狸御殿 1

  一

  「ねえねえヨーコ、今度の休み暇?」

  休み時間のことだった。クラスメイトの深雪が話しかけてきた。

  私と違って彼女はいつも明るくキラキラしているので、急に話しかけられるとちょっと焦ってしまう。

  「暇だよ。どうしたの?」

  「あのね、今度佑都たちと旅行に行く計画があるんだけど、ヨーコも行かない?」

  彼女は私のことを親しみを込めてヨーコと呼ぶ。 偶然なのか、たまたまだったのか、佑都の名前を出してくるところが彼女らしかった。

  深雪は明るく元気なクラスのアイドルだ。地味な私とは正反対なのだが、何かと気にかけてくれ、話も合うので同じクラスになってからはよく遊ぶようになっていた。

  面倒見のいい彼女は、誰にでも積極的で世話を焼き、何事にも首をつっこむタイプなのだが、私はその積極性が少しうらやましかった。

  「えっでも私たちまだ中学一年生よ。親に怒られない?」

  一方私は大人しく目立たないタイプなのだが……意外にもクールだとか、大人でかっこいいだとかほめてくれる人が、深雪を含めて何人かいてくれるので不思議だ。

  だけど、深雪と違って私には積極性というものはなく、誰かになにかしてあげたいと思っていても、大抵は見てるだけで終わってしまうのだ。だから、自分の気持ちを上手く伝えられないでいるのだ。

  「じゃあ親の許可が取れたらいいのね。ほら、佑都も来るんだからヨーコも来なさいよ」

  私は佑都を見た。特に男前でもなく、部活動をしてるわけでもない、優柔不断な性格のクラスメイトだ。おまけに少しチャラチャラしている所がある。

  どうして彼を好きになったのかと自分でも思うが、まったくいい所がないわけでもない。鈍いというか、図太い所もあるというか、誰にでも同じ態度で接し、先生だろうが年下だろうが本当に平等に接するのだ。そういうどこにいても自然な彼の持つ柔らかい空気が好きになったもかもしれない。素直すぎる彼となら私も気をつかわず、ごく普通にいられるような気がするからだ。

  「分かった、親に言っておくね」

  まだ、私は佑都に自分の気持ちを伝えられないでいる。だって中学一年生でそういうのは早いし、言える気がしない。でも、この旅行でもっと彼に近づけたらいいな……。[newpage]

  二

  旅行はクラスの男子と女子数人で温泉に行くはずだった。

  しかし、結局親の許可が下りたのは私と深雪と佑都の三人だけで、後は誰も集合場所に集まることが出来なかったのだ。

  当日そのことを知った私は、深雪が佑都と私をくっつけようとわざと計画したのかと疑ったりもした。だけど、本当にそうなのかは分からないし、少し照れるけど佑都のそばにいるチャンスなので、表には出さなかったが三人だけの旅行を喜んだりもした。

  「まったく誰かがぼんやりしているせいでこんなに遅くなったじゃないの」

  「そっちだってあちこちうろうろしてたじゃないか」

  電車は闇の中を進んでいる。窓の外は真っ暗で、明かりすらなくて何も見えない。

  深雪がやれやれといった様子でいて、佑都は疲れてぐったりしている。つい、あれこれと観光して遊びすぎてしまい、私たちは予定の時間よりも行動が大幅に遅れてしまっていた。

  本当なら今頃は佑都の親戚がやっている旅館にお世話になって、のんびりとくつろいでるはずなのに、今現在どこにいるのか正確な場所も分からず私鉄に揺られていた。

  「本当にこの電車で合ってるのか? 五分くらいで隣駅に着くはずなんだけどな。もう二十分も走ってるぞ」

  「おかしいいわね。本当ならあなたがちゃんと行き先を覚えていて、電車も選んでくれるはずだったのにな」

  佑都は知っているはずの旅館への行き方を忘れてしまい、いつまで経っても具体的な解決案を出せずにぐずぐずしていたので、しびれを切らした深雪が電話で確認して切符を買ったのだった。

  「でも、もっとゆっくり行動出来ただろ。お前らがあっちこっち行きたいって言うから遅くなっちまったんじゃないか」

  「あら、佑都も楽しんでたじゃない」

  あまりに遅くなると怒られてしまうので、私たちは焦って飛び乗るように電車へ駆け込んだのだ。

  疲れもあり、二人が険悪になっていきそうだったので、私は間に入ることにした

  「まあまあ、旅行なんだしそれくらいにしようよ」

  「そうね……ごめんねヨーコ、こいつがしっかりしてないせいで」

  「だからな……」

  「そうそう、思いだしたんだけど、この辺りって昔から有名な狸がいるそうね」

  再び言い返そうとする佑都を遮るように深雪が話し始めた。

  「ああ、なんか旅人をお宿に泊めて化かしちまうって都市伝説だろ」

  「昔からある話なんだから、都市伝説じゃないでしょう」

  「うっ……けど、それっぽい噂が今も続いてるんだから、都市伝説みたいなもんじゃねえかよ」

  「だからそれは昔話が今も語られてるだけよ」

  「その噂って今もあるんだ……」

  狸と聞いて私は狸の置物を思い浮かべてしまい、少し嫌な気分になった。

  私は信楽焼の狸が大嫌いなのだ。縁起がいいと家の玄関やお店の軒先に飾られてたりするが、あのなんともマヌケで不細工な獣らしい顔も、中年のようなお腹も見ていて気持ちのいいものではない。それに一番嫌な理由があの下半身だ。どうしてその……なんというか……男の人の大事な部分、金玉があんなに強調するように大きく作られているのか? おまけに棒の部分もちょこんと作られているくせに、ここだけかわいらしくしようとしているのか、アンバランスに小さいのも気持ち悪いと思う。あれを見る度になぜだかこっちが恥ずかしくなる。どうして私がそんな思いをしなくてはいけないのか。

  とにかく、私はあの狸の置物が気持ち悪くて、見る方が恥ずかしいという思いをしないといけないのが理不尽で許せなかった。しかも、堂々と飾られているというのが余計に許せない。

  「うん。なんでもすごく温泉が気持ちいいお宿で、狸がお出迎えしてくれるんだそうよ」

  「狸がお出迎え……」

  そんなお宿には絶対に泊りたくないと、私は思った。

  「それはいいけど、そんなことよりここはどこなんだ?」

  佑都はわずかな記憶と違っていることが不安なのか、周りを気にしている。私も苦手な物を想像してしまったので、彼と同じような気持ちになっていた。

  「電話で確認したんだし大丈夫よ。駅だってそろそろ見えて来たわよ」

  深雪がそう言ったので窓の外を見ると、確かに駅らしき物が遠くに見えていた。二人も窓へ目を向けて、電車の前方にある明かりを見つめた。

  どうにか目的地に到着しそうなので私たちはほっとしたのだが、車掌さんからのアナウンスがなかったのを私は変に思った。ただのうっかりならいいのだけど……。

  私鉄が停車したのは小さな無人駅だった。駅には明かりがぽつぽつとあるだけで、他には何も無い。私は辺りを見渡した。駅の周辺は山と野原だけで建物なんかは一つも無い。気がついてみれば乗客は私たち三人だけだったらしく、誰の乗り降りもないようだ。

  「あれ、こんな所だったかな?」

  自信なさそうに佑都は首をかしげている。

  「あれ、違ったかしら? 電話で聞いたとおりに切符は買ったはずだけど、きさらぎ駅で降りるとは聞いてないわね」

  深雪も土地勘がまったくないおかげで強くは出れないようだ。

  駅の看板にはきさらぎ駅と書かれている。上りと下りの次の駅名は書かれていない。ただ、きさらぎ駅とだけ書かれていた――。

  「どうしようか……」と、私が言うと。

  「とりあえず降りようか」と、深雪が言った。

  もし間違っていたのなら、このまま電車に乗って行くとどこへ行くのか分からない。隣駅で降りたらいいはずだったから、乗り換えて降りるべきだけど……。

  「えっ、ここで降りるのか?」

  佑都は嫌そうな顔をしている。

  「えっ、まさか怖いの? 隣駅が違ったんだし、戻らないとどうしようもないでしょ」

  私も佑都と同じで降りるのが怖かった。嫌な予感というか、この駅は不思議な感じがある。深雪もそれに気がついていないわけではないようで、すぐ怖いという言葉が出てきたんじゃないかと思う。

  この駅はまるでこの世にあるようには思えない空気が流れている。それが私たちを歓迎してくれているようにも思えない。

  「別に怖くは無いけど、とりあえず次で降りたらいいんじゃないか?」

  「時間の無駄じゃないかしら? このままこの電車に乗り続けて、次も降りられなかったらどうするの?」

  「それは……」

  佑都は言い返そうとしていたが、何も言えず黙ってしまっていた。

  どちらかというと私も嫌だったが、もう時間も遅いのでここで降りることには賛成だった。だから、きさらぎ駅で降りることになったのだ。

  ここで次の電車を待とうと、私たちはホームへ足を踏み出した。[newpage]

  三

  ホームに降りてみても建物らしきものは見つからなかった。ひとまず旅館へ携帯電話で連絡すると、怒られずに心配してもらえたものの、きさらぎ駅については分からないそうだ。これで最終手段の迎えに来てもらう作戦も使えなくなってしまった。

  そうして辺りを調べているうちに電車は出発してしまい、車掌さんに話を聞くことも出来なくなってしまった。いや、正確には一度運転手席の窓を叩いたのだが、ブラインドで中は見えなくて、返事ももらえなかったのだ。

  それからしばらく電車が来るのを待っていたのだが、電車も人も無人駅には来なかった。しかも、携帯電話の時計が三人ともバラバラで、正確な時間が分からなくなってしまった。時刻を確認するために電話をするのはためらわれるし、終電の時間も分からない。おまけにバッテリーも消耗していて、そろそろ充電しないと切れてしまいそうだった。

  渋る佑都を深雪が言いくるめて、それから私たちはしかたなく線路に沿って歩き始めたのだった。だって待っていた時間で、最初の駅まで余裕で歩いて帰れたからだ。

  歩いても歩いても周りは野原と山しかない。次第に霧も漂い始めて私たちは不安な気持ちが強くなっていく。

  「なんで駅で待ってなかったんだよ」

  「あんな無人駅だと、もう電車が来ないかもしれないじゃない。というか最初に乗った時間を考えると、たぶんもう終電過ぎてるわよ」

  泣き出しそうな佑都を深雪がなだめている。私はそれを見てるだけであまりしゃべらなかったが、いつもの立ち位置なので楽といえば楽だった。肉体的な疲労を除いて。

  「もう歩けない。タクシー呼ぼうよ」

  「さっき電話して、どこもきさらぎ駅が分からないって言われたでしょ」分からないどころか、悪戯扱いして怒り出す所さえあったくらいだ。

  「それにしても霧が濃くなったよね」

  「だよね、前がまったく見えないんだもん。これじゃ引き返すのも難しいわね」

  伊佐貫というトンネルを抜けた辺りから、歩く距離に比例するように霧が濃くなっていた。今はもう自分の足元くらいしか確認することが出来ない。

  「帰りたい、歩くの辛い」

  「男の癖にだらしないわね……でも、私もさすがに辛くて限界かも。今日は野宿も考えないとダメかしらね」

  一日中遊んで、休みたい所を歩き続けているのだ。汗だくだし、足も痛くなってきている。もう民家だっていいから建物が見つかれば、そこで眠りたい。雨風がしのげるならどこだっていい、そんな気分だ。

  「お前らがあちこち行かなけりゃ、最初に電話した時に迎えに来てもらえたかもしれないのにな……」

  「まずは親戚の住所くらいメモした方がいいわよ」

  そう言われて佑都の様子が変わったので、てっきり怒り出すのかと私は思った。

  「すまん、ちょっとトイレ! もう我慢出来ん!」

  別のことが我慢ならなかった佑都は、霧で見えない道を外れて藪の方へ消えていった。

  ああ、本当なら今頃温泉から上がって、三人でおしゃべりでもしてるはずなのに。そもそもの原因は佑都にあるのが私をなんともいえない気持ちにさせた。

  「ごめんねヨーコ。あいつ昔から抜けてたけど、あそこまでとは」

  もやもやしていると、深雪が申し訳なさそうに謝ってきてくれた。彼女のせいではないので、私は驚いていると藪から大きな声が聞こえてきた。

  「おい、こっち来いよ!」

  「あんた、今しょんべんしてんでしょ! 行かないよ!」

  深雪が怒ったように返しても、佑都はしつこく来るように言ってくるので、私たちは怪訝に思いながらも道を外れて藪へ入ってみることにした。

  呼ばれた先にはズボンがややずり下がった佑都が待っていた。

  「殴るわよ」

  「俺を見んなよ。こっちじゃなくて、いいからあっち見てみろよ!」

  彼が指す方角を見ると、霧の向こうにぼんやりと明かりが見えた。駅から歩き出して、月明かり以外に初めて見た明かりだった。

  「なっ俺が呼ぶ意味が分かったろ?」

  ズボンのベルトを締めながら佑都は得意げになっている。霧の向こうに建物の大きな輪郭がが薄っすらと見える。人がいるのは間違いないだろう。

  誰が言い出したわけでもなく、気がつくと私たちはその光に吸い寄せられるように歩き出していた。

  「わあ、なんだかすごいね」

  私は思わず声を出していた。暗くて、霧が深くて、よく見えないのだけど、藪林を抜けた先には未舗装の道路が続いていた。

  霧の中を歩きながらわずかに見えるのは、田んぼやいかにも古そうな民家の一部だ。霧でよく見えないが、とても懐かしい感じのする田舎の風景が頭に浮かべることが出来て、聞こえるのは用水路の水音と虫の音とそよ風の音だけだった。

  ここは村なのだろうか? とても古めかしい感じのする道を歩き、霧に隠された唯一の光を求めてさまようのは、とても幻想的で風景と共に引き付けられる。まるで現実から別の世界へ脱げ出していくようだった。

  淡く光る明かりに誘われて、三人でこれまでの疲れも忘れてドキドキしながら道を歩いていた。隣には佑都がいる。彼と手をつないで歩けたらどんなにいいだろうかと私は思っていた。

  「なんだか大昔にタイムスリップしたみたいだな」

  「私もそう思う」

  佑都が私と同じように思ってくれていることが嬉しかった。深雪は私たちを気づかってくれているのか、黙ったままだった。

  そうして歩いていると、私たちは霧の中を照らしていた明かりの元へたどり着いていた。かがり火をたかれて、暗闇の中に幻想的な別の影を造る日本家屋がぼんやりとそこにはあった。大きなお屋敷だが、古風なのぼりや日除け暖簾などかけられていて、外客を出迎えるような雰囲気もあった。

  確実に自分たちで歩いて近づいていったはずなのだが、その屋敷がいきなり霧の中から現れたような感じだったので、蜃気楼でも見て騙されている気分だった。

  暖簾には屋号らしきものが書かれているが、看板などはないので店や施設なのかは分からなかった。だけど、門は開放されたままで庭へ自由に入ることが出来て、そのまま玄関まで行くことはじゅうぶん可能だった。姿こそ見えないが、誰かのいる気配がある。

  子供ながらに私は美しい建物だと思いながらも、人を迎える雰囲気とは裏腹に、近づいてはいけない所だと、どこかから警告されているような怖さも感じた。

  「とりあえず場所だけでも教えてもらえるかもしれないし、行ってみようか」しばらく屋敷を眺めた後、私は言った。

  「そうだね……」

  妖しい雰囲気があり、中学生が夜中に訪れるのはちゅうちょしてしまうが、人がいるのは間違いなさそうだった。何より疲れていて、休みたくてしょうがない。悪いことをするわけでもないので、とにかくたずねてみるしかない。

  それにどこかで、ひょっとしたら泊めてもらえるかもしれないと……そういうずうずうしい考えもあった。これだけ大きいのだし、空き部屋くらいあるだろうと。子供だから保護してくれるかもしれないし、それなら民家よりもこっちのほうがよさそうだと、私はそう判断していた。

  「えっ行くの?」

  「しょうがないじゃない、他にどうするのよ」

  「えっと、それはそうなんだけど……なんかちょっと」

  嫌そうな顔をしている佑都だが、特に考えもないようで深雪に何も言えないでいる。

  「とにかく怒られるわけじゃないんだし、行ってみようよ」

  弱気になっている佑都を説得しつつ、私たちは門の中へと入った。予想はしていたが玄関には呼び鈴などはなかったので、その場で人を呼んでみることにした。

  返事は返ってこない。どうしようかと迷いながら戸に手をかけると、鍵はかかっていなかったらしく、そのまま横に開いてしまった。無用心だなと思いながら私は顔だけ入れて中を覗いた。屋敷の高い天井と、広い土間があった。初めての場所なのに、懐かしい感じのする不思議な空間だ。

  もう一度呼んでも誰の返事も返ってこない。電気は通ってないのか、行灯の薄明かりだけが廊下の奥に見えた。

  申し訳ないと思いながら屋敷の中へ入り、土間から上がることにした。旅行中だからか普段より大胆になっていて、疲れ果てているのでとにかく休みたくてわらにもすがる思いでの行動だった。

  薄暗い廊下をなんとかぶつかったり転んだりしないように歩いていたが、人が出てくる気配はまるでなかった。なので、曲がり角に差し掛かった時に話しかけられたのは、本当にビックリした。

  「おや、こんな夜更けにどちら様ですかな?」

  廊下の角の向こうから年をとってそうな男の人の声が聞こえてきた。

  「勝手に入ってしまってごめんなさい。私たちは道に迷ってしまっていて、誰かいないかと思って」

  こういう時は、誰かではなく、どなたかと言うべきかなと、私は思いながら事情を話した。

  「それはそれはお困りの様子で……ふむ、それなら今夜はもう遅いので、ここにお泊りになられてはどうでしょう?」

  「いいんですか?」

  「ええ、かまいません。この屋敷は狸御殿と呼ばれておりまして、あいにく宿ではないのですが御客さんを泊めることも多いので、たぶん窮屈なことはないでしょう」

  「えっ狸……?」

  「いきなり入っちゃったのにすみません、ありがとうございます」

  狸と聞いてつい言葉をつまらせていると、代わりに深雪が答えてくれた。その一瞬の間だったけど、私が狸に対して苦手に思っている感情を、角にいる人に気がつかれてしまった気がした。だけど、それは思い込みだろう。

  そんなこと言ったり考えている状況ではないし、驚いたけど少し期待していたことなので、私は黙ったままでいた。それに今日はもう歩かなくていいということに私たちはすごく喜んだ。

  廊下の角から出てこないが、この男性の申し出にこれまでの緊張もゆるんだ。よくよく考えれば不法侵入として、もっと大騒ぎになっていてもおかしくないこの状況を反省しつつ、やはり入って良かったかなと思う。

  「あの……ごはんは出ますか?」

  佑都の予想していなかった質問に私と深雪は凍りついた。確かにお腹はすいているが、今聞くことでもないだろうに。いきなり無断で中に入ってごはんを要求するなんて……こういう所が彼のいい所でもあるのだが、今は悪い方向に出てるとしか思えない。

  だけど、意外にも角からはクスクスと笑い声が漏れてきたのだった。

  「ふう……面白い方たちだ。いいでしょう、下々の者が寝ていますのでたいしたおもてなしは出来ませんが、ご用意しておきましょう。お部屋の準備もせねばなりません、その間に温泉がございますので汗を流されていて下さい。廊下を曲がって右に行き、最初の戸が大浴場となっておりますゆえ」[newpage]

  四

  私たちはしっかりとお礼を言ってから、その言葉に甘えることにした。ちゃんと姿を見てから、もう一度お礼を言おうとしたのだが、角を曲がるとすでに男性の姿はなかった。早速部屋の準備をしてくれに行ったのかなと思ったが、それにしては長い廊下なので、私は男性の姿が見えないことに首をかしげた。

  大浴場の戸を開けると二手に別れていて、男女で脱衣所が別れているようだった。脱衣所を抜けるとすぐ露天風呂がある。

  深雪が佑都に覗かないよう釘を刺してから、私たちはお風呂へと向かった。露天風呂が一つあるだけだったけど、それでも大きく立派なお風呂だったので、私と深雪は顔を見合わせて喜んだ。客を泊めることも多いと言っていたが、そっちをメインにした温泉旅館となどと同じくらいに豪華だった。

  「いやーどうなるかと思ったけど、結果よしって所ね」深雪は温泉につかりながらご満悦の様子だ。

  「そうねえ……最初からトラブル続きだったけど、それも旅行の一つだわね」

  本当ならもっとみんなでわいわいしてたはずだし、ここではなく普通の旅館に泊まる予定だったが、こういうのも悪くはない。

  それに、この仕切りの向こうには佑都がいる。一人でお風呂に入って淋しいかもしれないけど、そこから上がるとまた私たちと行動するはずだ。彼と近くにいれることがうれしい。

  お風呂から上がると脱衣所に書置きがあった。お部屋を用意しておきましたと、部屋までの簡単な地図と共に書かれていた。

  私はここまで誰の姿も見ないことを気味悪く感じ始めたが、文句どころか感謝の気持ちでいっぱいなので、置かれてあった浴衣に着替えて部屋まで行って見ることにした。

  部屋には私たちより先に上がった佑都が待っていた。

  「おい、あれ見てみろよ」

  佑都の言うようにふすまの隣を見ると、布団が三つ並んでいた。

  「修学旅行じゃねえんだから、もうちょっと何とかなんねえのかな」

  「普通は泊めてもらえるだけありがたいと思うのよ」

  深雪はそう言いながらも、男子と同じ部屋で寝るということに対して動揺もしているみたいだった。私は佑都と同じ部屋ということを喜んでいた。

  部屋は旅館の一室といった感じですばらしいけど、テレビも冷蔵庫もなかった。私たちはなにもすることがないので、すぐ暇になってしまった。

  「あーバッテリーが」

  親たちへ連絡しようと携帯電話を取ったが、バッテリーが切れていた。深雪も同じらしく、どうにか届いていた電波を使ってネットをしていた佑都も、最後の充電を使い果たしてしまったようだ。充電しようにもコンセントは見つからなく、これでは連絡が出来ないので電話を借りないといけないなと、私は思った。

  「まだ途中だったのに」

  「だから先に電話しときなさいって言ったのよ」深雪はいつもの調子で、母親の小言みたいだった。

  「掲示板に書き込んでたのに……なんかきさらぎ駅って書いたら反応があったぞ」佑都はあまり気にしてなさそうだ。

  「なにそれ?」

  「それを今から聞く所だったのにな」

  「じゃなくて、そんなことより電話しときなさいよ」

  「お腹空いたなあ」

  屋敷に入るのを嫌がっていた佑都も、すっかりリラックスしているようで、いつもの調子だ。

  「食事も用意してくれるって言ってたし、もう来るんじゃない」

  私がそう言うとふすまが開いたので、ちょうど食事を持ってきてくれたのかと思い、振り返った。だけど、そこにいたのは信じられないものだった……。

  「お待たせしました。私がこの屋敷の主、吉郎と申します。村の者からは吉郎狸と呼ばれております」

  お風呂上りにおしゃべりをしていた私たちの前に、着流しの上に羽織を着た二足歩行の狸がやってきたのだった。

  和服を着ていて体つきは人間ににているけど、頭は狸そのものだし、袖からも黒い毛皮で覆われた手が出ていて、明らかに人間以外の生き物だということを認めざるを得ない。

  こんな不思議な場所に迷い込んだのだから幻でも見ているのかと思ったけど、たぶんこれは現実で、私たちの前にいる狸はメイクや着ぐるみとかの作り物ではなさそうだ。

  灰褐色の毛皮だけど、目の回りが黒くなっていて、どう見ても狸だ。和服の上からなのでおおよそだけど、丸っこくてお腹も出ていておじさんの体型をしている。人間だと四十歳を超えてそうな感じだ。

  「お食事をお持ちしました。他の者はみんな寝ているようでして、私がご用意させてもらいました。料理など出来ない故、本日の食事の残りをお持ちしたのですが、お口に合わないことはないでしょう」

  お膳には白めしと汁物や魚などが並べられていて、普通の食事のように見えるが、狸が持ってきたというだけで食べられるものなのか不安だった。

  それにいくら服を着ているといえ、私はあまり狸が好きではない。それに裸なら恥ずかしい置物そっくりなんじゃいかと考えてしまい、私は顔が赤くなってしまう。

  「私が珍しいようで……やはり外からの御客さんでしたか。いきなり姿を見せては怖がられるかと思いまして、こうしてみなさんがひとまず落ち着いた後で名乗らせていただこうかと思いましてね」

  確かに、いきなりこの姿を見ていたら、逃げ出していたかもしれない。だけど、今は落ち着いてというよりも、逃げなれなくなった状態になった気分だ。

  「うおーうまい!」

  いただきますをいつ言ったのだろうか? 給食時のように佑都は誰よりも早く食事に手を出していた。よくこんな状況で……と、思ったが、おかげで緊張が少し解けたのでよしとしよう。

  私もずっと手をつけないのは失礼かなと思って、食べてみることにした。

  「おいしい!」

  「喜んでもらえたようで……ところで道に迷われたとのことですが、どうやってここまで来られたんで?」

  「えっとですね。知らない駅を降りてから……ずっと霧の中を歩いていて、それからここの明かりが見えたので歩いて……」

  「ほう、駅を降りて霧の中を……」吉郎狸さんの瞳の奥がかすかに変化したように見えた。

  「そうですか……それではまだ誰にも会ってませんね?」

  「はい。会ってないよね?」私は二人に目をやる。

  「うん、誰にも会ってないはず」

  「ふむふむ、そうですか……お疲れの所お邪魔しました。ゆっくりとお食事をお楽しみください。膳は廊下に出しておけば回収しますので」

  そう言って吉郎狸さんは会話をあっさり切り上げて、部屋を出て行ってしまった。しまった! コンセントや電話のことを聞きそびれてしまったと気がついたが遅かった。

  「狸っているんだね」

  深雪は感心したように、そうつぶやいた。私も同じ気分だった。

  旅行して、道に迷った先でおいしい食事と温泉と狸に出会えるなんて思ってもみなかった。

  狸は苦手意識があるけど、吉郎狸さんのおかげで宿と食事にありつけたのだから感謝しないと。

  こうしてすごく不思議な気分で夜は更けていった。[newpage]

  五

  部屋が明るくなっていたので私は目を覚ました。寝ぼけながら携帯を手に取ったのだけど、電源が入っていないので何も確認できない。雨戸の隙間から挿す光で、もう朝に……もしくはお昼になっているかもしれないということは分かった。

  まだ眠くて頭がはっきりしない。そうだ、携帯の充電が切れてて、目覚まし時計もないから寝れるだけ寝ようということになったんだった。

  食事の後は普通の旅行の夜のテンションになっていき、話したりトランプをして、その後で電話が出来そうにないからやけくそな気分で寝たのだ。

  二人はまだ寝ている。私は光の漏れる雨戸をそっと開いて窓を開けた。ふわりと気持ちのいい風が流れ、二人を起こしてしまわないか心配になった。

  だけど、そんなことは外の景色を見た私には、すぐにどうでもよくなってしまった。

  窓を開けた私を出迎えてくれたのは、霧で見えなかった村全体の景観だった。どこも山で囲まれていて、遠くには緑の山しか見えない。村は水田とかやぶき屋根の民家しかなく、電柱や電線なんてものは一切ない。水田と民家を未舗装の道が区切っていて、規則正しい模様のようにも見える。

  初めての場所なのに、古臭く懐かしい風景。山や水田が持つ自然の緑の中に、その一部として違和感なく人工物が存在している。私はすっかり目が覚めてしまい、気持ちのいい爽やかな空気を吸い込みながら、ずっと外を眺めていた。

  「おはよう……」

  ちょっとの間だったかもしれないし、結構な間だっかもしれない。どれくらいそうしていたのかは分からないが、二人も目を覚まして眠そうな目をこすりながら布団から出て来ていた。

  「おはよう」

  二人も私と同じように外の景色に驚いたようで、窓に寄ってくると何も言わずに外を眺めていた。

  「すごいね」

  「うん、すごい」

  じゅうぶんに堪能してからやっと言葉が漏れたように、私と深雪は自分が感じている驚きと興奮を確認しあった。

  「すごいけど、ちょっと退屈だな」

  佑都も最初は感じるものがあったようだったけど、もう興味が薄れたようだった。

  確かに退屈と言えば退屈だけど、まるでタイムスリップした気分で私はとても楽しかったから、佑都が飽きてしまったのは意外だった。

  「とりあえず腹減ったな。朝飯は出るかなあ……」

  「はあ、佑都には花より団子って言葉がぴったりね」深雪は呆れていたけど、私も佑都らしいなあと思った。

  「なんだよ。起きたらとりあえず腹減ってるだろ?」

  いつもの佑都と深雪のやりとりが始まりそうだったのだが、部屋のふすまが空いたので私たちは振り向いた。

  「おはようございます。昨夜はよく眠れましたかな?」

  和服を着た中年のような吉郎狸さんが中へ入って来た。正直昨日は怖い気持ちもあったのだが、今日はそれほどでもない。人間ではないが、置物のように裸で性器をさらしているわけではないし、落ち着いて上品な物腰の狸に私は慣れ始めようとしていた。

  「とてもよく眠れました。おかげで無事に帰れそうです」

  「それはよかった。さっそくお帰りになられるんです?」

  「はい、親が心配してるでしょうから。それで電話を貸してもらえませんか?」

  早く連絡だけでもしておかなくてはと、私は思っていた。この屋敷にはコンセントはなくても、電話くらいならあるだろう。

  「電話ですか……申し訳ない、電話はお貸し出来そうにありません。ご覧の通り電気すら通っていませんから」

  そういえばそうだった、電気がないなら電話などないはずだ。怒られるかもしれないという心配で、どうしようかと考えていると、吉郎狸さんが口を開いた。

  「ふむ、ひとまず朝食にしませんか? せっかくの外からの御客様なので、おもてなしをしたいのです。それからのことは後ほどゆっくりお考えになられては?」

  「やった、朝飯だ」

  佑都は笑顔になっているが、連絡が出来ないとはなんて不安で恐ろしいことなんだろう。さっきの景色の感動が嘘のようにひっくり返って、私はあまり笑えなかった。ここは素晴らしい所に見えるけど、早く帰ったほうがいい……そんな気がする。

  ひとまず朝食を取ることにした私たちが案内された座敷には、大勢の人がいた。昨日は夜とはいえ誰も見なかったので、私たちはどこにそんなにいたのかと思うほどの人たちに驚いた。

  それだけではなく、座卓に並んだ朝食も非常に豪華な物だった。朝なので内容はあっさりとした食べいやすい物中心で、量も多くはなかったけど、どれも工夫と金額のかかってそうな物ばかりで戸惑う。

  「村への御客さんは丁重におもてなしさせていただいています……それが子供さんでも。腕によりをかけてこさえさせたので、どうぞご賞味ください」

  村人たちからは客人として手厚くもてなされ、中にはまるで有難がっているようなふしのある人もいた。食事の味は上品でとても美味しいのだが、何人もの知らないひとがいて、上座には和服の狸が座っているので、落ち着いて食べることは不可能だった。

  「お口に合いますかな?」

  歓迎の舞などが終わり、私たち以外の人たちが座敷を出て行って賑やかな朝食が静かなものになってから、吉郎狸さんが話しかけてきた。

  「もちろんです」佑都はこの状況を大いに楽しんでるようで、彼の気持ちが見ているだけで伝わってきた。

  「お嬢さん方はどうですか?」

  「はい、美味しいです」

  「それはよかった。いくら人間と食べるものが同じとはいえ、私にも好みというものがございますからな」

  こうは言ってくれているものの、狸さんには本当にそう思っているのかわからない、どこかしらじらしいものがあった。

  「ええ、美味しいですよ。食べたことの無いものばかりでうれしいです」

  「喜んでいただけたようで……」ここで一呼吸おいて、彼は再びく口を開いた。

  「それで、あつかましいと思うのですが……こちらの頼みを聞いてもらえませんかね?」あくまで丁寧で申しわけなさそうに、吉郎狸さんは切り出して来た。

  「実は村の周りにとても大きな熊が住み着いてしまったようで、どうにか追い払う手伝いをしてもらえませんかね?」

  「私たち子供ですよ。そんな手伝いなんて出来ませんよ。それに猟師さんに頼めばいいじゃないですか」深雪がそう答えても、吉郎狸さんは渋そうな表情を変えないままだ。

  「ええ、そうなんですがね……こんな人目につかぬよう隠れて住んでるような村でして、なるべく殺生は控えたいのです。それに村の者よりも御客人にしていただければ都合が良く、こちらとしては非常に助かるのですが……」

  ここで吉郎狸さんの表情に小さな変化があったのを私は気がついた。まるで一宿一飯の礼として、するべきことを要求しているように聞こえた。

  したたかで粘着するような気味の悪さがどことなくあり、まるでこっちから承諾しなければいけいない雰囲気を作り出されているかのようだった。どこか従わなければなと思ってしまう凄みもあり、貧欲なドス黒ささえ感じられる。

  だからこそ私は断らなければならないと思ったのだが、一人は私と同じ考えで、もう一人はまったく違った考えを持ったようだった。

  「分かりました、手伝います」

  何の迷いもなく佑都は頼みを承諾したのだった。臆病な性格だから断れないとかではなく、いつものお調子者がはっきり決断してしまっている。

  「ちょっと、そんなこと勝手に決めないでよ」

  「いきなり泊めてもらって飯まで食わしてもらってるんだから、ちょっと手伝うくらいしようぜ」

  彼の性格ならとても自然な言い分だった。確かにそうなのだけど、改めて吉郎狸さんを見ていてもどこか怪しい部分があった。当の本人は涼しい顔をしているが、ふてぶしさを感じる。

  「でも危なくないかしら」

  「いいえ、この薬を飲んでいただくだけでことは進みます。何も命の危険など心配には及びませんよ」

  吉郎狸さんは懐から小瓶を取り出して私たちに見せた。茶色の液体が入っていて、何かの出汁のようにも見える。

  「なんで黙ってるんだよ、何も迷う必要ないだろ? お返しくらいしようぜ」

  佑都の言うことはもっともだし、なにより好意で泊めてもらっていて、もしも宿代がいるなら私たちには払えそうになかったので、お願いくらいは聞くべきだろう。

  「分かりました。私たちでよければ協力します」

  こうして私たちは吉郎狸さんの頼みを聞くことにしたのだけど、私は本当に聞いてもいいのかと迷いがあった。彼が人間じゃないからではなく、吉郎狸さんの瞳の奥に身の毛もよだつようなものが見えてしまうからだった……。

  「ありがとうございます。では、そうですね……」

  品定めでもするように吉郎狸さんは私たちを交互に見ている。私たちより大きい狸にじろじろ見られるのは、あまりいい気がしない。

  「こちらの方に手伝ってもらいましょうか……」吉郎狸さんは深雪の方を向いてそう言った。

  「それとあなたには私の相手でもしてもらいましょうか」そして、ついでとでも言うように私を見たのだった。

  「相手ってなんのですか?」

  「ええ、こんな山奥ですから久しぶりの外の女性から話でも聞かせてもらえませんかと思いまして」

  正直な感想として嫌でしかなかった。それなら熊の方を私がやりたいくらいだ。吉郎狸さんは礼儀正しいのだが、どうしても何か裏がありそうで、気味の悪さを感じてしまう。言葉として正しいのか分からないが、それは人間性? の話であって見た目は別なのだが、目の周りが黒い狸の顔でお腹の出た中年体型だというのは余計に彼を怪しくさせている。

  やっぱり狸は嫌いだ。

  「俺は何したらいいですか?」

  すっかりやる気でいた佑都は、何も言われなかったのできょとんとしている。

  「そうですね、それは追々お伝えします」

  どうでもよさそうにそっけなく吉郎狸さんは答えた。