プロローグ「思考と試行と矛盾」

  ーーまずいことになった。

  大通り、ヒトの往来が絶えない道のど真ん中。ヒトの間を掻い潜り、全力で走る。後ろを振り向くと、まだ追ってくる『狩人』が三人。刺すような目で追いかけてきている。

  ーーなんでよりによって『狩人』の本部なんかに

  逃げながら、自分の不運を、不用意を嘆く。

  突発的に発動させた術式は、想定通りの動きをして時間を遡ることには成功した。ただし、飛んだ場所が問題だった。

  時間の飛び先は完璧なのに場所の指定までは正しく出来なかった。

  しかし、直接『狩人』の本部に侵入した手前、逃げ出すことも簡単にはできず。ならばせめてあの女だけは排除して行こうと思ったらこれだ。女を殺して、すぐにもといた時間と同じ層に帰る、その筈だった。

  が、帰りの術式の発動をする隙などなく、案の定他の『狩人』に気づかれ、今追われている。追いかけてきてるのは鼠の女と鼬の男、そして犬の男の三人だ。

  立体行動が得意な鼠族、そして鼻が効く鼬と犬。

  普通に逃げ切るのは難しい相手だ。

  ならば、

  大通りから横道に逸れ、ヒト通りの少ない道へと場所を移動する。

  黒いフードの脇からチラリと後ろを確認すると、鼠族の女が一番手前で、その後ろに男が控えていた。

  周りにヒトの気配がないことを確認し、足を止め、振り返り手を伸ばす。

  手を伸ばした先に意識を集中させ、魔法ーー否、忌術を発動させる。魔法と似て非なるもの。忌み嫌われ、失われた禁忌の術を行使する。

  指先に突如黒い波が発生し、それが渦巻きながら一点へと集中する。

  手を伸ばして照準を合わせてから発動まではほんの数秒だ。

  黒い球体が鼠の眉間を目がけて発射される。鼠は目を見開き、避けようとするも、時すでに遅し。黒い球体がそのまま女の頭の中に侵入した。そして黒い球体は女の頭の中で破裂し、女の頭部が損壊する。

  頭のところどころに穴が開き、空いた穴から血と脳髄が溢れでる。

  「ゔ、ぁあぁぁああああぁあああ、、!!!!」

  頭部が損壊した鼠の身体が犬の方に倒れ込み、その体を支え、その凄惨な様子の死体に犬が吠える。

  彼女へ攻撃した本人でさえ、嘔吐感が込み上げてくるその光景。

  さっきのヒューマンにも同じようにやっていれば、確実に殺せたと判断できただろうに。

  心臓を貫いたのだからほぼ確実に死んでいるだろうが、死んだことを確認できなったことを後悔する。

  「あああ………あぁ……ぁああぁぁぁああ……」

  犬は地面に座り込んで女の死体を抱いて、涙を流して絶叫していた。犬の目は焦点が合わず、空を眺め続けていた。女の血と頭の中身を浴びて、彼の白い毛は真っ赤に染まっていた。

  彼らには悪いが、これも必要な犠牲だと割り切るしかない。

  自分の姿を見て、覚えられては、歴史的矛盾が起こってしまう。

  本来は各時間につき一人しか存在しないヒトが同じ時間に2人存在することなど本来あってはならない。

  歴史的矛盾が生じ、大きく世界が掻き乱れてしまう恐れがある。

  だからこそ、『自分という存在に深く関わる』という歴史を持った彼らには死んでもらわなければいけない。

  女の死体を抱えて、涙を流し、目が死んでしまった犬獣人に手を伸ばし、再び忌術を行使する。

  しようとした、その瞬間ーー

  「……死ねよ、お前。」

  背後から首を掴まれ、壁と腕に挟まれて宙に持ち上げられる。

  追いかけていたのは鼠と、犬と、そしてーーー鼬

  「死ねよ!!死んじまえ!!死んでしまえぇぇええええ!!」

  怒りを露わにした鼬が首を掴み、壁に押し付け持ち上げる。

  ーーーヤバい、ぁ、死ぬーー

  ジタバタともがき、なんとか抜け出そうとするも叶わず、意識の喪失が始まる。視界に映った鼬の目は血走り、口の先から涎が垂れるほどに力が入っていた。もはや正気を保っている存在はこの場に存在していない。

  血の気が引いていくのがわかる。呼吸ができなくなってきて、血の味がして、口の端から泡を吹く。顔が青ざめ、体から力が抜け、足と腕がだらんと垂れる。

  もう、ほとんど死んだ、と思ったその時に

  ーー死んでたまるかよーー

  もはやどこに意識が集中しているのかわからないが、今体を通っているすべての魔力を集める。どこに放たれるかわからないし、何が起こるのかも分からない。

  ただ、確実にこの状況からの、なにかしら逆転の一手をーー

  「ふく……く」

  「……あんだよ……何がおかしいってんだよ!?」

  口から勝手に笑い声が漏れる。それに対して鼬は更に力を強め、更に首がしまる。

  自分ですらももはや分からない。意識はもはや意志を持たず、思考ももはや自分のものではないかのように朦朧としていて。

  今笑ったのが本当に自分だったのかも分からず。

  何に笑ったのかも分からず。馬鹿馬鹿しいと、そう思った、何に対してかは、分からないけど。

  最後の力を振り絞り、魔力を外側に解放する。

  それがどういう効力を発揮するかは術者本人にも分かりかねる。

  ただ、状況を一変させる最高の一手をーーー

  「うあああぁぁあぁああああぁぁあああああ!」

  「っぶ…」

  誰かの絶叫と共に、眼前に、剣が迫りーー

  その光景を最後に、男の意識は闇に沈んでいった。

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  その後駆けつけた『狩人』達によって、現場は迅速に処理された。

  頭部が損壊した鼠の死体が二つ、行方をくらました『狩人』が二人。

  前代未聞の極悪殺人事件として、この事件は処理された。

  時間軸が交差し、策略が交差したこの日。

  この世界はーー