AdAd
  
森のオオカミ親分と薬師のぼく

  鬱蒼とした森の中で、枝葉の間をすりぬける弱々しい光だけが辺りをぼんやり浮かび上がらせる。聞こえるのは風が木の葉を揺らす音と、ぼくが持っている熊避け鈴のチリーンという音だけ。街から少し離れたこの場所にはぼく以外誰もいない。そんな場所でただひとり、ぼくは大きな袋を持って立ち尽くしていた。もう随分日が落ちてしまったけどまだ帰るわけにはいかないな。今日中にこの袋いっぱいの薬草を摘んでおかなければ現在治療している患者の薬が足りなくなってしまう。いつもならこのくらいすぐに集まるけど、今年は秋の初めにしては随分と冷え込むから野草薬草の生育があまりよくないらしく、採る量に成長が追いついていないのだ。おまけに寒さのせいで体調を崩す人が多いようで、木枯らしが吹いたころからうちの戸を叩く人々が絶えない。そのせいで冬を越すために作り溜めておいたストックの在庫にも手をつけている有様だ。このまま帰る訳にはいかない。このところ雨が多いから明日も摘みに来られるか分からないし、うちにとっての在庫切れとは患者さんの苦痛を伸ばしてしまうことと同義だ。薬師には薬がなければ何も出来ない。だから何としてでも今日のうちにもう少し採っておきたい。でも辺りの薬草はすべて摘み切ってしまっていて、残っているのは薬に使えないものばかりだ。このままこの辺りをうろついていても仕方がないし、今日は少し遠くまで足を運んでみるか。きっとこんなことになるだろうと思って、念のため小さなランタンを持って来たのは正解だった。背中の鞄にひっかけていたランタンを取り外してマッチで火を入れると、すでに闇に飲まれかけていた周りの景色がゆらゆらと浮かび上がる。ロウソクの火が揺れると周りの景色も揺らぐ。それが新たな場所に足を踏み入れるぼくの不安感を煽った。

  街灯が夜も街を照らす時代になってから、街の人達は本当の闇の怖さを忘れている。一度仕入れのために大きな街で一晩泊まったことがあるけど、夜の街のどこにでも光があって、闇はあくまで点在している感じだった。遅い時間でも家々から明かりが漏れている。そうして起きている人が多いから外には話し声や咳払いが漏れ聞こえていて、夜道を歩いていても孤独を感じるということがない。彼らは普段からそれしか見ていないから、闇に近寄らなければいいとすり込まれているのだ。でもぼくら田舎に住んでいる者にとっては違う。逆に闇の中に光が点在していて、火が照らす範囲だけを歩くことが出来るのだ。しかも田舎の人々はオイルの無駄にならないように早い時間にランプを消してしまうし、そうしたら全てが闇で何も見えない。本当に一ミリ先も見えないのだ。だから夜は食後に少し本を読んだり家族がいる家は少しみんなで話したりしたりするくらいで、早い時間に寝てしまう。夜中にトイレに行くくらいなら慣れたものだからまあ何とかなるけど、それでも夜は水分を摂り過ぎないようにする。おなかを壊したりしてトイレに駆け込むことになったら最悪だ。小さな街の側、しかも少し離れた場所で暮らすぼくにとって明かりを失うのはとてつもない恐怖だ。感覚が制限されて意識が鋭敏になってしまうから、周りの様子が分からず身動きが取れない恐怖が反響して増幅され、まるで体中の感覚器官にあらゆる不快感を延々と突きつけられ続けるような苦痛に襲われる。小さな虫が手の甲に触れたとき満足に殺すこともできないし、強風の夜に風が木々の間を通り抜ける不安な鳴りにはただただ耐えるしかないのだ。宇宙や深海に独り捨てられてしまうとしたら案外似たような感情なのかも知れない。

  森の奥を再び見渡すけど他の明かりも人工的な音もない。道なんて望むべくもなく、せいぜいぼくが来た方に草を踏んで固まった獣道があるくらいだ。さらに奥ともなれば誰かが立ち入ったことすらほとんどないかも知れない。こんな闇を奥へ進んでいくというのは正気の沙汰じゃないし、普段なら絶対に選択肢に入れることはない。思わずランタンの取っ手を握る手が汗ばむ。けど今は迷ってる時間すらない。もう数十分と経たない間に明かり無しでは身動きひとつ取れない場所と化してしまうのだから、むしろ今のうちに早く進んでしまった方がいい。でも――一応マッチは余分に持っているけど、もし水に落ちて濡れてしまったら? そうでなくても転んだりしてランタンが割れてしまったら? 足下はおろか一センチ先も見えないのだから、明かりが無くなればぼくは朝まで何時間も身動きひとつ取れない場所に朝が来るまで閉じ込められることになる。しかもこの森には野生動物がいるし、熊避け鈴を朝まで鳴らし続けなければならないから寝ることもできない。ああやだなあ、こんなところに自分から足を踏み入れなければならないなんて。ぼくはトボトボと重い足を引きずりながら、さらに深い森の奥へと進んでいった。

  何分ほど進んだだろうか。きっと十分も経っていないのだと思うけど、全神経で景色と音と空気を感じ、足下に注意を払い、ランタンが消えて暗闇に取り残される不安と戦いながら歩くのはものすごく消耗する。もう何時間もこうしているみたいだ。これからさらに薬草を探して摘むのか。絶望に押しつぶされそうになる。だけど怒っても泣いてもここからは逃げられない。一刻も早く全てを終わらせるしかない。ランタンを持つ手を伸ばして辺りを照らすものの、火の揺れと葉の揺れが薬草の影を揺らして酷く探しにくい。揺れないように、見逃さないようにゆーっくり見回すと、見覚えのある形の葉が目に入った。転ばないように近寄いてそれを摘み、袋の中に入れた。――そんなことを何十分繰り返したのだろうか、普段なら十分そこらでいっぱいになる薬草だけど、体感で一時間近くかけてやっと袋を満たした。……さて、目的は達成したけどここからまた引き返して帰るのか。もういやだ。こんな所にいたくない。ここまでは慎重に目的を達成するために動いていたけど、これで終わりとなると一気に行動が雑になり、ただここから逃避しようと焦ってしまう。いやきっと多少急いだって大丈夫、だってさっきこっちから来たんだし、目立った岩やせり出した木の根や地面の割れ目なんてなかった。ちょっとくらい急いだって大丈夫なはずだ。頭の片隅ではまずいと思っているのに、焦りと逃げ出したい気持ちがその念をかき消してしまう。そして――

  ――ゴスン。額に走る、鈍く重い衝撃。

  何が起こったのか分からないまま思考が現状を把握しようとしているうちに、徐々に今木の枝にぶつかってしまったことに思い至る。さっきまでは恐る恐る身をかがめていたから気付かなかったけど、上体を起こして走ったことでぶつかってしまったのだろう。よろめいて体がバランスを崩す。もう後ろに転ぶことはどうやっても避けられなさそうだ。それより考えたくもないことだけど――衝撃で手に持っていたランタンを離してしまった。放物線を描いて前方へ飛んでいったそれがまもなくどういう運命を辿るか、そしてそれがもう止めようがないこと、それによりこれからぼくを待っている悲惨な運命。そこまで考えたところで絶望と額の激痛が同時に胸を刺し、痛みに目がチカチカする。ランタンの金枠が地面に接地して大きくひしゃげて歪むのとほぼ同時に、ガラスがパキィと音を立てて飛び散る様子をただ見ていた。ガラスが割れてすぐ風に吹かれた火はフッと消えた。

  ――ああ。どうしよう。

  目の前にあったのは、想像していたとおり完全な暗闇。マッチは持っているけど火をつけたところで一秒と持たずに消えてしまうだろう。今はただ閉じられない意識に恐怖が突きつけられている。熊避け鈴もどこかに行ってしまったし、もう何も出来ないし、いっそ寝てしまいたいところだけど、恐怖とパニックで逆立ったこんな酷い精神状態じゃ寝られそうもない。ああ、これから朝までぼくは恐怖と戦い続けないといけないんだな。今十九時か二十時くらいで、夜が明けるのは五時過ぎってとこだな。ひとつだけ幸いなことに、疲弊して恐怖は諦観に取って代わり、もうこのまま死んだほうが楽だとか思っている間に、ぼくはほとんど気絶するように意識を無くしていった。

  フンフンフン……

  誰かの荒い呼吸音に意識が引き戻される。ぼくが言うのもなんだけど、こんな時間に真っ暗な森の中に誰かいるなんてことがあるだろうか。いや、鼻の利く野生動物だってまったく明かりが無い場所は避けるものだけど……もし野生動物だとしたら相手によっては殺されたり食べられたりするかも知れないぞ。これが何者かがはっきりするまでは下手に動かない方がいいかも知れない。気配を探りながら必死で死んだふりをしていると、まぶたを通して弱々しい光を感じた。ということは野生動物じゃなくて人だろうし、問答無用に食べられることはなさそうだ。そうだとしてもまだいい人かどうかは分からない。こんなところに居る時点で十分怪しい。あくまで死んだふりでまぶたは閉じたまま音や空気感に意識を集中する。すぐにゴソリと衣擦れの音がして呼吸音がすぐ側に近づいた。“そいつ”はどうやらぼくのそばにしゃがみ込み、顔を近づけてきたようだ。荒々しい鼻息がフンフンとぼくを小刻みに嗅いでいるようだけど、やけに風量があるというか強い鼻息が当たるというか……うちに時々来る物売りの荷運び用ロバに迫る勢いだ。そしてしばらく顔をくすぐる鼻息を感じているうちに荒い鼻息は静かな呼吸音に変わった。数秒間経っても危害を加えられる様子はない。ふう、ひとまず大丈夫そうだしひょっとしたら意外と友好的なのかも知れない。もちろん不安はあるけど、こんな極限状態の中で危険も安全もあったものじゃないし、何より今一緒に居てくれるならもうカカシでもなんでもいい。お化けだって構わない。少し安堵して気が抜けたから緩んだ空気を察されてしまったのだろうか、小さく金属が軋む音がして光が――おそらくランタンの光がぼくのそばに近づけられた。今の今まで長い間暗闇に晒されていたぼくの目にはまぶたを通していても眩しすぎる。反射的に顔を歪ませると光はすっとぼくから遠ざけられた。そして地を揺らす低音が荒々しく力強い調子で発された。

  「あァ、生きてんのか」

  突然のぶっきらぼうな人語に心臓が飛び跳ねる。ぼくは安心と驚愕で思わず上半身をガバッと起こすと、目の前のランタンに目を細め光を手で遮りながら、少しずつ片目を開いて初めて声の主を見た。目の前では野性的な銀色の狼がぼくを覗き込んでいて、端の切れ上がった三白眼でぼくを舐めるように見ている。座っていてもかなり大きいので、上背が2メートル以上あってもおかしくない。毛並みやさっきの声や振る舞いからして、おじいさんとは言わないまでもそれなりに人生経験を積んだおじさんと言ってよさそうだ。狼というと流線型のしなやかな体というイメージがあるけど、彼は筋肉質で相当に線が太くて肉付きも良く、年相応にどっしりしている。きっと手入れなんかしてないのだろう激しく逆立った毛皮が彼を余計に荒々しく見せている。とはいえ所作や表情からは気持ちが昂ぶっている様子はなく、穏やかというかむしろダルそうにしている。服装に目を向けると彼は大昔の山賊のような見た目をしている。革ベルトと金具を組み合わせたハーネスをつけ、大きな毛皮をスカートのように腰に纏っている。腰のベルトに革ベルトや水入れや何かの道具が差してある。全体的に店で売っているようなものじゃなく、使い古されたものやパーツを組み合わせて自分用に調節して使っているみたいだ。粗野でシンプルな外見だけど、その代わりジャラジャラとした首飾りや腕輪をしている。木や革を組み合わせて作ったって感じで、所々鮮やかな石や磨かれた金属があしらわれているから、それもどこかから持って来てくっつけたのだろう。後はまあどうでもいいことだけど、彼はしゃがんで脚を開いているから、毛皮のスカートが広げられて黒い下着が見えている。下着といってもぼくら一般人が普段はくようなダボッとしたやつではなく、おそらく長い布を腰や股間にうまく巻き付けて下着にしているようだ。ぴっちり締め付けているせいで中身の形が浮かび上がってしまっているけど大丈夫なのだろうか。どこかの民族衣装的なものだろうか? なんでパンツを履かずにそんなエッチなのを履くんだろう。

  「おいボウズ。何しとんねん」

  地響きのように低い声が半ばぼくを脅すような威圧感を持って空気を揺らす。訝しげな目がぼくの顔を刺すような視線で見つめる。いやいやええと違います、決してそのやらしい下着を見ていた訳では……ってそういうことではなさそうだな。それにしてもなんて強い訛りだろうか。辛うじて理解は出来るけど、たったひとこと聞いただけでも彼がよその出身だと分かる。彼は首をグイと突き出すと早く答えろと無言で迫る。あ、はいごめんなさい言います言います。頭が朦朧として出てこないな。えーと……。

  「え……何だっけ……ああそっか、薬草を……枝……気絶……」

  気絶する前のことを思い出した途端に額の痛みが再開した。必死に説明を続けるものの焦りと痛みで説明が要領を得ていないことが自覚できる。そりゃこの精神状態の上、いい人か悪い人かも分からない怖いおじさんに迫られたら理路整然と説明できるはずがない。何とか答えようと口がカラカラになるまで話続けると、狼は頷きもせず、ただ鼻を少し動かしたりスカートをめくり上げて尻を掻いたりしている。一通り話し終えてぼくが無言になると、彼は自分から聞いたくせにあまり興味がなさそうに「ほぉ」と気のない返事をした。一応納得してくれたのだろうか。彼ぼくから視線を外すと、今度はぼくの周りに散乱している荷物を物色しはじめた。ちょっとそれぼくのなんですけど。なんて言えるはずもないので、じっとその様子を見ながらこれからどうするかについてぼーっと考えた。

  狼が物色している間、彼がどこから来たのか森の遠くの方を探ってみたけど、ランタンの光が届く範囲より向こうは相変わらず闇で、彼がここにいること以外状況は全く変わっていないようだ。つまり彼がいなくなってしまえば、ぼくはまた孤独な闇の中で独りになってしまう。しかも今ぼくは負傷している。大変な怪我ではない……と思いたいところだけど、少なくとも気絶するくらい頭を強打したのだ。すぐに歩くのはちょっと辛いところだし、骨にひびが入ったり肉が思っている以上に裂けたりしていないか心配だし、他にどこか怪我をしていないかも気になる。欲を言えば明るいところで怪我の治療をしたい。ただでさえ状況が悪いのに身も心もクタクタなのだ。この上彼に置いて行かれるのは本当に嫌だ。気が進まないけど……つまるところぼくは彼に頼るしかないのだ。ものすごく頼みにくいけど他に方法がない。ぼくは身を縮めながら、荷物を調べる狼に恐る恐る頼み込んだ。

  「えっ……と、あの……朝までおうちに置いてもらえると……」

  「ええで」

  「ええっ!?」

  即答されて質問したこちらが驚いてしまった。いいんだろうか、ご家族のこととか他人が入ることとか。……というか、良いとかダメとかいうよりまったくどうでもよさそうに見える。大抵の人には引き受けて貰えないような結構面倒臭いことをダメで元々で頼んだというのに、彼はまったく逡巡することもせずぼくの荷物を漁り続けている。

  「これ何や」

  「え……ああ、虫除け用のオイル」

  「これは」

  「簡単な救急セット……」

  狼は珍しそうにぼくの荷物を漁り、ひとつひとつ質問していく。そして底の方から袋を取り出した。ああ、あれは患者さんに貰ってそのままにしていたおやつだ。どこに行ったのかと不思議に思っていたけど、そういえば薬草を摘むとき用のおやつにしようと鞄に入れておいたのを忘れていた。彼は鼻をクンとすると途端に片眉をゆがめて鼻を袋から離した。たぶん薬草採り用の鞄にそのまま入れておいたから青臭くなってしまっているんだろう。彼は袋を鞄に戻してアクビと伸びをしながら立ち上がると、置いていた手斧とカンテラを掴んだ。

  「行くで」

  それだけ言うと彼はぼくに背を向けて歩き出した。ぼくは軋む体で急いで立ち上がり、彼が散らかした荷物をまとめると、大きい背中とランタンの明かりに付いて森の中を歩き出した。森は相変わらずの暗さで明かりは彼の持つ小さなランタンひとつだけど、誰かが一緒にいてくれるというだけで安心感に天と地ほどの差がある。それにこれだけ歩きにくい道を彼はスタスタと迷いなく足を踏み出していく。時々左右を見て鼻をクンクンさせているから、きっと五感をフル活用して辺りの様子を察知しているのだろう。彼は一度もこちらを振り向くことなく自分のペースで黙々と進んでいく。そう、順調なのはいいんだけど、彼の雰囲気やさっきからの態度を見るに彼は多分ぼくのことをほとんど気にも留めていないようだ。彼はぼくを拒絶こそしないものの喜んで受け入れてくれたわけでもないし、ぼくを慰めたり事情を慮ってくれている様子もない。そりゃまあぼくはたまたまそこにいただけの他人だし、勝手に付いてきただけなんだから彼が優しくする義理もない。それでもさっきまで孤独に震えていたぼくとしては、情けないことに――まるでいないもののように扱われていることに寂しさを覚えているのも事実だ。折れてしまっている今のぼくは母親を探す子供のような心境なんだろう。だけど残念ながら彼にそういう母性的なのを求めるのは無理みたいだ。それでも彼と一緒にいると安心出来るのはきっと、そのどっしりとしてたくましく力強い外見や言動のせいだろう。母性は無くても父性ならあったりしないかな。ぼくは両親のことなんか知らないも同然だから分からないけどさ。とにかく彼の動じない雰囲気は、不安に揺れ動くぼくの心を(一方的にだけど)寄りかからせて安心させてくれた。

  一〇分ほど歩くと前方に水の流れる音が聞こえてきた。その音の方へさらに歩いていくと、ランタンが近づくにつれて水面が光を反射してほのかに輝く。光の揺らめき具合や水音からするとそれなりの流量があるようだ。このあたりは田舎だから水はどこも綺麗だし、ここも妙な臭いもしていないし、この水も飲める可能性は高そうだ。今ぼくの抱える問題はほとんど何も解決していないというのに、水があるというだけで不思議とひとつ気持ちが楽になった。水面を見つめて少しホッとしているぼくを気にも留めずに、彼はそのまま真っ直ぐ川の中へ足を踏み入れるとバシャバシャと歩いて行く。ぼくは目をこらして慌てて周囲を見回すと近くにある石の上を飛び移って川の向こう側へと渡った。

  川を渡って少し進んだところで狼は立ち止まった。その辺りの草はほとんど刈られていてちょっとした広場が出来ている。その真ん中には消えたたき火の跡と座れそうな場所や台、さらには鍋まである。たき火といってもちゃんと石を積んで周りを囲まれているしっかりしたもので、付着したススの具合から見ても日常的に使われているように見える。彼はしゃがんでそばにランタンをそっと置くと、そばに落ちていた火かき棒のようなものでしばらく何かを――おそらく火種の炭を探すように灰をかきまわしていたものの、すぐ鼻から小さく息を吐いて火かき棒を放り、かわりに帯に結んであった道具差しからナイフを取り出した。そしてたき火の中からまだ燃えていない薪を取り出すと、薪の表面にナイフを当てて毛羽立たせるように薄く削っていった。これは着火材を作っているんだな。薪に直接ランタンから火をつけるのは無理があるから、まず燃えやすいように薄く切って毛羽立たせて空気を含みやすくなった木に火をつけて火種にするのだ。火を起こすのは面倒だから普通は種火の炭を残すかつけっぱなしにしておくものだけど、こんなふうに風に晒されやすい場所では消えてしまうこともあるのかも知れない。それにしてもやけに手早くないだろうか。もちろんぼくだって火起こしくらいするけど、こんなに手早く火種を作る人は見たことがない。手際に感心して見ている数分の間に、彼はランタンから着火材に火をつけてたき火の中に入れると、パチパチという音が立ち始め、そして周囲が少しずつ明るく照らされていった。

  たき火が燃え上がるにつれて周囲の様子が浮かび上がり、この周囲にはたき火を中心にいくつかの掘っ立て小屋や生活道具があり、さらにその周りは大きな岩壁に囲まれていることが分かった。ここは周囲を岩壁や樹木で囲まれた集落なのだ。一部の壁はオーバーハングしている上に、崖上から横向きに樹木が生えていて天然の屋根になっている。その屋根の下にはあまり濡らさない方がいい道具類や藁や薪がまとめて置かれている。この広場は完全に覆われている訳ではないけど、樹木が折り重なっているのでたき火が大雨に晒されることはなさそうだ。この森にこんなところがあったなんて。そこまで考えてふと、岩壁にぶつかったということはここは森の東端だということに気付いた。頭の中にこの辺りの地図を思い浮かべる。ぼくは森の南東の方で薬草を採っていたんだけど、そこから短時間歩いただけで岩壁に着いたということで、今森の中のどのあたりにいるか大体把握できる。あそこから一〇分でたどり着ける端は東端しかないのだ。そうするとここから家への道のりはそう遠くない。現在地が判明して水や暖が確保でき、今晩泊まる場所を提供してもらえてしかも人が一緒にいてくれるなど、重大な問題が諸々解決してぼくは一気に脱力し、大きく鼻と口から息が抜けた――それなりの音を立てて。すると狼は相変わらず三白眼の鋭い目でこちらを向いた。

  「何や、ウチが不満か」

  「えええ違うよ、今のは安堵の吐息だからため息とかでは……えと、いいお宅ですね」

  オオカミはぼくの無理のあるフォローを気にも留めずに不意に立ち上がった。そして突然息を吸い込んだと思うと、ぶっきらぼうな調子で叫んだ。

  「おう、誰かおるかァ?」

  突然の声に縮み上がっていると、近くの小屋からガタンガタンと音がして、建て付けの悪いドアが激しく軋む音を上げて開いた。中からはちいさくて天真爛漫といった感じの可愛らしい狼が出てきた。十代前半くらいのまだ子供だ。

  「あ、おかえりだったんですね、親分」

  「なんか食うもんあらへんか。あと客や、親分はやめい」

  「了解ッス、親分」

  オオカミの少年は嬉しそうに笑うと、出てきたのとは別の小屋に入っていった。……親分? ええと、山賊とかそういうやつかな。そうだとしたらぼくはとんでもない人に助けを求めたことになるけど大丈夫だろうか。一瞬逃げるという選択肢が脳裏をかすめたものの、この暗闇でランタンもないのだから逃げ出すという選択肢はない。大人しく明日の朝まではここにいるしかない。まあ今のところは親切みたいだし、ぼくは聞かなかったことにして少年が戻るのを待った。親分の方は何をするでもなく火かき棒で炭をつついたり毛をつまんだりしている。そろそろ気まずくなってきた頃、ようやく少年が戻って来た。両手に持った大きなトレイの上には、手頃な大きさにざっくり切った魚の塩漬けと一口大に切ったタマネギが大胆に盛ってある。少年は小屋とたき火を何度か往復すると、透明な液の入ったビンとパンも持って来てぼくと親分の間に置いて笑った。

  「なんや、パンなんかあったか?」

  「仕事場の奥さんがくれたっス」

  「ほうか、礼言っとけよ」

  「はーい」

  親分はパンを取るとその上に手で魚とタマネギを並べて大きな口でかじった。しばらくもぐもぐと咀嚼するとビンのふたを開けて一気に流し込んだ。よく見るとビンのラベルにはViinaと書いてある。四十度くらいあるお酒だったと思うんだけど、そんなふうに流し込んで大丈夫なのかな。薬師としては注意したいところなんだけど……。ぼーっと考えながら親分の横顔を見ていると、それに気付いた親分はぷはぁと息を吐き、ぼくを鋭い目で見た。

  「食べい」

  「あ、うん」

  そう言われて今ものすごくおなかが空いていることに突然気付いた。ああそうか、不安や恐怖に苛まれていたから忘れていたけど、今日は朝五時頃に食べた後は何も食べてなかったんだよな。タマネギの匂いに誘われてかぶりつくと少し涙が出てきた。いやいやまだ終わってないぞ。泣くなら無事家に帰り着いてからにしなきゃ。いただいたご飯なのに失礼な話だけど、一気に口に詰め込んで噛むのもそこそこに飲み込んだ。

  「それで、お兄さんはどうしたんッスか?」

  「うん、森で倒れてるのを見つけてもらって、その……親分さん、に?」

  恐る恐る親分の顔を見る。全然気にすることもなく尻をかいている。特に気にしている様子はないというか、どうでもよさそうだ。一方、少年はキラキラ目を輝かせている。ああ、こういう所だとやっぱり来客が珍しいのかな。

  「それでそれで、いつまで居るんッスか?」

  「明日の朝には出るよ。無理言って押しかけたのに長居しちゃ悪いし」

  「ええ~」

  少年は露骨に残念がると、今度は街のことを訊いてきた。街といってもぼくの住んでいるところは街から離れた山のふもとの診療所兼家だ。そう言うと彼はなんでもいいから話してくれと目を輝かせてせがんだ。ぼくはどこに買い物に行って何を食べてどういう生活サイクルで暮らしているかなんていう本当に他愛もないことを、これでいいのかなあと思いながら淡々と話したけど、少年はそれでも嬉しそうだ。自分と違う生活をしている人間が珍しいのかも知れないな。そこまで物珍しそうに見られると逆に彼はそんなにぼくらと違う生活をしているのだろうかと気になるところだけど、こういう生活をしているからには彼らには何か事情があるのだろうし下手に探るのもよくない。そうでなくても口を滑らすと隣にいる親分が怖いし、少年にせがまれるままに当たり障りのないことを話した。

  「そういえば、お兄さんの名前は?」

  「マウリだよ。君は?」

  「トイヴォ」

  本当は親分の名前も知りたいのだけど、少なくとも自分で言い出す気はないらしい。相変わらず明後日の方向を見て鼻をほじっている。結局トイヴォに質問攻めにされながらしばらく話をした。親分はひとことも発さず、たまに地響きのような屁をこいたりしていた。十五分ほど話し込んだ後、トイヴォは少し浮かない顔をし始め、やがて腹に手を当てて顔をしかめた。

  「いたた……!」

  腹を押さえてどんどん顔を歪ませるトイヴォに、さすがの親分も腰を上げて寄り添った。

  「またか……最近ひどいな」

  さっきまでだるそうにしていた親分は、表情こそ変わらないものの大きな手でトイヴォの背中をしばらくゆっくりさすった後、小さな体を抱きかかえてさっきトイヴォがいた小さな小屋――ぼくら3人が入ったらパンパンになってしまうくらいのもの――に運び小さなベッドに寝かせた。ベッドといっても木の上に藁を編んだものを敷いてクッションのようにし、一番上に布を敷いただけの低くて本当に簡素なものだけど。痛がり続けるトイヴォを見て親分はこめかみを掻きながら困っているようだった。

  「とりあえず水取ってくるわ」

  「だ、大丈夫ッス! 自分で行くッス!」

  「アホ、寝とけ」

  慌てるトイヴォを制止して親分は小屋を出て行った。考えてみたら親分は親分と呼ばれるくらいなんだから、(何の親分かはともかく)トイヴォたちにとってはエラい人のはずだ。親分が水を取ってこようとしたときのトイヴォの慌てようからは彼が相当親分を慕っていることがはっきり感じ取れた。うーん、どういう人なんだろう。最初は山賊とか盗賊とか追い剥ぎとかそういう類いなのかと思ったけど、どうやらそういう困った人って感じでもないらしい。それにもし悪い人だとしたら無邪気なトイヴォがこんなに慕うはずがないだろう。とにかく今は精一杯トイヴォの看病に徹しよう。優しく撫でているうちに親分は木のコップと水差しを持って戻って来て、コップに水を入れトイヴォに差し出した。受け取ったトイヴォは申し訳なさそうに肩をすくめながら水を口に含んだ。親分はちいさく息を吐くと、はじめてぼくの方をはっきり見てぼやいた。

  「最近多くてな。薬もよう効かん」

  ふーん……。体のことなら何か助けられることがあるかも知れない。ぼくはトイヴォの手を握ったり体をさすったりしながら最近食べたものとか毎日の生活とかについていくつか質問をした。ひととおり聞き終えたのでトイヴォの手を静かにベッドに置くと、外のたき火のそばに置いてあった鞄から救急セットの袋を取り出して戻った。袋を開けて中の包みをひとつ取り出すと、果物のような甘い匂いが漂う。

  「なんやそれ」

  「おなかの働きを整える薬草を乾燥させたものだよ」

  包みを渡すと親分は少しそれを開き、しっかり匂いを嗅いだ後太い指に少し薬をつけて舌へ運んだ。さすがにおいしそうな顔ではなかったけど、すぐにぼくに包みを返してくれた。毒を警戒していたのかも知れないけど、迷いなく自分が毒味役になるところは確かに親分っぽいしトイヴォが慕う理由が少し分かるかな。包みを渡すとトイヴォは薬を口に入れて一気に流し込む。コップに水のお代わりを汲むと小さな喉がそれを全部飲み下した。彼を横に寝かせておなかの辺りに布団――の代わりらしき布を被せた。これで2、30分もすれば結果が分かるはずだ。トイヴォが目を閉じると親分は腕を組んで壁にもたれかかった。

  「医者か」

  「薬師だよ」

  「ほうか」

  相変わらず言葉少なでぶっきらぼうな親分とはなかなか話が続かない。とはいえもうあまり気まずく感じることはなかった。一般の人となら話題が途切れたら焦って余計なことを口走ったりしがちだけど、親分は黙っているのが普通だから別に静かでも気まずくないのだ。じっとトイヴォを見つめる親分の横顔を見つつ、親分が何を考えているんだろうなんて思いながら、時折親分が尋ねてくる薬や症状について答えたりして、気付いたら二〇分ほどが過ぎていた。

  トイヴォは少しそわそわ体を動かしながら目を開けた。しばらくして体を起こすと「トイレ」と言って申し訳なさそうに小屋を出て行った。無言で待っているとトイヴォは五分ほどで戻って来た。そして後頭部を掻きながら困った顔で笑う。

  「なんか、治ったッス」

  「あァ?」

  親分がちょっと間抜けな声を上げる。まあ気持ちは分からないでもないけど、思ったとおりトイヴォは便秘だったのだ。話を聞いたところではトイヴォは朝夜の二回食事を摂るようだ。世間でも街の人は大抵二回だけど、多くの人はお茶の時間を設ける。これで一日に摂りたい水分量をカバーしやすくなるのだけど、多忙だったりとかで食事時にしか水分を摂らないと便秘をはじめ様々な症状が出ることがある。トイヴォも夏の間は放っておいても水が飲みたくなって休憩していたそうだけど、最近は汗をかかないから忘れがちだったようだ。それに夏の農作業はみんなで行うからお茶も楽しかったらしいけど、秋はひとりだから休憩も「もういいや」となってしまっていたらしい。

  「ほな水だけぎょうさん飲ませといたら良かったんか」

  「そうかも知れないけど、そうじゃないかも知れない。長期間悪かったなら弱っていた可能性があるし、薬は飲んだ方がいいよ」

  親分は相変わらずムスッと口を結んでいるけど、大きな手のひらをトイヴォの頭に乗せると「人騒がせなヤツやな」と言いながらゴシゴシと撫でた。その口調はこころなしか少し優しさを含んでいるように思えた。

  「さ、そろそろ行こか。トイヴォはもう寝とけ」

  「えー、まだ大丈夫ッスよぉ」

  「アカン。ほなボウズ行くで」

  未だにマウリと呼んでくれない親分はぼくにチラリと目線を送って外に出るように促した。ぼくはひとことトイヴォに水分を摂るようにと念を押すと、外に出て静かに扉を閉めた。たき火の側を通って親分は手斧とランタン、ぼくは荷物をピックアップすると集落のさらに奥に歩いた。岩壁の側にこの集落の中で一番大きい建物があり、親分はその前で止まった。大きいと言っても掘っ立て小屋には変わりないけど、外から見る限りでは、トイヴォの小屋と違って一家族くらいは入って座れそうだ。単純に考えれば一番大きいこの小屋が親分の家なのだろう。親分は鍵のかかっていない小さなかんぬきをスライドさせると、小屋のつくりの割にはなかなかに重いドアをギイと開けた。

  親分が天井のすぐ下に渡されたロープのフックにランタンを引っかけると、部屋中がまんべんなく照らされた。部屋の空気が鼻に触れるとよその家のスープを飲んだときみたいなちょっとした違和感を覚えた。別にイヤな臭いって訳じゃないけど、獣臭い、そしておじさん臭いって感じがする。クンクンと鼻を動かしながら部屋を見回すぼくを気にもせず、親分は装身具を外しはじめた。首の派手な首飾りや腕輪を外すとそのために誂えたかのようなスタンドに引っかけた。重厚感のある履き物を部屋の片隅に置き、今度は腰のベルトを外すと、革のスカートがずれて黒い下着の紐が見える。そのままスカートがズルリと下ろされ、親分は下半身を縛るように巻き付く下着ひとつになった。相変わらず股間は盛り上がり、巨体であることを計算に入れてもなお大きすぎるものがはちきれんばかりに存在をアピールしている。それにスカートに覆われて気付かなかったけど、お尻は全部覆われているのではなくて、太い紐が一本割、れ目の間に食い込んでいるだけだ。なんかすごくフェティッシュだけど親分の趣味だろうか。そもそも普通の人は布を合わせただけのだぼっとしたパンツを履いてるのに、どうしてわざわざこんなに締め付けられるものを履くんだろう。血行に悪そうだし落ちつかないんじゃないの。案外親分は締め付けられてヨロコぶタイプなんだろうか。それにしてもどうしたものか、知らないおじさんの脱衣シーンを眺めているだけでも気まずいのに、その上やけに大人の色気が漂っていて目のやり場に困る。困ると言っても釘付けになってるんだけど。そうして脳裏に色々と焼き付けている間に親分は道具類も全てしまい込んで、どっしりと寝床に腰を下ろした。

  「寝るで」

  親分は横たわると尻をかきながらぼくを寝床に手招きした。えええ、一緒に寝るの? 「泊めて欲しい」というのは寝床があるかどうかも含めて聞いたつもりなんだけどこういう感じなの? だけど今さら「帰ります」なんていう選択肢はないわけで、ぼくは渋々靴を脱ぎ、上着を床に脱ぎ捨てて恐る恐る寝床に入った。向かい合わせはちょっと何だし、かといって背中を向けるのも失礼な気がするので、仰向けで。すると親分はぼくの上に上半身を覆い被せると、顔を胸のあたりに近づけた。キャー! 犯される! エッチ!

  「……アカン、まだ青臭いな。全部脱げ」

  えぇ……。まあ泊めてもらっておいて薬草臭いまま寝床に入るというのは失礼だよな。正直ちょっと抵抗感があるけど、親分は裸とか距離感とかまったく気にしていない様子だというのと、すでに親分が裸というかエッチな下着ひとつになってるから、今さら恥ずかしがってもしょうがないということで何とか受け入れ、シャツもズボンも靴下も脱ぎ捨ててパンツ一枚になった。もう一度寝床に横たわると再び親分はぼくに覆い被さって匂いを嗅ぐ。荒い鼻息と時々触れる鼻先がくすぐったい。

  「ま、ええやろ」

  親分は再び寝そべると、天井を見つめながら頭の後ろで手を組んで考えるようにした。ぼくは黙っていたけど、別に気まずいとかはもうない。この人の前で無理に話をつなぐ必要はない。いつしかうつらうつらしながら今日の怒濤の出来事を反芻していると、親分が少しだけ顔をこちらに向けた。

  「助かったわ」

  「え……? ああ、トイヴォね。大丈夫だよ、水を飲ませただけだしさ」

  「もう放っといてええんか?」

  「そうだね、基本的には水分を摂っていれば大丈夫だと思うけど……胃腸の補助のために出来ればしばらく薬を飲んだ方が確実ではあるね」

  「……」

  それを聞いて親分は少し考えた。そして多分ぼくも似たようなことを考えている。親分からするとぼくが帰ったら薬と指導はどうするかが心配であり、ぼくからすると患者を置いて行かなければならないということが心残りだ。まあ今回だけに関して言えば十中八九ただの便秘だと思うし、少し胃腸が弱っていてもちゃんとしたものを食べていれば問題ないだろう。ただ水を飲む習慣が出来るまでは同じトラブルを起こしてしまう可能性がある。短期的には水を飲めばとりあえず解消されるけど、何度も痛むのは体にも心にもよくない。出来れば生活の指導と、念のため同じ薬の処方くらいはしておきたいところだ。

  「うーん……。じゃあ明日の夕方持って来るよ。昼過ぎに患者さんが来て、その後また薬草を採りに出たら夕方には時間が出来るから」

  そう言うと親分は目を丸くした。あれ? この人こんなにひょうきんな顔出来るんだ。しばらく表情の変化を楽しんでいると、部屋の中の空気がすっと緩んだ。今まで仰向けだった親分は気が抜けたように長い息を吐き、体を横に向けてぼくを見た。

  「いや、済まんな。こんな場所やで、ワシらは身内以外にはあんまり気を許さんのや」

  まだここがどんな場所かはよく分かっていないけど、少なくとも社会のルールに守られにくい生活をしていることは想像に難くないし、危ない連中と出会うことも少なくないのだろう。脇が甘いとすぐ騙されたり攻撃されたり足下をすくわれたりするから、本当に気を許せる相手以外には常に弱みを見せないようにしているのかも知れない。

  「じゃあどうして森でぼくを助けてくれたの? 放っとけば安全なのに」

  「まだ生きとるのに放っとく訳にもいかんやろ」

  色々問いかけると親分の口数が少しずつ増え始めた。あくまで少しだし仏頂面なのは変わらないけど、少なくともさっきまでよりぼくに気を許してくれたことは分かる。村のことも少しずつ話してくれるようになった。ここはケトラ族という狼一族の集落だそうだ。家族や親戚たちが集まって出来ているのだという。だからここにいるのはみんな家族や親戚で、トイヴォは親分の甥に当たるらしい。伝統や血縁を重視する傾向がある多くの狼族に対し、ケトラ族は奔放な気質だったのが理由で単独で暮らすようになったのだ。要は自分に正直に生きてきた一族ということだろうか。ただそうして主流から離れ様々なものを捨ててきたから、歴史も浅く数も少なく、狼族たちの中での地位が確立できていない。特定の場所に縄張りを主張して村や街を作るということは出来ないのだ。だから今は各地を回って新天地を探しているそうだ。そんな状況だから女性や子供やお年寄りは今でもまだ故郷の近くに住んでいて、親分達のような動ける男手があちこち点々としながら家族を養うお金を稼ぎつつ、よりよい生き方を模索しているらしい。

  「ふーん。なんか格好いい……のかな?」

  「ンなことあらへん。実際は日雇いで仕送りの金を稼ぎながら、なんとか食っとるようなもんや」

  ふうん、その生き方にはなかなかシンパシーを感じるな。ぼくにはそんな格好いい理由があった訳ではないけど、昔から人と関わるのは得意じゃないから患者以外は誰も寄りつかないような街はずれに居を構えて薬師をやっている。全部自分でやらなきゃいけないから辛いことも多いけど後悔はしていない。さっきまで親分達のことを全く自分とは違うアウトローな山賊か何かだと思っていたけど、この話を聞いた今となってはぼくと何も変わらないように思える。ぼくは社会から少しズレた奴で、親分たちは狼の文化から少しズレた一族なのだ。

  「あれ? なんで族長じゃなくて親分って呼ばれてるの?」

  「ガキンチョ共に適当に呼ばせとったらコレや。ワシらは街の人間には山賊やら蛮族やら呼ばれとるからやろ。子供はワルに憧れるんやろな。ったく」

  「ふーん。じゃあ親分の名前は? まだ聞いてなかったけど」

  「秘密や。……そろそろ寝るぞ」

  そういうと親分は布団も被らずこちらに背中を向けてしまった。ええー、それくらい別に教えてくれてもいいじゃん、減るもんじゃなし。するとすぐに低音のいびきが小屋を揺らし始めた。大丈夫かな、こんな建物じゃほとんど音が筒抜けだと思うけど。ふと隣を見ると、親分はゆっくり肩を上下して寝息を立てている。起きていたときとは違って力が抜けているんだろう、筋肉質な背中の筋肉を毛皮が包んで丸く覆い隠し、肩はゆるいカーブを描くなで肩になっている。少し目を脚の方にやると、相変わらずエッチな下着に縛られた尻は立っていたときには両側にあった筋肉質なくぼみがなくなってぽよんとしている。こちらから顔は見えないけど、ひょっとしたら寝ているときは眉間のしわだって緩んで案外優しい顔立ちをしているのかも知れない。さっきまでの力強い空気がウソのように和らいで、今の親分の隣はなんだか心地よくさえ感じられた。少なくとももう怖いだなんて思っていない。体を親分の方に向けてそっと背中に触ると、少し硬い毛の感触と共にじんわりと温かさが伝わってくる。そう言えばぼくは誰かと一緒に寝た記憶がないな。これまでずっと一人が気楽だと思っていたけど、思っていたよりずっと安心するものだな。おでこを親分の背中に当てて静かに息を吐くとずっと張り詰めていた緊張が切れ、また初めて人に寄りかかって気が緩んだことが重なって涙腺が緩んで視界がぼやけた。あーダメだダメだ、もう寝てしまおう。目尻を指で拭い、振り切るように寝返りを打って親分に背を向けた。後から寝息と熱が伝わってくる。安堵と疲労感は容易にぼくを眠りへと誘った。

  ――深い眠りから意識が引き戻される。何だか寝苦しくて目が覚めたような気がする。重くて動かす気にならないまぶたを閉じたまま、周囲の空気がいつもと違うことをだんだんと実感していく。いつものぼくの部屋とは違う木や布の匂いが昨日の出来事が現実であることを思い出させる。まぶたを通じて感じる光がとても弱々しく薄暗いのはこの小屋には窓がないからだろうけど、今は間違いなく朝のはずだ――だって鳥たちの鳴き声が聞こえてくるから。それもいつもよりずっと近くに。鼻先に感じる他人の――熟した男の匂いが、昨日の出来事が現実だと突きつけてくる。親分の匂いが鼻に入ってきた瞬間背後に違和感を覚え、ぼやけていたぼくの意識は一気にシャープさを取り戻した。

  背中合わせで寝ていたはずのぼくの背後には親分のがっしりとたくましい体が絡みつき、ほとんど締め付けるように抱きついている。全身をべったり密着させるような体勢で、親分はぼくを抱き枕にして寝ているのだ。ぼくの首元には親分のマズルがすっぽり入っていて、相変わらず荒い吐息をぼくの顎元に吹きかけている。おまけに二人とも下着一枚なのだからほとんど裸で抱き合っているようなものだ。こんなエッチな状況には全く免疫がない。大人の体でがっちり絡みつかれ、思わず股間を撫で上げられたかのような刺激が走る。ただでさえ起き抜けで芯が入っていたぼくの膨らみは途端にパンツの前を突き上げた。あああマズい、このままだと親分に見られる。だというのに今はがっちりホールドされているから逃げられないし、なんとか親分が起きるまでに収めるしかない。脳内でややこしい薬の調合過程を想像しながら必死で雑念を払――おうとしたところで無慈悲にも親分が動き始め、体をあちこち伸ばしはじめた。

  「…………ん……ァ、起きたか……」

  親分はぼくをギュウと抱き締めると、大きなてのひらを頭から胴体、下半身へと這わせ、確かめるように体中をなで回した。そしてぼくにとっては大変遺憾なことに、その手はしっかりとぼくの下腹部を捉えた。太い指が玉をころがすと、親指と人差し指が膨張した先端をつまんで弄ぶ。

  「……なんや……溜まって……ンのか……センズリこくか……んあ?」

  眠そうな声の語尾が次第にはっきりして疑問形に変わると、ねっとりといやらしく弄んでいた指は何かに気付いて探るような動きに変わり、やがて親分はゆっくり上半身を起こしてぼくを見た。少しの沈黙の後、親分は目をこすりながら呟いた。

  「……あァ、ボウズか……トイヴォか思たわ」

  ええと、あんな子に「センズリこくか」なんて日常的に言ったり、さっきみたいに触ったりしているのだろうか。ひょっとしたら一緒にエッチなことをしてるなんてことはないだろうか。親分とトイヴォはどう見ても四十程は離れているぞ。都会でも貴族だと結構な歳の差カップルもあるにはあるけど、それは跡継ぎとか政略とかいう意味合いであって、熟したおっさんが息子みたいな少年と気持ち良くエッチするためではないと思うし。しかも親戚だし。そんな事に頭を悩ませているうちに、親分は眠気のせいか再びドッサリと元の位置に倒れ込むと、今度は背を向けて寝息を立て始めた。ほっと胸をなで下ろしながらも、どこか残念な気がしてしまうのはどうしてだろうか。トイヴォの貞操を心配するぼくをよそに、親分はスウスウという軽い寝息を立て始めた。寝ぼけて無意識にあんな言葉が出るなら、普段からトイヴォに対してああなのだろうか。親分だけがエッチなのか、ケトラ族全体がこんな感じなのか。果たしてここの常識はどうなっているのだろうか。……いや、考えてみたら昨日の夜からここは非常識なことだらけだ。ここにも街にあるような物や道具はあるから基本的には街の暮らしと地続きなように錯覚していたけど、それらは全部集落の外から持ち込んだものを利用しているだけで、この集落内の生活だけを見れば極めて原始的だ。ケトラ族の話からするに彼らは何百年も昔からぼくらとは違う道を生きて違う常識を作ってきたのだから当然だ。そこにぼくらの常識を当てはめて非常識だと切り捨てるのはあまりに一方的だろう。そういえばトイヴォはもう仕事をしてるって言ってたな。だったらここではもう大人扱いなのかも知れないな。親分はちゃんと考えてる人みたいだし、トイヴォを大切にしている様子だったから、きっとただの変態親父ではなくてちゃんとした変態親父なのかも知れない。変態なのは間違いないもん。

  ガラでもなく深く考え入っていた意識が、背中に感じた微かな揺れで一気に引き戻される。さっきまで聞こえていた寝息は短い息に変わり、どことなく荒い様子だ。しばらく様子を伺っていると振動はますます大きくなり、短い息は低く呻く声に変わりつつあった。明らかに起きて何かしているけど何かは分からない。ゴホンと咳払いをしてみても反応がない。さらにしばらく経つと、今度は布を擦る音がしはじめた。いや正確にはさっきからしていたのだけど、寝床と体が擦れている音だと勘違いしていたようだ。親分の体が揺れる度に布を擦る音がする。具合が悪くておなかをさすったりしてるんじゃないだろうか。いや親分はヒモみたいな下着しか身につけてなかったからおなかは裸だし……。色々想像しているうちに親分の息が荒くなり、次第に小さく「お、おっ……」などと呻く声が大きくなって来た。さすがに心配になったぼくは静かに状態を起こして親分の方を向いた。……親分は片手でゆっくり自分の胸や腹や内股をなぞりながら、もう一方の手で下半身をぴっちりと締めていた下着の前側の盛り上がりを撫で、その度に声を漏らしていたのだ。さっき「センズリこくか」と言ったのは冗談じゃなくて、本当にオナニーをしているのだ。親分は夢中で没頭しているけど、ぼくが背中を離したり起き上がったりしたのは伝わっているだろうから、ぼくが親分の行為に気付いていることに親分が気付いていない訳がない。でも親分はそんなことを気にも留めず、目を閉じてただ没頭している。小屋の木板の間から差し込む光は丁度親分の黒い下着の盛り上がりを照らし、その膨らみを際立たせ、中身がどう仕舞われているのかを否応なく想像させる。隠されていても凶暴に盛り上がり主張するそれは「あれがぼくの中に入れられたら……」と想起させて腹の底をキュゥと締め付けた。親分の手のひらはゆっくり体表をなで回し、指先は毛皮をかき分ける。むっちりした大人の使い込まれた体のラインがなぞられ性感帯に指が這わされる度、親分は低く呻く。高まりつつあるのか親分は巨体を時折ピクリと震わせ、自慰に勤しむ無防備な姿をぼくに魅せていた。昨日は鉄壁の様相を見せていた堅物親父が、今は卑猥な行為や体の動きをさらけ出している。こういったことに耐性も経験も全くないぼくがこれを目の当たりにしたところでビシッと止める理性や倫理観が働くはずもなく、ただ目の前で行われているオナニーショーの行く末を最後まで――親分が精液を噴きだして快感に悶えるまでをすべて脳裏に焼き付けようと、ただ自分の存在を殺して静かに行為を見守った。

  数分程釘付けになっていただろうか、親分は一旦動きを止めてスゥと息を吐くと、目を閉じたままゆっくり仰向けになった。がに股のように軽く股を開いている姿は無防備で、自由に襲ってみろ、ワシを満足させろとでも言われているかのようだ。太い脚の間に盛り上がった股間が強調され、今が性的な行為の最中であることを意識させる。日の光に照らされた黒い下着の前側はさっきとは違って暗い色に沈んでいるようだった。劣情によって染み出す液が下着を濡らしていることで、あの硬派な親分が確かに卑猥な感情を抱いているということを実感する。親分みたいな人がどんなことを考えて興奮しているんだろうか。どんな相手を想像して劣情を催すのだろうか。その相手とどんな行為をして興奮するんだろうか。ここまで力強く魅力的な人を見るとその性欲を向けられてみたいという気持ちが湧くのも仕方がないだろう。もちろん親分の想像の相手がぼくってことはないだろうけどさ、一晩隣で寝てたんだし今も横でオナニーを見てるんだから、この一発だけ――この行為が射精に至るまでの間くらいは脳内でぼくを好き放題犯してくれたらいいのに。あんな獣欲を滾らせた体と肉棒を突きつけられ激しく叩きつけられて、何が何だか分からないうちにぐちゃぐちゃに白く汚されて屈服してしまいたい。衝動に抗えずに精液を噴きだして悶える顔を向けられてみたい。こういう経験に疎いぼくだって、決して今抱いているこれが恋愛的などうこうでないことくらいは分別が付いているけど、本能的には強く惹かれてしまっていることは分かった。生物としてこの雄に跪いてしまいたい。ぼくの下腹部はこれまでになく膨張して痛いほどに硬直していたけど、意識がすべて親分に注ぎ込まれていてそんなことを気にしていられる状況ではなかった。

  親分の動きはなまめかしさを増し、腰や尻を扇情的に動かしてじれったそうに全身をよじる。こんなことじゃ足りないとばかりに手はもどかしく動き、やがてはやるような手つきで下着の脇をひっぺがした。ぴっちり押さえられてくっきりと形が浮き出ていた袋の中の棒は怒張して天を向き、大きな玉はこぼれるようにだらりと下へ垂れ下がった。中年の性事情なんて詳しくないけど、中年のたくましさの中に感じられる青年のような勢いは、親分の今がまだまだ最高潮であることを示しているようだった。そしてそれは時折ピクンと跳ね上がり、透明な液体が重力に負けてだらだらと流れ落ち、次に起きる何かを強請っているようだ。親分は右手のひらを開き、優しく先端を握り込んで擦りつけ手のひらを濡らすとゆっくりと先端を弄び始めた。ただ擦るのではなく指先を裏に当ててスッとなぞったり、気持ちいいところ“以外”だけを焦らすようにいじめたり、さらには玉の裏を濡れた手のひらや爪で転がした。若者なんかは欲望に任せて一直線に終わりまで突き進んでしまうものだけど、ギリギリまで気分を昂らせ、最高潮に興奮して敏感になったところで盛大に終わりを迎えるというのが中年のテクニックなのだろう。参考になります。帰ったらぼくもこれでやってみよう。ぼくはいつの間にか滾る股間を手で押さえ、もう目は釘付けになっているというのに、ほんの少し残された理性と貞操観念で親分の淫乱な行為に誘惑されないようにと無駄な抵抗を試みている。そりゃああんなにも魅力的な人のねばつくような濃厚な性行為に飲み込まれて犯されたいというのが正直な感想だけど、まだよく知りもしないし常識も違う原住民のおっさんと深く繋がりすぎてしまうのはマズい気がする。でもその手にはじっとりと冷たくなったパンツの布の感触がして、すでに抗えないことを示していた。やがてぼくの陰部の付け根がピクリピクリと不随意に跳ねて発射の予行演習を始めた頃親分はようやく巨砲を握り、時折小さく水しぶきを飛ばしながらジュルジュルと卑猥な水音を立てて前後に動かし始めた。初めはゆっくりと確かめるようにしながらも、すぐにそれは急かされるように速まっていった。そしてこれまでもどかしく左右にくねらせていた腰を今度は前後に動かし始め、まるで上にいる何者かの中に押し入るように緩急つけた動きで突き上げ始めた。あそこにいて突き上げられるのがぼくだったらどうなるだろうか、と考えずにはいられない。妄想しているだけなのに股関節のあたりにズンと重く性器がねじ込まれる感覚が響く。このまま出されたらどうなるだろうか。挿入された想像の男根が激しく収縮と痙攣を繰り返して液を噴きだし、ぼくの中を濡らしてじんわりと温める感覚が、実際にされているかのように鮮明に想起される。ぼくが許した人しか入れない場所に親分が入ってくる場面が易々と想像できてしまう。

  ぼく自身は少しも卑猥なことをしていないのに、もう少し刺激が加わればいつイッてもおかしくないくらい高まっている。普段のオナニーはもっとあっさり終わってしまうけど、既にそれより高まっていると言えるくらい感情も劣情も暴れ回って抑えられない。股間を押さえていた手はじっとりしたパンツとヒクつく中身をギチィと握りしめ、こみ上げるものを必死に抑えている。この先どうしようか。ぼくはこらえられるだろうか。このオナニーショーはこれからどう展開するのだろうか。親分が高まって、射精して、そしてぼくは? このまま「お疲れ様でした」と終わるのだろうか。親分がスッキリしている隣でぼくは平静でいられるのだろうか。この抑えられない性欲はどうすればいいのだろうか……トイレで抜く? 帰るまで我慢する? 我慢するなんて無理だ。ちゃんと処理しないと「犯してください」なんて泣きながら親分にちんちんを擦りつける痴態を見せるハメになる。そんな複雑な気持ちを抱えていたけど、それは親分の呻き……いや、喘ぎ声を聞いて霧散した。

  地響きのような低音で話し、さっきも地を揺らす声で呻いていた親分は少し声がうわずってきた。といっても元が低いからせいぜい一般的な渋い男性声くらいになったというだけだし、別に女の子みたいになった訳じゃなくてあくまでぶっきらぼうな野郎の声には違いないんだけど、小さく呻いていた親分は余裕が無くなってきたかのように切ない声を細かく上げ始めた。山のように動じない男が劣情に負けて本能のままに突き動かされ、滑稽な姿で快感に溺れる様は可愛くて愛おしい。その細かい声は親分の太い手指が亀頭の段差を通過する度に上がる。どこかわざとらしく上げているみたいだけど、それは自らの痴態を自覚してより気持ちを上げているのか、ひょっとしたら……ぼくに聞かせるために上げているのか。そんなわけは……いや、この際どっちだっていい。親分はぼくに痴態を見せたくて、ぼくに見せつけながらオナニーショーをやっていて、腰と濡れた股間を振り乱しながら喘いで射精するところを見せたい変態親父ということにしよう。これはあくまでオナニーなのだし、実際はどうあれその方がぼくが盛り上がる。そう開き直ってガサリと上体を起こし、淫乱親父の上に体を乗りだしたところで親分はぱちりと目を開けた。これまで自分の世界に入っていた親分の意識がついにこちらを向いたのかと思って驚いたけど、そういう訳でもないらしい。親分は少し頭を起こして自分のベチャベチャに濡れた体やいきり立ってヒクつく肉棒を見るとフウと息を吐き、そしてすぐに激しく腰を突き上げ始めた。ぼくが親分の上に思い描いている妄想の自分が激しく突き上げられ、透明な液を先端から漏らしながら鳴き叫んでいる。そいつはその癖自分で腰を上下に振って、親分に侵入され犯されている感触を求めている。犯されて全身振り乱して喜んでいる自分がいる。かつて無いほど酷い想像の自分像だけど、むしろあんなふうになりたいと考えてしまい、強い力でパンツの股間を握りしめて耐える。ヒクつきが収まらない。ギュッと握るときの布が擦れる感じだけでも反射的に性器の奥がビクンと動く。握らないと感情と欲望が抑えられない、でも握ると射精してしまいそうになる。……いや、性欲を抑える必要なんてあるだろうか。親分はぼくをいないものとして「独りで」オナニーしてるだけだし、ぼくはそれをたまたま目撃してしまって不可抗力で射精してしまうだけだ。セックスしているわけじゃないし、別にここで気持ち良くなってしまってもいいじゃないか。たまたま見かけたエッチなおじさんをオカズにするというだけだ。同じ部屋にいるのに勝手に始めた親分が悪いんだし、堂々と見て何が悪いんだ。ぼくは親分のとなりであぐらをかくと、ぼく史上最高にふくれ上がったそれをパンツから出し――たところで、親分は素早く手を伸ばした。

  「あっ!!!」

  そのまま親分はぼくの棒を掴んでストロークしはじめた。まずい、もう射精寸前だったんだから、しかも生まれて初めて他人の手でいじられて、しかもそれがこんなにエッチな、挿れて欲しいとさえ望んでしまうようなおじさんなんだから我慢できるはずがない。親分が自身の肉棒をこする速度も最高に達し、まもなく射出って感じだ。高まる。何かが底の方からせり上がるのが分かる。親分の手は親分自身が出した汁でじっとり濡れていて、それがぼくの股間にまとわりついていじめてくる。親分の出した劣情の証がぼくの欲望に絡んでかき立てる。親分は動物的な動きで腰を突き上げる。親分の本能丸出しの射精が見たい。親分の最高に恥ずかしいところを見ながら、ぼくも最高の射精をして果てたい。親分がどんな表情で快感に身を震わせるのか知りたい。だから親分の顔に目をやると、親分はこれまでずっと歪ませていた顔で口角を上げ、三白眼の鋭い目を細めてニヤリと舌なめずりをした。ずっと仏頂面だった親分のズルい笑顔は怖さが薄れ、ちょっと子供っぽいところもあるけど親しみやすい頼れる大人だと感じさせた。衝撃的な笑顔にいよいよぼくの中の何かが一気に持ち上がり、射出準備を完了しつつある。ズルいなあ……こんなおじさんが笑顔を向けてくれたらもう敵わないな。もう親分との性的な行為への抵抗感はほとんどない。この人にだったらその大きなたくましい手の中で射精させられてしまいたい。この人はぼくの恥ずかしいところを見ても笑ったりしないだろう。だからぼくは親分の手を掴むと今度は腰を振って自ら親分の手の感触を味わった。人前で全力で変態行為をすることにゾクゾクする。今までこらえていた嬌声を上げながら、親分の手で作られた手の輪に自らの下腹部を叩きつける。親分は満足げにすると太い声をさっきまでよりも大きく上げながら腰を振って最後の快感を味わった。こんなのもう親分とセックスしてるようなもんだよなあ……。今度は抱き合ってしたいなあ……。種付けもしてほしいな……。全力で腰を振る。かつてないほど高まる。頭が白くなる。辛うじて捉えた親分の体と表情を交互に見ながら、これまでの人生で感じたことのない多幸感に包まれて絶頂を迎えた。……っ!

  ぼくの精液は尿道から勢いよく射出され、棒に絡んでいた親分の指に当たり、有機的な起動を描いて飛び散った。いくらかはぼくの棒にだらりと纏わり付いてどろどろにした。いつもならピュッと出して紙で拭いてしまうし量も少ないから、こんなに液と欲望にまみれてパンパンに腫れあがった自分の肉棒は初めて見た。別のいくらかは親分の体に飛び散った。男らしい、オス臭い親分の体が生臭い液体で汚されて、なんだかちょっとだけ親分がぼくのものになったかと錯覚するくらい満たされた。そして残りの少しは親分の顔に飛び散り鼻先や額や頬を濡らした。親分みたいな人がぼくみたいなのにかけるのを許したっていうのがなんか申し訳なくもあり、誇らしくもあった。そしてぼくの射精を目の当たりにした親分はぼくの股間から手を離すと、ぼくの精液で汚れた手を鼻先に持っていってスゥーと匂いを嗅ぎ、体中を硬直させて――

  「グウゥ……ック……っ!」

  人からこんなに精液が出るものなのかというくらいの量がびゅるっと一本の縄のようになって上空へ飛んだ。そして放物線は射手の腹から顔にかけて太いラインを引いた。親分のヒクつく陰茎は二度、三度精液を飛ばし、ただでさえテカっていた棒を卑猥な液でぬらつかせた。ぼくの射精や匂いに興奮して親分が射精したのだと思うと愛おしくてしょうがない。こんなかっこいい、こんなに扇情的な親分が少しでもぼくで気持ち良く感じてくれたことにどこか認められたような感じがする。息を荒げながらぐったりして射精後の余韻を味わう親分。少し落ちつくとぼくの方をチラリと見て、自身とぼくの精液にまみれた顔で満足そうに笑った。

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