君はセックスが好きだ
この一文が書かれた紙を前にして、僕ははぁ、とひとつため息をついた。
大学の食堂の片隅に座り、かれこれ2時間はこの一文と向き合っているけども、構想が頭の中で浮かんでは消えて、浮かんでは消えてを繰り返して、結局1文字も筆は進んでいない。
締め切りは明日なのに、こんな調子じゃとてもじゃないが書き上げられない。悪あがきだろうけども、気分転換でもすれば妙案が思いつくんじゃないかと思って席を立とうとしたところで、大きな影が1つ、僕の前に座った。
「よぉ、何書いてんだ?」
そう聞いてきたのは一人の虎獣人。僕の正面に座ると食堂側から僕の姿が全く見えなくなるくらい体が大きい彼は、僕が答えるよりも早く手元を覗いてきて、少しだけ顔をしかめる。
「マジで何書いてんだよ……」
「今回のお題がこれなんだ。冒頭の一文をサークルのみんなで統一して書こうってお題。」
「へぇ……で、なんでセックス?」
「そんなの僕だってわかんないよ。発案者に聞いて。」
「にしてもセックスねぇ……」
含みを持たせて言葉を切ると、虎川君はからかうようにニヤリと笑う。
彼は僕が腐男子で、普段からBL小説を書いていることを知っているから、こんな発言が出てくるんだろう。
まぁ、間違ってはいないんだ。性行為のシーンが出てくる小説なんて飽きるほど書いている。ただ、書き出しがこの一文となると話は別。率直に言って、この書き出しの一文は難易度がとても高いのだ。
「テーマ統一なら書いたことあるけど、冒頭統一は初めてだから勝手がわからなくて。そうだ、ちょっと時間ある?思考の整理をしたいから、話を聞いてほしいんだけど。」
「いいぜ。今日はもう講義ねぇからな。」
「ありがとう!あ、前置きしとくと、これはあくまで僕の考えであって、他の人の創作物を否定してるわけじゃないからね。」
「そんなん分かってるよ。」
少し煩わしそうに尻尾を揺らして、そんな当たり前のことを確認するなと態度で示してくる。
その姿が嬉しくて、僕は躊躇なく相談を始めた。
「じゃあ早速始めるよ。まずこの一文、二人称が『君』なのが問題。」
「なんか問題あんのか?」
「僕の書く小説の攻めは雄っぽさが強いキャラがほとんどだから、『君』なんていう二人称を使わない。現に虎川君だって、相手に『君』なんて使わないだろ?」
「確かにな。名前で呼ぶか、お前とかてめぇとかになるな。」
「だから、この『君はセックスが好きだ』ってセリフは、受けが言ったセリフってことになる。言い替えれば、この『君』ってのは攻めのことを指すわけだよ。」
「他のやつに言ったパターンは?」
「無いね。冒頭にこの台詞が来るってことは、これは凄く重要な意味を持つ台詞だ。一万文字程度の文章でそんな台詞が攻めじゃない第三者に向けられると、話がぐちゃぐちゃになってまとめきれない。少なくとも僕の力量でそういう話を書くのは無理。」
僕の話を聞いて、虎川君はなるほどなぁ、と小さく頷く。
こんな話を真摯に聞いてくれる虎川君に感謝しながら、僕は言葉を続ける。
「受けが、攻めはセックスが好きだって思ってるとして、ここから発展させるのを考えたんだけど、3パターンしか思いつかなかった。まず一つ目は、『君はセックスが好きだ。そう、セックスが好きなのであって、僕のことが好きなわけじゃないんだ。』から始まる流れ。」
「体だけの関係ってことか。」
「まぁそうなるね。ただBLだとこういうケースって受け視点でそう見えてるだけで、実際は攻めが不器用で愛情伝達が不十分なだけで両想いラブラブでした、ってのが多いんだけども。最終的に攻めの独占欲丸出し激重愛情分からせセックスになるやつ。」
「なんか話を聞く限りだと、その展開でよさそうだけど、それじゃダメなのか?」
「これ、僕がパッと思いつくくらいにはありきたりな展開なんだよね。ようは王道。合同誌で王道を攻めるのははっきり言って怖い。それにせっかくの合同誌なんだから個性を出していかないと。」
「なら両想いじゃないやつを書けばいいんじゃね?」
「愛する二人は幸せなキスをして終了って話を書きたいタイプの人間なんだよ僕は。」
「面倒くさい逆張りオタクかよ。」
そう言われてしまうとぐぅの音も出ない。
でもせっかく書くなら、書きたいものを書きたいじゃないか。
虎川君の指摘に反論が出来なかった俺は、話題を変える。
「二つ目は、『君はセックスが好きだ。だから、君に振り向いてもらうには、この方法が一番確実だと思ったんだ。』から始まる流れ。」
「つまり、好きになってもらうために体から落とすってことか?」
「身も蓋もない表現だけど、概ね正解。ただ、攻めがセックスが好きってことは、攻めにはそれなりの経験値があるわけで、その攻めを体で落とす受けとなると、超ド淫乱か驚きの名器になる。……これ、都合のいいオナホルートなんだよね。」
「いいじゃねえか、オナホ。」
「良くない。受けは攻めに好きになってもらいたいんだよ。オナホと言いつつ攻めの執着が凄くて無自覚ラブラブ、ってパターンもあるけど、幸せなキスをして終了にはならないから……」
「めんどくせぇな。」
「自覚はある。あと余談だけど、BLにおいて体で落とすっていうのは、多くの場合では攻めが受けを落とす手段なんだ。ぐずぐずに蕩けさせられて突っ込まれて、しゅごいこんにゃのはじめて〜ってなるやつ。」
「…………BLに限らず、普通のエロでもよく見かける都合のいいやつな。」
「BLはファンタジーだからね。ともかく、体から落とす方向性の話で、受けが攻めを落としてラブラブになるのはかなりハードルが高い。あとは、受けが攻めをよがらせるような、受け優位の襲い受けになってしまうと、それは完全に解釈違い。」
「あー……BL好きな奴って割と好き嫌い多いよな。」
「僕なんかはまだマシな方だと思うけどね。虎川君だって、ヒーロー凌辱ものを読んでいて途中でヒーローが逆転して怪人を犯し始めたらキレない?そういう当たり前の話だよ。」
虎川君がヒーロー凌辱ものを読んでるとは思わないし、実際のところこれが当たり前の話なのかは分からないけど、これは一般的な感覚なんじゃないかな。
ちなみに僕は行為中のリバNGでヒーローには勝って欲しい派の人間だから、最初からヒーロー攻めか、あるいは、凌辱を終えた後でヒーローに逆転して欲しいと思ってる。こんなの大体の人にとって地雷だから絶対書かないけど。そもそもヒーロー凌辱はゲイ向けであってBL向きじゃないし。
「ヒーロー凌辱ものとか興味ないから分かんねぇな。」
「だろうと思ったよ。次に三つ目。『君はセックスが好きだ(受け)/俺はセックスが嫌いだ(攻め)』で始まる流れ。」
「嫌々ヤってるってことか?でも、受けは攻めがセックス好きだって思ってるんだよな?」
「嫌々というより、ヤり始めたら攻めの本能全開で受けの負担が大きいってパターンのが展開しやすいかな。事後に意識を飛ばしてぐったりしてる受けを見て後悔するやつ。」
「あー……」
「受けからしたらめっちゃ腰振ってくるしセックス好きなんだろうって感じるけど、攻めは本能に振り回されてて、そう思ってないやつだね。」
「じゃあ攻めはセックスしなけりゃいいんじゃね?」
「でも恋人に誘惑されたら勃起するし、勃起してるのにセックスしないのは受けに失礼だろ。で、毎回、今回こそは大切に抱くぞって決意して挑んで、結局激しくしちゃう感じかな。」
「なるほどなぁ。俺、攻めのその心境がなんか分かる気がするわ。」
「まさか、経験済み?」
「リアルでは無いけど、妄想の世界でなら何度も経験してるぞ。ガンガン突いてイきまくって、それ以上にイかせまくって、賢者モードになってぐちゃぐちゃになってる相手を見て、ちょっと後悔するんだよな。」
「賢者モード後の世界まで妄想してる人を初めて見たよ。」
「でもこれ、逆のパターンはねぇのか?」
「逆?」
「受けがセックスになると淫乱になって、変態的な行為をしたり淫語を使いまくったりして、素面に戻ったらめっちゃ後悔するからセックス嫌いなパターン。」
「その発想は無かった……でも、そうなると受けはセックスしなければいいって話にならないか?」
「そりゃ、受けは淫乱だから、攻めのチンポを見たらダメだと思いつつも体が疼いて咥え込むんだよ。」
「それ、いいね。一つの案として考えてみよう。そうなると冒頭は『君はセックスが好きだ。でも、僕はセックスが嫌いだ。』になる……なんか、レイプものみたいだな。でも、書けないことはなさそうな感じ。」
「お、俺の妄想が役に立てたみたいだな!」
「……虎川君、淫乱な受けがチンポを欲しがるような妄想してんの?」
ジトリと虎川君を睨むと、虎川君は何も気にしていないような雰囲気で、それを肯定した。
「そうだぜ。今朝もそれでヌいてきた。普段澄ましてる知的な年上の受けが淫乱に豹変したりすんの、たまんねぇんだよな。」
淫乱な受けって情報の上に、普段澄ましてる知的な年上って情報が追加されたんだけど。今朝ヌいてきたって話も含めて、その情報入らないよ。僕はそこにはツッコまずに、話を続ける。
「で、パッと思いついた三つの案が今までのやつなんだけど……この一文の次の問題点が、この一文が書き出しだっていうこと。」
「それのなにが問題なんだ?」
「冒頭に心情を持ってくるのは意外と高等なテクニックなんだ。書きやすさで言えば情報や行動を書くほうが絶対に簡単。文字数が少ないとなると、素早く物語の世界に没入してもらわないといけないから、尚更ね。」
「……つまり?」
「率直に言うと、この一文より『俺の名前は虎川大樹、獣真大学の3年生だ。昼飯を食いに食堂に来たら珍しくあいつが居たもんで、目の前に座って話しかけてやった。』って書き出しのほうが圧倒的に書きやすいって話。」
「今の俺かよ。」
「こんな感じで、パッと思いついて書けるくらいには、このほうがすんなりと書き始められる。小説は挿絵でもない限りは視覚情報が無いから、情景描写から書いたほうが読む側も場面が想像しやすくて、読みやすいんだ。今伝えた文章だけで、主人公の姿と居る場所と行動と考え方が何となく思い浮かぶだろう?」
「思い浮かぶもなにも、俺のことじゃねえか。」
「それが、冒頭に心情描写が来るとそうもいかない。その心情描写を誰がどういう状況でやったのかが分からないと、読んでる側は意味不明。書いたり読んだりすることに慣れてる人は心情描写が少し長くても読み続けるけど、多数の読者は、意味不明な心情が長いとそこでもう読まなくなる。だから素早い場面転換、少なくとも主人公を登場させることが必須で、そういう書き方を求められていること自体がそれなりにハードルが高い。正直なところ、いつも通り情景描写から書き始めて、後から無理矢理一言だけ冒頭に付け足すほうが楽なんじゃないかって思ってしまうくらい。」
「それじゃダメなのか?」
「そんな手法、やったことないからね。もし上手くいかなかったら書いた文章が全部ボツになるわけだし、リスクが高すぎるよ。」
ただ、手元の紙に一文字も書けていない現状、一か八かで書いてみるほうがいいかもしれない。うまくいかなくても、次回作の下書きにはなるかもしれないし。
「はぁ……これが、僕はセックスが好きだ、ならまたちょっと違ったんだけど。」
「どう違ったんだ?同じようなもんだろ。」
「これは、『君はセックスが好きだ』の問題点のひとつでもあるんだけど、主語が二人称であること。この一文は、他人の感情を断定しているんだよ。」
「感情を断定……?」
「そうだな……例えばこう言ってみたらどうだろう。虎川君は僕のことが好きだ。これは他人の感情の断定だね。」
「はぁ!?な、何言ってんだよ!?」
「例えだよ。そんな変な声だすな。で、相手の感情を断定する場合、どうしても理由がいる。楽しそうに会話をしているから、とか、毎晩連絡を取り合っているから、とかね。」
「そんなん、誰とだってやるだろっ!」
「まぁ、だろうね。問題はそこじゃなくて。この理由は、両方とも会話や連絡といった行動描写……つまりは客観的に見える行動なんだ。」
「あ?」
「好きな理由として、優しい、とか、一緒に居て安心する、とかみたいな心情的理由が使えないのさ。僕視点だからね。虎川君の心の中を把握する術がない。」
「把握してたらぶっ飛ばすからな。」
「何の話をしてるんだよ。ともかく、『君はセックスが好きだ』という一文を書く以上、攻めが客観的に見てセックスが好きなように見える行動をとっている必要がある。もしこれが一人称で『僕はセックスが好きだ』だったら、ただシンプルに2人が出会って、仲を深めて、告白して、セックスする。こういう話の中で、君の温もりを感じられるからセックスが好きだって心情描写を入れるだけでいいんだよ。」
「まぁ、確かに納得は出来るか。」
「物足りなさは残るけどね。ただ、一人称でなく二人称なせいで、攻めは客観的に見てセックスが好きである必要があって、つまり偽装してない限りは基本的にはヤリチン。取れる選択肢が大幅に減っているんだ。だから正直なところ、サークル内でのネタ被りが怖いところでもある。」
「それはねぇだろ。自分が思いついているものは相手も思いつくはずっていうのは考えすぎだぜ。それに、ネタが被ってたとしても一字一句同じわけじゃねぇし。なにより、似たような味だったとしても、美味いネタはいくら食っても美味いんだよ。」
「ありがとう。そう言ってもらえるとやる気が出るよ。」
「いいってことよ。」
虎川君に励まされて少し気分がよくなるけど、視線を落とすと白紙の紙があることには変わりなくて。
その紙を見て、はぁ、とため息をつくと、次の問題点を挙げていく。
「問題点と言うと、そもそもお題の文の中にセックスという単語が入っていること自体が問題だよね。」
「そんなん今更だろ。」
「まぁそうなんだけどさ。これが『あれから、どれくらいの月日が経ったんだろう』みたいな漠然とした一文だったら、きっとこんなに悩まなかったんだよね。」
「そうなのか?」
「この一文は独白で一人称視点だし、具体的に何があったか明言してないから、言ってしまえば何でもアリ。殺人事件でも、告白でも、ジャムトーストを床に落としたことでも、なんにでも使える。でも、セックスって明言されてると、それはセックスとしてしか使えない。さっきの一文で言うなら『あのジャムトーストを床に落としてから、どれくらいの月日が経ったんだろう』って一文で書くのと同じようなもんだ。」
「それは流石に極端すぎるだろ……」
「でもジャムトーストなら……そうか、ここにもひとつ制約が入ってるのか。」
「制約?」
「うん。最低でも、『自分』と『君』という二人の登場人物を出さなくてはいけないっていう制約。ジャムトーストを落とすのは一人でも出来るけど、セックスは一人じゃできない。」
「うーん……でもそんなん、普通に書いてたら当然出てくるし、制約ってほどの問題だとは思えねえけど。」
「確かに、ジャムトーストを落とす話は特殊だし、大体の物語で二人以上の登場人物は出てくると思う。ところが今回は少し制約が強くて、『自分』と『君』を出すだけじゃなくて、人間関係に焦点を当てることをほぼ強制されているようなものなのさ。」
「なんでそうなるんだよ。」
「セックスだからだよ。セックスってのは一人じゃできない行為なうえ、かなり大きな感情を伴う行為だ。『君はじゃんけんが好きだ』とは関係性の濃さが違う。そんな一文が、冒頭に置くという最も強調される方法で書かれるんだから、この一文から始めて人間関係に焦点を当てずにギャグとか冒険譚とか書ける人は、本当にすごいと思う。」
「今、ギャグ書きたいと思ってるだろ。」
「……バレた?」
「書くのは無理、じゃなくて、本当にすごいって言ったからな。つまりできなくはないって思ったってことだろ。逆張りというか、他のやつがやらなそうなことをするの好きだもんな。」
「うわー……お見通しかよ。」
「でも、その本当にすごいことが出来んのか?」
「ギャグを書くこと自体は割と得意だから、『君はセックスが好きだ』を深くとらえすぎなければワンチャンあると思う。『君はセックスが好きだ。セックスが好きすぎた君は常にセックスしたいと思うがゆえに、日常を過ごす体とセックスする体に分裂してしまった。しかし、日常を過ごす体もセックスを求めたために再度分裂し……それを繰り返した結果、地球上の9割は君になってしまった。だから僕は過去に行き、君がセックスしたくないって思うくらい搾り取ることで、君のセックス分裂を食い止めることにしたんだ』とか。」
「セックス分裂ってなんだよ、設定バカすぎんだろ。何食ったらそんなバカな事思いつくんだ。」
「ギャグをやるって決めたなら、それぐらいがちょうどいいのさ。あとはそうだな、『君はセックスが好きだ。いや、これを読んでるってことは、君はエロいことは好きだけどセックスが好きなわけじゃない、恋人もセックス相手もいない童貞だろ。マジウケるwww今は右手を恋人にしてこの本を読んでるのかな?かな???だけども残念、このお話は健全なんだ。もしヌき目的でこの合同誌を読んでるなら飛ばしていいよ。そうじゃない君は、次ページへGO!』とか。」
「ん?……あぁ、そういうことか。いや、それはいいのか?」
「ダメとは言われてないよ。あるいは、『君はセックスが好きだ。授業中は常に僕のことを犯す妄想をしている。教室で、公園で、自分の家で。正常位で、対面座位で、駅弁で。なんでそれが分かるかって?君の妄想が頭の中から駄々洩れだからだよ!!!』みたいな感じとか。読心系とかサトラレって言われるやつだね。」
「お、なんか面白そうだなそれ。心を読むのってギャグって言うよりもSFのほうが近い気もするけど。」
「サトラレ系は恋愛話の異能系としては鉄板だから、ちゃんと活かせればどう転んでも面白い。ただこの書き出しだと、違和感がかなり強いよね。」
「そうか?」
「だってさ、例えば虎川君の頭の中を覗いたときに、僕とセックスする妄想をしてたら、僕は、虎川君はセックスが好きだ、じゃなくて、虎川君は僕のことが好きだって考えると思う。」
「なっ……ん!」
「それでも、『君はセックスが好きだ』って感じたのなら、それなりの理由があると思うんだ。乱交してたとか、見るたびに相手が違うとか。そうなると、物語としての難易度は爆上がりだよね。」
「あー……じゃあ、こういうのはどうだ?実は俺、セックスが好きなんだ。」
「……どうしたのいきなり。」
「ほらこれで、『君はセックスが好きだ』の状態になったわけだろ。」
「そう言われても、へぇそうなんだって感想くらいしか出ないよ。書き出しに使うとしても、『君はセックスが好きだ。その情報を知ったからといって、特に何か大きなアクションを起こすわけでもなく、僕はいつも通りの態度で君とあいさつを交わす。』みたいな感じになるけど……あれ、案外いけそう?」
そう感じて、早速執筆にとりかかる。
サークルのみんなは、こんなに悩まずにすらすらと書けてるんだろうか。それとも僕と同じようにめっちゃ悩んでるんだろうか。まぁ、どちらだとしても、みんな素晴らしい物書きだし、傑作集になるのは間違いないと思うけど。
書き始めようとして、虎川君にお礼を言っていないことに気付いて顔を上げると、虎川君の背後からこちらに向かってくる影が見えたから、机の上の紙をサッと隠した。
「よっ、虎川!お前こんな隅っこで何して……」
虎川君の背後から、肩を抱くようにして現れた牛獣人の彼は、虎川君の向かいに座る僕の姿を見るなり言葉を失った。
どうやら、虎川君の大きな背中のせいで僕のことが見えてなかったらしい。
「何してって、見りゃ分かんだろ。犬上教授と話してるんだよ。」
「えっ」
「やぁ、牛尾君。」
「こ、こんちわー……」
虎川君に声をかけた元気の良さとはかけ離れた、呟くような声で挨拶をすると、虎川君の肩に回した腕をスッと引き抜いて、気まずそうにこの場を去っていく。
「……僕、彼になにかしたかな?」
「単純に恐れ多いだけだろ。なんせ俺の目の前にいるのは、海外の有名大学を首席で卒業して、この大学では史上最年少で教授まで上り詰めて、その分野の第一人者として知られる犬上教授だからな。」
「うーん、学生から距離を置かれるのは良くないなぁ。虎川君くらいフレンドリーに接してくれて構わないんだけど。」
「ま、俺にとって、俺の目の前にいるのは有名教授じゃなくて、同人誌即売会に行ったら同人サークルで自分の書いたエロ同人を売ってた、オタク野郎の『きすいだぽんち先生』だからな。」
「あの時は本当に心臓が止まるかと思ったよ……まさかあんなマイナーイベントで身バレするなんて思っていなかったし。いくら口止め料を払えばいいんだろう、とか考えたよね。」
「そんな無粋なことしねぇよ。あの時も、きすいだぽんち先生の新作を買いに行ったわけだし。もし口止め料を要求していいんなら、金じゃなくて新作を出してくれよ。ここに、新作を待ってるファンが居るんだからよ。」
「ありがとね。よーし、頑張って書くぞ!」
僕はそう言って気合を入れると、隠した紙を机に戻して執筆を開始した。まずは、書き出しの二文をもとにして登場人物を作り上げる。『僕はいつも通りの態度で君とあいさつを交わす』のは、セリフの内容とテンションから想像すると、あんまり感情の起伏が激しく無さそうな、一見普通だけど何となくズレた感じの男の子。多分学生かな、とりあえず学生で仮置き。学生なら相手は同級生がいいか。大柄年下攻めも大好物だけど後輩のセックス事情を知るよりは同輩のほうが話がスムーズそうだ。挨拶のシーンから入るから最初の場面は朝で固定だし、時系列で書き進めてく系のストーリーのほうが良さそう。そうなるとまず2人が……
「先生、ゾーンに入ったっぽいな。んじゃ、お邪魔な俺はここらで退散すっか。続きは本を買って楽しんでね、ってことで。」