帝国軍人と狼少年の淫臭漂う禁秘録

  

  草木も寝静まる丑三つ時。

  明治末期のまだ街の通りに闇が色濃く残っていた時代。

  家人が寝床についてひっそりと夜の[[rb:黙 > しじま]]に佇む、とある豪壮な構えの西洋館にただならぬ気配があった。その館の一室で、陰の妖気がもっとも強くなるこの真夜中に好ましくない者が跳梁しているのか。

  いや、風が止んで[[rb:茹 > う]]だるような熱帯夜に窓の開け放たれたその部屋から微かに漏れ聞こえてくるのは、

  「……はぁっ、んっ……ふぅ……んあぁ……」

  何とも切なげな、しかし甘やかに響く少年の寝息だった。

  どうやら悪鬼の類ではないようだ。差し込む月明かりは、見目麗しい齢十五ほどと思しき北極狼の寝顔を照らし出していた。めくるめく淫夢に襲われているのだろう、その長い睫毛の下りた整った顔は悩ましげに眉を寄せて、半開きになったマズルから[[rb:艶 > なまめ]]かしい息遣いが漏れている。

  先日ようやく手淫を覚えたばかりの青い肉体が、邪な夢に[[rb:苛 > さいな]]まされていた。

  白狼の少年は体に走るこそばゆい感覚に目を覚ました。

  八月の寝苦しい夏の盛りにじっとり汗ばんだ体の上を何者かの手の這う感触があった。男の分厚い手だった。己の体温よりもさらに熱く感じるそのごつい男の手は、薄い肌掛けの中を足元から忍び寄るとゆっくりと[[rb:脛 > すね]]を這い登ってくる。

  「…………あぁ」

  弱々しく掠れた声が少年の喉を鳴らした。

  この暗い寝室に侵入した何者かの手が淫らな夢を見させていたのだ。

  汗ばむ脚を年齢を感じさせる硬くざらついた肉球が愛おしそうに撫でている。柔らかで繊細な被毛の手触りを楽しむかのような愛撫だった。汗を吸って数本の束となった毛を弄ぶように指先で[[rb:捩 > よ]]じってはばらすと、今度は毛を分け入ってしっとり湿る皮膚を[[rb:擦 > さす]]るように指が這った。

  侵入者が丹念に少年の肉付きを味わっていた。

  愛撫がさらに膝を上へと移っていく。この不気味な手が何処を目指しているのか少年はすぐさま直感した。

  「や、やだ……止めっ……っ」

  怖れに体を強張らせて喉からどうにか引き攣る声を絞り出す。

  膝頭から指の一本がつつぅ、と内股へと滑り降りた刹那、白い体が小さく弾んだ。

  「あぅっ」

  形のいいマズルが甘い吐息を放つ。

  敏感な内股を触られて痺れにも似た淡い快感が少年の華奢な体に走っていた。

  少年期を過ぎたばかりの程よく筋肉の乗った下肢を存分に堪能したいのか、手が柔らかな内股へ円を描くように撫で擦る。ゆっくりじっくりとした丁寧な愛撫に太腿の筋がくすぐったげにピクピクと痙攣を繰り返す。

  少年のまだ幼い性が燻り始めていた。

  執拗に与えられる刺激によって彼のそこが見る間に硬く屹立していく。

  やがて絹の下穿きに見事な円錐を作り出すと、その下穿きと太腿の間に出来上がった隙間の中へと男の指先は入り込んでいった。

  少年の息遣いが露骨に荒くなる。

  このままでは男の大事な急所中の急所を押さえられてしまう緊張感が呼気を乱れさせたのか、それとも無防備にも得体の知れない指の侵入を許してしまった油断がそうさせたのか。だが、たとえそうだったとしてもそんな逡巡は、

  「……あはぅっ!」

  局部へ辿り着いた指によって瞬く間に些細なものとして消し飛ぶのだった。

  ペニスに指が触れていた。

  やはりそこが目的だったのだ、予感が的中した少年の麗しい紅顔が苦悶に歪む。

  下穿きの中でペニスの充血ぶりを確かめるように指先が愛でている。鉄のごとく硬く芯を通した陰茎を爪先が小突き、そして肉球が下から上へ優しく撫で上げる。そんな軽く一撫でされただけでも、少年は腰を浮き上がらせて艶めく声に尾を引かす。

  この感度の良さ、よほど感じやすい体質なのか。

  思春期真っ只中で性的欲求も強くなり始める年齢であるから、なおさら肉体も敏感に反応するというものだろう。

  「あぁぁ……も、もうっ……」

  体を[[rb:捩 > ね]]じって魔手から逃れようとしても指はすでに少年の若茎に巻き付いていた。

  「そっ、そこは……だっ駄目っ」

  包皮にすっぽり覆われた亀頭に指が伸びていく。少年は慌てて払い除けようと手を伸ばしたが武骨なそれはびくともしない、掴んで離れない。急所は完全に掌握されてしまったのだ。

  「あうぅ……もう嫌、堪忍してっ、うぅ……」

  目に薄っすら涙を滲ませる少年をよそに指先は更なる刺激を彼へ与えていった。

  桃色の割れ目を包皮口から僅かに覗かせるだけの剥け切れていない少年の皮がゆっくり反転していく。

  「はぁうっ、あっあっ止めぇっ、止めてくださっ……ああっ!」

  強制的に剥かれて少年は堪らず哀願した。

  だが指の動きが止まる気配はない。刺激に慣れていない亀頭が徐々に外気に晒されていく。少年らしい[[rb:初 > うぶ]]な色合いを見せながら皮は後退すると、やがて未発達の雁首を露出させて完全に剥け切った。

  下穿きの生地にそこを[[rb:擦 > こす]]られる刺激に少年は目を固く閉じながら必死に耐えている。

  羞恥の極みだろう。

  男に寝込みを襲われたうえ、勃起してしまった挙句にそこを良い様に[[rb:弄 > いじ]]くられてしまっているのである。第二次性徴の盛りで逞しく成長している最中の生殖器を触られ、発達具合を確かめられ、皮被りは不衛生だと言わんばかりに露茎にされてしまったのだから。

  だが、果たして侵入者はそれだけで満足するかどうか。

  少年の視界の下で肌掛けがぬうっと大きく盛り上がった。

  あろうことか大胆にも侵入者が股の間に割って入ってきたのだ。固く閉じていた少年の両脚が抵抗も虚しく左右に開かれていく。

  やがてその大きな影は少年へ覆い被さらんばかりに視界を占領すると、

  「[[rb:雪華 > せつか]]坊ちゃんはほんのこて悪か坊ちゃんだ、オイをこげん誘惑させてどうすっ気や?」

  腹の底から響くような薩摩[[rb:訛 > なま]]りの野太い声が少年の顔に降ってきた。

  少年を雪華坊ちゃんと親しげに呼ぶ曲者の正体は何者か。恐れ多くも華族の名家、子爵の位にある[[rb:天狼院烈牙 > てんろういんれつが]]の邸宅に忍び込み、家人の就寝中に盗みを働く不届き者の類ではなかったというのか。

  「……[[rb:寅次 > とらじ]]さん、僕の[[rb:守 > も]]り役であるあなたがなんでこんなことを毎夜してくるんですか……」

  なるほど道理で頬を羞恥に染めるだけで少年の顔には恐怖の色がなかったわけだ。

  寅次と呼ばれた虎の大男は心外とばかりに太い眉を上げた。

  「好いちょっと前にも言うたじゃろう? ……仕方なか、坊ちゃんにオイは惚れてしもたんだ、坊ちゃんを想うと胸が苦しゅうなって止められんのじゃ」

  「でもだからと言ってこんな破廉恥なことは」

  「何を言うちょっ、坊ちゃんもしっかり勃起させちょっじゃらせんか。じゃっで相思相愛や!」

  月明かりを受けて青白く輝く雪華の体に照らし出された虎男のその表情は激しい劣情に歪んでいた。

  [[rb:加治木寅次 > かじきとらじ]]は雪華専属の三十過ぎの[[rb:側仕 > そばづか]]えである。

  少年の守り役として常にお側に控え、外出も寅次が随行しなければ許可は下りなかった。護衛役としては後ろに突っ立っているだけでも用心棒の役目を十分に果たすのだからこれほどの適任はいない。なんせ、筋骨隆々のむくつけき男なのだ。その右頬の黒い虎柄を斜めに断っている古い刀傷は決して飾りなんかではない。腕っ節が強く短気で気性が荒い薩摩隼人に誰が喧嘩を吹っかけるだろうか。

  そんな荒々しい男の目が暗い中爛々と少年を見下ろしている。

  獰猛な色は肉食獣のそれだが、それほど性的に獲って喰いたいのだろう。

  寅次は雪華に惚れていた。

  [[rb:天狼院雪華 > てんろういんせつか]]――海軍将校の父、烈牙の次男である雪華は骨太な父に似ず小柄で容姿は眉目秀麗を極めた。その雪のような純白の毛並みを纏った体に一たび触れようものなら体温で溶けてしまわないかと相手に[[rb:慮 > おもんぱか]]らせてしまうほど華奢で繊細だった。社交界の華として持てはやされ、容貌の美しい彼に言い寄ってくる者は女性だけに[[rb:止 > とど]]まらなかった。いつの日だったか、麗しの君と呼ばれて男に求婚されたことがあったがその時は丁重に辞退した。性格も峻厳な父の影響を受け継ぐことなく内気で大人しいのは、おそらく容姿ともども[[rb:夭逝 > ようせい]]した母の血が色濃いのかもしれない。

  身分不相応の恋であったが寅次はそんな雪華をどうにかして己へ靡かせたかった。

  庇護欲をそそって止まない美少年と恋仲になりたい気持ちは紛れもない本物だ。だが、恋慕に想いを寄せながらもその実、雪華に取り入ることでゆくゆくは当主の覚えがめでたくなることを彼は望んでいた。天狼院家に仕える[[rb:侍従 > じじゅう]]は寅次を含めて五人いる。晴れて侍従長となれれば、烈牙の身の回りの世話をできる将校専属の従卒、つまり将校当番兵となれるのだった。

  寅次の発情に燃える瞳の奥にそんな我欲が秘められているとは誰も気付くまい。

  好きな雪華を物にすべく、そして願望を叶えるべく、寅次は夜這いを仕掛けたのだ。

  「坊ちゃん……オイはもう辛抱できん。坊ちゃんもそうじゃろう? こげん硬うして……待っちょって今気持ちようさせてやっで」

  大きな体が再び股の間に沈んだ。

  「あっ! やだっ止めてっ!」

  下穿きが脱がされて雪華は咄嗟に声を上げたがもう遅かった。

  ペニスを生温かな感触が包んでいた。

  「あっあっあっ、嫌っ寅次さん止めてっ、やだよ僕っあああっ」

  ねっとりと絡み付く舌に堪らず雪華は悶えた。

  柔らかな陰毛の繁みに寅次のマズルが潜っている。ペニスが丸呑みに咥えられていた。

  唾液をたっぷり含んだ口の中で少年の性器を弄ぶ肉厚の舌。腹を空かせた飢える獣がごとく若い肉棒にむしゃぶりついている。しゃぶればしゃぶるほど先端からぷくっと先走りが滲み出てくるのだ、その舌を唸らせる少年の放つ妙味に寅次の喉が鳴る。

  「グルルゥ……んっむ、んんっ坊ちゃん、坊ちゃん!」

  「はあっはっ、ううぅっもう離してっお願い寅次さんっ、んうっうっ」

  訴えながらもこの願いは聞き届けられまいと雪華は感じていた。

  寅次が少年の寝所に忍び込んでくるのは今夜が初めてではなかった。最初は軽く添い寝だけだったのだが、やがて雪華が精通を迎えて肉体に生殖能力が備わってくると肌と肌の触れ合いはより激しさを増していった。もちろん懸命に抗うのだが、力の弱い少年が跳ね返せるわけもなく、内気な性分も手伝って今日まで誰にも言えずに夜な夜な淫らな関係が続いているのであった。

  雪華のそれを何度も搾り取ってきた[[rb:口吻 > こうふん]]が今夜もまた味わわんと快感を与えている。

  飴玉を舐めるように小さな陰嚢を転がし、陰茎を舌で包んだまま上下に扱き、続いて刺激に慣れていない亀頭に吸い付いたかと思えばそのまま亀頭溝にこびり付いていた恥垢を舐め取っていくのだ。

  「あはぁっはっあっくっ、そこやだっ、寅次さんっ寅次さんっ!」

  少年は頭を左右に振りながら腰の奥から込み上げてくる熱い塊に必死に抗った。

  何とか寅次の頭を退かそうとしても指は虚しく滑って髪の毛を[[rb:徒 > いたずら]]に掻き分けるだけだった。

  下腹部からくちゅくちゅと美味そうにしゃぶっている音が聞こえてくる。何と下品で浅ましくて、なのに欲望を掻き立てる淫らな音色であろうか。男の生殖器を同じ男が咥えている、しかも主従の関係にある者が。そんな男同士の口淫は禁忌を犯している感じがあった。親の[[rb:与 > あずか]]り知らないところで側仕えの寅次といけないことをしているという実感が少年の気持ちを急速に昂ぶらせていく。

  雪華の涙の滲んだ露草色の瞳が大きく見開かれた瞬間、

  「ああっ寅次さんっ離しっ、あっ嫌だ、あ、ああ、もう僕っ……あっはあああーっ!!」

  華奢な体が絶頂に打ち震えた。

  寅次の口の中へ勢いよく精液が放たれる。

  執拗な舌技によってなす[[rb:術 > すべ]]もなく少年の劣情がただただ放出させられていく。初々しい亀頭を真っ赤に腫らせながら水気の多い白濁をどくどくと体外へ送り出す。鈴口を覆う厚い舌を押し[[rb:退 > の]]けんばかりに噴出する若さ漲る迸りに、寅次が満足げに目を細めて喉仏を上下させていた。

  浮き上がっていた少年の腰がゆっくりと沈んでいった頃、

  「雪華坊ちゃん……明日ん夜もまた来っで」

  そう言い残して大きな影は寝室から立ち去っていった。

  再び静けさが戻る中、雪華の荒い息遣いだけが暗い部屋に染みている。

  古来から日本の青い花の代表とされてきた露草の花色にも似た、落ち着いた青色の美しい瞳は不安と後悔、そして快感にしっとりと潤んでいた。寅次の口戯は、雪華のうら若い肉体を翻弄し、得も言われない快楽を植え付けていったのだ。

  男から与えられた嵐のような性的快感に少年は心ここに有らずといった風に天井を見つめていた。

  「また明日の晩も……」

  暑さと虚脱感にぼうっと意識の判然としない中で雪華の口が呟いた。

  それは果たして禁断の快感を覚えてしまった肉体が呟かせたのか。遠くから聞こえてくる夜鳴きの蝉の声を薄ぼんやりと聞き流しながら少年は寅次の逞しい体を脳裏に思い浮かべるのであった。

  横浜の外国商社が立ち並ぶ、数年前に廃された山下居留地にほど近い小高い丘の上に天狼院家の館はあった。屋根に瓦を敷いた擬洋風の白亜の館は、和洋折衷の織り成す華麗な様式美を盛夏のぎらついた陽光に晒していた。

  「行ってらっしゃいませ、父様」

  その強い陽射しの下、玄関前で紺の洋装に身を包んだ雪華が[[rb:恭 > うやうや]]しく頭を下げて言った。

  従卒の熊男から革鞄を受け取っていた軍服姿の北極狼が、つと彼に視線を投げる。

  「雪華、何事にも[[rb:弛 > たゆ]]まぬよう努力しておるか」

  男は相貌をにこりとも崩さずに言った。

  「はい父様」

  その殊勝な返答に満足したのか、恰幅のいい男は[[rb:鷹揚 > おうよう]]に頷くと玄関に横付けしていた一台の蒸気自動車へ乗り込んでいった。

  この男こそが当主の天狼院烈牙であり、そして雪華の父であった。

  まったく、これほど近寄り難い軍人はほかにおるまい。

  海軍将校の夏用の第二種軍装は詰襟型の夏衣、夏袴、軍帽、[[rb:半靴 > はんか]]に至るまでが白く、北極狼の毛色も相まってその姿は神々しくありまた底知れない威厳を放っていた。長袖だというのに顔に汗ひとつ浮かせていないのは驚愕に値するが、その冴え冴えと光る彼の眼光に射竦められたら逆にその人の方が冷や汗を流すに違いなかった。

  雪華の瞳に映る父の姿は畏敬を覚えるに十分だったろう。

  [[rb:錨 > いかり]]に桜花をあしらった海軍のマークが胸の五つの金[[rb:釦 > ぼたん]]に輝いている。階級章である肩章が将校の身分をまざまざと誇示している。その軍装と肩章の金モールが示す地位の高さは先の日清・日露戦争で活躍して彼が築き上げた軍功の賜物だ。

  だが、雪華の瞳に畏敬の念は揺らめいていなかった。

  少年は父の本質を知っていた。

  烈牙という一軍人を形作っているのは並々ならない出世欲だ。出世のためなら手荒な手段に出ることも辞さない性分だった。そのため軍閥にも敵が多かった。軍事力を背景に争う複数の派閥の中でとりわけ武闘派の烈牙がやがて子爵の爵位を[[rb:叙爵 > じょしゃく]]されるまでになるにはいったいどれほどの政敵が闇に葬り去られてきたであろうか。

  出世するためなら実の息子でも平気で駒に使うような男だ。

  見世物のように社交界で顔を売られ、掌中の玉として擦り傷ひとつ刻ませまいと外出時には常に寅次を付き従わせる日々に、己は政略結婚の道具として育てられているのだという自覚が雪華にはあった。

  父に息子への愛はない。

  雪華は先ほど父からかけられた、『何事にも弛まぬよう努力しておるか』その一言の意味を苦々しく思っていた。言外にあの人への侮蔑が込められていることを知っていたからだ。

  毎朝玄関先で父を総出で送り出す決まりなのだが、その中で欠けて随分と久しい顔がふと脳裏に湧いた。

  それは雪華が慕う最愛の兄の顔だった。

  兄は父の逆鱗に触れて勘当寸前にまで陥っていた。挙句に家督継承権を剥奪されてしまって今は雪華が次期当主であった。顔も見たくないと父に疎まれて敷地の隅っこにある[[rb:荒 > あば]]ら家でひっそり過ごしている兄の姿が思い浮かんで少年は悲しげに[[rb:柳眉 > りゅうび]]を下げた。

  「父様、なぜ兄様にそこまで[[rb:惨 > むご]]い仕打ちを……」

  誰に言うでもなく口ごもる。

  父の言外に込められた侮蔑、『何事にも弛まぬよう努力しておるか――あの愚かな兄のようになるでないぞ』情の欠片もない冷厳な眼差しできっとそう言い足すに違いなかった。

  長兄は父に見捨てられたのだ。

  伸びる石畳の上を外門の方へ小さくなっていく自動車を、恨めしげに雪華は見つめた。兄を虐げ続ける父のわだかまりがいつの日か氷解することを切に願った。そして昔のように親子三人で仲睦まじく過ごせていた日々が戻ってきたらと、彼は小さな胸を痛めるのであった。

  

  半日授業から帰るとちょうど昼食になる頃だった。

  学校まで送り迎えしてくれている寅次とともに玄関に入ると、彼は湿った黒鼻をスンと鳴らして言った。

  「では坊ちゃんが帰られたことを厨房の給仕に伝えてくっで」

  汗だくのシャツに見事な虎柄を浮かせた大きな背中を見送ると、雪華は自室に向かった。

  勉強道具を机の傍らに置くと寝台に腰を下ろした。正午を過ぎて炎天下に焼ける帰り道から解放されてホッと一息つく。見れば、半開きになっている格子窓から吹き込む微風に靡くレースカーテンが僅かばかりの涼を与えてくれていた。

  雪華はあまり勉強が好きではなかった。

  別段成績が悪いというわけではなかったが楽しくないのだ。それよりも[[rb:詩歌 > しいか]]や絵画に興味があった。白紙の上に己の描いた世界観が徐々に出来上がっていく工程がどうにも胸が躍るのである。

  「……はぁ」

  息につい嘆息が混じる。

  父は東京帝國大学に進めさせたいようだった。末は博士か大臣かと評される博士号を取得できるのは帝大に限られているからだろう。ゆくゆくは息子を大臣にして政界にまで影響力を及ぼそうと画策しているのかどうかは分からない。ただ、軍人になれと言われないのは雪華にとって救いだった。父のような……軍人にはなりたくなかった。そもそもこんな華奢な体格では軍務は務まらないと父はとっくに諦めていたのかもしれない。

  雪華は横の壁に掛けてある姿見を見た。

  暑いのに学生服の詰襟のホックをしっかり閉めている真面目な優等生が映っている。

  周りにいる学友たちと比べてもつくづく中性的だと自身でも思う。線の細さも、[[rb:細面 > ほそおもて]]も、おそらく母に似たのだろう。内向的な性格も、母との記憶を辿るといつも優しげに微笑んでいる彼女の性格は自身と似ているような気がした。

  そんなあの世の母と、そして父と兄とも明らかに違う身体的特徴がひとつだけあった。

  鏡の中の露草色の瞳と目が合った。

  雪華だけ瞳の色が一人違っていた。

  家族の皆が薄墨色の瞳をしているというのになぜか青の瞳をもって産まれた。

  鹿鳴館での舞踏会に招かれたときには誰も彼もがこの目を美しいと言ってくれた。純白な毛並みの中で、その瞳はまるで雪原に凍らずにいる湖面のごとく透明な青だと評されたり、貴石の[[rb:蒼玉 > サファイア]]を[[rb:嵌 > は]]めたかのようで君に吸い込まれてしまうと言い寄られたりもした。

  露草色の瞳が下りた長い睫毛にふと[[rb:翳 > かげ]]る。

  憂いを帯びた少年の表情はそれが決して好ましいものではないことを物語っていた。

  雪華は自身が恐ろしかった。

  同性の男ですらも惑わせてしまうことが恐くて仕方がなかった。初対面の男でも挨拶を交わしている最中だというのに露骨に目の色を変えていく様を何度も見てきた。澄んだ色の瞳が見る間に濁っていくのだ。なぜ[[rb:清澄 > せいちょう]]さが失われていくのか随分と分からなかったけれども、[[rb:邪 > よこしま]]な欲が濁らせているのだと自身が性に目覚めてからようやく気付かされた。

  体が目当てなのだ。

  [[rb:清廉 > せいれん]]そうな紳士淑女も、そして……兄の場合は。

  ふと兄の顔が脳裏を過ぎって慌てて頭を振った。

  あれは何かの間違いだ、きっと魔が差したに違いないのだ。そう思うようにしても沸々と湧いてくる疑念がどうしても拭えない。

  雪華が精通を迎えたのは兄の手によるものだという事実。

  勃起という生理現象に悩んでいた少年は兄にその解消法を求めたのがきっかけだった。打ち明けた途端、兄の声色が僅かに変化した。そして上擦ったような声で兄はこう言ったのだ、俺がいい方法を教えてやると。

  兄の瞳から光が消えていた。その変化を少年はよく見知っていた。

  恐ろしいほどの形相で少年の半ズボンからペニスを取り出すと嫌がるのを無視して上下に扱き始めた。初めて他人から与えられる刺激にそこはすぐさま反応した。泣きべそを掻いても結局手は止まることなく、やがて迸った精液に少年のペニスはついに男の性の悦びを知ったのである、兄の手によって。

  あの出来事は何だったのか。たまたま兄の虫の居所が悪かったのか。

  しかし、初めての射精に呆然とする中で少年はしっかり見たのだ。扱いた指に付着していた何か白く粘った液体が兄の口元に運ばれていくのを。

  いや、激しい虚脱感に襲われて白日夢を見ていたのかもしれない。

  それよりも身近な男で言えば最も危ういのは寅次だ。

  連夜に渡って夜這いを仕掛けてくるあの男も獣欲を剥き出しにして少年を激しく求めていた。体のあちこちに接吻の雨を降らせ、唾液[[rb:塗 > まみ]]れにされた。そして三十男の濃い体臭に包まれながら強制的に絶頂させられるのである。

  「寅次さん……」

  昨晩の甘美な快感を思い出して雪華の手が股に落ちていく。

  体が期待に血流をそちらへ傾け始めた頃、

  「雪華坊ちゃん、お食事ん用意ができちょっ」

  ノック音と同時ににっこりと微笑む寅次が顔を覗かせた。

  「う、うんっ今行くよっ」

  雪華は慌てて立ち上がると、急いで洋服に着替えてから扉の前で待っていた寅次の後に続いた。

  汗塗れだったシャツ姿から、水兵服に着替えていた虎男の太い尾が目の前で楽しげに揺れている。それを何気なく見ながら雪華は思うのだ。こうも忠実に尽くしてくれる男なのに、夜になれば豹変したように夜這いしてくるのが信じられなかった。やはり己が彼の正気を狂わせてしまっているのだろうか、考えれば考えるほど[[rb:暗澹 > あんたん]]と気持ちは沈んでいくのであった。

  食堂に入ると何とも食欲のそそるいい匂いが鼻をくすぐった。

  「そいでは坊ちゃん、オイはここで失礼すっ」

  「ありがとう寅次さん」

  ぺこりと頭を下げて踵を返す男に雪華は短く礼を言った。

  側仕えや使用人は家人と食事をともにしない。寅次の分は別室に用意されていた。

  十二脚の椅子を揃えた長い食卓のほぼ真ん中に雪華一人分の食事だけが用意されているのは寂しいものだったが、本人はとうに慣れていた。多忙な父と食事を共にできるのは朝だけだ。その父との朝食が楽しいかと問われれば少年は首を捻るだろう。弾む話のひとつでもあれば花も咲かせられるが、厳格な彼の口から出るのは小難しい話ばかりなのだから仕方ない。

  献立はポークカツレツの温野菜添えに御飯、マセドアンサラダ、七種の野菜の冷製スープだ。

  給仕が銀皿に乗ったカツレツに熱々のデミグラスソースをかけていく。

  たちまちカツの衣からじゅわっと音が上がって堪らず少年の腹がぐぅと鳴る。

  こればかりは父が軍人であることに感謝しなければならなかった。陸海軍が西欧の列強に範を取ったために、いち早く西洋式の料理を野戦糧食に取り入れていたせいもあって軍に肉食が浸透していたのだ。これまで日本人は獣の肉を忌避してきたが、明治政府が国民の体格・体力向上のために肉食を奨励しているために近年ではそう珍しいものでもなくなっていた。

  雪華は豚肉を使った料理が大好きだった。

  そして、ポークカツレツは兄の大好物でもあった。

  フォークに一切れ取って口に含むと、柔らかな肉の食感と香ばしい衣に染みた濃厚なソースの味が口いっぱいに広がった。

  「兄様……」

  こんなにも美味しいのに少年の胸を切ない思いが締め付ける。

  ポークカツレツは軍人だった兄にとってはおそらく思い出深い料理なのだ。

  帝国陸軍の下士官だった兄。陸軍では軍隊食にカツレツが取り入れられていると聞いた。明治四十三年に出された陸軍公式レシピ集『軍隊料理法』にも掲載されているほどカツレツは人気のメニューだと言うから兄もきっと[[rb:舌鼓 > したつづみ]]を打っていたに違いない。

  食べかけのカツを刺したままフォークが銀皿にカチンと小さな音を鳴らした。

  「……すみません。カツレツ、まだ余分にありますか?」

  己は何様だろう。

  尊敬している兄が一日一食の粗末な食事で暮らしているのを承知しているのに。それなのに、出てくる温かい食事をさも当然のように享受している己の厚かましさに目頭に熱いものが込み上げる。

  ほどなくして給仕が銀皿に乗ったそれを持ってくると少年は食事もそのままに席を立った。

  兄の[[rb:天狼院惣太郎 > てんろういんそうたろう]]は雪華より年は八つ離れていた。

  元は優秀な帝国軍人で下士官の最上位、曹長まで昇進したところで不運に見舞われた。敵の様子を探るために斥候の部隊長として任務遂行中に伏兵の襲撃を受けたのである。それをきっかけに余勢を駆って攻め寄せてきた敵になす術なく友軍は総崩れ、惨敗を喫することになった。

  悔やまれるのは直接の原因を作ったのが[[rb:惣太郎 > そうたろう]]でない点だ。

  一兵卒が[[rb:草叢 > くさむら]]に潜んでいた猪を敵兵と勘違いして銃を撃ってしまい伏兵に気付かれてしまったのだから。だが、無論その責は隊長である惣太郎が取らざるを得ない。

  彼の手痛い失敗を最も咎めたのが父の烈牙であった。

  意図的でないとはいえ信用していた息子に煮え湯を飲まされたのだ、烈火のごとく怒り狂った烈牙は惣太郎から家督の相続権を奪った。そして館から追い出すと、情けで馬屋や納屋が集まる敷地の隅に住むことを許したのだった。長子継承が当たり前の世の中で、次子が家を継ぐことは惣太郎にとって屈辱極まるに違いない。

  家を離れることも許されないまま無為に日々を過ごすしかない惣太郎。

  生かさず殺さず、家族の目の届くところに彼を留め置き続けること自体がこの上ない罰とも言えた。烈牙の中にいったいどれほどの[[rb:怨嗟 > えんさ]]が渦巻いているというのか。

  兄が住む荒ら家はきつい夏の陽光に随分と白けて見えた。

  「惣太郎兄様っ!」

  建て付けの悪い木戸を引いて開口一番、雪華は大好きな兄の名を呼んだ。

  だが六畳ほどの部屋に兄の姿はなかった。

  留守か。庭か外にある[[rb:厠 > かわや]]にでも行っているのかもしれない。

  必要最低限の家具以外には何もない寂しい部屋だった。薄っぺらい板壁や板床で造られた粗末な棲家の中は真夏の熱気がわだかまったままで少年の[[rb:鼻梁 > びりょう]]がたちまち汗を噴く。冬になれば寒さが板の隙間から忍び入ってさぞ寒いだろう。

  雪華は目の前にある小さな[[rb:卓袱 > ちゃぶ]]台にポークカツレツの乗った銀皿を置いた。

  少し待たせてもらおうとその脇に腰を下ろす。

  食事に兄の好きそうな料理が出ると雪華は少し分けてもらって、たびたびこうして兄のところへ持ってきていた。

  鼻を鳴らすと少し[[rb:饐 > す]]えたような汗の匂いがした。兄の匂いだ。この匂いが不思議と雪華は好きだった。幼い頃はそれこそじゃれあいながらよく遊んだものだった。兄の匂いを嗅いでいると懐かしい思い出が次々に脳裏に甦っていく。

  「兄様はいつでもどこでも僕と一緒にいるときは微笑んでおられましたね……」

  懐古に浮かぶ兄はいつも笑みを浮かべていた。

  そう、笑みを絶やしたことのない優しい兄[[rb:だった > ・・・]]。

  雪華が十歳を迎えた日の出来事は今でも昨日のことのように覚えている。

  当時、東京府の市ヶ谷台にある陸軍士官学校に兄は通っていた。将校を養成する教育機関で実技と座学を学び、そして将来は立派な帝国軍人となってお国へ滅私奉公しようと額に汗する兄のことを雪華は誇らしかった。僕の兄様は凄いんだぞと自慢げに友達に[[rb:吹聴 > ふいちょう]]して回ったほどだったからよほど好きだったのだろう。唯一不満だったのが兄とはなかなか会えないことだった。そんな陸士近くで寄宿舎生活している兄がふと家に帰ってきたのが、雪華の誕生日の日だった。

  『兄様っ、なぜここに!?』

  『さてなぜだろうな?』

  初夏の清々しい微風がそよいでくる玄関先で、いるはずのない兄とばったり出くわした。帰ってくるときはいつも事前に連絡を入れていた兄がなぜか突然帰省したのだ。雪華が問うてもにこにこと笑んでいるだけではっきりしない。

  やがて口を尖らせた雪華に兄はプッと噴き出して白い牙を覗かせるや、

  『またひとつ歳を重ねたな雪華……おめでとう。ほら溶けないうちに食え、美味いぞ』

  そう言って両手に支えるほどの大きな紙包みを手渡された。

  中を覗くと銅製の箱がひとつ。触れると何やら冷たい。不思議に思いながら蓋を開けると、大量の溶けかかった氷の中に丸い小さなブリキ缶が揺れていた。

  『……これは?』

  中身を尋ねると、兄はただ黙って頷くだけ。

  仕方なく雪華はその缶を取り出して中身を確認すると、とろりと蕩けた乳白色が目に入るのと同じく何とも言えない上質な甘い香りを鼻腔が拾った。

  『あいすくりんっ!!』

  思わず叫んでいた。

  『あいすくりんだっ、あいすくりんだーっ!』

  『あちゃあ、ちと溶けてしまったか……急いで来たんだがな』

  缶の中を覗き込んで苦笑いを浮かべている兄をよそに雪華は飛び上がって喜んだ。だいぶ昔に横浜の街まで家族皆で出かけた折りに、馬車通りにある氷水屋で初めて食べたこの味が忘れられないといつの日だったか漏らしたことを兄は覚えてくれていたのだ。

  確か小さな[[rb:硝子 > ガラス]]の器に一盛りで目が飛び出るような値段だったはずだ。

  そのうえ横浜はここから近いとは言っても五月終わりのこの夏めく気温だ、いくら氷で周りを囲ったとしても限界がある。

  『兄様……』

  胸がつかえて言葉が続かない。

  どれほど兄はお金と労力をこのために払ったのだろうか。それを思うと少年の小さな体は申し訳なさとそして胸に膨れ上がる嬉しさに打ち震えるのだった。

  『うわっ、溶けちまうっ早く食え食え。[[rb:匙 > さじ]]は食堂にあるか? ほら行くぞっ急げ急げ』

  『はい兄様っ!』

  その後、味わったあいすくりんの味は初めて食べたときよりも数段美味かったように記憶している。きっと兄の愛情がそうさせたのだろう。着ていた士官候補生たる軍服と軍帽を随分と汚れさせていたからおそらく演習帰りにでも氷水屋に立ち寄ったのだろう。店主に無理を行ってブリキ缶に詰めてもらっている兄の姿を思うとどうにも湧いてくる気恥ずかしい感情に少年はしばらくの間、頬を染めたものだった。

  過去に飛ばしていた意識が、ふと現実に引き戻された。

  背後の入り口に誰かの気配があった。

  「……雪華、また来たのか」

  兄の声だった、帰ってきたのだ。

  「兄様っ、よかったです、冷めないうちに召し上がってください」

  振り返れば、上は鯉口に手甲、下はズボンに脚絆、足袋という格好の兄が戸のところに突っ立っていた。どうやら庭仕事をしていたらしい。

  惣太郎は庭師として幾ばくかの賃金を貰っていた。

  と言っても名ばかりで、任してもらえるのは館の裏手にある人目のつかないような場所だけだった。

  「……何だこれは」

  「何って……兄様の大好物のポーク……」

  雪華は途中で口をつぐんだ。

  言い終わらないうちに惣太郎の異変に気付いたのだ。

  顔の、尾の、見える限りの体毛が火に煽られたごとく逆立っていた。表情の変化はさらに顕著だった。眉間に皺を深く刻み、目は血走り、裂けたマズルは震え、喉の奥から獰猛な唸りを放っているではないか。

  「兄、様……?」

  「また俺のことを馬鹿にしに来たのか!!」

  怒号が荒ら屋を震わせた。

  惣太郎は床を踏み抜かんかという勢いで部屋に入ってくると、そのまま雪華の横にある卓袱台を蹴っ飛ばした。

  「ふざけやがって! 誰が食うかこんなもんっ!」

  「あ……あぁ……」

  激しい音を立てて卓袱台が、銀皿が軽々と宙を舞う。カツレツの数切れが壁にぶち当たって落ち、一切れは敷きっ放しの布団まで飛び、ソースが木床にべしゃっと長い筋を作った。

  話の途切れた部屋の中、銀皿が床に回る高い音と、そして兄の荒々しい息遣いが少年の耳に痛く響く。

  「どうして……」

  胸が痛い。目頭が熱い。無残な姿になってしまった料理を映す雪華の瞳にじわりと涙が滲む。

  「どうしてだぁ!? おいふざけるのも大概にしろよ? 雪華お前、俺を見下してそんなに優越感に浸りたいのか、ああん!?」

  胸倉をぐっと掴んでそう凄む兄に、しかし雪華は懸命に首を横に振った。

  「ぐぅっ、に、兄様、ごっ、誤解です、僕はそんなことっ」

  「思ってるだろうが! 毎度毎度、てめぇが食ってるモンを見せびらかすように持ってきやがって、前にも止めろって言っただろうがっ!」

  「で、でもっ……」

  絞まる首元についに涙が一筋、少年の頬を伝い落ちていく。

  雪華はよかれと思って今まで惣太郎に食事を分け与えてやっていたのだ。一日一食のひもじい思いをしている兄に少しでも美味い物を味わってほしかった。そう、あいすくりんを唐突に渡されて自身が喜んだように、きっと兄も豪勢な食事に喜んでくれると。

  足元に転がっている温野菜の人参の何と胸の悲しくなることだろう。

  踏み潰された馬鈴薯の何と胸の苦しくなることだろう。

  今まで己のしてきた行為はただ兄の気持ちを逆撫でするだけだったのだと今更ながらに気付かされた。目と鼻の先で激高している兄の顔が止まらない涙にぶれる。例の斥候任務のときに敵の銃撃を受けて片目を失った兄。その眼帯を格好いいから僕もいつか付けてみたいなと言ってしまったこともあった。その一言はもしかすると兄の[[rb:沽券 > こけん]]を著しく傷付けたかもしれないのだ。

  「ごめんなさい兄様っ、僕、僕っ……」

  涙で声が震えてしまう、後が続かない。

  心底から兄のことを慕っている雪華にとって兄に嫌われることは何よりも辛かった。

  「女のようにめそめそ泣きやがって。どうしてこんな女々しい男が次期当主なんだ! 俺は認めねぇぞ……俺のほうが優れているんだとこの体に分からせてやるっ!」

  惣太郎の顔が引き攣った笑みを刻んだ瞬間、

  「なっ、何を兄様っ!?」

  首元にあった惣太郎の両手が洋服もろとも勢いよく左右に開く。引き裂かれる服、弾け飛ぶ釦。

  「ああっ!」

  「ほら見ろっ! こんな細っこい体のお前に当主が務まるわけがねぇっ!」

  露わになった雪華の薄い胸板にじっとりと嫉妬に狂った視線を這わせて惣太郎が言った。

  目が異様な光を帯びていた。

  尋常ではない。瞬きひとつしない瞳の奥で激しい[[rb:悋気 > りんき]]と憎悪、そして嗜虐性が燃えていた。日陰で長年に渡って父の折檻に耐え忍んできた彼にとって、日向を行く雪華はどれほど羨ましく、妬ましく、恨めしかっただろう。戦争で右目を失う大怪我を負って静養のために一時軍籍を離れていたが、癒えればまたお国のために身を[[rb:粉 > こ]]にそれこそ粉骨砕身の気持ちで復籍するつもりだったのがこの有様だ。次期当主の座を弟に奪われ、その弟から得意げに飯を施され、惣太郎の矜持は完膚なきまでに打ち砕かれてしまったのである。

  隻眼に満ちる狂気に違う色が混じっていた。

  それは紛れもない情念、愛憎の炎が惣太郎の胸の中にメラメラと燃えていた。

  弟はなんとおめでたいのか。甘やかされて育ったせいで戦場を知らない世間知らずな餓鬼に現実というものを突きつけてやりたかった。殺戮、強姦、略奪、戦争で繰り広げられる目を覆わんばかりの蛮行をその麗しい青の瞳に焼き付けてやりたかった。純真な目を曇らせたい。端整な顔をもっともっと泣き顔に崩したい。歪な欲望が惣太郎をあらぬ方向へと導いていく……それは人の道を大きく踏み外した禁忌であるというのに。

  突如、惣太郎が雪華のはだけた胸元に顔を[[rb:埋 > うず]]めた。

  「くぅっ、兄様何をなさって!?」

  胸先に鈍い痛みが走って雪華は[[rb:呻 > うめ]]いた。

  兄が乳首に吸い付いていた。

  体毛に埋もれるようにして桃色を覗かせている先端を生温かな舌が嬲っている。柔らかな乳輪ごとマズルに含みながら音を立てて吸っている。

  「嫌っ……兄様嫌ぁっ!」

  兄は気でも触れてしまったのか。予想だにしていなかった兄の行動に少年は取り乱した。懸命に引き剥がそうとしても軍隊で[[rb:培 > つちか]]われた頑健な体は揺らぎもしない。

  獰猛な唸り声と荒い鼻息が胸に響いていた。

  同じだ、寅次と。少年の脳裏に荒々しく己の体を[[rb:弄 > いじく]]る寅次の姿が思い浮かぶ。夜這いをしかけてくるときの寅次とそっくりだった。兄は発情しているのだ、性欲を剥き出しにして襲いかかってきたのだ。

  「ああ……兄様まで」

  また己は惑わせてしまった。今度は肉親である兄を、大好きな兄を。少年の頬にまた一筋の涙が染みていった。

  乳首が甘噛みに[[rb:甚振 > いたぶ]]られていた。

  初な桃色がたちまち赤味を増してぽってり膨れていく。兄の牙が与える痛痒い感覚はしかしなぜか次第に麻痺して甘やかな快感と置き換わっていった。大好きな兄が、敬愛している兄が、一心不乱に己の乳首を愛撫している。兄への愛情が少年に倒錯的な快楽を与えたか。

  それでも湧き上がってくる快感を必死に堪えながら少年は訴えた。

  「もうっ、もう止めてください兄様っ! なぜこんなご無体なことをされるのですっ」

  弟の問いに、兄は暗く淀んだ眼光を落としながら言うのだ。

  「俺はお前の兄だ、弟を可愛がるのは兄として当然の務めだろう?」

  「…………」

  「まったく、今から強姦されるというのにまだ信じて疑わない目をしてやがる。どんだけお前の頭はめでてぇんだ?」

  惣太郎の顔面が引き攣ったような喜悦を帯びる。

  「そんなに媚売って俺を[[rb:誑 > たぶら]]かしたいのか? 女みたいな体しやがって、抱き締めたら折れちまいそうなほどひょろい奴が天狼院家の当主になんざなれるわけねぇ……。分かっていねぇようだから言ってやる、お前は[[rb:雌 > メス]]だ、それを自覚しろ? 雄を惑わすような体を持っているような[[rb:不埒 > ふらち]]な奴は雌に決まっている。だから今から俺がお前に雌の在り方を徹底的に叩き込んでやる、このふしだらな体になっ!」

  そう言い捨てるや惣太郎の口が雪華の口を覆った。

  「んぶっ!? んんっ、んんんーっ!」

  無理やりに少年のマズルがこじ開けられていく。

  やがて深く交差する互いのマズル。それは息もままならないほどの凶悪な接吻。重なる黒い口唇から涎が糸を引きながら垂れていった。

  少年の声にならない呻き声は兄の口腔に飲み込まれるだけ。どんなに抗おうとしても、床に押し倒されてしまっては最早無駄な足掻きであった。両肩を押さえ込まれての力尽くの接吻に、鼓動が早鐘を打つように乱れて意識が遠のきかける。

  ようやく解放されたときには少年は呆けたように虚空を見つめていた。

  焦点の定まらない虚ろな視線に果たして兄は映っているのか。

  呆然自失にもなろうものだ。実の兄に荒々しく唇を奪われたのだからその精神的ショックは計り知れない。少年の半開きになったマズルは二人の唾液にすっかり濡れていた。

  「随分と俺の舌を受け入れてたじゃねぇか雪華?」

  「……違う、僕は」

  「何が違う? その気になれば俺の舌を噛み千切ればいいじゃねぇか。つまりそれをしねぇってことは、体が男を欲してるっつうことだ。やっぱりとんだスケこましだなお前は」

  「……何でそんな酷いことを……兄様止めて、ただ僕は」

  ――ただ兄様のことが好きなだけなのに。吐こうとしたその言葉は喉から込み上げる[[rb:嗚咽 > おえつ]]に掻き消されていった。

  「その泣き顔が俺を苛立たせるんだよっ!」

  声高に罵るや少年の半ズボンと下穿きをひん剥いた。

  「やっ、嫌ぁっ!」

  「いい声上げるじゃねぇか雪華ぁ? ハッ、相変わらず魔羅は皮被りのままか、不潔だから剥き癖をつけておけと前に言っといただろ? 手淫の仕方を教えてやったがあれからどうだ、俺がしてやったように毎晩可愛がってやってるか、この[[rb:萎 > しぼ]]んだ朝顔のような可愛い魔羅ぼこをよぉ?」

  下卑た笑みを浮かべながらそこを人差し指で弾く。

  「うぅっ、もう止めっ兄様……」

  「…………ったく、お前って奴はとことん俺を惑わせやがる」

  卑しい笑みが一転、恐ろしいほど感情を削ぎ落とした兄の表情に少年から小さな悲鳴が上がった。

  「観念しろ、雪華」

  言うや惣太郎は着ていた衣服を片っ端からその場に脱ぎ捨てた。そして六尺褌一丁になると、仰向けの少年の上に馬乗りとなって[[rb:股座 > またぐら]]を彼の顔面へと押し付ける。

  雪華の鼻先を今まで嗅いだことのないほどの強烈な臭いが襲った。

  それは煮詰めたような男の淫臭。風呂もろくに入れさせてもらっていないのだろう。黄色く薄汚れた褌が、さらに真夏の暑さと庭仕事に流した汗も相まって嗅覚が麻痺するほどの臭いを放っていた。

  「臭っせえだろ?」

  兄がにやにやと薄ら笑いを浮かべている。

  鼻に褌の最も汚れの酷い部分が擦り付けられる。饐えた汗と皮脂と小便臭さ、そして男の濃い体臭が鼻腔を、脳髄を、痺れさす。立ち眩みを覚えるほどの成熟した雄の性臭を無理やりに嗅がされて少年の意識が白く弾けた。

  ようやく性に慣れ始めた彼にとってその臭いは劇薬に等しかったか。

  鼻が曲がるほどの悪臭だったがなぜか嫌ではなかった。大好きな兄のものだからだろうか。気付けば少年のペニスは兄の恥臭にすっかり海綿体を膨らませていた。

  真下から見上げる兄の体は[[rb:巌 > いわお]]を見るようであった。

  白い毛並みはすっかり汚れていたが、[[rb:上背 > うわぜい]]のある肉体はどこもかしこも逞しく膨れ、全身に走っている戦傷がより男の武骨さを際立たせていた。胸と脇腹に大きく目立つ刀傷、太腿の肉を[[rb:抉 > えぐ]]る銃創、戦場という地獄を生き抜いてきた肉体美はことさら猛々しく、そして華奢な少年を魅了して止まないのだった。

  鼻に押し当てられた六尺褌を硬い物が突き上げていた。

  「……そのまま吸って綺麗にしろ」

  判然としない意識の少年に兄は一言命じるのだ、上官からの命令のごとく。

  有無を言わせない眼力に雪華はおずおずと舌先を伸ばす。

  先端が触れて褌が唾液を吸い色を濃くした。

  塩気の強い味がした。

  独り身の暮らしが長い惣太郎である。その六尺には日頃の汗と尿、そして先走りと夢精にぶっ放した精液が繊維の一本一本にまで染み込んでいた。その洗濯では容易に落ちない汚れを今、雪華は吸って落とさせられているのだ。

  [[rb:噎 > む]]せるほどの臭いと味だった。

  それでもどうにか[[rb:啜 > すす]]って唾液に溶けた兄の恥ずかしい汚れを喉の奥に通すと、やがて満足したのか、

  「おし、次は俺の魔羅を掃除しろ」

  褌が横にずらされると押し込められていた怒張が勢いよく飛び出した。

  「うぅっ」

  [[rb:強 > したた]]かにマズルを打たれて少年が思わず呻く。

  初めて見る兄の性器だった。すでに硬く充血していたそれは剛直という言い方がぴったり当てはまるような逸物だった。大人の男性器はここまで禍々しいものなのか、赤黒い傘を広げて堂々とそそり立つ圧倒的な威容に少年の喉が鳴る。

  鼻先に、ぐにり、と魔羅が押し当てられる。

  それは火傷するかのように熱かった。

  そして暑気に蒸らされた魔羅の臭いがツンと鼻を衝く。褌に染みていた臭いより、亀頭溝に恥垢の白くこびりついた男根の臭いは雄の性臭を凝縮したかのように濃密で、再び意識が飛びかける。

  竿を握った兄の手によって少年のマズルが不潔極まるそれを呑み込んでいく。

  「うぐっ、兄様っ、止めっ、んむむっ……」

  「そうだ良い子だ雪華、牙を立てんじゃねぇぞ」

  ぐ、ぐ、ぐぐぐ、と舌と[[rb:口蓋 > こうがい]]を押し退けて太い陰茎が口の中に侵入してくる。生臭さと、汗の塩みが口腔を満たす。その舌を[[rb:爛 > ただ]]れささんかとする灼熱に当てられて、少年の包茎もひとりでに皮が剥けていった。

  「おおっやっぱり凄ぇな……喉奥の肉が絡み付いてきやがる」

  長らく自慰で性欲を解消してきた惣太郎にとって、愚息を人肌の温もりが包むのは久しぶりなはずだ。だらしなく表情を崩す男の口元から恍惚の吐息が漏れていた。

  「おおっ、おおっ、おおっ!」

  腰を前後に動かすたびに[[rb:憚 > はばか]]ることなく太い嬌声を上げる兄。

  容赦なく出し入れされる鉄と化した魔羅に苦しげに唸る弟。

  一線を踏み越えてしまった禁断の快楽が惣太郎を酔わせていた。外道へと堕ちることも[[rb:厭 > いと]]わずに弟との口淫に耽ってしまう兄の強悪さよ。そしてそんな兄を持ってしまった弟の哀れさよ。健気に耐え忍んでいる彼は、兄から嵐のような欲望をぶつけられてきっと打ちひしがれているに違いない。しかし、まだ少年といえども狼の長いマズルは兄の怒張をすっかり丸呑みに咥え込んでしまったのだから大したものだ。

  堪能し終えたのか、やがて惣太郎は魔羅を口からずるりと引き抜くと言った。

  「どうだカツレツより美味かっただろう? 兄特製の数日風呂にも入らん濃い味付けの肉棒は」

  「はぁっはぁ……ふぅっんぐ……」

  涎の糸で繋がっている男根を恨めしげに睨む少年はただ荒い息を吐くだけだ。

  「さて、十分に湿ったことだし雪華、お前を頂くぞ」

  「……っ!?」

  この上さらに弟を辱めるというのか、惣太郎は軽薄に鼻を鳴らすと雪華の体をうつ伏せにひっくり返らせた。

  「まっ、待ってくださいっ、何をされるおつもりですか兄様っ!」

  切迫した状況を俊敏に感じ取ったか、少年の顔から血の気が引いていく。

  だが兄は顔色ひとつ変えずに淡々とこう答えるのである。

  「雄と雌が同じ屋根の下にいたら何をやるか知らねぇほど初じゃねぇだろ。これから俺とまぐわうんだ、お前の処女を頂いてやるんだから暴れるんじゃねぇぞ」

  言うや惣太郎はペッと唾に濡らした指を雪華の尻の谷間へと潜らせた。

  「ひっ!?」

  肛門を直に触られて少年は小さく悲鳴を上げた。

  兄は今何と言ったのか。混乱する頭が何度も何度も兄の言葉を反芻する。まぐわう……その行為が男女の営みであるという知識はあった。ペニスを女性器の中に突っ込むぐらいの想像の域を出ない浅い知識だったけれども、それだけでも少年が頬を赤くするには十分過ぎた。その行為は男女で子作りのために成されるはずだ。男である己がどうして同性である兄とまぐわうことが出来るのか、その知識は少年にはなかった。

  ぬめった指の感触に雪華は身悶えた。

  「惣太郎兄様っ、ひぁっ……そ、そんな汚いところを触るなんてっ、離してくだっ、ひぃっ!」

  兄に耳を優しく[[rb:食 > は]]まれて声が上擦る。

  「お前の体は嫌がってねぇみてぇだけどな? 可愛い雪華の頼みだから聞いてやりてぇんだけど肛門が俺の指に吸いついたまま離してくれねぇのさ」

  「そ、そんなこと……ない、です……」

  くすぐったい吐息とともに耳元で囁かれて少年の息遣いが再び[[rb:忙 > せわ]]しくなっていく。

  指先が固く窄まる肛門を[[rb:解 > ほぐ]]すように円を描いていた。指の腹で丹念に皺が引き伸ばされ、兄の唾液に艶を深めていく少年の排泄部。[[rb:頑 > かたく]]なに閉じていた堅門は、しかしねっとりとした愛撫によってゆっくりと緩んでいった。

  「……あうっ、止めて兄様……もうこんなことは」

  熱っぽい吐息をつく少年は思いもすまい、これから尻の穴に異物が挿入されるなど。

  頃合良しと踏んだ惣太郎が動く。

  指で何度か叩くと肛門が、くぱぁ、と[[rb:秘奥 > ひおう]]を覗かせた。すっかり緩んだ括約筋が物欲しげに開閉を繰り返している。惣太郎は身を大きく乗り出した。そのまま雪華の体の上に完全に覆い被さると、限界まで怒り狂っている魔羅を小さな双丘の谷間へと捻じ込んでいく。

  床に突っ伏していた少年の頭が飛び跳ねる。

  「ああっ! あ、あ、あ、何を兄様っ! あああーっ!!」

  無理くりに穴を広げられて少年の喉から悲痛な悲鳴が迸った。

  灼熱の肉棒が肛門をこじ開けながら体内に押し入ってくる。括約筋が何とか侵入を阻もうと必死に窄まって追い出そうとするが、硬い亀頭になす術なく皺は引き伸ばされていった。

  「やっやだっ痛いっ痛いです兄様っ、抜いてっ兄様っ惣太郎兄様っ!」

  どんなに兄を呼んでも止まる気配はなかった。

  元帝国軍人の逞しい鉄棒の前に柔く[[rb:脆 > もろ]]い肉穴はただ敗れるほかないのだ。誰にも踏み荒らされたことのない未踏の腸内を我が物顔で支配下に収めていく。そして占領したそばから腸壁のもたらす締め付けに侵略者は恍惚と熱い吐息を放つのである。

  「おお雪華……ついに雪華を物にしたぞ、これでもうお前は兄のものだ」

  愚息を根元まで沈めながら惣太郎は我が軍の圧倒的勝利に終わったと高らかに宣告する。

  「はぁぁっ兄っ、様ぁっ、後生ですからもう許してくださいっ、あっああっ!」

  少年は逃げ出そうと必死に体を捻ったが上に乗った[[rb:重石 > おもし]]はびくとも動かなかった。がっしりした恵体の兄に全体重をかけられてしまってはもうどうしようもない。

  荒い息遣いが頭上から降ってくる。

  猛獣のような息遣いに雪華は絶望した。もう後戻りは出来ないのだと悟った。もう二度と、あの仲睦まじかった昔のような二人に戻ることはないのだ。

  逞しい腰が少年の尻の上で激しく弾んでいた。

  「おっ、おっ、おおっ、おほっ凄ぇっ、女のオメコより凄ぇぞ雪華っ!」

  下品この上ない賛辞を弟へ送りながら、しとどに汗の飛沫を辺りに撒き散らせて男同士のまぐわいに夢中になる兄。

  「魔羅をしっかり咥えている尻ボボがお前が雌であることの証だっ!」

  「あっ、あっ、あっ、はぁっ、あっあっあっ」

  尻の奥深くまで抉られるたび、少年の喉が動きに合わせるように艶やかな声を吐いた。

  「おおっおおっ、腰が止まらねぇっ!!」

  太竿の激しい抜き差しにすっかり白く泡立つ結合部。兄と弟が肛交でもって禁忌の契りを結んでしまった事実がねっとりと垂れて床に淫らな染みを作っていく。それでも禁じられたまぐわいは一層熱を帯びていくのである、禁忌ゆえに燃え上がるというわけか。上から羽交い絞めに押さえ込みながら発情期の兎のごとく惣太郎は腰を打ち付ける。いったん引いた腰を手加減なしにまた直下へドスンッと打ち込みながら兄は高慢に少年へ問うのだ。

  「どうだ言えっ、兄様のほうが上だと! 兄様には敵わないとっ!」

  「あうぅっ、はっ兄様っ兄様ぁっ!」

  「言えっ! 雪華言えっ! 言わんかっ、俺のほうが全てにおいて優れているとっ!」

  雪華は朦朧とする意識の中で兄の言葉を聞いていた。

  全身に兄の煮え滾った肉欲を浴びせられて十五の少年がまともでいられるはずがない。

  それでも言葉を発することが出来たのは兄を慕うあまりか。この雪華という少年はどれほど……。

  「兄っ様……僕は兄様の足元にも、及びませんっ、はあっ、兄様こそ次期当主に相応しいと、思って、います……っ!」

  「おうっ、そうだその通りだ雪華っ! よく言った、褒美に俺の情けをくれてやる!」

  兄の渾身の一突きが少年の尻を[[rb:穿 > うが]]った刹那、

  「グォッ……オ、オッ、グッオオオーッ!!」

  狼の咆哮と同時に惣太郎が絶頂に体を反り返らせる。

  雪華の体の奥深いところで惣太郎の劣情が弾けた。魔羅が一際太さを増すや、ドビュッドビュビューッと凄まじい勢いで鈴口から精液が噴出する。それは瞬く間に雪華の鮮やかな肉色を淫らな白濁に塗りたくっていった。

  兄が弟に種付けしてしまったのである。

  どうやら近親相姦がもたらす魔性の快楽は格別に気持ちがいいらしい。子種を全て吐き出し終えたというのに惣太郎の会陰がまだ懸命に吐精しようとひくついていた。よっぽど弟を孕ませたいようだ。剛健質実な父と容姿端麗な母の間に産まれる子はきっと誰からも愛されるような若者に育つに相違ない。

  用を終えた兄の生殖器が抜けていくのを遠くに感じながら少年は悩ましい息をついた。

  雪華のペニスも夥しい量の精液を放っていた。

  [newpage]

  暗い寝室に二つの獣の影が蠢いている。

  相変わらず寝苦しい熱帯夜に汗だくになりながら熱い息を吐くその大小ふたつの人影は腰の辺りで繋がっていた。

  寝台が大きく軋んだ。

  「ううっ、坊ちゃん……なかなか上手ど」

  大きな影、寅次は愚息を強かに締め付けられて堪らず唸った。

  四つん這いになった少年の尻を背後から[[rb:雄渾 > ゆうこん]]な一物が貫いていた。

  「ああぁっ寅次さんっ、そんなに激しく突かれたら僕っもうっ」

  「辛抱すっど、オイはまだまだ味わい足らんのじゃ!」

  小さな腰をがっしりと掴みながら寅次が腰を前後させる。深く挿入するたびに少年の喉から何ともあえかな嬌声が尾を引いていく。

  寅次はその仕上がりに一人満足げに頷いた。

  少年に付け入る隙を見つけたのは数日前に夜這いを仕掛けたときだった。いつものように少年の樹液を頂こうとペニスを口に含んだのだが、どうにも様子がおかしい。喘ぎ方か露骨に変化していたのだ。今まで恥ずかしそうに声を押し殺して耐えていたのに遠慮することなく[[rb:艶 > なまめ]]かしい艶声を放つようになったのだ。

  変化はそれだけに止まらなかった。

  精を放った後もどこか物欲しげに寅次を見つめているのである。よくよく観察してみれば、時折り少年の視線が寅次の股座に移っていくではないか。そこで察した、ついに男を受け入れる覚悟が出来たのだと。夜這いをし続けてきてようやく己に振り向いたのだと歓喜した寅次であったが、まさか兄の惣太郎に男色の気を開花させられていたとは露とも思うまい。

  寅次は翌日の晩からさっそく行動に移った。

  少年の未開発の肉体を自分仕様に作り上げていくのだ。

  好いた雪華を手中にできた今、これで己の立身出世も確約されたも同然であった。

  男色の底無し沼に引きずり込んで快楽漬けにしてやろう。まだ何色にも染まっていない無垢な体を俺の色に染めてやる。俺なしでは生きていけない体にしてやる。寅次の胸中に底知れない我欲が渦巻いていた。

  少年から一際甲高い嬌声が上がった。

  「雪華坊ちゃんっ分かっと? ここが前立腺どっ! 男の泣き所どっ!」

  直腸の一部にある硬くしこった出っ張りをごつい肉茎で擦り上げながら言う。

  寅次は生唾を飲み込んだ。

  差し込む月光を浴びて、雪華の汗に濡れる細い背中は凄絶なほどの妖艶さを放って男を魅了した。快感に美しくしなうその[[rb:媚態 > びたい]]から目が離せなかった。もしかしたらこの白狼の子は雄を虜にさせる魔性の[[rb:妖狼 > ようろう]]なのではないか。だとしても寅次は[[rb:怯 > ひる]]まないだろう、どれほど精を搾り取られたとしても雪華への愛は変わらないに違いない。その愛が歪すぎるからこそまた想いも強いのだ。

  調教師としての素質が寅次を突き動かしていた。

  「坊ちゃん、オイがよかちうまで声を上げてはいけもはん」

  そう命ずると、今度はゆっくりと男根を抜き差しする。

  「んっ……んんっ、んんーっ……」

  言いつけを守って顔を布団に突っ伏しながら喘ぎ声を殺す少年。

  ねっとりと緩慢に寅次の男根が腸壁を撫でていた。[[rb:焦 > じ]]らすようなその愛撫に少年を得も言われない狂おしいほどの快感が襲う。蕩けていく……灼熱に[[rb:炙 > あぶ]]られて腰がとろとろと形を崩していく。抜くでもなく、かといって激しく突くでもない。嵌まったままの男根が絶妙な加減で甘い刺激を少年に与えていた。

  雪華のペニスから粘糸が月明かりに煌きながら滴り落ちていった。

  それを指に[[rb:掬 > すく]]って舐め取ると寅次はにんまりと[[rb:相好 > そうこう]]を崩しながら、

  「坊ちゃんは男の臭いも大好物やったね、ほんのこて困ったお方や」

  傍らに脱ぎ捨ててあった己の六尺褌を少年のマズルに押し当てた。

  「はあぅっ……寅次さんの臭いっ、男の人の臭いっ、ああっ……」

  兄とはまた違った男の臭いが鼻を衝く。

  汗っかきの寅次の褌はとても汗臭く、それに加えて三十男の熟成した男性器の放つ、もわっと蒸れた淫臭に少年は眩暈を覚えた。己の体からは決して臭い立つことのない益荒男のみが発することのできる雄々しい臭いだ。ひと嗅ぎしただけで達しそうになる。

  雪華は褌に、いや、勇ましい軍人が締める褌姿に興奮するようになっていた。兄の影響だったが、突然そういった性癖が発露するとも思えず、意識しなくてもずっと兄のことをそういう目で見ていたのかもしれない。

  寅次の生殖器が包まれていただろう汚れの酷い部分を鼻に当てながら懸命に声を抑える雪華。前立腺という新しい快感のツボを教えてくれた男のためなら女役に徹してもいいとすら思った。

  「ああっ寅次さんっ寅次さぁんっ!」

  「よっぽどオイん褌の臭いが気に入ったようじゃなぁ」

  「うん好きぃ……寅次さんの臭い、僕大好きぃ……」

  兄に強姦され、側仕えの男に尻を開発されて、雪華は己の中に被虐に悦ぶもう一人の己が存在していることを自覚したのであった。

  これからも毎晩、寅次に体を責められると思うと堪らなかった。

  皆が寝静まった深夜に調教者は音もなく寝室に忍び込んでくるのだ。そして静かに着衣を脱ぐと、その下からは舶来のハーネスを肉体に食い込ませた筋肉質な裸身が現れるのである。日中に流した汗を吸ってふんだんに雄臭さを放つ六尺褌とともにその肢体はどこまでも少年を虜にさせるのだった。

  前立腺を寅次が舌で舐めるように亀頭で優しく撫でている。

  「あぐっ……ふぅーっふぅぅーっ、うぐぐっ……」

  漏れそうになる声をどうにか寅次の褌を咥えて我慢する。

  黄ばんだ褌から染み出す濃い男の妙味に、鼻腔を嬲る暑気に醸成された虎の獣臭に、堪らず目を瞑って牙を食い縛る。そんな少年のペニスから触れてもいないのに精液が迸っていた。

  「う、う、うううっーっうーっ!」

  「おう、おおうっ坊ちゃん出したとな? オイん魔羅を締め付けちょっ!」

  愚息に猛烈な締め付けを感じて寅次は唸った。

  絶頂に襲われている細い体が小刻みに震えている。射精しているのだ。めくるめくほどの快感に襲われているはずなのに殊勝にも寅次の言いつけを守って必死に声を我慢している。健気ではないか、従順ではないか、可愛いではないか。

  寅次は満悦げに、にたりとほくそ笑むと、

  「よう我慢したね坊ちゃん、なら今夜は特別に尻奥に子種を注いじゃっでしっかりと受け止めんないけもはん。分かったと?」

  返答は少年のしきりの頷き。

  それを了解と受け取った寅次は緩慢だった腰遣いを一気に急加速させた。

  「はあぁっ寅次さっ、激しっ! あっふぅっそんなに突かれたら頭がおかしくなっちゃうっ!」

  「なればよかっ! 坊ちゃんはオイんもんじゃ! だいにも渡してたまっもんか!」

  怒涛の腰打ちに寝台が激しく軋む。

  寅次のびっしょり濡れそぼった体から飛び散る無数の汗。バチュンバチュンッと容赦なくぶつかり合う湿った肉と肉。翻弄される少年の直腸がそれでも必死に魔羅に吸いついて快楽を与えていく。抜くたびに陰茎に引っ張られて伸びる括約筋が堪らなく寅次の欲を刺激した。十五歳の若い肉体を、天狼院家の次期当主を、思うままに貪り食っている事実がついに絶頂の引き金を引く。

  寅次の尻尾が直線に突っ張った直後、

  「ぼっ坊ちゃんっもう限界じゃ! オ……オ、オ、オゴォォォォオオッ!!」

  部屋を揺るがすほどの咆哮とともに寅次は射精した。

  煮えに煮えた獣液が渦を巻きながら直腸内に満ちていく。一発で懐妊必至の濃度の極めて高い精液は直腸を満たすとさらに奥の結腸まで遡っていった。何が何でも卵子を探し出して受精したいらしい、主を孕ませるなど側仕えの分際で何と厚かましいことか。

  やがて放出し終わった寅次が男根を引き抜くと、開き切ってしまった肛門から白濁がゴポリと音を立てて漏れ出ていった。

  「はぁはぁはぁ……こんはオイと坊ちゃんだけん秘密ど、他言無用じゃ」

  荒い息をつきながら寅次が言った。

  体の奥に熱い迸りを受けて感極まりながら雪華は思った。

  こんなこと口外できるわけがない。万が一にも父の耳に入りでもしたらただでは済むまい。己の身が厳罰に処されるだけならまだいいが、下手したら家名に傷が付くかもしれない。そうしたら家族も寅次たち使用人も路頭に迷うことになり兼ねないのだ。それだけはどうしても避けたかった。

  横を見れば寅次が早くも[[rb:高鼾 > たかいびき]]をかいて眠りについていた。

  今日も夏の暑い中をつきっきりで護衛していて疲れていたのだろう。

  雪華はその悩みとは無縁のような男の寝顔にそっと口付けした。兄に続いて己を雌にしてくれた寅次がどうにも愛しくて堪らなかった。いつまでも兄と寅次の逞しい胸の中に包まれていたい。そしてこの関係がいつまでも続くことを願いながら少年もまた深い眠りに落ちていくのであった。

  翌日の昼過ぎ、広間を通りかかったとき珍しく父の姿が視界に入って雪華は足を止めた。

  「父様、今日は随分とお早いお戻りでしたね」

  「うむ、案件がひとつ片付いたのでな」

  雪華に顔を向けるでもなくそう言う父は、帰宅時の軍服姿のまま何やら一冊の冊子を真剣に読み耽っていた。

  「何をお読みになられているのですか?」

  読書が好きな少年にとって父が何を読んでいるのか興味があった。もしかしたら父との小難しいばかりの会話に花を咲かせられるかもしれない。窓辺に置かれた肘掛け椅子に座っている父が読んでいる本を身を乗り出して覗き込む。

  つと父の視線が上がった。

  「これか? これは少し前に発行された雑誌だ。ちと人づてに面白い小説が載っていると聞いてな」

  そう言って見せてくれた表紙には[[rb:蚯蚓 > ミミズ]]ののたくったような字でホトトギスと書かれてあった。

  「小説ですか、僕も大好きなのですっ」

  雪華は声を弾ませた。

  父との共通の話題が見つかったのだ。お互いの理解が深まればゆくゆくは兄への怒りを鎮めることができるかもしれない、明るい兆しに少年の顔が自然と綻んでいく。

  「そうか、お前も読んでみるか? 三十八年に書かれた夏目漱石の『我輩は猫である』という小説だ。その年は[[rb:露西亜 > ロシア]]との戦が終結した時だからな、私も出征していたからこの小説は知らなんだがいや実に軽妙で面白い」

  そう言ってフッと笑みを覗かせる父にまた雪華も白雪のような頬を染めるのだった。

  父が読み終えたら後でお借りしよう、そう思って身を引いた少年は、しかしすぐさま身を緊張に強張らせた。

  父の顔から笑みが消えていたのだ。

  それどころか微かに眉間に皺を作り、静かな怒りすら帯びた鋭い眼差しが雪華の両目を[[rb:睨 > ね]]めつけていた。どうしたというのだ、何か父の気に障るようなことでも口走ってしまったか。じっとりと背中に嫌な汗が浮く。

  うろたえる少年に烈牙が恐ろしく抑揚を削ぎ落とした声で問う。

  「……雪華、その体の[[rb:痣 > あざ]]は何だ」

  痣。

  少年はいったい何を問われているのか分からなかった。怪我を負った覚えなどないから痣などあるはずがないのだが。

  「見せてみろっ!」

  「あっ!」

  思いを巡らせていた少年の腕を烈牙はむんずと掴んで引き寄せると、

  「……これは吸われた痕だな」

  腕の体毛を掻き分けながらそう言った。

  雪華の体中の血が一瞬で凍り付く。這う父の指の向こうに地肌に薄っすらと皮下出血が出来ているのが見て取れた。途轍もない悪寒が足元から這い上がってくる。半袖半ズボンに隠れているところにも恐らく痣が出来ているはずだった。それは紛れもなく、兄と寅次に吸われた痕であった。もし臀部や陰部にも痣があることを見られてしまったら……。

  「と、父様っこれは、その……」

  咄嗟に口を開いたが、父を納得させるだけの理由が思い浮かばない。

  募る雪華の焦燥を嘲笑うかのように、烈牙が目を細めた。

  「……そうか、お前の体に染み付いているこの臭い、惣太郎と寅次のものだな。そうかそうか……惣太郎め、不肖の息子と長年捨て置いていたが存外にやるではないか。寅次も男を堕とす素質があったとはな」

  雪華は耳を疑った。

  息子が実の兄と、そして側仕えとただならない仲にあると知った上でその二人を褒めそやすとは。

  「父様……」

  「やはりお前は男をも惑わすようだな。どれほど彼奴らとまぐわったのだ? 淫らな臭いが隠し切れていないぞ?」

  愕然とした。

  父は息子が辱めを受けたというのに平然と、いや嬉しげに口角を上げてすらいた。

  「僕はそんな……父様、これは」

  兄たちとの淫行がいつか明るみに出ることを怖れていたが、最早父には隠し通せそうにもなかった。少年は[[rb:項垂 > うなだ]]れながら静かに事の顛末を打ち明けた。兄の手で精通を迎えたこと、兄に強姦されたこと、寅次から連夜夜這いされていること、自身は必死に抗ったがどうしようもなかったことを包み隠さずに吐露した。

  告白の終わった広間にしばしの静寂が落ちる。

  それを破ったのは、烈牙のクククと喉の鳴る、くぐもったような含み笑いだった。

  顔を上げた少年は果たして見た、父の強面が隠し切れない喜悦に酷く歪んでいくのを。そこには微塵も息子を憂える[[rb:憐憫 > れんびん]]の情は乗っていなかった。ただ底知れない我欲のみが顔面に滲み出ていた。

  「父、様……?」

  「どれ、大の男二人を見事誑かせてみせたその肉体、私が吟味してやろう」

  凶悪な牙を覗かせて男は[[rb:嗤 > わら]]って言った。

  言葉を吐く間は与えられなかった。マズルがぐっと掴まれると強引に押し付けられる父の唇。そのまま力に物を言わせて少年の牙列を割ると、煙草臭い息とともにぬうっと生温かな舌が入ってくる。

  「んんっ、んぶっ父、様っ……んんんっ」

  分厚い舌と流し込まれる唾液に驚きに見開かれた雪華の瞳に、やがて仄暗い淫火が灯るのを烈牙は見逃さなかった。

  雪華は天性の美貌とともに、男までも惑乱さす魔性の子であったのだ。

  烈牙の胸中に沸々と野心が膨れていく。

  今の官階よりさらに上、海軍の大将まで上り詰めるにはまだまだ目の上の[[rb:瘤 > こぶ]]は腐るほどいる。その邪魔者を蹴落として位人臣を極めるには雪華を使わない手はない。男すら惑わす雪華で篭絡させて手懐ければますます出世の道も開けるというものではないか。

  どれほどの資性があるのか味見しておいて損はない。

  烈牙は雪華の口の中を念入りに味わった。

  逃げる小さな舌を舌で追い詰めて絡め取るや長いそれを巻き付かせて愛撫する、蛇の交尾のように。するとどうだ、ねっとりとした口吸いに雪華の体から緊張が解けていくのが手に取るにように分かった。父の毒牙によって毒が全身に回ったか。

  長い接吻が終わって熱い息をつく少年に父は言う。

  「最後は随分と積極的に舌を絡めてきたではないか、雪華?」

  「……ぼ、僕がそんなことするわけ……」

  羞恥と動揺に目を伏せる彼に烈牙は酷薄な笑みを浮かべた。

  「まだ気付かぬか、お前は雄を発情させる雌なのだと自覚すべきなのだ。寅次をその色香でもって誘惑し、禁を犯させてまで近親の惣太郎にまぐわらせたのだ。その美質は誇れるものだ雪華、羞じることはない」

  黙したままの少年の胸に烈牙は手を伸ばし、

  「軍人は務まらぬだろうと気落ちしたこともあったが、前程万里の可能性を秘めている至宝であったか」

  胸の小さな突起を[[rb:抓 > つま]]み、そして捩じり潰す。

  「あぅっ」

  痛みに柳眉を崩すその仕種ですら艶かしい色香が漂っている。手駒になるべくして己の下に生を[[rb:享 > う]]けたのだと烈牙は確信した。

  「服をすべて脱げ」

  突拍子もない命令に、しかし少年は顔を真っ赤にしながらも従順に従った。

  羞恥はあったが不思議と嫌悪感はなかった。父が喜んでいることが何よりも嬉しかった。もしかしたら兄との和解まで漕ぎ着けられるかもしれない。だが……そんな切なる願いだけでは嫌悪感は決して拭えないことも少年はよく分かっていた。乳首が抓られた瞬間、甘やかな快感が体を貫いていた。

  兄と寅次によって男色の気が見事花開いていたのだ。

  瞳に灯っていた淫火が快感をきっかけにして今メラメラと燃え盛っていた。体が疼く、疼いてしまう。男の味を覚えてしまった肉体が、叩き込まれてしまった肉体が、欲してしまうのだ。男を、それも兄や寅次のように逞しい軍人の灼熱の猛りを。

  「……父、様……」

  素っ裸になった雪華の口は乞う。父にこの[[rb:火照 > ほて]]った体の熱をどうか冷ましてほしいと。

  開け放たれた窓からそよいでくる風に雪華の神々しいまでの白い被毛がふわりと躍っていた。少年自体が淡い光を放っているようだった。その庇護欲を掻き立てる細い体やくびれた腰を愛でたいという男はこれからごまんと現れるだろう。美しい湖のように澄んだ青い瞳に自身の姿を映したいと言い寄ってくるだろう。彼らのいやらしい指先がこの疼いて止まない体に這わされるのを想像すると、雪華はどうにも堪らなくなるのだった。

  そして今、父の指先が快感を与えんと伸びてくる。

  いったいどんな世界を覗かせてくれるのだろうか。きっと兄とも寅次とも違った恍惚感を味わわせてくれるに違いない、雪華は生唾を飲み込んだ。

  だが、父の手は広間に響いた声にぴたりと止まった。

  「ほう……昼間から刺激的な遊びに興じているな、烈牙」

  よく通る声に雪華が振り向けば、誰とも知らない一人の軍服姿の北極狼が扉口に立っていた。

  確かに面識はないが一目でただの一軍人でないことが分かった。

  雪華と同じく、目を引く雪のような純白の毛並みが気品すら漂わせている。上背二[[rb:米 > メートル]]を越す長身を包んでいる、いくつもの[[rb:徽章 > きしょう]]を輝かせる儀礼用軍装の袖章が彼の身分を表していた。その金色の太線二条、中線三条が意味するところは海軍省の長、海軍大将であった。

  「これは……[[rb:狼銃 > ろうじゅう]]様、お久しゅうございます」

  烈牙が恭しく頭を下げる。

  「ノッカーを鳴らしたのだが反応がなかったのでな、勝手に邪魔させてもらった」

  狼銃、その名はもちろん雪華もよく知っていた。

  やはり海軍大将その人なのだ。今は明治天皇から親任されて海軍大臣でもあった。名を[[rb:朝比奈狼銃 > あさひなろうじゅう]]。長らく海軍省の頂点に君臨し、若かりし頃は無敵の狼銃の異名を隣国まで轟かせたと彼の経歴で見たことがあった。明治十八年の終わりに廃された最高位、海軍卿の時代から現在まで海軍の頂に座する男に、少年は畏敬の念を覚えたものだった。

  「父様、なぜ海軍大将様が我が家に……?」

  至極もっともな質問の回答は、朝比奈の口から得られた。

  「父……そうか、お前が烈牙に二人いる息子の一人か。ふむ、父に似ておらんな……まあいい」

  朝比奈は烈牙に顔を向けると話を続けた。

  「何、お前が長子に対して長らく不遇を[[rb:託 > かこ]]っていると耳にしてな。そろそろ[[rb:溜飲 > りゅういん]]を下げてもいいのではないか」

  「狼銃様がそう仰るのであれば」

  「うむ、長子も[[rb:無聊 > ぶりょう]]な日々を強いられて反省していよう。まだ若いのだ、その芽を摘むのは惜しい。今日は横須賀鎮守府に用があったのだが、長子の件を思い出して足を伸ばしたというわけだ」

  「我が[[rb:豚児 > とんじ]]のために御足労いただきましてありがとうございます」

  朝比奈はカツカツと軍靴を鳴らして窓辺に寄ると、[[rb:向日葵 > ヒマワリ]]の咲く中庭を見やりながら、

  「少年、私と烈牙が遠戚にあるとは知らなかったようだな」

  「……はい」

  「何、それも無理からぬことだ。この館を前に訪れたのは二十年以上は前か。遠い血縁[[rb:故 > ゆえ]]に烈牙の顔を見るのも久方ぶりだ……老けたな烈牙?」

  烈牙は黙って頷いた。

  彼の胸中は穏やかではなかった。二十年も時が経てば人も老いるというものだ。老けた容貌について指摘されたことは何とも思っていない。だが、朝比奈も同じく歳を重ねているというのにその姿は二十年前と少しも変わっていなかった。優に七十は過ぎているだろうに、凄絶な眼光を宿した顔は覇気に満ち、筋肉質な肉体は衰えを知らないかのように彼の軍服を分厚く膨らませていた。

  その思わず視線を外したくなるような顔がふと振り返った。

  「……で、なぜ少年は裸身を晒しておるのか」

  そう彼に[[rb:訊 > き]]かれたら正直に答えるほかない。

  烈牙は雪華が男すら惑わしてしまうのだと告げた。兄と側仕えの男が実際、夢中になって情交に耽っていることも。それで己は今、それが事実であるかどうか検分している最中なのだと。

  「ほう、それは興味深いな」

  朝比奈の[[rb:鬱金 > うこん]]色の瞳が鋭く輝くのを烈牙は見逃さなかった。

  「宜しければ狼銃様もご一緒にいかがでしょう?」

  己の野望が一歩近づきそうだ。海軍大臣に取り入れば今よりも行動しやすくなる。全ての邪魔者を蹴落とし終えたら、その時は残る大将首すら刈り取る気でいた。

  「フッ……罪深い親子だ。少年を愛でるのは久しいが、どれ……」

  そう言うと朝比奈は少年まで歩み寄るや、その柔らかな唇を奪った。

  「はぁっ、んんっ……」

  父との接吻の熱がまた冷めやらない雪華の体が再び熱を帯びていく。

  情熱的な朝比奈の舌が唾液の海の中を弄っている。雪華の舌を弄び、牙を舐め、執拗な口付けはやがて少年の性器を鋭角に持ち上げていった。

  体が欲している。

  逞しい軍人の熱を知りたいと肌が訴えている。

  本能を剥き出しにした兄に襲われ、前立腺を寅次に開発させられ、また新たに二人の男がこの体を嬲ろうとしている。なぜこうも皆、求めてくるのか雪華には分からなかった。ただ自身も激しく男を欲している事実だけが少年を前へと突き動かしていた。

  朝比奈の厚い手が強張りを撫でていた。

  「少年が堂々と裸を晒しているというのに、その気概、我等も見習わなければならんな」

  朝比奈は軽く鼻で笑うと身に付けていた軍装を手袋に至るまで脱いでいった。烈牙もそれに[[rb:倣 > なら]]う。

  雪華は息を呑んだ。

  目の前に現れた彼らの、褌一丁となった見事な肉体から目が離せなかった。

  海軍将校たる父の体は鍛錬によく引き締まり筋肉の陰影を深くしていた。それに輪をかけて隆々と筋肉の瘤を作る体躯を誇っているのが朝比奈だった。戦列から離れて久しいというのに雄々しい肉体は現役当時の彼を見るかのようだ。

  帝国軍人の鍛え上げられた肉体美をさらに褌が際立たせている。二人ともとても似合っていた。

  雪華は膝を折ると、吸い寄せられるようにして父のその魅惑の白に頬を寄せた。

  「あぁ……」

  感嘆の吐息が思わず漏れる。

  これが父様の秘された男の臭いなのか。熟れた男の醸す臭いは格別に雪華を酔わせた。まだ勃起していないというのに前袋が大きく膨れている。この[[rb:剛毅 > ごうき]]な男根のお陰で己はこの世に誕生することが出来たのだ。

  視界の隅でもうひとつの魅惑の白が妖しく少年を誘っていた。

  「はぁぁっ……狼銃様ぁ」

  同じようにそれにも顔を埋める。

  逞しい膨らみだ。頬の肉を焦がすほどの熱量でもって、中に収まっている猛々しい生殖器の存在を己へ知らしめてくる。鼻をスンと鳴らせば高年男の練られた淫臭が鼻腔をくすぐった。

  「好きか、男の臭いが?」

  「はい、狼銃様……」

  雪華はうっとりとした表情で朝比奈を見上げた。

  凄絶な眼光が淫虐の色を帯びてこちらの顔を突き刺していた。何と言う目をされるお方なのか、朝比奈の美しい黄金色の瞳の奥に[[rb:茫洋 > ぼうよう]]と広がる闇を雪華は見た。その深い闇の中に得体の知れない何かが、蠢いていた。それを感じ取った刹那、雪華は腰の奥が痺れるのを感じた。それは絶頂だった。朝比奈の奥に隠れている不穏な気配に、雪華は一瞬で射精させられていた。

  朝比奈が少年のそれを指に拭い取ると鼻先に持っていく。

  「……なかなかに[[rb:馥郁 > ふくいく]]と香る」

  そして、そのまま躊躇うことなく口に含むや、

  「上々」

  短くそう言い放った男の双眸が爛々と異様な光を帯びていたことに果たして二人は気付いたかどうか。

  「雪華がお気に召しましたか。狼銃様さえ宜しければお膝元で奉公に使ってくださいませ」

  「……いいのか烈牙?」

  「はい、狼銃様が先ほど仰られました通りにして、私には豚児が戻って参りますので」

  「食わせ者が。姦計に実の息子を用いるか……まあいい乗ってやろう」

  朝比奈のマズルが不気味な笑顔に深く割れた。

  この[[rb:老獪 > ろうかい]]な北極狼に小細工を弄するなど愚かにも程があった。彼が長年どうやって軍部の長であり続けることができたのか。『軍人は政治に関与してはならない』という伝統がある海軍内では唯一政治に関わることが許された役職、海軍大臣である彼が、権謀術数に長けていないはずがない。

  朝比奈は言う、妙に耳障りのいい声で。

  「親子揃って恐ろしい天狼院の血よ。天狼……[[rb:天狼星 > シリウス]]の天狼か、支那では古くから[[rb:侵掠 > しんりゃく]]や[[rb:貪残 > たんざん]]を司る不吉な星とされているな。[[rb:希臘 > ギリシャ]]語では焼き焦がすもの、光り輝くもの、を意味するセイリオスに由来すると聞く。主星シリウスを頂く大犬座……山犬、狼、お前たちはそんな星の下に産まれてきたのやも知れぬな」

  その言が本当なら、その『光り輝くもの』というのは雪華を指すのだろうか。

  海軍大臣は話を続ける。

  「勲功で得た華族の地位はあまり好ましくないぞ? 旧大名・旧公家ら華族にとっては疎ましいことこの上ない。成り上がりの勲功華族が己の爵位をお手盛りで[[rb:陞爵 > しょうしゃく]]しとるのだからな。子爵のままで満足することだ、烈牙」

  烈牙は神妙な面持ちで耳を傾けていた。

  この忠告は朝比奈なりの配慮だったのかもしれない。

  出る杭は打たれる――それを誰よりも知っている朝比奈は、近頃の目に余る烈牙の手荒な手段を諭したのだ。このままでは天狼院家の存続に関わる大問題に発展すると。

  「ふふ、つい饒舌になってしまった。許せ、興を削いだな」

  「そんなことは……」

  「しかし雪華は貰うぞ? 帰る際に連れて行くとしよう」

  頂けるものは頂く、そんな朝比奈に烈牙は苦笑に顔を綻ばすと、

  「では私は荷造りなどを使用人に命じておきましょう」

  そう言ってその場から立ち去っていった。

  突然今日から朝比奈の家で暮らすことになった少年は目を丸くしながら訊いた。

  「……僕が狼銃様のお屋敷に?」

  「不服か?」

  「いえっ! 兄へ特別なお計らいをありがとうございます、お陰さまでこれで兄もようやく……」

  麗しい露草色の瞳に揺れるのは感謝の涙か。

  目尻から零れ落ちようとする一滴を朝比奈の指先が優しく拭う。

  「美童に涙は似合うが、今はその時ではない」

  雪華の華奢な体がふわりと持ち上がる。

  朝比奈はそのまま窓辺に置かれている肘掛け椅子に腰を下ろすと、自身の股の上へ向かい合わせの格好で雪華を座らせた。

  「あっ……」

  尻に当たる褌の確かな膨らみに少年から甘い吐息が漏れる。

  「恐いか?」

  雪華は黙って首を横に振った。

  互いのマズルの先が触れ合うほどの距離で、朝比奈の鬱金色の瞳がまっすぐ雪華を見つめていた。先ほどその奥を覗いてしまった際に見た得体の知れない何かを思い出して、少年の体が小さく震えた。怯えからではない、絶頂してしまった甘美な記憶が体を震えさせていた。もう一度あの不思議な快楽を味わえるのだ。

  再び唇が重なった。

  先ほど放ってもなお熱を持ったままの少年の若茎を朝比奈がやんわり扱いている。

  「んむっ、んんんっ、あっあっ……あっはぁ……」

  「いい声で鳴く。なるほど、男共も夢中になるわけだ」

  少年の尻を圧倒的な物量が押し上げていた。

  雪華はその物量と熱量に堪らず天を仰ぎ見た。予感がする、今からこの褌の中に収まっている剛槍に串刺しにされる予感が。無敵の狼銃として怖れられた男によって完膚なきまでに犯されてしまうのだ。己がどんなに泣き[[rb:喚 > わめ]]いても、気を失っても、この男は確実に精液を体の奥へ送り届けるべくまぐわい続けるのだろう。

  前袋を横にたぐり寄せる朝比奈が耳元で妖しく囁く。

  「存分に乱れてみせろ。まぐわいにおいて私は美醜を問わん。むしろ醜くあれ、本能を解き放ち、[[rb:猛獣 > ケダモノ]]のように浅ましく性の享楽を貪り尽くせ」

  その囁き声にすら感じたのか、雪華の鈴口からピッと透明な液が飛ぶ。

  少年のペニスにこびりついていた残滓を拭った指を朝比奈はそのまま小振りの尻の奥へと忍ばせた。

  「はうぅっ」

  太い指が肛門を這っている。今から種付けする穴を可愛がっている。快感を欲するそこはたちまち指に秘奥を覗かせた。

  灼熱の先端が押し当てられていた。

  「入れるぞ……」

  断りを入れる朝比奈の意外な優しさに触れながら、雪華はゆっくりと広げられていく括約筋に声にならない声を喉から迸らせた。

  兄よりも、寅次よりも、朝比奈の物は太かった。メリメリメリと引き千切れてしまわんかというほど括約筋を伸ばして剛槍が尻の中に埋まっていく。

  「あっああっあああーっ!!」

  引き裂かれるような痛みに少年の体が逃れようと浮き上がる。だが、朝比奈の手に両肩を押さえ込まれて、

  「あああーっ嫌っ狼銃様ぁっ、嫌っ嫌ぁぁーっ!」

  無慈悲にも強制的に体は沈められていった。

  二十[[rb:糎 > センチ]]あった朝比奈の巨砲はやがてすっかり少年の中に収まった。大したものだ、これほどの逸物を丸呑みにしてしまうとは少年の体は男に大層飢えていたらしい。今も根元まで咥えている括約筋が満足げにひくついているのだから余程のものだ。

  狭い穴のきつい締め付けを堪能せんと朝比奈が動き始めた。

  「あっ、あっ、あっ!」

  下からの小気味いい突き上げに雪華の脳裏に星が散る。

  寅次によって目覚めさせられた前立腺が実にいい塩梅で雁首にこそがれるのである。何百、何千回とまぐわってきただろう朝比奈の淫水焼けに黒ずむ鉄のように硬い亀頭がグリグリと雄の果実を嬲る。そのたびに途轍もない快感が雪華の体に襲いかかっていた。

  一切の容赦がない猛獣のまぐわい。

  気付けば剛槍の出入りが速度を増していた。雪華は朝比奈の太い首にしがみ付いて嵐のような激しい突き上げに耐えた。

  「ひいっひっっひあっ、狼銃様っ、凄っ! あっああっ!」

  「私の種を欲するか小僧っ! これほど私を締め付けているのだっ、孕まねばきつい仕置きが後で待っているぞっ!」

  「はいぃ! あぐぅっ、ろ、狼銃様の御子をっ僕、ああっ産みますっ、元気な御子を産みますぅぅぅっ!」

  朝比奈が雪華の細い肩に噛み付いていた。

  「グルルルルルーッ!!」

  凶悪な唸りが肩口から漏れるのを合図に、少年の腸内に夥しい量の精液が迸った。齢七十を過ぎているというのにこれほど大量の子種を吐き出すことができるとは。性欲旺盛な老狼はどうやらまだ子孫を残す気満々らしい。

  「あっあああーっ僕もっ僕もっ狼銃様ぁっ!!」

  同時に雪華も朝比奈の腹の上へと劣情を吐き出していた。それは[[rb:臍 > へそ]]をたちまち満たして溢れていった。

  朝比奈の絶頂の咆哮を受け止めた雪華の肩が赤く染まっていた。純白の毛並みに色鮮やかに浮き立つ血の赤の何と[[rb:艶 > なまめ]]かしいことか。それを朝比奈の舌が舐めていた。傷付いた子の傷を癒すかのような慈愛に満ちた愛撫に、雪華は痛みも忘れて、再び熱を帯びていくペニスに悩ましい吐息をつくのであった。

  天狼院家はその後、長子である惣太郎が家督を継いだ。

  烈牙は朝比奈から送られた忠告をよく胸に刻み、真摯に取り組んだのである。家督を譲り、分不相応な野心を改めてからは、趣味の読書と小説の執筆に静かな余生を送ったという。

  側仕えの寅次は程なくして天狼院家を去った。

  当主に告げることもなくある日忽然と館から姿を消していた。軍も除隊扱いとなった彼が何処に行ったのか知る者はいなかった。

  

  雪華はおそらく朝比奈の屋敷で懸命に尽くしていることだろう。兄を助けてくれた大恩ある朝比奈をよく支え、もしかしたら好きな詩歌や絵画を学んでいるかもしれない。[[rb:贅 > ぜい]]を極める朝比奈邸だ、手本となる名作には事欠かないはずだ。もしかしたら寵愛されるあまりに養子に迎え入れられている可能性もあろうか。

  ……すべて当て推量なのはもう何年も便りがないからなのだが、それはきっと平穏無事に暮らしているという証拠だろう。

  事実はどうであるのか、それはまた別の機会に話すとしよう。

  完