流離いの虎が短小包茎のチビと呼ばれるまで

  ここはグレーシティ。その狭い路地の出来事だった。

  グレーの名が示す通り、街並みは灰色の石造り。石が香る豊かな都会だ。

  石畳が歩道を隙間なく覆う。大部分は大勢に踏まれ擦り減り、実に年季を感じさせた。

  特に通行人の多い箇所は紙ヤスリで削ったように窪み、触れたものに滑らかな手応えを返す。

  時刻は闇の深まる深夜。

  三階建ての建物の窓が開き、何者かが、そこから飛び降りる。

  静かな着地。両足で衝撃を受け止めると、優越感からニヤリと口を緩めた。

  石畳に足裏をつけるなり両足を曲げ、ゆるやかに立ち上がると、何事もなかったように歩き始めた。

  「へっ! 流離いの虎ローム様にかかりゃあ、簡単なもんだ」

  細身ながら筋肉質の虎が、大粒の宝石を手で弄ぶ。手のひらに収まりきらない真紅の輝きを見つめ、隠し持つ。

  「デカいデカいと聞いていたが、まさかここまでとはな」

  ロームは恵まれた肉体と錠前開きの才能で、ものを盗むのだ。

  ときに静寂の中で、ときに騒音の中で、力と知性を兼ね揃えていることを自慢にしている。

  「チームプレイなんかより、ソロプレイのほうが余程に稼ぎがよくなったな」

  もともとは盗賊として仲間と行動をしていたのであるが、何度も意見の食い違いが起きて衝突。やがてロームの言葉に従わなかったものは、そのほとんどが役人の手で鎖に繋がれた。

  ロームは細身ながら筋肉質の虎の虎だ。身長も並より恵まれていて、虎ということもあり威圧感はそれなり。目を鋭くし強面になってやれば、ほとんどの相手が尻尾を巻いてくれる。

  ロームは頬や額にも含め、明るいオレンジ色に黒の縞模様が入っており、特に虎縞の強い背中は衣服の下で隠されている。引き締められた無駄のない肉体が、ふわりと毛皮を踊らせた。興奮のあまり身震いをしてしまったからだ。

  「平常心にならねぇとな」

  何食わぬ顔に戻ると、得意満面の笑みを隠し、今日の“あがり”を指で撫でさすった。

  彼の服装は破れたことを気にしないシンプルなものだった。盗賊という犯罪者のライフスタイルをそのまま衣服に仕立てたように、擦り切れたり色落ちしたりと、古びたものをまとっていた。

  黒革のベストに暗青色の織物で作られたシャツ。

  タイトな黒のズボン。大きな足には、革のブーツを履いていた。

  そのブーツは長い旅路や激しい戦闘を経て傷だらけになっていた。ベルトの内側には様々な道具や小さな武器が仕込まれていて、生涯の相棒と呼べる存在だ。今日も大活躍。頑固な金庫の口を割らせるのに役立ってくれた。

  太い首には赤いスカーフが巻かれ、強盗なんかをやったときには口元を隠したものだがロームは嫌でも目立つのを自覚していて、こんな変装では役に立たなかった。変装用のスカーフは、今では肉球の痕跡を拭いとること、砂埃や薬品から鼻と口を守るものと役割を変えていた。

  自分を特別視しているロームであるが、犯罪者に過ぎない。

  荒野を流離い、気ままに悪事を働く傍迷惑な連中のひとりだ。

  ロームは路地を進むと、側の壁に自分の手配書があり、破り捨てる。

  「チッ、俺だとバレちまったか?」

  やっていたのも忍び込みと窃盗だけ。

  自分であるという痕跡は完璧に消していたはず。

  なのに手配書が貼られているのは、どういうわけか。

  「すこし長居しすぎたか。まあいい。さっさと準備を整えて、出発しちまうか」

  また、チッ、と舌打ちをする。やがて小さな商店が目に留まった。

  裏路地と大通りの境目にあるため、足音や騒ぎ声が次から次へと飛び込み喧しい。

  ガラス窓から店内が一望できる。カウンターの向こうでは、小柄なリスが椅子に腰掛けている。前かがみになっているため表情は読み取れないが、両手で新聞を広げっぱなしにしていた。

  「………………」

  店の中は掃除が行き届いていて、棚には魅力的な品々が並べられている。

  ロームはしばらく店の様子を窺っていたが、口周りを舐めあげると、店に入ることにした。

  なぜならリスは眠りこけていて、ちょっとした物音で目覚めることもない。

  いまなら品物は取り放題! サービスのいい店ではないかと両手をすりあわせた。

  「こりゃあいい。今夜はごちそうだな。グレーシティとのお別れパーティーと、仕事の祝杯といこうじゃねえか」

  ロームは上機嫌に舌なめずり。体質的な不快感がなく、ごっそり宝石を盗んだ。その帰りに無料の食事と酒類。さらに旅立ちの準備を揃え、タバコまで味わえるのだから言うことはなかった。どんなチンケな店であろうが、流離い者のアウトローにとっては上等な高級レストランだ。このグレーシティを去る前に、最後の獲物はここと決めた。

  「そのまま眠ってろよ。目覚めたら仰天して、腰を抜かすぜ」

  ロームは幸運が重なった気の緩みからか。

  周囲に感覚を向けることを怠ってしまっていた。

  店の扉に手をかけ、押し開けようとした直前。ロームは右側面から「見つけたぞ」と声をかけられた。

  「はぁ?」

  振り返ると、筋肉質のハイエナが彼を睨みつけていた。

  重々しい合金の防具を身に着けた堂々たる姿をした彼こそ、グレーシティの治安維持に務める衛兵で、ロームのような犯罪者にとっての天敵であった。

  「なんだよ衛兵さん。店に入るのが罪なのか?」

  ロームはしらばっくれた薄笑い。相手は怒るでも蔑むでもなく、使命感に瞳を燃やしているのだから、やりづらい。この手の衛兵はタカリをしないため袖の下が通用せず、何を語りかけても交渉にならないのだ。

  「この忌ま忌ましい悪党め」

  ハイエナは口を鋭く言って、軽く踏み出す。

  「今夜は、よりにもよって大店の金庫をこじ開けたな!」

  ガタッ

  ハイエナの声が聞こえたのだろう。店内のリスが息を吹き返したみたいに動き出す。

  せっかくのチャンスを逃したが、舌打ちをする時間すら惜しい。すでに老舗から宝石をせしめたことを知られているのであれば、ハイエナをはじめ、ほかの衛兵たちの目的は見回りではなく犯人探し。

  「俺がやったっていう証拠でもあるのかよ?」

  もしや、あの店は財産を守るため、夜の見回りでもやっているのか?

  だとしても。衛兵の行動が迅速すぎる。大店の人物が権力者と親しい?

  いろいろな可能性を考慮しようとも無駄だ。考えなくていい、ロームは自分が焦っているのに気づき自分自身に「どう考えようが後の祭りだ。割り切っとけ」そう命令した。

  「どっちにしろ犯罪者だからな。こういった路地にも、手配書が貼られていたはずだ」

  「へぇ。見えなかったな」

  こんな裏路地にまで手配書を貼るところなんて、見たことねぇよ。

  内心で毒づき、それでもロームは平静を装った。

  「衛兵ってやつはセコいな。犯罪者を相手に、別件の冤罪を着せて真犯人を取り逃しての点数稼ぎか?」

  ハイエナは警戒しながらも、その軽口に微笑みを浮かべていた。

  「全く動じない上に皮肉たっぷりの口調で、何度も語ってくれるじゃないか。実に慣れていて、怪しい人物と判断せざるを得ない。荷物と服の中を、あらためさせてもらおうか」

  真っ当な指摘を受けても、ロームは動じなかった。ハイエナの言ったとおり、展開には慣れている。

  「ふーん。俺が犯人だから服を脱げっていうのか。それは市民の権利を侵害する行為のはずだ」

  ハイエナは頭一つ分は大きいロームを前に、いっさい怯まない。彼は鍛えているが如何せん小柄で、武装していようとも、体格と腕力に物を言わせ逃げ続けたロームの前では心もとなかった。

  「衛兵には立会人をつけてのボディチェックを法的に認められているのを知っている顔に見えるが? 御同行を願おうか、おまえが無実なら、協力に対しての謝礼が支払われる。本当に罪がないのなら、その場で大金を渡され開放される。悪い話じゃないだろう」

  善良な市民であるならば、協力は惜しまないはずだ。特に、後ろめたいことのない市民であれば。そんな態度がありありと滲み出ていて、やりづらかった。

  「それはありがたいが、俺がしていたことは御同行を願われるようなことじゃないな」

  ロームはにっこりと笑い、「していたのは散歩だ。それに買い物をしようと思っていただけだ」。店を指差し、白々しく言い切った。その間にもハイエナは悟られぬようにじり寄っていた。眼差しは静かだが、獲物を狙う獰猛さを秘めている。

  「もう一度だけ言うぞ、御同行を願おうか。さもなければ、手荒な真似をすることになるぞ」

  グレーシティの夜は静寂に包まれていた。

  しかし、場所によっては賑わいを見せ、子連れまでいる。

  あらゆる人種や日常を送るものたちが混在する、歴史ある大都市。

  ここに昼も夜もない。日が沈めば夜行性の住民らが、日常を営む。

  その静寂と喧騒が響き渡る境目。犯罪者が衛兵の隊長と見つめ合う。

  ロームは靴裏で石畳の路地を踏む。筋肉質な腕を曲げ、自らの顎を撫で始める。

  「やれやれ。困った衛兵さんがいたもんだ。そんなに点数稼ぎをしたいのか、出世欲っつーのは恐ろしいな。まっとうに働いたほうがいいんじゃないか?」

  ゆっくりと、言い聞かせるように語ってみせた。

  ハイエナは燃える瞳で睨みつけ、ゆっくりと、迫りくる。

  「悪党がよくも言ってくれるな」

  「散歩をするのにも衛兵の許可がいるのかよ? 世も末だな」

  冷静に返答し、腕組みをしてみせた。心から迷惑そうな態度をつらぬいた。

  気の弱いものであれば「本当に間違いだったか」と自らを疑い、気まずそうに立ち去ってくれる。また相手が悪いから仕方がなかったと言い訳を重ね、消えてくれるのだが、ハイエナはもちろん異なった反応だった。言葉を重ねるほど、感情を燃やしている。

  「どうやら。おまえは」

  その声は低く、深みのあるもので、威圧感を放っていた。

  「想像以上に法律とそれを厳守する番人たちを舐め腐っているようだな」

  ハイエナの衛兵は一瞬。細い息を噴き出す。やがて自分の立場を明確にする。

  「ケチなコソドロ風情が口の利き方に気をつけろ」

  ロームはハイエナの衛兵に見下した視線をやると、へらへらと口を緩めてやった。

  「気をつけるのは、おまえのほうだぞ? 虎は、チンケなハイエナと違って、怒らせると手が付けられなくなる。見逃す方が身のためだろう」

  「おまえを連行する!」

  ハイエナは歯をむき出しにして吠えたが、ロームは余裕をもって声を受け止め、鼻で笑った。

  「フンッ。おまえらみたいな連中を相手にしたときは、俺の答えは『クソ喰らえ』以外にない。じゃあなチビ」

  背を向け、片手を振り、一歩、二歩と大股で進む。

  これでハイエナが会話を引き伸ばして稼いだ距離は帳消し。

  咄嗟の言葉と行動を前に、ひとは中々に動けない。そして侮辱的な意味合いを受け取れば、だれでもカッとなるものだ。そこに時間差が生じる。

  「いい度胸をしている!」

  背後からハイエナが怒りを露わにして叫び、詰め寄るが――遅かった。

  すでにロームは走り出していた。相手が息を吸う瞬間を見計らい、先に走り出せば絶対に有利になる。さらに体格差はフィジカルの差に直結し、感情で荒くなった呼気は乱れているがゆえ、体の機能を十全に使えなくなってしまう。

  ピュウウウウウウ!

  ピュウ、ピュウウウウウ!

  ハイエナが笛を鳴らす。仲間たちへの合図だ。

  「チッ、散ってる連中に指示を出しやがったか……俺が盗みに入ると予想して、あの店を張ってやがったな……くそったれ!」

  忌ま忌ましげに吐き捨てるが、どれだけ愚痴ろうと仕方がない。

  逃げ切らなければ、鎖に繋がれての生活が待っている。

  「いいぜ、やってやるよ」

  衛兵たちとの追いかけっこは、慣れたものだ。

  これまでも。

  これからも。

  法律の下僕どもに組み伏せられるなど、御免被る。

  「準備はまだだが、今夜中に、安全なところまで逃げるとするか」

  かくして、グレーシティからの脱出を選び、ロームの逃走劇が幕を開けた。

  流離いの虎ロームは深い闇に包まれたグレーシティの中。風を切り裂き駆ける。

  背後からは鋭い足音とともに「止まれ!」と怒鳴りをあげられた。振り返るのは速度を抑えるし、そうしなくたって相手が衛兵なのはどんなバカでも察しがついた。

  衛兵たちは真面目なハイエナの指示を受け、訓練を積んでいるのがよくわかった。

  以前にグレーシティのうだつのあがらなそうな衛兵を選び、賄賂を出そうとしたのは失策だった。いきなり逮捕されそうになった苦い経験が頭に浮かぶ。そのときはスリルを楽しむ程度に思っていたし、今どき珍しい衛兵だと鼻で笑ったものだが、あのときの悪手が、響いてきたようだ。

  「まさか……こんなに意気投合している連中だとはな。全員が、犯罪者を煙たがって追い詰めてきやがる」

  それだけではなく、愉悦や悪党が持つような優越が滲んでいる。

  犯罪者を落ちている財布や逃げる家畜に見立てて、楽しむ者が少なからず。

  「あのハイエナ。カリスマでもあるのか……」

  上品な連中だけでなく下品な連中までも束ねている。大した手腕だと舌を巻かずにはいられなかった。

  複数人で円をつくり、その包囲を狭め、縄を縛るように複数の方面から迫ってくる。

  「カリスマがあろうとなかろうが、俺は捕まってやらねぇがな」

  ロームのオレンジ色に黒い縞模様の体が、月明かりの下で躍動する。

  薄暗い影を突き進む。筋肉はその動きのたびにしなやかに蠢き、その筋繊維が引き締まり弾けんばかりに膨らんだのが、ズボンやベスト。シャツの上からでも伺い知れた。もともと古い衣服であり、パツパツになっているのが原因だ。こんなふうに元々以上に肉体を強く見せられるのは相手を威圧できるため、ロームは気に入っていた。

  「あっちだ!」

  「追い詰めろ!」

  周りの衛兵たちは狼や熊、ヤギなど様々な動物だったが、彼らの多くはどれだけ高かろうとロームの背丈よりも一回り小さく、その身長差が虎をより巨大に見せていた。

  「しつこい連中だな……いつもだったらとっくに撒いているっつぅのに」

  息が少しあがっている。衛兵たちに疲れた様子は感じられなかった。

  相手は集団で金属まで身につけているのにスタミナが切れてくれない。これまでの怠慢な衛兵たちと違い、グレーシティの治安維持を本気で考え、肉体改造を続けてきたのだろうか。

  「鍛えた程度の国家の奴隷どもに」

  胸筋が縮んで膨らむ。肺が忙しなかった。

  「流離いの虎を捕まえられるわけねぇ!」

  小さくも力強い声を張りあげる。

  「そんなのは、絶対にありえねぇんだよ」

  ハイエナと相対した際の余裕は陰り、さらに息を乱す。

  ロームは狭い路地を抜け、大きな広場に出た。

  出店の前で屯する住民。恋を語らうカップルなど様々な連中がいた。

  広場の中央には、美しい彫像が聳え立っており、背後からの足音を耳にする。

  見物人を装い彫像の影に身を隠そうとした。しかし、足元は誰かの零した飲料で濡れていて、年季の入ったつるりとした石畳は氷のように滑った。

  「うおっ!?」

  ロームは思わず声をあげ、足を滑らせた。

  太い右足を前に突き出したことでバランスを失い、尻もちをつきかけた。

  縦から横になったことで路地裏から飛び出した衛兵のひとりが、「いたぞ!」と声を張りあげ、またしても笛を吹かれた。

  え?

  なんだ?

  犯罪?

  衆目が一斉に音のほうへ向かって、バレない内に身を低く住民の視界から外れるよう逃走。こちらが犯罪者と気づくや否や正義感に駆られるやつが出てこないとも限らない。実際に、ロームはそれで危機に瀕した経験があり、用心していた。

  「クソッ」

  苦々しく言って、広場からの移動を再開する。

  焦りがあった、これ以上のスタミナ消費は危険だ。そして自分の体質的なこと。

  衛兵たちが一斉に広場に集まってきた。背後だけでなく正面からも、ふたり出てきた。

  「面倒な……!」

  ヤギの衛兵が「ここだ!」と指差す。

  他の衛兵たちも迷わず流離いの虎に目掛け、急接近する。

  「捕まえた!!」

  前後の音に気を取られて、右から意識がそれてしまっていた。

  太った衛兵が抱きつき、体重と鎧や装備の重量に物を言わせて、体勢を崩しにかかった。

  「この、デブ……!」

  ロームは牙を食いしばって熱い息を漏らすが、そのまま引き寄せられて、仰向けにさせられてしまう。何とか体を起こそうとするが、その巨体は右腕を掴まれ中々に拘束を解けずにいた。

  「はやくきてくれ! 捕まえたぞ!」

  「退けってんだよ……! この、デブが!」

  「いまだ! 畳んでしまえ!」

  「もうちょっとでいい、抑えてろ!」

  衛兵たちが近づいてくる。

  三人が一斉に飛びかかってきて、右腕の拘束をようやく振りほどき。

  「こんな三下に、捕まってたまるかっつーんだよ!!」

  突如。ロームの筋肉がパンパンに張り詰める。地面を強く蹴った。

  一気に力が解き放たれると、衛兵を吹き飛ばすほどの勢いで立ち上がる。

  鎧を身に着けた衛兵の三人が宙を舞う。まさかの光景に衛兵たちの体が固まって、ロームは拳を握って、一気に走り去った。そして助走をつけたまま壁に足を引っ掛けるようにして、一息に登ってしまう。角ばった灰色の屋根を足場に、そそくさと立ち去ろうとするのだが。

  「屋根の上だ!」

  「笛を使え!」

  ピュウウウウ!!

  「まだいるのかよ……死んで数を減らしちまえ!」

  ロームは息を整える暇もない。屋根を走らざるを得ない。

  グレーシティは治安がいいと噂で聞きつけ、ちょっくら揉んでやるかと勇み足でやってきた。名を轟かせてもよいし、忍び込んでは謎の窃盗犯と恐れられるのも面白いと嘲笑っていたのだが。

  理由がやっとわかった、住民が大人しいこともあるが、大勢の衛兵たちの連携が巧みであるし、悪趣味なことに仕事を楽しむものが多かった。

  犯罪者を捕まえ、どうしてやろうかと嘲笑っているのだ。

  悪人だからこそ感じ取れる気配が、嫌ってくらいに放たれる。

  捕まれば裸に剥いて引き回すくらい、平然とやってのけるだろう。

  あのハイエナも、見せしめは治安維持に貢献できるし、部下たちのガス抜きになればと許可しても不思議はない。何しろ衛兵が罰を与えるのは、国が認めている。

  「だから、国の下僕どもは嫌いなんだ。権力者に尻尾を振って、ヨダレを垂らしやがってよ」

  おのれの犯罪行為を棚に上げ、不愉快だと吐き捨てた。

  ロームは屋根を利用して、一気に高さと距離を稼ぎ、また別の屋根に飛び移る。

  建物が密集しているため数メートルもない。長い足に恵まれた虎にとって簡単なこと。

  彼はそのまま屋根の上を駆け抜け、衛兵たちとの距離を急速に広げていった。彼の速さと身のこなしこそ、ロームが「流離いの虎」として名を馳せる理由だが、姿を見せては眩ませるといった話も後を絶たなかった。こちらもまた、彼の生まれ持っているものが起因していた。

  「クソ、あと少し早ければ、店の中に身を潜めて」

  屋根の上で、ロームは夜空の星々を背景にしながら飛ぶように足を動かす。

  「出発の準備を整えて、星見酒が出来たってのに……」

  空は澄みきり、無数の星たちが輝きを放っていた。

  ロームは店で失敬した食料品を口に運び、酒瓶を煽る自分自身を想像する。余計に腹立たしくなった。

  「こんなはずじゃなかったつぅのに」

  想像の中のロームは、降り注ぐ光の下で服装も映えていた。

  「衛兵と追いかけっこするなんて、流離いの虎が情けねえ話だな!」

  黒革のベストは彼の筋肉質な胸板を強調し、タイトなズボンは彼の強靱な脚のラインを際立たせていた。細い赤いスカーフは風に舞い、遠目からも速さを示す。

  「位置はわかってる!」

  「焦ることはない、じっくり追い詰めればいい」

  「囲め! あいつ息があがってきてるぞ!」

  しかし、その背後や側面、あるいは視界の先のほうからは執念深い声がする。

  追跡の足音が絶えず聞こえてきた。守衛たちの防具もまた街や月明かりに照らされて輝き、ロームの後ろから迫る脅威として存在感を示してやまなかった。

  「喰らえ盗人!」

  狼の守衛は大きな弓矢を構え、ロームの方へ矢を放った。

  矢の先端が反射し、シルバーの閃光を放つ。

  「あんなもんまで持ち出してきやがったか」

  ロームはその矢をかわすために巧みに身をひねり、更に速さを増す。

  だが、速度をあげるに比例しスタミナの消費は激しくなった。心臓が辛くなる。

  「屋根はあぶねえか」

  視界に入った路地に目掛け、闇へ溶け込むように落下する。

  逃げる中で彼は、次第に狭い路地や障害物のある位置を目指す。

  弓矢で狙えぬよう意識しながら、体格を物陰に潜ませるように進む。

  守衛たちはロームの巧妙な動きに翻弄されながらも、その執念で彼を追い続けた。しかし、次第に彼らの足音は遠ざかり、ロームと追跡者たちの距離は時間とともに広がっていった。

  「ざまあみやがれ……!」

  ロームは息を切らしながらも、追跡から逃れることに成功したことを確信し、深い夜の中に消えていった。

  何度か笛の音を聞いた。

  恐らくグレーシティの外へ出る門は封鎖済みか。

  「次はどうするか、とにかく隠れないとな」

  長らく悪党をやっていると計画やアドリブが必要だと思い至る。

  脱出するのは至難の業であり、準備を整えなければ抜けられない。

  同じようなアウトローに金を支払うか、自力で壁を乗り越えねば未来はなかった。

  「まあいい。とにかく追跡から逃れないことには始まらない。やり過ごしていけばいいだけだ。問題ないはずだ」

  ブツブツと物事を語るのは、落ち着くため。未だ心臓と息は荒く、ロームは気忙しかった。

  逃走からの一息をつき、ロームは夜風に包まれた暗い路地を歩いていた。

  地図を頭に叩き込んでおいてよかった。下調べもしていたから、迷いはしない。

  「う……」

  歩きながら、厳しい虎の顔を歪める。眉をよせ、モゾモゾと身じろぎする。

  「……仕事中なら集中できるが、それも切れてきたか」

  どうしても無視できない身体の感覚が彼を襲ってきた。夜風を浴びることで、または興奮状態で脳が特殊な状況下になっているのか。これまでは我慢が出来ていたものが抑えられない。

  「なんだって、こんな体質になっちまったんだよ」

  ロームは、急に用を足したくなった。

  昔から尿が近い。何をしようと改善しなかった。

  情けない話であるが、姿を眩ませてきた理由はこれだ。

  どれだけ我慢しようとも、穴の空いたパイプみたいに尿が漏れてしまう。

  あたりを見回すと、だれもいない。気配もない。目の前には古びた薄汚れた石壁が立ちはだかるように存在している。

  「衛兵はまだ、こねぇよな……」

  人目も少ない現在ならば、このちっぽけな路地なら、少しの時間を見つけて用を足せると判断した。その後でも執拗に周囲を確認しする。

  「………………」

  万引きをしようとする少年みたいに神経質な所作。その汚れた壁に股間を向け、ズボンのベルトを解いていった。

  「さっさと終わらせちまえば問題ねぇよ」

  ロームの巨体とは対照的に、股間部は幼い頃の男の子のように小さく、しかも皮を被っていた。大柄なロームの親指サイズ……と呼べば聞こえはよくなるが、実際のところ平均にも達していない。睾丸も大きいとは呼べず、大柄な肉体を支える二の足に挟まれていると冗談みたいな見た目をしていた。

  「はぁ……嫌な衛兵どもだった」

  ロームがズボンとパンツを少し下げると、虎の特徴的なオレンジ色の毛が太ももの一部が露出して、虎であることを主張しながらも、情けない股間を指で摘みあげる。

  流離いの虎は両腕、両足、腹筋や胸筋に至るまでが厚めで、すべてに置いて平均を上回っていた。それでも、この一部分だけは例外だった。貧相で軟弱で、目にするのも嫌になる。

  それでも、いまは用を足すことに集中していた。

  ジョ、ジョ、ジョ、ジョオオオオオオオオオオオ!

  「ふぅぅ」

  最初は歯切れが悪く、焦らすみたいに三度の波が起きた。

  ようやく閉じきった蕾のような先端と、汚い壁とを繋ぐ黄色い架け橋が、つくりあげられた。

  ジョボボボボボボ! ジョボボ!

  放尿の音が路地の静けさを打ち破る。尿の温かさが、体から遠のく感覚とともに、薄汚れた石畳へと落ちていく。砂埃や黒ずんだ汚れが尿に混ざり、浮いて流れていた。

  ジョボボボボボボボボッ!

  ボジョ、ボジョ、ジョボボボボ!

  冷たい夜の空気の中で、放たれる尿からは細かい湯気が立ち昇っていた。その香りは強烈であり、無機質な路地に瞬く間にひろがった。

  「はぁぁぁ~」

  間の抜けた溜め息をつきながら開放感に浸ってしまう。

  ちいさい上に過敏。触れるのも嫌なので、刺激に不慣れなのだ。

  石畳は尿によって濡れてゆき、しっかりと滴る音が空間に響いた。

  壁も、一部、跳ねた尿のしずくによって濡れていた。見上げれば月明かり、星あかりに空全体が照らされている。影と闇があふれる路地の中で、滴る水滴の様子がまるで小さな星のようにキラキラと輝いていた。

  「ロマンなんて欠片もねえな。ははは……」

  自嘲気味に語り、ちいさな股間をつまみ直し、包皮が剥けないよう調整する。

  いつも包皮を剥こうとしては過敏さに打ち震えた。そして尿の飛沫が明後日の方角または四方八方に向かうため、下着やズボンを汚す。最悪なときは靴の中が小便まみれ。排尿の際に包皮や亀頭に注意をむける習慣がついてしまっていた。

  「ああああああ~、グレーシティの壁の向こうで、小便をたれていたら気持ちがよかったろうにな」

  ロームの強靭な太ももの間から、ささやかなサイズをした睾丸がちらりと見え隠れしていた。幼さを感じさせる上に、陰茎と睾丸だけを見れば愛嬌があった。

  これが流離いの虎ロームと名をあげた大柄な盗賊のものだと知れば、笑いや同情が込み上げてくること請け合いだ。そのアンバランスさに、だれもが目を丸くしたものだ。実際にロームは嘲られた経験があり、流血沙汰を引き起こした。ここだけは、弱みであり、解消できないコンプレックス。唯一の泣き所であった。

  ジョボボボオボオ! ジョボボボォォ!

  包茎の先端からポンプで水汲みでもするみたいに、驚くほどの勢いで尿が放たれる。排泄の音や雰囲気だけは体格に見合っているが、過敏であるがゆえに放尿の最中はある種の快感を引き出されていて、思考は停止気味になってしまっていた。

  「ふぅ……、こんなに出るとはな。やっぱり、大仕事で長らく集中してたから、しわ寄せがきてんのかな」

  彼はほっとした顔でつぶやく。声から気が抜けてしまっていた。

  ジョボジョボとした放尿音は路地特有の静けさを破り、尿道を駆け上がっていく感触から深い満足を味わった。

  ジョボジョボジョボ! ジョボボボボボ!

  ボジョボジョ、ボジョボジョ、ボジョジョジョジョジョ!

  放尿の音が路地に響く中、ロームは目を細め、心地よさに浸っていた。

  切れていた息が整い始める。胸板を空気で膨らませ、吐き出しては縮める。

  深呼吸をはじめ、五感の神経を股間に集中させ、尿が弾ける壁を見下ろしていた。

  逃走の疲れ。追跡からの解放感、そして今この瞬間の安堵。放尿という当たり前の生理現象に浸っている盗賊の思考は、一般的なものと変わらず、表情は就寝前さながらに緩んでしまっていた。

  音、臭い、夜風。包茎の内部が温水が行き渡った。

  間の抜けた溜め息をつき、片耳を引くつかせていた。

  すべてが心を満たし、すべての欲から開放された心境になった。

  ジョボジョボジョボ……ジョ……ジョジョジョ……ジョ…………ジョ…………

  「あぁ~、ふぅぅう」

  放尿を終え、ぶるぶるっ、と震え出す。

  ズボンを満足な顔つきで引きあげ、ベルトを締める。

  「我ながら、よく出したもんだな」

  飛び出していた尿と感覚にだけ意識を奪われていた。

  眼の前には壁一面にひろがる、おねしょとも似た尿がひろがっていった痕跡。

  地面と壁際に掘られた溝の周辺にたっぷりとひっかけられてしまっている。

  酒の甘ったるい臭いに、タバコの香ばしさが混ざり、食生活が伺えた。

  「追っつかれる前に消えちまうか……ふぅぅぅ、スッキリした」

  虎特有と持って生まれた肩幅をひろげ、力強さと歩き出そうとベルトを位置調整。

  ぶるっ!

  引き締められながらも雄々しい膨らみのある下腹部。

  何者かに握られたような緊張感。特定部位が重苦しくなる。

  「う、チクショウ。錯覚だよな」

  ベルトをしっかりと締め直す。許さねぇぞと肉体にキツく言い聞かせた。

  だが、力任せでは説き伏せられなかった。どころか、ますます鮮明になる。

  ロームは突如として再び尿意を催してしまう。錯覚でも思い過ごしでもなく、杞憂で終わる気配はなかった。

  「チクショウ……どうなってんだ」

  生理現象が再び、内臓に牙を突き立ててきた。

  「走ってるときも、集中してたもんな…………いや、でも、そんな。出して二十秒も経ってないだろ……」

  ロームは頻尿の自覚はあり、渋々ながら受け入れてもいた。

  だが、今回ばかりは現在の事実を受け入れるのが難しく、目を丸くして自分の身体を見つめた。何度も腹を擦り、しかし後頭部や首筋に嫌な汗がじっとりと滲み出せば、話は別のものにすげ替えられてしまった。

  ふざけんな、チクショウと心で呟いた。

  こんなに短い間隔で感じることは稀。いや、初めてだ。

  「まあ、だれもいないから、いいけどよぉ……」

  無駄とわかっていても、自分ではなく股間と生理現象に文句を言う。

  「たくっ、ふざけんなよ」

  ロームは再び、今度は面倒くさそうにズボンのベルトを解いていった。

  放尿の行為自体はとても心地よいものだったが、こんな場所で二度も同じ行為を、それも二十秒以内に尿意を催してから繰り返すのは、やはり抵抗があった。

  「……」

  出来るなら忍耐力を発揮し、こしらえた隠れ家まで我慢を遂げたかったが、切迫した感覚は神経を震わせ、意地をみせようにも、介入の余地は見当たらない。

  「する、しかねぇよな……チクショウ」

  ささやかなサイズの股間は、ひょこっと露出され、放尿の準備を体は整えきってしまった。

  ズボンをおろし用を足す際は、弱点と向かい合わねばならない。

  だからロームは、排泄という行為そのものを嫌っていた。

  「はぁぁ~~」

  逃走劇から一息つき、小便をした後では精神も余裕を持ち始め、劣等感に頬が温まってしまう。

  「はああああああっ、どうにかならねぇもんか」

  ふたたび溜め息を長く、大仰についた。

  それから、すぐロームは股間をつまんで、二度目の放尿を開始する。

  ぶるっと全身を震わせ、黄色いものが包皮から壁に向かって線を描く。

  ジョボォォォォ! ジョボボボボボオボオボオボオボオボ……!

  「ふうぅぅぅ」

  今しがた済ませたはず。二度目であるのに確かな勢いをもち、排出される。

  冷たい夜の空気と、身体を抜ける温かな尿の対比は、彼の心と体を揺さぶった。

  心地よいその感覚に浸りながらも、自分の頻尿体質を不甲斐ない。また腹立たしい思いが拭い去れない。

  「なんで俺は頻尿なんだか……クソは漏らしていないだけ、マシかもしれねぇが」

  尿のほうは度々に漏らすため、それはそれでガキかよ、と愚痴ったものだ。

  しかし、生理的な欲求というのはどうしようもなく、それを満たす瞬間の快感には代えられないものがある。この尿道をこじ開けていく心地よさ。亀頭から裏筋にかけて温水が流れる微かな感触。我知らずの間に、股間は性的なフェチズムに目覚め浸っているのかも知れない。

  「クソ、面倒くせぇもんだ……何をしても治らねえ」

  ジョォオオオオオオォオオ! ジョボボオオオ!

  ジョロロロオロロ! ジョボジョボジョボジョボジョポ!

  股間部だけではない。尿の臭いや音を感じても、悪い気がしなかった。

  「気に入らねぇ……」

  そう口では言っているのに、ある種の達成感が、顔から滲んでしまっていた。

  すでに出来上がった水たまりや空気中の水気に加え、黄色い温水が先程以上の速度で増えていく。

  塩気の強い肉類の香りが混じり、男の老廃物の臭いが含まれて、妙な臭いになった。

  ジョボオボボオオオオ!

  ジョボボジョポポポポポポポポ!

  ポジョ! ポジョジョジョジョジョジョジョ!

  尿が泡立っては消え、白い湯気だけが立ち上り、控えめな睾丸や陰茎に染みる。

  流れる尿の音が路地を再び満たす中。ロームはしばしの時間、その感覚と向き合っていた。心は複雑な思いが巡っては消え、新たな嫌悪感が芽生える。眼下にある、尿の水たまり。そこに出来ては潰れる泡と似たようなものだと、ロームは眉を寄せた。汚らしく何度も出てくるのに、消してやる手段はひとつもないのだ。

  しかし、すぐに放尿の心地よさに苛立ちが流れてしまう。

  尿道が奥から温まり、足の間から、臭い湯気が漂っている。

  「はぁぁぁぁ~~」

  どれだけ嫌がろうとも、肉体に生じるもので大きかったのは、生理的な欲求を満たすことの快感だった。彼の心と体は、それに浸りきっていた。生きる喜びを享受するみたいに放尿を悦んでしまう。仕事を終え風呂上がりの一杯を喉に流しても、こうはならない。だからこそ、もっと排尿が嫌いになった。

  ジョボボポポポポポポポポオ!

  ポジョジョジョジョジョ! ポポボボボジョジョオオオオ!

  ジョポポポポポ! ポジョロロロロロ! ポジョジョボボボ!

  リズムがつき、勢いが強まったり、弱まったり、終わる兆しが見えてきた。

  再び路地の静けさを打ち破る尿の音。これを耳にするたび、体が脱力してしまう。

  体の緊張が尿と流れて、犯罪のスリル、追いかけっこ、どうでもよくなってくる。

  ロームは近くに誰かがいては困る。長所である肉体を活かしきれないのであった。

  「おい、なんでだよ……!」

  大声をあげかけ、慌てて口を閉ざした。

  放たれる尿は衰えたかとおもいきや、ジョオオオオ! と筆で力いっぱい豪快な線を描いたように黄色の線が息を吹き返す。

  ジュジョオオオオオオオ! ジュジョジョジョ! ジュジョォオォオ!

  「あ……ふぅぅぅぅ~」

  苛立ち声をあげたのも束の間。

  ズボンに片手を添え、ささいなイチモツをつまみながら排泄欲を満たす。

  ロームの外見に逆らうように散らばり、ときに二股になった尿が放たれていた。

  湯気や飛沫を僅かに布地に吸わせてしまうが、濡らさないのは、それだけズボンとパンツを汚してきた経験による賜であった。

  ジョボオォオオオオ!!

  彼の尿は黄金色に輝き、夜の暗がりの中でそれは特に目を引いてしまう。

  一瞬だけ通行人が奥の分かれ道を通り、こちらに気づきそそくさと去った。

  「………………」

  股間を目撃されたのではないか。考えただけで頬が熱くなり、夜風をまとうかのように首を振り始めた。

  「はぁぁ……ふぅぅ…………止まらねえな……」

  鋭く、見るからに悪党の目つきで、ささやかな蕾から黄色い放水を続けた。

  微かな湯気が立ち昇り、月光と混ざりあう。だからロームは空を見上げ、グレーシティを出ていくはずだったのにと未練がましく思っていた。逃げながら生理現象を満たすのは情けないし、心が休まらない。

  ジョボボボオォッ、ジョボッ、ボボボボボ……!

  ロームの筋肉質な脚の間から放たれる尿は、壁にぶつかっては溝に流れるが、その手前に小さな水たまりを作っていた。体格と矛盾するようなイチモツから溢れ出す尿の流れ、白い湯気が皮肉っぽく太ももの虎縞を闇の中で際立たせる。

  虎らしい尾は軽く上下に動いており、落ち着きの無さが一目瞭然となっていた。

  頭の耳は尖るみたいにひろげられ、周りの音に敏感に反応する。先程にあらわれた通行人が頭にチラつくし、衛兵たちから逃れたといっても、まだ探しているに違いない。本来なら二度も小便を満喫している暇はなかった。

  「いい加減とまれっつんだよ」

  ジョオボオオオオオ!

  ジョボオボオボボボオオオ!

  尿の匂いは、肉食動物特有の肉臭さを放ち出した。その中には彼の体温や汗の香りも混ざっていた。それは、ロームという男の生活を語りだす。尿から漂う臭素は体内を通り抜けた絞りカス。自分が何をしていたのか、臭いから思い起こすことも稀ではなかった。

  彼の巨大な体には、多くの筋肉が隆々としていた。その肉体から放たれる尿は、彼の力強さとは裏腹に、まるでコントロール出来ず、生理現象にやられっぱなしだ。

  ジョボオボオオオ!

  ボジョボジョジョボオオオ!

  股間が立てる音が壁に反響し、身に染みてくる。

  滝のような連続した水音が、壁と石畳を濡らし続ける。

  股の間から湯気が漂い、ベルトが薄っすら湿ってしまう。

  石畳は、放たれた尿によって薄い水の膜をつくり、細かなゴミを浮かす。

  尿の湯気は、冷たい夜空に向かって立ち上る煙のように螺旋を描きながら昇り、半分は風にさらわれ消えてしまった。

  「冷えてきちまったじゃねぇかよ、小便たれてる場合じゃねぇっつんだ」

  苛立ち、けれど収まってくれる気配はない。

  また、仕事中に溜め込んでいたのだろうと思えば、膿を出す心持ちだ。

  深夜の冷え込みとロームの体温がつくる差が、尿の熱をより意識させ湯気をひっきりなしに漂わせる。この湯気は夜の空気に混ざり、微かな温かさが顎にまで届いてきた。あまり歓迎できる温もりではなく、フンッ、と鼻息で吹き飛ばす。

  「いい加減に終われっつーのに、ふざけんじゃねえぞ……」

  股間を軽くつまみ、だが乱暴に扱えず、太ももを振るう。

  鮮やかな縞模様の尾は、夜の闇の中でぼんやりと輝いていた。

  彼の顔には明らかな恥ずかしさと、強い焦燥が張りついている。

  「衛兵に追いつかれちまったら刑務所暮らしだって、自覚を持てよ」

  やっと尿が途切れ、大粒の黄色が落ちていき、停止してくれた。

  包皮を軽く剥き、摘んだ蕾をブンブンとやり残った尿を振り飛ばす。

  夜の冷たい風に吹かれる股間を慌てて覆い隠した。まるきり視線を意識した仕草だ。

  しかし、ズボンを引き上げるとき、彼の包茎の部分に若干の尿が残っていたことに気づいた。

  「あ……クソッ! いい加減に、いい加減にしろっつんだよ………………!」

  怒声をあげられず、囁きながら、ちいさなものに文句を垂れてしまう。

  その残った尿がじわじわと彼のパンツに染み込んでいく感触を、鮮明に感じ取った。

  ふたつある睾丸が濡れる。汗を洗うかのように股関節や足のつけ根にまで、滴っていくのだ。ちょっとだけなんてものではない、かなりの量がズボンに吸われていった。

  「あ……ああ……チクショウ、なんだって……こんな……チクショウ、チクショウ……チクショウ…………」

  染みが広がるほど、ささやき声になっていく。

  「チクショウ……」

  パンツが少しばかり重くなっていた。

  ズボンが湿った程度だ。暗がりならば誤魔化せる。

  この甘ったるい香ばしさも、酒類と勘違いされるかも。

  股間から水分を感じながらも、手を止めず、急ぎでベルトを締めあげた。

  できるだけ早くその場を離れようとした。逃走中にズボンをしっかりと固定するため大げさな動作でベルトを引っ張る。

  「これ以上はやめろよ、俺はムショ暮らしなんざ、まっぴらだ。チビッちまうのも、チンケな衛兵たちとの追いかけっこも、うんざりなんだよ!」

  尻尾はストレスから来る興奮や緊張で動き回っており、その内面がありありと浮かんでしまっていた。残尿感がして、パンツはテーブルにこぼれた水でも拭いたみたいに重みを増す。

  「クソが、逃げてるっつーのに……なんだってこんな、お荷物を自分でこさえなきゃならねぇんだよ……!」

  嘆きと苛立ちを込めた低い呟きを終え、道を選ぶ。

  ロームの夜の路地を駆ける足取りは獰猛な虎のそれでありながら、股間部は子供のベッドにつくられた『おねしょ』さながらの地図が浮かび上がり、臭いからしても『漏らしている』のが丸わかりだった。顔を熱くし背中に嫌な汗を滲ませながら、虎の両眼を忙しなく泳がせ、夜風に股間が冷やされる。食あたりでも起こしたみたいに不安が腹から全身にあふれていった。

  「俺は小便たれじゃねえ……俺は、そんなガキじゃねぇんだ」

  現実をいくら否定したところで、結果は変わらない。

  自覚があるからこそ、喉がそんな言葉を突き出すとわかってもいた。

  濡れと臭いを余計に意識する。布地に股間が締めつけられて、しかし、小さいので痛みは強くない。太ももにベッタリとパンツが張りついているくらいだ。無論のこと、虎縞の太ももに臭いがついてしまっていた。

  ビュオオオ!

  「……っ」

  夜風が彼の体に吹きつける中、彼の股間には冷たさと湿り気が混ざり合った違和感が広がっていた。包皮から、尿道から、残っていたものが出てくると尿の染みが、じわじわと彼のパンツを濡らしていく。この感覚はロームにとって屈辱の極みで人生の汚点であると嫌悪しているのに、独特の開放感を伴ってストレスを得ながらも一種の安らぎがあった。

  「くそぉ……」

  ますます、惨めでならない。

  何が悲しくて、街で失禁の姿を晒し、臭いを嗅ぐのか。

  黒とオレンジの縞模様の毛並みは、夜の街灯によって時折照らし出される。その中で、彼の股間の毛は濡れており、ズボンの黒染みは暗闇の中でなければ隠し通せないと、気づいていない。

  ジョロ……

  歩いている最中。またしても尿が漏れ出す。

  染み渡っていく温水の感覚と、残尿を出してしまうことによる開放感は、彼の脳の中で強烈に印象付けられていた。危機的な状況と相まって、凄まじい快楽に手足の骨をふにゃふにゃにする。

  「こんなことしてる場合じゃねぇだろ……かなりの時間を食っちまった……俺は流離いの虎だぞ……こんなところで終わるタマなわけ、ねぇんだよ」

  そう自分に言い聞かせていけば、いっときながら不安と別れられた。

  足元の感覚を意識的に無視しようと試みた。しかし、彼の包茎特有の感覚と、ズボンの中で、じわじわと広がる尿の湿り気は、否応なく、無情なまでに現実を突きつける。

  おまえは小便たれのクソガキだ

  自分自身が、ロームをそう罵っている。

  心の何処かで、強すぎる自己嫌悪があった。

  「クソ……とにかく、逃げねぇと……隠れ家にいく暇もねぇ……」

  こんな状態では、どこの連中に金を掴ませても舐められて、終わりだ。

  かといって自分にあった衣服が手に入る保証はない。八方塞がり。

  グレーシティに侵入したのと、同じ経路を使うしか無かった。

  「もう塞がれてっかもだが、あの抜け穴を使う以外にねぇな」

  股間に手を当てれば、尿が肉球にしたたり毛に吸われていった。

  まだ問題ねぇだろ。そう思い込もうとしているため、染みの大きさを把握できない。

  最悪の選択だ。この状態で、大通りにむかうしかない。さらに言えば、この街は夜行性の生活をする者も少なくないので今も人通りが多い。

  「分の悪い賭けなんかしたくねぇのに、紛れるしかねぇか……」

  夜のグレーシティは、明かりと活気に満ちていた。

  店先では、色とりどりの商品が並べられ、美味しそうな香りに空腹を感じた。

  この都市が夜の帳を迎えず、石材由来の灰色の街が光を浴び、間接照明を生み出す。

  大通りには、さまざまな獣人たちが行き交い、それぞれの会話や笑い声が星空に昇る。

  その中で、ロームは紛れようとしていた。無謀だと思っているが、他に手はなかった。

  今日に限って、通行人は疎らなものだ。古びて歯の抜けた櫛のように、隙っ歯の間隔が空いていた。

  「なんでだよ……いつもは倍以上はいるのに、今夜に限って」

  ロームは憎々しげに顎を締め、左右を見渡し腹立たしげに吠えそうだ。

  彼は気づいていなかった。グレーシティの稼ぎ頭である大店の前が衛兵に囲まれ、調査中であると野次馬がその地区に集中していた。今日に限ってではなく、今日に大仕事をしたがゆえに、名をあげた流離いの虎ローム本人あるいは痕跡が見られるかも知れないと集まっていた。それに触発され夜の散歩や買い物と洒落込むものが増えていた。半ば自業自得である。

  「見るんじゃねぇぞ、てめえら……ぶっ殺してやるからな」

  小声で言うが、もちろん、そんなことをやっている暇はない。

  ロームは自然に振る舞うが、股間はすっかり冷たく、より臭いをあげ毛皮に密着する。

  巨大な身体は、大通りで、すくない雑踏の中で一際に目立ってしまっていた。虎という種族は体が露出する部分は虎縞という特徴があり、今夜は明るく、さらに店先や街灯などによって昼間みたいに視界がよい。虎縞のオレンジは黒も相まって映えてしまう。無論のこと、股間部の染みも。首に巻きつけた赤いスカーフも、くすみながらも青っぽいシャツとベストも。何もかもが思惑とミスマッチであった。

  「チクショウ……チクショウ……」

  しかし、訓練された衛兵から逃げるには、コレ以外に考えつかなかった。二度も小便をしていなければ、せめて、小便……いや残尿で股間を漏らしていなければ。

  もしも、だったら、していれば。

  そればかりが頭を支配して、次の行動に移せない。

  ただ、目的地を目指し歩く以外に出来ない。冷ややかな股間の感触が、にちゃにちゃとロームを急かしてやまない。

  「今夜はひとが少ないな」

  嘘つけ、多いじゃねぇかよ。

  聞き耳を立てていたロームは愚痴る。

  「聞いてないのか? 流離いの虎ロームが、大店の主人が受け継いでる宝石を、いくつも盗んだんだってよ」

  「そいつは大変だな……あいつが盗みをするのは、三度目じゃないか!」

  「ああ。いずれも持ち運べる高価な代物ばかりを盗んでいた。現場の痕跡から、単独犯だって話だぞ」

  舌打ちする。あの衛兵ども、下品なやつらが半数を占めているのに、鑑識まで熟しているのは気づけなかった。ハイエナがあらわれたのも、体臭を嗅ぎ分けられた可能性が出てきた。ならば、小便を染みつかせた今では……絶望的だ。

  「まさか、盗みに入ったところを見物しにいったのかな?」

  「だろうね。平和だと、娯楽が少ないから」

  「でもよぉ流離いの虎っていったら、凶悪犯だろ? もともとは盗賊だったらしいし、仲間も潜伏しているかも知れない」

  「ああ、怖いよな。血がふるかもしれない」

  俺は盗みと暴行以外にやってねぇだろうが!

  強姦も殺人も、命にかけてやっちゃいねぇっつーのに……恐喝はやったか。

  犬と猫が屋台の前でワイワイと語りあっているが、側に手配書があり、ロームは描かれた自分自身と睨みあって――視線を反らす。

  「まあいいさ、俺等は仕事のノルマはこなしておかなきゃな」

  「ああ、そのとおり! 犯罪者は衛兵に任せりゃいい」

  そんな会話を耳にしながら、無様なことに、自分の股間の湿り気を何より気にした。

  この年端もいかない男の子みたいに小さく、怯えたように竦んだ蕾。その閉じきった花びらから微量の尿が垂れて、またしてもズボンの染みをひろげてしまう。

  「宝石を売っぱらう前に、乾かさねぇとな……クソが」

  臭くて、煩わしくて、いますぐに脱ぎ捨てたい。

  すれ違いざまのことだった。

  「あれ、あの虎……なんか変じゃない?」

  左後方から放たれた女の声に、びくっ、としそうになる。

  拳を握って、なんとか堪えた。堪えきったはずだ。尻尾は……ぎくしゃくとした。

  しかし、全身が敏感になれば視線が次々に向けられるのを、経験から察知できるのが流離いの虎ロームという男だった。

  「見えた見えた。すれ違った虎だろ? ズボン……汚れていたよな?」

  女と腕を組んでいるらしい男の声が、あたりの視線を余すところなく引き寄せてしまった。

  「ビールか、ワインかしら? 甘ったるいし、そういう香り……じゃないよね」

  「ああ、男くせえし、タバコっぽいし……あれ小便じゃないか」

  「嘘っ! おしっこ!?」

  男が嗜める呼びかけが聞こえるものの、驚きのあまり彼女は言った。

  「ありえないわ。だって、あんなに大きくて、その、虎じゃない。私たちの間違い。きっとそうよ。おしっこ漏らして、堂々と歩くなんてありえないもの」

  兎はありえない。きたならしい。そういう口調で矢継ぎ早に言い放つ。

  若干ヒステリーな感情を込められているせいで、声に熱がこもり周囲の注目度は高い。

  口を覆ったであろう女の言葉は、さながら連続の投げナイフ。背中に鋭く突き立てられた。しかし、何度も口に嫌悪感を丸出しということは、真実味を嗅ぎ分けたゆえの発言に違いなかった。

  クソが、吠えるんじゃねぇよ……だが、動いたら俺だって認めたもんだ。クソ、クソクソクソ、小便なんか、垂れていなかったらこんなことには! あのクソアマのせいだ!

  周りが、興味を持っていき、情報がひとからひとへと伝達するのを毛皮で感じた。

  「大きな声を出すなよ。聞かれてるだろ、俺は勝てないぞ、あんなデカい虎に!」

  「だって、こんなところで……こんなところよ?」

  兎は彼氏の言葉を振り切って、公共の場であることを強調する。

  「街の通りで、あんな大きな虎が、服を着たまま、おしっこしたのよ。信じられる? うっ、やっぱり、あれおしっこ臭いのよ。あいつ! おしっこを漏らしたのよ!」

  「だ、だからやめてくれよ。喧嘩になったら俺は勝てないってば、抑えて抑えて」

  「プンプン臭ったもの、間違いじゃないわ!」

  男の静止を聞き入れず、彼女は迷惑そうに続けるのだ。

  「トイレなんて、いくらでもあるのに。大通りで、漏らしちゃうなんて。何を考えているのかしら。酔っ払って、それとも薬でもしているから、股間の感覚がなくなっているんじゃないの?」

  信じらんない、臭い、臭い臭い! と兎は腹立たしげに吐き捨てる。

  周囲の獣人たちの視線がロームの股間に集まってきた。彼は恥ずかしさで耳を伏せ、尻尾がビクビクと震えていた。

  「大丈夫かよ、聞かれてるぜ」

  「でも否定もしないから、やっぱりおかしくなってるんじゃないか?」

  ロームは察する。この場に虎は自分だけ。

  ならば黙って歩いているのは、余計に不自然だった。

  しかし、今更に走り出すことも叶わない。知らん顔を通す以外にない。

  「いいえ。あれは恥ずかしくて何も言い返せないのよ」

  「気にしない方がいいよ。グレーシティは都会だからな、酔っぱらいのお漏らしなんか前もいたさ」

  「でも、薬中だったら?」

  「薬は不味いだろ、流通しているならもっと悪い」

  「衛兵に知らせたほうが……」

  ロームは股間を隠すように手を当て、目を伏せた。堪えきれなかった、複数の声に自尊心を滅多刺しにされる。ヒソヒソと騒がれる声は逆手持ちのナイフだ。抵抗も弁解も出来ないロームの胸に容赦なく降り注がれた。

  チクショウ……想像以上に濡れていたじゃねか

  最初はそうでもなかった。しかし、時間経過とともに広がっていた。

  手のひらが汚れ、周りが察してしまった気配を感じ取るが、こんなに汚していれば遅かれ早かれだ。

  「こんなところで……なんつーことになってんだ」

  口の中が苦い。すこしずつ足早になるが、視線は背中に食らいついていた。

  あたりは様々な色の灯りで彩られ、獣人たちの顔や毛並みがそれぞれ光に照らされて、反射により、異なる色合いで目を賑わせている。グレーシティの一角が絵画さながらに映し出される。しかし、ロームの気持ちを晴らしてくれるものではない。彼の内心は煮えたぎるような焦りで満たされ、無性に腹が腹立たしい。

  「俺はこんなことになってるっつーのに、楽しそうにしやがって……俺を見るんじゃねえよ」

  生まれて初めて、虎に生まれたことを後悔する。

  普段から自分を助けてくれる体格が、いまは自分を苦しめる原因となっていた。

  染み渡る尿の冷たさと湿った布地が肌に触れ、不快感と共に焦燥感を高めていた。

  それに加え、微量ながら続く残尿の感触は、脳を揺さぶり心臓を跳ねさせる。夜風でじっとりと臭った股間部が冷えていく。

  ざわざわと聞こえてくる会話のすべてが、心を突き刺す刃物になった。認めたくないが、聞こえてくる内容は段々と小便を漏らした虎に注目するようになっていた。

  ――大の大人が漏らした?

  ――何の冗談……うわぁ~~

  ――びしょびしょじゃないの!

  ――知らん顔してる、だっせぇぇ

  ――本当にいたじゃないか!

  ――あの見た目で、小便たれかよ

  ――おい、だれか衛兵に声かけてこいよ

  ――さっき窃盗犯を追いかけてるって

  ――あいつ恥ずかしくねぇのか

  ――堂々と歩いちゃってさ

  ――頭がおかしいのだよ

  ――また薬が出回ったんじゃない?

  ――シラフだよ、そういう顔だよ

  ――余計におかしいじゃん!

  ――俺なら絶対に出来ねえな

  ――信じられない、ほんとに尿の臭いする

  いくら足早に移動しようとも、聞こえてしまったものからは逃れられない。

  歩く以上に大衆の口から口へと伝播するほうが圧倒的に早く、行く先に視線と嫌な感想が待ち構えていた。

  口から放たれた残留思念は心に住み着き、事ある毎に自分を苛むのだろうとロームは予感していた。

  「うるせえ……だれが、こんなこと、好きでやるかっつんだよ……殺すぞ」

  額には細かい脂汗が浮かび、頬や顎をすっかり滲ませていた。頬の虎らしい毛色が夜の空気に光っていた。筋肉質な身体を覆う毛並みも徐々に湿ってきており、シャツやズボンが余計に体と距離を狭めていく。

  「くさっ……おならした?」

  「僕してないよ。うん……生ゴミ、じゃないな、小便臭いぞ」

  また通りすがりに、兎の兄妹らしき人物たちに振り返られる。

  ――小便?

  ――まさか冗談だろう

  ――ここまで臭うぞ

  ――本当だったの

  彼の近くでささやかれる声。ロームはその声の主を直視できず、彼の大きな瞳は焦りと羞恥で潤んでいた。鎧を着込んだ衛兵の三人を吹き飛ばす強靭さと裏腹に、彼の小さく堪え性のない股間のお陰で、悪い意味で注目の的になった。

  「クソ……チクショウ、こんなはずじゃ……もっと入るなら、紛れるはずだったのに、晒し者じゃねぇか」

  ゆく先々で人だかりが、さっと解け離れていくのだ。

  ロームの内心は、この場を逃れることばかりを考えていた。

  盗賊として、流離いの虎として、この出来事が最悪の傷をつけることになるなど、いまは知るよしもなかった。

  着実に、衛兵は賑やかになった大通りに集合しつつある。

  だんだんと、ロームの鼓膜に破滅の足音が、届き始めていた。

  ――おしっこ漏らした?

  ――やめろ、聞こえたらどうなるか

  ――だけど……プッ!

  ――おまえ虎だろ、声かけてやれって

  ――ふざけんな。あんなの虎じゃねえよ

  

  こ、この……!

  自分と体格がそう変わらない虎が、鼻で笑った。

  どの悪口よりも、深々と心に突き立てられ、歯噛みする。

  いますぐ振り返り怒鳴りつけ、殴り飛ばしてやりたかった。

  夜市の賑わいの中。彼の敏感な耳は衛兵たちの重い足音。金属の鎧の音を捉えた。

  迫るその音にロームの内蔵を握られた気分だ。こんなときでも、頻尿体質が腹部を圧迫しはじめた。括約筋を閉じ、強引に止めるものの汗の分泌量が増えて、五感が鈍る。

  膝を曲げる。不自然に思われようと構わない、もう、思われているのだから。

  大柄な彼が猫背になることで、身体が少し小さく感じられるかもしれないという希望的な観測が頭の中をよぎった。肩は縮まらせ、背中を丸くしてみせる。だが、体格といい身なりといい、濡れてしまった股間部に虎の尻尾といい、通りの人々の注目を引き寄せてしまった。

  「あの虎は、何を急いでるのかな?」

  「股間が濡れてるけど、何かあったの?」

  「後ろの方も、漏らしそうになってるんじゃないか」

  「でも、それならトイレを借りればいいだけじゃないか」

  「恥ずかしがり屋さんなのよ。ほら、瞳が潤んでるもの」

  外のテーブル席で酒を呷っている連中が、そんな言葉を押しつけてきた。

  通り過ぎるたび、ささやかれる声や指差しを身に受ける。無視できず体に刻まれる。

  ロームは必死で通りの奥へと進む。しかし、彼の体の中心である膀胱の圧迫感は増していくばかりだった。衛兵たちが気づいてしまう前に、彼はどこか隠れる場所を見つけなければならない。

  いくらなんでも、行動が遅すぎた。

  小便を漏らしたことを、気にしている時間などなかった。

  最初の二度目の小便。あれから、何もかもが崩れだした。

  いいや、ハイエナに声をかけられたのが、ケチのつきはじめだ。

  「チクショウ……チクショウ! あのハイエナ、前歯をへし折ってやる……」

  毒を吐くが、精神を落ち着かせる役割は果たせなかった。グレーシティにやってきて最初に犯したミスは、賄賂を掴ませようとき。調べが甘かく衛兵を見くびったツケを払っているに過ぎなかった。

  「見るな、見るんじゃねぇっつんだよ」

  雑踏の中に隠れるはずが、悪目立ちをしてしまって、見世物と酒の肴になっていた。

  ロームは陰に隠れるように進んでいった。時折、彼の股間からは微量の尿が滴り、ズボンをより濡らし、太ももの内側までが濡れだしていた。我慢しているのに、尿が漏れ出してしまう。ポタポタと雫が滴れば、

  ――本当に漏らしてんだあいつ!

  ――現在進行系とか、ガチなんか!?

  ――うわぁ、ううわぁぁぁ

  ――小便くせえ

  ――衛兵さん、あの虎が変なんですよ

  ――え? 手配書にある流離いの虎?

  ――あれが? 小便を漏らしてますけど

  「クソッ、なんでこんなことに!」

  夜の市場は華やかな色と音で満ち溢れていたが、ロームの耳には衛兵たちの息遣いと、自身の心臓の高鳴りだけが響いていた。じわっと股間から、水の音が聞こえてくる。

  虎縞を覆うシャツは、濃厚な汗と尿で濡れ、胸と腹部を強調してしまっていた。こんなざまでは、これまで築き上げてきた流離いの虎のイメージを覆しかねない。

  犯罪者の世界は、舐められたら終わりだ。

  この世の中の吹き溜まりに飛び込んだときから、肌で感じ取る。

  今日は取り返しがつかないことになると、まだ知らない。破滅はもう手前にまで差し掛かっていた。

  「やはりロームじゃないか?」

  まずい。声は遠いが、気づかれてしまった。

  「縮こまっているが……大きいな……」

  「みんなに伝えとけ、今度こそ逃がすなよ」

  止まれ、と声をかけられる前に、距離を引き離しておかねば。

  「小便なんぞしていなかったら……こんなことには……どこで間違えたんだ」

  通りを行く多くの獣人たちは、ロームの不自然なぎこちなさや、ズボンの間から滴る小さな水滴に目を奪われていた。腰から伸びる長い尾は、緊張に毛を膨らませている。

  いつもだったら舐めた口を利いた連中なんざ痛めつけていたのに。

  「こんな街……燃やしてやるからな……」

  「そこの虎! 止まれ!」

  ついに呼びかけられてしまった!

  衛兵たちの声が再び近づいてくる。足音も、鎧の金具の唸りも鼓膜に響いた。

  ロームの神経は状況に反応して、膀胱はさらに緊張を増す。漏らしそうだった。

  彼の股間とっくに濡れて、重たくなっており、布地が尿で黒ずんでいた。毛皮はゴワゴワでパンツが張りついている。また、その下の部分は、尿の滴が、靴の上にポタポタと落ちていった。

  「いてぇ……我慢しやがれ、ムショ暮らしになったら……自由に小便なんか出来ねえぞ」

  ロームの表情が歪む。パンパンになった膀胱が、ぴゅるっ、と包皮に目掛け尿を注ぐ。括約筋をいっそう堪えるが、もう一刻の猶予もなかった。

  「止まれと言っただろ!」

  「あれマジで漏らしてるのか?」

  「油断するな。演技かも知れない」

  「いや、臭えぞ……風下だから、よくわかる」

  何とも言えない衛兵たちの困惑が、ロームにまで伝わってくる。

  なぜ自分たちが小便を漏らしたやつを追っているのか、そういう気持ちがありありと込められていた。

  「……!」

  迂闊だった。

  正面から衛兵に体当たりされた、と思いきやそうではなかった。

  「なんだよ、ぼさっとつったってないでくれ!」

  急ぎ足で走ってきた中背の犬の獣人が彼に突進してきた。彼の耳は逆立っていた。おそらく急ぎの用事があるのだろう。

  「この、クソ野郎よくもやりやがったな」

  ロームはふてぶてしく言い返すが、いまの衝撃に足元を取られ、後ろへとのけぞりながら道路の石畳に背中を打った。

  「う……やべ……」

  痛みと驚きが彼を包み込み、思わず目を見開く。その瞬間、彼の体は反応し、抑えきれなかった尿が強く噴出し、ズボンの染みを濃くする。奥から黄色く湯気たつ排泄物が、湧き水さながらにジョボジョボとこぼれだす。

  「え? なんだよ、なんで漏らしてんだ……」

  凄まれ足をすくませた犬は、鼻をひくつかせ、指で塞ぎ眉を寄せていた。

  ジョォオォオオオオオオオ!!

  パンツに尿がぶつかるたび、音がする。

  ズボンを貫通するように飛び出し、滑らかな石畳を移動する。

  「漏らした? うっそだろ」

  「いやあああ、なにあれ」

  ジョォオオオオオオオオオ!

  ジョジョジョジョォオオオォォオオォ!!

  ボジョジョジョジョジョジョジョ! ジョオォオ!

  獣人たちが驚き、蔑み、あるいは好奇の声をあげる。

  立ち止まっていた犬の男が唖然としながらロームの足元を見つめた。

  ロームの恥部から続く尿の小川は、石畳を濡らし、闇夜を明るくする街灯で反射し、金色に光っていた。尻周りまで汚し、背中の一部にも尿が滴った。もちろん尻尾にも。毛皮がくしゃくしゃになり、排尿の臭いに覆われる。

  「あ、クソ……止まれっつんだよ……!」

  ロームの爪はしっかりと地面を掴み、彼の頼りなく振るえる尾は低く垂れ、長く伸びた尖った耳も萎んでいた。だが小便をしている最中、どれだけバカにされ貶されようとも安らぎを得てしまう。脱力し、涙ぐみながらもホッとした心持ち。周りからはバカにした言葉がいくつもいくつも、矢継ぎ早に放たれて、ヘラヘラ笑われてもいた。

  「見てんじゃねぇ、殺すぞクソ犬!」

  ロームの手は、何とか流れを止めようと自らの股間を強く押さえていたが、それは無駄な試みでしかなかった。

  尻もちをつきながら失禁。

  股間を抑えながら睨もうが、恥の上塗りそのものだ。

  「動くんじゃねぇ……クソ、ぶっ殺してやる……!」

  ロームは声を震わせながら、犬の男を責めるように吠えた。

  しかし、彼の声には、怒りよりも恥ずかしさと無力感が滲んでいた。

  クソ犬と罵られた男は、肩をすくめ「用があるんだ」と尻尾を向け立ち去った。完璧に舐められていて、周りの笑い声が脳を揺さぶった。悔しさ、怒りが排尿と同等にあふれ出してくる。

  「まちやが、クソ……!」

  ジョオォオオオオオオ!

  ジュジョオオジョッジョジョォォオォ!

  周囲の獣人たちも、それぞれが驚きや同情の声を交わしながら、この大柄な虎が失禁に涙する光景を目の当たりにしていた。

  プッ!

  空気は、一変した。

  あははははは!

  あっはっはっはっはっはっ!!

  なにあれぇ!

  仰向けで、漏らしているぞ!

  あっはっはっはっはっはっはっはっ!!!

  ギャッハッハッハッハッハッ! ハハハハハハハ!

  「殺す……殺すぞ! 殺してやる! てめえらも、ぶっ殺して……!」

  ロームは自らの立場を忘れ、大声で喚き散らす。

  股間を抑えながら石畳に尻をつけ、失禁していては迫力は皆無。

  コメディアンのショー会場をおもわせるほど、笑いが渦巻いた。

  ジョオオォオオオオオオオォオ!!

  ボジョッ、ジョォオオオオオォオオォオオ!!

  上体を起こし、これまで以上に股間をおさえた。

  両手で見せるものかと隠すほどに、指の隙間やズボンのそこかしこから尿があふれる。

  ささやかな蕾を握りしめようと、括約筋に力を入れようと、何の意味も成してくれない。

  あははははははははは!!

  あはっ! なんだよあれぇぇ!!!

  すごい顔……待って、手配書のロームじゃん!

  ありえ――うあああああ! アハハハハハッハハッッハッハッ!

  ころされ、ちまう……ハハハッハッハッハッ! 腹が、いてえよぉ!

  嘘だろっ! あんなのが、グレーシティを騒がせ、ハハハッ! 嘘だろ!!

  いま、ははははっはっはっはっはっ! 騒がせているじゃない、ハハハッハッハッ!

  ロームは失禁しながら地面に座り、排泄感に息を細く噴き出す。

  石畳が温水に濡れ、明かりが湿った石を照らし、滑稽な様子は衆目を引いた。

  悪党として名を馳せ、注目を浴びては得意気になっていたロームは、かつてないほどの視線を浴び鼻をすすりあげる。股間に両手をあてながら地面に座り、失禁が止むのを必死に祈っていて、なんとも情けなかった。

  ジョオオオオオォオォオ!

  ジョオォオオオオオオオオォオ!

  ボジョ、ボボボボジョジョジョジョ!

  ジョォオオオォオッ! ジョォオオオォオ!

  

  居合わせる獣人たちの反応は様々だった。

  嗤う狐の若者たち、指を指し楽しそうに囁き合うウサギの女たち、気味悪そうに顔を背ける熊の中年。蔑みたっぷりの視線を送りつける虎の男。そして何も語らず、ただ見つめる無数の目に加え、純粋な大笑い。ほとんどは嘲り、嫌悪を含んでいる。

  ぶるっ!

  出し切った。

  震えをあげながら股間を握りしめ、さらに笑われた。

  これだけ出しても、ささやかな蕾の内側には尿を溜まった感触。

  ズボンがほとんど黒染みになってしまってはいたが、止まってくれ――――

  シィィイィイイイィイイ!!

  ジョォォォオオオオオオオオオオオ!

  細長く飛び出したものが、さらに勢いづき、爆発的な小便を排泄しはじめた。血液の一部が尿になってしまったのではないかと心配になるほど、ロームは目を白黒させる。

  アハッハッハッハッハッハッ!!

  あれが、グレーシティで噂された盗賊?

  いまは盗人ではなかったっけ?

  仲間から捨てられんだろ、あんなの!

  どっちでもいいよ、なんて格好悪いやつ

  今日も宝石を盗んだって、大騒ぎだのにな

  おしめを盗んだほうが、よかったんじゃない!

  ロームの巨体は石畳に沈むようにして硬直し、大きく振り上げられた尾は震えながら弧を描いていた。彼の立派な筋肉が緊張と羞恥で縮み、その中で一番小さく縮こまっていたのは幼い見た目の恥部。尿を出しながら、背伸びをしたように膨らんでいても、ただでさえ小さいものは精神的な苦痛を受け、いつも以上に小柄であった。

  「チクショ……チクショウ……チクショウ!」

  ロームは、こんな状況でも心地よく小便を漏らしている自分が嫌でならない。

  股間からはまだ尿がしずくとなって垂れ落ちる。黄色い小川が、先程につくった水たまりを押し流し、より範囲をひろげていく。夜の街を照らす光のなかで、埃を浮かべ湯気をあげる臭いものは、ひとびとの笑いを誘うに十分すぎた。

  アッハッハッハッ! ギャハハハハハッ!

  「笑う、な! 笑うんじゃ、ねぇよ!」

  いっそうに笑われる。移動できない市民たちが邪魔になって衛兵たちの歩みが止まっていた。なにしろ、如何にも強面な虎が、幼い男の子がトイレに間に合わなかったように涙し、縮こまる。こんな醜態を晒した者が笑うなと叫ぶのだから、余計に滑稽だ。

  「笑うな! 笑うんじゃねぇ! 見るな! 笑うんじゃ、ねぇ! この、カスども!」

  しかも、尿の音を盛大にあげながら、凄むのは喜劇も同然。

  挙げ句に漏らす前から、すでにズボンを濡らし、注目の的になっていたとなれば、笑わずにいられなかった。もう同情めいた視線はひとつも残っておらず、すべてが矢尻となってロームの毛皮に突き立てられた。

  ジョオオオオオオオォオォ! シイィィイイイイイイィ!!

  あははははははっはっはっはっっっっっっ!! はっ! はははっ! はは!

  爪の中。指の全体。手の甲から手首にかけて、毛に尿が染みついていった。

  この臭いと、無様さをカスと罵った連中に見聞きされながら、記憶されていく。

  「クソ! クソ! この、クソぉ……!」

  声は萎むように小さくなった。

  小便臭い両指の間から、尿が溢れかえる。

  ささやかな蕾は、出し足りないと排尿を続行。止められない。

  ロームは全てを出し切るまで動くことができない。涙ぐみながらも、そのままでいた。

  不思議なことに、これだけ恥をかいているのに、全身に開放感が満ち心地よくなった。

  ジョオォォオ……………………

  ようやく、尿が止まってくれた。その頃には下半身が水浸し。

  排尿感が強く残った小柄な尿道。包茎に残ったものが、ちょろちょろ溢れる。

  水浴びでもしたみたいに、下半身と、背中がびっしょりと濡れてしまっていた。

  ヘソの下は未だに違和感があって、鼻の奥は刺激物を塗られたように、傷んだ。

  ロームは力を込めて立ち上がった。彼の巨体がその場から離れると、その場所には大きな湿った跡がつくられていた。歩けばチャプチャプと水たまりが鳴って、古びたブーツの中もぐっしょりとしている。

  急がなければ、と思っている最中。

  衛兵たちが立ち止まり、困惑していた。

  あれが本当に自分たちが追い続けていた盗人なのか。

  街のひとびとのざわめきが次第に増していく。

  狐の若者の一人がロームを指差す。

  「見ろよ皆! 本当に流離いの虎ロームが、あそこにいるぞ!」

  石畳の向こうの壁に掛かった手配書を見比べる。またしても、大仰な笑いが渦巻いた。

  「何が流離いの虎だよ!」

  隣にいたウサギの青年が手を叩き、返した。

  「あんな小便たれが噂の盗賊なわけない」

  「噂通り恐ろしいやつだ。怖すぎて、目があわせられやしない」

  ギャッハッハッハッハッ!!

  大衆はまたしても笑いの嵐を巻き起こす。中心にいるロームは、すこしも笑えない。

  とはいえ、その手配書の人相書きとロームはそっくりだ。猫の女が指を差し、興奮気味に言った。

  「さんざんに笑ったけど、まだ信じられない。でも、手配書と同じ顔ね! 衛兵さん、固まってないで手柄をあげて頂戴!」

  走り出したいが、心身ともにズタボロだ。

  調子を出しきれず、よたよたと歩を進める。ポタポタと尿を垂らす。

  ロームは震える身体を押さえるようにして深呼吸をした。いや、事実ささやかな恥部を押さえていた。

  「クソったれ……なんだってこんな……」

  ズボンはもちろん、使い込まれたブーツは中、それも爪先までがグッショリと濡れており、踏みしめるたび靴の底から少しの尿が滴って尿の足跡が出来た。周りは未だ大笑いしていて、衛兵たちは調子を狂わせる。犯罪者を前に、大勢の市民が大笑いしながら道を塞いでいるのだから。

  「連行するんだろ?」

  「きたねえよ、あんなの触りたくない」

  「ぼ、僕の正義の熱意というものが消火されたよ」

  腹や股間の毛皮まで、黄色く染まってしまったようだ。

  残尿感。放尿感。満足感。そのすべてが股間を苛んでいる。

  不快な感覚が彼の足元からじわじわと伝わってくる。湿った靴下が足の裏をべたべたと撫でる感触。太ももやふくらはぎを覆う濡れた毛皮の重み。しかし、それと同時に、尿を出し切った後の生理的な悦びが身体を包み、体に力が入り切らない。

  プラスでありながらマイナスでいる。

  矛盾した状態に、ロームは自分自身をどう受け止めるべきなのか判断できなかった。

  「捕まる……わけねぇんだ。俺が……この俺が……!」

  すくなくとも、歓迎は出来ない。頭にあるのは、半分は恥辱。もう半分は逃走。

  「小便まみれの犯罪者なんて、酔っぱらいとジャンキーしか知らないよ」

  「本当に捕まえるのか?」

  「市民が見てるんだ、捕らえないわけにいかないだろ! なにより手柄だぞ手柄」

  欲望があれば、ひとは肥溜めにだって腕を突っ込める。

  「くそったれが! チクショウ! チク……ショウ!」

  ロームは、無理矢理に足を動かす。ちょっとした坂道を登っていく。

  大笑いの騒ぎを聞きつけたのだろう。頂上のT字路に野次馬が集まっている。

  この衆目を浴び、流離いの異名。大柄な虎としての威厳を保ちようがなかった。

  ただただ窮地に立たされ、必死に、恥も外聞もなく、背後の衛兵から逃れようとする。

  「止まれって言っただろ、漏らし!」

  「街を汚しやがって、きたねえよんだよ!」

  「晒し者にしてやる、楽しみにしてろ!」

  衛兵たちが動き出せば、夜の通りは騒然とする。

  治安がよく裕福な住民たちは、娯楽に飢えていた。

  その僅かな追跡劇と逃走劇を目の当たりに、大興奮!

  さきほど「俺で大笑いしてたくせに」とロームは歯噛みするが、他人を気にかけている余裕はなかった。

  ロームはT字路を右に曲がる。

  遠くで響く守衛の足音が、ロームの背をノックするように迫る。

  足を引き摺るようにして逃げる。漏らす前の軽やかな足取りとはほど遠かった。

  夜更かしをしている者。子供たちを見守る大人や、夜型の生活区域に辿り着く。

  もうすこしだ。ここを通り抜けて、一般開放された庭園を過ぎれば、抜け穴がある。まだ塞がれていないのを祈りながら、ロームはぶるっと夜風に震えた。先程の尿が、もう冷えてきた。

  「きたなーーい!!」

  子供たちが叫び、大人たちは「小便くせっ!」や「きゃあ! 変態!」と派手なリアクション。それを燃料に衛兵たちの足取りが、さらに加速しているのをロームは感じた。

  「く、クソ……訓練されすぎなんだよ……」

  一方ロームはプライドを打ち砕く地獄から抜け出したばかり。体は疲れ心は傷つき、流離いの虎と呼ぶに相応しくないコンディション。尿をポタポタさせながら、びちゃびちゃと足跡をつくりながら、喚いた。

  「捕まるかっつーん、だよっ!」

  小便にまみれた両手を握りしめているうちに、その冷たさと重さが身体全体を覆われるみたいだ。また、濡れたズボンは彼の足にピタリと張り付き、そのままの重みと摩擦で動きを鈍らせた。ささやかなサイズに見合って敏感な股間がズボンに締めつけられる。

  ぷんぷんと香る酒の甘味。タバコの苦さ。肉類の生臭さが尿から染み出す。

  「いてぇ……タマまで締めつけられる」

  その結果、ロームの速度は通常と比べ、半分にまで下がっていた。

  今夜はあらゆるものが、ロームにとって逆風となり襲いかかってくる。

  濡れた服が彼の肌に冷たく張りつき、恥をかいた悔しさや焦り、そして追いかけてくる守衛たちへの恐怖に追い詰められていった。

  「どこへ逃げても無駄だ。足跡があるからな!」

  「悪党の臭いもプンプン漂ってる、終わりだローム!」

  屈辱に歯噛みするも、股間から手を離せなかった。指の先から、ボタボタと飛沫が石畳に弾けていった。下半身だけが水気で重く、しかも玉を締めつけるのだから顔をしかめっぱなしだ。

  「見つけたぞ! なんてザマだ……!」

  ハイエナに叫ばれ、足に力を入れる。

  あれだけ余裕たっぷりに見下したのに、いまのロームは彼のいう『なんてザマだ』に相応しい姿だった。

  「チクショ、オオオ……!」

  夜風がより冷たく感じられるのは、ハイエナの出現だけではない。

  ロームの身体が濡れた服に冷やされ、また尿意があがってきた。

  あれだけ出しておきながら、また。また尿意が起きてしまったのだ。

  例のハイエナをはじめ、各所から現れる衛兵の足音に掛け声。包囲され、やつらの一歩一歩がロームの耳に届いていき、鼓膜で跳ね返り、恐怖となって頭の奥底にまで轟く。

  尿を吸いあげたズボンでは足取りが重く、重い鎖に繋がれているかのようだ。裾が足首にへばりつき、ブーツが地面を擦り、そのたびに小便が撒き散らされた。

  「臭え」

  「ばっちいな」

  濡れた毛皮は夜空の下で光り輝きながら、尿の水滴が飛び散る。

  その滴る尿は、ロームの動きに合わせ周期的に黄色い涙滴を石畳に降らせた。

  指から手の甲に至るまで、どこもかしこも熱を奪われ、湿った尿の感触が肉球にくっきりと刻まれていた。

  「今夜は祝杯だぞ!」

  「褒美に勲章がもらえるかもなっ!」

  「あの大店からの感謝状も期待できる!」

  アハハハハ!

  衛兵たちは勝ったつもりではなく、既に勝利ムード。

  未来への期待を口にし、笑いがロームの耳に入ってくる。

  「ふざけんな……俺は負けちゃいねえし、終わってもいねえんだよ!」

  だが、衛兵たちの話は心の中で強く反響し、自分自身が砕けていった。

  噂のロームとして恐れられ、同業者からも一目を置かれていた。尊敬を受けたことだってある。

  しかし今。壊れてしまった。

  名と自分自身が小便にまみれ。

  すべてが洗い流され、地に落ちた。

  勝利ムードに囲まれながらの逃走は、想像を絶する屈辱だ。リンチに等しい。

  濡れた下半身で路地や通りを駆け抜けるが。

  「うっ……!」

  ロームは、またしても湧き上がってくる尿意により、逃げる速度はさらに落ちる。

  石畳を踏むたびに睾丸が締まった。腹の奥に振動が起き、膀胱の尿が波打ち――失禁が始まる。

  ショロロ……

  一瞬のうちに、また新たな尿がズボンや靴の中に染み込んでいく感覚に、より絶望的な気持ちに駆られていた。

  裁判官がハンマーを振る。

  刑務所に送られる。

  自由が奪われる。

  「ざ、ざけるんじゃねぇぇ! 俺は、流離いの、虎だ……!」

  通りに街路樹が増え、馬車などの通行が禁止されるエリアに到達する。

  もう時期に庭園だ。街路樹の間から漏れる光がロームの濡れた毛皮をほんのりと照らしている。彼の体は、まだ尿を溜め、発射しようと待ち構えた。その温かくて湿ったものは股間を中心にまた広がり続けていた。ズボンの股間部分は、どろどろとした感覚で、動くたびにジワジワと湿った感触が強まっていく。股の間から雫が落ちる。太もも、脛にも伝い落ちていった。

  「あいつ、またやったな!」

  とある守衛が笑いながら言った。

  「ハハハハ! 雫が増えてるぞ!」

  「まったく、大盗賊ロームがトイレも我慢できないとは」

  ニヤリと微笑みながら蔑む衛兵たちに混ざり、ハイエナは呆れ足から気が抜けているのか動きが鈍いのを音でわかった。

  「逃げろよ!」

  「もう追いついちまうぞ!」

  下品な衛兵どもはロームを追い詰めるのが楽しいようで、ロームの濡れた足跡を追いながら雫の飛び具合を指差し煽る。

  「あの野郎ども、必ず思い知らせてやる……!」

  ロームは足や股間の感覚に気を取られていた。

  ブーツは完全に冷たくなっており、それが進むたびにズボンから落ちる水分と混ざり合い、夜風がふけば背筋にまで震えが起こる。股間の圧迫に耐えかね唸り、またしても尿を出す感覚が沸き起こった。

  ショロロロロ……

  新たな尿の温かさと、これまでの尿の冷たさ、その二つの感覚に悩まされながらも進む以外に道はない。足を上げるたび、尿が染み出し、異臭に顔をしかめてしまった。

  「終わってたまるかクソ……!」

  最後の力を振り絞り、猛烈なスピードで逃げるローム。

  黄ばみのある液体が道路を照らす街灯の光に反射し、煌々と輝いていた。

  その下をロームの巨体がぎこちなく走り抜けていった。いまのズボンは水を吸ったスポンジさながらだ。少しの刺激で、溜まったものが搾り出される。

  ――なんだあいつ!

  ――小便を漏らしているぞ!

  途中、ひとびとの悲鳴や驚きが上がるも、ロームの耳には入らなかった。それでも表情から、どういう考えを持っているのかは一目瞭然。

  すれ違うたび、のけぞるように避けられた。

  「…………クソォ……!」

  ロームは涙目で、股間に手を当てるが、止めることはできず、尿意は加速してしまっていた。ブーツはぬるぬるとして、裏側の濡れと石畳の滑らかさでバランスを崩しそうになる。彼の巨大な虎の尻尾は不規則に左右に揺れ、パンツとズボンの中で小さく縮こまった股間が痛みとともに圧迫される。

  「逃げ切れると思ってるのかよ!」

  「そんな重石をかかえて、どうするんだ!」

  衛兵たちの足音が近づいてくる。

  「まさかこの大通りで、盗賊ロームがこんな姿になるなんて……」

  「これからずっと、俺たちの話のネタになるぜ」

  衛兵が口元を押さえて笑う。

  ロームは羞恥心と押し寄せる尿意に身を震わせながらも、前を見据えた。

  これまで築きあげてきた自身の矜持と、身体の欲求が争っていた。

  強く踏むほど平たい石からブーツに振動が伝わって、腹が疼くのだ。

  一瞬、彼の目には自身の弱さ、状況の不条理さに涙が浮かんだが、決して止まることはできない。もがき、闘うみたいに走り続けた。

  「いい加減にしたらどうだ、追う力が抜けてきた。見苦しいぞ」

  ハイエナに言い返すこともできず、顎を食いしばった。

  大きな虎の体が足を動かせば、大きな足音が石畳に鳴る。

  背後からは衛兵たちの息遣いが、後ろから届いてしまいそうだった。

  「ローム! 投降しろ!」

  衛兵が叫ぶが、ロームが最も切迫したのは、迫る衛兵よりも、再び襲い来る尿意だ。あれだけ出しても出し足りない。自分が恐ろしくなる。

  焦燥感、羞恥、そして捕まったが最後。今夜から「小便たれ」とコンプレックスを直撃する不名誉な二つ名をつけられ、おしまいだ。逃げられれば功績をあげ「くだらないデマだ」と民衆に思わせられるが、捕まってしまえば、そうはならない。収監されたら挽回のしようがない。過去のすべてが小便で流され、物笑いの種に成り下がる。

  「冗談じゃねぇ……!」

  恐怖が、彼の背筋が時間の経った尿以上に冷やす。遊ぶ住民たちが目に入った。

  道端に座る老獣人が立ち、若い子供たちがロームを興味深げに見つめているのを「やめなさい、見るなじゃない」と静止する。

  ク、クソ、この俺が……!

  ロームの頬は紅潮し、口元は震えていた。

  「おしっこしてるー!」

  死んでしまいたかった。

  クソガキ! 心で罵っても、事実は事実だ。

  「終わりだ、ローム!」

  叫ぶハイエナの衛兵が頭上の屋台の屋根を乗り越えてきた。

  その間近に聞こえる怒号に、ロームの心臓はさらに早鐘を打つ。

  「なんだおまえ、まだそんなに走れるのか!」

  鼓膜には足元から聞こえるビチャビチャと泥水みたいな音や、そして彼自身の足早に打ちつけられる石畳。その全てが重なり合う中で、最も響き渡るのは、疼く尿意からくる脈動だった。膀胱が痛くて、いますぐ走るのをやめたい。

  「あそこだ……」

  頭に叩き込んでいた地図と道が完全に一致する。

  小道を見つけ、そこに飛び込む。道の先には濃い霧が立ちこめており、自然の匂いがプンッと肺に満ちた。石畳の小道の左右は花畑になっていて、肥えた茶色い土がある。

  「ち、く、うぅうぅ! しょぉ……!」

  ズボンやパンツに締められた小さい股間の痛み。溜まった尿は強まる一方だ。

  霧の中を進む彼は、突如としてつまずく。体を支えるためにつけた手に感じたのは柔らかな土。膝には石畳だった。

  「あぁ……あぁぁ……」

  ロームはふと、自分の体を見下ろす。黒いズボンは尿で濡れ、汚れており、尿の重さでズボンが毛皮にぴったり密着してしまっている。そして、尿は彼の靴の中まで染み込んでいた。ズボンの裾をたどる尿の線。足元では、彼の大きな足に染み付いた尿が土にしみ込み、また庭園の土に吸われる。尻尾は気分を反映し、うなだれていた。

  「逃げ切れば……逃げ切れば終わりだ……こんなもんは過去になる…………」

  涙目で息を荒くしながら、土だらけの手で股間を押さえ、じゅわっと搾られた尿を地面に放つ。しかし、それを目の当たりにした瞬間、ハイエナの衛兵が彼の後ろから迫ってきた。

  ジョオォォ……ッ、と驚きのあまり、尿が止まった。

  最初から、いまのように素直であれば逃げ切れたものを!

  「こんなところで小便とは余裕だな。俺にチンケといっていたのは誰だったか?」

  ハイエナは立ち止まって、膝をついているロームを見下ろす。続々と前から、後ろから衛兵がヌッとあらわれ退路を塞ぐ。

  「嘘だ……俺が捕まるわけが……」

  ロームは涙を流しながら、立ち上がる力さえなかった。息が荒く自由が利かない。

  強い風が吹き、庭園にこもっていた霧が魔法みたいに晴れる。月光が霧の中の小道を照らし出す。その明るさの中、ロームの大きな身体はさらに露わになった。尻尾は重たく地面に沈み、身を縮めている彼の姿はかつての威厳からは想像もできないような哀れさ。ロームにあるのは笑いを誘う、哀れさだ。

  「顔を見せてみろ、そのチンケな顔を!」

  ハイエナの衛兵はロームの前に立ち、顎を掴み顔を上げるように強制する。

  ハイエナの冷ややかな目はロームの濡れた股間を見下ろし、口を嗤いで歪めた。

  「何をしてるんだ、流離いの虎ローム。こんな姿で街を騒がせるとは噂以上に『大物』だったが、あれも立派な犯罪行為。自分の経歴に泥を、いや小便を塗ったな」

  涙を流すロームの目は、彼の体の濡れた部分を避けるように衛兵たちの視線を感じていた。胸板では急激に増していく恥じらいと屈辱が渦巻いていた。衛兵たちの視線は小さな股間に集中し、ズボン越しであるのに中身を知られた気がして震えてくる。

  「震えてるぞ」

  「そんなに怖いか?」

  「だったら罪なんか犯すなよ、小便たれ」

  その視線の先で、ロームはさらに濡れていった。

  尿が彼の足元に落ち、地面に小さな水たまりを作る。

  その光景を前に、他の衛兵たちも次々と集まってきた。彼らは一様にロームを見下ろし嘲笑っていた。

  「あの偉そうにしてた犯罪者がなぁ」

  「こんなのなら、死刑のほうがマシだろ」

  「生き恥を晒すよりはー、ってやつか。俺ならそうしてもらいたいな」

  ある衛兵が嘲笑しながら言い放つと、他の衛兵たちも声を合わせ笑い出す。

  夜の庭園は、月光と星明かりだけが唯一の光源で、美しい花々や植物たちが静かにその夜を見守っていた。しかし、その静けさはある一点、大きな虎の身体が横たわる場所で、一変し邪な娯楽が演じられている。

  「まったく……興味も失せてきたな。捕らえろ」

  ハイエナは鼻で笑って、掴んでいた顎を突き飛ばす。

  ロームは仰向けになり、衛兵たちに囲まれていた。左半身を石畳に、右半身を肥えた土に寝そべらせた。鼻をすすりあげれば、それを指摘されバカにされてしまう。

  ジョオォォオオオォオオオォオ!!

  止まっていたものが、いきなり動き出す。

  脱力しながらも足と両手で必死に小さい股間部を隠す。だが、出してしまったものを止めることができなかった。尿は、石畳を濡らし、地面の表面を滑っていき花々の間を流れていった。

  「また出してるのか?」

  「見ての通りだろ。失禁しやがったぞ」

  「臭え……食生活が心配になるな」

  「甘ったるいし、ほとんどは酒じゃないか」

  衛兵たちは、その状況を前に、目を丸くして見つめていた。何人かは驚きや失笑をこらえきれず、口元を隠していた。その中の一人、ハイエナの衛兵が目を細めた。ほとほと呆れ、冷めきったふうだった。

  「止められないのか? おまえは、どれだけ街を汚せば気が済むんだ」

  ハイエナの言葉に侮蔑以外の感情は含まれていなかった。

  ロームは屈辱で目を閉じ、尿の流れが止まるのをただ待つしかなかった。

  放尿の心地よさで完全に打ちのめされ、すべての感情が吹き飛んでしまう。

  ジョオォオオオオォオオォオ!

  シィジョオオォオオオオォオオ!

  ジョボボオボボオボオボオボボオボ!

  「土の上で泡立ってるぜ」

  「ズボンをつけたままなのに、勢いがあるな」

  「服が色褪せてるのは、漏らすのが多いせいか?」

  庭園の中心に、一人の虎が、自身の弱さを暴露された。衛兵たちの視線に晒されながら、口を閉じ叫びを押し殺す。出来るのは時がすぎるのを待つことのみ。

  「足と手を開かせろ。わずかな抵抗も許すな」

  ハイエナの指示に「はっ!」と返答の後に残酷な笑みが浮かぶ。

  「や、やめろ……はなし、やが、れぇ!」

  衛兵たちはロームが庭園で小便を出し切る自由さえも奪う。

  彼の抵抗が微弱であることを察知して、先ほど吹き飛ばした三人とデブが前に進み出て、ロームの強靭な手足を掴んでしまった。伸びた衛兵の腕には、練習と経験を積んだ力強さが宿っており、安々とロームの手足をひろげさせ、大の字にしてしまう。

  ジョオォオオオォオオ! シャアアアアアア! ボジョジョジョ!

  ロームの雄大な身体の腹部や股間、さらには太ももから靴までが尿でびしょ濡れになっていた。尻は尿と土でこさえた泥でベチョベチョだ。特に彼のズボンの中央部分は、深い湿りを帯び、その濡れ具合が他と比べても目を引いてやまない。

  湯気が、もわもわと何度もあげられていた。

  「庭園で漏らすのも中々に情緒的だ。なあローム」

  ハイエナの言う通り、月光の下で水たまりが銀色に光っていた。

  土の上に広がる尿の水たまりは、表面にロームの一部や景色を反射する。皮肉なことに、映し出されるものは実に鮮明であり、どんなに目が悪い獣人であっても、流離いの虎が曝け出す屈辱を見逃すことはない。だから大笑いが途切れるどころか、薪をくべたような騒ぎになっていた。

  アヒャハハハハハ!

  フ、フハハッハハッハハッ!

  「何にせよ、俺たちの勝利だ!」

  ハイエナの衛兵は、その様子を興奮した目で見つめており、ついに口を緩める。

  「見てみろ、盗賊ロームの姿を! こんなにも縮こまって、この庭園でおしっこをしてしまうなんて! しかも、大通りでも恥を晒していたようじゃないか。おしっこをして!」

  痛烈に嘲った。鞭打ちでも受けたみたいに、ロームの足はこわばった。

  「なのに、いまも、俺たちの目の前で、おしっこをしてるんだよ、このバカは!」

  その言葉に、庭園にいる他の衛兵たちも大声で笑いをあげた。

  屈辱の極みとも言えるその状況の中、ロームは無言で空を見上げ続けた。彼の目からは涙ではなく、星空と月の映る庭園の景色が映った。

  小便さえなければ、

  小便さえなければ、

  小便さえなければ、

  何度も、何度も、そればかりを思っていた。

  シイォオオオオオオオ!

  ジョボ! ジョボジョボ! ジョォオオオ!

  水流が布地に触れる音と。泥をかき混ぜる音だった。

  ロームのズボンからは、まだ終わりを見せない尿がジョボジョボと溢れ出てきた。

  小さい竿は、やるせない感情を出し縮まっていた。放尿の感覚は、尿が彼の体を離れるたびに熱が落ち着き、冷えるたび自尊心を凍えさせた。

  庭園の土は、その尿をゆっくりと吸収していく。粘っこい泥を作り上げることなく尿は表面に広がり、光る水たまりを更に大きくしていった。

  「おしっこ漏らしちゃったー」

  「我慢できなかったんでちゅねー」

  「おもらしの虎に改名しろ、お漏らし野郎」

  ロームは、夜の風が運ぶ庭園の花の香りや、遠くで鳴る夜鳥に五感を注ぐ。

  そうでもしなければ瞬く間に心が砕け散って、抜け殻になってしまいかねない。

  自分の身体の感覚に集中していた。排尿の感覚は、身体から放たれる熱とともに、ロームを不思議と落ち着かせた。それは、恥辱から精神を守るためにつくられた一種の安堵感に過ぎない。それでも精神は逃避を選び、痛みを軽くするのだ。

  「気持ちいいのか、ローム? たっぷり運動した後に小便をするんだ。最高の気分じゃないか」

  ハイエナが嘲笑う。もう騒ぎ立てるのは衛兵ばかりで、彼は何歩か引いた位置にいた。本当に興味が失せたらしい。

  「こんなにも出るものなんだな。無様な頻尿め」

  「すっきりしたろ?」

  別の衛兵が、いやみったらしいからかいを投げる。

  ロームの顔を見ると、怒りが湧き起こるが何を言い返しても無駄であると、口を噤んでいる。

  「なんとか言ってみろよ!」

  「俺は誇り高き盗賊ロームとか、宣言してみせろ!」

  「小便を撒き散らしながら何も言えず、寝転がって!」

  ロームは何も言わずに目を閉じていた。そうすれば、ハイエナは「遊びはここまでだ。連行するぞ」と壊れた玩具から興味を失った様子を見せた。が。

  「そういえば隊長。ここに来るまでの話なんですけど」

  ヤギの衛兵が、ハイエナに語りかける。

  「裏路地で、同じ箇所に二人分の立ち小便だとおもっていたんですが、臭いが同じなんで、こいつがその路地で二回の立ち小便。市場で一回。この庭園で一回。それだけ小便をしているとしたら、かなりの頻尿です。俺が知らないだけで、まだやっていたかもしれませんね」

  「だからどうした?」

  「待ってたら、また出すんじゃないですか? ほら、夜風が冷たいですし、こんなに濡れてますから。ここにまた、ジョロロローって」

  ハイエナはしばし考え込んで、口元を歪めながらヤギの衛兵を見た。

  「なるほど、お前の言ってることは理解できる。それに、こんな状況だ。恥をかかされて、冷たい風に吹かれて。尿意を感じやすくなる要因が重なりそうだ」

  ヤギの衛兵は微笑みながら、ロームの顔を覗き込んだ。つい気配に目を開けば、いやらしくネチっこい両眼が側にあり、息を吹きかけられる。

  「まさか、また出したくなってるんじゃないだろうな?」

  期待と興奮が滲んだ瞳。冗談じゃねぇと言い返そうとするが、口はパクパクとしか働かなかった。

  「……」

  ロームは彼の目を避けようともせず、背筋が冷たくなった。

  「待ちたいのなら、待ってみろ」

  どうやらヤギは副隊長だと、今しがた気がついた。

  また、ハイエナは副隊長の嗜好を熟知し、サディストな喜びを満たす手伝いをしてやろうとも思っているらしかった。ここにいる衛兵たちは、犯罪者に容赦がなさすぎる。だからこそ高まる団結もあるようだ。

  「時間の無駄だと思うがな。さすがにこれ以上は出さないだろ」

  ヤギは嫌味なくらい微笑む。

  「ご心配にはお及びません。こいつは漏らしますし、移動中にも漏らすでしょう」

  だれが、と言い返そうとするが、短時間で極端すぎる頻尿体質を見抜かれているのを白状するに等しい。黙っている以外に何も出来なかった。

  「思ったより早かったですね。ほら、態度がかわりましたよ」

  どれどれ、と衛兵たちが観察してくる。

  夜風が庭園の草花をなびかせ、ロームの濡れたズボンに冷たさが伝わってくる。月の光が水たまりを照らし風が撫であげ輝く波紋をつくりあげた。その上ではロームや衛兵の影が揺れていた。ロームは急速に高まる尿意と闘っていたが、冷たさと羞恥が相まって、全く堪えられる気がしない。意識するごと膀胱に余分な力が込められる。

  「足が動いてるぞ!」

  「小便の水たまりを波打たせて、きたねえな」

  「泥遊びが好きなんだろ。自分で作ったわけだしな」

  周囲の衛兵たちは、それに気付き、口々に囁き合い、笑顔を交わしていた。特にヤギの衛兵は、しゃがみながらロームを見下ろしていた。彼は自らの予測が正しかったことに、明らかに自信と高揚感を見出している。

  「ふぅ……ふぅ…………ふぅ………………ふぅ………………」

  ロームは必死に目を閉じ、深呼吸を試みた。しかし、身体の感覚は鈍るどころか、強くなるばかり。

  疼痛に近い尿意が下腹部を圧迫し、切迫させる。

  もはや尿の追加は避けられない。運命づけられていた。

  「チッ、本当だったな。また出しそうな顔をしてるじゃないか。俺はこんなやつを成敗してやると……躍起になっていたわけか。バカバカしい」

  ハイエナが舌打ちし、笑った。

  「お前の目はやはり確かだ。だが、余計に、こんなバカを捕らえるのだと意気込んでいた自分が恥ずかしい。小便臭くてチンケなやつだな。みっともない」

  ヤギの衛兵は誇らしげに首を傾ける。

  「でしょう。あなたはよくやっていらっしゃいますよ。それに、僕も、こんなに早く出るとは思っていませんでした。気味の悪いやつです、いくらでも小便が出てくる」

  ロームは弱々しく頭を下げた。こんな状態であるのに、小便は少しも休まらない。

  ジョォオオオォオオ! シィィイ! シュアアアアアアア!

  ロームの巨大な体が庭園の冷たい土に押し付けられている。

  彼の足と手は数人の衛兵たちにしっかりと固定され、身動き一つとれなかった。夜風が身体をなでるたび、その冷たさが彼の濡れた体にさらなる圧迫感をもたらす。ロームの体の隅々からは、冷えと羞恥による小さな震えが起きている。

  「おまえの股間は水袋かよ」

  「どうやったらこんなに出せるんだろ……」

  尿意の圧迫感が、下腹部を苛烈に痛めつけている。

  捕らえられ抵抗することも、尿を止めることもできず、疲労も加え、精神は限界を迎えていた。

  股間のサイズは知られていないにしろ。

  失禁とお漏らしを隅から隅までチェックされた。

  このまま牢屋行きとなれば、弁解のしようもない。

  目の前の衛兵たちはロームの体中を凝視する。その瞳には、残酷な好奇心にあふれていた。生き物を玩具にする子供のような、嫌な視線だ。副隊長は満足げな笑みを浮かべ、このリンチの成功を喜んでいた。このヤギだけは、ロームよりも衛兵たちの表情や態度をチェックし、その反応を楽しんでいた。

  最低な連中だ。

  国家権力を盾に、私刑を楽しんでいる。

  こうした飴玉をしゃぶらせてもらっているから、ここの衛兵は仕事熱心なのだとロームはその身で思い知った。

  シィイィィイイィイイイイイ! ジョオォォオオオオ!

  不規則な尿が、笑いを誘う。

  ロームの青白い顔が、更に歪んでいく。

  馳せた二つ名。虎としての脅威。相手を投げ飛ばす技量。

  全てが、この瞬間には意味を失った。目には涙が溜まって、瞳はどこか遠くを見つめている。

  シイィィイィイイイィイ!!

  シィィイィイイイィィイィイィイ!

  さらなる尿意が来た。

  下半身から、温かく、そして激しく尿が噴出する。

  ズボンをさらに濡らし、土に水たまりを形成していく。

  水を吸い道が出来ていた土は臭い立ち、泡立っていった。

  彼の強力な筋肉が、この屈辱的な行為によって震えている。

  庭園には、月の光が差し込み、その中で尿の水たまりが輝いている。

  ロームは脱力感。ほんの少しの開放感を味わっていた。しかし、やまない深い羞恥と屈辱が、緊張や重圧をつくりだした。いますぐに、死んでしまいたかった。

  周囲の衛兵たちは、この光景を目の当たりにして、さまざまな反応を示す。

  一部は大声で笑った。一部は驚愕の表情を浮かべた。だいたいは興奮したようにロームを見つめている。それは舞台上の俳優に熱視線を向けるのと似ていた。

  衛兵のだれかが、口元を抑えながら言った。

  「まさか、こんなところで見ることになるとはね」

  ロームは涙で世界が歪み、影も相まって視認できなかった。

  「こんなに出るものなんだな。ちょっと信じられない」

  月光が照らす庭園の石畳と土の上。

  ロームの放つ黄金色の尿が滴り、徐々に広がって水たまりを作っていった。

  石と石の間の隙間からは小さな流れができ、庭の低い部分へと通っていく。

  尿の異臭が夜風に乗り、庭園に染み渡る。肥えた土と混ざりあったとなれば、いっそう嗅覚を刺激する。

  不本意であるのに、気持ちよさ……失禁の余韻に浸っている。

  ロームは全てを身体で感じ取り、そんなわけがないと否定した。

  尿が体内から放出される時の熱を、そしてそれが外界の冷たい空気と触れる時の冷たさを。下半身は尿でいっぱいになり、背中どころか首が濡れた。頭に尿の湿気が伝わり、臭いのある水滴が出来ていた。

  下半身の汚れが彼の脳を直撃する。

  心に屈辱と羞恥を植えつけていった。

  放尿の感覚は終わらず、それが尽きることなく続いているような感じさえ彼は受け取っていた。胸中は、尿意の解放感と、その行為の羞恥で満ち溢れていた。

  周囲の衛兵たちは、面白おかしく楽しんでいる。

  だれかは衛兵は口を手で押さえ、だれかは目を丸くしてロームの股間を凝視する。また、あるものは背を向けてしまうほどの強い羞恥を得て、観ちゃいられないと目を反らしていた。

  大半の衛兵は、ロームの屈辱的な姿を目の当たりにして、嘲笑った。

  全ての衛兵たちの目がロームに釘付けになっている中、庭園の中央には、ロームの黄金色の放尿が滴り続ける。

  出し終えても、ズボンはぐっしょり。

  常に滴り、尿の臭いと現実を訴えていた。

  シィイィイイイィイィイイイ!!

  「うわぁ……また出してるよ」

  「……これ、もしかして、そういう病気?」

  「なんか、なんていうか……はは」

  シッ! シィ! シィィィィイィィイィイ!!!

  周囲の衛兵たちの反応も次第に変わってきた。

  始めの驚愕や笑いの後。多くの者の表情には驚きや興味だけでなく、一種の同情や哀れみさえ浮かび始めた。

  そして、いまの放尿が、ようやく、徐々に勢いを失わせていく。

  石畳や濡れた地面に接触する音は次第に小さくなり、最終的には静かな滴る。

  庭園に広がる水たまりは、月光に反射し、一層明るく照らされていた。ロームの尿は、最後の一滴まで地に落ち、彼の屈辱の証しとして、庭園の土に染み込み濃い泡をつくりあげるのだった。

  [newpage]

  グレーシティの繁華街。

  通りを行進するロームの姿は「流離いの虎」と呼ぶにふさわしい特徴を顕わにする。

  虎らしい特徴的な毛並みと細長い尾に、引き締まりながらも怪力を発する肉体。ボロボロの衣服も彼がまとえば特別な仕立物に感じられるだろう。

  しかし、今の彼はその堂々とした立ち振る舞いは出来ず、首には重い鉄の枷が嵌められ、手首も頑丈な鎖で繋がれている。

  下半身は、いまだグッショリと汚れていた。

  当たり前だが尿を滴らせながら、足跡をつくっていた。

  衛兵が何度も「流離いの虎を捕らえたぞ!」と吠え、手柄を宣伝する。

  その恐ろしい犯罪者の顔を、そのふてぶてしい犯罪者の姿を、住人は拝みに来る。

  最初は驚き、次第に状況を理解し、表情は微笑ましいものや同情。呆れに変わった。

  「雨でも降ったのかな」

  「あいつのチンチンだけ、そうなったんだよ」

  住人たちは、その異様な光景を驚き、それ以上の愉悦を持って見物する。

  これだけ情けない見世物は、人生でそう何度も経験できるものではない。

  子供たちの中には、彼の毛並みや尾をじっと見つめる者もいれば、尿の筋や足跡に興味津々な目を向ける者もいた。

  「ママ、あの虎、ズボンからおしっこしてる!」

  コウモリの少年が指を指して、驚く声を上げた。

  「ぼく、おねしょ卒業したのに、あのおじさん、ズボンにおしっこしてるよ!」

  「そうね、でもロームという悪人なのよ。だから、近づいてはいけません。危ないだけじゃなくて……汚いからね。あんなふうになってはいけませんよ」

  彼の隣にいた母親が忠告し、近づかないよう、観ないよう抱きしめ人混みに消えていった。だからもっと笑われる。嘲笑われて、貶されてしまった。

  「ほら皆! 小便たれの虎を見たか! こんなバカが、どうやって盗みを働いていたんだ? 噂と違って、情けない姿を晒しているじゃないかっ!」

  笑いながらキツネの男が声を上げ、煽り出す。やめろ、とロームは心で言うが、口に出せばもっと酷いことになる。

  「だから捕まったんだろ、俺たちの鼻でもプンプン臭ってる! 嗅覚の訓練をした衛兵なら、目をつぶっていても捕まえられるさ!」

  小便たれ! 小便たれ! 小便たれ!

  何度も何度も何度も何度も、それが耳に届いた。

  「あいつの手配書を見るだけで怯えていたけど、今となっては、そんな自分が信じられないわ!」

  リスの女性が、これまた大声で続けた。

  悪口や罵りが止まって、大笑いだけが響き渡った。

  何だ何だと眠りを妨げられた住民たちが、窓やドアから身を乗り出し、状況を理解しては、ロームを苛む視線が増える。

  「くそったれが……」

  拘束された身を縮こまらせ、股間をすくませた。

  ロームは耳を垂らす。引きずりながら街中を引き回されていった。

  過去の行い。名声。自尊心。他を威圧する眼光。築きあげたものが、尿で濡れたズボンや街の声で完全に覆された。

  ヒィィ! ハッハッハッ!

  ア! アアァァッハッハッハッハッハッハッッ!

  もはや取り返しがつかない。

  これだけの目撃者が出てくれば如何なる功績をあげようとも、「小便たれ」の烙印を消しようがない。

  ロームの屈辱は、衛兵たちの勲章に箔をつける。

  グレーシティの伝説として、街の歴史に刻まれるのだ。

  どれだけ尿を垂らしても、決して洗い切れない公の記録。

  たしかなものとして、ロームの姿は後世に伝えられてしまう。

  引き回されているロームの声は、その深い低音で空気を震わせた。

  「黙れ! クソ、てめえら! ただじゃおかねえからな!」

  眼は怒りで燃えており、噂の流離いの虎を感じさせる威圧感があった。

  だからこそ、余計に滑稽だ。より、いっそう、衆目が緩み石に笑いが反響。

  ロームの股間はびしょびしょに濡れており、背中までびっしょりときていた。

  すっ転んで尿をしたか、尿の上にすっ転んだか、そのどちらかなのは言うまでもない。

  そんな光景はロームの威厳の一切を剥ぎ取り、愚か者に仕立て上げた。

  「殺してやる! てめえら、ただじゃおかねえ! そう言ったのが聞こえねぇのかっ!」

  衛兵たちの中の一匹、筋肉隆々のワニがニヤリと笑いながら、ロームの尻を大きな手で強く叩いた。

  「い、いてぇ!」

  「調子に乗るな、小便たれ!」

  一度や二度でなく連続だった。

  子供をしかりつけるときの、尻叩きと同じだった。

  パチュッ!

  手のひらが肉を激しく引っ叩けば、泥を踏んだような音。

  パチュ! パチュ!

  そのたびに尻が波打ちズボンから尿の飛沫が吹っ飛んだ。

  膀胱にまで響き、臍の下までが、ぎゅうぎゅうと締まる痛み。

  「見ろよ、尻を叩いた手が、小便臭くて仕方がないぜ」

  ワニの言葉と掲げられた手に、数えきれない観衆は、きょとんとした。やがて、一斉に笑い始めた。

  ロームは叩かれたショックで瞬時に身を縮め、その反動で彼の体は再び尿意に駆られた。この時、彼は意を決して歩きながら小便をしてしまった。黄金色の液体は彼のズボンをさらに濡らし、足首の袖から一筋をつくりあげた。そのほとんどはブーツの内側に潜り込んでから、石畳に流れ出す。

  シィィィィイイイイィィイイ!!

  「見てみろ! まだ漏らしてるぞ!」

  衛兵が指差して大声で叫び、見物人たちは熱狂と呼べるほど興奮していた。

  悪党を蔑むのは、グレーシティの一大イベント。今夜は特に盛り上がりを見せ、小便たれを大勢で笑いものにする。

  シイィィイイイイィ! シッ! シィイィイィイイィ! ジョォォオオ!!

  狼の男性が笑いを堪えていた。だが、結局は涙をこぼし、腹を抱えた。

  「まるで子供じゃないか! いい大人なんだろう? 私の見間違いか!?」

  「怖い目つきをして見せても、尿は止められないんだね!」

  猫の老婆が杖を振って、ほくそ笑んだ。

  ロームは衛兵たちに引きずられながら、周りの罵声や笑い声に耳を塞ぎたくなるほどの恥を感じていた。過去の偉業や恐ろしい評判は、この無様で恥ずかしい様子を晒したことで何の意味もなくなってしまった。

  シィイィィイィイ!!

  ロームの頻尿体質が、自分自身のすべてを破壊し尽くした。

  「いてぇ……! やめろ、犯罪者だからっつって、こんな扱いをされる謂れはねぇ!」

  尻を叩かれる、何度も叩かれる。失禁しながら睾丸が怯え、震えた。

  さらには冷たい夜風が彼の尿意を刺激して止まることがなかった。尿が続くたびに、彼の体は更なる解放を追い求めるように思えた。冷たい石畳に滴る尿の音は、笑いの渦中にいれば特に際立って聞こえた。滴る雨のように時折変わるリズムで、時には勢いよく、時にはしずくのように、しかし絶え間なく流れ続けていた。ときおり尻叩きの音と衝撃が脳を揺さぶり、歩きながら小便の臭いに包まれる。

  「クソ……クソ……俺は、流離いの虎だぞ…………」

  ポタポタと涙をこぼすロームを救う者は、ひとりもいなかった。

  [newpage]

  やがて、ロームは名を馳せていたばかりに、注目を浴びていた。

  粗末な布で作られた服をまとい、鎖に繋がれたまま二人の衛兵に連れて行かれる。

  裁判所の大きな扉が重々しく開き、ロームは二人の衛兵につかまれたまま、その中へと引きずり込まれる。裁判所の中は静まり返っており、大勢が登場を待ち構えていた。高い椅子に座る草食系の裁判官は、角の生えた大きな頭で威嚇するように振るって、鋭く睨みつける。

  罪状が読み上げられ、これまでの弁解を求められた。

  あらぬ罪まで着せられていてはたまったものではない。

  真偽を問うため、罪状を決めるため、裁判が進められるが。

  何度も何度もトイレに行かせて欲しいと訴え、新聞屋も「本当だったぞ」とロームの態度を楽しんでいた。

  シィィイィィイィイィ!!

  裁判官の前で、大勢が結末を見守る中で、ロームは震えながらの失禁。

  法廷侮辱罪をつけると怒鳴りつけられ、ハンマーが打ち鳴らされるが尿は止まらない。

  一体なぜなのか、問いかけられる。裁判官の睨み。失禁した虎の後ろ姿をだれもが見つめていた。尻周りに太ももから下はすべて尿染みがつくられ、白い湯気をあげる。

  「頻尿なんです……昔から、ずっと、トイレが近くて……我慢出来ないんです……嘘じゃあ、ありません……」

  「それでは体質を考慮しきれなかったことを謝罪いたします。次の機会があれば、おまるやおむつの使用を許可いたします」

  漏らし半泣きの様子で、笑いを堪える気配がそこかしこからあがった。

  厳粛に行われる裁判。余程でなければ許されない。失禁したくらいでは特別扱いはされず、法定でも晒し者にされてしまう。尿の水たまりに突っ立ち、ロームは判決をくだされる。

  「ローム。噂の盗賊にして盗人。あなたの罪は市民たちに対する強盗、暴行、そして公共の場での放尿や失禁という、重大なものとなります」

  裁判官は重々しく言葉を続けた。しかし、罪状に『放尿や失禁』を加えた。もっと呼び方があるはずなのに、侮蔑しているのは誰の耳にも明白であるが、それだけのことをやっている犯罪者を思いやる者は、ここにはいなかった。

  「何か、申し開きはありますか?」

  「……ありません」

  肯定しなければ罪は重くなる上に、ペナルティだって発生する。

  それきりロームは沈黙した。彼の目にはもはやそのかつての火のような意気込みはなく、ただ無力感と疲労感だけが込み上げていた。虚脱した肉体は不自然に緩み、毛皮からは健康的なツヤがなくなっている。

  それから更に短い審理の後だった。

  裁判官はハンマーを叩き、宣告する。

  「ローム、あなたの犯した罪の重さを考慮し、懲役二十年および強制労働を言い渡すものとします。これにて閉廷」

  ハンマーが打ち鳴らされて、やっと我慢から開放されたと沢山の笑いが響いた。

  周りからは賛同の声、どやされる声をあげられた。裁判所の外では、失禁の失態が伝わっていて、尿染みをつくった臭い虎を連れた衛兵二人が、露骨に顔をしかめていた。

  監獄への道中、衛兵たちはペナルティとして、ロームを集団の前で晒し者。

  首には「小便たれのローム」という看板がぶら下げられ、笑いものにしながら罵声を浴びせてきた。

  監獄に到着したロームは、粗末な服を脱がされる。

  支給されたのは白く薄い……パンツ一枚。それだけだった。

  脱走など考えられぬよう、道具の持ち込みが出来ぬよう、薄いパンツ一枚が制服だ。

  グレーシティの周辺は荒れ地が続き、日中は蒸し暑く夜は生ぬるい。例の逃走劇の夜は冷えていたが、ああした時期は数ヶ月に二日あるかないかで、囚人が寒さを心配する必要はない。仮に冷えたとしても、パンツ一丁で過ごすのは課せられた義務。逆らえない。

  「ふざけやがって……」

  幸いにも牢屋の中ではひとりで過ごせた。

  硬いベッドで寝そべり、小便臭い股間をパンツから出す。

  そっと恥垢を拭い取って、ビクビクと尾を震わせていた。

  「クソ……絶対に、脱獄してやっからな……チクショウ」

  涙声で、ビクビクと恥垢の掃除。いっそ消えたい。

  たっぷりのカスを拭い取り、すこしだけ体を整えた。

  ロームはグレーシティの発展のため、石材をつくらされる。

  「だれが、あんなカスどものために働いてられるかっつぅんだ……石を切り出せ? グレーシティの発展? 知らねぇよ」

  石を切り出すための強制労働班に配属された。彼の強靭な体は、重労働にも耐えうるものであったが、心はもはや、かつての炎が灯ってはいない。度重なる失禁と羞恥により、崩れ去っている。それでも脱獄を考えるくらいには、くすぶっていた。

  「チクショウが……」

  ロームは泣き、これまでに起こされた屈辱を思い返す。

  「……返り咲いてやるからな」

  彼は一度も振り返らず、新しい生活を始めることを決意した。

  [newpage]

  翌日。

  監獄の外には広大な採石場が広がっていた。

  その荒涼とした地には無数の石が点在し、多くの獣人たちが鎚や鉄の楔を使って石を切り出していた。あちらの作業は岩陰になりサボれて、まだよいらしい。あちらに配属されたかったとロームは舌打ちする。

  「くそったれが……」

  この採石場は街の建物や道路の舗装に使われる石材を供給する場所であり、ここで掘り出した石は市場に送られ、売り払われる仕組み。その大半は忌ま忌ましいグレーシティの石材として使われる。

  ロームは初めてこの場所に足を踏み入れた時、他の獣人たちの視線を感じながら鎚と楔を手に取った。その強靭な体躯を活かして、大きな石を見つけ、鉄の楔を打ち込む。鎚を振り上げ、力強く楔に打ち下ろすと、石は粉々に砕け散った。

  「よくやった、ローム。上出来だぞ」

  初心者であるから、犬の看守が見張りにつき、仕事の成り行きを見守っていた。名前が売れていたせいで、おえらいさんが直々にやってきた。

  「だが、あまり力を入れすぎると石が粉々になってしまい、価値が下がる」

  今しがた粉々になった石を見下ろし、犬の看守はこれといった興味もなさそうに言葉を続ける。

  「石の質や硬さを感じながら、力加減を学ぶことだ。模範囚になれば、仮釈放の許可。減刑が得られるかも知れない。グレーシティに貢献すればより減刑してもらえる」

  ロームはその言葉を受け入れ、次の石に挑戦した。もちろん演技だ。

  脱獄が不可能となれば、やれることは、看守の言うような道しかない。

  鎚と楔を使って石を切り出す作業は、単純なようで奥が深いのだと犬は語る。

  「石の硬さや質に合わせ、力の加減を変える必要がある。まあ、慣れて作業が優秀だと判断されれば、地下の石切り場に配属が移る。そうなったらシメたものだ。貢献の度合いは比較にならない。ここは練習場にすぎないからな」

  ロームは舌打ちを抑えた。

  ここでいくら頑張ろうとも二束三文の値打ちもないのだと、わかったからだ。

  「……ペナルティは、模範囚や諸々に影響……するのか?」

  恥を忍んで、犬に問いかける。彼は背筋を整えたまま首を振った。幸いにも、横に。

  「君は裁判官に、しっかりと頻尿体質だと語ったそうだな。虚偽でないことも検査でわかっている。漏らすのはしんどいだろうが、晒し者にされる程度で済む」

  犬は漏らす未来を予期しているかのように語って、面白くない。

  この監獄では、特定の仕事に関しての生産量や労働の質によって、刑期が短縮されるシステムが取り入れられていた。これも衛兵たちに使われていたアメだ。どれだけムチを振るわれようともアメが待っているのなら、ひとは意外と耐えられるしモチベーションも底上げされる。

  石を切り出す作業もその一部で、石の量や質に応じてポイントが与えられる仕組みになっていた。例えば、高品質の石を均等な大きさに切り出した場合、通常よりも多くのポイントが獲得できる。犬は事細かに話してくれた。意外といいやつなのかもしれないと、ロームは思うが視線があう。

  「私もペナルティを与える立場だ。もっとも、看守長であるから、部下にやらせるだろうがな」

  「へいへい」

  一定のポイントを獲得すると、刑期の短縮が認められた。

  わざわざ看守長が直々に見回るのも、受刑者をその気にさせるのが理由に違いない。

  この制度は、働く意欲を持たせるとともに、更生を促進することを目的としているとも語られた。どうでもよかった。

  「ほかにも色々な仕事はあるが、ロームの配属には関係のないものだ。省いておいた」

  ペナルティのほうは、既に聞いているな? と聞かれ首肯する。

  「おまえは頻尿だからと、手心を加えてやれない」

  「うるせぇ……」

  「その布は少し特殊でな。囚人がパンツの中にものが仕込めないよう薄く透けそうになっているだけではない。何か薬品やものがつけば色がついてしまう。小便も、まあ例外じゃない」

  「へいへい」

  看守長は踵を返し、「それでは私の役割はここまでだ」と去っていった。

  この流離いの虎が、なんてざまだよ!

  本意でなくとも仕事をしなくてはならない。

  石を切り出さなければ、ペナルティが待っている。

  何より、名が売れていたせいで看守からは注目の的だ。

  陽気すぎる太陽に見守られ、小さく薄いパンツを穿きながら熱心に道具を握り、汗を流す。心から不愉快であった。

  「この俺が……この俺が……この俺が………………!」

  ぶつぶつと言いながら石を削り出す。だが力加減を上手く出来ず、無価値な石ころを汗と荒れ地に落とす。転がった石を苛立ちで踏みしめ、遠目から覗いている囚人へ睨みをきかせた。

  が、ぷっ、と吹き出される。

  びしょびしょのズボンと一緒に小便たれの汚名を着こなし、裁判官に頻尿の体質を打ち明けた。笑いものにされながら収監され、今現在。その情けない噂はとっくに広まっているだろう。その証拠に、遠目からチラチラと視線を毛皮に刺されていた。

  「くそったれ……俺は流離いの虎だぞ」

  あれだけ武勇伝をあげていたのに、一夜で形無し。

  だれひとりとして、ロームを恐れる囚人はいなかった。

  看守も同じだ。貶されもせず、相手にもされないのだ。

  「………………」

  騒ぎのひとつでも起こせば、問題なく流離いの虎に返り咲けるだろう。

  しかし、頻尿であるのは事実。否定しきれない、自分の弱点であった。

  いまだって小便をしたくて我慢している。トイレの時間は厳守されていて、また行きたいのであれば看守に「トイレにいってもよいですか?」そんなふうに尋ねるのが規則。何度も何度も、頻尿であるがゆえに看守に話しかけたくはない。それを観られたくもないのだった。

  恥を恐れて声をかけられない。

  授業中にお漏らしをする弱虫さながら。これでは誰からも舐められて当然だ。

  石を砕くほど力を込め息を荒らげる。いまの衝撃で膀胱に痛みが走り顔をしかめた。

  大岩の影で、もじもじと腰を動かしてしまう。今にも、小便を漏らしそうであった。

  道具を手に持ちながら股間をおさえる。触れた竿は包茎短小。あまりに、惨めなサイズなのは、絶対に知られてはならない。この頼りないパンツが、最後の砦になった。

  「………………」

  あたりで働く囚人たち、ほとんどが体型に見合った股間を持っている。

  パンツが薄く反対側が透けそうなだけに、動けば揺れるのは自然の摂理。

  しかしロームは、短小包茎。あんなふうに揺れるわけがない。股間にボールでも詰めているのかと疑るほど大きい男も少なくはなかった。ここにいれば使う機会のない無用の長物であるのは一緒であるが、それでも、男同士の価値観。ましてや犯罪者同士ともなれば『ちいさい』のは致命的。バカにされ貶され、舐められ辱められるのは想像に難くなかった。

  「……………………」

  喧嘩を起こせば、小さいから気にしているのだ。

  問題を起こせば、小さいくせに態度はデカいな。

  そんなふうに、なにかにつけてチンポのサイズを遡上にあげられる。

  やがて器が小さいと股間が小さいのか。いや、股間が小さいから器も小さいのか。

  こうバカにされる。実際に、そうバカにされていた過去があるからこそ、不安だ。

  ペナルティを起こしたものはパンツさえ没収され、フルチンで日常を送るよう決められていた。脱獄未遂も同じだ。

  しかも、そこからペナルティを課せられれば、体の毛を剃られ肌を見せるよう強いられてしまうのも、投獄される前の説明を長々と受けていた。頻尿であるから、一部のペナルティは免除されるとも言われた。

  ――囚人ひとりにかけられる税金は決められている。おむつの支給は、無理だろうな

  説明係にコケにされて、他の囚人たちが含み笑いをした。

  自分たちが囚人ヒエラルキーの最下層に位置しない、安心からの笑い。

  おまえをヒエラルキーの底辺に貶めてやる。そういう、嘲笑いだった。

  汗ばんだパンツが股間の輪郭をつくりあげて、何度も指で引っ張った。

  しかしパンツは薄い。ちょっとした水分でも、致命的であった。

  「くそったれが……」

  作業の終わりのベルが鳴り、全員が道具を看守に返却。

  その後に行動が許される。小便がしたい。今回は環境の変化や苛立ちのせいか、ベルが鳴り終わる手前に尿意が訪れて、まだ我慢が出来る。尿道の中に熱いものが溜まっている気配がする。左腹を抑えたくなるほど痛みがあり、さっさと便器の前に突っ立ちたい。

  だから急ぎ足で、荒れ地を踏んでいると、後ろから息遣いがした。

  「おい! こっちを見ろよ!!」

  ずるっ!

  何者かが、いきなり、後ろからパンツを両手に掴んで、引きずられる。

  濡れ気味だったパンツは捻れて、瞬く間に膝まで下げられ、転びかける。

  短小の包茎から、ぴるっ、と尿の雫が散った。いまの呼びかけは自分にではなく、囚人たちに向けたものだ。

  ぷるぷるっ

  自分の親指くらいの、細くて皮が尖るほど余った短小。

  それが、文字通り、白日のもとにさらされて、衆目に凝視されてしまった。

  大笑いが巻き起こり、すぐ半泣きになって、後ろにいた小柄な猫を殴りつけた。

  恥じらいとコンプレックスを刺激されながらなので本気の腕力に達していない。

  それでも、一撃で猫の頬をひしゃげさせ、仰向けに昏倒させる威力はあった。

  だとしても、短小包茎の秘密を知られた。笑い声は、まったく休まらない。

  ギャハハハハハハハハハハハハハハハ!!

  ちいさい、ちいせぇ! ちっさ! ミクロかよ!

  ささやかな蕾を、あらゆる言葉で「小」とバカにされてしまう。

  看守も今のは深いペナルティにならないと見逃す。囚人同士のじゃれあいだと。

  「うるせえ! 笑うんじゃねえ!」

  パンツを下ろされて、捻れた布はなかなかに上手く戻らない。

  汗ばんだ毛皮が布に絡まる。男臭く生臭い股間が、身じろぐたびに、ぷるぷるっ、と恥じらう。尿の雫が垂れる。それも観られて「チビってんのかよ、なあ、チビ!」と誰かがヤジった。

  「笑うなっつてんだよ!」

  ロームは虎縞が体中を覆っているが。

  腹回りと股間周りは例外。だから、特に目立つ。

  「俺がおかしいか? いいぜ笑ってみやがれ! すぐ思い知らせてやるからよ!」

  誰もが彼もが笑いをあげて、小ささを言葉にした。

  顔が真っ赤になり、股間を震わせながら拳を握った。

  「こいつみてぇに、ぶん殴られてぇのか!!」

  仰向けで痙攣する猫を指差す。強く強く怒鳴りつけた。

  喉を唸らせ荒れ地の砂が舞いそうなほど声量をあげても。

  ギャーーーーーーハッハッハッッハッハッ!! ギャ、ハハハハハ!

  

  余計にバカらしいと、短小の背伸びだと、大勢に嘲笑われてしまった。

  笛を吹かれて、看守に事前注意を受けてしまう。これ以上の暴行はペナルティに値するのだと、囚人たちはわかっていた。笑うことは罪に問われない。

  ピィイィイ!!

  看守の誰かが笛を吹き、「静粛に!」と吠え、ピタリと笑い声はおさまった。

  「……!」

  小便が、ちょろっ、と流れていく。

  包茎の内側に堰き止められ、ほんのりとした水分が、パンツの汗と合流する。

  このままでは本当に漏らしてしまう。急ぎ、早足になり、仮設トイレを目指す。

  パンツのねじれを半端に戻し、上半分が少し出てしまっていたが、もう見られた後だ構いやしない。強がりながら、ロームは固唾を飲む。あと数分の内に漏らすのは明白であった。

  石を打った衝撃。

  猫を殴打した衝撃。

  怒鳴りつけた衝撃。

  すべて、睾丸に等しくダメージを与えてしまった。

  そしてパンツを脱がされた焦り。時間の浪費。

  言い訳を重ねればいくらでも湧いてくる。

  だが、舐める側は、そんなのはどうでもいい。

  「………………!!」

  看守にトイレを報告しなくてもよいときは、自由時間。

  だからだろう。フォーク並びで長蛇の列をつくり、複数の仮設トイレで順番待ち。

  汗水を流した男たちの臭い列。毛並みを潤わせ逆立てている連中に並び、後ろからも並ばれる。

  「ちいさっ」

  横から覗き込まれて、股間を罵られる。

  きつく睨みつけてやったが、効力は一切なかった。

  もう、流離いの虎のネームバリューはもちろん、虎の体格や生来の悪い目つきは役立たなくなっていた。

  そして、腹の痛みを堪えきれず、やがて尿は滴りはじめてしまった。

  我慢しながらも白く湿ったパンツの中心。短小の蕾が触れている部分から、黄色い点を穿つ。やがて点は大きくなり、黄ばんだ染みとなって、ひろがりを見せていく。

  だが堪えられた。

  震えながら、必死に耐えてみせたのだ。

  列を監視する看守から不審に思われながら。

  内股になりながら前かがみになり、股間を手で隠す。

  シャンパンのコルクを押すみたいな感覚が、尿道を伝った。

  通り抜けてしまう。温かく臭う尿の、アンモニアっぽさが。

  プシュッ

  努力は虚しいもので、いとも容易く限界がきた。

  黄色い染みが、いきなり、パンツの全体にひろがっていった。

  プシャアアアアアアアアアアアアア!!!

  プシュッ! プシュッ! プッ! シイィィイィィイイイイイイイ!!!

  堰を切ったように溢れ出した尿が、何度も閉じようとした括約筋の影響で不規則なリズムを生む。蛇口を全開にしたホースの先端を、指で閉じたり開いたりを繰り返すのと似ていた。

  「うっ!」

  「くっせぇなおい!!」

  「きたねえよ小便たれ!」

  「なんで漏らしてんだよ、アホじゃねえの!」

  責め立てる声は、次第に笑いに変化していった。

  漏らしているのが、先程の短小包茎を晒した虎だから。

  流離いの虎ロームと呼ばれ一目置かれた犯罪者だから。

  ギャッハッッハッハッハッハッハッハッハッ!!

  パンツが湯をかけたように熱くなり、尿の栄養によって肌に痒みを呼ぶ。

  アンモニア臭をあげながら、びちゃびちゃと太ももを伝って落ち、地面で跳ねる。

  足の裏の毛や肉球までが締める。手で押さえていても、指の隙間から溢れていった。

  視界を濡らしているから、周りの囚人たちは「小便たれ」「べそかき」と大喜びした。

  こんなに笑ったのは久しぶりだと、ロームを褒めるものまで現れ、拍手が起きるのだ。

  シイィイイイイイイイイイイイイイ!!

  パンツの横から尻尾の側。股間部の全体を一気に濡らし、そのまま足を伝い落ちる。

  貫通した尿は手のひらにぶつかり、ひろがって、指やその境目。パンツの内側からボタボタと乾いた地面にすすりあげられた。地面の黒いシミに、黄色い小川が出来て、四方に流れていった。

  「くっせぇぇ! タバコと酒の臭いだ!」

  「ずいぶん、偏った食生活をしていたんだな!」

  「安心しろよ、囚人は管理されてるから、来週には健康体だぜ!」

  ギャハギャハと嘲笑いながら、足で滝をつくる尿。足元で広がる尿。あるいはローム自身の小さい小さいものを隠す手を指さす囚人たちは――新しい玩具を手にした子供のように興味津々だった。

  目に涙を溜めるロームと、全く別種の意味で目に涙を溜める囚人たち。

  看守も例外ではなかったが、生真面目なものは前に出て、騒ぎの収拾に当たった。

  静かにしろと警棒を振り回してから、笛をふき、その場でロームに気をつけの姿勢を命じられた。

  シャアアアアアアアアアア!!!

  股間部と言わずパンツに囲まれた腰回りの全体が、尿の滝を生む。

  両手から開放され、尿の勢いと音が増す。だが、看守の指示は絶対であった。

  まわりの囚人たちは笑いを堪えきれずにいて、生真面目な看守は目をつりあげ体罰で黙らせた。

  シャアッ! シャアシャア! プシュッ、シャアアアアアア!!

  こらえようとしても、こらえようとするだけ、バカ丸出しのリズムを刻む。

  死んでしまいたい。背筋を伸ばしながら下半身を水浸し。こんなにも臭くしていた。

  小便にまみれた両手を伸ばし小さい股間を自らの尿で、はっきりと浮き上がらせる。薄い布地が玉と貼りついて、包茎の部分が尿の水圧によってパンツの生地を前に伸ばしているのは、自分でも滑稽だと感じた。

  「何をやっている! なぜ、こんなところで小便を漏らしている!」

  看守の問いかけを聞き、見物人は興味津々。ロームの答えを待つ。

  ついに尿の勢いが収まってきて、酸性っぽい臭いに甘さが漂っていた。

  自分の男臭さ。汗臭を優に超える悪臭。刺激的なアンモニアが鼻をつく。

  「何をやっているのかと聞いている! なぜ、こんなところで小便を漏らしている!」

  しゃああああ…………

  おさまった。だが、あまりにも遅い。そもそも始まってほしくない。

  叱られた短小包茎が竦み上がって、小便を止めさせられたふうだった。

  泣きじゃくるのを必死に抑え、背筋を伸ばしながら、囚人として看守と目を合わす。

  犬系の看守は結構な歳で、ジョークなどが通じる手合いではなく、完全な仕事人だった。

  「小便を……漏らしてしまいました……」

  「声が小さい!」

  叱責されて、やむを得ず目をつむり答えた。

  「小便を漏らしてしまいました! わざとではありません!」

  ドッと笑いが吹き上がり、あたりの囚人がペナルティを恐れ、笑いを堪えている。

  もう、ロームをだれも『流離いの虎』とは呼ばない。小便の我慢できない無様な間抜けとしか思われない。どれだけ悔いても、股間の熱に水気は消えてくれず、周りの態度が改まることは絶対にあり得なかった。

  「トイレの列に並びながら、なぜ我慢できなかった!」

  中年の犬に大声を出されて俯いた。

  下半身からボタボタと黄ばみを滴らせる。

  毛皮を寝かせ、土を濡らし砂埃を浮かせた。

  「わざとではありません! 我慢が、出来なかったんです!」

  「なぜだと聞いている!」

  腹筋が割れていて、両腕も鍛えたように膨れている。

  それでも括約筋はあっさりと尿意に屈し、出してしまう。

  この状況を変えるには、正直に話す以外に道はなかった。

  「頻尿です……!」

  口から尿もれみたいに言葉を出す。

  「プロフィールにも、そう書いてあります!」

  ますますバカにされる気配。玉の裏までムズムズとして不快だ。

  大声をあげるたび、パンツから滴る尿の量が増えているのだから惨めさに拍車がかかっていた。そうしている間にもトイレの列は捌けていき、これだけの人数の中。自分だけが満足に生理現象を我慢出来ないのだと、思い知らされてしまう。

  「よろしい! 以後は気をつけるように!」

  「無理だって! あんたも知ってるだろう!?」

  便所の列から、だれかがそう叫んだのを皮切りに。

  「そいつグレーシティで何度も失禁してたんだってよ!」

  「何が流離いだ! 所構わず漏らしちまうから、逃げ回ってたんだろ!」

  一番の泣き所を放たれると、心臓に釘が突き立てられる。硬直し、何も言い返す気力がなくなった。叱られたり虐められたりした弱虫が、うつむき現実から目を背ける仕草をやってしまえば、笑いの輪がひろがった。

  「おちんちんが小さいこと、みんなに知られたくなかったのかな!」

  次から次へと放たれるのは、侮辱的な悪意。

  現実とコンプレックスに打ちのめされて、尻の小便に尻尾を押しつけた。

  耳を垂らしている。どれだけ伸ばそうとしても無理だ。腹に嫌なものが溜まる。

  長年。暴露を恐れていたものを大勢に知られ、しかも逃げられない刑務所の中だ。

  弱点をつつき回され、苦しめられるのは想像を絶する苦痛。しかも逃げ場はない。

  小便を溜めた包茎の内側。満ちた恥垢が痒みを増加させ、不衛生な雑菌を感じさせてやまなかった。いますぐに敏感な亀頭を洗い流し、恥垢を落としたくなるが、背筋を伸ばした姿勢をキープするので精一杯だった。表情はぐにゃぐにゃになるほどの泣き顔になっている。

  「静かにしろ!」

  中年の犬が叫べば、水を打ったように静まり返った。

  余程に囚人に罰を与えてきたのだろう、怖がられていた。

  「ペナルティによって、パンツの着替えは来週までお預けだ。だが、必ず着用するように!」

  「………………は、はい…………」

  ひどすぎる仕打ちだと、初日から思い知らされた。

  あのときパンツを脱がされていなければ、いや……どの道。列で漏らしていた。

  「トイレに並ぶ必要はないだろう。おまえはもう独房に帰ってよい」

  「はい……」

  小便に塗れた足跡をつくりながら、後ろから指さされる。

  目を濡らしながら猫背で歩き、ロームは「チビ!」と呼ばれた。

  この瞬間から、頻尿でチビる上に短小包茎でチビ。最低の二つ名で呼ばれるようになる。

  しかし、それを知らないロームは「殺してやる」。そう憤怒を煮え滾らせ、小便を嗅ぎこぼしながら独房に向かう。

  「怖い顔でお漏らし? 冗談じゃねぇよ! ハハハハハ!」

  「きたねえな! どういう神経してんだこいつ!」

  グレーシティでそうなったように。

  刑務所の廊下でも、大勢に見つめられるのだった。

  [newpage]

  独房に辿り着いたとき、牢屋をくぐって真っ先にしたのはパンツを脱ぐこと。

  股間部の汚れを手洗い場の水で洗う。パンツを搾って、何度も何度も擦りあげた。

  「おいみんな! チビが必死にパンツを洗ってやがるぞ!」

  向かいの囚人が逐一行動を報告し、どう洗っているのかを全身でジェスチャーする。

  「皮のあまりすぎたちいさいものを振り回して、ちいさい玉をタプタプさせて! 腕の筋肉が盛り上がるくらい力強く! パンツを洗ってんぞ! チビが必死になって、汚したパンツを水浴びさせてやがる! 床に小便を、たっぷり滴らせながらよ!」

  廊下が常に大賑わいで、こんなに楽しいのはいつぶりだ、そう笑いの種にされていた。囚人たちの大笑いは毒気を抜かれたように明るく、それが辱めによる痛ましさを増幅させる。ストレスで膀胱が捻れ、握られているように苛まれた。

  「俺はチビじゃねえ! てめえのほうが、チビじゃねぇかよ!」

  向かいにいるのは寄りにも寄って、自分より身長が劣っている虎だ。

  虎は目を細め、自らの股間を指差す。白いパンツの内側に忍びきれない股間は、見比べるまでもなくロームを凌駕していた。

  「おまえは短小包茎でチビ。すぐに漏らすチビりだから、チビ。おまえにぴったりだろ、なあみんな!」

  チビ! チビ! チビ! チビ!

  大勢がロームを『チビ』であると共通認識を持ち、価値観を繋げてしまった。

  もう終わりだ。これまでの自分が、チビに塗り替えられ、ヒエラルキーは底辺にまで落魄れた。何をしようとも、『チビ』の名で潰される。どんなことをやろうとも『チビのくせに』と罵られるのだ。

  手に生ぬるい水を浴びながら、拭う。

  涙ぐみながらパンツの水気を搾りあげる。

  「このチビ! 何分もパンツを洗ってんじゃねえよ、水がもったいない!」

  虎にパンツを洗う真似事をされても、視界に入れず洗うが、色が変わらない。

  しかし黄ばみは落ちない。どれだけしようとも、パンツの染みは落ちてくれなかった。

  時間が経っていないのに洗っても黄ばみが落ちない。なぜなのかと焦っていたところ。

  あの看守長の言葉が頭に浮かぶ。聞き流していたものの、包茎の先っちょが密着していた部分は特に黄ばんでいて、一向に落ちず、肉球で強くこすろうとも石鹸を使おうとも無駄の一言。

  ゴンゴンッ

  と、看守が鉄格子をノックし、覗き込んでいた。不審な動きだと窘められる。

  長々と説明してくれたのは、それなりの哀れみだろうが、解決できる問題ではない。

  「チビはさぁぁ、こんなふうに石鹸をパンツにこすりつけて、チビの息子のあたっていた場所をゴシゴシやってるぜ! 泡だらけのパンツ、みんなに見せてやってくれよ!」

  ギャーーーーッハッハッハッハッハッハッ!!

  この場に居合わせる全員が知っているのだ。

  パンツの汚れは落ちづらく、ペナルティによって、黄ばんだパンツを着用する義務を課せられている。チビの惨めな姿は、最低でも一週間は継続されて、しかも頻尿であるから漏らす危険性があり、どれだけ長く薄汚れたものに、短小包茎が包まれるのかを想像しているに違いない。品性のなさが、嫌というほど、ロームに伝えてくれた。

  「クソ……クソ……」

  パンツを金具に干し、何もないベッドだけの部屋で、股間を水で必死に洗う。

  しかし水の出がどんどん悪くなり、下半身が痒いまま、玉の裏が蒸れたまま水は止まってしまった。どれだけ蛇口をひねろうとも、出てきてはくれない。

  「………………」

  囚人が一日に使える水の量は決められていて、制限に達していたのだ。

  「おいおい! チビのやつ、パンツの洗い過ぎで、自分の小便を洗えなくなっちまったぞ!」

  ギハハハハハ! ギィィ! ヒヒヒヒヒ!

  ずらりと牢屋の並ぶ廊下は、いまや刑務所とは思えない陽気な笑いに満ちていた。

  それからというもの、ロームは一時間あまりも笑い声を耳にして、精神は一日目で限界に到達する。弱いところを突き回されれば、如何に流離いの虎を気取っていても『チビ』の上書きによって多大な痛手を被った。

  「………………」

  正面の虎に見られないよう、なるべく影のところで突っ立っていた。

  もっとも、牢屋の中身は看守が一望できるようになっているため、どこに立とうが変化はない。生乾きの小便が床で粒や斑模様をつくり、異臭をプンプンと漂わせている。

  モップで床履きをする囚人がやってくると、こちらを迷惑そうに一瞥し、鼻で笑って去っていった。壁を背に立ち、生乾きの小便に困り果てていた短小包茎のバカを目に入れた途端に、怒る気も失せた。そんなリアクションをとられてしまう。

  「クソが……クソが……………クソが…………俺は、流離いの、ロームだぞ……」

  「おしっこを掃除してもらえてよかったな、チビ」

  向かいの虎は仰向けで、刑務所内の図書室から借りたのだろう本を読みながら、ベッドに寝そべっていた。金や地位を持っているのか、部屋に娯楽用品がいくつか並んでいる。しかし自分は金も何も持ち合わせておらず、なけなしの名声は『チビ』に成り代わってしまった。

  刑務所内での地位向上は絶望的で、諦めるほかない。

  あるとすれば脱獄以外に道はなくて、しかし、またトイレに行きたくなった。

  もう片手で数えきれない。部屋の端にある銀色の小汚い便器に、短小を傾け小便をするたび、「チビは七回目の小便だ」と向かいの虎が吠えるのだ。そのたび、「頻尿野郎!」や「我慢を覚えろよ!」とバカにされる。

  果ては、おねしょはやめろよ。なんてクソのような悪口。

  ここは小学校か。大人の保育園ってのは間違いないけどな。

  そんなふうに、とかくロームの精神を鋭いもので抉ってくる。

  ここは猛獣の檻の中。そして自分は貪られる側に、落魄れていた。

  「チクショウ……!」

  ちょろちょろと水漏れみたいな、覇気のない小便は心境を現しているみたいで嫌気が刺してきた。周りのみならず、股間までが敵にまわってローム自身を辱めている。そうとしか思えなくなっていた。

  「チクショウ……」

  ロームは更に嫌気がさす。

  ずっと、負け惜しみをして、クソやチクショウ、俺は流離いの、そんなことばかりを繰り返している。一日目で頭痛を堪えながら、泣きじゃくった目を赤く腫らし、鼻水をすすて余った皮から尿を垂らして、ささやかな蕾を見下ろす。

  どこまでも情けねえ、いっそ首でもくくっちまったほうが楽になれる。

  だが、そんな真似をしようものなら、こんな話が語り継がれてしまうはずだ。

  「よお新入り、ここには面白い話があるんだ」

  「短小包茎でな、皮がこんなに余ってて、情けねぇのなんの」

  「愛らしいくらいに玉袋が小さくって、動く度に怯えるように震えてて」

  「本題はこれからだよ。そいつは短小包茎と失禁癖を苦に自殺しやがった!」

  「流離いの虎なんて呼ばれてたが、ここじゃあ『チビ』って呼ばれてたんだぜ」

  「短小包茎でチビ。頻繁にチビりやがるからチビ。バカにぴったりだろ!」

  想像しただけで死にたくなる。身を縮めて頭を抱えてしまった。

  どんな虎なのかと恐れられていた自分が、バカ話として後世に残る。

  あの世に落ちて、地獄に落ちやがれと囚人どもを罵ってやりたい。だが囚人や看守の人生を彩るジョークに成り果てるのも気が進まない。考えすぎだとわかっているし、こんなもん一年もニ年も語り継がれる保証はなかった。

  すべて妄想であるのに、今日の仕打ちを受ければ真実味を帯びて、深読みした。

  下半身の、股間部や包茎の内側。さらに太ももや玉の裏まで小便の成分で痒みを帯びてしまった。何度も何度も、爪を立てて虎縞を掻き分けるように刺激した。だが余計に痒みは増すばかり。

  小便の生乾きを数時間も嗅いでいれば、鼻も慣れてしまう。

  たまに「小便くせえぞチビ!」と隣の牢屋から騒がれていた。

  足の肉球に指の間までもが痒くて、ガリガリと爪を立ててしまった。

  ぞわぞわとして足の指を伸ばす。

  亀頭が刺激物を塗られたように熱くなっていた。

  むず痒さに耐えかね、いますぐに包皮をさげ擦りたい。

  あの虎がコチラを観察しないとも、限らないのであった。

  [newpage]

  生乾きのパンツは黄ばんだ染みが出来ていて、見事なほど黄色かった。

  絵の具でもこぼしたのか。嘲りの声や視線を受け、ロームの悪い目つきは、しょぼくれてしまっていた。

  下半身は小便にまみれていて、パンツは水で冷たくなっている。

  体から熱を奪われるだけではなく、薄地が短小を浮き彫りにして、矜持を削られた。

  どいつもこいつも、短小包茎のチビはどれほどのものなのか、一目見ようと擦れ違うフリをする。露骨に覗き込んでくるやつもいるほか、足を開いてみせろよと舐めた口を叩くやつもいたが、精神的に参っていて、構っている余裕が微塵もなかった。

  夕食のとき囚人たちがトレーを構え列をつくり、厨房からの食事を受け取る。

  一般的なパンや加工肉を焼いたもの、野菜を多く入れたシチューが振る舞われた。

  想像以上に味わいはよく。チビは漏らすから、そうあたりに人がいないため孤立しての夕食だった。

  びちゃっ

  椅子に腰掛けたとき、パンツの濡れが滲み出て、尿が少しだけ包茎から垂れていた。

  実際にチビっているなど、やつらは想像もしないだろう。だが知られたくはなかった。

  小便臭くて食欲が失せると、幾度も幾度も繰り返し言われて、鼻をつままれるなどした。

  悔しかろうが、言い返すだけ損をする。看守たちが乱闘が起きぬよう、見張っているのだ。

  卑怯者どもが……クズどもが……俺が手を出せねぇからと

  おちょくりやがって……殺してやりてぇ……絶対に殺してやる……!

  やつらは囚人同士ならば腕力は関係ないのを、知っているのだ。

  急ぎ食べ終え、夜のシャワーを浴びようとするが――既に列が出来ていた。

  ロームは舌打ちする。

  濡れたパンツと小便臭い下半身を見られながら、列を並ぶハメになった。

  痒みは限界で、パンツの上から腰や尻を、前かがみになり太ももを引っ掻く。

  「あいつ小便で痒いんだぜ」

  「あーあ、たっぷり失禁して、パンツを何度も洗ってたんだってな」

  「汗臭えし小便くせえし、大人なんだか子供なんだか……おえ」

  「不衛生だからな。飯のときは絶対に近づきたくないわ」

  「しょうがねえだろ、短小包茎の失禁野郎……チビなんだからよ」

  ことは知れ渡っていて、列からは含み笑いが溢れ出す。

  腕力も知能もなさそうな底辺の連中から、短小包茎のチビこそが最底辺なのだと言わんばかりの態度。檻の外であれば、拳の一発か蹴りの一発で黙らせられた。いや、流離いの虎ロームであると知れば、媚びて傅く弱い連中に『短小包茎の失禁野郎チビ』と罵られるのは堪えた。

  「くそったれ……殺してやりてぇのに」

  拳を握りしめ、首を下に傾け、わなわなと震えていた。

  しかし、指の血管を膨らませたあたりで、ふと尿意が込みあげる。

  

  苛立ちで沸騰した脳が、生理的な警報を発する。

  「あ……」

  ぞわっ!

  虎縞の尻尾が震えあがり、頬が冷え青ざめていった

  背筋が不意に伸びた。膀胱に水が溜まった感覚。重さを認識してしまう。

  こうなれば尿道に独特の感触が停滞し、いますぐに放尿をしたくなった。

  腹の中にあるもの、尿道にある違和感を排出するため尿を飛ばしたくてならない。

  いまは列に並んでいる。

  小便を洗い流すための、大事な列に並んでいるのだ。

  脚を無自覚に擦り合わせて、情けなく前かがみになった。

  いますぐ自分の独房に戻って、粗末な便器に尿を迸らせたい。

  膀胱の位置を手で擦りながら尻を閉じ、短小包茎が跳ねてしまう。

  周りが「おい、チビが失禁しそうだぞ」と囁きあい、距離をとった。

  ぶん殴りたいが、そんなことをすれば、ショオオっと漏れ出るはずだ。

  衆目なんてものは無視すればよいが、ここは辺境の集落と同じ。

  ひとの出入りはないし、顔ぶれに変化はない。

  ヒエラルキーは変わらない。

  状況を変えられない。

  「クソ……」

  もう、限界が迫っていた。

  頑丈な作りをした廊下の左右を見つめ、奥から石鹸の匂いがする。

  スッキリした囚人たちが横を素通りするたび、羨ましく思っていた。

  シャワーを浴びさえすれば漏らしたことにはならずペナルティにもならない。

  「なんだって、ここは便所に制限があるんだよ……挙げ句ペナルティなんて、ふざけやがってよ……」

  一度でも意識してしまった尿意は、まったくおさまってはくれない。

  一秒を刻むごと、尿意は存在感を強め、じわじわと尿道から全身に行き渡った。

  「我慢しろよ?」

  「便臭え下半身を洗えよ、これ以上は汚すんじゃねぇよ」

  「念のために言うが、列から出たら体も洗えないかも」

  脅しでないのは知っている。だが、好奇の視線は「短小包茎のチビが漏らす」のを期待してやまなかった。かつて獲物に向けていた貪欲な眼光を、よもは自分が囚人になり、同じ囚人から受けるとは。

  「うるせえカスども」

  言い返すものの「短小が」や「包茎のくせに」と続き、「あんなに小便漏らして、イキがってんな」。さらには「びしょ濡れの黄ばみパンツが、なんだって?」と、まったく相手にされない。鼻で笑われ、口の片側をつりあげられた。

  どれだけ殺意を込めようとも効力は薄い。

  流離いの虎が築きあげた伝説は、失禁と逮捕により、終焉を迎えたのだ。

  もう自分が流離いの虎ロームではなく。短小包茎のチビだと解らせられた。

  わかっていても、実感するのとでは話が違った。そわそわとしながら、不甲斐なく思う。

  「あれだけ躍起になったのに……もう、終わっちまったっつぅのかよ……俺の、二つ名は」

  ロームに信頼できる仲間はいない。ここに味方は存在しなかった。

  冷たい風あたり。蔑む視線。何もかもを、虎縞模様に向けられていた。

  おもらしの姿を見られるのは避けられず、バカにされないわけがない。

  何年経とうとも、頻尿の相談や酷薄は憚られた。普通、大人にもなれば、それも犯罪のプロフェッショナルとなれば、肉体の管理くらい自分でやる。いや、それが最低条件であるはず。

  「くそったれが……」

  自分が小便たれになっていた。

  悪態をつくほど惨めさを痛感するのが現状だ。

  こんなザマでは自分のペースで行動するしかない。

  最初は我慢に我慢を重ね、盗賊をやっていたものだが。

  結局は、ソロプレイをせざるを得なく、ひとりを楽しんだ。

  「漏らす方にかける」

  「おい、それじゃあかけにならねぇだろ」

  ギャッハッハッハッ!!

  死んでも我慢しきってやる……!

  ああ、死んでも出さねぇよ!

  上等じゃねぇか。だれが、漏らすかよ!

  ロームは心で吠え、啖呵を切ってみせた。

  しかし、尿意は暴力的だった。

  ロームは密かに焦りを噛み殺す。

  ぶるりっ!

  腰から全身が震え、いますぐに尿意を解消したくなる。

  素知らぬ顔で取り繕っていようとも、体の様子は丸わかり。

  服に守られておらず、黄ばみパンツ一丁ともなれば当然である。

  さらには毛並みが立っているのも指摘され、羞恥心が増した。

  そそっかしくなった脚はもちろん。尻尾の痙攣も相当なものだ。

  耳は軽く垂れていて、後ろからは指さされ、嘲笑われていた。

  膀胱はパンパンに張っていて、空気を溜めた革袋さながら。

  列が進めば、なるべく刺激を与えないよう、そうっと進む。

  いますぐ踵を返し、独房へ目掛け、走り去ってしまいたい。

  だが痒い。堪えきれず、爪の痕がついていた。

  下半身が臭くて、たまらないくらい、痒かった。

  いまも指を曲げ耐えているが、掻きむしりたい。

  「……!」

  じわっ

  濡れたパンツ。いや、包茎に尿が満ちてしまう。

  ほんの数滴だけ、チビってしまう。恥垢が溜まっているのが、尿の暖かさで知覚できた。

  これまで問題から意識を反らしていたのに、洗えるという期待から、感覚が鮮明になった。

  尿道をきつく閉じ、括約筋を力いっぱいに締めながら、シャワールームへの列を見つめる。

  湯の湿気。石鹸の匂いがする。嫌な予感が拭いきれず「チビが漏らすぞ」と囁きが聞こえた。

  「カス……カスども」

  パンチ一発で黙らせてやりたいが、列を監視されていては、そうもいかなかった。

  ロームは「ぐ、ふぅ」と息を漏らす。切羽詰まった苦しげなもので、限界を表した。

  看守に相談したいが、頻尿の相談を周りに聞かれるのは恥ずかしくて、無理だった。

  いや、しかし、いまは『短小包茎のチビ』の名で知れ渡っている。それしきのことは。

  だ、駄目だ、駄目に決まってんだろうが!

  仮に言ったところで、バカにされるのは目に見えている。

  何より看守に自ら頼むなど、流離いの虎としてプライドが。

  ほかと違って、ちいさく収まった包茎が、尿の涙をこぼす。

  もう限界だ。どうか小便をさせてほしいと、懇願し始めた。

  ま、まだ出るんじゃねぇ……さっき、死んでも出さねぇと決めたばかり……!

  決意表明なんてものは生理現象に関係はない。

  堪え性のなさは、ローム自身が一番わかっている。

  そして、囚人や看守にとって、周知の事実なのだ。

  「もーらーせ! もーらーせ!」

  真後ろから、パンパンと手拍子。クソ煽られた。

  羞恥によって筋肉の硬直が高まる。言い返そうとした。

  だが、看守に注意される前に黙られ、タイミングを失う。

  小便をしたくてたまらない。少し動いただけで、眉を寄せた。

  悪い目つきが殊更に悪くなって、しかし悩ましげで迫力は皆無。

  ブッ、と横から覗き込まれて吹き出される。後ろで顔真似をされて、周りの囚人たちに笑顔を振りまかれた。毒気のある、いやみったらしい微笑み。

  苛立ちに大声をあげかけ、湿り重くなった息を整える。

  もう一刻の猶予もないのに、列はシャワールームから数メートルは離れていた。

  膀胱が、ちゃぽちゃぽと響き、唸りをあげる。この器官は柔軟で、尿を溜める都度に伸びると医者は言っていたが、ロームは思う。

  ちっとも伸びねえじゃねぇかよ!

  「俺が看守に怒られなくてがっかりか? こっちのほうが慣れてんだよ。チビの上に、バカかよ」

  後頭部に息を吹きかけられ、恥辱に力み――――失禁をはじめた。

  シィィイィィイイイイイイ!!

  水音があがり、黄ばみパンツが熱くなった。

  肩を縮まらせ股間を両手で押さえ、みっともない姿勢になる。

  大勢が大笑いしながら、チビ、チビ、チビ、チビ、と大合唱。

  看守が騒ぎを聞きつけて、すぐに目の前にやってくるが……三歩も下がられた。

  じっとりと濡れていた毛皮が汚れ、床に泡の浮いた尿が滑っていき、刺激臭がした。

  アンモニア由来の異臭に、囚人たちが「くせぇんだよ!」と小突いてくる。しかし尿は止まってくれず、死にたくなる姿勢を維持したまま、儚く「死んでも出さねぇ」と硬く結んだ決意が流れ去っていった。

  シイィイイイイイイイイ!

  ジュオォオオオオオオオオオオォォオッッ、シイィィイィイィイ!!

  自らを守るように身を丸めてしまった。

  「チビなにやってんだ!」

  「なんで我慢できなかったんだ!」

  「流離いの虎ローム様の姿を皆も目に焼きつけろよ!」

  「だれだよそれ! 聞いたことねー!」

  「短小包茎の失禁野郎チビしかいねーよ!」

  両腕をさげ、黄ばんだ箇所を隠すみたいに尿を堪えようとする。

  短く息を吹き出しながら、フゥー、フウー、と涙目で、大笑いを浴びながら太もも、膝や脛に尿を垂らす。足首から足の裏まで、またしても尿だらけになって、温かさが一時ながら痒みを拭い取ってくれた。

  「何をしているか、このバカ者!!」

  正気を取り戻した看守は、がなり立て失態を叱りつける。

  彼は比較的、弱気な看守だが頻尿という項目を知っているふうだ。

  しかし、実際に目の当たりにすれば、想像以上の無様さに面食らっていた。

  背筋を伸ばすよう指示され、震えながらも、力みながらも、ロームは従う。

  シイィイイイイイイイイイイイイィィィィイィ!!

  ギャッハッハッハッハッハッハッハッハッ! ヒィィイハッハッハッハッ!

  大笑いに水音がかき消される。それでも、足元に広がる黄ばみは誰の目にも移った。

  看守は咳払いをして、パンツを下ろすよう命じた。涙目でにらみつけるが、迫力はないどころか、滑稽さをトッピングし若輩かつ弱気な看守に吹き出された。彼は腹をおさえ脇目をやって、それから。

  「不審物がないかを、あらた、あらためる……プゥゥ」

  笑った。

  震えながら堪えきれず。笑ったのだ。

  小便を垂れ流す短小包茎を、晒すほかなかった。

  パンツをねじり、太ももまでさげ、また気をつけの姿勢をとる。

  尖った包茎から尿がひっきりなしに飛び出て、床を汚すのだった。

  遮るものがなくなったせいで、勢いは増し、シャワーを終えた囚人たちは当然ながら激怒する。

  「ばかやろう!」

  「いま洗ったんだぞ!」

  「小せえもん自慢すんな!」

  「恥を知れ、ヌケサク!」

  それでも気をつけをしながら。

  ジョォォオオオオオォォオォオオオ!!

  ギャッハッハッハッハッハッハッハ!

  太ももに黄色いパンツを捻り。虎縞がくたびれていた。

  看守は横に立ち、嫌そうに棍棒を持ち、ささやかな蕾を下から上に持ちあげる。

  本当に失禁しているのを確認した後。その場から離れて、はっきりと命じた。

  「噂の頻尿がこれほどなんて、ああ、汚い……ペナルティを課す!」

  シィイィ……

  ようやく小便は止まり。

  下着を汚したまま、尿を垂らしながらシャワールームの列を進む。

  囚人たちは、すでに笑いをやめていた。チビ、チビ、と小声が聞こえる。

  いっそ本当に死ねればよかったものを、ロームはいつになく弱気でいた。

  [newpage]

  

  

  

  本来ならばシャワータイムのとき。

  パンツを提出し、洗濯済みのものとチェンジされる。

  だが、ロームはペナルティ中。変えられはしなかった。

  濡れたパンツを迷惑そうに受け取った看守が、溜め息をついた。

  「大の大人が何やってんだか……頻尿だし、続くんだろうなぁ」

  その小声に壁を殴りつけそうで、ほかの看守に忠告を受ける。

  パンツを渡した際。囚人番号を告げ、ペナルティの確認した。

  531番ローム。

  シャワーの列に続くことを許されていたが。

  廊下の失禁により、シャワータイムを減らされると言われた。

  汚れしてるんだから時間を延長してくれたっていいじゃねぇか。

  つい交渉を始めてしまったが、相手は「決まりだ」の一点張り。

  声を潜めていたものの、狼狽は周囲に伝わってしまったことだ。

  湯気が満ちるシャワールーム。小便まみれの毛皮を、ようやく身を清められる。

  だがロームの表情は晴れやかではない。漏らしたばかりで、気持ちが落ち着けるはずがなかった。

  シャワーノズルの下。

  大きなボタンがあって、そこを押せば、湯が降り注ぐ仕組みだ。

  三分間。それが囚人に許されたシャワータイム。しかし、ペナルティを受けたロームは一分間。体中の埃を落とせるのならばマシとおもうほかないが、ロームは他より清潔にしなくてはならない。

  小便まみれで、ささやかな蕾の内側。そこは受粉をした雌しべのようにカスで覆われているのだ。しかも敏感で、触れるだけで足が浮いてしまう。とても三分では足りず、一分では全身を洗える気がしなかった。挙句の果てに、後ろからも横からも、丸見えにされている。

  包茎よりも先に、体を洗うしかなかった。

  ボタンを押せばタイマーのカウントダウンが始まり、シャワーノズルが開いた。

  熱いくらいの湯が降り注ぎ始めた瞬間。

  「あぁぁ……」

  ロームは一斉にその温かさに身を委ねた。

  冷たい刑務所の日常から一時的に解放され、温かな水しぶきが心地よさをもたらす。

  「どうしたチビ。漏らしたのか?」

  横から言われるが、無視する。

  床に敷かれるタイルは既に温まっていて、白い壁が周囲を囲んでいた。シャワーノズルは整然と並び、それぞれの位置に囚人が立っていた。

  「クソ……」

  ロームに許された時間は一分間。

  体を洗うにしては短すぎる。しかし、どうしようもなかった。

  泡立てた石鹸で懸命に玉や尻。太ももや足裏。体中を洗うが足りない。

  制限時間までわずかな時間しか残っておらず、急がねばならない状況だ。

  囚人たちは静かに列に並び、ロームにだけは不安と焦りが空気を支配していた。

  シャワールームに響くのは、水滴が床に落ちる音。ときおりに看守の厳しい声。

  「クソ……足りねえ」

  股間の裏側まで洗い、肛門も掃除を終えるが。

  仮性包茎の内側。小便とカスに塗れた部分は洗いきれていない。

  しかし、時間は容赦なく過ぎていく。シャワーノズルの下で急いで体を洗い、汚れや臭いを洗い流そうとする。制限時間が来ると湯が自動的にストップする。

  ぽた……

  「クソ……クソ……」

  シャワーノズルから残尿程度の雫が落ちるだけになって、シャワーノズルを叩く。

  後ろから「チビ、退け」と急かされた。渋々と移動し、体をタオルで念入りに拭いとってから、軽く乾かされた黄ばみパンツを返却される。

  体がスカッとしただけに、股間部の汚れが嫌に気になった。

  パンツだけでなく包茎の中身が恥垢で凹凸が出来て、粘膜と包皮にこびりついていた。

  長い包皮の短小は、玉袋の上でシャワーを名残惜しく感じ、頭を下げ雫を垂らしているのだった。

  ほんのりと、黄色いものが、混ざった雫を。

  [newpage]

  消灯時刻の手前になれば。

  見回りがきて、牢の鍵をかけられた。

  やることがなければ、だれもが床につく。

  品性のない鼾が反響する。絶え間なく鉄格子を抜け、壁に跳ね返る。

  しかし、ごろつきの吹き溜まりに慣れている者ならば、気に留めない。

  ロームは股間や頻尿が問題に絡んでこなければ、神経を図太く出来た。

  疲れ果てていた。くたびれていた。ベッドに倒れ込み就寝した。

  体は石鹸で汚れを取り払えていたが、黄色くなったパンツから刺激が生じる。

  最初は鼾をかきながら、無視を決め込んでいた。虫刺されのように堪えられないものが増幅していき、眠ったまま――引っ掻いてしまった。

  「うおっ!?」

  間の抜けた声をあげ、恐る恐る牢の向こうを見渡す。

  何者もおらず、起きているものもいない。暗がりだが、きっと無問題だ。

  闇の中、目覚めてしまい不機嫌に目つきを悪くした。

  竿と睾丸を潰しかねない。勢いで引っ掻いてしまったと、眉を寄せる。

  もぞもぞと身をよじっていると、パンツを下げ、怪我がないかを指で弄った。

  「…………………」

  だれも見ていない安心感。バカにされる心配のない時間帯。

  鼾なんてものは、虫の鳴き声と変わらない。気にするに値しなかった。

  ならば、いまこそ、ささやかな蕾を掃除するチャンスではないだろうか。

  背筋を震わせながら、包皮を、丁寧かつスローペースでめくっていった。

  つけ根までめくれあがれば、ちょっとした雁首、裏筋があらわれる。見えなくてもツンとした悪臭がして、如何に汚れているのか察してしまう。親指の肉球をあててやれば、カスの溜まり具合は相当なものだと、理解がおよんだ。

  「はぁ……はぁ…………はぁ………………」

  まずは刺激を与えないよう、めくれあがった包皮の内側から、掃除していった。

  弛んで丸まった部分。ここは意外にも汚れたものが蓄積し、忘れると厄介だ。使い古しの公衆トイレさながらの刺激臭に悩まされながらも、なんとか、カスの全体を取り払う。

  すると、親指にこんもりとカスがついていた。

  手の毛並みに拭われて、毛と毛の隙間も穢れてしまった。

  次に、仮首のところに指を這わせ、ゆっくり、ゆっくりと左右に拭う。

  赤子の肌を傷つけぬようにした医者さながらに、繊細な指使いにて恥垢掃除。

  「ふぅぅ……」

  七割ほど作業が終われば、一息をつけた。

  しかし、これまでの刺激により、ちいさいものが勃起していた。

  包皮が余っている。勃起が整えば包皮が仮首を埋め、カスを取れなくなる。

  ビン、ビン、と一秒ごとに跳ねる。

  血を巡らせ、留めた竿は、平均以下だ。

  ちいさいだけでなく、勃起したところで、サイズは二回り程度しか増えない。

  裏筋の境目付近。特に汚れが溜まっている場所からカスをこそぎとるたび。

  「うぉ……」

  バカ丸出しの声をあげて、身震いしてしまった。脚が、すくんでしまっていた。

  やがて親指は亀頭の全体を擦りあげ、仕上げに尿道の付近を、ぐりっと摩擦する。

  「フッ……フゥ……」

  ようやく掃除が終わる。

  時間にすればそう長くはないのであるが、体感的に三分は過ぎていた。

  シャワータイムに間に合わない。これからどうすれば、すでに悩ましい。

  「………………」

  短小包茎ながら、性欲は人並みにある。

  これまでの鬱憤を晴らすため、手の中に勃起をおさめシゴきはじめた。

  「はぁ……」

  気分転換が必要だ。

  ロームは欲求を肯定し、快楽を漁っていく。

  剥けた蕾は肉色で、ちいさいながら十分に血が行き届いていた。

  体積を増したところで平均を上回れない劣等感。今日はそれも忘れていたい。

  手についた汚れが巻き込まれないよう注意し、手を往復させ、吐息を漏らす。

  「はぁぁ……」

  心地よい。素直に浸って、粗末なベッドの上で寝転がっていた。

  そのまま力任せに扱き上げてしまいたい。つい衝動に駆られたが、刺激が強すぎるのでゆったりとしたペースで手を、小刻みに振るうので精一杯。流離いの虎を名乗りながらも、オナニーの仕方は、子供の頃から変わっていなかった。

  「ふぅ……ふぅ…………はぁ……」

  包皮を被せかけにして、再び下ろすのを繰り返す。

  一気に剥いてしまうと痛みが生じる。興奮しているときは、想像より力がこもってしまうと経験してきた。

  悪い事態が起きぬよう、幅は数ミリ単位と昔から決まっていた。

  それでもストレスの影響だろう。強い刺激を求めてしまい、恐る恐る皮を強く剥いて、先端まで被らせる。

  「んっ!」

  これまでに得たことのない快感だった。

  顔がくしゃくしゃになるほどの感覚が走ってしまう。

  ロームはそれでも、興奮のあまり痛みを気にせずにいた。

  「んあっ……」

  ほんのちょっとの時間で、射精が込み上げてくる。

  自分にしては豪快なくらい、過敏なる亀頭を愛撫して。

  射精する。

  「うぅ……! ん、ん……! あっ……! おぅ!」

  鼾のなか、ひとり感じた声をあげながらの絶頂。

  声を殺すのを忘れ微笑みながら、扱きながらの射精となった。

  とろとろとした粘り気のある体液が尿道から噴出するが、勢いは弱い。

  飛んでしまわないように、指で受け止めていたというのもあるが、弱い。

  気がつけば体位を変え、大股開きで必死に肉棒を握りしめ、喘いでいた。

  「うぉぉ……!」

  ロームは叫び、体を強張らせ目をつぶった。

  握り締めた包茎を剥き切って、指の隙間から溢れた精液が竿から陰嚢に落ちて、熱を帯びる。手を揉みほぐし、その量を確認すると我慢していただけに、結構な粘りが出てしまっていた。

  両手をべっとりさせながら、溜め息をついた。

  息をあらげ、股間部の汚れを指で拭っていく。

  なるべく股間の汚れを拭い取っていた。

  明日にでも水道水で洗ってしまえばいい。

  今度こそ上手くいった。ロームは溜め息をつき。

  「コラ。囚人の自慰行為は禁止されている」

  いきなり声をかけられ、飛び上がった。

  「何やってんだ」

  看守にしては呑気。それでいて落ち着きを払った態度から、慣れを感じさせた。

  暗がりであるがゆえに、相手の姿はろくに見えない。自分と同じくらいの輪郭だけ。

  夜の見回りは忍び足が得意で、夜目が利くものにさせるらしいが、この暗がりで発見されるとは思わなかった。

  「もぞもぞとしていたから、ちょっと観察させてもらっていた。息遣いも変だったから薬でもしているのかと思ったが、これはこれで禁止行為だぞ」

  察するに、考えうる最悪の事態だ。

  ロームは恥垢を拭っていたとき、体を蠢かせ息を荒げ悦に浸った。

  つまり。最初からずっと側にいて、牢屋から覗かれていたわけか。

  「まずは両手の指を目一杯にひらいて、こちらに差し出すんだ。手のひらを上に向けてだぞ」

  抵抗があるのは間違いなかったが、罰を恐れ従う。

  ロームに早漏の自覚はある。それでもショックだ。

  長く自慰をしていたつもりが、恥垢の掃除をあわせても、大した時間ではない。

  「早くしろ」

  裁判の時期から溜め込んでいた精液。

  それは濃厚で、生臭くゼリー状。カスが、たっぷりと、浮いていた。

  手のひらで粘り、臭い立ち、雄臭いだけではない。小便を染みつかせた恥垢が混ぜものされていて、とかく臭う。興奮による体温上昇で更に臭う。

  「これは盛大に……紛れもない、禁止行為の現行犯だ。こんなにチンカスがついて、生活するのも大変そうだな」

  見回りに下の事情まで見物される。怒りなんか湧いてこない。屈辱と羞恥のふたつだけが身を焦がす。いますぐ逃げ出したかったが、どこにも、道なんてない。

  「おまえ……短小包茎の失禁野郎チビなんて言われているが……なんというか、気の毒なやつだ」

  嫌味のない口調。気をつけをしながら、精液を拭いかけた勃起を、ささやかなものが懸命に伸びている光景を見物される。初めての経験であるが、想像を上回る感情が溢れ、体中が熱く変な汗が幾らでも分泌された。体中が、じっとりとする。

  「それ勃起している、よな? 体格とミスマッチが過ぎる」

  ただ貶される方がマシだった。

  純粋な好奇心と、深い深い哀れみを込められた声色。

  恥垢の残りが少しこびりついていて、古くなった小便と恥垢の不衛生な臭い。

  「そんな顔をしたってだめだ。バレないように上手くやらなかった、おまえが間抜けなんだぞ。でも心配することはない。失禁と違って、自慰行為によるペナルティは珍しくない。一週間で数えても、出てこなかった試しがない」

  何の慰めにもならなかった。

  「だがまぁ、うーん、おまえの場合は前科以上に名を馳せていたからな。それに失禁が多すぎるという口実も相まって……ちょっと辛いペナルティを課せられるだろう」

  「な、なんだそりゃ? どういう意味だよ?」

  「おそらく運動禁止に晒し台での罰が加わるだろう。本来なら、もっと重い罰であるべきなんだが……おまえは流離いの虎を気取って、国家に務めるものたちの鼻を明かしてきただろう? その名を貶めるためにも、いろいろとしなくちゃならない。わかるだろう?」

  舐められたら終わり。

  ロームは嫌というほど知っている。

  何かをされれば、落とし前をつけさせるのも。

  だが、国を舐めた代償を支払うときだと、看守は同情的な表情を浮かべた。

  「他の地域からも、流離いの虎ロームの引き渡しを求められている。規則が過酷すぎる刑務所。生きて帰ってくるものは稀の強制労働で有名な刑務所。ほかにもな。グレーシティで拘束されてよかったな……ここは、犯罪者に色々と甘く厳しい」

  こっそり耳打ちをされ、血の気が引く思いであった。

  舐めるとどうなるか。見せしめにされるところを、グレーシティという発展した地位のある土地であるからこそ、身の安全が保証されている。

  「じゃあ、今日はもう寝ておけ。残念だが、これは報告するけど、今日は何もされない」

  コケにした都会に守られていた。

  どれだけ世間知らずのクソガキなのか、よりにもよって、檻で看守に教えられる。

  これからも生き恥をさらしていかねぇとならないのか?

  ロームは胸の奥で絶叫するものの、牢屋で鼾が響くだけだった。

  [newpage]

  ロームのペナルティは増え、本当に晒し台へ固定されることとなった。

  囚人たちの自由時間。その最中に、運動場へ連れて行かれると、暑い日差しを浴びた。

  長方形の板には傾斜が出来ていて、ひとを半端に寝かせるにちょうどいい角度だった。

  また、四つ角に分厚い革ベルトがあり、そこに両手足を固定するのだと察しがついた。

  パンツを脱ぐよう看守に指示され、冗談ではないと抵抗するが、黄ばんだパンツをよこせと怒鳴りつけられる。ペナルティが増えてしまっては仕方がない。

  だから、ゆっくりとパンツを脱ぎ捨て、天日に蕾を曝け出してしまう。

  自由時間の囚人たちがボール遊びや運動で日々のストレスを解消している。

  そんな最中であるのに、ロームだけは全裸で、運動場の隅で晒し台の刑を受けていた。

  両腕を斜め上にあげ、両足を肩幅以上にひらき、硬い板に背部をあずけるのは不愉快だった。

  真っ先に、犬のひとりが迫ってくる。

  どこかで見覚えのある人物だった。

  「よお、覚えてるか?」

  声を聞いて、ロームはハッとした。

  昔に仲間だったやつに、間違いなかった。

  「おまえ、ズヌか?」

  名を呼ぶと、ズヌは肯定する的な目つき。

  ズヌはしたり顔になって、口を楽しげにつりあげた。彼のことは、あまり記憶にないが、盗賊をしていたときの仲間だ。国家の下僕を舐めすぎていたので計画に従うよう窘めようとしたが、言い争いになって喧嘩別れ。風の噂で北の地方で牢屋送りと覚えていた。しかし、なぜ、この刑務所にいるのか。まるで見当がつかなかった。

  「おまえが俺をこんなところに押し込めてくれたんだぜ?」

  「俺は止めただろうが……つっ!」

  ロームは股間を指で弾かれる。ミニサイズのものが、哀れに震えだす。

  「力仕事が得意な模範囚だからってよ、この採石場だらけの蒸し暑いクソの掃き溜めに移転よ……刑期はだいぶ減ったから、それは我慢するとして」

  ふぅ、とズヌは溜め息をする。やがて耳打ちした。鋭く恨みがましい声色で、憎しみを込めていた。

  「こんなチビ野郎に、顎で使われていたなんて知られちまったら俺らの沽券に関わるってことよ。舐められたら終わり。それがおまえの考えだったな? 俺は舐められたくねえし以前におまえから舐められちまった。こんな短小包茎の、チビ野郎にだぜ? このズヌ様を、逮捕に導いてくれて、ありがとうよ」

  たっぷり礼をさせてもらおうじゃねぇか。

  小声でヒソヒソと、逆恨みをぶつけられる。

  「違うだろ……俺はそんなこと……」

  「黙れ。いま玉を潰してやってもいいんだぜ」

  八つ当たりであるが、彼にとっては、それが真実だ。

  睾丸をこっそりに握られ、ロームは黙るしかなくなった。

  「看守はともかく囚人が相手じゃあな……わかるだろ? これからショーを始めるぜ」

  ズヌは言いながら手を離し、すうっと息を吐き両手をひろげてみせた。

  「よお流離いの虎! 初めまして」

  何が初めましてだ……、いくらか手を組んでいたじゃねぇか。

  さんざんに美味い汁を吸って、名をあげる手伝いをしてやった上に、国家の下僕なんざにズヌ様は屈しねぇ。得意気にいって、檻の中。真実を言ってやろうにも、既に場はズヌの言葉に支配されていた。

  「俺はズヌってんだ。この刑務所では模範囚ってことで、一目置かれている。知ってるよな!」

  ニヤニヤと、かつての仲間がパフォーマンスを開始する。

  何をするつもりなのか、見当がつかず晒し台から逃れようとした。

  革ベルトは分厚い。古びていても、虎の腕力を完全に封じている。

  「みんなこの流離いの虎ロームが、いいや、短小包茎で失禁野郎のチビが、小便を撒き散らして迷惑してるよな! トイレも我慢できない、この頻尿チビに、嫌気がさしてるだろ!!?」

  そうだ!

  そうだそうだ!

  すぐさま同意の叫びが起きる。嫌味な笑顔によって。

  自分を追い回していた衛兵たちの加虐心と、同じ色合い。

  あいつら元は囚人じゃ? ロームはそう疑いを深めていた。

  「しかも、こいつは昨日にオナニーをしてやがった。バレないようにマスをかくことさえ出来ねえんだ! ママに見つかったオマセさんだって、もっと上手くオナニーをするってもんだぜ!」

  ところかまわず漏らしやがって!

  小便どころかマスをかくのも隠せないのかよ短小のチビ!

  看守にバレないようにマスをかくことも、できねえのかよ!

  てめえの無様で、見回りが厳重になったら、どう責任とる!

  

  「そこでだ! 晒し台にくくられた囚人は、別の囚人たちの玩具だ。手荒にあつかわなきゃ何をしても許される。今日はここで、チビを躾けてやろうとおもう」

  ロームに拒否権はない。また逃走も許されなかった。

  看守が監視する中で、手荒にしない限りは自由にあつかってよい。

  自由時間に使用許可がされる本やボールのように、囚人から遊ばれる。

  大抵は裸で固定された無様さを見せしめにする刑だが、チビは弄びやすい。

  そしれズヌは身を潜め、自分の株をあげるべく、機会を待っていたのだろう。

  姑息なやつだとおもいながらも、短小を片手で握られる。そして包皮を、剥かれてしまった。

  「やめろ……ズヌ、おまえ」

  「黙れチビ! 潰されてぇのか!」

  ロームは恥ずかしがって声を出すも、躊躇なく股間をキャッチされる。

  「てめえは、俺の許可がなけりゃあ、喋ることも許されねぇんだ! わかったか!」

  本気だと伝わった。焦りが混じっているのは、チビの仲間であった過去の露見を恐れるがあまり。昔と変わらず肝が小さい。鼻で笑ってやろうとして、玉を握られ黙るほかなくなった。

  「いいぞチビ。黙ってろよ、いま楽しませてやっからよ」

  包皮を剥かれるや否や……ズヌは大笑いする。実に、わざとらしかった。

  「アッハッハッハッハッ! チビ! おまえのチンコは、いつもカスだらけなのか? こんなに白いので亀頭をベトベトにして……情けないチンコを、みんなに晒しちまったな!」

  ウッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ!!

  ロームは周りのリアクションで、耳から尻尾の先まで熱くなってしまう。

  そんなロームに構わず、恥辱の行為は続行される。

  「ぐ……!」

  ズヌの手が、亀頭をグリグリと乱暴にいじりはじめた。

  「おいチビ! なんで体をプルプルさせてんだ? 怖いのか? それとも気持ちがよすぎるのか、目を涙で滲ませて、いじめられるって不安なんだろう!」

  ハッハッハッハッ!!

  「チビは勃起しても、チビのまんまだぜ! 見ろ、このチンカスだらけの情けないチンチンが、元気いっぱいに交尾を求めてるのをよ!」

  ハッハッハ! ハハハハハハハハハハハハ!!!

  ロームは泣いた。こんな事態であるのに、股間は期待に打ち震えていた。

  恥垢だらけの肉色が、ズヌの指で荒々しく揉まれた。汚れを摩擦されていく。

  「……く!」

  「なんだぁ? 痙攣してるぞ、もしかしてよ、射精すんのか? おい、そこのバケツもってこい!」

  ズヌは手を止めて、カスだらけ部分を見つめ「チビは小便臭えなぁ!」とわざとらしく片手で鼻をつまんでみせた。また、あたりには笑いの渦が巻き起こるのだった。

  バケツを受け取るなり、ズヌはロームの股間に、金属の縁を押し当てた。

  冷たく硬い感触に視線をそむけて、戻す。何をするつもりかと睨んでいると。

  「チビはオナニーが我慢できなくて、小便を我慢できなくて、このざまだろ? 俺が出させてやるよ!」

  「ふ、ふざけんな……やめろズヌ……やめろ……」

  小声で言ったが、「あんまり調子に乗ると玉の片方がぺちゃんこだぜ?」と脅され黙ってしまった。

  「カスを拭ってるだけで勃起して、こんなに先走りだした。見た目の割に男臭え! ほんと、意外だよ。なあ、チビ?」

  ギャッハッハッハッハッハッ!!

  ロームは目をそむけ歯を食いしばっていたが、恥垢がまとまっていく刺激や恥垢がなくなった過敏な粘膜が肉球に擦られると、収まりがつかない。もう、射精しかけていた。

  古びたバケツに、白濁が跳ぶ。その瞬間に大勢が、また大笑いする。

  気持ちよさなど微塵もないが息は荒くなり、目は潤み息は荒れてしまう。

  カスだらけの亀頭を見られた上に、射精に導かれた。他ならぬ悪夢だった。

  「早漏だなほんと! 一分も持たなかったぜ! 何が流離いの虎だよ! 短小包茎の失禁野郎! 早漏のチビ! それがおまえだよ!」

  ギャッハッ! ギャッハッハッハッ!!

  男のプライドというものを踏みにじられ、精液の溜まったバケツを見せびらかされる。太陽光を受ける勃起が、汚れを取り払われ厭味ったらしく輝き、惨めさを強調した。そればかりか、精液のぬめりとあいまって遠目からでもわかったのだろう、笑ったせいでボールを受けそこねた囚人が目についた。

  「見ろよ小せえ! 小せえ小せえ小せえ小せえ! チビのチンチンをよ!」

  ぬるぬるになった先を、ヌチュヌチュと音を立て、指で擦りあげられる。

  ヒイっ、と悲鳴をあげかけ、寸前で堪えられたものの、身震い。すぐ尿意に苛まされた。

  「なんだおまえ、もう、出しそうなのか? いや………………小便か?」

  ズヌは呆れたふうに言って、どうしようもないとばかりに溜め息をついた。

  「はっ……そんなわけ、ねぇだろうが……」

  普段ならば腹を庇うように、膀胱を楽にするよう背を傾ける。

  短く切迫した呼吸をしながら、ロームは晒し台に四肢を捕らわれていた。

  だれの目にも、「チビのやつ本気で漏らしそうだ」と伝わり、期待を呼ぶ。

  かつての仲間であり、発言力も低かったズヌはといえば、そうっと告げる。

  「あの流離いの虎ローム様が、いまじゃあ短小包茎のチビだもんな。終わったんだよ、おまえの過去は、塗り替えられた」

  クソ野郎……俺と仲間だったくせに、裏切りやがった!

  牙を剥くものの、潤んだ瞳に精液のついた短小を振り回して晒し台で藻掻く。

  ただでさえ情けないのに、怒りを示すほど情けなさが深まった。死にたくなる。

  「ふぅ……ふぅ………………」

  もしも晒し台につけられていなければ、両膝をすりあわせ、もじもじと肩をすくめていた。

  前かがみになって、トイレを目指し、荒々しい呼吸を肺に抱え込んでいただろう。冷や汗を毛に吸わせ、表情を曇らせてしまう。いまにも、出してしまいそうだった。

  「我慢しようってのか?」

  ズヌはささやかなる短小を見つめ、ハッキリと言う。

  「こんな粗末なもので、我慢しきれるわけねぇだろうが。昨日も、裁判でも、しこたま漏らしたっていうじゃねえか」

  「……うるせぇ……」

  意地を張って悪態をつくが、ズヌは肩をすくめ流しきった。

  尿道の先っぽまで小便が満ちている。包皮の内に満ち、もう手前にまで押し寄せていた。

  わずかでも気を緩めれば門が開き、決壊するのは目に見えている。いっそ開放されたい。

  破裂寸前の膀胱は、限界まで伸びていた。そして血を巡らせ、尿を外に押し出そうと周囲の肉が狭まって、ロームの括約筋を押しひろげようと躍起になる。

  痛みに呻き、失態を想像し、なんとか堪えたのだが。

  シュウゥ……

  包茎が熱くなり、小便の雫がポチャッとバケツの穢れた水面を揺らす。

  それを皮切りにして、尿が、そのまま、一気に飛び出していくのだった。

  ジョボボボボボボボボボボボ!

  ジョッボ! ジョボボボボボボボボ!

  金属のバケツを鳴らし、反響させ、尿が水面を掻き乱す。

  精液がぐるぐると水流に巻き込まれて、生き物のように泳ぎだした。

  ジョォオォォオオオオォォオオ!!

  ジョボッ! ジョボボッ! ジョオォオオォオォオオ!!

  チョロロロロロロロロロロ! シィイィィイイィイイイジョォオォオ!!

  目を閉じながら開放感。排泄欲求の満ち足りた感触に、涙をこぼす。

  長々と続いたものが、ついに止まって、しかし笑い声はエスカレートしていた。地面に転げ回っている男たちも、いるくらいにコケにされてしまった。

  「チビ! 晒し台に縛られたときは、おしっこがしたくなったら、だれかにお願いしろ。わかったな!」

  ズヌは言いながら、掃除用のバケツを鼻先に寄せてくる。

  小便で作られた泡に埃や汚れを拭ったモップを浸した悪臭。そこに温かな小便が混じったことで臭いに変化が起き、洗っていない靴下さながらだ。しかも精液の男臭さ、よりにもよって自分の白濁がたんまり泳いでいるとなれば、咳き込むほど強烈なものになる。

  ゲホッ、と何度もロームは首を反らし、咳をする。

  「見ろよ! チビ! おまえが出したんだぞ!」

  顎下のバケツを揺すられる。

  溜まった小便がチャプチャプと波を打って、凹んだバケツに沿って跳ぶ。

  鼻先や頬に小便の雫がつき、それを指差され、オーバーに嘲笑われた。

  「アハハハハハ! いいかチビ、おしっこさせてください、おしっこしたくなりました。ちゃんと言えば、だれかが短小包茎に、バケツを当ててくれる。そういう決まりになったんだよ!」

  さもなくば、晒し台を汚す。失禁をしたペナルティが課せられる。

  看守は必ずいてくれるわけでない。加えて、囚人たちも妙な疑いをかけられずに済む。しかし条件は『おしっこをしたいと周りに主張すること』。生き恥を重ね、ようやく許可されるなど、あんまりだ。

  これ以上ないってくらいに落魄れたはずが、まだ下があるのだと思い知らされた。

  考えたくない。怒りが出てこないほど、心の炎が消失し、脱獄の想像がつかなくなる。

  自信。自尊心に自己肯定。大事なものが砕け、何も出来ないのだと、信じ切っていく。

  「わかったなチビ! 小便を終わらせたら、大きな声でお礼を言え! そうすれば、みんなも優しくしてくれるぞ。おまえは、ガキみたいなもんだからな!」

  だれが言うか。言うもんかよ。そう涙目になっても、ズヌはせせら笑う。

  「わかったな!」

  汚いバケツの縁を短小にぶつけられる。玉を潰すように密着されて呻いた。

  晒し台に大股開きで固定され、模範囚が行動することで看守も動向を見守る。

  たとえ品性がなくとも、道徳心が感じられなくとも、そこは囚人だからと見逃されるのをズヌは熟知している。またそれが周りをまとめあげる要素であると、看守もわかっていた。

  ジョォォォ……チョポポポポ

  垂れる程度の量が、バケツに注がれた。紛れもなく、失禁だ。

  アッハッハッハッハッ!

  チビという名の生贄が虐げられることで、風紀が守られるのであれば。

  看守たちに止める理由はない。むしろ仕事の手間が、省けてくれるのだから。

  「おしっこをさせてください、ありがとうございます。頼んで、感謝を示してこそ、小便の世話をやってもらえるわけだ。チビときたら、まったく小便を我慢できねえ頻尿なんだからな。体質ってか、もはや病気だろ? その世話を見てもらうなら、それくらいは当然だ!」

  模範囚がルールをつくり、周りも「そうだそうだ」と腕を掲げ、上下させ同意する。

  「いますぐに大声で叫べ! おしっこさせていただき、ありがとうございますだ!」

  「お、おしっこさせていただき……! ありがとう、ございます!」

  睾丸を指で挟まれ、恐怖のあまり叫んでしまった。

  途端に、空にも届く大笑い。なんだなんだと騒ぎを聞きつけた囚人たちが、笑いだす。

  こうなってしまえば、ズヌが昔の仲間だと、ロームが口を出したところで、だれも信じまい。

  「聞いてただろ! チビに優しくしてやれよ! こいつは頻尿で所構わず失禁する、短小包茎で情けのない早漏! 情けねぇ~チビなんだ!」

  もはや彼の二つ名は風化し、ひとの記憶から抜け落ちていく。

  グレーシティを賑わせた短小包茎のチビ。それが今後の二つ名。

  囚人の暇を潰す玩具として、侮蔑を込めて語り継がれるのだった。