"プロローグ"
…もう何十年も前の話だ。
俺の目の前に、神様が現れた。
その日は俺の十六歳の誕生日。街で成人の儀を行う日だった。
村の教会で神父をしていた父と、その妻である母。その間に生まれた俺は、父の背を追い、神に仕える身になるべく日々を過ごしていた。毎日の御勤め、畑仕事、母の手伝い、合間を縫っての勉学。忙しいが、大変かと聞かれればそうではなく、毎日充実した日々を送っていた。決して派手で裕福な暮らしではない。畑仕事は楽ではないし、勉学も得意ではなかった。だがそれも幸せだと思えた。
成人の儀が済めば、俺も、正式に神父として認められる。まだまだ未熟者だが、そこはこれからの話。形式的にでも父の跡を継げる、その事が嬉しくて心待ちにしていた日だった。父も母も、大いに喜んでくれていた。
山奥の小さな村だ。村には年配の方が多く、子供も少ない。皆、俺を自分の子のように優しく、時に厳しく接してくれていた。そんな皆の気持ちを、俺も嬉しく思っていた。
そんな俺が成人の儀をするとなると、ちょっとした祭の種。その日は村人総出で朝まで騒ごうと、飲めや食えやの宴が催される事になった。気恥ずかしい感じもしたが、皆の好意を無意にも出来ない。普段贅沢をしない父と母も、その日くらいはと皆の提案を受け入れた。そうして俺は、宴の主役として扱われる事になった。
そして迎えた、十六歳の誕生日の朝。
既に宴の準備は進められ、村は収穫祭の時のような賑わいを見せていた。村人一人一人に挨拶を済ませ、叱咤激励の言葉を貰い、俺は街へと向かった。村の入り口まで見送ってくれた村長や両親、幼馴染み達に手を振り、俺は村を離れた。
成人の儀といっても、特別な事をする訳ではない。城に書類を提出して別な書類を受け取り、司祭様から祝福の儀式を受けるだけ。ただそれだけだ。神父になるにはまだまだ修業不足だし、その登録はまた別の機会。日が天を過ぎた頃には終わる。
行き来の時間を合わせても、夕刻までには帰れるだろう。俺が村に帰れば宴の始まり。皆が俺の帰りを首を長くして待っている。本当は嬉しくて大声で叫びたい気分だったが、出来れば喜びを皆で分かち合いたい。
成人の儀を済ませた俺は、村のみんなにささやかな土産を買い、受け取った書類を大事に抱え、足早に村へと引き返した。
村まで後少しという所だった。
赤く染まる空に、小さく黒い煙が上がっているのが見えた。村の方角だった。宴で振る舞う料理でもしているのだろう。早く帰ろう、始めはそれくらいにしか感じなかった。
だが村が近付くに連れ、それは異様なものであると感じられた。風が運び、マズルを擽るのは料理の匂いではない。別の何かが焼け焦げた臭い。そして、微かに感じられた
_____血の臭い。
嫌な予感しかしなかった。体中の被毛が逆立ち、悪寒が走る。冷ややかな汗が伝う感覚。
何だ?何だ?何だ???
気付けば俺は、ぶつけられた疑問を振り払うべく走り出していた。息が切れるのも、途中持っていた土産を落としたのも、どうでも良かった。ただ、頭に浮かぶ嫌な予感を振り払いたい一心だった。
だが、そんな俺の気持ちとは裏腹に、臭いは強く、濃くなっていった。
そして、村の入り口に辿り着いた時、嫌な予感は予感ではなく、現実のものとなった。
村の入り口に人が倒れていた。見知った姿だった。いつも畑仕事を手伝ってくれた猪人のおじさん。その人がうつ伏せで地面に倒れている。
倒れているだけならまだ良かった。背中に大きな傷さえ無ければ。何かで斬られたような大きな傷は、おじさんの体を真っ赤に染め、地面に出来た赤い水溜まりは、半ば乾いていた。
既に息は無かった。
だがそれを悲しむ暇など無かった。おじさんだけでは無かった。村の至るところに倒れているのは村人の姿。頑固だけど本当は優しい村長、いつも遊んでとせがむ子供、その子供を守るように抱えた母親、冗談が上手くて皆を笑わせるのが得意だった幼馴染み。
皆、乾いた赤い水溜まりの中だった。そして、皆おじさんと同じように息をしていなかった。
今朝までは皆元気だったはずだ。村を離れ、街へ向かう俺を、皆嬉しそうに見送ってくれていた。それが、何でこんなことになっているのだろうか。俺が村を離れている間に何があったのだろうか。何かの冗談で、俺は悪い夢でも見ているのだろうか。
だが、まるで夢ではないと教えるように、生臭いそれは辺りに漂っていた。
村の広場に用意されていた宴の準備は、無惨に荒らされていた。料理は地面に転がり、皿や飾りは割られ踏まれ、その姿を変えていた。一体何があったのか、なんてわかる筈もない。動いている人の姿は、何処にも無いのだ。皆、同じように傷を負い、血溜まりの中に倒れている。まるで山賊にでも襲われたような有り様だ。家々は焼かれ、既に火は消え失せていたが、慣れない血の臭いと合い混じり吐き気が止まらない。疑問など解決しないまま、俺は大声で叫びながら家へと急いだ。父と母が待つ教会へ。
不思議だった。自身の鼓動が、やけに耳障りだったのを覚えている。あんなに大事に抱えていた書類も、何処に落としたのか覚えていないというのに。歩き疲れている筈なのに、どこに走る気力があったのか。自分がこんなに大声を出せるのも知らなかった。
とにかく俺は、誰かに会いたかったのだ。誰でもいい。誰かと話がしたかった。何があったのか、どうしてこんな事になったのか。俺を知っている人なら誰でもいい。最悪、山賊に襲われたのなら、山賊でも良かった。俺の疑問を解決してくれと、両親の姿を必死に探した。
だが結局は、誰も応えてはくれなかった。
教会は酷い有り様だった。入り口の扉は破壊され、中は荒らされ、まるで地獄を見ている様な気分だった。そして、その聖堂の中央にある教壇の前に、誰かが倒れていた。
父と母だった。
母を庇うように、父は背中に傷を負い、そしてそんな二人を貫くように、剣が突き刺さっていた。俺と同じ、白と黒の縞模様の被毛は、どちらの血か解らない程、赤く染まっていた。
酷い耳鳴りと目眩がした。立っていられない程の頭痛に襲われ、俺は頭を抱え、叫んだ。
そして俺は、絶望した。俺が何をした?父と母が何をした?村の人達が何をしたと言うんだ?何もしていない。皆、慎ましくも幸せに、穏やかに暮らしていただけじゃないか。
何でこんな事になった?誰がこんな事をした?何の為に?何で、何で、何で_____。
疑問に応えてくれる人は何処にもいない。残ったのは俺だけ。残るのは絶望と、地獄の様な光景だけ。涙すら流れず、力無くその場に膝をついた。
父と母の亡骸に手を添え、そして思った。
この世に神なんていない。
今まで信じてきたものは何だったのか。俺が……、父と母が、今まで信仰してきたものは、一体何だったのだろうか。
もし神が本当に居て、これが運命だと言うのなら、俺は神を恨む。悪魔に魂を売り渡してでも、絶対に許しはしない。神に仕える身になろうとしているヤツが考える事じゃないのは分かっている。分かっているが、本当にそう、思った。
その時だった。
俺の前に、神様が現れたのは。
俺以外生ける者の無い聖堂に声が響いた。その声に驚き、顔を上げると、目の前に神様がいた。教壇の上に姿を乗せ、真っ直ぐに俺を見ていた。
浅黒い肌に、山羊の巻き角、頭や体は牛人に似た姿で、蝙蝠のような黒い翼と二股に分かれた尻尾を生やした神様だった。脆弱な衣など纏いもせず、その逞しい体はまるで彫刻の様に綺麗だと思った。
神様と目があって、
そして、神様は俺に聞いた。
チカラガ欲シイカ?
と。
……………………これが、俺と神様の、初めての出会い。
[newpage]
「…………クソッ!」
苔の生えた岩肌に足を取られ、俺は何度目か分からない悪態をついた。慣れない山道は想像以上に体力を使う。折れた左腕を庇いながら、剣を杖の代わりに道無き道を進む。
一体、何時間こうしているだろうか。恐らく日も沈んだだろうが、深い木々と立ち込める霧が、感覚を狂わせる。普段は身を守ってくれる白銀の鎧も、今は邪魔者でしかない。
「おーい!!誰か聞こえるかぁ!?」
立ち止まり、声を上げる。反応は無い。辺りを見回しても、見えるのは白い靄と草木だけ。これも何度繰り返しただろうか。変化が無いのは、体力だけでなく精神的にも苦痛だ。
反応が無いのを確認して、また進む。足取りは重い。少しは街に近付いているのだろうか。それすらも分からない。
「…………クソッ!こんな筈では……!」
簡単な任務だった筈だ。遅くとも日暮れには帰れる筈だった。そしたら今頃、仲間達と酒でも呑み交わしていただろう。だが今はそれどころではない。仲間達とはぐれ、左腕を負傷し、自身の居場所すらも分からない。
部隊を率いる者として、あるまじき失態だった。
昨夜の事だ。王国を守護する騎士団に、市民からのたれ込みがあった。内容は、城下街から北にある山に、盗賊団のアジトがあるから退治して欲しいというもの。報せを受け、団長の指示で各部隊長が召集された。
そこで俺の部隊が指名された。俺は団長に、部隊を率いての盗賊団の壊滅を任された。情報によると団といっても寄せ集めで、大した戦力では無いらしい。俺は精鋭五人を率いて、これに挑んだ。勿論、地形条件などを踏まえ、山に詳しい奴等を選んだ。
任を受けた翌朝、日が昇る前に街を出た。山までは、そう遠くはない。早馬を走らせ、麓に着いた頃にようやく、日が昇り始めた。このまま急げば昼過ぎには任務を終え、最悪、日が沈むまでには下山出来るだろう。盗賊との戦闘よりも、注意しなければならないのは時間だ。急ぐ必要があったのは、決して任務の重さからではない。
盗賊団のアジトがあるとされた山は、いくつかの小さな山々が連なる所だ。魔物も少なく緑豊か、自然の恵みも多い。多少切り立った崖があるのを除けば、川も流れ、水の確保も容易。岩場や洞窟といった、隠れる場所もある。一見すると、のどかで平和な所。自然を満喫するにはうってつけの場所とも言える。
だが、国の人々はこの場所を訪れない。何故ならこの山々は、人々に忌み嫌われている場所だったからだ。俺が産まれる以前は普通の山だったらしいが、今は『lost world 』失われた世界とあだ名されている。普段は何て事の無い場所だが、日没を迎えると山々は姿を変える。川からもたらされる豊富な水分が、濃い霧を生み、生い茂る木々が視界を更に遮る。酷い時には、人一人分先すら見えなくなるらしい。それに加え、この山では特殊な磁場が魔力を遮り、魔法はおろか磁石さえも役に立たない。数十年前はあったらしい山間の村も、今はどこにも痕跡がない。
今まで何人の人々がここで行方不明になった事だろうか。俺の知る限りでも百は下らない。崖から足を滑らせ死亡者が出た例も少なくない。この山に立ち入れば、視界も方角も、命さえも失う。人々は、そう畏れていた。
だからこそ逆に、盗賊団がアジトを構えるには最適な場所とも言える。人も寄り付かず、水も食料も確保しやすい。日没後に出歩きさえしなければ、身を隠す場所もある。普通のたれ込みなら直ぐには動かない騎士団が、即座に部隊を派遣したのは、そうした理由によるものだった。
山の麓で馬を止め、そこから先は徒歩での探索だ。道幅が狭い山道を馬で進むのは危険、更に言えば、地の利はあちらにある。落石等の罠で、部隊が分断されるのは避けたかった。鎧を着けての山登りは楽ではないが、この場合仕方がない事だろう。
アジトがあるとされたのは、一つ目の山を越えた先だ。二つ目の山の中腹、その森の中に、割けた大岩の洞窟がある。奴等はそこを根城にしているらしい。与えられた情報を元に、俺達は歩を進めた。若いやつらは早く戦いたくてうずうずしていたが、それは俺も同じだった。こんな任務、さっさと終わらせて街へ帰ろう。そう、思っていた。
だが、結果は散々だった。
アジトがあるとされた洞窟に辿り着いたのは、日が天高くなる少し前。情報と照らし合わせて、それらしい場所を発見した。皆、剣を構え、警戒しながら洞窟の中に足を踏み入れた。魔力が使えないとあっては、武器と経験だけが頼りだ。俺が先頭に立って、周囲を気にしながら奥へと進んだ。
が、洞窟には誰も居なかった。確かにアジトらしき痕跡はあったのだが、中はもぬけの殻で、使われなくなってから、かなりの年月が経っているように思えた。念の為、洞窟の周囲も探索してみたのだが、盗賊はおろか、人の姿さえ見えなかった。せいぜい、野生の小動物に出くわしたくらいだ。
完全なる無駄足。
情報がガセだったのだろうか。これでは仲良く遠足しに来ただけだ。剣を振るいたくて仕方がないやつらの愚痴は止まらず、そいつらを宥める事の方が大変だった。結局、ある程度探索した後、俺達は街へ引き返す事にした。
日は、天より少し過ぎたくらい。予定通り、日没までには街に着くだろう。行きと同じ帰り道を、軽口をたたきながら進む。全て順調だった____筈だ。
様子がおかしくなったのは、それからだった。二つ目の山を降り、一つ目の山を進んでいる時だ。森の中を歩んでいると、突然、周囲に霧がかかり始めたのだ。まだ濃くはないが、辺りは白く靄がかかり、僅かばかり視界を遮る。
………………おかしい。日はまだ傾き始めたばかりだ。霧が出始めるのは日没後ではなかったのか?いや、そもそも日が出ているのに霧など出るのだろうか。考えれば考える程におかしな事ばかりだ。
だが、ここで悩んでいる暇はない。霧が出た以上、この山にいつまでもいるのは危険だ。噂が本当なら、命を落とす可能性もある。このままどこかで一晩明かしやり過ごすか、急いで下るか、俺達は選択を迫られた。
俺は皆の意見を踏まえ、決断するつもりだった。任務を受けたのは俺だし、俺はこいつらの隊長だ。こいつらを無事に帰還させる義務がある。とはいえ、盗賊団を壊滅させ、酒盛りしようとしていた連中だ。おそらく始めから答えは決まっていただろう。
後は下りだけ。馬を停めてある麓まで、道も一本道だ。前者を望むものは俺を含め無く、全員の意見が一致し、俺達は歩みを走らせ、道を進んだ。
この決断が、間違いだったのだ。
俺達が進めば進むほど、霧はどんどん濃さを増していった。俺達は、時折声を掛け合いながら真っ白な世界を走った。こんなに濃い霧に遭遇したのは、生まれて初めてだ。直ぐ後ろを走っていた部下の狼人が辛うじて見えるだけで、その後ろにいるヤツらの姿は見えない。声だけが頼りだ。
そして、やがてそれも無くなった。走り出して数分、白一面の霧の中に何も見えなくなる。ここまでとは予想していなかった。一度立ち止まってみるも、直ぐ後ろを走っていた部下すら見えない。いつの間にか、声も返って来ず、何も聞こえない。ここには何の生き物の気配も感じられない。
気付いた時にはもう、俺は一人だった。
……どういう事だ?そんなに速くは走っていない。一本道で、道に迷うことも無かった筈。滑落するような場所でもあっただろうか、いや、そんな場所は無かった。なのに、姿はおろか声すら返って来ないのはおかしい。山道に慣れた五人が、ただの霧ではぐれたとは考えにくい。
考えられるのは俺だけがはぐれたという可能性。霧で視界がほぼ塞がれた状態で、先頭を走っていた俺を追い抜いた?この広くない道幅で?まさか、有り得ないとそう思いながらも、しばらく立ち止まって声を出してみる。後ろを走っていたなら追い付く筈。だが現状は何も変わらなかった。
どうする。一度引き返すか、だが、この視界の悪さで果たして合流出来るのだろうか。一度麓まで降りて、霧が晴れるのを待つか、……いや、それだと万が一の場合手遅れになる。頭の中に、行方不明者や崖から落ちた者達の姿が浮かぶ。部下の安否が確認出来ない以上、俺だけ戻るわけにはいかない。
脳裏に浮かぶ最悪なシナリオに背を向け、俺は下ってきた道を引き返した。
そして、部下の捜索を始めてからどれくらい経っただろうか。空が夕陽に染まり、霧も木々も紅く色付いていく。普通なら有り得ない光景だ。そう頭で考えても現実は変わらない。
もう日没まで時間が無い。誰一人として部下を発見出来ていない現状に苛立ちが募る。
俺は冷静さを欠いていた。簡単な任務だとたかを括っていたせいもあるだろう。予想外の事態に焦り、それは隊を率いる者としてあってはならない事だ。
だから俺は気付かなかった。霧で足場が濡れている事も、今いる場所が山肌の斜面に近い所に立っていることも。
気付いた時には全て遅かった。俺は足を滑らせ、山の斜面を転がった。馬鹿な俺の叫び声が辺りに木霊する。急な山肌では止まることも出来ず、飛び出た木の根に頭をぶつけ気を失いかけた。それでも俺の体は止まる事はなく、落石のようにゴロゴロと無様に転げ落ちる。木の枝が鎧の隙間から刺さり血が流れる。そんな痛みなど感じない程、体中至る所が悲鳴を上げる。このまま死ぬのだろうか。そんな事すら思い浮かべた。
そして、どれくらい落ちただろうか。どうやら俺は途中で気を失っていたようだ。目を覚ました瞬間、体のあちこちに激痛が走り、動くこともままならない。が、命だけは助かったらしい。我ながら丈夫だと思う。植物が衝撃を吸収してくれたらしく、これが岩だったらと考えるとゾッとする。運が良かった。おそらく左腕は折れてしまっているが、自分の不注意が招いた結果だと諦めるしかない。
それよりも、俺には今やるべき事がある。部下達と合流、そして街に戻り任務の報告。怪我の治療はそれからだ。腰布をちぎり、木の枝を支えに巻きつけ、応急措置をして立ち上がる。後は運を天に任せ、俺は歩き出した。
「………ゼェ……ゼェ…………っ、クソ…ッ!」
そして現在に至る。一歩一歩確実に歩を進めるものの、似たような景色が続き、現状は何も変わらなかった。折れた左腕が予想外に痛む。もしかしたら刺さった枝の傷口が化膿しているのかも知れないが、水も川も無い以上どうすることも出来ない。
魔物でも現れようものなら、確実にマズイ事になる。視界も足場も悪い中で、左腕を庇いながらの戦闘はなかなか骨が折れそうだ。少ないとはいえ、今戦うのは避けるべき。こうなってしまった以上は、どこか身を潜める必要があるが……。生憎、この辺りに洞窟や、木のうろといったものは見当たらない。
「……せめて、水場でもあれば……」
自分がどれだけ滑落したのか分からないが、山には川の流れる場所もある。まぁ水音が聞こえない今は関係も無いのだが。
何時間も歩き続け、体力的にも限界が近い。道中落ちていた木の実で、何とか空腹は免れているが、水だけはどうしようも無かった。これが霧でなく雨ならと、妙な所を恨む辺り、俺もそろそろやばいらしい。
「……どうやら、神は俺が嫌いらしいな……」
柄にも無いことを思う。神なんて言葉、今まで口にすることも無かった。当然、居るとも思っていない。あんなのはイカれた神官共が、自身の私利私欲の為に作り上げた存在だろう。ずっとそう思っていた。
だから、
「……………………ん……?なんだ、今の光は…………明かりか?」
だから、木々の隙間から見えた僅かな光も、己の運と努力の結果だと、そう、信じている。
「…………鬼が出るか、蛇が出るか…………一先ず、行くしかないな……」
そうだ。神なんていない。
そんなもの、偽りとまやかしの象徴だ。
俺は、自分の目で見たものしか信じない。
神なんてものは、この世に存在しない。
____そう、信じていた。
[newpage]
「……これは…………教会……か?」
木々の隙間から見えた光を目指し森を進むと、突如開けた場所に出た。深い森の中に、その周囲だけ木々が無く、その真ん中に建造物があった。王国にある大きなものではなく、小さな教会らしき建造物。木造の建物の正面には十字架が飾られ、中には明かりが灯っている。誰かがいる証拠だ。
だが、疑問も残る。この建物が教会だとしたら、一体何のためにこんな山の中にあるのか。もしかしたらここが、教会に見せかけた盗賊団のアジトなのではないか。そうだとしたら今の状況で勝ち目はあるのか。嫌な考えが脳裏に浮かぶ。
「…………行くしかないか」
が、ここで可能性だけ追っても仕方がない。それに可能性だけなら、はぐれた部下がいる可能性もある。
俺に残された選択肢は少ない。どっちにしろこのままだと疲れ果て倒れるのは目に見える。どう転んでも水は必要だ。人が居るなら水はあるだろう。
俺は覚悟を決め、剣を握り直した。
「…………正面……いや、他を探すか」
普通の盗賊団のアジトなら正面には罠を仕掛ける筈。辺りに見張りの姿は無いし、それは敢えて見張りを付けていないのか、盗賊団のアジトでは無いのか判断が出来ない。入るなら裏口か。そう決め、裏口に回る。
だが、裏口は施錠してあるようで、扉は開かない。窓から中を覗き込むものの、人の姿は見えない。盗賊団のアジトにしては、中は綺麗だと思ったが、油断させる為の罠かもしれない。
「困ったな……正面から行くしかないか」
結局、他に入り口は見当たらず、俺は正面に戻った。木で出来た大型の扉、その前に立ち、呼吸を整える。ここが教会だとすれば、聖堂の入り口だろう。警戒を解かぬまま、俺はゆっくりと扉を引いた。
施錠はしていなかった。そう言えば街の教会も、いつ何時、救いの手を求める人が来てもいいように鍵は掛けないでいるのを思い出した。だが、それは街の教会の場合。こんな山の奥で救いの手を求める者など居るのか?そう思うも、今まさに俺自身訪れているのだから、そこは余計な詮索だろう。神を信じないヤツが救いの手を求めている、その事実に、自虐的に笑う。
「………………これは」
扉を開いて中を覗くと、そこはやはり聖堂だった。街の教会と比べると狭いが、それでも広い空間に長椅子が並び、中央には説法台があった。そして、中に足を踏み入れて、俺は言葉を無くした。
そこは驚くほどに綺麗な空間だった。いや、綺麗などという言葉では表せないだろう。教会なら皆そうだろうと思うだろうが、違う。空気がそこだけ違うのだ。清廉された空間、それは法力など持たない俺にでも分かる程だ。街の教会とは比べ物にならないくらい、ここは清浄な空気が満ちている。
「……………………」
そして、言葉を失った理由はもう一つ。説法台の後ろにあった聖母の像。鮮やかな七色のステンドグラスの前で乳飲み子を抱いた聖母は、まるで本物の聖母のように、そこに生きているかの如く存在していた。彫刻等、芸術には疎い俺だが、こんなにも穏やかな気にさせてくれる像には出会った事がない。思わず祈りを捧げたくなる程だ。見ているだけで、疲れも痛みも癒される、そんな気がした。
何故、こんな山奥の教会に、こんなにものが。貴族や王族が、喉から手が出して欲しがる程、素晴らしいものだ。不釣り合い、と言っては何だが、外観からでは想像もつかないものが、ここにはあった。
俺は、暫し時を忘れ、像を眺め続けた。
「どちら様でしょうか?」
しばらく像を眺めていると、奥から声が聞こえた。聖堂の右奥にあった戸が、ゆっくりと開かれる。俺はハッと我に返り、剣を握った。これが盗賊だったら、不意を突かれていたことだろう。どこまで俺は愚かなのか。
だが、開かれた戸から姿を現したのは、どう見ても盗賊では無かった。そして現れた人物を見て、俺は再び声を無くした。
「こんな夜更けに訪れるとは…………、道にでも迷われましたか?」
そう問いかけてきたのは、俺よりも大分若い雄だった。全身を覆う黒いローブに、頭と尻尾だけを出し、十字架を模したアミュレットを首から下げている。手には、聖書だろうか?何かの書物を持っているその姿は、どう見ても教会の神父にしか見えなかった。
俺と同じ虎族の雄、だが、まるで様子が違った。
先ずは、その被毛。俺が黄、黒、白の被毛に対し、目の前の雄は、白と黒のみの被毛だ。頭と尻尾しか見えないが、恐らく全身そうなのだろう。こんなところで白虎族に出会うとは珍しい。街で見かけた事はあったが、こうして面と向かい合うのは初めてだ。だが、言葉を無くしたのは珍しさからではない。
その白い被毛は、白と呼ぶには勿体無い程に美しかった。まるで月夜に照らされた雪のように透き通り、燭台の灯りに照らされ白銀に輝いている。雄の俺からしても、美しいと声に出してしまいそうになる程だ。種族的には遠くないだろうが、こうも違うのかと、思わず手入れをしていない自身の被毛が恥ずかしくなる。今まで一度たりとも、そんな事を思った事は無いのに、だ。
そしてもう一つ、それよりも驚いたのは、その瞳だ。空の青、海の蒼、宝石の碧……その何れとも違う、二つの青い瞳。俺が今まで見てきたどんな青より青く、深く、優しい青の瞳だ。見ていると、まるで吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥った。ずっと見ていたい、瞬きをする時間すら惜しまれる、そんな錯覚だ。青い瞳の種族は他にも居たが、こんなにも恐ろしく、美しい瞳は初めてだった。
「?どうかされましたか??」
この瞳を俺のものに…………
……………………何を馬鹿な事を考えているんだ俺は。まるで悪魔にでも魅了された気分だ。ここは教会で、目の前の相手は神父だぞ?同じ種族で、同じ雄だぞ?今は他に考える事があるだろうが。そう自分に言い聞かす。
「あ、あぁ…………すまない、何でもないんだ…………。少し聞きたい事があるのだが?」
神父の言葉にハッと我に返り、ここに来た目的を思い出す。不思議そうに俺を見つめる青い瞳から、反射的に目を反らす。鼓動の高鳴りがやけに五月蝿い。馬鹿な、これじゃあまるで。
「……実は仲間とはぐれてしまってな……俺が来る前に、誰かここを訪れなかっただろうか?」
まるで、恋に落ちたようではないか。馬鹿馬鹿しい。そんな訳無いだろう、俺は雄で、目の前に居るのも雄だぞ?いい歳をして、乙女でもあるまいしと、自分を責める。大体そんなこと自体考える方がどうかしてるのだ。どうかしてる……本当に。
「いえ、残念ながら」
「…………そう、か…………。なら、すまないが軒先を借りれないだろうか?一晩だけでいい。後、出来れば水を分けて頂けると助かるのだが」
神父の言葉を聞いて、俺は肩を落とした。部下達はどこにいるのだろうか。無事下山したのだろうか。もう街に戻っただろうか。それならそれでいい。俺が汚名を被ればいいだけの話だ。
俺がそう頼むと、神父は俺の顔を覗き混んできた。青い瞳が、真っ直ぐに俺を見ている、そう考えただけで、顔から火が出そうなくらい熱くなる。恥ずかしさから、また目を反らす。
「……どうやら怪我をしているようですね」
一体どうしてしまったというのだろうか。目の前の神父をまともに見ることが出来ない。今まで他の誰にも、こんな感情を抱いた事は無かった。騎士になる以前も今も、ひたすら剣の道に生き、己を高める事にしか興味が無かった。
それが、今さっき会ったばかりのヤツに対して、沸き起こる感情を抑える事が出来ない。
「こちらへどうぞ。先ずは怪我の手当てを」
……俺は……悪魔にでも魅入られてしまったのだろうか。
*****
「……これで……少しは楽になりましたか?」
教会の奥に通された俺は、一つの部屋に通された。小さなテーブルと椅子、今は使われていない暖炉とベッドが一つあるだけの部屋だ。窓はあるが、外は暗く、霧も出ていて何も見えない。恐らくは客間だろう。
俺は椅子に座らされ、折れた左腕の治療をされていた。鎧を脱いで上半身裸になると、聖水で傷口を消毒される。神父の法術で、折れた腕を癒した後、清潔な布を巻かれ固定された。聖水が染みた以外の痛みはなく、手際の良さは流石聖職者というべきだろうか。
「…………あぁ、ありがとう。助かった」
「まだ無理してはいけませんよ?傷は塞ぎましたが、怪我は完全に癒えた訳ではありませんので」
神父はそう言うが、手当てされる前と後では大分違い、遥かに楽になった。やはり素人の応急措置とでは雲泥の差がある。俺も法術が使えたなら、もっと状況は良かっただろうにと、己の未熟さを恨む。これなら明日には動けるだろう。
「だいぶ無理をしていたご様子。何か事情がお有りなのでしょうが、体を壊しては元も子もありませんよ?」
「あぁ、肝に命じておく」
「ここには私しか居ませんし、この部屋は好きに使って頂いて構いませんので。どうかごゆっくりなさって下さい」
「何から何まで……すまないな」
一通り手当てを終えた神父が、一礼して部屋を出ていく。余った布や聖水を手に、ドアの向こうに尻尾が消えて行くのを見送ると、俺は深い安堵の息を吐いた。
色んな意味で助かった。手当てされている間、あの青い瞳が直ぐ間近にあるものだから、気が気で無かった。鼻息が荒くなっていなかっただろうか。出ていかれたら出ていかれたで、何か物悲しいものがあるが、気の迷いだと自分に言い聞かす。
が、神父は直ぐに戻ってきた。手には何かを乗せたトレーを手にしている。匂いでわかったが、食事のようだ。
「残り物で申し訳無いのですが……」
そう言って、神父は目の前のテーブルにトレーを置いた。トレーの上には、水の入ったグラスと、パンが二切れ、何かのスープが盛られた器が乗っていた。湯気を燻らすスープの香りが鼻を擽る。良い香りだ……どうやら俺の分の食事と言うことらしい。
「いや、そこまで迷惑をかけるわけには____」
ぐうううぅぅぅぅ………………
そこまで世話をかけられないと、断ろうとした所に、腹の虫が自己主張し出した。盛大な音を響かせ、早くしろとせがむ。
そんな俺の様子を見て、神父はくすくすと笑った。間違いなく聴かれた。我が身ながら情けない。別の恥ずかしさに襲われる。引いた熱が再び帯び始めてしまい顔が熱い。被毛まで赤くなってしまいそうだ。いや、既に手遅れかもしれない。
「先ず体力を取り戻す事が先決です。でないと治るものも治りませんよ?」
俺が言い訳を考えている間に、神父が口を開く。勿論それは正論なのは分かっているが、部下の安否が確認出来ていないのに、俺だけ施しを受けるわけにはと躊躇われた。
「それに作りすぎて困ってましたし。貴方が食べてくれると、私としても助かります」
後者のは恐らく嘘だろう。作りすぎたと言っても、明日の朝に回せば済む話。一人で暮らしているのなら、配分も分かるはず、作りすぎるという事は無いだろう。
……というより、これをこの神父が作ったのか?つまりこれは手料理という事であって……。
…………俺は、何を考えてるんだ。馬鹿か、俺は。
「そう言えば、まだお互い、名前を聞いてませんでしたね。私は、アレス=マクレンと言います。ご覧の通り、この教会で神父を務めさせて頂いております。まだまだ修業中の若輩者ではありますが、よろしくお願い致します」
「あ、あぁ……。……俺はラグナ=ウィリアム。ガイラルディア騎士団第二部隊の隊長を任されている。…………世話をかけるな、マクレン神父」
神父の丁寧な自己紹介を受け、俺も襟を正す。頭を下げられたが、下げるのはこっちの方だろう。
こういうかしこまった挨拶は苦手だ。ファーストネーム等、式典の際にしか呼ばれた事がない。増して、目の前にあるのはあの青い瞳、それに見られている。それだけで、如何に自分の教養の無さが浮き彫りになるか、その事に恥ずかしさを覚える。
「アレス、で結構です、ウィリアム様。先にも申しましたが、私はまだまだ修業中の身ですので」
「…………なら俺も、ラグナでいい。様付けで呼ばれる程偉くもないからな。呼び捨てにされた方が気が楽だ」
どうにもやりづらい。荒くれに毛が生えたようなヤツらを相手にしている事が多いからか、一字一句いまいち緊張してしまう。
「わかりました。では……ラグナ?冷めない内にどうぞ召し上がって下さい」
「あ、あぁ…………」
結局目の前の白虎、マクレン神父に………………アレスに圧され、俺は用意された食事を平らげた。今も何処で、俺の部下達がどうなっているのかも分からない状況なのにも関わらず、だ。自分がこんな薄情なヤツだとは思わなかった。
「!?……美味い」
「それは良かった。お口に合ったなら光栄です」
だが、それすらもどうでも良くなってくるくらいに、飯は美味かった。芋とミルクを煮ただけのスープが、こんなにも美味いものだとは知らなかった。そして、そんな俺を、嬉しそうに見つめるアレスの存在に、こんなにも心高鳴るのは初めてだった。このまま時が止まれば良いのに、等と馬鹿な事まで考えてしまっている。頭をぶつけた際に、おかしくなってしまったのだろうか。
俺は今、神の存在を否定出来なかった。むしろ、この出会いに感謝さえしていた。三十六年間の価値観が、アレスと名乗る神父と出会った事で、一瞬にして覆された。
もし、これが神が定めた、運命の出会いだと言うなら、
それは、悪魔の甘い囁きによく似ていた。
俺が食事を終えると、アレスは満足げに席を立った。聞けばここ数年、誰かがここを訪れた事は無く、俺と話が出来たことが嬉しかったらしい。空になった器を手に、おやすみなさいと一言残して部屋を出ていった。俺は、その後ろ姿に再び感謝を述べ、そっと見送ると、窓の方を向いた。
外は、より一層闇を濃くしていた。霧も未だ晴れる様子はない。窓ガラスを、小さな水滴が流れ落ちる。山の夜は冷えそうだ。部下達が寒くしていないといいが。
朝になれば状況は変わるのだろうか。その気配は微塵も感じられないが、今はそれを願うしかない。今回ここを発見出来たのは不幸中の幸いだろう。次があるとは限らない。どのみち、霧が晴れなければ、また道に迷うだけ。
なら、今の俺に出来ることと言えば、部下達の無事と、霧が晴れるのを願うことだけ。見よう見まねだが、アレスに習って、俺も神に祈ってみることにしよう。
「朝になれば………………」
細やかな祈りを天に捧げ、俺はベッドに潜り込んだ。耳の先まで布団を被ると、思考を無理矢理遮る。布団から、日だまりの匂いがした。
明朝、ここを発つつもりだ。それまでに少しでも体力を回復させよう。街に戻ったら、後日改めてここに来よう。礼は、その時にでも遅くは無いだろう。左腕に巻かれた布を見ながら、俺は眠りについた。
[newpage]
「何をしてるのですか!!」
翌朝、目が覚めるのと同時に、俺は鎧装備一式に着替えていた。外は快晴、霧も無い。一晩休んだのと、アレスの手当てで体力もだいぶ戻った。これなら、部下達の捜索も、街に戻る事も出来るだろう。そう思っての事だった。
着替えている最中に部屋の戸が開いた。開けて入ってきたのは神父、アレスだ。ノックくらいして欲しいと思ったが、世話になってる身分で何を言えるのか。俺は、アレスに朝の挨拶を言い、着替えを続けた。そこに怒号が響いた。
「何、と言われてもな…………見ての通り出立の準備だ」
「出立、って…………貴方の怪我はまだ治ってないのですよ!!?」
アレスの言う通り、俺の左腕はまだ完治していない。法術で骨はくっついてはいるが、動かせるようになるには時間がかかるだろう。術だって万能ではない、そんな事は俺にだって分かる。
「それくらいは分かっているさ。だが、いつまでも呑気に治るのを待ってなどいられないのでな?」
「けど!!けど山には魔物も出ます!貴方がどれほど強くても、怪我が治らない内は危険です!」
「…………何とかなるさ」
叫ぶアレスに構うこと無く、俺は仕度を続けた。ずっしりとした鎧の重さが、そのまま俺の責任としてのし掛かる。俺には、部下達を無事に街へ送り届ける義務がある。それが隊長としての、俺の責任だ。ここでいつまでも足止めを食らうわけにはいかない。
「世話になった。礼は必ずする」
「礼など…………それに礼というのなら、怪我をちゃんと治してくれた方が、よっぽど嬉しいです……。お願いします……怪我が治るまでは……」
「……それは出来ない相談だな」
もう一つ、ここを早く離れたい理由が俺にはあった。それはこの白虎の神父、アレスから早く離れたいという事だ。
俺がこの教会を訪れて半日……たった半日だ。それなのに俺の心の中は、アレスに対する情愛でいっぱいだった。いや、情愛などではない。目の前の白虎を自分のものにしたい、そういう醜い欲望が、心の中で渦巻いて俺を喰らおうとする。
「そこを退いてくれないか?」
「……嫌です」
「何故だ?俺が何処に行こうと、何処で野垂れ死のうと、お前には関係無いだろう?」
「…………………………」
昨夜もそうだったが、一晩経ってより一層その想いは強くなった。目の前の神父を犯せ、無理矢理だって構うものか、本能に従えと、もう一人の俺が囁く。俺は、一体どうしたと言うのだろう。このまま怪我の治りをここで待っていたら、俺は気でも狂わせるだろうな。
恋なんてしたことが無かったが、こんなにも苦しいものだとは思わなかった。このまま焦がれ続ければ、アレスに危害を与えかねない。それだけはどうしても避けたかった。だから、俺は………………。
「………………………………」
「………………………………」
ドアの前に立ち塞がる神父とにらみ合いが続く。アレスは下を向いてしまっているが、どうやら退く気は無いらしい。膠着状態が続き、無駄な時間が過ぎていく。このままこうしていても埒があかない。
俺はゆっくりと剣を鞘から抜いた。そして、下を向いたアレスに見えるよう、切っ先を向ける。……もちろん斬るつもりはないが、ちょっとした脅しのつもりだった。これで退いてくれるだろう、そう思った。
命の恩人の、それも神父に対して刃を向ける日が来るとは思わなかった。俺は、何をこんなに焦っているのだろう。
「_____ないです」
長い沈黙だった。破ったのはアレス。切っ先を見ているのか、下を向いたまま口を開いた。何を思うのか、絞り出すように小さな声で続けた。
「関係無くなんて……ないです。そんな事、言わないで下さい……」
目の前の白虎が顔を上げる。あの青の瞳が、俺の目に写る。少しだけ潤んだその瞳は、普段とは違う色を発し、美しく揺らいでいた。その美しさに、また俺は心奪われ、思わず剣を降ろしてしまう。
「私が十六歳になった時の事です…………、私の両親は、私を遺してこの世を去りました……」
「住んでいた村が、山賊達に襲われたのです……。私が村を離れている隙に、山賊達は村を襲い、そして………………そして、村人は全員……殺されました…………今この世界に、私の事を覚えている人は…………一人も居ません」
ぽつりぽつりと、アレスは自身の過去を語り出す。語りながら、一歩、また一歩、俺に近付いてくる。青の瞳が、真っ直ぐに俺だけを見て近付いてくる。思考が、惚け始めた。
「だから……お願いです。どうか、自分を大切にして下さい。私は、私を知る人を、もう……失いたくは無いのです」
「……………………だが……」
あと一歩という距離まで近付いて、アレスはゆっくり手を伸ばした。伸ばされた指先が俺の顔に近付き、やがて頬に触れた。髭を、被毛をなぞり、まるで存在を確かめるように優しく撫でる。心地好い。
「大丈夫、お仲間の方も無事です。きっと神様が守ってくれています。そう、信じましょう?…………だから、貴方は……もう少しだけここに…………」
そして、俺の胸元に顔を埋めた。ゆっくりと腕を回し、やがて抱きしめられる。白銀の被毛が、目と鼻の先に在った。神父の……アレスの匂いがした。温かくて、優しい匂い。日だまりの匂い。
「………………わかった」
白虎が体を震わせていた。辛い過去を思い出させてしまったようで罪悪感が芽生える。せめて何かしてやりたいが、俺に出来ることなど限られている。なら、大丈夫だと子供言い聞かすよう、俺も、白虎の体に腕を回した。親が子に、そうするように抱き締めてやりたかった。だが、折れた左腕ではうまく抱きしめられず、歯痒さが残る。
もしかしたら、アレスも俺の事を……?
いや、まさかな…………だが……
だが、怪我が治れば、ちゃんと抱きしめられるのだろうか。抱きしめても良いのだろうか。もしかしたら、この神父の隣に居ても良いのだろうか。その日が来るのだろうか。
……………………俺は、どうかしていた。普通じゃなかった。この時、神父の話を無視してでも出ていけば良かったのに。そうすれば俺は……。
だが、この時はどうしようも無かった。あの青の瞳に見つめられ、洗脳されたかのように思考が止まっていた。あの瞳は危険だ。俺が、俺で無くなってしまいそうな恐怖すら覚える。
俺は、教会を離れる事が出来なかった。心の何処かで期待していたのかも知れない。神父と一緒になる事、一緒に暮らす事。それが幸せなんじゃないかと思い始め、夢見始めてしまう。
気付けば仲間の事など忘れ、その日だけでなく、次の日も、またその次の日も、俺は教会で過ごした。左腕の怪我が治るまではと、理由ではなく言い訳にして、俺は神父と一緒の時間を過ごした。
俺は、悪魔に取り憑かれでもしたのだろうか。
[newpage]
「…………………………」
俺が教会を訪れてから十日が経った。俺は、未だにそこに居た。与えられた部屋の窓から外を見れば、アレスが裏の畑を耕しているのが見える。日の光の下、汗を流しているその姿を目で追う。
ここ数日、ずっと考えていたのだが、どうやら本当に、俺はアレスに恋してしまったらしい。
アレスと過ごす時間が楽しい、アレスが笑ってくれるのが嬉しい。一日一日が短くて、早く通り過ぎてしまう。夜がくれば、明日が来なければ良いのに、霧が晴れなければ良いのにと眠る。今まで恋などしたことが無かった為に、この感情をどうしていいか分からない。
依然として部下達がどうなったのか解らないままだったが、正直どうでも良くなっていた。街に戻っているだろう、いつもの生活に戻っているだろう。その程度にしか考えられなかった。恐らくは捜索隊も派遣されているだろうが、それもどうでも良かった。見付けて欲しいとも思わない。俺は、薄情なヤツなのだろうな。いつから、ではなく、元からそうなのだろう。きっとそうなのだ。
昨晩も、その前も、アレスの事だけ考えて眠った。遂に、眠る前には欲望を押さえられず、何度も何度も、頭の中で抱いた。自身の肉棒を握り、その欲望の種をぶち撒ける。白と黒の裸体を思い描き、夢の中で汚す。アレスの喘ぐ声、その体温を想像し、犯す。
相手は神に支える身、しかも命の恩人だ。いけない事だと分かっている。分かってはいるが、抑えられなかった。欲望を吐き出した後で、毎回虚しさと罪悪感に襲われる。それも分かっているが、止められなかった。今では、まともに顔を見ることが出来なくなってしまう程だ。
一方で、その方がいいと思う事もある。あの瞳だ。あの青の瞳に見つめられると、俺は何も出来なくなってしまう。あの瞳で囁かれたら、俺は言いなりになってしまう。まるで悪魔に囁かれたように。
だから、これでいい。もうじき、左腕も完治するだろう。そうなれば、俺がここに居る理由は無い。無くなってしまうのだ。だから、今はこれでいいんだ。
「………………外の空気でも吸うか」
気分を変える為、俺は外に出た。
最初は気付かなかったが、この教会の周りは結構広く、小さな村が入るくらいに森が拓かれている。
教会の中でじっとしていては体が鈍ってしまうし、余計な事まで考えてしまう。そう思い、毎日教会の周りをブラブラ散歩することにしていた。特に見るものなど無いが、アレスに薦められた聖書を見るよりはマシだ。日の光に当たれば、俺の欲望にまみれた思考も浄化してくれると思った。
…………この時、俺は部屋を出た事を後悔した。
俺は発見してしまったのだ。
それは見てはいけない物だった。あってはならない物だった。
それは、ずっと疑問に思っていた事の答えでもあった。
「……ん?なんだ……これは……?」
それは石だった。が、ただの石ではない。自然の物ではなく、明らかに人工的に組まれた石だった。長く伸びた草が邪魔をして、今まで気付かなかったが。草木に阻まれた地面に、同じような大きさの石が囲いを造っていた。雨風に曝され風化してしまっているが、それは家の土台として組まれる石台の様に見えた。
そしてそれは、少し離れた場所にもあった。拓かれた場所に、いくつも点在している。恐らく、造られてから数十年は経過しているだろう。まるで、かつてここに村でもあったかの様に……。
「…………!…………まさか……………」
そう考えた途端、嫌な余寒が背中を襲った。ゾクりと、冷ややかな汗が伝う。考えたくはない。考えたくはないが、そう考えると、全ての辻褄が合ってしまう。
俺はアレスの言葉を思い出した。村が山賊達に襲われた、村人全員が殺されたというアレスの言葉。だが、村人全員が殺されたなら、何故アレスだけ無事だったのか。村から離れていたと言っていたが、それなら何故、村を襲ったのが山賊達だと解ったのか。山賊達に会ったのだろうか。それならば、アレスだけ殺されなかったのはおかしい。村人全員を殺す様なヤツらが、アレス一人だけ生かすとは思えない。
「………………………………」
俺は一つの仮説を立てた。アレスが暮らしていた村というのは、この場所に在ったのではないか。昔在ったとされる、山間の村とは、ここだったのではないかという仮説だ。
そして、もう一つ、思い浮かんだ事ある。
それは、アレスが悪魔、もしくは、悪魔に取り憑かれている可能性だ。
ずっと不思議だったのだ。何故こんな山奥に、教会があるのか。もし、以前ここに村が在ったなら、教会があるのも納得出来る。それに悪魔の力なら、結界を張って建物を維持する事など容易だろう。
今にして思えば、あの不自然な霧も、悪魔が使う術の一つかも知れない。理由は解らないが、ここに人を近付けない為の、罠だったとしたら?
全て、悪魔の仕業だとすれば、納得出来る。
騎士団への依頼も、それが無駄足だった事も、仲間とはぐれた事も。俺がここを訪れた事も、偶然にしては出来過ぎだ。
村を襲った山賊達を憎み、悪魔に憑き入る隙を与えてしまったとしたら?
「…………そん……な…………」
俺は、浮かんだ考えを否定出来なかった。アレスの、あの美しい青の瞳だ。あれはきっと悪魔のもの。人を狂わせ、堕とす、悪魔の瞳。俺は、その瞳に惑わされているのではないか。悪魔の言いなりになっているのではないか。そう、考えてしまった。
「…………………………」
だが、疑問も残る。神父が悪魔なら、何故俺は無事なのだ?悪魔は、人の魂を喰らうという。人には誰しも、多かれ少なかれ魔力をその身に宿している。それは魔力を礎とする魔族の栄養源だ。謂わば餌。それなら何故俺は魂を喰われずにいるのだ?俺がここに呼ばれたのは餌とする為ではないのか?怪我の手当てまでして、食事や寝る場所まで用意して。そんなことを悪魔がするだろうか。
そして、もう一つ。アレスの年齢だ。村が無くなったとされているのが数十年前。俺が生まれるより前の話だ。その時アレスは十六歳だと言っていた。アレスの言葉を信じるのなら、今アレスは五十歳を越えている事になる。だが、どう見ても、アレスの姿は二十代そこそこにしか見えない。五十を越えて、あの毛艶の良さは有り得ない。それも悪魔の成せる業なのだろうか。
「………………行こう」
俺は、思考を遮った。考えていても始まらない。証拠は何もない。あくまで、俺の想像でしかないのだ。重い腰を上げると、教会へと身を引き返した。
腰には護身用の短剣がひとつ。武器になるのはそれくらいで、鎧も剣も部屋の中だ。まぁ悪魔とまだ決まった訳ではないし、重装で話をするわけにもいかんだろう。
それに、アレスが悪魔だったとしても、俺にはどうしようも出来ない。普通の悪魔なら、一太刀に切り捨てられるのに。
俺は、アレスに恋をしてしまった。俺の心は、あの白虎に囚われてしまったのだ。だから、俺には斬る事が出来ない。
「…………見逃してくれるとも思えんがな」
後は部下達の事だが……俺の仮説が正しければ……もう生きてはいないだろう。
今は、俺の思い過ごしである事を、願うばかりだ。
[newpage]
教会へ戻ると、アレスは畑仕事を終え、昼食の仕度に勤しんでいた。鼻唄交じりで楽しそうなその姿からは、悪魔なんて想像もつかない。だが、ここに来るまで、ここに来てからの不自然な物事の数々は、悪魔の存在を否定出来なかった。
「丁度良かった!貴方を呼びに行くところだったのですよ、ラグナ」
「…………………………」
目の前の白虎が顔を綻ばせる。とても幸せそうな笑顔だった。俺が恋をした相手が笑っている。それなのに、何故こんなにも不安なのだろうか。
「昼食の用意が出来ました。先に手を洗って来てくださいね」
「………………………………」
俺は、何をしようとしている?何を聞こうとしている?
「ラグナ……?どこか具合でも悪いのですか?」
「………………………………」
わからない。
どうすればいいか。どうするべきなのか。
俺にはもう、何もわからない。
「…………お前、何歳だ?」
俺はアレスにそう訊ねた。俺の頭の中に浮かんだ疑問、普通の人なら答えられる質問だった。
「…………急にどうしたのですか?さぁ、スープが冷めてしまいますよ?ほら早く」
「…………………………」
俺は何を聞きたいのだろう。何て答えて欲しかったのだろう。
たぶん、聞きたかったのは普通の事。俺の疑問を解決してくれる、普通の問い。だから、普通に……直ぐに答えて欲しかった。
「………………お前は言っていたな?住んでいた村が襲われたと。それはここの事じゃないのか?」
「………………どうして、そう、思うのですか?」
だが、答えてはくれなかった。答えられない理由でもあるのか。あるとすれば、それはつまり、そういうことなのだろう。
「……さっき、教会の周りに、石の囲いがあるのを見つけた。花壇なんかじゃない。あれは家を建てる際に敷く、建物の土台じゃないのか?」
「………………………………」
「同じような物を街で見たことがある。風化してはいるが、間違いではない筈だ」
「………………………………」
沈黙。アレスは下を向いた。さっきまであった笑顔が消えた。俺の質問に何も答えず、黙ったまま何かを考えているようだった。
俺もまた、下を向いた。否定して欲しかった。違うと、俺の勘違いだと、一言言って欲しかった。それだけで俺は救われたのに。
「そうですか……見てしまいましたか……なら仕方ありませんね」
黙っていたアレスが口を開いた。顔を上げ、俺を真っ直ぐに見つめる。いつもと同じ笑顔なのに、いつもと違う笑顔が見えた。
「貴方の言う通りですよ、ラグナ。ここにはかつて、村がありました。そして……私はその村の、唯一の生き残りです」
恐ろしく美しい瞳で、俺に微笑みかける。その瞳に射ぬかれただけで、その場から動けなくなる。
「なら……やはりお前は…………」
背中に冷ややかな汗が伝う。どんな戦場に立った時もかいたことのない嫌な汗だ。
「やはり、とは?…………それに、もうどうだって良いでしょう?」
「なん…………」
一歩、そしてまた一歩、後ろに後ずさる。動けたのはその程度。何故だか体が言うことを聞いてくれない。
あの青の瞳だ。あの瞳が、そうしているのか。逃げることも、目を反らす事すらも出来ない。こんなにも恐怖を覚えたのは初めてだった。
「余り手荒な事はしたくなかったのですが、仕方ないですね」
やがて部屋の壁にぶつかり、それ以上逃げることが出来なくなると、アレスはゆっくりと俺に近付いてきた。穏やかな微笑みを浮かべ、一歩一歩間合いを詰めてくる。
そして、目と鼻の先で立ち止まると、俺の頬を優しく撫でた。
初めて会ったときの笑顔で、俺をじっと見据え、そして言った。
「逃がす気はありませんので」
[newpage]
「むぐぅ!!!」
殺されると思った。だが、違った。
襲われるには襲われたのだが、その方向性は全くの別物だった。
アレスは一言囁いた後、俺を襲った。だがそれは、俺ではなく、俺の口元だった。
「は、む…………っん、……」
マズルを近付け、俺の頭を押さえ付け、一気に口付けを果たした。驚き、目を見開くと直ぐ側にあの瞳があった。僅かに開いた隙間から、アレスの舌が、俺の中へと入り、口内を蹂躙していく。柔肉を這う感覚に俺は包まれ、体は悦びの悲鳴を上げていた。
「ぅ……っう、ふぅ……ん…ぅ………んっ、は……む、……」
牙をなぞられる感覚に身震いする。押し退けようとしても逆に絡めとられ、辺りにピチャピチャと水音を響かせる。その音が耳に入る度、思考が鈍化していく。
「む、ぅん……ぁ、ぐっ……ぅ、……ん」
拒めない。拒める筈が無い。想い人からの思わぬ口付け。鼻で息をすれば、入ってくるのは恋焦がれた匂い。アレスの匂い。
いつしか自らも舌を絡ませ、今度はアレスの中へと追い求めていた。積極的に唾液を絡ませ、その温度を確かめていた。温かい。まるで神の祝福を受けているようだ。俺は雄、目の前にいるのも雄、ザラついた舌が同族だと主張する。それなのに、この浮わついた行為を止める事が出来ない。相手は神に仕える身で、もしかしたら悪魔に取り憑かれているかも知れないと解っていながら、抱いていた劣情を隠せない。俺の中の理性が、アレスの口付けによってどんどん惚けていく。俺が、俺でなくなっていく。
「……ふぅ…………どうやら喜んでいただけたようですね」
「んあ……あぁ……」
どれ程の時間だっただろう。アレスの口付けから解放された時には、呼吸が苦しくて、だが離れていく舌先が悲しかった。名残を惜しみ、だらしなく開いたマズルの端から溢れる唾液に構っている余裕などなく、俺は惚けた頭のまま、力無くその場に崩れ落ちた。
見上げれば、アレスは俺を見下ろし、俺だけをその瞳に映していた。立つことすら出来ない。身体中、何処にも力が入らない。
「これで終わりではありませんよ?」
そう言って、アレスは自ら、着ていた服を脱ぎ始める。十字をあしらった黒いローブ。肌を露出しない、神父が身に付けるそのローブを、俺の目の前で脱ぎ捨てる。
そして現れたのは白虎の裸体。下着など一切身に付けず、性器を隠すこと無く晒け出す。白と黒の被毛に覆われたその姿は、毎晩俺が頭の中で抱いた、生まれたままのアレスだった。
「ラグナ……貴方が毎晩していた事、私が知らないとお思いですか?」
「!?」
ただ、想像と少し違ったのはその体つき。神父というから、もっとふくよかで柔らかな体つきを想像していたのだが。
晒け出された裸体は、しなやかな筋肉に覆われた雄の裸体だった。俺よりも少し小柄だが、しっかりとした筋肉がつき、まるで彫刻の様にきれいだと思った。白銀に輝く被毛が、その美しさを際立たせていた。
「ねぇラグナ……貴方は一体、誰を抱いていたのですか?夢の中で、誰を想像していたのですか?」
「う、あ…………」
俺は混乱していた。毎晩行っていた自慰を、見ていたかの様に話すアレスの言葉に、羞恥と罪悪感が攻めぎ合う。今すぐこの場から逃げ出したいのに、体は言うことを聞かず、目に写る裸体に言葉もろくに出せない。
何を言い訳しているのだろうか。俺がアレスを抱いていたのは事実だろう。例え夢の中だったとしても、神父を犯し、汚した事実は変わらない。この期に及んで逃げる等、最低なヤツがすることだ。
……分かっている……それくらい。俺は最低なヤツなのだ……命の恩人を欲望の捌け口にして、それも悪魔のせいだ等と言い訳にして。俺はどうしようもないヤツなのだろう。もし、神がこの世に居るのなら、神は間違いなく俺を見捨てるだろう。
「ねぇラグナ……貴方はどうしたいのですか?どうされたいのですか?」
そんな俺の事等お構い無しにアレスは俺を見下ろし、そして、あろうことか、俺の性器を足で踏みつけた。
「ぅガアアああぁぁ!!!?」
弄ぶように、服の下に収まる俺のチンポを足裏で転がす。口付けで半勃ちになっていたチンポは、与えられた刺激に悦びの声を上げ、その硬さと体積を増した。
「貴方が話してくれないなら、直接体に聞くしかありませんね?」
足の動きが加速する。着ていた服とチンポが擦れ、先走りが溢れる。クチュクチュと卑猥な音を出し、その染みが服を濡らし表面に表れると、アレスは嬉しそうに笑う。
「や、止め……っ!…あ……ぐうッ!」
「止め?止めて欲しいのですか?貴方のここは、こんなにも悦んでいるというのに?」
それは悪魔の笑みだった。子供のように無邪気で、甘く、残酷な笑み。俺の心を見透かし、快楽の底に突き堕とす。俺の体は、その快楽から逃れる術を知らず、有りのまま受け入れてしまう。
「ほら、どんどん先走りが溢れていますよ?もうイきそうではないのですか?」
「うグウ゛ウウううぅっ!んあッ!!」
アレスは足の裏だけでなく、時折、爪で服を引っ掻き、新たな刺激を与えてくる。僅かばかり残った理性で堪えているが、それも限界が近い。
「我慢しては身体に良くありませんよ?」
何と無様な姿なのだろう。騎士たるものが、同族の雄にチンポを踏まれ、その悦びを噛み締めている。そこには、部隊長としての誇りも、雄としての威厳も、何処にもない。あるのは欲望に忠実な獣の姿、憐れな雄虎の姿だけだった。
「う、あ゛ッ!……だ、めだ!!も、ぅイグウうぅ!!!」
限界を迎えたチンポから、欲望の種が溢れ出す。ドクドクと脈打つチンポは、悦びの声を上げ、服の中に精液を撒き散らす。声を荒げ、息を乱し、射精後の余韻に浸る。
「……沢山出されましたね。これなら主もお喜びになられるでしょう」
快楽の余韻に浸っていた俺の頭に、アレスの声が響く。何か大事な事が聞こえた気がしたが、惚けた頭では理解出来なかった。出した精液が太股を伝う感覚。吹き出た汗と精液で、被毛が張り付き気持ちが悪い。
「うあ……ああぁ…………」
だが、体が動かない。吐精のせいだけではない。痴態を見られたという羞恥心からなのか、それとも別の何かか。体が鉛のように重い。自分の体じゃあ無いようだ。
動けない俺を余所に、白虎は俺に近付き、そして着ていた衣服を剥ぎ取る。腰に括り付けていた短剣ごと、慣れた手付きで脱がしていく。徐々に、俺の肌が、被毛が露になっていく。
「あ…………う……ぁ……」
そして、身を包む物が何も無くなると、白虎は嬉しそうに笑った。その視線の先にあるのは、俺の、雄の象徴だった。吐き出された精液が周りの被毛を濡らし、雄の臭いをこれでもかと振り撒く。半分ほど皮ほど被った皮が、劣等感を覚えさせた俺のチンポだ。
そのチンポに、白虎の手が触れた。亀頭をいとおしく愛でるように、袋は優しく、そっと。むず痒くて恥ずかしくて、頭が壊れてしまうかと思った。その弄らしい手付きに、身体中の血液が、再び下半身へと集まり始める。
「………さて、これが何に見えますか?」
やがてチンポが天を向くと、白虎は棚から何かを取りだす。そして手にしたものを見せながら俺に聞いた。聖職者に相応しい、優しく、慈しみのある声が頭に響く。
虚ろう思考の中で見えたのは、何かの液体が入った小瓶だ。白く濁った、粘着性のある液体。見覚えのある液体。恐らくは…………。
白虎が小瓶の蓋を開けると、予想は確信に変わった。中身は精液だ。生臭くて青臭い、雄の臭いがマズルを突き抜ける。
……酷い臭いだ。誰のものか何て想像もしたくない。そんな俺の感想とは裏腹に、白虎は幸悦していた。
「本当は使いたくなかったのですが、仕方ありませんね。貴方がもっと素直になってくれれば良かったのですが……」
白虎はそう言うと、俺の体を翻らせ、四つん這いの姿勢にする。身動きが取れない状況で、抗う事も出来ず、良いように弄ばれる。
その上で、尻尾の付け根を無造作に掴まれた。俺達の種族にとって敏感な部位を、知ってか知らずか手荒に扱われ、流石に嫌悪の念を覚える。
「あ………ぅ………あ……?…………」
だが、どうする事も出来ない。
体は言うことを聞かず、俺の意思とは無関係に、白虎の言葉を素直に受け入れる。思考もうまく働かず、言葉も上手く話せない。それは小瓶の臭いを嗅いでからより一層強まった気がする。
逃げる事も、抗う事も出来ず、結局は言いなりになるように白虎へ尻を向ける。
「大丈夫です。悪いようにはしません。貴方はただ、素直になって頂ければいいだけの話です」
白虎はそう言い放つと、俺の尻肉を割り、左右に拡げた。今まで誰にもされたことも、自身が見たこともない尻の穴を晒け出される感覚に戸惑いを隠せない。
だが、覚えはあった。それは俺が、夢の中で白虎にしたこと。立場は逆だが、確かに俺は覚えていた。
だから、これから行われるであろう行為も、容易に想像出来た。
俺はきっと、白虎に犯されるのだろう。夢の中とは違い、犯すのでは無く犯される側。雄にチンポを突っ込まれ、喘ぎ悦ぶ雌の役目。それが俺の役目になろうとしている。
馬鹿な。俺は雄だ。れっきとした雄の虎だ。雌じゃない。騎士団の一部隊長で、今までそういう世界で生きてきた。それなのに何故俺は、雄に対して尻を向けているのだ?俺は、雌じゃないんだ。
そう、いくら否定した所で、目の前の白虎は止めてはくれない。秘部に指が触れる感触に、体中の毛が逆立つ。そして、排泄以外の目的で使われた事の無いその穴に、指は突き射れられた。
「ぐア゛アアアあああぁぁぁ!!!!」
初めは一本。這うように出し入れされ、俺は情けない悲鳴を上げる。異物が入り込む感覚に、吐き気を催す程気持ちが悪い。
耳元で、力を抜いて下さいと言われたが無理な話だ。受け入れる為の、知識も感情も、俺は持ち合わせていない。
「……ニ本目いきますよ?」
やめろ。やめてくれ。俺は雄だぞ。
声にはならない感情が、頭の中を支配していく。同然、ニ本目などすんなり受け入れる訳もなく、穴と肉壁を圧迫する感覚に、息も出来ない。
「あガっ!!!?」
だが、白虎には伝わらない。ニ本目が入ると、即座にその指を増やされた。
三本。決して太くは無い指だが、異物を受け入れた事の無い俺の尻穴には十分過ぎる程の質量だ。腸液と指が混ざり、クチュクチュと卑猥な音を立てる。立場が逆なら楽しめた音も、今はそんな余裕など無い。
今はただ、雌になる恐怖に怯えるだけだ。雄としての尊厳も、隊長としての威厳も、何処にも存在しない。在るのは、哀れな雄の虎、それが今の俺の姿だ。
「もうそろそろ大丈夫みたいですね」
不意に、尻穴から指が抜けた。圧迫され苦しかった呼吸が出来るようになり、安堵の息が漏れる。それと同時に、尻穴に冷たい空気が当たる感覚に違和感を覚える。想像したくはないが、白虎に解された尻穴は緩み、堕落しなくその口を開けているのではないか。
「はぁ……はぁ……っぐ!」
気付けば、俺の目からは涙が溢れていた。苦しさから解放されたからか、それとも、雄に良いように弄ばれたからか。それともそのどちらもからなのかは解らない。
解る事と言えばひとつだけ。こんなにも苦しく、惨めな思いをしたというのに、俺の体は無様にも反応してしまっているという事。
白虎に尻穴を弄られている間、俺のチンポは確かに硬さを増し、だらだらと悦びの涙を流し続けていた。その事実が余計に腹立たしくて、情けない。
これからどうなるのか、わかっているからこそ、その事実が恐ろしい。指が抜かれた事にも、安堵より期待の方が大きくて、今か今かと体はチンポを求めてしまっている。それは思考とは別で、意思とは反対の事だ。まるで本心が雌になることを望んでいるようで、怖かった。
怖い。ホシイ。怖い。ホシイ。
やめろ。やめてくれ。
怖い。ホシイ。怖い。ホシイ。
このままでは…………
このままもし、チンポを突っ込まれでもしたら………………
_____俺ハ、俺デナクナッテシマウ………………
「では」
ズプッ!!!
「ぐア゛ア゛あ゛あアあぁぁ!!!」
そして、それは唐突にやってきた。だが、思っていたものとは、全く違うものだった。
解された俺の尻穴、その穴に入ってきたのは、白虎のチンポでは無かった。生き物の温もりも何もない、無機物の冷たい感触。それが、俺の腸壁を押し広げ、中に入ってくる。
それが何なのか、分かった時には全てが手遅れだった。
俺の中にあるもの、それはあの小瓶だった。誰かの精液らしき、白い液体。それが入っていた小瓶だ。白虎はその中身ごと、俺の尻穴にぶちこんだのだ。
何故こんな事をするのか、それは解らない。解らないが、何か意味がある筈。蓋を開けられた小瓶の中身が、俺の中へと流れ出る。その冷たい感触に身震いする。
そして……その瞬間は訪れた。
「あ゛ガッア゛ぁ?グが゛ア゛ア゛アああああ!!!!?!?!?」
俺の体に変化が表れ始める。体の中を何かが這い回る感覚。まるで内側を暴れ回られるような感覚に、俺は悶え、チンポは先走りを溢れさせた。
ドクン、ドクンと鼓動がやけに煩くて、体は燃えるように熱くなる。喉は渇き、空気と自身の熱の温度差だけで、体は快感を得てしまい、胸の突起は触れもせずに硬くなる。思考は一層鈍化し、苦しくて苦しくて堪らないのに、体は快楽と受け入れる。
……後でわかった事だが、あれは神様の精液で、その精液を通じて、俺の体の中にある魔力を書き換える為の作業だったらしい。思考を明け渡し、神様にその身を捧げる為の儀式だったと、全てが終えた後で教えてくれた。
だが、そんな事、当時の俺に解る筈もない。突然体の内側を襲われる事態に、思考は追い付かず、成す術もなくその場に踞る。荒い息を繰り返すだけの、ただのケダモノの姿がそこにはあった。
「……落ち着いて。ゆっくり息を吐いて?ほら、聴こえませんか?神様のお声が」
白虎が俺に覆い被さり、抱き締めながら、そう囁く。不思議な事に、白虎に抱かれているだけで苦しさは無くなり、言われた通り、ゆっくり息を吐き出す。幾分呼吸も楽になる。
そして、白虎の言う通り、誰かの声が聴こえた。耳ではなく、頭の中に直接聴こえる感覚に違和感も感じずに受け入れる。
『欲望ニ素直ニナレ』
『魂ノ快楽ニ身ヲ委ネヨ』
聴こえたのは二つのその言葉だけ。繰返し繰返し聴こえるその声に、神々しさなどは感じず、それが悪しき者の言葉であることは今の俺にも分かった。
分かってはいるが、どうにも出来ないのも事実だった。俺の体は、既に快楽を受け入れてしまい、白虎に抱き締められているという事実だけで達してしまいそうになっている。この状態でチンポでも突っ込まれようものなら、俺は二度と日の目を見ることは無いのだろう。
「はぁ……はぁ……はああぁ、んッ!」
怖い。ホシイ。怖い。だが…………
僅かばかり残った理性が警鐘を鳴らす。聞き入れてはならないと、ギリギリの所で踏み留まる。天使と悪魔の葛藤のようだが、圧倒的に悪魔が優位だ。
そんな俺の様子を見かねたのか、白虎は俺から少し離れた場所に身を移した。そして、その場に寝転び、煽るようにチンポをいきり勃たせる。
見せ付けるように、誘うように、あの青の瞳が俺を見ていた。
「これが欲しくはありませんか?」
白虎のチンポから透明な液体が溢れる。それは甘い蜜のように思え、俺はゴクリと喉を鳴らす。あれなら喉の渇きも癒せるのではないか、そんな愚かな考えが脳裏を過る。
体から沸き上がる餓えに、俺の理性は消えていく。フラフラと立ち上がると、白虎の元へ歩んでいく。真っ直ぐに青の瞳を見ていると、もう何もかもがどうでも良くなってくる。
俺は負けたのだ。悪魔の誘惑に。認めてしまえば、ただそれだけの事だ。
なら、もう良いだろう?
目の前に恋い焦がれた相手がいて、その雄が、俺が雌になることを望んでいる。
何を迷うことがある?
欲望に忠実になって何が悪い。人はケモノなのだ。愛に飢えたケダモノなのだ。
白虎が望むなら、それでいいじゃないか。例え悪魔だったとしても、俺の気持ちは変わらない。
「はぁ……はぁ………ふ……っぐ!」
俺は、白虎に跨がると、自らそのチンポを掴み、自身の秘部へと導いた。亀頭が尻穴に触れ、そして埋まっていく。肉壁を抉る感覚に、だらしなく舌を出しマズルの端から涎が溢れる。
あぁ……もう戻れない……戻らなくていい。俺は雌だ。この白虎の雌になるんだ。もう少し、もう少しで……
「手伝いますよ?」
と、不意に白虎が動いた。俺の腰を掴み、まどろっこしいと言わんばかりに力を込める。そのせいで中腰の姿勢から一気に、チンポが俺の中へと押し入ってきた。
「あ゛ガッア゛ア゛ア゛アあああッ!!!!」
尻の肉と、白虎の太股がぶつかる。衝撃がチンポに伝わり、内部から揺さぶられる。根元まで一気に捩じ込まれ、そして思う。
堕ちた、と。
いや、堕ちたという表現は正しくないな。何故なら俺は満たされている。チンポに愛されて、狂おしい程に嬉しかった。
ようやく一つになれた。想い人と繋がる事が出来た。白虎の雌になったのだと、むしろ誇らしいと思う。
「ひぐうぅぅ!!!チンポきだあ゛あ゛ああぁぁ!!!!❤」
初めてのチンポがもたらす快楽によって、まだ入っただけだと言うのに、俺は欲望の種を撒き散らす。
もう考えるのは止めだ。今なら言える、考える事なんて始めから何も無い。何故ならここにチンポがあるから。愛すべきチンポがあるから。
今までの俺はどうかしていたのだ。騎士などという職に就き、毎日毎日飽きもせずに剣の腕を磨き、体を鍛えていたなんて。
俺が守るべきものは国じゃない。民でもない。俺が身を尽くすべきなのは、白虎だ。守るべきものはこのチンポだ。
「私も悦んで貰えて嬉しいですよ?貴方がしたいように動いて下さって構いませんので」
あぁ……俺は何て愚かだったのだろう。チンポが与えてくれる快楽も、雌にされる悦びも知らず、何が騎士だ何が隊長だ、馬鹿馬鹿しい。そんなものに意味など無いのだ。
教えてくれた白虎に感謝しよう。今なら神の……いや、神様の存在も信じられる。
チンポの存在に気付かせてくれた恩を、俺は一生忘れない。この身が滅ぶまで、俺の全てを捧げよう。
「あ゛❤あ゛はぁ❤あ゛はいいいぃぃ!!」
性の知識については、俺は殆ど経験がない。ましてや、雄同士の行為については全くの素人だ。
だから白虎が気持ち良くなれるかなんて、考える余裕なんて無い。俺に出来る事と言えば、雄の為に腰を振り、雌猫になりきることだけ。肉壁でチンポを扱き、絶頂へ導くのが雌の務め。
「そうそう、またイキそうになったら教えて下さいね?精液は神様に捧げる供物になりますので」
俺は、なるべく尻に力を込めチンポを締め付けた。そして、抜けるギリギリまでチンポを引き抜き、また深々と胎内に呑み込む。それを永遠と繰り返す。
最奥に捩じ込まれる度に、俺のチンポは悦びに打ち奮え、暴力的な快感に頭が狂いそうになる。先走りは止めどなく溢れ、白虎の腹に水溜まりを作る。
「わがったあぁぁ!!❤いっぱい出すうぅぅ!!❤」
あぁ……何故俺は今まで知らなかったのだろう。三十六年もの間、こんなにも気持ちの良い事を知らなかったなんて。
知っていたら、周りの奴等にも教えてやったのにと後悔だけが残る。団長や部下の隊員は知っているのだろうか。知らなければ今すぐ教えてやりたい。雄の悦びは雌を犯す事じゃない、雄に犯され雌にされることだと、声を大にして伝えたい。
「『わかりました』ですよ?神様に対する言葉遣いも覚えなくてはなりませんね。チンポ抜いてしまいますよ?」
鍛え抜いた体も、その心も、チンポの前では無意味なのだと思い知らされる。直腸に雄の象徴が出入りする度、柔肉はチンポを愛撫し、その存在を確かめる。
とんだ淫売だ、以前の俺ならそう言っただろう。雌になる喜びも、チンポが与えてくれる幸せも知らなかった時代の話だ。
「ああぁ!!も、申し訳ぐひっ!❤ござい゛ませ゛んんん!!!」
きっとこれが俺の本性なのだろう。淫乱で、突かれる度にイキ狂う。心の何処かに隠れていた雌の自分。目を逸らしていた本当の自分。それがチンポがもたらす快感によって、目覚めただけの事だ。神も悪魔も関係ない。
本当の俺は騎士なんかじゃない。隊長なんかでも、雄虎ですら無い。尻穴でチンポを貪る、貪欲な雌猫。それが俺の姿。
「……まぁ仕方ありませんね。そこはゆっくりと教えて上げます。とりあえず今は、神様に誓いを立ててください。『主に仕え、主の為に身を捧げます』と」
チンポでゴリゴリと腸壁を抉られ、更に空いた手で乳首をつねられる。今までは何とも無かった乳首だが、今は触れるだけで達してしまいそうな程に敏感になってしまった。俺の頭は受け入れられる快感を処理し切れず、全ての思考を明け渡した。
余りの刺激に、直ぐ達してしまいそうになるが、何とか堪える。俺は雌なのだ、雄が満足していないのに、俺だけイくわけにはいかない。
「ふえ?あ゛ごご主人しゃまに仕え゛え゛ぎひ❤!!ご主じイ゛イ゛いぃん❤様に身を捧げますううぅぅぅ!!!」
俺としては、言われた通りに宣言したつもりなのだが、如何せん頭が上手く働かない。
今はもう、白虎が何を言っているのか全く理解出来ない。まぁする必要も無いのだが。俺が仕えるべき主は白虎。俺のご主人様だ。ご主人様が居て、そのチンポがあって、他に何が必要だ?そんなもの無い。
俺の前立腺を押し潰してくれるチンポは偉大だ。俺にとって神様というのは、このいとおしいチンポに他ならない。これは本心だ。
「…………仕える相手が違いますが、……まぁ良いでしょう。では、ご褒美をあげます。どこに出して欲しいですか?」
馬鹿になった頭に、ご主人様の言葉が響く。
出す?それは精液の事だろうか?
ということは、ご主人様も感じてくれていたのだろうか。満足してくれていたのだろうか。
嬉しい。心の底からそう思う。雌にとってこれ以上の喜びは無い。雄が満足し、更にその種をくれる、想像するだけで達してしまいそうになるじゃないか。
「あ゛あ゛あぁぁ❤中に!中にい゛っぱいください゛い゛イイィ!!種付けしでえ゛え゛え!!孕ませでえ゛え゛えぇぇ❤!!!」
少しでも多く温もりを感じたくて、尻尾をご主人様の背に巻き付ける。すると、ご主人様もまた、俺の背に尻尾を巻き付けてくれた。愛されているようで嬉しかった。
ご主人様が体を起こし、俺の体を揺さぶる。俺は俺で、無駄にデカイ体でご主人様に負担をかけないよう自ら腰を振る。あぁもう……このまま種付けされて、本当にガキが出来ればいいのに。そしたら、親子揃ってご主人様に仕えられるのに。
「わかりました。……仕上げです」
と、ご主人様が突き上げる速度を上げた。ゆったりとした動きから、荒々しい動きへと変わり、もたらされる快楽の波に脳が激しく揺らぐ。
今までのが恋人同士の性行為だとするなら、これは盛るだけのケモノ。思いやりも、労りも無く、ただ種を出す事だけのケダモノの行為。
縦横無尽に暴れ回るチンポは、痛みを伴う程快感を伝え、頭の中が真っ白になる。ご主人様の亀頭がゴリゴリと俺の内側を抉る。チンポの脈動に肉壁は悲鳴を上げ、俺のチンポからは涙が溢れた。行き過ぎた快楽は苦しさを伴うのだと初めて知ったが、ここで雌の役目から逃げる訳にも行かず、俺はただただ喘ぐしか無かった。
「ひぎイ゛イ゛い゛イィィ!!!❤」
「……いい顔になりましたね。では……受け取りなさい!」
ご主人様が一層力を込め、俺を抱き締める。そして、ご主人様が叫ぶと同時に、俺の中に膨大な熱が入ってきた。腹を押し上げ、圧迫するその熱に、ご主人様の存在を感じる。
「あ゛あ゛あ゛ああぁぁ!!!❤きた゛ぁ!!❤ご主人しゃまの子種がアアァぁ!!!入っでき゛た゛あアアァぁぁ!!!❤❤❤」
これが、種付けされるということなのか。雌にされるというのは、何と甘美な快楽なのだろうか。言い様も無い心地好さに包みこまれ、体は歓喜に打ち奮える。神に祝福されているかのようだ。
全身を突き抜ける快楽に堪えきれず、チンポに触れる事無く、俺は精を撒き散らした。未だビクビクと脈打つチンポの熱は引くことはなく、体どころか心まで真っ白に染めてくれた。
満たされる感覚。腹の中の精液が、例え一時でもご主人様に愛された証拠だ。
これでいい、これでいいんだ。ご主人様の雌であればいい。ご主人様と、ご主人様のチンポがあればいい。
それ以外、何も必要無い。
「ふう…………満足頂けましたか?」
最後の一滴まで、俺の中へ出し終えたご主人様が、尻穴からチンポを引き抜く。ゴプリと音を立てた尻穴は、最早排泄の為の器官では無くなり、ポッカリと口を開いたままになった。久方ぶりに空気が触れ、火照った体を冷ましていく。
ご主人様の精液が溢れ、糸を引き、それが勿体無くて尻に力を込める。が、快楽の余韻が強過ぎて、思うようにはいかず、ドロリと子種が零れてしまう。情けない、それでも雌か。俺は仕方無く、自身の尻尾を突っ込み栓をすることした。
「ああぁぁぁ…………はいぃぃぃ…………❤」
ご主人様は、俺が撒き散らした精液を指で掬い、それを丁寧に空いた小瓶に集めていた。出した量が量だったから、ご主人様の頬まで飛んでしまっていて、汚してしまったと罪悪感を覚える。
だが、そんな俺を労うようにご主人様は頭を撫でてくれた。口には出さなかったが、お疲れ様と言われた気分だ。嬉しさで思わず喉を鳴らす。
「では、これからよろしくお願いしますね、ラグナ。貴方にはどんどん精を放って貰いますから」
らぐな?それはなんだ?誰かの名前だろうか?俺の名前、だったのか?そんなのどうだっていい。
俺は俺だ。
ご主人様の雌だ。
それでいい。
「…………あぁぁ…………❤」
ご主人様が部屋を出ていき、俺は一人残される。その場にうつ伏せに倒れ、そこで俺の思考は途絶えた。
そして、俺は夢を見た。
どこまでも深い闇に包まれる夢。
凍えるような寒さが魂を蝕み、俺という人格が消えていくのがわかる。ゆっくりとだが、確実に消えていく。
その中で、ご主人様の精液だけが唯一の温もり。俺の中にある、この世で唯一の光。
ご主人様の温もりを抱きながら、闇に堕ちるという、
幸せな夢だった。
[newpage]
「あ゛あ゛あ゛ッがアアアァァ!!!」
俺が教会を訪れて一月が経った。負傷した左腕も完治したし、以前の体力も戻った。
剣を振るう機会が無かったせいか、少しばかり腹に肉がついた気がする。危機感を覚える程ではないが、若いときの様にはいかないようだ。今後は少し体を動かすとしようと思う。
「おやおや、もうイってしまわれたのですか?イく時は教えなさいと、何度も言っている筈ですよ?貴方という人は……本当に仕方がありませんね……」
ここで暮らす様になってからというもの、日々の生活リズムが変わった。酒を飲む事も無くなったし、早朝、周囲の森を散歩するのが日課になった。あ、そう言えば、二足歩行も止めたな。基本的に散歩は勿論、移動は四つん這いだ。
今もその散歩の真っ最中だ。
「も、申し訳あ゛ぐぅ!!ッありま゛しぇんんんんンンゥ!!チンポがア゛ア゛アああぁ!!き゛ほ゛ち良すき゛でえ゛え゛ぇ!!!」
散歩用の首輪と、白銀の鎧だけを身に纏い、肌着等の布は一切着ていない。ご主人様の趣味らしい。それに関して言えば俺がとやかく言う事も無いが、万が一に備え、帯剣だけは許可して貰っている。まぁ使う機会は無いだろうがな。
「本当にもう……まぁ出来の悪い子程可愛いと言いますが、あんまり言うこと聞かないコにはお仕置きが必要ですかねぇ?……今日はここでヤメにしましょう」
基本的に俺達は外に出ることは無い。出るのはご主人様と散歩する時だけだ。ご主人様に気に入られ、選ばれた者だけが、散歩に連れて行って貰える。
俺達にとってご主人様との散歩は名誉であり、褒美だった。何故ならそれは、ご主人様を独占出来る数少ない時間で、連れて行って貰えれば種付けされるのは確実だったからだ。
俺は割とご主人様に気に入られている様で、週に四、五回は連れて行って貰えていたのだが……
「そ、そんな……っ!お願いしますッ!子種を……ご主人様の子種を恵んで下さい!!」
今日のは失態だった。
昨日はお預けを喰らっていたために、我慢が効かず、ご主人様の許可無しに達してしまった。ご主人様にとって俺達の精液は必要なものなのだそうで、イく時は聖杯の中か、ご主人様の許可を取ってからだと決められていた。
それを俺は許可も貰わず、あろうことか森の草木の上へと放出してしまった。在るまじき失態だ、ご主人様の機嫌を損ねてしまった。引き抜かれたチンポがその証拠だ。
何とか気を引こうと、自ら尻肉を割り開き、ご主人様の雄を誘うが、無駄な抵抗に終わる。ご主人様はもう既にチンポを収め、着ていたローブを正していた。
「駄目です。甘やかしてばかりいても、貴方の為にもなりませんし。今日はもう帰る事にしましょう」
ご主人様が絶望の言葉を紡ぐ。ご主人様に種付けして貰えない。俺達、雌にとってこれほど不名誉な事はない。あぁ……何故俺は我慢しなかったのか……ご主人様に嫌われてしまったかもしれない。自分が情けなくて悔しくて、ボロボロと大粒の涙が流れた。
筋肉の塊の、大柄な虎が、下半身丸出しで泣いている姿はさぞかし滑稽に映るだろう。だが、そんな事、俺には関係無い。俺にとって大事なのは、ご主人様に種付けされるかどうかという、雌の本能だけだ。
「……ほら、いつまでも泣いていないで。みんなお腹を空かせて待っていますよ?」
ご主人様が俺の目元をなぞる。零れて落ちる涙を拭い、子をあやすように耳と頭を撫でる。嫌われてはいないようで少しだけ安心した。
ご主人様が首輪から延びる紐を引く。強引にではなく、促すように。
そして歩き出す。
俺はそれに付き従う。四つん這いで、本当のケモノの様に。
教会に戻ると、ご主人様は朝食の準備を始める。勿論、俺達やご主人様の食事だ。ケモノの様な生活をしているが、食事だけは普通に摂るようにとご主人様に言われている。俺達は別に犬食いでも構わないのだが、ご主人様がそう言うならと皆従っている。俺の首輪を外し、台所へと消えるご主人様を見送ると、俺は部屋へと戻った。
聖堂の中央に置かれた教壇、その下には隠し扉がある。普段はわからないように板で蓋されているが、それを取り除けば地下へと続く階段がある。教会の地下には、広い部屋がひとつと、奥に続く扉があり、その広間が俺達の住居となっている。ご主人様に止められているので扉の奥には入った事はないが、時々ご主人様が中に入っているのを見ると倉庫か何かだろうか。まぁどうでもいいか。元々は有事の際に、人々を避難させる場所として造られていたらしい。
俺が使っていた部屋だとさすがに狭く、俺達全員が暮らすのは無理があった。そもそもあそこは客間だ。俺達は客じゃないのだから使う訳にはいかない。薄暗い地下での暮らしにも近頃はすっかり慣れた。
そうそう、紹介するのを忘れていたな。地下には俺の仲間達も一緒に暮らしている。以前騎士だった頃に、部下だった奴等だ。竜、猪、熊、鮫、あと今は居ないが狼のやつがいる。皆、俺が訪れるより早くにここに来ていて、そして即座に、ご主人様に仕える雌となったらしい。無事に再会出来て良かったと思う反面、そんな事ならもっと早く教えろと声を大にして叫びたい。全く、どうしようもない奴等だ、コイツらは。
狼のやつは、ご主人様の命令で一度街に戻っている。もっと多くの精が必要らしく、今頃騎士団に戻って援軍や捜索隊の要請をしている事だろう。もしかしたら団長自ら足を運ぶかも知れないな。あの真面目で堅物な獅子が性に溺れる姿を想像したら、それだけで興奮してくる。その時は俺達もご主人様のお手伝いをする事にしよう。
ご主人様が朝食の準備をしている間、俺達には仕事がある。部屋の中央に置かれた聖杯、それを精液で満たすのが毎日の仕事だ。既に聖杯の中は、散歩に連れて行って貰えなかった四人の精液が半分程溜まっていて、今も尚溜まり続けている。
皆、自らの肉棒を握り、時にお互いの舌を絡ませたり、時に乳首を弄りあったりしながら、聖杯を満たしていく。散歩用の白銀の鎧を脱ぎ捨てると、俺もその輪の中に入る。
頑張った者には、ご主人様の寵愛が与えられるのだ。
ご主人様が種付けしてくれる。
毎日精液を体中に塗りたくりながら、それを励みに、
俺達は、今日もここにいる。
[newpage]
食事の準備を終え、それを持って地下へと降りる。今日の朝食は自家製パンとサラダ、塩茹でした卵、あと育てていたトウモロコシが十分に育ってくれたのでスープにしてみた。
皆の体調を考え、なるべく栄養が偏らない様に心掛けている。夕食は魚にしようか、なんて考えながら階段を下る。
雄の臭いが立ち込めた部屋で食事をさせるのは、少し心苦しいが、彼らからの文句は無い。まぁ窓が無いので階段に蓋はせず、聖水で小まめに清浄化する事にしようと思う。
部屋に入ると、俺の姿を確認した皆が四つん這いで足元に擦り寄ってくる。人を辞め、犬の様に俺を囲む。動けないから困るのだが、嬉しくもある。皆、素直で良いコ達だ。
食事をテーブルに置き、順番に頭を撫でてやる。竜、猪、熊、鮫、……そして虎。
俺と同族だが毛色の違う彼は、俺のお気に入りだ。他の皆も可愛いのだが、彼だけは特別だ。一番時間がかかったというのもあるが、何処か、亡き父に似ている気がした。
俺にとって父は憧れであり、世界で唯一尊敬する雄だった。父を犯そうとなんて思わないが、彼を見ると懐かしい思い出が蘇り、感慨深いものがある。だから、本当は良くないのだろうが彼ばかりを贔屓にしてしまう。
まぁ甘やかしてばかりいても仕方がないので、今日はお預けを喰らわせた。たまにはいいだろう。耳を伏せ、尻尾を項垂させる雄虎の姿はキュンとくるものがあったが、躾はちゃんとしないとな。
一通り頭を撫で終えると、俺は部屋に置かれた聖杯に目をやる。並々と精液が注がれた聖杯に満足して頷き、そして微笑みかける。
「みんな、今日もご苦労さまです。……では食事を終えたら、川へ水浴びでも行きましょうか」
嬉しそうに頬を綻ばせる皆を見て、俺も自然と笑みが溢れる。心から幸せだと思えた。
皆が食事をしている間に、精液が注がれた聖杯を持ち、部屋の奥へと進む。扉を開け、そこから更に続く階段を下ると小部屋がある。その先は無い、そこが終着点。本来は物置に使われていた部屋だが、今は別の用で使われている部屋だ。
「……失礼します」
丁寧に部屋の前で一礼し、中へと入る。そこは神様がいる部屋。深い闇と禍々しい気で満ちた部屋だった。どうやら主は起きているらしい。部屋から低い声が聞こえた。
「主よ、食事の用意が出来ました」
窮屈な部屋に、主の巨体が横たわっている。石台の上に寝転がる主の横に腰を降ろし、持っていた聖杯を渡す。主はいつもの様にそれ受け取ると、喉を鳴らし一息でそれを飲み干す。
これが主の食事だ。主は人ではないため、俺達の様に食事という概念が無い。変わりにあるのは魔力の摂取。雄の精には魔力が宿るらしく、それを体内に取り込む事が、俺達でいうところの食事という行為にあたるらしい。
「足りませんか?」
「…………イヤ、十分ダ。今日ハ気分ガイイ」
主の鋭く尖った爪が、俺の被毛を撫でた。ありがとうと言うように、優しく通り過ぎる。その行動自体は嬉しいのだが、仰る事には納得がいかなかった。
「……アノ虎ガ、オ気二入リカ?」
近頃、主の様子が、どこかおかしいのだ。以前は外に出られる事も多かったのに、最近ではこの部屋を出る事も滅多に無い。どこか具合でも悪いのかと心配するが、主は何も答えてはくれない。
俺に出来る事といえば、身の回りのお世話と食事くらいのもの。以前は山賊達に主の食事を頼んでいたのだが、年老いたせいか先日とうとう壊れてしまった。仕方なく、街にいる若い雄達を誘い出して、主に頂いた力で雄達を魅了し、食事の用意をさせている。
「え?……えぇまぁ。昔、猫を飼ってみたいと思っていた時がありまして。……主のおかげで夢が叶いました」
本当は俺自身、魂ごと捧げても構わないのだが、主はそれを望まない。体を重ねる事はあっても、それ以上の事は望まない。こんなに近くにいるのに、主のお役に立てない自分が、歯痒くて惨めに思える。
「…………妬ケルナ」
「え?……あッ!主よ!いけません!そんな……そんなところ……ッ!」
あの日……あの時、主が俺に救いの手を伸べて下さったから、今の俺がいるのだ。そうでなかったら、俺はとうの昔にこの世から姿を消していただろう。両親の後を追い、自ら命を絶っていた筈だ。
だから、主は俺にとって神様そのものだ。例え他人がそう思わなくても、俺にとって神様とは、目の前にいる主、ただ一人。
「イケナイ?……何ガダ?オマエノココハ、悦ンデイルデハナイカ」
「それは……ッ!そう、ぅん!ですけどッ!」
だから……だから……
例えそれが、人の道を踏み外していたとしても、悔いはない。
悪魔に魂を差し出してでも、俺は主の側に付き従うだけ。
「……イイカ?オ前ハ俺ノモノダ。オ前ノカラダモ、ココロモ、全テ俺ノモノ。ソノコトヲ忘レルナ」
この先俺は、父と母の元へ逝くことはないだろう。
俺は主と共に、地獄に堕ちるのだ。
……俺は、主を愛しているから。
「…………ッ……はい!」
…………もし、この感情が、主の力による偽りのものだとしても、
俺は……主の側にいる、愛する者の側にいる。
それでいい。
_____それでいいんだ。
******
いつもの様にアイツを抱いた。
行為を終え、しばらくは抱き合って寝ていたが、アイツはまた夜に来ると言い残し、部屋を出ていった。
どうせくだらない用でも思い出したのだろう。土いじりだとか『餌』の昼食の準備だとか。
俺と暮らしているのに、アイツは規則正しい生活を止めない。それどころか、餌であった山賊達が死んだ時、アイツはその亡骸を手厚く葬ってやっていた。
山賊達はアイツの敵だ。村人を皆殺しにし、アイツの両親をも手にかけた敵。何故そんな事をするのか、俺が尋ねると、アイツは言った。彼等も人の子ですから、と。
まるで聖職者だ。俺には理解出来ない。
そして思う。
……アイツが聖職者だと?笑わせる、アイツはそんな大層なもんじゃない。
アイツは……アイツは……。
俺がアイツと初めて出会ったのは、アイツがまだ幼いの頃だ。勿論、アイツは覚えてはいなかったが。
その頃の俺は、自分の力を誇示するのに躍起になっていた。元いた世界の、約半分を掌握し、力とその名を轟かせていた。
そんな時、不意に俺はこの世界を訪れた。人が住まう、この世界へ。
目的はひとつ、自身の魔力を蓄える為。俺達の種族にとって、魔力とは力であり命でもある。残りの世界を支配するには、魔力の補充が必要不可欠だった。
人の魂を喰らい、血肉を啜る事で、その潜在的に眠る魔力を摂取する。人でいうところの食事だ。
だから、人を喰らうという事について罪悪感は無い。人もそうだろう?魚や獣の命を喰らい生きているのだから。
それに奴等は勝手に増える。弱いくせに、…………弱いからこそ、か。群れて集まり、私利私欲の為に、同族を騙し、陥れ、挙げ句その命すら奪う。人とはそんなくだらない生き物だ、罪悪感等覚える筈が無い。
俺は餌となる人を探した。勿論どこへ行こうが人はいるが、どうせなら美味いものが喰いたい。俺達にだって好みはある。
喰らうなら子供だ。子供の肉は柔らかく、魂が穢れていないからな。大人に近付く程に魂は汚れ、肉は硬くなる。年老いた人など喰らう気にもなれん。
出来れば雄の子供が望ましい。雌は魔力より法力の方が多いからな。個体差はあるが、狙って損はないだろう。
そして、しばらく空を飛んでいた時だった。近くの村を離れ、森に入っていく子供の姿が見えた。
雄の、白虎の子供だった。
手に篭を持ち、恐らく親の使いで木の実でも拾いにいったのだろう。周りに人の姿は無い、好都合だ。俺はその子供に狙いを定め、地上へと降り立った。
予想通り、白虎の子は落ちている木の実を拾い集めていた。楽しそうなその姿は無防備そのもので、近付いても気付く様子もない。
……馬鹿なヤツだ。
俺は背後から近付き、爪を立てた。あと数歩というところで足を止め、腕を振り上げる。
哀れ、白虎の子は、自分が殺された事にも気付かず、俺の中で永遠の闇に囚われる。この腕を振り下ろすだけでそうなる。
……筈だった。
俺が腕を降り下ろす瞬間に、白虎の子が、こちらに振り返った。ただそれだけなら、何の躊躇いも無しに、腕は降り下ろされただろう。
だが、腕は降り下ろされなかった。出来なかったのだ。
俺を見詰めるその子供の、恐ろしく美しい青い瞳が、…………そうさせた。
馬鹿な。俺は今まで何度となく人を喰らってきた。大人も子供も、数え切れない程の数を、この手にかけてきた。人など、虫けらのようなもの。一人二人消えた所で俺には関係の無い事だろう?
なのに、何故この腕は動かない?何故俺はこの子供を喰らうのを躊躇う?
それは、俺自身にも解らない事だった。解るのはひとつ、このままこの場に居たら、俺は俺でなくなってしまうという恐怖だった。
俺は急いでその場を後にした。逃げる様に翼をはためかせ、空へと飛び立つ。こんな屈辱は初めてだ。元の世界でも、敵に背を向ける事など無かったというのに。たかが人、それも子供相手に、何故俺はこんな情けない姿を晒しているのだろうか。
だから、俺は決めた。アイツは俺が喰らう。アイツは俺の獲物だ。他の奴等になど絶対に渡さない。そう、決めた。
それから俺は、アイツを監視する事にした。遠くから様子を伺い、今度こそ喰らってやると、軽い気持ちでこの世界に居座った。何年も時は経ち、アイツは徐々に大人へと変わっていったが、そんな事はどうでも良かった。一度決めたものを曲げる事はない、そんなのは弱者がすることだ。俺は弱者ではないからな。
だが、そうしている内に解った事がある。アイツが暮らす村の事、そして、自分自身の事だ。
村人は、皆アイツを自分の子のように大事に扱っていたが、その本性は別のところにあった。
村人の殆どが、アイツに対して抱いていた感情は、子に対するそれではない。あれは欲情。自らのものにしたいという欲望だった。
まさか、虫けら共が自分の獲物を狙っているとは思わなかった。いっそのこと、村人全員喰らってやろうかとも思った。
だが、出来なかった。村人と楽しそうに笑うアイツを見ていると……村人を皆殺しにした後のアイツの気持ちを考えると、手が出せなかったのだ。
皮肉な事だ。ミイラ取りがミイラになってしまった。人の気持ちなど、永遠の時を生きる俺にとって考える必要なんて無いもの。それなのに、俺はアイツの事が気になって仕方がない。
アイツが笑えば、俺は嬉しかった。
アイツが泣けば、俺は悲しかった。
気付けば俺は、アイツを喰らう目的そのものを忘れていた。
そして、あの日が訪れた。
その日、アイツは朝早くから村を回り、村人共に挨拶をしていた。何でも、子が大人になるための儀式を行うらしい。
馬鹿な事を……教えてやろうか?お前が話しているヤツは、酒の勢いに任せてお前を犯そうと企んでいるのだぞ?お前が手を握っているそいつは、祭りの後でお前を寝所に連れ込もうとしているのだぞ?と。まぁ俺の獲物に手出しはさせないがな。
そんな事、露も知らないアイツは、村人に手を振り、村を出ていった。そして俺も、空からアイツの後ろ姿を追った。
街に着いてからは暇そのものだった。アイツは建物の中に入ってしまい、姿は見えないし、アイツ以外の人を喰らおうとも思えずに無駄な時間を潰す。
ようやくアイツの姿が見えたのは日が天を過ぎてからだ。村へと歩を進めるアイツの無事を確認し、俺は一足先に村の方へ飛び立った。
そして、俺は村の様子がおかしい事に気付く。嘆き、呻き、恨み、そんな負の感情が村の方から聴こえてきた。
空から様子を伺うと、直ぐに理解出来た。村が何者かに襲われているのだ。同族の気配はしない。なら相手は人だろう。案の定、山賊共が村人に剣を振りかざしていた。
俺が見つけた時には既に手遅れだった。村人は全員殺され、見えたのは山賊共がその対価として金や食糧を奪い去っていく姿だけだ。
村人の中には、アイツの両親の姿もあった。本来であれば、教会など俺が立ち入る場所では無いのだが、アイツをこれまで育て上げた人だ。虫けらではあるが、せめてもの情けとして魂を解放してやった。このままでは俺のようなヤツに魂を利用されかねないからな。それこそ、アイツが悲しんでしまう、そう思った。
日が傾き沈む頃、俺に遅れてアイツは帰ってきた。誰も居ない村へと息を切らし、叫びながら。
そして、教会に……自分の家へと帰ってきたアイツは、変わり果てた両親の姿に力無く膝をついた。
見たくなかった。絶望に打ちひしがれるアイツなど、震える青い瞳など、見たくはなかった。
アイツには、笑っていて欲しかった。
だが、俺に何が出来る?
俺には、力しかない。俺の力では、アイツの涙は救えない。
それでも俺は、何かしたかった。アイツの為に、何かしてやりたかった。復讐がしたいなら喜んで協力しようと思った。
だから、俺はアイツに聞いた。
力が欲しいか、と。
そして、アイツは答えた。震える青い瞳で、真っ直ぐに俺を見て、言った。
力なんて……そんなの……いらない……
だから…………だから…………
俺を……、独りにしないで……ッ!
俺は、神ではない。
人の願いなど聞き入れる必要など無い。
それでも俺は、アイツの手をとった。
それでも俺は、震えるアイツの体を抱きしめた。
俺とアイツの、今の暮らしが始まった瞬間だった。
俺はまず、教会に結界を張った。誰にも邪魔出来ぬ様に。
そして、山全体に更に結界を張った。何人も立ち入る事の無いように。
人を喰らう事も止めた。アイツが悲しむから。まぁ量は少ないが、雄の精液からも、魔力は摂取出来るしな。当面はそれで充分だと思っていた。
だが、時は流れ、俺はある事に気が付いた。人は老いるのだ。永遠を生きる俺達の種族に比べれば、人の一生なんて一瞬のもの。
アイツが居なくなってしまう。俺の手の届かぬ所へと逝ってしまう。その事に底知れぬ恐怖を覚えた俺は、力の殆どをアイツに注ぎ込んだ。細胞の老化を極限まで遅らせ、悠久に近い時を生きれる様にした。だからアイツは歳を取らない。普通の人の、数十倍は長く生きれるだろう。魂を俺の中に取り込めば、永遠は手に入るが、それだとアイツはアイツじゃなくなる。だから止めた。
…………アイツが何を勘違いしているのか解らないが、俺はアイツに力など与えていない。俺がしたのは、結界を張った事、アイツの寿命を延ばした事、それだけだ。
餌の雄共を魅了しているのは俺の力では無い。アイツ自身だ。俺は、ほんの少し、その手助けをしているに過ぎない。
アイツの、青い瞳。
あの青の瞳が、人を魅了し虜にする。あの瞳に見詰められた者は、例外無く、そうなる。アイツが求めれば断れず、アイツが死ねと言えば命すら差し出す。アイツ自身が持つ魅力だ。
そして、俺もその一人。人では無いが、あの瞳の呪縛から逃れられない者の一人だ。あの
瞳に魅せられた、哀れな生け贄、それが俺だ。
アイツは、聖職者なんかじゃない。
アイツは、悪魔だ。悪魔そのものだ。
人の身でありながら、人を魅了し、俺ですら虜にする魔性の者だ。
アイツ自身が、その魅力に気づいてないから尚更タチが悪い。
まぁいい……、それももうじき終わるのだから。
もって、数年。俺の魔力は尽きる。それは俺達の種族にとっての死だ。アイツは懸命に餌をくれるが、絶対的な魔力の量が足りない。
魔力が尽きれば、俺の体は灰となって消えるだろう。
後悔は無い。無いが、俺の死んだ後のアイツがどうなるか、気にはなる。
俺が消えても、アイツに与えた魔力は消えない。アイツは、俺の居ない時を過ごすのだ。誰か俺の代わりを魅了するのか、それともあの餌共と暮らすのか。いっそこの世界ごと魅了してしまえば面白いが。
……まぁ、まだ先の話だ。
それまで、アイツは、俺のものだ。
…………いや、違うな。
俺は、アイツのものだ。