春②「「好き」とノイズと新人類」

  「おはようございます!」

  歓迎会から土日が明けての月曜日。

  俺がいつものように朝のニュースやメールをチェックしていると、新人君がもうやって来た。始業時間より三十分以上早い。

  「おはよう。早いな」

  「頑張って早起きしました!」

  「朝強いのか」

  「全然です!」

  「なんだよ」

  朝から笑わせられる。

  新人君はリュックを置いて席に着いて――こちらを向いた。相変わらずきらきらした瞳が眩しい。

  「でも、課長のがずっとー。何時の電車なんですか?」

  俺もパソコンから距離を取った。

  始業前の対話。これもコミュニケーションか。悪くない。

  「俺は車なんだ。外周りで使うから」

  「車ー。カッコいい!」

  「そう……か?」

  またよくわからないセンス。若い子は、車なんてむしろ興味がないんじゃないか。

  「こう……バックするときに助手席の後ろに手置いてやるのとか、サイコーです!」

  「バックカメラあるからやらないな、それ」

  いきなりデスクに突っ伏す新人君。眠いのか?

  というかなんだその昭和のトレンディドラマみたいなやつは。

  しかし考えてみれば、俺もそんなに車に対するこだわりはなかったりする。

  単純に足がないと訪問が大変な顧客が多いからだし、それに――、

  「電車がな……」

  俺の呟きに新人君は顔を上げて、

  「アクセス、ちょっと悪いからです?」

  「それもあるが。ここ、他に交通手段ないから朝ラッシュすごいぞ。事故とか起こると完全に止まるし」

  「うわー……気を付けよう」

  「早起きの習慣、つけたほうがいいかもな」

  「はうー……頑張ります」

  ウム。そこは頑張りどころだぞ、若者。

  俺は携帯を振ってみせる。

  「もし遅れそうな時は、慌てなくていいから連絡入れてくれ」

  「ライヌでも?」

  「メッセージでもなんでも」

  「課長優しい~」

  俺の表情を見てか、彼は言葉を続ける。

  「前の会社、そういうの電話じゃないと絶対ダメだったんですよ」

  「へえ」

  そう言えば彼、第二新卒である。フレッシュ過ぎて忘れがち。

  「ライヌは業務で使ってたのにな」

  「そーなんですよ。でも休みの連絡みたいのは直接言うのが礼儀だー、って」

  「あるな、そういう会社」

  ただ、それと比べてこちらが進んでいるかと言うと。

  うちは何でもリーダー任せ。ルールが整備されていないということだし、人によって対応が変わるということでもある。

  「電車ん中じゃ電話できないだろ。朝、そんなことで慌てるのも辛いしな」

  これも、俺が混雑が苦手というのが大きいがゆえの判断だ。

  あの満員電車、息ができないどころか鞄を手から離しても落ちないレベルのすし詰め状態。過去、それで出社した時は午前中仕事にならなかった。

  大雨や雪でも簡単に止まるし、それなら歩いたほうがマシと誓ったくらいだ。

  そんなこちらの事情はともかく、新人君はニコニコである。

  「課長優しい~、やっぱり好きです!」

  ……大丈夫。今回は鼻水出なかった。ちょっと予想していたのである。

  ウォッホン、とわざとらしく咳ばらいを一つ。

  「……あー、あのな。その、あんまり恥ずかしいことは言うもんじゃない」

  「?」

  「だからな、この前もだが、特に他の誰かがいるようなときはな……」

  ちら、と見るオフィス向こうには今、事務と兼任の第一営業課メンバーが二名ほど。

  普段は控えめな彼女たちだが、給湯室ではどんな会話が繰り広げられているのか知る由もない。

  ましてやこの俺。コワモテがどうだとか、アラフォーなのに浮いた話もないとか散々言われているのが耳に入るのだ。

  できるだけ話題の提供は避けたいと思ってしまうのをわかってもらいたい。

  「あっ」

  両手で口を押さえる新人君。察してくれたか。

  「ごめんなさい、気を付けますー……」

  「あー、いや……」

  そのしょぼくれた表情にはちょっと罪悪感を覚えるほどで。

  いやきつくやめろと言うほどではないのだ。ただなんというか恥ずかしいからであってそのなんだすすす好す、す……とかナントカ言うのは本当にそういう相手に言うべきであって君は獣人全般が好きなのだから、

  「お母さんて呼ばない」

  「そっちじゃないよ!?」

  まだまだ、コミュニケーションが必要そうな我々である。

  ……しかしそのネタ、絶対飲み会で卯川あたりに弄られたな。そこに二子柴も同席していたと思うと。いや呼んだのは俺なのだが。だがしかし。

  俺の眉間のシワも、ますます深くなる一方だ。

  [chapter:春②「「好き」とノイズと新人類」]

  そんなこんなを繰り返しつつ、俺たちは少しずつ歩調を合わせていった。

  彼の「好きテロ」――俺がそう名付けた――は、少し落ち着いた……かもしれない。

  仕事に関しても彼はかなり目端が利く。入社当日の会話からも予想できていたが。

  何より助かるのはパソコンスキルに長けていること。プレゼンや営業用の資料の仕上げなんかもサクサクやってくれる。

  外回りから帰ってきたら頼んでいたものが一式出来上がっていた時には、軽い感動を覚えたものだ。

  たしか専門学校卒だったから、そこで身につけたのだろう。それか前の職場でしごかれたか。どちらにしてもありがたい。

  「若葉屋君、これ、まとめてくれるか」

  「はーい。前のと同じでいいですか?」

  「ああ。流用してくれ。それから――」

  たまたま電話で話した二子柴いわく、俺が週次会議で提出している資料がだいぶポップになったと本社でもっぱらの評判らしい。

  間違いなく、新人君の影響だと噂されている。

  が、俺は思う。

  ――知ったことか。

  実際その通りなのだし……そんなことより、部下とのコミュニケーションのほうがよほど大事だ。

  出来ると思ったら欲も出てくる。覚えて欲しいことも任せたいこともたくさんある。

  そうやって先を見ていると、余計なことを考えなくて済む。とてもいいことだ。

  ◆◆◆

  「注文キャンセル!?」

  俺は電話口で声を上げる。あえて声は大きめで。

  そんな態度をとりつつ、ちら、と目線を前へ。受話器の口を片手で覆って、耳のあたりをつつくふり。ちょっと聞いていてくれ、のポーズ。

  視線の先で、無言でこくこく頷く新人君。

  「いやー、困りますよ……もう発注書切ってるし、経理処理も……」

  電話の先では、付き合いの長い、取引先の部長さんが情けない声を出している。

  「……え? 挙式直前に花嫁が新郎ぶっ飛ばして仲人と逃避行? それで式中止?」

  どうなってんだ世の中。

  「ええ、ええ……じゃあ今回は特別……次は頼みますよ。はい、ええ。失礼します」

  俺が受話器を置いたのを見てから、新人君が寄ってくる。

  「キャンセルですかー」

  「ああ。でもこの商品、他の納品先にも回せるんだ。少し仕様を変えないといけないんだが」

  多少のコストはかかるが、それは次の納品価格に上乗せさせてもらおう。

  俺がそう言ってニヤッとすると、彼も笑う。

  「課長、悪い顔~」

  「顔のことはいいんだ」

  ◆◆◆

  我が[[rb:久間ヶ谷 > くまがや]]商事は商社である。

  メーカーから仕入れて、クライアントに納品する。その仲介。

  小売りから流通の手伝いまで幅広く、特にこの久間ヶ谷支社は、もともと本社がここだったこともあって地域のお客さんとの繋がりも強い。

  ちなみに、現在の東京本社では海外取引増も目論んでいるものの、そちらはなかなか芳しくないのが現状である。

  「ま、先方だってそんなに大事じゃないってわかってるんだ。でも、言うことは言っておかないとな。貸し借りにもなるし」

  管理表に諸々を入力しつつ俺は語る。語る自分は少し照れくさい。

  「こういうこと、結構あるから覚えておいてくれ」

  そしてこちらは目のきらきらが倍増している新人君である。

  「課長がカッコよすぎる~」

  「……褒めなくていいよ」

  「好きテロ」が来るかと思ったが今回は大丈夫だった。

  しかし、いちいち感心されるからこそばゆい。尻の下で尻尾がムズムズする。

  ついでだから、と手招きをして、

  「ちょっと仕事のこと共有しよう。椅子、持ってきてくれ」

  食事待ちの子犬みたいな彼を横に座らせて、モニターを指す。

  「これが現在の取引先のリスト」

  「うわー……たくさん」

  「上からやり取り頻度が高くて、下はほとんど注文だけで済むところ。今のお客さんは下のほうだな」

  「注文だけっていうのは……」

  「毎月の注文が決まってるんだ。同じタイミングでメーカーに発注して納品、締めまでに請求書を作って経理に提出する」

  「そういうのも結構あるんですね」

  いそいそとメモを取っている。真面目だ。

  「発注って、ファックスですか?」

  「ああ」

  「ファックス、パソコンで送るソフトあるんです。やってみてもいいですか?」

  「ほう」

  ファックスくらいならソフトを使うまでもない気がするが、聞いてみよう。

  「使ったことあるのか?」

  「まだです。最近ネットで見つけてー」

  「費用かかるんだろ」

  「登録して一か月は無料で使えるみたいなんです。だからお試しで。紙も使わないから、エコです!」

  「――そう、だな。インストール? したら一回見せてくれ」

  「はーい」

  席に戻ると、さっそくそのソフトを調べ始めたようだ。

  いい子だ。元気に取り組んでいる姿を見ると、俺も前向きになれる。

  「あ、課長。今日のお出かけは……」

  「そうだった。今日は無し。これから、朝イチにスケジュールと進捗を共有しようか」

  「はい! 朝ミーティングですね! 朝ミー!」

  「朝ミーって略すのか?」

  「今考えました!」

  「笑わせるんじゃない」

  と言いつつ笑ってしまう俺である。

  「毎日のミーティングとか、嫌じゃないか?」

  ちなみに俺は進展のない定例会議にはうんざりする。

  念のために訊いてみたが……、

  「課長となら全然です!」

  はい。そう言ってくれると思っていました。照れくさいが。

  しかし毎日となると何を話したものかな、と思っていると、内線用のPHSが鳴った。

  液晶に映る名前を確認して――掌を前に向けて開いた。話は一旦終わりのポーズ。

  やや腹に力を入れながら、俺は通話ボタンを押した。

  ◆◆◆

  『おーぅ、堅倉ぁ』

  すごいダミ声。サメ種の深澤さん。人事課リーダー。鷹獣人、高市の上司だ。

  「お疲れ様です」

  『お疲れーぃ。顔怖いねえ相変わらずさぁ』

  「……見えるんですか」

  『見えないけどわかるよぉ、俺と堅倉の仲だろぉ?』

  知らん。

  「あの、何か。人事関係ならそちらに行きますが」

  『あー、いい、いい。そういうんじゃないから。どお、若い子とうまくいってる?』

  ――そんなことだろうと思った。

  このオッサン、前社長時代からの古株で今は取締役も兼任。リーダークラスの上長でもあり、俺の人事評価もこの人が行っている。

  ただ、その立場もさることながら……めんどくささとセクハラ加減で敬遠されているのが実情な人物だったりする。

  セクハラ対象は基本的に男だけなのだが、なぜか俺にはあまり来ない。助かる。

  「ええ、まあ。それなりに」

  『もう辞めさせないでよぉー?』

  口の中に硬いものを押し込まれたような感覚。……言われなくても。

  「そうならないように、気を付けてます」

  『あっそうそう。話変わるんだけどぉ。役員会議、来月から堅倉にも一枚噛んで欲しいんだわ』

  「えっ」

  さすがに予想外の話に声のトーンも上がる。

  「しかし……営業全体のリーダーなら、卯川が……」

  『卯川ちゃんは部下たくさんいるし、お客さんも多いし大変でしょー?』

  俺だって忙しくないわけじゃない。

  言いそうになって、危うく飲み込む。

  『んじゃ、後で高市ちゃんに資料メールしといてもらうから! よろぴくぴく☆』

  こっちの返事も待たずに、電話は切られた。

  俺は息をついた。……それが本命か。あのオヤジ、どうにも苦手だ。

  「課長……大丈夫ですか?」

  「――ああ」

  いかん。顔が。顔がコワい。自分でも。

  「ちょっとトイレ行ってくる」

  「はいー」

  返事をする新人君を尻目に、俺は目頭を揉みながら席を立った。

  ◆◆◆

  「…………フゥ」

  そしてまたトイレの鏡の前である。

  深澤さんからの内線ですっかり現実に戻されてしまった。

  新人君が入社して以来、俺の思考の多くは彼に向いていたが、残念ながらそれで終始してはいられない。

  査定とか、人事評価とか、売上目標とか。

  さっきの注文キャンセルで今月の売り上げが減ったのも事実なのだ。

  どこかで補填する必要がある。外周りを増やさないとダメか。

  鏡の中の暗い顔の男。コワモテがさらに険しくなっているようだ。

  ――そんなにニラむなよ。

  若葉屋君が入ってくれたから、パソコン関係は少し減らせると思うのだが。もう少し頼んでみようか。しかしちょっと急かもしれない。

  ……辞めてほしくないなんて、俺が一番思ってるんだ。

  目頭を押さえた。目の奥が痛い。最近、ズキズキが増してきた。

  若いころより無理がきかなくなっているのを自覚する。

  身体の変化に気づくと、考えずにはいられない。

  いつまでやっていけるのか。このまま――ひとりで。

  ぐっと歯を食いしばって。

  それでも。戦わなければ。

  ◆◆◆

  「堅倉さん!」

  オフィスに戻るとすぐ、卯川が声をかけてきた。きゅっと表情が硬くなっている。

  ――何かあった。俺は直感的に理解する。

  「どうした」

  「なんか、さっきから第二にクレームの電話が。変な発注がたくさん来てるって」

  「なに――?」

  俺がその意味を推し量る前に――、

  「課長~! ファックス、お試しでデータ入れたら勝手に送っちゃってー!」

  「!」

  さっと獣毛が静かに逆立つ。ひんやりとした血が流れる感覚。

  怒ったのかって?

  ――まさか。怒るはずなんかない。

  これは俺の、臨戦態勢だ。

  「電話してきたお客さん、わかるか」

  「はい、手書きだけど」

  「ありがとう。――若葉屋君、」

  卯川からメモを受け取りつつ、新人君を伴って席へ。

  「ファックス送った先、一覧で出せるか。書き込みたいから、紙で2枚欲しい」

  「すぐ出します!」

  

  そうして俺は席に着く。キーボードを叩く。意識が先鋭化されていく。

  問題を整理、取り組み、片付ける。

  コツ? コツはそう。結果を予想し、先手を打って処理すること。

  俺が一番得意な分野。予想外のことが起こるくらい、予想の内だ。

  この時だけは、どんなノイズも聞こえなくなる。

  悪意はなくても耳に障る話とか、面倒な人事課長の絡みとか、仕事の不安とか。

  ――もっと深いところで[[rb:燻 > くすぶ]]る、俺自身についてのちりちりとした焦りとか。

  机の上の電話を取りつつ、自分の携帯ももう片方の手で繰る。

  受話器を肩に挟んで、新人君が持ってきたリストを受け取って。

  赤ペンのキャップを口で外し、リストを上からチェック。

  電話の音はゴングの代わり。

  やってやる。これくらいで負けたりしない。

  そう。ここが俺の戦場。

  「久間ヶ谷商事の堅倉です。部長、すみませんお忙しいところ。実はさきほど――」

  かけた先は、得意先メーカーの部長直通電話。

  「ええ、ええ……申し訳ありません。え? いやそんなまさか。はは。ちょっと新しいソフトを入れてみようとしたんですが、下手こいてしまって……いやアナログ派にはどうも難しく。申し訳ない。ええ……」

  同様の会話をそれから数件。特にクレームがなかったところにも。

  口と頭がフル回転。身体中を、アドレナリンとかそんな類の何かが駆け巡っているのがわかる。目指すのは、ただゴールだけ。

  高速で働く意識の端でふと思う。

  電話中だから無理だけれど。視界の端で不安そうに見ている君に言ってやりたい。

  ――心配しなくていいんだ。

  ◆◆◆

  「…………フゥ」

  最後にリストをもう一度見直して――俺は大きく息をついた。

  思いっきり椅子にもたれかかる。疲れた。

  でもアポイントも何件か入れられた。今月の売り上げも大丈夫かもしれない。

  「課長~……」

  薄く目を開けて横を見れば、新人君が立っている。

  ……捨て犬みたいな顔して、まあ。

  「ごめんなさい……」

  俺は口の端を上げてみせた。

  「電話するってのもな、結構、大事なんだよ」

  机の上には書き込みまくったメモ。俺が戦った名残。少しだけ誇らしい。

  「ファックスもさ、余白に色々書き込めたりするから。ソフトはしばらく見送りかな。……今回は、アナログ派に軍配だろ?」

  冗談めかして言ったが、ひん、とだけ小さく頷く彼。

  ……顔クシャの小型犬みたいな顔になってるな。

  おやおやと思う俺。なるほど、これが打たれ弱い現代の若者ってやつか?

  よっこいしょと――わざと言ったのだ、もちろん――立ち上がって、

  「少し、休憩しようか」

  [newpage]

  「こっち、初めて来ました……」

  「穴場なんだ」

  エレベーターで下りたのはビルの六階。ビルの最上階だ。

  テナントの入っていないスペースもあってやや寂しい。しかも目当ての場所は建物の裏手側。

  「喫煙者は一階の喫煙所に行くし、わざわざ来るやつはあまりいないだろうな」

  ガラス戸を開けて外のスペースへ。蒸し暑い空気に包まれた。夏が近い。

  「ほら」

  扉を押さえていると、キョロキョロしていた若者がととっ、と駆けてくる。

  距離が近くなって、思わず言う。

  「そんなにヘコむなよ」

  「……だって、課長の仕事増やしちゃったから……」

  大したことじゃない、と言おうとしてやめた。彼にとっては大したことか。

  心配性な少年の顔。そんな表情もあるのだとわかって、俺は一方で、少し安心している。

  ポケットから小銭を出しつつ自販機へ。ここ、隠れ場的な休憩スペースなのだ。

  缶を取って戻りながら、

  「これから仕事で一つもミスしないつもりか? そんなの無理だろう」

  「だって、課長を助けるのが僕のミッションなのに……」

  「――――。」

  気にしてるのは俺のこと、か。そうだな、君はいつも。

  壁に背を付けて、二人で並んだ。

  夕方が近づいてくる空気。どこかで鳥が鳴いている。

  しばらく、そのままでいた。

  「さっきの電話な。内線のほう」

  「――えっ? はい」

  「仕事増やされた。これから毎月、役員会議出ろって」

  「えーっ!?」

  大袈裟すぎるくらい驚いてくれる。

  「あんなにお客さん持ってるのに!」

  ……やっぱり、そう思うよな。

  俺は目を閉じる。

  「適材適所……って、いつも思ってる」

  不満はあるが、まあやって出来ないことはないだろうとも。

  「でも課長……!」

  「俺はあんまり、得意じゃないからさ」

  誰かと交渉することが。いや、感情をもとに行動することが、か。

  それと天秤にかけたら、我慢することのほうがずっと性に合っているし、それで大概乗り越えてきた。面倒ごとを乗っけるなら確かに適任だろう。

  俺一人が身を削って達成できるなら、コスト比で見ても一番いい……はずだ。

  守るものだって、自分以外に……。

  ――いるじゃないか。

  目を開けて、俺は徐々に沈んでいく夕日を睨んだ。

  どうやら、臨戦態勢のスイッチは完全に切り替わっていなかったらしい。

  「いや、やっぱり、改めて考えたら結構ムカついてきた」

  「そっ、そーですよ! 課長優しすぎ!」

  「優しいかな」

  「優しいです! すっごく……ヤシの実の洗剤くらい!」

  ……いやそのたとえ、どんなセンス。洗剤と比較されるのは初めて過ぎる。

  こいつ、ホントに笑わせてくれるな。

  脱力ついでに言ってしまう。

  「どいつもこいつも、勝手なこと言うんだ。そりゃ何だって言えばいいが……」

  俺を取り巻くノイズ。俺を外から勝手に規定するもの。

  鏡の中の男が睨むもの。

  「けど、[[rb:何かだから俺がどう > ・・・・・・・・・]]だ、なんて、他のやつに決められたくない」

  アラフォーで、独り身で、若いやつの相手がうまくできなくて、コワモテで。

  ――だからなんだってんだ。

  「そういうのに、負けたくないんだ」

  だから仕事も受ける。逃げない。

  そうして俺はこんなに、死ぬ気でやってるって世界に叫ぶんだ。

  俺は、ちゃんとここにいるのだ。

  隣を見ると、彼もまっすぐこちらを見返してきた。綺麗な黒い瞳。

  「君も、いくら失敗したっていい」

  これは安心させるつもりで言ったのだが、流れ的に、怖い意味にしか聞こえなかったかもしれない。

  それでも――俺には「俺」しかないから。

  「何度だって、俺が助けてやる」

  ……いや、冷静にならなくてもさすがに恥ずかしい。慌てて取り繕う。

  「だからさ。あんまりヘコむなよ。こっちまで悲しくなる、だろ」

  新人君は伏し目がちに何度も頷く――それから、顔をごしごし拭った。

  「……わかりました! ボス!!」

  「……ボスはやめてくれ。なんか意味変わる」

  そうして、俺たちは二人して笑い合う。

  うん。やっぱり、そっちのほうがずっといい。

  ◆◆◆

  今更ながら缶コーヒーをずっと握っていたことを思い出す。微糖とブラック。

  「ほら、どっちにする。ぬるくなったから買い直そうか」

  ぶんぶん首を振る若者。

  「えっと! えーっと……甘ブラックで」

  「甘いのって言おうとしただろ」

  「今日はブラックの気分なんですー!」

  「そうかい」

  まったく強情な。そのくせ、

  「んにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」

  飲んだ途端、苦さに震えている。

  やっぱりブラック苦手なんじゃないか。変な奴。

  俺は……うん、久しぶりに甘いの飲んだら旨い。

  目も休めたいから、しばらくぼんやりさせてもらう。

  ビルの裏手に広がる田園風景。

  広さこそ全然違うが、田舎の東北をどこか彷彿とさせる。今は遠い故郷。

  「あーっ」

  「――どうした?」

  「写真撮るの忘れてました! 今から撮ってもいいですか!?」

  「んなこと訊かなくても……。缶コーヒーだろ、ただの」

  「初めて課長に奢ってもらった記念! 大事なんデス!」

  「はいはい」

  元気が出たようで何よりです。

  「ほら、それならこうしたらもっといいだろ」

  俺の缶でカツン、とグラスを合わせるみたいにしてやった。

  これで背景に夕日なら、結構いい絵になるんじゃないか……なんて思う俺。結構うるさいんだ、そういうことには。

  「ウッ…………」

  若者、口を押さえてよろめいて。

  「うそ……なん、なん……てん、天然ジゴ、ロ……たらし……」

  壁に身を預けてふるふるして何かぶつぶつ言っている。

  「今度はなんなんだ」

  「ずるい! 簡単にそんなことする! イケワン! もう! ……好きぃ」

  「……また言った」

  くそ、油断していた。「好きテロ」阻止、失敗。

  両の手で口にバッテンをするようにして、彼が言う。

  「…………勝手に口から出ちゃうんです」

  「……難儀過ぎるだろう、それ」

  「でもその、ホントに……嫌だったら、あの、頑張って我慢するので……」

  「勝手に出ちゃうなら仕方ないだろ」

  息をつく。

  最近の若いやつは本当に、理解を超えすぎている。

  俺は夕暮れに染まる空を見たまま、言った。

  「――いいよ。言いたいこと、言えばいい。そのほうがいい」

  俺が恥ずかしいだけの話だし。なんてことない。

  「その代わり、俺だって言いたいこと言うからな。覚悟しろよ」

  眉をぐっと寄せてニラんでやると、やっぱり笑う若者。

  わかってきたが――こいつ、俺のコワモテが怖くないらしい。

  それで理解する。

  俺がこれまで築いてきた処世術が通用しない相手。

  こちらの予想なんか簡単に超えてくる未知の存在――新人類。

  でもいい。理解できないことを理解したから、先に進めるかもしれない。

  一人で歯を食いしばっていたあの場所から、少しでも。

  俺は俺のやり方で。

  君と上手くやっていく方法を考える。

  「……でもな、仕事中はちょっと遠慮してくれよ」

  「ふへぇ?」

  「恥ずかしくて鼻水出ちゃうんだよ」

  「えっ、鼻炎ですか?」

  「吹き出してるんだよ!」

  ゴホンと咳払い一つ。

  「……ちょっと長居しすぎたな。そろそろ戻ろう」

  めちゃくちゃ写真を撮りまくった後で、彼が空き缶を捨てに行ってくれる。

  あんなに嬉しそうにゴミを捨てに行くやつも初めて見た。

  「課長!」

  先に行っていた俺が振り返ると、夕日を背負ってガラス扉のところで彼が告げた。

  「じゃあ僕……僕が課長を助けますから!」

  「――――。」

  ――ヘコんだり元気になったり、忙しいやつ。

  オレンジの空が眩しい。

  見ていたら、目の奥がしくりとした。

  自然と口の端が上がるのがわかる。

  そんな誰かがいることが、俺は嬉しい。

  「ああ――、頼りにしてるよ」

  夕日に伸びた影が、全身で跳ねるように大きく頷く。

  まったく。可愛いじゃないか、新人類。

  ◆◆◆

  ファックス問題のその後は、特に大きなトラブルになることもなかった。

  先んじて連絡を入れたことが効いたか。良かった。

  その日の終業時間になって、

  「課長、今日はそろそろ帰ります」

  「ああ。――寄り道しないで帰れよ、ワカモノ」

  「お母さんみたいー」

  「やーめーろ」

  まったく、こいつは。

  「じゃあ、その……お疲れ様です!」

  「うん」

  視界の端でなんとなくその後姿を追っていると、オフィスの出入口付近で「怒られた?」なんて訊かれている。

  でも、あまり気にならなかった。パソコンに目を戻す。

  あいつが何て答えているかは……実際のところはわからないが、いいんだ。

  俺にはもっと考えなければならないことがたくさんあるから。

  それから少しして、携帯が震えた。ライヌ。

  『課長、おつかれさまです!』

  『外!外見てください!』

  「?」

  窓の外? 夜に向かう空しか見えない。

  思い立って、キャビネットに手をついて窓を開けた。下を覗くと――、

  「課長ー!」

  ……何やってんだ、あいつ。そんなところで。

  そして言いやがった。よりにもよって。

  「課長ー! 大好きでーっす!!」

  「ンドゥッフ!?」

  盛大に鼻水が出た。

  いやオイ待て。おかしいだろ。二人きりの時に言うならともかく。いやともかくないが。

  敷地フェンスの外はすぐ畑。その向こうには道もあって人もいる。何より他のフロアにも聞こえるだろうが。

  手を振ってやめろとジェスチャー。……手を振り返してきた。違う。

  「好きから大好きにランクアップでーす!」

  そうじゃない。「好き」言うなってそうじゃない。

  「それに僕、今は業務時間外ですからー!!」

  「仕事中は、ってそういう意味でもねえよ!」

  さすがに声を上げてツッコんだ。口調も荒れる。

  ――わかった。こいつ、かなり強かだ。

  俺が言葉を見つけられずわなわなしていると、さすがに怖くなったのか、ひゃーっと走って逃げて……あ、コケた。もう知るか。

  窓を荒々しく閉める。

  振り返って――ばっちり目が合う、第一営業課の皆さん。さすがにあの台詞は聞こえなかっただろうが……。

  「なんでもない……!」

  俺のコワモテで、ギャラリーは一掃された。

  卯川が外回りでいなかったのは唯一の救い。良かった。助かった。

  が、俺の顔恐エピソードに追加されたのは確実で。耳に入るのも時間の問題だろう。

  ……頭痛のタネがまた増えた。

  俺はしかめっ面で携帯を取る。

  これ以上アラフォーを辱めるんじゃない。眉間のシワが深くなるだろうが。更に。

  『おぼえとけよ』と送って。『怒り』スタンプも追加でマシマシにしてやった。

  ずっと既読がつかなかったが、家に帰ってシャワーから出たところでまるで図ったみたいに返事が来ていた。

  そこでは――。

  ライヌ犬が、ペロッと舌を出していた。

  ……コンニャロ。

  明日の朝ミーで話すこと、決まったからな。

  春②「「好き」とノイズと新人類」――了。