オオカミくん踏ん張る4

  シロクマさんが入院している病室のドアの向こう側に立っていたのは、僕たちがよく利用をする旅館の従業員である『クロウシくん』だった。今回の件とは幾ら考えても結びつくはずもない彼の登場に僕は何の言葉も出せずに彼を見つめていた。

  

  しかしながら、僕のスマホの着信履歴を見れば電話をかけてきた相手がクロウシくんだってことくらい直ぐに分かったはずだ。そんなことすら思いつきもしなかったのは、それだけ緊迫した状況で僕も冷静ではなかったということだろう。

  

  哀しげな表情を浮かべながら何も言わずにただ立ち尽くしている彼の巨体を見上げ、僕は沈黙を破るように彼にそっと声をかけた。

  

  「クロウシくん、どうしてここに・・・」

  

  「俺・・・俺のせいです・・・」

  

  「え・・・?」

  

  僕が話しかけた途端に彼の瞳から大粒の涙が零れ落ちて病室の床に滴り落ちる。僕はそんな彼の様子を見て何と声をかけていいのか分からなかった。彼のすすり泣く声だけが病室に静かに響いた。

  

  僕は思わず救いを求めるように眠り続けるシロクマさんの顔を見てしまった。

  

  こんな時、シロクマさんだったらどうするだろうか。何て声をかけてあげるんだろうか。

  

  『クロウシくん、落ち着いて。そう、ゆっくりでいい、ゆっくりでいいから話してごらん』

  

  シロクマさんだったらそうやって声を掛けるだろうな。シロクマさんの顔を見ていると僕の中に自然と勇気が湧いてきた。

  

  ふと、僕は彼に歩み寄ると、彼の大きな背中を擦りながら声をかけていた。

  

  「クロウシくん、落ち着こう」

  

  「ぐすっ・・・はい・・・」

  

  「うん、大丈夫・・・大丈夫だよ。落ち着いてからでいい。話をしてほしいな?」

  

  クロウシくんは僕の言葉に少しずつ落ち着きを取り戻したようで、涙を拭くと大きく息を吐いた。僕は病室の隅にあった椅子をベッドの脇に置くと彼に座るように声を掛けた。

  

  椅子に座り、少しの沈黙の後、クロウシ君はこれまでの経緯を話してくれた。だけど、その内容は僕らの想像をはるかに超えるものだった。

  

  彼が幼少期から抱いてきた思い。

  

  これまで歩んできた彼の半生。

  

  シロクマさんを襲った人物について。

  

  そして、今朝、何が起こったか・・・。

  

  「俺・・・馬鹿ですよね・・・。女将さんに全てを話せば良かったんです。そうすれば、もっといい対応策を俺に教えてくれたかもしれない。オオカミさんにだって直ぐに連絡をすれば良かった。そうすれば、シロクマさんが襲われることもなかったかもしれない・・・!俺・・・やっぱ、馬鹿だ・・・そこまで考えが至らなかった・・・」

  

  「そんなこと・・・」

  

  「いや・・・本当は・・・怖かったんです!もし、俺がみんなに言ったことがあいつに伝わって旅館に何かあったら・・・俺、自分のことしか考えていなかったんだ!!1人で解決出来ればいいって。だから、相談をしなかった・・・。自分でどうにか出来るって・・・」

  

  そこまで一気に言うと彼は俯いたままポツリと小さな声で呟いた。

  

  「怖かった・・・自分の場所が壊されるかもしれないって。そしたら、今度こそ・・・俺はどうなるんだろうって。どうなっちゃうんだろうって・・・」

  

  「クロウシくん・・・」

  

  「ごめんなさい・・・ごめん・・・なさい・・・」

  

  目つきは鋭く強面だけど、どこか優しさを感じさせる雰囲気を持っていて、仕事熱心で機敏に動くその姿。それが今まで見てきた彼の姿だ。でも、今、僕の目の前にいるのは大人びた彼の姿ではなく年相応の少年の姿だった。

  

  震えながら涙をボロボロと流すその姿は、母親に叱られて泣きじゃくる子どものように僕は見えた。

  

  それこそが彼の本来の姿だったのかもしれない。

  

  きっと、彼はずっと強いふりをしていた。その仮面の下には助けを求める少年がいたんだ。

  

  「泣いていて、いいのか・・・?」

  

  「・・・オオカミさん?」

  

  「クロウシくん。君はずっと我慢してきたんだよね。ずっと頑張ってきたんだよね。でもね、もう背伸びをする必要はないんだよ。気を張り詰めなくていい・・・。だから、泣いてもいいんだ。1人で頑張らなくていいんだ。君は、もっと周りに頼っていいんだ。君を助けてくれた親方さんや女将さんのようにね」

  

  「・・・でも、俺は」

  

  「・・・君と僕は少し似ているかもしれない」

  

  クロウシ君の言葉を遮り。僕は彼の目を真っ直ぐに見た。

  

  「えっ・・・オオカミさんと俺が・・・?」

  

  「そう、僕も君と同じくずっと悩みを抱えていたんだ。1人で抱えてずっと辛かったんだ。そんな僕を救ってくれたのはシロクマさんとグリズリーさんだった。僕は初めて自分の悩みを話すことが出来た。うん、共有することが出来たんだ。そして、僕は・・・救われたんだ。だから、今度は・・・僕がみんなの力になりたいんだよ。僕が助ける番なんだ」

  

  「オオカミさん・・・」

  

  「これは、義務でも命令されたからでもない。心からの僕の気持ちなんだよ。クロウシくん、僕は君の力になりたい」

  

  「俺はオオカミさんに頼っていいんですね。ありがとうございます・・・オオカミさんは凄いな・・・」

  

  「ううん、凄くなんかないよ。シロクマさんやマスター・・・グリズリーさんみたいに上手く言えていないしね。グリズリーさんの口調を真似て『泣いていていいか』って言っておいて『泣いてもいい』とか言っているし、シロクマさんのようにもっと上手い言い回しも出来てないし。でもね・・・」

  

  そっと彼の蹄を握る。その硬くて傷のある蹄は彼の半生を表しているようだった。

  

  「一緒に出来ることをしよう。僕たちと一緒に・・・」

  

  その時、僕らの会話を黙って聞いていた笹子さんがそこで初めて口を開いた。

  

  「すみません。どうしても、腑に落ちないことがあって・・・。どうして・・・どうして、シロクマさんが襲われることになったんですか?クロウシさんが話して下さった内容からはシロクマさんを襲う理由が見えてきません・・・私たちを苦しめて・・・何の意味があるんでしょう・・・」

  

  「それは・・・」

  

  笹子さんの言う通りだ。僕にもその理由が見えてこなかった。

  

  「私は不安で仕方ありません・・・私たちはこれからどうなるんでしょうか・・・」

  

  いくら言葉を重ねても現実は変わらない。その重さに押しつぶされてしまいそうになる。何とか気持ちを奮い立たせようとしたけれど、僕の心の中は不安でいっぱいだった。

  

  でも、不安に思う気持ちは口にしようがしなくても誰もが同じなんだ。僕が出来ることを、少しでもいい、少しでもしたい。

  

  せめて、ここにいる皆を守りたい。

  

  もう、これ以上は悲しむひとを出したくない・・・。

  

  「クロウシくん、さっきも言ってくれたけれど警察の人に事情は説明をしたんだよね?」

  

  「あ、はい・・・。シロクマさんが運ばれた後に警察も来たので、警察の人に何が起きたのかと、その男のことを話しました。なので、ここに来るのが遅くなったんです」

  

  「その男のことは警察の仕事だね。クロウシくんが話をしてくれたのであれば、捕まるのも時間の問題だと思う。ただ、その男に仲間がいるかもしれないし、まだ捕まっていないのであればしばらくは危険だ。僕らは一緒にいた方がいいと思う」

  

  「はい・・・」

  

  「笹子さんも、パンダ君もいいかな・・・?」

  

  「はい」

  

  「うん・・・でも、僕たち、どうなっちゃうの・・・シロクマくんは何も悪いことしてないんでしょ?何でなの?」

  

  どうして、シロクマさんが襲われることになったのか。

  

  全員が抱いている疑問。そう、僕が先ほどまで抱いていた疑問のうち2つは解消された。ただ、シロクマさんが襲われた理由は分からないままだ。

  

  そう、真っ先に狙われるのはマスターのはずだからだ。

  

  笹子さんの話によると、シロクマさんの様子がここ最近変だったと言っていた。クロウシくんがその男に情報を教えてしまったのが今月に入ってからだというから、もしかしたら、その男はカフェを探っていたのかもしれない。その男にシロクマさんは気付いて警戒をしていたのかもしれない・・・。

  

  でも、カフェを探ってどうするんだろう・・・?

  

  マスターの情報がしろくまカフェで得られる確証もない。マスターに遭遇してしまって、計画が頓挫してしまう可能性だってある。

  

  これだと、カフェに通い続ける意味がなく、シロクマさんを狙っていたとしか僕は思えない。その男とシロクマさんに「接点」はないはずだ。せいぜい、クロウシくんが画像を見せられたと言っていたから、グリズリーさんの友人であるという認識しかないはずだ・・・。

  

  友人・・・接点・・・。

  

  ここで、僕の頭の中に恐ろしい仮説が浮かんできた。

  

  「まさか・・・」

  

  「オオカミさん・・・?」

  

  「その男は・・・もしかしたら・・・グリズリーさんと関係のあるひとを探って狙っているのかもしれない・・・」

  

  「どういうことですか・・・?」

  

  その時、僕のスマホが震えた。

  

  嫌な予感がする・・・。

  

  僕は断りを入れて病室の外に出た。ゆっくりと僕はポケットからスマホを取り出すとその表示画面を見つめた。

  

  心臓が高鳴る。

  

  どうすればいい・・・?

  

  そう、画面にはとある人物の名前が表示されていた。