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エッチなのもほどほどにしないといけない

  うどん屋さんでおやつを食べていると、お気に入りのスマートウォッチが振動した。通知画面を見るとどうやら通販サイトからの「ブラックフライデーセール実施中」というメールが届いたようだ。普段ならおやつの時間を邪魔する宣伝メールなんて無視するところだけど、最近ネットニュースやSNSではやけに「ブラックフライデー」「あれが欲しい!」「これを買ったよ!」なんて話で盛り上がっているし、こうも話題になっているとさすがのぼくでも何かいいものがあるのかなと気になってしまう。うどん屋さんのサイドメニューのさつまいも天ぷらをかじりながら今必要なものを考えると、案外たくさんのものが思い浮かぶ。パソコン用品とか食べ物とかは都度購入しているけど、家の中でしか使わないものはついつい後回しになってしまっている。例えばぼくが冬に着ている部屋着なんかはもう随分すり切れて毛玉だらけだ。こういうものは緊急性に乏しいから買い替えのタイミングが難しい。とりあえず使えているから「買い替えるのは無駄遣いかな?」「もうしばらくは使えるかな?」なんて躊躇してしまう訳だ。よくよく考えてみたら同じようにくたびれてしまっている物がたくさん思い出される。タオルももう何年使っているか分からないし、風呂場の足拭きマットも吸水性が落ちている気がする。それ以外に必要な物で言えば、普段必要な消耗品類をこの機会に買いだめしておくのも悪くないし、後は欲しかったけど値段を理由に買わなかった物が予算の範囲内まで値引きされていたら買ってしまうのも手だろう。そうとなったらセールで何がお安くなっているのかチェックしたいところだ。うどんを食べきった汁にオプションの舞茸の天ぷらを浸してバリバリ味わうと、トレイを返却口に戻してすぐに帰路の駅を目指した。

  帰宅してかばんをベッドに投げ出し、脱ぎ捨ててあったスウェットを着てパソコンの前に座った。ブラウザでさっきのメールの特設URLから通販サイト「クマゾン」を開くとセール中の商品一覧が表示される。ええっ、こんなにお安くなっている商品があるんだね。数が多すぎてとても全部はチェックし切れそうにない。しかもてっきり型落ちの家電や聞いたことのないブランドの飲料水が叩き売りされているのかと思っていたけどちゃんと最新の家電なんかも用意されているみたいだ。……へえ、これならみんなが騒ぐのも無理はないね。ちょっといいなと思っていたけど物欲を抑えていたものまでついつい欲しくなってしまう。実際これだけお安いなら思い切って買ってしまっても……と考えてしまうくらいだ。いけないな、これじゃ目移りしてしまって際限なく買い物をしてしまいそうだ。とりあえず絶対に買うつもりのものに絞ってお茶や炭酸水のケース、おやつのスナック、タオルセット、洗剤などの消耗品、後は一本しかなくて不自由していた充電ケーブルや、枚数が増えすぎて収まらないパンツを入れる衣装ボックスなどを追加した。思いつくままにカートに突っ込んでしまったけど、合計金額を見るとまだ七千円ほどだ。じゃあ新しい部屋着は奮発してちょっとふわふわのいいものにしようね。たっぷり裏起毛が施されているという謳い文句の部屋着をカートに入れるとようやく合計金額は一万円ほどになった。よし、ここまでは全然無駄遣いはしていないぞ。これ以上最新家電やお菓子のページなんかを見ていると、買い物が大好きなぼくのことだからそれほどなくても困らないものを買ってしまうだろうし、ここで一旦お会計してしまっていいだろう。ブラックフライデーのセール期間はまだ続くようだし、もしどうしても欲しいものを思いついたらまた買えばいい。マウスカーソルを「注文する」ボタンに合わせたところで、ふとその側にある「こんなものもオススメです」が目に入った。カートに入れたものや閲覧履歴を元にユーザーが欲しそうなものを自動でオススメしてくるアレだ。実際そこにはぼくが思わず買ってしまいそうなものが並んでいる。ワンランク上のふわふわタオル、こぼれそうな程のフルーツが盛り付けられている高級菓子、機能性が高くデザインもいい部屋着。どれも無くても困りはしないものだけど、たった数百円でQoLが上がるのなら購入もやぶさかでない。ちゃんと知っているメーカー製でレビューも良いからものは悪くなさそうだ……と自分に言い訳をして、カート内の安いタオルをちょっといいタオルに入れ替えた。お菓子の誘惑に流されなかった自分を褒めてあげたい。と、今度こそ「注文する」にマウスカーソルを合わせたところで再度更新されたオススメリストが表示された。リストには「あったか家電特集」と銘打って加湿空気清浄機が並んでいる。毛並みとお肌を大事にするぼくとしては必要……というか冬になると粘膜が乾燥して目のシパシパやくしゃみが止まらなくなるからすでに加湿器を使ってはいるのだけど、それは安いヤツだから自動湿度調整なんて機能はついていなくて、水を入れたら入れただけ加湿する。湿度が際限なく上がるから暖房時につけると梅雨時みたいに蒸し暑くなってしまうし、窓やサッシが結露してドボドボになってしまう。加湿したらした分だけサッシに水が溜まるわけだ。いつかカビが生えてしまわないか気になってしまう。おまけに湿度が高すぎて毛がくりくりしてしまう。かといって切るとくしゃみが止まらなくなったり朝起きると目がしょぼしょぼして不快になってしまう。この加湿器でベストな湿度を保つためには湿度を見ながら電源をつけたり消したりしなくてはならない訳だけど、そんな面倒臭いことはしていられないし、寝ている間はどうにもならない。それがどうだろう、この加湿空気清浄機は湿度によって運転の強さを変えてくれるし、ほこりや臭いもとってくれる。これはマストバイなんじゃないだろうか。気になるお値段は……えっ、十四畳用が一万五千円だって? いい空気清浄機なんて二、三万円するものだと思っていたけど、いい時代になったものだね。これならそれほど悩まずに購入出来るというものだ。……と思ったら在庫がゼロでボタンがグレーアウトしている。ああ、やっぱりいいものはみんな欲しがるんだね。うどんに贅沢に天ぷらを二個も追加してゆっくり食べている場合じゃなかった。

  残念がるのはまだ早い。ブラックフライデーセールは「クマゾン」以外でもやっている。そう言えば電気屋はポイントが店舗・Webで共通だから、お店でなんやかんや買ったときに結構貯まっているはずだ。さっそく電気屋のサイトを開くと案の定セールをやっている。さっそくさっきの加湿器の型番で検索すると、お値段こそ一万六千円と千円高いもののポイント還元率を考えれば同じくらいになる。しかも保有ポイントが五千円分あるから結局「クマゾン」で買うより圧倒的に安い。迷わずにカートに入れて「注文する」ボタンにカーソルを置いたところで今度は店舗の催し物情報が目に入った。へえ、さすがにセールの時期は店舗でもイベントをやっているんだね。福引きやゲーム大会をはじめ、調理家電を利用したお料理イベントまでやっているようだ。みんな冬に必要なものをたくさん買い込んで、家族でクリスマスを楽しんで、そしてお正月を迎えるわけだね。まあぼくに関係あるのはクリスマスケーキと正月料理以外はセールの加湿器くらいだけど、お祭り好きとしてはそういう年末の期待感に溢れた空気は惹かれるものがある。加湿器くらいなら通販で買っても間違いはないと思うけど、ついでがあるなら現物を見てから買うというのも悪くはない。とりあえず「クマゾン」の購入を確定させてパソコンをスリープにした。

  *

  週末の街はどこか慌ただしくて何かに急かされているような感じがする。引っぱり出したコートにお気に入りのマフラーを巻いて街を歩きまわると、繁忙期の商店の店員さん達はみんなどこか早口のようだし、配送業の人達はいつもよりたくさん台車に荷物を載せ、いつもよりさらに足早だ。そんな忙しない空気と、それを尻目に休日を楽しむ人達とのコントラストが年末の独特の空気を生んでいる。アスファルトと靴の間で落ち葉が砕ける音を聞きながら、ぼくは……さっき和菓子屋で買っただんごを食べつつ電気屋に向かった。だって店のおばちゃんにけたたましい声で強引に呼び込みされたんだもん。ああ、食べた後の串はちゃんとバッグに入れたから大丈夫。

  電気屋に入ると「ブラックフライデーセール」と書かれたポスターや幕がそこらじゅうにあって、お買い得な最新家電が並んでいる。まあ四十万円のテレビが三十六万円になっているとかそういう話だからお財布に優しい加湿器を買いたいぼくには関係ないけど、それでもまあまあな額が値引きされているのを見ると思わず「自分の欲しい物も値引きされてないだろうか?」と期待させてくる。とりあえず加湿器を探しに白物家電の方に足を運ぶと【在庫処分!】と書かれた洗濯機コーナーには奥様方が殺到して、洗濯機を眺めたりふたを開閉したり店員さんの話を聞いたりしている。子連れのお父さん方が遠巻きに洗濯機を吟味する奥様を眺める図が微笑ましい。それを横目に見ながら隣のコーナーに回ると売れ筋の空気清浄機が並んでいた。お目当ての空気清浄機はちゃんと在庫がある。サイズにも騒音も問題はなさそうだ。これでぼくは加湿器をオンオフしまくる生活から解放されるのだ。さっそく注文用の札をひとつ取ると、カウンターで購入と配送手続きを済ませた。

  さて、これで夕方にはぼくの部屋に加湿器が届く寸法だ。手ぶらだからもう少し見て回って帰ろうかな。無駄遣いするからと最近チェックしていなかった黒物家電コーナーに立ち寄り、早くもクリスマスカラーのモールが至る所に取り付けられたクリスマスセールコーナーに来た。目立つところには最新型のゲーム機が並んでいて、大人も子供も目を輝かせて張り付いている。ゲームの試遊機には行列が出来ているけど、後にあんなに人が待っていたらぼくだったら落ちついてプレイできないな。まあこのあたりは今のところぼくには関係ないかな――他のコーナーに移ろうと歩き出したところで、ゲームコーナー奥で踊っている人が見えた。よく見るとちょっと広めに取られた空間で変なバイザーというかディスプレイというか、目を覆い隠すようなものを着けている子供が両手のコントローラーのようなものを振っていて、そこから数メートル離れたところで店員さんが何やら説明している。店員さんの隣には観客側に向けられた大型ディスプレイがあって、忙しなく3D映像が動いている。ははあ、頭についているあれはVRディスプレイっていうやつだね。あの中が立体映像が映るスクリーンになっていて、あたかも実際に3D空間の中にいるように感じられるというやつだ。それであの子供が見ている風景があのディスプレイに映し出されている訳だな。ぼくが小さい頃にはバーチャルリアリティといったら研究者がヘルメットみたいなゴツゴツした機材をつけてやっていたイメージがあるけど、もうあんなものが一般家庭向けに販売されているんだね。特別欲しいと思っている訳ではないけど、新しいもの好きのぼくとしては純粋に今まで体験したことがないものを体験してみたいとは思う。でも周りには次にVRゲームをプレイしたいであろう子供達がいっぱい集まっているからぼくにお鉢が回ってくることはないだろう。ディスプレイに映し出されたアドベンチャーゲームがひと段落ついたところで、店員さんは子供のVRディスプレイを外してマイクを向けた。

  「――はーい、ありがとうございました! どうでしたか?」

  「え、あの、すご、本当にそこにあって、バーンってなって……」

  子供が興奮気味に手をぶんぶん振り回しながら話す。ふーん、そんなに凄いんだろうか。でもまあ子供だから大げさに言ってるのかも知れないけどさ。興奮気味の子供は観客の中に戻ると、一緒に来ていた友達と思しき子達に早口で興奮を伝えている。

  「じゃあ次の方ー? やってみたい方は……」

  店員さんが観衆に声をかけて見回すけど、意外にも手は上がらない。これはチャンスかも知れないけど、これだけの人達に見られながら珍妙な踊りをするのはちょっと恥ずかしい。するとすぐ隣にいた子連れの猪おじさんが鼻を鳴らしながら前に出た。恰幅のいい腹の出たおじさんは尻をボリボリ掻きながら豪快に笑う。

  「がはは、子供らがやらんのやったらワシがやろか」

  「はーいありがとうございます! じゃあこれを着けていただいて……」

  おじさんは珍妙なディスプレイを着けてコントローラーを握った。下町感あふれるおじさんが未来感あふれるデバイスを装着しているのはどこか面白い。店員さんが説明するとおじさんはコントローラーを空中に突き出してボタンを押した。画面を見るとメニュー画面から何かのアプリを起動したようだった。途端におじさんはビクンと驚くと、コントローラーを振り回して「ふんッ」「そりゃッ」と振り回し始めた。画面を見るとおじさんは今城塞の上で剣を持ってモンスターと戦っているようだ。時折格好いいポーズを決めたりビシッと指を突き上げて魔法を撃ったりしているとつい笑ってしまうけど、逆に言えばまったく違う人物になりきれる技術というのはなかなか夢のあることなのかも知れない。おじさんは今自分の中では間違いなく鎧の騎士なのだろう。そうして見守っていると、急におじさんがガクッと内股になり「んおぉぉぉ……ほぉ……」などと情けない声を上げた。画面を見るとどうやら城塞の上から落下してしまったようだ。GAME OVERの文字が表示されるとおじさんはディスプレイを取って笑う。

  「が、ガハハ! タマ縮み上がったわ! ションベン漏らすとこやった」

  「あはは、大丈夫でしたか? ありがとうございましたー」

  おじさんの体験が終わったかと思いきや、おじさんはステージ脇に引っ込もうとする店員さんを捕まえて耳打ちした。でも声が大きすぎて全部聞こえている。

  「コレ、やらしいコトも出来るんか? エロビデオとか……」

  「え? え、ええまあ。ネットでそういうソフトも販売してますが……」

  「よしゃ、買うた!」

  おじさんは股間を揉みながら子供を連れてレジに向かった。ふうん、そういうソフトもあるんだね。大人の男性としては大いに気になる部分ではあるけど、それより気になるのは購入したVRディスプレイを子供の遊びとおじさんのエロ目的で共有するのだろうか。保存されたエッチなファイルが子供に見つからないように祈りたいところだ。いやそんなことよりおじさんはVRを満喫していたけどそんなにリアルなのだろうか。落下といってもゲーム内のことなのにおじさんは本当に高いところから落ちたかのように反応していた。ぼくが思っているよりもずっと没入感があるのだろうか。もしそうだとしたらアダルトコンテンツがあることで即決したおじさんの気持ちが分かるというものだ。

  「――ん、お兄さん、やってみたそうですね」

  気がつくとさっきの店員さんがぼくの顔を覗き込んでいた。自然と観客の目線もぼくに集まる。どうやらぼくはアホみたいな顔でぽけらーと物欲しそうにVR機材のほうを見つめて考え込んでいたらしい。恥ずかしさで顔がすでに熱くなっているからすいませんと言って逃げ出したいところだけど、すでに注目を浴びていてやっぱりいいですと言えそうな雰囲気ではない。もちろんやってみたいという気持ちはとてもある。それなら開き直ってやってみるしかないのではないだろうか。最初はこんなおじ……それなりの年齢のぼくが子供の前で珍妙な踊りを披露するのはちょっと憚られると思っていたけど、さっきのおじさんの勇士を見てちょっと吹っ切れた感はある。ぼくはステージに上がるとさっそく指示通りにディスプレイを被った。そこには森の風景が映し出されている。もちろんこんな小型のデバイスだからパソコンのCGのように実物と見まごうほど美麗な訳ではないのだけど、呼吸の度に揺れる体の微妙な動きに対応して微妙に景色が動く様にはかなりの説得力があり、本当にその世界にいるかのように感じられる。驚いてキョロキョロ顔を見回すと前面だけでなく横や背後や上下にまで三六〇度景色が繋がっている。木の裏を覗き込むと裏側がちゃんと見えるようになっている。おまけに耳元のスピーカーが森の鳥たちのさえずりや風の音を耳元に運び、まさに他の現実の中に体ごとどっぷりと沈んでいるようだ。手を持ち上げたり下を見たりして自分の体を見ると、ぼくはちょっとかっこいいコートを着たスタイルのいい男性といった感じだ。手や体の揺れも実際のぼくとリンクしており、本当にぼくがその人になったかのように錯覚する。店員さんの指示に従ってコントローラーのスティックを倒すと体が前に歩き出した。さすがに広大な世界をお茶の間で歩き回る訳にはいかないからそこはスティックを使う訳だね。草を踏みしめて歩き出すと景色は本当に歩いているかのように上下して移り変わる。

  「じゃあ向こうに見える建物に入ってくださいねー」

  数十メートル向こうには古い洋館が建っている。大きな壁に囲まれて訪問者を拒むかのようだ。言われた通りに洋館に向かうと少しずつ暗雲が立ちこめ、時間も夜に近づいていく。小鳥のさえずりは消えてオオカミの遠吠えに変わり、そよ風の音は泣くような悲鳴を上げ、ざわざわと木々を揺らしていく。コントローラーはじわじわと振動をはじめ、ただでさえこの状況を飲み込めていないぼくの不安をかきたててくる。どうしたんだろう、ぼくはさわやかな森の中を歩くVRお試しアドベンチャーゲームをプレイしていたんじゃないんだろうか。それともここは色々あるステージの一種類ということなのだろうか。……うん、まあこういうのはずっと綺麗な景色だけが続いても中だるみしてしまうから、こういった感じでわざと緩急がつけられているのだろう。この館に入ればきっとまた違った豪奢な風景が広がっているはずだ。人を拒むかのような洋館の冷たい鉄扉をくぐって木製の大扉のノッカーを叩くと、コントローラーからガチャリと錠前が外れるような振動が伝わった後、ギギギと朽ちた木がむせび泣くような音がして重々しく扉が開いた。暗転が開けたのち、そこには映画にあるような大階段や飾り鎧が設置されていて、豪華な洋館のエントランスホールが広がっている。……ただ美しいシャンデリアや燭台なんて明るいものはなくて、代わりに主人公がつけたフラッシュライトだけが心細く当たりを照らしている。恐る恐る当たりを調べると暖炉には炭しか残っていないし、ワインボトルは割れてしまって中身がこぼれているし、少しスティックを倒すと木の床がうぐいす張りのように不安な音を立てて軋む。もうここから美しい場面に転換する気がしない。するとどこか遠くの方からパリィンとガラスの割れる音が響き、音楽は腹の底から震え上がらせるようなオーケストレーションに変わった。咄嗟にあたりを見回す暇も無く、画面には「TUTORIAL」の文字が表示される。

  【A:銃を抜く B:リロード RT:発射】

  ちくしょう! 騙されたよ! お気楽VR体感ゲームかと思ったらFPSホラーじゃない! 店員は「ここからは頑張って生き残ってくださいね」と宣う。いいかい、ホラーというのは誰かとやることで怖さが激減するものだけど、VRを被って音声もスピーカーにかき消されているぼくにとっては本当にひとりで朽ちた洋館を探索するかのごとく恐怖なのだ。しかも普通のゲームなら画面から遠ざかるとかちょっと顔を背けるとか出来るものだけど、今のぼくは文字通り避けようのない恐怖を突きつけられているのだ。いよいよ向こうから皮膚の剥がれた血みどろの死霊犬達が迫る。ああ、ぼくが迫られたかったのはさっきのおじさんが欲しがっていた肉感的なコンテンツであって、こういった生きてない肉塊の類いではないのに。けどやるしかない。あんな気持ち悪いものに襲われるのは御免だ。ぼくは背中に持っていたらしいショットガンを抜くと、飛びかかってくる犬に一発浴びせた。「ギャンッ」という悲鳴とともに犬は倒れた。いいぞ、こういうアクションゲームは苦手だけど最初のステージということであまり難しくないのかも知れない。スティックで距離をとりながら少しずつ犬の数を減らしていくとちょっとだけ心の余裕が出来てきた。これくらいの難度ならぼくにも出来そうな気がする。最近のゲームは武器やパーツを切り替える必要があったり、新要素として索敵ドローンが飛ばせたりなど、リアルになった分やることが増えて操作が複雑になっているから、ぼくみたいなヘタクソにはちょっとついていけなくなっている。一方VRはコントローラーがシンプルな分、単純な操作でも爽快感を味わえるように作られているのだろう。調子に乗ってコントローラーを腰だめに構えると、映画の登場人物のような気持ちで敵の脳天に一発食らわせた――が、それに集中しすぎてあと一匹残っていたことに気付かなかった。崩れ落ちる敵の後から飛びかかる敵。急いで引き金を引いたけど弾切れだ。リロード操作をすると眼前に敵が迫っているというのに主人公はショットガンの弾を一発一発込めていく。そこはリアルじゃなくてよくない!? 全ての弾を込め終わり、あとコッキングするだけで撃てるというところでゾンビ犬がぼくに飛びかかった。目前数センチの位置におぞましい肉片が飛びかかり、思わずへっぴり腰になって縮こまる。普通のゲームなら主人公が敵に食われてもビクンと驚くくらいで終わりだけど、今回はリアルな体液にまみれたグロテスクなゾンビ犬が眼前まで来て牙を剥きだしにして襲いかかってくるのだ。もうだめだと思った瞬間、ぼくはゾンビ犬から目を逸らして後を向き、リアルにしゃがみ込んで頭を抱えた。当然ぼくはバリバリという音と共に犬に食われてしまって「GAME OVER」の血文字が表示されて終わった。目を閉じたまま縮こまっていると店員さんがディスプレイを外してくれた。我に返って目を開けると、さっきより随分増えた観客達がプルプル震えるぼくを見て拍手を送っていた。

  「はーい、では体験会は一旦休憩しまーす。ご注文の方はあちらのスタッフに……」

  店員さんが声をかけると観客達はフロアのあちこちに散り、数人は注文を受け付けているスタッフの方に歩いていった。あの人たちは本気でぼくの珍妙なダンスを見た上でVRディスプレイが欲しいと思ったのだろうか。さっきのサマを思い出してみると、ぼくは体験が始まった最初は物珍しくキョロキョロして、洋館に入ったらオドオドして、ガラスが割れたらへっぴり腰で銃を撃って、途中で余裕が出来たらスター気取りでかっこよく銃を撃っていたものの、最終的には襲われて頭を抱えて子供みたいにしゃがみ込んで震えていたはずだ。子供も含めた大勢が見ていたと考えるととても恥ずかしい。そそくさと観客の人混みに逃げ込もうとして立ち上がるとフラフラする。緊張で気付いていなかったみたいだけどアレは随分酔うみたいだ。頭を抑えてその場に立ち尽くすぼくにさっきの店員さんが声を掛けてくれた。

  「大丈夫ですか? 慣れないと酔う人多いんですよね。スタッフ用の部屋でよければ休んでいきます?」

  本音を言えば一刻も早く逃げ出したいところだけど、気分が悪くて急いで歩くのはちょっと難しい。少し休ませて貰えるならありがたい。店員さんはぼくをスタッフ用通路に案内して休憩室に入れてくれた。彼はウォーターサーバーから水をふたつ出すと、「店員モード」をちょっと解除して話し出した。

  「いやー、お兄さんのお陰で盛り上がりましたよ。何台か売れたしオレの成績も爆上がりッス」

  店員さんは「よければ」といって自分の昼食のドーナツを分けてくれた。VR機器はまだ新しいものだから注目度や盛り上がりの割には数が出ないらしい。確かに娯楽用途にしてはちょっと高いし、随分小型化しているとはいえ長時間重さのあるものを頭につけるのには躊躇する人もいるだろう。ぼくとしてもこれまでにない体験が出来るのだから安価に手に入るなら欲しいけど、何万円もかかるとなると他のものにお金をかけたいところだ。

  「で、コレなんスけど。お兄さん好きじゃないかって……えっと」

  店員さんはVRディスプレイをつけるとコントローラーで空間を操作した。改めて見ると何もない場所を触ったり見たりしているのはなかなか変わった風景だ。やがて彼は「よし」と言ってディスプレイをぼくに渡した。まだ酔いが残っているのでやんわり断ると、これはあまり動かないから大丈夫だといって強引に押しつけてきた。もはや店員というよりどこかマニアックなジャンルのエロ本を渡すときの悪友のような振る舞いなんだけど大丈夫だろうか。まあ酔わないのなら色々なVRコンテンツを見るのはやぶさかでない。ディスプレイを受け取って頭につけると……案の定生まれたままの姿の二人が体をぶつけ合って声を上げている映像が再生されていた。「お兄さん好きじゃないかって」というのはどういうことか問い詰めたいけど、これは確かに今までにない体験だ。目の前に立体的な景色が広がって、頭を動かせば部屋の様子が見渡せて、実際に手の届くような場所で行為をなさっているのだ。店員さんの話によればアダルトコンテンツ用に購入される人は少なくないらしく、そういうコンテンツも案外多いらしい。きっとさっきのおじさんみたいな人達が買うのだろう。どんなジャンルでもアダルトコンテンツが市場の牽引役になる例は少なくないというし、そういう意味ではエッチな人達にもガンバッて市場を活性化していただきたいところだ。

  「まあ、あれだけ楽しんでもらえるならきっと買っても楽しめるッスよ」

  そういって店員さんは彼が担当している体験会のスケジュールやセールがありそうな日程を教えてくれた。ふーん……これは絶対に必要といった類のものではないけど、今までにない体験が出来るものだから珍しがられるだろうし、クリスマスやちょっとした娯楽用に買うのはいいかも知れないね。弟が買ってくれないだろうか。くれないだろうな。というかそれがメインでないにせよ、どうせ少なからずアダルト用途に使うことがミエミエのものを兄弟からもらうのはちょっと嫌だ。とりあえず購入も考えておきますと言って、二人でしばらくゲームの話なんかをしながらドーナツを食べ、休憩時間がそろそろ終わるというところで彼と別れた。

  帰宅してベッドでくつろいでいると電気屋の当日配送サービスから加湿空気清浄機が届いた。フィルターを組み込んで水を入れてスイッチを押すと、静かな駆動音と共に少しだけしっとりした風が流れる。インジケーターには湿度が表示されており、これに応じて駆動を強めたり弱めたりしてくれるみたいだ。ほこりや臭いも抑えられるというのだから、特に冬毛が抜けがちな今の時期にもほこりが舞わないし、これ一台で家の空気事情がかなりよくなるのではないだろうか。試しにそばでおならをしてみたらちゃんと急速稼働し始めた。通常時より強めの送風音に何か怒られているようで申し訳ない気もするけど、ともかくこれで自分では気づかないようなこもった臭いも軽減されるかもしれないね。科学技術がおじ……ぼくの臭いにどこまで抗えるのかが見ものだ。今回のセールでは地味なものばかりを買ったけど、どれもQoL向上のためにはいい買い物をしたと言ってよさそうだ。こういうことの積み重ねが毎日を平穏にしていくんだね。帰りにコンビニで買ってきたチーズタルトをホット紅茶でいただいていると、スマホからベートーベンの「運命」が鳴り響いた。町内会長さんからの電話は着信音を変えているのだ。いつものことだけどいやな予感がする。というか彼女からの電話という時点でもう不吉な何かしらであることが確定している。かと言って出ないと勝手に町内会の役員などに決められてしまうので放置しておくわけにもいかない。うんざりしながらも覚悟を決めて受話ボタンを押した。

  「ああ湯川くん? 年末年始の町内行事だけど」

  今に始まったことではないけど、町内会長さんにはあらかじめその日は用事があると伝えておいても勝手に町内行事の人足に入れられる。なので最近はずっと海外出張ですと言い張っているのだけど何故か通用しない。まあ実際は家か近所にいるのでコンビニとかでサンダル姿で買い物しているところを目撃されてしまっている可能性は否めない。電話口の町内会長さんはぼくの困惑や予定を無視して年末年始の行事を並べ立てる。

  「今年はビンゴ大会もあるから楽しみにね」

  知ってる、町内会のビンゴ大会といったらまな板とか洗剤とかが当たるやつだ。豪華賞品の名を借りているけどあくまで個人商店の在庫処分品だ。当選本数が多いから何かしらが当たらないほうが難しいけど、当たるというだけで実際にはロクなものが当たらない。一度安価なギフトセットをそのまま渡されたことさえある。中にはハムが入っていたからある意味アタリではあるのだろうけど、安いフォントで印字された熨斗紙の表書きには「お中元」と書かれていたからそもそも半年前に作られた売れ残りの食品を押しつけられたことになる。在庫処分品や賞味期限切れの食品を貰うためだけに町内行事に参加して貴重なイベントシーズンを捧げるのはちょっと御免だ。あれこれリクツをつけて町内会長さんの猛攻をかわし続ける。

  「そう……うーん、じゃああれ誰にあげようかしら。犬飼さんのおじちゃんがボーリング大会で当ててきたやつ。なんだっけねえ、パソコンにつないでゲームするやつを町内の催しにってくれたんだけど。ちょっとおとーさん? あれ何だったっけ」

  電話口から町内会長さんの声が少し遠ざかって、もぞもぞと会話するのが聞こえる。

  「役員は年配ばっかりだからみんな分からないし、湯川くんがビンゴに当たったら優先的にあげようって言ってたんだけど……仕方ないわねえ、他に貰ってくれる人を探さないと。そうそう『ぶぃ……あーる』とかいうやつだったかしら」

  地域のために尽くして困っているお年寄り達を支えるのはぼくたち若者の義務ではないだろうか。年末年始は確かに遊びたい気分ではあるけど具体的に何らかの予定で埋まっている訳ではないし、たまには世の中に奉仕する喜びを感じることも豊かで穏やかな心を育むためには必要なことだ。偶然不要な物品を処分したい町内会と偶然それを受け取る準備があるぼくの思惑が合致しただけで、それを貰うことで喜ばれこそすれバチが当たることなどないだろう。ぼくが勇敢にも催し物への参加を申し出ると、町内会長さんは明らかにしてやったりといった声の調子になった。

  「それじゃ、詳細は回覧板でね」

  電話はプツリと切れた。我ながらチョロいとは思う。こんなだから断っても町内会の用事を押しつけられるのではないだろうか。けどほんのちょっとの拘束時間で数万円もするおもちゃが貰えるのが魅力的だというのは事実だ。まだ当たった訳でもないのにちょっとウキウキしながらお気に入りのナイトキャップをかぶるとシーツの間にすべり込んだ。

  見覚えのある薄暗い洋館の中で木床の上を一歩後ずさると、ギイという音と共に床板が少し沈み込む。後ろにバランスを崩したぼくの前では今にもゾンビ犬が飛びかかろうと牙を剥いてよだれを垂らしている。咄嗟に空間をまさぐってみたけどあるはずのショットガンがない。代わりにそばの椅子を持ち上げ、へっぴり腰で振り回して必死にゾンビ犬を払いのけた。状況が少し違うけどこれはVRで体験した場所のはずだ。ただショットガンは持っていないし椅子しかない。戦っていても勝てる訳がない。椅子を捨てて逃げ惑いながら隣の部屋に逃げ出すと、幸運なことにショットガンと散弾が落ちていた。震える手で一発一発弾丸を込めていく。ゲームならボタンひとつでリロードされるけど、実際にやったことなんてないし恐怖で震えているのだから手からはボロボロ弾丸がこぼれる。なんとか込め終わるとさっきの部屋に戻ってゾンビ犬に一撃お見舞いした。いやな音がして血がまき散らされると、空気がはらんでいる鉄と生き物の臭いが濃くなる。犬から目を逸らして出口を探しに走り回ると、エントランスホールの扉の前に見たことのないクリーチャーが立ちはだかっていた。身長は二メートル以上あるだろうか、理科の標本のように皮はなく筋肉がむき出しになっていて、ゲームのモーションバグのようなガクガクとした生き物らしからぬ動きがぼくの恐怖心を最大限までつり上げる。広いエントランスホールの向こうにいる敵まではまだ二十メートルくらいある。襲われる前に倒してしまえと敵に向けてショットガンを構えようとすると、敵はコンマ数秒の間にその距離を一メートルまで詰めてきて、ぼくの前の前でピタリと静止した。腐った屍肉と血の臭いが鼻を突くと胃液が喉元までせり上がる。銃口を敵に向けるまでのほんの一瞬の間に敵は無慈悲にもショットガンを払いのけた。もう武器はないし、この速さから逃げる術もない。膝を震わせながらもその場所から動けないでいると、敵は体液にまみれて収縮を繰り返す筋肉を震わせながら、ぼくの目前五センチのところに顔を動かした。もうぼくは食われるのだろうと悟ったけど、生を諦めたからといって恐怖心が無くなる訳ではない。逃れようのない恐怖に晒されて数秒間を何十分もに錯覚しながら、やがて敵の歯がぼくの首元に食い込んで体を砕かれ引き千切られる感触や音を意識が無くなるまで感じていた――

  手首に激痛を感じて飛び起きた。状況を整理するとぼくは悪夢を見ていたらしく、暴れてそばの目覚まし時計を吹っ飛ばした痛みで目が覚めたようだ。しばらくして心臓が落ちつくと、起き上がってペットボトルの水を飲んで心を落ち着けた。考えるにVRの体験がぼくの想像力で補強されて夢に出てきてしまったのだろう。VRでの映像はさすがにプリレンダムービーのようにリアルだった訳ではないけど、それでも目の前で実際に繰り広げられるそれには現実と錯覚するには十分なリアリティがあった。その画像や音や臭いといった部分をぼくの頭が補ってしまったみたいだ。これまで生きてきて夢で飛び上がって起きたことなんて人生で一度も無いし、それで胸が早鐘のように打つというのも初めてだけど、つまりこれがどれほど怖かったかということだろう。そりゃあ捕食される感覚を現実味たっぷりで味わったのだから無理もない。目を閉じるとさっきの光景が再来してしまうので、ぼくは少し甘いものを食べて電気を点けたまま横になると、今さっきの疲労からかすぐに意識が溶けていった。

  *

  昨夜は酷い夢を見たね。昔のホラーゲームは画質が荒かったし音楽もシンプルだったけど、今はすべてが良くなっているから本当に怖い。これで本当に現実さながらのクリーチャー共とVRで戦うゲームなんかが出たらちょっと正気ではいられなさそうだ。とにかくぼくはもうVRホラーゲームはこりごりだ。せいぜいレトロホラーゲームあたりを人がプレイして叫んでいるのを微笑ましく見ているくらいが丁度いいのかも知れない。とはいえVRゲームには三次元空間を使ったパズルや、現実空間に本当に存在するかのようにかわいいキャラクターを映し出せるゲームもあるみたいだ。ぼくはそういう和やかなコンテンツを体験して癒されたいものだ。あとはまあ、メインとしてではなくてあくまでオプションとしてだよ? エッチなコンテンツもなくもないから、そういうのを楽しむのも悪くはないだろう。

  *

  町内会の忘年会会場は町内の定食屋さんが店の座敷を貸してくれている。司会用のマイクスピーカーとビンゴ大会の賞品を設置し終わる頃にはぽつりぽつりと町内のおじさまおばさま方が集合しはじめていて、その一部はすでにお酒が入っているようにも見える。司会の挨拶も終わっていないのに酒をねだるおじさんたちをそばの人達がなだめている内にいよいよ忘年会は始まった。あまり誰も聞いていない会長さんや偉いさん達の挨拶が終わると、待ってましたとばかりにビールの栓が開く音があちこちに響いた。ぼくはビールが苦手だからオレンジジュースを飲みながら運ばれてきた料理を静かにつつく。やがて会場が盛り上がってきた頃にガラリと店の扉が開くと、作業服を来て工具箱らしきものを持った猪のおじさんが「よ」と入って来た。あれはVR体験会のときのスケベ猪おじさんじゃないか。店のおじさんが彼を店の奥に招き入れると、しばらく話し声や電動ドライバーの音がしたりして、すぐに二人は戻って来た。

  「ネジが緩んで金具が外れとっただけやな」

  「そうか、すまんな。じゃあ晩飯食ってけ」

  猪おじさんはニカリと笑うと忘年会の近くの席に座った。すぐに運ばれてきたビールをちびちびやりながら忘年会の様子を見ているようだ。周りの様子から察するに、おじさんは水道屋さんか何かで店の修理をしに来たようだ。忘年会参加者と少し話したりもしているから、この辺りの店の人達はみんなお世話になっているのかも知れない。

  「えー、そろそろビンゴ大会の時間に移ろうと思います」

  会場が沸く。大抵はろくなものが当たらないのだけど、一応テレビや旅行券なんかも含まれている。まあテレビは三十型未満だし旅行券は日帰りのものだけど。それでもビール一本でも当たれば出来上がったおじさん達の話の種にはなる訳だ。参加者にビンゴカードが行き渡ると司会者が猪おじさんに声を掛けた。

  「良さんもやる?」

  「ええんか? ワシ隣の町のモンやで」

  「いいっていいって。ねえ、みなさん?」

  最初からみんなビンゴの賞品にそこまで期待してないから反対意見なんて出ない。まあぼくとしては少しでもVRの当たる確率は下げたくないところだけど、年末のこういう雰囲気にケチをつけるほど不寛容ではない。猪おじさんがビールを持って座敷に座ると場は和やかな雰囲気に包まれる。司会者はビンゴカードをおじさんに渡した。

  「ほんで、何が当たるんや」

  「並んでるあれとあれと……あれだね」

  「……ん? おお、珍しいモンが置いとるやないか。ワシも持っとるで、VR」

  「そうなの? 年寄りはみんな何に使うか分からないから、そこの湯川くんがビンゴしたら優先的にあげようって話なんだけど」

  「ほぉ」

  猪おじさんはジロジロぼくを見ると、ニヤニヤ笑い出した。

  「ニイちゃん、大人しい顔してヤラしいなぁ」

  「え? それってヤラしいもんなの?」

  「そやそや、スケベな動画観るもんやで」

  一斉にぼくに視線が集まる。いやちょっと待っていただきたい。確かにそういう用途も想定されてはいるけど、ぼくは純粋に楽しいパズルゲームやかわいいキャラ達とたわむれるコンテンツで遊びたいだけだ。必死に弁解するものの、アルコールの回り始めたスケベおじさんはすべてぼく=スケベという方向に話を曲げる。

  「男やからなぁ、最初は恥ずかしいからゲームに使うんやとか言うてても、けーっきょくスケベ動画観るためにしか使わんようになるやろ。ええてええて、男やったらみんな分かっとる。ゲームで遊ぶよりチンポで遊んだほうが楽しいからな」

  「えー、湯川くん意外だねえ、そんなの欲しがるなんて」

  「ワシもようけお世話になっとるで、ガハハ!」

  おじさんは股間の前で手を前後に動かして卑猥なジェスチャーをする。おばさん方はいやねえと苦笑しながらぼくの顔をチラチラ見ている気がする。ぼくは今「公衆の面前でエロ動画再生機を欲しがる男」として認識されているのだ。猪おじさんはもうぼくのことは忘れて、他の好色そうなおじさん方に如何にVRアダルトコンテンツが素晴らしいかを力説して、あまつさえ自分がどういうプレイをしているかを恥ずかしげも無く語っている。

  「オ○○動画見て○ナ○○メたらホンマに○ん○るみたいでなぁ。気持ちようてようけ飛ぶでぇ」

  もうやめてほしい。そんな話で盛り上がられたらまるでぼくまでそういうプレイをしたがっているかのようにみんなが勘違いするじゃない! なのにおじさんは止まることを知らない。再びぼくのところに来て、情報交換しようとか○○○○しようとかそんなことばかり話しかけてきて、背中や下腹部をやけになまめかしい手付きでなで回してくる。地獄のような状況でビンゴ大会は始まった――

  *

  あれからのことはよく覚えていない。ただ朝起きたら机の上にはVRディスプレイの箱が置いてあったので約束通りもらえたことは確かだ。とはいえ状況としては「特殊AV再生機を欲しがる男」から「特殊AV再生機を持ってる男」に昇格しただけなのでまったく芳しいとは言い難い。ただ一旦ご近所に広がった噂というものは今さらどうにもならないので、手に入れたからには開き直って楽しむしかない。色々なゲームをインストールしてぼくは年末をそれなりに楽しんだ。ちなみにアダルトコンテンツを楽しんだかどうかについては敢えて触れないけど、あのおじさんのせいでどことなく後ろめたさやしらけを感じてしまうところだ。

  *

  年が明けた。年末はVRをそれなりに楽しめたし、それを話のネタにSNS内や弟と盛り上がれた。唯一かつ最大の誤算はVRAVエロ猪おじさん事件だったけど、それはもう振り切るしかない。裏でどう思われているかは分からないけど、少なくとも近所の奥様方は年末の廃品回収の際普通に会釈してくれていた。まあ奥様方は今さら男の営みについていちいち気にするようなお年ではないし、ぼくも忘れてしまうのが一番だ。それよりも今日は気を取り直して元日の夜を楽しみたい。そうだね、ずいぶん冷え込むから大きいお風呂にでも入りたいかな。ぼくは風呂が好きという訳ではないしむしろ面倒臭がる方だけど、こういう機会だからたまには凝り固まった体をほぐしてゆっくりしたいし、銭湯のさまざまなお湯を楽しむのもリラックスできるだろう。……と考えるのはぼくだけではないようで、近所の銭湯の前には近隣のお客さんがたくさん来ていた。これではちょっと落ち着けないような気もするけど、せっかく出てきたのに何もせず帰るのもなんだし、多少人が多くても家のユニットバスよりはゆったり入れるはずだ。銭湯ののれんをくぐり、服を脱いで大浴場に入った。

  体を洗い終えてゆっくりお湯に浸かっていると、近所の体格のいいおじさんが近づいてきた。「よォ」と言ってぼくの横にくると、耳元に口を近づけた。

  「なァ、アレどうだ?」

  何のことかと尋ねたらVRディスプレイの調子を聞いていたらしい。立体感や映像の綺麗さやこれまでにないゲーム体験などについて正直に話していると、おじさんは話を遮ってアダルトコンテンツ体験について話せという。まあぼくはそこまでそっちに詳しい訳ではなかったのだけど、実際にいるようだとか迫力があるとか適当に答えていたら、満足そうにしながら「そうか」といって離れていった。なんなんだろう。

  面白そうなゲームはあっただろうかとストアのレビューを思い出していると、今度は人の良さそうなふっくらしたおじさんが軽く会釈してぼくの隣に座った。温厚でエッチな話など微塵も感じさせない子持ちのおじさんは、年末年始や近所の話題を済ませると一瞬間を置いて顔を近づけてきた。

  「ね、その……エッチなの、見てる?」

  正直にそんなに見てないと言うと、やだなあ隠しちゃってぇとか言いながらも何とかエッチな話に持って行こうとしているのが分かる。ああ、エッチな話がしたいけどし慣れてないんだな。おじさんがむっつりスケベなのはもう丸わかりだけど。まあ悪くないですよとか曖昧に答えていると、おじさんは納得出来ないらしく、決心したように鼻息を荒くした。

  「だからその……おっぱい揉みたいんだよぉ!」

  何を言っているのだろうか。ぼくはこのおじさんとほとんど話したことがないんだけど。適当にVRだから揉めないけど、そういうジャンルのを買えば雰囲気味わえるんじゃないですかと言うと、おじさんはへへへと笑い「嫁さんには内緒だよ」と小声で言って去っていった。

  一体何だと言うのだろうか。やっぱり話に尾ひれが付いてぼくがAV魔人みたいな話が飛び交って、結果彼らの中ではエロ動画鑑賞機と認識されているVRディスプレイに興味のあるおじさん達がこぞって話を聞きにきているのだろうか。これ以上巻き込まれる前に退散しよう。急いで銭湯を出るとぼくは人に話しかけられないように隠れながらそそくさと家まで帰った。

  *

  お正月セールをやっている今のうちにハンディ掃除機を買っておきたい。買うかずっと悩んでいたのだけど、空気清浄機のフィルターのホコリを除去するのにも便利そうなので買うことに決めたのだ。そんな訳でぼくはまだどこか浮かれた気分の街を抜けて電気屋に来ていた。家電コーナーでさっとハンディ掃除機を購入し、ついでにVRコーナーに足を運んだ。ぼくにはVRの情報を交換しあえる友達はいないから、あの店員さんに報告したり情報交換しておくのも悪くない。また場合によっては購入を迷っている面白いゲームアプリの評価を聞けるかも知れない。立ち寄ったVRコーナーでを見回すと、どうも今日は体験会をやっていないようだ。聞いてた話だと今日は体験会の日だったと思うんだけど。コーナーの棚を見ながら浮かない顔で首をかしげるあの店員さんがいたので聞いてみた。彼は不思議そうな顔で首をかしげる。

  「実は在庫が全部はけちゃったから今日はやってないんッス。変だなあ、クリスマスでさえこんなに売れなかったのに。なんかおじさん達がこぞって買いに来て……」

  ふと築くとVRコーナーで在庫切れになっている展示品を残念そうに眺めているのは銭湯で会ったふっくらしたおっぱいおじさんだ。……へえ、不思議なこともあるもんですねと言って、ぼくはおじさんに見つからないうちに退散した。

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