初恋

  1

  高3の春。

  そこでの出会いは、きっとわしにとっての初恋だったのだろう。

  商店街の入り口にある小さなショットバー、『アバンティ』。

  高校への登下校の途中にあるため、この店の前は当たり前のように通っていたけど、わしが中に足を踏み入れたのは、その時が初めてだった。

  年上の従兄弟に促されて扉を開けると、カランカラン、とベルが鳴る。

  店の中には煙草の匂いが広がっていた。

  大柄な虎獣人の身体では少し窮屈に感じるそのドアを、一瞬戸惑った後、小柄な狼獣人に続いてゆっくりとくぐる。

  マスターなのだろう、来客に気づいた白熊獣人はにっこりと笑うと、わしの前を歩いている従兄弟の狼獣人に声をかけた。

  「ああ、大輔か。いらっしゃい。……お連れの虎さんは初めてだね。なかなか貫禄ある感じだけど、大学の先輩かな?」

  ……先輩?

  その言葉に、わしは眉をひそめる。

  ……4つも年下なんだが。

  「いや、こいつ俺の従兄弟。こういうとこ初めてだって言うから、連れてきたんだ」

  胸を張って、顎でわしを指す大学3年の狼獣人。

  「へえ、バーは初めてなのか。……普段は居酒屋とかで飲んでそうな感じだもんね」

  「そうだろ」

  そんなマスターに従兄弟の大輔は笑って答えた。

  ……そんなわけあるかい!

  無口なわしは、口を開く代わりに、眉をひそめてしかめっ面をしてみせる。

  そう、高校生のわしは、酒場になんか入ったことがない。

  不良っぽく見られるが、これでなかなか真面目なのだ。

  そんなわしに先輩風を吹かせたかったのだろう。

  『気晴らしにいいとこ連れてってやる』と、大輔は、試験前で参考書を抱えて唸っているわしを、家から引っ張り出したのだ。

  ……いや正直、それより勉強を教えてくれよ、と思ったぐらいなのだが。

  2人で並んでカウンターに座ると、大輔はマスターにえらそうに言ってみせる。

  「見ての通り、愛想のいい奴じゃないけど、まあ悪い奴でもないから、よろしくね」

  余計なお世話だ。

  「大輔は狼獣人はなのに、彼は虎獣人なんだね」

  「ああ、母方の従兄弟なんだ」

  「そうなんだ。……せっかくのお客さんを待たせちゃ悪いね。何か吞むかい?」

  「……」

  聞かれても、バーに何が置いてあるのかなんか、わしにはわからん。

  ジュースでも頼もうとすると、先に大輔が口を開いた。

  「俺はいつもの。こいつにも同じもので」

  「了解」

  マスターが側を離れると、わしは小声で大輔に聞く。

  「おい、いいのかよ」

  「いいだろ、そのぐらい別に」

  何でもないように言う狼獣人。

  「なんなら、お前の方が年上に見えるぐらいなんだから」

  その言葉に、わしはムッとした顔をする。

  そりゃまあ、体つきはごついし、角ばった顔は下駄みたいだと言われるぐらいだし。眉毛は太いし、鼻は顔の真ん中であぐら掻いて座ってるみたいだし。

  それでも、わしは繊細な高校生なんだ。

  「そんな顔するからだよ」

  そんなわしを、大輔は笑った。

  「はい、お待たせ」

  戻ってきたマスターの手で、ことり、とグラスがカウンターに置かれる。

  琥珀色の液体の中には、大きくて丸い氷が浮かんでいた。

  わしはドキドキしながら、グラスの中身を口に運ぶ。

  カラン、と氷が音を立てた。

  「……」

  ……なんか、うまい。

  今まで感じたことのない、苦みのある複雑な味わい。喉を通る焼けるような感覚も、部活帰りに一気に飲むコーラと、似ているようで、少し違った。

  「なんや、マスター。今日はえらいかわええ子がいてるやないか!」

  その巨躯のおっさん熊は、大きな体で窮屈そうに店に入ってくるなり、だみ声をはりあげた。

  しかしデカいおっさんだ。全体的にわしの二回りはデカし、色々太い。

  ……いいなぁ。

  その中年のおっさん臭くて豪快なところが、正直、どストライクだった。

  「ゆうさん、大輔なら常連なんだから、顔見るの初めてじゃないだろ?」

  マスターの言葉に、きっとわしの親父ぐらい年上の、そのおっさんは首を横に振った。

  「ちゃうちゃう。かわええのはこっちの若い虎の子や」

  その指先をわしに向ける。

  ……かわええ?

  わしは思わず目を見張った。

  ……仏頂面で酒を舐めているこのわしが?

  年齢よりも10は老けて見える厳つい顔で、歩いても職務質問されるような風貌してるのに?

  「……」

  そりゃこの馬鹿デカい熊獣人のおっさんよりは小柄だが、それでもわしは190㎝はあるのだ。

  かわいいなんて、生まれてはじめて言われた言葉に葛藤していると、おっさんはわしに話しかける。

  「なあ。隣、座ってもええか?」

  断るのも悪い気がして、わしはこくりと頷いた。

  よっしゃよっしゃと大仰にガッツポーズをして見せると、おっさんはわしの隣に座る。

  「わしは熊瀬雄作や。坊主はなんちゅう名前や?」

  ……坊主かぁ。一体いくつに見られてるんだろう。

  それでも、この顔でガキ扱いされたのは久しぶりで、ちょっとうれしかった。

  「虎島和幸」

  「そうかそうか。ええ名前やな」

  おっさんはうれしそうにわしの肩を叩く。

  大輔は大輔で他の常連客との話に夢中だったので、必然的にわしはおっさんの相手をすることになる。

  「今日はわしの奢りやからな」

  どんどん呑めと、すすめてくれるこのおっさんは、聞くとこの町の人間ではないらしい。

  なんでも、仕事でここに長期滞在することになったのだとか。

  わしは無口な方なので、相槌だけは打ちながらも、豪快に笑うおっさんの顔に見惚れていた。

  ……格好いいなぁ。

  武骨な眉になんでもかみ砕きそうな四角い顎。

  ぎょろりとしたどんぐり眼。

  太い腕で掴むウィスキーグラスは、まるでおちょこのように小さく見える。

  そして、隣まで漂ってくるおっさん臭が、また男臭くてそそるのだ。

  そんなわしの憧れ交じりの視線に気づいたのか、おっさんは誰にも気づかれないようにわしの耳元で小さく囁く。

  「坊主、おっちゃんと遊ばへんか?」

  そして……。

  気が付くと、わしは2人きりでおっさんの部屋にいた。

  2

  「舌出せ、舌」

  初めてのキスは、酒と煙草の匂いにまみれていた。

  大人の味のするそれにわしはたまらなくなり、口を開いておっさんにむしゃぶりつく。

  舌を伸ばし、熊の口をこじ開け、その大人の味を楽しみながら必死に舌を絡ませる。

  「なんや、坊主。初めての割にがっつくやないか」

  おっさんはにやりと笑うと、余裕の表情で引き抜かんとばかりに、わしの舌を吸う。

  わしはただ、その動きに身を任せるだけだった。

  やがて満足したようにおっさんは口を離す。

  「なあ」

  「なんや」

  「おっさん、なんでわしが男好きってわかったんだ?」

  「そんなもん、見たらわかるわ。物欲しそうな顔して、俺のことをことを見とったでぇ」

  その言葉に、わしの顔は熱くなる。

  ……そりゃ、このおっさんむっちゃタイプだし。

  「しかし、その顔で高校生とは恐れ入ったな」

  部屋に入った時点で、実は高校生だし、セックスは初めてだと暴露したのだが、おっさんはむしろうれしそうににやりと笑っていた。

  初物喰いは乙なもんやで、と。

  「悪かったな」

  「悪くないで。昔、俺の周りにもそんな奴おったし……。しっかしかわええなあ。その仏頂面、俺は好きやで」

  「別に、好きでこんな顔してるわけじゃねえよ」

  「そやけど、人に笑顔なんて見せたことないやろ?」

  「……うん」

  言われてみれば、物心ついてから他人に意識的に笑顔なんて見せたことがない。

  「そんな無愛想で仏頂面を、あんあん啼かせるのがわしは好きなんや」

  そう言うと、おっさんは身を起こし、ぴちゃり、わしの首筋に舌を這わせた。

  「んん……」

  くすぐったさに我慢していると、おっさんは笑う。

  「これも慣れてきたら気持ちよくなるんやけどな。乳首なんかも気持ちええもんやで。まあええわ。今日は初めてやからな」

  体を起こし、わしの股間をねめつける。

  そこには、すでに待ちかねたとばかりに勃起しているわしの息子。

  先走りで、すでにズルズルだ。

  「なかなかええサイズやな。形もええし。ほな、さっそくいただこうか」

  根元をぐいと掴むと、ベロン、と竿の半ばから亀頭へと舐めあがる。

  「……!」

  初めて感じる生暖かい感触にわしは歯を食いしばる。

  「気持ちええか? 坊主のその表情、たまらんなぁ」

  おっさんは嬉しそうに言うと、ぱくり、とわしのチンコを咥えた。

  ……すげぇ。

  口の中がうねうねと動き、舌先が亀頭をクリクリとくすぐる。

  「……ぃ!」

  既に興奮で爆発しそうだった俺のチンコは、その刺激に我慢なんかできなかった。

  「お、おっさん、はなし……いぐぅぅ!」

  びしゃっ、びしゃっ!

  わしは咥えられたまま、息子を思いっきり暴発させた。

  おっさんはそんなわしに目を丸くしながらも、口を離さずじゅるじゅると飲み込んでいく。

  肩で息をつくほど脱力したわしは、ようよう口を離した熊獣人に謝るしかなかった。

  「おうおう、若いからえらい青臭いのぉ」

  「ご、ごめん……」

  「何言うとるんや、こんな新鮮な雄汁ごちそうしてもろうて。こっちがお礼を言わなあかんぐらいや」

  おっさんは笑う。

  「若いんやからまだまだイケるやろ。次は、わしの番やぞ」

  「う、うん」

  おっさんはそう言うと、わしの顔を掴み、その股間へと導く。

  雄臭い匂いが濃く漂うそこで、巨大な逸物はぬらぬらと光りながら、俺の口を待っていた。

  ……でけぇ。

  体に見合ったその逸物は、ペットボトルは優に超える大きさで、太さも長さもわしの物とは段違いだった。

  雄としての格の違いを見せつけられたようで、わしは思わず身体を引く。

  しかし、抑えつけた掌は、それを許してはくれない。

  ゆっくりと近づいてくる逸物にわしは覚悟を決めて、口を開く。

  限界まで口を広げ、舌先を動かしながら、肉棒を招く。

  ぴちゃり。

  わしの舌が、ずるずるの亀頭に触れた。

  ……わし、男のチンポを舐めてる。

  わしはその事実に興奮して、必死に舌を動かした。

  「ほら、しっかり舐めるんやで」

  先走りが出て塩辛いそれをわしは言われる通り一生懸命舐める。

  いくらでも湧き出るそれを舌先で味わい、唇をつけてちゅうちゅうと吸う。

  喉を鳴らし、また口を開けて大きく咥えこむ。

  あまりの大きさに、咳き込みながらも、必死にがっつく。

  おっさんは、そんなわしの頭を嬉しそうに撫でてくれる。

  「ほら、初めてしゃぶる男のちんぽはどうや? うまいか?」

  「こんなの、うまいわけないだろ」

  照れ隠しのように、わしは呟く。

  「そうか?」

  おっさんはにやにや笑う。

  「尻尾が嬉しそうに動いとるで」

  「!」

  わしはその言葉に、体の動きを止める。

  「まあええわ。そのうち、恥ずかしがるどころか、自分から欲しがってにゃんにゃんねだるようにしたるからな」

  ずるり、と腰を引き抜く。

  「あ……」

  名残惜しそうなわしの唇と、おっさんの逸物とが銀の糸で結ばれる。

  「上の口も悪くないけどな。わしは下の口も堪能したいんや。坊主と繋がりたい。ええか?」

  「……うん」

  「そうか」

  おっさんはわしの頭をぽんぽんと叩くと、わしの体をうつ伏せにさせ、わしのケツをベロリとねぶる。

  「おっさん!」

  すがるように鳴くわしに、おっさんは優しく答える。

  「心配せんでもええ。ちゃんと濡らしてほぐしてから、ずっぽり入れたるからな」

  枕元に置かれていたローションを手に取ると、おっさんはわしのケツにとろとろと流していく。その冷たい感触に、わしのしっぽがぴいんと硬く緊張する。

  「力抜いとくんやで」

  尻尾を軽く上に押し上げると、ローションをまぶした指が一本じゅるり、とわしのケツに入ってくる。

  異物感に緊張しながら、それでもおっさんの言う通りわしは出来る限り力を抜く。

  「よしよし、ええ感じや。柔こうて適度に締め付けて……高校生の処女ケツかぁ。たまらんなぁ」

  エロ親父のようなことを呟きながら、熊獣人はゆっくりと指を動かし、わしのケツを広げていく。

  やがて、指が2本3本と増え、そろそろやな、とおっさんは言う。

  「ほな、かわええ猫ちゃんの初めてをいただこうやないか。……心配せんでもええで。ちゃんと気持ちよくしたるから」

  怖い。

  体の上に巨大な黒い塊が覆いかぶさってくる。

  俺の緩んだはずのケツに、とてつもなく大きな肉棒が押し付けられるのがわかる。

  それは俺がしゃぶっていた時よりも膨張して、熱かった。

  「ちゃんと力抜いとくんやで。心配せんでもええ。ちゃんと坊主に天国味わせたる」

  ……ああ。

  ずるり。ずるり。

  俺のケツがこじ開けられ、肉杭の先端が、少しずつ押し入ってくる。

  怖い。

  痛い。

  でも、心が満たされるような充足感の方が強かった。

  おっさんに犯されてるんだ。

  おっさんと一つにつながってるんだ。

  やがて。

  「ちゃんと奥まで入ったで」

  痛みにこわばったままのわしに気づいているのか、おっさんは動かないでいてくれた。

  優しくわしの体にキスを落としながら、子供にするように頭を撫でてくれる。

  おっさんの体温と匂いに包まれて、わしのこわばった身体も少しずつほぐれていく。

  くちゅり。

  わしのケツから、濡れた音がする。

  「動かしても大丈夫そうやな」

  おっさんはそう言うと、ゆっくりと抜き差しして見せる。

  「坊主の中、気持ちいいで。おっちゃんのチンポ、優しく包んどる」

  ……自分の体の中を説明されるなんて。

  「なんや、きゅんきゅん締め付けてきたで。恥ずかしいんか?」

  「……」

  「大丈夫や。俺とやったら恥ずかしいことないで。いっぱい乱れてええんや。……坊主の恥ずかしいとこ全部見せてや。おっちゃんと一緒に気持ちよくなろ」

  その優しい言葉に、わしは泣きそうになる。

  「うん」

  素直に頷くと、おっさんは嬉しそうに笑って、「よっしゃ!」と腰を動かし始めた。

  わしの中を探るように、ゆっくりと掻き回す。

  初めに感じた痛みは、もうなかった。

  あれだけデカい逸物を入れられているのに、わしが感じているのは幸福感だけ。

  そこから少しずつ、こそばゆいような気持ちよさが湧き上がってきた。

  陶然としたわしを、おっさんは大人の余裕で見下ろしている。

  「気持ちええか」

  わしはこくりと頷く。

  「そうかそうか」

  満足そうに笑う。

  「ほんまにかわええなぁ。わしも辛抱たまらんようになってきた」

  その言葉と共に、腰の動きが少しずつ激しくなってくる。

  くちゅりくちゅりとケツから聞こえる音が大きくなってくると、

  「ああ!」

  わしの口から堪えられない声が漏れる。

  「ここやな、ここがええんやな」

  チンコの裏辺りを強くこすられると、痺れるような快感が体を走った。まるで体から何かが押し出されるような。

  「おっさん、わし……」

  追いつめられたような声を出すわしに、おっさんは野獣のような笑みを見せる。

  「大丈夫や、そのまま力抜いとき。天国いかせたるから」

  そのまま、俺の感じるところを執拗にこすり続けた。

  湧き上がった快感は瞬く間に膨れ上がる。

  「おっさん、なんか来る!」

  「ええで、そのままメスイキしてしまえ!」

  グチャリ!

  熊獣人は、こすり続けて膨らんだ快楽の源を、その太い肉棒で思い切り押しつぶした。

  「イグぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

  今まで感じたことのないような衝撃が、稲妻のように全身を貫く。

  息もできないほどの快感に、わしは体をのけ反らせた。

  「くそ、ちょっと漏れてもうた。かなんなぁ、えらい締め付けよるさかい。こない早う出てしまうとは、坊主のここは名器やな」

  そう言うと、おっさんはくちゃくちゃと肉棒を動かしみせる。

  確かにさっきより暖かくて、濡れているように感じられた。

  「このままやと不完全燃焼やな。……もういっぺんやろか。このまま掘り倒して、わしのんを体に覚えさせたる」

  「……うん」

  3

  「うう」

  重たい頭を振りながら、わしは顔をあげる。

  そこは、熊獣人の胸の中だった。

  ……ここは。

  そうだ、おっさんの家だ。

  バーで意気投合して、部屋に連れ込まれて、それから……。

  昨日の痴態を思い出して赤面する。

  ……でもよかったなあ。

  気持ちよかったし、なんか嬉しかった。

  俺はおっさんを起こさないように静かにベッドから抜け出すと、部屋を見渡す。

  必要最低限の家具しか置いてない殺風景な部屋だったが、テーブルに1つ、写真立てが飾られていた。

  そこにいるのは、学生服を着た2人の男。

  おっさんと肩を組む、1人の犬獣人。

  おっさんは嬉しそうに笑っていたが、隣の犬獣人は眉をひそめてしかめっ面をしていた。

  すでに色が褪せてしまっているそれを、きっとおっさんは大事にしているのだろう。

  「なんや、起きたんか」

  振り向くと、大きく伸びをした熊獣人がこちらを見ている。

  「うん」

  「ちゃんと寝られたんか?」

  「大丈夫」

  「そうか」

  おっさんはにやりと笑う。

  「昨日はなかなかかわいかったで」

  「……」

  俺はその言葉に、顔を真っ赤にしてしまう。

  わしはシャワーを浴びて、服を身に着ける。

  おっさんはそんな様子を満足そうに眺めていた。

  「顔だけ見とったら、ほんまに、高校生とは思われへんなぁ。体はうぶでよかったけどなぁ」

  しっしっしっと、嫌らしく笑う。

  「う、うるせぇ!」

  わしは顔をしかめて怒鳴るが、おっさんは大人の余裕を見せる。

  「それじゃ、気ぃつけて帰りや」

  「うん」

  おっさんの言葉に、わしは頷く。

  そして……。

  このままじゃ名残惜しかったから。

  「あの……」

  「うん?」

  わしは一世一代の勇気を振り絞って、こう言う。

  「おっさん、また、会ってくれないか?」

  ぎこちなく顔を歪めて、自分なりの笑顔を見せて。

  今まで誰にも見せたことのない笑顔で。

  その顔に、おっさんは一瞬目を見開くと、顔が無表情に変わる。

  「……おっさん?」

  「……」

  しばらく黙った後、熊獣人は言った。

  「……いや、悪いけど、自分とはこれっきりや」

  さきほどまでと打って変わった冷たい声に、わしは戸惑う。

  「おっさん、なんで……」

  「き、決まっとるやろ。自分みたいなガキの相手はうんざりなんや。昨日は酔っぱらっとったさかい、誰でもよかったんや」

  「……」

  「さあ、帰った帰った!」

  突然の掌返しに、わしは怒りに顔を歪ませる。

  「わかったよ、この糞親父!」

  むかっ腹を立てたわしは、ドアを壊す勢いで叩きつけると、階段を下りていった。

  わしの初恋は、たった一晩で、あっけなく幕を閉じた。

  ……なんだよ、あの糞親父。

  家に帰って制服に着替えて教室に入っても、わしのむかつきはおさまらなかった。

  「なんだ、かず。今日はいつもにも増してご機嫌斜めじゃん」

  「ああ?」

  からかうように言う隣の席のパンダ獣人に、俺は声を荒げそうになる。

  「ほら、そんな顔したら女子が怖がるよ」

  その言葉に、わしは黙り込む。

  体格もいいし、いつもしかめっ面のせいで、わしはクラスの女子からは避けられている。というか、クラスのおとなしい男子たちもあまり近づいてこない。

  きっとクラスの中では、不良の一匹狼、みたいなポジションなのだろう。

  わしに頻繁に話しかけてくるのは、この小柄なパンダ獣人、笹川ぐらいだった。

  ……まあ、こいつも変わり者だからな。

  学生の癖に、わざわざ自分は男好きだと皆に言って回っているのだ。奇しくも年上のおっさん好きというわしと同じ性癖。

  どうも、話を聞くと、良さそうなおっさんを捕まえては夜な夜な遊んでいるらしい。

  いわゆるビッチ、というやつだ。

  そんな笹川からすると、わしの事が同好の士とわかるのかもしれない。

  もちろん、わしはそんなこと誰にも言っていないのだが、お仲間同士何か察するところがあるのか、ちょこちょこ近づいてきて話しかけてくる。

  だからクラスではマブダチと思われているのだ。

  ……いやいや、わしは遊びまわったりしてないから。

  昨日の夜が初めてだったし。

  ……大体、わしは大好きな相手としかしたくないし。

  「くそ!」

  またあのおっさん熊とのことを思い出すと、腹が立ってくる。

  それを見て、もう一度パンダが何か言おうとするが、その前に教室にパンパンと手を叩く音が響く。

  「ほらほら、ホームルームを始めるぞ」

  担任の犬村先生がクラスに入ってきたのだ。

  生徒はみな、自分の席に着席する。

  「竹取、今日の1限目は生物だったな」

  「はい」

  座席が一番前のまじめなカワウソ獣人が答えると、先生は言う。

  「お前らも知っての通り、生物の担当だった副担の中山田先生は、産休でしばらくお休みになる。その代わりで別の先生に来ていただくことになった。……熊瀬先生、お願いします」

  その言葉と共に、のっそりとドアをくぐったのは、どこか見覚えのある、デカい熊獣人。

  ……って。

  「ああっ!」

  わしは思わず声をあげる。

  「どうした、虎島?」

  ……昨日のあいつじゃねえか。

  わしをもてあそんだ、大柄で豪快な熊獣人。

  そいつが、当たり前のような顔で、教壇に立っていた。

  わしは人を殺せるぐらいの形相で、おっさんを睨みつけるが、当の熊獣人はまるで初めて会ったかのように素知らぬふり。

  「虎島ぁ。お前はただでさえ人相悪いんだから、そんな顔したら熊瀬先生怖がるだろ」

  犬村先生がのんびりとした声で言う。

  ……こいつがそんな玉かよ。

  隣で、おお、いい男と呟く笹川を睨みつける。

  「今日から生物の担当をしていただくから。……じゃあ、熊瀬先生、あとはよろしくお願いします」

  そう言うと、犬村は教室を出ていった。

  4

  最悪だった。

  いや、この熊親父が先公だってのも最悪だが、この授業のやり方がまた最悪だった。

  というよりも、授業をしないのだ。

  目についたのか、成績のいいカワウソ獣人に教科書を音読させると、あとは分厚いプリントを渡し、これ解いとけ、で終わり。

  その間、窓際でプカプカ煙草を吸っているのだ。

  しかも毎回毎回。

  あまりにも腹立たしいから、クラスの何人かで担任に抗議に行ったのだが、『あの人、校長のお気に入りだからねぇ』と当たり前のように言う。

  担任として、それでいいのかよ、と言わざるを得ない。

  ただ。

  意外なことに、時間が経つとおっさんに対する学生たちの評判は、なぜか良くなっていった。

  授業は手抜きだが、渡されたプリントの内容はわかりやすく、質問をすれば丁寧に教えてくれる。

  何より、強面だが、気さくなところもあるというのだ。

  ……わし以外には。

  そう、この熊親父、なぜかわしにだけはそっけなかった。

  もともと容姿がわし好みだっただけに、憎さ100倍で俺だけが目の敵にしている状態だった。

  ……あんなにかわいがってくれたのに。

  「あのおっさん、学校に何しに来てるんだよ」

  わしはたまりかねて、小さく呟く。

  その放課後、わしは笹川に誘われて校庭でサッカーをしていた。

  他の連中も話に乗ってきて、結構本気で走っている。

  きっとみんな、受験戦争の真っ只中ということで、気晴らしがしたかったのだろう。

  わしもおっさんに対するいら立ちをボールにぶつけたかった。

  「くそ!」

  ボールを追っていた視界の隅におっさんが入り、わしはグラウンドの真ん中で足を止めた。

  こいつはあろうことか、校庭の芝生の上に座り込んで、空をぼんやり見上げながら煙草を吸っているのだ。

  ……何考えてるんだよ。給料分、仕事しろよ。

  心の中で毒づいていると……。

  「虎島、危ない!」

  ……え?

  がつんっ!

  不意に横から衝撃を受け、わしはそのままごろごろと地面に倒れ込む。

  近くで激しいボールの取り合いをしていたのか、相手チームの選手が突っ込んできたのだ。

  「ごめん、虎島」

  「ああ、大丈夫……つぅっ!」

  立ちあがろうとした瞬間、右足首に激痛が走る。

  「こりゃ捻ってるな。かず、立ちあがれる?」

  笹川の言葉に、わしはもう一度立とうとするが、やはり激痛で動けない。

  ……困ったな。

  保健室にでも行って松葉杖を借りてくればいいんだが、このままじゃ歩けそうにない。

  「熊瀬せんせー」

  パンダが煙草を吸っているおっさんに声をかける。

  「虎島が足をくじいちゃって。先生大きいからこいつ運べるでしょ。肩貸してよ」

  「俺がか? ……やだよ」

  笹川の言葉にちらりとわしを見て、おっさんは露骨に嫌そうな表情を見せた。

  ……なんで。

  嫌いなはずのおっさんにそんなこと言われただけなのに、わしの目にはなぜか涙が滲みそうになり、必死にこらえる。

  「でも虎島大きいから、俺たちだけじゃ運べないし」

  その言葉にしょうがねぇなぁと、おっさんは立ち上がった。

  近づいて見下ろすおっさんを、わしは睨みつけてやる。

  「おっさんの肩なんか、借りねえよ!」

  「なんや、手負いの獣みたいやな」

  わしの様子を見て鼻で笑う。

  「まあ待てや」

  おっさんはポケットから何かを取り出す。

  それは爪楊枝ぐらいのサイズの金属の棒だった。

  「痛めたのは右やな?」

  そう言うと、おっさんは針金のようなそれを、痛くもない反対の左足首に優しく触れさせると、おねおねと動かす。

  30秒ぐらい、そうしていただろうか。

  「何してんだよ!」

  俺の言葉は無視したまま。

  「ほれ、立ってみぃ」

  やがて金属の棒をしまうと、おっさんは俺の体を掴んで、無理やり立たせようとする。

  「だから痛くて立てねぇってっ! ……なんで」

  あれ、痛くない。

  いや、痛みが全然なくなったわけじゃないんだけど、立って歩けるぐらいには痛みが引いている。

  ……なにしたんだ?

  じっとおっさんを見つめるが、熊親父はこちらを見ようともしない。

  「これで保健室ぐらいには行けるやろ。処置してもらって松葉杖借りて、さっさと帰るんやで」

  それだけ言うと、熊は気だるそうに歩いて行った。

  「何あれ、魔法かよ!」

  クラスメイト達が騒いでいる中、わしはその後姿をじっと眺めることしかできなかった。

  ろくな授業をしないばかりか、おっさんはちょこちょこ授業を自習にして教室を抜け出す。

  「熊瀬先生、ちょっと」

  事務員が声をかけると、窓際で煙草を吸っていた熊は、はいはいと火を消して立ちあがる。

  「おい、竹取。いつもみたいに今日のとこ音読しとけ。それから自習な」

  それだけ言い残すと、のそのそと部屋を出ていく。

  クラスメイトも慣れたもんだ。

  カワウソは音読をし、他の連中は小声でこそこそと話し出す。

  そんな中、教室から完全におっさんが見えなくなると、わしは立ちあがった。

  「どうしたんだ、かず」

  隣のパンダが、不審そうにわしの顔を見る。

  「トイレ行ってくる」

  「あ、僕も」

  教室を出ようとするわしに続こうと、笹川も立ちあがった。

  「で、どこ行くのさ」

  教室を出たわしの後を、ちょこちょことついてくるパンダ獣人。

  こいつ、わかっててついてきたな。

  「笹川、お前噂聞いたことないか?」

  「噂?」

  「最近、授業中に保健室からエロい声が聞こえてくるって。それが、どうも校長の声だとか」

  「え、そうなの?」

  エロいという言葉に食いついてくるパンダ。

  なんかうざい。

  「まじまじ?」

  わしは柔和な顔立ちをした、老年のウサギ獣人を思い浮かべる。

  「立ち入り禁止って札をわざわざ出して。しかも、あのおっさんがこの学校に来だしてからだ」

  絶対、あのおっさんと校長が出来ているに違いない。

  大体、あんなむちゃくちゃなおっさんが、校長のお気に入りで教師をしてるってのがおかしいのだ。

  ……あの夜のわしみたいに、校長を誑し込んだに違いない。

  それを思うと、俺はイライラしてしょうがなかった。

  「えー、じゃあ覗きに行くの? 校長と熊瀬先生のエロいとこ?」

  パンダは嬉しそうにキャッキャッ騒ぐ。

  「どっちがタチかな?校長の歳だともう勃たなさそうだからウケかな。でも、熊瀬先生があんあん泣かされるのもかわいいかも。ウサギに啼かされる熊ってのもいいじゃん!」

  「馬鹿。出歯亀してどうするんだ。現場押さえて、とっちめてやるに決まってるじゃねえか」

  そう言いながら、保健室へ向かう。

  「あ、そこ……」

  抑えることのできないくぐもった声。

  間違いなく、校長のものだった。

  「ここか、ここがええのんか?」

  いやらしい笑みが思い浮かぶようなその声は、熊獣人のもの。

  あの夜を思い出させるような声は、わしをいらつかせる。

  「うん……ああっ」

  「ここが……硬ぅなっとるで」

  「ああ! そこ!」

  校長は悲鳴を上げる。

  「なんや、気持ちええんか」

  「うぅ……」

  おっさんの問いかけに言葉にならない校長。

  「あっ、あっ、あっ、あっ」

  「こんな太いの入れられて、嬉しいんか。もっと激しく動かしたる」

  「んんっ!」

  「痛ないか?」

  「大丈夫。気持ちいい」

  甘えるような校長の声。

  「よしゃよしゃ。ちょうどええところに当たっとるな。ほな、このまましばらくそのままや」

  「ああ……」

  扉の向こうからは、なまめかしい喘ぎ声が聞こえてくる。

  ……これ、隠す気ないだろう。

  そりゃ、噂にもなるよ。

  声むちゃくちゃデカいじゃねえか。

  「やったぁ! 校長がウケで、熊瀬先生がタチじゃん!」

  隣で鼻血を出しながら、ビッチがささやく。

  「熊瀬先生、絶倫っぽくていいよねえ。やっぱりお相手してほしい」

  その言葉にむかついた俺は、ドアノブを掴む。

  「ちょ、ちょっと。勝手に開けたらさすがにやばいよ。校長に目をつけられたら退学とかさせられるかも。それより、もうちょっとこのまま楽しもうよ。ああ、せっかくだから録音しないと……」

  パンダは慌てて止めようとするが、わしは怒りで、自分の気持ちを抑えることが出来なかった。

  「何やってんだ!」

  バンッ!

  力任せに扉を開け放つ。

  と……。

  ベッドに半裸になりうつ伏せに横たわる校長と、脇に立つおっさんの姿。

  「……」

  校長のその背中には、大量の針が突き立てられていた。

  ……ええと。

  「殺人事件?」

  「阿呆か、治療や!」

  おっさんは怒鳴る。

  「何勝手に入ってきてるんや! 立ち入り禁止って札、置いといたやろ!」

  「う、うっさい!」

  わしは逆切れする。

  「こんなとこで、紛らわしいことすんな! 校長がアンアン啼かされてるから、おっさんがいかがわしいことして校長誑し込んでるんじゃないかって思ったんじゃねえか!」

  アンアン啼かされてる……と、呟く校長。

  ちょっとショックを受けているようだ。

  「大体、なんでおっさんが校長を針で串刺しにしてるんだよ!」

  「鍼灸師が鍼して、何が悪いんや!」

  「鍼灸師ってなに? 熊瀬先生、生物の先生じゃないの?」

  横から口を出す笹川。

  それを見て、ため息をつくおっさん。

  「俺の本業は、鍼灸師や。鍼と灸とを使って患者を治療する。ここでがっこのせんせしとるのは、校長に頼まれたからや」

  「いや、生徒たちに色々勘違いさせてたみたいだね。申し訳ない……」

  「はあ……」

  校長からの謝罪に、もともと強引な手段をとったわしは頷くことしかできない。

  校長曰く、もともとこのおっさんは腕のいい鍼灸師(?)だとかで、昔からちょいちょい治療をしてもらっていたらしい。ただ、離れた場所に住んでいるから頻繁に通うのは難しい。そうだ、ちょうど生物の教師が足りないから、教員免許も持っているおっさんに来てもらって、ついでに治療してもらおう、と考えたんだとか。

  ……それ完全に公私混同じゃねえか。

  それを聞いて、露骨にがっかりするエロパンダ。

  「なんだ、エロい声が聞こえるから、校長とやってるんかと思った」

  「別にやらんことないで」

  平然と答える熊獣人。

  「はぁ?」

  わしは目を剥く。

  「校長とはさすがにないけどな。教師相手やったら何回もやっとる」

  あいつと、あいつと、と指折り数えるおっさん。

  ……おい、こいつの倫理感はどうなってるんだ。

  「まあ、軽いスキンシップみたいなもんや。別にええやろ、決まった相手がおるわけやないんやから」

  なぜかわしの方を見る。

  「……」

  知らねえよ、おっさんの性行動なんて。

  「熊瀬先生、モテそうだもんねえ」

  「こんな体してるからな、溜まってしょうがないんや」

  うらやましそうな顔するパンダに、まんざらでもない顔を見せるおっさん。

  「じゃあさ、じゃあさ」

  そんなおっさんに、笹川が食らいつく。

  「僕とも遊んでよ。僕、熊瀬先生むっちゃタイプ。あんあん啼かせてほしいなあ」

  ここ、学校なんだが。

  「まあ、遊んでもええんやけどなあ……」

  おっさんはちらりとわしを見る。

  「やっぱりガキは面倒やから、パスやな」

  「えー。僕だったらあとくされないからさ、一晩だけのアバンチュールしようよ」

  ……言い回しが古いんだよ、この腐れパンダ。

  「……熊瀬君、さすがに生徒に手を出すのはやめてくれ。ばれたらわしの立場が危うくなる」

  「まあ、やるんやったら、わからんようにやりますわ」

  針山になっている校長は、ため息をついた。

  5

  あれから、全校生徒に校長からの説明があり、おっさんの正体が明かされることになった。

  ちゃんと学校の先生の資格は持っているようなので、生徒たちからは問題なく受け入れられた。

  むしろ、暇なときには針の治療をしてもらえるとかで、通っている生徒もいるんだとか。

  腕がいいらしく、昼休みの保健室は生徒や教師でごった返していた。

  せっかくゆっくりしとったのに、とおっさんは文句を言っているようだが。

  ちなみに、わしの捻挫の痛みを取ったのも、刺さない針を使った治療なんだそうだ。

  実際に痛みはなくなったものの、わしには、おっさんとあわせてうさんくさいとしか思えなかった。

  「虎島ぁ」

  「はい」

  授業も終わり、帰ろうと思っていたわしを、担任が呼び止める。

  「お前今日、進路指導な」

  「えぇ!」

  「ええ、じゃないよ。進路決まってないのはお前だけだぞ。荷物片付けたらさっさと来いよ」

  「……」

  わしは未だに、進路を決められずにいる。そりゃ、もう3年の夏休み前だ。他の連中もとっくに決まっているのもわかっている。だけど、どうしてもその先のことを今すぐ決めてしまうのに躊躇があった。

  ……面倒だな。

  といってすっぽかすと、そちらの方が面倒になる。

  わしはため息をつきながら進路指導室に向かった。

  「おお、入れ」

  ドアをノックすると犬村先生の声。

  わしはドアを開ける。

  「!」

  そこでわしを待ち構えていたのは、担任と熊のおっさんだった。

  「なんで、おっさんがここに……」

  「おっさんじゃない。熊瀬先生だろ」

  「……」

  犬村の注意に、わしは押し黙る。

  「まあいい。……虎島。呼び出しといて悪いんだけどさ、先生今から会議があってな。今日の進路指導は熊瀬先生に頼むことにした」

  「はぁ?」

  やだよ。

  「いや、熊瀬先生も副担だし、問題はないんだよ。大体、お前が進路決めるのが遅いから悪いんだろ。もうすぐ夏休みだぞ。さすがに就職するか進学するかぐらいは決めてくれよ」

  それだけ言って飛び出していく犬獣人。

  「……」

  残されたのは、わしとおっさんの2人。

  「まあ、座れや」

  おっさんのその言葉に、わしはしぶしぶ腰掛ける。

  「……」

  おっさんの顔を見ると、明らかに不機嫌だ。

  きっと嫌いなわしの面倒を見させられるのが嫌なんだろう。

  『自分みたいなガキの相手はうんざりなんや』

  あの朝に聞いた、わしに向けられた冷たい声を思い出す。

  それがなんでか腹立たしくて、泣きそうなくらい辛かった。

  「で、自分。どうしたいんや」

  「……」

  「なんや、だんまりか」

  「……」

  どうしても、口を開く気にならなかった。わしは歯を食いしばって、おっさんをねめつける。

  「親御さんはなんか言うとらんのか。仕事せぇとか、進学せぇとか」

  「……」

  「どうなんや?」

  「……」

  「ああ、もう!」

  おっさんは頭を掻いてわしを睨む。

  わしもそれをにらみ返す。

  しばらく沈黙が続いた後、おっさんはふう、とため息をついた。

  「……もうええ。やる気がないなら、こんなとこおってもしょうがないわ」

  熊獣人はどん、と音を立てて、椅子から立ちあがる。

  「……」

  そのまま、出口の方へと歩いていく。

  きっとわしに呆れたんだろう。

  「……」

  少しだけ冷静になると、わしは自己嫌悪で顔をうなだれてしまう。

  ガキみたいなことをやっているのはわかっているのだ。

  おっさんは悪くない。これはただ仕事なんだから。

  わしはきっと、かまってほしくてこんな駄々をこねているだけなのだ。

  本当は、本当は色々話したいことはあるのだ。

  聞きたいこと、聞いてほしいこと。

  あの時の捻挫のお礼。

  でも、意地張って何も言えなかった。

  ガキがおもちゃ売り場で地団駄踏んでいるのと変わらない。

  あの朝の対応にただ、拗ねているだけだ。

  おっさんが他の生徒に優しいのを嫉妬しているだけだ。

  おっさんが、あちこちで遊びまくってるのもわかっている。

  わしとのそれも、ほんの一夜の戯れだったのだ。

  相手はわしみたいなガキじゃない。立派な大人だ。

  あんなにいかつくて格好いいおっさんを、自分なんかが独占できるわけはない。

  それでいいじゃないか。

  一言、一言ごめんなさいと自分から声を掛けたら、それで丸く収まるのに。

  ちゃんと、生徒としてみてもらえる。

  それで満足できるじゃないか。

  それでも、ごめんなさいと謝ることはできなかった。

  わしは歯を食いしばったまま俯いて拳を握りしめる。

  なぜか涙が出そうになっているのを必死に堪えるために。

  ……わかった。

  わしは思う。

  なんでこんなに泣きそうになるのかを。

  なんでこんなに腹立たしいのかを。

  嫌いだからじゃない。

  ……わし、まだおっさんのこと好きだったんだ。

  わしの中にはまだ、初恋が燻っていたのだ。

  たとえ、おっさんがわしの事が嫌いだとわかっていても。

  その事実が、何よりもつらかった。

  それでも、今のわしには、涙をこぼさないように必死に堪えることしかできなかった。

  きっとこのままおっさんは部屋を出ていくに違いない。

  そしたら、わしは机に突っ伏して泣いてしまおう。

  思いっきり泣いてしまいたい。

  「何やっとるんや」

  そんなわしの思いを中断したのは、憎らしい熊獣人の声だった。

  扉の前で足を止めて、わしの方を振り返っている。

  ……誰のせいで!

  俺はいろんな思いが頭の中で膨れ上がって、声を荒げようとする。

  「うるせ……」

  「早ぅせえ。ラーメン食いに行くぞ」

  「へ?」

  ラーメン?

  思いもよらなかったその言葉に、わしは思わず気勢をそがれた。

  「どうせ、腹が減ってるから機嫌悪いんやろ。奢ったるからついてこい」

  おっさんは豪快に笑ってみせる。

  「……」

  「さっさと行くぞ!」

  「……うん」

  わしは涙も怒りも引っ込んでしまい、素直に熊獣人の言葉に従った。

  子供の頃からこの町に住んでいる自分が知らない、中華料理屋。

  学校を出てすぐに奥まったところにあるその店に、おっさんは俺を連れていく。

  「こんなとこあるの、知らなかった」

  わしはぽつりと呟く。

  学生たちもほとんど知らないんじゃないか。

  「阿呆やなぁ。ここうまいのに」

  おっさんはそう言うと、チャーシューとメンマの盛り合わせ大盛と焼酎な!、と大声で叫ぶ。

  「で、自分は何食うんや。ここのチャーシュー麺けっこううまいで」

  「……じゃあ、それで」

  「おお、ここバイスサワー置いとったんか。気づかんかったわ。おばちゃん、チャーシュー麵とバイスも追加な」

  はいはいと、店の奥からおばさんの声が聞こえる。

  「バイスサワー結構うまいで。自分呑んだことないやろ。今日は呑ましたる」

  「え、でも……」

  これ酒だろ? 昼間っからこんなところで飲んで大丈夫なのか。

  「かまへん。大体、あんなところでうだうだ話しとっても埒があくかい。酒でも呑まんとやっとられんわ」

  「でも、こんなところ人に見られたら……」

  「そん時はそん時や。大体、自分が黙っとったらわからへんやろ」

  「うん」

  「2人だけの内緒やからな」

  ……2人だけの。

  「うん!」

  急に勢いよく返事をするわしに、おっさんは目を丸くする。

  「なんや、酒呑めるのがそんなにうれしいんか。この呑み助が。大方、こないだのバーで味しめたんやろ」

  チャーシューとメンマが乗せられた皿に、グラスになみなみと注がれた焼酎。

  おっさんはチャーシューの切れ端を行儀悪く指でつまむと、ぽいと口に放り込んだ。

  そのまま指をぺろりとねぶると、グラスに口を持っていき、零れそうな焼酎をちゅうちゅう啜る。

  「やっぱ昼酒はたまらんなあ」

  心底幸せそうな顔をすると、テーブルに届いたピンク色の飲み物をわしにすすめる。

  「ほれ、呑んでみい」

  その言葉に、恐る恐る口をつける。

  ……あ、おいしい。

  シソっぽい、甘酸っぱい味がする。

  ……初恋の味っぽい。

  そんなしょうもないことを考えて、わしのは顔が赤らむのを感じた。

  「なんや、もう酔うたんか。こないだはなんぼでも呑めたのになあ」

  おっさんが、不思議そうな顔をした。

  やがて届いたチャーシュー麵とバイスサワーを交互に口に運んでいると、すでに5杯目を空にしたおっさんが、少し据わった眼でわしの顔を覗き込む。

  「ところで、自分は卒業したらどうしたいんや」

  「……したいことなんて、ねえよ」

  「就職も進学も、なんも考えてないんやな」

  「……」

  わしは、押し黙る。

  「そうか。……ほな、進学しとけ」

  おっさんは、断言するように言う。

  「……」

  「大学行くぐらいの頭はあるんやろ。今すぐやりたい仕事があるなら別やけどな。そんなのあるんか?」

  「……ない」

  「じゃあ、進学しとくんやな」

  「でも……、でもさあ」

  わしは、今まで誰にも言えなかったことを口に出す。

  「大学なんて行ったってしょうがないじゃねえか」

  もう高3だ。選ばないといけないとは、わかっている。

  でもいまだに、自分の将来に対して現実感がなかったのだ。漠然と言われるがまま、毎日を過ごしているだけ。どうしたいという思いもない。

  そんな状態で、希望するものもないのに、無駄に金かけて大学に行ったところで何になるというのか。

  「そりゃ、そうやな」

  おっさんは、わしの言葉に頷く。

  「だが、働くのだって、同じぐらいしょうがないもんや」

  「……」

  「自分みたいなやつが、一番始末に悪い。あほでもないけど、とりたてて賢いわけでもない。中途半端に要領いいだけや。どうせ、テストだって、一夜漬けで何とかしてるんやろう」

  「……」

  「進学せんと就職したって結局一緒や。大体、世の中、そんなに甘くない。そんなんじゃ、社会に出たところで何の役にもたたへん。もちろん辛抱だってでけへんから、仕事だってすぐに辞めちまう。それで役立たずのニートの出来上がりや」

  「……。じゃあ、どうすりゃいいんだよ」

  「石にしがみついてでも辛抱できるもんを探すんやな」

  「……」

  「大学行って、その4年間で本当にやりたいこと見つけてみ。本当に夢中になりたいもんを探すんや。それができりゃあ、自分の人生もっと楽しくなる」

  思ってもみないほど、まじめな言葉をおっさんはわしにかけてくれた。

  わしはその言葉をしっかりと飲み込む時間が欲しくて、逆に問いかける。

  「おっさんは……おっさんはどうするんだよ」

  「俺は、そうやな。春には元の場所へ帰るわ。もともとここへは春までの滞在予定やったさかい」

  ……もう会えなくなるなんて。

  「なんや、寂しいんか? 俺と会われへんようになるのが」

  「ば、馬鹿言え! 寂しくなんかねえよ!」

  わしは大声で強がってみせる。

  「そうか。……俺はちょっと寂しいけどな」

  呟くようにポツリとこぼす熊獣人。

  「え?」

  おっさんは、にかりと笑ってみせる。

  「さて、進路指導もこれでええやろ。明日、犬村先生に進学しますって言うんやで。ほら、それ喰ってさっさと帰りや。俺はもうちょっと吞んで帰るさかい。さあ、行った行った」

  

  6

  あれから、わしは少しだけおっさんと素直に話ができるようになった。

  おっさんも、わしに対して少し柔らかい表情を見せてくれることがある。

  それが、本当にうれしかった。

  それが教師としての義務からの対応だとしても。

  好かれてはいないかもしれないけど、それでも、少しぐらいは嫌われていないのかもしれない。

  そんな希望が俺の心を明るくした。

  そんなこんなで、毎日は過ぎていき、わしは高校最後の夏休みに突入する。

  

  「あっついなあ」

  わしは舌を出してはぁはぁ言いながら、家路を急ぐ。

  夏休みとはいえ、受験生に休みはないのだ。

  朝から半日の授業とはいえ、太陽が一番高い時間に帰されるのは酷だと思う。

  ……こんなに暑いと、溶けてバターになっちまうじゃないか。

  わしは心の中で呟きながら日陰を目指して進む。

  そのままアーケードになっている商店街の入り口までたどり着いて、わしはやっと一息言付けた。

  と、見覚えのある白熊獣人の姿がある。

  ……バーのマスターだ。

  店の前の道路へ、打ち水をしているのだ。

  あの夜のことを思い出してうんざりした俺は、声をかけられる前に立ち去ろうとするものの。

  「あれ、大輔君の従兄弟じゃないか」

  「……お久しぶりです」

  この状態で挨拶しないわけにもいかず、わしはぺこりと頭を下げた。

  「この間は大変だったんじゃないか? ゆうさんに付き合わされて……うん?」

  わしの姿を頭の先から足の先までじろじろと眺める白熊。

  ……やば、わし高校の制服のままだ。

  ひきつった顔で、絶句している白熊と目が合う。

  「それ、コスプレじゃないよね」

  ……失礼な。

  「お待ちどうさま」

  そのまま開店前のバーに招き入れられたわしは、ジュースをごちそうになる。

  「ありがとうございます」

  カラカラに乾いた喉には大変ありがたい。

  「これ、口止め料ね。……しっかし大輔の奴、とっちめてやらないと。未成年に酒を提供したなんてばれたら、営業停止じゃないか」

  「なんかすいません。言い出せる雰囲気じゃなくて」

  「いやいや、君もあいつに振り回された口だろうし」

  その言葉に、顔をしかめてしまう。

  「それにゆうさんにも……うん?」

  白熊再びの絶句。

  「ええと。……あの後、淫行条例に引っかかるようなこと、しちゃった?」

  「……はい」

  ごまかすわけにもいかず、しぶしぶ頷く。

  「はあ、やっちゃったかぁ」

  白熊は天を仰いだ。

  「あの不良鍼灸師が……」

  呪詛のように呟く白熊に、わしは尋ねる。

  「あの……」

  「何だい?」

  「あのおっさん、あちこちであんなことしてるんですか?」

  「……残念ながら」

  白熊は言う。

  「今は手当たり次第って感じだなぁ。まさか高校生に手を出してるとは思わなかったけど」

  「……」

  やっぱり、あんな奴なんだ。

  「昔はあんなことなかったんだけどね。好きな相手と以外はしたくないって」

  「……」

  「でも、今はそうだなあ。……きっと自暴自棄になってるんだろうね。気持ちいいことをしたいって言うより、納まりきらない衝動をどこかにぶつけたくてしょうがないんだろうなぁ」

  「何か、あったんですか」

  「本人のいないところであんまり色々話すのも何なんだけど……。一応、君も被害者みたいなもんだからね」

  白熊は苦笑いして言う。

  「ゆうさんとは長い付き合いでね。……もう10年になるかなあ。彼が遊びに来てくれるときはいつもそばに犬司がいたんだ」

  「……」

  「ああ、彼には学生時代から長く続いた恋人がいてね、犬司っていう子でさ」

  ……きっとあの写真の人だ。

  テーブルの上に置かれていた、写真。

  しかめっ面の犬獣人。

  「なんでも自分から一目惚れしたらしくてさ、拝み倒して付き合ってもらったって飲みの席で話してたっけ。もう20年以上もゆうさんは彼一筋だったらしいよ。まあ、あんな豪快な感じだし、格好もいいから男にも女にもモテたみたいだけど」

  「わかります」

  「だろう?」

  白熊は笑う。

  「でも、犬司がいなくなってからはあの通りさ。夜な夜な男を漁っている。……ぽっかり心に空いた穴をどうやって埋めればいいのか、自分でもどうすればいいのかわからないんだろうな」

  「犬司さんとは、別れたんですか?」

  「亡くなったんだよ。癌でね」

  「……」

  「ゆうさんは鍼灸師でね。かなり腕がよくて、遠方からも彼の治療を求めて患者が来ることもあるんだそうだ」

  「……」

  「それでも、自分のやっていたことは何の役にも立たなかったって、流行っている治療院を閉めて、廃業しようとしていたらしい。それじゃあんまりだってんで、昔からの患者である高校の校長が、この町に彼を呼んだって聞いたけど……。ひょっとしてそれ、君の学校なのかな」

  「はい」

  「はぁ」

  何度目になるかわからないため息をつく白熊。

  「縁があるというかなんというのか……。ただ、悪いことは言わないから彼とあまり関わらない方がいいと思う。ゆうさんのことは人として好きだけど、巻き込まれるときっと痛い目にあうんじゃないかな。彼は今、自分自身を傷つけることで、なんとか一人で立っている状態なんだろう」

  「……」

  「いろんな男と寝てるのは、自分を傷つける代償行為なんじゃないかな、彼にとっては」

  「……」

  「寄り添おうとすれば、きっと周りも傷ついてしまう。遠くから離れて見守るしかないんだろうな」

  「……」

  あの豪快な笑顔の底に、そんなどろどろしたものを抱えていたなんて。

  悲しくなる一方、わしは犬司という犬獣人に嫉妬する。

  ……そこまでおっさんに想ってもらえるなんて。

  うらやましかった。

  不謹慎なことを考えているのはわかっている。でも、そこまで想ってもらえるのなら、わしは死んでもいいとさえ思った。

  おっさんの辛い気持ちに思いをやるが、それでも心の中にある形容しがたい泥を取り除くことはできなかった。

  ……結局、わしは自分のことしか考えられない、ガキなんだ。

  7

  「ありがとうございました」

  わしは白熊に頭を下げて、バーを出た。

  色々と話を聞かせてもらっている間に、すでに夕方近くになってしまっていた。

  ……もう帰らないと。

  わしは重たい足取りで家へと向かう。

  と、反対から歩いてくる2人連れと目が合った。

  「あっ、かずだ!」

  「……」

  それは、笹川と、おっさんだった。

  まるでカップルのように、笹川はおっさんの腕にくっついて。おっさんはそれを面倒そうな顔はするものの振り払うこともなく。

  わしに見つかり、きまり悪そうにしているおっさんとは裏腹に、笹川は嬉しそうにわしの方へ向かって駆けてくる。

  「こんなところで会うの、奇遇だねぇ」

  「……どうしたんだ、こんな時間に」

  そう言えば、今日の授業にパンダは出ていなかった。

  「ねえ、聞いて聞いて。熊瀬先生にずっとお願いしてくれたら、昨日の夜からずっと遊んでくれてたんだ」

  「……」

  不意に、目の前が暗くなったような気がした。

  「熊瀬先生すっごいテクニシャンでさ、思った通りの絶倫。朝までずっとだよ。もう、惚れちゃいそうだったよ」

  「……」

  「さすがに疲れ果てて、さっきまで寝てたんだ」

  パンダは朗らかに言う。

  「先生も気に入ってくれたみたいでさ、自分、具合いいからまた遊んでやるって」

  「そうか、よかったな」

  他人事のような言葉が、口からこぼれる。

  崩れ落ちそうになる体を、わしは辛うじて支えることしかできなかった。

  ……わかっていた。

  本人だって言っていたじゃないか。

  あちこちで遊んでるって。

  でも、学生相手は自分だけだとおもっていた。

  どこかで安心していたのだ。

  生徒の中では、自分しかおっさんと寝ていないんだと。

  夜のおっさんを知っている生徒は、自分だけだって。

  それが独りよがりの満足だとわかっていても。

  今は嫌われているとわかっていても、そう思いたかった。

  せめて学校の中では、自分がおっさんにとって一番なんだと思いたかった。

  ちっぽけな優越感。

  でも、そうでもしないとわしは耐えられなかった。

  そう思い込まないと、自分の『好き』という気持ちを押し隠せなかったんだ。

  笑顔で笑いかけるパンダ獣人。

  「……」

  笹川に悪気はないのはわかっている。

  わしの想いを知らないのだから。

  こいつにはわしに対しての優越感も何もない。

  純粋に、おっさんとの一夜を楽しんだだけだ。

  笹川にとっては、数あるセフレの1人と同じなのだろう。

  でも。

  『具合いいから、また遊んでくれるって』。

  『自分みたいなガキの相手はうんざりなんや』。

  ……なんでこんなに違うんだろう。

  わしと、笹川の、何がこんなに違うんだろう。

  「かず、どうしたの? 大丈夫?」

  「え?」

  わしの目から、一筋の涙が頬を伝っていた。

  やっとわしは気づいた。

  ……ああ、やっぱりわしじゃ駄目だったんだ。

  こんなに嫌われているってわかっているのに、それでもまだわしは、心のどこかでおっさんに好きになってもらえることに期待してたんだ。

  あの夜みたいに、大事にしてもらえることを願ってたんだ。

  でも。

  ……わしでは駄目なんだ。

  とっさに涙を拭って笑ってみせる。

  「ねえ、かず、どっか痛いの? 調子悪いの?」

  今までわしの涙なんか見たことがなかった笹川は動揺する。

  笹川におっさんを取られた苦しさと、悔しさと、自分が何もできない気持ちと、さっきまで聞かされていた、そうでもしないとやりきれないおっさんの辛さと、そしてこんなに好きなのに選んでもらえない自分のふがいなさと。

  ごちゃ混ぜになって、もうわしは涙をこらえることが出来なかった。

  「だ、大丈夫だ」

  何とかそれだけ返すと、わしはこれ以上無様な姿を見られないように、後ろを向いて走り去る。

  せめて、思いっきり泣けるところに行きたかったから。

  「虎島!」

  おっさんの声が聞こえるのが、逆に残酷だった。

  逃げた。

  走って、逃げた。

  息が切れて、足が動かなくなるまで、走って逃げた。

  このまま心臓が止まったっていい。

  むしろ、止まってしまえばいい。

  やがて足が動かなくなるまで走って。

  どれだけ走ったのか。

  気が付くと、町のはずれを流れる川べりの草むらにわしは立っていた。

  そばには大きくなだらかな坂と、コンクリートで押し固められた棺桶のような建物が見える。

  「……」

  力が抜けたように、わしはすとん、とその場に座り込む。

  「……」

  涙は、もう出なかった。

  走っている最中に出尽くしてしまったのか、心と一緒で空っぽになったようだった。

  仰向けにその場に寝転ぶ。

  真っ赤な夕焼けが、腫れぼったい目に染みた。

  「馬鹿みたいだよな」

  わしは自嘲的に笑う。

  「勝手に好きになって、勝手に嫌われて……」

  「勝手に泣いて逃げ出して、か?」

  不意に頭上から聞こえる声。

  飛び起きると、そこには息を切らしたおっさん熊がいた。

  「……おっさん、なんで」

  「自分、いい加減にせえや。俺、一生でこんなに走ったの初めてやで。メタボなおっさんに無理させてからに」

  そう言いながら、わしの腕をぎゅっと捕まえる。

  「捕まえた。……もう、逃がさへんで」

  その感触は、嬉しくて、苦しかった。

  「変なとこ見せて、悪かったな」

  おっさんは、きまり悪そうに言う。

  「……」

  「なあ。あの時なんで泣いたんや」

  「……わからない」

  「ひょっとして自分、俺の事好きなんか? あんなにひどい事言ったのに……」

  「……」

  わしはしばらく黙ってから、こくりと頷く。

  「そうかぁ」

  おっさんは、困ったような顔をする。

  その顔を見ると、わしの心は申し訳なさでいっぱいになる。

  「ごめんなさい」

  必死に口を開く。

  「おっさんがわしを嫌いなのも知ってる。あの晩のことがただの気まぐれだったことも。わしが面倒くさいガキだってこともわかってる。でも……」

  「でも?」

  「わしはおっさんを諦められなかった。好きって気持ちに嘘をつけなかったんだ。おっさんが迷惑してるのに……。ごめんなさい、ごめんなさい」

  枯れ果てたはずの涙が、目尻に溜まるのがわかった。

  そんな俺を見下ろすおっさんの目は、優しかった。

  「俺なあ、ずっと一緒に暮らして奴がいたんや」

  「……」

  「ちょっと前に死に別れてしもうたんやけどな。……もう何十年も一緒やったのに、ずっと好きなままやった。喧嘩もけっこうしたのになぁ」

  微笑みながらも、少し悲しい目をして、熊獣人は言う。

  「癌やったんや。入院もして手術もして、抗がん剤も放射線治療もみんなした。俺もちょっとでも回復を促せるように、鍼灸師として自分なりに出来ることもしたけど、あかんかった。痩せて、がりがりになって、それでも最後はあいつは俺に笑いかけて逝ったんや。それが悔しくてなぁ。ちょっとでも人の苦痛を取り除きたい、人の助けになりたいと思ってこの道を志したのに、そんなのは一番大事なあいつにとって、何の役にも立たんかったんや」

  「……」

  かける言葉も見つからず、わしは黙ったままおっさんの話を聞くことしかできなかった。

  「自暴自棄になって、治療院も閉めて、心の穴を埋めるために男漁りをして、そんな俺を見かねたんやろうなぁ。校長が誘ってくれたんや。しばらくこの町に来んか、って。そこでこの町に来て、あのバーで自分と出会ったんや」

  「……」

  おっさんは大きくため息をつく。

  「あいつはほんま、無愛想でな。いつも仏頂面して無口で、人前で笑うことなんてまずなかった。今考えたらあんなんでちゃんと仕事できとったんやろうか」

  「……」

  「自分と一緒や。仏頂面で無愛想で、意地っ張りで泣き虫で……。そのくせ笑顔がピカイチかわいかった。俺はなぁ、その笑顔に惚れ込んだんや」

  「……」

  「自分、あの朝、俺に笑いかけてくれたやろ。……そっくりやったんや、あいつの笑顔と。誰にも見せたことないような、俺にだけに見せてくれるぎこちない笑顔。それを見た途端、俺の頭はおかしくなりそうやった。一瞬、あいつが帰ってきたのかと思った。だからとっさに考えたんや。離れなあかんって」

  「……」

  「これ以上その笑顔を見せられたら、自分を無理やりでも俺のものにしたくなってまう。……あいつの代わりとして。それはあいつにも自分にも失礼すぎる。だから、断腸の思いで突き放した。嫌いになってくれたらええって。そしたら、俺も諦められるからって」

  「……」

  「それでも、自分は俺に近づいてきてくれた」

  「……」

  「それが嬉しかったと同時に、怖かったんや。行きずりの相手ならなんぼやってもええ。でも、二度も抱いてしもうたら、今度はほんまに、自分を離したくなくなってしまいそうやったから」

  「……」

  おっさんは自分を責めるように言う。

  「……俺はあいつを助けることが出来なかった。そんな人間に、誰かを好きになる権利なんてないんや」

  「わかんねえよ!」

  たまりかねて、わしは叫ぶ。

  「権利なんて、難しいことわかんねえよ! でも、俺はおっさんが好きなんだよ! 別にその人の代わりだっていいんだ。わしはおっさんが振り向いてくれさえすれば、わしの事好きになってくれさえすれば、それでいいんだ……」

  「……」

  「なあ、おっさん。わしの事抱いてくれよ。わしをおっさんのものにしてくれよ……」

  わしは泣きながら、おっさんにしがみついた。

  「わしは、おっさんが好きなんだ。」

  おっさんは、震える声で呟く。

  「ええんか? ……ほんまにええんか?」

  おっさんは、わしを押しつぶすように、強く強く抱きしめる。

  わしは唇を嚙みしめたままぎこちない笑顔を見せて、ただただ頷いた。

  8

  おっさんは、わしをその場に押し倒す。

  草むらに埋もれ、わしの体は青臭い香りに包まれた。

  「もう……我慢できん!」

  いきり勃った逸物が、ズボンの上から太ももに当たるのがわかった。

  おっさんは強引に唇を重ねてくる。

  ……ああ。

  わしは嬉しくて泣きそうになりながら、必死に潜り込んでくる舌を迎え入れる。

  くちゅくちゅとわしの中を味わうように動く舌を追いかけ、あの夜と同じ、煙草の味がする唾液を飲み込む。

  わしがおっさんの背中に手を伸ばすと、おっさんもわしの頭と手に手を伸ばして、ぎゅっと抱きしめてくれる。

  くちゅ、くちゅ。

  お互い満足いくほど唾液を交換したのに、それでも名残惜しそうな顔をしながら、おっさんは口を離す。

  「なあ、かず」

  初めて名前で呼んでくれた。

  それだけで、震えるほどうれしかった。

  「ここで、やってもええか」

  ……え?

  薄暗くなってるとはいえ、この草むらで青姦?

  「もう、我慢できんのや」

  血走った眼でわしを見る雄熊。

  「でも、人に見られたら……」

  さすがに言い逃れ出来ないだろう。

  少しは残っている理性が、わしにそう言わせるが。

  「かまへん。かずがそばにおってくれたらそれでええんや。他に何もかもいらんのや」

  その言葉が嬉しくて、うん、とわしは頷いてしまう。

  「そうか、ありがとうな」

  おっさんはそう言うと、カチャカチャとベルトを鳴らし、ズボンをずりおろす。

  どす黒い逸物が、青筋を立ててわしを睨んでいた。

  ごくり。

  ……たまらない。

  わしは一度唾を飲み込むと、口を大きく開けて逸物を吞み込んでいく。

  口一杯に、おっさんの雄臭さが広がる。

  「かず、自分のも触らせてくれ」

  おっさんはわしに咥えさせたまま、わしの体を仰向けにする。そしてわしのズボンを脱がせると、おっさんのより小さいそれをパクリと咥えた。

  「んん!」

  喉を震わせるわしにかまわず、くちゃくちゃと舌先で舐め回す。

  時折自らの指に唾液を絡めて、わしのケツをほぐしながら。

  次第に濡れた音を放つケツに、わしは羞恥心を覚える。

  やがて。

  「もうええやろ」

  おっさんは体を起こすと、正面に向き直り、わしの両足を肩に乗せ、逸物をケツに押し付ける。

  「ああ……」

  あの晩よりも明らかに硬く、大きく膨れ上がったそれが、俺の中に入って来る。

  「大丈夫か?」

  「うん」

  わしは、素直に頷く。

  おっさんは、優しく笑うと、ゆっくりと腰を動かし始めた。くちゅりくちゅりと様子を見ながらケツの中をこね回し、俺の顔を見て感じるところを見つけると、そこを重点的に攻める。

  独りよがりではない、わしを気持ちよくさするためだけにやさしくゆるやかに抜き差しを繰り返す。

  体が痺れいていくような快感に、わしは酔いしれる。

  「おっさん、気持ちいい……」

  わしは甘えるようにおっさんに呟いた。

  「なあ、かず?」

  「んん?」

  「おっさんやのうて、俺の名前を呼んで欲しいんや」

  「……うん」

  わしはおっさんを見つめ、小さく「ゆうさん」と呼んだ。

  その4文字を聞いて、おっさんの顔が真っ赤に染まる。

  「もうあかん、我慢できへん!」

  おっさんはわしの肩を強く掴むと、その想いを叩きつけるように強く腰を振り始める。

  がつ、がつ、がつ、がつ。

  「あっ、あっ、あっ、あっ!」

  わしの体が、嵐の中の小舟のように激しく揺れても、ひたすらに腰を振り続ける。

  「好きなんや……、かずのことが好きなんや!」

  「ゆうさん……ゆうさん!」

  がっ、がっ、がっ、がっ、がっ。

  その激しい衝撃が、わしの一番感じるところを集中的に攻め立てる。

  チンコの裏を、何度も擦り、叩きつけ、押しつぶす。

  その感覚にわしは……。

  「イクぅぅっ!」

  びじゅるっ、びじゅるっ!

  大量の白濁液をおっさんの腹に打ち付ける。

  「くそ、そんなに締めたら……うぉぉぉぉぉっ!」

  どく、どく、どく、どく。

  ケツの中が、おっさんの子種で満たされていくのがわかる。

  ああ……。

  嬉しくて、わしはその分厚い体にしがみつく。

  おっさんは、そんなわしの頭を優しく撫でてくれる。

  「かず、大好きやで」

  9

  熊瀬鍼灸院と書かれたガラス戸を開けると、その広いとはいえない室内から、男たちの声が聞こえる。

  「兄ちゃん、いいケツしとんなぁ。今度おっちゃんと遊ばへんか?」

  「いやあ……」

  「おっちゃん、鍼だけやのうてマッサージも得意なんや。若い子の心も体も気持ちよくさせるの、うまいんやで」

  白衣を着た熊獣人の声に、施術台で鍼を抜かれている若い猪獣人は、返事に困っているようだ。

  「ゆうちゃん、懲りんとまた若い子口説いとんのか?」

  「あほやなぁ。また嫁に怒られんで」

  待合室にいてる、常連の狐と猿のおっさんが、呆れたような声をあげる。

  「どや、なんやったら小遣いやってもええんやで!」

  「……。院長、どこにそんな金があるんですか?」

  外まで響くその声に、わしは呆れながら扉を開ける。

  「か、かず! ……なんや、もう大学終わったんかいな!」

  あせったようなその声に、わしはため息をつく。

  「今日の授業は午前中で終わりでしたから」

  わしは冷たい視線を浴びせながら、言う。

  そう、高校を卒業したわしは、地元に戻ったおっさんの家で居候をしながら大学に通っているのだ。

  空いた時間はここでバイトをしながら。

  「昼からは受付手伝うって言いましたよね」

  鍼灸院と言うことで一応敬意を示して敬語を使うものの、その態度は、いちアルバイトのものには見えなかっただろう。

  「あ、僕、今日は帰りますね。ありがとうございました」

  やばいと思ったのか、猪獣人はそそくさと服を着ると、お金をおいて逃げ出した。

  「あほやなぁ」

  狐と猿が顔を見合わせて笑っている。

  「誰が心と体を気持ちよくするのが得意なんですか?」

  不服そうな顔をしているおっさんに、わしは冷たい視線を浴びせる。

  「受付が患者を追い返したらあかんやないか」

  力なく答えるおっさんは、何かを思い出したようににやりと笑う。

  「俺がマッサージ得意なのは、かずが一番よく知っとるやろ。昨日だって、あんなにアンアン啼いとったやないか」

  わしの顔は真っ赤になる。

  「う、うるせぇ!」

  「あかんなあ、虎島君。治療院では院長に敬語使わなあかんのやで」

  形勢逆転とばかりに勝ち誇るおっさんに、わしは新しいシーツを投げつける。

  「ほら、さっさと新しいシーツに交換して、次の患者さんみてくださいよ! ほら、狐塚さん!」

  しぶしぶシーツを変えている院長を見て、患者はにやにや笑っていた。

  「あほやなぁ、嫁怒らせてどなんすんねや」

  「嫁じゃないです!」

  「へえへえ」

  狐獣人はわしの八つ当たりに首をすくめながら、施術台に横たわった。

  そんな患者に、おっさんが小声で耳打ちする。

  「あいつはな、からかうとすぐに反応してかわええんや。大丈夫、今の俺は、あいつ一筋やからな」