やさしくないオオカミ

  こんな大豊作は初めてだね。ばあやもきっと喜ぶよ。

  森へ木の実を探しに入った僕は驚いた。ありとあらゆる果物がそこにはあって、宝島を見つけたような気分になった。

  まさかこんなに素敵な場所があっただなんてね。いつもは表側にしか行かないから知らなかったよ。だけど、ここなら他の人もあまり来ないだろうし、良い木の実が残っているはずだ。いつもの場所じゃ、もうほとんど残っちゃいないからね。

  僕は自然の香りを感じながら、ゆっくりと伸びをした。

  時々草陰から顔を出すウサギさんやシカさん。動物たちもたくさんいるよ。こんなにも豊かな森だったんだ。どうして今まで気がつかなかったんだろう?

  今この辺り一帯にいる人間は僕だけ。誰にも邪魔されない。そう思うと、なんだかわくわくしてくる。この森は僕のもの。まるで神様になったかのような気分だ。

  おや?

  そう思った矢先に、何か物音が聞こえた。

  「誰だい、そこに居るのは?」

  僕が呼びかけると、ガサリと音が鳴って、その方向から一匹の痩せたオオカミが現れた。

  この森にはオオカミが出ると噂には聞いていたけれど、本物は初めて見たよ。なんだ、可愛いじゃないか。うちの飼い犬のドギーにちょっとだけ似ているな。

  「こんにちは」

  言葉が伝わるはずはないけれど、嬉しくなった僕はオオカミに挨拶をした。

  「ようっ!」

  その瞬間、僕の時間が止まった。

  ん? 今誰かの声が聞こえたような? でも、どこから?

  現実逃避をするように、僕は辺りを見回す。まさか、流石にまさか。

  「どうした? 何をきょろきょろしているんだ?」

  まただ。僕がぎこちない動きで声のするほうを見やる。

  よし、確認が取れたぞ。じゃあ言う事は1つだな。

  「しゃ、喋ったああああああああああああああああああああ!!???」

  うっそだー。夢じゃないよね? でも、確かに今オオカミが喋ったのをこの目で見た。

  そんな馬鹿な。獣が喋るだなんて今まで一度も聞いた事が……いや、一度だけあるかな。といっても老人の昔話だからアテにはしていなかったけどね。あれはどんな話だったけな?

  「お前さんから声を掛けてきたんじゃなかったか?」

  「う、うん」

  不思議そうに尋ねるオオカミに、僕はひたすら頷くしかなかった。

  そんなにも何も、世界中がおったまげるよ。僕の頭がおかしくなったんじゃないかとは、ちょっぴり疑っている。だけど、確かに今目の前で起きている事だ。きっと、認めなきゃいけない。

  こんな間、耐えられないよ。けれど何と話せば良いのか分からない。

  「なんだ。変なやつだな。」

  オオカミが喋るのは変じゃないのか、という言葉を喉元でこらえた僕は偉いと思う。誰か褒めてほしい。

  「どうして君は喋ることができるの?」

  「さあな。気が付いたらこうなってたぜ。俺、人間が好きなんだ」

  気が付いたらで済ませていいのかな? 人間が好きって本当かい?

  ちらりとオオカミを観察してみる。尻尾を振っている。尻尾の意味が犬と同じだったとしたら、敵意は無いみたいだね。少しほっとしたかな。

  「お前こそどうしてこんな場所までやってきたんだ」

  「んーとね。木の実を採りにきたんだよ。」

  「面白そうだな。俺もついていっていいか?」

  もしかしたら、これはまたとないチャンスなのかも知れない。きっと、喋るオオカミに出会ったのは僕が世界で初めてに違いない。

  そう考えると、ドキドキしてきちゃった。不安が好奇心でかき消されていくのを感じる。

  「うん! 独りじゃ心細かったからね」

  そんなこんなで僕はオオカミに案内してもらう事になった。ずっと見つからなかった川は案外近くにあったみたいだ。

  喉を潤した僕達は、木の実を探しにもっと奥へと進んでいった。

  「すごいや。こんなにたくさん実がなってる木は初めてみたよ」

  「だろ? 俺達動物にとっても穴場なんだぜ?」

  さすがは森の獣だ。よく知っている。

  「君も、木の実を食べるのかい?」

  「いいや、木の実を採りにきた動物を喰うのさ。お腹にガブっと噛みついてよ、血と肉汁の味がすごく美味いんだぜ」

  「ふぅん……」

  そうか。やっぱり肉食獣なんだね。でも、犬みたいで全然そんな感じがしないや。

  食べられた動物は……死んじゃうよね。やっぱり。

  考えないようにしておこう。それがお互いのためだ。

  「うん? どうした?」

  「い、いや。何でもないよ」

  その後は大盛り上がりだった。こんな体験、もう二度とできないだろう。

  木の実をたっぷり採って帰路についた僕達だけど、ずいぶんと遠くまで来てしまったなぁ。つい楽しくって奥へ進んでいたからね。

  辺りはすっかり暗くなった。月明かりがあって本当に良かったよ。でなきゃ今頃は真っ暗だ。それにしてもオオカミさんはどうしちゃったんだ? どうにも様子がおかしい。いや、喋る時点で様子はおかしいのだけれど。

  ともかく、さっきまであんなにお喋りだったのに、すっかり無口になった。

  「ねえ」

  「……ん?」

  僕が声をかけてもすっかり上の空だ。

  「どうしたの? 元気ないよ?」

  「腹が減ってな」

  「なーんだ。そんな事だったのか」

  それなら早く言ってくれれば良かったのにね。えっと、ううん。数えるまでもないや。ちょっとくらいあげても木の実はたくさんある。それに、今日一日案内してくれたお礼をしないとね。

  「じゃあ、持って帰ってきた木の実を分けてあげるよ!」

  「だから俺は生肉しか喰わないんだって」

  ぶすっとした口調でオオカミが言った。

  やっぱりダメかなぁ。犬はリンゴとかも好きなのにね。

  じゃあどうしたものか。どうしようもないのかな? 役にたってあげたいな。

  「そんなものは要らないんだけどよ。一つ頼みたい事があるんだが」

  「何だい? 何でもしてあげるよ」

  僕はつい、言ってはいけないその言葉を言ってしまった。その瞬間からだ。オオカミが僕を見る表情が変わった気がする。

  なぜだろう。背筋が寒くなった。

  「お前を舐めさせてもらえないか?」

  舐める? もしかして味見を? まさかね。

  「う、うん……いいけど」

  オオカミは喜んで僕の脚を舐め始めた。ちょっぴりくすぐったい。

  また尻尾を振っているところを見ると、喜んでいるのかな? あれ? でもオオカミが尻尾を振るのは嬉しいんじゃなくて、確か・・・・・・

  「う、美味え」

  「えぇ!?」

  い、今確かに聞いた。まさか僕を食べるつもり!? ううん、それなら最初から襲ってるはずだよ。食べたいのを我慢して舐めるだけで済ませてくれているんだ。優しいオオカミなんだよ。

  「な、なあ。甘噛みしてもいいか?」

  甘噛み……飼っている犬がよく僕にやるやつだ。怪我しない程度にゆるーく噛んでくるんだけど。

  僕はオオカミを見つめる。犬のものとは比べ物にならない鋭い牙が口から覗いている。一体今までに何匹の動物があれに引き裂かれたんだろう。僕は怖くなった。

  「なあ、なあ。いいだろう?」

  オオカミは潤んだ目で僕を見てくる。とても敵意があるようには見えない。そうだよね。昼間はあんなに仲良く歩いていたんだもん。転びそうになった僕を体を張って助けてくれたりね。

  「うん、分かった。分かったよ、でも……」

  僕は真剣な目をして言う。

  「た、食べたりしないでね?」

  「ありがとうよ!」

  オオカミは僕の脚にカプリと優しく牙を突き立てた。オオカミの生温かい湿った吐息が肌に直に感じられる。全然痛くないけど、さすがに怖い。

  オオカミって猛獣なんだよね? ついつい悪い方向に考えがいってしまう。早く終わってくれ。僕はその事ばかり考えていた。

  すると、オオカミは脚に牙を当てながらこちらに向き直った。

  ほっ、やっと終わったのかな?

  「いい固さだ。こいつは極上の味がするはずだぜ。なあ、一口喰ってもいいか?」

  !?

  僕は全速力で首を振った。

  「ダメダメダメダメ! ぜーたいにダメー!!」

  びっくりしたよ。それでいいよだなんて言う人いないよ!

  僕は滝の様な汗を流した。月明かりに照らされたオオカミは凶暴な肉食獣そのものだった。

  「いいじゃねえか一口くらいよ!」

  言うや否や、オオカミは僕に襲いかかってきた。僕の皮膚に当てていた牙に一気に力を込める。ぷつりと肌に穴が開く。血がにじみ出すと共に、激痛を覚えた。

  「痛い痛い! やめてよ!」

  オオカミは応えない。犬みたいに「待て」ができるはずもない。短い時間血をすすると、さらに顎に力を加えて僕の脚を噛み砕いた。

  人間の骨なんて、オオカミにとってはプリンと変わらない固さなんだろう。何の抵抗もなく僕の体は破壊される。

  「あああ! ああああああああああああああ!!!」

  「もう一口、もう一口いいよな?」

  夢の時間は悪夢の時間へと変わった。

  ようやく潰れた脚から牙を離したかと思えば、痛みにのたうちまわる僕を思いっきり押し倒し、今度はお腹にガブリと噛みついた。

  「痛い痛い痛い痛い痛い! 痛いよおおおおおおおおおおお!!!」

  聞いた事があるよ。オオカミは、獲物の内臓を生きたまま食べるんだって。そこが一番栄養があるからなんだって。

  「助けて。死にたくないよぉ」

  もちろんオオカミは止めてはくれない。僕のお腹の肉を引き千切ると、それを美味しそうに飲み込んだ。僕はオオカミに心を許した事を後悔したけど、もう遅かったんだ。

  「あ……あ……あ……」

  あまりの怖さと痛みに僕はおかしくなってしまいそうだ。

  「もっと、もっと肉をくれよ!」

  「ぐう……ダメ……だ……」

  内臓を食べられたらもう助からない。けれどどうする事もできない。オオカミの気が変わってくれる事を祈って命乞いをするしかなかったんだ。

  痛みをこらえて必死に絞り出した願いにもオオカミは応えてはくれない。僕の事はただの餌にしか見えていないらしい。

  「固い事言うなよ」

  「や、やめ……あがあああああ!」

  僕は大きな傷口をさらに噛み裂かれてしまった。堪える事のできない痛みに僕は泣き叫ぶ事しかできなかった。

  「止めて、お願いだから止めて」

  よっぽど僕の肉が美味しかったのか、オオカミは喜ぶばかりだった。

  僕はオオカミに押さえつけられて、逃げる事もできない。

  「もう一口、もう一口くれ!」

  「いやあああああ!!」

  これ以上食べられたら死んじゃうよ! だけどオオカミは僕のお腹に口をうずめてもぐもぐと食べ始めた。

  お腹の中を荒らされるような感覚に、僕は悶え苦しむ。これが食べられるって事なのか。いよいよ内臓まで食べられたのか、僕は何度も血を吐いた。

  「お前の命を寄越せ!」

  ああ、やっぱりそのつもりだったんだね。はじめから僕の肉を食べたかったんだ。

  やっと思い出した。オオカミが尻尾を振るのは、狩りの合図だったんだ。

  もう僕は体の半分くらいオオカミに食べられている。まさか生きている間にこんなに痛い思いをするとは思わなかった。それとも、もう死んだも同じかな。体が痙攣を始める。

  もう終わりなんだね。今朝出かけた時には、当たり前に明日も迎えられると思っていたのにな。

  「美味い! 美味い!」

  オオカミは口を真っ赤に染めて僕の皮膚も、筋肉も、内臓も、骨までも食べている。

  そんなオオカミの一部になってしまう事がとても悔しい。

  「う……ぐ……」

  痛くて痛くて、もう声を出すこともできない。

  ガリッゴリッと僕の体をオオカミが噛み砕く音だけが辺りに響く。

  だんだんの目の前が真っ暗になってきたみたいだ。

  こうして、僕の人生は終わった。

  夜の森は静かだ。そこには、わずかな骨と肉片が血だまりの上に散らばっているだけだった。

  「あーあ、またやっちまったな」

  残酷な痕跡を見つめてオオカミが言う。

  「最初はそんなつもり、無かったんだけどよ。肉食獣の本能ってのは怖いもんだ。満月だからかな?」

  そうは言ったものの、オオカミには別段後悔している様子も無かった。

  「人間を喰ったのはこれで何人目だったかな? 大勢いたせいか、人間の言葉まで覚えちまったぜ」

  それが全てだった。

  やがて再び森に人間が現れれば、オオカミもまた現れるだろう。

  「ん? あそこに誰かいるな。道に迷ったかね。おーい」

  そのオオカミと出会ったものは、まさか人を喰った後だとは思わないだろう。

  こうしてまた、繰り返される……

  「人間は好きだぜ。味が」