嘘が言えなくなる魔道具

  魔道具。それは中に込められた魔力を、表面に書かれた魔法文字によって引き出し様々な奇跡を可能とする道具の総称。

  かつて古代文明では、『王』と呼ばれた支配者が数多の魔道具を作り出し繁栄を極めたそうだ。だが王は突如としていなくなり、魔道具に関する知識は無くなった。そしてその文明は一気に衰退したという。

  それから数千年経った現在。魔道具に関する研究も進み人々はその力を使って新たな文明を築いていた。

  新たに魔道具を作る者。魔力を込める者。修理する者。性能を検証する者。様々な専門家の力により文明は少しずつ進んでいく。

  だが中でも重要な仕事なのは、現代魔道具の基礎となった古代時代の魔道具、すなわち『古代魔道具』を集める者であった。

  [newpage]

  俺は強靭な足腰で遺跡を進み、隆々とした腕で魔物達を切り伏せ、疲れ知らずの逞しい胴体で罠をごり押し、高い背丈で周囲を見渡す。そして俺は目当ての物を見つけ出す。

  「見つけた。この指輪は……随分と魔力が多量に込められた古代魔道具のようだな」

  俺の名はガイン・エベレス。上級冒険者として生計を立てている虎獣人である。

  冒険者とは冒険者ギルドに籍を置きギルドからの依頼を受けて仕事をしたり、ギルド経由で様々な物の取引をする職業だ。一口に冒険者といっても人によって護衛が専門だという者や討伐仕事で暮らしているという者などさまざまだが……。上級冒険者となり余裕がある俺はもっぱら、古代魔道具収集専門の冒険者として活動している。

  古代魔道具とは古代文明で作られた魔道具で、その性能は現在の魔道具技術者が作る現代魔道具を越える性能がほとんどだ。

  今だ魔物蔓延るダンジョンの深部や人里離れた遺跡などから古代魔道具は発見され、その需要はとても高い。人里離れた場所で魔道具が発見される理由については、「もともと人類はそこで暮らしていたが、壊れた魔道具に魔物が寄り付いてしまう問題があったためやむなく住処を移した」などの説があげられる。

  そして俺は今日、この遺跡で新たな魔道具を発見した。指輪型の魔道具だ。

  「これほどまでに魔力が込められた魔道具も久しぶりだな。それに傷もほとんどついていない」

  俺は自身の魔力眼を使ってざっと古代魔道具の確認をする。俺は魔力眼という特殊な目を持っていて、これを使う事で魔力の流れを見る事ができる。魔道具開発など現在の文明では重宝される稀な能力だが、俺はもっぱら良質な魔道具を探す時に使う。

  古代魔道具は込められた魔力が大きく、表面に書かれた魔法文字がきれいに残っているほど価値が高い。無論その魔道具を使用して得られる効果が弱ければ価値は下がるが、それでも研究用として価値があるため良い状態の魔道具であるに越したことは無い。

  ざっと確認した限り、これは魔力が漏れたりもしておらず魔法文字に傷もついていないかつてない美品であるようだ。これは売ったら大儲けしそうだ。

  「よし、ざっと見た限り破壊魔法に関する魔法文字は書かれていないようだ。持ち帰っても危険はないだろう」

  事前に持ってきた資料と指輪の魔法文字を比べ、都市に持ち込むことが禁じられている破壊魔法や危険魔法に関する文言は無いと確認する。このままの状態で持って帰っても罰則はないはずだ。とは言え荷物の中に放り込むのもあれなので、適当な箱の中に指輪を入れる事にする。

  「それにしても、この指輪は一体どんな効果があったんだろう。この広い遺跡の中に、鎮座するように置かれていたけど……」

  俺は周囲を見渡す。そこは遺跡の地下であったが、とても広い空間となっていた。ところどころに古代文明の建築様式が見て取れるどう見ても人工の空間だ。しかも現代では考えられないような豪華な装飾が、残骸となった今でも随所に見て取れる。

  きっと古代の偉い人が住んでいたのかもしれない。と、なるとこの空間にあった指輪も古代の偉人が愛用していたとても有用な魔道具である可能性がある。

  「これは大儲けできるかも、な」

  そして俺はウキウキとした表情を浮かべながら、帰路をたどることにした。

  [newpage]

  「魔力漏れ率、ほとんど検知できず……。使用可能期間は長そうだ。そして傷なし、汚れなし、文字数も多い。これは素晴らしい魔道具ですね……」

  そう言って、すらりと背の高い痩せぎみの狐獣人が指輪に書かれた文字をじっくりと読み解く。その表情は穏やかだ。

  「文字が小さい上、暗号化されているから分かりづらいですが……どうやらこの指輪は嘘に反応して起動する文言が書かれているようですね。近年開発された嘘発見魔道具と類似した効果があるかも知れません」

  都市に帰り着いた俺は、魔道具鑑定屋にさっそく指輪の簡易鑑定を頼んだ。流石に俺一人の力では魔道具の詳細な効果までは鑑定できない。

  顔馴染みの鑑定屋は、簡易鑑定の結果を俺に伝える。聞けば、この魔道具は嘘を判別する魔道具に類似する文言が書かれているのだと言う。

  「なるほど。滅びた古代文明でもそのような性能の魔道具があったんだな」

  「えぇ。むしろ込められた魔力量を考えれば、的中率は今の魔道具よりも安定しているかもしれませんね」

  「なるほど。既存の嘘発見魔道具よりは高く売れそうではあるが……もう少し高値の魔道具であって欲しかったな」

  俺は少しがっかりした気持ちで詳細を聞いた。あの豪華な建築様式を誇る遺跡にあったのだから、もっと世界を変える魔道具なのだと勝手に思っていたのだ。が……既にある魔道具のちょっと性能が良いバージョンなだけだと、あまり法外な価格で売り飛ばすことはできない。期待していた分、残念な気持ちだ。

  「ですがそれだけじゃないんですよ」

  すると狐の鑑定屋は、俺の不満げな表情を察してか指輪の更なる情報を伝えてくる。

  「この魔道具は随所に嘘を否定する挙動を行う文言が書かれています。その事から考えるに……この魔道具は嘘が言えなくなる魔道具である可能性が高いです」

  「嘘が言えなくなる、か。付けた者の精神操作を行う魔道具はよくあるが、そういう効果は初めて聞いた」

  「精神操作かは分かりませんが……。嘘が言おうとした時になにか挙動が起こるのは確かですね」

  どうやらこの指輪は嘘自体を言えなくなる効果があるようだ。確かに嘘発見魔道具としては現代魔道具よりは良い性能ではある。まぁおまけ程度の効果だろうが、金持ちに売る時のセールストークには使えるかもしれないな。

  「現時点の簡易鑑定で分かったのはここまでです。文言が複雑だから、もう少し詳細な鑑定がお望みなら追加料金が必要ですが……どうしますか?」

  こちらが頼んでいないというのに、鑑定屋は算盤を弾いて詳細な鑑定の見積もりを計算し始めている。確かに時々は詳細鑑定をしてもらう事もあるが……今回はやめておこう。

  「悪いがこれ以上ここで金を払ったら赤字になりそうだからやめておこう。適当に効果を確認したら、どっかに売り払うさ」

  今回は遠くの遺跡を選んで探索した影響で経費が掛かってしまった。だからこういった部分で節約しないと、すぐに赤字になってしまう。売るために必要な動作確認はこっちでやる事としよう。

  「いいんですか? 危険な魔導具かも知れませんよ」

  「破壊に関する文言が無いなら大丈夫だろう。付けた者の嘘を封じる程度の魔道具なら、危険な挙動をしても俺の魔力眼で対処できるさ」

  「うーん。ただシンプルに嘘を封じるにしては、込められた魔力量が多い気もするのですが。それに暗号化された残りの文言も大分複雑だったし……」

  鑑定屋が不安げな表情を浮かべるのをよそに、俺は席を立つ。

  「それじゃあ、この魔道具もいつも通り雑用で雇ったヘンクに実験させるか。あいつは割と嘘吐き野郎だからちょうどいい」

  「あんな乞食男にその魔道具を使わせるんですか? あいつは信用できないから盗まれるかもしれませんよ」

  「信用できないからこそ危険な目に遭っても胸が痛まないのさ」

  そして鑑定屋と言葉を交わして、俺は店を出た。

  [newpage]

  俺は家に帰り着く。上級冒険者となって借りれるようになった小さな住処だが、居心地は良い。

  扉を開けると、痩せぎすで背の低い猫背のハイエナ獣人がへこへこにやけながら現れる。その細腕には、あまり似合っていない大きな腕輪が付けられている。そして彼のズボンの後ろのポケットは膨らんでいる。

  「へ、へへ。旦那、おかえりなさいっす」

  こいつの名前はヘンク。少し前に雑用として雇った、スラムでその日暮らしをしていた男だ。その日暮らしと言っても、スリや食い逃げなどの狡い犯罪ばかりして暮らしていたようで、牢にも幾度となくぶち込まれているようだ。なので雇って数週経った今でも正直信用ならない。

  こいつを雇った理由はいくつかある。まずゴミのように安い賃金で良かった点。これは収入が不安定になる月もある古代魔道具専門冒険者の俺には重要な点だ。とはいえ低賃金で信用できない者をそのまま雇うほどの度胸は無い。

  次の理由に、俺が契約の腕輪という魔道具を持っていた点。これは今ヘンクが付けている腕輪だ。この魔道具は主人が配下に対して契約内容を順守させるための物で、配下の反逆をできなくする効果がある。まぁヘンクが付けてるこれはやや魔力が漏れている売れ残りの不良古代魔道具だったので行動をなんでもかんでも抑制するような効果は無いが……。それでも直接俺に危害を加える行動をしようものなら動けなくなる程度の効果はある。なのでヘンクを雇ってもあまり大っぴらな悪事はできない……はずだ。

  「ヘンク、今日は新しい魔道具の実験台になってもらうぞ」

  「ヘッ!? い、いきなりですね旦那。まだオイラ、心の準備が……」

  「お前を何のために雇ったと思っているんだ。雑用もしてもらう契約だが、見つけた魔道具の実験台になってもらうのが最大の仕事だ」

  「ですがこの前変な魔道具の実験で火傷しちゃったじゃないっすか。あんなのもういやですよぉ」

  「嫌ならやめてもいいんだぞ。お前に新しい働き口があるんならな」

  「うぅ……」

  三つ目の理由として、俺が魔道具の実験台を欲しかったからだ。魔道具はちょっと文言が削れただけで効果が無くなる場合があり、売る前にある程度効果の確認をした方がトラブルを避けられる。だが時に使用時に予想だにしない危険な効果が発生する場合もあるので、専門の機関に調べてもらうか誰かに実験台になってもらうかしないと使用者に危険が及ぶ。俺は上級冒険者とはいえ、毎回専門機関に効果の確認をしてもらうのも金がかかって仕方ないし、かといって自分や心優しい人が負傷するのも嫌だと思ったため実験台として信用ならないヘンクを雇ったのだ。

  以前変な魔道具を渡してちょっと火傷させてしまったこともあるが、幸い俺が魔力眼で不穏な魔力の流れは確認できる影響もあってか今のところ大事故は起こってない。ヘンクはやめたがっているようだが、経歴が悪いコイツに別の働き口など無いであろう。

  「という訳でお前はこの指輪型の魔道具を付けて生活してもらう」

  「はぁ。いったいどんな魔道具なんすか、これは」

  「それを言ったら実験にならないだろう。お前は普段通りの生活をすればいい」

  「こんな得体の知れないもの付けられて普段通りとはいきやせんよ」

  「そう不安がるな。俺が遠出する時は外していいし、もしその魔道具で死にそうになったら助けてやる」

  「それ、大分危険って事っすよねぇ!?」

  ヘンクに指輪を渡すと、彼はものすごく嫌そうな表情を浮かべた。しかし渋りながらも最終的に右手の人差し指にゆっくりとそれをはめる。

  はめた段階の指輪の様子は……。相変わらず魔力を帯びているが、不穏な気配はない。今のところは大丈夫そうだ……。

  「それじゃあ腹が減ったから夕飯にするか。ヘンク、食事の準備は出来ているか」

  「……は、で、できてやす!」

  俺が腹をさすりながらヘンクに夕食ができているか聞くと、ヘンクはこわばった表情で返事をした。

  その時だ。指輪から魔力の光が見えた。その光はゆっくりと台所の方へと流れていき、次第に雲散するように収まっていく。

  (魔力の流れだ……そういえばこの魔道具は嘘に反応するんだったな。というと、今ヘンクは嘘を言ったのか?)

  その可能性は高い。ヘンクは時々こういうどうでもいい咄嗟の時に嘘を言う時がある。きっと夕食の準備などできていないのだろう。そう思った俺はヘンクに尋ねた。

  「ヘンク。お前いま咄嗟に嘘をついたか? そんなくだらない嘘言わなくていいんだぞ」

  「い、いや嘘じゃないでさぁ。ただちょっと、十分くらい時間かければすぐに美味しい夕食ができる状態でして……」

  ヘンクはびくっと肩をすくめ、その後慌てた様子で早口に、それでいて小声になった。これは嘘をついているな、と直感で分かった。

  そしてそれに呼応するように、指輪からまた魔力の流れが見える。これは……また嘘をついたのかもな。

  「そう言って手抜き料理出されたことが何度あった事やら。ま、台所の様子を見ればすぐに分かるか」

  「あ、駄目っす! 今こだわりの料理の最中だから入られると迷惑というか……」

  俺はヘンクの横を通り抜けて台所の方へ向かう。ヘンクは慌てて止めようとするが、その様子は「オイラ嘘を言っています」と物語っているようで滑稽であった。

  そして俺が台所に入っていくと……。

  台所には盛りつけられたサラダや、鍋に入った具だくさんのシチュー、焼く前の下処理がされている肉が並んでいた。料理下手で手抜き料理ばっかり作るヘンクにしては豪勢でおいしそうなメニューの数々。確かにヘンクの言う通り、あと十分もあれば美味しい料理ができる状況であろう。

  「なんだ。今日は珍しく美味しそうな料理を作ってるじゃないか。普段はヘタクソな料理ばっか作るって言うのに」

  「あ、あれ」

  「たまにはこういうこだわった料理もいいな。ま、予算オーバーだけはするんじゃないぞ」

  「お、おっかしいなぁ。なんでだ……?」

  俺がヘンクに声をかけると、ヘンクは首をひねって何か考え込み始めた。自分で作った料理なのに、何故首をひねっているんだか。

  

  ……だがそうなるとちょっとおかしい。あの指輪は嘘に反応する文言が書かれていると鑑定屋は言っていたはずだ。だが先ほどのヘンクの言葉は嘘ではなかった。いったい何故魔力の流れが発生したのだろうか。

  よし。もう一つこいつの嘘を引き出して確認してみるとするか。

  「……ところでヘンク。その後ろのポケットに隠しているのはなんだ?」

  「えっ!」

  ヘンクはズボンの後ろのポケットを隠そうとするが、もう遅い。俺はそのポケットが膨らんでいるのをすでに見ている。

  「い、いやこれは……。お昼に焼いたクッキーを入れてるんす。小腹が減ったら食べようかなって」

  ヘンクは目をきょろきょろさせながら震えた声でそう答える。すると指輪からはまた魔力の光が輝き、ヘンクのズボンのポケットへと魔力の流れが見えた。やはり嘘に反応して魔力が流れているな?

  「そうかそうか。俺はてっきり部屋にあった金になりそうな小物を盗んでいるのかと思ったよ。飾ってあった記念硬貨が一つ無くなってたからな」

  「ぎくっ」

  図星のようだ。俺は先ほど台所に向かう途中に、棚に飾ってあった記念硬貨の一つが無くなっているのに気づいた。きっとヘンクはそれを盗んだのだろう。

  あの記念硬貨は割と大量に作られた安い硬貨だった。「これを盗むくらいなら契約の腕輪は反応しないだろう」と高をくくって実行に及んだのだろう。まぁバレているのだが。

  さて、本当に記念硬貨だったならあとでお仕置きをしないといけないな。いったいどうしてくれよう。

  「せっかくだからそのクッキー、俺にも分けてくれよ。出せるだろ?」

  「い、いや。このクッキーは美味しくできたんで分けたくないというか」

  「いいから見せろ。見せなかったら……どうなるか分かるな?」

  「ぐ、ぐぅぅ」

  俺が急かすと、ヘンクは負け犬のような表情になりながらポケットに入った物を取り出しこちらに見せた。ポケットに入ったのは……。

  なんてことは無い、美味しそうなクッキーであった。

  「……?」

  ヘンクがぽかんとした表情でクッキーを見つめる一方、俺はつい期待が外れた表情になってしまう。

  「……なんだ。本当にクッキーが入ってたのか」

  まさか本当にこいつがこんなお菓子を作っていたとは。じゃあ一体さっきの怪しい態度はなんだったんだ、と言いたいところだが怪しんだのはこちらが悪いので言葉にしないでおいた。

  「な、なんで……? そんなはずは」

  ヘンクがなにやら焦っている。こいつ、今日はやましい事はしてないのに一挙動一挙動なんか変だな。いったいどうしたというのだろう。

  あと、ポケットに入ってたのがクッキーだとしたら記念硬貨はどこに消えたんだ?

  「うーん。記念硬貨はどこに消えたんだ……? ヘンク、心当たりはないか?」

  「え。い、いや無いっす! あ、掃除した時にうっかり棚の隙間に落としたのかもなぁ。ははは」

  「なんだ。それじゃあ後で探すか。じゃあ、夕飯にしよう。早く作ってくれ」

  「は、はいっす……」

  

  ヘンクの怪しい態度や、鑑定結果と違い真実に反応する指輪の動作。おかしな点はいくつかあったが、今のところどちらにも危険な兆候はない。とりあえず慎重に様子を見るとするか。

  俺はそう思いながら、ヘンクに夕食の最後の仕上げを命じるのだった。

  ちなみに記念硬貨は、探してみたら実際に棚の隙間に落ちていた。俺はなぁんだと思ったものの、硬貨を見たヘンクは何故か驚いていた。

  [newpage]

  「朝っすよ、旦那ぁ。『絶品の料理ができた』っすから、冷めないうちに起きるっす」

  「ん。今起きる」

  自室の外からヘンクの声とノックが聞こえ、目を覚ます。昨日は遠出をしたから疲れていたし、ヘンクが珍しく美味しい夕食を作ってくれたのでめいっぱい食事をしたらすぐに寝てしまったようだ。

  俺は起き上がり、部屋の隅に置いてある全身鏡の前で着替えをする。

  人よりも高い背丈、筋肉質な腕脚、逞しい胴体、切れ長な目つきが特徴的なやや武骨な顔つき。鏡に映る俺の姿はとても大きい。その大きさは屈強な男が多い虎獣人の中でも飛びぬけて力強い見た目だと言っていいだろう。

  少年期に冒険者になってから努力を積み重ねた結果、俺は他の一般的な冒険者よりも力強い体格を手に入れた。俺に憧れて冒険者になった、と言う新人もいるらしい。

  冒険者歴も割と長くなったが、未だ俺自身の成長は目覚ましいままだ。鍛錬すればどんどん力強くなり、研ぎ澄ませば体が応えてくれる感覚は今でも楽しい物だ。今日も朝食を食べ終わったら、鍛錬しなくてはな。

  着替えを終え扉を開けると、ヘンクがにへらと笑いながら立っていた。

  相変わらずおどおどしてて頼りないが、その指には昨日の魔道具をはめたままだった。そういえば昨日は外せと言ってなかったな。

  俺はダイニングに移動する。近づくにつれ、良い香りが鼻をかすめる。普段のヘンクは冷めた料理や焦げた料理ばかり作る奴なのだが、珍しく美味しそうな匂いだ。

  そしてダイニングに入った俺は少し驚いた。いつになく豪勢で、それでいて美味しそうな料理が並んでいたからだ。

  「ふぅん? お前にしてはなかなか美味しそうな朝食を作るじゃないか」

  「……」

  「どうした、真剣な表情をして。お前が作った料理だろう?」

  「……えぇ。『オイラが作った料理 』っす。『味も格別』っすよ」

  ヘンクは一瞬得体の知れないものを見たような表情を浮かべたようだが、すぐににやりと笑みを浮かべる。

  だがその瞬間、俺は指輪から魔力の流れが現れたのを見逃さなかった。どういう事だろう。もしや嘘をついているのだろうか。

  ヘンクを怪しみながらも俺は席につき、料理に手を伸ばす。そして一口食べただけで……濃厚なうま味と芳醇な香りが口いっぱいに広がる。正直、これほど美味しい料理は初めてかも知れない。

  「んん……これは本当に美味しいな。やればできるじゃないか」

  「へへへ。光栄っす」

  ヘンクの料理は実際に美味しかった。だがそうなると何故あの指輪から魔力の流れが見えたのだろう。

  『味も格別』は正しいから嘘じゃないとすると、『オイラが作った料理』という箇所が嘘だったのだろうか。だがそうだとしたらいったい誰が……?

  「旦那? 一体どうしたっすかぁ?」

  「あぁ、いや。美味しいから、お代わりを貰おうと思ってな」

  「そんなに美味しかったっすか?」

  「そうだな。正直言うとこんなに美味な物を食べたのは久々かも知れない」

  俺の怪しむ表情に気づいたのか、ヘンクが問いかけてきた。俺は慌ててヘンクに料理のお代わりを求める。危ない危ない、ボーっとしてたらヘンクに指輪の効果を知ってしまうかも知れない。ヘンクは魔力眼を持っていないから気づかないだろうが、俺もできるだけ怪しい態度を取らないようにしなければ。

  そう思った瞬間、ヘンクが悪そうな笑みを浮かべながらこう言った。

  「でも毎日そんなに食べてたら、また太っちまうっすよぉ~? 『旦那は最近太ってきてる』し、ねぇ?」

  「え?」

  ヘンクのはめた指輪はまた光る。今、ヘンクは嘘を言ったのか? そして何と言った? [[rb:最近太ってきている > ・・・・・・・・・]]……? 俺は咄嗟に自分の体を見る。

  ぷにり、と腹を触れると柔らかい感触がある。かつては存在しなかったその感覚は、脂肪という名が付くものだった。

  そうだ、俺はここ最近ヘンクの料理がおいしくて毎日たくさん食べてたら、珍しく太ってしまっていたんだ。

  腹筋は消え失せ、お腹はポッコリと膨らみ始め。体もところどころ肉の柔らかさを感じるようになっていた。元々筋トレを長年続けているからまだ大丈夫、まだ大丈夫、と思っていたのだが……。冷静に見ると、確かに以前の研ぎ澄まされた体型と比べてかなり太ってきている。これはそろそろ意識して痩せないと駄目そうだ。

  「そうだな……。最近食べ過ぎたから、もっと運動量を増やしさないといけないな」

  「へへへ。すげぇな、この魔道具……」

  俺が少し恥ずかしそうに自制を決意すると、何故かヘンクがにやにやと面白そうに笑っていた。なんだよその表情。そんな面白い物でもないだろ。俺はヘンクから貰ったおかわりを噛みしめながらそう心の中で指摘した。

  ……と。もうこんな時間か。そろそろダンジョンに行く予定時間が迫っている。うーん、本当は朝のトレーニングをしたかったんだが、今日もつい朝食が美味しすぎて長い時間だらけてしまったらしい。

  だが時間は待ってくれない。仕方ない、また明日トレーニングをやればいい。

  

  「じゃあ準備をしたら今日もダンジョン潜りに行くか。留守番頼んだぞ、ヘンク」

  「了解っす」

  「っと、その前に安全のために指輪の魔道具を外してもらった方が良いな。ほら、こっちに渡してくれ」

  俺は準備をする前に、ヘンクに指輪を渡すよう指示をした。流石に俺がいない間にヘンクに指輪の魔道具をつけっぱなしにさせるのはまずい。俺がいないと予期しない不具合が起こった時に対処できないからだ。なので俺は手を差し出したのだが……。

  「な、何言ってるんすか~。ずっと付けててほしいって言ったの、旦那の方じゃないっすかー」

  ヘンクがヘラヘラと笑いながら俺に反論した。何故か指輪が光っているのが気になるが……ずっと付けててほしい、だって?

  「え? そんな事言ったか?」

  「そうっす。というかこの魔道具は『俺にくれた』んでしょう? だったら俺がどうしようが勝手じゃないっすか。ねぇ?」

  そういえばそうだったっけ? 確かにあの指輪は昨日、ヘンクに俺がプレゼントとして渡したような気がする。なんか詳しい事は思い出せないが、ヘンクの言う事は間違っていないはずだ。なら今更返してもらうのも野暮ってもの……なのか?

  「……そう、だったな。まぁ、危険があるかもしれないから気を付けるんだぞ」

  「大丈夫っす! じゃあ、頑張って行ってくるっす!」

  ちょっと違和感があったものの、俺はヘンクに送り出されてダンジョンへ向かう事とした。まぁこんなもやもやした気持ちも、ダンジョン探索でもしてれば晴れていくはずだ。

  [newpage]

  「てりゃっ! たぁっ! ふぅ、ふぅ……」

  俺はダンジョンの浅い階層で出てくる魔物を倒していく。額からは大量の汗が吹き出し、呼吸もだんだん乱れていく。

  魔物の出現がひと段落したところで、俺は体をかがめて必死に呼吸を整えた。

  「ぜぇ、ぜぇ。なんだか普段より疲れやすい気がするな。気のせいだろうか……」

  以前はもっと魔物との戦いは余裕をもってできていた気がするし、体力もこんな浅い階層で消耗することは無かった。いったい何故ここまで疲労してしまうのだろう……。

  いや、理由は明白だな。最近太ってきたから軽やかな動きができないでガンガン体力を消耗するようになっているのだろう。情けない事だ。

  まったく、数年前まではもっと動けていたのに……。いや、数か月前まで大丈夫だったっけ? あれ。最近まで大丈夫だったような気もする。なんだかヘンクから「最近太ってきている」と事実を指摘されてから、過去が曖昧になっているような……。

  「いかんいかん、太った事実がショックすぎて頭が真っ白になっているのかもしれない。別の事を考えよう」

  俺はぶんぶんと顔を左右に振って気持ちを切り替える。嫌な事ばかり考えたらドツボにはまってしまう。現実逃避になってしまうが、太ったこと以外を考えたい。

  「……そういえば。ヘンクにあげたあの指輪は一体どんな効果なんだろうか。壊れているという訳ではなさそうだが、嘘を言えなくなるという割には真実にも魔力が発動している気配があって不自然だ」

  俺がふと思い浮かべたのは、ヘンクにあげた指輪の魔道具の事だった。

  あの指輪はなんだか不自然だった。嘘を言えなくなる、という鑑定結果の割には虚言癖のヘンクはごく普通に会話ができてる。むしろ明らかに真実しか言っていない時ばかり魔力の反応を見せる。昨日鑑定屋で見た限りでは故障している様子もなかった。ならあの指輪は何に反応して魔力を放っていたんだろう。そもそも、俺はなんでそんな得体の知れないものをヘンクにあげてしまったのだろう。

  「なんだか嫌な予感がするな。あの指輪、ヘンクに返してもらうべきか。一度はあげた物を奪い取るのはあまり心地よくないが、あいつが変な使い方をして爆発でもしたらいくら信用してない雑用と言えど目覚めが悪い」

  一抹の不安を覚えた俺は、帰ったらヘンクに指輪を返してもらう意思を固めた。早々に手の平返しするのはちょっと恥ずかしいが、ちゃんと理由を話せばあいつも返してくれるだろう。

  だが俺はもう一つ新たな不安を抱いていた。何故か水と食料の消費がいつもより早いのでこのままだと最深部にたどり着けないかも知れない、という不安だった。

  

  [newpage]

  今日は散々な冒険だった。水と食料はすぐ尽きるし、そのせいでかなり浅い階層までしか行けなかったし、魔道具は一つも見つけられなかった。昨日多めに食料を入れておけとあれほどヘンクに言ってたのに、なんであんだけしか荷物が入ってなかったんだ。まったく。

  「ぜぇ、ぜぇ。今帰った……」

  俺が息を乱して帰宅すると、奥の方から[[rb:背の高い男 > ・・・・・]]が現れた。ヘンクである。

  「お帰りっす、旦那」

  ヘンクはすらりと高くてバランスよく筋肉が付いたその体で、俺のそばに駆け寄ってきた。ヘンクと俺はほとんど同じ背丈だが、そのシルエットはまるで違う。ヘンクはシャープで洗練された美しい見た目であるのに対し、俺は最近の肥満によってだらしない印象が先に出てしまう全身像だ。それゆえ一緒に外出した際に人気があるのはいつもヘンクの方であった。全体的な筋肉量ならまだ冒険者として活躍している俺の方が勝っているだろうが……それも俺が油断してるうちに衰えて逆転されるかもしれない。くそ、せめて以前のように脂肪がついてない頃に戻れたらヘンクに劣等感を抱かずに済んだのにな。

  ……でもなぜか、俺はヘンクの雰囲気に対し違和感を感じていた。前はヘンクに対して敗北感のような感覚を感じたことは無いはずなのに、何故か今日はヘンクの見た目が少し羨ましいと思ってしまう。ヘンクはいつも通りの姿なのに、どうして今日に限ってそう考えてしまうのだろう。

  「どうしたっすか? 旦那。何かおかしい事でもありました?」

  俺の表情を読み取ったのか、ヘンクがその筋張った腕を動かしながら微笑んで問いかけてきた。

  「いや……なんかお前、雰囲気がいつもと違う気がしてな」

  「あぁ。さっき鑑定屋が来たんでちょっと会話したんすよ。そしたらこうなった訳っす」

  「……会話だけで雰囲気が変わるものか?」

  ヘンクは微笑みを浮かべたまま、雰囲気が変わった理由を教えてくれた。だがあの狐の鑑定屋が家に訪問してちょっと会話しただけで何か変わったりするのだろうか。何も関連性が見えない。

  「へへへ。この力はどうやら独り言には反応しないみたいなんでね。やって来た鑑定屋との会話を利用した訳っすよ。すぐに帰っちまったんで、この程度しか変えられませんでしたが」

  「? この力とは何のことだ?」

  「おっと、つい言い過ぎたっすね。まぁ、気づかれる前にはっきり言っときます。『旦那には一生理解できない』っすよ」

  まただ。またヘンクの指輪が光った。タイミング的に……『旦那には一生理解できない』と言った時に光ったようにも見える。これはどういうことなのだろう。俺は先ほどのヘンクの怪しげな言葉を思い返してどうにか理解しようと頭を働かせた。

  しかし何も分からない。ヘンクがさっき何やら大事な難しい言葉を言った気がするが、詳しくその言葉を思い出す事はできなかった。まるでヘンクの言った『一生理解できない』という言葉の通りに、自分の脳が理解力を失ってしまったかのようだ。

  残念ながら、この話を続けても頭が働きそうにないので打ち切ることにする。となれば、俺が帰ったらヘンクに頼もうとした指輪の返却の話に切り替えるか。と思ったのだが腹からぐぅぅぅ、と音が鳴る。

  今日は持っていった食糧が不足していたうえ体を酷使してしまったから腹が減ってしまった。指輪の話は夕食の後にしよう。

  「まぁ、とにかく腹が減ったから夕食にしよう。ヘンク、準備をしてくれ。それと食べ終わったら指輪の魔道具について大事な話がある」

  俺がヘンクにそう言うと、彼は心底嫌そうな顔を浮かべた。

  「……面倒くさいっすねぇ。旦那がやってくださいよ」

  「なんで俺がやるんだよ。雑用として雇ったからにはちゃんと仕事しろ」

  仕事を拒否するヘンク。いったいどうしたというんだろう。いつもは嫌々ながらヘタクソな雑用をやってくれていたというのに。まぁ、最近はうまい料理も作れるようになったようだが。

  機嫌が悪いのかもしれないが、体調不良でもないならちゃんと契約通り働け。俺がそう窘めようとすると……ヘンクは悪人じみた笑みを浮かべた。

  「へへへ。いい加減、この力をもっと使ってもいいか。こんな茶番もおしまいだ」

  「何を言っているんだ。いいから早く仕事を……」

  何を訳の分からない事を。これはちゃんと叱らないといけ、な……い……。

  「『夕食作るのはお前の役目だろう、ガイン』? なんせ『ご主人様はオイラなんだから』な」

  「……え?」

  [newpage]

  ヘンクのその言葉を聞いて、俺の体は不快な感覚で動作が止まる。まるで天と地が逆さまになったかのような未知の感覚。一瞬、ヘンクの指輪が光ったような気もしたが気分が曖昧過ぎて実際に光ったかは分からない。

  夕食を作るのは俺の役目? ……確かに、いつも夕食を作るのは俺だった気がする。

  ご主人様はヘンク? ……そういえば、そうだった。俺はご主人様じゃない。

  いや、何かが違う。俺は必死にこの違和感の正体を探る。

  そうだ、契約の腕輪。あれを付けているのはヘンクの方だ。だとしたらヘンクがご主人様なんておかしい。

  「だ、だが、俺はお前に契約の腕輪を……付け……」

  「『オイラは腕輪なんて付けていない』」

  しかし俺がその事を指摘しようとすると、ヘンクの腕から腕輪が消えた。いや、最初からそんな物無かった。つまり俺はヘンクに契約をした事など無い。

  ……そりゃそうだ、俺はヘンク様に仕えている。俺の方が下の立場だし当然だ。

  「そう……でしたね? あれ。俺なんでヘンク様に雑用させようとか思ったんでしょうか」

  「さぁて、ねぇ。いいからオイラ……いや、俺様の夕食を作る準備しろってんだ」

  「はい。あ、その前にダンジョンの装備を部屋に片付けないと……」

  俺がヘンク様に精一杯丁寧な言葉遣いをすると、彼はにやにやと笑い台所の方を指さした。今、何か物凄い事が起こった気がする。だが、ヘンク様に急かされたなら従わない訳にはいかない。早く装備をしまって夕食を作らないと。……いや、待て。

  「でも変だな。俺、上級冒険者なのになんでヘンク様に仕えてるんだろ。こんだけ活躍してるんなら雑用仕事なんかしなくていいような……」

  また違和感が増えた。俺は上級冒険者だから収入は安定している。だから貧乏なヘンクに仕える理由なんて無い。これは一体どういう事だ。まるで今まであった綺麗な土台の表面に、新しい何かが無理やりくっついたような感覚……。

  だがそんな俺の困惑を見て、ヘンクはまた言葉を重ねる。

  「おかしなこと言うなお前。『そんな短足な上ぶくぶく太った体で、冒険者なんてできる訳ねぇ』だろ」

  ぶくり。ヘンクの言葉を聞いた瞬間、肉が膨らむ音も聞こえたような気がした。

  「ううっぷ……?」

  俺は体に大きな違和感を感じ、下を見やる。

  見えたのは、自分の大きなお腹だった。前だけでなく脇腹まででっぷりと膨らみすぎた脂肪はまるで毎日お腹いっぱい食事をしてきた証明のようだった。いつの間にやら服がズレあがり腹が丸見えになっていたので何とか下に引き延ばそうとするが、どうしてもお腹が出てしまう。なんだか現実感が無くてなんとなくぽん、と掌でお腹に触れてみると波のような振動を感じた。

  そしてお腹の上には豊満な胸も見えた。服を着ているというのに垂れ下がった胸の形がよく分かる。服の問題はオーダーメイドで作ったもののすぐにサイズが合わなくなってパツパツになった服のせいとも言い訳できるが、ここまで胸囲や腹囲を膨らませた俺がそもそもの原因だろう。

  動かした腕もとても太かった。筋肉があるわけでないぶにぶにと柔らかい腕は、前に横に膨らんだだらしない胴体にお似合いの太いロールケーキのような腕。

  俺の目線だと足は見えない。大きなお腹が邪魔で俺の短い脚だと見えなくなってしまうからだ。でも正直見る気はない。元々短足だというのに腿にも脛にもぷくぷくと脂肪が付いて膨らんでいるせいで更に脚が短く見えてかっこ悪いからだ。今日の朝全身鏡で自分を見た時も、自分の足のあまりの短さに驚いたっけ。

  頬や顎を触っても、ぷにぷにたぷたぷと柔らかい。二重顎や膨らんだ頬で巨大化した俺の顔も見た目の情けなさを強調している。呼吸しづらくて大きくなった鼻の穴や脂肪がついたせいでとても細くなった目つきなどのせいで、屈強な虎獣人らしい表情すらとてもできないだろう。

  ヘンク様の言う通り、こんだけ情けない体型の男が冒険者なんて勤まりやしない。そんな事、俺でも分かってるつもりだ。

  「思い出したか? 『最強の冒険者である俺様』が気まぐれで『役立たずなお前を買ってやった』んだろうが。忘れたとは言わせないぞ」

  短足な俺の頭上からヘンク様の声が聞こえる。俺が上を見上げると、ヘンク様の逞しい巨体が目に映った。

  誰もが見上げざるを得ないほどの背丈。ガチガチとパワフルに盛り上がった脚。大樹のように堂々とした胴体。見ただけで広く硬い事が伺える胸板。力強い筋骨で隆々と膨らんだ腕。丸太のように太い首筋。筋肉の鎧で覆われたその体は、誰が見ても最強の冒険者と納得できるほどであった。

  そうだ、役立たずの俺は最強の男であるこのヘンク様に買ってもらったんだ。そんなの、忘れられるわけもない。

  「そ、そうでしたね……あれ、それじゃあこのダンジョンの装備は?」

  気が付くと、俺は冒険者が使うような装備を持っていた。剣や盾や探索道具など一通りあるようだが、どれもサイズが合っていない。そもそも俺は冒険者じゃないんだからこんなの使う訳ないのに。

  「それ『俺が昔使ってた装備』だろ、勝手に部屋から持ち出して遊ぶんじゃねぇ。片づけたら、さっさと食事の準備をしろ。『いつもみたいにバクバクつまみ食いしたら』許さないからな」

  「ふぁい……」

  どうやら俺はヘンク様への憧れが強すぎて部屋からつい装備品を持ち出して遊んでしまったようだ。よく覚えてないが、ヘンク様が言うならそうなのだろう。俺は恥ずかしそうにしながら、のたのたと重い足取りで部屋へ装備品を戻しに向かった。

  なんだか今日はよく分からない違和感だらけの一日だ。変なミスもいっぱいやらかしてしまったし、気分がもやもやしている。まぁ、いつも失敗だらけだから気分のもやもやなんて日常的なのだが。

  こんな憂鬱な日はいっぱい食べ物を食べるに限る。だから今日はご飯いっぱい作って。ご飯いっぱい食べよう。それでついでにご飯を食べ終わった後に指輪の魔道具を返してもらって……。

  ん? 指輪の魔道具を返してもらうってなんで思ってたんだっけ? そもそもあの指輪はヘンク様の戦利品だし、それに嘘を言えなくなる魔道具なんて俺が貰っても使い道が思い浮かばない。だから俺はあんなの必要ないはずだ。

  うぅん。新たな違和感を感じたらなんだかお腹が空いてきた。装備を片づけたらさっさとご飯作らなくちゃ。俺は料理もヘタクソだから美味しい物は作れないが、お腹に溜まる物なら作れるはずだ!

  とは言え。

  「……そういえばなんで鑑定屋は今日ここに来たんだろう? ヘンク様に何か用があったのかなぁ」

  みたいな細かな違和感を感じるごとに空腹感を感じてしまう俺は、そのたびにばくばくつまみ食いしてしまうのだった。

  [newpage]

  「おい、役立たず。さっさと起きろ」

  「ぐごおお。ぐごおお……。ふがっ!」

  ただでさえ狭いのに横幅の広い俺が寝ているせいでさらに狭くなっている使用人部屋。そこで俺はヘンク様に起こされる。眠い目をこすり窓の外を見ると、日はとっくに高く昇っているようだ。

  「やっぱお前は役立たずだな。もうとっくに昼だぞ」

  「す、すみません」

  またやってしまった。俺は朝早く起きるのが苦手なのだ。雑用として雇われたのに昼間まで寝ているなんて役立たずもいい所だ。俺は急いで起き上がろうとすると……。

  「まぁ。仕方ねぇよな。毎日惰眠と暴食を繰り返して『動くのに苦労するほど太っちまったら』そんな風になるわな。ヘヘヘヘ」

  ヘンク様は筋肉で盛り上がった全身を震わせながら笑った。なんだか日常の風景となっていた指輪の光も見えたりもしたが、とにかく早く起きないと。

  そう思って体を起こそうとするが、うまく起き上がれない。そうだった、俺は体中にだるだるぶよぶよの脂肪がついている上に体の筋肉もまったくないから一人で起き上がるのが苦手なんだったっけ。

  そんな俺の姿を滑稽に思ったのか、ヘンク様はまた一笑いした。

  「へへへへ。ま、そんな太った状態なら捨ててもいいんだが……俺様は優しいからお前は仕事が出来なくても飼ってやらないこともない。ありがたく思いな」

  「は、はい。ありがどぉございます」

  ヘンク様は相変わらず悪い笑みを浮かべながら俺の腹をポンポンと叩きながらそう語りかけてくる。ヘンク様は悪い顔ばかりするけど優しいなぁ、こんな役立たずでもたくさんご飯をくれるほど親切に飼ってくれるんだもの。俺はお礼の言葉を口にしたが……なんだかさっきよりも顔が動かしにくい気がして、肉が詰まったような声になってしまった。

  「じゃ、俺は適当に外食してくるわ。どうせどこに行っても『タダで食える』だろうしな。お前は適当に残飯でも食べとけよ」

  「ふぁい」

  そう言って俺を寝かせたまま、ヘンク様は部屋を出ていく。正直に言うと起こして欲しかったが、ヘンク様にそんな頼みを図々しくお願いするわけにもいかない。

  一人部屋に残された俺は、腹をぐぅぐぅ鳴らす。頭の中に思い浮かべるのはご飯の事ばかり。

  「腹、へっだぁ……」

  あぁ。面倒くさいし疲れるけど早く起きないとなぁ。そんで、台所に残されてる余り物のご飯をたくさん食べるんだ。想像しただけで、よだれが垂れてしまう。

  今はヘンク様も外出してるし、誰の邪魔も入らないだろう。今日はめいっぱい腹が収まる限り食べて……。

  ≪ガインにしかできない仕事があります。ヘンクに気づかれないように至急、鑑定屋まで来てください≫

  「……?」

  突如、目の前に文字が見えた。ぼんやりとしたような、それでいてはっきりと見える不思議な文字が宙に浮いている。

  学が無いのでしばらく理解するのに時間がかかったが、やがてそれは俺を鑑定屋へ誘うメッセージだったと分かった。

  じゃあ鑑定屋が俺を呼んでいるのか? でもなんで俺なんだろう。鑑定屋がヘンク様を上客として扱っているのは知っているものの、詳しく取引の内容を知らない役立たず雑用の俺なんか呼んでも意味はないはずだ。

  ……本当に? 昨日から何度も感じていた違和感が、またも激しくなった。

  「いが……なくぢゃ……」

  この誘いには乗らなければならない。この誘いに乗れば、暗雲のように心の中に立ち込める違和感の正体が掴めるかもしれない。そんな予感があった。

  俺は必死で起き上がる。体を起こそうとしたり、横に転がそうとしたりそれはもう必死で体を動かした。十分ほどかけてようやく起き上がったが、ただ起き上がるだけで全身が汗でびっしょりと濡れてしまっていた。

  あぁ、腹が減って腹が減って仕方がない。でも鑑定屋の元へ行かなければならない。そうだ、食べながら行くとしよう。俺はのっしのっしと台所へ行き、大量の食材を抱え込む。そしてその食材を抱えたまま、外に出た。

  [newpage]

  「ひぃ。ひぃっ。もぎゅ、もぐもぐ……」

  どしんどしんと少しずつ俺は歩を進める。ヘンク様の家と鑑定屋までの距離は比較的近く、常人ならばものの五分でたどり着くことができるだろう。

  だがそんな距離でもデブデブの俺にとっては長い長い旅路同然であった。久々に出歩く外の日差しは暑く、歩くたびに太腿はこすれ、全身の肉の重みで体幹のバランスがぐちゃぐちゃになり胴体は左右に揺れる。

  汗はまたも体中から噴き出して、肉の溜まった顔では呼吸も苦しい。腹もぐるぐると鳴っている。俺は抱え込んだ食料を必死に口の中に放り込みながら舗装された道を進むが……ゆっくり牛歩な上に頻繁に息切れして休んでしまうものだからなかなか鑑定屋にたどり着かない。

  あぁ、明らかに通りがかりの人がこっちを見てヒソヒソ噂話をしている……。そりゃこんな規格外の体型じゃ、噂になって当然だろう。恥ずかしいが、ここまで来たからには注目されてしまうのは諦めるしかない。

  俺は必死に歩く。普段なら無気力でちょっと外に出ただけで家に帰りたいと思ってしまう俺だったが、今日は珍しく躍起になっていた。息を切らしながら、腹を減らしながら体を大きく動かして……。体力と持ってきた食べ物が尽きる寸前になった頃、ようやく鑑定屋の入口にたどり着いた。

  「いらっしゃい、ガイン。……うわ、これまた酷い恰好ですね」

  鑑定屋に入ると、主人の狐獣人が眉をひそませてこちらを見てきた。俺がその言葉を聞いて自分の姿を見てみると、ぶよぶよに太った汗を大量に流す半裸の男の姿が目に映った。

  あぁ、そういえば慌ててたから出かける時にちゃんと着替えてなかったんだ。いつも俺は半裸で寝てるからそのままの状態で来てしまった。なんでそんな事にも気づかなかったのだろう。そりゃあ眉をひそめられるし、噂の的になる訳だ。

  だが、今は恥ずかしさよりも疲労感と空腹感が思考の大半を占めている。喉が渇いた。何か甘い物が飲みたい。

  「ぜぇ、ぜぇっ……あまいのみもの……ないでふかぁ? なかったらせめて、おみずのみたいぃ……」

  「後にしてください。とりあえず話は奥でしましょうか」

  だが鑑定屋の主人は、さっさか店の奥へと歩みを進める。正直俺はもう歩きたくなかったが、鑑定屋に従い必死で店の奥へと進む。

  途中で鑑定屋に勤める別の従業員とすれ違ったが、荒れた呼吸で壁に寄っかかりながら歩く俺の姿を見て哀れな物に対峙したような表情をしていた。

  一番奥の部屋に俺が入ると、鑑定屋は扉に鍵を閉める。どうやらここは何か重要な話をするために作られた部屋のようだ。ちらりと見た他の部屋より高級そうな造りになっていて、高そうな魔道具が飾られていたり、それに関する資料も並んでいる。

  俺は部屋にある大きなソファに座り息を整えると、鑑定屋がコップに入った水を差しだす。渇きと飢えに苦しんでいた俺は必死にコップを手に掴み、一気に口の中に水を流し込む。甘みが無いため物足りないが、疲れた体が少し回復したような気がした。

  「落ち着きましたか? 本当は昨日あなたに会うつもりだったのですが、留守だったのでこちらからお呼びだてしたわけです」

  「ごくごくごく……お、おかわりを……」

  「仕方ないですね」

  鑑定屋が近くに置いてあった少し大きい水差しから、水をコップに注いでくれた。正直、その水差しごと飲ませてくれた方が俺としては嬉しかったのだがそんな事言うのも失礼だ。俺は注がれた水をまたも一気に飲み干した。

  「あなたが魔力眼持ちでよかったです。他者にバレづらいように、念のため魔力眼にしか見えない遠隔投影の魔道具を使ったんですよ」

  「ふぅ……。たしかにおれの目はへんなのも見えるけど、いったいなんのためにこんな呼び出じをぉ?」

  まだまだお腹が空いている物のようやく気分が落ち着いてきたので、本格的に話を始める。どうやら鑑定屋はまりょくがんとやらを持つ者しか気づかない魔道具を使って俺を呼んだらしい。

  確かに俺はまりょくがんを持っていると言われたこともあるが、正直今までちゃんと役に立った覚えはない。魔道具がきらきら光って見えたりもするが、それくらいだ。魔道具の知識もほとんど無い俺には意味のない力だ。

  そんな使えない力しかない俺を呼んで、何をしたいのだろうか。俺がそう思っていると、鑑定屋が深刻そうな顔で口を開く。

  「あなたが先日こちらに持ってきた指輪。覚えていますか?」

  「え。ゆびわ?」

  「えぇ。あなたがヘンクから頼まれてお使いに来た……んでしたっけね? 細かい経緯は[[rb:何故か > ・・・]]覚えてませんが、指輪の魔道具についてはよく覚えています」

  ……そういえば、少し前に俺は鑑定屋に指輪を持っていった……気もする。細かい経緯は俺も全く覚えていない。というか、なんで俺がヘンク様の戦利品を持っていったんだっけか。疲れるからそういう遠出の仕事はやらないはずだし、行ったとしても手続きやらがよく分からない俺が行ってもなんらかの失敗するのは目に見えているのに。

  「あの指輪の魔道具、気になったので覚えてる限りで文言の暗号を解読してみたんです。そしたら恐ろしい事が分かりまして」

  「おそろしいこと?」

  鑑定屋の不安そうな表情を見て、俺は聞き返す。すると鑑定屋は、指輪の魔道具の詳細な鑑定結果の書類を差し出した。こんなの、俺が来た時に貰った覚えはない。

  「ここに書いてある通りです。あの指輪は確かに『嘘を封じる』効果を持っています。でもただたんに嘘が発言できなくなるだの、真実しか言えなくなるだののちゃちな物じゃないんです。……[[rb:言った嘘がそのまま真実になる > ・・・・・・・・・・・・・・]]のですよ」

  ……うそがそのまましんじつのなる?

  鑑定屋は重大な情報を言った。いや、重大な情報『らしき』言葉を言った。だが俺はその言葉が上手く理解できない。ちゃんと聞かなきゃいけないと分かっているのに、一言一言、言葉の意味が分からなくなっていく。

  俺は差し出された鑑定結果も目を向けたが、それもまったく理解できない。ところどころ専門用語も並べられている物の、内容自体は俺の知識でも分かるように書かれている部分は多い。それなのにその内容のほとんどが頭に入ってこない。

  「魔力も文言も巧みに偽装されてすぐに気づけなかったですが……あれは封印すべき危険物です。即急に回収しなければなりません。でなければ悪しき者に使われ、世界はめちゃくちゃになってしまいます。そして更に……」

  「……?」

  鑑定屋はまくし立てるように指輪について語るが、俺はやはりその言葉の意味を捕らえる事が出来ない。どうしてここまで何も分からないんだろうか。頭の中が蓋をされたような感覚だ。

  『まぁ、気づかれる前にはっきり言っときます。『旦那には一生理解できない』っすよ』

  ……ふと、ヘンク様の言った言葉を思い出した。確かにあの人の言う通り、こういった難しい話題は俺には一生理解できないのかもしれないな。

  でもおかしいな。ヘンク様は俺の事を「ガイン」と呼ぶから、今思い出した口調はいつもと違うような……。

  「……であるわけで、だからあなたに指輪の回収の協力を頼みたいのです。貴方の情報を元に我々が指輪を回収し、しかるべき手順で処分します」

  話のほとんどが耳から耳へ通り過ぎて何も理解できない時間が続いたが、ようやく理解できる言葉が聞こえた。どうやら鑑定屋は俺に指輪とやらをここに持ってきて欲しいらしい。

  でもそもそも俺に頼まなくてもいいんじゃないか? 俺はそう思って、鑑定屋に質問した。

  「よくわからないけど……なんでおれにぃ? ヘンク様に直接たのめばいいんじゃぁ?」

  「私は彼を信用していないので」

  すると鑑定屋は、普段穏やかな表情を険しい物に変える。何かに対して嫌悪している、そんな様子が見て取れる。

  「確かに彼は多大な功績を収め、最強の冒険者として名を馳せている。そしてこの鑑定屋にも上客として大きく貢献をしています。ですが何故か私は彼を心から信用できない。何というか……彼とは長い付き合いであるはずなのに、小悪党だった奴と接しているような感情が湧き出てしまうのですよ」

  「あんなにすごい人なのにぃ……?」

  ヘンク様はいつも大活躍して周りから尊敬されている、俺にも優しいすごい人だ。なのにそんな人に対して理由もなく嫌悪してしまうだなんて、鑑定屋も結構嫉妬深い所があるのかな。

  ……いや、違う。その気持ちは俺も似たようなものを持っている。確かにヘンク様は俺にも優しくて頼もしいから役立たずの俺は頼ってしまう。でもそのたびに、この感情は違うという違和感が芽生える。こいつは信頼できないぞ、こいつは小悪党だぞと語りかけるような、今や存在しない記憶との相違感。きっと鑑定屋もそれに近しい心の状態なのかもしれない。

  「ですから貴方にお願いしたいんです。貴方は歩くこともままならないほど肥満で、汗のにおいも酷い役立たずです。ですがヘンクよりはなんとなく、信用できる気がするんですよ。自分でもおかしいと思いますが」

  「でもおれ、へんなものがみえる以外にヘンク様にかてる部分のない役立たずだしぃ……」

  「そもそも、魔力眼持ちは鍛えれば国に重宝されるほどの能力のはずなんです。どういった経緯でヘンクに雇われたかは知りませんが、あなたはもっと人の役に立つことはできるはずですよ」

  俺が自信なさげな表情でブツブツ呟くと、鑑定屋はそれを否定するような言葉を向けてくる。そういえばそうだ。まりょくがんは現在の文明では重宝される稀な能力だと聞いた事はある。ちょっと勉強すれば、誰かに貢献する事なんて十分できるはずなんだ。そんな自慢の能力と成りうる土台があるというのに、なんで俺は今まで惰眠と暴食を重ねた末にヘンク様に飼われるようになったんだろう……。

  「とにかく、今回はその能力を利用しましょう。貴方には魔力眼にしか見えない文字を書く道具を貸します。これを使って、ヘンクの詳細なスケジュールをこちらに報告してください。我々はそれを元に、就寝時間か外出期間に指輪を盗みに行きます」

  「ううん。でもおれぇ、ヘンク様よりながい時間ねてるしなぁ」

  「そこは気合で頑張ってください」

  鑑定屋が計画を書面を交えながら説明してくれる。その説明は馬鹿な俺でも分かりやすく、なんとか理解できた。問題点として、俺がだらだらと生きているダメ人間ゆえに上手く報告できるか分からない点をあげてみたが……気合で乗り越えろと言われてしまった。俺もそんな事が出来たらここまで堕落してないはずなのだが。

  「とにかく、この計画がヘンクにバレたらこの指輪の機能に気づいてしまったり、我々の狙いを邪魔する可能性もあります。くれぐれもヘンクには気づかれないように……」

  「誰に気づかれないように、だってぇ?」

  その時。後ろの扉の方から、聞き覚えのある力強い声が聞こえた。

  鑑定屋と俺が驚いてそちらの方に顔を向けると……ヘンク様が、まるで英雄のような勇ましい体つきを見せつけるように立っていた。

  [newpage]

  「ヘンク、さん……。どうしてここに」

  鑑定屋が唖然とした顔つきでそう問いかけると、ヘンク様は鼻で笑った。

  「そこにいるデブ野郎が外出してるって町中でもっぱら噂になってたんで迎えに来たって訳だ。そいつが規格外のデブじゃなかったら気づくのが遅れたかもな」

  「いや、ですがこの部屋は内側から鍵をかけていたはず。それにこの部屋にいることも内密にしろと従業員には通達したのに……」

  「ここの従業員は『俺にはなんでもかんでも秘密をばらす』んだよ。それに鍵なら『最初からかかってなかった』ぜ? かけ忘れたんじゃないか?」

  「く……。なんでだ。普段はこんなヘマしないって言うのに」

  どうやら町中で俺が目立ち過ぎた事と、従業員の口が軽かったことと、鑑定屋がミスをしたことでここへの侵入を許してしまったらしい。でも鑑定屋はちゃんと鍵をかけていたような気も……いや、そんなことは無かったか?

  「それにしても鑑定屋。お前がこれを盗もうとしていたなんてね。やっぱただ実績を得るだけじゃ、信頼は生まれないってか? 難儀なもんだ」

  ヘンク様は指にはめた指輪の魔道具をこちらに見せつける。それはちょっと前に俺が鑑定屋に持ちこんだ、件の魔道具であった。

  「その指輪……。貴方、さては効果に気づいていたんですね?」

  「あぁ。この前お前が来た時は念のためこの指輪が見えないように隠しながら応対してたんだ。もしあの時指を見せてたら、強引に奪われてたかもな。危ない危ない」

  鑑定屋が見せる悔し気な顔を、ヘンク様はへらへらと笑っている。俺は指輪について何も理解できてない状態ではあるが……それでもこの緊迫した空気だけは理解できた。

  「気づかれてしまっては仕方ありません……。こうなったらあなたを倒すしか方法は無い」

  鑑定屋はそういうや否や、咄嗟に近くに隠していたであろう杖を手に取った。俺は魔道具に詳しくないので百パーセントそうだと言い切れないが、おそらく緊急時に使うための杖だろう。その証左として、杖は俺のか弱い魔力眼でも見えるほどの光を放ちだす。きっとあの光が強まったら、何かが起こるに違いない。

  だが。

  「『骨付き肉なんてこっちに向けて』何がしたいんだ、てめぇ」

  「え?」

  ヘンク様がなにやら言葉を言うと、ヘンク様の指輪から魔力の光が飛び出て、鑑定屋の杖にまとわりつく。その光の流れは、杖から放たれる物よりもはっきりと見えた。

  やがてその光が雲散すると、鑑定屋が手に持っていた物はいつの間にやら骨付き肉に変わっていた。……いや、鑑定屋は最初から骨付き肉を取り出していた、のか?

  「くっ!? 一体なぜ……」

  状況を理解できない鑑定屋は、骨付き肉から手を放す。そして近くにあった別の魔道具に手を伸ばそうとするのだが。

  「この部屋には探しても魔道具なんて無いぞ。なんせ『お前は肉屋なんだからな』」

  またもヘンク様の指輪から光が飛び出て、部屋の中に魔力の霧が充満する。そして見る見る部屋が変化していく……変化しているのだろうか?

  鑑定屋が手を伸ばそうとしていた場所の魔道具はスーッと薄らいでいき、消えた。いや、最初から魔道具なんて無かった。

  壁に飾られていた魔道具も消えた。いや、そもそも最初から壁には店の標語ぐらいしか飾られていなかった。

  部屋に置いてある資料も大体肉料理に関する本や経営論が書かれたものばかり。魔道具の魔の字なんてどこにもないのは、ヘンク様の言った通りだ。

  それと、なんかさっきまでこの部屋は割と高級な造りの応接間だった気がするのだが……今では随分と庶民的に見える。小さな店舗ならどこにでもあるような応接間だ。

  ……何故だろう。こんなよくある風景なのに、それを見ていると違和感が溢れて怖くなってくる。

  「お、おかしい。魔道具について学んできた私が、何故肉屋なんか経営を!?」

  鑑定屋……いや、肉屋は俺以上に違和感を感じているようで、その場でしゃがみ込み頭を掻きむしって混乱している。何も起きていないはずなのに、なぜ彼は大事な物を失ったような真っ青な顔をしているのか。俺はその感情を理解できそうな気がしたが、それを考えようとすると頭が蓋されたように働かなくなる。

  そんな中、ヘンクは肉屋の狐にポンと肩を置き、なだめる様にこう言う。

  「そりゃそうだ。『お前は魔道具の知識なんてまったくない、肉の知識だけが取り柄のデブデブの豚』だもんな」

  「ふごっ……」

  指輪の光が、狐の痩せた胴体にまとわりついた。

  とたん、肉屋の鼻は穴がぶわっと大きくなり、先端が平たくなる。肉屋は呼吸の仕方が急に変わったかのような音を口から鳴らした。

  そして肉屋の腹も胸も脚も腕も顔もぶくん、ぶくんとどんどん膨らんでいく。痩せた体型が中肉中背に、小太りに、デブに……。たった一瞬で長い年月を経たかのように、彼の体中にぶくぶくの肉がまとわりつく。

  狐らしい耳もどんどん垂れて豚らしく。そして綺麗な橙色だった被毛はどんどん薄くなり、次第に茶色とピンクを混ぜたようなあまり綺麗とは言えない色合いの皮膚が見えてくる。

  綺麗に整っていたはずの仕事着もいつの間にやら汚れが大量に付いた物に変わる。しかもそれはとても巨大な仕事着だというのに、どどんと太ましい肉屋の体型に推し負けてパツパツであった。腕の部分なんか太さに負けて破れているし、腹からは汚らしい肉がはみ出て見えた。

  そう。肉屋はデブデブに太りまくった、肉以外に興味のない豚獣人であった。今も昔も、これからも。

  「まぁ、『お前は俺様を心の底から信頼している』もんな。これからも『今まで通り、タダで肉を融通する』んだぞ? それがお前の喜びなんだからな」

  「ブ、ブヘェ……?」

  ヘンク様が催眠術のように優しく肉屋の耳元に言葉を囁く。そして言葉と一緒に流れ出る指輪の光。その言葉を聞く肉屋の表情はとろんと心地よさそうで、鼻息をブヒブヒと漏らしている。

  そして肉屋にまとわりついた光が完全に消え去ると、肉屋ははっと覚醒したような表情を見せる。そしてヘンク様に気づいて立ち上がり、へこへこと媚びた笑顔を浮かべた。

  「ぶ、ぶひぃ。ヘンク様ぁ、よくおいでなさいましたぁ。今日も上質なお肉、いっぱいありますよぉ? いくらでも持ってってくださぁい~」

  「ははは。そうそう、そうやって一生俺様に媚びへつらえばいいんだよ」

  「もちろんでぶひぃ! あ、それじゃあおすすめのお肉をた~っぷり持ってくるんで、ここでまっててくださいぶひぃ~!」

  やがて肉屋はヘンク様に褒められたいと思ってか、お肉を取ってくるために部屋の外へと駆け出した。その大きなお腹をぶるんぶるんと揺らしながら。

  その場には俺とヘンク様だけが残った。今、この場では大した事件なんて起きていないはずだった。せいぜい、ヘンク様が肉屋に肉を要求しただけ。それなのに俺の心は混乱していた。

  まるで大きく世界が変わった様を直接見てしまったかのような。まるで知ってるものがいつの間にか消えてしまったかのような。そしてそんな大きな変化に、気づけていないかのような。そんな違和感をごく平和なこの場で感じていた。

  もっと考えろ、もっと理解しろ、そして反抗しろ、と心の奥で叫び声が聞こえる。それに従いたくても何故かできない。『お前には一生理解できない』。『お前は役立たず』。いつ聞いたのかももう分からないヘンク様の声が頭に浮かび、俺の思考を邪魔している。

  ヘンク様が、こちらに顔を向けた。

  「さて、ガイン。お前に逆らう余力があったなんてな。役立たずにしたとは言え、魔力眼をうっかり残しちまったのが良くなかったか? いや、そもそも反抗心を消さなかったのが原因か?」

  ヘンク様は静かにそう言った。もしや、ヘンク様は怒っているのだろうか。嫌だ、もしここで捨てられたら役立たずな俺はどうやって生きていけばいいんだ。

  「う、うぅ。そんな、ヘンク様に逆らうつもりは……」

  俺が情けない声でボソボソと言い訳しようとすると、ヘンク様はこちらに近づいてくる。

  「へっ、そんなに怯えるんじゃねぇ。むしろこれからはこれまで以上に可愛がってやるよ」

  その表情は、笑みだった。だが慈愛の笑顔とは違う、何か楽しいおもちゃで遊んでいるかのようなそんな笑み。

  そしてヘンク様は俺に右手を近づける。その人差し指には相変わらず指輪がはまってて……。

  「なんせお前は……」

  その指輪は光った。ヘンク様は何か言ったような気もしたが、俺の意識はそこで途絶えた。

  [newpage]

  「ごきゅ、ごきゅ、ごきゅきゅきゅ、ぷぐっふぅぃ~~~!」

  おれは チューブがたの まどうぐから ながれでる おいしいなにかを のみほす。

  ここは ヘンクきゅうでん。

  おれの かいぬしである ヘンク王さまの すまう きょだいな きゅうでんだ。

  おれのすんでる へやは とてもひろく ごうかなそうしょくが めいっぱい かざられている。まぁ、 おれのしゅういは だいぶ よごれているんだけど。

  おれみたいな さいかそーのやくたたずでも こんだけ ごうかなへやを あたえられてるって ことは ヘンク王さまは もっと ごうかなばしょで すごしてるんだろうなぁ。

  そとに でたことないから よくしらないけど。

  「あ゛ぁ~。はや゛くごはんごない゛がなぁ~」

  ごはんは てんじょうから ぶらさがっている チューブまどうぐから 10ぷんおきに ながれてくる。

  いまなんふん たっただろうか。 おなかがへって へって しかたがないから はやくたべたい。

  そして もっと ふとりたい。

  おれはふとりたい いっしんで ごはんを のみほし のみほし のみほし。からだの にくが つきすぎて たったりすることは できないほどになったのも いまやむかし。 それでも おれは どんどん ふとりつづけ いまでも はらにくの きょだいかは とまるけはいは ない。

  「げへへぇ~。ここま゛でずいぶんそだったなぁ~。もっどもっど、ごはんをのんでへやをうめづくしてやるぞぉ~!」

  おれは ほとんどうごかせないうでを めいっぱいだるだるにふくらんだ おなかに あてる。

  そのかんしょくは やわらかくて きもちいい。

  このかんしょくを かんじるたびに もっとふとりたいという よくが わいてくるんだ。

  「そうだな。ここまで随分、俺様達は変わった」

  きがつくと だれかが ちかくにいた。

  [[rb:じんち > 人智]]を こえた きょだいな しんちょう。あふれんばかりの きんにく。こうごうしい オーラ。

  そのすがたを みまちがえるものは いないだろう。

  そのおとここそ おれのごしゅじんさま ヘンク王さまである。

  「あ゛、ヘンクざま~!」

  おれは にへらと ヘンク王さまに わらう。ヘンク王さまは ときどき おれに あいにくる。あざわらってるようすだけど それでもいい。おれは ヘンク王さまに あえると しあわせになるのだ。

  「ここまで大変だったさ。大雑把に真実を作り出してもどこかに綻びがでる。だから少しずつ、少しずつ、綻びを無かったことにして世界をここまで作りあげた。いまやほとんどの人々が俺様のために働いてくれる。どうだ、お前もこんな世界で生きれて『幸せだろう』」

  「んあ゛~……」

  「へへ。今のお前には難しすぎたか」

  ヘンク王さまは むずかしいはなしを おれにしてくる。むかしのおれは そんな ヘンク王さまの はなしをきくと こころのなかに いわかんを つのらせていた きもする。

  でもいまは そんないわかん すぐになくなって こうふくかんと くうふくかんが あらわれる。

  だから かんがえる ひつようなんて ないのだ。

  そんなことより おなかがすいた。

  「……かつて古代文明では、『王』と呼ばれた支配者が数多の魔道具を作り出し繁栄を極めたという。今、俺様達はその再現をしているのだろうな。王が使っていたこの嘘が言えなくなる指輪によって」

  ヘンク王さまは ゆびにはめた まどうぐを みつめて にやりとわらう。あの ゆびわをみていると いつも えたいのしれない いわかんがあらわれて すぐにきえて おなかがへってくるんだ。

  あぁ。もうがまんできない。ごはんごはんごはん。

  「ありがとうなぁ、ガイン。俺様にあの時、指輪をくれて」

  「あぁぁぁ。おながずいだ……。ごはん゛、欲じいぃ!」

  なぜか ヘンク王さまが おれに おれいをいっているが そんなことより ごはんがほしい。

  おれは ほとんど うごかせない てあしをふるわせ ヘンク王さまに ねだった。

  「あぁ、せめてものお礼だ。俺様が飽きるまでの間は、可愛がってやるさ。へへへへへ……!」

  ヘンク王さまの わらいごえとともに チューブが くちもとに はいってくる。そして チューブからは いきおいよく おいしさの 波が おしよせてきた。

  おれは その みかくの ぼうりょくともいえるものを。いきおいよく すいこんだ。

  「ずじゅるるるるるるるる! ずずずずぞぞぞぞごきゅごきゅごきゅ~~~~~~!」

  おいしい。あまい。からい。すっぱい。うまい。こい。たのしい。うれしい。おいしい。おいしい。

  あ゛あ あ   ああ゛     し     あわ     せ。

  おれと ヘンク王さまの [[rb:はんえー > 繁栄]]は まだまだ おわらなさそーだ。たぶん ヘンク王さまが あきるまで。