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第10話 灰燼の果てに

  二日目の夜明けに、帝国軍が動いた。

  いつもと違った。

  シンは城壁の上から、その動きを見た瞬間に――気づいた。

  (……変えてきたな。)

  昨日までの攻撃は、正面からの圧力だった。

  荷馬車の陣地を試し、パイク兵の壁を試し、弓の射程を確認する。

  全て「探り」だった。

  だが今朝の動きは――違う。

  北西の城壁に向かって、歩兵の主力が動いている。

  正面ではなく、斜めから。

  (……北西だ。)

  シンは、城壁の構造を頭の中で展開した。

  ジェレズナーフラトの城壁は、基本的に堅固だ。

  だが――北西の角に、一点だけ弱点がある。

  城壁が川の屈曲に沿って建設されたため、その角だけ防御の死角が生まれている。

  (……見抜かれた。)

  シンが声を上げようとした瞬間、北西から轟音が響いた。

  攻城槌だった。

  ドワーフの石壁が、その一点に集中した衝撃を受けて――軋んだ。

  「北西を補強しろ!アキン、荷馬車を北西へ回せ!」

  「わかった!」

  だが、遅かった。

  二撃目の轟音。

  三撃目。

  石壁に、亀裂が走る。

  「――破られる!」

  アレシュの声が、城壁に響いた。

  四撃目の衝撃が、来た。

  石壁が、爆発するように砕けた。

  粉塵が、朝の光の中に白く広がった。

  その向こうから――帝国軍の精鋭が、波のように押し寄せてきた。

  通常の帝国軍ではない。

  装備が違う。

  動きが違う。

  全員が同じ訓練を受けた、一つの意志で動く集団だ。

  (……ジッテンホルトの直属だ。)

  「セリナ、ヒディ、アスラ――来い。市街地に入る。」

  「アキンたちは?」

  「荷馬車の陣地を維持させる。外の戦力を釘付けにする。中は――俺たちがやる。」

  セリナが、弓を持ち直した。

  小盾を左腕に固定する。

  腰のレイピアを確認する。

  ヒディが、両の短剣を抜いた。

  その目が――いつもと違った。

  丸い瞳の奥に、嵐の前の空気が満ちている。

  「行こう。」

  ヒディの声は、静かだった。

  市街地に入った瞬間、地獄が広がっていた。

  石畳の通りに、ドワーフの市民が逃げ惑っている。

  老人が転ぶ。

  子供が泣く。

  帝国軍の精鋭が、その間を縫って進んでいく。

  一人の帝国兵が、逃げるドワーフの老人に追いついた。

  ヒディが、間に合った。

  一刀が、帝国兵の剣腕を断つ。

  もう一刀が、その喉を断つ。

  着地。

  振り返らない。

  次の標的へ。

  だが――老人の隣に、小さな影が倒れていた。

  子供だった。

  動かない。

  ヒディの足が、一瞬だけ止まった。

  その子供の顔を、見た。

  見てしまった。

  何かが――ヒディの中で、音を立てて壊れた。

  それからのヒディは――別の存在になった。

  二刀が、閃光のように走る。

  「うわーっ!」

  帝国兵の一人が、気づいた時には両腕を失っていた。

  「ぎゃっ!」

  二人目が、振り向く前に喉を断たれる。

  三人目が剣を構える。

  「ゴブリンに、やられるなんて……。うわっ!」

  間に合わない。

  速い。

  ただただ、速い。

  体が低い。

  死角から来る。

  躱せない。

  止められない。

  怒りで動いているのではない。

  怒りはもう、言葉にならない場所まで落ちていた。

  ただ、止めなければならない。

  これ以上、誰かが倒れるのを——

  「ヒディ!」

  セリナの声。

  ヒディは、止まらなかった。

  「ヒディ、まって!深追いしちゃダメ!」

  止まらない。

  五人目。

  六人目。

  七人目。

  シンは、その隣で――何も言わなかった。

  ただ、ヒディを追う。

  大剣が唸る。

  ヒディの短剣が閃く。

  二人が、市街地を縦横に駆ける。

  セリナが、背後から弓で援護する。

  アスラが、別の通りで暴れている。

  シャムシールが、朝の光の中で銀と紅の弧を描く。

  数多の帝国兵の鮮血を浴びながら、『紅月の閃光』が舞う。

  市街地全体が、戦場になっていた。

  通りの角で、シンは立ち止まった。

  前方の一団の中心にいる男が――違った。

  引き締まった体躯。

  装飾を排した鎧。

  その動きに、無駄がない。

  男は、シンを見た。

  シンも、男を見た。

  一瞬だけ――時間が止まった。

  近くで兵の剣が、交わった。

  一合。

  金属が噛み合う音が、市街地に響いた。

  (……やはり、この男は、――別格だ。)

  力ではない。

  技ではない。

  その剣の中に、戦場全体を俯瞰している何かがある。

  男も――何かを理解した目をしていた。

  確認するように、シンを見た。

  次の瞬間、周囲の状況が動いた。

  アスラのビースト隊が別の通りから突入してきた。

  男は――シンから目を離した。

  部下に命じながら、後退し始めた。

  引き際を、知っている。

  シンは、その背中を見た。

  追わなかった。

  (……また、会う。)

  その確信だけが、静かに残った。

  市街地の奥で、ヒディはまだ戦っていた。

  十人目、十一人目、十二人目。

  体が限界を超えている。

  腕が痺れている。

  足が震えている。

  それでも――止まらない。

  石畳の上に、また誰かが倒れた。

  ドワーフの女だった。

  若い。

  工房で働いていたような、鍛えた手をしている。

  その手が、石畳を掴もうとして――力を失った。

  「……っ!」

  ヒディの喉から、声にならない何かが出た。

  十三人目の帝国兵が、ヒディに向かって突進してきた。

  ヒディは躱さなかった。

  正面から受けた。

  盾で押し込まれる。

  膝をつく。

  「ヒディ!」

  セリナが駆け寄った。

  レイピアで帝国兵を処理する。

  セリナは、ヒディの肩を掴んだ。

  「あなたが死んだら、守れる人が減る。」

  「……でも。」

  「わかってる。」

  セリナは、ヒディの額に手を当てた。

  「でも、今は――私の隣にいて。」

  ヒディは、目を閉じる。

  それから――開く。

  火は、まだある。

  だが、方向が定まっていた。

  「……わかった。」

  ドワーフの市民たちは――逃げなかった。

  屋根の上から、石を投げた。

  窓から、熱湯を浴びせた。

  路地の角から、工具を武器にして帝国兵に向かっていった。

  職人の街だった。

  自分たちが作ったものを、守る。

  その意地が、市街地を戦場に変えていた。

  南から、神聖騎士団が突入してきたのは昼前だった。

  エシュトの声が、背後から飛んだ。

  「南から神聖騎士団、五百。」

  シンは、地図を頭の中で展開した。

  北西からジッテンホルトの精鋭。

  南から神聖騎士団。

  挟まれる。

  「ムパンギは。」

  「着陣の知らせが――今、届きました。首都郊外に到着しました。」

  シンは、目を閉じた。

  一秒。

  「エシュト。ムパンギに伝えろ。北から全力で突入。荷馬車の陣地と合流して、帝国北方軍を挟撃する。南門をわざと落とさせて、神聖騎士団を誘い込んでから奪還し包囲する。」

  「……神聖騎士団を誘い込む?」

  「城内に入れてから、出口を塞ぐ。おそらく総攻撃で有利に立っていると錯覚しているはずだ。奴らは必ず突入してくる。」

  「わかった。」

  エシュトが、石畳を蹴って駆けていった。

  ムパンギの援軍が、北から現れた。

  ゴブリンの軽装歩兵。

  ビーストの後続部隊。

  その数――千を超える。

  長い間、追い込まれ続けてきた者たちの怒りが、その動きに凝縮していた。

  戦意ではない。殺意だった。

  「かかれ!一人残らず殺し尽くせ!」

  ムパンギの咆哮が、平原に響いた。

  アキンのパイク兵が前進する。

  ムパンギのゴブリン軍が側面から殺到する。

  フォルトフューラーの本軍が――崩れ始めた。

  城内では、南門が開かれた。

  神聖騎士団が市街地に入った瞬間、南門にドワーフ軍が殺到し、これを塞ぐ。

  城壁の上から、弩の矢が一斉に降り注ぐ。

  包囲だった。

  完全な包囲。

  神聖騎士団が、初めて――退路を失った。

  アスラたちビースト軍が『獲物』に襲いかかる。

  そしてヒディも、神聖騎士団の一団に突入した。

  二刀が、白い外套の中を駆け抜ける。

  一人、また一人、また一人。

  止まらない。

  人の形をしているが、その動きは――計算でも本能でもなく、止めなければならないという、一点の意志だけで動いていた。

  セリナが、その周囲を守りながら弓を引いていた。

  ヒディが深追いしすぎると、前に出て盾になる。

  言葉はない。

  だが――連携していた。

  神聖騎士団の指揮官ルドルフ・ハーゲンは、包囲された状況を――冷静に見ていた。

  表情は、変わらない。

  紳士的な顔のまま、周囲が崩れていく。

  「神よ……、これもあなたの思し召しであると……。」

  その言葉が、終わらなかった。

  ヒディの短剣が、その言葉を遮ったからだ。

  ルドルフは、驚いた顔をした。

  それが、最後の表情だった。

  城壁の外では、ジッテンホルトが退却命令を出した。

  「フォルトフューラー閣下。退きますぞ。」

  「なぜだ!まだ戦えるではないか!」

  「このまま戦えば、本軍が全滅します。」

  「しかし、これではわしの面子が――!」

  「フォルト!優先すべきは己の面子より、将兵の命だろうが!」

  フォルトフューラーは、顔を真っ赤にした。それでも――

  「……退け。」

  絞り出すような声だった。

  帝国軍が、退き始めた。

  夕暮れが、ジェレズナーフラドを赤く染める。

  平原の果てに、帝国軍の最後の旗が消えていった。

  ジッテンホルトは、退却しながら――ただ一度だけ振り返った。

  城壁の上に、黒髪の男が立っている。

  遠い。

  顔は見えない。

  (……間違いない。……グレンツベルク辺境伯の息子。)

  あの父の隣にいた、まだ十代の黒髪の少年が――今、亜人の軍を率いて帝国に刃を向けている。

  (……報告すれば、神聖騎士団が動く。)

  その思考を――ほんの一瞬だけ持った。

  そして、捨てた。

  (……まだ、確証がない。)

  言い訳だと、自分でわかっていた。

  だが――それでいい。

  今は、それでいい。

  平原の風が、冷たかった。

  戦場に、静寂が戻った。

  夕暮れの光が、石畳の上に斜めに差している。

  その光の中に、死体が多数、散らばっていた。

  帝国軍の死体。

  神聖騎士団の死体。

  そして――ドワーフの市民の死体も。

  血の匂いが、夕暮れの空気に染み込んでいた。

  シンは、その中に立っていた。

  大剣を手に、動かなかった。

  誰も近づかなかった。

  ムパンギも。

  アキンも。

  アスラも。

  全員が――何かを察して、距離を置いていた。

  シンは、石畳を見ていた。

  市街地で見た光景が、頭の中で繰り返されている。

  倒れた子供。

  力を失った女の手。

  老人の背中。

  数えることができなかった。

  今日――初めて、数えることができなかった。

  (……俺は。)

  何かを、考えようとした。

  現世の自我が、応じなかった。

  前世の記憶も、応じなかった。

  両方が――沈黙していた。

  二つの声が同時に黙っている。

  その静けさが、シンには――怖かった。

  頭痛もない。

  怒りもない。

  悲しみもない。

  ただ、何もなかった。

  (……軽い。)

  このままでいい、と――思った。

  考えれば、壊れる。

  だから――考えない。

  ……それで、よかった。

  楽だった。

  大剣が、手から離れた。

  石畳に、重い音を立てて落ちた。

  シンは、その場に膝をついた。

  なぜそうしたのか、わからなかった。

  膝が折れただけかもしれない。

  石畳が、冷たかった。

  夕暮れの光が、傾いていく。

  (……俺は、何のために。)

  答えがでてこなかった。

  カイルは、もういない。

  領地は、もうない。

  家は、もうない。

  家族も、幼馴染の友人たちも、気のいい領民たちも――

  父が言っていた言葉が、浮かび上がる。

  「強くなれ。でなければ、守れぬ。」

  守れなかった。

  今日も、守れなかった人たちがいた。

  間に合わなかった命があった。

  それでも戦い続けた。

  これからも戦い続ける。

  かつて敵だった者たちを守りながら、かつて仲間だった者たちを殺す。

  だが――なぜか。

  なぜ、戦い続けなければならないのか。

  いつまで、どこまで、殺し続けねばならないのか。

  答えが、でてこなかった。

  石畳に、シンの手がついた。

  体が、傾いていく。

  それに気づかなかった。

  その時。

  温かさが来た。

  背中から。

  細い腕が、シンの背中に回された。

  声はなかった。

  言葉もなかった。

  ただ、セリナの体温だけが、シンの背中に触れていた。

  金色の髪が、シンの肩に落ちる。

  その柔らかさが――石畳の冷たさと鮮烈に対照していた。

  シンは動かない。

  セリナも動かない。

  夕暮れの光が、二人の上を、静かに流れてゆく。

  どれくらいの時間が経ったのか、わからなかった。

  シンの口から言葉が出た。

  自分でも、気づかないうちに。

  「……わからない。」

  セリナは、答えなかった。

  「俺が、何をしているのか。何のために動いているのか。」

  答えない。

  「……今日、守れなかった人がいた。」

  答えない。

  「数えることも、できなかった。名前も、知らない。」

  答えない。

  ただ、腕の力が――少しだけ、強くなった。

  「……俺は、おかしいのか。」

  セリナは、ゆっくりと離れ、シンの前に回った。

  膝をついて、シンと同じ高さで、向き合った。

  その目が――シンを見ていた。

  揺るぎなかった。

  怖れていない。

  哀れんでいない。

  ただ、見ていた。

  「おかしくない。」

  静かな声だった。

  「おかしくない。ただ――」

  セリナは、シンの頬に手を当てた。

  その手が、冷たい石畳の温度を持っていた。

  いや、シンの頬が熱すぎた。

  「……疲れているだけ。」

  「……疲れで、……わからなくなるもんなのか。」

  「なる。」

  即答だった。

  「人って、そういうものよ。」

  「俺は――」

  「人よ。あなたは。」

  その言葉が――シンの中の、何かに触れた。

  人。

  そうだ。

  俺は、人間だ。

  二つの自我と価値観を持つ、奇妙な人間だ。

  だが――人間だ。

  「……セリナ。」

  「なに。」

  「お前は、なぜ――」

  言葉が、続かなかった。

  なぜここにいる。

  なぜ離れない。

  ――なぜ、こんな男の隣に。

  全部、聞けなかった。

  セリナは、その問いが言葉になる前に――シンの額に、自分の額を当てた。

  静かな接触だった。

  戦場の死臭の中で、二人の額が触れていた。

  夕暮れの光が、さらに傾いた。

  石畳の上の影が、長くなっていく。

  「……シン。」

  「ああ。」

  「今は、もう――何もかも、全部忘れて。」

  「……できない。」

  「忘れても、明日には、いやでも思い出す。」

  「……。」

  「でも、今夜だけは――」

  セリナの声が、少しだけ揺れた。

  「私の――傍にいて。」

  シンは、目を閉じた。

  石畳の冷たさと、セリナの体温が、同時にあった。

  しばらく、そうしていた。

  それから――シンは、セリナの手を、握った。

  戦場で何度も人を断ち切った手が、その細い指を、静かに包む。

  セリナは、その手の感触を受け取った。

  そして、――目を閉じる。

  シンは、セリナの手を包んだまま、ゆっくりと顔を上げた。

  夕暮れの光が、彼女の横顔を淡く縁取っている。

  その静けさの中で、シンは――迷いなく、セリナの唇にそっと口づけた。

  触れた瞬間、セリナの呼吸がわずかに揺れた。

  逃げなかった。

  ただ、受け止める。

  長くはない。

  だが、短くもなかった。

  二人の間にあったものが、静かに形を持つまでの時間だけ、

  シンはその口づけを続けた。

  ゆっくりと離れる。

  二人の視線が、夕暮れの影の中で重なる。

  言葉はなかった。

  言葉よりも確かな何かが、互いの目の奥にあった。

  セリナが、そっとシンの頬に触れた。

  その指先が、震えていなかった。

  そして――彼女の方から、もう一度、静かに口づけた。

  今度は、ためらいはなかった。

  石畳の冷たさも、戦場の血の匂いも、

  その瞬間だけは世界の外側にあった。

  夜が来た。

  戦場に残った松明の光が、石畳の上の影を揺らしていた。

  二人がいるのは、廃墟の陰。

  言葉は、もうなかった。

  言葉が必要な段階は、とうに過ぎていた。

  セリナの金色の髪が、松明の光を受けて揺れる。

  その白い肌が、夜の闇の中で、光るように見えた。

  シンは、その頬に触れた。

  陶器のような滑らかさ。

  だが、温かかった。

  生きている温かさだった。

  セリナは目を閉じなかった。

  シンを正面から見ている。

  その目には、静かな覚悟があった。

  そして――もっと深い場所に決意がある。

  この人の傍にいる。

  どこへ向かうのかわからなくても。

  どれだけ血に塗れようとも。

  どれだけ、共に堕ちていこうとも。

  何があろうと、――この人の、傍にいる。

  それだけが、今の自分の答えだった。

  「……セリナ。」

  「なに。」

  「……怖くは、……ないか。」

  「怖い。」

  即答だった。

  「でも、――それでも、もう離れない。」

  夜が、深くなった。

  松明の光が揺れている。

  石畳の上の二つの影が、溶けるように重なっていった。

  それから――

  世界は、静かになった。

  夜明け前、空が白み始めた。

  セリナは、目を覚ました。

  シンが、隣で眠っている。

  いつの間にか、その顔が――穏やかだった。

  昨夜までの、張り詰めた硬さが、どこかへ行っていた。

  ただの、――何も知らない顔だった。

  セリナは、しばらくその顔を見ていた。

  それから、指先で――シンの黒髪を、静かになでた。

  一度。

  また一度。

  眠りを乱さないように、ゆっくりと。

  シンは、目を覚まさなかった。

  セリナは立ち上がった。

  敷地の外へ出る。

  朝の空気が、冷たかった。

  戦場だった場所に、夜明けの光が差し始めていた。

  石畳の上の血が、光の中で黒く乾いている。

  セリナは、その光景を見た。

  目を逸らさなかった。

  昨夜、死んだ人たちがいた。

  守れなかった人たちがいた。

  今日も、明日も、そのような日になるかもしれない。

  それでも――

  空に、鳥が飛んでいた。

  一羽。

  また一羽。

  朝の光の中を、自由に。

  どこへでも行けるように。

  セリナは、その鳥を、しばらく目で追っていた。

  風が吹いた。

  金色の髪が、朝の光の中に揺れた。

  その横顔に――表情はなかった。

  喜びでも、悲しみでも、不安でもない。

  ただ、空を見ていた。

  鳥が、遠くなっていく。

  そして、光の中に溶けるように消えていった。

  セリナは、それを最後まで目で追った。

  それから――

  静かに、廃墟の陰へ戻っていった。

  シンが、眠っていた。

  セリナは、その隣に静かに座った。

  空が、明るくなっていく。

  ――新しい一日が、静かに始まる。

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