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危ないオシゴト

  「おい三途。今すぐ銃下ろせ」

  時が止まったかのように九井と三途は鋭い目つきで互いに見つめ合う。

  緊迫した室内では唾液さえ飲み込めず、どこからかのモーター音だけが聞こえ、2人の横顔は正午の強い光を受けて室内に長い影を落としていた。

  「…畜生よりさァ、人間の方が圧倒的に優れていると思わねぇか?いつだって進化し続けて文明を築き上げてきたのも人間。ながったらしい法を創り上げたのも人間。進化せず人間が作った環境に甘えてる畜生たちっておかしくないか?腹が立つよなぁ?税金払えよってなぁ」

  コイツ、イッてやがる。完全に薬が回ったときの状態だ。目は焦点が合わず、腕を大っぴろげゆらゆら揺れている。興奮で荒い息を吐いており、アハアハと喉を絞った笑い声を出していた。何をしてくるかわからないバケモンと対峙しているみたいだ。こうなった三途は厄介極まりない。

  しかもなんでよりになって俺の執務室なんだ。このPCにいくらの金と情報が入っていると思うんだ!

  「コ、ココ…」

  ガタガタと全身を震わせているルリと目があった。歯の隙間から辛うじて呼吸しており、目には涙を溜め真っ青な顔で耳を伏せている。今、九井は天秤にかけられていた。この少女ひとりの命か、梵天の命か。そんなのカウントするまでもなく後者を選ぶ。

  …はずなのに、何故だか決断ができない。そこまでこの少女に情が湧いているというのか。まだ出会って2日なのに。俺は、こんな簡単なことも決断できないのか。

  ギュッと目をつむり眉間にシワを寄せた。変な汗が耳たぶの裏から首筋をつたう。

  長いようで短い沈黙の後、九井はある男に電話をかけた。いつもならすぐには出ないのにワンコールで相手は返事をした。

  「おい。今すぐ帰ってこい。子猫からのSOSだ」

  九井の判断は正しかった。近場で待機していたのかと思うほどすぐ駆けつけてきた灰谷兄弟たちは、現在、楽しそうに三途に絞め技をかけていた。

  喚く三途を三角絞めにする竜胆は、青春を謳歌する学生のような眩い笑顔である。しかしこめかみに浮かべた青筋が煮えくり立つ怒りを隠せていない。

  蘭は銃でゴリゴリされたルリの頭をさすりながら「ハゲてないかー?痛かったなぁ」とよちよちしていた。彼女は「ゆ、ゆるさない…」と三途と引き剥がされる時にむしり取った彼の髪の毛を強く握りしめながらみぃみぃ泣いている。そんなカオス二丁目のような光景を見ながら九井は安堵した。

  あの時、真正面にいた自分が動いていたら三途は間違いなく発砲していた。クスリで興奮している彼の指先は震えていた。筋肉が自制できていないバケモンに突っ込むほど無鉄砲ではない。すぐさまきてくれた灰谷兄弟たちには、後日、ボーナスを気持ち程度振り込んでおこうと金庫番は疲れ切った顔で天井を眺めた。

  「三途いるか?」

  コンコン、と半開きの扉から軽快なノック音が鳴る。声をかける前に鶴蝶が顔を覗かせた。途端、一瞬で状況を把握した彼は面倒なものを見たとばかり片眉をしかめた。

  「あー、すまない。取り込み中だったとは。なんていうかその、全員元気そうで良かったわ」

  「まてまてまて」

  綺麗にUターンする彼の服を引っ掴み無理やり部屋の中に入れ込む。

  「もう灰谷たちが沈めてくれてるから、時期にあのヤク中の意識は戻ってくる。だから安心してくれ」

  「なんだ。そうだったら早くそう言ってくれよ」

  「んで、三途になんか用か?引き取ってくれるなら万々歳だ」

  「ああ、ボスからのお呼びだ」

  「マイキー?!!」

  ガバリと馬鹿力で竜胆の三角締めから抜け出した三途は、主人に呼ばれた犬の如く目を輝かせ鶴蝶の元へかけてく。

  「え、今?!今呼んでんの?!」

  「落ち着け。揺さぶるな」

  「で!どこだ!どこに来いって?!テメェ早く言わねぇとぶち殺すぞ!ガッ」

  鶴蝶は半狂乱になりながら騒ぐ三途に手刀で気絶させ、雑に俵担ぎした。

  あまりにもスムーズなその動きに蘭がヒュー♪と調子者の口笛を吹く。

  「この方が連れてくのにスムーズだ。邪魔したな」

  あまりにも頼り甲斐のある男の姿に、竜胆は稚拙な女声を出しながら「かくちょーかっこいい♡」と両拳をアゴにあてからかった。

  ルリも竜胆のマネをしてなんとなく拳をアゴにあててみた。

  「ルリ、だっけ?またコイツにイジめられたら助けてやるから遠慮せず呼べよ。今回は間に合ったが、運悪けりゃ死んでんぞ」

  「うん!ありがとカクチョー」

  「俺じゃなく九井や灰谷たちに礼言ってやれ」

  じゃあな、と一振り大きな手が揺れ、彼は三途を担いだまま長い足で悠然と執務室を去っていく。さすらいのヒーローのようなあまりのカッコよさに、ルリの中で堂々の優しくて強い人一位を獲得したことを本人は知る由もない。

  「おい。…おい!」

  「あ、えっ私?」

  「なんべんも呼んでんだろ!そんなデケェ耳ついてんのに聞こえないのかドブ猫」

  「ドブ猫…」

  翌日、いつも通り蘭たちと会社にきたルリは、九井の手伝いをし終え休憩がてらの糖分補給をと自販機を眺めていた。オフィス内にある自販機コーナーは広々としたスペースに四つも並んでおり、充実すぎるラインナップにうんうんと唸っていたところ、三途が後ろから乱暴に声をかけたきた。

  正直、ルリはこの男が昨日の一件から苦手であった。餓死寸前で人の姿を保ってられなかった初日に彼も蘭たちとその場にいたが、その時から怖い印象があったし、現に乱暴で怖い人だった。

  今も最高に不機嫌な顔をして長い束のまつげ越しにこちらを睨みつけている。また何かされたらどうしよと、青い顔をしながら九井からジュース代としてもらった千円札を握りしめた。

  「てめぇいくつだ」

  「え、」

  「いくつだって聞いてんだよ!」

  「じゅ、じゅうなな」

  「チッ…んだよまだガキ猫じゃねぇか」

  年を聞かれた意図が汲み取れず首を傾げる。三途は苛立っているのか、腕を組んだまま右のつま先を何度もトントン鳴らす。

  その音が余計緊迫感を加速させ、ルリはますます体を硬直させた。

  「アーーー、んん"」

  突然、彼の口から男くさい声が発せられたと思ったのも束の間、急に距離を詰められる。後ろは壁。右は自販機。左も壁。つまり退路を塞がれルリはとうとう袋のネズミにされたのだ。頭上から彼の物凄い圧を感じるので顔は上げられない。ほぼ初対面も同然な関係なのにピッタリとくっつかれた。

  「昨日俺マジで気分良くてさァ。…なんでって聞けよ」

  「な、なんで」

  「んなもん忘れたわ」

  「??」

  「ま、理由なんかどうでも良い。とにかく気分よかったんだよ、俺は。新薬完成してそれが見事にヒットしそうな出来だったわけ。んでうきうきでそのヤク飲んで、うきうきで九井の執務室いったらテメェがいたわけ。アイツの、執務室に、お前が」

  ゴリゴリと中指の第二関節でつむじを押される。

  人を殴りなれた彼の力はとても強く、そのまま頭蓋を縦半分に割りそうな威力があった。つまりとても痛い。ルリは半泣きになりながら鼻を啜るのを我慢して、次にくる言葉を待つ。

  「お前、クソ谷たちが拾ってきた獣人らしいな。おまけに収容所出身」

  「…」

  「返事」

  「ひゃいっ」

  つむじ攻撃が収まったと思うと次はほっぺを真横に引っ張られた。白くて柔らかい乙女の頬はじわりと真っ赤になっている。

  「そんな事情を知らねぇ俺は反社らしくちゃあんと疑うべきものを消そうとした。俺は間違ってなかった。なのに絞められるし散々な目にあった。可哀想だよなぁ?」

  頬を摘まれたまま、顔を覗き込まれる。瞳孔はカッと肉食獣のように開かれ、不気味な笑みが白い歯をちらつかせていた。あまりの怖さに唾液が逆流し背筋に鳥肌が立つ。

  互いに無言の時間が訪れた。バクバクと不規則な心臓の音がうるさいほど鳴っている。

  まずい。今度こそ本当にころ、殺される!覚悟を決め全力で目を閉じ耳を伏せた。どうか苦しまず1発でやってくれますように!

  …しかし、いつまでたってもその瞬間は訪れなかった。恐る恐る目を開けると、ピッと自販機の軽い音が鳴り三途は腰だけ屈めドリンクを取り出している。

  「やるよ」

  投げられたものを慌てて両手で受け取る。それは昨日九井がくれて美味しさに感動したカルピスだった。施設ではあまり味わえなかった人工的だけど優しい甘味が気に入り、さっき眺めていたものだ。

  よく冷えているそれと三途を交互にみて、なぜ急に?とさらに困惑する。

  「あー、あれだ。てめぇみてーなアホ面したガキ猫がスパイやら怪しいやつなわけないもんな。17のガキにんな大そうなことできるわけねぇしな。アホそうだし」

  「あ、あほって2回言った…」

  結局この人はわざわざ嫌味を言いにきたのかと、恐怖から次第に昨日されたことを思い出し怒りが湧く。

  「サンズも怖いし暴力的だし怪獣みたい」

  「てめぇ急に言うようになったな」

  「あと笑っても怖い」

  「やっぱ昨日殺してバラせばよかった」

  三途は関節音を鳴らして振りかぶろうとしたが、ハタと止まり乱雑に頭を掻きむしる。

  「ア"ーーー!クソッ!クソ!悪かったな!!ハイハイ俺が悪かった!!どうもすみませんね!」

  どうみても悪かったと言う人間の態度ではない上、頭こそ下げないものの彼なりに精一杯の謝罪らしい。

  まさか謝罪されると思わなかったルリは、長いまつ毛をパチクリさせる。

  「サ、サンズ誰かに怒られたの?」

  「ちげぇわドアホ!別にちげぇわ!」

  怒られたんだ、と地団駄する彼をみて悟る。この怪獣に素直に言うことを聞かせられる人ってとんでもなくすごい猛獣使いなんだろうな。

  ルリはなんだかそんな彼の様子を見て怒りもすぐさま引いていき、まぁ謝ってくれたしいいかと嬉しそうにゆるりと尻尾を振る。

  「いいよ。仲直りしよ」

  「てめぇと直る仲なんて最初からねぇよ」

  「やっぱこの人嫌い」

  ぺっ!と差し出した手をはたかれ、大股でわざとらしく靴音を立てながら三途は去って行った。

  どんどん遠くなる背中を見送ったルリは、水滴が溜まりべしょべしょになったカルピスを服の裾で軽く拭いて一口飲む。

  「お礼言い損ねた…」

  うるさくて凶暴だけど、意外と良いヤツかもしれない。彼と次会えたときはありがとうとひとつ言ってやるか。

  新しい宝物を発見した子どものようにニヤけながら飲むカルピスは、昨日より一段と美味しく感じた。

  ▽

  「は?無理に決まってんだろ」

  時刻は月が真上で輝く深夜。日課となったリビングでの映画鑑賞会をしていた蘭とルリは、ドス黒い声を出した主を振り向いた。

  「どうしたー竜胆」

  「リンドー怒ってる?」

  ピッタリ蘭とくっついて二人羽織のようにブランケットを被っているルリをチラと見た竜胆は、怒りや気まずさを含んだ低いため息を吐いた。

  彼の様子からするに大方九井から面倒くさい案件を持ち込まれたんだろうなと、蘭は眠気まなこのルリを撫でる。意外としっとりした手に撫でられ上機嫌な彼女はゴロゴロ音を響かせた。

  「兄貴、悪ぃんだけどどうしても伝えたいことあるから今いい?ルリはもう寝な。ベッド整えてあるから」

  「あい」

  おやすみなさーい、とブランケットを握りしめながら寝室へ向かうルリに返事がわりに背中をぽんぽんする。

  「で、今回はどれくらい面倒な案件?」

  「さすがカリスマ様はお見通しってわけか。…ひとつお願いなんだけど」

  「気分によっちゃ聞いてやる」

  「どうか落ち着いて最後まで聞いてほしい」

  「俺のこと幾つだと思ってんの。ヨユーだわ」

  意を決した竜胆はぎこちない動きで、耳打ちする。

  話を聞くまでは甘い目元をしていた蘭は、徐々に鋭い目つきになり最後にはニッッコリ!と暗い住宅街で佇む愉快犯のような貼り付けた笑みを浮かべた。その後、

  「は?無理に決まってんだろ」

  同じくドス黒い声を出した彼に怒りの矛先として思いっきりビンタされる。竜胆は理不尽な兄からの突然の暴力に声を荒げることもなく、口の中が切れて血の味がするが逆にこんくらいで済んでよかったと頬を抑えながら安堵する。家具を全部ぶっ壊しミキサーに掛けキャンプファイアーをするくらいキレるだろうと思っていた(実際にそのくらいキレてはいる)

  「とりあえず返事は保留にしとけ。そんで明日九井の野郎ぶん殴りに行くぞ。ついでにあいつが呼んだデリヘル嬢全員三日三晩は夢に出るようなエグいブスが来るよう呪う。一生な」

  「それはエグい」

  少し落ち着きを取り戻したのか、グラスワインをあおる兄の横顔が間接照明に照らされる。つい先刻までキレてたとは思えないほど優美な顔で呑む彼の姿は、まるで映画のワンシーンだった。

  竜胆は以前、凶悪な殺人を犯す愉快犯が蘭と同じよう殺戮の前夜、優雅にワインをたしなみ鼻声でリズムを刻んでいるシーンを思い出した。それが今目の前で行われている。九井は明日、この美しい男に残虐なかぎりを尽くして殺されるんだろうな、と遠い目をしながら立ち上がった。

  「りんどー、明日楽しみだな〜」

  クッ、と目の下を上げながら笑いかけられた。それは良い事を思いつき試したくて仕方がない悪戯っ子のようなセクシーな笑顔だった。

  竜胆もそんな兄につられて同じような顔をした。今この2人を見た女は百発百中で惚れ、男は情けなく逃げ出したくなるほどサマになっている。

  そんな地獄の悪魔より恐ろしい彼らの-九井許すまじ絶っ殺計画-を知らない本人は、今日も東京の夜景の一部となりながらパソコンに向かって死人の顔で残業をしていたのであった。

  ルリはあまりの圧とそれによる多量な汗で今にも溶け出しそうである。現在いるのは、幹部階入り口のエントランスホールだ。休憩所としての機能もあり、シックなディープブラウンと白を基調とした内装と、明るい太陽光を落とす吹き抜けの天井は開放的である。

  がしかし、今この空間は息が詰まるほどの閉鎖空間となっていた。

  原因となる九井、そして灰谷兄弟がルリを挟んでバチバチに火花を飛ばしあっていたからだ。

  「ココくーん。昨日電話で言ってた案件どういう意味ー?俺高卒だからよく分かんなくてさぁ」

  「だからそれに関しては俺じゃどうにもできないって言っただろ。時間も迫ってるし今更替え探すのは無理。そりゃあもちろん俺だって最初は反対したわ」

  「よりによってこいつが怖がってる三途と同行って…。あまりにも可哀想だろ鬼畜がよ」

  ダン!と竜胆が長い足でガラス製のローテーブルを蹴る。ルリのために九井が入れたホットココアが揺れ、波紋を広げた。黙るが吉。怖いお兄さんたちの会話の仕方にも慣れてきたルリは、溶けそうになりながらも付け合わせにだされたマシュマロを必死に頬袋に詰め込む。

  「てかそもそもお前らが前回カタつけられなかったから向こうの要求が激しくなったんだろ。撒いたタネはちゃんと回収しろよ」

  「はぁあ?そうやって俺らになすりつけんのも大概にしろよ。いいよなーてめぇは本社でパソコンいじってるだけで。どうせエロ動画でも見てんだろ?」

  「は?殺す。お前マジで殺す」

  「あ、ごめん画像派だった?」

  ヒートアップしていく口喧嘩に、これ今のうちに抜け出してもバレないんじゃないかなと思い、音を立てず沈んだソファから腰を上げてみる。こそドロのように抜け出そうとしたが、気配を察したのか竜胆に腕を力強く掴まれた。

  「ほら見ろよこのルリの顔。めちゃかわい、じゃなかった。とんでもねぇくらい泣きそうじゃん」

  「いや別に泣きそうでは、」

  ギリリ、と腕に加わる圧力が増す。

  「え、えーん」

  とりあえず棒読みで泣き真似をしたら、蘭も「何うちの子泣かしてんだよ!」とヤカラぽく続け様に放った。

  「茶番はやめろ。時間がねぇつってんだろ」

  不機嫌な顔をした九井の貧乏ゆすりがさらにヒートアップした。強制的に乗らされた悪ノリなのに、友人が騒いでたからまとめて先生に怒られた生徒のような顔をしてソファに座り直す。

  ちなみにルリは繰り広げれている会話の内容をいまだに知らないでいた。知らないでいるからこそ、ちろちろココアを飲む余裕もあるし、むちむちマシュマロを頬張る余裕もある。

  けれど遠くから徐々に近づいてくる乱暴な足元で、その余裕は無残にも崩れ去ったのだ。

  「ゲッ。サンズ」

  「そりゃこっちのセリフだ。なんでテメェがここにいんだよ。ドブ臭くなんだろ。しっしっ!」

  わざとらしく鼻を摘み追い払う仕草をした彼に、ルリも負けじと短い舌をだしあっかんべする。

  ようやくきたか、と呟いた九井が真剣な顔でルリと向き合った。あまりにも真面目な雰囲気のため、彼女も背筋を精一杯伸ばし向き合う。

  天井から降り注ぐ光が、九井の顔に石膏像みたいな几帳面な影を落とした。その様子は神の啓示を言付かった神父のようだ。

  「ルリ、俺はお前のことが決して嫌いではない。今から伝えることはそれを前提に聞いてくれ。三途。お前のことはシンプルに嫌いだが、大人しく最後まで聞け」

  「一言余計だわ」

  ゴクリ。固唾を飲み、緊張でつま先を丸めた。

  一方で三途は壁にもたれかかったまま間抜けなあくびをしている。

  「うちと仲良くなってくれないかなーと思ってる事務所がある」

  園児に言い聞かせる言葉遣いに蘭と竜胆はブッと吹き出す。三途も砂糖を丸呑みして吐き出そうとする顔をした。自分が園児扱いされてるとも知らずルリはふむふむ真面目に頷き、そうなのと返事をする。

  「けれどこの前あのバカ2人が、その事務所の偉い人の機嫌を損ねちまったんだ」

  「いやあの女好きたぬきジジイの要求全部聞いてらんねぇよ」

  「竜胆。一回黙れ」

  「それは仲直りしないとだね」

  「そうだ。仲直りしないとだ。で、そのジジ、んん"…その偉い人のとこに今日仲直りと前回の話の続きをするんだが、灰谷達はこの後別件で大事なお仕事がある」

  九井ってば嫌な仕事ばっか押し付けてくんのと蘭はゆるゆる首を振ってみせた。

  「じゃあココのお手伝いする」

  「大変ありがたいんだが、それは明日でいい。実は偉い人がお前に会いたいそうだ」

  「わたしに…?」

  互いに会ったこともないのになぜ。その表情がまるきり出ている彼女の両肩を掴む九井は、今から懺悔をする罪人の顔をしている。

  「正確に言えば、お前にってより白猫の獣人をご所望なんだ」

  「え」

  「てめぇまさか、」

  嫌な予感を察することに長けた三途は何かに気付き、信じらんねぇと眉を歪めた。

  「難しいことは考えなくていい。ただお前はにこにこ笑って偉い人の機嫌を取ればいい。ほんとに、ほんっとーに不愉快で不甲斐ないがいないよりマシな三途もいるから安心しろ」

  「え、え。サン、えっ?」

  何も安心できないし、ニコニコしているだけで機嫌なんて取れるものだろうか。きっとみんなより巨大で怖い人ばかりのところに今から駆り出されるというのか。というか到着する前に三途にいじめられて海に放り投げられるんじゃないかと、ぐるぐる嫌なことばかり頭をかき乱す。

  止まらない汗を流しながら、あたりを見回すと灰谷達は自身の子どもを生活のためやむを得ず遊郭に売る疲れ切った夫婦の面をしている。相手側との交渉を何度も破談にしようとしたが、ついぞ出来なかったのだろう。

  何故なら今回の案件はボス命令であり、一度彼らは失敗している。次はないぞと良くて命、悪くて麻酔なしでの四肢切断が待ち受けていた。

  九井も本日中にと言われ、急な要求に替わりとなる獣人を探したが、白猫の獣人はそもそも圧倒的に数が少なく、貴重な容姿のためいたとしてもほとんど芸能界で籍を置くものしかいない。

  事情を隠して金を積んで接待させようにも、あの界隈に協力を得るのは厄介極まりない。ガードが多すぎるのだ。

  「ふっざけんな九井!!んな奴連れてくんなら俺単独で事足りるわ!こいつにご機嫌取りなんて務まるわけねぇだろ」

  「これはボスからの決定事項だ。たぬきジジイが無理難題押し付けてうちを消そうとしているのを分かっている上でだ。そんで梵天には都合よく白猫の獣人がいる。俺だって…」

  行かせたくない。消えいりそうな声が広い空間に溶けていった。気まずそうに足を組み直す誰かのスーツが擦れる音だけ無駄に大きく聞こえる。

  「行く。初めてのお仕事だしわたしに出来るなら頑張る」

  そう言った彼女の手を震えていた。

  「ルリ…」

  「女には酷だって三途と同行は」

  どうしても行かせたくないのか灰谷達は九井に情で訴えかける。

  「ココ、たぬきジジイさんにお願いして欲しいことがあるの。いい?」

  「ああ、言ってみろ」

  「内臓とるとき痛くないように麻酔ちゃんとしてって言って欲しい」

  「……は?」

  男達の抜けた声が重なる。

  ルリは両手を落ち着かない様子で擦り合わせ、あせあせしながら話を続けた。

  「だって痛いの嫌だもん。取った後はちゃんと痛み止めも出して欲しい。あと耳と尻尾だけ取られるのはヤ。お母さんとのお揃いだから。それと動けない間の菓子折りは豪華なやつがいい」

  「は、いや、ちょっと待て。勘違いしてるみたいだが別に内臓は取られねぇよ」

  「…えっ?あ、そ、そなの?内臓取られないの?」

  今度はルリが抜けた声を出した。

  どうやら言葉通りニコニコ座って機嫌を取るだけで珍しいもの好きな相手は満足するらしい。か、勘違いしちゃった、と頬を赤らめてれてれもじもじする。

  「よかた。内臓取られないならよかた」

  先程とは一転し、照れ隠しなのか毛先をいじり忙しなく耳を動かす彼女を見て三途はやっぱこいつアホだと確信した。

  ▽

  「はーぁ。チッ」

  本日何度目かわからないほど、ため息と舌打ちを吐かれる。

  座り心地のいい高級車の後部座席から、不機嫌そうなピンクの頭を意外とツヤツヤだななんてぼうっと眺めた。あれから偉い人ことたぬきジジイのいる会社に向かっているのだが、運転席の三途は一言も発することなくずっとこの調子だ。

  運転も荒立っていて、信号が止まるたびに繰り出させる急ブレーキにルリは毎度体が前面に傾く。

  ま、彼はいつもこんな調子だろうし初見ほど脅威ではなくなったので、お出かけだからと蘭たちに着飾られた自分を窓ガラス越しにまじまじ見る。

  九井が用意したシンプルだが上質なネイビーのパフスリーズの膝丈ワンピースは、蘭が編んでくれた三つ編みヘアと中和し、いいとこのお嬢様のような仕上がりになっている。

  施設ではこんな可愛いお洋服なんて着たことがなかったから口角が自然と上がり、まるこいストラップシューズのつま先を上下に動かす。

  「ふふ」

  「何笑ってんだ気色わりぃな」

  「サンズちゃんと前見ないと危ないよ」

  「俺に指図すんな。放り投げるぞドブ猫」

  ルームミラー越しに中指を立てられたが、彼なりのコミュニケーションの取り方だろうから生暖かい目で返してやった。母体から生まれ落ちた瞬間、産声ではなく暴言を叫ぶ男であり、世間一般で言うチクチク言葉なんて彼からしたらクッション言葉なのでこれがデフォなのである。

  見送りの際、ブランド物のハンカチで目を押さえて泣く灰谷兄弟たちにはサンズと一緒でも大丈夫だよと伝えたが、適応能力が高い彼女からしたらそれは安心させるためではなく本当に大丈夫だったからだ。

  口では殺すぞ殴るぞなど言うが今のところ五体満足なので、大丈夫だろう。

  オフィス街をしばらく抜けた後に、閑静な住宅街に入った。隣り合う住宅の間隔が広く、豪邸が立ち並んでる。物珍しさに窓に張り付いて目に焼き付けていると、車は一際奥まったところにある日本家屋の前で止まった。

  黒服の獰猛なツラをした男たちが2人門の前で棒のように立っており、三途はまた一つため息を吐いた。

  「降りろ」

  それだけ言い放ち男たちに向かう彼の背を慌てて追いかける。

  一言二言彼らと会話を終えたらしく、重厚な木製の門が開き、開けっぴろげになった広大な景色に感嘆の息を漏らした。

  整然とした日本庭園には雪をかぶった寒椿が顔を覗かせ、遠くから獅子威のカポーンという竹の音が耳を通り過ぎていく。

  これがジャパニーズ和。初めてみる石庭や木製の豪邸に興奮し、サンズの背にぴっとりくっつきながらキョロキョロ首を動かす。

  「うぶっ」

  急に立ち止まった彼に気付かず固い背中にぶつかる。また舌打ちが飛んでくると思いきや、三途は勢いをつけ90度にお礼をし始めた。

  何事かと自分の背丈より下になった彼の横に移動すると、黒服を後ろに3人ほど控えさせた鼠色の羽織着物姿のふくよかな男がやってくる。

  薄い白髪の髪を左右に撫で付け、整えた髭と細く下がった目がなんとなく嫌な印象を与えるような歳のとった男だ。

  この方がお偉いさんかなと思い立ちすくんでいると、三途に左手で頭を押さえつけられた。頭を下げろと言い事だろう。大人しく彼と同じく90度のお礼をして砂利を引き摺りながら近付いてくる男を迎える。

  「いやぁ前回は散々だったよ。お宅のはい…灰沼だったか?」

  「灰谷です。組長」

  「そうそう、灰谷だ。そやつらのせいでうちは贔屓にしていたお得意様がひとつ消えたよ。全く若い奴らが遊び半分で作った組織なんてろくなもんがないなぁ」

  頭上から粘度のたかい酒焼けた声が降る。

  「…その節はうちの部下が大変ご迷惑をおかけしました。不躾かと存じますが今回はそのお詫びをと思い、伺いました。また、ご所望の白猫も共に連れて参りましたのでご確認ください」

  三途はいつものように怒鳴る事なく淡々と謝罪の言葉を並べた。相手がこちら側の頭しか見えてないのをいいことに、顔には大層青筋を立てているが、仕事はできる人間なのだろう。ボスや梵天の顔を背負ってるので分厚い外向けの態度をこさえている。

  「まぁそう堅苦しくせずに。もう過ぎたことなんだし私もそこまで粘着質ではない。顔をあげなさい」

  意外と優しいのかななんて思いながらおずおず顔を上げる。

  「寒かっただろう。若い衆のやつらに用意をさせてるから中に入って茶でも飲もう。お嬢ちゃんはジュースとかの方がいいかな?」

  「はっ、はい!あいえ、お茶で大丈夫、です!」

  話しかけられるとは思わず、声が裏返ったがその様子にお偉いさんは笑いながら屋敷の中へと誘導してくれた。

  ルリはゆるゆる尻尾を揺らしながら案内されるまま彼と共に足を踏み入れる。

  横で苦虫を踏み潰した顔をしている三途に気づかないまま。

  [newpage]

  高級旅館のような内装に驚きながら、大広間に通される。そこでは水墨画の掛け軸や大層高そうな壺が飾られており、右手には先程の日本庭園が銀雪に染められていた。

  正座で足が痺れているが、九井に言われた通りニコニコ笑顔を絶やさず茶を啜るお偉いさんこと若槻と向かい合う。

  「それにしてもそちらさんの審美眼には驚きましたな。こんな可愛らしい双眼の白猫を見つけるなんて。てっきり他の種類に色粉でもつけて誤魔化すんじゃあないかと」

  顎をさすりながらこちらを値踏みするねっとりした視線に、反射で拳に力が入る。人としてより、モノとして見る目だ。正直いい気分にはならない。

  それでも言いつけ通り、若干痙攣してきているが口の端を吊り上げる。

  「へ、へへ…ありがとうございます…」

  「うーん、声も実に可愛らしい。お嬢ちゃん何歳?」

  「今年で17です」

  「ほお!高校生か。どうだい、学校は楽しいかい」

  「学校は、っい"!」

  行ってないと言おうとした瞬間、三途に太ももを思いっきりつねられた。机の下で見えないのをいいことになんてことを、とルリは怒りのこもった顔をしたもののすぐさま笑顔を貼り付ける。

  「お友達も多く、とっても楽しいです〜」

  いるはずもない友達との思い出を自身で言って虚しくなるが、回答に満足した彼は優雅にお茶を口に運んだ。どうやらこれで良かったらしい。

  仕返しにとしっぽでバシバシ叩こうかと思ったが、そのままもぎられそうなので大人しく正座した足に巻き付けておく。

  「カタギの子どもで双眼の白猫ねぇ。よく見つけられたね」

  「お褒めいただきありがとうございます」

  「この子ってまだノーマーク?」

  「ええ。親もいない孤児のため扱いやすいかと」

  瞬きすることなく、三途は長いまつ毛越しに彼の次にくる言葉を待っている。おそらく放たれる言葉を知っているのか、異様に落ち着いていた。

  均衡な曲線を描く整った顔は、喋らなければ芍薬の美貌である。若槻はふむ、と2人を見て頷いた後シワのよったまなじりをさげた。

  「前回の件、引受けようじゃないか。うちは本家だ。君たち新参者では得られない太いパイプを持っている。そこらじゅうにね。裏切らない限り悪いようにはならない。ただしこれは取引だ」

  若槻の言葉に三途は片眉を上げた。

  「ご条件は?」

  「話が早くて助かるなぁ。うちからの条件は一つ。その子を貰えないかな」

  提案しているようで、こちらに否を言わせない圧力を感じる。そこには先程まで温厚に話していた中年の男ではなく、古くから暴力で人の上に立ってきたヤクザのトップの男の姿があった。

  言いようのない胸のざわつきに、ルリは白い耳を伏せて、三途を見上げる。

  嫌だ。こんな人のところに置いてかないで。捨てないで、お願い独りにしないで。

  口にはしないが、不安で瞳を揺らす。彼は一切こちらに見向きもしなかった。

  静かに睫毛をあげ、それから緩やかに微笑む。

  「もちろん。そのためにわざわざ連れて来た者です。この獣人一人で取引してくれるなら、うちとしても万々歳です」

  「はっはっは!いいね、いいねぇ!では取引成立だ。こんな上等な子を用意してくれたんだ。礼をしたい。今すぐ謝礼金を用意させよう。1、いや3億でどうだね」

  豪快にセピアの和室で笑う若槻と、固い握手を交わす三途を見てルリの瞳は絶望に染まる。

  言葉が喉の奥に詰まってはくはくと口を開けることしか出来なかった。

  怖いが優しいお兄さんたちに拾われて早一週間が経とうとしていた。あっけなく彼女は捨てられたのだ。

  あの時拾われたのも交渉材料として使えると思ってたのかも知れない。

  「それじゃ失礼します」

  鳥肌が立つくらい爽やかな笑顔をした三途が、軽々とアタッシュケースを待ってぴしゃん!と襖を閉めた。

  聞き馴染みのある車の走る音が遠のいていくまで、彼女は目を点にして呆然と立ち尽くすしかなかった。

  「………え。」

  ▽

  「うまうま」

  「いい食べっぷりだねぇ!馳走をこさえた甲斐があるよ」

  あれから日が傾き、霞月がぼんやりと顔を出している。ついぞ夜になっても迎えが来てくれることはなかった。ルリはしばらく畳の隅で不貞腐れていたが、気を利かせた若槻が一緒にどうだ、と晩ご飯に誘い出してくれた。宝石のような小鉢に入った懐石料理に、単純でご飯に目がないルリは三途に置いてかれたことをすぐさま忘れ、次々に出される高級料理に頬を溶かしている。

  もはや自分はこの家の子なのだ。堂々とした顔で柔らかい黒毛和牛を堪能する。

  「組長。この黄色いの何?」

  「ウニだよ」

  「んに」

  「ふふ、可愛いねぇ」

  若槻は砕けたルリの口調を気にすることなく、デレデレにやにや彼女がリスのように頬張る姿を眺めている。ヤクザのトップとして散々血も暴力も見てきたし加担してきたが、その仮面も外すとただの若い女好きのジジィである。

  "若槻組の組長が来たらとにかく媚びろ"夜職の女であるなら当たり前に知っている事だ。ラウンジやキャバ、風俗の中でも上等な女を散々見てきた彼は、ルリの無知で純粋で変に媚びない態度を容姿も相まって大層気に入っていた。

  「食べ終わったら風呂に入っておいで。うちのヒノキ風呂は上等だから疲れも癒せるんだ」

  「うん!」

  「お風呂上がりはアイスでも食べるかい?」

  「食べる!」

  「なんでも好きなのを選ぶといい。ゆっくり浸かっといで」

  「組長優しい。神」

  「はっは!神かぁ。初めて言われたな〜」

  彼女の記憶から完全に三途が抹消された頃には、若槻の機嫌は最高潮に達しており、度数の高そうな一升瓶は何本も空になっていた。

  「組長。お風呂ありがとう。ぽかぽかになった」

  初めての柚子湯をたっぷり堪能した彼女は、湯上りの状態で縁側で酒を煽っていた彼に声をかける。いつも蘭か竜胆が親鳥のように乾かしてくれている長い黒髪の先は、自分ではうまく乾かせなかったためしっとりと濡れて風情を含んでいた。そんな彼女の姿を見た若槻は、細い目をさらに薄くする。

  「いいや、礼を言いたいのはむしろこちらだよ。うちでの生活を楽しんでくれて何よりだ。そうだ、アイスまだ食べてないよね。ここでは冷えるから部屋で食べよう」

  「わかった。お部屋で食べる」

  誘導されるままに冷たい廊下を歩く。障子越しに見る庭園はすっかり暗くなっており、石燈籠だけが暖色の光を控えめに放っていた。

  「ここがルリちゃんのお部屋だよ。お布団ももう用意してあるから」

  雪見障子を開けた先の光景に、ルリは首をかしげる。布団が隙間なく二つ並んで敷いてあったからだ。

  「組長。なんで、っきゃ!」

  疑問を問おうと振り返った瞬間、力強く押し倒された。敷布団がクッション代わりになったので幸いどこも痛くはなかったが、突然のことに体が硬直する。

  目の前の男は獣のように呼吸を荒げ、興奮で瞳孔が開いていた。

  「はぁ〜〜〜……可愛い。可愛いねぇ」

  首筋に顔を埋められ、酒臭く生暖かい息を吐き出してから深呼吸される。彼の油ぎったべとりとした肌が不快極まりなく、ルリは下敷きになった自身の体をもがいてなんとか抜け出そうとする。

  「ぃやっ、やだ!誰かっ」

  巨体の男と、か弱く線の細い女の力の差は圧倒的で、ぴくりとも抜け出せることはできない。

  実をいうと、ルリは今まで収容所でも性的な目で見られることは多かった。疎い本人はそれをただ嫌な目だと感じていたが、しかし今回のように実行されることはなかったので恐ろしくイヤらしい考えを持った目だと気付かないでいた。

  どうしようもない恐怖に彼女は生理的な涙を流す。

  やっぱり最初この男と会った時の勘は正しかった。もっと自分が警戒してればよかった。鬱陶しがられても三途に引っ付いて連れて帰って貰えればよかった。なんて馬鹿な女なの、と後悔は止めどなく溢れてくる。

  蛇のように這う乾燥した手が、ルリの白く柔い肌をするする撫でる。

  その度に鳥肌が立ち、末端が血の気を失い震える。まともに呼吸できないながらも、どうにかしてこの状況から逃げ出さないと。頭をフル回転させ、一つの打開策を閃く。

  ルリは対抗をやめ、大人しく身を任せる。若槻はこれを肯定と受け取り、彼女の両腕の拘束を緩めた。

  今だ!

  長く変形させた鋭い爪で渾身の力を込め、若槻の顔を引っ掻く。

  「い"っっっ!!」

  彼が顔を抑えた隙に体を滑らせ、障子へと向かい

  手をかける。

  「っおい!待ちなさい!!」

  が、すかさず彼女の尻尾を引っ張りそれによって後ろに頭から転倒した。完全に頭に血がのぼり、真っ赤になった顔でルリの上にもう一度覆いかぶさる。

  「いい子にね。いい子にしてね。暴れられるのは好きじゃないからさ。大人しくしてれば気持ち良くなってくるから、ね?」

  苛立ちで矢継ぎ早に放つ彼が、ルリの乱れた浴衣帯に手をかける。ガッと足を掴まれ彼の太い身体が間に入ってきたと思ったら障子から遠ざけられ、また布団の上に戻される。

  チャンスを逃してしまった。彼の血がこびりついた爪ももう使い物にならない。

  …がしかし彼女は諦めなかった。

  「こんっの!!たぬきジジィ!」

  渾身の力をつま先に込め、男の急所を蹴った。

  「ぁ"ッーーー?!、!」

  若槻は口の端から泡を出し、声にならない声を上げた。怯んだ隙に、も一度すり抜け今度こそ障子を開ける。勢いよく音を立て廊下へと逃げ出そうとするが、目の前の壁にぶつかり尻餅をついた。

  否、壁ではない。このフローラルと独特の薬品みたいな匂いがするのは…。

  「サンズ!!」

  「よぉ〜♡随分楽しそうなことしてるじゃねーか」

  ニタリと悪意をたっぷり含んだ笑顔の彼の手には日本刀が握られている。刃先には血が滴っており、彼がきたであろう方向に血痕が続いていた。

  ルリは顎にシワをよせ涙をボロボロ流しながら「おそい!」とぽかぽか硬い胸板を叩く。

  「そこは迎えに来てありがとうございます三途様だろうが」

  「う"う〜遅いいい〜」

  「お前ほんと図々しいな」

  びぃえええと赤子のように泣きながら、ルリはセミみたいに三途に引っ付いた。彼は鬱陶しそうに片手で彼女をベリっと引き剥がし、自身の後ろに放り投げる。

  「おま、お前どうしてここに!?何勝手に敷居を跨いでるんだ!出てけ!!」

  股間を抑えながら若槻は三途を見上げる。唾を飛ばしながら叫ぶ彼を、三途はウジを見るような目で見下ろす。そのあまりにも憎悪に満ちた顔に、若槻は「ヒッ」と情けない声を出す。

  「てめぇには恥っていう感覚がないんだろうなァ。天下の若槻組、それっていつの話だ?今は平成だっつーの。古いしきたりやパイプなんか腐ってくんだよ。分かるか?」

  脂汗をかきながら壁際で震える若槻に、三途は刀を引き摺りながらゆらゆら歩く。

  「あぐらなんてかかずにちゃんとお勤めしてればよかったのになぁ?全くてめぇの代まで組守ってきたやつらが不憫すぎるわ。こんなガキにも発情するようなメス好きでよぉ」

  洗練された所作で刀を振り上げる。彼の姿と顔は逆光になっていて、刀だけが艶かしく輝いている。

  「それ!」

  ヒュンっと刀身が風を切った。しかしそれは若槻の身体を貫くことはなく、ただ静かに彼の足元に振り落とされた。一瞬の時差の後、若槻の頬に血が流れる。

  なんだ、助かったのか。彼は安堵の表情を浮かべ三途の機嫌を取るように猫撫で声で話しかける。

  「あ、あの子を取り戻したいのなら好きにするがいい!あまり遊び甲斐がなくてね。発育だけはいいみたいだけど、暴れん馬すぎて面倒見きれないよ。困ったもんだ…」

  「アハ、猫の獣人に暴れ馬って。おっさんおもしれーな!ハハハ」

  「は、はは。ははは…」

  「何笑ってんだよ。死ね」

  耳をつんざく銃声が和室にこだました。いつのまにか取り出した拳銃が三途の角ばった白い手に握られている。日本刀はあくまで脅し用だったのだ。

  まぁここに来るまで何人かは実際に刀の犠牲となったのだが。

  「えっ、たぬ、たぬきジジィ、死んだ…?」

  「あぁ。今頃地獄で女の乳でもしゃぶってるだろうな。俺ってばなんて優しいんだ」

  「怖ッ…」

  信じられない。そう呟きながら、あー疲れたと肩と首をぐるぐる回す三途を眺める。

  ルリは人が死ぬのを初めて見た。散々脅威に感じた男は、脳天に一発決められ悲鳴をあげる暇もなくあっけなく死んだ。畳に赤い血が染み渡っていき、眼球は灰暗く濁ってきている。なんとなくその目がぎょろっとこちらを見そうで怖くなり、三途の背広を掴む。

  「シワになるだろうが。離せ」

  「ムリ。祟られそう。怖い」

  「はぁー?お前その歳でお化けなんか信じてんのかー?ガキくせ!んなもんより人間の方がよっぽどこえーわ」

  たしかにお化けより、目の前の三途の方が怖いかもしれない。ルリが来る数年前に、梵天備品室幽霊騒ぎ事件が起きた。その時三途は己の拳だけで除霊したのだ。びっくりするほどユートピアなど、霊の想像をはるかに超える規格外な除霊方法ほど有効なものはない。

  よーし帰るかーと、返り血がついたスーツを腕にひっかけ髪をかき上げた。本当に黙っていれば絵になる男である。

  「見つからないように裏から行かなくていいの?」

  「必要ねぇよ。ほら見ろ」

  くいっと顎で示された方向を見ると、床には息耐えた男たちがゴロゴロ伏せていた。

  傷を見るに刃物で切られたようだ。それに確実に急所を狙われている。

  長い脚でステップを踏むように死体を避ける三途を凝視する。彼一人で十数人の組員を殺害したのだ。幸か不幸か離れにいた若槻とルリは阿鼻叫喚な地獄を耳にすることも目の当たりにすることもなかった。

  「う"」

  むせかえる血の匂いに嗚咽しそうになり口元を抑える。その様子を見た三途が大層めんどくさそうにため息をつきながら引き返してきた。

  「俺らは普段からこういう仕事してんだ。うちに拾われたからにはお前も慣れろ。いちいち吐かれちゃ迷惑なんだよ」

  「まだ吐いてないもん…」

  「おーおー、えらいこった」

  ルリの薄いお腹に三途が自分の肩を差し入れた。いわゆる俵担ぎである。彼にはロマンもクソもないので、利き手がいつでも動かせて移動が楽なこれを選んだのだが、ルリからしてみれば胃が圧迫され吐き気に拍車がかかる体勢だった。

  けれども彼のスーツを汚せば日本刀で即座にミンチにされることが容易に浮かんだので、必死で昨日蘭たちと観たにほんごであそぼを頭の中で再生する。

  ひらがなが陽気に動くのを何度か想像していたら、門前に停まっていた高級車に押し込められる。

  最初と違うのは、肌触りのいいブランケットが用意されてあり、眠気と倦怠感が一気に襲ってきているルリは遠慮なくむんずと掴んでくるまった。

  会社に着くまで互いに無言だったが、来た時よりも心地良さがあり、重たくなるまぶたに身を任せ彼女は静かに意識を落とした。

  ▽

  翌朝、ルリは喉の渇きを感じぱっちりと目を覚ました。見慣れない室内と浴衣のままの自分に疑問を感じて辺りを見回すと、隣では濃い隈をこさえた竜胆が椅子に座ったまま腕を組んで寝息を立てていた。

  シャツとスラックスだけというラフな格好をしており、どうやら彼女が起きているのに気付いていない。

  「リンドーおはよ」

  「…」

  一声かけてみるも反応はなし。

  「リンドー」

  「いたっ、おいルリ尻尾で叩くな…」

  整った寝顔がむにゃむにゃ眉を顰めた。どうやら寝言らしい。申し訳ないことに夢の中の私はバシバシ尻尾で彼を叩いてるみたいだ。

  そっとしておくかと思い、ベッドから起き上がりドアへと向かう。

  が、体が進まないと思い腕を引っ張られた方向を見ると、先ほどまで寝ていた彼が垂れ目がちな目を大きく開いてこちらを見ていた。親に置いてかれる子供が縋るような目だった。

  「あ、おはよ」

  「おまっ、怪我は?ジジィに何かされたか?」

  「怪我はないよ。たぬきジジィには特に。…あ、」

  「あって何?!やっぱなんかされた?!!おい何されたんだ!」

  「いや、布団にバーンって押し倒されてなんかもみくちゃにされた。でもすぐ急所狙ったからだいじょ」

  「兄貴ーー!早く来て兄貴ー!!ルリが乱暴された!」

  「おいおいおいマジかよ!」

  お嫁に出せなくなっちゃうと騒ぐ竜胆の分厚い胸板にガッチリしがみつかれ処理落ちしていたら勢いよくドアが開けられ、これまた隈をこさえ髪が乱れた蘭がやってきた。そのすぐ後に、シザーハンズ並みにやつれて目が窪んだ九井が焦った様子で駆けつける。

  「竜胆!すぐピル飲ませろ!!九井緊急ピルどこ?!」

  「うちにそんなもん置いてねぇよ!お前の胸ポケ確認しろ!ヤリチンが!!」

  「あ、あったわ」

  「やりー兄ちゃん!」

  パシっと錠剤のシートを受け取った竜胆が「これ何錠?!」「知らねー!とりあえずワンシート飲ませろ!」と蘭たちとてんやわんやしている。冷静なままのルリは無理矢理渡された錠剤を押し戻し、水だけがぶ飲みする。勝手に大事になって、なぜか殴り合いに発展している彼らに向かって大きく息を吸い込んだ。

  「何もされてないから!!」

  パタ、と拳を止めた男たちが一斉に彼女を見る。腹の底から精一杯大声を出したからか、ルリはふうふう肩で息をしている。

  「え、ガチ?ガチでなんもされてない?」

  「うん、ガチ」

  「そか…」

  「心配してくれてありがと」

  「あぁ…」

  ぽりぽり気まずそうに頬をかきながら、各々天井や窓や床に視線を落としている。

  一足先に落ち着きを取り戻した九井が、ベッドの縁に腰をかけた。

  「ボス命令とはいえ、お前が嫌な思いをしたのは事実だ。本当にすまない」

  「サンズが助けに来てくれたから大丈夫。…ココ、教えてほしいことがあるんだけど」

  「なんでも聞いてくれ」

  「たぬきジジィサンズに殺されちゃったから仲直りできてないけどいいの?」

  彼女の心配そうな言葉に九井はそういやそんなこと言ったっけとすっとぼけた顔をした。

  「初めから仲直りするつもりはねぇよ」

  「そーそー。いずれは他の勢力に潰されてた歴史だけが取り柄の組なの。今の代は内輪揉めも多かったし、中から腐ってたしな。この界隈じゃほぼ見放されてたんだよ若槻組は」

  続け様に竜胆が九井の肩に膝を置きながら言う。

  「俺らの今回の目的はあのジジィから金を巻き上げること♡可哀想なことにルリちゃんには囮になってもらったわけ。怖かったよな〜。ごめんな?」

  いつも通り蘭によしよしと頭を撫でられる。彼の手が動くたび袖口からウッディムスクの重くセクシーな香りがフワッと広がり、鼻腔を掠める。慣れ親しんだその香りに、ルリはあぁやっと帰ってこれたんだと、胸を撫で下ろし懐かしい面子を改めて目に焼き付けた。

  「ランちゃん、サンズは?」

  「あいつなら多分仮眠室かそこら辺の床で寝てるんじゃね?なぁに、ルリちゃん。あんなやつ心配してあげてんの?やさしーな」

  「最初は見放されて許さなかったけど、でもちゃんと助けに来てくれたから」

  三途にとっては助けに行ったではなく、回収しに行ったと言うのが正しいが蘭は「お礼いいたい」と息巻いてる彼女に水を刺すことなく優しく見守る。もはやその様子は園児と親子だった。

  あれから簡易的に朝の身支度を終え、念のためにと九井に休養を与えられたルリは三途探しの旅に出た。

  ミーティングルーム、エントランスホール、カーテンの裏、ローテーブルの下、本棚の隙間。

  探せどすぐに見つかりそうなピンク頭は姿を現さない。

  絨毯の下か?と思いめくった矢先、見知ったスラックスと革靴が目の前で止まった。

  「…何してんだ、お前」

  「あ!サンズ!!ちょうど探してたの!」

  「俺は絨毯の下にいるくらい薄っぺらく見えるのか?テメェの目は節穴か?」

  「この前カルピス奢ってくれてありがとう。美味しかった」

  「全然話聞かねぇのな」

  彼は疲れた様子で、ソファにもたれかかり缶コーヒーを一気飲みした。シャツのボタンは三つほど開けられており、雑に腕まくりしていた。蘭たちほど隈はないが明らかにやつれた顔だ。けれどもどことなくワイルドな印象を与えている。

  立ち上がったルリは控えめに彼の隣に座った。

  「あとね、昨日助けに来てくれてありがとう。お陰様で無事に帰還できた」

  「股間に蹴りってエグいこと思いつくな。マジで身近にいて欲しくないタイプの女だわ」

  「へへ」

  「褒めてねぇよ」

  中指の関節で小突かれるが、いつもと比べると全然痛くなかった。じゃれあいに近い力加減だ。

  「マイキーも厄介なやつと組ませやがって。王だから仕方ないけどよ」

  「マイキー?」

  「うちのボスだ」

  眠たくなって来たのか、うつらうつらとしながら三途は長いまつ毛を開閉させ低い声で返答する。

  ヤク切れやヤンチャ兄弟によるストレスが現在のところなく、気が立っていない彼は付き合いが良かった。

  それを察したルリは彼との会話を楽しみ、ここぞとばかり色々と質問をする。

  「マイキーにもそのうち会える?」

  「ばっかお前呼び捨てすんじゃねーよ。マイキー様な。あとボスに会うなんて100年早ぇわ」

  「マイキー様に会うまで修行する。強くなったら会える?」

  「会えるだろうなぁ。それまで俺が稽古つけてやるよ」

  「どんな稽古つけてくれるの」

  「まずは何事も基礎体力が必要だ。これを取ってこい」

  三途は胸ポケットから出したメモにサラサラとペンで何かを記入した。それを引きちぎり、指で挟んでルリに渡す。

  「…?読めない」

  「字習わなかったのか。めでたい頭だな」

  「普通に習ったよ。けどサンズの字があまりにも汚くて読めない」

  「お前マジで友達にもいて欲しくないタイプだわ。どう見てもチーズケーキだろうが」

  「え!ケーキあるの?!」

  「あるある。けどお前の分はねぇ」

  「え」

  糖分を欲していたため輝いた笑顔が一瞬で消えた。彼女の絶望した顔を見た三途はニタニタ意地の悪い笑みを浮かべる。

  「俺が俺のために買って置いたケーキだ。給湯室の冷蔵庫に入れてある。マジックでデカく三途様専用♡って書いてあるから今すぐ取ってこい」

  「ええ…」

  突然の使いっ走り要件にルリはもちろんNOと答えようとした。その瞬間、額に冷たく硬いものが押しつけられる。デジャヴ。前にも似たようなことがあった。そうだ、彼との初対面がまさに今と同じ状況だった。

  「さぁーん、にぃー、」

  「行ってきます!!」

  最後のカウントが出る前に、ルリは脱兎のように風を切って給湯室へと走り出した。

  犬みてぇとダハダハ三途の笑い声がエントランスホールに響く。

  やっぱあの男は苦手だ。けれど、独りぼっちの頃より遥かに彩った日常は案外楽しいものかもしれない。

  ルリは火照った頬を両手で押さえながら、小さく笑った。

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