僕は髪を切るために裸になって庭に出ると、テラスの窓に映る自分の姿を見ながらハサミを動かしていた。側には切った長い髪が束になって置いてある。短く切るのは難しかったので、腰までの髪を前に引っ張り出して適当に胸の辺りで切った。
これくらいなら、まぁ邪魔すぎることもないだろう。切った髪は集めて大きな金物のタライに並べて入れた。僕の髪には魔力が[[rb:纏 > マト]]っているらしく、素材になるかもしれないと昨日パーカスが言ってたからね。
髪を編んで御守り袋に入れたら、もしかしてご利益があるのかな。なんてね。
さっぱりした僕は服を着ると、やっぱりあの柵の外へ行ってみたいと思った。光る魔物は感知出来るし、そこまで怖いことにならないと思ったんだ。だから普段お散歩の時につけている魔物避けの魔石をズボンのポケットへ押し込むと、柵の門を軋ませて外へ出た。
しかし本当にここはひと気がない。寂しいくらいだ。僕は柵に掛けてあった蔦で編んだ籠を掴むと、パーカスの好物の薬草が生えている野原へ向かって歩き出した。
そう言えば、僕がパーカスに出会ったのはそこだったっけ。何度もパーカスと一緒にお散歩で薬草採りに来ていたけれど、特に何があった訳じゃなかった。僕は普段はすっかり忘れているのに、身体が元に戻ると本来の自分の事を考えてしまう。
今もぼんやりと、何かを思い出せそうな気がしていた。僕の本当の名前とか?でも今更知ったところでどうなる訳でもない。長老も人間が元の世界に戻ったとは言わなかった。この世界で生きたとしか。
僕は幼いままの姿の方が、クヨクヨせずに生活できるなと苦笑した。
薬草を二、三日分摘むと、僕は屈んだ腰を伸ばした。ちっさなテディの時は感じなかった大きな身体のデメリットだ。そうは言っても歩くのは早いし、何なら走れる。僕は籠を地面に置くと、遠くに見える森の入り口から少し外れた場所に目立っている、大きな木を目指して走ってみた。
大きく腕を振って走る。ジェシーのお兄ちゃんみたいな、そこそこ大きな獣人の子供にも足の速さは敵わないかもしれないけれど、それでも自分の身体を最大限に使うのは気持ち良かった。
実際この大きな木までは来たことがなかった。森の道へ行く時はダダ鳥に乗ってしまうし、歩いてくるには少し距離があった。僕はマダラ模様のつるりとした木に近づいた。下から見上げると何かぶら下がっている。
雫型の大小様々な木の実の様なものが、いくつも葉っぱの間から垂れ下がっていた。ジャンプすれば手に届きそうな場所にもぶら下がっている。僕は木の棒を拾うと、その木の実を叩いてみた。見かけよりも重くて、何か入っているみたいだ。
足元を見回すとひとつだけ割れたその木の実が転がっていた。しゃがみ込んでその卵サイズの乾いた木の実の殻を棒で突いてひっくり返すと、中身は空っぽだった。けれど、何かべったりとしたものが内側にへばりついていた。
生きてるものが入っていたのかな。これってもしかして卵なのかな。僕はもう一度上を見上げた。光ってはいないから魔物ではなさそうだ。とは言えこの異世界は僕の想像もつかないものが存在する。僕はこれ以上詮索して何かあっても困ると、よっこらせと立ち上がった。
その時、僕は違和感に気がついた。さっきまで首を傾げて見上げないと目に入らなかった木の実が幾つか、なぜか目線の先に見える。…降りてきている?僕はゆっくり後ずさった。もうすぐ木の枝の外へ出ようとした瞬間、その木の実がひとつ揺れて割れ目から何かが飛び出して来た。
虫?コロンとした黒い何かが僕めがけて何匹か降ってきた。羽は無い様だったけど、落ちながら足についた一匹を手で払うと、手足に小さな爪があるのか、引っ掻き傷から血が垂れた。
僕は慌ててぴょんぴょん跳ねながら飛びすさると、薬草の籠まで走った。何だあれ。丸くて黒い甲虫の様なものが3、4匹出て来たぞ。僕はあの虫が後からついて来ている気がして、ゾッとしながら籠を掴むと慌てて柵の中に戻った。
息を切らして立ち止まると、僕は改めて身体を見回した。さっき引っ掻かれたふくらはぎからはまだ血が流れていた。案外深いのかもしれない。ふと目の端に何かが動いた気がして、僕はハッとして左肩を見た。肩の背中側に2センチくらいの黒い何かがくっついていた。
あの虫?慌てて手で払おうとしたけれど、へばり付いていて取れない。僕は慌てて家に入ると、鏡越しに肩を見た。そこにはやっぱりあの黒いものがシャツの上からくっついている。
僕は恐る恐るボタンを外してシャツを脱いだけれど、なぜかその黒い虫とシャツと僕の身体はくっついたままだった。よく見るとシャツに血が滲んでいる。痛くは無いけれど、もしかしてシャツを食い破って僕の身体に直接くっついているの?
僕はどうして良いか分からずに、服を着たまま湯浴みに飛び込んだ。けれど、どんなにお湯をかけても、石鹸で洗っても、ボタンの様に肌の上にくっついたままだった。シャツは黒い虫?を肩に残して脱げた。よく見るとシャツの穴は破れているというより、溶けている感じだった。
僕は急に怖くなった。シャツを溶かす様な変な生き物?虫?が僕の身体にくっついて離れない。それってどう言う事?念の為他の場所も見たけれど、他には付いてなかった。これで何匹もくっついてたら泣く。今も泣きたい。
とりあえずどうしようも無いので、僕は濡れた服を脱いで、新しい下履きとズボンを履いた。長いズボンで外に出れば良かった。さっきの引っ掻き傷からはまだ少しだけど血が垂れている。
まだ昼にもなっていないし、パーカスが帰ってくるとしても夜だろう。僕が大丈夫だと言ったから明日かもしれない。僕はハギレを手にすると、布越しにもう一度つるりとした黒い虫を掴んで引っ張ってみた。
皮膚が引っ張られる感覚があるものの、全然引き剥がれない。これ以上やったら肩に穴が開きそうな気がする。しかも何だか力が抜けて来た。やばい…。せっかく唐揚げ作ろうと思ってたのに…。
僕はテラスの見えるソファにドサリと横になって、ぼんやりと外を眺めた。身体が重くて動けない。もしかしてこのまま死んでしまうのかな。よく知らない世界なのに、勝手に柵の外に出たばかりにこんな事になってしまった。
自業自得だとは言え、パーカスは僕が死んでしまったら泣いちゃうだろうな。そう考えると申し訳なくて、怖くて、悲しくて、僕は視界を揺らして泣いていた。そして僕はそのまま、沈み込む様に意識を手放した。
…パーカス、助けて。おとーたん、ごめんね…。