「いよいよだね、良美」
買い物からの帰り道。喜びを隠せない克幸の視線は、ビルの壁に取り付けられた大型モニターの方を向いていた。歩行者天国と言うだけあって、ここで立ち止まっていると多くの獣人にぶつかられるが、アタシは気にせずモニターのニュースを見る。そこには、ヒト族とカモノハシ族が、大勢の獣人に囲まれながら結婚式を挙げている姿が映し出されていた。
「ついにここ渋谷区で異生婚が認められた。胎生の種族と卵生の種族が結婚できるんだ」
「ええ」
ヤニに染まった牙を少しのぞかせ、応える。
「克幸……帰ったら、真剣な話があるの」
それを聞いて、ぱあっと顔を輝かせる彼。
「長かったなあ、僕達が根気よく嘆願したかいがあったよ。でも、お互い三十路になる前に異生婚が認められて良かった」
言い終えると、克幸はアタシを引っ張り、帰路につく。くちばしの先端が、夕日の光にきらめいていた。
長かった、か。心の中でつぶやく。初めて会ったときから、もう何年経ったかな。
*
大学時代。アタシは学内で群れることなく一匹で過ごしていた。
今日もキャンパスを出た後、誰も通らない路地裏の日陰で、ライターを着火した。成獣直後にタバコの味を覚えて以来、くせになっていたから。アタシは遠吠えをするように、日が落ちつつある空へと煙を吐いた。
ふと、気配を感じた。左を見る。
沈みかけた夕日に照らされるくちばし。前と後ろに二本ずつ伸びた足の指。アタシより少し背が低い鳥族の男が立っていた。
「……落としましたよ」
それが、初めて聞いた克幸の声。どこか頼りなさそうに差し出した翼の上には、アタシの背中の毛と同じ銀色の携帯灰皿だった。
「……あ、あの」
彼に返事をせず、アタシは携帯灰皿をひっつかむと、夕日とは逆方向に走り抜けていった。
駆けながら、一言お礼をいうべきだった、と思った。だけどアタシは、そんなことを素直に伝えられない性分だった。もう彼と会うことはないだろうという予感がした。
その予感が外れたのは翌日だった。昼時に屋外で壁にもたれかかり、ひっそりとジャーキーをかじっていると、
「となり、いいですか」
と聞いた覚えがある声がした。
飛び上がりそうになった。夕べの彼が、いり卵の弁当を持って、立っていたから。服にはアタシと同じ色と形の学生バッジ。同じ大学生だった、ってこと。
「周りが空いていなかったので」
と隣に並びながら言ったので、反射的に周囲を見る。
ベンチは全て、恋仲とおぼしきペアで埋められていた。それどころか小高い丘にも、何組かカップルが座って、こっちを見てヒソヒソと何かを話している。
「同じ政治学科だったんですね。僕、克幸って言います。あなたのお名前は……」
アタシは何も言わすに残りのジャーキーを飲みこみ、そそくさと立ち去ることにする。
「あのさ」
去り際に、今度は忘れずに言った。
「昨日はありがとうな」
そしてまた昨日のようにダッシュした。
翌日。アタシは講義室の最後部で一匹、ぽつりと座って、窓辺を見ながら教授が来るのを待っていた。
と、となりでイスを引きずる音がする。まさかと思って振り返る。まさかはやはりに切り替わる。
「ご一緒……しませんか」
このところずっと会っている、克幸と名乗った鳥族の学生だ。
「奇遇ですね」
そっちがとなりに座ったから、奇遇じゃないでしょ。と思ったけれど、なぜかアタシの方から席を移動することはせず、そのまま講義が始まった。
どうしてなのか。不思議と今は、克幸がとなりにいても、イヤな気持ちはしなくなっていた。誰かととなり同士で講義を受けたのは、初めてではないか。
アタシはノートの隅に、〝良美〟と書き、彼の方へとスライドした。彼が視線だけアタシの方へ移動させる。その目は驚きと困惑が含まれていた。アタシは無言で自分の方を指さす。彼は微笑みながら相づちを打ち、意識を板書へと戻した。
それからはアタシの学生生活は孤独ではなくなった。登校の時も、講義の時も、昼食の時も、一匹と一羽で行動した。だけど唯一、彼はいつも下校の時は、急ぐように窓から飛んで行く。何か用事があるのか。アタシはいつの間にか、帰りも一緒だったらいいのにと思うようになってしまった。彼と並んで歩く姿は、カップルに見えるかもしれない。
……いや、それはない。アタシと克幸の関係は、成立しない。生まれが違うのだから。アタシは胸に芽生えた思いを顔には出さず、ただ悶々と学生生活を送っていた。
転機が訪れたのは、お互い内定をもらった直後。克幸はあの昼食で一緒だった時の日陰にアタシを呼び出し、単刀直入に言った。
「僕はあなたが好きです。お付き合いして下さい」
驚いた。克幸から切り出すとは。彼が、そこまでアタシのことを意識していたなんて。そういえば彼は、会社は違うけど、同じ渋谷区内だね、とやけに喜んでいた。
だけど――
「あなた、生別は?」
アタシは胸の内を顔に出さずに訊いた。
「卵生です。カッコウ族ですから」
「そう、あなたは卵生。アタシは胎生。いずれ引き裂かれる運命なのよ。わかる?」
淡々と言葉を紡ぎながら、組んでいた腕をほどく。左手の狼爪が、右腕の毛にラインを引いた。
昔から、卵生の者と胎生の者は婚姻関係を結ぶことができなかった。そして、それが当たり前とされていた。子孫を残すことができないから。あの日の昼食時に、アタシ達はカップルとしてではなく、奇異の目で見られていた。
「そんな障壁、越えて見せます」
「簡単に言わないで」
アタシは世間体を本当の気持ちを伝えない口実にした。
「事実婚の実態、わかっているの?」
「僕は」
彼の声がひときわ大きくなる。
「この国でも異生婚が実現するよう、運動を行っています。今はまだ公には認められてはいませんが、いずれ必ず認めてみせます。引き裂かれなんかさせません。僕が必ず、あなたを幸せにしてみせます!」
左の翼がアタシの前に出る。彼の羽毛が二、三枚、宙を舞って地面に落ちた。もはや彼は頼りなさそうには見えなかった。
アタシは黙って背を向けた。あっ、という彼の声がする。だけどそれは失望ではなく、驚きと、かすかな希望が含まれていた。
アタシは、克幸に尻尾をブンブン振っていた。これが自分自身の、本当の気持ち。
「良かった! ダメかと思った! ありがとうございます!」
さっきの頼りがいがある克幸はどこに行ったのか、彼は子供のようにはしゃいだ。
「……狼は、だますのもだまされるのも得意なのよ」
アタシの独り言は、彼には聞こえなかったみたい。
*
こうして、アタシと克幸の交際が始まった。克幸との放課後や休日は、異生婚実現へ向けた運動にあてた。ゼミに参加しながら、署名を集め、デモに参加し、政治家に嘆願書を提出したり。アタシが連想する一般的なデートというものは、テーマパークで遊ぶだとか、映画を見に行くだとか、あるいは喫茶店で長ったらしい名前のドリンクを注文することだけれど、そういったありきたりなことは求めてはいなかったので、毎日が充実していた。克幸にタバコをすすめたこともあったけど、難色を示されたので、それ以上の勧誘はしないことにした。
忙しい時は、どちらかの家にあがって、嘆願書を作成する傍ら食事を作ってもらったり、逆に作ったりして一緒に食べた。そのままクタクタになって、ソファに腰を下ろしたまま寝てしまい、目が覚めた時にはお互いの顔がぶつかり合っていた、なんてことも。克幸はシュプレヒコールを挙げた時の威勢が信じられないくらい慌てふためき、顔を翼で押さえていた。アタシも克幸と同じ感情だったけど、つとめて平静を装っていた。尻尾は激しく動いていたけれど、狼獣人が尻尾を振るのは認めた相手へのあいさつみたいなものだと事前に教えていたので、最近は気にされない。狼は、だますのもだまされるのも得意だから。
こうしてアタシと克幸の関係は深くなっていったけど、異生婚の実現はそううまくはいかない。
「ふざけた話だ」
運動仲間のヒト族、世田谷一郎さんが怒りを露わにした。
「何が〝卵生の種族と卵胎生の種族は異生婚を認めるという方向で手を打とう〟だ、上から目線で妥協を迫りやがって」
「その通りです。中途半端はいけません。いかなる生まれ方であろうが、婚姻関係は結ばれるべきです」
カモノハシ族のジョン・S・杉並さんも同調する。ジョンさんの母の生まれ故郷では、早い段階で異生婚が認められている。
「皆さん、へこたれずに、必ずこの国でも異生婚を実現させましょう」
克幸が力強くまとめて、その日の集会は終わった。また忙しくなりそう。
ゼミのポスター発表が終わった後、克幸は真剣な顔つきでアタシに話しかけた。
「あのさ……相談があるんだ。僕達、お互いの家に泊まったりすることも少なくなくなってきたよね。それで、僕、渋谷区の企業に入社するのを機に、引っ越すつもりなんだ。だから……僕達、一緒に住ま……」
「ああ、アタシもう引っ越し先決めたよ」
アタシは克幸の提案を途中で遮り、物件のチラシをヒラヒラさせた。
「ええっ……そんな……」
またすぐにショックを受けているようなので、ここで種明かしをすることに。
「ほら、よく見なさい。二人部屋」
と言ってチラシの間取りを指さす。
「言ったじゃない。狼はだますのもだまされるのも得意だ、って」
そう言いながら尻尾を振ると、克幸はほおっと大きな安堵の息を吐くと、アタシに思い切り抱きついてきた。可愛い奴だ。
こうしてアタシ達は大学卒業後、同じマンションの部屋に住むことになった。
ルームシェアです、と言っても、不動産会社の社員もお互いの両親も、何も疑わなかった。アタシは胎生で、克幸は卵生だから、両想いだなんて思われてもいないみたい。
でもそれを変えるよう、アタシは進み続けている。克幸と共に。
*
風呂から上がると、克幸がソファでぶるぶる震えているのが見えた。
「この時期は辛いんだ……カッコウ族は体温を保ち続けるのが苦手で、運動してないと、気温と一緒に体が冷えてしまうんだ……」
確かに最近克幸はずっと在宅で仕事をしていて、以前より歩いたり飛んだりする時間が減った、ってのはある。時々、夜中にこそこそベッドを抜け出すことはあるけど、外出しているわけでもなさそう。今にも凍えそうな克幸にベッドへ行くよう言うと、自分もベッドに入り、毛布の中で思い切り克幸を抱きしめた。
確かに冷たい。アタシも風邪ひいてしまうかもしれない。だけど克幸が元気になるよう、アタシは全身で彼を温めた。狼族の体温は鳥族より少し低いが、それでも温かく長く密集した毛で包み込むのは、今の克幸にとっては助かるだろう。
「……良美」
克幸がアタシを呼び捨てにしたのは、同棲を始めてからだ。
「……何」
「世論もますます僕達側についてきている。今度こそ事態は好転するかもしれない」
「……ええ」
今の状況、昔の克幸だったら取り乱していただろうね。
「それとさ。ジョンさんがいいことを教えてくれた」
「……何」
「海外では子育てしたくても、生物学上やその他の理由で子ができないパートナーは、代理出産をお願いできる国もあるんだ」
「……ええ」
「だからこの国でも代理出産が広まれば、僕達との間にも、子ができるんだ」
「……」
「そう遠くない将来、僕達も同生のパートナーみたいな家庭を築ける日が来るんだね」
「……ええ」
今度は尻尾が動くことはなかった。
克幸が完全に眠りについたのを見計らって、アタシは毛布から出て服を着た後、ベランダに行ってタバコを吸った。普段は克幸が怒らないから室内で喫煙できたけど、なんとなく外で吸いたくなったので。
アタシは久しぶりに、遠吠えのように煙を空へと吐いた。
*
「懐かしいなあ、そんな頃もあったっけ」
鍵を開け、玄関を通りながら、克幸は笑う。
冷蔵庫のそばに、買い物かばんを置く。普段は買ったものをちゃんとしまうけど、今日は置きっぱなしにした。
「一郎さんとジョンさん、幸せそうだったね」
リビングへと歩きながら、モニターのニュースのことを再度話題に出す克幸。
「まだまだ一区画だけど、僕達の頑張りがとうとう花開いたんだ。嬉しいことこの上ないね。だけど一番の功労者は」
そこまで言って、克幸はターンしこちらを向く。
「良美だよ」
アタシは克幸のそばを抜け、食事の時に使うテーブルをはさんで奥にあるイスに座る。
「もちろん、これがゴールじゃない。最終的には国単位で、異生婚を認めさせる。僕達の運動は、まだまだ歩みを止める訳にはいかないね……あっ、そういえば真剣な話があるんだったね」
克幸が席に着いたのを合図に、アタシは口を開く。
「克幸」
彼の期待高まる感情が、瞳を通して伝わる。アタシは続けた。
「アタシ達、もう終わりにしましょう」
えっ、と言ったまま、彼のくちばしは開きっぱなし。状況が呑み込めていないみたい。
「どうして……? 良美の、僕達の努力で、ようやく僕達はこの区で同生愛者と対等なポジションにつけたんだ。それなのに、どうして……」
「そうね。克幸は努力していた。そして社会のいろんな事に精通していた、と思ってた」
彼の言葉をストップさせ、アタシは再び話し出す。彼から目を離さずに。
「でも、毛布の中で克幸を温めたあの日、メッキがはげているのを見つけたの。克幸、異生婚を同生婚に近付けるため、代理出産を広めようとしていたよね。でも、出産が、女性にとってどれだけ負担がかかるか、わかる? 死ぬことだってあるのよ。なのに、自分達が家庭を持ちたいという理由で、当事者じゃない第三者の女性に、出産をお願いすることを、克幸も、そしておそらくジョンさんも、軽く考えている気がしてならないの。だからその時、きれいなメッキにだまされたと思って、克幸との結婚は考えなくなったの」
「そん、な……」
克幸は声を振り絞るようにして出す。
「それ、だったら、あの時、言ってくれればよかったのに……そしたら、考えを改めたのに……どうして、今」
「そう。今、言うべきだと思ったの。もしあの時別れたら、世間は『出生の違いで引き裂かれた悲恋』とみなすと思う。だけどアタシ達は違う。付き合って、同棲して、この先生涯のパートナーとなるには不釣り合いだと分かったから別れるの。だから異生婚が認可され、一郎さんとジョンさんが結ばれたこの日に別れを切り出す必要があったの。異生婚を同生婚に近付ける、というのは、破局しても同生婚のそれとは違った同情の目を向けられないようにもする、ってことじゃないかな」
克幸はもう、言葉を発することもできなかった。
「長い間、本当の気持ちを隠していて悪かったね。だけど、分かってくれるよね。狼は、だますのもだまされるのも得意だってこと」
彼はしばらく黙ったままだったけど、やがてほんのわずかにうなずいた。
「ごめん……良美にふさわしい相手になれなくて、ごめん……」
彼はゆっくりと立ち上がると、ふらふらと歩みを進めた。
「……僕の荷物、整理するよ。部屋の持ち主は、良美名義だから」
「手伝おうか」
克幸は何も言わなかった。だけど、否定もしなかった。
「アタシ、異生婚認可運動もやめるつもり」
大きな家具を、一匹と一羽で運んでいる時に、アタシは告げた。克幸は何も言わなかった。だけど、説得もしなかった。
「こうやって一緒に協力している時、克幸と付き合い始めた頃が思い出されるね。お互いの部屋に泊まったり、家事をやったり、任せたり……」
「……そうだね」
「もしかして、アタシの中に未練が残ってる、って、思ってる?」
克幸がバランスを崩しそうになるのを必死でこらえていた。そういうところも、あの頃そっくり。だけど……
「アタシ達は、ここで終わるのがいいの。パートナーになる、というのは相手の悪い所も受け入れる必要がある。だけどアタシはこの先、あのようなほころびが他にも見つかったら、怒るだけでは済まないかもしれない。それがアタシ。だから今のうちに、関係を断っておく必要があるの。変な期待はしないで」
「……分かった」
それと同時に、アタシ達はゆっくりと家具から手と翼を放した。
そして、ついに克幸が家を出る時が来た。克幸達の運動にはすでに脱会を届け出ていたので、この時を境に、克幸とはお別れとなる。この先、道端でバッタリ会っても、言葉を交わすこともないかな。
「いらないものは、アタシが捨てておくよ。荷物多いみたいだし」
「……最後まで、ご迷惑をおかけします」
克幸の口調が、学生時代に戻っている。声が震えているのも分かる。
「ほら、シャキッとしなさい! これからも運動の中心となって、新しい世代を引っ張っていくんでしょ!」
と言って、尻尾を激しく振りながら、克幸の翼を両手の肉球で軽く叩く。元気付ける為に、そして未練を断たせる為に。彼は一度ぎゅっと目をつぶり、再びアタシを見た。彼のくちばしが、日の光によって美しくきらめいている。
「お世話になりました。お元気で、良美さん」
そう言い残して、克幸は去っていった。まるで彼と初めて出会ったときの、アタシのように。
がらんとなった部屋の中を、ゆっくりと歩く。アタシは再び、一匹狼になった。そしておそらく、これからもずっと……
ライターを取り出し、タバコに火をつける。遠吠えをするように、空に向かって煙を吐く。
と、彼が残していった〝いらないもの〟の中に、キラリと光る何かがあった。アタシの背中の毛と同じ色をした、携帯灰皿。アタシのではない、彼のだ。彼はアタシと釣り合うよう、こっそりとタバコを吸う練習をしていたのだ。
「…………狼は、だますのもだまされるのも得意、か…………」
いつの間にか、手にしているタバコの火が消えていた。 (了)