コロシアムの闘士は報酬目当てに弱くてニューゲームを選び、ぶくぶく太る。
【一周目】
あぁ、今日もつまらない戦いになりそうだ。俺は得意の大剣を構えながら相手が動くのを待った。わずかな風でたてがみがなびくのを感じる。
大剣使いの獅子獣人・レーヴェ。最底辺の最上層を生きる俺の名前。俺は今コロシアムのど真ん中にいる。
大剣以外に身に着けるのは、腰布や最低限の防具のみ。このコロシアムでの戦いの間はこの姿が基本である。体の大部分が露出しているが、動きやすくて悪くはない。
そして少し離れた場所から俺と対峙するは、両手にナイフを持つ無表情な狼。武器以外は俺と同様の格好をしており、体の露出部分は細身だが確かな筋肉が見え美しい体つきであるとすぐ分かる。その姿は全く揺らぎのない佇まいをしており、他の闘士とは違う力強さが垣間見えた。元々は暗殺者だったと、小耳に挟んだことはある。
以前対峙した、斧を振り回す巨体と剛腕が自慢の犀。長い手足で華麗な槍技を魅せる山猫。そして今日対峙するナイフ使いの狼。ここのところ俺が戦う相手は確かに強者ばかりである。他のコロシアムに行っていたなら、皆その場所の一番の強者として称えられていたに違いない。
だが俺がこの場にいる限り、彼らが一番上にたどり着くことは決してないだろう。彼らにとっても、俺にとっても残念な話だ。
遠くにある客席からは観客の興奮の声が聞こえてくる。おそらく俺を称える声や狼を鼓舞する声を上げているのだろうが、戦いの中でそんな内容を聞き取る気はない。それは狼も同じようで、静寂の中で何かを待っているかのように対峙する俺達は静止していた。
開始の合図が聞こえてから少し時間が流れた時か。目に見える事態の変化があった訳でもなく、何か追加の合図があった訳でもなく。本当に突然、俺達は動いた。
タン、と弾ける様に俺達は同時のタイミングで近づき、すぐに武器がぶつけられる距離にまで迫る。
カキン、カキン、ガチン! ガチン、ガチ、カァン!
やがて鉄の音が何度も、力強く、それでいて素早いペースで響き渡る。俺と狼がナイフと大剣をぶつけ合う音であった。
狼が攻めれば、俺は大剣を盾のようにナイフの軌道を邪魔する。俺が攻めれば、狼はナイフとは思えないほどの力強さで大剣を食い止める。俺は力強く、狼は軽やかに。戦い方はまるで違うが、どちらも的確に相手の攻撃を全てはじき返す。
俺の戦い方は演武のように美しい、と言われたこともあったが狼もその領域には達しているのであろう。その美しさに魅入られてか、武器がぶつかる音が鳴るたび観客達の声が地鳴りのように響いた。そんなやかましい声の中でも、俺達は決して止まらない。止まる事は敗北を意味するからだ。
戦いの素人である観客が見れば、俺と狼は互角と思うかもしれない。しかし実際に武器を交えている俺と狼は、既になんとなく決着が見えていた。
(ここだ)
俺は大剣を軽く一振りした。今までの大剣の動かし方と同じようで、まるで違う振り方。たったそれだけで狼の進撃は崩壊し始める。
「!」
無表情な狼の表情がわずかに歪む。自分でも気づいたのだろう、今の一振りをされただけで体のバランスを崩されてしまったという事実に。もし対峙していたのが他の者なら、一瞬で体制を立て直し何事もなかったようにまた武器のぶつけ合いを続けられたのかもしれない。
残念ながらそんな理想、俺が相手だから叶うはずもないのだが。
カアァン。大きな音が響いてすべては終わった。俺は再び大きく振りこみ、大剣を受け止めようとした狼のナイフを片方弾き飛ばしたのだ。
ナイフを片方遠くへ飛ばされた狼の顔は悔し気な表情に見えたが、それでもあがこうと動き続けた。片方だけ手元に残されたナイフで、必死に俺が次から次へと繰り出す猛攻を食い止めていく。
しかしそのわずかな焦り、不安、混乱。もろもろの感情は全て新たな隙を作る。俺はその隙を的確に付く攻撃を繰り返し、しだいに狼は疲弊していき……。
結局そこから一分もたたないまま、狼は膝をついた。
……やはり今日もつまらない戦いだった。勝利した俺は巻き起こる歓声を無視するように、自身の住まうコロシアム地下牢へと戻った。
[newpage]
十八歳の時にこのコロシアムに来て、もう五年が経った。これまで何回勝っただろう。そして俺はあと何回戦えば自由を得れるのだろう。俺は地下牢でため息を吐いた。
このコロシアムは、罪人や借金を大量に抱えた者の最終的な行き場の一つとして開催されている見世物だ。俺は生まれた時から理由も知らず背負っていた多額の借金があり、様々な場所に売り渡され最終的にこのコロシアムにやってきた。
ルールは簡単。コロシアムに売られた闘士が同じく闘士と争い、先に膝をつかせた者が勝者となる。そして勝者は勝つたびにコロシアムからクレジットと呼ばれる独自の通貨が渡され、それを貯める事で晴れて自由の身となる。コロシアムで戦う男たちのほとんどは、戦いの先にある自由目当てで戦いに明け暮れている。
だがその道のりは果てしなく遠い。俺はコロシアム内の格付け順位をずっと一位で走り続けているため他の闘士よりも多額のクレジットを貰う。しかし俺の借金の前ではこんなもの雀の涙らしく、このままのペースだと毎日闘士と戦っても五十年はかかってしまうのだと聞いた。そんなに時間がかかってしまったら、たとえ生きていたとしてもボロボロの老いぼれになっているだろう。
そんなのは嫌だ。俺は若いうちに外に出て、自由を手に入れたい。そして遍く世界を渡り歩き、様々な強者と戦いたいのだ。
コロシアムに売られる以前から自由は無かった。許された楽しみは、魔物や人との激しい戦いのみ。だから俺は次第に、血のたぎる戦いを望むようになっていた。
コロシアムも来た当初はある程度楽しめたが、今では他の奴との力の差が開きすぎて次第に飽きてしまった。このまま老いぼれになるまでこのぬるま湯の様な場所で過ごすなんて耐えられない。他の闘士は本気で戦っているのかもしれないが、少なくとも俺にとっては軟すぎて苦痛だ。
だから俺は世界を見たい。世界には俺の知らない戦いが、強者が、刺激が待っている。こんなのただの絵空事で、実際は俺は既に高みに達しているのかもしれない。それでも可能性を信じたかった。
「505、506、507……」
狭い牢の中、素振りの音が響く。何もしない時間も俺にとっては苦痛だった。だから闘士との戦いが無いときは常に何らかの激しい鍛錬をする。
鍛錬により研ぎ澄まされた俺の体は、無駄な脂肪など一つもない。胸筋は横に広くそれでいて固く、俺の体の力強さを決定づける。腕は力を込めずとも常に目立つ力こぶしが太く、どんな重たい物でも軽々持てるほどに。腹筋は六つの美しい形となって割れており、そしてそれらを支える太い脚は数多の筋に包まれてしっかりと地面に立っている。この体が美しいかどうかは外の世界をよく知らない俺には分からない。むしろコロシアムでついた細かな傷やコロシアムに来る前につけた大きな傷など、俺には生傷が多いからそれを加味すると見目は良くないかも知れない。だが少なくともこの体つきはコロシアムの戦いに関してなら、一番理想的なのだと豪語できるだろう。理想的過ぎるから今のぬるま湯の様な連勝環境を作っているとも言えるが。
牢にはほとんど物はない。あるのは固いベッドをはじめとした生きるために必要な最低限の機能と、毎日二回来る安っぽい食事ぐらい。
看守に言えば必要な物を持ってきたり食事も豪華にしてくれるらしいが、それを頼むとクレジットを要求される。はるか先にある外の世界への願望を捨てきれない俺は、そんな不要な物のために消費するわけにいかなかった。
カツンカツンと、牢の外から足音が聞こえる。この足音はおそらく看守だろう。
「支配人がお呼びだ。ついてこい」
犬の看守は牢のカギを開け、付いてくるようにこちらに指示した。看守もそこそこ鍛えてはいるようだが、俺にかかればすぐに寝首をかける程度の戦力差はあるだろう。警戒心も薄いため、隙を突けば鍵を奪って逃げる事も可能だと思う。
だが俺はおとなしく看守の後を付いて行く。ただただ従うのは癪ではあるがこの巨大で迷路のようになっているコロシアムから誰にも見つからず脱出する未来をイメージできなかった。どうせその手段に出るなら、もっとコロシアムの構造を覚えてからでも遅くはない。
看守がしばらく進むと、しっかりとした造りの扉の前にたどり着く。扉を開けると、執務机の前に座る眼鏡をかけたふくよかな猪獣人がにこやかに待っていた。
奴は俺も一度顔を合わせた奴だ。俺がコロシアムに売られた時に面談した、このコロシアムの総支配人である。名は、確かワイルだったか。
その姿は経営者らしい太ましさで、でんと丸く突き出たお腹がその体のサイズを大きく見せている。
「やぁレーヴェ。一年連続一位、おめでとう! いやぁ、ここまで強い男は初めて見たかもしれないよ」
ワイルは立ち上がってぱちぱちと拍手をする。どうやら俺が闘技場の格付け順位が一位になって大分時間が経ったようで、その功績をたたえているようだ。
しかし俺は白けた表情でワイルを見つめる。心底どうでもいい功績だからだ。
「……」
「嬉しくなさそうだね?」
「そんな表彰されたところで、自由を得れる訳ではないんだろう?」
俺はワイルに尋ねられて、嫌味をぶつける。ワイルはその言葉を聞き困った表情で頬をぽりぽりとかいた。
「うーん。君はこのコロシアムをさっさと出たいようだね。でも今の君のクレジット収益だと解放まで大分時間がかかるんだ。だからまだ無理だよ。金持ちから指名で買いたいって人がいたなら紹介してあげてもいいけど、あいにくまだ君の指名はないなぁ」
「俺はそんな自由を縛られる道を歩む気はない」
軽い口調でコロシアムからの解放まで時間がかかると言うワイル。そして俺が金持ちから買われる様子もないらしい。
このコロシアムの外に出るには罪の重さや借金の額に応じたクレジットを貯めるのが主流ではあるが、それとは別に金持ちが残りクレジット分を肩替わりして外に出る方法もある。
ただこちらは完全に自分の身が金持ちに買われる形となるので、俺が望む自由を得る事は出来ないだろう。なので俺はそう言った話が出てもできるだけ断るつもりでいる。
「どうでもいい表彰のためだけに俺を呼ぶんじゃない。そんな時間を割くくらいなら鍛錬をする方が効率が良い」
「おいおい、僕は総支配人なんだよ? そんな失礼な言い方しちゃいけないよ」
「ならそっちも必要な時だけ呼ぶようにしろ。用がないなら俺は牢に戻るぞ」
まったく。俺を直接呼んだのだから少しは解放を早めてくれるのかと少し期待して来たが、心底がっかりした。俺はワイルを適当にいなし、部屋を出ようとする。
「クレジットを更に支払うための話がしたい、と言ったらどうする?」
するとワイルがふふふと小さな笑いを漏らしながらそう呟いた。支配人から呼ばれたと聞いた時にわずかに期待していたその言葉、俺は聞き逃しはしなかった。
「……俺のクレジットが増えるのか?」
「条件付きだけどね。さ、座って」
俺は用意された椅子に座らされ、ワイルと机をはさんで対面となった。
「今のような一強のスーパースターがいるって状況も悪くない。それはそれで一強の者が人気になって儲かるからね。でも僕は今の状況のままだと面白くないなぁ、って思ってる。だから、君にはやり直しをしてもらって、コロシアムのパワーバランスを変えたいんだよ」
「やり直し……?」
「そう、君はコロシアムに来た最初の頃からやり直してもらいたいんだ」
俺が話が見えてこない、という感情を表情に出すとワイルは説明を続ける。
「当然闘士順位なども最初からになるが、持っているクレジットはそのまま引き継げる。そしてやり直し後は最下層からでも勝利時のクレジットは現在と同じ分だけ支払おう。……その上、順位を再び上げるたび勝利時クレジットを更に上積みしてあげよう。どうだい、儲かる話だろう?」
「確かに儲かる話だが……こちらが得ばかり得るのではないか? ただ順位が下がるだけではすぐ俺なら這い上がれるぞ?」
確かに今の勝利クレジットが更に上積みされるとなるとこちらは大きく得を得るが、その仕組みだと俺がすぐ順位を戻せばいいだけなので相手の得はほぼない。一体何が狙いなのだろう。
「そうだね。ただし代わりに君にはいくつか『ハンデキャップ』を与える」
「ハンデキャップ?」
ワイルは指をピンと立ててハンデキャップの説明をする。
「最初からやり直した時、君にはコロシアムにいる間永続的に弱体化するおまじない……魔術をかける。だから前回と同じ横領で一位にたどり着けるとは限らないんだ。それでもやるかい?」
「……なるほど。魔術により俺にギリギリの戦いを強いるという訳か」
少しだけワイルの意図が読めた。ワイルはおそらく今の俺のせいで固定化された順位を変え、コロシアムを盛り上げたいと思っているのだろう。だから俺を弱体化させた上で下位に落とすことで、再び俺が来る以前のような闘士環境を作ろうとしているのだ。俺はそれの試験石と言ったところか。
「一つ聞きたい。その魔術は俺がコロシアムを出た時に解除されるんだな?」
「うん。魔術自体は解除してあげるよ」
「……ならいいだろう。その話、乗ってやる」
弱体を食らうのは正直嫌だが、コロシアムを出た時に解除されるなら別にいい。もう一度順位を上げ、貯めたクレジットで自由を得ればいいだけの話だ。
「OK! じゃ、この契約書の中身をよく読んで最後のページに自分の名前を書いてね。あ、識字できないなら代読とか代筆とかできるけど?」
「別にいい」
俺は渡された契約書をロクに読まずに最後のページに名前だけ書く。文字をあまり書いたことがないため汚い字になってしまったがこれくらいなら大丈夫だろう。
「よし。契約は成立だ! 出発!」
……瞬間、その部屋の床が発光する。驚いて床をじっくり見ると、そこには奇妙な模様が描かれており、それが発光しているのだと気づいた。
とたん、感じる浮遊感に俺は驚く。そして俺の目の前に何かが見えた。あれは……俺が特訓する姿か? 先ほどやったような素振りを行う俺を、俺自身が見ている不思議な光景。
次に見えたのは狼だった。これは先ほどの戦いだろうか。俺と狼が戦う姿が見えた。こうして椅子に座った状態で見ると、狼の力強さや動作の華麗さが客観視できる。そして俺自身よくこんな強者を楽に抑え込めたものだな、と今更ながらに思ってしまう。
次に見えたのは以前戦った槍を振り回す山猫。その次は巨大な斧を振り下ろす犀。今まで戦った闘士たちの光景が加速するように俺の周りを流れていく。
どんどん過去の闘士たちの風景が流れていく。あいつはそれなりに強かった。あいつとの戦いはイマイチ楽しくなかった。あぁ、あの鼠獣人は最初にコロシアムで戦った奴だ、あれは弱すぎてお話にならなかったな。それほどコロシアムに思い入れが無いとはいえ、実際に絵のように過去が見えるとなるとその時何があったのかがよく思い出せる。
そして全ての闘士の姿を見終わった時、突如として浮遊感は無くなる。そして光景は、元通りワイルの執務室に戻っていた。いや、微妙に置いてある物の配置などが違うか……?
「……なんだ? 今の感覚は」
「ばっちり成功だね。僕は初めて起動させたけど、うまく最初からやり直せたみたいだね」
「どういう事だ?」
「まぁ、言葉だけじゃわからないよね。自分の体をよく見てよ」
ぼんやりと首をひねる俺を見て、ワイルは俺の胴体を指さした。
俺が胴体を見ると、先ほどの体格とは大きく変わっていた。腕や脚の線が細くなり、胴体の横幅も全体的に小さくなっている。これは……。
「筋肉が少なくなっている……。いや、傷も無くなっている?」
単純に筋肉が減ったのかとも思ったがそれも違う。俺の胴体にはいくつか細かな傷があったはずだ。コロシアム初期のそこそこ楽しめた時期についた傷の数々。それが全て無くなっていた。あるのはコロシアムに来る以前に付けた傷ばかりだ。
俺は今まで経験したことの無い変化に少し戸惑った。いや、違う。この体格には見覚えがある。
「君はコロシアムに来たばかりの頃、つまり五年前へと舞い戻ったんだよ。言ったよね、最初からやり直すって」
「……五年前に舞い戻る?」
そうだ。この体格、五年前にコロシアムにやってきた頃とそっくりだ。ここに来る前も血のたぎる戦いを繰り広げていたとはいえ、鍛錬の時間や食事量などがはるかに少なかったため体格は先ほどの俺と比べるとほっそりとしていたのだ。
執務室の壁に飾られた日めくりの七曜表を見やる。そこには五年前のコロシアムに来た日付がぶら下がっていた。
「お前、そんな事が可能だったのか? てっきり、状況だけ五年前を再現するだけだと思ってたんだが……」
俺は半信半疑でワイルに尋ねる。未だ信じられないと言うか、何らかのトリックを使ったのではないかと頭の中では思っているが、聞かねば状況は整理できまい。
「僕って言うか、このコロシアムが、かなぁ。この部屋にある魔法陣、太古に書かれた『人生を制限付きでやり直させる魔術』の一種でね。僕が最近……巻き戻ったから五年後の最近って言えばいいのかな? 解き明かして使えるようにしたんだ」
ワイルはあっけらかんと床を指さした。先ほどまで発光していた床の模様が俺を五年前へと誘ったのだという。サラッと言ったが、とんでもない術だと俺でも分かる。
「す、すごいなそれ。でもなんで制限付きなんだ?」
「太古の時代はどれだけ戦いに縛りをきかせて勝てるのかを競う時代があったみたいだからね。その時期に作られたからじゃないかな」
「よく分からんな、太古の魔術師……」
「うん、契約したコロシアムの闘士と発動者しか巻き戻らないってのも欠点だね。でもでも、この魔法陣は発動者は弱体化しなくていいし闘士の人数制限がないのもすごくて……」
ワイルはそのふくよかな表情をにこりとさせ、矢継ぎ早にこの術がいかにすごいのかを語りだす。だが頭の中が整理できた俺は、そんな言葉耳に入らなかった。
右手をぐっと握り、自身の握力を確かめる。確かに先ほどまでより少し弱弱しくなっている感覚はあった。しかしそれでいて懐かしい感覚。俺は本当に五年前に戻ったのだと実感した。
同時に、体に熱を感じた。若返った影響であの頃の熱意が戻ったからか、それとも退屈で停滞していた今までの状況を脱却できると言う期待感からか、はたまた今まで思い描けなかったコロシアム脱出までの道筋が見えた喜びか。どれかは分からないが、俺は久々に感じる体の温かさに、胸躍らせた。
「……話は分かった。俺はまた、ここからやり直せばいいんだな?」
「そうだよ。でも魔術の効果で君の能力は弱体化しているから気を付けてね」
「大丈夫だ。この程度なら問題ないだろう」
そう言って、俺は椅子から立ち上がり扉の方へと堂々と歩みを進める。その表情はきっと、久々に浮かべる期待の笑みだっただろう。
「これは久々に楽しくなりそうだ」
そう呟いて、俺の二度目のコロシアム生活が始まった。
[newpage]
【二周目】
時系列は多少ズレているが、最初の周とほとんど同じ状況になったな。俺は心の中でそう呟いた。
コロシアムのど真ん中。手にするは大剣。身に着けるは、腰布や最低限の防具のみ。何も変わらない、俺達闘士の姿。
見覚えがある狼の姿は、久々に出会ったためか少し懐かしさも感じた。両手のナイフ、俺と同様の腰布と最低限の防具、そして体の露出する細身な体、何一つ変わらない。……ん、なんだか前見た時より腹筋が薄くなってぷにりとした印象を感じたが……気のせいか。
コロシアムの天辺にいる俺の後をナイフ使いの狼が追い、斧使いの犀や槍使いの山猫がその後ろから追いかける闘士順位の構図は前の周と同じだ。これは運命なのか、それとも俺が努力を積み重ね舞い戻った結果なのか。
どちらでもいい。最後に勝つのは俺であること。それだけが決定事項だ。
俺達が対峙する中、客席からは相変わらずやかましい声が聞こえてくる。前の周よりもうるさい気がする。俺が少し弱くなった事で盛り上がり方も変わった、という事だろうか。今までは気にも留めなかったが、今回ばかりはうるさくて集中が乱される。
それはあの狼も同じようで、ちらりと客席に視線が移る時がある。そのタイミングで攻めるという手段もあるのだが、あいにく俺も集中が乱れ気味なので攻めるのは悪手だと思った。
客席の声が収まり、ようやく集中できる段階まで静かになった。俺達は前回と同じように、何の前触れもなく動く事になるか。それとも……。
ひゅうぅ。風の音が聞こえた。弱弱しいが、向かい風だ。そして相手にとっての追い風でもある。
そして風の音が聞こえた瞬間、狼はこちらに駆けてくる! 今回は風が合図となったか。俺は慌てて対応する。
ガキィィ……ン! カァアア……ン!
大きな金属音を立てて、俺と狼は武器と武器をぶつけ合う。
先に優勢に立ったのは狼の方であると、俺は理解した。風のタイミングを先に掴んだのも優位に運んだきっかけだが、それだけでなく動き方も的確だ。
(前の周の動きと微妙に違う。まるで俺との戦いを経験しているかのようだ!)
俺の嫌いそうな軌道で攻撃をし、俺の攻撃もきちんとさばいている。少し動きが大味になっている気もするが、それでも前の周よりも俺が嫌うタイプの戦い方である。
犀や山猫など他の闘士も前の周より俺への動きの読みが良くなった印象はあった。しかし狼はそれ以上に俺の動きをよく読めている。これは相手が強くなったのか、俺が弱くなったからか、それとも……。
俺は大剣を大きく振るうが、いまいち良い攻めに恵まれない。なんだか想定より大振りになってしまって、攻撃回数も少ない。体力の消耗も早い気がする。
呼吸が少し乱される。今はまだ持ちこたえているが、このまま体力を消耗したら隙を突かれて終わってしまう。俺も早く決めなければならない。
俺は焦りと共に、一か八かの攻めに出たが。
(……まずい!)
大剣の軌道が想定より大分下にズレた。前周と同じ方が使いやすいだろうという理由で今回使った大剣であったが、どうやら今の周では重さが微妙に合わなかったようだ。激しい戦いとなった今になって気づいた。おそらくこの大剣のせいで、体力の消耗が以前よりも早く、攻撃回数も少なくなってしまったのだろう。
そんな事を、今になって気づくなんて……。これを躱されたら、相手は強力な攻めに出るに違いない。
……そう思ったが勝負の展開は予想外の方向へと進んだ。どしんと言う音と共に。
「え?」
狼が膝をついたのだ。彼は後ろに飛びのき攻撃を躱したはずなのに。いったい何故、と一瞬思考が止まりそうになったがすぐに理解する。
狼は回避の際に体のバランスを大きく崩したのだ。本来なら飛びのいた時に俺の隙となる部分を瞬時に見極め、そこを攻める事で彼は勝利を手にしたであろう。だが彼はその『飛びのき』自体を失敗して転んでしまった。単純に着地をミスしたのか、戦いの中で体のバランスが崩れてきたせいなのか、詳しい事は分からないがそういう事だろう。見た印象では狼はもっと完璧な闘士であるイメージがあったのだが、意外とミスする事もあるようだ。
どちらにせよ、コロシアムでは膝をついた方が負けである。俺の心はイマイチ盛り上がらないし、転んだ狼もバツが悪そうな表情だ。突然のことなので、観客の歓声もイマイチ盛り上がり切らない。
(これはこれで、つまらない戦い……だな)
俺は狼の名誉のため、その感情は口に出さずに置いた。
[newpage]
巻き戻ってから五年が経っただろうか。今日は少し危ない場面もあったが、俺は再びコロシアムの闘士順位一位に返り咲いてからすでに一ヶ月が経っていた。
巻き戻った直後に最初に戦った相手は巻き戻り前同様に楽に倒せた。あの小太りの鼠獣人は今まで戦った闘士の中でもダントツに戦いのド素人だったので印象に残っている。だがそれ以降は巻き戻り前と比べて一部の闘士の強さが上がったような感覚を覚えた。おそらく五年の鍛錬の成果が失われた事と、弱体の魔術がかかっているせいであろう。一時はなかなか結果がついて行かない時期もあった。
だが俺は五年間貯めてきた知識を総動員し鍛錬や対戦相手の研究などを行った。その結果、弱体の影響などはねのける勢いで再び一位に舞い戻ったのである。
今回は武器の選択をミスしてしまったせいか体力の消耗が早かったが、それは次回までの反省点としよう。
「98、99、100……っと!」
俺が牢での素振りを終えると、看守が部屋に今日の食事を皿に乗せて持ってきた。なにやら穀物を炊いたもので形作ったような、よく分からない安っぽい食事である。
俺は床に置かれた皿の前に座り、よく分からない何かを食べる。
「はぐ、もぐ」
味は悪いが、量はそこそこあり胃にも溜まる。いつもの感覚で、俺はその食事を一気に口に流し込む。
そして空になった皿を見つめ、俺はポツリと呟く。
「やはり少し物足りないな」
食事の量はそこそこあったとはいえ、動かした後の体には少し物足りない量だ。巻き戻る前はクレジットを節約するためこの量でも我慢してきたが、最近は体を育てるためにもう少し食事量を増やすべきだなと思うようにもなった。
俺はすぐさま看守を呼び、「追加の食事を持ってきてくれ」と頼んだ。クレジットはかかってしまうが、これくらいなら対して消費しないだろう。
看守が今日追加で持ってきた食事は握り飯だった。そのサイズはとても大きく、見た目は艶々としていて香りだけでもすでに食欲をそそる。追加の食事のメニューは日替わりだが、そのどれも先ほどのよく分からない食事と比べるととても美味しかった。
ぱくり、とかじると豊かな米の風味と清々しい塩味を感じた。初めて看守に追加の食事を頼んだ時も握り飯が出されたのだが、その時は久々どころか初めてと言ってもいいほど美味しい食事を食べれて少し感動したくらいだ。今は色々な美味しい物を運ばれるようになったので握り飯が一番という訳でもなくなったが、それでも思い出深い食事だ。
「ふぅ、うまかった」
握り飯を食べ終え、固いベッドに腰掛ける。俺は満足げに腹をさすって味の余韻に浸った。
ぷにり。腹部から緩い感触を感じた。
腹部に目をやると、そこには数年前まで見えていた腹筋の段は目立たなくなっている事に気づく。腹筋を隠すのは、柔らかな脂肪。
「……前の周と体格が微妙に違ってきているな」
この周に入った初期は体格と記憶の齟齬がとにかく合わなかったこともあったので、体を育てる事を優先した鍛錬を意識して今日まできた。
よく動き、よく食べ、よく眠り。その結果も実って体格は順調に育ってきた。しかし巻き戻る前と比べて同じような体格になったかというとそうはいかなかった。
腹部の柔らかさがその最たる例だ。全体的な筋肉が付いたシルエットのおかげでまだデブに見える段階ではないと思うが、下っ腹を中心として前に少し膨らみを見せている。横腹も着ている腰布の上に少しだけ乗っかるように出っ張り見え始めていて、腹部の柔らかな印象が垣間見えてしまう。
それと腹部以外も、太ももや二の腕など脂肪の付きやすい箇所が巻き戻る前に比べてやや柔らかくなっているか。これは少し体格を育てすぎたかもしれないな。
しかしどの箇所も力を込めれば奥にはしっかりと筋肉がついているのを感じる。だから今でもキチンと動けているし、戦いに大きな支障はないはずだ。むしろ攻撃の重みが増して俺の戦い方には合った体格だと思っている。
体つきしかり、巻き戻り前と状況は細かな所が変化しているが……。それでも俺の目的は変わらない。コロシアムの外に出て、まだ見ぬ強者と戦う事。再び五年の歳月を積み重ねてもその夢を追いかけて再び頂点に立ったのだ。絶対に勝利し続け、クレジットを貯め切ってここから出てやる。
そんな事を考えると、カツンカツンと足音が聞こえる。看守が来たか、だがなんの用だろうか。俺はさらに追加で食事なんて頼んでいないはずだが。
「支配人がお呼びだ。ついてこい」
見慣れた犬の看守がそう言って牢の鍵を開けた。……この状況、五年前にもあったな。そう考えながら、俺はおとなしく看守の後をついていく。
看守がしばらく進むと、見覚えのあるしっかりとした造りの扉の前にたどり着く。俺が以前と同じ感覚で扉を開けると、執務机の前に座る眼鏡をかけたふくよかな猪獣人が俺の予想通り待っていた。
でんと丸く突き出たお腹を揺らしながら、ニコニコとこちらを見ている。
「やぁレーヴェ。一ヶ月連続一位、おめでとう! ハンデを抱えながらもよくここまでたどり着いたね」
「俺を誰だと思っているんだ。弱体魔術ごときで潰れるような素人と一緒にするな」
俺がぎろりとワイルを見つめたが、彼はニコニコと微笑ましい物を見るような目つきで話を続けた。
「うんうん。レーヴェの動きはまだまだ戦鬼のような強さを感じるからねぇ。このまま一位に残り続けたら、他の真面目な闘士達は苦難を強いられる事間違いないだろう。さすがだね!」
「おだてても何も出ないぞ。……それよりも、クレジットの状況はどうなっている?」
ワイルの世間話など聞く価値はない。俺が知りたいのは、脱出までの道筋だ。
俺がワイルにクレジット状況を聞くと、彼は複雑そうな表情に切り替わる。
「うん。前の周でクレジットを引き継いでいるし、また一位をキープできているからクレジットは順調に増えてる。君が自由になるために必要な時間もグッと短くなったよ。……それでも、来た当初の借金が多くて、それがネックでねぇ」
「つまりまだまだ時間がかかる、と?」
「このままだと、残念ながら。大分短くなったけど、あと数十年はかかっちゃうだろうねぇ」
困り顔のワイル。だがその表情は少しおどけた感情も混じっている気はする。
さて。俺はワイルに「もっと早めろ」と脅す事だってできるし、諦めて牢に戻り数十年戦い続ける事だって、なんならこいつを倒して逃走を試みることだってできるだろう。
……俺が選んだ選択肢は、ワイルがこっそりと用意した選択肢だ。
「だがそれを短くする裏技がまだある、と言いたいんだろう? 今言った『このままだと』という言葉、聞き逃すと思ったか?」
「察しが良いね。こっちも助かるよ」
俺がワイルの言ったわざとらしい『このままだと』という言葉に踏み入ると、ワイルはにやりと笑みをこぼす。どうやら俺はワイルの期待通りの返答をしたようだ。
そしてワイルは少し崩していた姿勢を少しだけ真面目な物へと整え、俺にこう言った。
「君にとっては二回目の交渉だから簡潔に言おう。もう一度、ハンデキャップを付けてやり直さないかい?」
「……なんだと?」
ハンデキャップ。それはこの周が始まる前に与えられた俺への枷。俺には大したものではなかったが、それをもう一度とは……?
「ハンデキャップの弱体魔術は重ね掛けができるんだよ。君はこのままいけば、君は数十年間一位をキープしたまま活躍し続け、その後自由を掴む未来を迎えるだろう。だがそんな整った道筋はこちらとしてはつまらない。だからもう一度ハンデを背負って巻き戻り、このコロシアムを面白くしてほしいんだ」
「なるほど。俺はまた強くなりすぎたから再び突き落とすって訳だな」
どうやらワイルはまだまだ俺に試練を与えてコロシアムを盛り上げたいようだ。重ね掛けをするという事は、今より更に弱くなる、という事か。
俺は考える。いくら貰えるクレジットが増えるからと言って、何度も弱体化を受けるのは気分が悪い。
だが俺は弱体された中でも一位を取った強者だ。俺自身がきちんと努力すれば、弱体化の効果はそれほど大きくはないのだろう。
ならばクレジットを貰うため、せいぜいハンデを付けてやるか。次のハンデを貰ったら二位くらいに転落する危険性もあるが、それでもクレジット収支を考えればハンデは受け得だろう。
「仕方ない。俺もこのまま数十年もかかるのは嫌だと思ってたんだ。もう一度巻き戻ってやる。だがちゃんとクレジットは払えよ。俺は自由になりたいんだからな」
「もちろん! もしもクレジットを貯め切れたなら、ちゃんと自由にしてあげるさ!」
俺が承諾すると、話はとんとん拍子で進んだ。二度目なので手順は大体分かっている。
ワイルから契約書をまた差し出され、俺は渡された契約書をロクに読まずに最後のページに名前を書き、またも汚い字になってしまい舌打ちする。前の時と大体同じ流れであった。
「よし。契約は成立だ! 忘れ物はないかい?」
「ある、と言ったら過去へ行くのはとりやめるのか?」
「そんなわけないじゃ~ん! じゃ、なさそうだし出発!」
そして、部屋の床に書かれた奇妙な模様が発光し、体に浮遊感を感じる。前回でも身に受けた感覚だが、こればかりは前回同様驚いてしまった。この得体の知れない感覚は慣れる方が難しいだろう。
俺の目の前に何かが見える。俺が牢にいる時の姿だ。素振りを行ったり、食事を食べたり、眠ったり。どれも日常的な光景であった。どうやら今回も過去の場面が見えるようだな。
場面は先ほど戦った狼と俺の姿に切り替わる。つい最近目に焼き付けたばかりのその動きは、先ほどの戦いとほとんど同じであった。そうそう、ここであいつが躱して、俺がこう攻撃して、次の攻撃は俺が躱して……。
……そう思った次の瞬間、俺は目の前にあり得ない光景を見た。俺が狼の攻撃を躱しきれず、膝をついていたのだ。
「は?」
何かの間違いだろう、とその光景をじっくりと見るが、目に映るのは俺の悔しそうな表情や狼の冷静な顔だけ。今、俺は何を見せられたのだ? あんな光景、記憶にない。
その後も俺の記憶にない光景が次々と現れる。槍を振り回す山猫に敗北してしまう光景。犀の攻撃が当たり大けがする光景。闘士順位が中盤で停滞し、悔しがる俺の姿。どれもこれも体験したことの無い物だった。
何か悪い物でも見ているのか、と俺は思ったが……その後の光景を見て安心した。犀の次に見えた闘士との戦いでは無事に勝つ事ができていたからだ。
そこから次々に過去の闘士たちの風景をさかのぼった。どれもこれも覚えのある勝利、勝利、勝利。だがそれを見るたびに、最初に見えたいくつかの敗北の光景が気持ち悪く思えた。あの光景はいったい何だったのだろう。
最後に弱弱しい小太りの鼠獣人との戦いの光景が見え……、やがて浮遊感は無くなる。そして今見える光景は、ワイルの執務室と微笑むワイルだけ。無事五年前に戻れたようだが……。
「……なんだったんだ、今のは」
夢のような、回想のような、あの光景は本当になんだったんだろう。深く考えても、あの敗北の光景に心当たりなど無い。
「どうかした? 過去には無事に戻れたよ?」
ワイルがこちらの顔を覗き込む。俺は慌てて「いや、何でもない」と言葉を返した。
俺は掌をグッと、パッと、開閉させて体の状況を確認する。この五年間に付いた傷は無くなっていて、体型もやや細くなっている。前にやり直した時とほぼ同じ状況だ。弱体化は……なんとなくしている気もするがまだこの程度なら問題ないと思う。俺はフ、と口元を微笑ませた。
「ふふ、また鍛錬を重ねて体を育てる事ができるのも楽しいかもな」
「そうだね。じっくりじっくりと体を育てていってね?」
「もちろんだ。……だが少し腹が減ったな。牢に戻ったら食事をしなければ」
俺は立ち上がり、今後の計画を頭の中で練る。今日はたっぷり食事を取って眠り英気を養おう。そして明日から鍛錬をして、食事して、体をまた一から育て上げるのだ。
「前回と同じ感覚でやればいいだけだし、大丈夫だな」
俺はにやりと笑いながら、部屋を出る。その腹部に肉のたるみが幾分か残っている事に気づけないまま。
[newpage]
【五周目】
ここ最近、汗ばむ陽気が続いている気がする。俺は汗をぬぐいながら、開始の合図を待っていた。
日常の一部となりつつある、コロシアムのど真ん中から見える風景。付けている腰布や最低限の防具は、いつも通りだ。だが何故か最近体に付けている防具がキツく感じてしまったため、少しサイズを調整したりもした。腰布もなんだか布が短くなっているようだ。きつく締めないと布が足りない気がするので、こちらもそろそろ替え時なのだろうか。
俺が手に持つのは用意された武器の中でも特に軽いショートソード。見てくれは以前使っていた大剣よりもパワフルさを欠けているが、大剣よりもはるかに扱いやすかったので次第にこれが俺の主要武器となっていた。
対峙する狼は相変わらず両手のナイフを持って構えている。だが彼も前の周から武器を微妙に変えているようで、前よりも持ちやすそうな形のナイフになっていた。俺がハンデを付けた事で何か心境の変化でもあったのだろうか。
だがそれ以外に彼の姿は前周から特に大きな変化はない。俺と同様のきつきつの腰布と最低限の防具、そして露出する胴体はたぷんと出っ張った腹が目立つぷっくりとした体型で何一つ変わらない。いや、前周より太ましくなっている印象もあるが……気のせいだろう。
ここ最近の周では戦いに使う武器を以前の周から変える奴が増えてきた。中年太りの斧使いの犀はその斧をかなり小さな物に変えていたし、恰幅の良い槍使いの山猫も槍の長さを大幅に短くしていた。皆武器の細かな調整に余念がないのだろうか。理由は分からないが、武器を変えてきたという事は戦い方も大幅に変わるという事。気を付けなければ。
俺と狼、二人の準備が確認できたため開始の合図の音色が鳴り響いた。
俺と狼はすぐさまドスドスドスと距離を詰めた。強者相手の時に開始の合図が鳴ってすぐに近づくのは悪手である、と今までの傾向から理解はしていたが最近の俺はそんな事はこだわらなくなっていた。戦法を深く考えるのが面倒になってきたからだ。
カンッ。スカッ。スカッ。
動き方を考える余裕が無いので、比較的大振りで武器を振り下ろす。そして狼も全体的に大振りで攻撃を仕掛けてくる。だがどちらもその攻撃のほとんどが空振りしてしまい、弱弱しい風の音となる。時折武器がぶつかることもあるが、ぶつかり合う音はそれほどやかましく聞こえない。
「ゼェ、ゼェ、ゼェ」
「ハァ、ハァ、ヒュゥ」
俺が何回か武器を振りまわした後に、狼はドタドタと後ろに下がり俺から距離を離す。そして前かがみになって舌を出しながら荒かった呼吸をさらに荒げて休憩をし始めた。大振りをし過ぎたせいで、体力を消耗してしまったのか。
これはチャンス、と思い俺も前かがみになりさらに噴き出す汗をぬぐいながら呼吸を整える。俺もちょうど息が詰まりそうで苦しかったのだ。早い段階で相手が休憩をはさんでくれて助かった。
双方が数分ほど息を整えて、再びドタドタと近づいて武器を振りまくる。だがすぐに体力が付き、また少し離れて息を整える。それを何度か繰り返した。そのうち疲れはどんどんたまり、休憩してもなかなか体力が回復しないようになっていく。
だがそこをねばってこそ、強者なのだ。俺は汗と呼吸で乱れながらも必死に戦った。
「ひぃ、ひぃ、ひぃ、ヒュゥ、ヒュゥ~……」
「フゥ、フゥ、フゥ……ハフゥ……」
……そして体力が先に底をつき、膝をついたのは狼だった。狼は膝をついてすぐにその太い体を寝転がせ、荒い息を更に激しく鳴らした。それを見て勝利を確信した俺もすぐさま膝をついてしゃがみ込み、必死に息を整える。ここ最近、体力が消耗する戦いばかりで嫌になる。
だが辛い戦いを乗り越えてこそ、勝利の食事は美味になる。さて、今日は牢に帰ったら何を食べよう。俺は静かなコロシアムの中、俺は今日食べる勝利のメニューを考え続けた。
……そういえば、最近歓声があんま聞こえないな。客はいるにはいるんだがまばらだし、なんだか真面目に見ている人が減った気もする。気のせいか?
[newpage]
「うぅん。やっぱり勝った日の肉は最高だな。んぐんぐ」
闘士生活も五周目に入り、繰り返しもそろそろ慣れてきた。前の周よりさらに難しくなるかとも思ったが、この周は最初の頃に小太りの鼠獣人に一回負けたくらいで、それ以外はほぼ負けなし。再び無事に一位を一か月間維持している。
いつの間にやらまずい食事は出されなくなり、毎日日替わりの美味しい食事が出されるようになった。だが日替わりの食事はある程度のパターンで決まったメニューが出されるので、気分と合わないものが出る場合もある。
なので俺は、他に何か食べられないのかと看守に尋ねた。するといつもの犬の看守から変なカタログを渡された。
カタログには様々な料理のメニューが載っていた。どうやら、これを看守に伝えるとクレジットさえ支払えば持ってきてくれるらしい。
俺は試しにとばかりに初めてカタログの料理を食べた時は、本当に驚いたな。こんなにおいしい物がこの世にあるなんて、と思ったくらいだ。
それ以降は日替わりの料理プラス何度かカタログのメニューを頼む食生活となった。クレジットも増えた事だし、これくらい大丈夫だろう。
また、カタログの後半には食事メニューの他に、様々な物が載っていてそれらも頼むことができるようだ。暇な時に読む娯楽本、もしもの時の保存食、ベッドを良い物に買い替える、部屋の掃除を頼む……などといろいろ注文できるのだとか。まぁ、後者二つは内容の割に必要クレジットが高すぎるから頼みはしないだろうが……娯楽本は試しに先日注文してみた。学が無いのでうまく読めないかと思ったが、思ったよりは面白かった。
「ふぅ~旨かった。次は何を食べようか」
肉料理を食い終わって、俺は腹をさする。そしてカタログをぱらぱらと見て次に食べるメニューを吟味した。このいろいろな物を選ぶ瞬間は、中々に幸せだ。
「……うぅん。そう言えば、最近鍛錬していないような」
俺はふと、鍛錬の事を思い出す。以前は素振りやら筋力トレーニングやらを牢の中でできる範囲でやっていた。だが最近は食事と睡眠にばかり時間を費やし、あまりできていない。というか全くできていない。
これでは体格も貧相なままになってしまうだろうか、と自分の体を見る。お腹がプックリと膨らみ前に突き出し始め、横幅も太ましくなっている。腕や脚は筋肉が見えずぷにぷにと肥大化しだしていて、全体的に以前よりも大きくなっている気がした。
「うーん。このくらい逞しくなってるなら大丈夫……な、のか?」
全体的に柔らかい気がするが、体格のサイズアップには成功している。ならばそれほど鍛錬を追加しなくてもいいのではないか。俺はうまく働かない頭で、そう結論付けた。
「ま、深く考えるより食事だ食事! よし、これとこれとこれを頼もう」
俺がカタログの中から三つほど料理を決めると、牢の外から看守の足音が聞こえた。タイミングが良い、こっちに来たら頼んでしまおう。
「あ、看守~。次はこれとこれとこれをお願いねー」
「支配人がお呼びだ。ついてこい」
犬の看守が牢の前に立ったので、意気揚々とカタログを見せながら料理を注文し……ようとしたが、犬の看守は無表情でそう言い放ち、牢の鍵を開ける。
なんだよ、支配人からお呼びなんて後からでいいじゃん。今は料理が食べたかったのに。そう心の中がもやっとしたが、俺はその感情を飲み込んで看守の後をついて行く事にする。
看守がしばらく進む。しっかりとした造りの扉の前にたどり着く。俺が以前と同じ感覚で扉を開け、執務机の前に座る眼鏡をかけたふくよかな猪獣人が俺を待っている。何度もやった光景である。
「やぁレーヴェ。一ヶ月連続一位、おめでとう! 今回はなかなか面白かっ……」
「はいはい、御託は良いよ。またハンデをつけたいってんだろ? 勝手に付ければいいさ」
俺は適当な調子でワイルの話を遮る。もうこの会話も五度目だ、腹が減ったから俺もさっさと話を済ませたい。
「おっと、いいの? 更にハンデを背負うと、更に弱体化が積み重なる事になるよ」
「別に弱体化って言っても、大したもんじゃなかったから大丈夫だ。何ならもうちょっとハンデを積み重ねてもいいね」
俺は何度もコロシアム生活を繰り返したが、弱体化した実感はあまりない。確かに敗北するケースも出てきたが、それでも俺はすぐに状況を改善し闘士順位一位に五年以内に駆け上がるのだ。こんだけ安定しているなら、弱体化は大したものではない。むしろ受ければ受けるだけクレジットの分だけ得になるはずだ。
「分かった。じゃ、いつも通り契約書を読んでサインして頂戴ね」
「いつも通りサインだけしてやる」
ワイルから契約書を差し出され、俺は渡された契約書をロクに読まずに最後のページに名前を書き、またも汚い字で書く。……それにしてもペンが持ちにくい気がする。俺の指ってこんなに太かったっけ?
「はい。じゃあ返品は出来ないよ。出発!」
そして、部屋が発光し、体に浮遊感。そろそろこの感覚にも慣れてきた気がする。でも少し変な気持ちだ。
「……こっちの光景も慣れてきたな。意味は分からないが」
俺の目の前に見える光景。それは俺が牢にいる時の姿。カタログで料理を注文したり、日替わりの食事をほおばったり、ぐっすり寝たり。どれも心当たりがある。あ、あの料理美味しかったんだよなぁ、じゅるり。
だがそれ以降の光景は意味不明であった。俺が戦う光景が次々と見えているのだが、そのほとんどが俺の敗北で終わってしまっているのだ。
狼に負け、犀に負け、山猫に負け。あいつに負けこいつに負けそいつに負け。そして小太りの鼠獣人とも負け。俺の様々なパターンの敗北映像が目に飛び込んでくる。もちろんどれも心当たりなど無い。いや、鼠獣人にはさっきの周で負けた経験はあるのだが。
そして俺が闘士順位の下の下、最下層に留まり悔しがる光景も見えた。本当にこの光景はいったい何なのだろう。俺の不安の表れだろうか。一位を取り続けている今の俺はそれほど不安など感じない性質なのだが。
巻き戻るたびに見せられるこの記憶にないシーンは最初こそ混乱したが、毎回見せられたらだいぶ慣れてしまう。俺は呆れた表情でその光景を流し見る。
浮遊感は無くなって、ワイルの執務室に戻った。まったく、巻き戻るたびに毎回変な光景を見せられるのは嫌な感覚だ。
「五年前に戻ったよ。気分はどうだい」
「あぁ。ばっちり戻っているな。いつもの事だが」
ワイルに尋ねられて、自分の体を確認する。体の傷は減っているし、俺の体型もぽっこりとお腹が膨らんでいる程度まで痩せている。無事もどってこれたようだな。
「じゃ、俺はこれで。牢に戻って料理の注文をしなきゃいけないんでな」
「あ、待ってレーヴェ」
俺が部屋を出ようとすると、ワイルが引き留める。
「なんだ? 俺は腹が減ってるんだが」
「君はさ。今でもクレジットを貯め切った先にある自由を望んでいるのかい?」
……突然何の質問だ? そんなの当り前だろう。
俺は自由を得るためだけに、戦って、飯を食って、戦って、飯を食ってきたのだ。今まで歩んできた道筋、変わるわけがない。
「当たり前だろう。俺は絶対にクレジットを貯めて、自由になってやるからな」
「そっか、まだそうは思ってはいるんだね。……聞きたい事はそれだけだよ」
「まったく。よく分からん事を聞きやがって。はぁ、この後の食事は多めに頼むか……」
俺は首を傾げながら、部屋を出る事にした。質問の意図は分からないが、それよりも腹が減った。さっさと牢に戻るとしよう。
「……順調だけど、もうちょっと墜とした方がいいかな?」
扉を閉める直前、ワイルが何か言ったのが聞こえた気がしたが……。俺の意識はこの後の飯の事しか考えてなかった。
[newpage]
【十周目】
暑い。熱い。汗が噴き出る。立つのがしんどい。さっさと終わらせて座りたい。お腹空いてきた。俺はふぅふぅと大きく息を漏らしながら対戦相手の狼が来るのを待つ。
手に木の棒を持ちながらまだかまだかと相手を待つ。この木の棒は俺の大事な武器だ。武器は大剣やショートソードも選べたのだが、どれも上手く握れないし持つと重たい。何回か戦った結果、木の棒が一番安定して使えると思ってこれを選んだ。だが正直これも持ちにくくなってきたのでそろそろ素手で戦う事も視野に入れるか。
俺は木の棒以外は何も持っていない。巨大な腰布を身にまとっているくらいだ。以前は最小限の防具もつけていたが、戦いのたびにキツキツの防具を装備するのが億劫になってそのうち「これ、装備しなくてもいいよな?」と気づいてからはほとんど着用していない。腰布ですらこの周に入ってから何回も大きい物に付け替えているのだ、勝てているのだから防具まで気を回す余裕はない。
やがてデブデブの狼がのそのそと体を左右に揺さぶりながら歩いてくる。狼は客席にまばらにいる痩せた観客を四人並べても足りないくらいの横幅をしており、垂れるほどに膨らんだ大きなお腹も歩くたびにぶるんと揺れている。口からふぶうふぶうと呼吸音が大きく鳴っている狼の姿は、前周とほとんど同じで変わりはない。やや横幅と腹の大きさが大きくなっている気もするが誤差だろう。
狼の手には持ち物は無く、身につけているのは俺と同じく大きな大きな腰布くらいだ。ここのところ武器を持っている闘士はめっきり見なくなった。かろうじて以前戦った横幅の広い山猫なんかが俺と同じような軽い木の棒を使っていたくらいだ。まぁ、槍と大きく使い方が違うからか俺と比べると大分ヘタクソだったが。あ、でも巨大まんじゅうみたいな体格の犀は大きな骨付き肉を武器と言い張って持ってきてたな。肉の香りのせいで戦いの間は俺も犀も集中できなかったが、あのスタイルなら途中で空腹を紛らわせることができるし悪くないかも知れない。
観客の数はまばらだ。クスクス笑いながら俺達を見ている観客もいるが、その大半は金を持っていそうな服装であった。コロシアムはもうちょっと一般大衆向けの娯楽だった気がするが、最近は金持ちにも流行っているのだろうか。
そんな風に考えていると、開始の合図が鳴った。最近なんだか合図が鳴るのが早い気がする。まだ俺達の息も整っていないんだぞ。
だがそんな事文句言うのも面倒くさい。さっさと終わらせて早く食事に戻らなくては。俺はのったのったと体を揺らして前に歩く。暑さと空腹のせいで、歩くたびに呼吸が乱れる。狼もそれに気づいて、まだ荒い息をさらに荒げて一歩ずつ俺に近づいてきた。
「ふぐぅ、ふぐぅ、うぷ……」
「ぐぷぅ、ぐぷぅ、むぐ……」
俺と狼の手が届く距離まで近づいたら、二人して少しだけ楽な態勢になって呼吸を整える。コロシアムの戦いでは相手が疲労困憊で呼吸を整える隙に自分も呼吸を整えるのが勝つために大事な事だ。この手法を上手くやって来たおかげで、俺は闘士の上位層に上りつめたのだ。まぁ、そんな隙も見せずに「普通の人はそんな長時間呼吸整えないんだけど……?」と言いながら俺を一瞬で倒す事ができる鼠獣人もいたのだが、そいつは既にクレジットを貯めきって引退してしまったのでノーカンだ。
さて、呼吸を整えたらどう攻めるべきか。そう思っていると、狼が先手を打ってきた。
ぺちん、ぺちんと俺の体に緩い刺激と軽い音。なるほど、張り手をして俺を突き飛ばす魂胆か。確かにこの調子が続いたら俺の体のバランスも崩れやすくなり、膝をついてしまうかもしれない。ならばこちらも。
俺が呼吸を止めながら木の棒を振り落とすと、狼の大きな肩に棒が当たる。もそっ、と狼の肩の被毛に包み込まれるような軽い感触を感じた。よし、当たった。このまま仕掛け続けるぞ。
そう思ってもう一度肩を叩こうと腕を振り下ろす。しかし今度はもひゅっ、と先ほどより弱い感触を感じた。しまったな、うまくできなかったようだ。息を止めたせいで苦しくなった口がぶはぁと鳴った。
俺は二回も大きく腕を振り上げたので、全身の肉が揺れてしまいどっと大きな疲労感を感じた。あぁ、今すぐ膝をついてしまいたい。そんな感情を膨らませながら、俺は必死にぶひゅぶひゅ呼吸をする。早く呼吸を整えなければ負けてしまう。
だが見れば狼も張り手で腕を動かしたのが悪かったのか、肩を前に丸めて苦しそうな表情で息遣いを乱している。疲れているであろう腕は膨らんだ腹の上に乗せており、おそらくあれが一番楽な体勢なのだろうとすぐに理解した。どうやらここまで、互角の戦いが続いているようだ。
その後も戦いは激しい物となった。棒を一回振り下ろす。その後、両者ふぅふぅふぅと休憩。狼はぺちっと張り手をする。その後また、両者ふぅふぅふぅと休憩。一回攻撃するたびに休憩を挟み、だんだんその攻撃もうまくできなくなっていった。疲れすぎて棒は当たらなくなって、相手の張り手もただ肌を触るように弱弱しくなって……あ、棒を落としてしまった。しかたない、俺も素手で戦おう。その前にもう一度呼吸を整えなければ。ふぅふぅふぅ~。
最終的にぺちぺちと音が鳴る取っ組み合いになって、そして勝負は幕を閉じる。
「ふぐ~~~~!」
狼がその場に寝転ぶように倒れた。どうやら体力の限界だったようだ。それを見た俺はすぐさま地面に寝転がった。
「ふひぃ~~~~!」
俺も体力の限界だ。こんな疲れる思いもう嫌だな、次からはもうちょっと手を抜かねば。
あぁ、早く何か食べたい。
[newpage]
「かんぱーい!」
「「「かんぷわ~い!」」」
俺は先ほど戦った狼、そして時々戦う犀や山猫と、大きなジョッキで乾杯をした。中身はなみなみに注がれた上等な酒。
んくんくんく、と四人で喉を鳴らして酒を飲み干す。
「ぷふぁああ! はぐ、もぐ、くちゃくちゃっ……!」
そして俺は皿にめいっぱい盛られた料理をどんどん口に詰め込む。
ハンデキャップを付けて今回で何回目になっただろうか。回数はそろそろ朧げになってきた。
俺は今回の周も一位になった。初期に小太りの鼠獣人に何度もコテンパンにボコされたくらいしか負けた経験はなく、気が付くと勝手に闘士順位は一位になっていた。あの強い鼠獣人がクレジットを貯め切って引退したので、この一位は実質的に繰り下がりのような物だが……それでもここまで来るのは割と楽だった。今日はそれなりに苦戦したが、ハンデキャップってやっぱ大したことないのかもな。
俺は少し前のループから、もっといっぺんに様々な料理を食べたいと思うようになった。その事を看守に伝えると、さらにクレジットを積む事でコロシアムに設けられてるビュッフェに行く事ができると聞いたのだ。俺は当然すぐにビュッフェに行く事にした。
そこにはよく戦うこのコロシアムの上位陣である、狼、犀、山猫の姿もあった。
「ごの揚げ物はトマトソースが合っでね゛……はぐ、はぐでも濃味ソースも捨てがだいんだ。だから僕はいっづも……しゃくっ。両方食べぢゃう」
「がつっがつっ……や゛っぱ肉と酒はサイコォ゛だな! 俺様、交互゛にパンパンになるまで腹に入れつつ時々別の料理を挟むのがぁ至福でなぁ~……」
「我は濃厚麺をマ゛シマ゛シで頼むのが常だが……じゅるっ。じゅるじゅるっ。ここな゛ら゛更にトッピングに乗ぜる事だって自由。見るがい゛い、これが我の……ずるずるずるっ! オリジナル超マ゛シマ゛シこってりのーこー麺だ……ずずずずっ」
「あ゛あ゛~、どれもこれもうまそーだな゛ぁ。俺も後で食わなぎゃなぁ。もぐっもぐっもぐっ」
山猫が揚げ物を貪り、犀が肉と酒を飲みこみ、狼が濃厚麺を啜る。俺は彼らの意見を聞きながら、取ってきた様々な料理に舌鼓を打つ。こうやって色々な意見を聞きながら美味しい物を見つけるのも、最高だ。
ビュッフェでたくさん食べた後は、眠くなってくるので俺は牢に戻る。
俺の牢の中はクレジットで買った様々な物が散乱していた。床に散らばった大量の娯楽本は低俗だが食事を食べながら読むと楽しいからカタログで見るたびに買ってしまう。あの山積みになったフィギュアはチョコレート菓子のおまけでついてたんだっけ、菓子もおいしいしなんか集めるのも楽しいから大量に買ってしまう。看守がなかなか来ない時のために購入した保存食の入った箱も部屋の隅にたくさん積みあがっている。保存食と言っても、割とどうでもいいタイミングで全部食べ切ってしまうが。
ベッドなども最近寝心地が良くて寝ながらの食事もしやすい新しいものに買い替えたし、最近では歩くのも面倒だからめちゃくちゃ高い移動補助器具なんかも予約したから牢の生活もさらに充実するだろう。次は何を買おうかなぁ、カタログを見ちゃうとついいらないものも買っちゃうんだよな。それも楽しいけど。
でも散らかっていると足場が無くなって保存食の置き場が無くなってしまうから困るな。あ、そうだ。今度部屋の清掃サービスを頼もう。あれもクレジットかかるけど、自分でやるよりは楽でいい。
俺はふかふかだけど体をしっかりと支えてくれるベッドで横になる。でもまたお腹が空いたので最近買った看守呼び出しボタンで看守を呼び出し、大量の唐揚げと炭酸飲料を注文する。保存食の甘い甘いビスケットを食べてもいいが、今日は脂っぽい物を食べながら寝たい気分だ。
少し待つだけで、看守がカートに載せた山盛りの唐揚げプレートと炭酸飲料を持ってきてくれた。手の届くところに置いといて、と俺が頼むと看守は無表情で唐揚げプレートと炭酸飲料を俺のベッドのすぐそばの台にのせてくれた。
看守が去った後、俺は読みかけの娯楽本を手に取りケラケラと笑い読みながら唐揚げを口に入れる。それを炭酸飲料で流し込み、大きなげっぷをした。
娯楽本が読み終わると、唐揚げも炭酸飲料も無くなっていた。俺はすぐさまボタンを押して、看守に新しい唐揚げと炭酸飲料を持ってくるよう要求した。今度の唐揚げは味が更に濃ゆい物を頼んだ。
待ってる間に俺は唐揚げを載せていた銀色の大きなプレートを手に取り、そしてわずかに残った食べかすを人差し指ですくってそれを舐めとる。下品な食い方だろうが濃い油の味がダイレクトに感じ取れて、至福のひと時であった。あぁ、もっとこの味を堪能したいな。俺はまるで鏡のような銀色のプレートを見つめ……。
そこに、何かが見えた。パンパンに膨らんだ何か。見覚えがあるようで、それでいて見たこともない形。だがその動きに、心当たりがあるような気がした。
心がざわめく。このプレートに映っているのはなんだ? じっくり見ようとしてもプレートは脂が付着しているせいかぼやけてはっきりと見えない。
そうだ、脂を拭けばいいじゃないか。そう思って俺がプレートの脂を手でぬぐうと……。
そこに映っていたのは、ぶくぶくに膨らんだ俺の顔であった。
「……は?」
[newpage]
次の日、俺は全身鏡を注文した。やや高かったが、背に腹は代えられない。看守が壁に鏡を置いていったのを見守った後、すぐさま俺は自分の姿を直接見る。
久しぶりにまじまじと見る俺の姿は、本当に酷い物だった。この鏡は比較的大きく、全身を問題なく映せるサイズのはずだった。それなのに、俺の姿は全く映しきれていない。俺の横幅が尋常じゃなく幅広くなっているからだ。
俺は鏡の中と自分の体を交互に見て、今の体の状態を必死に確認する。まず腹は既にまんまるに膨れていると言えるラインを越えている大きさであった。胴体に収まりきらないような脂肪が前に前に出っ張り、行き場を無くして横に横に広がり、そして重力に負けて下に垂れている。脇腹はすでに鏡には映らないほどの横幅になっており、自分の体を見て確認すると分厚い脂肪がそれはもう溜まりに溜まっていて、手のひらでも掴みきれないほどだ。
そんな腹に乗っかっている胸は豊満に膨らみ、横に流れるように垂れていて力強さは欠片もない。腕は筋肉などもはやないほど柔らかく太々しい見た目になっていて、少し動かすだけでぶるんと揺れる。手のひらも焼きたてのパンみたいに大きくなっており指にまで脂肪がついているようだった。これでは細かな手の動作などできまい。
太腿はそんな超巨大な体を支えるかのようにとても太く、脚の可動域を明らかに邪魔している。脚が太すぎるせいで、その長さは短く見えてしまう。いや、実際に短くなっているのか? それとも元から短かったのか? 分からない。しばらく真剣に体型の事なんて考えなかったから元々の体型と今の体型の詳しい差異がよく分からなくなっている。
だがそんな混乱の中でも、はっきりと言えることがある。
「お、俺の体が……ご、ごんなデブデブに……」
俺はぷるぷると震えながら顔を見る。顔は頬肉と顎肉がパンパンに膨らみくっついたような状態になっているせいで、そのサイズはあまりにも大きい。獅子獣人なのでたてがみが脂肪を隠してくれるかと思いきやそんなことは無く、既にたてがみでどうにかできるレベルの肥満ではないと嫌でも理解してしまう。おまけにいつの間にか脂肪が目つきすら変えてしまったのか、目はトロンと弱弱しい物になっている。それに呼吸をし過ぎたせいか鼻の穴もとても大きい。こんな顔、こんな体、闘士の姿なんかじゃない。いったい、どうしてこんな体になってしまったんだ……?
「支配人がお呼びだ。ついてこい」
「ふ、ふご」
いつの間にか鍵を開けていた犬の看守に驚き、俺は鼻を鳴らす。
支配人……。そうだ、ワイルならこの状況について何か知っているかもしれない。何としても聞き出さねば。俺はそう思い、必死に犬の看守の後をついて行く事にした。
犬の看守の歩く速度はとてもゆっくりであった……はずなのだが、それでも俺の速度と比べるととても早く感じてしまう。なんとか見失わないように全力疾走するかのように歩くが、その分汗がどんどん噴き出る。あぁ、なんで今日はこんなに疲れるんだ。ビュッフェに行くときなんか、出される料理へのワクワクで疲れなんて感じなかったのに。
しっかりとした造りの扉が開かれる。執務机の前に座る眼鏡をかけたふくよかな猪獣人が俺を待っていた。
相変わらずその姿はでんと丸く突き出たお腹が特徴的な経営者らしい太ましさであったが……俺のあの体型を見てしまった後だと、はるかに痩せて見えてしまう。
「やぁレーヴェ。一ヶ月連続一位、おめでとう!」
「ごれはどういうことだ、ワイル」
俺はワイルの目の前にゆっくり近寄り、疑問を問いかけた。
「どうして俺はごんなに肥満になっているんだ! 前まではこんなんじゃなかった!」
「今更気づいたの? 大分前からそんな状態だったでしょ」
「ぞんなはずは!」
ワイルが首を傾げながら口にした『前からそんな状態だった』という言葉を、俺は否定しようとした。だがすぐさま、その言葉を飲み込んでしまう。
そうだ、俺はいつからこんな状態だった? 思い返してみると、大分昔からお腹はかなり出っ張っていたような気がする……。
俺が困惑で目を揺らすと、ワイルがなだめるような口ぶりで原因を説明した。
「君は何度もループして、そのたびにハンデキャップを貰ったでしょう? 弱体化には肥満による衰えの加速やら抑制心の減退やらも含まれててね、そんな中でバクバクとご飯貪ってたらそりゃそうなるよ」
「ぞ、ぞんな……」
全ては弱体化の影響だったのか。そういえば最近、なんとなく何もかも我慢が出来なくなっているような気がした。食事は沢山食べなきゃ気が済まなくなったし、鍛錬なんて最近まったくした記憶がない。思い返して見ると、確かに俺はぶくぶく太るような生活ばかり送っていた気がする。
しかしそれだと別の疑問が出てくる。俺はそれを投げかけた。
「だ、だが何故だ。こんなに太って歩くのもやっとの状態なのに、何故俺は闘士順位を上げる事ができたんだ……?」
「それ、本気で言ってる? 君の最近の対戦相手がどんなのだったか、思い出してみてよ」
ワイルが呆れたように笑っている。最近の対戦相手? もちろん覚えている。山猫に犀に狼に。どいつもこいつも強者ぞろいだ。皆、ぶくぶくのでぶでぶだが気の良い奴らで……。
……瞬間、血の気が引いた。
そうだ。あいつらはもっと痩せてたり筋肉質だったり、闘士として間違えようがない見た目をしていたはずなのだ。だが少しずつ少しずつ変容していたせいか、もしくは弱体化したせいで脳が働かなかったせいか。気づくことができなかった。あいつらも俺と同じように太っている!!
「……な、なんで皆デブに……?」
俺は思わず言葉を漏らした。何故俺だけが巻き戻っているはずなのに皆デブになっているのか、分からない。
するとワイルは軽やかな口ぶりでその答えを言った。まるで種明かしをするかのように。
「答えは簡単さ。それは今のコロシアム参加者のほぼ全員が、多大なハンデキャップを背負った状態だからだ!」
「……は?」
……俺は、は? としか言えない。
「魔法陣に闘士の人数制限がないって言ったの覚えてる? 実はね、君と契約する以前に闘士全員にクレジット儲かるからハンデキャップ付けないか~って訪ねて回ったんだよ。それで、ほぼ全員がハンデキャップを付けてくれたんだ。最初の周、次の周、そのまた次の周……それが積み重なって、皆弱くなったんだよ」
闘士がほぼ全員ハンデキャップを付けていた? 確かに闘士全員が同じ条件で弱くなったなら、俺が次の周も一位になるのは当然だが……。脳を混乱させつつも、俺は質問を続ける。
「い、いや。だがお前は『ほぼ全員』と言った。全員でないのなら、ハンデを付けなかった奴が一位になる場合もあるべきだろう? なんで俺はそいつらに邪魔されず、一位を一ヶ月も維持できている?」
「そうだね。金よりも名誉が欲しいと言う闘士だっている。でもそうはいかないのが、このコロシアムの面白い『欠陥』でね」
ワイルがにっこりとほほ笑む。
「このコロシアムは皆が皆ハンデを取っちゃうものだから、ループが進むたびにハンデを取っていない人は一位を取ることができる。それもすごく簡単に。そんな状況に置かれたら人は何を選択すると思う? 『ハンデを付けても俺はやれる』って思っちゃうか、『こんな馬鹿らしいコロシアムサッサとやめよう』と思うかの二択なんだ」
ワイルは二本の指を立てて説明を続けていく。
「前者は君や……狼くんとかみたいに、引退に必要なクレジットが多すぎて長くここで戦わなきゃいけない者が陥りやすいんだ。狼くんとかは、君がハンデを貰った後の周に一位を長期的に取る事もあるんだけどそのたびにハンデを付けて再スタートしちゃうんだ」
「そんな長期的に狼が一位だった周があったか……? 戻ってきた初期に誰かにコテンパンにされた事はあるが、最終的には毎回俺が一位だったぞ……」
「順位が想定より低いとかの理由で、その周にハンデを選ばず契約しなかった人はその周の記憶ははっきり残らないでループするからねー。つまり君はずっと一位だったわけじゃなくて、下位になった周の事を忘れていただけなんだ」
「な、なんだと」
「その現象の組み合わせによって、一位が弱くなり二位が一位に、次の一位がまた弱くなりまた二位と一位がひっくり返る……みたいな順位変動はずーっと起こってたんだ。君は覚えてないだろうけどね」
下位になった記憶が忘れている? そんなはずはない……と思いつつ、一つ心当たりがあった。
過去に戻る時にたまに見えていた、俺がボコボコに倒されて闘士順位のド底辺をさ迷う光景。あれも実際にあったループだったのかもしれない。だがその後に上位にいたほぼ全員がハンデをつけたため、また俺が弱っちいにも関わらず一位になってしまったのか……? そんな高順位に調子に乗った闘士の悪循環が積み重なって、皆が皆して弱くなったという事か?
「そしてこのループだと初期のうちに早々に一位になって引退した鼠くんいたでしょ? 彼は借金が少ないからハンデ無しで一位だけ取ってさっさとクレジット支払って辞めちゃう勢。こんなデブばっかのコロシアム、真面目に戦いたい人には苦痛なのかもね」
「ま、まじめ……」
「君が一位取るのは五年経ってやっとだからね。鼠君が君の一位を阻止できないのは単純に時期の問題。だって君が一位の時、鼠君引退してるもん」
そういえば鼠獣人はループしてない頃はとても弱かった記憶がある。だが彼は集めるべきクレジットが少なかったこともあり、ハンデに大きなメリットを感じず断り続けたのだろう。それによって周りがどんどん弱くなり、このコロシアムで一番強い男になってしまったという事か? そしてあいつはさっさと引退し、俺がお下がりの一位を貰ったというわけか。
「有望なままの人はどんどん引退し、欲に目がくらんだ者がどんどん堕落した先にあるコロシアムこそ、今の状況さ。いやぁ、ある程度予想はしてたけどここまで面白くなるなんてね!」
……くそっ。俺はこの男の事を見誤っていた。この男はコロシアムのバランスを調整して盛り上げるために俺だけにハンデを付けていたのだと思い込んでいた。だがこいつはきっと自分の面白さしか考えていなかったのだ。俺達のような勇ましい闘士が、次第に堕落していくその様を見て笑っていたのだろう。そのドツボに、俺はハマってしまったようだ……。
[newpage]
「……と、ここまでが種明かしだ。じゃ、次は将来の話をしよう」
ワイルはふぅ、と息を吐き座っている椅子の背もたれに寄り掛かる。まるで勝者の余裕を味わっているかのようだ。
「レーヴェ。君はまだ自由を手にしたいのかい?」
ワイルはそう訪ねてきた。……なぜだ。なぜ今になってその質問を投げかける。だが、答えなければいけないようだ。俺は昔から変わらない答えを告げる。
「あ、当たり前だ。だからずっと、クレジットを貯めているんだろう」
「貯めてないよねぇ?」
ワイルの言葉に、ヒヤッと冷たい空気を感じた。貯めてない? いったいどういう意味だ。
「ループはすでに十周目。五年ごとに繰り返しているから既に五十年。つまり本来なら、この周で君は解放されるはずなんだ。クレジットはどんどん増えているから、実際はもっと早く脱出してもおかしくない。でも君はまだ出れてないのはどうしてだと思う?」
ワイルはニヤニヤと笑いかけてくる。
確かにおかしい。どうしてクレジットが溜まり切ってない? 俺は節約しているから、クレジットなんてとっくに溜まっているはずなの……に……?
……最後に節約したのって、いつだっけ……?
「まさかっ……」
「そのまさかだよ。君は様々なところでクレジットを使いすぎて、ここ最近全然貯められてなかったんだ」
ベッド、娯楽本、サービス、料理、沢山の料理、数多の料理。俺は次々とクレジットを消費していた事を思い出した。そうだ、あんだけ注文したらどんだけクレジットを貰ってもどんどん減ってしまう。
これでは永遠にコロシアムから出られないではないか。俺がそう思っていると、ワイルがなぐさめる様にささやく。
「だからこのままのペースだと一生コロシアムに閉じ込められる可能性もあるんだ。可哀そうにね。……でも大丈夫! 金持ちに買われるってルートもあるからね」
「か、かねもち……」
金持ちに買われる。以前聞いたことがある、コロシアムから脱出するための別手段だ。ワイルはそれを勧めてきた。
「特殊な金持ちの皆さんはね、弱体化を永遠に残すことを条件に闘士を買ってくれるって言ってくれたんだ。向こうでも可愛がってもらえるから安心してね」
「あ、あ、ぁ……」
くそ、こいつは最初からこれが目的だったんだな。俺を堕落させて、最終的に金持ちに売りつける。収益がでるかなんて分からないが、少なくともこいつ基準の『面白さ』とやらは確実に満たされる出来事であろう。
「さ、君もそろそろ別の人生を歩んでみないかい? 飼われると言うのも面白いよ……?」
ワイルは甘美な響きの声で、俺に手を差し伸べる。慈愛の様で、救済の様で、優しさ溢れるように見える手だった……。
「ば……っかにするんじゃねぇ゛!」
俺は太くなった手で、ワイルの手を払いのける。払いのけられた瞬間、ワイルはぽかんとした表情になった。
「おれは、おれのちからでじゆうをつかんでやる! おまえらなんかのてだすけなんかいらない! ぜったいに、ぜったいにクレジットを貯めてそとのせかいをひとりでいきてやるんだからなっ!」
そうだ。俺はまだあきらめない。こんな卑怯な手段に頼らなくたってクレジットなんか貯められる。そして俺は絶対に夢をかなえてやるんだ。
俺より強い戦士たちと戦って、俺より巨大な魔獣たちを切り伏せて、俺よりでっかい大きな肉に貪り付いて……山盛りのご飯も食いたいな、あぁ、外の世界は麺の屋台とかあるらしいなぁ、デザートには丘のようにモリモリに盛られたホールケーキとアイスクリームも捨てがたい。じゅるり。
とにかく俺はまだ戦うと言う意思を、はっきりとワイルに見せつけた。するとワイルは大いに笑い声をあげた。
「ははははっ。それでこそ闘士だよ! そうだね、まだまだお楽しみは続けられそうだ。君の心が折れるまで、楽しむことにするよ……」
「……話は終わりだな。じゃあ、俺は牢に戻るぞ」
気分は最悪だが、道筋は見えた。俺はこれから様々な物を我慢し、クレジットを貯め切るのだ。そして真の自由を手に入れよう。大丈夫、最強だった俺ならそれもできるはずだ。
俺が決意を改めその場を立ち去ろうとすると。
「で、今回のハンデはどうする? 今回呼んだのはそのためなんだけど」
ワイルがそう言った。俺は思わず足を止めてしまう。
「別に付けなくてもいいよ? 付けないまんまだと、食事を大分我慢しなきゃ借金返済は達成できなくなっちゃうだろうけど……。我慢できるって言うんならそれなりの年数で達成できるかもね?」
ワイルがこれ見よがしに契約書を差し出してきた。
駄目だ。このハンデを受けてはいけない。罠だ。俺がどれだけ弱くなっていると思っているんだ。これ以上心が弱くなってしまったら、さらに無駄な浪費をしてしまう可能性だって高い!
……で、でもなぁ。よく考えたらあんなうまい飯我慢するなんて耐えられないよなぁ。それに、俺は周囲が弱くなったとはいえこのループでも一位を取り続けている。だったらもうちょっとハンデを貰ってからちょちょいと節制すればなんとかなる……。なる、よなぁ……?
「契約成立だね」
気が付くと俺の腕は、いつの間にか契約書に汚らしくサインをしてしまっていた。
[newpage]
【?周目】
あぁ、今日もつまらない戦いになりそうだ。俺は口寂しくてつい持ってきてしまった大好物の特大カップケーキを手にしながら相手が荷台に押されて来るのを待った。
大飯食いの獅子獣人・レーヴェ。最底辺のド底辺、その最上層を生きる俺の名前。俺は今コロシアムのど真ん中にいる。実際には、荷台に押されて連れてこられたとしか言えないが。
やがて俺と同じように荷台に押されてやって来たのは両手に大きなおにぎりを持ってくっちゃくっちゃ咀嚼する狼。その腹は俺と同じように地面まで垂れ下がるほど巨大で、その重みで脚は動かせなさそうなほど。そして後ろに見えるしっぽは、おにぎりを咀嚼するたびにぶんぶんと振っていて感情が丸わかりだ。あまりにも巨大なその図体は威圧感すら感じるが、にへらと浮かべる幸せそうな笑顔には緊張感など全くない。元々は暗殺者だったと言われても、だれも信用しないであろう。
ぶくぶくに膨らんだ犀よりも太ましく。無限の胃袋と言われるほどバクバク食事する山猫よりも沢山食べる。狼は、他のコロシアムだったなら最強の食い意地と呼ばれるほどの男に成長してしまった。
だが俺がこの場にいる限り、彼らがこのコロシアムの一番の大食漢になることは決してないだろう。何せ俺はこのコロシアムで一番巨大になったのだ。このぶよぶよの腹、動かせない脚、可動域の狭すぎる腕。この食欲で何もかもがトップクラスが育った。そんな俺に狼が敵うことは無いだろう。彼にとっても、俺にとっても非常に残念な話だが。
客席からは何の音も聞こえない。わずかにいる観客は誰もが金持ちの格好をしていて、俺達の事を微笑ましい物を見るかのような表情を浮かべている。最近気づいたが、あいつらは俺達を買いたがっている金持ちなのだろう。あいつらに買われて、何人かの闘士がいつの間にか引退したようだ。だが俺は絶対に屈しないぞ。
俺と狼の目の前に揚げ菓子が並べられ、開始の合図が聞こえた。コロシアムの試合はいつの間にか、単純な戦いの場だったはずが多く食事した方が勝者となるフードファイトの形になってしまっていた。変わった事で文句を言う闘士はすでに一人もおらず、皆が皆その新たな戦いを受け入れ鎬を削っている。せめて俺だけでも文句を言いたかったのだが、出される料理がとても美味しかったので言い出せないまま年月が経ってしまった。
「あぐ、あぐあぐあぐ、がふがふがふがふ。がふ~~~~~!」
「むぐむぐむぐごっごっごっごっご。げふ~~~~~~!」
狼がとろんとした目に喜びを浮かべながら揚げ菓子を飲み込んでいく。それに対抗するように俺は無心に揚げ菓子を詰め込んでいく。その吸い込む速度は誰にだってマネできないだろう。だって俺達は努力を積み重ねてきたから。狼の本心は分からないが、少なくとも俺はここまで自由を得るために必死に進んできたのだ。たとえ形式がフードファイトになっても。
見ていろ。俺は絶対にコロシアムの外に出てやる。そして世界中の美味しい物を食い尽くして、初めての料理に舌鼓を打って、腹の中をめいっぱい膨らませてやるんだ。俺は昔から、それだけを夢見てきた。勝ちまくって、絶対叶えてやる!
俺は揚げ菓子を更にめいっぱい詰め込み、だんだん幸せな表情になりながら広大な夢を空想する。叶うまできっとあと少し。まだまだ進み続けるぞ……!
……でも揚げ菓子の後は目一杯辛い物食いたいから、後で絶対ビュッフェへ行くとしよう。
【END】