まぼろしの石を求めて

  携帯端末にメッセージアプリの通知が届いたとき、会社から帰宅する途中だった。

  吊り下げ型モノレールの車内で揺られながらディスプレイを点灯させる。

  《お疲れ様ッス! 仕事終わりッスか?》

  ブッチーこと[[rb:拝渕恵南>はいぶち・えな]]が送り主だった。獣人の中でも珍しい部類に入る[[rb:鬣犬族>ハイエナぞく]]で、大抵の男など比べものにならない筋骨逞しい体躯の女性だ。

  かつては半グレ集団、[[rb:破運怒>ハウンド]]で随一の武闘派として勇名を轟かせていたと聞く。けれども、今では過去とすっかり訣別したようで、掃除屋としてカタギの――たぶん――生活を送っている。

  体のあちこちに開けたピアスや複雑な色に染めて編み上げた髪、それにパンクなファッションを好む辺りに、荒れていた頃の名残が見て取れる。が、わたしが知る彼女は明るくよく笑う、とても優しい人だ。

  《あーし、今日は師匠と一緒に仕事?してたんスよ》

  "仕事"のうしろに付いたハテナマークが何やら意味ありげだ。けれども再び悪事に手を染めている訳ではないことは考えるまでもなく分かった。ましてや柴本が一緒だったのならば尚更、心配は無用だ。

  暴力に明け暮れていたブッチーが更生できたのは、わたしの同居人でもある柴本の尽力が大きかったのだと聞いている。数年経った今も彼女は恩を感じているようで、柴本を師匠と呼んで慕っている。

  で、一体何をしたの? わたしが[[rb:訊>き]]くと

  《竜の結石って知ってるッスか?》

  今日の昼に遭った出来事が、メッセージとして次々と送られてきた。

  **********

  家に着いたとき、同居人の柴本はソファーの上にヘソ天スタイルで落ちていた。

  ものすごく汚れるようなことをしたのだと――夕食の前には思い出したくないので今は割愛――先ほど、ブッチーから聞いている。それで、風呂で汚れをしっかり洗い落とした後なのだろう。赤茶色を帯びた自前の毛皮とリストバンド型の端末。それ以外は何も身に着けていない。

  ブッチーと同様、この男も獣人だ。彼ら自身は[[rb:犬狼族>けんろうぞく]]と名乗る、獣人のなかでも最も数が多く[[rb:人間>わたしたち]]との関わりも深い一派に属する。

  身長162センチ、体重78キロの小柄なプロレスラーのような固太りした体格。明るい赤茶と白に彩られた毛並みに三角耳、くるりと巻いた尻尾が特徴の[[rb:柴>しば]]と呼ばれる系統だ。手足が短いのは先祖にコーギーがいたからだと聞いている。

  パンツくらい[[rb:穿>は]]いたら? 丸見えだよ。わたしの言葉に

  「おう」否定するでも肯定するわけでもない、ただありのままを受容する意思を感じる返答。

  いやらし[[rb:犬>いぬ]]め。ヘンな感じの触り方とかするぞ。

  「手、洗って来いよ。あと、うがいも」

  もう済ませたよと伝えると、だらしのない同居人はソファに体をうずめたまま、短いけれど太い腕をばっ! と勢いよく広げ

  「よーし、来ーい!」

  わしゃわしゃわしゃわしゃ。

  「くぅーん♪」

  略。

  しばらく続けたところで、くしゃみが出た。それとどちらが先か、ものすごい力で引き剥がされる。

  「よし、今日はここまでだ。[[rb:那由多>なゆた]]も風呂入って来いよ。洗って入れ直しといたぜ」

  ありがと。礼を言いながら立ち上がる。

  どうやらわたしは獣人アレルギーを発症してしまったらしい。症状はごく軽いのが不幸中の幸いだった。いくつかの事柄に気を付けさえすれば、現在のところは体調に応じて薬を飲むだけで済んでいる。これまで数年続いた同居生活は、これからも続けられる見込みだ。

  更にありがたいことに、この同居人は何かと気遣ってくれる。風呂はわたしが先に入り、その後で柴本が入るのが最近のパターンだ。

  ただ、今回は汚れて、おまけに臭いまで付いてしまったようだ。それで先に済ませて、その代わりに洗って湯を張り直してくれたのだろう。

  ちなみに、今しがたの触れ合いも対処のひとつで、アレルゲンに体を少しずつ慣らしてゆく[[rb:減感作療法>げんかんさりょうほう]]を[[rb:兼ねている>・・・・・]]。

  「おっ、今日は21分36秒だ。へへっ、また伸びたな」

  くしゃみが出るまでの時間を測っていたのか、リストバンド型端末の表示を見ながら嬉しそうに声を上げる柴本。うつぶせの背中で尻尾がやかましく揺れている。

  ブッチーから色々聞いたよ。なんか大変だったみたいなのに色々ありがとうね。

  するとポカンとした表情でこちらを見て

  「……聞いたって、昼間のこと?」

  うん。わたしが頷くと、なぜか同居人は表情を曇らせ

  「えぇー!? ネタバレしちゃったのかよー!!」

  短い手足を駄々っ子のようにジタバタさせた。

  「くそー! ブッチーにネタバレすんなって言ってやんなきゃ! あ、端末どこ行った」

  のっそり立ち上がり、ソファーに埋めてしまったらしい端末を探してごそごそする。

  柴本から聞かせて貰えるのも楽しみにしてるよ。」

  わたしが言うや、探す手をぴたりと止めてこちらを向き

  「うぇへへへへ♪ そう来なくっちゃ!」

  嬉しそうに笑った。

  

  わたしの同居人、[[rb:柴本光義>しばもと・みつよし]]は便利屋だ。

  さまざまな依頼を請け負うことを仕事にしている。

  なお、今日の出来事は依頼人のいない、言わば余暇活動のようなものだと、彼に同行したブッチーから聞いている。

  いつもならば夕食のときに話を聞くのだけれど、今回に限って言えば出来なかった。

  というのもシモの話を食事の席でするのは、同居人にとっては重大なNG行為のひとつだからだ。

  

  そんな訳で、今回の話は食後のバニラアイスがお供になった。デザートは大丈夫なのか。基準がイマイチよく分からないけれど、まぁいいか。

  「竜の結石、話くらいなら那由多も聞いたことあるだろ?」

  この前の特売日に買ったバニラアイスを山盛りにしたガラス鉢を前に、ちょっとヘンな冒険の話は幕を開けた。

  ……のだが、昼間の出来事で疲れているせいか、話がまとまっていない上にひどく眠そうだ。もう今日は寝たら? 明日また聞かせてよと提案してみる。が

  「やだ。那由多に聞かせるまで寝ない」の一点張りである。いい年して駄々っ子か。

  そんな訳で今回は、ブッチーがアプリで送ってくれたメッセージを確認し、所々で合いの手や質問を挟む形になった。

  竜の結石。

  その名の如く、竜すなわちドラゴンの体内にできる結石である。

  結石と言えば、[[rb:腎臓>じんぞう]]結石や尿路結石あるいは胆石など、人間や獣人その他の動物にも出来ることはよく知られている。それらは大体、カルシウムやリン、その他の物質が体の中で固まって作られるもので、ドラゴンにしてもさほど変わらない。ただ、他の生物には含まれないような成分が含有されていることが近年の研究で明らかになっている。

  多くの生き物にとって全くありがたくない代物なのだが、ドラゴンから採れるものは薬剤や香料の原料として、昔から[[rb:珍重>ちんちょう]]されてきた。

  元々希少価値の高い品だったが、ここ百年あまりの間に希少性は更に跳ね上がり、まぼろしの石とすら言われている。

  というのも現在、ドラゴンと呼ばれる生物のほとんどが、絶滅の危機に[[rb:瀕>ひん]]しているからだ。われわれ人類すなわち人間や獣人など、知性と社会性を兼ね備えた生物種たちとの生存競争の結果である。

  高い知性を持ちながらも社会性や協調性のたぐいを一切持たない彼らは、気まぐれで縄張り意識が強いことで知られている。ほんのわずかな例外を除けば、彼らとの間に対話が成立したことはない。それゆえ、生活圏がぶつかり合ったとき、滅ぼすか、さもなくば黙って滅ぼされるかのいずれかしか選択肢はなかった。

  互いに前者を選んだ結果、人類は勝利した。してしまったのだ。

  現在、世界各地でドラゴンを絶滅から救うべく、保護の取り組みがなされている。けれどもその成果は[[rb:芳>かんば]]しくない。

  『竜をひとたび檻に閉じ込めれば、その魂は死ぬのみ』

  人類かドラゴンの誰かが言ったこの言葉が、自尊心の高い彼らを人の手で飼養することの困難さを言い表している。

  そんな状況なので、現在、正規のルートで出回っている竜の結石は、規制が始まるより前に採取されたものの残りが市場に出回ったか、さもなくば[[rb:自然に排出>・・・・・]]されたのを拾い集めたかのどちらかだ。

  「これ、ブッチーが教えてくれたんだ。もう見ただろ?」柴本が手に持つ端末を覗き込む。

  どこか外国の人が投稿したらしい書き込みは、見慣れない文字で[[rb:綴>つづ]]られていた。

  読めない。が、AIによって翻訳された文章がすぐ下に表示されている。

  『ああ! どうしましょう! ドラゴンの滑石! 大金持ちになってしまうかも!』

  石とも[[rb:蝋>ろう]]ともつかぬ、虹のような不可思議な輝きを帯びた塊を撮った写真が添付されている。

  「散歩中に竜の結石を拾ったんだってよ。で、これ見て思い出したんだ。ドラゴンなら[[rb:河都>このまち]]にも居るじゃねぇか、ってな」

  得意げな顔で言うのに、ちょっと目眩がしてきた。

  すでに事情はブッチーから聞いていた。けれども本人から直に耳にすると、また新たな衝撃を感じずにはいられない。

  まさかその人のマネをして、ドラゴンの[[rb:糞>・]]を拾いに[[rb:毒垂>ぶすだれ]]にまで行くとは……。

  「へへっ、すげぇだろ」

  自慢げに言うのを見ながら溶けかけたアイスを口に運ぶ。褒めていない。言いたいことは色々あるけど、無事に帰って来た訳だしまぁいいか。いや、よくない。

  この柴本光義という男、金儲けの話になると途端にバカになる。

  額に汗して地道に働いているときには何ら問題ない。けれども楽して儲ける話になると、なぜか急激に思考力が落ちるのだ。

  得られる見込みのある金額をX、思考力をYとした二次関数のグラフを作成すれば、きっと面白いものが出来上がるだろう。やらないけど。

  詐欺やその他犯罪の片棒を担ぐことはいっさい無いと、数年ほど生活を共にしてきた間柄として断言できる。加えて、犬狼族のなかでも飛び抜けて嗅覚が鋭く、それもあってか悪意とりわけ他者に危害を加える類のものを巧みに嗅ぎ分けるのだ。曰く、『悪ぃこと企んでるヤツってのはよ、大体似たような臭いがしやがるんだ』だそうで。

  対面で直接言葉を交わすだけではなく、ときには文章からでも見抜くあたり、この男が言うところの"臭い"とは比喩なのか、それとも本当に鼻で嗅ぎ分けているのか分からないときがある。

  本人にしても分かりかねているようで、たずねても要領を得ない答えしか返ってこない。

  「無謀だって言いてぇんだろ? けど宝くじ買うよりは確実って思わねぇか?」

  うーん、宝くじは命の危険とか無いからなー。少なくともくじ券が噛み付いたり火を吹いたりしない訳で。

  お徳用の2リットルケースから、おかわりを山盛りよそう柴本を目で追う。

  「いる?」勧められるも、わたしは首を横に振った。この男と暮らし始めてから、何を食べても美味しく感じるようになってしまった。気をつけなければ手持ちの服が着られなくなってしまう。

  「ん~、ちべた~い♪」

  しかしこの男、眠いとか言ってるクセにしっかり食べる。

  **********

  

  ブッチーが見つけたSNSの書き込み。それが今回の発端である。

  今日は偶然にも、依頼の予約が入っていない日だった。ブッチーと彼女に仕事の手ほどきをした柴本はどちらも、仕事の依頼は前日の23時59分までにウェブサイトのフォームから申し込んでもらう形を取っている。

  今日のように手が空いているときには緊急で相談に応じることもあるが、割増料金を設定してあった。そうでなければ、思い立ったが吉日とばかりに押し寄せてくる連絡に圧迫されて、予定など立てられなくなってしまう。

  ヒマではあったが緊急の相談を待つ気分でもない。あらかじめ提示したルールを守らない客というのは、自分の事情しか頭にないことも多い。あれこれ難癖つけた挙げ句、最初に提示した依頼料を値切ろうとすることも珍しくない。

  そんな面倒に首を突っ込むことはせず、小洒落たカフェで期間限定スイーツを楽しみながら――栗とさつまいもを使ったパフェだそうで――SNS巡りをしているとき、くだんの書き込みに辿り着いた。

  それで、すぐさま敬愛する師匠にメッセージアプリで共有したところ、すぐにリアクションが返ってきた。くしくも柴本も同じような状況だった。まだ暑い9月半ば、よく晴れた平日の午前10時過ぎである。

  《よし! おれたちも探しに行こうぜ! ドラゴンならこの街の近くにもいるだろ?》

  まさかの反応に、さしものブッチーも面食らった。はぁ!? と思わず大きな声を出してしまい、店員さんや他の客から注目されて気まずい思いをしたそうだ。

  《でも、それって[[rb:毒垂>ぶすだれ]]っしょ? あそこまで行くンスか?》

  雰囲気を和らげながら意思を伝えるべく、2頭身のかわいいキャラクターが慌てる様子のスタンプと一緒に送り返す。そこに柴本のメッセージが続いた。

  《報酬はふたりで山分け。ついでにあかうし亭で焼き肉も[[rb:奢>おご]]るからさー! 頼むよー!》

  もう行くつもり満々である。思わず溜め息が出た。

  少しだけ考えた。あかうし亭といえばこの街でも有数の高級店だ。ごくりと生唾を飲んでから、気持ちを落ち着けるためにパフェを一口。心は決まった。

  《師匠の奢りで焼き肉、絶対ッスよ! とりあえず準備と移動で時間いただければ》

  他人の金で食う焼き肉の魅力には抗えなかったとはブッチーの言葉である。そんな訳で、大急ぎで期間限定のパフェをかっ込んで小洒落たカフェを後にしたのだった。

  待ち合わせに指定されたのはホームセンターの駐車場である。他の近隣店舗よりも品揃えが充実したその店は、仕事道具や日用品の購入のため、ふたりとも[[rb:頻繁>ひんぱん]]に利用していた。

  「はぁ……いくら師匠の誘いとは言え、やっぱ、気が進まないッスね……」

  一旦家に引き返し、普段使いの車から仕事用の軽トラックに乗り換えての道中で、ブッチーは溜め息をついた。その直後、交差点の信号が赤から青に変わった。

  「おっと!」

  軽トラックを発進させながら考える。[[rb:毒垂>ぶすだれ]]かぁ……。

  [[rb:曰>いわ]]く付きの土地として知られ、山菜採りの穴場があるらしい以外には良い話を聞かない場所である。

  かつては別の名で呼ばれ、当時はそこそこ活気のある集落だったことが記録に残されている。が、あるとき突如現れた怪物すなわち未確認の巨大生物により、集落は甚大な被害を負った。多大な犠牲を払って怪物の討伐には成功したものの、その死体から染み出た毒により土地は汚染され、人の住めない土地となった。

  数百年を経た今も、毒の影響か奇妙な形にねじくれた草木が再開発を拒むように一帯を覆い尽くしている。それなりの期間、河都で暮らし続ければ一度は耳にする話だ。ましてやこの街で生まれ育ち、便利屋という地域に密着した稼業を営む柴本が知らないはずはない。

  そこに10年ほど前から、1頭のドラゴンが流れ着き、そのまま一帯を自分の縄張りと主張し始めた。全身を覆う緑の鱗にちなんで[[rb:ジェダイト>翡翠]]の識別名で呼ばれるその個体が、おそらく柴本の今回の目標なのだろう。

  無謀である。まだ若い個体とはいえ、既に軽トラックくらいの大きさにまで育っていると言われている。慎重な性格ゆえ人里に下りてくることはないとは言え、縄張りに踏み入っても大丈夫な保証はない。

  「まぁ、師匠なら何か考えがある筈ッスね」

  ウインカーを出し、広い駐車場へと入る。平日の昼間とあって[[rb:疎>まば]]らな駐車場では、発案者とその愛車はすぐに見つかった。

  シルバーに塗装されたワンボックス型の軽乗用車のすぐ近く、大きく手を振るずんぐりとしたシルエット。 軽トラックを停めると、人懐こそうな笑顔を満面に浮かべた柴本が駆け寄ってきた。

  「やぁやぁ、よく来てくださいました」

  「あー……、師匠、本当に行くんスね? 毒垂まで。ジェダイトの……その……[[rb:落としもの>・・・・・]]を拾いに」

  「おっ、その落としものって言い回し、なんか良いよな! 那由多が言いそうだ」

  思わず溜め息を漏らすブッチーに、彼女より頭ひとつ分は小柄な犬狼族は元気に返した。

  どうでも良いが、わたしのことを一体なんだと思っているのだろう。

  [[rb:曰>いわ]]く付きの[[rb:毒垂>ぶすだれ]]には、人生に[[rb:倦>う]]んだ者か、山菜採りに執念を燃やすジジババくらいしか近寄らない。毎年、[[rb:淡海県警察>あわみけんけいさつ]]が初冬に行っている一斉捜索では、毎回いくつか身元の分からない白骨死体が見つかるような場所である。

  「心配すんなって。おれ、仕事で時々あの辺に行くけどよ、別に今日みてーに晴れた昼間なら、そんなに怖くねーぜ?」

  「えっ、あんな場所に仕事って?」

  「人捜しでな。その……間に合わねぇときも、あるんだけど、よ……」

  顔中に笑みを浮かべながら言い始めた柴本だったが、しだいに目を宙に泳がせ、言葉も先細りするように小さくなってゆく。

  「あー……」心なしか沈んだ表情になるのを見て、色々と察したブッチーは口をつぐんだ。

  ともかく、金にすっかり目がくらんだがめつ[[rb:犬>いぬ]]は、彼を師と仰ぐお供を引き連れ、近所の呪われし地に向かったのだった。

  道中、この男はずっと、竜の結石を見つけて一攫千金だの億万長者だのと無線越しに言い続けていたと、ブッチーから聞いている。

  がめつ犬め……。

  **********

  乗り入れられる場所で車で行き、その後は荷物を背負って歩く。水筒などの他には[[rb:戦利品>・・・]]を入れるための大容量のポリ袋が何枚か。それから背負いかご。出発したときにはふたりとも身軽だった。

  どちらも、害獣駆除のハンターからの誤射を防ぐために派手な色のジャケットを羽織っている。蛍光色で、柴本はピンク、ブッチーはライトグリーンだ。

  そうして1時間ほど歩き続けたくらいだろうか。何かの匂いを鼻で捉えた柴本が、辺りをきょろきょろと見回しながら、黒い鼻をひくひくと動かした。

  「どうしたんスか?」まさかジェダイトが近くにいるのでは!? 身構えるブッチー。が

  「こっちだ!」と匂いの方角目がけて駆け出すのを

  「ちょっと、師匠!?」大慌てで追いかけた。

  [[rb:臭い>・・]]はジェダイトに[[rb:まつわるモノ>・・・・・・]]だったが、本人――本竜?――ではなかった。その[[rb:落としもの>・・・・・]]である。

  出してまだ間もないようで、ホカホカと湯気が立ちのぼっている。とてもくさい。

  「うへぇ……」尻込みするブッチー。だが彼女が師と仰ぐ男はそれとは逆に、手にした火バサミをカチカチと鳴らし、臭い立つ落としものを分解し、中に混じっている筈の――このがめつ犬はそう思い込んでいる――貴重な結石の破片をほじくり出すことに意欲を燃やしていた。

  「おっしゃ! やるぜ一攫千金!! 億万長者ァ!!」

  その光景に弟子を自称する彼女は尊敬しながらもドン引きし、それで、今後もまた師匠と呼んで敬い続けて良いものかとちょっとだけ思ったようだった。

  そうして、柴本が[[rb:宝探し>・・・]]に興じていると

  「グォォォォォォォ!!」

  大気をビリビリと震わせる吠え声が辺りに[[rb:轟>とどろ]]いた。上からだ。

  「!?」一瞬、雷かとも思ったブッチーだったが、ねじくれた[[rb:梢>こずえ]]の隙間から覗く初秋の空は青かった。

  見上げると、バッサバッサと重い羽ばたき音を響かせながら、緑の巨躯が旋回するように飛んでいるではないか。

  「き、来た……!」

  体を[[rb:強張>こわば]]らせるブッチーとは対照的に、柴本は

  「あー、やっぱ見つかっちまったか。ま、しょうがねぇや」

  いつもとあまり変わらぬ様子で、音のする方を向いた。

  ねじくれた木々の[[rb:梢>こずえ]]を押しやり。

  トゲだらけの下草などものともせず踏みしだき。

  毒垂のヌシであるドラゴン、ジェダイトはふたりの近くへと降り立った。

  そして、シュウシュウと聞こえる複雑な音を口から発した。彼らの言葉のようだがブッチーにはその意味が分からなかった。

  力強く[[rb:獰猛>どうもう]]な、けれどもある種の美や気高さを見出さずにはいられない[[rb:偉容>いよう]]に、ブッチーこと[[rb:拝渕恵南>はいぶち・えな]]は僅かな間だけ釘付けになり、ハッと我に返った。

  彼らドラゴンこそが万物の霊長。

  声高に主張する人々がいることを、彼女は何となく理解した。

  決して人の手に落ちることのない暴力的な野生の美。対して、自分たちは、それ――否、彼らが落とすモノを嬉々として拾い集めほじくり返す、なんと卑しい存在か。

  人類が勝手に付けた呼び名の通りに、硬質な緑を帯びた鱗の[[rb:只中>ただなか]]、金色の瞳には確かに知性のきらめきが[[rb:垣間見>かいまみ]]えた。

  一説には、彼らは人間を遥かに超える深い知性を有するとも言われている。だが、われわれが社会性とか協調性などと呼ぶ概念を、彼らはまったく持たない。必要としないのだ。

  《自分の母親以上におっかないモノがいるなんて思わなかったッス》とは、ブッチーが冗談めかして送ってきたメッセージである。

  半グレ集団[[rb:破運怒>ハウンド]][[rb:随一>ずいいち]]の武闘派として鳴らした彼女には、怖いものなど殆どなかった。柴本の助けを借りて足を洗い、掃除屋として真っ当な人生を歩んでいる今でも変わらない。

  そんな彼女が、目の前に現れたドラゴンに恐れをいだいた。軽トラックほどと聞いていた体は、また成長したのかそれ以上に大きく見えた。

  大人でも数口で平らげてしまいそうな口には、見るからに鋭い牙がぞろりと並んでいる。

  緑の鱗に覆われた全身は、拳銃の弾どころか散弾銃ですら効き目はなさそうだ。

  鋭く大きな鉤爪は、その気になれば目の前の生き物をミンチに変えてしまうことなどたやすいだろう。

  毛並みに覆われた地肌を汗が伝うのを感じ、服の下を走る震えをどうにか抑えながら、横目でちらりと柴本をうかがい――驚いた。

  獣人としては小柄で、自分よりも頭ひとつぶんは背丈の低い男はしかし、この一帯で暴君として君臨する生き物を目の前にしながら、少しも恐れているように見えなかった。それどころか、口元にはうっすら笑みすら浮かべ、尻尾をゆったり大きく動かしている。

  呆気に取られる拝渕をよそに、柴本は先ほどドラゴンがやったのを真似るかのような音を発した。

  歯と歯の間から鋭く息を吐き出す[[rb:擦過音>さっかおん]]や舌打ちに似た音の混じる複雑な響き。それが終わるや、ドラゴンが再び同じように返す。今度はさっきよりずっと短い。

  「そんなこと言うなよ。こっちだって頑張ったんだぜ?」

  唐突に普通の言葉に戻った柴本。いったいどのようなやりとりがなされているのか分からず、拝渕はふたりを交互に眺めた。

  人類からはジェダイトの個体名で知られる竜は、男の言葉に短く返した。隣で聞くブッチーには、その意味は分からなかったが、それはまるで、低く静かに笑うかのように思えた。

  「師匠、いったい何を……?」

  しかし柴本はブッチーなどまるでそこにいないかのように無視し、緑のドラゴンに向かって言葉を続けた。

  「取引しようぜ。アンタにとって損は無いハズだ」

  うなり声が返ってくる。

  「アンタがメシの後でケツから出すクセェのを拾わせてくれ。そうすれば、しばらくは快適に過ごせるだろう。どうだ、悪くねぇ話だろ?」

  無言の間。かすかな呼吸音だけが聞こえる。生唾を飲み下すブッチー。

  そうしていると、ジェダイトは興味を無くしたかのように再び飛び立っていった。

  重々しい羽ばたき音が遠ざかってゆくのを確かめてから、柴本は大きく息をついた。

  「あー、怖かった。ブッチー、さっきは無視しちゃってゴメンな」

  「いや、べつにそんなの……」ドラゴンとの会話を成立させたのを目の当たりにした後では、あらゆることがどうでもよく思えた。

  「連中はよ、とても嫉妬深ぇんだ。話してる途中に別の誰かと話し始めると、無視されたと思い込んでキレることがあるんだとさ」

  「ひぇぇ……!」

  縮み上がるブッチーに、柴本はまた申し訳なさげに

  「とにかく、さっきは悪かった。それに、あいつに遭遇せずにやりおおせるつもりだった」

  「い、命が助かって良かったッス!!」

  首をぶんぶん横に振るブッチーに、同居人は背負ったカゴの紐の位置を直しながら

  「悪ィけど、もうちょっと手伝ってくれねぇか?」

  「こうなったらもう、どこまでもお供するッス……!」

  ねじくれた木々の生い茂る林の中を、暴君の[[rb:落としもの>・・・・・]]を探して歩き始めた。

  **********

  ……はぁ。

  そうやって、ドラゴンのうんこを拾い集めていた訳ね。

  わたしの言葉に、同居人は「おう」と短く返した。

  ブッチーの話によれば落としものは沢山手に入ったらしい。が、それにしては元気がない。

  「それこそ、[[rb:虱潰>しらみつぶ]]しに探したんだけどよ。無かったんだ、石……」

  それはそうだろう。まぼろしの石とすら呼ばれる代物で、珍しいから高値が付くのだ。

  そんなものが日帰りの冒険でポロポロと出てくれば、値崩れが起きるのは想像するまでもない。

  「一日中駆けずり回って儲けなしって訳にも行かねぇからよ、軽トラの荷台に山盛り積んで、知り合いの有機栽培農家に買い取って貰ったのさ」

  日当としてはそこそこな金額になったことは、彼に同行したブッチーからも聞いている。

  ドラゴンの糞は有機質肥料の原料として高く取引される。おそらくは目に見えないほど微細な結石の成分が含まれているのだろう。

  タダ働きにならなくてよかったね。わたしが言うと、けれども柴本は眉間にシワを寄せて

  「そうなんだけどよ。けど、ブッチーが最後に『これならマジメに仕事した方が良いッスね』ってさぁ……」

  うん、それは間違いない。

  既にブッチーからも聞いていた言葉に同意すると、同居人は力なくソファーに沈み込んで動かなくなった。

  「とほほー……」

  とりあえず、いい加減にパンツ[[rb:穿>は]]けよ。

  (了)