その夜は、最初から熱を帯びていた。
何度も身体を重ねた日々の延長で、触れ合うことに、もう特別な名前をつけなくなっていた頃だ。
決まって最後は互いに求めあっていたが、それでも、決めたとおりに暮らしていた。
洞穴の奥は、息がこもるほど静かで、外の世界は、ひどく遠かった。
エリアスは、変わらずガレンの胸に額を預けている。
人の姿。
人の腕。
だが、鼓動が早い。
「……ガレン、今日もお疲れ様」
名を呼ぶだけで、距離が縮まる。
ガレンは抱き返しながら、胸の奥に、小さな違和感を覚えていた。
口付け、抱きしめ、エリアスの腰を掴み、優しく押し入る。
「…あっ、そこ…」
エリアスは瞳を潤ませながら快感を拾う。
ガレンは律動を早めた。
「エリ…」
呼吸が深すぎる。
視界が、狭い。
「………く。」
声が、低く濁る。
腕に、無意識に力がこもる。
抱くというより、包み込む感覚へと変わっていく。
(……まずい……)
絞り出すような声。
「……エリ、エリアス、離れろ……」
警告だった。
だが、それは、もう遅かった。
エリアスは、首を振った。
言うことを聞いてくれない。
「……大丈夫、……ガレンだって、わかってる」
その一言で、ガレンの理性が、静かに切れた。
ガレンは、無意識に、さらに深く腰を打ち付ける。
言葉は減り、残るのは、荒くなる呼吸と、低い音だけ。
響く水音、何度も達するエリアスの身体。
いつからか、自分の重さが、明らかに変わっていた。
腕が、太い。
背中が、広い。
人の形を保っていたはずの輪郭が、ゆっくりと、別のものへと傾いていく。
それでも、止まらない。
止められない。
衝動ではない。
欲でもない。
――ただ、この姿をガレンの身体が選んでしまっただけだ。
エリアスは、その変化を、はっきりと感じていた。
圧が、強くなる。
負荷が、身体の奥まで届く。
「いっ…ぁ、」
引き裂かれるような痛みが走った。
しかし、エリアスは、眉をひそめながらも、
そっと、ガレンの背に手を回した。
逃げる代わりに、受け止める。
そして、顔を上げる。
ガレンの視界に入ったのは、恐怖でも、拒絶でもない表情だった。
どこか、やわらかくて、
静かで――
微笑んでいた。
「……だいじょう、ぶ……」
最後まで言い切れない声。
脂汗と血の気の引いた顔色。
それでも、その口元は、確かに笑っていた。
その瞬間の顔が、
ガレンの中に、焼きつく。
喉の奥から、唸り声が漏れる。
完全に、熊だ。
だが、その笑顔を見たまま、止まれなかった。
挿入の際の滑りが異様にいいのは、エリアスの後ろから血が出ていたから。
とうとうエリアスの身体から、ふっと力が抜けた。
崩れるように、抱き留められる。
意識が、静かに落ちていく。
時間の感覚が、溶ける。
熱が重なり、呼吸が乱れ、世界が、遠のいていった。
――
ガレンが我に返ったのは、洞穴が、異様なほど静かになってからだった。
最初に目に入ったのは、自分の腕。
――毛に覆われている。
「……」
次に、腕の中の存在。
動かない。
軽すぎる。
血の気がない。
「……エリ?」
声が、震える。
鼻先を寄せ、
呼吸を確かめる。
ある。
確かに、ある。
「……違う……」
言葉にならない。
舐めるように、何度も確かめる。
呼吸。
鼓動。
温度。
時間をかけて、ゆっくりと、熱が引いていく。
毛が消え、爪が戻り、人の姿へ。
戻った瞬間、
ガレンは、その場に膝をついた。
「……すまない……」
抱き直す手が、ひどくぎこちない。
「……壊したくない……違う……」
声が、詰まる。
頭では、分かっている。
拒まれたわけじゃない。
逃げられたわけでもない。
――受け止められたのだ。
熊の姿で初めて交わった時でさえ、血を見たことなんてなかった。
傷は深いのだろうか。血は幸い止まっているが、この小さな身体は、裂けてしまったのか。
「……エリ、戻ってくれ……」
祈るように、名を呼ぶ。
大きな身体を丸めるようにして、ガレンは、エリアスを抱いたまま、動かなかった。
朝が来るまで。
――
洞穴の外で、ギルバートは立ち止まっていた。
今回は、偶然ではない。
地面に残る足跡が少なかった。
最近は見回りもできていなかったのだろう。
立ち込める薬草の香りと人間の匂い。
理性的に暮らしていたはずだった。
事実を順に拾い上げた結果、二度目の訪問となった。
(……来るのが、遅れたか)
医師としての経験が、ガレンの限界を嗅ぎ分けた。
発散している。
だが、収束していない。
抑えられている。
だが、戻っていない。
ここから先は、見なかったことにはできない。
ギルバートは、あえて気配を殺さず、洞穴へ近づいた。
中に入る前から分かる。
熱。
血の名残。
獣の匂いと、それを包み込むように残る、人間の匂い。
そして──
必死に、抱きとめられている気配。
洞穴の中で、足音が止まった。
軽い。
獣のものではない。
だが、恐れもない。
ガレンは、顔を上げなかった。
腕の中の温もりから、視線を外せなかった。
「……ガレン」
名を呼ばれて、初めて、反応する。
喉の奥で、低く、かすれた音が鳴った。
返事にならない。
「……そのままでいい」
ギルバートの声は、低く、落ち着いていた。
命令でも、叱責でもない。医師の声だ。
「……離すな。今は」
ガレンの腕が、わずかに強張る。
「……違う……」
絞り出すような声。
「……壊したくなかった……」
顔を伏せたまま、続ける。
「……違う……愛してる……」
その言葉に、ギルバートは一瞬だけ目を伏せた。
洞穴の中に漂う匂い。
血の名残。
獣の熱。
そして──守られた人間の匂い。
全部、理解した上で、彼は一歩近づいた。
「……分かっている」
静かな声。
「壊すような奴は、ここまで必死にならない」
ガレンの肩が、ほんのわずかに揺れた。
「……大丈夫だ。エリアスは、生きている」
はっきりと言う。
「呼吸もある。脈も、安定している。失神だ」
そこで、ようやく、ガレンが顔を上げた。
獣ではない。
だが、獣をまだ引きずった目。
「……本当、か……」
「医師の言葉だ」
ギルバートは、しゃがみ込み、視線の高さを合わせる。
「……よく、止まったな」
責めない。
褒めもしない。
事実だけを、置く。
「完全な暴走なら、彼は今ここにいない」
ガレンは、唇を噛みしめた。
「……だが……血が……」
視線が、エリアスの下半身へ落ちる。
ギルバートは、頷いた。
「裂傷はある。だが、致命的ではない」
淡々と告げる。
「……人間の身体が、自分の意志で受け止めた」
その言葉に、ガレンの瞳が揺れる。
「……受け止め、た……?」
「そうだ」
薬包を取り出しながら、続ける。
慰めではない、事実に基づく診断。
「だから、こうなる」
薬草を溶いた液体を、慎重に準備する。
「失神は、防御反応だ。拒絶ではない。
ただ、この先も、同じことが起きるかもしれない」
はっきり言う。
「抑制剤という手もあるが、猶予にしかならない。
完全には止まらない。それにすでにかなりの薬草を使っただろう?」
手を止め、ガレンを見る。
「なんとかしようとしたんだな」
責める声ではない。
「二人とも」
ガレンは、腕の中のエリアスを見る。
血の気の引いた頬。
だが、穏やかな顔。
──最後に見た、微笑み。
「……ああ……そうだ。
これ以上薬は…自然の摂理に反するから、俺はいらない。」
小さく、認める。
ギルバートは、そっと手を伸ばし、エリアスの額に触れた。
「……この人間は、弱くない」
ギルバートはそう言ってから、言葉を選び直すように続けた。
「いや……正確には、“壊れにくい”」
ガレンの視線が、揺れる。
「本来なら、人間の身体はここまで耐えない。
拒絶反応が先に出る。
恐怖か、痛みか、あるいは……発熱や失神の連続だ」
「だが、この人間は――」
エリアスを見る。
「拒まなかった。
逃げなかった。それどころか……受け止めた」
(何に変わろうととしている…?)
「…あー、つまり、身体が…獣の熱を“敵”と判断していない。想いからなのか、体質なのか、わからんが」
獅子の血を引く者の直感も、医師としての確信も。
結局、生命の前では無力だ。
「とにかく、救う」
薬を差し出す。
「これは“戻す薬”じゃない。
……耐えるための、時間をやるだけだ」
ガレンは、震える手で、それを受け取った。
「……俺は……」
「一人で背負うな」
即答だった。
視線を逸らさず、続ける。
「……今回は、俺がいる。
力が暴走して止まれなかったあの日とは違う。」
短い言葉。
だが、確かな救い。
「医師として。旧友として。
そして――」
少しだけ、声を落とす。
「……裏切らない者として」
ガレンは、しばらく黙っていた。
それから、深く息を吸い、吐いた。
「……ギルバート、助けてくれ」
初めて、はっきり言った。
ギルバートは、頷く。
「最初から、そのつもりだ」