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第1話 見えない来訪者

  男は荷車を押しながら広場を歩いていた。

  朝の市場は活気に満ちている。

  焼きたてのパンの香り。

  野菜を並べる商人。

  井戸端で話し込む主婦たち。

  いつも通りの朝だった。

  だから気付くのが遅れた。

  広場の影から、それは現れた。

  黒い霧をまとった獣。

  四足で地面を蹴り、一直線に飛びかかる。

  「うわっ――!」

  男は悲鳴を上げた。

  だが周囲の人々は振り返らない。

  誰も見ていない。

  誰も気付かない。

  獣の牙が男の身体へ食い込んだ。

  世界が白く染まる。

  荷車が倒れ、果物が石畳に転がった。

  しかしそれを拾う者はいない。

  そこに誰もいなかったかのように。

  男の姿は消えた。

  記憶ごと。

  ---

  「やっと、か」

  転職の神殿は静かだった。

  中央の祭壇の前で、リュミエは小さく息を吐いた。

  隣ではユリシアが微笑んでいる。

  神官が厳かに告げた。

  「初級職、全職のパッシブスキル習得を確認いたしました。これより中級職への転職を執り行います」

  リュミエは隣のユリシアと目を見合わせた。

  「長かったな」

  「楽しかったけどね」

  神官が祭壇へ手をかざす。

  白い光が広間を満たした。

  「神谷陸のアバター、リュミエ。希望の中級職を」

  リュミエは迷わなかった。

  「騎士」

  光が全身を包み込む。

  重さではなく、厚みが増すような不思議な感覚。

  やがて光が収まると、騎士の鎧がその身を包んでいた。

  頑丈な板金鎧。

  肩当て。

  腰には長剣。

  初期装備とは比べ物にならない存在感だった。

  「似合ってる」

  ユリシアが笑う。

  「そうか?」

  「うん。ちゃんと騎士って感じ」

  続いてユリシアの番になる。

  「白石結衣のアバター、ユリシア。希望の中級職を」

  「ハイプリースト」

  柔らかな金色の光が広がった。

  光が消えると、白い法衣をまとったユリシアが立っていた。

  腰には聖印。

  どこか神聖さを感じる姿だった。

  「ありがとう。リュミエも、見た目がずいぶん変わったね」

  二人は顔を見合わせる。

  騎士とハイプリースト。

  これから歩む新たな姿だった。

  神官はさらに続けた。

  「転職に伴い、新機能のご案内がございます。本日よりファンクションドレスシステムが実装されました」

  「ファンクションドレス?」

  神官が手を振ると、半透明のパネルが現れる。

  「装備能力を維持したまま、外見のみ変更できる機能です。略称はファンドレ」

  ユリシアの目が輝いた。

  「じゃあ、コラボ衣装も?」

  「設定可能です」

  二人は顔を見合わせた。

  以前、そんな話をしたことがあった。

  「コーデ機能が来たら普段使いしたい」

  その願いが叶ったのだ。

  ユリシアは白を基調とした法衣を選ぶ。

  リュミエは騎士の正装鎧を選んだ。

  光が走る。

  見た目だけが変わる。

  だがステータスはそのまま。

  [uploadedimage:24957790]

  「便利だな」

  「うん」

  ユリシアは満足そうに頷いた。

  神殿の奥には大きな扉があった。

  六つの紋章が刻まれている。

  月。

  火。

  水。

  木。

  金。

  そして、もう一つ。

  「六つあるね」

  ユリシアが言った。

  「伝承だと五つじゃなかったか?」

  違和感はあった。

  だが今は先へ進む方が先だった。

  扉へ手を触れる。

  光が漏れ出した。

  やがて扉は静かに開く。

  向こう側には青白い光が広がっていた。

  「行こう」

  リュミエが一歩踏み出す。

  ユリシアも続いた。

  世界が変わった。

  最初に感じたのは空気だった。

  風の音が違う。

  空の色も違う。

  街並みもどこか現実感が薄い。

  石畳の広場。

  噴水。

  行き交う人々。

  一見すれば平和な街だった。

  リュミエは近くの行商人へ声をかけた。

  「すみません」

  返事はない。

  もう一度呼びかけようとした。

  その瞬間。

  行商人がリュミエの身体をすり抜けた。

  「……今、すり抜けた?」

  「うん」

  ユリシアも見ていた。

  別の住民へ声をかける。

  反応はない。

  老夫婦も。

  子供たちも。

  誰一人として二人を認識していなかった。

  [uploadedimage:24957797]

  「存在はしてる」

  ユリシアが言う。

  「でも認識されてない」

  その時だった。

  広場の反対側から悲鳴が響く。

  黒い霧をまとった獣。

  広場を駆け抜ける。

  だが周囲の住民は誰も気付いていない。

  獣は若い女性へ飛びかかった。

  「まずい!」

  リュミエが駆け出す。

  剣を抜く。

  騎士の剣が霧を裂いた。

  ユリシアの支援魔法が飛ぶ。

  [uploadedimage:24957801]

  戦闘は短かった。

  獣は光となって消滅した。

  [uploadedimage:24957803]

  だが女性は混乱した様子で辺りを見回していた。

  「私……何をしていたんだっけ……?」

  そして。

  誰も彼女を見ていなかった。

  誰も話しかけない。

  誰も気付かない。

  まるで最初から存在しなかったかのように。

  「まさか……」

  ユリシアが呟く。

  女性もまた。

  見えない存在になっていた。

  「その人たちには、あなたたちが見えていないんです」

  静かな声が響いた。

  二人が振り返る。

  石段の上に、小さな少女が立っていた。

  年齢だけ見れば小学校低学年ほど。

  リュミエの胸元ほどしかない背丈だった。

  だが、その瞳だけは不思議なほど落ち着いていた。

  少女はゆっくりと石段を降りてくる。

  [uploadedimage:24957826]

  「その人も、あなたたちと同じになりました」

  見えなくなった女性を見ながら言った。

  「見えるのか?」

  リュミエが尋ねる。

  少女は小さく頷く。

  「はい」

  そして二人を見上げた。

  「アキラエルに来た人が見えるのは、わたしだけなんです」

  少女は静かに名乗った。

  「はじめまして」

  「わたしはセラです」

  「あなたたちを待っていました」

  ――第1話 了

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