「クレアお嬢様、またあの方からのお届け物です。」
そう、侍女のメアリが私に花籠を差し出した。私はダミアンとの虫除け契約をしている手前、何度もお断りしているのに懲りずにこうしてお花を届けてくれるビクター伯爵家の後継、ジョバンニ様を思い出した。
夜会で一緒に踊ったのをきっかけに、何度か夜会でお会いする機会があった。こうして私に好意を示してくださるのは嬉しい一方で、話をすればするほど、ジョバンニ様は私の事が好きなわけでは無い気がしていた。
「ジョバンニ様は私の事が気に入ってくれているわけでは無い気がするの、メアリ。私が話しをしている時は微笑んでいるものの、全く上の空ですもの。」
メアリが眉を上げて含み笑いを浮かべて尋ねた。
「それはお嬢様に見惚れているからではありませんか?」
私は少し笑って首を振った。
「ふふ、最初はそうなのかもしれないと思ったわ。でもね、同じ話をしても全く覚えていないのよ?私は少なくとも好ましいお相手なら、その方の話す内容は覚えていると思うのよ。他に何か目的があるのかもしれないって最近は思う様になって来たわ。」
とは言え、我が家が貧乏伯爵なのをこの貴族界で知らない方はいないだろうし、私も後継者であるわけでは無い。ましてジョバンニ様はビクター伯爵家の後継でもある。
そんなジョバンニ様がなぜ好きでもない私に好意があるフリをし続けるのだろう。
それになんて言うか、ジョバンニ様は張り付いた優しい笑顔の向こうで、何を考えているのか本当に分からなくて薄気味悪いのだ。それはダミアンの様に、あえて心を隠しているのとはまるで違う不自然なものだった。
「お嬢様にはヴォクシー閣下がいらっしゃられますもの、ジョバンニ様ではどうしても物足りないのではございませんか?ヴォクシー閣下のあのカリスマ性はなかなか他の方では太刀打ちできませんわ。」
そう楽しげに話すメアリに苦笑しながら、私とダミアンの関係はそれこそ普通では無いのだと単純に喜んでくれるメアリに申し訳ない気持ちになってしまった。
ダミアンが言った様に、虫除けをしながら未来の私の夫と出会うのは、最近では難しいのでは無いかと思い始めていた。メアリの言う通り、ダミアンはあまりにも存在感がありすぎる。
他の貴族の腰が引けるのは勿論だけれど、私自身も無意識にダミアンと比べてしまう。あれくらい毒のある性格に慣れてしまうと、優しいだけの若い貴族では妙な物足りなさを感じてしまうのだった。
ああ、私って変わり者なのかしら。
「メアリ、メアリはどんな方なら、私にとって良いお相手だと思うのかしら。」
するとメアリは私をじっと見つめて微笑んだ。
「お嬢様の事を大事に思ってくださるお方なら、地位も関係ないと思いますわ。勿論財力も地位もあれば良いに越した事はありませんけれど、今の楽しげなお嬢様で居られるお相手がよろしいと思いますわ。
…そうですわね、後は口づけした時に嫌な感じがしないお相手が宜しいかと思いますわ。ふふふ、お嬢様も大人の淑女ならば、その点の必要性は言わずとも分かりますわね?」
メアリに突然教育めいた事を言われて、私は見透かされているのかと慌てた。私は咳払いするとジョバンニ様から届いた花をお気に入りの花瓶に生けた。
メアリの言葉を借りるなら、私はジョバンニ様と口づけは出来ないかもしれない。前回の夜会で出会った際、ジョバンニ様に手を取られて何とも言えない気持ちになったからだ。
早く手を振り解きたい、その一心で私は必要以上にお喋りをして、手振りのためにさっと手を離させたくらいだった。
だから今こうして応接室で、メアリが席を外した途端にジョバンニ様が立ち上がって私を窓際に追い詰めた時、私は強張った笑顔で掴まれた手を振り解こうとしていた。
「ジョバンニ様、本当は何が目的なんですの?私の事など好きでもなんでも無いのでしょう?」
無表情だったジョバンニ様が不意に顔を歪ませて、見た事のない凄みのある顔になった。
「…全く、勘のいい女だな、君は。確かに私は君の事などどうでも良いんだ。だが、ヴォクシー侯爵の意中の相手である君には興味が有るんだよ。
君の事を好きにしたら、ヴォクシー侯爵がどんな顔をするのか見ものだよ。ハハハ、あいつは私の最愛の令嬢を横取りしたんだ。今度は私の番さ。同じ気持ちを味わわせてやる。」
私を利用してダミアンに復讐しようとする、この卑劣な男に無性に腹が立った。それに普通に考えて、こんな男とダミアンとではどう考えても勝負にならないのでは無くて?
だから思わず口が滑ってしまった。
「…横取りしたのでは無く、勝手に令嬢がヴォクシー閣下にお熱を上げただけなのではないのかしら。あの人、人のモノを横取りするほど困っていなさそうですわよ?一体その令嬢はどなたなんですの?」
するとジョバンニ様は激昂して、私の頬を引っ叩いた。流石にヒョロついた相手とは言え、男に頬を張られたらヒールの靴ではよろめいてしまう。私はあっと悲鳴を上げて花台にぶつかった。
すると目の前に大きな影が立ち塞がって、私は突然の事に恐怖のあまり叫んでしまった。その影はジョバンニ様を殴りつけると、私の側に屈み込んで顔を覗き込んだ。
…ダミアンだわ。なぜ彼がここに居るのかしら。
私は痛む頬を手で押さえて、目をぱちくりした。ああ、驚きが次々やってくる。しかも痛いわ…。その痛みで、ジョバンニ様からの理不尽な仕打ちによる悔しさと恐怖が膨れ上がってきた。
「大丈夫か、クレア!なんて事だ。令嬢を殴りつけるとは。しかも聞いてたらこの男は随分勝手な事を言ってたじゃないか。ああ、私のせいだ…!痛むかい?」
酷く動揺したダミアンの様子に笑えたものの、一方で感じる悔しさに、私は涙を堪えられなかった。そんな私をダミアンはそっと抱き寄せて優しく囁いた。
「…君はこんな時にまで笑うんだな。…もう大丈夫だ。一人で頑張らなくて良いんだ。私が側に居るから。」
騒ぎを聞きつけたメアリや家令が駆けつけて、私はメアリに連れられて手当を受けに部屋から連れ出された。部屋を出る時に見たのは絨毯の上に伸びているジョバンニ様の姿だった。
あのダミアンに殴られたのだからもう既に顔が腫れ上がって酷い事になっていたけれど、流石に可哀想だとは思えなかった。ほんとたちの悪い逆恨みに巻き込まれてしまったわ。
「なんて事なんでしょう!令嬢を殴るなんて恥知らずも良い所だわ。」
そう目に涙を溜めて、メアリが怒りで顔を青ざめさせて手を動かしていた。私は冷たい布を何度も変えられながら、少しツンとする塗り薬を塗り込められた。鏡で見ると少し赤くなっていたけれど、あの男ほど酷くはない。
「ジョバンニ様はどうするのかしら。」
さっき席を外して戻ってきたメアリにそう尋ねると、メアリ曰く目を覚ましたジョバンニ様は、慌てて逃げる様に馬車で立ち去ったとの事だった。その際、ダミアンが何か話をしていた様子だと教えてくれた。
「…あんなヴォクシー閣下は見た事がありませんわ。近づくのも怖い様子でしたもの。温室でお待ちになってます、お嬢様。無事なお顔を見て帰られたいと仰って。応接では、お嬢様が怖いのではないかと仰ったんですのよ。本当にお嬢様の事をよく考えられてて。」
私の顔は無事ではないけれど、ダミアンが酷く心配してくれているのは感じられた。それにあれ以上酷い事にならなくて済んだのだから、ダミアンのおかげだわ。
…あら、でも一体どうしてダミアンが居たのかしら。