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急遽引っ越しをすることになった。理由は大したことじゃない、今より家賃のお安いアパートを見つけたので引っ越すのだ。新居は今までと同じ1DKで、ちゃんと浴室乾燥もついている。少し駅から遠いことと、築年数がちょっと経っていること以外は悪くない物件だ。引っ越し作業は数少ない友達が軽トラをレンタルして運んでくれることになった。持つべきものは友達だね。
荷造りをする前に、まずは要らないものを捨てなければならない。引っ越しというのはちょうどいい断捨離の機会でもある。所有物のすべてに一度目を通すわけだから、普段見ることのない押し入れの肥やし、使っていない書類、貰い物で捨てにくい粗品のボールペンなどを、ここぞとばかりにざっくり捨ててしまうのだ。
まずはタンスの中を開け、要らない服を順番に捨てていく。これは使う、これは要らない、これも要らないな……。そもそも、四季が一周する間に一度も着なかった服で、今後も着る可能性があるのは喪服くらいのものだ。それ以外のものは思い切って捨ててしまおう。
あとはシャツ類の襟首にも注意だ。このシャツはまだ綺麗だし来年も着られるかな? などと油断してはいけない。首に当たる部分や袖口にみっちり皮脂汚れがこびりついており、洗ったときは何ともなかったのに、次のシーズンになったら茶色い汚れが浮いていた、ということはないだろうか。あれは漂白剤で一時的に汚れが見えなくなっているだけで、時間がたつと本当の汚れが浮き出てくる結果起こる現象なのだ。本当はこまめに漂白していればまだまだ着られたのかも知れないけど、これはちょと無理そうだから捨てようね。
毛皮にこすれて襟首がボロボロになったシャツと、ダサくて結局二度くらいしか来ていないパーカーをゴミ袋に入れた。
あとは誰も来ないぼくの部屋にスリッパが四つもある。ここに引っ越してきたときには、きっと友達が出来るだろうからと思って多めにスリッパを買っておいたのだ。案の定そんな人はいなかったわけだけど、そもそもぼく自身が素足派なので履くことはない。念のため二足残して残りは捨てた。
デスク周りは普段使うものしかないと思ったけど、案外散らかっているものだね。緊急性のない郵便物が未開封のまま置いてあったり、小説執筆のための資料や辞書が山積みになったりしている。資料はまた今後も使えるかも知れないから、整理して先に段ボールに入れておこうね。
意識的にモノを捨てないと、年を重ねるにつれてものが増えてくるけど、まだ使えるかもと思って取っておくからどんどん溜まっていくのだ。思い切ってサクサク荷物を捨てていくと、最終的に四五リットルのゴミ袋が九袋になった。こんなに要らないものが眠っていたんだね。普段ならごみ捨てなんて面倒くさがるぼくだけど、こんなに要らない物が出てくると、まるで耳あかがゴッソリ取れたときのような快感を覚えて、捨てるのが楽しくなってくる。すぐにゴミ袋を引っつかむと、三回に分けてゴミ捨て場までゴミを捨てに行った。
部屋に戻ると、あきらかにさっきより部屋がスッキリして見える。今残っているのが本来ぼくに必要なものというわけだ。ああ、これだけ最低限の荷物になると、新卒で希望に胸膨らませていた若かりしあの日々を思い出すね。今となっては腹肉がつまめることに悩む三十代のおにいさんだけど。こんなはずじゃなかった。
いよいよ荷物を片付けていく。まずは大きなものをすべて段ボール箱にしまって、すぐに使わないものをしまって、あとは三日後の引っ越しまでにまだ使うもの——例えばパソコンとか——以外を順次しまっていく。ギリギリまで官能小説を書こうというぼくの情熱は止められないのだ。
そして最後にカーテンをしまうと、部屋はどこか無機質でがらんとし、まるで不動産の内見に来ているみたいだ。音を吸収するカーテンがなくなってしまったから、物音や咳払いの音が室内に反響する。ちょっと寂しい感じになってしまったな。カーテンひとつなくなっただけでこんなにも生活感がなくなってしまうのだ。数年間住んでいたところからぼくの部屋らしい雰囲気がなくなってしまうと、なにかもの悲しいものだね。
さて、ひと段落ついたし、執筆活動をする前にごはんを食べようかな。今日は食品宅配サービスを使うのは避けたい。節約のためという主旨で家賃のお安い物件に引っ越すのに、無駄遣いするのは本末転倒だからだ。最近は出来るだけコンビニのお惣菜や、外にいるときは定食屋なんかを活用している。お茶はプライベートブランドのものを選んでいる。
仕事帰りなどでコンビニに寄ったときは、一度に大量買いをする。今すぐに買う必要がなくてもする。なぜなら、一度部屋に帰って部屋着に着替えたあとに、何か欲しいものが出来てまた着替え直してコンビニ行くのが億劫だからだ。何が食べたくなっても対応できるように、少し余裕を持って食料を備蓄しておきたいのだ。
そんなわけで、今ぼくの部屋にはコンビニの食べ物がたくさんある。少し買いすぎたから賞味期限が心配だけどまあ大丈夫だろう。コンビニの商品は賞味期限を早めに書いてあるから、一、二日の賞味期限切れくらい問題ないはずだ。
じゃあ今日はおととい半額で買った、賞味期限が切れたソーセージドッグでも食べようね。……いや、やめておこう。今はパンって気分じゃないんだ。それなら昨日買ったカップめん……塩味っていう気分でもないんだよね。そう、二日前に食べたかったものが今食べたいわけではないのだ。
とはいえ、こういう食べ方をして賞味期限が近いものを先送りにしてしまうと、最初のほうに買ったものの賞味期限が切れてしまう。うーん、さすがに賞味期限が過ぎたものは優先的に消化するべきだな。まあ二、三日くらい過ぎていても大丈夫だろう。今は合成保存料もきっとイイ感じに進歩しているだろうし。三日前の惣菜パンを食べよう。
*
合成保存料に全幅の信頼を寄せた昨日のぼくをぶん殴ってやりたい。いやもう殴る気力もないのだけど、つまりぼくは三日前の惣菜パンを食べたらおなかを壊してしまって、強烈な頭痛と吐き気で寝込んでしまったのだ。ベッドの上で転げ回り、出るものを出し切ってしまうと気持ち悪さは消えたけど、頭痛がとまらない。どうやら色々出し過ぎたせいで脱水症状になったようだ。道理でこれでもかというくらいお茶を飲んだのに全然トイレに行きたくならなかったわけだ。問題はこれで買っておいたお茶をすべて飲んでしまったということだ。このままでは脱水がひどくなるし、かといって水道水は飲みたくないし、つらいけど今のうちに買いに行っておくか……。
コンビニまでは徒歩で三分ほどかかるのでいささか遠い。仕方ないので徒歩三十秒の自動販売機へふらふらとやってきた。ここでスポーツドリンクを確保しておきたい。
…………ガッデム! この全品百円自販機にはスポーツドリンクがないよ! かわりに果汁三パーセントのいかにも薄そうなドリンクとか、どう見てもどこかで見たデザインに似せたラベルの飲料とか、どんな味か予想もつかない飲み物しか置いていない。それに、ぼくの経験では百円自販機の飲み物は、あまり舌に合わないないかも知れない。やっぱり五十円をケチッて得られる味もまた五十円分引きなのだ。安物買いの銭失いはやめて、他の自販機を探すことにした。
少し歩いたところにあったよ、大手の自販機だ。これなら安心だね! これだけ歩くのなら最初からコンビニに行ったほうが良かったような気もするけど。薄い財布から小銭をあるだけ入れると、スポーツドリンクを大量に買った。いくつものペットボトルをかかえて部屋に戻ると、スポーツドリンクを一本飲み干した。気分が少し落ちつくと、いつのまにか眠りについていた————
*
翌朝。かなり体調がマシにはなってきたものの、朝から頭痛がひどい。これでは執筆が出来ないじゃないか、ぼくの官能小説を待っている人が何人もいるのに。職場に欠勤の連絡をすると、頭痛がとれるまでベッドで横になることにした。
何時間か寝て目が覚めた。まだ頭痛は引かない。仕方なく賞味期限が切れてないパンを腹に入れていると、ぴぽぴぽぴぽんとインターフォンを連打する音がする。子供のいたずらだろうか。体を引きずってインターフォンの玄関画面を見ると、青いくまがあわてて逃げていくのが見えた。あれはいつぞやの似顔絵描きさんだ。そういえばあのとき名刺を交換した気がする。急に来るなんてどうしたんだろうか。ピンポンダッシュをしそうな人でもないし。ははあ、ポストか宅配ボックスに何か入れてくれたのかな。重い体を引きずってそれらを確認しに向かうと、ポストに色紙が入っていた。それは————
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いいじゃない! ぼくの幸薄そうな笑いが見事に表現されているね! このタイミングで贈ってくれたということは、きっとSNSでぼくがつぶやいた「うんこがとまらない たすけて」というメッセージを見て来てくれたのだろう。それなら上がって行ってくれたらいいのに。もっとも、もてなそうにも段ボール箱の山とスポーツドリンクしかないけど。
ベッドに横たわるとそろそろ陽が傾いてきた。これまではカーテンを閉めっぱなしにしていたから気づいていなかったけど、どうやらこの部屋は夕方頃になるとベッドの上に西日が差し込むみたいだ。それほど強い光ではないものの、体全体を太陽光が包み、じんわりと熱い。……いや、それはまだいい。赤い光がまぶたを通して見えていて、とてもじゃないけど入眠できそうにない。カーテンは取り外し済みでもう段ボールに入れてしまったから、寝ている間に日光を防ぐ手段がない。
ガッデム! カーテンは山積みされた段ボールの下のほうだよ! でも今のコンディションで全部の箱をどけて、カーテンの箱を取り出すなんて不可能だよ! かといって、ぼくの部屋でベッド以外に横たわって休める場所なんてない。カーテン・オア・オンザフロアなのだ。……無理だ、これじゃとても寝られたものではない。結局ベッドの陰にタオルを敷いて床に寝ることになった。こんなにひどい体調だというのに、なんでベッドの横で床に寝るというバカみたいなことをやっているのだろうか。ぼくは少し涙を溜めながら段ボールの山の中で眠りについた。
*
なんとか体調が回復した。これなら引っ越しに間に合いそうだね。引っ越し業者の手配、電気ガス水道インターネットの転居届、郵便の転送、ネット通販や食品宅配サービスの住所変更などなど……思いつくだけのことはやった。いやあ、いろんなサービスに依存しているものだね、現代人というものは。あとはマップアプリの「ぼくのオススメラーメンスポット」のデータも転居先に合わせて更新しなければならないけど、それはまあ後でいいか。
*
引っ越し屋さんが来た。手際よく段ボールを運び出し、ベッドを分解して、衣類や家電類を運び出していく。ぼくがタブレットでニヤニヤしながら自作の官能小説を読んでいるうちに全ては終わっていた。さぞ気持ち悪かったことだろう。
これから新居に行って、今度は荷物を受け取らないといけない。ショルダーバッグを肩にかけ、ブレーカーを落とした。さっきまでベッドや家電が置かれ、ぼくが生活していたとは思えない、静かで無機質な空間が広がっていた。今日で数年間住んでいたここでの生活は終わるのだ。一度掃除しに戻ってはくるけど、もうこの場所はぼくのいるところではなくなった。ぼくはしばらく部屋を眺めて色々なことを思い出していた————ロクなことがなかったような気もするけど、愛着のあるところから離れるのには一抹の寂しさがあった。……いや、感傷に浸るのは大家さんに鍵を返すときでいい。ぼくにはまだやることがあるのだ。ぼくはアパートの扉を閉めて新居に向かった。
新居の前にすでに到着していた引っ越し屋さんに声をかけると、引っ越し屋さんは手際よくオートロックのドアを開け放し、養生し、順番に荷物を運び入れていった。
引っ越し屋さんの邪魔にならないように部屋の隅でカーテンの箱を開け、レールに取り付ける。いいじゃない! やっぱりこのカーテンをつけるとぼくの部屋だという感じがするね! そしてベッドとマットレスが置かれ、何本もの官能小説を生み出してきたデスクが搬入される。
すべての搬入が終わると、引っ越し屋さんは帰っていった。早速パソコンとディスプレイを設置して線をつないだ。これで夜にはエロ小説を書ける準備が整った。
……さて、そろそろおなかがすいたな。マップアプリでこのあたりの飲食店を探そう。ええと、ラーメン屋……転居一発目だからもう少し豪華なものが食べたい。ファミレス……うーん。あれあれ、ひょっとしてこのあたりは食べ物屋がない感じなのかな。コンビニはあるけど……うーん、仕方ない。スマホを取り出す。
ぼくは『食品配送サービス』アプリをタップした。
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