「…………フゥ」
俺はトイレの鏡の前で、ひとり息をついた。
鏡の中の男も同じ動作、同じ顔。
自分で言うのもなんだが……だいぶコワモテである。
20代の頃は、彫りが深いとか言われたこともあったのだが、アラフォーに差し掛かろうかという今、それも昔の話。
おまけに灰色の獣毛に覆われた顔の中、左の眉上と目の下だけが縦に白くなっていて、完全に刃物傷ですありがとうございました……な、ワケはない。
ないのだが、おかげで「そこらへんのヤクザより怖い」とか「確実に2、3人殺ってる」などの評価をいただく始末である。
実際には30代になってから急になったもので、加齢による抜け毛・ハゲの前兆ではないかと内心穏やかでないのも、俺の表情を険しくするのに十分な材料となっていた。
そしていつの間にか刻まれていた眉間の深いシワ。
「…………」
揉んだところで消えるわけもなく、否応なしにコワモテ感を増大させているそれ。
まるで、これまでの人生で刻まれた俺の在り方そのもののように思えた。
「…………よし」
だがそんなヘコむ要素がいくつも見つかったとしても、目下取り組まなければならない仕事が山ほどある。
年を取ることの数少ない利点は、いくらかの諦め方を学べること、と誰かも言っていた。
そう。結局、俺は俺のやり方でやるしかないのだ。
――そんなコワモテで、新人を三か月経たずに辞めさせた、と人事からイヤミを言われて査定にも響く。
[[rb:堅倉 > かたくら]]ジン。売れないロック歌手か何かみたいな名前のオオカミ種の獣人。
それが俺だ。
[chapter:春①「入社とライヌと歓迎会」]
オフィスに戻ると、ちょうどオリエンテーションも終わったところか、人事課の社員と新人が一緒にいるのが見えた。
人事課の新人担当はタカ種の獣人。確か28才。
こちらを見ると、神経質そうに丸眼鏡のフチをくい、と上げた。
彼が俺を苦手としているのは一目瞭然で、何も言わず一礼して去っていく。
やれやれとは思うがここは切り替えどころである。
肝心の新人君に向き合う。面接の時に顔を合わせているから今日で二回目。
正面に立つと俺より頭一つ分くらい低い背の高さ。やや小柄だ。
「よろしく」
「よろしくお願いします!」
[[rb:若葉屋 > わかばや]]カナト。ヒト種の青年。22歳。
軽く流した黒髪に、パリッとしたスーツ姿が眩しい。
だがそれ以上に若く見えるのは、俺が獣人で彼が人間ということも大いに関係しているだろう。
毛の無い肌はそれだけで若く見える。ヒトの年齢を推測するときは5歳ほど若く見積もれ、なんてのは、獣人間のコミュニケーションテクニックの一つだったりする。
「あの、課長」
「ああ、すまん」
物思いに耽っていた俺は我に返る。
俺にガンつけられたら、そりゃ気まずいだろう。反省。
ついでに眉間のシワ、なくなれ。
「まずは机の上の……そう。それに一日の流れを簡単にまとめてある。目を通してくれ」
「わかりました」
「そっちのクリアボックスには、業務のマニュアル。時間ある時に」
「はい!」
元気のいい返事。大変結構である。
俺は離れの自分の席に座ってメールをチェック。離れと言っても、この第二営業課の席数は3席のみ。目の前の向かい合わせの2席の内、ひとつが新人君用だ。
もう片方は三か月経たず辞めてしまった女の子が使っていた机。
その子とほとんどコミュニケーションできなかったことを大いに反省しつつ、今度は定着してくれればいいのだが、と考えずにいられない。
と、不意にこちらを向く彼とばっちり目が合った。まっすぐな視線に戸惑う。
「書類、メモしてもいいですか?」
「ん……、好きに書き込んでくれ。ふせんとかは、確か引き出しに」
「ありました!」
お宝でも見つけたみたいに掲げている。若さだ。
「これ、課長が全部作ったんですか?」
「そうだが……、何かわからないところあったか?」
「はい、好きです!」
「ンッフ!?」
鼻水が出た。
「な、なに?」
「あっ、間違えました! 好きです!」
「訂正してなくないか!?」
混乱する俺。新人君もやけに慌てている。
「ちがっ、そんなつもりじゃ……これはそう、その……。先生のことお母さんって呼んじゃうようなあれですー!!」
「わかったから! 間違えたんなら別にいい、声でかい!」
[[rb:諫 > いさ]]めつつ、感じるのは周囲からの視線。
ただでさえ、新人を怖がらせていないか警戒されているというのに。
視線を手元の仕事に戻すものの、俺の思考はまだ落ち着かない。
今、「好き」って言ったのか?
わからん。確かに最近の若者はなんでも「好き」やら「かわいい」やら言うものだが。
……「最近の若者」なんて単語、自分で使うとは思わなかった。眉間のシワがまた深くなってしまう。
「全部、昨日の日付が入ってるので。昨日作ったのかなって」
「ああ……まあ、そうだな」
話は続いていたらしい。
今年度は始まりから色々なゴタゴタが重なって、落ち着いて用意ができなかったのだ。本当はもっと早く仕上げたかったのだが。
「課長って、一人で仕事回してたんですよね?」
「面接の時も言ったが、今の営業二課はそうだ。君が入ってくれたが」
「なのにこんなにマニュアル、すごいですね」
「……すごくない。普通だ」
俺は、今度は意図してぐいと眉を寄せた。
それは部下のための仕事で、俺は上司なんだから、当り前じゃないか。
だが新人君、やはり臆した様子もなくにっと口の端を上げて、また書類に目を戻した。
……最近の若いやつは、だいぶ変わってる。
けれど、不思議と悪い気はしなかった。今のところ物怖じしないでいてくれるのもありがたい。
――俺は、俺のやり方でやるしかないのだ。
それでも。そう決意したはずなのに。
胸のどこかがなぜか、落ち着かなかった。
◆◆◆
昼時。俺は一人で机に向かっていた。
第二営業課は第一営業課とオフィスを共有していて、そんなに広くないフロアの三分の一ほどを与えられている。
こじんまりしているが、必要なものにすぐ手が届く広さと表現したい。
首を横に向ければすぐ大きな窓で、自然光が広く取り入れられているのもいい。疲れた時に俺は外を眺めてよく目を休めている。
窓の向こうは一面の田園風景が広がっていて、実にのどかだ。
ここは都心から小一時間ほどのアクセスだが結構な田舎……とは、むしろ地元民である他社員の評である。
他のメンバーが昼食に出ているからオフィス内も静か。電話も鳴らず平和な時間。
「戻りましたー!」
「ん……」
と、新人君が一人で戻ってきた。
まだ昼休み終わりには早い。何人かと一緒に昼食に出ていたはずだが。
女性が多いから先に戻ってきたのかもしれない。
「課長、お昼は?」
「いつも外回りついでに取ってる」
昔は自炊もしていたのだが、今の仕事になってからは食べない時も多くなった。
腹は減るが我慢できる。それに腹周りの肉もつかなくて済む。重要だ。
新人君は、俺が言葉を継がないと見ると席について携帯を取り出した。
いかん。コミュニケーションだ。俺は口を開いた。
「何、食べたんだ」
少し驚いたような表情で顔を上げて――が、彼はすぐに笑顔になった。
「おダシたっぷりのふわとろ親子丼です」
「へえ」
「親子丼好きですか?」
「まあ」
「じゃあ今度行きましょう!」
「ああ」
……俺の返答能力の低さよ。
いや別に、食べることが嫌いというわけではない。
ただこの周辺、飲食店は駅前に密集していて、しかもチェーン店の居酒屋ばかり。安いのはいいが昼時の混雑たるや。
どうにも人混みが苦手すぎる俺は、転職してきてすぐに外食をあきらめてしまった。
そんなわけもあり、店も知らないから、おそらく連れていく機会はないかもしれず、気のない返事しかできなかったのだ。
「……もう少ししたら、外出するから」
結局、振れると言ったら仕事の話くらい。引き出しの無さも痛感する。
うなずく新人君に携帯を振って見せ、
「もし俺がいないときに何かあったらすぐ連絡してくれ。電話か、ショートメッセージ。携帯の番号、登録したよな?」
「はい。――メッセージ、ライヌじゃダメですか?」
ライヌ。使ったことのない俺でも知っている、ライオンでもイヌでもない変なマスコットが有名なメッセージアプリである。
「いれてないんだ」
事実だった。会社の用事くらいなら、通常の電話機能で事足りる。
「便利ですよ、ライヌ」
「仕事で使ってたのか。前の」
「はい」
「セキュリティとか心配じゃないか、ああいうの」
「そうですかねー」
新人君はあまりピンと来ない様子で、
「まあホントに不利益とか出たら、訴えて賠償金ですよ」
「恐ろしいこと言うな」
冗談とわかっても笑ってしまった。そういうことも言うのだ、こいつ。
「簡単だし、便利ですよ。ほら」
携帯の画面がこちらに向けられる。相手は友達だろうか、いくつかのメッセージと、食べ物の写真が見えた。おそらく昼の親子丼。
「若い奴って、どうしてすぐメシの写真を撮るんだ」
まるっきりオジサンの発言だったが、結構疑問に思っていたことなのでつい訊いてしまう。
「んー、友達に送ったりするのに一番無難だからじゃないですか?」
「無難?」
「『どこで食べたの』とか聞けば話続くし、興味なかったら『おいしそー』とか言っとけばいいんで。会話のフックが多いのって、かなり丸い選択肢だと思います」
「そもそも必要なのか、それ」
「今って、SNSとかでいつでも繋がってるじゃないですか。発信しないと逆に、それだけでマイナスになったりするのでー。ゆるく繋がっておく生存戦略? みたいな?」
「……そんなこと考えてるのか」
やはり理解はできない……が、理屈はわかった。なにより、俺はその分析と説明力に舌を巻いていた。彼らには彼らなりの考えがあるのだ。
「えへ。あっ、でもでも、もちろん美味しいのが好きとか、写真がキレイに撮れたら嬉しいってのが一番にあるからですよ。好きが大事です!」
「ふうん」
また「好き」か。それを簡単に表に出すのも、現代っ子の生存戦略なのかもしれない。
俺は掲げられたままの画面を改めて見る。
新人君がタップして写真を大きくしてくれた。気が利く。
漆風の器にたっぷり盛られた金色の卵とじ。お麩とワカメの吸い物に、数種の漬物まで。居酒屋ランチもバカにしたものではない。
「親子丼」
「おダシたっぷりのふわとろ親子丼です」
「同じだろ。……けど、うまそうだ」
「でしょー、えへへ」
屈託のない笑顔。
それにつられたのか、俺は、ぽろっとこぼしていた。
「和食、好きなんだ」
「え、そうなんですか。似合う!」
「そうか?」
「洋食も似合いますけど!」
「……なんでもいいんじゃないか。東北出身なんだ」
「へえー。じゃあ、お米おいしいですね。お蕎麦とかも?」
「蕎麦、いいな」
美味い米、蕎麦。久しく食べてない。急に恋しくなった。
と、新人君、椅子のキャスターをきゅりきゅり言わせながら俺の机の前までやって来た。
「ではでは、今から課長がライヌ使いたくなるプレゼンします」
「……なに?」
えへん、と咳払い一つ。そして始まる謎プレゼン。
「ライヌの利点は、やっぱり画像送るのが楽なことですね。さっきのは友達ですけど、仕事なら書類の写真撮って送ったりしてました。電話で説明するより正確です」
「んん……」
「あとショートメッセージだと文字制限もありますし」
「そうなんだが……」
「キャリア違うと表示も違ったりするし、共通アプリのほうが逆に面倒がないです」
「電話で……」
「電話出るのめんどくさー、ってとき、ありませんか?」
……ある。
「出たはいいものの、適当な相づちで会話終わらせたいとか」
…………ありすぎる。
「それで気が乗らない返事してたら『なんか怒ってる?』って言われたりとか」
………………完敗だ。
ムウ、と俺が唸って腕を組むと、新人君はまたえへっと笑った。
「ちょっと使ってもいいかもって思いました?」
「…………」
俺の仏頂面には磨きがかかっていたに違いない。
内心を見透かされていささか悔しかったのもある。それでも素直に話を聞く気になっていたのは、目の前の若者の思考力を目の当たりにしていたからか。
「しかも今なら部下がアプリ入れてくれるサービス付きです!」
「君だろう、それ」
「なんと無料デス」
「金取る選択肢あったのか」
俺はいい加減呆れて笑ってしまう。
散々おっさんらしい頭の固さを見せてしまっているのだから、もう頼ることにする。した。
自分の携帯を取り出して、差し出す。
「……いれて」
「いぇい」
ブイサインして受け取る新人君。
他人の携帯を操作するのに躊躇ないのも、現代っ子らしい。
「あっ課長、ロック画面パスワードかけてない」
「面倒じゃないか」
「そっちのセキュリティ意識は~?」
そんな会話をしながら、手際よくアプリがダウンロードされていく。
一応見ていたが、危なげもないし、変なこともしないだろうことはよくわかっていた。賢いし……何より、いい子だ。
「アプリ、電話帳と同期しますか」
「どうなるんだ」
「携帯に登録されてる人が、自動で友達に追加されますね」
「……いや、待ってくれ」
ライヌは以前も他から勧められたことがあったのだが、さっきのような調子で断ったのだ。今更と言われそうだし。やや気まずい。
「ひとまず、君だけ……。それで、練習してからにする」
「課長慎重派ー。好きです」
「なんだって?」
「はい……これで!」
何か聞こえた気がしたが。
受け取った携帯の画面には、新人君からの『お疲れ様です!』とのメッセージが既に表示されていた。やることが早い。
「ここ、そうです。そこタッチすれば入力になるので」
「普通のメッセージと変わらないな」
「そうですよ。あとスタンプならこっちです」
「スタンプ?」
イラストが送られてきた。ライムの変なキャラクターが番長みたいな恰好をして、横には『夜露死苦』と書いてある。
「どういう意味だこれ。死ねってことか」
「なんでですかあ」
今度は新人君が声を出して笑う。
「スタンプにほとんど意味ないですよ。あ、文章で送るのが面倒とか恥ずかしい時とかも使ったりしますけど」
「フーン」
色々プレゼンされたが、このスタンプ機能に限って言えば俺にはあまり縁が無さそうに思えた。
昼食を終えたメンバーが続々と戻ってくるのを視界の端に入れつつ、
「まあ、いい。使ってみる。出かけてくるよ」
「はーい、いってらっしゃい」
鞄を持って立ち上がる。
今日回る得意先のリストを頭の中で整理しながら出口に向かい――、俺はふと思い返して振り返った。
「……ありがとな」
新人君はやはり、ニコっと笑って返した。
あまりに邪気のない笑顔に接しすぎたせいかもしれない。
オフィスを出てからも、尻尾のあたりがいつまでもムズムズしていた。
会社の駐車場に停めてある車に乗り込んだ時、携帯が震えた。
さっそくトラブルだろうか?
取り出した携帯の画面。そこでは番長犬が旗を振っていて、その横に『愛羅武勇』と書いてあった。
……いや、このセンスだけはまったくわからないぞ、新人。
[newpage]
いつものように外回りを終えて俺が戻ってきたのは夕方過ぎ。間もなく終業時間だ。
オフィスに入る前、給湯室から出てきたウサギ種の獣人に声をかけられた。
「堅倉さん。今日歓迎会だから。残業とかさせないでね」
「わかってる。残業なんかさせないよ」
[[rb:卯川 > うかわ]]。彼女が第一営業課のリーダーで、年下だが俺の先輩でもある。
休憩中だったのだろう。コーヒーカップを手にしている。
装飾の少ない恰好に、意志の強そうな表情。綺麗に整えられた白い毛並み。
いかにも人を引っ張っていくタイプで、今日の歓迎会の幹事でもある。
「若葉屋君、いい子そうね」
「ホントにな」
「さっき……お昼前。賑やかだったけど、何かあった?」
「いや、何も」
まあ気にされているだろうとは思っていたが。さすがの耳ざとさ。
「お母さんとか聞こえたけど」
「……ただのたとえだよ」
「呼ばせるの?」
「そんなわけないだろ!?」
どんな冗談だ。
業務で第一と第二営業課が絡むことはほぼないのだが、それなりに長い付き合いだからこうして二人で話す時には結構フランクになったりもする。
「昼メシ、連れて行ってくれたんだな」
「ええ。[[rb:高市 > たかいち]]君と、うちの若い子二人で」
高市は人事のタカ獣人の名前だ。
「メシの写真、撮ってただろう」
「そーなの! もう何枚も。冷めちゃうから早く食べなさいって言っちゃった」
さすが中学生の息子を持つお母さんでもある。
「でも彼、うちの二人とも仲良く喋ってたからよかった。もう最近の子ってさ、何考えてるか全然わかんない。『最近の子』なんて言いたくなかったけど」
「君がそうなら、俺なんかもっとだよ」
「本当にね」
「そこは否定して欲しかった」
卯川は小さく笑う。彼女のチームにも半年前に入ったばかりの女の子が二人いる。
自分だけではないとわかって、俺も少しだけ安心した。
……まあ、そのとき一緒に入った俺の部下は辞めてしまったのだが。
いささか暗い気持ちになって席に戻ると、
「おかえりなさい!」
「あ、ああ」
迎えてくれる新人君である。キラキラした目が小型犬を思わせる。
それにしても、仕事でもおかえりなさいを言われたのはだいぶ久しぶりだった。少しこそばゆい。
「困ったこと、なかったか?」
「大丈夫です!」
「そうか」
鞄を置いて、大きくふーっ、と息をつく。
「お疲れ様です?」
「もう結構暑くてな」
四月だというのに日中は25℃を超えている。暑いのが特に苦手な俺はもう辛い。
「このあと飲み会ですから、パーッといきましょう!」
「あー……それなんだが……」
明るい表情がそれ込みであることを、俺は今更ながら理解した。
その期待を裏切る前に言わなければと――、
「ちわーっす!」
と、オフィスの入口のほうで威勢のいい声が響いた。
「えっ、なんですか?」
「賑やかなのが来た」
周囲に挨拶をしながら、こちらに向かってくるのはガタイのいいイヌ種の獣人。
いかにも体育会系出身で、今はフットサルをよくやっていて、三十代でパパになっても二十代のノリで飲み会をこなすタイプ。
……まあ、多分に俺の偏見も入っているのだが、事実である。
「先輩ー! お疲れ様っす!」
「ああ」
明るい茶系の獣毛に、垂れた耳と大きな目が特徴。[[rb:二子柴 > にこしば]]だ。
五つくらい年下だが、この会社に転職してきた時期には二か月ほどしか差がない。
俺としてはほとんど同期のつもりなのだが、いつも先輩呼びである。
それにしてもしばらく見なかったらチャラさが増している。娘もいるというのに。
「よっ、君が新人君かあ」
「は、はい。お疲れ様です」
「おつかれぃ。よろしくな。オレ、二子柴。名刺あげる」
「あっ、ありがとうございます。僕、名刺まだで」
「いいよ。今度できたらちょーだい。よくこっちも来るからさ」
もらった名刺を見ながら新人君、
「二子柴さん、本社勤務なんですね」
「そーだよ。一昨年までこっちだったんだけど、異動してさ」
「へえー、本社ってどんな感じですか?」
「ここより全然デカいよ。人も多いけど、獣人は少ない」
「えー、そうなんですね」
「獣人好きなの?」
「はい、毛並みとか、好きです!」
「へー嬉しいねえ。オレのことも好きになっていいよ」
「あは、二子柴さんて誰にでもそういうこと言うんでしょー」
「えっ、結構マジメに言ったのにぃ」
そんな会話を聞くとはなしに聞いている俺である。
新人君、二子柴を簡単にあしらっているのはさすがだ。
それにしても……、と俺は思う。なるほど、彼は獣人好きなのか。
それ自体は好みの話程度であって、我々獣人の中にもやけにヒト種が好きな奴がいるようなもの。特別驚くことでもない。公言することでもないが。
しかし、と俺は思う。
……そうか。あの「好き」は、そういう意味だったのか。
「じゃあ今日は歓迎会のために?」
「そー。こっち知り合い多いしね。でもま、タダ酒飲めるってのが一番だけど」
「そんなに?」
「だって会社の金で飲めるんだぜ? 飲まなきゃ損だよ、どうせ経費で落とすんだしさ」
「おい、あんまり変なこと吹き込むな」
俺が咎めても、この後輩は悪い顔でニヤッと笑う。
「先輩の分も飲み食いしてくるんでー、ご心配なく」
……コイツはすぐ俺のイタイところを突いてくる。
「え、課長行かないんですか?」
「う……」
そして二子柴なんかよりも大切なのはこちらだ。
色々な言い訳が浮かびそうになったが――正直に言った。
「すまん。飲み会というか……賑やかなところが、あまり好きじゃなくてな」
「ほら、オレたちイヌとかオオカミ系はさ、耳も鼻もビンカンだから。
――ま、オレはあっちもビンカンだけど? フフフ」
「何言ってんだ……」
フォローに入ってくれたのは感謝するが二子柴。セクハラ発言はきつい。
しかし新人君、肝心なところでその意味がまったく分からなかった顔で、
「味覚も鋭いってことですか?」
「ぐわー下ネタ外したのツレぇー!」
「あーうるさい」
こいつはいつもこれである。
と、卯川の席で集合の合図がかかった。
「ほら、上がる準備だ」
「はいー、上着取ってきます」
新人君が更衣室に向かったのを見送って、二子柴は俺のデスクに寄っかかった。
「いい子じゃん」
「……まあな」
「今度は辞めないといいっすね」
「おい。気にしてるんだから、やめろよ」
「へへー、すんませんっす」
こいつとのタメ口と変な敬語の混じった会話も慣れっこだ。
二子柴はフロアを見渡して、
「にしても、相変わらず女子ばっかすね、こっち」
「感覚忘れてないか。今みたいな下ネタ言ったら死ぬぞ」
「即死っすね、気をつけよ」
気合でも入れなおすためか、ぺちぺちと頬をたたいている。
女性比率の高い飲み会。男にとっては勝負事に近いといっても過言ではない。色々な意味で。
新人君は人当たりがいいし、あのキャラクターだから弄られるだろう。
本当は俺が一緒に行って気を配らなければいけないのだが……。
「二子柴」
「うぃ」
「飲み会……。うまく、助けてやってくれ」
「りょーかい」
二子柴は俺を見てにっと笑う。さっきとはうって変わって、大人の笑みである。
こいつとの付き合いも長い。普段はあんなでも、いざという時には頼りになると俺自身がよく理解していた。
来てくれるように頼んで、良かった。
「んじゃそろそろ行くっす」
「ああ。……その、ありがとな」
「うわ先輩がお礼言ってるこわイタいっ」
思い切り投げたペンは、見事に二子柴の尻に直撃したのだった。
◆◆◆
半分明かりの消えたオフィス。
残った俺は一人、黙々と仕事を片付けている。
誰とも話さず画面に集中していると、意識が先鋭化されていくのがわかる。
目の前のタスクを整理し、取り組み、片付けていく。
それが終わればまた次へ。十数年繰り返し磨いてきたスキル。
上手くこなすコツは、結果を予想し先手を打って処理することだ。
もし途中で予想外のことが起こったなら、それなりに慌てて、ぐっと我慢して、そしてまた取り組むだけ。
それが、俺が生きていくうえで身につけた処世術であり――鎧でもある。
「ふーっ……」
終わる目途がついて、俺は椅子の背もたれに身を預ける。
しばらくそのまま、疲れに脳が痺れるままにした。
首だけわずかに傾けて見れば、外はくすんだ夜空。星もほとんど見えない。
――飲み会。
今頃、盛り上がっていることだろう。新人君は大丈夫だろうか。
気になるなら行けばいい。まったくそのとおりである。
だがどうしても厳しいのだ。大量の揚げ物の匂い、複数の歓声。
いや、我慢はできる。できるのだが、我慢すると――この顔である。
激しいしかめっ面で、酔っぱらってるとか機嫌が悪いとか言われてしまう。
心配はありがたくても、過剰なのはこちらとしても居心地が悪い。
おまけに、それで店員をビビらせたなんてイジられたら面白くもない。これは学生の時の話だが。
それで空気を悪くするくらいなら……と今に至って。
そんな経験も、俺が飲み会を敬遠するようになった理由の一つか。
「――――。」
頭を振って、またパソコンに向かう。
だが気付かないうちにも――、思考は春の重い夜空を低く飛んでいく。
……当然、同じ獣人だって賑やかな場所を苦手としない者もいる。
羨ましいと思ったこともあるが、さすがにそれを思い煩う年はとっくに過ぎた。
そういう者もいて、そうでない者もいるというだけの話。
適材適所。
俺はいつもそんな言葉を思い浮かべる。
俺は目の前の、形のあるものしか処理できない。そういう風に生まれついたのだ。
そしてそれはメッセージアプリとかSNSの類を好まない理由でもある。
昔、少しだけやっていたことはあるのだ。けれど――、
急に返事が来なくなるとか。
いつの間にかブロックされているとか。
いやもっと……「会ってみたら思ってたのと違った」と言われたとか。
そんな結果があって、そういう性格になったのか。
あるいは、もともともそういう性格だったからそうなってしまうのか。
わからない。
それでもそんな小さな、だが胸にひっかかる出来事がいくつも積み重なって。
それが「俺」を、更に強固に形成している。
俺は俺のやり方しか……できない。
これはただ、「俺」の問題。
[[rb:そうでない > ・・・・・]]者は――歯を食いしばって、生きていくしかないのだ。
「…………ハァ」
ダメだ。集中できない。帰って酒でも飲んで寝よう。
パソコンの電源を落として雑に片付けて席を立った、ちょうどその時。
びびびびび、っと連続でスマホが震えた。
「なんだぁ!?」
完全に油断していたから、ビビる。
「…………!」
ライヌ。開いた画面に表示されたのは、何枚かの料理の写真と、それから。
『課長お疲れ様です!』
『おすそ分けです!』
『仕事、頑張ってくださいね!』
「――――。」
どすん、と席に腰を落とす。
しばらくそれを眺めていた。
……料理の写真なんて。
目をぎゅっと閉じる。酷使した目の奥がずきりと痛む。
誰もいないオフィス。聞こえるのは空調の音だけ。いつもの静寂。
…………いや。
薄く目を開けて。
俺は、認めた。
――誰かが気にかけてくれるのは、嬉しいものなのだ。
ちょっと遅れて、もう一度振動。
今度は初めて見る、やけに可愛いキャラクターが『好き』と言っていた。
「……フッ」
思わず小さく笑ってしまう。
最近の若いやつは、そういうことを本当に簡単に言うのだ、まったく。
だがわかっている。
スタンプはそんなに深い理由がなくったって送ってもいいのだろう。ウム。
文字で『ありがとう』とだけ送信して。
しかし、だとしてもこちらは気恥ずかしいアラフォー(間近)である。
びっくりさせられた仕返しに、俺はとびきり変なスタンプを送ってやったね。
春①「入社とライヌと歓迎会」――了。