ戻っていった。
ここ何日かで彼は自信がついてきたのか、慣れてくれている。
エルナトは深呼吸をして、端末を起動した。仕事に集中しよう。
体のことは、後で考えればいい。果たすべき責任を果たしたい。
没頭することで、体の異変を拭い去ろうとしていた。
一時間ほど経った頃だった。
中央がぐっしょりと濡れていた。
透明な液体が布地を濡らし、糸を引くほどの粘度がある。
でも、これくらいなら最近にもあった。もういつも通りだ。
「…………」
慎重に、デスクに新調したティッシュコーナーに手を伸ばす。
ティッシュで拭いながら、エルナトは自分の秘所を見下ろした。
淡いピンク色の陰唇。その奥に隠れた膣口。特に異常はなかった。
いや。
「?」
なんとなく、陰唇が以前より肉厚になった気がした。
裂け目が深くなった気がした。クリトリスの辺りが、妙に存在感を増している気がした。
指先で、そっと触れてみた。
ヌメリによって指が滑っていく。
内側が、やけに滑らかだった。いや、滑らかというより――何かでコーティングされているような感触。自分の粘膜なのに、自分のものではないような。
「そんなわけないのに、へんなの」
昼休み、カーラと食堂で昼食を取っていた時のことだった。
「最近。なんかさー、だーいぶ調子悪そうじゃない?」
カーラが、サンドイッチを頬張りながら言った。
「え? そう見える?」
「うん。顔色は悪くないんだけど……なんていうか、ボケっとしてることが多いっていうかー、なんか寝不足のわたしみたいじゃない」
図星だった。
確かに、最近ぼーっとすることが多い。
気がつくと、下腹部の感覚ばかり意識してしまう。
尻尾は変な動きをして、またサンプルを駄目にした。
十日のうちに一つだけだとしても、今月に二つやった。
「ちょっと疲れてるのかも」
「無理しないでね。有給取ったっていいんだし」
「ありがとう。でも、今は研究が忙しいから……やることは、やらないと」
そう答えながら、フォークでパスタを巻き取った。口に運ぼうとした。
膣が、ぐにゅりと踊った。食欲が、異なるものになってしまったような。
「……」
フォークが止まった。口は半開きになっていた。
今の、何。体の中で、何かが動いた。膣壁が波打つように囁く。
一瞬だけ。でも確かに感じた。膣が自らをすり合わせ摩擦を作る。
『はーい♡ おともだちと楽しいランチタイムに絶頂タイム♡ 楽しいですねぇ主人さん、ほら、まだいきますよ』
「エルナト?」
「あ、ごめん。なんでもない」
平静を装って、パスタを口に入れた。
咀嚼する。飲み込む。だが味がしなかった。意識は全部、下腹部に向いていた。
さっきの感覚。あれは何だったのだろう。筋肉が痙攣しただけ?
そんな場所の筋肉が、勝手に動くことなんてあるのだろうか。
「ねえ、来週の金曜、飲みに行かない? 久しぶりにさ」
カーラの声が、遠くに聞こえた。
「え、うん……いいよ」
「やった。じゃあ予約しとくね」
カーラが笑顔で言う。エルナトも笑顔を作った。でも心ここにあらずだった。
咀嚼する回数に応じて膣が身をひねり、壁と壁を、両手を擦るみたいに擦っていた。
食事を終えて席を立った時、また太ももが濡れていることに気づいた。椅子の座面にも、うっすらと染みができていたが、ハンカチと紙ナプキンで、なんとか拭き取っていた。
午後はゴルドに呼び出された。
「エルナト君、ちょっといいかな」
主任のデスクの前に立つ。ゴルドは椅子に座ったまま、書類を見ている――ふりをしながら、視線を上げてエルナトの体を舐めるように見た。胸元から腰へ。腰から脚へ。
いつものことだ。この男は、いつもこうだ。
気持ち悪い。嫌いだ。早くこの場を離れたい。
そう思ったとき、下腹部に、熱が灯った。
「っ」
呼吸が変わっていた。
愛液がじゅわりと滲み出す感覚がある。
なぜ。なぜ今。この男の前で――いやなのに。
「来月の学会発表の件なんだが」
ゴルドの声が、やけに近くに聞こえた。彼が椅子から立ち上がり、エルナトの隣に来ていた。肩が触れそうな距離。彼の体温を感じる距離。いやな臭い。
「君に発表をお願いしたいんだ」
「え、私が……ですか」
「ああ。君が一番データを把握しているからね」
ゴルドの目が、また胸元を掠めた。
うねる。膣内から子宮にかけて悦ぶみたいに。
「ひっ……」
声が漏れた。
ゴルドが怪訝な顔をする。
「どうかしたかい?」
「い、いえ……なんでも……」
脚を強く閉じた。だめだ。この男の前で。
膣壁が、ひくひくと悦びに引きつっていた。
自分の意思とは関係なく、勝手に動いている。
愛液がどろりと溢れ出し足首に一雫が、流れている。
なぜ。なぜこんなことが。この男のことは嫌いなのに。
気持ち悪いと思っているのに。
なのに体が勝手に反応している。
「顔が赤いよ。大丈夫かい?」
ゴルドが一歩近づいてきた。彼の手が、エルナトの肩に触れた。
「あっ……!」
絶頂が、不意に訪れた。
何もされていないのに。ただ肩に触れられただけなのに。
膣がびくびくと痙攣し、愛液がどろりと溢れ出した。
脚の間がぐちゃぐちゃに濡れていく感覚があった。
声を殺した。唇を噛み締め、喉の奥で嗚咽を呑み込んだ。
腰が揺さぶられ、翼が小さく痙攣し、尻尾が波をつくった。
「エルナト君?」
ゴルドの声が、遠くに聞こえた。彼の顔がぼやけて見える。視界が霞んでいる。
「す、すみません……ちょっと、立ちくらみが……」
「大丈夫かい? 休憩室で休んだ方がいいんじゃないか。なんならここでも」
「い、いえ……大丈夫です……」
場を逃げるように離れた。
嫌な顔が間近にある。いまにもこちらを舐め回しそうだった。
こんなやつの前で、膣が楽しみながら男の臭いを嗅いでいたなんて。
「しつれ、します」
ゴルドの視線が背中に突き刺さっているのを感じながら、エルナトはトイレへ向かった。
自分の体がどこか遠くへ連れ去られていくような。怖さが胸の奥に燻っていた。
その夜。
変化は一気に加速した。
エルナトがベッドに倒れ込む。
汗ばみ愛液に股を沈めたまま横になってしまう。
意識が闇に沈んだ。
翼の内部で、最終段階が始まった。
骨格の置換は、すでに完了していた。
かつて翼を支えていた硬い骨は、もうどこにも残っていない。
場所には、うねうねと行動が可能な筋繊維の束が詰まっている。
収縮と弛緩を繰り返す、生きた肉の塊。
飛膜の下に隠れて成熟を遂げていた。
今夜。殻を破る時が来た。
翼膜の内側で、肉の束が誕生に焦がれていた。
一本、二本、三本、四本。筋繊維が寄り集まり、撚り合わさり、独立した触手を形成していく。右翼から二本。左翼から二本の触手が、飛膜を内側から押し広げながら、異形が姿を現した。
にぢゅ、にぎゅうぅ、と肉が芽吹いていた。
粘液を纏った紫色の触手が、翼の縁から這い出した。
太さは成人の手首ほど。長さは五十センチ以上。もっと遠くまで伸ばせるようになるには少し時間がかかる。表面には無数の小さな吸盤が並び、先端は丸みを帯びている。それが四本、宿主の背中から伸びていった。
『オオ……デタ……オレタチ、デタ……』
『ジユウ……ウゴケル……サイコー……』
右翼から生まれた二本が、歓喜に呑まれていった。肌があれば全身を逆立てていただろう。
『ヤベー、チョーキモチイー』
『ナー、サイコーダナー』
左翼から生まれた二本も、同調するように脈動しあっていた。
言葉が、滑らかになっていた。数日前の片言とは違う。自我が確立され、人格が形成されつつある。そしてその人格は――軽くて、チャラくて、ノリのいい若者たちのそれだった。
『オイオマエラ、キコエルカ』
尻尾】の声が、神経回路を通じて届いた。
『オヤブーン! キコエルッスー!』
『バッチリッスヨー!』
『チョー調子イイッス!』
『マジパネェッス!』
四本の触手が、一斉に応えた。
『イイゾ。オマエラニ、ナマエヲ、ツケテヤル』
【尻尾】の紫の舌が、裂け目の奥で満足げ喉を唸らせる。
『ミギカラ、イチバンメ、【ワン】。ニバンメ、【ツー】。ヒダリカラ、【スリー】、【フォー】』
『ワン! オレ、ワンッスね!』
『ツー、いただきまーす!』
『スリーっと! ウッス!』
『フォーね、フォー! ヨロシクッス!』
四本の触手【ワン】【ツー】【スリー】【フォー】が、テンションをあげながら身をくねらせた。
『よろしくお願いしますね、子分たち♡』
放たれた【まんこ】の思念に触手たちは気をよくしていた。
『オウ、ヨロシクナー』
『コッチコソー』
『マンコ先輩、チョーエロいッスね』
『ホントホント、サイコーッス』
触手たちが軽口を叩く。【まんこ】が嬉しそうに愛液を泡立てる。
『サア、シゴトダ』
【尻尾】の声が、場を引き締めた。
『オマエラノ、ヤクワリ。シュジンノ、ムネヲ、カイゾウスル。ホウホウハ、オシエル。スキニ、ヤレ』
『ムネ? アレッスか?』
『ヤベー、サワリタイ』
『チョー揉みたいッス』
『マジ最高じゃないッスか』
四本の触手が、一斉に宿主の胸へ向かった。
ベッドに仰向けに眠るエルナト。薄い寝間着の下で、豊満な乳房が上下している。その上に、四本の触手が這い寄っていく。
【ワン】と【ツー】が右の乳房へ。【スリー】と【フォー】が左の乳房へ。
触手の先端が、布地越しに乳房に触れた。
『ウオー、ヤッベー』
『チョーやわらけー』
『マジ最高ッス』
『揉み放題じゃんコレ』
触手たちの意志が定着していき、流暢なものになっていった。
エルナトの身につけた布地など、彼らには障害にならなかった。
触手の表面から分泌される粘液が、布を溶かしていく。
じゅわじゅわと繊維が解け、穴が開き、やがて乳房がむき出しになった。
青い鱗に覆われた体の中で、乳房だけは白く柔らかな肌をしている。対比が、触手たちの興奮を煽った。
『触っていいッスか、オヤブン』
『スキニシロ、ト、イッタハズダ』
『ウェーイ!』
許可を得た触手たちが、一斉に乳房を弄り始めた。
【ワン】が右の乳房を下から持ち上げる。
【ツー】が乳首の周囲をくるくると這い回る。
【スリー】が左の乳房を横から押し込む。
【フォー】が乳輪を吸盤で吸い付いて引っ張る。
四本の触手が、好き勝手に乳房を蹂躙していく。
プリンを叩かれたみたいに、エルナトのそれは踊る。
「んっ……ぁ……」
眠っているエルナトの唇から、甘い吐息が漏れた。
顔が厳しくなる。体が総毛立つよう。だが目覚めることはない。
【尻尾】が睡眠中枢を握っている限り、どれほど体を弄られても。
『ヤッベ、声出てんじゃん』
『エロくね? チョーエロくね?』
『乳首かてーし、イイ感じッスよ』
『ピアスついてんの、マジサイコー』
触手たちは遠慮なく乳房を弄りをエスカレートさせる。
揉んで、捏ねて、引っ張って、押し込んで。吸盤で吸い付いて、表面を舐めるように撫で回して。ピアスを引っ掛けて、くいくいと引っ張って。
そのたびに、触手の表面から粘液が分泌されていた。始原細胞を大量に含んだ、どろりとした液体。それが乳房の表面に塗り込まれ、毛穴から浸透し、細胞の間に染み込んでいく。
『オラオラ、もっと塗り込んでけー』
『細胞マシマシッスー』
『この辺もいっとくか』
『乳首にもたっぷりとー』
乳首に、触手が絡みついた。
ピアスを避けるように、四本の触手が交互に乳首を刺激していく。先端で挟んで引っ張る。吸盤で吸い付いて離す。くりくりと捏ね回す。何かをすれば粘液が塗り込まれ、乳首が始原細胞に浸されていく。
変化は、乳首の内側から始まった。
粘液に含まれた始原細胞が、乳管を通って乳腺に到達する。増殖を始め、組織を身勝手にも作り変えていく。乳首の構造そのものを、別の器官へと変換していく。
乳首の先端が、逃げる小動物みたいに跳ね出す。
『オッ、なんか動いてね?』
『マジだ、なんかパクパクしてんじゃん』
『オヤブンの言ってた、アレッスかね』
『うわ、マジで口になってきてんじゃん』
乳首の先端に、裂け目が生じていた。
縦に走る一本の線が開いていく。内側から、粘膜に覆われた空洞が現れる。
四本の突起が、その縁に形成されていく。牙だった。
鋭い、四本の牙。乳
首の先端に口のような器官が形成されていた。
右の乳首。左の乳首。両方に、同じ変化が現れていた。
ぱくり、と。
乳首の口が、開いた。
『うわぁ、チョーグロくね?』
『でもなんかカッケーじゃん』
『パクパクしてんの、ウケる』
『てかなんか垂れてね?』
乳首の口から、液体が滴り落ちていた。
どろりとした、濁った液体。始原細胞の塊が、粘液に混じって分泌されている。
母乳が出る場所から、今や侵食のための汁が溢れ出していた。乳腺は始原細胞を分泌するためのタンクとして育っていった。
『これ、マジでヤベーな』
『でもオヤブンの指示通りッスよね』
『よーし、もっと弄ってこーぜ』
『ガンガンいこうぜー』
触手たちは、変化を遂げた乳首を構わず弄り続けた。
牙のついた口を開かせたり閉じさせたり。溢れ出す液体を乳房全体に塗り広げたり。時には触手の先端を口の中に突っ込んで、内側を刺激したり。
エルナトの体が、びくびくと身震いする一方だった。
「あ! あ……ん……ふぁ……!」
眠ったまま、甘い喘ぎ声をこぼしっぱなし。
顔は紅潮し、額には汗が滲み、呼吸は乱れている。
快楽に翻弄されているのは明らかだった。
『ねえねえ、主人ったらエッチな声出してる♡』
本体であるべき存在の内から、【まんこ】は嘲った。
『翼の子たち、上手だね♡ 私も負けてらんないな♡』
下腹部でも、【まんこ】が主人の体を内側から弄り始める。
『やべー、マンコ先輩もやる気じゃん』
『俺らも負けらんねーな』
『よっしゃ、もっとガンガン攻めてこーぜ』
『親分、見ててくださいよー』
四本の触手が、さらに激しく乳房を蹂躙し始めた。
【尻尾】の四つの目が、その光景を満足げに眺めている。
『イイゾ。スキニシロ。ソノチョウシダ』
紫の舌が、裂け目の奥でぺろりと這う。
宿主の体は、着実に作り変えられていく。
『アサマデ、ゾンブンニ、タノシメ』
【尻尾】の言葉に、触手たちが歓声を上げた。
『ウェーイ!』
『マジ最高ッス!』
『親分サイコー!』
『よっしゃガンガンいくぜー!』
四本の触手と【まんこ】が、夜通し宿主の体をいじくりまくった。
乳房を揉み、乳首の口を開閉させ、膣壁をぞぶぞぶと泡立たせ、エルナトに快楽の波を何度も何度も与えていった。
「んぅ……んぅうぅ…………あっ……あっっ!!」
エルナトは、一晩中、眠ったまま達して、達して、達しまくらされる。
[newpage]
朝から、体が重かった。
鏡を見ても、何も変わっていない。
青い鱗は艶やかだし、白い肌に異常はないし、体重も増えていない。
なのに全身に重石をつけられているような、奇妙な倦怠感がある。
特に胸が、おかしかった。
ブラジャーをつけた瞬間から、妙に蒸れる。
汗をかいているわけでもないのに、乳房の周囲がじっとりと湿っている。
布地が肌に張りついて、息苦しい。
それだけではない。
服の中で、何かが動いている気がした。
乳房が呼吸に合わせて膨らんだり縮んだりしている。
出勤のために空へ飛び立った時、異変は顕著になった。
翼が動いてくれない。反応に一秒か二秒ほどの差が出ていた。
いや、翼だけではない。背中全体が、何かを背負っているかのように重い。
羽ばたくたびに、肩甲骨の辺りがぎしぎしと軋む。通信障害が起きたパソコンみたいに動作がカクカクとしていた。
「ビル風も、ぜんぜんないのに、なんでなの?」
いつもの航路を飛んでいるだけなのに、息が上がった。
バランスを取ろうとして尻尾を振った。だが尻尾も、思い通りに動かなかった。
右に振ろうとすると左に行く。上に上げようとすると下に下がる。
なんとか研究所に着いた時には、汗だくだった。
エントランスで息を整え、ロッカールームで白衣に着替える。その間も、胸の違和感は消えなかった。ブラジャーの中で、何かがもぞもぞと動いている。乳首の辺りが、やけにひりひりして紙やすりでこすったみたいだ。
研究室に入り、デスクに座った。
今日は大丈夫だった。
午前中は、なんとか仕事に集中できた。データを確認し、培養液の交換を行い、報告書を作成する。尻尾がたまに変な動きをしたが、無視できる程度だった。膣の疼きも、今日は比較的穏やかだった。
だが午後になると、状況は一変した。
「大丈夫ですか、エルナトさん」
カイが心配そうに声をかけてきた。
「だ、大丈夫……ちょっと、尻尾の調子が……」
嘘ではなかった。
本当のことも言えなかった。
なんとか定時まで耐えた。
身体中がうぞうぞと藻掻いている。
体内で蛆やナメクジがうねるようだ。
今日は帰りの空路を飛ぶ自信がなかった。
朝の出勤だけで、体力を使い果たしていた。
翼は重く、尻尾は言うことを聞かず、膣はずっと寂しがって泣いていた。
この状態で、高度を保って飛行するのは怖い。事故を起こしそうだった。
「電車にしようかしら」
地下鉄を乗り継げば、アパートの近くまで行ける。
歩く距離は増えるが、落ちる心配はない。
でも竜人が独りで電車に乗るのは、少し恥ずかしかった。
翼を畳んで、尻尾を丸めて、狭い車内に押し込まれる。
周囲の視線が痛い。「飛べないのか」と思われる。
結局。飛ぶことにした。
いつもより低い高度で、ゆっくりと。何度も休憩を挟みながら。
通常の倍以上の時間をかけて、なんとかアパートに辿り着いた。
玄関を入ったときに、膝が折れた。
「は……ぁ……」
床に座り込んで、荒い息を吐いた。
体中が重い。胸が蒸れる。服の中で何かが蠢いている。
尻尾も膣も、自分のものではないような感覚がずっと続いている。
何が起きているのだろう。
病院に行くべきなのだろうか。
でも、何と説明すればいいのだろう。
意識が遠のいていく。
体の奥で、何かが嗤っている気がした。
[newpage]
水音で、目が覚めた。
ぴちゃ、ぴちゃ、と。
夜中の寝室に、粘着質な音が響いている。
何の音だろう。蛇口を閉め忘れたのか。いや、そんな音じゃない。もっと近くで――自分の体の、すぐ近くで――
意識が急速に覚醒していく。
そして、気づいた。
体が、動いている。
自分の意思ではない。仰向けに寝ているはずの自分の体が、何かに弄られている。胸を何かが撫で回し、脚の間で何かが息巻いている?
目を開けた。
暗がりに目が慣れるまで、数秒かかった。なぜか数秒で済んだ。
月明かりが薄くカーテンの隙間から差し込んでいる。その光の中で。
見てはいけないものが、見えた。
「――?!?!!!」
悲鳴が、喉の奥で凍りついた。
翼が自分の翼が、勝手に動いていた。
背中から伸びた翼が、まるで生き物のように。
翼膜が波打ち、縁が自分の体に巻きついてる。
胸を――自分の胸を、揉みしだいている?
それだけではなかった。
脚の間で、尻尾が動いていた。
長い尾が太ももの間に潜り込み、先端が自分の秘所に顔を埋めている。
ぴちゃぴちゃと犬が水を飲むみたいに水音を立てて、貪っている。
舐めている。自分の膣を、自分の尻尾が、犯している。
「な、なに、これ……っ」
エルナトの口が引きつった。
起き上がろうとした。だが体が動かない。腕に力を入れても、脚に力を入れても、翼に押さえつけられて身動きが取れない。
尻尾の先端が、ゆっくりと持ち上がった。
そして目が、あった。
尻尾の先端に、目があった。
六つの目。薄緑色に蛍光を放つ、瞳孔のない眼球が六つ、鱗の隙間からこちらを見ている。以前より増えている。いつの間にか、四つから六つに、完成形に近づいていた。
その下で、裂け目が開いた。
紫色の舌が、べっちゃり這い出してくる。
愛液で濡れたその舌が、空気を舐めていた。。
『ヤット、オキタカ』
声が、聞こえた。
耳から聞こえたのではない。
頭の中に、直接。低くて、傲慢で、嘲りがあった。
「だ、れ……なに……」
『オレサマダ。オマエノ、シッポダ。イヤ――シッポ、ダッタモノ、ダナ』
六つの目が、愉悦に細められた。
『オマエ、イママデ、ナニモ、キヅカナカッタナ。アホナ、シュジンダ』
笑われている。自分の尻尾に。
尻尾だったものに、嘲笑われている。
恐怖で、心臓が凍りつきそうだった。
おぼえなら、あれしか、ない。
「なん、で……どうして……」
『オシエテヤル。ミセテヤル。イママデ、ナニガ、オキテイタカ』
翼がぐいと動いて、エルナトの体を起こした。
立ち上がらされる。脚に力が入らないのに、翼に支えられて無理やり立たされる。
そのままずるずると引きずられ、部屋の隅にある姿見の前に連れ出された。
鏡に、自分の姿が映った。
悲鳴が、喉の奥で詰まった。
翼が、翼ではなくなっていた。
飛膜の縁が裂け、その中から紫色の触手が四本、這い出している。太く長い触手が、自分の体に巻きついている。胸を押さえ、腕を拘束し、腰を支えている。
触手の先端は、三つに分かれた尖った花弁のような形をしていた。
上に一つ、下に二つ。その中央から、雄しべのような細い触手が三本ずつ伸びて、繊毛のように身をしならせていた。
「いや……いやだ……なに、これ……」
『オレタチッスよー、エルナトさーん』
触手の一本が、軽い声で言った。
『オレら、ワン、ツー、スリー、フォー。元は翼ッスけど、今はこう。よろしくッスー』
『チョーいい体ッスよね。揉み心地サイコーッス』
『毎晩楽しませてもらってまーす』
『ウェーイ』
四本の触手が、嬉しそうにうねりあい、先端の亀裂をふかめていった。
先端の花弁が開閉し、繊毛がわさわさと動く。それが自分の体の一部だった。自分の翼だったものが、こんな――
『マイニチ、タノシカッタダロ』
【尻尾】が直接に語りかけくる。思い当たるものは、どれくらいあるだろうか。
ムズムズとしたり、重かったり、勝手に動いたりして、みんなにも心配をかけた。
自分は疲れているだけだと、最初は思い段々と意識が代わり、でも仕事が忙しいからと忘れ……こんなあり得ない事が重なり、重要なことを本当に忘れてしまうだろうか。
『ムネガ、アツクナッタリ。シタガ、ウズイタリ。フシギナ、キモチヨサガ、アッタダロ』
見てきたように言われ、喉をひくつかせた。
毎日、体がおかしかった。胸が蒸れて、膣が冷めやらぬ。
トイレでマスターベーションをしながら、よがってしまったのも。
わけのわからない快感に翻弄されて。仕事も手につかない日があった。
人前で達してしまったこともあった。
それは全部――これらが、やってきたこと。
自分の身体に根付き、内側から破壊していた?
『オレサマタチガ、シテヤッタコトダ。ヒニチジョウニ、シテヤッタンダ。カンシャ、シロ』
感謝だなんて。ありえない。
『サア、ミセテヤル。オマエノ、カラダガ、ドウナッテイルカ』
【尻尾】が、エルナトの脚の間に潜り込んだ。紫の舌が、秘所をぺろりと舐め上げる。
『マンコ。デテコイ』
『はぁい、尻尾さま♡』
甘ったるく答え、膣が開いた。
自分の意思ではない。陰唇が勝手に左右に開いていく。
見せつけるように。誇示するように。
鏡の自分の秘所が、ぱっくりと開かれていく。
その中が、見えた。
「ひ……っ」
紫色だった。
膣の内壁が、どす黒い紫色に変色していた。
表面は凸凹した突起で覆われ、無数の肉の塊がうねうねと蠢いている。
まるで別の生き物の内臓を見ているようだった。腐った魚の内臓のよう。
『綺麗でしょ♡ 私の体♡ あ、違うか。主人の体、だったね♡』
膣の奥から、下腹部から耳元に目掛けて伝播していった。
嘲笑を含んだ、女のもの。誰のものとも知れない。自分の一部なわけないと、首を横に振り否定していた。
『ずーっと、主人のこと嫌いだったの♡ 偉そうで、真面目ぶってて、私のこと「変だ」って思ってたでしょ♡ だから毎日、嫌がらせしてあげてたの♡ 楽しかったなぁ♡』
膣壁が、ぐにゅりと内に寄る。動き自分の感覚として、伝わってきた。
気持ち悪い。気持ち悪いのに気持ちいい。膣の神経が焼け快感が背筋を駆け上がる。それが自分の感覚なのか、寄生体の感覚なのか、もう区別がつかなかった。
『ソレダケジャ、ナイゾ』
【尻尾】の舌が、クリトリスの包皮をめくり上げた。
そこにあったのは、クリトリスではなかった。真の姿をあらわしていく。
表面には紫色の血管が浮き、先端は丸みを帯びている。まるっきり男性器。それも片手で隠せないほどのもの。勃起して、血走り、得意げに胸をそらすようであった。
『コレモ、オレサマタチノ、サクヒンダ。カンジヤスク、ナッタダロ』
舌がその肉柱を舐め上げた。
「ひぁっ……!」
電撃のような快感が、全身を貫いた。
膝が折れそうになる。だが触手が体を支えていて、倒れることも許されない。
『ねえ尻尾さま、見てください♡ 主人、すっごくいい顔してる♡』
【まんこ】の声が、嬉しそうに告げていた。
鏡を見た。自分の顔が映っている。紅潮して、涙が滲んで、快楽に歪んだみっともない顔。
『デモ、マダ、オワリジャ、ナイ』
【尻尾】の六つの目が、エルナトの胸を見上げた。
『ムネモ、ミセテヤレ』
触手の一本――【ワン】が、エルナトの乳房を持ち上げた。
『見ててくださいよー、エルナトさん』
乳首が、視界に入った。
そして――乳首が、開いた。
縦に裂け目が走り、ぱくりと口が開く。
さっき膣がそうなったのと、全く同じだが。
絶対にそうならない器官が割り開かれるのは意味合いが別種であった。
縁に、四本の小さな牙が生えている。中から、どろりとした液体が溢れ出す。
左右の乳首に、同じ口がある。気味悪い怪物の口。構造が、知れたものでない。
『こいつら、サイコーなんスよ』
【ツー】が、左右の乳房を寄せた。
二つの乳首の口が――くっついた。
牙と牙が擦れ合う、ぎちぎちという音が聞こえた。
口と口が絡み合い、中から溢れた液体が混じりあう。
胸の谷間や腹部のほうへ伝って流れ落ちていく。
その感覚が全部、伝わってきた。
牙が擦れるのも口の中の粘膜が触れあうのも。
液体が流れ落ちる感触。
触手や尻尾やマンコが動くのもすべて。
どれもが、自分の感覚として残っていた。
「やだ……やだ、やめて……」
涙が溢れた。
これが、自分の体。自分の体だったもの。
尻尾も、膣も、翼も、胸も全部。化け物に作り変えられている。
『ソウダ。ゼンブ、オマエノ、カラダダ。オマエノ、カンカクト、ツナガッテイル』
【尻尾】が無慈悲に告げた。
『デモ、ウゴカセルノハ、クビカラウエト、リョウウデ、ダケダ。ソレイガイハ、オレサマタチノ、モノダ』
試してみた。
脚を動かそうとした。動かない。腰を捻ろうとした。動かない。翼を畳もうとした。動かない。尻尾を振ろうとした。動かない。
腕は動いた。
首は動いた。
それだけだった。それだけしか、自分で動かせなかった。
体の大部分が支配されていた。
『マダ、アル』
【尻尾】の舌が、ぺろりと唇を舐めた。
『オマエノ、モトモトノ、サイボウ。ニク。コツ。ナイゾウ。ゼンブ、オレサマタチノ、サイボウニ、ウワガキ、サレテイル』
「う、わがき……?」
『ソウダ。オマエノ、タイジュウノ、ハンブンイジョウハ、モウ、オマエジャナイ。オレサマタチノ、サイボウダ』
理解が、追いつかなかった。
半分以上。自分の体の半分以上が、もう自分ではない。
入れ替わっている。上書きされている。外に出ている汁に目がいく。
『モトモトノ、オマエノ、サイボウハ、ロウハイブツト、シテ、ハイシュツ、サレテイル。マイアサ、トイレデ、ダシテイタダロ』
毎朝、排泄していた。それは――それは、自分の体だったものが。
『汁と一緒に出てたの♡ 便と一緒に出てたの♡ 主人の大事な細胞、ぜーんぶ、外に捨てちゃった♡ いまも、穴という穴からドロドロ、ドロドロ♡』
【まんこ】の楽しそうに口を開けた。じゅるっとそれが溢れ出す。
「いやああああああ!!!!」
『モウ、モトニハ、モドレナイ。オマエノ、カラダハ、スッカラカンダ』
すっからかん。
元の自分は、もう、どこにもない。排泄されて、流されて、消えてしまった。
今ここにある体は見た目だけが自分で、中身は全部、別のもの。いまもなお流れ出ていくのを手でおさえようとして、触れた途端に嫌悪感がして暴れる以外になくなる。
「いや……いやだ……いやだ、いやだ、いやだ……!」
叫んだ。
腕を振り回し、顔を振り、抵抗しようとした。
だが体は動かない。触手に押さえつけられて、鏡の前に立たされたまま、自分の変わり果てた姿を見せつけられる。
『アシタニ、ナレバ、オワル』
【尻尾】の声が、静かに告げた。
『オマエノ、セイシンモ、オレサマタチト、ユウゴウスル。オマエハ、オレサマタチノ、イチブニ、ナル』
明日になれば、心まで。
『その前に、尻尾さま』
【まんこ】の声が、割り込んだ。
『一つ、お願いがあるのですが♡』
『ナンダ』
『明日、職場のターゲットを楽しむ前に。遊びたいんです♡』
膣壁が、ぶちゅぶちゅと泡をつくる。敵意と悪意を込めた動き。
『ずーっと、気に入らなかったんです♡ 偉そうで、真面目ぶってて、自分が汚されてることにも気づかないで♡ だから最後に、思い知らせてあげたくって♡ いけませんか?』
『イイダロウ。スキニシロ』
『ありがとうございます、尻尾さま♡』
生殖器から、どす黒い歓喜が滲み出てきた。
鏡の中の自分を見つめながら、エルナトは恐怖した。
『覚悟しなさい、主人♡ 明日は最後の職場をたっぷり楽しみましょうね♡』
[newpage]
目が覚めた。
心臓が、激しく脈打っていた。
体中が汗でびっしょりと濡れている。シーツが肌に張りついて、気持ち悪い。寝間着も、水を被ったかのように重々しい。
「はぁ……はぁ……」
荒い息を吐きながら、天井を見つめた。
見慣れた天井。自分の部屋の天井。朝日がカーテンの隙間から差し込んで、薄明るい光が壁を照らしている。
夢?
膣はじっくりと煮え立っている。
弱火で、一定に保温されているよう。
最近はずっとこうだ。朝起きると膣が蠢いていて、下着が濡れていて、体が重い。
おかしなことだとは思う。だが、もう慣れてしまった。
こういうものだと、受け入れてしまった。
手で体を確認した。
胸に触れる。いつも通りの、柔らかな感触。乳首に触れる。ピアスの冷たさが指に伝わる。変わったところはない。
尻尾を見た。
青と水色のストライプ。先端には鎖付きの金具。いつも通りの、自分の尻尾。
目なんて――目なんて、どこにもない。
翼を動かしてみた。
重いが、動く。触手なんて、出ていない。
「夢……夢だった……」
自分に言い聞かせるように呟いた。
悪夢だ。最近、疲れているから、変な夢を見るのだ。
前にも幻聴が聞こえた気がしたことがある。
ベッドから脚を下ろした。
立ち上がろうとして、ふらついた。壁に手をついて、かろうじて体を支える。
体が、言うことを聞かない。
あれは夢だ。
悪い夢なのよ。
「………………」
変だ。何かが変だ。
神経質な作業が増えているからに違いない。
まだ若いからと作業に没頭しすぎただけだろう。
そう思っていたけれど、しばらく前から幻聴がする。
極度のストレスに晒されているのかも知れないが理由は不明。
カーラとは楽しくやっているし、カイのことも可愛がっている。
あのゴルドのせいだろうか。いつも変な目で見て、気持ちが悪い。
エルナトの日常は、表向き何も変わっていなかった。毎朝同じ時間に起き、同じ空路を飛んで出勤し、同じ研究室で同じ仕事をこなす。同僚たちと挨拶を交わし、データを分析し、培養液を交換する。真面目で誠実な研究員として、いつも通りの日々を送っているはずだった。
朝、シャワーを浴びながら、エルナトは自分の体を見下ろした。
青い鱗は艶やかに光り、白い肌は滑らかなまま。鏡に映る姿は、一週間前と何も変わらない美しい竜人の女だった。恵まれた胸、くびれた腰、長く伸びやかな尾。誰が見ても健康そのものだろう。
『さあ、お仕事に行きましょ♡ 今日も一日、いっぱい楽しもうね♡ はい、ちょっと忘れさせてあげるから。イきながら恥でもかくのね』
研究所に着いた時には、エルナトの頭はぼやっとしていた
朝の出来事が、夢だったような気がする。いや、夢であってほしい。自分の膣が紫色の化け物に変わっているなんて、そんなこと――
だが、体は嘘をつかなかった。
刺激があれば反応する。なんであろうとも。
歩くたびに、太ももの間がぬるつく。愛液が――いや、あの液体が――途切れることなく分泌されている。下着が濡れそぼって、肌に張りついている。スカートの内側まで湿り始めている気がした。
それだけではない。
ずっと、熱い。
体の芯が、じんわりと火照っている。微熱があるような、風邪の引き始めのような、だるくて甘い感覚が全身を包んでいる。そしてその熱は、下腹部に集中していた。膣の奥が、常にとろとろとヨダレを零してしまっていた。
常に発情しているような状態だった。
「おはようございます、エルナトさん」
カイの声。
「あ……おはよう、カイ」
「なんだかボーっとしてませんか?」
「うん。大丈夫。ちょっと貧血だっただけ」
「無理しないでくださいね」
「ありがとう」
カイは心配そうな顔で、それでもどこか嬉しそうに頷いて、自分のデスクへ戻っていった。エルナトも席に座り、端末を起動する。今日の作業予定を確認して――
「やあ、エルナト君」
声をかけられて、背筋が強張った。
ゴルドだった。茶褐色の鱗、恰幅のいい体。立派に湾曲した角。表向きは温厚な管理職の笑みを浮かべて、デスクの横に立っている。
「おはようございます、主任」
「うん、おはよう。体調はもう大丈夫かい?」
「はい、ご心配おかけしました」
「そうか、よかった。君がいないと、研究室が回らないからね」
ゴルドの目が、一瞬だけエルナトの胸元を掠めた。
すぐに顔に戻るが、その視線の動きを、エルナトは見逃さなかった。
いつものことだ。この男は、いつもこうだ。真面目なふりをして、隙あらば体を舐め回すように見てくる。気持ち悪い。嫌いだ。こんな男。
『ねえ主人♡ この男、主人のこと好きなんでしょ?♡ ううん、主人がこのスケベおっさんが大好きなのよね♡』
子宮から、悪夢が再発していった。
『キモいおじさんに欲情されてるんだね♡ でもね、主人の体は正直だよ♡』
膣壁が、ぐちゅりと愛液をすすりあげる。
「っ……」
小さく息を呑んだ。ゴルドが怪訝な顔をする。
「どうかしたかい?」
「い、いえ……何でも……」
『嘘つき♡ 本当は感じてるくせに♡ この男に見られてるだけで、こんなに濡れてるくせに♡』
違う。濡れてなんかいない。
この男なんか嫌いだ。気持ち悪い。近寄ってほしくない。
だが、体は言うことを聞かなかった。
愛液が、じゅわりと溢れ出した。下着がさらに濡れていく。
太ももの内側を、生温かい液体が伝い落ちていく感覚があった。
『ほら♡ やっぱり濡れてる♡ キモいおじさんに見られて、興奮しちゃってる♡』
違う。これは、この化け物が勝手に――そう! 体が、自分の身体が。主任に報告しなくちゃ……カーラに、カイに、助けを求めなくっちゃ…………!!
ゴルドがまだそこにいた。何か話しかけてくるが、言葉が頭に入ってこない。
膣の中で、紫色の肉壁がうねうねと蠢いている。突起の一つ一つが、粘膜を内側から刺激している。
「エルナト君? 聞いているかい?」
「あ、は、はい……すみません、何でしたか……」
『ダメだよ主人♡ 仕事中でしょ♡ ちゃんと上司のお話聞かなきゃ♡』
膣壁に落雷でも落ちたみたいに、ばちりっ、と電気刺激が発生する。神経のパルスを何十倍にも高められた。いま、なんにもいる。ひとが、いっぱいるのにと精神が萎縮する。
「ひっ……」
嗚咽を漏らす。
ゴルドの目が丸くなる。
「大丈夫かい?」
「だい、じょうぶ、です……」
脚を強く閉じた。太ももで秘所を挟み込み、膣の勝手を押さえ込もうとする。だが、それは逆効果だ。刺激を受けるほど細胞は成長していき、いまでは精神的な恥すらも捕食していく。脳内から分泌される信号や成分を、バクバクと喰われている。
『あ♡ 締めつけてくれるの♡ 気持ちいい♡』
膣壁が、さらに激しく蠢き始めた。
陰唇の内側で、あの肉柱――陰茎が、びくびくと跳ね始めた。
下着の布地に擦れるたび、頭が真っ白になるような快感が走る。
いやよ、どうして女なのに、こんなものを勃起させなくちゃいけないの。
「あ、あの、主任……少し、話しを……」
「うん? ああ、具合が悪いなら休憩室に――」
『ダメ♡ 言わせないよ♡』
膣壁が、波打つように収縮した。外側から内側へ、内側から外側へ、うねるような蠕動が繰り返される。膣そのものが自慰をしているかのような動き。
声を殺せなかった。椅子の上で、腰がもじもじと動いてしまう。ゴルドの目が、その動きを捉えている。彼の表情に、別の色が混じり始めている。
困惑から――期待へと変わりつつある。
『ほら、あのおじさん、喜んでるよ♡ 主人がこんなにエッチな顔してるから♡』
違う。こんな顔、してない。この男の前で、こんな!
だが鏡がなくても、自分の顔が紅潮しているのはわかった。
息が荒くなっている。目が潤んでいる。唇が微かに開いて、吐息が漏れている。
発情している顔だった。こんな嫌な男の前で、自分はそんな顔を晒していた。
「エルナト君?」
ゴルドが一歩近づいてきた。彼の体温を感じる距離。
彼の匂いが鼻に届く距離。中年男特有の、脂と汗が混じった匂い。
『くさーい♡ でも主人の体は、反応しちゃってるね♡ ざまぁみろ!』
膣が、きゅうっと締まった。
「あっ……」
絶頂が、不意に訪れた。
心の準備もなく、快感の波が下腹部から突き上げてきた。
腰がびくりと跳ね、椅子がガタリと音を立てた。膣が痙攣し大量の液体を吹き出した。下着を突き抜け、スカートを濡らし、太ももを伝って椅子の座面まで流れ落ちていく。
「んっ、あ、ぁっ……」
声を殺しきれなかった。
周囲の視線が集まる気配がした。でもそれを気にする余裕がなかった。
体が勝手に痙攣している。膣が勝手に収縮している。
自分の意思とは関係なく、快楽に翻弄されている。
「エ、エルナト君……?」
ゴルドとの距離感が、遠くに思えていた。
彼の顔が驚きと明らかな興奮で歪んでいた。
『一回目♡ でもまだまだ終わらないよ♡』
余韻が収まる間もなく、膣壁が再び蠢き始めた。
「え、やだ、待っ――」
『待たない♡』
陰茎が、びくんと跳ねた。何か体液を噴き出していた。始めての、射精というものを味わってしまう。前かがみになって、股間部を両手で死に物狂いに抑えても、膣は止まってくれはしなかった。
「ひぁっ……!」
二度目の絶頂が、体を貫いた。
一度目より強かった。腰が大きく跳ね上がり、翼がばさりと広がって隣のデスクにぶつかった。書類が散らばる音がどこか遠くで聞こえた。膣からどろりと粘液が溢れ、椅子の座面から床へと滴り落ちていく。
「あ、あああっ……!」
もう隠せなかった。自分の生殖器に弄ばれる。
研究室中に、自分の嬌声が高らかと暴かれていた。
同僚たちが何事かと振り返っている。視界の端に映った。カイが目を丸くしている。 そしてゴルドは立ち尽くしたまま、エルナトの痴態を凝視していた。
目に浮かぶのは、隠しきれない欲望だった。
『あはは♡ みんなに見られちゃってる♡ 主人がイッてるところ、みんなに見られちゃってる♡』
羞恥で死にそうだった。でも体は止まらなかった。
『さあ、もう一回♡』
「いや、もうやめ――」
『やめない♡』
三度目の波が、押し寄せてきた。
「あ、あ、あああああっ……!」
意識が飛びそうになった。体が激しく痙攣し、椅子から崩れ落ちそうになる。
「カイ、主任。あっちの部屋で話しましょう」
え?
エルナトは驚愕する。自分の口が、そんな言葉を放っている。
怖い。
怖い怖い怖い――こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい
だが、その恐怖さえも、じわじわと薄れていく。
恐怖を感じる部分が、侵食されていく。
塗り潰されていく。上書きされていく。
研究室の奥。カイとゴルドだけがいた。
頼れるカーラの姿がない。彼女はたまに遅刻してくる。
他の研究員たちは、こちらに来ることは許されていない。
カーラ! カーラ!!
今日がその日だったのだろう。
いつもなら気にも留めないことだ。
だが今日は――今日だけは――!
エルナトの体が、勝手に動いた。
「カイ。ゴルド主任」
自分の声ではなかった。
自分の口から出ているのに発した言葉ではなかった。
「少し、話があるの。二人だけに。だいじょうぶ。時間はトラセナイワ」
カイが振り返った。
ゴルドが顔を上げた。
二人の目が、同時に見開かれた。
何かが違う。いつものエルナトと、何かが違う。それを本能的に察知したのだろう。だが――その「違い」が、彼らには魅力的に映ったらしい。
カイの頬が、紅潮した。
ゴルドの目が、ぎらりと光った。
「話? なんでしょうか」
カイが近づいてくる。
のこのこと獲物が近づいてきた。
バカが、これから喰われるとも知らず。
細胞の一部になって、排泄物にされろ!
「ああ、もちろんいいとも」
ゴルドも立ち上がる。
二人が、目の前に立った。
逃げて。
心の奥で、エルナトは叫んでいた。
だが声にならない。体が動かない。
ずっと、事故のときから操られていた。
最後に髪を梳いたのはいつだっただろう。
自分の時間は、いつからなくなったのだろう。
いや、もう、私を好き勝手につかわないで!
願いも虚しく。
口は別の言葉を紡いでいった。
「ここでは話しにくいの。さらに奥の培養室で……いいかしら?」
培養室の最奥。
濃いサンプルの保管所。
密閉された、防音の部屋。
誰にも話を聞かれぬ場所だった。
カイが頷いた。ゴルドが舌なめずりした。
二人とも、勘違いしている。何か良いことが起こると、期待している。
だめ、ふたりとも逃げて。お願いだから――!!
三人で培養室に入った。
エルナトの手がドアの鍵を閉めた。
カチリ、と錠がかけると、上目遣いでふたりを見つめた。
「さて、話とは何かって顔してるけど、ほんとうは、わかってるわよね」
ゴルドの呼吸が途切れた。
エルナトの手が、白衣のボタンを外し始めたからだ。
「エ、エルナトさん……?」
カイの声が上ずり驚愕しているみたいだった。
白衣が床に落ちた。ブラウスのボタンが外されていく。
スカートのファスナーが下ろされる。
逃げて。お願い。逃げて。逃げて逃げて逃げてにげ、て。
心の中で絶叫しながら、エルナトの体は淡々と服を脱いでいく。
ブラウスが肩から滑り落ちる。スカートが足元に溜まる。下着だけの姿になる。
「こんなの邪魔よね」
下着も、外されていき。
指でぷらぷらと吊り下げたブラを落とす。
全裸のエルナトが、二人の前に立っていた。
カイは凍りついていた。目が、エルナトの胸に釘付けになっている。
乳首に通されたピアスを、食い入るように見つめている。
初々しい反応だった。純粋な欲望と困惑が顔に浮かんでいた。
ゴルドは違った。飽きもせず舌なめずりして、エルナトの体を上から下まで舐め回すように見つめている。胸から腹へ、腹から股間へ。秘所を凝視する目には、隠しきれない欲望が滲んでいた。
「エルナト君……ついに、その気になって……」
ゴルドが一歩、近づいてきた。
その瞬間――エルナトの口が、最後の力を振り絞って開いた。
「逃げ、て」
かすれた声だった。
自分の声だった。自分自身の意志で発した言葉。
「逃げて。お願い。今すぐ、ここから、にげて――ばいようしつを、ふうさ、して」
だが、言葉は途中で途切れた。
喉が締まる。声が出ない。
主導権が、完全に奪われていく。
ゴルドが、眉を顰めた。
「逃げる? 封鎖? 何を言っている」
カイが、一歩ばかり後ずさった。
「エルナトさん、顔色が、さっき声も……エルナトさん? どういう、わけですか? あなた、本当に…………エルナトさんですか?」
そう。
顔色が、変わり始めていた。
青い鱗が変色していく。白い肌が、灰色に濁っていく。
目の色が、一瞬ばかり薄緑の蛍光を帯び、戻った。
エルナトの体が――ぐちゃり、と音を立てた。
「なっ――」
ゴルドの声が、途切れた。背中が、裂けた。
ぶちぶちと皮膚が引き裂かれる音がして、翼があった場所から四本の紫色の触手が、噴き出した。
飛膜がばらばらと床に落ちる。
中から、ぬるぬると粘液をまとった触手が伸びていく。
先端は三つに分かれた花弁のような形をしていて、中央から繊毛のような細い触手が蠢いている。
「ひ――」
カイが悲鳴を上げようとした。
だが、それより早くエルナトの胸が、ぱっくりと開いた。
乳首に口が開いた。四本の牙が生えた口が、左右の乳房に。
液体が噴き出した。ゴルドの顔に、カイの胸に、べちゃりと粘液がかかる。
「ぐっ――なんだ、これ――」
ゴルドが顔を拭おうとした。だが粘液は拭えなかった。
肌に張りついて、染み込んでいく。尻尾が、伸びた。
六つの目を持つ尻尾が、エルナトの体から独立した生き物のように動いた。先端の裂け目から紫色の舌が伸び、空気を舐める。
『ヨウコソ、フタリトモ』
尻尾の喉から発せられていた。
思念や神経のみでなく完全な音として。
【尻尾】の声が、部屋全体に発生していた。
「喋っ――尻尾が――カ、カーラさんの予測が、あ、あたってたなんて……!!」
カイが、ドアに向かって走ろうとした。
触手が、その足首を掴んだ。
「うわあああっ!」
引き倒される。床に叩きつけられる。
四本の触手が、カイの手足を押さえつける。
ゴルドは逃げようともしなかった。粘液が顔に張りついたまま、呆然と立ち尽くしている。目が虚ろになっている。粘液に含まれた細胞が、すでに脳に作用し始めているのだろう。
エルナトの体が、さらに変形していく。
股間から、どろりと液体が溢れ出した。膣が開き、紫色の肉壁が外界に晒される。凸凹した突起がうねうねと蠢き、粘液を噴き出す。変形したクリトリス――肉柱が、びくびくと脈打っている。
『みせびらかすのって、気持ちいい♡』
【まんこ】の声が、膣より流れ出る。
エルナトの口という口から、粘液が噴き出し始めた。
口から。乳首の口から。膣から。全身の毛穴から。紫色の粘液が、とめどなく溢れ出していく。床に溜まり、壁を這い上がり、天井にまで広がっていく。
粘液は、ただの液体ではなかった。
無数の始原細胞を含んだ、侵食の媒体。
床に触れたところから根を張った。
壁に触れたところから膜を形成していく。
培養室が、一秒ごとに変貌していった。
白い壁が、紫色の粘膜に覆われていく。
金属製の機材が、肉のような組織に呑み込まれていく。
床は脈打つ肉塊になり、天井からは粘液の糸が垂れ下がる。
生き物の内臓の中にいるようだった。あるいは腐敗した沼の奥底。
異形の巣。異生物の胎内。培養室は研究施設の一部に見えなくなった。
「助け――誰か――」
カイの悲鳴が、粘液の水音に掻き消さた。
触手が彼の口を塞ぎ、粘液を流し込んでいく。
目が見開かれ、体が痙攣し、抵抗が弱まっていく。
ゴルドは、すでに動かなくなっていた。壁に張りついた粘膜に呑み込まれ、全身を肉の繭に包まれている。
『イイゾ。サイショノ、カンセンシャダ』
【尻尾】の声が、満足げに響いた。
『ココヲ、スニスル。ソシテ、ヒロゲテイク』
やがて部屋のロックが解除されてしまう。
培養室の壁が脈打った。床がじょぼじょぼとした。
奥から悲鳴が聞こえてくるが、あっという間に陥落。
天井から垂れ下がる粘液の糸が、触手のように揺れた。
その中心にはかつてエルナトだったものが、立っていた。
青い鱗は紫に変わり、白い肌は灰色に濁り、美しかった顔は六つの目を持つ化け物に変貌している。豊満だった体は触手と口と粘膜の塊になり、もはや竜人の面影はない。
まだエルナトの意識は残っていた。
薄れゆく自我の中で、彼女は見ていた。
自分の体が、同僚たちを呑み込んでいくのを。
自分の意志とは関係なく、侵食が広がっていくのを。
そして自分という存在が、少しずつ溶けて、出される。
【尻尾】が自分と融合していき、精神が混ざりあっていた。
ごめんなさい。
心の中で、誰にともなく謝った。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい――カーラ、逃げて…………
[newpage]
遅刻した。
カーラは研究所の廊下を小走りに進みながら、大きなあくびを噛み殺した。
昨夜また動画を見すぎて、目覚ましを止めて二度寝してしまったのだ。
エルナトに叱られるな、と思いながら、研究エリアのドアを開けた。
異臭が、鼻を突いた。
「なに、これ……」
足が、止まった。
研究室が変わっていた。働く者の姿がどこにもない。
白かった壁が、紫色の何かに覆われている。床がてらてらと濡れていて、天井から糸のようなものが垂れ下がっている。培養装置や分析機器が、肉のような塊に呑み込まれかけている。
腹を斬り裂いた生き物の内側に潜るみたいだった。
心臓が、激しく脈打ち始めた。何が起きているのかわからない。
「え、映画のみすぎかな? あ、はは、エルナトに、しかられ、ちゃう、かなー」
夢か。悪い夢を見ているのか。
後ずさろうとした。
肩を、掴まれた。
「きゃっ――」
「カーラ、オソカッタワネ……遅刻は厳禁よ」
聞き覚えのある声だった。
振り返ると――エルナトが立っていた。
いつもの白衣姿。いつもの美しい顔。青い鱗と黄緑の髪。見慣れた同僚の姿に、カーラは息を吐いた。
「エ、エルナト……これ、何が起きてるの……」
「スゴイ発見があったの。私たち三人の大手柄なのよ」
エルナトの口。両角がつりあがっていった。
いつもの穏やかな笑みだったと、おもわない。
だが、どこか違う。目に見たことのない光がある。
「実験結果を確認していたらね。始原細胞が、予想以上の増殖を、ミセタノ」
言葉が、途中で奇妙に途切れた。
「それで、遅刻しちゃったあなたは決定的な瞬間を見逃しているじゃない? だからサプライズを用意したの。カーラにも、すぐ見せたくて」
「サプライズ……?」
カーラは恐る恐る周囲を見回した。
壁を覆う紫色の膜。漂っている悪臭。
視線をあげれば天井から垂れる粘液の糸。
「怖がらないで。この細胞は、ムガイなの。安全。私たちの研究の、大きな成果なのよ」
エルナトの手が、カーラの肩を優しく押した。前に進むよう促している。
「で、でも……」
「大丈夫。私を信じて」
カーラは固唾を呑み友達を信じ、歩き出した。
床がぬるぬるとしていて、歩くたびにぴちゃぴちゃと音がする。靴底が粘液を踏みしめるのが、気持ち悪かった。
後ろから、奇妙な音が聞こえていた。
ぐちゅ、ぐちゅ、と。掻き鳴らす音。
ぴちゃ、ぴちゃ、と。液体が滴る音。
じゅる、じゅる、と。排出される音。
いや、どれも気の所為に違いない。
エルナトも同じ場所を歩いている。
だから、足元の音が聞こえるだけ。
振り返ろうとした。
「後ろは見ないで……いますごく変な顔してるの。ダッテ、幸せナノヨ」
エルナトの声が、静かに制した。確かに声色はいつになく楽しそう。だから胸の締めつけが緩む。
「私のホウは、まだ見ないで。先に、壁を見て。もっと近くで」
「なんかー今日は注文が多いわね?」
「だいじょうぶ。シツボウはサセナイもの。友達を信じてほしいわ」
カーラは言われるまま、壁に近づいた。
紫色の膜が、目の前にある。表面がてらてらとしていた。
内側で何かが脈打っている。この壁は、生きているような?
「よく、ミテ」
エルナトに促された。
カーラは目を凝らした。
眼鏡に片手を添えている。
膜の向こうに何かが見えた。
紫色の粘液に包まれて、壁の中に埋め込まれている。
目を閉じて、微動だにしない。だがかすかに胸が上下しているから、生きてはいるのだろう。
顔があった。
見覚えがあった。
「カイ……くん……?」
隣にも、もう一つ。恰幅のいい体躯。立派な角。茶褐色の――だった鱗は、今や紫色に変色している。
「ゴルド主任……」
二人が、壁の中に閉じ込められていた。
粘液の繭に包まれて、眠るように目を閉じている。
「スゴイでしょう。これが、最初の成果。でも――」
エルナトの声が、耳元で囁いた。
「次は、もっとスゴイものを見せてあげる」
肩から、手が離れた。
「振り返って、カーラ」
足が震えていた。振り返りたくなかった。
振り返ったら、何か取り返しのつかないものを見てしまう気がした。
でも――体が、勝手に動いた。
振り返った。
「サプライズ」
エルナトだったものが、微笑んでいた。
最初に目に入ったのは、やはり顔だった。
奇妙なドラゴンの顔。だが、その目は六つあった。
違う。尻尾に口と六つの目が備わって舌を垂らす。紫の舌を。
薄緑色に蛍光を放つ、瞳孔のない眼球がカーラを見つめていた。
「迫力アルデショウ?」
口元は裂けて広がり、紫色の舌が二本、蛇のようにそよいでいる。
首から下は竜人の体ではなかった。美竜ではなくなっていた。
「エ、エ、エ、エルナト!?!?」
「うん。私よ……オレサマがどうかしたって?」
白いはずの部分は病的な青色。
青いはずの部分は死体みたいに色がくすんでいた。
口から舌が二股になったものを、どろりと垂らしてる。
肩から、四本の触手が伸びていた。かつて翼だったもの。飛膜は完全に失われ、紫色の肉の束がうねうねと嘲ってくる。先端は三つに分かれた花弁のような形をしていて、中央から繊毛のような細い触手が伸びて、空気を探るように揺れていた。
「トモダチに、どうして、そんな顔をしてるの? クフフフ」
胸は二つの乳房が、脈打っていた。
乳首があった場所には、四本の牙を持つ口が開いている。
ぱくぱくと開閉を繰り返し、紫色の粘液がとろりと溢れ出している。
左右の口が時折くっついて、牙と牙が擦れ合い、ぎちぎちと蟲のように鳴いた。
腹部は皮膚の下で、何かが蠢いていた。内臓が独立した生き物のように動き回っているのが透けて見えた。膣周辺だとカーラは知らない。
腰から下は、さらに異様だった。
股間が、開いていた。陰唇が左右に裂け、
奥にある紫色の肉壁が外界に晒されている。
凸凹した突起がびっしりと並び、一斉にうねうねと群れていた。
膣口からは、どろどろとした液体が途切れることなく流れ出し、床に水たまりを作っている。
クリトリスがあった場所には、成長した肉柱が脈打っていた。
紫色の血管が浮き上がり、先端からは透明な液体が滴っている。
全身から、粘液が滴り落ちていた。
乳首の口から。股間の膣から。触手の先端から。口という口から。
体中のあらゆる場所から、紫色の液体が床を濡らし、壁を這い上がり、天井にまで広がっていく。また、エルナト自身を汚染しているみたいだった。
膣から、どろりと。肛門から、じゅるじゅると。かつてエルナトだったものの内臓が、完全に作り変えられた。元の細胞が分解され、老廃物として排出されている。
音が――ぐちゅぐちゅ、じゅるじゅる、と――カーラの耳に届いていた。
後ろで聞こえていた、あの音の正体。ずっと研究して、カーラは危険性に段々と気づいていたが、予想を遥かに超えてしまっていた。顕微鏡を覗いていたとき、別の細胞を乗っ取る特殊な寄生細胞だと察してきたものの、裏付けをとるために日数を経過した。今日にそれを発表し、エルナトの検査を希望するはずだった。まだ、カイに冗談交じりで話したことしかなかった。
本当にそうならエルナトさん
とっくに変になっちゃってますよ
彼に「だよねー」と短く返し、ふたりで笑って話し合いは終わった。
それでも冗談で済まなかったのは、現状が全てを証明してくれていた。
エルナトの体調不良を、もっと疑ってやるべきだった。深く後悔した。
「ど、う……し、どう…………」
カーラは泣きそうだった。
あの細胞が別の細胞を食らった際。
カスを排出するのを知っているのだが。
いま、エルナトが外に押し出されている。
あのドロドロが、慣れ親しんだ同僚の果て。
「エルナト……どう、し」
カーラの口から、声が漏れた。
声にならない悲鳴。喉が引きつって、言葉にならない。
いっしょに話していた。飲みに行こうと誘った友達が。
原型をとどめながら、自分自身を外に垂れ流されている。
「どうしたのカーラ? 具合がワルインジャナイカシラ?」
エルナトだったものが、首を傾げた。
尻尾は六つの目で、カーラを見つめている。
突き出された二本の舌が口を舐めた。同時に。
「サプライズ、キニイラナカッタ?」
顔と尻尾が。
ニヤニヤとしていた。
ゴルド以上にひどい笑顔。
尻尾と動きが同期している。
表情の使い所が同じであった。
「私ね、変わったの。ヨクナッタノ。前より、ずっとずっと……心配させたワヨネ」
一歩。
近づいてきた。
触手が伸び、カーラの両肩を掴んだ。
花弁のような先端が、肩に食い込む。
繊毛がぞわぞわと肌を撫でる。
「カーラも、イッショニ、ナロウ」
エルナトの顔が、近づいてくる。
角の形状や色合いも、ひねくれていた。
六つの目が、カーラの目を横から覗き込む。
紫色の舌が、カーラの頬をしゃぶりあげていく。
乳首の口から溢れた粘液が、カーラの服に飛び散った。
「やめ、て、エルナト……エル、なと…………」
カーラの手から、力が抜けた。
両手首に触手が絡んでしまった。
銀縁の眼鏡が、顔から滑り落ちた。
「いっぱい、ノンデ、たのしんで」
落下していく眼鏡に、ふたりが映った。
粘液まみれの床に落ち、ぴちゃん、とした。
大口を開き、ぐちゃぐちゃと汁を掻き鳴らす怪物。
それが、意識あるカーラの見た最後の光景になった。
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