長い廊下を光に向かって歩いていた。
足は独りでに駆け足になっていく、郁はもう自分の格好は気にならなくなっていた。
長くて足に絡まるドレスの裾をたくし上げながら一枚の扉を目指した。やっとの思いで辿り着いた扉に体重をかけて開けばギギギッという音と共に明るい日差しが郁を満たした。
「郁、待っていた」
郁の登場に振り向いたその男性は郁に駆けよって抱きしめた。
「……さん、やっと言えます。大好きです」
「俺もだ」
うっとりと目を閉じた後、来るであろう口づけを待っていた。ところが待てど暮らせどそれはやってこない。
「もう、焦らさないで」
「笠原!笠原ぁ! 起きなさーい! また遅刻したいのかしら?」
ジャアッと思いっきりベッドのカーテンが開けられ、腰に手を当てた柴崎が郁を覗き込んでいた。
「そう、遅刻……遅刻って、えええ――――っ!! いった――――っ!」
慌ててベッドから飛び出した郁はしたたか頭を打ち付けたのだった。
[chapter:プライベートと上官の境]
タスクフォースの事務所はこのところやっとの事で落ち着きを見せ始めていた。
水戸で銃弾を受けた玄田も順調に回復の兆しを見せており、進藤もじきに復帰となるとのニュースが更に事務所内を明るくしているようだった。
ここの事務所にいるのは今堂上と郁だけだった。手塚はすでに上がっており小牧も愛しのお姫様のところに出向くとかで同じく先程上がったのだ。
郁は今朝方に見ていた夢を思い出していた。なんだかいい夢だった気はするのだ。たしか
その夢には堂上も出ていた。……様な気がした。
思い出せそうで思い出せない。それでもいい夢だったと思えることが嬉しい。
「笠原、日報はまだなのか?」
「は、はい。もうすぐです!」
そんなところに堂上からの日報催促だ。郁は慌てて日報を仕上げるべく用紙に顔を埋めてガリガリ仕上げていった。
初めての大規模戦で郁はいろんな思いを経験してきた。自分の親との対決、初めて人に向けて銃を撃ったこと。そして、あのコインランドリーでついに堂上に対する想いまで自覚することになったのだった。
茨城から戻った郁は柴崎にその想いを伝え、謝罪したところあっさり受け入れられたのだ。
『やーっと認めたか』
そういって柴崎は郁に色々話をしてくれた。あの県展警備で張り詰めた糸が漸く緩んだのだった。
「お待たせしました! お願いします」
敬礼でも付けそうな勢いで郁は日報を堂上に差し出した。それを受け取って堂上がチェックをしてから押印して郁に戻すのかと思えば机の引き出しを開けてなにかを取り出した。
「お、そういえば先週申請していた有給、許可が下りている。遅くなって悪かったな」
日報と共に申請許可書をもらった郁はぺこりと頭を下げた。
「いえ、そんな。こちらの勝手な都合でお休み申請したんですから」
実は郁の同級生が今度結婚するとのことで、式に出て欲しいとの連絡が来ていたのだ。式は日曜日だったが、郁達図書隊員が日曜日に休みになるとは限らなかった。
「いいのか? 1日だけで」
「はい、問題ありません」
とはいえ茨城まで出向くともなれば郁としてものんびりしたいところだが、一泊するとなると郁の実家の方に顔を出さないとなれば色々拙い。ついこの間やり合ったばかりの寿子のいる実家は郁にとって、今だ敷居が高くなっている。
「おまえ、茨城くんだりまで行きながらご実家には顔を出さないつもりか?」
「だって、まだ敷居が高いっていうか……こないだ会ったばかりですし……」
途端に歯切れが悪くなった郁に更に追い打ちはかけにくかった。その茨城で郁が寿子とやり合ったことを知らないタスクの隊員はいない。
「そうか……だが、そうすると戻りは大丈夫なのか?」
「平気ですよ。一応外泊出していきますし。乗り換えだって1回ですし、2時間くらいの移動距離ですよ」
だが、郁の返事を聞いた堂上は渋い顔になった。
「おまえ、酒は吞むなよ。そこには俺が迎えに行けないんだからな」
「わかってます! ご心配はおかけしませんから。それよりも堂上教官こそ、絶対に無理しないでください! 失礼します」
「おいっ、笠原」
いい逃げのように駆け出した郁はすでに事務所にはいなかった。
「なんだ、無理って」
さすがに現在のタスクは負傷者などにより更に人数が減っていた。そのため堂上など残業に休日出勤はほぼ当たり前になっていたのだ。堂上は事務所のドアを見ながら頬が緩むのが止められなかった。
「そう思うなら、珈琲のひとつでも淹れていけってんだ」
堂上は自分の机の上にうずたかく積まれた書類を見て、溜息をついた。
*
翌朝、晴れてはいるが冷たい風が吹くなか駅に向かって郁は歩いていた。
無論郁は柴崎お勧めの服を着ていた。なにしろ郁には式で着られるようなしゃれた服は持ち合わせていなかったのだ。
『任せなさいな。あんたに似合うとびきりを見繕ってあげるわよ。その代わり、写真撮ってきなさいな』
そう言われ、写真? とちょっと不審には思ったものの式で着る服など郁に思い付くはずもなかった。季節柄なにを着ていてもコートで隠れてしまうので多少の事は気にならなかった。
水戸駅からタクシーで乗り付けるとそこはまるで宮殿かなにかのような建物が建っていた。郁がまだ実家にいた頃にはなかった建物だった。
中に入り、会場に向かえ阿波懐かしい面々が郁を出迎えてくれた。
「笠原―っ、あんた暫く見ないうちに綺麗になったね-」
「おまえ、女だったんだなー」
昔同様言いたいことを言ってくる友達が郁には嬉しかった。
式自体もこぢんまりとしながらもアットホームな感じで居心地がよかったし、久々に会った高校時代の仲間達は相変わらずで郁を安心させたのだった。
披露宴も終り、二次会に向かうというみんなに頼んで柴崎との約束の写真も撮っているときだった。
「笠原さん、でいいんでしたか?」
「はい? どちら様でしたでしょう」
声を掛けてきていたのは式の時に隣のテーブルにいた男性のようで、新郎の友人だという話だった。
「笠原さんも二次会に参加されるんですか?」
「いえ、残念ですがあたしは明日仕事ですのでこのまま失礼します」
なんでそんなこと聞くのかと思いながら郁が応えると相手の男がにこにこと続けた。
「僕も都内なんでこれから戻るところなんです。笠原さんこんな時間にひとりで帰るなんて危険です。僕でよければお送りしますけど」
「ええーっ?! 大丈夫ですよ。こんな大女になにかしようなんて輩はいませんよ」
披露宴の最中に郁は自分の職業を“公務員”としか伝えていなかった。そのせいで気を遣わせたんだと思った。
「あの、あたしこう見えて図書隊なんです。ですからご心配いただかなくっても平気ですよ」
図書隊といえば、警察や自衛隊よりも危険な職業だというのは郁達の年代でなくともみんな知っていた。
「あなたが平気でも、僕が気になるんです」
こうなると周りのみんなまで男性の言葉に乗っかってきた。
「笠原、あんた充分女性に見えるよ。送ってもらいなよ、その方があたし達も安心だよ」
「そんなに綺麗になるなんて、ホントに吃驚。また、会おうね。その時なにがあったか聞かせてよね~」
口々に褒められ郁の方がなんだか落ち着かなくなってしまった。
「小塚、おまえが送っていってくれれば安心だ。笠原に何かあれば俺がまりに怒られるからな」
そういって笑う郁の同級生でもある新郎新婦に郁は仕方なく頷いた。
当初の予定よりも披露宴の時間が押したせいで時刻表を見直しながら駅までの道を小塚と一緒に歩いた。
「笠原さんは、図書隊にいらっしゃるというのは本当なんですか? 職員ではなく?」
どうやら信用されていないようだったので、郁は普段自分がなにをしているかを軽い感じで伝えてみた。
「はい、実は。驚かれました? ですから送って頂かなくても平気だって言ったんです」
「僕も帰り道が一緒だったから、というのはダメですか? 第一仕事がなんであれあなたが女性だという事に変わりはありません、僕にとっては守りたい対象ですから」
「まもっ?」
その言葉は郁にとって軽くカルチャーショックだった。今まで郁は絶対的に守る側であって、守られる側になんて回ったことがなかったのだ。
「笠原さんって、不思議な人ですね。なんだか新鮮だ」
「そんなことないですよ。あたしみたいなのはどこにでもいます。あ、迂闊で女性らしくないっていう意味でなら自信がありますけど」
小塚という男は郁より頭の半分高く、まるで手塚を見ているような高さだった。
郁に当然という顔で着いてくる小塚はなかなかのイケメンなのだが、それを鼻にかけるところはまったくなく、むしろ話しやすくはあった。
「笠原さんは僕とタメなんでしょ? だから敬語やめようよ」
「はぁ、ですね。あの、小塚さんってまりの旦那さんとお知り合いなの?」
新郎の友人として招かれているのだから知り合いに決まっているということに、口に出してから気が付いた。
「そうなんだ。一緒の会社の同期入社。いわば戦友なんだけど、嫁さんに関しては先を越されちゃったかな?」
そつのないフォローに郁は今更自分の発言に訂正を入れられなかった。
そうして、たわいのない話をしているうちに電車は東京駅に滑り込んでいた。この時間になっても東京という街はまるで眠るということを知らないかのように人で溢れかえっていた。
最も気温はさすがに冷え込んでいるようで行き交う人もコートを着込んでいた。
「あの、あたしはこっちなんで。送ってくれてありがとう」
ここまで帰ってくるともう早く地元の駅に戻りたくなった。この時間ではさすがに堂上も寮に戻ってしまっているだろうが、もしかしたらロビーで顔を見られるかもしれない。
自分の想像に思わず顔が緩むが、そこに声がかかった。
「この際だから、最寄りの駅まで送るよ」
「え? そんな、もう大丈夫。ここからなら目を瞑っていても帰れるから」
だが、小塚も引く気配がない。郁も必死で固辞することになった。
うんと言わない郁に小塚は溜息をつくと、真正面から向き直った。
「この際だ、はっきり言うよ。きみの事が気になるからこの先も会いたいなっていうのはあり?」
郁はその小塚の発言が理解出来なかった。郁は告白されることになれていない。そもそも唯一の経験が手塚のあれだ。それは当然郁の中ではノーカンだった。
小塚と話をするのは嫌ではなかったが、それは単に帰り道が一緒だったからだった。郁にはもう想う人がいるのだ。だというのに小塚と付き合いたいと思うはずもない。その事を説明しようとしたときだった。
[newpage]
「悪いが、そいつは無理だな。こいつには先約がある」
思いがけずかかった声に郁は驚いて振り向いた。この声を聞き間違えるはずもない。
「ど、堂上教官?! なんでここに?」
郁の言葉には応えないまま郁と小塚の間に身体を滑り込ませて見上げていた。驚いた小塚が説明を求めるように郁を見たが、郁は堂上の背中に押し込まれているので口を挟みにくい。
「どちら様ですか?」
小塚が困惑したように堂上に尋ねた。
「こいつの上官だ」
「今はプライベートですよね。だったらあなたが上官だろうが口を出す謂われはないと思いますが?」
なんだかわからないけど、この流れはよくない。と、郁が間に入ろうとしたときだった。
「プライベートだからだ。言っただろう。こいつには先約がある」
「……先約があろうとなかろうと、選ぶのは笠原さんですよね。あなたじゃあない」
身長でこそ小塚が勝っているものの、堂上の威圧感は半端なかった。郁にはこれでもまったく怖くもなかったが、戦闘職種を知らない小塚にはわかるまい。だというのに一歩も引かないところは小塚も凄いのかもしれなかった。だが、何しろ状況が状況だ。混乱するなというのが無理な話だろう。
一方の郁の方もその発言で男ふたりに一斉に見詰められ、郁はさすがに狼狽えるしか出来なかった。
「ちょ、待って」
「笠原! カミツレのお茶に連れて行ってくれるんだろうが。次の公休に連れて行け」
「笠原さん、僕にももっと時間を下さい。決して後悔なんかさせませんから」
その言葉に郁は今まで感じていた周りの好奇の視線などぶっ飛んでしまった。
「もちろん。もうお店も決めてあります。でも、あれ社交辞令じゃなかったんですね、よかったー」
郁の反応に自らの敗北を悟った小塚はがっくりと項垂れてしまった。
「悪いな。諦めてくれ」
小塚の後ろから声がかかった。その声に小塚は視線をふいっと堂上に向けた。
「今回は分が悪かったかもしれませんね。その顔を見れば笠原さんに対してどれだけの気持ちが向いているかわかるというものですし」
途端に今度は堂上の顔が引きつった。だが、なにも返すことなく郁の手を引いて小塚に背を向けた。
「行くぞ、笠原」
「え? ちょ、待って下さい。教官。って、小塚さんごめんなさい。失礼します」
挨拶をしようとしている郁に構わずその手を引きずる様にして最寄りの路線に向かう。小塚は暫く郁達を見ていたが踵を返すと人混みの中に消えた。
*
ホームに滑り込んできた電車に乗り込んで、漸く堂上は郁の手を離した。
「教官。なんであの時駅にいたんですか?」
「なんでって。……それは聞くな」
この時間にもなればさすがに乗客の数も少なくなる。並んでシートに腰掛けながら郁が尋ねるが、堂上は頑なに郁の方を見ようとしない。ただ、時折なにかを言いかけてはやめるという仕草を繰り返していて郁はどうしたんだろうと思いながら話しかけた。
「用事、とか? あ、もしかして迎えに来てくれた、とか」
「あほか! ガキでもあるまいに、わざわざ来るか。……それより式はどうだったんだ?」
一度郁の方に顔を向けたが、ぷいと背けたまま郁に視線を合わせようとしなかった。そのあからさまな話題転換にさすがの郁でも気が付いたが、堂上の珍しい顔に満足した郁は式のことを思い出すように視線を上に投げた。
「あーいいお式でしたよ。まりが、あ、あたしの高校の同級生で花嫁さんだったんですけど。めっちゃ綺麗でした。なんでお嫁さんってみんなあんなに綺麗なんですかね。幸せだからでしょうか」
その時郁の頭の中に、いつか見た夢がよぎった。
――あれ? これって……
だが、そんな郁に堂上は気が付かなかったようで普通に返事を返していた。
「そうだな。俺にはわからんが結婚しようと思えるほどの奴に出会えるなら幸せなことだろうな。いい式だったならよかったな」
――堂上教官もいつかそういう相手に出会うのかな? それがあたしだったら、どんなにか……
そう考えた途端キュンと郁の胸がなった。
窓の外は真っ暗で、時折街灯かなにかの光がよぎっていく。次はもう降りる駅だ。
「笠原、さっきの男は……知り合いだったのか」
先程まで郁と視線が合わなかったと言うのに今度はじっと見詰めてくるものだから焦ってしまいそうになった。
――うわ、なんだろう。あたしなにかやらかしてた?
「さっきの……あ、小塚さんですか? 会ったのは披露宴が初めてです。小塚さんはまりの旦那さんの会社の同期さんだそうです。彼も二次会には出ないで帰るということだったのでなんだか一緒に帰ることになって」
言いながらも、なんだか言い訳しているみたいで落ちつかない郁だった。
――言い訳、するような間柄じゃないし……そもそも単に気になっただけだろうし……
「ナンパ野郎じゃないことはわかったし、吞んでいないこともわかった。だが、こんな時間にひとりで帰ってこようとするな」
「でも、そんなに遅い時間でもないですし。駅から基地までそんなに遠くないですよ? 走ればあっという間ですし。ただ、柴崎がうるさかったから帰りの電車の時間だけはメールしましたけど」
郁の話を聞きながら堂上が大きな溜息をついた。
「おまえな、そんなしゃれた格好で走るとか。おまえは女なんだ、夜道をひとりで帰ってこようとするな。それくらいなら連絡してこい、俺が迎えに来る。あんな奴に送られてくるな」
そこまで一気に言ってから、堂上はしまった、という顔になって黙り込んだ。
「え? それってどういう?」
そこにアナウンスが入って電車は目的の駅のホームに滑り込んでいった。
電車がホームに滑り込み止まった途端、立ち上がった堂上に続き郁も荷物を持ち上げ追いかけるように電車を降りた。
「待って下さい、堂上教官。さっきのって、どういう意味ですか?」
堂上を追って早足になった郁はローヒールのパンプスにしてよかったと心から思った。それでもいつものようには速度が出なかったのだが。
堂上は駅のコンコースを抜けたあたりで郁を振り向いた。出来るだけの早足であとを追っていた郁は思わずぶつかりそうになった。
「今のでわからなかったのか? おまえがひとりで夜道を帰ってくるのは俺が気がかりで堪らんから連絡よこせ、と言ってるんっだ」
「で、でも、プライベートな用事だし、仕事まで休んでいるのに、上官をそんなことで呼び出すなんて!」
「じゃあ、上官じゃなければいいのか?」
「え? それってどういうことですか? 堂上教官はあたしの上官やるのがもう嫌なんですか?」
みるみるうちに郁の目に涙が浮んできていた。慌てたのは堂上の方だった。
「ま、待て。早合点するな! なんで俺がおまえの上官を嫌がるんだ!」
「だって上官じゃなければいいのかってー」
郁は酔っていないはずだ、だが絡み方が酔っ払いのようだった。最も堂上の説明が足りていないせいだと言うことは堂上にも気がつけてはいなかった。
「そっちを拾うな。俺が言いたいのは、だな……俺はおまえが他の奴に構われているのは気に入らんということだ。それくらいならどれだけ遠くても俺が迎えに行く方がマシだ」
「そっちって? どっちのことですか? 気に? だって……」
「上官なのにっていうのはなしだ! 今はプライベートだろうが」
言われて郁は考えてみたものの、プライベートと上官の境がわからない。ましてやどう答えていいかも皆目見当がつかなかった。
――もーう! これだから頭のいい人って!
「わかりました。じゃあこれから遅くなったら堂上教官に連絡しますよ。迎えに来てくれるんですよね」
もうやけのようにそう返事をすると漸く堂上が頷いた。
「よし、それからカミツレのお茶の件だが、今回の件を踏まえて言っておくぞ。その日出掛けるのはデートだからな、忘れるなよ」
「ええ? なんで? デート? て、誰と?」
「だから、俺とおまえだ。おまえが他の奴に構われているのは面白くないと言ってるんだ。わかれ」
「教官、教官は頭がいいからそれでわかるかもしれないですけど、あたしにはわからないです。どういうことですか?」
他の女だったらいらない説明だっただろう。だが、相手にしているのは郁だ。堂上も改めて郁の顔を見詰めた。
「そうか、直球しか通じなかったんだったな、悪かった。だが、男って奴はいくつになっても所詮ガキだからな。思いを伝えたくっても上手く言えない奴もいる。身勝手につっ走る奴もいる。口では偉そうなことを言いつつ嫌われることを恐れている奴も、いる」
「わかりませんってば。教官の口がいらんこといいだってのは知ってますけど」
「おまえなー」
「ひゃぁ! で、でも、いざというときには教官が一番頼りになるのも知ってますぅ!」
拳骨でも落ちてくると思ったのか郁が咄嗟に頭をガードする。そこを逃さず堂上が郁の腰を攫った。
「おまえが好きだ、付き合いたい。と、言っているんだ」
途端に郁がへたり込むように床にしゃがみ込んだ。
「う……そぉ」
「返事は? 付き合ってくれるか? 言っておくが男と女の付き合い、の方だからな」
立ち上がれないらしい郁に堂上が郁の放り出した荷物を持ち、反対の手を差し出した。
「あたしなんかで、いいんですか?」
「もちろん、お前がいい。じゃあいいんだな。言質は取ったぞ、今度の公休のカミツレのお茶はデートだからな」
「はい、嬉しいです。教官こそ、公休日当日にあれはなかったことにしてくれって言っても却下ですからね」
「望むところだ」
堂上の手に掴まりながら引き上げられ、勢いに任せて堂上の胸に飛び込む。堂上は一度だけぎゅっと受け止めてくれた後、すっと離れた。
「実は柴崎に帰りの時間を聞き出してくれるように頼んだんだ。おまえが事務所出ていくときに聞こうと思っていたんだが逃げ帰っちまったからな」
そういえばあの時、堂上教官がなにか言いかけていたような……。
「って、え? 柴崎が珍しく帰りの時間とか聞いてきたのって」
「頼んで正解だったな。なにしろあのままだったらおまえかっ攫われちまっていたかもしれんからな」
郁には目の前の男があの朴念仁の堂上とは思えなくなってしまった。
「堂上、教官です、よね?」
「なんだ、思っていたのと違ったか。俺だって焦ることはある、恋愛と口に関しては上手くないからな。わかったなら帰るぞ」
苦り切った顔で郁の手を引き歩き出した堂上に郁はついに吹き出した。
「そんなことないですよ。堂上教官の新な一面も可愛くって大好きです」
「可愛いってのは褒めてないぞ」
郁を振り向いた堂上の眉間にはきっちりと皺が刻まれていたが、耳が赤くなっているのが街灯に照らされてわかった。
その事が冷たい風を忘れさせてくれる。
「ふふっ、あたしこの間凄くいい夢を見たんですけど、まるで内容を覚えてなくって……でも、少しだけ思い出しました」
「どんな夢だ」
「堂上教官とお付き合い出来ちゃう夢です。でも、あれ? なんだかもう少し続きがあったような……」
今浮んだと思った夢の残滓は、思い出そうとする郁の気持ちを裏切りするするとその輪郭を消してしまった。
「そうか、よかったな。正夢になって」
「はい、もちろんです。教官のおかげです」
改めて手を繋ぐと堂上と郁は基地に向かって歩きだしたのだった。
――ま、いいや。そのうちまた思い出すかもしれないもんね。
郁の見た夢が正夢になる事はまだ誰も知らない。
fin