臥龍摩天楼

  一

  [[rb:黄 > ホアン]]=クラーク・[[rb:建 > チェン]]、という自分の名を、[[rb:星間記録情報庫 > ログデータベース]]の端末に入力し、認証を通すと、円柱型の機体から脳紋認証[[rb:脳紋認証 > ブレインプリント]]デバイスが開く。彼の目の前でぱっくりと広がったその中心には、黒く冷たい液晶が鎮座していた。

  最低限の明るさに抑えられたサーバールームで、デバイスはまるで鋼鉄の花のように見えた。その花弁の中心、めしべの位置の液晶に額を当てると、かちかちかち、と音がして、脳紋走査が始まった。青い光が走り、龍族の細い頭蓋にフィットする板状のデバイスを通し、脳の動きが端末に読み取られていくのを、建はもどかしい気持ちで待つ。自分の名前に対する脳波を測定し数値化、それをハッシュにかけて暗号化するという最上級のセキュリティは、それなりに時間がかかるのだ。文字列を登録してワンクリック、というわけにはいかない。

  定時では帰れなかったな。

  焦りと諦めが半々の気持ちでため息を吐く。

  最近は特に忙しかった。いつもなら日が沈むころには帰るのだが、年末から年度末にかけては余った予算を使いきるためだとか、今年度中ならいつでもいいというような仕事を大慌てで押し込むため繁忙期になるのだ。宇宙統治の要である[[rb:連合 > アライアンス]]がそんなお役所仕事のような運用でどうするのだ、とも思うが、建にはどうしようもないところであらゆる仕事と政治が動いていた。

  やがてハッシュ化された数値列が、青い光を通して建の脳内に戻ってくる。痛みなく入力される暗号情報は彼の脳内のメモリ領域で、建自身にも干渉できないよう保護される。建の登録した連合の全情報を引き出すためには、この暗号化された情報と脳紋が付き合わされて本人確認が行われる。指紋も網膜も持ち主から奪うことが可能だが、ある言葉に対する脳の動き——脳紋は複製も持ち出しもできない。連合が統治するあらゆる情報の記録は、この強固なセキュリティによって守られていた。建の脳紋以外には、連合上層部の承認を得て、連合を介さなければならない。

  仮に建を殺害して端末に読み込ませようとしたとて、脳波が測定できなければ意味をなさない。このセキュリティを突破するには、生存しており、正常な脈拍をした建が必要なのだ。揮発性メモリであり、同時に認証も兼ねた脳。そこには信仰や感情というものは見当たらない。脳紋認証の仕組みを考え出した者は相当な唯物論者だったに違いない。

  ぴっ、と端末が鳴る。デバイスから頭を外すと、広がっていた鋼鉄の花弁が、逆再生のように蕾へと戻り、端末へ帰っていった。目にかかる長い髪をかき上げて直し、端末のディスプレイに「完了」と表示されているのを確認して、星間記録シークエンスを終了させる。

  端末は事務局の執務室の奥のサーバールームに設置されている。そこには建か、上層部の者しか入らない。他の事務員は執務室で書類とデータの嵐に巻き込まれているはずだ。この部屋は脳紋認証の端末と、立ち並ぶサーバー機器の森だ。周囲を軽く見回して、建は蘇芳色をした官僚服の懐からスマートフォンを取り出す。18:35。連絡は来ていない。

  [[rb:安幾良 > あきら]]はおそらく時間通りに来るのだろう。事務室から宇宙港までは1時間ほどだ。迎えには余裕がない。

  建はスマートフォンを懐に戻して執務室に戻ると、部下の[[rb:甲斐崎 > かいざき]]=ブラウン・[[rb:篤 > あつし]]が外装強化タブレットを抱えてやってくる。下級官僚の白い衣を着た小柄でほっそりとしただ。くりくりとした丸く茶色がかった瞳が幼く見えるが、30近い男である。出世頭の一人だった。建が目をかけている部下の一人である。

  「どうした、若頭」

  「すみません[[rb:黄 > こう]]さん、今日の登録って終わりましたよね。[[rb:楊 > よう]]局長からこちらが……」

  甲斐崎=ブラウンは和語系の出身なので漢語の読みが独特であったが、建は特に読みにこだわりがないので放置している。別に漢字の読みが文化圏ごとに変わったっていいのだ。

  タブレットを渡される。音声と映像は切られているが、通信自体は楊=スミスともう繋がっているようだ。

  [[rb:楊 > ヤン]]=スミス・[[rb:浩然 > ハオラン]]は事務局長で、厄介な案件ばかり持ってくる男である。

  最悪だ。

  深いため息をつきそうになるのをこらえて、建は篤に笑いかける。

  「ありがとう。甲斐崎君はもう今日の仕事が終わったら帰っていいぞ」

  「わかりました」

  と尻尾を揺らして、

  「あの、何か手伝えることがありましたら」

  「悪いがないな。すまないが」

  「や、とんでもないです。お気遣いありがとうございます」

  頭を下げて席に戻っていく篤を見送り、建はタブレットの資料に目を走らせながらもう一度サーバールームに戻る。だいたいの概要はそれでつかめた。つまるところ、楊=スミスと外星系の裏会談である。

  タブレットのホログラム通話を付ける。

  ぱちっと軽い音が鳴って、タブレットのカメラレンズから数本の光が放射される。その中心に、楊=スミス局長の立体映像が表示された。建よりも上位の紫の衣を着た恰幅のいい龍人だ。

  ホログラム先はどうやら会議中だったようで、他にも何人かの男たちが見える龍人だけじゃなく、狼系や水棲系までいる。多惑星間会議。その中で数人ほど見覚えがあった。裏会談の常連なのだろう。

  楊=スミスは椅子に座ったまま、片手をあげて笑った。ただ笑っただけなのだが、恰幅がいいのと、髭の刺々しい質感も相まって、あくどい笑みに見える。人間性が溢れている。

  「やあやあ、仕事終わりにすまないね大将」

  「遅れてしまい申し訳ありません。どうされましたか?」

  「うん。ちょっと質問があるんだけど……」

  建は微笑を浮かべる。それは自然なものというにはあまりに完璧すぎた。

  各星系から連合へ上がってくる案件は、会議に並んだ者たちにとってはそれなりに重大事なのだとしても連合内部においてはワンオブゼムでしかなく、膨大な案件の中で優先順位を付けられ、解決を待つことになる。この会議はその優先順位をずらすための非公式の会合だ。宇宙を統治する連合のなかで、泡のように生まれ弾けて消えていく下らない小競り合い。声を挙げる者と声を聞く者の不均衡、持たざる者と持てる者との差分が利潤となり、持てる者が更に富んでゆく。終わりなき利潤と権力のゲーム。

  楊=スミスは、そのゲームのルールの盤外で彼らに恩を売ろうとしている。最上位の事務局長につきながら、更に権力を掴もうと狙う強欲な俗物。会議に並んだ彼らに便宜を派から依頼金を得て、コネクションを作り、更に権力を確かなものにしていく。精神的に極めてマッチョな男だった。

  建は彼の仕掛ける権力ゲームに[[rb:星間記録 > ログ]]の管理者として協力している。

  「ええ。狼人星系のほうでは最近きな臭い動きがありますね。E837-F39座標周辺でおそらく宇宙海賊の住処があるかと。こちらは早急に対処が必要となります。こちらから早めてみることもできるかと」

  「水棲人星系ですと、かなり人員が絞られます。予算の調整もある程度調整が効くかと思いますが、陸上生体の人材では足手まといになることも多く……。恐れ入りますが、別アプローチになりましょう。そうですね、水中装備の開発も並行して進んでおりますし、武官方にも協力要請が必要かと」

  云々云々。

  建は楊=スミスが連合に挑む権力ゲームの均衡を、できるだけ保たせるように密談を進める。連合の敷く統治の中では、連合そのものが一強として屹立しているが、それはたやすく独裁に傾く危険を抱えている。ゆえに、権力ゲームをできるだけ長引かせることで分立の真似事をしなくてはならない。内部の権力ゲームを常に均衡状態にさせ、少しでも人命救助や、連合の権力の抑止力リソースを増やさなくてはならなかった。

  連合への盤外戦術を試みるのが楊=スミスであるならば、さらにその盤外でゲームそのものの遅延行為を行い続けるのが建だった。連合の力をもってすれば、正義の名のもとで一つの星を滅ぼすくらいは何ら問題なくできる。そのスイッチを押す手を限りなく遅らせることが、連合から独立した生データの集積である星間記録情報庫の管理人の建の仕事だった。

  事務局副長というほとんど閑職に追いやられているのも、管理人が政治闘争に関われば並行する権力ゲームの盤上がひっくり返されるからだ。スキャンダル、陰謀、ディープフェイク。ポストトゥルース。過去は現在から常に生成されている。真実は記録から生成される。過去や記録の正体は情報であり、建はそれを握っている鍵だった。あらゆる楊=スミス以外も並行して行っているだろう権力ゲームの躓きとなる要因を星間記録情報庫は可能にするだろう。建は連合の権力を暴走させるか、あるいは抑止することのどちらにも立つことができる。

  連合の隠し玉にしてゲームの妨害者である建は、権力と切り離され、微笑の仮面を纏い、政治闘争をかいくぐってここにいる。敬して遠ざけられる連合の切り札として、あるいは政治闘争に負けた敗者として。

  ホログラムを映すタブレットの時計は、もう19時を回っている。

  そろそろ本当に遅れるかもしれない。建は焦れる気持ちを隠したまま、手際よく要望を処理していく。

  「ふうむ、E星系の救助はそれでよいかもしれません」

  「OG銀河の探査はそれに合わせて遅らせましょう」

  主な議題はこれで切り分けられた。今回の会議は急を要するものはほとんどなく、楊=スミスが恩を売るためのものだったようだ。

  個人線で楊=スミスから音声が届く。

  「黄建、ありがとう。助かったよ」

  黄建、と独名を抜いて楊=スミスが言う。建や楊=スミスのように東洋ルーツの龍人たちはほとんどが、ドイツ語圏や英語圏の共通語名の他に東アジア由来の名を付けられる。共通語名を抜いた漢語名の読み方は、龍人のなかではそう特別でもない呼び方だ。上司にも部下にも使う呼び方で、楊=スミスが使ってもおかしくない。しかし、妙に粘ついた響きがあった。客引きが袖をつかむようないやらしさがあった。

  「恐れ入ります。もう会議はまとまりそうですね」

  「うむ。それでだね、今日は暇かね。しばらく一人だったそうじゃないか。この礼にどこかうまい店でも連れて行ってやろうと思うんだが」

  微笑が揺るがないように、建の表情筋が驚くほどの自制力を見せる。

  舌打ちしそうになった。

  狙いはこっちか。

  「お誘いありがとうございます。しかし申し訳ありません、本日はうちのが帰ってくる日でして。また日を改めてでよろしければ」

  「ああ、今日はあの武官の帰港日か。[[rb:呂 > ルウ]]=ビースドルフと言ったっけ。大事な戦力だ、十分癒してやれ」

  「恐縮です」

  個人回線が切れると、建はホログラムの会議場に軽く挨拶をして通信を切った。

  二

  宇宙港に着く。連合から命じられた武官たちは、救助なら医療スタッフ、調査なら研究者を伴ってここから他銀河へ飛び立つことになる。量子力学の爆発的発達によって宇宙と地上の時間のズレ、および宇宙間航行に付随する諸問題を解決したことで、この星の人々ははるか昔にグレートフィルターを抜き去った。宇宙港は連合、あるいは宇宙時代の象徴の一つでもある。

  外装は四輪が設けられ、電気によって駆動するレガシースタイルの車から降りると、風が吹いた。角に通した装飾が揺れる。もう冬に近い冷たい風だが、体温調節機能のある官僚服を着ている建にとっては、その冷たさが心地良い。

  あたりは平野で、幾重にもフェンスで囲われている。商業施設のない飛行場のよう——というか、ありていに言えば軍事施設的に質実な印象を宇宙港は持っている。連合の中でも武官と研究者の間にある宇宙技術は、どうしても軍事施設の性格を持ってしまう。駐車場に車を停め、鞄を持って民間人送迎用のエントランスに移動する。

  民間人用とはいえ、搭乗者の関係者でなくてはならない。役所のように清潔で飾りのない造形をした入口で持ち物検査や、ボディチェックを受ける。

  「失礼します、サー」

  狼人の警備員の一人が建の身体を官僚服の上からチェックする。言葉遣いからすると、西洋の文化色が強いのだろう。

  大したものは入れていない。警備員がうなずき、問題なく進みかけたが、呼び止められる。

  「何か問題が?」

  「お言葉ですが、財布を懐に入れておくのはお勧めしません。盗難の恐れがあります」

  建はにっこりと笑った。

  「ありがとう。鞄に入れておきます」

  言って、官僚服から小さな財布を取り出す。財布には小銭がいくらかと、札が一枚だけだ。本命のクレジットカードやIDが入った財布は最初から鞄にある。おそらく、財布だと思いつつも危険物の疑いが取れなかったのだろう。そして上位官僚服を着た相手に荷物を出してもらうわけにもいかなかった、というところか。

  「こちらの中身は大丈夫かね?」

  「ええ、問題ありません。失礼いたしました」

  警備員に開いて見せた財布を閉じて、鞄に入れる。

  建は警備員たちに一礼し、エントランスの待合室へ入る。待合室はそれなりに人がいて、控えめなざわめきが場を満たしていた。彼らの視線が一様にこちらを向いて、建はしまった、と思った。シャツにデニム、ワンピースといった普段着の民間人が多く、鮮やかな上位官僚の服は悪目立ちしている。待たせることになってもいいから着替えるか、一枚羽織ればよかったかもしれない。見渡した時に、近くの椅子に座っていた男と目が合ってしまう。男は少しぎょっとして、席を飛び退いた。

  「すみません、こちら、よろしかったら……」

  「ああ、驚かせて申し訳ない。どうぞ楽になさってください」

  「恐れ入ります」

  男が深く頭を下げて、座り直す。建は周囲を慌てさせないように、軽く頭を下げ、待合室の隅に立つことにする。待っている者たちは連合の武官の親類なのだろうが、蘇芳色はやはり威圧的だったのだろう。武官の出迎えに官僚が来るなどそうそうない。いつもは目立たないように普通の服に着替えていくので、忘れていた。

  待合室の壁に設置された電光掲示板に、搭乗者があとどれくらいでエントランスに到着するかを表示している。あと10分。着陸は見られなかったが、遅れはしなかった。上々だ。

  [[rb:量子宇宙船 > クォンタム]]という、詩のかけらもない名の宇宙船に乗って、恋人は帰ってくる。到着はすでに終わったようだが、病原菌検査に消毒、宇宙時差ボケ、重力適応処置と、搭乗員は多くの検査と調整をクリアせねばならない。この検査もだいぶ早く終わるようになった。

  建は近くの自動販売機で合成コーヒーを買う。がらん、と音を立てて落ちてきた缶を拾い上げ、プルタブに爪をかける。その爪はだいぶ長く伸びている。そういえばこのところ忙しくて切っていなかった。安幾良はまたやすりをかけてくれるだろうか。そう思いながら、建は爪にやすりをかける安幾良の真剣な顔を思い出して、頬をほころばせた。

  [[rb:呂 > ルウ]]=ビースドルフ・[[rb:安幾良 > あきら]]。

  下位武官。主な業務は異星での遭難者救出、宇宙犯罪者の白兵戦、調査に行く学者の護衛。怪力の持ち主で世話好きな建の恋人である。

  ——[[rb:老黄建 > 黄建さん]]、もうおれは力加減を間違えたりなんかしませんよ。

  ——へえ? じゃあ、そうだな……私の爪を切ってみるかい?

  ——爪、ですか。

  ——指を折ったりしたら……そうだな、高級酒でも買ってもらおうか。

  ——いいでしょう、やろうじゃありませんか。ほら、手を貸してください。

  そう言って安幾良は建の爪を丁寧に切り、やすりをかけて整えた。建よりも二回りは大きく分厚い手の平で注意深く爪切りを操るのは、見ていて快かった。それ以降、何が気に入ったものか、たてがみのトリートメントや角や鱗のシェービングといった体のメンテナンスを建に施すようになった。

  安幾良は縦も厚みも、痩せた老人の建とは比べ物にならないほどの巨躯の青年である。短く刈った銀髪に、剛健な二対の角、はちきれんばかりの筋肉の鎧。そんな男が自分の身体をまるで壊れ物を扱うように触るのは、奇妙に独占欲を満足させた。

  やがて帰港者のエントランス到着を示すチャイムが鳴ると、ぞろぞろと帰港者検査シークエンスを終えて武官たちが現れた。武装を纏った者はおらず、ノースリーブの武官の官僚服か、シャツにデニムのような軽装である。全員が仕事終わりの晴れやかな顔をしているのを確認して、建は胸をなでおろしたような気がした。

  その列で、武官たちの中でひときわ大きな体を黒い下級武官服に押し込めた安幾良がぶんぶんと手を振る。

  「お久しぶりです老黄建! 二週間ぶりですか、迎えに来てくださってありがとうございます!」

  尻尾も嬉しそうに揺らしていて、まるで子供だ。大人なのだから尻尾の感情表現は大勢の前で大っぴらにすべきじゃないのだが。建は苦笑しながら手を振り返した。上位官僚が出迎えに近づくわけにもいくまい。少し落ち着いてから行くか、と思っていると、列から離れて安幾良がやってくる。

  「こら、大きい声を出すんじゃない。他の皆さんもおられるんだから」

  「いやあ、久々に会えたのが嬉しくって……」

  「そうかい。怪我はないな?」

  「ばっちりです! 仕事もばっちり、人命救助も[[rb:無問題 > モーマンタイ]]です」

  「素晴らしい。よくやった」

  ちらっと安幾良の後ろを見ると、何人かは久々の帰港のようで抱き合っている者たちがいた。その視線に釣られて安幾良も振り返って、抱き合っている何人かを見たようだ。建は悪目立ちする官僚服を着てきてしまったことをまた後悔した。せめて普通の服であれば抱擁をしても周囲にまぎれたかもしれないというのに。せめて言葉でねぎらうしかない。

  と。

  嫌な予感がした。

  「……」

  「老黄建! ……さあ!」

  安幾良を見ると、彼は期待に満ちた笑顔をして、がばっと両手を広げた。

  どう見ても抱擁のおねだりである。

  建はうなだれて頭を抱える。自分の額に手の平を当てると、顔が熱を持っていることが分かった。

  「お前……」

  「老黄建、私は今、無事に帰ることができた喜びを分かち合いたい気持ちです」

  「く、くそっ……」

  肩越しに列を見ると、数人がちらちらとこちらをうかがっているのが見えた、上級官僚と武官の親密なやり取りが物珍しいのだろう。

  その視線の内の一人がこちらに近づいてきて、安幾良の胸をごつんと小突いた。

  「おい呂おじ、それくらいにしてやれ。面子を潰しちゃならん」

  「あっ、呂おじはやめてくださいよ……!」

  上司だろう、白を基調とした武官服の龍人が安幾良をたしなめる。艶やかな黒髪をまとめた、がっしりした体格の壮年の龍人だ。瞳には聡明な光がきらりとしている。彼は安幾良の文句を軽やかな笑みで流し、建に慇懃に頭を下げた。

  「今回の班長を勤めました、[[rb:李 > リー]]=アレク・[[rb:忠隆 > ただたか]]と申します。ご挨拶が遅れ申し訳ありません。サー、ええと——」

  「ああ、黄=クラーク・建です。事務局副長です」

  慌てて表情を取り繕う。公と私の切り替えなど慣れたものだ。

  「事務局副長?」

  気の抜けたように李=アレクが反駁した。

  にこやかに建は続ける。

  「ええ。のんびり仕事をやらせてもらっています」

  「事務方でしたか。てっきり……」

  ぴくん、と安幾良の耳が揺れた。ここで怒ってくれるなよ、と建は冷や汗をかきながら、微笑をたやさずに続ける。

  「はは、このような物々しい服装で恐れ入ります」

  「いえ、その……もっと、何と言いますか、サーからはそういう雰囲気を感じませんでしたので。気迫のようなものがあるというか。大変失礼いたしました」

  「構いません。武人と付き合っておりますから、気迫のようなものも移るのでしょう」

  流しながら、なるほどな、と思った。

  こういう人間がまれにいるのだ。事務方ではあっても、政治闘争で磨かれてしまうものに気付く者が。

  李=アレク・忠隆の名は覚えておこう。

  話題を滑らせるための建の冗談に、李=アレクは表情をやわらげた。

  「呂おじ……失礼。呂安幾良はずいぶん頼もしい武官ですからね。よく助けてくださいます」

  都合よくずらした話題に李=アレクが乗ってくれる。二言三言やり取りをして、彼は一礼して他の隊員へ向かっていった。

  それに合わせて、建たちもエントランスを出る。助かった、と思いつつ、残念な気もしたが、今更建から話し出せるはずもなかった。

  冷たい風が鱗を撫でる。地平に沿ってメガロポリスが煌々として、空が薄明るい。発達した工業は、夜空を忘れてしまった。

  遠くでごおおおおうっと低く何かの駆動音が鳴り響いている。

  建は、隣を歩く安幾良の腰を肘でつついた。

  「お前、呂おじって呼ばれているのか。李=アレク殿より年下だろう?」

  「うっ。ふ、老け顔なので……」

  恥ずかしそうに言う安幾良がおかしくて、建は噴き出した。建に釣られて、安幾良も笑った。

  車に着くと、

  「ほれ、呂おじ、疲れただろう」

  と言って助手席のドアを開けてやった。

  「だから知られたくなかったんですよ……、ああもうー」

  大げさに頭を抱えながら、安幾良がレガシー四輪車に身体を押し込めたのを確認し、建も運転席に乗る。

  車内は一気に静かになる。窓は反射フィルムを張っているので、外からはもう見ることができない。ほとんどプライベートな空間と言っていい。

  「どこか寄るか?」

  「や、おれはすぐ帰りたいです……」

  「そうか」

  ブレーキを踏み、エンジンを回す。車体に搭載された自動運転システムが、ぴろんと機体状態チェックシークエンスを終わらせて、サインを出す。ブレーキを上げて、アクセルを踏む。それだけで車は最適な運転を行うだろう。

  メーターとバックミラーの確認をしながら建は言う。

  「無事に帰ってきたな。ありがとう——というのも変かもしれないが」

  「おかしくありません。ありがとうございます」

  安幾良が笑った気配がした。

  そっと彼の腿に手を置いた。硬く熱い戦士の腿だった。

  「えっ、老黄建、ひょっとしてここで……!?」

  「馬鹿者」

  「いったー!」

  重ねられようと伸ばした手をひらりとかわして、腿を軽くつねった。

  三

  帰宅までの道中、建はずっと安幾良の尻尾に自分の尻尾を絡めていた。ねちねちねちねち擦り上げ、きゅっと締め付けたりほどけるのか心配になるくらい絡み合ってみたり、完全に自動運転に移行したのをいいことにやりたい放題だった。

  「あっあの、老黄建……? これはちょっと、その……」

  「こら、もぞもぞすると自動運転の物理演算が狂うだろう。静かにしてなさい。できるだろう、[[rb:呂呂 > 呂坊ちゃん]]」

  「えぇ……」

  龍人の尾は他の種族と同様に脊椎の延長であり、神経の張り巡らされた非常にデリケートな部位である。つまり、きわめて繊細で、ほとんどプライベートゾーンと言っていい。同意がなければ強姦である。

  先ほどは抱擁もできなかったし、恋人同士の睦み合いにはこれくらい別にいいだろう、とあの場でためらっていたのも棚に上げて建はにやにやとしながら恋人をからかっている。

  自動運転に任せて搭載された端末から、二人の住むマンション直営のショッピングサイトに接続する。注文すればマンション一階のスーパーが、部屋まで品物を運んでくれる。

  「ほれ」

  と、食品のページに合わせた端末を安幾良に渡す。

  「好きなものを選びなさい」

  「あ、ありがとうございます……」

  やはりそれなりに腹が減っていたようで、顔を赤らめながら建は端末に指を走らせて食べたいものをかごに放り込む。出来合いの総菜が多い。本当に何でも食べたい気分なのか、中華、和食、洋食と目につくものなんでも購入している。

  「老黄建は何か食べたいものはありますか?」

  「私はなんでも結構」

  「分かりました」

  支払いは二人の稼ぎが半分ずつ入金される生活費用の口座からだ。生活を始めたときこそ安幾良は遠慮しいしいでいたが、今では仕事の解放感もあるのか遠慮会釈なく、である。加えて、建は上位官僚、安幾良は下位の武官と言えどそれなりの手当てがついている。割引の入った総菜など好きに買えばいい。

  食え食え。

  そして食えることを喜んでくれ。

  やがて工業地区を抜けると、マンションが立ち並ぶ住居地帯が見えてくる。その中の上級官僚向けマンションの一室が建と安幾良の部屋だ。本来は安幾良の収入では手の届かない物件だ。裏の仕事で収入も得ている建は最後まで自分が全額出すと渋ったが、家賃は7:3で分けることになっている。

  黒く塗装されたマンションの入り口に車を停める。自動で駐車場へ戻っていく車を見くりながら、助手席を降りた安幾良が気持ちよさそうに伸びをした。レガシー四輪の空間は安幾良にとっては狭いのだろう。今度大型四輪を買ってもいいだろう。

  「運転ありがとうございます。仕事終わりに迎えに来ていただいて」

  「いいや、私がしたかっただけだ」

  二人で正面玄関をくぐる。スリーピースのかっちりした出で立ちをした、コンシェルジュの龍人が頭を下げた。

  「黄=クラーク様、呂=ビースドルフ様。お二人の部屋にお荷物が届いております」

  「すみません、ありがとうございます」

  安幾良がコンシェルジュの差し出した梱包箱を受け取る。車中で買った総菜だ。それなりの重さなのだろうに、どちらも屈強なのでまるで軽い荷物のように見える。

  「私が持つ荷物はあるかな」

  「いえ老黄建、おれが全部持てます」

  「そうか。ありがとう」

  注文した荷物を持って、建と安幾良はエレベーターに乗る。コンシェルジュに持たせることも出来るが、せっかく久々の二人の帰宅なのだ。

  扉が閉じると、梱包箱から肉に魚に香辛料のうまそうなにおいが漂った。

  軽い荷重の後に上に昇っていくエレベーターの中で建は身体を安幾良にすり寄せた。

  「なんだか今回はすごく熱烈じゃないですか。何かあったんですか?」

  建は赤らんだ顔をそらして、ふん、と鼻を鳴らした。

  エレベーターが止まるまで二人は無言でいた。

  エレベーターを出て、自室の鍵を開ける。建がドアを開けてやり、安幾良が先に中に入る。彼に続いて部屋に入り、玄関の扉を閉めると、梱包箱を置いた安幾良が建の唇を奪った。

  肩を押さえつけられ、かさついたぶっきらぼうな口吻を押し当てられる。

  「ちょっとからかいが過ぎるんじゃないですか、老黄建」

  ほとんどゼロ距離で建はにやりと笑って、

  「ぎゃっ」

  鼻をつまんだ。

  安幾良が鼻を押さえてのけぞる。肩の拘束が外れた隙に、建は安幾良の胸板に滑り込んだ。

  「宇宙港だと邪魔が入っただろう」

  「え? ああ、はい……」

  「ここなら誰もいない」

  安幾良がなるほど、という顔でにっこり笑って、建を抱きしめた。太い腕、分厚い胸、心音、体温。安幾良の腕の中、彼の死角で建は頬をほころばせた。髪や角を撫でられる。

  「髪も角もかさついてます。[[rb:小建 > 建坊ちゃん]]、手入れをサボっていましたね」

  「子供じゃないんだ、小建はやめてくれ。仕事が忙しかったんだ」

  安幾良は建の脇に腕を伸ばして抱えあげる。建は抵抗せず、彼の腕に尾を巻き付けた。建は安幾良の剥き出しの腕を優しく撫でた。もうこの腕は事故で骨を折ることはないのだろう。

  「それにちょっと痩せましたか? 小建がすごく頑張ってらっしゃるのはおれも尊敬してますが、仕事ばかりなのも心配です」

  「これくらいなら何でもないさ」

  「老黄建、あなたの仕事は連合の事務統制でしょう? 命を懸けるのは我々武官に任せてください」

  「ふん、がちがちの言葉遣いで子共みたいだったお前が一人前の戦士の顔をするようになるか……」

  「もういっぱしの武官です。ほら、一緒にご飯を食べましょう」

  言って、彼はリビングに向かった。建も後を追う。

  安幾良が頼んだ大量の総菜——[[rb:乾焼明蝦 > エビチリ]]、[[rb:西紅柿炒鶏蛋 > 卵のトマト炒め]]、ピザ、ローストチキン、カリーヴルスト、チーズ、唐揚げ、をテーブルに並べる。どれもまだ少し熱を持っている。レトルトの米があればいいだろう。国籍も栄養バランスも知ったことかというラインナップだ。安幾良は非常に燃費が悪いので、食えば食うだけ活動に変えてしまうのだ。

  グラスを二つ出し、紹興酒を注ぐ。片方には水を注ごうとミネラルウォーターのボトルを開けるが、

  「老黄建、おれも飲みます」

  と温めたレトルト白米を持ってくる安幾良が言う。建は苦笑してため息を吐いた。

  「一杯だけにしておけよ」

  と片方には少なめに紹興酒を注ぐ。濃い琥珀色の酒が光を受けて爛々とした。酸味のある[[rb:酒精 > アルコール]]の芳香が広がる。

  準備が終わって、二人は食卓に着く。向かい合って、グラスを掲げた。

  「[[rb:干杯 > ガンベイ]]」

  「干杯……んんっ、かあっ……」

  杯を干す。

  豊かな酸味と複雑な苦みを持った酒を建は飲み干す。酒が得意ではない安幾良は苦しそうである。グレートフィルターを越える前に残っていた大陸の風習である。飲み干すことが大事なのだ。

  「きついんだろう、老人の儀式に付き合わなくていいんだぞ」

  「ううーっ、すみません、次は水にします……」

  「そうしなさい」

  ミネラルウォーターのボトルを渡してやると、グラスには注がずに直接口を付けて一気に半分近く飲み干した。

  「体質的には酒精は平気なんですけど」

  「味が苦手かね?」

  「ちょっと、えぐみがあって……恥ずかしながら」

  「ま、無理することはない」

  うなずいて、総菜に促す。建だけではとても食べきれない。安幾良が食べてくれねばならないのだ。

  ハードな訓練と過酷な任務の中で生きている安幾良は恐ろしくものを食べる。大量に並べた総菜はするすると面白いように彼の腹のなかにおさまった。乾焼明蝦やカリーヴルスト、唐揚げで白米をかき込み、チーズをパンに乗せてかぶりつき、骨付きのローストチキンを丁寧に牙でこそげ取り、特大のマルゲリータピザを一切れ二口ほどで片付けてしまう。

  若者が飯を頬張るのは見ていてとても楽しいが、それを見ているだけで腹がくちくなりそうだ。建は西紅柿炒鶏蛋と白米で食事を終わらせ、総菜を平らげている安幾良を肴に酒を飲んだ。

  五体満足で帰って来てくれてよかった、と思った。たとえ四肢を失って帰ってきても、安幾良の世話をすることにはためらいはないし、傷痍武官の保護も手厚い。状態によっては四肢の義体化だってできるだろう。だが絶対はないし、リハビリだってつらい。武官は稼げるし、誇りのある仕事だが、やはり若い恋人が前線に出ていることは手放しには喜べない。裏の仕事とは別に、人並みの感性として建はやはりそう思う。

  安幾良が全ての総菜を平らげる頃には、建はほろ酔いになっていた。

  「すみません、おれがほとんど食べてしまって……」

  「構わない。年を取ると食えなくなるんだ。こっちで十分」

  建は酒の入ったグラスを掲げて、空にする。切れ長の瞳は酒精の気配が揺蕩っていた。

  「そろそろ風呂に入るか」

  「そうですね」

  立ち上がると、安幾良が傍らにつく。心配げな所作に建は苦笑するが、そのままにする。少し酔ってはいるが、問題はない。もともと龍人はアルコールに強いのだ。

  浴室に向かいながら、安幾良はするりと建の髪に指を通した。

  「まずはそのぱさぱさの髪をどうにかしなくては」

  「うむ、よろしく頼む」

  「ああ、やはりおれの仕事なんですね」

  妙に甘やかな声で安幾良が言った。

  四

  新任の役人は文武研修といって、適性に関わらず各部局の研修を受けることになる。

  事務局では多くのデータを処理するため、機器知識や情報技術の素養がない者の文武研修は簡単な業務を体験させることでお茶を濁している。

  武官養成専門の厳格なアカデミーで学んだ安幾良には、情報の技術などあるはずもなく、研修は簡単な星間記録統計に関わってもらった。

  初日の挨拶で彼は、執務室で深々と頭を下げた。

  「呂=ビースドルフ・安幾良と申します。黄=クラーク副長、これよりご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」

  「ふむ……万葉調の響きだな」

  「ありがとうございます、黄=クラーク副長」

  「副長はけっこう。少し楽にしてくれ。こっちは武官じゃないんだ、フレンドリーに行こうじゃないか」

  「しょ、承知しました……黄建」

  敬称にはいくつかのパターンがある、多くは西洋語に起源を持つ「サー」が多いが、東アジア系の龍人なら、和語系なら甲斐崎=ブラウン「黄さん」のように敬称が付くか、漢語系なら「黄建」のように漢名の呼び捨てになる。安幾良はおそらく後者の文化圏なのだろう。

  「うん、それがいいな。一ヵ月よろしく頼むよ」

  安幾良の主な研修はデータの抽出や整形だった。彼は礼儀正しく、武官としての教育の外にある文官の仕事にも真面目に行っていた。しかし、力が強すぎることと、身体が大きすぎることで、情報機器との相性が恐ろしく悪かった。

  タブレット二台。

  塔型パソコン三台。

  タッチマウス五台。

  電子ペンシル四本。

  最初の週で安幾良が破壊した主な機器である。そのリストを確認した建は、呆れて笑うしかなかった。

  「はは、大物じゃないか、ええ?」

  端末のタッチ部分が安幾良にとって小さすぎて上手く感知してくれない、違う部分を感知するなどはまだ序の口で、緊張すると力加減を間違えてタブレットを割り、大きすぎる体と文官用の間取りが合わずにパソコンにぶつかり、慌てて恐縮しきるせいで力がこもってマウスやペンシルを握りつぶしてしまう。

  二週目の月曜も変わらずで、彼の面倒を見ることで、他のメンバーの仕事が滞ったので、なし崩し的に建が彼の面倒を見ることになった。

  その夕方、やはり穴の開いたタブレットを蛍光灯に掲げて建はにやりと笑った。

  「さすが武官殿だ。脆弱な機械なんてのは玩具のようなものかい」

  安幾良は真っ青な顔をして頭を下げる。

  「すみません……」

  「力はどういう風にかけたのかね」

  「すみません、その、わざとじゃなくて……」

  建はにっこりと笑ってみせる。

  「うん、まあそんなことは見れば分かる。君が壊した機械は文官向けの外装だからすごく脆いんだ。多少じゃ壊れないような改良にしなくちゃいけない。だから壊してしまった時の力のかけ方や持ち方を詳しく聞けるかな」

  後から聞いたのだが、安幾良は武官向けに遺伝子をコーディネイトされており、自然児よりもはるかに筋力が強いのだという。この一連の報告書がタブレットやラップトップの強化の一助になった。もちろんこれが決め手になったわけではないが、これから先、文官の想定しない筋力の者たちが機器を触ることになるだろうし、そのときにいちいち壊されてはたまらない、という話が現実味を帯びたのだ。

  とにかく力のコントロールを覚えさせなければならない。研修内容はともかくとしても、これで武官になれば、民間人を助けようとして勢い余って殺してしまう、ということになりかねないだろう。

  あるとき、

  「黄建は懲罰訓を課さないのですね」

  と、またしても機械を破壊したせいで肩を落とす安幾良を連れて局の廊下を歩いていたとき、安幾良が言った。

  武官では懲罰訓としてミスへの懲罰としてトレーニングが課されることが頻繁にある。腹筋何十回、ランニング何キロ、そういったものだ。文武研修で武官の局に行った文官たちも苦しめられているのだろう。実際の武官が命じられるよりかなり甘い運動量であるけれども。

  「昔は文官でも懲罰訓はあったが、時代じゃないからな」

  「アカデミーではありました」

  「……武官はけっこう特殊な仕事なんだ」

  「はい、存じております。しかし黄建やここの文官殿たちはそういう指導をなさりません」

  建はうなずく。事務局内を歩くとき、安幾良は巨体をできる限り縮めるようにし、建と会話するときは、見下ろすことのないようにいつも中腰になっている。彼の薄鼠色の瞳に噛んで含めるように言う。

  「権力の内面化と言うのかな。君たち武官は上からの命令で死ぬかもしれない任務にこれから身を投じることになる。自分の[[rb:命 > タマ]]をかけてね。立派な仕事だ。だが、そのときに自分の命と命令を天秤にかけてしまうようなロスをなくさなくてはならない。脊髄反射の速度で死地に向かわなくてはならない。武官と文官の教育は根幹の思想からして異なっている」

  「はい」

  「懲罰訓は嫌いかな」

  「いいえ、黄建、おれは不器用で覚えが悪いのです。そのせいで周りの者も連帯責任で懲罰訓を受けることが心苦しく思うのです」

  「なるほどね」

  ずいぶん素朴な男だ、と思った。

  好ましかった。

  「お前はいい武官になるよ」

  安幾良は目をぱちぱちとした。

  「……あ、ありがとうございます」

  その時、ぼそぼそと声が聞こえた。

  ——あの人?

  ——うん、そう。社内政治で負けちゃったんだってさ。事務副長どまりだって。

  ——上級になっても副長で閑職かあ、ああはなりたくないねえ。

  ——あは、馬鹿、聞こえるって!

  聞こえるって、と言いながら、明らかにこちらに聞かせるような調子だった。大型の動物が小動物をいたぶるときの無邪気な響きだった。

  すぐに二人は通路を曲がって見えなくなる。曲がる瞬間に、彼らの卑屈で尊大な瞳が

  自分を刺すように見たことに建は気付いた。しかしそれらはもう雑音でさえなく、若いっていいなあ、とその時思ったが、近くの殺気に気付いて隣を見た。

  安幾良が、すさまじい形相で二人の消えた先を睨んでいた。建が何十年ぶりかに触れる確固たる怒りだった。建はほとんど反射で安幾良の腕をつかんだ。

  「落ち着きなさい」

  「黄建、黙っていられません」

  「おい、お前のこれまで学んで来たことはこれでおじゃんになるぞ。お前がここで動けばお前は一生這い上がれない」

  「いいえ、いいえ、違います。あの二人はあなたを貶めました。黄建! あなたの仕事を馬鹿にされたんです!」

  安幾良は建の腕を振り払った。

  そのとき、ぽき、と細い音がした。

  すさまじい熱が建の腕を走る。

  「えっ……」

  信じられない、という調子で安幾良は声を漏らし、廊下の向こうから視線を建に向ける。

  捻じれた細い腕があった。

  安幾良は分かりやすく動揺した。自分の両腕を引いて、身体を建から離す。

  数歩ほどよろめいた建は、壁に寄りかかると、捻じれた箇所手で押さえる。

  「落ち着きなさい、呂安幾良」

  「あっ、黄、黄建……」

  「あの二人に喧嘩を売ってはいけないよ」

  「いやっ……おれじゃなくて、あなたのっ……おれっ」

  たぶん他人に危害を与えたのはこれが初めてだったのだろう。安幾良は目を白黒させている。

  まずこの混乱をおさめなくてはならない。強い言葉が必要だった。怯えと混乱を統制するだけの強い言葉が。建は狼狽で濁った彼の目を睨みつける。安幾良は目をそらした。この少年を戦場に送るのだから、その教育のケツ持ちくらいは自分がしなくてはならなかった。

  「おい、任務でもそんなぴいぴい怯えるつもりか? 文官や民間人が負傷したら武官はどうするんだ、訓練でやったんじゃないのか?」

  「い、医務室に……」

  「そうだ。下らん陰口なんかにギラついてる場合じゃないぞ。ほら、怪我人の爺の脚がふらつく……」

  「でっでっ、ですけど、黄建、おれ、骨っ……」

  牙を噛みしめて痛みをこらえながら建が言う。折れた箇所からじわじわと痛みが広がっていく。官僚服に馴染んで見えにくいが、出血もあった。だがまだ耐えられない状態じゃない。

  もっと強く、相手の心を打たねばならない。

  建は無事な手を伸ばして胸倉をつかみ、引き下げるようにして目と目を合わせる。力の抜けた安幾良の身体はたやすく建の力に引かれる。

  ほとんど怒鳴りつける勢いで言う。

  「骨の一本や二本折ったぐらいで喚くなっ。お前は研修終わったら自分の命懸けて、誰かの命守るんだろうが!」

  それは事実だった。

  もっと言うならば、懸けさせるのは建たちだったものの、安幾良は知らなくていいことだった。

  「すみません、すぐに医務室に……」

  安幾良がたどたどしく言い、建を抱えあげた。いやそこまでしなくていい、と建は言おうとしたが、黙っていた。歩くよりも到着は早そうだ。

  骨折くらい今は大した処置は不要だ。添え木を当てて、治療器に漬け込んでいれば一日程度で治ってしまう。特に安幾良のような純粋な力のものであれば薬品の妨害のようなものもない。

  もちろん研修生が上位官僚に怪我を負わせたとなれば処分は免れないのだが。

  建を抱えた安幾良が、医務室の扉を開けようとすると、

  「おい、下ろしなさい」

  と言って、建は青ざめた顔で安幾良の腕から降りる。

  「呂安幾良、執務室に戻っていなさい」

  「ですが、……」

  「必要な連絡は医務室からでもできる。局長やアカデミー、武官長にも連絡が行くだろう。覚悟しなさいな」

  「……はい。申し訳ありません」

  「まあでも心配しないように。それじゃあな」

  安幾良をおいて、建は医務室に入る。何かの書類に落としていた医術士の龍が目を上げると、おやっという顔をした。

  「事務副長、骨折ですか」

  「うん。薬剤じゃなく、力だけ。訓練じゃなく、教育中の武官とひと悶着あってね」

  「かしこまりました」

  医術士は立ち上がって、失礼します、と患部に触れた。

  「曲がっちゃいけない方にばっちり。添え木を当てたら治療器ですね。ちぎれていたら手術が必要でしたが、これであれば治療器で大丈夫でしょう」

  「仕事を増やして申し訳ありません」

  「いいえ、これが仕事です、副長」

  医術士は建を奥の部屋に案内すると、すぐにベッドに座らせた。簡素だが質のいい医療ベッドだ。医術士が官僚服の帯を解いて、上半身を脱がせると、患部が露わになる。逆方向に捻じれた肘は、そこを中心にして歪な皺で鱗の皮膚が寄っていて、折れた骨が飛び出している。建の尻あたりでわだかまった官僚服に染み込んだ血が、シーツにじわじわと広がった。医術士が平然として患部に消毒薬を塗り付ける。

  「開放骨折ですね。逆方向に捻じれたせいで、骨が腕を飛び出ています。出血も相当量あります。ずいぶん痛かったことでしょう。ずいぶんお静かで、頭が下がります」

  「いや、とんでもない」

  「これで治療器に入れてしまうと、骨が間違った付き方をしてしまいます。多少の散った骨や繊維のズレ、感染症から保護なんかは薬液でどうとでもなりますが、腕が逆になってるとさすがに。なので麻酔を入れてから、骨を戻します」

  「骨を戻す?」

  医術士は神妙な面持ちで続ける。

  「手で、正しい方向に戻すのです。そうして、できるだけ正しい付き方に近づけます」

  「なるほど」

  「麻酔もありますが、しかしとても痛いです。我慢なさるようお願いいたします」

  「よござんす。お手数おかけするが、よろしく頼む」

  助手が入ってきて、麻酔のアンプルと注射器、治療液の満ちた治療器を持ってくる。医術士はアンプルを割り、麻酔を吸い込むと、建の肩に薬液を注入した。針は鱗の隙間を縫って容易く欠陥に薬を注入する。すぐに腕の痛みがぼやけ始める。

  そして医術士は手袋を付け替えて、建の腕にそっと手を当てた。反対側から、助手が建の身体をおさえる。

  「副長、失礼いたします」

  と言って、おそらく渾身の力で腕を引いた。筋線維が容赦なく引っ張られ、無理な力をかけられた腕が逆の逆——正しくあるべき方向に戻される。一度曲げた鉄の棒を、再びまっすぐに戻すような作業。

  麻酔を通してさえすさまじい激痛。

  呻きを、噛み殺す。

  脂汗がじっとりと額に浮かぶ。

  「っぐ……」

  建がすさまじい形相で痛みをいなしている間に、飛び出た骨を患部に引き込むようにして、骨と骨を噛みあわせると固定器が取り付けられる。

  白いカプセル状の治療器のフレームを組み立てて、固定器ごと腕を覆う。その中を治療用ナノマシンと消毒液、治療促進剤の交合治療薬液で満たす間、建は医術士に言った。

  「さすが、プロでいらっしゃる」

  建より二回り以上若い壮年の龍人は、華やかに笑った。

  「ありがとうございます。でも、副長がとても我慢強くいらっしゃったので、スムーズに処置を進めることができたんです。プロの武官でも大抵はみんな泣き叫びます。医療が発達したので、これくらいの骨折ならば手術もいらず、感染症もほぼかかりませんが、ペインコントロールが今後の課題ですね」

  青い薬液が満ちると、医術士は今日と明日は入院という説明をして部屋から出て行った。それで骨も肉も治るのだという。もちろん力仕事をしないように、という厳重注意はされた。

  その後、何人かが建を訪れた。局長や、武官教育担当や、アカデミーの教官らだ。彼らと話をし、安幾良の処遇を決めるための書類を書いた。

  その後しばらくして、鞄や貴重品を持った安幾良がやってきた。

  「あの……」

  ずいぶん絞られたようで、子犬然とした様子である。左頬に痣があった。殴られたようだ。始末書を書き、お説教にお説教をされたのだろう。局長、武官担当だけでなくもしかしたらアカデミーの教官まで出張ってきたのだろう。

  彼は建のベッドの荷物台に置くと、すぐに帰ろうとしたので呼び止める。彼は立ち止まって、

  「う……黄建、今日は、申し訳ありませんでした」

  と、頭を下げるが、ベッドに再び近づく素振りはない。

  硬い声で彼は続ける。

  「黄建、おれをクビにしないのですか」

  「ふん?」

  「アカデミーの教官に、黄建が言えばおれの進路は終わると聞きました。でも、クビにしないでくれと頼むつもりはありません。それだけのことをしました」

  建は安心させるように笑いかけた。

  「おい呂安幾良、それより、お前ずっと壁際にいるつもりか? もっと近くに来なさい」

  「いいえ、黄建……おれは……」

  「お前の身体が人より強いことなんか分かってる。いいから」

  「黄建、おれが怖くないのですか」

  「うん?」

  安幾良はうつむきながら、おそらくは建との間の距離に視線を落としながら続ける。

  「おれは[[rb:人口調整機関 > ヴァイゼンハオス]]で育っていたころはずっと一人でした。おれの身体について来られるひとがいなかったから。かけっこも木登りも戦いごっこもおれは一人でやりました。でも、武官になって初めて友だちみたいなのができました。あんなこと、おれはしたいわけじゃ全然なくて……」

  「わざとじゃないならいいだろう、別に。力が強いのは武官としては美徳だ。誇りなさい」

  しかし安幾良は動かない。

  沈黙があった。

  ギプス型の治療器がぼこぼこ鳴らす気泡の音だけが医務室に響く。沈黙は躊躇いの響きをしていた。建が待っていると、やがて安幾良が口を開いた。

  「資料を読みました」

  「君のかね?」

  「不慮の事故となっていました。おれを罰するつもりはないのですか」

  ベッドを立て、ギプス型の治療器に腕を入れた建は、安幾良の顔を見た。緊張の糸が張り詰めた顔をしている。なにか少しでも刺激があれば切れてしまいそうな。

  「あの二人を侮辱で罰することもないのですね」

  「うん。誰も悪いことをしていないからね」

  「あなたは不当に評価されていない……。あなたは本当はもっと素晴らしい人のはずだ、閑職なんかに追いやられて馬鹿にされるなんて」

  「物事には目に見える評価だけだと思ってはいけないよ」

  「しかし」

  「呂安幾良、こちらに来なさい」

  ちょいちょいとやって安幾良を呼ぶ。

  巨躯の若者がおずおずとこちらにやってきて、傍らに跪いた。瞳が濡れて揺れている。安幾良の肩に手を乗せると、怯えてぎゅっと目をつぶってびくりと震えた。こんなに戦士として誂え向きの体に、戦士としてはあまりに未熟な精神を抱えていたのか、と建は危うい工芸品を触るような気持ちになった。頑健な肉体とがちがちの敬語で鎧った未熟な少年。

  「この研修が終われば君は宇宙船の中で、武官以外の人間と触れ合うことになる。武官よりも文官や技術者の方が多いだろう。操縦技師や救助対象や、学者先生なんかだ。その度に力加減を間違うかも、なんておどおどしてはいけないよ」

  「……はい」

  「力を適切に抑える練習をし続けなくてはいけない。その訓練はしてきたかい?」

  安幾良は首を振る。

  「ならこれからしなくてはな。呂安幾良、一つ命令をしよう。明日から研修まで、あらゆる機器の破壊をしないように研修を進めるんだ。できるな?」

  「はい」

  「うむ」

  建は安幾良の痣にそっと手を当てた。

  「殴られてしまったか。すまないな」

  「おれはあなたに殴るよりひどいことをしました」

  安幾良の鉄色をした瞳が、まばたきをすると、滴が落ちた。それを親指で拭ってやる。

  「だが、怒ってくれたな。ありがとう。嬉しかった」

  文武研修が終わってからも、安幾良との交流は続いていた。安幾良は恐ろしく世話焼きな男だった。世話焼きというか、とてもよく尽す男だった。ややもすると前時代的な感じさえあった。上司の陰口を聞いただけであれだけ激昂するという時点で分かっていたが、武官に正式採用されてから、その性質はむしろめきめきと伸びて行った。

  武官の任務でどこそこに行った、ということがあるたびに、建のいる事務局まで、梱包箱を抱えてやってくるのである。

  「老黄建、異星の土産です。塩で煮るとうまいらしいです」

  「老黄建、異星の土産です。ビールに似たお酒です」

  「老黄建、……!」

  「老黄建、……!」

  喜んでほしい一色の面持ちで、異星の肉やら酒やらを持ってきては建に渡し、大仰に一礼して持ち場に帰っていく。最初の内こそいじらしくかわいらしかったが、だんだん「あの子、また黄建にお土産持ってきたんだね」というような、局内での目が温かくなって、ほどなくして建がむず痒くて耐えられなくなった。

  ある時、いつものように安幾良から渡された土産の梱包箱をしまいにロッカー室に行くと、甲斐崎=ブラウンがロッカーを整理していた。この男は自分の私的スペースは妙に乱雑な性質があって、もう使わない書類や、とりあえず詰め込んで忘れてしまったデバイス類が詰め込まれている。建は整頓された自分のロッカーを開けると、安幾良からの土産を置く。

  梱包箱を見た甲斐崎=ブラウンが人好きのする笑みを浮かべる。

  「黄さん、いつもの彼ですか」

  「うむ」

  若い龍人はしみじみと「彼、本気かもしれませんねえ」と言った。同年代の男なので思うところがあるのだろう。声には妙に優しい丸みがあった。建はロッカーを閉め、仕方なさそうに言う。

  「あいつはずっと本気だろう。まったく」

  「いいなあ、恋って。武官って私たちと違ってずっと訓練か任務でしょう? ああいう情操面がピュアなのかも。一途ですよねえ」

  「ふん」

  「応えてやってはいかがです? 受けるにしろ断るにしろ、時間をかけすぎるのは可哀そうですよ」

  「馬鹿言うな、これで私が受けてみろ。それこそあいつの時間の浪費だ。……このまま不毛さに気付いてくれないものかね」

  「黄さんからは捨てないんですね」

  「ああ?」

  甲斐崎=ブラウンの顔を睨みかけて、慌てて表情を和らげる。若い龍人の茶色がかった丸い瞳がにんまりとした。彼の唇から牙がちらりと覗く。建は自分の失言に気付き、ロッカーを乱暴に閉めた。

  「ずっと独り身でいらっしゃるから、断るものだと思っていました」

  「……あれだけ懐かれたら無下にもできんだろう」

  苦虫をかみつぶしたような顔で建が言うと、甲斐崎=ブラウンはあっさりと頭を下げた。

  「すみません、出すぎたことを言いました」

  「いや、こちらこそ仕事場にプライベートを持ち込んで申し訳ない」

  「ふふん、連合の事務は刺激がありませんので。傍観者ながら楽しませていただいております」

  と、甲斐崎=ブラウンはぺろりと舌を出した。赤くてつやつやした舌だった。

  それからしばらく日を開けて、また任務帰りの安幾良が梱包箱を持ってきた。終業時間直後である。

  「老黄建、異星の土産です。酒に合うそうで……」

  妙にほほえましい空気の執務室に建はため息をついて立ち上がる。

  もう今日の分の仕事は全て終わらせていた。事務局のメンバーにも、急ぎの案件がなければ帰っていいと指示し、

  「呂安幾良、この後暇か」

  「? はい」

  「持ってきすぎだ。一人じゃ食べきれん。付き合え」

  視界の端で甲斐崎=ブラウンが笑ったのが見えて歯噛みする。これじゃこっちが乗せられたみたいではないか。

  建は安幾良と共に退社し、当時から持っていたレガシー四輪車に年下の武官を押し込んで走らせる。安幾良の顔を見ずに、流れる景色に目を向けたまま建は訊いた。

  「今日の土産はなんだ」

  「あ、宇宙牡蠣の塩漬けです」

  「なるほどな。確かに酒に合いそうだ」

  マンションに着くと、安幾良は高層マンションの頂上を見上げて目を細めた。夜空につき立つ摩天楼の一群である。その一室が建の部屋だった。一人で暮らすには不自由がない。不自由がなさすぎて、持て余していた。

  「すっご……。これが上級官僚邸宅……」

  「あんまり見せたいものでもないんだが。まるで収入を自慢しているみたいじゃないか」

  「あっ、いや、とんでもないです!」

  「ふん」

  建はにやりと笑って、自動で駐車場に向かう車を見送ると、エントランスに向かう。梱包箱を抱えた安幾良がそれについていく。

  コンシェルジュたちに会釈し、自室へ。安幾良を居間のテーブルに着かせると、梱包箱を開けて、牡蠣と、これまで持ってきたつまみ類をテーブルに広げる。二人分のグラスに紹興酒を注いで、対面で腰を下ろす。

  落ち着かなさそうにきょろきょろとしている安幾良がおかしくて、建は表情を緩めた。

  「呂安幾良、さっきも言ったが、少し土産を持ってきすぎだ。通い妻じゃあるまいし、こっちは老人の一人暮らしなんだ、多すぎると悪くしてしまう」

  「す、すみません……。手ぶらで赴くわけにもいかず……」

  恐縮しきりの安幾良に、建は鼻を鳴らす。

  「若造め。お前が奮発した土産なんぞ、私にとっては大した出費にならん。武官なんだろう。何が起こるかわからないのだから、ちゃんと貯めておきなさい」

  「はい……」

  建はテーブルの面に肘をついて、指を組んだ。

  本題に入る。

  「なあ、私はお前のことを弟や息子のように思っているんだ。お前だって私の事をとても慕ってくれているだろう。だが、お前は何と言うか、私を慕っているだけではなくて……」

  安幾良がうなずく。そして覚悟を決めたように、

  「老黄建、おれはあなたを口説いているんです。おれは学もないですし、釣り合わないかもしれませんが……」

  「そんなことはいい。……こっちは老人だぞ」

  「その分様々なものがあります。寛容と威厳と深慮、いろんなものをお持ちです」

  「お前とは考え方の世代も違う、話が合わないかもしれない」

  「自分と異なる相手の考えを知ることはいいことでしょう」

  「私がお前の若い時間を使うのは良くないかもしれない」

  「私が時間をどのように使うかは、私が決めます」

  「ふん、よく口が回るな」

  建は笑った。それはともすると峻峭な彼の容貌を、これまでにないほどやさしく見せた。

  「……」

  建は目をちょっとそらして言う。彼の視線の先には、一人暮らしには広すぎる上位官僚の居室の空間があった。

  「立ち入ったことを聞くようだが、結婚はしてるのかね」

  「いえ、独身です。遺伝子はもう人口調整機関に」

  「私もだ。子供が何人かいるが、養育は機関がやっている。結婚の形式に思い入れは?」

  「おれは特にありません」

  「そうか。私も今更結婚に憧れがあるわけじゃない。なあ呂安幾良。私はこの家で一人で死ぬ予定のはずだったんだ。ここは墓場なんだよ。年に一度、遺書を更新し、資産を整理し、私が死ねば私の遺伝子系列の子たちや産母へ保険が降りるようになっている。お前は私の資産にほとんど触れないかもしれない」

  「はい」

  建は組んだ指を解くと、片手をそっと伸ばした。老いた竜人の細く骨ばった手指が、二人のちょうど真ん中にあった。その鱗の一片一片が密やかな孤独の中で摩耗していた。安幾良が太く分厚い武官の手の平をそっと重ねる。

  「財産が欲しくて口説いたんじゃありません。おれはあなたを尊敬していて、好きだから口説いたんです」

  「そうか」

  と老いた龍が言った。

  「じゃあ、私より早く死んでくれるなよ。……約束してくれ」

  建はもう一つ別の約束を口にしようとした。続けて、看取ってくれるか? と言いそうになったが、建は紹興酒を口に含んで言葉を飲み下した。それは横暴が過ぎた。

  しかし、安幾良は、

  「約束します。老黄建、おれは例え外宇宙にいたとしても、あなたの死に際には駆け付けます」

  と言った。

  二人はどちらともなく手を離す。建が自分の空いたグラスに紹興酒を注ぎ、それに促されたように安幾良もグラスを取った。濃密で重厚な琥珀色の酒を二人で飲み干した。

  安幾良が立ち上がった。

  建も立ち上がった。

  テーブルに手をついて、二人は唇を合わせた。硬くかさついた鱗の接吻は、さりさりと衣擦れのような秘めやかな音を立てた。紹興酒の艶やかな香りがした。

  私をいつ捨てたっていい、しかし捨てたくなってずるずる付き合うような無駄はしないように、と建は未練がましく思った。そして、自分からはもう離してやれないことを理解した。

  五

  鱗の水分と油分を整える成分の入った[[rb:高級沐浴露 > ボディソープ]]、楊貴妃白龍を薄桃色の綿タオルにまぶして安幾良はこすり合わせるようにして泡立てる。熱い湯を張って白く煙るバスルームで小さな椅子に座った建は、いい香りのする白い泡を塗り付けられるに任せている。細い首筋、骨の浮いた薄い胸、しなやかな腹にくびれた腰と、彼の背後に膝立ちになった安幾良は丁寧に建の身体を洗浄していた。

  「痛くないですか? 強すぎるとか……」

  「いいや」

  これは事実だ。安幾良の手はこれ以上ないほど適切で、完璧にコントロールされていた。甘く柔らかな安幾良の手は下半身に降り、内腿を擦る。建は気持ちよさそうに息をつくと、角を背後の恋人にこすりつけた。ぐりぐりと安幾良の顎を優しく、しかし刺すように角の先を押し付ける。

  「ふん、手加減が上手くなったじゃないか。端末を壊していたのが懐かしいな」

  「お、お恥ずかしい……」

  言いながら、角の先を安幾良は甘噛みする。くすぐったさと快さで建はびくっと小さく身じろぎする。

  龍人の角は神経が通っているので、角同士を擦り合わせたり、口に含んだりといった愛撫が多い。

  身体を沐浴露で洗い、泡を流すと、次は角と鱗のメンテナンスだ。座ったままの建の後ろで、オイルローションを手に馴染ませた安幾良は角にオイルを塗り込む。

  「老黄建、私に体重をかけてくれますか?」

  建はうなずいて、上体をそらすようにして身体を安幾良に預ける。武官の頑強な身体がこれくらいではびくともしない。背中から安幾良の体温や硬さが伝わってきて、建は頬をほころばせた。

  「重くないか?」

  「ちっとも。装備の方が黄建より重いんですよ」

  言いながら、安幾良はオイルのたっぷり含んだ手の平を、建の股間に向けてぬらぬらと這わせる。建が声を漏らす。

  「ああ……っ」

  建の下腹部でぷっくりとしている恥丘と、その向こうにある割れ目に、安幾良は船形の手の平をそっと合わせた。温かくぬめる恋人の手の平が柔らかく圧迫する刺激はとても優しかった。きゅう、と性丘が震えた。

  「ううっ」

  「ふふ、少し触っただけで感じてくれるんですね。可愛いですよ、小黄建。ああ、またきゅってしましたね。可愛いって言われるの好きですよね」

  「うるさいな……っ」

  鬱陶しそうに建は先ほどより強めに角で安幾良の顎をぐりっとやるが、恥部の動きは手の平ですべて拾われるので、図星なことなどすでにばれている。後ろから抱かれるように、安幾良の胸と腹で建を支えられているので逃げ場もなかった。

  片手で恥丘をおさえられ、もう片方が、脂肪のほとんどない胸や腹の敏感な内皮を撫でる。腕や足のような硬い鱗ではなくやや柔らかい部位なので、手がにゅるにゅると這い、鱗の隙間を指が丁寧に洗うたびに、恥丘はあからさまに震えて安幾良に興奮を伝えた。数度目の収縮のあと、割れ目はじっとりと熱を帯び始める。安幾良の手に熱が伝わっていくのが分かる。その熱は建の興奮である。

  「あっあっ……んんっ」

  「ん、濡れてきましたね」

  「いちいち言わなくていい……くうっ!」

  安幾良が建の耳を食んだ。ふんだんに唾液を纏った長い舌肉が、繊細な外耳をにゅるりと舐め上げる。耳の内壁に舌先がしゃぶりつく。ぐじゅぐじゅと粘ついた水音が頭蓋を反響する。脳紋が侵される感覚。快感。収縮。かりかりと牙が耳の肉を甘く噛む。痛み。収縮。噛んだ痕を熱い舌肉が舐る。建は反射的に快感を逃がそうとして、自分の秘所を追い詰めるために伸ばされた腕に抱きつくようになってしまう。

  「小黄建、強かったらすみません」

  安幾良が甘い響きでささやく。巨大な身体で、建を強く抱きしめる。

  圧迫はほとんど幸福の強さだ。

  そのまま、動けないのをいいことに、安幾良は建の恥丘に当てた手から、指の一般だけを割れ目に沿わせた。それはじっとりと湿り気を帯びていて、明らかに欲望していた。安幾良を迎え入れることを待つ古い門だった。

  「んんん……っ」

  「小建、気持ちいいですか?」

  「ああ……っ」

  割れ目の境を指の腹がゆるゆると往復し、恥丘は絶え間なく収縮と弛緩を繰り返す。しかし挿れてはくれない。さざ波のような快感がもどかしいくらいだった。

  挿れてほしい……!

  建はうなずく代わりに顔を傾け、潤んだ瞳を安幾良に向ける。硬い口吻の先を互いにこすり合わせて、ざりざりとした感触や親密な硬さを楽しむ。舌の先を出して、ちろちろと唇を舐めると、安幾良の唇から、舌が覗いた。

  「ん……」

  赤くぬらぬらとする肉を食みあいながら絡める。建の牙のあいだに導き、あるいは安幾良の口内に引き込まれ、互いの肉を味わう。体温とぬめり。粘膜と粘膜が滑るたびに、建の秘溝が喜んだ。

  「[[rb:亲 > キス]]で感じてて可愛いです」

  「ふん」

  建がにやりと笑って、牙の先を撫でていた舌先を、強めに甘噛みした。安幾良の舌がびくっと固まる。

  「んぐっ!」

  すぐに力を弱めて、噛んだ箇所を優しく舐めてやる。安幾良は吃驚したのか、目の端に涙が散っていた。

  「こっちはもう老人なんだ。あまり変に褒めるんじゃない」

  照れるのだ。

  いや情事の睦言で何を照れることがあるのか、と言えばそれまでなのだが。この世で最も罪のないものは情交の台詞なのだし。

  安幾良は苦笑して舌で口吻を舐めると、片腕で彼の上半身を抑え込んだまま、雌溝に差し込んだ中指に力を込めた。ゆっくりと、彼の指が建の門戸を開く。

  「あっ? う、んん……っ」

  悦んで淫らに締め付ける肉壁をかき分けるように、安幾良の指が建の秘所に潜り込んでいく。指が根元まで入る頃、門の向こうでひっそりと充血している秘根に彼の指先が触れた。ペニスの勃起が始まっている。

  「ぐう……っ」

  激しく肉壁が蠕動して、指を締め付けては舐め上げるようにうねる。雄の快楽と雌の快楽が建をほとんど強引に絶頂へ引き上げる。細い腿を擦り合わせるようにもじもじとして、快楽を逃そうとするが、安幾良の指を押し出すことはできない。指は優しく抜き差しを繰り返し、その度に建に階段を登らせていた。

  絶頂へ向かう雌の階段である。

  「あ……、呂安幾良、もう、……」

  低く建がつぶやき、安幾良がうなずく。

  拘束が強くなった。安幾良の体温が熱い。抱き返す。でもこんな力では全然足りない、と建は脈絡なく思った。細く老いた自分の腕力では、安幾良に何も伝えられない。もっと強くもっと深く安幾良を招きたい。

  「あぐううっ! ああっ、はあぁ……っ!」

  建は絶頂する。射精はなく、割れ目での絶頂だ。建の身体が硬直し、安幾良の腕に固くしがみついた。歓喜する秘門が安幾良の指をぎゅうっと締め付ける。

  絶頂の波が収まるまで、安幾良は建を抱きしめて待っている。荒い息が落ち着き始めると、安幾良は抱擁を弱めて、また建の唇をついばんだ。

  「へへ、イっちゃいましたね」

  「そうだな……」

  建は安幾良の腕に頬ずりした。建の瞳には絶頂の熱が熾火のように残っていて、彼の腕をそっとどけると、身体を反転させて対面になる。

  「次は私が気持ちよくしてやるからな」

  椅子から降りると、建は湯に濡れて温かいタイルに四つん這いになる。安幾良の割れ目からは、すでに興奮しきった男根が露出している。鮮やかな肉色をした肉の円錐は、照明を受けて淫らな光を纏っていた。

  男根に手を乗せると、びくりと安幾良が震えた。

  「うっ……」

  建は口吻の端を舌で湿らせると、先端の尿道口に亲をする。そのまま口吻を開き、滑らせるようにして肉槍をくわえる。安幾良の性器は、硬く太く、弾力に満ちている。衰え一つ知らない剛直に舌を絡ませると、鈴口から先走りがあふれ出した。

  とろりとした体液は、苦みと酸味があって、わずかに甘く、においが濃い。オイルの華やかな香りにまぎれて、若い雄のにおいが建の鼻腔を満たした。

  根元までくわえ込むと、海綿体に流れる血流の脈動が、舌を通して伝わってくる。建は知らずに頬をほころばせた。よく帰ってきた。五体満足で。

  舌を円錐の先に纏わりつかせるように絡め、敏感な先端を刺激する。頭を揺らして口吻でペニスを扱く。やがて硬さが増してくるのが分かる。射精が近づいていた。

  「あっ、老黄建、それ、すご……」

  腰を引こうとするが、建が安幾良の分厚い尻を抱き込むようにして離さない。

  「ううっ、すみません、おれ、おれ……」

  ——来い。

  肉錐が跳ねたと同時に、鈴口から精液が迸った。粘ついて青臭い精虫を、建は一度口内で受け止める。口吻で搾り取るように扱き上げ、巻きつかせた舌で絞りとる。若くて濃い塩気と苦みと甘みを舌に絡める。まるで長く熟成された美酒のようだ。

  ちゅっと鈴口を尿道に残った精液も吸い上げると、安幾良は切なそうな声をあげた。

  「ああ……っ!」

  頭を離すと、肉槍と建の唇とに、精液の端が一瞬だけかかって途切れた。白く光るしずくが風呂場の蒸気にまぎれて見えなくなる。

  口の端を手の甲で拭いながら立ち上がると、安幾良が腰を落として、頬を撫でてくれる。よく手入れされた鱗の感触である。

  「うー、すみません、我慢できなくて……」

  「んむ……」

  建は安幾良の肩に腕を回して抱き寄せる。耳に優しく唇を落とすと、自分の口吻と喉を近づけて、精液を飲み込んだ。

  ごくっ……ごくっ……ごくっ……。

  「わっ……」

  喉仏を何度も上下させて、建は精液を飲み下す。その嚥下音を、精液の主にぴったり密着して聞かせる。安幾良は、顔を真っ赤にさせて口をぱくぱくするが、何も言わずに建の喉の音を聞いていた。

  精液を飲み切ると、建は自分の角を安幾良の角に擦り合わせて、耳元で囁いた。

  「たくさん出したな……、美味しかったぞ」

  「老黄建……!」

  安幾良が建を抱き上げた。

  「おれ、いま、すっごく老黄建のこと、好きです……!」

  「ふん」

  建は赤くなった鼻を鳴らし、安幾良の額に亲をした。それだけで伝わればいい、と思う。だらりと垂れ下がった建の尻尾に、硬いままの安幾良の剛直が当たっていた。一度出したというのに、まだ収まらないようだ。

  雌の絶頂をしたものの、まだ建は射精をしていないし、安幾良はまだ興奮している。だからこの次にすることは一つだ。

  しかし、建の期待とは裏腹に、安幾良は、恥孔の割れ目をくにくにと肉槍の穂先でもてあそんで挿れてくれない。

  「んっ……おい、呂安幾良……?」

  安幾良は、建を抱えたまま聞く。

  「老黄建はおれのこと、その、好きでいらっしゃいますか」

  「は……、いや、それくらい……」

  「宇宙港でハグしてくれなかったじゃないですかぁ……、車じゃお預けでしたし……。老黄建がおれのことを大事にしてくださっているのはよくわかります。ですが、その……たまには……」

  照れたように安幾良が目をそらした。頬が赤い。

  尻尾の悪戯についてはやはりというかなんというか、根に持っていたようであるが、それよりも、こういうことで照れるのかこいつ、と建は思った。

  可愛いところあるじゃないか。いや全部可愛いんだが。

  白く短いたてがみを建はそっと撫でて、安幾良の耳に唇を近づける。小さい声で囁く。セックスでの振る舞いと好意の表明は全然違うのだ。

  普通に恥ずかしい。

  「あー、その、うう……好きだぞ」

  照れを深めて頬をほころばせる安幾良に、建は真っ赤な顔で続ける。

  特別大サービスだ。

  「だから、早く犯してくれ……んんっ」

  その瞬間、安幾良が建の唇を奪った。建は牙を開き、迎え入れた舌に自分の舌肉を絡める。優しくて柔らかな、恋人同士がする深い亲。唾液が流れ込んでくると、それを飲み込んで、同じように唾液を返す。夕食の香辛料と、安幾良の溌剌としたにおいがする。親密な気持ちになる。

  何度も角度を変えて亲を繰り返す。建は情交の中の戯れで、亲が一番好きだった。安幾良の鍛え上げた筋肉の鎧の中で、彼の鍛えられない粘膜に触れると、どうしようもなく愛しい気持ちになった。そして舌が口内を愛情深く蹂躙すると、建はいつもとろけてしまうのだ。

  「入れますよ」

  「ん……」

  安幾良が建の薄い尻を掴んで抱えたままゆっくりと、彼の割れ目に肉を突き立てる。肉の槍には肉の穂鞘が必要だ。建の柔軟で経験豊富な雌穴は、かなりの巨根である安幾良の槍を難なく飲み込んでいく。

  みちみちと肉襞を怒張が押し開き、二人の腹が密着すると、建は尻尾を互いに絡みつかせる。繊細な肉棒を貪欲な肉襞に包み込まれた安幾良が切なげに声をあげた。

  「あぁっ! 老黄建の中、キツいです……!」

  「んん……、そりゃあよかった……。私も気持ちいいぞ……」

  熱い肉で雌穴を割り開いているだけでも、建の肉壁は悦ぶというのに、駅弁という体勢上、建自身の重みでより深くまで犯された雄膣が熱烈に剛直を締め付ける。きゅっ、きゅっ、と雄の秘宮が剛直に媚びるのが分かった。

  手を握るのも好きだ。尻尾を絡ませるのも好きだ。順番なんか付けられないが、亲をするのが一番好きだ。建が安幾良と交わすあらゆる愛情表現が好きだ。でも犯されることは、どんな表現よりも安幾良の深いところに触れる感じがした。亲とはまた別に、自分の最奥部に導くことで、安幾良のことをもっと深く正確に愛情を伝えられるような感じがした。

  建は安幾良と溶けて一つになりたいと思っている。軽く折れてしまう骨、衰えた筋肉、柔らかな雄子宮、子供を作り終えた男性器、機密を抱えた脳髄、役割を終えつつある肉体、そういったもの全て安幾良に溶かし込んでしまいたかった。

  さあ食ってしまえ。

  「呂安幾良、もう……動いても大丈夫だ」

  「わ、わかりました……辛くなったらいつでも教えて下さい」

  「……ふん、私なら平気だよ。好きに動きなさい……あぁっ!」

  ず、と安幾良が腰を引くと、肉襞が名残惜しそうに吸い付いてわずかにめくれ上がる。建がぎゅっと固くしがみつく。建の目尻から零れそうな涙を、安幾良が舐めとる。そしてそのまま唇を重ねる。

  舌を絡めたまま半ばまで肉塔が抜かれ、そしてゆっくりと肉孔に沈み込む。また肉襞をめくり上げながら引き、そして沈み込む。

  一定の速さで繰り返される緩やかで柔らかなピストンが、建の雌を追い込んでいく。痛みなく、ただただ緩やかな快感が建をとろけさせる。

  「んん……っ! ふうぅ……っ!」

  やがて女陰の中で膨らみ始めた雄が、安幾良の肉槍に触れた。男根同士の亲。びりびりとした激しい刺激が太腿を走る。肉襞の中で安幾良の肉槍と建の肉筒がくちゅくちゅと擦れ合う。

  「はあぁ……っ! 老黄建、兜合わせ、気持ちいいです……っ!」

  「あ、ああ、あうぅ……っ!」

  雌の快感と雄の快感。建の視界が優しい快感によって明滅する。

  安幾良の額や鼻、首筋、口吻の届くあらゆる所に亲をして、固くしがみつき、尻尾をぎゅうぎゅうに巻きつかせている。安幾良の肉錐が射精に近づいて硬さを増すと、その硬さが建を絶頂に押し上げた。

  「呂、安幾良……! わ、私、もう、イ、イきそうだ……っ!」

  安幾良が肉槍を一番深くまで突き立てる。建が身体を固く縮こまらせ、激しく震えた。強烈な浮遊感と孤独が襲う。雄膣が何度も何度も繰り返し強く収縮する。ほとんど噛みつくような勢いで、穴は安幾良の肉槍を磨く。射精の近いペニスが、建の精液をぶちまけられる。

  「あっあっ、あああっ! すま、だ、大丈夫だ、動いていい、動いていいから……っ!」

  「すみません、動きます……!」

  「んあっ! あああっ! ああっ、う、んぐぅ……っ!」

  雌絶頂と雄絶頂の波の中で蠕動する雄膣に、安幾良が激しく腰を打ち付ける。先ほどとは打って変わって、肉が肉を打つ。キツい。敏感すぎる性器の中で、巨根が往復するのは快楽を通り越して苦痛に近い。

  建は安幾良に深い亲をする。牙列をなぞり、軟肉を食む。安幾良の舌肉を招き入れて、甘噛みをしたり舌で扱き上げたりして激しく愛撫する。唾液と舌が鳴らす水音と、安幾良の腰が肉を打つ音が響く。

  やがて安幾良が、また深いところに肉槍を突き立てた。

  「老黄建、老黄建……! おれ……」

  「ああっ……、中だ、中で出していい……っ!」

  「はい……っ! ああっ、うああ……っ!」

  安幾良が何度もうなずく。肉膣を建が締めあげる。二人は呼吸を忘れる。膣の中で安幾良が熱い体液を吐き出した。射精は長く続き、脈動の度に精子が建の雌穴を満たした。

  そして静寂がやってきた。

  肉杭を入れたまま、安幾良は建の身体をきつく抱きしめた。建は大げさな音を立てて、安幾良の頬に唇を落として頬ずりする。

  「ん……上手にイけたな。偉いぞ」

  「老黄建も。イってくれて嬉しかったです」

  軽く唇を合わせると、安幾良は建を持ち上げて、ペニスを引き抜く。萎え始めた安幾良自身が、中から抜けていく感覚で建は身体を震わせた。

  「ああ……っ、も、漏れる……」

  抜かれた恥溝はぱっくりと開いており、塞ぐものがなくなったために、二人分の精液が流れ出した。先ほどまで犯されていた渓谷から、どろりとした白い液体が溢れ、タイルに落ちた。それを見た二人は顔を見合わせてくすくす笑った。

  安幾良に寄りかかって、建はシャワーから湯を出して汗や精液を流す。保温機能の付いた熱いままの湯船に入る直前、建は両腕を広げた。

  「……ん」

  「老黄建?」

  「ハグだ。宇宙港でできなかっただろう」

  建の顔はまた赤くなっている。

  「なんだ、その……セックスのスパイスみたいになってしまったが、私だって、お前が無事に帰ることができた喜びを分かち合いたいんだよ」

  それを聞いた安幾良は、ぱあっと顔を輝かせた。

  固い抱擁をして、湯船で身体を温めたら、次はたてがみと鱗のトリートメントが控えている。そして鱗用のクリームを二人で塗りあって、久々に一緒のベッドで眠るのだ。建のような上級官僚が武官を恋人にするということは、恋人を死地に送ることだ。

  湯船に入り、巨体の上で寝そべる建は、布団になってくれている若い武官の頭を撫でた。

  「また帰ってきなさいよ」

  「ええ。でも老黄建も長生きしてくださいね」

  「ふん」

  建は安幾良の肩に頭を乗せて、鼻を鳴らした。そして風呂場から居間の方に視線を向ける。壁に隔てられて見えるはずもないが、長く暮らしているので、まるで透視するようにこの向こうには間取りも、家具の配置も見えるように思い出すことができた。しかし墓場とは言えなくなってしまったな、と建は思った。