1
「本当にしょうがない奴だな」
せんせはため息をつきながら、俺の頭をくしゃくしゃと掻き回す。
俺、虎村大輔はその瞬間が一番好きだ。
熊獣人の中でも生粋のヒグマ種だというのに、170センチと小柄なせんせだから、その時は気づかれないように、少しだけ腰をかがめる。
分かっているのか分かっていないのか、いつもせんせは呆れたような、諦めたような顔をしている。
熊田勝久。32歳。体育教師。俺の担任。
背広なんか着た事がない。入学式だろうが卒業式だろうが、お構いなしにジャージ姿だ。授業のないときは無駄に校舎を徘徊している。
あだ名は『こぐま』。といっても、面と向かってそのあだ名で呼ばれることはない。聞けばせんせは激怒するからだ。
背の低いのを気にしているのだろう。
まあ、ヒグマ種なら、大きければ2メートル以上ある人もざらだし、コンプレックスを感じる気持ちも分からないではないのだが。
ものぐさそうな性格のわりに、いつも身奇麗にしているようだ。でも、体毛が黒いせいで、汚れが目立つため、あまり清潔感があるように見えなかったりする。
いつもにこにこ笑っているせいか、厳ついくせに妙に愛嬌がある。中でも目立つのは、ビー玉のようにまん丸い目玉。笑ってもぜんぜん細くならないその目は、ぬいぐるみのようだと一部の女子生徒に人気があるらしい。
その評価が『格好いい』でないことに、せんせ自体はえらく不満のようだが。
熊獣人だけあって、小柄ながらがっしりしている体。いつものジャージの下に着ているシャツの上からでも、盛り上がった筋肉の形が分かるのだから相当だ。見せ掛けだけでなく、腕っ節だって強い。何せ、その鉄拳を身をもって味わった俺が言うんだ。間違いない。
そう、2年前。それは、俺が地元のやくざ連中とつるんでいた頃のことだった。
17歳の頃の俺は、本当にろくでもない奴だった。
背丈が185センチと体格が良く、また持って生まれた虎獣人としての腕力と俊敏さのために喧嘩慣れしていた俺は、何にむしゃくしゃしていたのか、教師に向かって歯向かう事だけを生きがいのように過ごしていた。
要するに、ガキがいきがっていたのだ。
校内の気の荒い上級生と殴りあい、近くの高校までわざわざ出張して喧嘩を吹っかけ、近所のごろつきと縄張り争いをする。
その延長線上で、同じ虎獣人のやくざの事務所に出入りし、半構成員のような待遇を受けていた。
家族や同級生、教師連中は、俺と関わりを持たなかった。何を言っても聞きやしない、どうせこいつはチンピラにでもなるんだろうと見放していたのだ。
周りの対応も、俺の行動に拍車をかけたのかもしれない。
他にやりたいことも無かったし、面白い事だってない。俺を気に入ってくれたやくざの組長の勧めもあることだし、このまま組に入るのも悪くないと考えていた。
そんな俺を更生させたのは、せんせだった。
もう何日も入り浸っていた事務所に突然押しかけ、俺を連れ出したのだ。
当時のせんせは担任でもなかったし、接点といえば体育の授業で教わるだけ。その授業だってほとんどサボってばかり。顔だってほとんど忘れかけていて、事務所で顔を見ても一瞬誰だかわからなかったぐらいだ。
『うちの生徒を返してもらおう』
事務所の扉を破壊せんばかりの勢いで登場したせんせ。その突然の乱入に、すわ殴りこみかと沸き立つ下っ端ども。中にはドスを持ち出して構える奴さえいた。
それを気にも留めず、邪魔する奴はひたすら殴り倒す。
十数人いた構成員を数分もしないうちに片付けると、自らに拳銃を向ける組長の顔をねめつける。
『返してもらうぞ』
その鬼気迫る勢いに感心した組長は、せんせに俺を引き渡した。
好きでこの場に来ている俺はもちろん抵抗しようとしたが、その雰囲気に飲まれてしまい、引きずられて事務所を出た。
立ち去り際、組長がせんせに言った言葉を、俺は未だにはっきり覚えている。
『若い頃にあんたみたいな先生に会えたら、俺も日陰の道を歩むことはなかったかもな』
でも、そのときの俺はせんせの言葉も組長の言葉の意味も理解していなかった。
学校へ向かう道すがら、俺はぶつぶつとこぼしていたのだ。
『俺の人生なんだ、俺が決めて何が悪い』、と。
延々とこぼし続ける俺に、せんせは言葉ではなく、拳で答えた。
丸太のような腕を振り上げ、ほんの少しの容赦もせずに、力いっぱい俺の頬を殴ったのだ。
道を歩いていた俺はその勢いに踏ん張ることも出来ず、紙くずのようにガードレールまで吹っ飛ばされた。体を襲う痛みと、衝撃。もうろうとする頭。口の中に広がる血の味。
俺は立ち上がるどころか、身じろぎ一つすることが出来なかった。
『教師に勝てないような輩が、やくざなど100年早い』
俺の黄色い首根っこを太短い腕で掴むと、せんせは何もなかったかのように歩き出した。
それ以来、俺が突っかかる相手はせんせだけになった。他の奴には目もくれない。授業でも校舎ですれちがっても、いつも喧嘩を吹っかけていた。
せんせに喧嘩に勝って、やくざの事務所に戻ってやろうと思っていたのだ。
それが、いつの頃からだろう。気がつけば、俺はせんせにすっかり手懐けられていた。
理由は分かる。
結局、損得抜きで俺のことを見捨てず、小突きながらも相手をしてくれたのは、この人だけだったからだ。
俺が留年してしまったときも言葉少なに励ましてくれた。そして、他の教師が嫌がる俺の担任を、引き受けてくれたのだ。
いつだったかせんせに聞いたことがある。どうしてやくざの事務所に殴りこんでまで、俺を連れ戻そうとしたのか、と。
せんせは顔をしかめてこう言った。
『しょうがねえじゃねえかよ。お前のことが気になってしょうがなかったんだからよ』
『でも、あの時俺は、ほとんど体育の授業にだって出てなかったし』
『そんなの関係ねぇだろ。お前は俺の生徒なんだから。そんなことも分からねぇなんて、本当にしょうがない奴だ』
そしていつものように、くしゃくしゃと俺の頭を掻き回す。
2
「ちくしょう、ねえじゃねえか。俺に勉強するなってことかよ」
日曜日の午後。ぶつくさ言いながら、俺は書店を後にする。
俺が探しているのは、馬鹿でも分かるといった類の優しい解説書つきの参考書だった。
俺が住んでいるのは田舎町だから、大型の書店はない。
品揃えの悪い小さな書店では、俺の頭に合わせた本がなかったため、大型書店のある隣町まで足を伸ばしたのだ。
……受験まであと6ヶ月か。
俺はため息をつく。
高2で一度留年して、しかもあまり頭のいいほうじゃない。せんせの強い勧めで、一応大学進学を目指すと決めたが、内申書だって期待できない以上、勉学の遅れを取り戻すには、かなり頑張らなければならない。
まあ、自分でまいた種だからしょうがないといえばしょうがないのだが。
……なんとか今年度中に合格しないと、20歳過ぎて新入生ってのはごめんだからな。
そんな意気込みも空回りし、俺は途方にくれる。
「これからどうするかな」
すでに希望の本がなかった時点で、勉強に対する意欲はほとんど失われていた。
「パチンコって気分でもないしな」
ぶつぶつとぼやいてる俺を見て、近くを歩くカップルが気味悪そうに離れていく。
「くそっ!」
睨み付けてやろうかと顔を上げると、周りにはやけに男女の二人連れが多い。なんかあるのかと、俺はきょろきょろと辺りを見回す。
あった、ありましたよ。
近くに見えるのはラブホの看板。こいつら全員、ラブホ目掛けて歩いているのだ。
「ちぇっ、昼間っからさかりやがって」
思わず舌打ちしてしまう俺。
「セックスなんて随分ご無沙汰だな」
事務所に出入りしている頃は、よく高級ソープを奢ってもらったりしたのだが。
そういや、俺はラブホには入ったことなかったな。
「回るベッドとかあんのかな。入ってみてぇな。……ま、相手がいなきゃしょうがないし」
そんなことを考えながら、俺は自分がラブホに入るところを想像する。傍らには、熊田先生が……。
「え?」
俺は思考をストップさせる。
……なんでラブホに男と、しかもせんせと一緒に入らなきゃいけないんだよ。まるでホモみてぇじゃないか。
俺は自分の考えたことに赤面してしまう。
「そりゃ尊敬はしてるしよ、好きかって言われたら好きだけどよ、そういう好きじゃねぇだろう」
自分で言い訳してりゃ、世話はない。
「……もう帰ろ」
なぜか何もしていないのに疲れた俺は、大人しく家に帰ることにする。未練がましく値段表を見た後、きびすを返すつもりだったのだ。
……その後姿が目に留まるまでは。
見間違えるはずがない。ついさっきまで、想像していたのだから。
ラブホテルの前に佇んでいたのは、熊田先生だった。
「せ……」
俺は思わず声をかけそうになり、あわてて口で手を押さえる。こんなところで声なんてかけていいわけがない。といって、見なかったことにする気にもなれず、俺はつい電信柱の陰に隠れて様子をうかがってしまった。
せんせがラブホの前に立っていると、玄関から大柄な男が現れた。熊獣人だ。俺よりデカイ。
そのおっさんの第一印象はなんと言うか、種族が違うが、オットセイのようだった。熊田先生と同じヒグマ種なのだろうが、体毛の色は灰色がかっている。年齢はせんせよりかなり上なのだろう。その体に見合った大きな顔に、いやらしい笑みを浮かべている。
それは、『精力』とか、『絶倫』なんて言葉が似合う風貌だった。
男はまるで先にチェックインを済ませたから、と言わんばかりにせんせの腕を掴み、玄関に引っ張り込もうとする。せんせは初め、抗うようなそぶりを見せたが、やがて諦めたようにラブホに入っていく。その顔はうんざりしていたが、決して嫌がっているように見えなかった。
俺はその後姿を呆然と見送ることしか出来ない。
「……うそだろ」
3
それからどうやって家まで戻ったのか覚えていない。とにかく俺は自室に戻り、ベッドの上に寝転がっていた。
……せんせが、男と。
何度も頭を切り替えようと努力するが、心がそれを拒絶する。
熊田先生は何か弱みでも握られているのだろうか。そうでなければあんなおっさんと二人でラブホになんか入るわけがない。
……あんな厳つい男が相手なら、いくらせんせでも抵抗できないんじゃないのか。押さえつけられて、無理やり服を剥ぎ取られて。
諦めたように、全裸でベッドに横たわるせんせの姿が俺の脳裏に浮かぶ。
すぐ傍にいる厳ついおっさんは、にやりと笑いながらせんせの体に手を伸ばす。
その光景に、俺は不思議と嫌悪感を覚えなかった。
それどころか……。
「な、なんでだよ……」
俺は自分の股間が熱くなっているのを自覚し、狼狽してしまう。
「駄目だ、そんなことを考えては」
戒めるように自分の頭を殴るが、妄想を止めることは出来ない。
気が付くと俺は自分のズボンを下ろし、トランクスからはみ出たチンポをゆっくりとしごいていた。
押さえつけられて身動きできないせんせは、せめて声を上げようと抵抗するが、おっさんはその口にぴったりと唇を重ねる。
『ん……んんん』
うめき声しか聞こえない。せんせは抜けるほど舌を吸われているのだ。
くちゃくちゃと音がする。舌を吸われ、甘噛みをされ、いたぶられる。その間も男の手は休むことはない。せんせの体を這い回り、隠された性感帯を掘り起こしていく。
せんせはその快感に飲みこまれていく。
首筋、腰、太股。撫でるかと思うと指で後が残るほどつねられる。その緩急に女のようにただ女のように悶えることしか出来ない。
黒い体毛と、灰色のそれが溶け合うように混じる。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
やがて、ぐったりと力尽きたせんせの体を見下ろし、男が初めて口を開く。
『おい、入れちまうぞ』
せんせの顔が泣きそうに歪んでいる。
『そ、それだけは……』
今まで聞いたことがないほどに頼りない声。
しかし男は容赦しない。熊田先生の体をひっくり返してうつ伏せにする。
せんせは短い尻尾で必死に穴を隠そうとするが、男は意にも介さず、ケツにぶっといチンポをぶち込んでいく。
『うぐぁあっ!』
痛みにうめくせんせ。それにかまわず、おっさんは腰を使い続ける。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
分厚い体を強張らせ、せんせは必死に耐える。
やがて……。
『んあぁっ!』
せんせの口から甘い声がこぼれてくる。
感じているのだ。
その変化に男も気が付く。
『どうだ、気持ちいいんだろ』
声をかけられると、歯を食いしばって顔を左右に振る。
『我慢なんかするなよ。このまま狂っちまえ』
変わらぬ調子で繰り返し腰を打ち付ける男。延々と続く甘美な刺激に、感じてる先生は太刀打ちできない。
『ああっ、ああっ、ああっ』
ついにはよがり泣きをはじめてしまう。
『ほら、このまま女みたいにイっちまえ。ほらっ、ほらっ』
男は抜き差しを早め、せんせは小さな体を震わせる。
『ああっ、もう駄目だ。これ以上我慢……できねぇ。くそっ、イっちまうぅぅっ!』
「はぁ、はぁはぁ、はぁはぁ……うぅっ!」
びく、びくと体を痙攣させるせんせ。妄想の中でシーツに広がる白濁液。
そして現実では、激しくしごいていた俺の手からザーメンが垂れて、ベッドを汚していた。
……最低だ、俺。
4
日曜日のことは俺の中にしこりとしてそのまま残ってしまっていた。
隣町で熊田先生を見たこと、そしてその妄想でせんずりを掻いちまったこと。
それ以来せんせと出会っても、顔を見ることが出来ない。
挨拶されても返事をすることさえためらわれ、入り浸っていた体育教員室からも足が遠のいていた。
もちろん、俺の変化にせんせだって気づいていただろう。よそよそしい態度をとる俺に怪訝な表情を向ける。
そんなせんせを見ると、俺は胸を掻き毟りたくなるほどつらくなった。
でも、俺にはどうすることもできない。どうすればいいのかわからなかったのだ。
そのまま、2週間が過ぎた。
下校前のホームルームでの出来事だった。
「……以上、気をつけて帰るように」
せんせの声に皆は席を立って、帰り支度を始める。
「ああ、それから虎村、お前は後で体育教員室へ来るように」
足早に去っていくせんせ。
……行きたくねぇ。
正直な俺の気持ちだった。だが、連絡事項として伝えられては行かないわけにもいくまい。
逃げ出したい気持ちを抑えて、俺はのろのろと立ち上がった。
「どうしたんだ、一体」
久しぶりに面と向かうせんせの声には、苛立ちが込められていた。
煙草を持つ左手も、小刻みに机を叩いている。
「ここんとこ、おかしいぞ、お前。挙動不審だし、勉強だって手についてないだろ」
「……」
俺は答えることが出来ない。
「どうしたんだ。……ひょっとして、なんぞ悪いことでもしちまったのか」
「……」
「なんでも相談に乗るぞ。言ってみろ」
「……なんでもねぇよ」
ふてくされたように俺は呟く。
ぐしゃり。
火傷するのもかまわず、せんせは火がついたままの煙草を手の中で握りつぶした。
「何でもないことないから、聞いているんだろうが!」
いきなりだった。
椅子をひっくり返しそうな勢いで立ち上がった熊田先生は、堪忍袋の緒が切れたように俺の胸倉を掴む。
「どうしちまったんだよ!」
その行為は俺のことを心配してのものだ。だからこそ余計に辛い。
せんせの真摯な声にこらえきれず、黙っているつもりだった言葉が漏れた。
「……見ち、まったんだよ」
そっけなく言おうとしたのに、声が震えているのが分かる。
「何をだ」
「隣町のラブホ。せんせが……、男と一緒に入っていくとこ」
俺の言葉に慌てふためくせんせ。
そんな光景を確信していたというのに、予想に反して熊田先生は笑っていた。
「ああ、あれを見ちまったのか」
動揺した様子はなく、それどころかむしろ良くあることのように平然とした口調。
「なんだ、そんなことか」
ほっとするせんせの顔に、俺は心の中でせき止めていた何かが決壊するのを感じた。
「何でだよっ!」
自分でも、悲痛な叫びに聞こえた。
俺は両手でせんせの襟を掴む。
熊田先生にとって、あの男とラブホに入るのは、普通のことなのか。じゃあ、2週間、あんなに心が痛かった俺は、いったい何だったのだ!
「何で当たり前みたいに言えるんだ。あんな、……あんなおっさんのどこがいいんだよ。誰でもいいのかよっ! ……だったら、俺だっていいだろうが。……俺がヤってやるよ!」
自分が無茶なことを言っているのは分かっていた。でも、止めることができなかった。
俺は力任せにせんせを押し倒そうとする。突然の剣幕に唖然としてたせんせだったが、がむしゃらな俺の力を受け流して床の上にねじ伏せる。
そのまま馬乗りになったせんせは、俺を怒鳴りつけた。
「馬鹿野郎っ! 何考えてんだ」
「……」
「おい、大輔。……お前、泣いてるのか」
気が付くと、俺は泣いていた。せんせに殴られたときだって、やくざと喧嘩してぼこられたときだって、涙なんて流したことはなかったのに。
俺の口からこぼれるように言葉が漏れる。
「俺が……俺がせんせのこと、好きになっちゃいけねぇのかよ」
「お前、なんで……」
「俺だってわかんねぇよ。男なのにせんせを好きになっちまうなんて。……でも、好きなんだから、しょうがねえじゃねえかよ」
「……」
認めよう。
俺は、せんせが好きなんだ。
妄想でせんずり掻いたのも、あの男に嫉妬したのも、熊田先生のことが好きで好きでしょうがなかったからだ。
でも、そんな俺の一方的な想いをせんせにぶつけてもどうしようもない。
「……ごめん、せんせ」
「……」
黙りこくったままのせんせを押しのけて、俺は立ち上がる。
俺はぐい、と涙をぬぐうと、逃げるようにせんせに背を向けた。
「待てよ」
俺は腕を掴まれる。
「嫌なこと告白させちまったみたいだな。……何というか、詫びだ。飯でも奢ってやる。付き合えよ」
5
……付き合えったって、こうやって顔つき合わせてる方がよっぽど辛いんだけど。
針のむしろな気分だし。
「大体、なんでせんせの家なんだよ。飯奢るんなら別に外でもいいだろ」
やっと減らず口が叩けるほどに元気を取り戻した俺は、リビングに座り込みながらせんせに声をかける。
アパートの一室。
独り者にしては広いんだろうが、所狭しとごみや本が積み上げられているせいで、ちっとも広く感じない。
「しょうがねえだろうが。給料日前なんだからよ。それに、お前にゃ飯よりこっちの方がいいだろう」
部屋の中でもジャージのままなせんせが、一升瓶とコップを掴んで台所から戻ってくる。
「外では呑ませてやれねぇからな。そんなとこ見つかっちまったら、クビだからよ」
「いいのかよ、教師の癖に」
「たまにはいいだろ、明日は休みだしな。二日酔いでもばれやしねぇ。ああ、そうだ。家に電話しとけよ、今日は外泊するって」
せんせはスーパーの袋から、買ってきた惣菜を並べだす。
唐揚げ、刺身、サラダ、煮物。
「ほら、呑むぞ呑むぞ」
明らかにワンカップの空き瓶と分かるガラスのコップに、どぼどぼと酒を注ぎ込む。
「ほれ」
突き出されたそれを掴み取ると、俺は水を呑むように一気に流し込んだ。
味わうためじゃない。一刻も早く酔うためだ。
「もう一杯」
「もったいねぇだろうが。もっと味わって呑め」
ぶつぶつ言いながらも酒を注いでくれる先生。
「……そういや、せんせ」
何度コップを干しただろう。体の内側から焼け付くような熱さを感じた俺は、口を開いた。
「ん?」
「あのおっさ……いや、あの人とは、付き合い長いのか」
この期に及んでそんなことを聞くなんて、俺はまだ諦められないのだろう。でも、これで吹っ切れるなら吹っ切ってしまいたい。
「ああ、親父のことか」
「親父? ……それってあれか。援交のパパみたいな奴か」
「何言ってんだ」
呆れた顔で酒を流し込むせんせ。
「親父だよ、親父。俺の父親」
「はい?」
それを聞いて、唐揚げをパクつこうとしていた俺の顔が引きつる。
「それって、……近親そ……」
「ちょ、ちょっと待てぇい!」
せんせは慌てて俺の言葉を遮る。
「なんだってそうイタイ方イタイ方へ考えるんだ。そんなわけないだろうが。俺の父親はなぁ、あのラブホのオーナーやってんだよ」
「……うそ」
「嘘じゃねえよ。あ、これ内緒な。高校教師の親が隣町でラブホ経営してるなんて知られたらまずいからな」
「それじゃあ……」
せんせは説明を続けるが、頭の中に入ってくるわけがない。
「相談があるからって呼ばれたんだよ。だからって、何もラブホの中で話さなくてもいいだろうに。息子の職業考えろっつの……。どうした? 顔が赤いぞ」
言われなくても分かっている。顔が熱いほど火照っているのを嫌というぐらい感じているからだ。
俺はごまかすように酒をあおる。
「俺……勘違い……してた……のか……」
消え入るような声で言う。ただの勘違いでせんせの胸倉掴んで、告白までしちまったのか。
馬鹿か。俺は馬鹿なのか。
穴があったら……入りたい。
「まあ、男に告白されるっつうのも、まんざらでもなかったけどな。特にお前の泣き顔なんて、珍しいものを拝ませてもらったし」
だからそういうことを言うな、そういうことを。
顔をあげることも出来ない俺は、むろん、反撃すら出来ず、黙ったまま。
「まあ、格好のいい俺に憧れる気持ちもわかるけどな」
さてはだいぶ酔ってるな、このクマヤロウ。
「でも、男とヤリたいって気持ちも分かるぜ。俺、お前と違って男好きじゃねけど、ヤッたことはあるし」
「俺だって、別に男が好きなわけじゃなくて、せんせが……。へ?」
男とヤッたことがある?
「大学時代、柔道部でな。ほら、あの頃貧乏だから、そういう店に遊びに行く金もねぇし、汗臭い柔道部員なんて女にモテねぇだろ。欲求不満な先輩に無理やり掘られちまったり、俺も後輩掘ったり。案外いいもんだぞ」
「うわ、その気持ち全然わかんねえや。俺、ヤリたいときはいつも奢ってもらって、ソープで遊んでたし」
「……VIP待遇だったんだな、お前。まったく、やくざってのは」
ため息をつく、せんせ。
うらやましいと呟いたのを俺は聞き逃さなかった。
「まあ、いいさ。……ソープといやぁ、ぼちぼち風呂でも入るか。今日はお前のせいで、だいぶと汗をかいちまった」
「ああ、入ってこいよ。俺はもうちょっと呑んでるから」
「何言ってるんだ、一緒に入るんだよ」
「い、一緒に?」
「うれしいだろ」
「ば、馬鹿言うなよ」
立ち上がったせんせが、俺の頭をはたく。
「酒呑ませてやってるんだ。背中ぐらい流してくれても罰は当たらんだろ」
6
小さいくせに妙に広い背中を、俺は力いっぱい洗う。そっちに神経を集中しないと、すぐにでも勃起してしまいそうだったから。
「お、お前うまいな」
座椅子に腰をかけ、気持ちよさげに俺をほめる熊田先生。
ピコピコと短い尻尾が揺れている。
俺は疲れるほど腕を動かし、洗面器でお湯をかける。
「じゃぁ、交代だ。今度は俺が洗ってやる」
「い、いやいいよ。自分で洗うから」
スポンジを取り上げるせんせから慌てて奪い返すと、俺は背を向けて体を洗う。
「何も恥ずかしがらなくてもいいだろうに」
ちぇっ、とつまらなさそうに舌打ちすると、湯船につかるせんせ。
「いやに丁寧に体洗うじゃねぇか。新婚初夜の嫁さんみたいだな」
いちいちむかつくことを言う。
「うるせぇ、大体せんせだって、やもめなんだから、そんなの見たことねぇだろうが」
俺は荒っぽく湯をかけて泡を流すと、さっさと浴室から出ようとする。
「おい、せっかくだから風呂に浸かっていけよ。あったまるぞ」
「だって、狭いじゃんか」
いくらせんせが小柄だからとはいえ、湯船に男二人は窮屈すぎる。
「大丈夫、大丈夫。いいから来いって」
しつこい言葉に負けて、俺はせんせに背を向けたまま湯船に潜り込む。大量にあふれたお湯がタイルを濡らす。
「なんで、こっち向かねぇんだ」
……そんなこと、出来るわけねぇ。
こんな狭いところで向かい合うなんて。
「ケツ向けてると、掘っちまうぞ」
……俺の気も知らずに。
ムカっときた俺は、せんせにしぶきがかかるほど勢いよく体を反転させた。
「これでいいんだろ、これ……」
言葉を続けることは出来なかった。それは、せんせの唇が俺の口をふさいでいたから。
「ん、んん……」
こんなに気のはいったキスをしたのは初めてだった。あまりの気持ちよさに、俺は目をつぶってしまう。
せんせの舌が、俺の口を蛇のように這い回る。口の粘膜を探り、閉じられた歯をこじ開ける。縮こまっている俺の舌に絡まると、それをゆっくりと引き出す。自分の口まで運ぶと、それを強く吸い、甘噛みを加える。せんせの酒臭さと煙草の匂いが俺の口にも広がる。我慢できない俺は、せんせの体に抱きつき、積極的に舌を絡めていく。
興奮した俺は、自分のチンポが勃起するのが分かった。目を開ければ、せんせのチンポも勃起していた。せんせの体に似合った、少し短いけどぶっといチンポだった。
やがて、口を離したせんせは言う。
「男同士のキスってのも悪くないもんだな」
「せんせ、なんで?」
「何でだろうな」
照れたように自分の頭をわしわしと掻くせんせ。
「俺は別に男好きじゃねえけど、お前のことは嫌いじゃないからな」
「そ、それじゃあ……」
「あ、でもセックスとか今は駄目だからな。さすがに高校生とやるのは具合が悪い」
「ええっ! ここまで勃たせといて! そんなの生殺しじゃねえか。せんせだって勃ってるのに」
俺は太短いチンポをぐっ、と掴む。
「ば、馬鹿。何やってんだ」
慌てて俺の手を払いのける。
「じゃあ、卒業したらいいのかよ」
「そりゃ、お前が卒業して……、そう、ちゃんと大学に入ったらな。それまでお預けだ」
「ほ、本当だな。男に二言はねぇな。俺が大学に入ったら、付き合ってくれるんだな」
「ああ」
真面目な顔で頷くせんせ。
俺は嬉しさで、涙がにじみそうになるのを必死にこらえる。そして、話題をそらすために話題を変えた。
「大学時代、せんせは柔道部の先輩に掘られたことがあるんだろ」
「ん、ああ」
「じゃあさ、じゃあさ。付き合ったら俺が掘る方な」
「……お前、先生のケツ掘ろうってのか。10年早いっての。まったく、しょうがない奴だな」
せんせはため息をつきながら、俺の頭をくしゃくしゃと掻き回す。
俺はやっぱり、この瞬間が一番好きだ。