殉教者

  王宮の一室にその男はいた。

  この虎獣人はかつては国王として敏腕を振るっていたものの、

  いまはただの隠居老人のようなものである。

  物の例えだ。まだ老人というような年齢ではない。

  若さを失いつつある自覚はあるが、まだまだ現役の年齢である。

  自らの意思で隠居したわけではないのだ。

  強くなりすぎた教会の力は国政へと静かなる侵略を始めた、

  気が付いた時にはもう手遅れである、

  国王はついに権力の座から引きずり降ろされてしまったのだ。

  ただ実権は失っていようとも、国王という肩書はそのままだ。

  いまのところは。

  -----

  何もしない、何も成さない、何も変わらない。

  ただ過ぎるだけの日々。

  隠居させられてから数か月。

  本当に、何にもしていない。

  「いい天気だなあ。」

  いまは日光降り注ぐ中、あたたかな寝具に絡みつくだけの生活をしている。

  昼前なのにいつまでもゴロゴロと二度寝三度寝に興じる。

  最初のころは焦りもあった、

  かつては精力的に活動して休む暇もなかったというのに、

  この落差である。

  何もしなくていいのか、

  権力を取り戻さないのか、

  国王としてこれでいいのか。

  これでいいんだ。

  そう受け入れた時全てがどうでもよくなったのだ。

  ただ私はこの怠惰に呑まれていたい。

  下着一枚で全身に寝具を感じている。

  ずっとこのままでいたい。

  他には何もいらない。

  心からそう望んだ。

  猛虎と呼ばれていた勇ましさはもはやなく、

  ただの虎猫と成り果てていた。

  ただ、そんな日々はいつまでも続かないのかもしれない。

  「王、よろしいでしょうか。」

  衛兵の不意な訪問であった。

  寝ぐせだらけのボサボサの風体ではあるが、

  自然と王としてのしかめっ面に戻る。

  「む、どうした?」

  「大神官様が神託があったとして、

  王にも出てもらいたいそうです。」

  大神官、教会の最高権力者であり、

  現在ではこの国の実質的な主権者である。

  「神託か、

  ふむ、それは国王が出なければならないというのか。」

  ベッドから立ち上がり衛兵を軽くにらみつける。

  「い、ええ。とにかく、来てもらいたいそうです。

  わたっ私は内容は聞いておりませんので!」

  安眠を妨げられたからといって八つ当たりは良くないと

  少しだけ反省した。

  「いいだろうわかった。

  すぐに向かおう。」

  手櫛で寝ぐせを何度か押さえつけると

  王のローブだけ羽織ろうとした。

  一瞬迷いが生じ手を止めた。

  しかし着てしまえばわかりはしないと納得すると、

  下着のままローブを羽織った。

  -----

  神託が下った!

  国王は神の試練を受けることになる!

  その話は国中に広まった。

  多くの人が国王を見守るために広場へと集った。

  祈り、心配、疑念、哀れみ。

  あらゆる思いが国王へと向けられた。

  「神の試練か、体のいい厄介払いというところだな。」

  ハートマーク模様の下着のみという出で立ちではあったが、

  王は王らしく最期の時まで威厳に満ちた姿であろうと努めた。

  そして多くの民はこの時の王の背中を、

  力強く美しい虎柄模様を目に焼き付けたという。

  飾り立てられた台の上に寝そべる。

  聞いているのはここまでである。

  あとはもう何もしなくていいとのことだ。

  「一体何をするのか、おそらくは、

  いや、確実に死ぬだろう。

  せめて楽に済ませてもらいたいものだ。」

  空が青い、どこまでも透き通っているようだ。

  昼過ぎの暖かな陽光が王の腹の白黒模様を照らす。

  今日が雲一つない快晴であったことは幸運であった。

  民の目がある。キョロキョロと小物のような真似はできない。

  ただ待つのみである。

  ガラガラとした音を立ててやってくるのは馬、いや馬車だ、

  おそらく四台。私を中心に四方へ散っていく。

  私の手首と足首がロープか何かで縛られた。

  拘束されたというわけではなく繋がれただけだ、

  いまはたるんでいる。

  しかし絶対に外れないように幾重にも巻かれていく。

  目を閉じてため息を吐いた。

  どうやら予想以上に碌でもない。

  苦痛に満ちた最期を迎えることになるのを悟った。

  虎獣人は獣人種の中でも屈強な方である、

  ただ馬が数頭繋がれた馬車が4つともなったら、

  かなうはずもない。

  「やれやれ力比べか、いいだろう。やってやる。」

  王は自らロープを握り全身に力を込めた。

  静かだった。

  民衆はただ固唾をのんで見守るしかないのだ。

  大神官の合図と同時に御者が馬を走らせる。

  間髪入れずにたるんでいたロープに張力が行きわたる。

  そして全てのロープが同時に張り、

  全身にミシリと軋んだ。

  一瞬であった。

  叫ぶこともなく王はバラバラとなった。

  胴体だけとなった王は宙に舞い、再び飾り台へと落下した。

  手足は根元から引きちぎられて飛び、

  あらぬ方向へと飛び散った。

  あまりの光景に民衆は恐怖と混乱に陥った。

  王の左腕を持ち去る不届き者がいた。

  王の足を抱えて泣き叫び祈る女がいた。

  大神官が倒れていた。

  飛んできた王の右腕がちょうど顔面にあたったようだ。

  致命傷を負い墜落した王はというと

  ずっと空を見上げていた。

  -----

  このまま永久に眠るのだと思っていた。

  王を呼び求める声が聞こえる。

  まだ終わらないのか。

  覚醒するにつれて全身に灼熱のような痛みが広がっていく。

  そして王はカッと目を開いた。

  「がぁ、あああああ!おぉああああああ!!」

  あの時の挙げなかった叫びが

  あの時感じなかった痛みが今この瞬間に戻ってきたかのようだった。

  王の覚醒と雄たけびに周囲の人々が慌てて集まりだした。

  耐えきれぬ苦痛に暴れようとしても、

  王は自らの体を動かすことすらできなかった。

  王が再び落ち着きを取り戻すころには多くの者が集まっていた。

  この薄暗い場所にいる者達が王を助け出し治療したのだ。

  彼らの身なりはあまりよくない、

  薄汚れた衣服や体。

  貧困にあえぐ者か、あるいはすべてを奪いつくされた者だろう。

  続いて自らの体に目を向ける。

  四肢は完全に失われた。

  もはや何一つできない肉体となった。

  肩の様子からするとひどい傷を負っている。

  熱した金属か何かで止血をしたのだろう、

  傷の大きさの割に出血はない。

  そうするしかなかったのだろうが、

  ひどい傷痕が残るだろう。

  薬を塗りなおすと傷は再び包帯に包まれていく。

  「・・・それで・・・なぜ助けた・・・」

  猛烈な激痛とそれに対抗しうる強い痛み止めの作用で朦朧としながらも尋ねた。

  「王は試練を乗り越えたのです。

  あなたこそ神に選ばれた王なのです。

  我々が、」

  回りくどい話はたくさんだ。

  「・・・目的を、言え。」

  「っ・・・教会の支配から解放していただきたいのです。」

  王が聞いていたのはそこまでであった。

  そのあとも連中は何やら言っていたのことは覚えているが、

  頭にはとても入らなかった。

  激痛と沈痛が拮抗し合い、ほとんど意識がなかった。

  ただそれだけわかれば大体の内容は予想がつくから

  細かいことなどどうでもよい。

  薄暗い屋内。地下かもしれない。

  碌に光が入らない空間は埃っぽく湿っぽい。

  こんな場所は嫌だ。

  包帯が全身を締め付ける感触と

  冷たくて硬い酷い寝具を背に感じる。

  それと痛む肩と腰。

  全く動けない体。

  不潔な環境と酷い痛みと不快感と無力感の中、

  王は自身が一番欲したものを見定めた。

  -----

  国から王がいなくなった。

  ただ人々の生活は大して変わった様子はない。

  一番上が王から大神官になっただけのこと。

  ありふれた日常が続いていくだけだ。

  彼の騒ぎも早くも過ぎ去った過去とでもいった扱いだ。

  それがある訪問者によって蒸し返されることになる。

  「王の帰還だ!道を開けろ!」

  男の叫び声に多くの人が顔を向けた。

  複数人が神輿を担いでいた。

  粗末な神輿ではあったが、そのなことは些細なことであった。

  神輿の上にいたのは立派な虎縞模様と

  手足の代わりに凄まじい傷跡、

  まさしく王その人だったからだ。

  「見よ、国民よ。我は死なぬ。

  試練を乗り越え、神に選ばれたのだ!」

  神輿の上、王は勝ち鬨のように叫ぶ。

  全ては王の提案であった。

  神輿をこしらえ、自らを括りつけて目立たせよ。

  一糸纏わぬその姿はあまりにも衝撃的で、

  泣き出す者、驚愕する者など様々であった。

  その様子を王は笑い見下した。

  練り歩いた神輿は王宮の元へと辿り着いた。

  噂は人の足よりも遥かに早く、

  すでにそこには大神官など一通りの者が勢ぞろいしていた。

  神輿から王が下ろされると、

  大神官が近寄ってくる、

  王の指示により支援者の一人が王の元より離れ、

  代わりに大神官が体を王の身体を支えた。

  「王よ、要求を言え。」

  「おまえは話が早くて助かる。

  私をあの部屋に戻し、私の世話をしろ。

  それだけだ。

  国政などにもう興味はない

  この国のすべてをくれてやる。」

  「・・・いいだろう。」

  ささやくような対談であった。

  王は大神官に支えられたまま、

  支援者の方へと首だけで振り返ると。

  「私の護衛を感謝する。彼らに相当な報酬を与えよ。」

  王は大神官に抱きかかえられると

  そのまま連れ去られようとする。

  「王様、あのっ!」

  「心配せずとも、この先は私の仕事だ。」

  支援者を黙らせるかのように被せた。

  彼らは信じて見送るしかなかった。

  その言葉に反し、王は何もししなかった。

  実権そのものは教会のまま何も変わらない。

  ただ、試練を乗り越え生還した王の存在は無視できず、

  形式としては王政に戻った。

  王は自らの命を救った者達を裏切ったつもりだが、

  ただ存在するだけで厄介な存在になり、

  結果的には役立ったと言えるかもしれない。

  -----

  何もしない、何もなさないただ過ぎるだけの日々。

  再びいつもの部屋に戻ってから数か月。

  結局、何にもしていない。

  そういう約束だからだ。

  形式上の都合で王が持ち出され、

  着飾られて王座に座らされることがある程度だ。

  「いい天気だなあ。」

  今までの人生で一番酷い目にあった。

  全てを失った。

  しかし戻ってこれたのだからそれでいい。

  私が欲したのはこの場所だけだ。

  他には何もいらない。

  何もない。どうでもよい。

  日光降り注ぐ寝具の上で

  昼になるまでゴロゴロと二度寝三度寝四度寝五度寝、

  自力で起きられないが、起きる必要がない。

  手足のない体をくねらせて体の向きを変えると

  寝具に頭からもぐりこみ、全身で寝具を感じる。

  この生活にもすっかり慣れたようだ、

  このベッドの上に限れば手足がなくとも何ら支障はない。

  定期的にやってくる世話係に食事をさせてもらい、

  排泄をさせてもらい、身を清めてもらう。

  王は赤子のようにされるがまま。

  怠惰の王はその後の人生でも何もしなかったが、

  割と長生きしたようだ。