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イケメン狼獣人が、ぽっちゃり少年を娶るはなし。【1】

  俺の『旦那さま』は、世界一格好良い。

  「いってらっしゃい」

  今日も。大きなお屋敷に相応しい、広々としたエントランスで、彼に鞄を手渡す。

  「ありがとう」

  そんな俺に掛かる、硬質で涼やかな低い声のお礼。艶やかな黒色の毛並みに覆われた手が、差し出した鞄を受け取ってくれた。

  俺よりも、大分高い背と、しなやかに引き締まった身体。全身を覆う毛並みは綺麗に濡烏色で、纏う軍服まで黒一色。琥珀色の鋭い四白眼と、形の良い黒色の鼻と、少しだけ傷を負っている大きな耳と、少し開くだけで牙の覗く口元。

  普通にしていると、表情の読みづらい、ともすれば冷酷とも捉えられてしまうその顔が。目を細めるだけで、とても優しくなることを、俺は知っている。

  そのまま、ぽんぽん、と俺の頭を撫ぜてから。鞄を置いて、白い手袋を両手に嵌める。此処までが、俺と彼の出勤前のお決まりだ。前に、手袋をはめてから鞄を渡そうか、と問いかけたとき、今のままでいい、って言われた。

  『お前に触れる時は、遮るものなどない方がいい』

  そう返されて、耳まで赤くなってしまったことも、いい思い出だ。全く、自分がどれだけ格好良い獣人か、理解してからそう言うことは言ってほしい!

  「今日は、何時ごろになりそう?」

  「多分いつも通りだ。あまり遅くならないように帰ろう。だが、遅くなるようなら先に休んでいてくれて構わない」

  

  手袋をはめた手が、確認するように、胸ポケットから懐中時計を出す。その一連の動きすら流れるようで、思わず見惚れてしまった。

  「いいよ、待ってるよ」

  少しでも一緒に居たいし。続けたい言葉を、けれど気恥ずかしさで呑み込んでしまって、それだけ言う。それでも、言外にそれを感じ取ってくれたのか、透明な琥珀色の眼が、嬉しそうに細まった。

  そのまま少し引き寄せられて、頬と頬が寄せられた。少し硬い、でも肌触りの良い毛並みの感触が、頬を包む。あったかくて、心地好い。

  「じゃあ、行ってくる。気を付けるんだぞ」

  「いってらっしゃい。そっちこそ、気を付けてね」

  笑いながらそう返すと、今度は軽く抱きしめられる。同じように、軽くその背を抱き返して、ちょっとだけ目を閉じた。ほんの少し、そうしてから、名残惜しそうにその身体が離れる。つい、その身体を追いそうになる指を、握って隠した。

  エントランスにふさわしい、大きな扉。それを開いて外に出ていく、漆黒の背を追いかける。外に用意されている馬車のドアを、控えていた御者さんが開いた。それに乗って、俺の旦那さまは王城まで出勤する。

  硝子のはまっていない馬車の窓から、彼が俺を見た。俺も、笑って彼に大きく手を振る。それに手を振り返してくれる彼を、見えなくなるまで見送ってから、俺も家の中に戻った。

  俺の旦那さまは、王家の近衛兵長を務めている、狼獣人だ。名前をリジットと言い、年齢は26歳。最初逢ったとき、名前までイケメンだと思ったのはさすがに秘密だ。

  対する俺は人間で、名前はフラフィー。三流貴族の末子として産まれた。もう、長兄が家督を継ぐことは決まっていたから、俺はまあ、要らない…とまではいかなくても、どうでもいい子だった。産まれたときから、それはそうだった。

  だから、俺は幼いころから、ふくよかな子どもが好きだという性癖を持った年かさの上流貴族のもとに、嫁に出されると決まっていた。

  この世界、金と権力さえあれば、同性だろうが年端も行かない子どもだろうが、誰だって娶れる。それに、嫁といっても、彼に正妻さんはちゃんといたし、後を継ぐ子どももいた。だから、まあ…玩具として売られる、というのが正解だっただろう。

  それを前提として、俺は育てられた。もともと食べることは好きだったし、名目上は嫁ぐことになっていたから、家事も覚えさせられた。食べるのが好きなことも相まって、料理だったらコックさん並みに上手になった。

  上流貴族の好むようなふくよかな…要はデブになって、12になったら嫁に行く。その、決まっていたレールを、…壊してくれたのが、リジットさんだ。

  一体、俺の何をどう気に入ってくれたのは知らない。そもそも、逢ったことなんてあっただろうか。獣人は主に王家に仕える軍人が多いから、俺のうちみたいな王城に入れない三流貴族が彼らを見かけることだけでも珍しいし。ていうかあれだけ格好良かったら一目見ただけでも覚えているだろうに。

  それでも、リジットさんが、俺を娶りたい、と。今まで逢ったこともないだろう俺の為に、わざわざ俺の家まで出向いて、一言申し出てくれたおかげで、俺はその貴族の元に行かずに済んだ。この国では下手な貴族よりも軍人の方が地位が上だ。それが近衛兵長といえば尚更。例え上流貴族でも、王様直属の兵士の長には敵わない。

  その申し出に、親は、もう大喜びだった。上流の貴族よりも、もっと王家に近いパイプを手に入れたんだから。そして俺も、それに異存なんてなかった。ていうか、あんまりの幸運にびっくりした。だって、その日に初めて逢ったリジットさんは、俺が知ってるだれよりも、どんな人間よりも、格好良い獣人だと思ったから。一目惚れ、というのがあったら、あれがそうだったんだと思う。

  かくして俺は、リジットさんの元に嫁ぐことが決まり。

  けれど流石に12歳は若すぎる、と言うことで。それから4年ほど付き合い、16の誕生日を機に、正式に婚姻した。それが、半年前のことだ。

  

  リジットさんを見送った後。家のなかに入って、手伝いをしに厨房へ向かう。

  この大きな家には、メイドさんが数人と、馬丁兼御者さんがひとりと、庭師を兼ねた門番さんがふたり。このひとたちは、人間。全員、俺がここに来る前からこの家に勤めているそうだ。

  あと、俺の家庭教師さんが通いで週3回来てくれる。このひとは犬の獣人。リジットさんのお友達の、退役軍人らしい。まだ若いんだけど、怪我の所為で退官したそうだ。

  だから、俺は家庭教師のない日は、みんなと一緒にこの家の掃除をしたり、ご飯を作ったり、洗濯をしたり裁縫をしたりして過ごす。

  買い物にはリジットさんが居ない時はいかない。一人で出歩くことを、彼があまり好まないから。彼曰く、『誰かに拐かされたりするかもしれない、心配だ』らしい。誰が俺なんて攫おうというのか、って思うんだけど、リジットさんは王家付きの軍人だからなあ。身代金目当てに俺を攫うとかは、有り得なくない。だから、俺も彼がお仕事の日は、外に出るのを自重する。

  今日も、メイドさんがお皿を洗うのを手伝ったり、人数分の洗濯物を干したり、馬丁さんの馬のお世話を手伝ったりして、昼間の時間を過ごす。

  一番楽しいのは、ご飯の支度だ。もともと作るのも食べるもの好きな上に、好きな人に食べてもらえるんだから。だから、此処に来てから、料理だけは手伝いじゃなく、俺がやらせてもらうようにお願いした。朝ご飯も夕ご飯も、お昼にはお弁当だって。

  『あちらの食堂で弁当を開くと、みんなから冷やかされる』と。いつだったかリジットさんが、嬉しそうに言ってくれた。『そんなに愛してくれるつがいがいるなんて、幸せだな、と言われる』って。そう俺に伝えてくれる彼も、言葉通りに幸せそうな顔をしてくれていたから、それだけで俺も、とても嬉しくなった。

  大仰な賛辞なんて要らない。ただ、俺がつくったものを美味しそうに食べてくれて、最後に御馳走様、って。美味しかったって。彼がそう言ってくれるだけで、俺は最高に幸せだと思う。

  ちなみに、もう俺がデブでいる理由は無いんだけど。やっぱり食べるのが好きな所為か、全く痩せられない。リジットさんはこれでいいんだろうか、って不安にもなるんだけど。一度、やっぱり痩せた方がいいいか、って聞いたら、『お前はそれでいい。そのほうがいい』って、真剣な顔をして言われてしまって。寧ろ美味しいお菓子とか、積極的に買ってきてくれるもんだから。いいのかな、と思いつつも、それに甘えてしまっている。

  

  今日の夕飯は、鹿肉の赤ワイン煮込みでもしようかな。リジットさんは野菜も魚も食べるけど、狼獣人だけあってやっぱりお肉が一番好きだ。特に鹿肉。休みの日には、自分で狩りに行ったりもするし、食べようと思えば生でもいけるらしい。あんまりしないらしいけど。

  

  そうと決まれば、下拵えだ。頭のなかで手順を考えながら、メイドさんたちにもそれを伝えるべく、厨房へ向かった。

  

  ***************

  時計が、9回鳴り終わるのを聴きながら、文字盤を見つめた。午後9時。今朝、『帰ってくるのはいつも通り』、って言ってたけど。それなら7時のはずだから、今日は遅いのかな。そんなことを思いながら、欠伸を噛み殺す。それと同時にぐう、とお腹が鳴って、慌ててお腹を押さえた。いや、別に誰が聞いてるわけじゃないけど!

  おなかは減ったけど、独りで食べるのは味気ない。メイドさんや馬丁さんたちは別の部屋でご飯を食べているから、リジットさんがいないと、俺一人になってしまうから。

  厨房の隣が食堂。横に長いテーブルには、テーブルクロスと一輪挿し。今日の花はラナンチュラス…と言うらしい。花びらのボリュームのある、大きな花。庭師も兼ねた門番さんが、いつも飾ってくれる。お屋敷に勤めているひとの数が少なくて、役割を兼ねているのは、リジットさんがあんまり大勢雇うのを好んでないからだそうだ。兼ねている、と言っても、無理のない程度だし、勿論その分お給金もいいらしい。『無理がないなら、無駄に大勢よりも少数精鋭のほうが効率がいい』とは、彼の弁だ。そうなのかー。俺の家なんかは、親が見栄っ張りだからメイドさんも無駄に大勢いた。その上お給金は安かったから、直ぐに辞めてしまうひとも多かったし。だから、彼の言うことも分かる気がする。

  一番北側の、空いている彼の席を見つめて、その前に手を置いてみた。

  本当なら、テーブルの端と端に座るのがマナーだ。でも、この長いテーブルで端と端に座ったら、話も出来ない。だから、上座に座る彼の、一番近い席に座らせてもらってる。勿論、お客さまが来る時にはちゃんと端に座るから、2人きりの時だけは許して欲しい。

  「早く帰ってこないかなあ」

  頬杖をして、呟いた声は存外大きく部屋に響く。お腹が減ったから、だけじゃなくて。早く逢いたい。それが一番の理由だ。

  毎日一緒に居てもらってるくせに、何が早く逢いたいなのか。自分でだって分かってるけど。でも。

  ぐだぐだと考えていると、規則正しいノックの音が数回、聞こえて。それに頬杖をやめて、ドアを見遣った。期待に、勝手に胸が弾む俺の見ている前で、食堂のドアが開く。メイドさんの一人が、礼儀正しくお辞儀をして、それから。

  「旦那さまがおかえりになりました」

  澄んだ声が、辺りに響く。それを最後まで聞くより早く、身体が勝手に動く。椅子を蹴るように立ち上がって、ばたばたを足音を立ててしまいながら、床を駆ける。

  まるで、何日も逢ってなかったみたいだ。朝にちゃんとお見送りもしたって言うのに。自分でもおかしいくらいで、でも駆ける足は止まらない。

  エントランスに、彼の姿が見える。俺を確認して、彼が白い手袋に手を掛けた。それを外し終わるのを見計らって。

  「おかえりなさい!」

  思い切り、彼に抱き着いた。背は低いけど横は太い丸体型の俺が勢いよく抱き着いたら、ほんとは危ない。でも、しなやかに鍛えられた彼の身体は、ただ丸いだけの俺如きが抱き着いてもびくともしない。それが分かってるから、思い切り抱き着ける。

  今日も。俺のタックルみたいな抱擁を、こともなげに受け止めてくれると。手袋を取った、肉球のある掌で、俺の頭を優しく撫ぜて。

  「今帰った。遅くなってすまない」

  少し硬質の、でも優しい声で、そう言ってくれる。それだけで、胸がいっぱいになって、一瞬お腹が減ったことすら忘れてしまった。全然いいよ、って、彼の軍服に顔をうずめたまま、それだけ返して。けれど、すぐに復活してしまった空腹の音が、ぐう、とエントランスに間抜けに響く。…あー。あー!

  情けない顔をして、彼を見上げれば。珍しく、可笑しそうに笑った彼の眼と視線が合う。俺と目が合った瞬間、更に相好を崩した俺のリジットさんが、また、俺の頭を軽く撫ぜて。

  「待たせてすまなかった、すぐ食事にしよう」

  そう言って、促すように俺の背で、その手がぽんぽんと軽く弾む。そんな彼から、抱き着く手を離して、代わりに手を繋いだ。食堂までの短い距離でも、離れたくなくて。

  そんな俺の心情を分かってくれたかのように、彼も、俺の手を繋ぎ返してくれて。そのまま、鼻先が俺の耳を掠める。

  「明日は休みが取れた。今夜は離してやらんぞ」

  覚悟しておけよ。そんな、彼には珍しい、笑いを含んだ甘い声が、耳に流れ込んで。思わず耳を押さえながら、勢いよく彼を見上げてしまう。

  俺を見る、琥珀色の四白眼は、声と同じにやっぱり甘くて。俺は、もうご飯なんてどうでもいいから、早く寝室に行きたくて仕方なくなってしまった。

  

  

  

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