21

  その夜は、最初から熱を帯びていた。

  何度も身体を重ねた日々の延長で、触れ合うことに、もう特別な名前をつけなくなっていた頃だ。

  決まって最後は互いに求めあっていたが、それでも、決めたとおりに暮らしていた。

  洞穴の奥は、息がこもるほど静かで、外の世界は、ひどく遠かった。

  エリアスは、変わらずガレンの胸に額を預けている。

  人の姿。

  人の腕。

  だが、鼓動が早い。

  「……ガレン、今日もお疲れ様」

  名を呼ぶだけで、距離が縮まる。

  ガレンは抱き返しながら、胸の奥に、小さな違和感を覚えていた。

  口付け、抱きしめ、エリアスの腰を掴み、優しく押し入る。

  「…あっ、そこ…」

  エリアスは瞳を潤ませながら快感を拾う。

  ガレンは律動を早めた。

  「エリ…」

  呼吸が深すぎる。

  視界が、狭い。

  「………く。」

  声が、低く濁る。

  腕に、無意識に力がこもる。

  抱くというより、包み込む感覚へと変わっていく。

  (……まずい……)

  絞り出すような声。

  「……エリ、エリアス、離れろ……」

  警告だった。

  だが、それは、もう遅かった。

  エリアスは、首を振った。

  言うことを聞いてくれない。

  「……大丈夫、……ガレンだって、わかってる」

  その一言で、ガレンの理性が、静かに切れた。

  ガレンは、無意識に、さらに深く腰を打ち付ける。

  言葉は減り、残るのは、荒くなる呼吸と、低い音だけ。

  響く水音、何度も達するエリアスの身体。

  いつからか、自分の重さが、明らかに変わっていた。

  腕が、太い。

  背中が、広い。

  人の形を保っていたはずの輪郭が、ゆっくりと、別のものへと傾いていく。

  それでも、止まらない。

  止められない。

  衝動ではない。

  欲でもない。

  ――ただ、この姿をガレンの身体が選んでしまっただけだ。

  エリアスは、その変化を、はっきりと感じていた。

  圧が、強くなる。

  負荷が、身体の奥まで届く。

  「いっ…ぁ、」

  引き裂かれるような痛みが走った。

  しかし、エリアスは、眉をひそめながらも、

  そっと、ガレンの背に手を回した。

  逃げる代わりに、受け止める。

  そして、顔を上げる。

  ガレンの視界に入ったのは、恐怖でも、拒絶でもない表情だった。

  どこか、やわらかくて、

  静かで――

  微笑んでいた。

  「……だいじょう、ぶ……」

  最後まで言い切れない声。

  脂汗と血の気の引いた顔色。

  それでも、その口元は、確かに笑っていた。

  その瞬間の顔が、

  ガレンの中に、焼きつく。

  喉の奥から、唸り声が漏れる。

  完全に、熊だ。

  だが、その笑顔を見たまま、止まれなかった。

  挿入の際の滑りが異様にいいのは、エリアスの後ろから血が出ていたから。

  とうとうエリアスの身体から、ふっと力が抜けた。

  崩れるように、抱き留められる。

  意識が、静かに落ちていく。

  時間の感覚が、溶ける。

  熱が重なり、呼吸が乱れ、世界が、遠のいていった。

  ――

  ガレンが我に返ったのは、洞穴が、異様なほど静かになってからだった。

  最初に目に入ったのは、自分の腕。

  ――毛に覆われている。

  「……」

  次に、腕の中の存在。

  動かない。

  軽すぎる。

  血の気がない。

  「……エリ?」

  声が、震える。

  鼻先を寄せ、

  呼吸を確かめる。

  ある。

  確かに、ある。

  「……違う……」

  言葉にならない。

  舐めるように、何度も確かめる。

  呼吸。

  鼓動。

  温度。

  時間をかけて、ゆっくりと、熱が引いていく。

  毛が消え、爪が戻り、人の姿へ。

  戻った瞬間、

  ガレンは、その場に膝をついた。

  「……すまない……」

  抱き直す手が、ひどくぎこちない。

  「……壊したくない……違う……」

  声が、詰まる。

  頭では、分かっている。

  拒まれたわけじゃない。

  逃げられたわけでもない。

  ――受け止められたのだ。

  熊の姿で初めて交わった時でさえ、血を見たことなんてなかった。

  傷は深いのだろうか。血は幸い止まっているが、この小さな身体は、裂けてしまったのか。

  「……エリ、戻ってくれ……」

  祈るように、名を呼ぶ。

  大きな身体を丸めるようにして、ガレンは、エリアスを抱いたまま、動かなかった。

  朝が来るまで。

  ――

  洞穴の外で、ギルバートは立ち止まっていた。

  今回は、偶然ではない。

  地面に残る足跡が少なかった。

  最近は見回りもできていなかったのだろう。

  立ち込める薬草の香りと人間の匂い。

  理性的に暮らしていたはずだった。

  事実を順に拾い上げた結果、二度目の訪問となった。

  (……来るのが、遅れたか)

  医師としての経験が、ガレンの限界を嗅ぎ分けた。

  発散している。

  だが、収束していない。

  抑えられている。

  だが、戻っていない。

  ここから先は、見なかったことにはできない。

  ギルバートは、あえて気配を殺さず、洞穴へ近づいた。

  中に入る前から分かる。

  熱。

  血の名残。

  獣の匂いと、それを包み込むように残る、人間の匂い。

  そして──

  必死に、抱きとめられている気配。

  洞穴の中で、足音が止まった。

  軽い。

  獣のものではない。

  だが、恐れもない。

  ガレンは、顔を上げなかった。

  腕の中の温もりから、視線を外せなかった。

  「……ガレン」

  名を呼ばれて、初めて、反応する。

  喉の奥で、低く、かすれた音が鳴った。

  返事にならない。

  「……そのままでいい」

  ギルバートの声は、低く、落ち着いていた。

  命令でも、叱責でもない。医師の声だ。

  「……離すな。今は」

  ガレンの腕が、わずかに強張る。

  「……違う……」

  絞り出すような声。

  「……壊したくなかった……」

  顔を伏せたまま、続ける。

  「……違う……愛してる……」

  その言葉に、ギルバートは一瞬だけ目を伏せた。

  洞穴の中に漂う匂い。

  血の名残。

  獣の熱。

  そして──守られた人間の匂い。

  全部、理解した上で、彼は一歩近づいた。

  「……分かっている」

  静かな声。

  「壊すような奴は、ここまで必死にならない」

  ガレンの肩が、ほんのわずかに揺れた。

  「……大丈夫だ。エリアスは、生きている」

  はっきりと言う。

  「呼吸もある。脈も、安定している。失神だ」

  そこで、ようやく、ガレンが顔を上げた。

  獣ではない。

  だが、獣をまだ引きずった目。

  「……本当、か……」

  「医師の言葉だ」

  ギルバートは、しゃがみ込み、視線の高さを合わせる。

  「……よく、止まったな」

  責めない。

  褒めもしない。

  事実だけを、置く。

  「完全な暴走なら、彼は今ここにいない」

  ガレンは、唇を噛みしめた。

  「……だが……血が……」

  視線が、エリアスの下半身へ落ちる。

  ギルバートは、頷いた。

  「裂傷はある。だが、致命的ではない」

  淡々と告げる。

  「……人間の身体が、自分の意志で受け止めた」

  その言葉に、ガレンの瞳が揺れる。

  「……受け止め、た……?」

  「そうだ」

  薬包を取り出しながら、続ける。

  慰めではない、事実に基づく診断。

  「だから、こうなる」

  薬草を溶いた液体を、慎重に準備する。

  「失神は、防御反応だ。拒絶ではない。

  ただ、この先も、同じことが起きるかもしれない」

  はっきり言う。

  「抑制剤という手もあるが、猶予にしかならない。

  完全には止まらない。それにすでにかなりの薬草を使っただろう?」

  手を止め、ガレンを見る。

  「なんとかしようとしたんだな」

  責める声ではない。

  「二人とも」

  ガレンは、腕の中のエリアスを見る。

  血の気の引いた頬。

  だが、穏やかな顔。

  ──最後に見た、微笑み。

  「……ああ……そうだ。

  これ以上薬は…自然の摂理に反するから、俺はいらない。」

  小さく、認める。

  ギルバートは、そっと手を伸ばし、エリアスの額に触れた。

  「……この人間は、弱くない」

  ギルバートはそう言ってから、言葉を選び直すように続けた。

  「いや……正確には、“壊れにくい”」

  ガレンの視線が、揺れる。

  「本来なら、人間の身体はここまで耐えない。

  拒絶反応が先に出る。

  恐怖か、痛みか、あるいは……発熱や失神の連続だ」

  「だが、この人間は――」

  エリアスを見る。

  「拒まなかった。

  逃げなかった。それどころか……受け止めた」

  (何に変わろうととしている…?)

  「…あー、つまり、身体が…獣の熱を“敵”と判断していない。想いからなのか、体質なのか、わからんが」

  獅子の血を引く者の直感も、医師としての確信も。

  結局、生命の前では無力だ。

  「とにかく、救う」

  薬を差し出す。

  「これは“戻す薬”じゃない。

  ……耐えるための、時間をやるだけだ」

  ガレンは、震える手で、それを受け取った。

  「……俺は……」

  「一人で背負うな」

  即答だった。

  視線を逸らさず、続ける。

  「……今回は、俺がいる。

  力が暴走して止まれなかったあの日とは違う。」

  短い言葉。

  だが、確かな救い。

  「医師として。旧友として。

  そして――」

  少しだけ、声を落とす。

  「……裏切らない者として」

  ガレンは、しばらく黙っていた。

  それから、深く息を吸い、吐いた。

  「……ギルバート、助けてくれ」

  初めて、はっきり言った。

  ギルバートは、頷く。

  「最初から、そのつもりだ」