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イケメン狼獣人がぽっちゃり少年を娶るはなし。【45】
もうすぐ。…俺の、誕生日がやってくる。
昔は、きっと、…世界で一番嬉しい日で。けれど今は、世界で一番呪わしい日となった、その日が。
「リジットさん?」
俺の、誰よりも愛しい妻の声が耳に届いて。その声で、我に返った。弾かれたようにフラフィーを見遣れば、愛らしい円い目が不思議そうに俺を見上げている。その腕のなかで、俺たちの可愛い息子も、同じように。不思議そうに、俺を見上げて耳を揺らしていた。そんな、可愛らしい2人に向かって、ぎこちなく口角を上げる。
「どうしたの?カレンダーに、なにか書いてあった?」
言われて、…自分が、羊皮紙のカレンダーの前に、立ち尽くしていたことに気づく。1月から12月までが全て記してある、大判のカレンダー。…どうやら、その中の、ひとつの日付を凝視したまま、佇んでいたようだ。…もうじき訪れる、一月も終盤の日付。
「…いや、なんでもない」
目に焼き付いた、その日付から。…逃げるように、眼を逸らして。そのまま、俺の何よりも大事な家族へと向き直る。フラフィーの柔らかな頬に指を伸ばすと、…こころの何処かが、救われたように安堵した。ロバストごと、誰よりも愛しいそのぬくもりを、掻き抱くように抱き締める。みゅう、と、驚いたようにロバストが声を上げたのが、微かに聴こえた。
「リジットさん、どうしたの?大丈夫?」
優しい声が、耳に溶けた。片手でロバストを抱き上げたのか、フラフィーの柔らかな手が片方、俺の背に回る。何よりもあたたかくて優しい、最愛の妻のぬくもり。
「…大丈夫、大丈夫だ」
フラフィーに向かって、繰り返したはずの言葉は。まるで、…自分に言い聞かせるように小さく響いて、辺りに消えた。
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スティケートから。久しぶりに酒場へと誘われたのは、その数日後のことだった。
「こちらですよ、リジット」
入店した酒場で、店内を見回す俺に。店の隅、いつもの小さなテーブル席に座った親友が、俺に向かって小さく手を振る。それに、俺も軽く手を上げて、そちらへと向かった。
「お呼びだてして、申し訳ありません」
「いや、構わない。お前から誘ってくれるのも久しぶりだしな」
着席して一番に、俺に向かって軽く頭を下げてきたスティケートに。顔を横に振りながら、俺もそう答えた。…本当に、奴とこうやって飲みに来るのも久々だ。最後に店で飲んだのはいつだっただろうか。少なくとも、ロバストが生まれてからは、初めてだろう。
俺が、フラフィーと出逢う前は。週に一度はこうやって、スティケートが俺を誘ってくれては、一緒に飲んだものだし。あの子と婚約することが出来てからも、今度は俺の方が、奴を飲みへと誘っていた。…主に、あの子との相談で。あの時は、本当に世話になった。…だから今度は、俺がスティケートの力になってやりたいものだ。
「それで、今日はどうしたんだ?アステールと何かあったのか?」
「まさか。おかげさまで、彼とは好いお付き合いをさせて頂いておりますよ。…出逢わせてくれて、ありがとうございます」
俺の言葉に、スティケートが眼を細めて俺を見遣った。まだワインの一本も空けていないのに、モノクルを掛けたその目元が仄かに赤く染まっている。いつも優雅に微笑んでいる俺の親友の、その少し照れたような顔で。彼が、あの子の親友だという彼と、…言葉通りに好い付き合いをしているのだということが分かった。それだけで、俺の顔も小さく緩む。
「それならよかった。…婚約が決まったら是非教えてくれ。あの子と一緒に、祝わせて欲しい」
少しだけ口角を上げながらそう言うと。スティケートが、グラスを口に着けたまま盛大に咽せた。そのままげほげほとせき込んだ彼が、涙目で俺を睨むように見遣る。…これだけ付き合いが長いというのに、こんな顔は初めて見た。どんなときも、落ち着いて微笑みを絶やさないような彼の、何処か子ども染みた表情。そんなスティケートに、ますます口角が上がってしまうのを自覚しながら、俺も、グラスに口を着けた。…ああ、彼も、とても好い恋をしているのだと。豊かになったその表情を見遣りながら、しみじみと思う。
「…そ、そんな話はまだ決まっておりませんから!」
「…ということは、もう話は出ているのだな?」
スティケートの言葉に、笑ったままそう返す。奴は、『まだ決まっていない』と言った。『そんな話はまだ出ていない』でなく。…ということは、もう求婚の一つや二つ、されているのだろう。あとは、スティケートが頷けば話は進むのではないだろうか。そんなことを、少し心浮足立ちながら問いかければ。未だに顔を仄赤く染めながら、モノクルを指で押し上げてスティケートが笑う。
「…本当にあなたは、余計なところばかり耳聡いのですから」
「それは褒め言葉と思っておこう」
そのまま、苦笑交じりにそう言われて。その言葉に、軽口で返した。そんな俺に、スティケートがまた眼を細めてから、…ゆっくりと、視線をグラスへと移す。その眼は、もう笑っていなかった。
「…まあ、彼と私の想いが一致していたとしても。この国の貴族制度だと、まだ難しいところがあるのですよ」
先程とは違った、呟くような声。まるで一人ごちるようなその言葉に、…彼らの家柄を思い出す。アステールの家は、俺の妻の家と同じ男爵家で。この、俺の親友は、…この国でも有数の名家だということを。スティケート自身はそんなことを感じさせない、気さくな人柄だから、すっかり失念していたが。…本当は、もう何人も有能な犬軍人を輩出している、軍人のなかでも有名な名門の家だということを。そもそも、アステールを彼に紹介したことだって、その貴族制度があったからではないか。
俺の場合は、俺の方が地位も立場も上だった。だから、…俺とあの子の婚姻には、その地位の差は何の問題にもならなかった。寧ろ、俺の地位が高かったからこそ、…当時は侯爵殿の婚約者という名目だったあの子を、俺が娶ることが出来たのだから。
それすら許されるほどに、この国では、娶る側の地位さえ高ければ、年齢も性別も人種も関係が無い。けれど、…その立場が逆の場合はどうなるのか。その例を、…俺は、知らなかった。
「…すまない」
「何故謝るんですか。ただ難しいというだけで、…抜け道は幾つもあるのですよ」
自分の軽口を恥じて、頭を下げる。そんな俺に、スティケートが眼を細めて笑った。まるで、悪戯を企んでいる子供のように、楽しそうな表情で。
「ただ、多分前例がないことですからね。その部分の調整というか、…まあ、私の家の者をどのように説得するか、ということでしょうか」
だから、お気になさらないでください。そう言って、スティケートが俺を見遣った。その眼差しは、グラスを見つめていた先程とは違って、自信に満ちたもので。それでこそ俺の親友だ、と、俺の口元にもまた、笑みが戻る。
「お前とアステールなら大丈夫だろう。俺もフラフィーも応援している。何か、出来ることがあれば何でも言って欲しい」
「有難う御座います。それだけで、…とても心強いですよ」
自然と差し出してしまった、俺の右手。それを、何の躊躇いもなく、スティケートが握った。フラフィーからは、『リジットさんの手って大きいね!』と、愛らしく褒めてもらえるような俺の手だが、…それよりも、スティケートの手のひらは更に大きく、安心感すら覚える。
…この手を、あの王子然とした金髪の青年は、『可愛い』と言って笑うのだろう。その様が、自然と脳裏に浮かんで。…この親友が、あの青年と幸せに添い遂げられるように、と。そう願いを込めて、力強く、その手を握った。
「それで、今日はその話をしたかったのか?」
「違います。貴方がこの話題を振ってきたんでしょう」
握りあった手を、お互いグラスへと戻しながら。俺の言葉に、スティケートが呆れたように俺を見遣る。…そのあとで、彼の手がワイングラスから離れた。楽しそうだった雰囲気も、同時に鳴りを潜めて。
「…貴方の様子が、少しおかしいと。あの子から、相談があったのですよ。ここのところ、カレンダーを見つめてはぼうっとしてる、と」」
両手を組んで、スティケートが居住まいを正した。そのまま、俺を、真っ直ぐにスティケートが見据えるように見つめる。…まるで、指導兵と訓練兵だった頃に戻ったようだ、と心の隅で懐かしく思った。普段は穏やかな物腰が、こうやって向き合うときにだけ、嘘を許さないような威圧感に代わる感覚。
…自然と、俺もつられたように座り直していた。背を正しながら、頭のなかでスティケートの言葉を反芻する。俺の様子がおかしい?何がだ?俺は、別に、何も。…何も。自分に言い聞かせるよう、内心でそれだけを繰り返す。…それが嘘だということに、本当は自分で分かっていた。数日前の、あの子の優しい声が、耳を掠める。心配そうに俺の名を呼ぶ、あの子の愛らしく優しい声。
「リジット。…もう少しで、貴方の誕生日ですね」
穏やかな。けれど、重厚な声でそう、言われて。…自分の顔から、表情が抜け落ちていくのが自分で分かった。まるで空虚になったような顔のなかで、目線だけが下へと落ちていく。意味もなく、手元のグラスを眺めるようにただ、見詰めた。握ったままのグラスの中、氷がゆっくりと溶けてはウイスキーに混ざっていく。
「…そう言えば、もうすぐだな」
呟いた声は、自分のものではないように、耳に遠く響いた。表情と同じに、抜け落ちて空洞のような声。何が、『そう言えば』なものか。…その日が近づいていることに、疾うに気づいていたくせに。だからこそ、無意識に、…カレンダーを見つめてしまっていたくせに。それなのに、あの日の日付から、…逃げるように眼を逸らしてしまったくせに。
「あの子に、…それを言ったのか?」
「まさか。…貴方が、あの子に誕生日を教えていないのです。私から教えることなんて、致しません」
自分の声も、スティケートの声も、まるで水中のように、ぼんやりとくぐもって辺りに散らばる。身体が、感覚もなくなるほどに冷えていた。…俺の内側から、『あの日』が溢れそうな気がして、必死で意識を今へと留める。
俺の誕生日など、あの子に教えてはいなかった。その日に起こったことだって、…何も、話してはいなかった。そんな日のことなど忘れたことにしたかった。…寧ろ、無かったことにしたかった。あの日に起こった事ごと、何もかも。
この世で、一番苦々しい日。罅割れたように砕けて散らばる記憶のなかで、…唯一、鮮明に脳に焼け付いている一日。俺の誕生日なんて、なんの意味も持たない。何を祝うというんだ。この日は、…あの時から、俺にとっては何よりも呪わしい日に変わったというのに。
気を抜くと、…過去に飲み込まれる。それが分かっているから、必死に気を張って、意識を繋げた。塞がれたように閊えた胸が、そのまま黒く壊死していくような感覚。頭の奥から、…誰かの叫び声が這いあがってくる。それが、…誰のものなのか。考えそうになる思考を、遮るように。スティケートが、ゆっくりと口を開いた。その声に、密かにほっと息を吐く。…そんな資格、俺には無いというのに。
「…私は、貴方の誕生日に、何があったのかは分かりません。貴方が、…何故、自分の誕生日を忌避するのかも」
スティケートの声は、思案に満ちていた。俺を気遣って、言葉を選んでいるのが聴くだけで分かるような声。丁寧に、ゆっくりと、俺の親友が言葉を紡ぐ。俺は、グラスを握りながらそれを、…ただ、聞いていた。
「けれど、…フラフィーは、貴方のことを心配していますよ。貴方をこころから想って、愛しています」
穏やかな声で紡ぐ、その言葉に。…俺のこころに、一つだけ、あたたかな灯がともった。あの子の笑顔が、脳裏に浮かぶ。それだけで、…壊れそうになる心臓が、息を吹き返したようだった。俺を呼ぶ、あの子の明るい声が耳を掠めて。俺の背にまわった優しい手のぬくもりが、冷え切った身体に熱を与えてくれる。あの子の幸せそうに笑う顔を想い描くだけで、…自然と、小さく口角が上がって。抜け落ちていた表情が戻る感覚に、笑うことのできる自分に、…どうしようもなく安堵した。
ゆっくりと、視線をあげて、スティケートを見遣った。先程と同じに、姿勢を正して俺を見つめている彼の、…その穏やかで真剣な眼差しが、俺の視線と交差する。モノクルの奥のその眼が、ゆっくりと細められた。
「どうか、あの子にだけは。…私にも、他の誰にも、貴方が誕生日を嫌う理由を話せないとしても、あの子だけには。…いつか、貴方の口で、話してあげてください。その日が来ることを、私は、…こころから願っていますよ」
…昔から変わることのない、重厚で誠実な声。訓練兵だったあの頃から、俺を叱咤し、励ましてくれていた、俺の年上の親友の。…その言葉に、俺はただ、また視線を下げて、眼を伏せた。
分かっている。この過去を、…あの子にいつまでも、隠しておくことは出来ないと。
まだ冬に入りかけだった頃に、フラフィーとロバストと3人で、公園を散歩していた時のことが脳裏をよぎった。何も知らない、俺が何も教えていないあの子が、俺の両親の話を口にした、あの時のこと。それに、…俺が、思わず硬直してしまい、あの子に心配と不安を抱かせてしまった、あの時の。
泣き出しそうな顔をしていた。自分の言葉が、…俺を傷つけてしまったのではないか、と。後悔と罪悪感をその目いっぱいに浮かべて、…俺を見つめていた。あの子は何も悪くない。何も言わなかった、教えなかった、…言えなかった俺が悪いというのに。
俺が、話さなければ。いつまでも、あの子は俺との話に気を遣うだろう。いつまた、俺を傷つけてしまうか、と、緊張させてしまうかもしれない。それは嫌だ。そんなことは、俺は望まない。あの子には、いつだって屈託なくいて欲しい。俺に気など遣うことなく、いつだって明るく、楽しそうに話していて欲しい。幸福そうに笑っていて欲しい。…あのような、俺を傷つけた、と思うことで、あの子の方が傷ついているように、…泣き出しそうな顔など、させたくない。
分かっている。…分かってるんだ。俺が、一歩を踏み出さなければ。…あの子に、俺の過去を話さなければ。
あの子なら、受け止めてくれるだろう。きっと、俺を優しく抱きとめて、…俺に寄り添ってくれるだろう。それすら、分かっているというのに。
手のなかで。握っていたグラスが、小さく軋んで、音を立てた。すっかり溶けた氷が、小さな、小さな欠片となって、ウイスキーの上にぽつりと浮かんでいる様を、凝視しながら。
「…分かっている」
呟いた声は。酒場の楽しそうな喧騒のなか、まるでそぐわずに。誰の耳にも届かぬように、床へと落ちて、消えていった。
あの日に起きたこと。…俺の記憶を粉々にしたくせに、そこだけは鮮明に、俺の記憶に根付いている出来事。
あの日のことを、俺は忘れない。…忘れられない。俺の、…俺の両親を。血塗れに打ち砕いた、…俺の町の仲間だった者たちのことを。
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