僕を思いっきりドキドキさせたのはパーカスよりずっとずっと年寄りに見える老竜人だった。僕の悲鳴に高らかに笑った長老は銀色のローブを纏って、まるで床を滑る様に移動していた。
ソファに音もなく座ると、いつの間にかテーブルには湯気の立つお茶の用意が出来ていた。パーカスは見た事もない神妙な様子で僕を座らせると自分は長老の対面に座った。
「長老お久しゅうございます。一体いつぶりになりますかの。私も王都を離れてしばらく経っておりますからな。」
すると美しいカップをまるで浮かす様に持ち上げた長老は、美味そうにひと口飲むと呟いた。
「パーカスが王都を去ったのは致し方なしことぞな。ぬしの番は獣人だったかの。逆鱗を飲ませた相手を失っては気力も失われると言うものじゃ。…だが、ぬしは新しい生きがいを見つけたようじゃのう?」
そう言って僕をじっと見つめた。パーカスの亡くなった番が獣人だった事も初耳だったけれど、それを吹き飛ばすかの様に長老の眼差しは僕の身体の中に食い込んだ。
「…らめっ!」
僕の頭の中に爪を立てられる様な嫌な感触に、僕は思わず叫んで目をぎゅっと瞑っていた。パチンと何か金属が弾ける音がして、恐る恐る目を開けると、立ち上がった長老は魔石の積まれた器の中に手を入れた。
長老が何かを握って、こちらへ戻ってきた。そして黙って僕の目の前に手を差し出した。僕が呆然と両手を差し出すと、長老は僕の手の中に小鳥の卵くらいの真っ青な魔石をコロンと滑り落とした。
「パーカス、この子は不思議じゃな。手紙に書かれていた通りに、この世界の#理__コトワリ__#など関係ないようじゃ。私の魔力を弾き返したぞ。そんな事の出来る者はこの世界には居らぬ。しかも、私がこの子の頭の中を覗こうとしたら、この魔石の中にその秘密を隠したようじゃ。勝手な事は許さない…のじゃろう?人間の子よ。」
僕は心臓がドキドキしていた。目の前の長老が何を言っているのか少しも理解できなかったし、僕が何かをした…の?気づけば僕は胸が詰まって息を堪えていた。
「わかんにゃい…!ぼく、なにちた?わかんにゃい、ぱーかちゅ…。」
自分の声が震えるのがわかった。僕はただ恐怖しか感じられなかった。この世界で異質な僕を、一体誰が側に置いてくれると言うのだろう。パーカスだって、今の僕がしてしまった何かを感じたら、僕を捨てるのではないだろうか。
パーカスの顔を見るのが怖くて、僕は手の中の真っ青な丸い魔石を視界が滲むのを感じながらじっと見つめていた。ふいに抱き上げられて、パーカスの腕の中の温かさを感じた瞬間、僕は堰を切ったように泣いてしまっていた。
只々、怖かった。僕には理解できない事ばかりで、でもこの世界では馴染まない事であると分かってしまったから。
「長老、テディを脅かすのはやめてくだされ。この子はただでさえ、この世界で独りぼっちだと恐怖を感じておるのですぞ?テディ、言ったじゃろう?私はテディの家族じゃと。」
僕はまた泣いてしまった。今の僕にはパーカスがこの世界の拠り所だったからだ。ひとしきり泣くと、長老がブツブツと口を尖らせて言った。
「…まったく、人間というものの性質はまさにコレなのじゃな。避けられぬ庇護欲。私でさえ、罪悪感で胸が締め付けられるほどじゃわ。パーカス、ぬしはこの子の絶対的な保護者になるつもりなのじゃな。…よろしい。では塔の記憶を見せてやろうぞ。」
長老はそう言うと、やっぱり重力を感じないするりとした動きで奥の扉の前に立った。すると扉が開いて、中から背の低いシワクチャの獣人が眠たげな眼差しで長老を見上げた。丸めた背には甲羅の様なものがローブから浮き出ている。
「タート、先日探しておく様に言った特別な資料が見たいのだがの。」
するとタートと呼ばれた多分亀獣人は、やっぱり滑る様な足取りで奥へと引っ込んだ。僕はパーカスに抱っこされながら、長老の後について扉の奥へと進んだ。そこには塔の天辺まで続くような沢山の書物がぎっしりと並べられていた。
タートが口の中で何やら呟くと、幾つかの日記のようなものが長老の手の中に降りてきた。その時僕の手の中の長老から貰った真っ青な魔石がブルブルと震えたと思ったら、ビュンと真っすぐに飛んで行った。そして一冊の本の背にぶつかると魔石は砕け散った。
僕が突然の事に唖然としていると、眉を顰めた長老が空中に浮遊する砕けた魔石の破片をさらに粉塵に変えて、それから魔石がぶつかった本を手元に引き寄せた。それからその本をパラパラと捲ると、本の間から一通の手紙のようなものを取り出した。
「人間の隠された秘密はここにもあるらしいの。タートありがとう。」
そう言って数冊の本と一緒に、それを持って元居た部屋に戻ろうと踵を返した。
何も言わずに様子を見ていたタートという獣人が、僕をじっと見つめているのに気がついた。そして迷った表情の後、一冊の本を書棚から僕の手の中に受け渡した。僕が受け取るのを見ると何事もなかった様に奥の書棚の方へと歩き去って行った。
僕とパーカスは顔を見合わせて、長老の後をついて元の部屋に戻った。ソファに座ると、長老が僕の手の中の本をじっと見ると弾ける様に笑った。
「何とも面白いことじゃ。あのタートが坊主にその本を渡したのか?ホホホ、タートは先見の魔力に長けておっての。いずれ坊主にもそれが必要になると踏んでお節介を焼いたのじゃろう。それが読める頃には必要になるのじゃろうて。」
僕は知らない言葉の並ぶ本の表題をじっと眺めてパーカスに尋ねた。
「ぱーかちゅ、これ、なんちぇほん?」
そう言ってパーカスに貰った本を見せると、パーカスは眉間に皺を寄せて何とも言えない表情で長老を見た。
「これはまだテディには早いのではありませぬか?」
すると長老はさっきの部屋から持ってきた本のページを手をかざしながら捲ると、開いたページを読みながら、僕をチラッと見た。
「‥そうとも言い切れぬぞ?その人間とやらは、この世界への迷い人じゃからの。ここでの常識などあってない様なものじゃぞ。」
僕はハッとして本を捲りながら読み#耽__フケ__#る長老を見つめた。あの本には僕が迷い人と書いてあったのだろうか。実際僕はあの草地でパーカスに拾われるまで、それまでの記憶は無い。けれども中身は決して3歳やそこらの考えではないんだ。
不安になった僕がパーカスを見上げると、パーカスは難しい顔をして長老の次の言葉を待っていた。
「…なんと。坊主、ぬしは一体何歳なのじゃ?」
僕は眉を顰めてパーカスを見上げた。黙って首を振るしか出来ることは無かった。すると長老は指先をパチンと鳴らすと、僕を指差してクルリと円を空間に描いた。
途端に僕はドクドクと心臓が激しく鳴って、胸を押さえて前に倒れ込んだ。パーカスの慌てて僕を呼ぶ声と、長老の何か呟くトーンを耳に残しながら、僕は恐怖を感じながら意識を手放してしまった。
ああ、もしかして僕死ぬの…!?