気弱な女の子がバーサーカー俺っ娘虎怪人に

  大河みくりは、気の弱い少女である。

  胸下まで伸びる長い黒髪はまるで影のようで、彼女を目立たせない。

  誰に対しても常にヘリくだり、自分は必ず格下の存在である事をアピールする。

  勉強でも運動でも、みくりは必ず低い成績を取っていた。

  それは物心ついた頃から変わらない彼女の気質で、17歳になった今も変わらなかった。

  「あっ…、ヒロムくん。

  これ、この間私が風邪で休んでた間の授業のノートを見せてくれたお礼。

  良かったらどうぞ……」

  みくりがお礼のお菓子を渡した相手は、幼馴染の少年・柳ヒロム。

  小学生の頃からの付き合いで、内向的なみくりにとっては唯一親しく話せる相手である。

  「えっ、ノートを貸した位でわざわざお礼なんていいのに。

  何だか悪いよ」

  たかがノートを見せた位で立派なお菓子のお返しを持ってきたみくりにヒロムは困惑する。

  「ううん、こんな暗くて何の長所も無いカスみたいな私に親切にしてくれたヒロムくんにはちゃんとお返ししたくて。

  いつもありがとう、ヒロムくん」

  「そっ…、そんな事ない!

  みくりはいつも誰かに気を使える優しい子じゃないか!

  ずっと傍で君を見て来た僕が言うんだから間違いないよ!!!

  ……あっ♡」

  「っ…♡!?」

  思わず口から出た言葉に、言った本人であるヒロムもみくりも思わず赤面してしまう。

  二人はお互いに相手の事を好いており、両片思い状態なのだ。

  しかし、お互いに一歩踏み出す勇気が出ず、このように何とも言えない距離感の状態がずっと続いている。

  「あっ…、や、優しいなんてそんな。

  私はただ、誰からも嫌われたくないだけだし……。

  ヒロムくんが思ってるような優しい子じゃないよ。

  でも……、ヒロムくんにそう言ってもらえて嬉しいな♡」

  もじもじと恥ずかしがりながらも、頬を赤く染めてほほ笑むみくり。

  そんなキュートな笑顔に、ヒロムは胸が高鳴る。

  (…やっぱり僕、みくりの事が好きだ。

  いつか絶対……!)

  改めてみくりへの恋心を自覚するヒロム。

  一方みくりも、

  (はあぁ……、底辺中の底辺みたいな私の事も褒めてくれるヒロムくん優しい♡

  好きっ…♡

  大好きだよぉっ……!!!)

  と心の中でヒロムへの愛が燃え盛っていた。

  「…じゃ、じゃあ僕はこっちだからここで。

  また明日!」

  「ばいばい、ヒロムくん…!」

  道が二手に分かれたため、それぞれの家の方角に向かって別れる二人。

  しかし、みくりがヒロムと別れてからしばらく歩いていると、ふと背後から何者かがみくりの口を布で覆った。

  「っ…!?」

  みくりは声を出そうとするが、口を覆われた布にしみ込んだ薬のせいか全身から力が抜けて声が出せない。

  「きゃっ、あ……。

  ヒ、ロ、ム…くん……」

  思わずヒロムに助けを求めるが、既にヒロムはみくりの姿が見えない位置まで歩いて行ってしまっており気が付くはずもない。

  意識が途切れるみくりが暗闇に落ちる間際に見えたのは、不気味な姿の全身タイツの女だった。

  「んんっ…。

  あれっ…、私は確かヒロムくんと会って、それで……」

  目を覚ましたみくりの目前に広がっていたのは、薄暗い手術室だった。

  「目を覚ましたわね?

  大河みくりさん…モココココ……」

  みくりに声をかけたのは、人間…ではなかった。

  豊満な胸やくびれ等シルエットは人間の女性らしいラインだが、全身を白いモコモコの毛で覆い、頭からは立派な耳が生えた、まるで人間と羊を合わせたかのような異形の怪物だ。

  胸の上の辺りには勾玉のようなものが羊毛の上から肌に密着し、腰には龍の紋章が描かれたバックルを装着している。

  「ひぃっ…!?化け物っ……!!!」

  「まぁ、失礼しちゃうわね。

  アタシから見ればあなた達の方がよほど醜い姿に感じられるけれど…まぁそれは置いておきましょう。

  アタシはドクターシープ、十二支帝国エトランゼの研究主任を務めるメリノヒツジの獣人よ。

  モココココ…」

  「十二支帝国エトランゼ…?」

  みくりが疑問に思うと、天井から威厳のあるおどろおどろしい低い声が聞こえてくる。

  『フフフ、大河みくりよ…。

  我が帝国に関しては皇帝たる我自らが教えてやろう…』

  「なっ…、ドラン皇帝!?

  皇帝自らがお出向きになられるなんて、勿体なきご厚意です……!!!」

  声を聞いた瞬間、ドクターシープは天井にある彼女のベルトに刻まれたものと同じデザインの龍の紋章型スピーカーに向かって跪いた。

  『我が名は皇帝ドラン。

  十二支帝国エトランゼとは我が治めし獣人のための国。

  人間の進化形である獣人が獣人らしく、その身に秘めた欲望を抑える事無く全てを解放出来る理想郷だ。

  貴様らただの人間の世界のような嘘と偽りで固められたまがい物ではなく、な』

  「そっ…、そんな国の人が私に何の用なんですか……!?」

  『我々は人間の世界を滅ぼし、獣人だけが栄える世界を実現するべく日々暗躍している。

  しかし、何分この世界全てを掌握するには手が足りない。

  我の理想郷を叶えるためには、一人でも多く尖兵が必要となる。

  大河みくり、我は君を十二支帝国エトランゼに是非とも歓迎したいのだ。

  我々と共に、醜い人間世界を全て壊し尽くそうではないか』

  「そっ……そんな事を急に、言われても……」

  突然拉致され、目が覚めれば急に『一緒に世界を壊そう』と誘われ、みくりは何が何だかわからず混乱する。

  「わっ…、私そんなの興味ないです!

  おうちに帰してください!」

  『大河みくり、君の意思はどうでもいいのだよ。

  この手術室に運び込まれた時点で、君が我が帝国の住民になる未来は確定しているのだ』

  「そ、それって…どういう……」

  その瞬間、みくりは自分の手足が手術台に固定され、体の自由が奪われている事に気が付いた。

  しかも衣服は全て脱がされ、全裸の状態だ。

  「っ…、きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?!?!?

  何なんですかこれ、離してぇっ!!!!!!」

  「モココココ~!

  ここからはアタシが説明してあげるわ。

  大河みくりさん、あなたはこれからアタシ達と同じ獣人になるための改造手術を施されるの。

  獣人はどんな人間でもなれるわけじゃない、獣人化適性のある優秀な人間だけが改造手術を受ける資格があるわけ。

  事前の検査の結果、あなたには強い獣人化適性がある事が判明しているわ。

  だからこうしてキャットルーパーにここに連れてきてもらったのよ!」

  「「「シャーッ!!!」」」

  そう奇声を上げながら入って来たのは、全身を黒いタイツで包んで頭には耳のようなパーツのついた全頭マスクを被った複数人の化け物だ。

  どうやら男性型と女性型に分かれているらしく、一部の個体は胸が膨らんでいる。

  「あっ…、さっき私を襲った!!!」

  そう、帰宅中のみくりに後ろから襲い掛かったのはこのうちの一体(女性型)だったのだ。

  「キャットルーパーは獣人化適性の無い人間を改造した戦闘員でね?

  知能は低いけど、普通の人間と比べたら何十倍にも達する程肉体が強化されているの。

  ま、所詮はただの雑兵だから使い捨て出来る駒なんだけど。

  安心しなさい、あなたが改造される獣人はキャットルーパーなんかとは比べ物にならない程地位の高い名誉ある存在よ♪」

  「そんな事言われたって化け物になんてなりたくないです!

  そもそも、私のどこにそんな適性があるって言うんですか…!?

  運動も出来ない、勉強も出来ない、何をやっても才能の無い私なんかよりよっぽど向いてる人が……!!!」

  「モココ…それはどうかしら?」

  ドクターシープはゆっくりとみくりの顔に近づくと、右手の指でみくりの顎をクイっと上げた。

  「さっき皇帝が言っていたでしょう?

  エトランゼが目指す世界は、獣人が欲望のままに生きていける世界。

  獣人化適性は身体能力や学力では決まらない、その人間が心の内に秘めている"欲望"の強さで決まるのよ♪

  たとえばアタシなんかは人間の頃から誰よりも研究欲が強くてね…。

  法外な実験だろうと迷わず行うような強欲っぷりだったから、こうしてエトランゼにスカウトされたってわけ。

  そしてそれはあなたも同じ。

  あなたもまた心の奥底に、誰よりも強く禍々しい巨大な欲望を抱えている…!!!」

  「私の中に……、欲望……???」

  ドクターシープから言われた言葉にしっくり来ないみくり。

  (私…、別にそんな強い欲望なんて無いはずなのに。

  強いて言うなら、ヒロムくんと恋人になりたい事位だけど……)

  すると、ドクターシープで左手で何やら緑色に光る固形物をみくりの眼前に持ってきた。

  「これは、"欲望の勾玉"。

  人が心の内に秘める欲望を呼び覚まし、増幅させ、肉体をその欲望に相応しい姿に変える力があるの。

  人間を獣人にするための改造手術には欠かせない物ってわけ。

  さぁ、この勾玉をじっと覗いて御覧なさい…。

  きっと、あなたの中にある本当のあなたの姿が見えてくるはずよ…モココココ♪」

  「本当の、私……?」

  言われるがままに、みくりは怪しく光る勾玉に吸い寄せられるように見入ってしまう。

  透き通る勾玉にみくりが視線を向け続けると、徐々に徐々に、勾玉の中に何かビジョンが浮かび始めた。

  それは、これまでみくりが経験してきた記憶の断片。

  幼い頃から引っ込み思案で、常に誰かの後ろに隠れる毎日。

  喧嘩も起こさず、わがままも言わない。

  そんなみくりの姿を両親や大人たちは心底かわいがった。

  『みくりは大人しくてかわいいねぇ』

  『本当、周りの手のかかる子達と違ってえらいわ♪』

  『みくりちゃんは玩具を他の子に譲ってあげれて、とっても良い子ね』

  大人達に悪気は無かった。

  しかし、そんな言葉はいつしかみくりにとって呪いとなり、『自分は大人しくしていなければならない』『他人に迷惑をかけてはいけない』と強迫観念を植え付ける事となる。

  自分は目立ってはいけない、人より勝ってはいけない、無意識にそう考え、それに準じた行動を取るのが当たり前となっていた。

  ……でも、それが本当に自分の本心だったの?

  「……これ、は?」

  勾玉の中に新たなビジョンが浮かぶ。

  それは、これから先起こりうるであろう未来のビジョンだ。

  勉強して、大学に行って、会社に就職する。

  しかし、あくまで人並み以下の成績しか取らないため、それ以上は目指せない。

  いつしか他人の目線ばかり気にして、自分が欲しかった物は自分の手からこぼれ落ちていく。

  行きたかった大学も、入りたかった会社も、他人にばかり勝ちを譲っていたために入れなかった。

  ランクの低い大学に行き、賃金の低い会社に入らざるを得ず、地獄のような環境で奴隷のように働かされ心を壊される。

  それが、他人に勝ちを譲り目立たない人生を過ごしたみくりの未来だ。

  …そして、何よりも。

  『…柳くん。

  好きです、あたしと付き合ってください!!!』

  愛するヒロムの前に立って告白しているのは、みくりの知らない女性。

  いつまで経っても関係が進展せず、両片思い状態である事に耐えられなくなったヒロムは、その少女からの告白に

  『…はい、よろしくお願いします!』

  と承諾してしまう。

  「…待ってよ、ヒロムくん」

  みくりが勇気を出して告白しなかったから、ヒロムは別の女性になびいてしまった。

  ヒロムと女性は、仲睦まじく手を繋いで歩いていく。

  まるで、みくりから離れていくように。

  「やだ、行っちゃダメ。

  私を置いて行かないでっ…!!!

  ヒロムくん!!!!!!」

  みくりの叫びもむなしく、ヒロムと女性は勾玉の中に消えて行った。

  「イヤぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!!!!」

  みくりは、絶望した。

  こんなものが、こんなものが自分の未来なのかと。

  ずっと自分を卑下して、他人に全てを譲る事こそ美徳だと思っていた。

  価値の無い自分に出来る唯一の善行だと思っていた。

  でも、その果てに陥るのがこんな救いの無い結末だなんて。

  自分のこれまでの人生は、間違っていたというのか。

  「私は……、どうすれば良かったの……?」

  すると、勾玉からみくりの脳内に声が響き始める。

  『そんなの…簡単だよ。

  あなたが全てに"勝て"ば良い』

  「全てに…勝つ?」

  『あなたはこれまで、自分の望みを全て心の奥に押し込んできた。

  本当はやれば出来る事も、勝てる相手にも常に出来ないふり、負けるふりをしてきたの。

  でもそれは偽りのあなた。

  心の奥底では、全てに勝って自分が最強だと証明したがっていた…違う???』

  「そ、それは……」

  謎の声の言葉に、みくりは否定する事が出来なかった。

  今まで大人しい自分でいるために、誰かに嫌われないために常にへりくだって来た。

  でも、心の中では出来ない自分を偽る事に無意識のうちに不満を抱えていたのだ。

  自分はもっと出来る、もっとやれる、こんな奴に負けるタマじゃない、今すぐ自分より格下だと証明したい…。

  みくりの知覚していない深層心理の中で少しずつ少しずつ散り積もっていたその不満の火種は、今や気が付かないうちに大きな炎となって燃え盛っていた。

  「……けど、やっぱりそれはいけない事だよ。

  私は皆に嫌われたくないの、誰かに勝つ必要なんて……」

  『その結果が、他の誰かに柳ヒロムを奪われる事になっても???』

  「っ…!?!?!?」

  瞬間、みくりの脳内にフラッシュバックするヒロムが知らない誰かの彼氏になって自分の下から去っていくビジョン。

  『自己保身のために自分を偽って、そのせいで本当に欲しい物を取りこぼすなんて馬鹿みたいだと思わない?

  嫌われて何が悪いの?

  何の影響があるの???

  そんなくだらない自尊心よりも大切な物が、あなたにはあるんじゃないの???』

  「嫌われて、困る事……」

  ……そう思い返してみれば、みくりの言う"嫌われたくない皆"とは一体誰の事だったのだろうか。

  両親?

  クラスメイト?

  何より…ヒロム?

  『ほら、大して困る事なんて無いじゃない!

  両親なんて不仲でも無いけど元から大して仲良いわけでもないし、クラスメイトに至っては友達なんてほとんどいない。

  柳ヒロムとは既に両想いも同然なんだから、今更ちょっと本音を出した位で嫌われると思う?

  むしろこのまま殻に閉じこもって告白出来ない方がお互いにとって良くない事だと思わない???』

  「……わたし、は」

  その時、勾玉が激しく光を放った!

  「モココココ…!

  大河みくりが勾玉と共鳴したわ!

  キャットルーパー達、間もなく手術を開始するわよ!

  すぐに持ち場に付きなさい!」

  「「「シャーッ!」」」

  ドクターシープに言われ、キャットルーパー達は改造用機械の操作機器の前にスタンバイする。

  『フフフ…、いよいよ頃合いだな。

  ドクターシープよ、大河みくりの改造手術を始めよ!!!』

  「了解!

  "欲望の勾玉"よ、彼女の欲望を…解き放ちなさい!!!」

  そう言って、ドクターシープは欲望の勾玉をみくりの両胸の隙間に強く押し当てた!

  「んっ…、あぁぁぁぁぁぁぁっ!?!?!?!?!?」

  瞬間、みくりの素肌にピッタリと密着する勾玉。

  緑色の光はより一層激しく光り、強大なエネルギーをみくりの全身に行き渡らせる。

  しばらくはプルプルと手足が震えるだけだったが、やがて肉体に変化をもたらせ始めた。

  「私は…、私はっ……!

  勝ちたいっ…全てにッ……!!!」

  まず、小柄で木の枝のように細かったみくりの腕にどんどん筋肉が付き始めた。

  太く、逞しく、まるで男子の腕のように、一回りも二回りも大きくなる。

  同様に太ももも固く分厚い筋肉に覆われ、まるで丸太のような太さに。

  次に、つるっと平らだったお腹から、ボコボコと立派な腹筋が湧き出て来る。

  しっかりと6つに割れた、固いシックスパックだ。

  肩幅や首元にも筋肉が付いて全体的にガッシリとしたシルエットになるみくり。

  そんな中唯一、控え目だった胸だけは筋肉質になるのではなく、どんどんと膨張…巨乳化していく。

  元はやや膨らんでいる程度だったみくりの両胸は、今やハンドボール並みの大きく柔らかい乳房になり、筋肉質になった身体でも女性らしさを表現していた。

  ここまででも十分な変化である。

  しかし、改造手術はここでは終わらない。

  「獣人化光線、発射!」

  「シャーッ!」

  ポチッ、とキャットルーパーがスイッチを押すと、手術台の真上にある機械からみくりに向かって紫色の光線が放たれた!

  実は、欲望の勾玉の効果では、その人物の欲望の解放と人間の範囲内での肉体の変化までしか起こせない。

  欲望の勾玉は元々エトランゼが作ったものではなく、太古より伝わる古の道具なのだ。

  そのため、本当に十二支帝国エトランゼの尖兵として改造するために必要なのがこの獣人化光線である。

  この光線を浴びせる事で欲望の勾玉で生じた変化をさらにパワーアップさせ、その肉体を人間の物から獣人のそれへと書き換える事が出来るのだ。

  「あっ…、グッ!?

  ァ、あぁぁぁァァァァァァァァァァァァっ!?!?!?!?!?!?」

  獣人化光線を浴びた事で、みくりの身体に更なる変化が生じる。

  光線の当たった所から徐々に、黄色い獣毛が生え始めたのだ。

  獣毛は瞬く間にみくりの全身に広まり、時々黒い縞模様が刻まれる。

  乳房には黄色い毛が、腹筋のあるお腹の辺りや腕・脚には白い毛が生え、手のひらや足のひらに黒ずんだ肉球が生成。

  手足の指から鋭い爪が生え、お尻の上からは長く白と黒で縞模様になった尻尾が伸びる。

  「う、ぐぎ、ギッ!?

  ガッ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

  変化はついにみくりの顔に生じる。

  黄色と黒の獣毛が鼻の上まで侵食し、鼻と口が前に伸びてマズルと化すと、鼻が茶色く固くなる。

  歯の形が変形して鋭く尖った牙になり、口の上から白い髭が何本か生えた。

  縞模様の獣毛がさらに上…、目の上まで生えると、みくりの丸い瞳が細く吊り上がり、獣を狙う鋭い眼光に。

  黄色い毛に覆われた耳が丸くなって徐々に徐々に頭上に移動し始めると、獣毛が頭頂部に到達した瞬間にみくりの長い黒髪が吸い込まれるように消える。

  やがて耳が完全に頭の上で固定された。

  みくりは、筋肉質な虎の獣人になってしまったのだ。

  だが、ドクターシープは完全に変化が終了しても獣人化光線を浴びせ続ける。

  実は獣人化光線には肉体の獣人化以外にもう一つ効果がある。

  「うっ…、エトランゼは、偉大。

  獣人こそ、正しき進化の形…!」

  「モココ…、洗脳も順調ね」

  それが、浴びせた者の精神をエトランゼの戦士に相応しいものに無理やり洗脳するというものだ。

  欲望の勾玉の効果で心の奥底に眠る欲望を解放し不安定になっている状態の精神に、エトランゼの偉大さ、獣人のすばらしさ、人間の醜さを刷り込み、人格を根本から作り変えるのである。

  「わたしはっ…、じゅうじん。

  わたしはっ……、エトランゼのじゅうじん。

  もう、だれにもまけたくない…。

  だれにもこびない、だれにもかちをゆずらない。

  わたしはさいきょう……!

  そうだよ、さいきょうになれば、ほしいものぜんぶてにはいる。

  しょうめいしてやるよ…。

  このよのだれよりも、どんなそんざいよりも、このわたしが…いや、"おれ"が、さいきょうだとッ……!!!!!!」

  その瞬間、みくりの胸に埋め込まれた勾玉が白く光った。

  全身から力が抜け、みくりは意識を失う。

  改造が完了した合図だ。

  それを見たドクターシープはすかさずキャットルーパーに命令し、獣人化光線をとめさせた。

  「……ドラン皇帝、改造手術完了しましたわ。

  モココココ…」

  『フフフ…、ご苦労だったなドクターシープ。

  さぁ、目を覚ますのだ…新たなる我が尖兵よ……』

  皇帝の声が耳に響いた瞬間、みくりは再び意識を取り戻す。

  「ガルルルル……」

  目を開くみくり。

  瞳は小さくなり、白目は黄色く染まって、見た物を震え上がらせる目だ。

  みくりはゆっくりと身体を起こす。

  手足を縛っていた枷は、起き上がる過程でいともたやすく壊せた。

  全身に筋肉のついた今の彼女にとって、こんな物を壊す程度朝飯前だ。

  「ヒッ…、ヒヒヒ。

  ヒャハハハハッ……!

  体中からパワーが溢れ出る…!

  今までずっと縛られ続けて来た全てのしがらみから漸く解放された、清々しい気分だぜぇ……!

  俺はもう他人のために自分の強さを押し込める貧弱な人間じゃねえ。

  最強を目指し、最強のためにこの世の全てをぶち負かすベンガルトラの獣人…タイガル様だ!!!」

  勾玉による欲望の解放と洗脳の効果により、みくりの人格は大きく歪んでしまった。

  気弱で常に他人を気に掛ける優しい心は消え去り、代わりに自分こそがこの世で最も"最強"の存在である事を誇示する事にしか興味の無い狂暴な心が剥き出しになっている。

  声は以前のみくりと同じはずなのに、ドスの効いた声色はとても同一人物のそれとは思えない。

  一人称も"俺"になり、強気でアグレッシブな性格へと変貌してしまったのだ。

  「モココココ…!

  おめでとう、タイガル。

  これであなたも晴れてエトランゼの仲間入りよ!」

  そう言って、ドクターシープはタイガルの腰に皇帝ドランを模した紋章を刻む太いバックルを巻き付ける。

  ドクターシープも装着しているこのバックルこそ十二支帝国エトランゼの獣人である事を証明する、名誉ある装備なのだ。

  「ヘッ…このベルトを巻けば俺も正式に人間卒業、ってわけか♪」

  タイガルは上機嫌に舌なめずりする。

  『その通りだ、タイガルよ。

  改めて、我々は君を我が帝国に心より歓迎する。

  これからは我の命令に従い、人間の世界を破壊して下等な人間共を皆殺しに……』

  「……は?

  おい、おいおいおい。

  ちょっと待てよ皇帝さんよぉ」

  ドラン皇帝の言葉に聞き捨てならない箇所を察知し、タイガルは言葉を遮る。

  『…?

  どうした?タイガルよ』

  「さっきも言ったけど、俺は"最強"になるために獣人になったんだ。

  それなのに俺が相手するのが脆弱な人間共…ってのは、ちょっと腑に落ちねぇな???

  どうせ人間程度の肉体強度じゃ、俺の攻撃を一撃喰らっただけで木端微塵じゃねぇかよ。

  わかりきった勝負なんてつまんねーよ!

  誰か他にいねぇのか、俺の相手に相応しいツワモノが!!!」

  『そ…、そんな事を言われても困る。

  これはフィクションじゃない、我々エトランゼに歯向かう愚かなヒーロー等存在しないのだ』

  タイガルからのあまりにも想定外な反応に、皇帝は困惑気味だ。

  「ちょっ…タイガル!?

  あんたさっきから皇帝に何て無茶苦茶な物言いを…。

  アタシ達獣人はエトランゼのために忠義を尽くすのが使命じゃないの!!!」

  「あぁ…、その通りだぜドクターシープ。

  俺はこの帝国に忠誠を誓い、命を賭して皇帝のために、エトランゼのために働く。

  …だがなぁ、それ以上に俺はっ!

  俺の内から溢れ出すこの欲望を抑え切れねェ!!!

  俺は戦いたい…戦いたいんだよぉ!!!!!!

  正々堂々、相手と対等に!!!!!!

  そして対等な相手をノックアウトさせ、俺の方が格上だと相手に理解させる…それこそ俺の存在意義!!!

  ガルルルルァッ!!!

  もう俺は、俺を制御出来ねェ!!!!!!」

  瞬間、タイガルはちょうど手ごろな距離に立っていたキャットルーパーの一体に勢いよく拳を入れた!

  「シャッ…!?

  ギシャァァァァァァァァァッ!!!!!!」

  大きく吹き飛ばされるキャットルーパー。

  断末魔を上げながら、キャットルーパーは息を引き取った。

  『なっ…!?』

  「っ……、あんた何アタシのキャットルーパー壊してくれてるの!?!?!?」

  困惑する皇帝、激怒するドクターシープ。

  「んあぁ…、所詮は雑魚か。

  これじゃちっとも楽しめねぇよ。

  やっぱりまともに相手になるとしたら…」

  ギロッ。

  タイガルが視線を向けた先は、自分と同じバックルを身に着けたドクターシープだ…!

  「俺と同格の、獣人か…!!!」

  「へ…?」

  「勝負だ…、ドクターシープぅぅぅぅぅぅ!!!!!!」

  両手から伸びる鋭い爪を構え、ドクターシープに向かってタイガルは駆け出した。

  「うっ…、嘘でしょぉぉぉぉぉぉっ!?!?!?」

  「「シャーッ!!!」」

  咄嗟に残ったキャットルーパー達に命じて、タイガルを止めさせようとするドクターシープ。

  しかし…。

  「邪魔だ、どけぇッ!!!」

  「「ギニャァァァァァァッ!!!」

  タイガルの引っ掻き攻撃により、キャットルーパー達は瞬殺。

  そのままの勢いでドクターシープにも引っ掻きかかろうとする。

  「モコ~ッ!?!?!?」

  咄嗟に横にかわし、ドクターシープは一命をとりとめた。

  「チッ、かわしやがって!

  逃げんなドクター、俺と戦いやがれッ!!!」

  「あんた何意味わかんない事言ってんの!?!?!?

  アタシとあなたは仲間、同僚なの!

  アタシ達獣人の力は下等な人間を滅するために使うものであって、同士討ちのため使うものでは断じて無いの!!!」

  「んなもん関係ない!

  俺は…、最強になるために力を振るうんだよぉ!!!」

  「くっ…、狂ってるわこの娘ッ!!!!!!」

  …そう、ドクターシープの評した"狂っている"という言葉は、あながち間違いではない。

  欲望の勾玉によって解放された大河みくりの欲望は、長年彼女の心の奥底で煮詰まったが故にあまりにも強大だった。

  そしてそんな欲望が解放された状態で獣人化光線による人格の書き換えを行ったのがまずかった。

  突然の欲望の解放により不安定になっていた精神に干渉したがために、みくりの欲望は洗脳の過程でさらに狂暴化し、やがては洗脳によって刷り込まれた帝国への忠誠心すらも上回ってしまったのである。

  『……ドクターシープよ。

  この手術は失敗だ。

  獣人タイガルはこの瞬間を持って廃棄処分、帝国から追放し抹殺対象とする。

  こんな暴れ馬は我々では制御出来ぬ……。

  至急、彼女を処刑するように。

  そしてこんな失敗作を作った貴様の降格処分も視野に入れなければならない事を肝に免じておけ…』

  「そっ…、そんな!?

  ちょっと待って下さい皇帝!

  お願いです、お許しを!!!

  皇帝ぇ~っ!!!!!!!!!」

  ドクターシープの嘆きも空しく、ドラン皇帝は通信を切った。

  「っ……!!!

  このじゃじゃ馬娘がァァァァァァァァァッ!!!!!!」

  あまりに理不尽な出来事の数々に、ついに堪忍袋の緒が切れたドクターシープ。

  腕から羊毛を発射し、タイガルの両足に命中させる。

  すると、羊毛がもわっと巨大化し密着。

  タイガルは足をその場から動かせなくなる。

  「なっ…!?」

  「モ~コココココ♪

  アタシだってねぇ、本気出しゃあこれ位出来るのよぉ!

  研究主任だからって甘く見ない事ね!!!」

  そう言って、ドクターシープは身動きの取れないタイガルの顔面に次々とパンチをお見舞いしていく。

  「あんたさえ生まれなければ!

  あんたなんか改造しなければっ!!!

  アタシは優秀な研究主任としていつまでも皇帝から信頼していただけたのにっ!!!

  この失敗作めがッ!!!

  死ねっ!

  死になさいッ!!!!!!」

  怒りと憎しみ、そしてそんな恨めしい相手をボコボコに出来るカタルシス。

  様々な感情がごちゃ混ぜになり、ドクターシープは歪んだ笑みを浮かべる。

  しかし……。

  「ヒヒッ…、ヒヒヒヒヒ。

  ヒャハハハハッ……!

  そうだよ、これだよ俺が求めてた戦いはァ!!!」

  ガシッ!!!

  「カハッ…!?」

  一瞬殴る手を緩めた隙を狙い、タイガルはドクターシープの首を左手で強く握る。

  「対等な条件で、対等な相手とマジで闘り合う。

  相手が負けた時に『こっちの方が不利だったから』なんて言わせない。

  そんな本気と本気のぶつかり合いで勝つ事で、俺こそが真の強者だと相手に嫌でも理解(わか)らせるんだ。

  これがっ…これが俺が、人間のメスだった頃から心の奥底でやりたかった勝負!!!

  俺こそが明確な"勝者"だと証明できる、この快感ッ……!!!

  あぁ……たまんねぇよなぁ!!!!!!」

  その目は、正気ではない。

  ただただ目の前の相手を叩き潰す事への喜びに満ち溢れた狂気の瞳だ。

  「ァ…ガ……。

  ダズ、ゲッ……」

  「負けそうになった途端に命乞いか…情けねェ。

  敗者は敗者らしく、地面にうずくまってろッ!!!」

  タイガルはドクターシープの首を全力で握ると、そのまま首を持って右の床へ彼女の身体を叩きつけた!

  それだけでは終わらない。

  ビタン!ビタン!ビターンッ!!!

  二度、三度、四度、何度も何度もドクターシープの首を振り回して身体を地面に叩きつける。

  やがて、ドクターシープの身体はピクリとも動かなくなり、胸元に埋め込まれた勾玉から光が失われて絶命した。

  それと同時に、タイガルの両足を地面に接着させていたドクターシープの羊毛も粘着力が消え、自由に動かせるようになる。

  「あァ……♡

  生まれて初めて誰かに勝てたんだ、俺。

  勝つって、強いってこんなに気持ちが良いんだなぁっ……♡♡♡」

  長い舌からボタボタと唾液をこぼしながら、タイガルは人生初の勝利の快感に酔いしれる。

  もう誰かに勝ちを譲るような脆弱な人間じゃない。

  完膚なきまでに勝って最強になるために生きる、それがこれからのタイガルなのだ。

  「……あぁ、そうだった。

  最強になるのもそうだけど……俺が獣人になった理由はもう一つあったんだったなぁ?」

  ペロリ、と唇と舌で濡らすタイガル。

  どうやらここはドクターシープの居住地兼改造を行う小さな基地だったらしく、主もキャットルーパーも全員倒してしまった以上もうこの場所には誰も残っていないようだ。

  だったら彼女がここに留まる理由はもうない。

  あのビジョンのように盗られないためにも、今すぐに彼に会いに行くべきだ。

  「ガルルッ…待ってろよぉ、ヒロム……♡」

  時刻は午後10時。

  すっかり暗くなった空の下で、ヒロムは懸命に心当たりのある場所を駆け回り続けていた。

  「おーいっ!

  みくりぃぃぃぃぃぃっ!!!

  いるなら返事してくれぇ~っ!!!!!!」

  みくりが夜になっても帰って来ないという事をみくりの両親から聞き、いてもたってもいられずヒロムは捜索に乗り出したのだ。

  しかし、探すのに夢中ですっかり人気の無い原っぱの辺りまで来てしまったが、みくりはどこにもいなかった。

  「はぁ…、はぁっ……!

  嘘だろ、こんなに探してもいないなんて…。

  みくりは家出したり親に無断で夜遊びするような子じゃない。

  だとしたらひょっとして、何か危ない事に巻き込まれたんじゃ……!?」

  最悪の可能性がヒロムの脳内によぎった、その瞬間だった。

  「ヒャハハハハッ……!

  見ィ~つけたぁ……♡」

  「っ…!?

  その声、みくり!?

  おーい!僕はここだよ!!!

  無事だったんだね!!!」

  聞き覚えのある声が耳に入り、ヒロムはすっかり安心感で満たされる。

  しかし、辺りをキョロキョロ見渡しても、みくりの姿は見当たらない。

  「あれっ…、みくり?

  どこにいるの?」

  「ここだよぉ、ヒロムっ……♡」

  その声は、何とヒロムのいる位置の真上から聞こえていた。

  「え、上…」

  ヒロムが夜空を見上げると、そこには、巨大な影が……?

  「うわあああああああああっ!?!?!?」

  ドスンッ!!!!!!

  何かモフモフとしたものに上からのしかかられたヒロム。

  意を決して目を開くと、そこにいたのは探し求めていた片思い相手…ではなかった。

  「いたたたた…。

  ……へっ???」

  それは、全身を黄色と黒の縞模様が刻まれた獣毛で覆われ、筋骨隆々な虎の姿をした化け物だった。

  腕や脚、肩幅は筋肉によってゴツく、腹筋はバキバキ、それでいて胸は大きく柔らかくて女性らしい色気を醸し出している。

  顔はほとんど本物の虎その物で、獣を狙う鋭い眼光でヒロムを睨む。

  口からは何でも噛み千切れそうな牙がチラ見えし、よだれがポタポタと落ちて来た。

  「っ……うあぁぁぁぁぁぁァァァァァァァァァッ!?!?!?

  なっ…、何なんだこの虎ァ!?!?!?」

  「ガルルルルぅ…!

  ヒロムっ、ヒロムぅっ♡

  会いたかった、俺、会いたかったよぉっ……!!!」

  「ッ…!?!?!?」

  その虎の口から聞こえて来た声に、ヒロムは驚かざるを得ない。

  「その、声…。

  みく、り……???」

  「ヒャハハハハ…!

  その通りだぜ、ヒロムぅ♡

  もっとも、今の俺は大河みくりとしての弱い自分を捨てて、ベンガルトラの獣人・タイガルに生まれ変わったけどな♪」

  「は…、え……???」

  ヒロムは今目の前で起こっている事象が理解出来ず、思考がフリーズする。

  当然だろう、帰りが遅いと聞いて探しに来た意中の相手が、虎の化け物になって、外見も口調も一切の面影を感じられない程変貌していたのだから。

  「ほ……、ほんとに、みくり、なのか?」

  「あぁ、もちろん♡」

  「何で…、そんな姿に、なってるんだ……?」

  「まぁ話せば長くなるんだが…、簡単に言えば、十二支帝国エトランゼっていう獣人が支配する国にスカウトされちまってな♪

  俺は獣人になるための改造手術を受けて、今まで心の奥底にしまいこんでいた欲望を全てさらけ出せるようになったわけよ。

  …あれっ、そう言えばその後制御不能だからって追放されたんだっけ?

  俺は偉大なる帝国を裏切ったつもりなんて無いんだけどなぁ…。

  …まぁ良いや!

  帝国と敵対した方が闘り甲斐のある獣人と戦えそうだし!

  あんな羊一匹殺した位じゃ全然満足出来ねぇ、もっともっと帝国の獣人を殺しまわって、俺こそが"最強"の獣人だって証明してやるよッ……!

  ヒャハハハハ…!!!」

  ヒロムにとっては、みくり?の成れの果てと思われる目の前の虎の化け物が何を言っているのかさっぱり理解出来ない。

  しかし、元の彼女とはかけ離れた粗雑で乱暴な口調、彼女の口から出た"殺す"というワードから、今自分にのしかかっているみくりは、もう自分の知っているみくりでは無いという事が嫌でも伝わって来た…!

  (や、ヤバい…。

  逃げなきゃ……!!!)

  本能的にそう察知したヒロムは、恐る恐る彼女に下敷きになっている下半身を引っ張り出し、その場から逃走を図ろうとする。

  しかし…。

  「おいおい、どこ行くんだよヒロムぅ♡

  せっかくお前に会えたんだ、まだまだ離ねぇぞ♪」

  ガシッ!

  力強く右肩を掴まれ、ヒロムは逃走出来なくなった。

  「アッ…、痛い痛い痛いっ!!!!!」

  人間離れした怪力で咄嗟に捕まれ、ヒロムは苦悶の声を上げる。

  「おおっと…、悪い悪い。

  この身体の筋力だとヒロムを傷付けちまう危険があるな……。

  今更あの頃の貧弱な肉体に戻るなんて嫌だけど、仕方ねぇ」

  そう言うと、タイガルと化した彼女の肉体に徐々に変化が生じ始めた。

  頭頂部から大量の黒い髪が生え、全身から縞模様の獣毛が消えていく。

  腕や脚は木の枝のごとく細くなり、腹筋が引っ込んでつるっとした白いお腹になった。

  お尻の上の辺りから生えた尻尾は掃除機のコンセントを巻き取るように皮膚の中に消え、手足の指の爪が丸くなる。

  前に突き出していた鼻と口が引っ込むと、鼻は肌色に戻り、頭頂部の両耳がグングン下に下がって本来の人間の耳の位置に戻った。

  こうして、タイガルは元の大河みくりとしての姿に完全に戻った。

  …ただし、ハンドボール大の巨乳は大きさを変えず、その瞳は獣人状態の時と同じく鋭く吊り上がり、歯は犬歯のように尖る等、タイガルとしての肉体の名残が少し残っている。

  「ほら、これで良いだろヒロム♪」

  「よっ…、良くないってみくり!!!

  裸!!!

  全裸だよ今ァ!!!!!!」

  元の人間の姿に戻ったために、一糸纏わぬ姿で自分に乗りかかっているみくりにヒロムは赤面して大慌て。

  しかし、当のみくり本人は自分が全裸である事に少しも羞恥心を感じないらしく、大きな胸も下半身も隠さず堂々としている。

  「ヒヒッ…俺の裸にそんなに興奮してんのかァ?

  かわいいやつだなぁ、お前は……」

  みくりはおろおろする反応を楽しむためにヒロムの頭に顔を近づける。

  しかし、頭を下に下げた途端バサッ!とみくりの目や顔に大量の長い黒髪がかかった。

  「チッ…、んだよこの髪ぃ。

  ちょっと頭動かした位でバサバサ顔にかかって鬱陶しいったらありゃしねぇ。

  よくこんな邪魔なの伸ばしてたなぁ、人間の頃の俺って……」

  そう呟くと、みくりは右ひじから先の右手までの部位だけをタイガルとしての虎獣人の右手に変身させる。

  そして鋭く尖る右手の爪を立てると、目にも止まらぬ速さで自身の頭から伸びる長い髪を爪で切り刻んで行った!

  スパスパスパッ!

  バサーッ…!!!!!!

  胸下まで伸びる後ろの髪は刈り上げ、左右の髪は耳が出るまで短くし、目にかかる位だった前髪は生え際から数cmにカットしておでこが丸出しになる。

  総じて、今の気の強い性格になったみくりに似合うアグレッシブなベリーショートヘアだ。

  「ふぅ…、スッキリしたぜ。

  これこそ生まれ変わった俺に相応しい髪型だ♪

  ヒロム、どうだぁ?

  似合ってるか???」

  部分的に獣人化させていた右腕を人間の物に戻しながら、みくりはニヤニヤとヒロムに問いただす。

  「えっ、あ…。

  それは、その……似合ってるとは、思う」

  あまりにも異常な状況故たどたどしい言葉でしか言えないヒロムだったが、実際男のように短くなった髪と胸にぶら下がる大きな乳房のギャップがとてもセクシーで、ヒロムは心の中では新しいみくりの姿に非常に興奮していた。

  「だろォ♪

  しかも表には出さないようにしてるけど、ヒロムってば俺を見て滅茶苦茶ムラムラしてる♡

  こんなに美味しそうな餌、食べちゃわないと勿体ないよなぁ……?」

  「それって…どういう……」

  ヒロムが言い終わる前に、みくりは強引にヒロムの口の中に舌を突っ込んだ。

  「ンんんんんっ!?!?!?」

  「んっ…、はむぅっ♡」

  突然のディープキスに困惑するヒロムを他所に、みくりはヒロムの口の中で激しく舌を動かしまわる。

  最初はもがいていたヒロムだが、悪い気はせず、徐々にみくりのなされるがままになった。

  実際には数分間の出来事だが、ヒロムにとっては永遠にも感じられる程長い時間、みくりは舌を突っ込み続ける。

  「「ぷはァっ……!!!」」

  ようやくヒロムの口から舌を抜いたみくり。

  お互いの口が唾液の糸が繋がった。

  「み、みくり…。

  これって……!?」

  「あぁ…、そうだよォヒロム!!!

  俺はッ…!

  人間だった頃からずっと、お前が好きだった!

  いつ何時もヒロムの事を考え続けて、ずっとずっと俺の物にしたいって思い続けて来たんだよッ……♡

  …けど、あのまま人間でいたら、本当の自分を表に出さないままだったら、俺はきっと一生お前にこの気持ちを告白しなかったと思う。

  あの頃の"私"は…臆病で…気弱で……ずっと誰かの顔色を窺い続ける情けない女の子だった。

  誰にも嫌われたくなくて、迷惑かけたくなくて、皆から求められる『大人しくて良い子』を演じ続けてきたの…!!!

  だからあなたが好きなのに、あなたに告白する勇気が出なくて、ずっとこの思いをあなたに伝えられなかった……」

  「み…、みくり……」

  瞳から涙をこぼしながら本音を吐露するみくり。

  以前の思いを吐き出しているためか、その口調もどことなく獣人になる前の穏やかな物に戻っている。

  「……でもね、それじゃダメなんだって気がついた。

  このまま私の本心を秘め続けていたら、私が本当に欲しい物が何も手に入らない。

  行きたいと思った大学も、進みたいと思った進路も、何より、ヒロムくんの事も……。

  このまま自分の身を守るために本当は勝てる勝負にも勝ちを譲り続けたら、私に残る物は何もない。

  ヒロムくんだって、私の下を離れてどこかへ行ってしまう…そんなのやだっ……!!!

  ……だからァ!!!!!!」

  再びドスの効いた声色に戻るみくり。

  「"俺"はもう…、自分を偽らない!!!

  勝ちは譲らない。

  どんな勝負にも俺が勝って、俺こそが最強だと証明する。

  そうすれば俺は欲しい物が手に入る…当然ヒロムの事もッ……!!!

  ヒロム、お前は俺のっ……番になれっ♡♡♡」

  再びみくりはヒロムと唇を重ねる。

  今度は舌は突っ込まず、唇同士で。

  「んっ…!?」

  「知ってんだぜ…?

  ヒロムだって俺の事、ずっと好きだったんだろ!?

  だったらよォ、こうしてお前と無理やり愛し合ったって良いよなァ!?

  両想いなんだからよぉ~!!!!!!

  ヒャハハハハハッ!!!!!!!!!!!!」

  ギラギラと輝くみくりの目は、得物を狙う狩りの目つきだ。

  「……」

  ヒロムは、あまりの怒涛の展開に頭の中がグチャグチャだった。

  しかし…。

  (さっきから、わけがわからない…。

  でも…、さっきみくりが僕に見せた涙。

  あれは、間違いなくみくりの"本心"だ。

  僕はずっと、無意識にみくりに『大人しい子』でいる事を強いて、その癖自分からはみくりに告白出来ない意気地なしだった。

  その事が彼女を、ここまで追いつめていたんだ……!!!)

  自分もまたみくりを苦しめる側の人間だった事を自覚し、その事への罪悪感、そして改めて、『自分はみくりが好きだ』という感情を再確認したヒロムは……。

  「……うん、僕も好きだよ。

  みくりの事。

  ごめん、僕が君に告白出来なかったから、"優しい子"でいる事を強いてしまったから、君をそんなになるまで追いつめてしまったんだね。

  これからはもう…逃げない。

  僕は君が好きだ。

  どんな君でも好きだ!

  だから、一生かけて君を…!

  幸せにして見せるッ……!!!」

  一世一代の、告白。

  それを聞いたみくりは、口角を上げて呟く。

  「ヒヒッ…それを聞きたかったんだよ、バーカ♡」

  こうして、ヒロムは餌として猛獣のみくりに綺麗に"頂かれた"。

  一か月後、二人のクラスではみくりの変貌っぷりが大きな話題となっていた。

  これまで暗く内向的だったみくりがある日突然髪を男の子みたいにバッサリ切って来たかと思えば、強気な口調で事ある毎にクラスメイトに勝負を挑んでくる。

  「なァ、今度の小テストの点数で勝負しねぇ?」

  「お前50m何秒で走れる?

  俺と勝負しようよ♪」

  それら全てにみくりは見事に勝利して行き、勉強でも体育でもみくりの成績は一気にトップに躍り出たのだ。

  いきなり人が変わったように絡んでくるみくりの姿に

  『あまりに変わりすぎて怖い』

  『ちょっと早い夏休みデビュー…?』

  と不思議がる者がいる一方で、

  『癖は強いけど前よりも親しみやすくなった』

  『壁を感じずに喋れて楽しい』

  と、生まれ変わったみくりを歓迎する者も多い。

  また、男子からは髪が短くなったにも関わらず以前よりも醸し出される色気と大きくなったおっぱいが好評で、一気に異性として意識する者が増えたという。

  放課後、ヒロムがみくりを探しに行くと、校庭の懸垂用鉄棒で片手懸垂を行って右腕を鍛えるみくりの姿があった。

  「みくり~、そろそろ帰ろうか」

  「ん?

  おう、わかったわかった!

  けどあと100回、もう1セットだけやらせてくれっ!!!

  すぐ終わるから!」

  「ま、マジか…」

  みくりは宣言通り、右腕だけで行う懸垂をあっと言う間に100回こなし、トレーニングを終えた。

  「ふぅ~!

  良い汗かいたなァ」

  「えっと…、そう言えばみくりは獣人?になったのに、改めて鍛える必要ってあるの?」

  「まぁな。

  確かに獣人になればすぐに筋肉がつくけど、人間の状態だとヒョロヒョロのほっそい腕だったろ?

  だから人間の姿の時もしっかり筋肉がつくように、こうしてトレーニングが欠かせないんだよ♪

  ほら、一ヶ月も続ければもう大分ガッシリしてきた!」

  そう言ってみくりが右腕を曲げると、立派な力こぶが浮き出て来た。

  「おぉ…、すごい」

  「ヒヒッ、だろ♪

  俺は勝負はフェアにやりたいんだ、だから人間と勝負する時は獣人の力は使わない。

  人間としての俺の肉体を人間と同じ手法で改造して、その上で全ての人間よりも俺が優れていると証明するんだよ!」

  みくりは獣人としてだけでなく、人間としても"最強"を目指し、筋力も頭脳も徹底的に鍛えるようになった。

  クラスメイトに事ある毎に勝負を仕掛けるのもそのためである。

  対等な相手と本気で戦い合い、勝利を勝ち取る。

  それこそが今のみくりの生きる意味であり、快楽なのだ。

  「…凄いな、みくりは。

  どんな勝負にも妥協せず一番を目指すみくりの姿勢、彼氏として僕は心から尊敬してるよ!」

  「ッ…!?

  うっ、嬉しい事言ってくれやがってこの野郎♡

  褒めても何も出ねェぞっ!!!!!!

  ……嘘、ほんとはめっっっっっっちゃヒロムにご褒美あげてェ。

  なァ、ご褒美にキスしても良いか?

  良いよな???」

  顔を真っ赤に染めながら、みくりはヒロムに迫る。

  周りに人が多いため、普通なら恥ずかしがるだろうが…。

  「うん、もちろん。

  キスしよう、みくり!」

  ヒロムは一切躊躇せず、その申し入れを受け入れる。

  「さっすが俺の見込んだ番だぜ…!

  それじゃあ早速…愛してるぜ、ヒロム……♪」

  二人の唇が重なり合う、その直前…。

  「フゴフゴフゴ…!!!

  見つけたでごわすよ、裏切り者の虎獣人!!!」

  二人の前に現れたのは、エトランゼからの刺客だった。

  「きゃ~っ!」

  「化け物ぉぉぉぉぉぉ!!!」

  獣人の姿を見た瞬間、みくりとヒロム以外の人間は全員恐怖でその場から逃走する。

  「……悪い、ヒロム。

  一番のお楽しみは後に取っておくよ」

  少し残念そうに短い毛の生えた頭皮をポリポリと掻きながら、みくりは獣人の方に顔を向けた。

  「ううん、みくりに…いや、タイガルにとっては、僕とイチャつくだけじゃなく"そっち"も重要な生きがいだもんね。

  頑張って、タイガル!」

  「おうっ!」

  そうエールを送って、ヒロムは物陰に隠れる。

  愛する番からの応援をしみじみと噛み締めながら、みくりの表情はすぐさま満面の笑みに変わった。

  「ヒヒッ…♪

  待ってたぜェ、エトランゼの獣人!!!」

  「吾輩は二ホンイノシシの獣人・ボワイ!

  獣人の癖に人間に味方する不敬者めが!!!

  帝国を離反し獣人どもを次々と葬り去る貴様を、この吾輩が討ち取ってくれよう!!!」

  ボワイと名乗る男は、全身茶色い毛皮に包まれたイノシシの獣人だった。

  タイガルのエトランゼ離反後、帝国は定期的に獣人を派遣し、タイガルを始末しようとする。

  それはタイガルからしてみれば正に待ち望んでいた獣人同士の殺し合いであるため、これまで彼女は必ずその勝負を買ってきた。

  そんなタイガルの姿は、傍から見れば怪人から人々を守るヒーローのようであり、一部では『怪物を倒す正義の味方』の都市伝説が出回り始めている。

  …実際の所、タイガルはこれまで獣人の姿で一般人に危害を加えた事は無いので、あながち間違ってもいないのだが、それでもタイガルにヒロム以外の人間を守ろうという気はこれっぽっちも無いので、人々は『偶然にも人間を殺す事には興味が無く、獣人同士で殺し合う事が快楽の虎獣人に奇跡的に助けて貰っている』という何とも不安定な状況に頼らざるを得ないのが現状だった。

  「別に俺、裏切ったつもりも人間に味方してるわけでもないんだけどなァ。

  ヒロム以外は誰が死のうがどうでも良いし。

  …ま、何でも良いや!

  俺が本気で闘り合える獣人なら、な♪」

  ニヤリ、と笑みを浮かべた瞬間、みくりの全身が縞模様の獣毛に包まれ、筋骨隆々に盛り上がってタイガルとしての姿に"戻った"。

  「フ~ゴフゴフゴ!

  吾輩はこれまで貴様が殺してきた獣人の誰よりも強い自信がある!

  軽く捻り潰してやるわ!!!」

  「ガルルルルッ…!

  随分大口叩くけど、口じゃなくてまずは実力で示してみろよ。

  せいぜいこの俺を楽しませてみな豚野郎!

  退屈させたら承知しねェから!!!

  ヒャハハハハッ!!!!!!」

  お互いに啖呵を切り合い、いよいよ臨戦態勢に。

  「フゴォォォォォォォォォッ!!!」

  「ガルルルルルルルルルァッ!!!」

  こうして二人の獣人の激しい殺し合いの火蓋が今、切って落とされた。